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配布資料〔PDF/733KB〕
平成 23 年度佐佐木信綱記念館特別展について ◆テ ー マ 信綱と「言の葉の道」―誕生から『日本歌学全書』刊行前後― ◆期 11 月 2 日(水)~12 月 18 日(日) 間 ◆開館時間 午前 10:00~午後 4:00 ◆休 館 日 月・火曜日,第 3 水曜日 ◆入 館 料 無 ◆会 場 佐佐木信綱記念館「1F展示室」(鈴鹿市石薬師町 1707-3) ◆内 容 今回の特別展は,弘綱・信綱親子の「言の葉の道」について,取り 上げます。 信綱が誕生した時,弘綱は 45 歳であり, 「言の葉の道つたへむとは かなくもわが命さへ祈らるゝかな」の一首を詠んでいます。弘綱は年 老いたことを嘆きつつも, 「言の葉の道」を伝えるという固い意志の もと,待望の後継ぎである信綱を教育しました。 一方,信綱も,歌の道に入る人々を導いた父の跡を継ぐと同時に, 和歌史・歌学史・万葉学の研究等を目標とし,作歌と並行して努めて きたと,「言の葉の道」を歩み続けたことを後に回想しています。 また,本年は,弘綱没後 120 年にあたるとともに,弘綱・信綱親子 が『日本歌学全書』を刊行してから 120 年でもあります。『日本歌学 全書』は,病気の弘綱に代わって信綱が途中から独力で仕上げており, 同書刊行について信綱は「わが全人生の出発であり,方向づけであっ た」と述べています。 よって,弘綱による信綱幼少時の英才教育から,東京大学古典講習 科における練成期,『日本歌学全書』刊行前後に至るまでの,弘綱・ 信綱親子の歩んできた「言の葉の道」について紹介する企画といたし ました。 ◆主な展示品 ◆主 催 料 信綱幼少時(6~10 歳)の自筆短冊 東京大学古典講習科恩師の寄書入り葉書 弘綱・信綱親子共編著『日本歌学全書』12 冊 鈴鹿市・鈴鹿市教育委員会 等 約 80 点 [問い合わせ先] 佐佐木信綱記念館 〒513-0012 鈴鹿市石薬師町 1707-3 TEL・FAX 059-374-3140 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐々木弘綱…1828~1891/文政 11~明治 24 年 信綱の父。歌人・国学者。 20 歳より足代弘訓に入門し,歌の才能を発揮。多くの門下を指導,歌人 として全国的に知られた。 著書(編著)に, 『竹取物語俚言解』 , 『雅言小解』, 『明治開化和歌集』, 『日 本歌学全書』など。 佐佐木信綱…1872~1963/明治 5~昭和 38 年 歌人,国文学者。唱歌「夏は来ぬ」の作詞者。 明治 36 年,中国へ遊学したことがきっかけで, 「佐佐木」を使うように なった。 昭和 12 年に,和歌・和歌史・歌学史の分野で第 1 回の文化勲章を受章。 著書(編著)に, 『思草』から『山と水と』までの 9 歌集, 『佐佐木信綱歌 集』, 『日本歌学全書』, 『日本歌学史』, 『校本万葉集』, 『新訓万葉集』など。 講演会について 時 平成 23 年 11 月 12 日(土) 費 無 ◆会 場 佐佐木信綱記念館「2Fホール」(鈴鹿市石薬師町 1707-3) ◆定 員 70 名 ◆内 容 ◆日 ◆参 加 午後 1 時 30 分~4 時 料 「信綱かるた」の原風景 郷土史家 衣斐賢譲 氏 佐佐木信綱記念館特別展(信綱と『言の葉の道』)の解説 佐佐木信綱記念館学芸員 磯上知里 ◆主 催 [問い合わせ先] 鈴鹿市・佐佐木信綱顕彰会 佐佐木信綱記念館 〒513-0012 鈴鹿市石薬師町 1707-3 