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取るに足らない公訴棄却判決

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取るに足らない公訴棄却判決
裁判
裁判
レポート
取るに足らない公訴棄却判決
当会会員
吉田 京子(61期)●Kyoko Yoshida
イラスト 高橋 尚子(当会会員)
東 京 地 方 裁 判 所 刑 事11部( 大 善 文 男 裁 判
き た。 ケ バ ブ の 移 動 販 売 を 行 う 兄 夫 婦 と 暮
長 ) は、 被 告 人 チ ェ リ ッ ク・ リ ド バ ン 君 が
ら し、 時 々 彼 ら の 仕 事 を 手 伝 っ た。 事 件 の
成 人 で あ る と は 認 定 で き な い と し、 家 庭 裁
日は成人女性向けの同人誌販売イベントが
判所送致を経ずにされた公訴提起の違法を
行われていた東京ビッグサイトで兄の仕事
認めてこれを棄却する判決をした(第1次刑
を手伝っていた。その会場で知り合ったAさ
事事件)。家庭裁判所で検察官送致決定を受
ん( 当 時25歳 の 女 性 ) に 声 を か け、 一 緒 に
け て 改 め て 起 訴 さ れ た。 当 初 の 起 訴 に か か
彼女の車まで行った。
る 公 訴 事 実 は 全 治2週 間 を 要 す る 皮 下 出 血
リドバン君はその約1か月半後にAさんに
(いわゆるキスマーク)を傷害とする強制わ
対 す る 強 制 わ い せ つ を 疑 わ れ て 逮 捕 さ れ、
い せ つ 致 傷 だ っ た が、 二 度 目 の 起 訴 で は 同
強 制 わ い せ つ 致 傷 罪 で 起 訴 さ れ た。 公 訴 事
じ強制わいせつ致傷事件について傷害は全
実は、リドバン君が車内でAさんに覆いかぶ
治10日のものであるとされた。
さってキスをし、後部座席に引きずり込み、
弁護人は強制わいせつの事実を争ったほ
馬乗りになって陰部に指を入れた、その際A
か、 本 件 の キ ス マ ー ク は 傷 害 に 当 た ら な い
さんの首筋に全治2週間を要する皮下出血
と 主 張 し た が い ず れ も 退 け ら れ た。 東 京 地
の傷害を負わせたというものだった。
方 裁 判 所 刑 事16部( 島 田 一 裁 判 長 ) は 強 制
起訴状にはリドバン君の人定事項として
わいせつの事実と全治7日のキスマークを傷
1993年5月生まれと記されていた。これによ
害 と し て 認 め、 執 行 猶 予 付 の 有 罪 判 決 を し
れ ば、 彼 は 事 件 当 時19歳、 起 訴 時 に は20歳
た(第2次刑事事件)。
だったことになる。
リ ド バ ン 君 は 控 訴 し た。 控 訴 審 の 審 理 は
これから行われる。
本稿では主に、第1次刑事事件における公
判前整理手続の進行と公訴棄却の判決につ
2 第1次刑事事件
弁護人の主張
い て 報 告 し、 こ れ に 伴 う い く つ か の 問 題 点
弁 護 人 は、 リ ド バ ン 君 本 人 と 彼 の 両 親 か
を指摘したい。
ら事情を聞き、次のような主張をした。
リ ド バ ン 君 は1994年11月 生 ま れ で あ る。
1 事件の概要
父 は す ぐ に は 出 生 の 届 出 を せ ず、 リ ド バ ン
君が小学校に入学するために必要があって
チ ェ リ ッ ク・ リ ド バ ン 君 は 日 本 人 で あ る
よ う や く 手 続 を し た。 そ の 際、 兄 た ち と 一
義姉に連れられてトルコから日本へやって
緒に早く小学校に通うことができるように
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裁判員裁判レポート 取るに足らない公訴棄却判決
と 実 際 の 生 年 よ り も1年 半 早 い1993年5月 生
に関する予定主張の明示時期は明言できな
まれと申告した。トルコ国内での公的なID
い と し た。 裁 判 長 は「 だ ら だ ら し て る ん じ
