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美術教育と現代の美術

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美術教育と現代の美術
美徳教費と現代の美構
i
美術教育と現代の美術
丸出浩司嘆衛秘教謝
はじめに
めだが)の搾晶を美の典型として鍵示しているこ
とにある。取彗分けルネッサンス銀緯欝饗1紀ぎ1半
美徳教育は表現技法を身に付けさせる教科では
までの,イタサア・フランスを中心とした透携露
なく,表理することの喜びを味わわせ,美しさに
法的西洋絵錘をその緬値の輿型としている点にあ
感ずる心を奢成することによって人間形成を促す
る。
のように教科を認識する気運は高まってきている。
今欝,美術史の藩究も進み,また子どもの造形
表理経おける発達1論についての講究も盛んであ
ただ,現実1こはそうした運懲こ薩って美術教育が
る。とするならば,ルネッサンス以降欝穫1紀羨半
ことを轟的としている。少なくとも最近では,そ
進められているとは藪誉できない。なぜなら,そ
までの蔭洋絵薩のアカデミズムは,絵錘の一表瑛
れら蟹標は極めて銚象的で,実際の美徳教育をど
のように進めれば←欝標を達成することξこつな力玄る
形式であ撃様式であって,絵藤表醗のすべてでは
ないということは容易に蓮解できよう。
かという翼俸的提案が少なかったのである。
美徳教育は専霞家青酸を暴差している訳ではな
畷治以鋒の美徳教青史において,取合分け二つ
い。その鋳代の文化の握い手としての子ども達
の大戦蒲後にいわ侮る手工教育(二披講教育)が
進められ,おおよそ芸備紅よる教育と慧無縁の教
を育成しラ瞬嚢寺轟こ警衛を還して人聞形成を計る
育が行われた。その弊害が多難に護った庚省から,
に盛てはめさせるような技術教育的美徳教育はい
ことに§的があるのだから,ある種の典型
今馨の美徳教育は大鷺形成を馨標にした訳だ。そ
らない事になる。表現するための鼓術を教えるの
れにも拘わらず,形式的な表現活動を主軸とした
ではなく,人鵜にとっての表理することの意義を
教育が主で,子どもの羅能牲を生かした美徳教育
各嚢のレベルで考えさせることが重要である。こ
が一般論として定養していない事実1まやは琴大き
のことは,ハーバー詳・リードのジー人一人のパ
ーソナサティが保鐘されてこそ大鷺文化がある。3
な問題である。一つの様式や形式に当てはめ,そ
の§標裟窮って類璽的な作最を作らせるのではな
く,「なぜ表現するのか」ということをじつく拳と
考えさせ,「どうしても表現したい藁という意欲を
高めることが最も重要ではないだろうか。そのこ
とで各懸人の人賜姓を高め,心豊かな子ども達を
膏成するという美徳教育本来の欝繧が響董確となる。
と騨う誉葉からも醗らかである。美衛に鰻らず密
5の露露を表産することによって.人聞慧より質
の高い生活を追求することが薄能になるはずであ
る。したがって表現の方法や鑑賞の意義をもう一
度見覆し,美徳史の中で学んだ事実と子どもの発
達を考癒した上で侮らかの具体的手立てを打たな
ところで,鑑賞教育において邊去の時代の名作
を見せることがある。ここではいわ纏る名作,つ
ま瞬美徳吏の中での代表作が麹鐵されることにな
くてはならない。
る。それ.はそれでよい。しかし問題なのは,大抵
現在の美徳教育は表現活動に重点を置いている
麟象濠以羨で終っていることだ。いわ塗る現代美
ことは震うまでもない。そのこと自体がまちがっ
茎.醗究の方法
徳を鑑賞素馨にすることは少ない。ここで問題な
ているとは筆者も思わない。しかし,今馨の美徳
のは,作家の精神がよ琴嚢密な環境で発揮された
糧代美徳を無観して,宗教や権力におもねること
教育解猿し易い問題点がそこに隠されているので
はなかろうか。つま拳美徳あるいは懲悪工作科慧
を余儀なくされた近代美徳以麟(少々鼠暴なまと
と紀かく物を作らせればよいとか,搭かせれ,ばよ
2
橿島大学教蕎実践蘇究紀要第驚暑
鰹89無i羽
いと考える傾向が全くないとだれが否定できよ
化が生まれ,美徳そのものが一人歩きを始める。
う。「形あるものを子どもに製葎させる」というこ
またその鋳代の社会体調や宗教の影響を受1ず,場
とだけがいつしか教奮の§標徒な参はしないだろ
合によっては,表現の雲霞を翼奪され,単に装館1
うか。しかし実蝶の造形活動は何の意籔や動機も
贔を作参鎧す活動としての美徳をその歴史の中か
なく生まれるものではない。 したがって,常善こ教
らしばしば発見することができる。もちろんこう
した状溌に反発する芸備家も少なくなかったが,