TEL・FAX 059-374-3140 特別展 信綱と「言の葉の道」―誕生から『日本歌学全書』刊行前後―」 展示資料一覧 Ⅰ 誕生 ①信綱誕生前後 1 2 3 4 5 6 7 8 弘綱歌 短冊 弘綱歌 パネル 弘綱歌 パネル エピソード1 パネル 弘綱著述目録 一枚刷 (弘綱筆) 『雅言小解』弘綱著 加藤万作刊 明治12年 『詠歌自在春夏1・秋冬2 』弘綱編 柳瀬喜兵衛刊 明治18年 信綱歌 色紙 ②英才教育 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 エピソード2 パネル 『小学習字七級手本』 冊子 弘綱筆 エピソード3 パネル 信綱6歳歌 短冊 (明治10年) 信綱7歳歌 短冊 (明治11年) 信綱8歳歌 短冊 (明治12年) 信綱9歳歌 短冊 (明治13年) 信綱10歳歌 短冊 (明治14年) 竹柏園学則 一紙 弘綱筆 『備忘一』「夜鶴集」序文草稿 冊子 弘綱筆 (明治14年8月半ば) 景子(信綱姉)7歳用「源氏物語目録歌」 冊子 弘綱筆 文久元年 12月はじめ 添削入り昌綱(信綱弟)6歳歌 短冊 (明治16年) 『明治開化和歌集』弘綱編 山中孝之助,山中喜太郎刊 明治13年 エピソード4 パネル 『加越日記』復刻版 (弘綱著) 竹柏会出版部刊 昭和57年(初出 は明治13年) 別紙参照 別紙参照 別紙参照 別紙参照 別紙参照 Ⅱ 練成期 ①上京 24 25 26 27 28 29 エピソード5 パネル 一家4人写真 パネル 明治15年 弘綱履歴書 一紙 弘綱筆 明治17年 エピソード6 パネル 高崎正風歌 短冊 信綱11歳歌 短冊 (明治15年) ②東京大学古典講習科入学 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 エピソード7 パネル エピソード8 パネル 教誡文章 掛軸 弘綱筆 明治17年 信綱写真 パネル (明治19年) 信綱長歌添削入り草稿 冊子 (明治19年) 原田二郎(嘉朝)歌 短冊 (明治21年) エピソード9 パネル 木村正辞(まさこと)と信綱 写真 木村正辞84歳歌 色紙 (明治43年) 本居豊穎(とよかい)歌 短冊 恩師寄書 葉書 明治40年4月27日 恩師・同窓生集合写真 パネル 同窓生寄書 色紙 昭和12年5月23日 別紙参照 Ⅲ 「言の葉の道」への第一歩 ①『日本歌学全書』刊行 43 44 45 46 47 48 49 50 エピソード10 パネル 『日本歌学全書』(弘綱,信綱編) 博文館刊 明治23,24年 『日本歌学全書第1編』「三条実美題辞」 四紙 明治23年 博文館薄謝包 一紙 明治24年1月22日 エピソード11 パネル 『足代弘訓(ひろのり)翁家集』弘綱編 博文館刊 明治24年 弘綱写真 パネル 弘綱歌 短冊 ②その後 51 52 53 54 『歌の栞』信綱編 博文館刊 明治25年 エピソード12 パネル 『続日本歌学全書』信綱編 博文館 明治31~33年 正岡子規歌 パネル (明治33年) 『心の花 弘綱翁60年祭記念号』「国家八論について―土岐善麿」 55 原稿用紙 (昭和25年) Ⅳ 師・父弘綱の遺志を継いで ①師・父への報恩 56 57 58 59 60 61 62 63 64 信綱・弘綱歌 掛軸 弘綱歌碑写真 パネル 『鈴山百首鈴山年譜』信綱著 竹柏会刊 大正9年 碑前祭に寄せた信綱歌 短冊 (昭和10年) 碑前祭に寄せた信綱歌 掛軸 昭和12年10月25日 碑前集合写真 パネル (昭和15年) 碑前祭に寄せた信綱89歳歌 短冊 (昭和35年) 碑前祭に寄せた信綱90歳歌 短冊 (昭和36年) 碑前祭に寄せた信綱92歳歌 短冊 (昭和38年) ②「言の葉の道」の結実 65 66 67 68 69 『金鈴遺響』信綱著 西東書房刊 明治45年 『扶桑珠宝解説』信綱編 竹柏会刊 昭和6年 『百代草』信綱編 (竹柏会刊) 大正14年 『父子草』信綱編 竹柏会刊 昭和23年 『日本歌学史』信綱著 博文館刊 明治43年 『和歌史の研究』訂正再版 信綱著 大日本学術協会刊 大正10年 70 (初版は大正4年) 『美多万能敷瑜(みたまのふゆ)』「帝国学士院恩賜賞賞記」信綱 71 編・刊 大正9年 72 帝国学士院恩賜賞賞牌 大正6年 73 同目録 一紙 (大正6年) 74 75 76 77 『校本万葉集』信綱,橋本進吉,武田祐吉,久松潜一,千田憲編 校 『定本万葉集』信綱,武田祐吉編 岩波書店刊 昭和15~23年 『有栖川王府本元暦万葉集』信綱編 竹柏会刊 大正14年 『西本願寺本万葉集』信綱,武田祐吉編 竹柏会刊 昭和8年 別紙参照 別 紙 1 庭菊 七才 六才 ころ 〱 とあられふる也いぬころの そはえる庭の風にこほれて のきにくる雀の声はきこゆれと 秋の日くれはさひしかりけり 八才 九才 木村正辞 まさこと 三島毅 おん そん こは明治四十年 小杉榲邨 とよかい 本居豊穎 なんまつなのり 南摩綱紀 加藤弘之 井上哲次郎 四月廿七日古典 講習科同窓会 の席上にて佐々木 氏の請ふによりて 各自姓名をかく 恩師寄書 葉 書 エピソード № 『ある老歌人の思ひ出』 「日本歌学全書」より 十月には父と自分との日本歌学全書 が出たのである。この十二冊の編著に、 自分は父を援けて若い心血を注いだの であつた。いまだ類書もなく、それだ けに世に弘く用ゐられもしたが、顧み て、自分の長い学究生活への出発は、 この叢書のための研究によつて踏み出 されたやうに思はれるのである。なほ この全書の第八篇の校正中に父は世を 去つたので、九篇以下は自分が標註も し校訂もした。 10 松と竹と枝をかはしてけふよりは ちよにやちよにさかえゆくらし 吹風に花のかきよし君かやとの 蛍とふ河への里をとめくれは 十才 № 39 ちよのねさしのにはの白菊 水辺 信綱六~十歳歌 短冊 42 そてにすゝしき浪の音哉 № 15 納涼 ~ 11 別 紙 2 ・『日本歌学全書』について 『日本歌学全書 第 1~12 編』 弘綱,信綱編著 博文館刊 明治 23~24 年 「新古今和歌集」や「万葉集」などの勅撰・私撰和歌集, 「紀貫之家集」な どの歌人の家集,歌論書など,計 40 部の本文が活字化され,所々に標註(欄 外の注釈)が加えられ,全 12 冊に収録されている。 父弘綱は惜しくも第 8 編の校正中に他界し,信綱が第 9 編の「万葉集」以 降,本文の校正作業とともに標註も行った。このことについて,後に信綱は 「長い学級生活への出発」(詳細はエピソード 10 を参照)となったと述べて いる。続いて信綱は, 『続日本歌学全書 第 1~12 編』 (博文館刊 明治 31~ 33 年)も刊行した。 また,俳人・歌人として知られる正岡子規は,『(続)日本歌学全書』につ いて, 「世の中に歌学全書をひろめたる功に報いむ五位のかがふり」という短 歌を詠み,実際に歌の研究をするために活用しており,弘綱・信綱親子の『(続) 日本歌学全書』を意義あるものと捉えていた。 ・「信綱かるた」について 「信綱かるた」は,佐佐木信綱顕彰会が平成 16 年に作成した。 信綱は生涯に約 1 万首余りの短歌を詠んだといわれ,その中から,ふるさ と鈴鹿に因んだ短歌や信綱の代表歌,歌碑になった短歌等,50 首ほどを選び, 「信綱かるた」としている。