カードやパスポートは全てこの申告に基づ
ゃ な い よ! だ ら だ ら し て る じ ゃ な い か!」
いたものである。
と怒鳴って早期の主張明示に固執した。
予定主張記載書には上記の事実を明示し、
な お、 こ の「 だ ら だ ら す る な 」 と い う 発
公 訴 事 実 に つ い て は「 争 う 」 と だ け 記 載 し
言 に 対 し、 弁 護 人 は 公 判 前 整 理 手 続 調 書 へ
た。
の記載請求(刑事訴訟規則217条の14第2項)
と異議申立をした。裁判長は第2回公判前整
検察官の主張
理手続で同発言を「撤回」した。
検 察 官 の 主 張 は「 パ ス ポ ー ト は 正 し い 」
と い う こ と に 尽 き て い た。 そ し て そ の 根 拠
証拠収集
と し て、 在 日 本 ト ル コ 大 使 館 職 員 の「 ト ル
リドバン君の母は彼を自宅で出産してい
コ で の 出 生 登 録 は 厳 格 に 行 わ れ て い る。 生
た。 医 師 の 手 に よ る 出 生 証 明 は な い。 彼 が
後 数 年 経 っ て か ら 届 け 出 る と か、 本 来 の 生
生まれた日を示す最初の公的な記録は先述
年月日と異なる日付で登録するなどという
の 父 に よ る 申 告 だ。 以 後 の 公 的 資 料 は 全 て
ことは決してできないしあり得ないことだ」
こ の 届 出 に 基 づ い て い る。 出 生 当 時 の 写 真
という見解を紹介した。
も な い。 イ ス ラ ム 教 徒 で あ る 彼 ら に は 個 人
の誕生日を祝う習慣はないから誕生日会な
公判前整理手続
どの写真や記録もない。
第1回公判前整理手続の冒頭で裁判長は被
弁 護 人 は、 ト ル コ に 暮 ら す 両 親 や 日 本 に
告 人 質 問 を 行 う と 宣 言 し た。 左 陪 席 裁 判 官
いる家族らの協力を受けて次のような資料
が「 あ な た が 生 ま れ た 日 は い つ で す か 」 と
を 収 集 す る こ と が で き た。 両 親 と の や り と
尋 ね た。 弁 護 人 は「 そ の 質 問 は リ ド バ ン 君
り に は 通 訳 人 同 席 の 上 で ス カ イ プ( イ ン タ
の『 公 的 な 』 生 年 月 日 を 問 う も の と 区 別 で
ーネット電話サービス)を利用した。
き な い 」 と 異 議 を 述 べ た。 質 問 の 仕 方 こ そ
な お、 法 歯 学 鑑 定 も 検 討 し た が、 法 歯 学
改 め ら れ た も の の、 裁 判 官 は リ ド バ ン 君 本
者によれば歯のみから厳密な年齢を特定す
人に「誕生日」を問う質問を続けた。
ることは難しいだろうとのことだった。
弁 護 人 か ら の 質 問 で リ ド バ ン 君 は、 長 年
「1993年5月」をIDやパスポート上の生年月
(1)両親の話
日 と し て 用 い て き た; し た が っ て 裁 判 所 で
リ ド バ ン 君 の 両 親、 特 に リ ド バ ン 君 の 出
の 人 定 質 問 で も 同 様 に「 公 的 な 生 年 月 日 」
生登録をしたという父の話を書面にして提
を 答 え た; し か し、 本 当 に 生 ま れ た 日 は そ
出 し た。 彼 の 話 は こ う だ。 リ ド バ ン 君 が 生
れ よ り 遅 い1994年11月 と 聞 い て い る; 具 体
まれるちょうど2年前に郊外からイスタンブ
的には子どものころ親族の集まりで年下の
ー ル に 転 居 し た。 郊 外 の 村 で は だ れ も 結 婚
い と こ と 会 っ た 際、 叔 母 か ら「 あ な た は 本
や 出 生 を 役 所 へ 届 け 出 て い な か っ た。 イ ス
当はこの子よりも後に生まれたのよ」と聞
タンブールで暮らすにはそれがいるという
き、 そ の 後 家 族 か ら 本 当 は1994年11月 に 生
こ と だ っ た の で、 転 居 し た こ ろ 結 婚 の 届 出
まれたのだと聞いた、と述べた。