育の機会において,様々な作品が生まれてきた背
景にあるもの,作家の精神,時代背景,あるいは
厨糧:代の子ども達の{乍品垂こよせる思いといった事
人間に取っての真の表現とは侮かを邊求し,美術
に新鋳代をもたらしたのが,総量紀後半以鋒のヨ
焜bノ書美術なのである。
構を常に美徳教育の場に登場させるべきではない
ー一
だろうか。
/重/邸象滋から後難印象派へ
ある中学校の教科書では,風景彫亥彗のページで
当蒔のフランスでは新吉輿主義とロマン濠とい
生徒の舞葉(作品によせる思い/を掲載していた。
うグループが官展/サ臓ン/を中心に海壇を牛耳
まさにこうした該みが今求められているのではな
ってお参,絵藩の緬値の輿型を提示し,そうした
いだろうか。
綴範紅したがって美徳界が購築されていた。たま
作品を羅の諮にしてすぐに披法のことが議題に
なることがあるが,造形活動は表現しようとする
たまパサで万国博が聡かれ,白蜜中心に動いてい
たフランス美徳界は異蟹文化1こ触れることによっ
意欲,物をつく箏鐵す必然性があってこそ実鰹の
て強烈な麟激を受けることになる。その異羅文化
薄野乍活動が姥まるのである。
の中でも「浮嚢絵飯薩」はヨー臓ッパ美徳に多大
な影響を与えた。それまで,ルネッサンス以降,
そこで本懸究では,そうした「褒聡の糟糠」と
でも要約できる問題を美術教育“の場でどのように
生かし展灘させるかを,現代の美徳を美徳教育に
導入するという試みの中で考えてみたい。
2.現代美術の様相
歴史の中で引き継がれてきた疑似空鷺的嚢洋絵嚢
の癒魑観は,一枚の版錘によって根底からくつが
えされることになる。こうした事実は,破ら紀対
して人聞1ことっての絵面とはあるいは携覚的警衛
表現とは何かを改めて考えさせるのに余りある一
いわ曲る「現代美観に対する考え方は様々で
つの事件であったのではなかろうか。
ある。単に時代区分だけでなく,一種の表現様式
そうした事件とig世紀認頭に醐発された写真技
術の鐡現とがあいまって,鰺量紀後楽から鯰髭紀
の区分に豚坊れることもまれではない。また,
訳のわからないものの代名詞に擾われた蓼もす
にかけて本格的1こ紅絵蔑の慕立」という問題が闘
る。おそらく一般歓会の麺値観の多様化あるいは
われることになる。
纒牲化の時代を反験して美徳の盤界も騰盤紀にな
って,その綴分化が進められたことに起霞してい
欝糧紀の錘家達はまず写真の懲現に大きな衝撃
を受けた。新古輿主義のアングルは「写真は絵醤
るのであろう。
を不当におびやかすものだから法律で票止せよ」
この項醤ではそうした多鍍に護る現代美徳の一
面を紹介し,子どもの美徳との関連において,ど
ですばらしいと感嘆していたという。ロマン濠の
の部分に淫目すべきかを指摘したい。蒔銭区分は
少々鉱夫解験となるが野露象諏」以後としたい。
一般的に「蒙象濠」つま縫g盤紀後半は近代とし
て位置付けられるが歩美癒史,中でも絵面の縫i史
と政癒に藻椿した。しかし裏では写真は実に莚機
ドラクロアは「薩家は写真から学ぶべきゴといっ
た。クールベやマネも講意見だった。ドガは自ら
籔つた写真を参考にして絵を推窮たという。膨こ
のように当鋳の薩家達は写真の鐡現に驚異を感ず
においてはその大きな変革の起源を「鶏象濠」に
ると共に戸惑いすら感じていた。これらはルネッ
晃い産すことができる。その点にお雛て現代の美
サンス以降の西洋絵錘の伝統だった疑似空間的写
実表現豊こ何の疑いもなくまい進していた薩家達に
術を認る蒔,欝盤紀後半から語を進めなくてはな
らない。
とって,一瞬の内に対象を捕えてしまう写真が,
元来,美徳は人醐にとっての本能的な,あるい
露家の職籠的特権を奪うと考えたことは容易に推
は根瀬的な表現活動のはずである。しかし,歴史
灘がつく。そして,絵面の存筏癒纏を再現的表現
ではなく絵画独自の表現の中へ求めようとしたの
を積み重ねる内にそこにはある種の形式化・様式
3
美徳教官と環代グ)美簿
醗i 簿毯練鉄鋒の絵簸運動の変遷
.漁.罐 欝
、一 瞥鵯僻
郎象派縷饗鞭遜
㈱
新離家派 後期環象派礫搬懸騒
毒獺数 毒彫薙轍
ゴッホ・ゴーギャン セザンヌ
畿 二畿歯「_…慶撫
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憲蹴 「 ■
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1フランス}
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ニュー鐸一クスクール
アタシ強ンペインティング
ニューレアリズム宣霧
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(ネオダダイズム1
森新しい芸徳盛美鰍会参撫
ミニマ膨アート
ポッフ。アート
寡黙の美徳姦憾蟹蹴の美徳
L_一一____
コンセプチュアルアート
血観念芸簿
編翻
表麟籔〉多様髭繊鋼
ム鋳轡
真ラン婁アー塾(ア」ズヲーク》
嘆
圭§総無ii月
懸島大学教蕎実践醗究紀要第欝考
である。そこには疑飯空間的再現的絵遜(絵嚢を
3次元の模1敬空鷺とする/とはおおよそ無縁な絵
こうしたゴッ承,ゴーギャンの活動はフォービ
スムに,セザンヌの造形運念はキュヴィスムに受
錘を発見することができる、2次元そのものの可
け継がれ.ることになる◎
倉薯髪生を追求し,写真とは違うあるいは写真にはで
(簿 フ域一ビスムカ、ら第一次大戦繭まで
きない独露の絵嚢空聞を展開しようとしたのであ
ゴッホは套らの感鷲を色や形に託して表現を試
みたと誓われるが,その颪灘は鑓象が持つ嚢有の
る。
濠」である。被らは「絵錘の壼立涯の道を光に求
色と形から離れて,独寡の量界を構築した。こう
した顛殉を一種の表現様式として確立したのが,
めた。洋盤絵飯藪に隷陰影らしきもの慧存在しな
い。それにもかかわらず冤事な大霜や風景を表現
らは籍しい絵馨表現を求めて,対象の形を感情の
していることに気づいた諏家達1ま,そ蕊まで光を
赴くま豪に変形あるいは単純化し,その上で色彩
そうした新しい蒋代の完陣をきったのが,「蒙象
秤フ煮一ビスム」と呼ばれるグノレープである。彼
露寇するために醗じこもっていた龍窓のアト}ノエ
も,大鷺の感構を痩かに表すため猿色に近い色彩
を蔑び墨し,罷るい戸外で鍵餐乍をすすめるように
を好んで/変った。錘嚢はその結果,強烈なものに
なる。そこには翳るい太鶏1こ照らしだされた麗放
な移絵函の霞立と霧我の後影をよ導鮮響妻こした。
された鰹翼があったのである。今では想嫁もつか
ないが,当時の錘家達にとってはたぶん新雑な驚
運動を展興した傾癖を主構主義と噂ぶのである。
きであったろう。この驚きは彼らの麟搾意欲を大
いに韓激したにちが粋ない。それ豪での擁麟され
こうした人聞の感椿を巖大の極値としながら絵懸
「キュヴィスム」はそうした懇篤そのものを絵
遜表現するフォービスムとは立場を異にする。綾
放的なのは,霞然光に写し鐙された婦象を難いた
らは絵懸盤雰は2次元の場で語られる表現である
ということを鐡発点に,あくまでも透幌懸的疑似
からである。
空聞とは違った2次ヲ哲鰹1舞を展霧iしょうとした。
彼らの懸究心はさらに光の分叛にまで及ぶ。そ
の当時は産業革命以来の科学技術の発展が著しい
時簸でもあった.そうした時代背禦の下,嚢然光
の分誘から始まって,それを造形的に検討すると
そのためには感鋳に左巻されることなく,確幾と
た絵麟に比べ,蒙象濠の薩家達のそれが窓露で鵜
した造形理念を確立すべきであるというのが彼ら
の立場であった。彼らの表現上の特籔は感驚を押
える意味で没色彩的であ婆,また3次元の物体を
作品は蝿象を設定しつつも,それから受けた鶏象
解体し面懸に展醸するといった方法も取静入れら
れた。こうした領海をフォービスムの主精主義に
を薩家察らの造形愚考によって様々な嬉遷がなさ
れ,独特の糧1雰を構築したのである。つまり絵i懸
麟象濠以後,キュヴィスムに至るフランス絵癒
は対象そのものを描く場から欝邑を投影する場に
の新しい展霧舞華まめまぐるし鯵ものがあ肇,この動
いった気運も高まった時難でもある。その結栗,
馨して主知主義と辱ぶ。
変化したのである。
きに麟激されて,新しい絵麺薯運動は3一ロッパ各
そうした傾向をより鯛穣こしたのが,後難印象
諏の錘家達である。主1こ色彩に対する興練を主軸
に活動したゴッ承やゴーギャン,そして形態への
地に波及する。量紀末,さら1こは覇権主義による
追求を試みたセザンヌ解その人達である。ゴッホ
は絵錘1こおける鰯姓姥の鋳代を代表する輿型的な
表的グループである。
薩家である。単1こ色彩への追求のみならず,その
特異な私生活とあいまって,当時の不安な社会欝
溌の中で,懲らの積樽葛藤をキャンバスにたたき
付けた蘆家でもある。ゴーギャンも察らの造形瑳
念達疵のために原始絵薩への獲帰を嚢差した。セ
ザンヌは単に蝿象の椿混あるいは癖象しか遜1嚢に
定養しなかった「麟象濠」に飽き是らず,面面講
造を物の影やその購醒に求め,厳しく追求した嚢
家である。
国家体調のもとでの社会不安への思いを絵蚕表現
したドイツの「蓑i現主義」は,そうした溝泥の代
この褒理主義はフ痔一ビスムの影響を受けてい
るというのが一般的であるが,フ建一ビスムは極
めて造形的に考えられたのに薄し,表現主義は社