をし、あわせて既に生まれていた6名の子の
裁 判 長 は 審 理 を 急 い だ。 公 訴 事 実 に 関 す
出 生 登 録 を し た。 誰 の 誕 生 日 も 覚 え て い な
る予定主張を早期に明らかにするよう求め
かったので全てその場で思いついた日付で
た。 弁 護 人 は、 被 告 人 の 年 齢 は 前 提 問 題 で
申告した。2年後にリドバン君が生まれたが
あるから先にその点に関する証拠の収集と
出 生 の 登 録 は し な か っ た。 小 学 校 へ 通 う た
主 張 の 補 充 を 行 い た い と 説 明 し、 公 訴 事 実
め に は 登 録 が 必 要 な の で、 そ の た め に 役 所
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に 出 向 い た。 早 い 日 付 で 登 録 し て 彼 が 上 の
い た が、 そ の 登 録 は ち ょ う ど 学 齢 期 に 当 た
兄たちと一緒に早く学校へ行けるようにし
る 直 前 の1999年 に 行 わ れ て い た。 リ ド バ ン
た。 当 時 の ト ル コ で は こ う し た こ と は 黙 認
君より先に生まれた6人の兄弟は全て同じ日
さ れ て い た し、 現 に 多 く の 人 が 同 じ よ う な
に 出 生 登 録 が さ れ て い て、 両 親 の 結 婚 の 日
や り 方 を し て い た。 口 頭 で 日 付 を 言 う だ け
も 同 日 と さ れ て い た。 そ れ は1992年11月、
でそのとおりに登録された。
彼らがイスタンブールに転居したころのこ
と だ。 彼 ら 兄 弟 の 誕 生 日 は 取 っ て つ け た よ
(2)写真
う に「10の 倍 数 」 の 日 付 ば か り が 並 ん で い
リドバン君の義姉から写真の提供を受け
た。 リ ド バ ン 君 の 父 の い う こ と は 本 当 だ っ
る こ と が で き た。 リ ド バ ン 君 が ケ ー キ と 一
た。
緒 に 映 る 写 真 で あ る。 彼 が 来 日 し た 年 の11
月 に、 義 姉 が ケ ー キ を つ く っ て 誕 生 日 を 祝
公訴棄却判決
っ て い た の だ。 兄 と 義 姉 の 誕 生 日 が11月 で
逮 捕 か ら 半 年 後、 裁 判 所 は 公 訴 を 棄 却 す
は な い こ と を 確 認 し、 念 の た め 彼 ら の 誕 生
る 判 決 を し た。 検 察 官 は 同 日 中 に 上 訴 権 を
日 を 祝 う 写 真 も 提 供 し て も ら っ た。 全 て の
放 棄 し た が、 成 人 と し て の 勾 留 を 解 く こ と
写 真 のExif情 報 を 抽 出 し た。Exifに は 写 真
は な く、 こ れ を 利 用 し て リ ド バ ン 君 を 家 庭
の 撮 影 日 時 が 記 録 さ れ て い る。 リ ド バ ン 君
裁 判 所 に 送 致 し た。 弁 護 人 は、 成 人 被 告 人
の 写 真 は や は り11月 に 撮 影 さ れ た も の だ っ
としての勾留を公訴棄却判決後も維持して
た。
これを少年事件に利用することは許されな
い と 主 張 し て、 東 京 地 方 裁 判 所 に 対 す る 勾
(3)トルコでの実情に関する資料
留 取 消 請 求 を し、 家 庭 裁 判 所 に は 違 法 な 身
日本での出生登録とトルコでのそれとは
柄拘束に引き続く観護措置決定をしないよ
全く異なる運用がされているという資料も
う求めたが、いずれも認められなかった。
集 め た。 在 日 本 ト ル コ 大 使 館 の 担 当 者 に 話
を聞いたところ、「トルコでの出生登録は生
後2か月以内にしないといけない。厳格に運
3 その後
用 さ れ て い る 」 と い う。 し か し、 ト ル コ 人
家庭裁判所での審判の詳細や第2次刑事事
の 集 ま る モ ス ク な ど の コ ミ ュ ニ テ ィ で は、
件 の 進 行 等 は 省 略 す る。 当 初 か ら 捜 査 を 担