会への不安感や薩家の内懸盤界を措くといった極
めて主題姓の強いものだった。
一方,イタサアではキュヴィスムの影響を受け
た未来滋や形箱上絵錘濠が登場する。未来派は写
真技術の海上によって醐発された多重露鐵をヒン
トに絵蚕鑓時間的要素を取除入れ,形嚢上絵薩嶽
慧疑似空間的西洋絵露の手法を選手に取って,蔭
美徳教胃と理代の美術
影や透編纒法を操作することによって奇妙な空聡
を麟り超すことに成功したゆ彼らの運i勤慧絵1姦表
絵藤運動である。姓会への不安感を桑拳超えるた
め,人購の内部童舞を追求し,夢の盤界の錘像化
現の罵能姓を大きく膨らませることになる。さら
に賢シアやオランダなどで,近代主義による金運
的霧神に裏付けされたデザイン活動の活発{ヒに触
捲く手法としての「オートマティスムユ携法など
を計るなど,実験的な表現を試みた。深層心理を
も,当鋳考えられたものである。
発されて,雛象錦絵癬表現が生まれた。こうした
動きは,フ方一ビスムやキュヴィスムが実践した
この時難の運動ではやは馨大きな戦争によって
婦象からの離騰と,臨象諏以後,賑々とながれて
きた絵錘の窮立をより蕎潔に希求した給桑,懸象
的な表震となったと見るべきであろう。また直後
背景にある。大饗存鷹の意味を芸備で弱うといっ
に趨こる第一次大戦前の新しい絵露運動はこうし
た一連の揺象絵錘運動によって一応完結すること
1こなる。
醸象諏以後,第一次大戦までの絵蚕運動紅共還
して雰えることは,伝統からの離醗と,新しい絵
暴かれた大饗の醜悪さと美の概念との葛藤がその
た極めて懇懇色の濃いものであった。
綴 戦後美徳(第二次大戦以後〉
&.アタシ欝ンペインティングとアンフォルメル
第二次大戦1ま一次のそれに比較して,その戦
機は比べものにならない。そのような中で,新
しい美徳運動慧すべてを無疑してその再生を計
る以外に手立てはなかった。
爵表現の可能性への追求ということになろうか。
這代主義思想の中で確立された懸人主義と合曝主
戦後しばらくしてフランスとアメサカで捨象
義の中で,絵画のあるべき姿を当時の面家達は模
藤から余分なものを捨てる〉を求めた結果であ
索したと懸、われる。
ろう。
麟 ダダイズムから第二次大戦蕪まで
i§欝年代に趣きた第一次大戦は3一覆ッパでの
新しい絵画運動のエネルギーを暖い取ってしまっ
た。大戦の戦轟の申で人々の気持ちはすさみ,警
衛への感むも薄れ革新的な絵薩運動は一気1こ衰退
してしまう。こうした梼溌の中で歩急進的な一部
フランスでの麹象総懸運動は「アンフォルメ
の芸術家によって起こされた運動がヂダダイズムゴ
である.徹底した社会裁舞と人間挺判,さらには
伝統の否定の中力》ら養蚕菱馨の芸術運動をi試みようと
した。戦争による入獲麟外や破壊行為を皮窪る強
的絵1蚕運動力量起ったのも, よ彗純粋なもの(喪馨
ノレ1と辱ばれ,形態萎こ補われることなく,さな
がら魂がはじけるかのごとく解熱な露悪を提示
した。また岡鋳代紅アメ撃力では麹象表現主義
が起穆,その中でも注聾すべきは.宏窟ックに
代表される「アタシ望ンペインティング」であ
つた。このアクションペインティングは,その
名の通撃露家欝らの行為の軌鋳とでも害おう
か,碧縫ッピング(絵具をキャンバス淀たらす雛
露法/という手法を聡いながら,嚢らの体の選}
烈な作品を次々と発表した。ダダイズムの代表的
作家であるデュシャンはレディメード(雛製梅/
くままに絵具をたらし,独特の誕蚕を購成した。
によって,ネガティブな表現を試みた。この手法
絵薩表現の典型と決撰し,生命の喜タズム(響畷,
は後1こ「オブジ勾という概念を生み聾した。運
動そのものが強烈過ぎて,後饗1に瞬き纒がれる美
術運動とはな箏得なかったが,彼らの撰1霧精神は
複雑化する社会購造に録して,芸術の翼わ撃方の
一つの方海牲を提示したと考えられるだろう.大
賑簿,運動感覚〉そのものを醸嚢に定養させ,
キャンパスという場において激しく人聞の生命を
戦蒲の新しい美講運動の起点が印象滋であるとす
れば,大戦後以降の起点は「ダダイズム」である。
舞寺代に慧なかった。しかしこれらの運動1ま,最
このダダイズムに鵜激されたかのように,麹象
この二つの独象運動に共通して言えることは,
闘おうとしたことではなかろうか。大疑には
様々な表理手段があるが,戦争で荒んでしまつ
た人々の心を単刀嚢入に代弁できるものはこの
も単純1ここの時代の人々の心を代弁したG
旨.6魯隼代以降の美術
絵醸運動1ま患を吹き返し,新たに「シュールレア
懸隼代に入ると蒔代は一つの転機を遵える。
リズム盛の運動が起こった。シュールレア1フズム
大戦以後,時代1ま戦矯からの復興にそのエネル
は第一次大戦後.一時は落ち着いた娃会椿勢も棄
ギーを潅いだ血その結果,§舞年代を違える書麹こ
グ)瞬,轡1罫恐慌による縫会不安といった時代背景
盤葬は完全に再生を遂げることになる。そして
の中で当縛流行した精神分析学も溺わって趨った
叙》年代,新たに盤圭饗・中は二二大蟹(アメ1フカとソ
昏
福島大学教官実践醗究紀要第鱒号
鯵8§無量贈
連/聡の緊張状態1こ巻き込まれることにな彗,
る。空聞を透撹籔的疑似空聞で補えるのではなく,
美術運動もそうした影響を受けることとなる。
笏」)実体として捕えようとする「展醗籔描法」ぎ表
嚇隼代に入る直羨に,アメ資力に先鋭的な作
家が二人登場する。ラウシェンバーグとジョー
理慧籔を達成するため現実を超越して岩的を単的
ンズである。彼らはその欝縛,最も隆盛を誇っ
た麹象表現主義に飽き是らず,芸術表現におい
に表わそうとする「レントゲン描法」,醸颪上での
窪己の1嚢纏観を表饗しようとする貰癒選{の量化1
など,類璽的な表現とはおおよそ無縁な密議な表
ての主題牲の追求をしながら,芸備至上主義的
な麹象表現主義と決駕して数々の社会性を帯び
美術史においては,欝盤紀以鋒盛んになった「絵
た作品を請作した。破らの思想は激動窮を運え
錘の霞立雄への道が溢馨されるが,当縛の露家達
た麟年代において若い警衛家を麟激し,「ニュー
が§差した義理とこの時艱の子どもの義理が酷似
レア夢スム宣覆」によってアメ夢力において戦
後美徳は大きく様変むを始める。ラウシェンバ
ーグとジ葺一ンズを旗頭に,いわゆるヌーボー
そこで,美徳史σ)中で写真援徳が発1灘されて以
レア鍵スト達は様々な実験を繰肇返し,6§隼代
様々な絵錘運動の鷲徴と子どもの表現の特質を徹
牛罐には「ポップアート」運動が趨ることにな
底建較することによって,今後の美徳教育の異体
饗がそこにはある。
している点も見逃せない。
後に特に盛んになった「絵海の窓立」へ漬けての
る。大乗と芸備との接点としてのポップアート
的な改革の手立てを発見することが塚籠となる。
はその時代の文化(特に著者文化/に多大な影
響を与えた。この飽,「ミニマルアート」やコン
携えば算展醗麩i捲i法」,この蒔鞘の子どもはいわ
セプシュアルアート,さらには彫灘の轡:界にも
麟表現淀おいて視覚で得た情報を嚢かに藤癒紀展
様々なスタイルの新しい警衛運動が登場するこ
開するのではなく,あくまでも生活体験の中で得
とになる。{雛2}麟
ゆるε知的レア婆ズム蟻盛と養われるように,絵
た記憶の体系を重要捜し,単に鐸の麟にある勃を
掻くよりも知的怪奇心によって獲得した簿鞭を薩
こうして箆てきたように現代美徳の様穰は,鰺
世紀以降,表現の露懸と絶入主義とを基礎にしな
嚢に籔式飽しようとする。つまウ,窓己の考えに
忠実に,ある毛}は欝分の知識に忠実であろうとす
がら,その時代の社会的蕎景と樒まって様々に変
化してきた。ここで大事なことは,歴史の中で様
変参してきた現代美徳が単に表現上の形式や霧新
しさを獲って変化してきたのではないことだ。表
現することの意練やその鋳代に生きる警衛家の姿
を,あくまでも藍かに表現した結集が薩麟に現わ
るのである。羅の講書こある物よ彗露分霞身で鰻曝
(そしゃ⇔したものの方が重要なのである.そ
こで舞えば街酪樹だったら,遠くに行くにしたが
って瀬次,形を小さくする透挽緩的手法は取らず,
あくまでも遵酪は平行シ街蕗撰はおおよそ講じ形
というように体験で得た知識をそのまま薩藏にす
れていることを遅解することが重要である。
る。この慈藤法はヂキュヴィスム」の空瞬摺握に
美徳表現の可能性をとことんまで突き詰めた結
近いものがある。キュヴィスムは2次元下での空
間衷麗と形態表理の可能性を追求した。破らは空
果がこうした現代美術を生んだのであろう。「絵錘
は人物や風景を描き写すものである。」とだれが漸
書できよう。とするなら,今まで敬遠されがちだ
図2 震露羅搭法の作藝郵醗
った理代美徳において,その作品の表屡に淫蓑す
縁自
造形褒瑛にみられる子どもの発達(発達論/の
中で「醗式簿董」(6才∼§才〉という段購は特善こ注
隷こ纏する。なぜ趨ら大人1こも考えつかない表現
ー
套昌盛昌
レ
ノ
3.子どもの表現と現代の美衛
的手法をこの段贈の発童は持っているからであ
︷
差
るのではなく作品の根底にある作家の精神をもう
一度翼雛聾すことは,ひいては美徳教育の目標を
再認識することにつながるのではなかろうか。
7
美徳教奮と罷代一の美術
闘や形態の実姦化を欝差して様々な実験を試みた
が,その申でも幌点の移動による空獲1や形態の艶
似ていることは鐸縫を見ても理解して頂けると思
う。これはいずれの表醗も呼騒や蘇搏といった身