「20年 前 の ト ル コ な ら そ う い う こ と は あ っ
当していた川崎幸之介検察官は第2次刑事事
た 」 と い う 話 を 聞 く こ と が で き た。 イ ン タ
件の起訴状でリドバン君を「生年月日不詳」
ー ネ ッ ト 上 に も、 ト ル コ で の 出 生 登 録 の 実
で あ る と し た。 公 判 を 担 当 し た
情 に つ い て の 話 題 が い く つ も あ っ た。 こ れ
官は弁護人の提案に合意して、「リドバン君
らの情報をできるかぎり証拠にした。
は1994年11月生まれであり、事件当時18歳、
優也検察
裁 判 時 は20歳 で あ る 」 と の 書 面 に 署 名 し、
(4)戸籍謄本
同書面が証拠として取り調べられた。
そ し て 最 後 に、 日 本 で い う「 戸 籍 謄 本 」
リドバン君は全治7日のキスマークを傷害
に 当 た る 資 料 を 入 手 し た。 裁 判 所 に 公 務 所
と す る 強 制 わ い せ つ 致 傷 罪 で 有 罪 と さ れ、
照会を求めたが彼らは判断を留保していた。
執 行 猶 予 付 の 判 決 を 受 け た。 控 訴 審 の 審 理
代 わ り に、 ト ル コ に 住 む 家 族 や ト ル コ で 弁
はこれから行われる。
護士として働く日本人に連絡を重ねること
で よ う や く 入 手 す る こ と が で き た。 そ こ に
は 極 め て 重 要 な 記 載 が い く つ も あ っ た。 リ
ド バ ン 君 の 生 年 は た し か に1993年 と さ れ て
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4 終わりに
により家裁送致を経ない再訴はできなくな
っ た の で あ る か ら、 被 告 人 勾 留 は そ の 目 的
リドバン君は逮捕後の相当早い時期から
を 失 っ て 当 然 に 失 効 す る。 公 訴 棄 却 判 決 前
実 年 齢 を 警 察 官・ 検 察 官 に 申 告 し て い た。
に弁護人はこれを検察官に指摘した。第1次
取 調 べ 状 況 を 撮 影 し た ビ デ オ の 中 で、 川 崎
刑事事件の公判及び少年事件を担当した大
幸之介検察官はこうしたリドバン君の発言
牧元検察官は弁護人の見解と同旨の文献が
を あ か ら さ ま に 無 視 し た。 在 日 本 ト ル コ 大
あることを承知しながら身柄拘束を続けた。
使館でオンライン管理している戸籍謄本を
複数の裁判官がこの違法を看過した。
容 易 に 取 得 で き た の に こ れ を 怠 り、 本 国 の
本 件 は 決 し て 画 期 的 な 判 決 で は な い。 目
家族への問い合わせすらしなかった。
新 し い 判 断 は 全 く な い。 上 で 一 部 を 紹 介 し
最高裁から裁判員裁判の滞留を指摘され
た 資 料 か ら す れ ば、 当 然 あ る べ き 判 決、 取
てその解消の矢面に立たされた大善文男裁
るに足らない公訴棄却判決である。むしろ、
判 長 は 審 理 を 急 ぐ あ ま り、 被 告 人 の 主 張 を
こ の 判 決 ま で の 半 年 も の 間、 少 年 で あ る リ
容れる余地はないとの予断に基づいて拙速
ドバン君が全く無為に成人として身柄拘束
な 審 理 を 強 行 し た。 し か も こ の 予 断 を「 だ
されていたことこそ厳しい検証の対象とさ
らだらするな」という表現で言外に示して
れ ね ば な ら な い。 そ の 原 因 は 検 察 官 の 怠 慢
すらいた。
と裁判所の思いあがりにある。
当初の勾留の際には少年であることが全
「取るに足らない公訴棄却判決」が、法律
く 考 慮 さ れ て お ら ず、 少 年 を 勾 留 す る 要 件
家の慢心を戒めて正しい判決を導く一助に
の 具 備 も 検 討 さ れ て い な い。 公 訴 棄 却 判 決
なるよう願う。
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