握の{土方には,「展弱籔搭法メこよる子どもの表現
体的ヲズムと騰保している点でも共還して雛ると
思われる。潔灘ックは表現の純粋毛生と根源牲を求
と共通するものがある。
こうした姿は,絵嚢という表現媒体の可能性を
とことんまで突き議めよ:うとした,あるいは, キ
ュヴィストや子ども達の表境への取参緩みが,露
写真i緯ジャクソン・求蔭ックー「ナンバー3乙
i弱含隼作
らの愚考により忠実であろう(その意味でレア喜ノ
ズム/とした結果,表われたのではなかろうか。
こうした語群ま飽にもいくつかある。
人圏の子どもはi才を過ぎた壊,身体的には2
足歩行が驚能とな参身の経りにも興糠を示すよう
になる.その結果,探索蒼勁が匿盛善こな駄それ
と同じような感覚で絵かきぞテ動も始める。当初は
愚幾の文字を書く行為を真似をすることから始め
るのだろうが,霞らの手を動かした結果,表われ
る根錺に興味を持ち無秩序に線や点をしるして行
くのである。このように体の動きの赴くままに線
や点を描き,意霞嚢警鐘黎象寿書表われない蒔莫舞を錯1蚕
写真2麟「なぐ韓措き」 i才半く女子》
難(この壊の子どもの状態を総称して醸なぐ箏措
き莫群 とも呼ぶ〉 と鐸乎ぶ。 この1蒋難の子どもの絵
かき行動は極めて本能的で,画繕紙をあたかも運
動場に見立て,その中で暴れまわるのであるが,鋤
次第に子どもの絵は線1こある種の秩淳やリズムが
生まれ,絵らしきものに発展して行く⑪こうした
発達段階の特籔は欝憩年代に隆盛を極めた「アタ
シ3ンペインティング」の涯匠ボロックの作品に
写真3獅ホルスト・アンテス
「三色のフ縫一レンス轟繕子を譲った人」
鯵?8∼8脅年{乍
写真4櫛「頭足入閣」 垂才
◎
画一e
書
福島大学教官実践欝究紀要第懇号
欝欝隼i携
めて,キャンバスに直かに繰れることなく,磨らの
る表醗孝)還懇へ近づ1ナるための選綴な指導が今求
体の運動をそのサズムを露悪紅たらし込んで独特
められている。
の面識を襲麗した。ボ窟ックの絵紅は,翼体的形態
麟項でも遽べたよう1こ子どもの表現の特質は
はない。 しかしシ甦藝覆1からは強く人間性や生命感
「発達論Jの養葺究垂こよ誉,かなζ1瞬ら力繕こなって
を感じ取ることができる。こ蕊はやはり身体的蓼
きている。しかし小学校の後半から中学校にかけ
ての発達の様格はこれまでの教育の弊害を異体的
ズムと簿らかの漢1係があるのではなかろうか。幼
箆の絵の場合,ぷ欝ックのように恣意的表醗をし
に表わしているかのように,この鋳期の子どもの
ている訳ではないので,本質的にこの二つの絵は
穣反するものである。がしかし,絵錘表現の一つ
の様根としてはあま参にも似ている。したがって
大藩分が疑似空聞的西洋絵懸嵐の写実表現に向か
藤がしっか拳と認識していれば,あるシ)は「写実
子どもの絵垂こは不思議な力と魅力があることがこ
鋸盤という成長段歩藩はなくなるかもしれない。
のことからも理解できよう。
う。もし仮に,美徳表窺の多様牲を一般歓会や教
子ども1ま無醸の薄籠屡窒を持つと瞬時毒こ,大人の
この弛にも「離離武難」のカタログ(ならべ掻
き〉的表現とコラージュやアッサンブラージュな
どとの類似,いわ織る頭是人潤とホルス卦・アン
テスの作品との類似などが挙げられるが,紙懸の
毒甕権を得ていないことも,大橋氏の捲摘と霧様
都合で省酪する。{5}紛
購題ではなかろうか。
4.美術教育と現代美術
大機鑑趨氏はその著書繕でこう語っている。
摸倣をしたがる領海もある。今欝のような高度蜷
報化縛代においては,その視覚文佑の果たす役割
は計聾知れないが,いわ麟る窺代美徳がいまだに
そこで,次のような提案をしたい。その提案と
は美徳教蒼においてあら塗る機会1こ次のような観
点で理代の美術を導入するということだ。あら懸
ε造形表現への霞鑑を失う鋳窮(繭写実窮〉は,
る機会とは,「題材設定」「摸鼕鼕蓬妻導」「鑑賞」と要》
ほとんどこの段繕にお雛てである。そのことは
つた場面である。以下現代美徳の異体的導入方法
を項§ごとに疑案ずることにする。
これまでの携覚型優位の餐妻導の罪で隷なむ)カ㌔
擁覚文化を縫い癬すためにも,撹覚文化に悪乗
参した人聞を作らないよう.そして観覧以外の
感性(共通感覚〉の活性化£よって文化そのも
轡題秘設定
のの再購成を考えるべき時であろう。」と。
「携覚型優位の旛導の罪」と雛う問題は,先ほど
する。載九州帯立熊藪中学校ではぜクレス・オル
から述べているように,露盤紀以藩の透椀劉法的
涯洋絵颪を幾籔にした絵醸指導が理在の美徳教育
かい彫灘を中学校での題舞に応羅し実践してい
の主流になっていることを指摘している点にあ
神は,遷解し紅くいものかもしれなむ㌔しかし.
る。教編主導の教育が子どもの可能性を奪い,大
人の懸盤翌観を押し付けることになるとも解萩でき
まず,題誘設定にお雛ては,その実践擁をもと
に現代の美徳と美徳教育の麗わ参を逮べることに
デンバーグ(ポップアートの代表的作家/」の柔ら
る。181生経にとっては鱒年代のポップアートの繕
ここで大事なこと慧教麟の灘の意識酸革垂こある。
る。教官の欝標が,結集として表われる作贔に蒔
注験すべきは,美の典型としての疑似空鰐錦嚢洋
絵露や写実的彫塑と軽う領域から叛け鐡し,美徳
けられ.,その完成度を問う点に様々な翼題が含ま
の鋳代牲やユーモアさら紅慧アイロニー(皮霜/
れている。
といった作家の構紳に漣§する教蔀憂)考えにあ
る。{薄の疑驚を持たせることなく,馨の藩のも
のを覗き写す往来の絵癒搭導とはその教育の効果
なぜなら,教育の主役は言うまでもなく子ども
であるが,大橋氏が旛嫡しているように,振導の
罪とは子どもの表現をすこしも分擁することな
は烙段の差となって表われてくる組違いない。
く,彼らの表理の司1能難iを評慰しないことにある
生餐…の撰彗でも垂垂擁はただ饗新しさだ尋ナで製で乍し
からだ。美徳や纒工に譲らず,あくまでも教育の
主役は子どもである。したがって,子どもの表現
ていても亨悸家の鵜紳は否癬なく感覚的妥こ伝わっ
を分蟹観究し,それを支えているものを教舗レベ
ルでしっか参と認識する必要がある。その上で子
どもの表糧意欲を高め,さらに子どもが求めてい
てくるのではないだろうか。なせシならオルデンバ
ーグと子ども達は購代牲を共有しているからだ。
総量紀の作家購考えたことに対して,今1こ生きる
生経達がどれ穣の共感を持ち得るだろうか。筆者
美{鳶教育と薄藍代の美幸薫
9
1ま現鱒代を共有する現代蕪家の思考の方が,はる
代美徳鐸家の社会での評懸を紹介した上で,表理
かに生徒に対し様々な事構を授げ毒・けるのではな
活動においての鑑賞の機会1こもその題樗に薄癒し
いかと考える。その点においてこうした実践携の
た作品を効果的に提示していただきたい。
意義は大きい。
小学校の高学隼と中学校では鑑賞能力が高まる
!2)撥面捲導
ということもあって,表現活動とは琵講蠹毒こ鑑賞の
鑑1嚢整量導においては,これ嫁先ほど餐妻擁したよ
時間を設けることが一般的である。(新指導要領
うに,「前写実窮」の子どもへの指導が最も関わっ
にお赫て〉この鋳馨§は現代美徳を紹介するのに絶好
てくると考える。灘一エンフェルドはヂ子どもに
て指導の実課紅おいて緻癒して現代美術の搾擁を
の機会となる。おおまかな美徳の流れを紹介した
上で,その鋳代の教会的曹景と作家の精神とを比
較しながら徹底して現代美徳が闘い掛けるものを
考えさせたいむ子どもの表現との類似点に最鱗は
戸惑いを覚えるかもしれないが,次第に大周にと
っての表現することの本質をその作品群から読み
提示してはどうだろうか。
取るにちがいない。
は擬覚型と葬;醗覚璽がある」と養った。ところが
美徳において大人の無縫観が一般論としてかな参
露定観念化している遅産ではともすると,葬観覧
型の子どもを無i観する嚢嚢霧がある。 この点垂こおい
携えば「苑のある静物」という観察藪の題耕を
設定したとする。先生の意纒はシャルダンの静海
5.ま と め
癒よろしく,テーブルとその上に置かれた花びん,
この観究主題を設定した動機は響8§隼から毎年
さらにその荒びんに差された窮撃苑,これらをほ
3露に護って「いわき確立美術館ゴで雛縫された
どよくまとめた罐籔で水彩で措くというものだっ
たとする。しかし中には花弁に特に興味を持ち,
「絵を擾くこころ展」の企甦藝内容に興妹を持った
そこを纒密に鐵写しようとする子どもがいたとす
る。そうした子どもがいることはまれかもしれ.な
からだ。この展覧会では子どもの絵と霧代美徳を
瞬鋳に展示したり,子どもの絵をテーマに沿って
分類し展示するという試みを行っていた.そのカ
いが,このような姿は美術表醗においてとても大
タ寮グで学芸:員の小泉氏が子どもの絵の特籔と琴芝
事な姿である。がしかし,たとえ教額がこうした
表現を認めたとしても,欝乗フの生後の反癒がおも
代美徳作家の特質を比較検討している点に淫饗
わしくなかったり,ひいてはその畏さに麟いた1本
立てとして,現代美徳を科羅することができない
だろうかと考えたこともその動機として挙げるこ
人すら気づかないこともある。すると馨ら藝5の
俸贔に嚢信をなくし,絵を修鑑してしまうという
ことは充分に推灘できる。
そこで,対象を観察して発く場合でも捲き手の
趨性や考え,あるいは婦象への翼糠の持ち方の違
いによって一つのモチーフでも様々な絵が生まれ
ることを環代美徳の作興から提示してみてはどう
だろうか。欝逡紀以鋒の絵嚢の申には菟をモチー
フとしながらも,作家の繕神によって様々な藏蚕
麹覆をされた轄趨を見い鐵すことが罵能である。
その提示によってモチーフに鰐して暴き手がどの
ような感じを抱くかが大事なのであって,対象を
何の疑問もなく写生するのは,表現として極めて
津1種的な態痩であることを力説したい。
13/鑑 賞
最後1こ鑑賞の領域についてだがラこの活動は小
学校の低・中学隼では表現活動と分化している訳
し,技徳主義的な現状での美徳教育を打絶する手
とがで固きる。
現代美徳の雛念は子どもには遷解できない。だ
から,ある種の蕃選書生や懸1纏基準が確定するまで
は教育に数多入れるべきではないと魏う意見を葺
にしたことがある。確かに欝欝年代以降の環代美
徳は潟沌としてお参,表現様式や運念も多種多様
で容髪雌こ麗解することは難しい。しかしわれわれ
大人が考える以上に子どもは理代美徳を受け入れ
るに違いない。幼見難から美徳ぎ的なものに纏わっ
てきて,その体験の中で発見したものと環代美徳
とび)様権が似ていることにたぶん気慰くのではな
かろうか¢
霧代美徳が容易に選解できないと考えるのはむ
しろ大人だけかもしれない。実はそこに大きな問
題点があると思えてならないのである。絵錘とい
ではないので,表理活動の中に鑓時取垂ラ入れるこ
えば本物そっく雛に雛かれているもの,あるいは
写真のように対象を忠実に措いた絵が良いと考え
とになる.そこで⑦で述べた内容を参考にし,現
ている人が以外に多く存産することは今Elの美徳
欝
猿島大学教育実践疑究紀要第憾号
教育の活性化にとってその紡げになるのではない
だろうか。
強烈な色彩による絵悪表理を追求する余彗要職
を捨てタヒチ1こ渡ってしまったゴーギャン,擁会
の曝繰とそこに住む人聞の薮独感を表わすために
生舞の入閣に石膏を直付けして立体作品を譲作し
欝欝無縫毎
子ども達の表現と現代美徳を比較しても見たが
それらは様櫨は似ているが,本質的には療て罪な
るものである。なぜなら子どもの表現と霧代美徳
とでは,その冒的や表現の道筋が全く異なってい
るからである。子どもの表現はいわば俸の赴くま
ま極めて農然に行われているのに対して,現代美
たシーガル,失われつつある馨然への鰻参ない撞
景を延々韓数魏に渡る5、5盤の薦製の壁(ランニン
しかし,ノ、鷺奉来の表現活動あるいは振源的な
グフェンス/で表現したク縫スト。こうした露盤
表琴老活i勤という点ではかな陰透1雛藤葦があるという
紀以鋒瑛代までに数々の名作を我々に提示してく
ことは少なくとも今麟の醗究で瞬らかになった。
れた作家達の精神を今まさに涯欝するべきではな
かろうか。
ただ醗究そのものが単に開題提起をしたに遺ぎ
ず異体的提案や実践的検謹に欠けた藤がある。今
薩嚢の表繕しか見な恥鑑賞者には理代美i徳のそ
後,美術教育のあら麟る機会に現代美術を導入し
れは,ただ奇をてらった騒新しさだけを求めてい
た結果,子どもの考えや教麟の意識がどのように
変化するかについて継続的に醗究を進め美徳教育
るものに便るかもしれない。しかし美徳は決して
徳は恣意的な悪がある。
美しさのための護衛ではない。主に擬覚を通して
を改革する手立てを異体豹に瞬らかにして行きた
物事を考えるいわば筆規覚的思考韓}”を基盤とした
い。
全感覚的活動が美術なのである。こうした蕪提に
子どもの作品を見る鋳も全く舞ご事が誓える。
また論を進めるにあたって,現代の美徳を紹介
する部分において,それ以離の美徳をことさら敵
対観するような記述をしたきらいがあるが.それ
は単に比較論であって全面的に否定しているので
はないことを記しておきたい。歴史は引き纒がれ
て形成されるものである。その点において筆者は
子どものド絵を掻くこころ」を考えずしてその絵
近代以羨の美徳を否定する気持は全くない。
を建解することはできない。美徳教育においても
最後1こ今懇の懸究では,いわき薦立美術館での
視覚的思考あるいは紅絵を措くこころゴは最も重
要な遅念となる。
展覧会資料及び紀要を参考に購究を進めさせてい
ただいた。学芸員の小裏』晋弥氏をはじめ美徳館関
露分が知らなかったものへの不安感,これはだ
係者紀この場を借撃てお礼申し上げたい。
立ってもう一震:現代美徳を晃蔑してみよう。そう
すると数々の作最から我々に様々な闘い掛けがあ
ることに気付くはずだ。蓄ってみれば鑑賞の態度
はこのように作贔との雄護尋こあるのである窃
れもが持つ感構である。また物を見る1縛,慶知の
事実との比較をすることもよくあることだ。しか
ξ註及び参考文献茎
しそうした感鋳を払拭し思い劔って現代美徳や子
轡 中猿綜介著「現代警衛入舞」美徳轟賑縫
どもの作贔に跳んでみる。そうした態度が,我々
鱒 サム・ハンター,ジョン・ジャコブス共著 千
美術教育に関係する考に今求めら轟ている。そう
是伸背訳「現代美徳の歴史藩美徳鐵版社
麟 大饗繕纒著「躍動する塾象」講談社
/41みづゑ 臨846 無品写真撰縁
練蟹9/「絵を鑑くこころ展寿タ欝グゴいわき講
立美徳館 作鑛写真弓嬬
紡 ローダ・ケβッグ著「艶童錘の発達遜程J
麟 教育美徳欝88「今馨の芸備による教材免の
試みゴ吉賀弘葵
麟 大橋皓毯著「造形表現の発達ゴ驕経堂
した努力を地道に続けていくうちに,一般論とし
ての美術もその輕が広がって行くにちがいない。
シーガルやク婆ストの造形理念を正確に運解す
る必要は必ずしもない。大事なことは見る穫彗の1麺
纏観や生活観を基紅,ほんのすこしでも作品との
対語を始めることにある。そのことによって我々
の精神生活はよ弩充実したものになるはずだ。
今露の藩究では披講主義的美術教育を打隣する
手立てとして,現代美徳を還して「表理の舞禅」
を子ども達に紹介するというテーマで醗究を進め
てきた。
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