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創立80周年 - ボルボのさらなる発展

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創立80周年 - ボルボのさらなる発展
VOLVO TRUCKS
創立80周年 - ボルボのさらなる発展
ボルボが初めて市場に送り出したトラックのエンジン出力は、28馬力で、最大積載量は、1.5トンでし
た。現在、ボルボ・トラック最大のモデルは、世界で最もパワフルなトラックで、エンジン 出力は
660馬力。200トンもの貨物を運ぶことが出来ます。
ボルボ・トラック第一号が発売されてから、80年の月日が経ちました。現在稼動する車両の開発・製造
には、情熱をもった多くのボルボ社員の努力が注ぎ込まれてきました。ボルボ社員は皆、会社に対する
強い帰属意識を持ち、ボルボの創設者がモットーとして掲げた「品質」と「安全性」を引き続き、企業
文化として大切に育んでいます。
経済専門家のアッサー・ガブリエルソンは、33歳の若さで、SKF社の営業部長に抜擢されました。し
かし、ガブリエルソンが目指していたものは他にありました。車を作ることです。1924年、幸運なこ
とに、ガブリエルソンは、同じ夢を持つ元同僚で、機械関係のエキスパートとして広く認められていた
グスタフ・ラーソンと再会しました。 1927年、ボルボの乗用車第一号が発表された時、ボルボ・トラ
ック第一号(シリーズ1)の設計図は、既に完成しており、1928年2月にトラックも発表することが出
来ました。人類の最も画期的な発明は車輪だと言われていますが、この年、ボルボ(“Volvo”はラテン
語で「回転する」という意味)が、車輪を得て「回転」し始めたのです。 ボルボの精神 ラーソンとガ
ブリエルソンは、スウェーデン製の鉄は、他国で精製された鉄に比べて品質に優れていることを知って
いたため、「スウェーデンで製造された車は輸入車よりも高品質なはずである」と考え、実際にその通
りでした。売上も順調に伸び、特にトラックの売れ行きが好調でした。1928年には輸出を開始し、中
国やアルゼンチンといった国々に進出しました。「ボルボ」というブランド名は、覚えやすく、どの国
の言葉でも発音しやすい名前でした。 1950年代に入るまでは、ボルボの最も重要な製品はトラックで
したが、この頃から、より多くの人が車を買うことが出来るようになり、これを受け、乗用車の生産が
伸びました。 ボルボの創設者2人は、ボルボを特別な会社に育てようという強い思いを胸に、精力的
に働き続けました。社長から手伝いの少年にいたるまで、スタッフ全員が会社に対して献身的、かつ情
熱を持って働いていました。後に、この精神は「ボルボ・スピリッツ」と呼ばれるようになり、ボルボ
で働くことは羨望の的となりました。この80年間、世界中にいる何千人ものボルボ社員は、ボルボ・ス
ピリッツを受け継いできました。 EC内に拠点を築くことの重要性 1929年秋、ボルボは創立年度の赤
字を消化し、1935年、ボルボは素晴らしい業績を達成しました。これを受け、ボルボ株の大半を所有
していたSKF社は、同年、ボルボ株をストックホルム株式市場へ上場させ、ボルボは独り立ちすること
になりました。 ボルボ創立から約30年後の1956年、ガブリエルソンとラーソンは社長職を退き、新社
長には、グンナー・エンガローが就任しました。1960年代初頭、エンガローは、社員の1人であるラー
ス・マルムロスに、EC諸国に拠点を築くことが可能かどうかを調べるよう命じました。EC市場におけ
るボルボ・トラックの需要は大きく伸びていましたが、ECは、関税を引き上げることによって加盟諸
国の利益を守ろうとしていました。こうした中、1965年、乗用車製造工場がEC内に発足しました。ト
ラックについては、輸出先のインポーターが所有するアルセムバーグ工場で組み立てられることが多く
なりました。その後、1975年には、EC内におけるトラックの製造は、ゲントの乗用車製造工場の近隣
に移転しました。今では、ボルボはヨーロッパにおいて確固たる地位を築き、大きく事業を拡大してい
ます。 1970年、ボルボは、トラック・ビジネスを独立させ、ボルボ・トラック事業部を設立しました
VOLVO TRUCKS
。社長兼CEOには、ラース・マルムロスが就任しました。 グローバリゼーション ボルボが世界市場
に事業を拡大していった頃、これに大きく貢献したパイオニア達がいました。ギリシャのサラカキス兄
弟、オーストラリアのマックス・ウィンクラーなどです。彼らの努力により、これらの国々において、
情熱的なボルボ・ファンが生まれたのです。 1970年代中頃、ボルボは西を目指しました。まず、ボル
ボはブラジルに進出し、程なく、ブラジルのトラック市場における強固な地位を確立しました。更に、
1981年には、トラック・メーカーであるホワイト社を買収し、北アメリカ市場に進出しました。この
買収をきっかけに、北アメリカ市場でもボルボ・トラックが販売されるようになり、ボルボは、真のグ
ローバル企業へと成長したのです。北米進出から2~3年後、大型トラックのモジュラー・コンセプト
が導入され、ボルボFH/FMシリーズが誕生しました。またその頃、ボルボの技術を搭載したトラック
を、アメリカで製造することの決定が下されました。 1996年アメリカで、ボルボVNが発表されまし
た。その後、グローバル産業システムが構築されました。サプライヤー各社のグローバル・システムが
抱合され、生産およびアフターマーケット事業が効率化されました。同システムによる利点としては、
使用パーツの統合などが挙げられます。 FH – 現在のトラックの基礎 1993年、現在稼動しているモデ
ルの基礎となるトラックが発表されました。ボルボFH12/FH16です。後に発表される、FH、FM、
VN、VHD、VTといったグローバルな製品ライン・アップの基礎を成すモジュラー・プラットフォーム
が基礎となっています。このベストセラー製品は、全く新しい高性能12ℓエンジンを搭載していました
。FH12/FH16により、輸送経済および環境パフォーマンスが飛躍的に向上しました。また、安全性も
格段に向上しました。 1990年代に入り、環境問題への感心が高まりました。ボルボは、様々なコンセ
プト車を発表してきました。最も良く知られているのは、環境コンセプト・トラック(ECT)というハ
イブリッド車、エタノールやジメチル・エーテル(DME)といった代替燃料を使用した車両、燃料電
池などでしょう。2006年に発表された、ディーゼル・エンジンに電動モーターを搭載したハイブリッド
車には、大きな注目が寄せられました。 1999年は、ボルボ・グループにとって波乱の1年でした。こ
の年、ボルボ・カーズがフォード社に売却されるという、驚くべき発表がありました。この決定は、同
年3月に開催された臨時総会で承認されました。更に、その約1ヶ月後、ABボルボは、フランスのトラ
ック・メーカーであるルノー・トラック社、そしてルノー・トラック傘下のマック・トラック(アメリ
カ)の買収を発表しました。この買収により、ボルボはヨーロッパ最大(世界では第2位)の大型トラ
ック・メーカーとなりました。9~16ℓディーゼル・エンジンについては、ボルボは、世界最大のメーカ
ーです。また、進出市場数(133カ国)に関し、ボルボに対抗できるトラック・メーカーはありません
。 ルノー・トラックやマック・トラックを買収した狙いは、規模の拡大により、今後ますます厳しく
なる環境基準に対応し、生産性を向上することができるよう、更に効率性の高いトラックを開発するこ
とでした。 自信を持って将来を見据える その後7年間で、買収したトラック・メーカーの事業は、ボル
ボ・グループに組み込まれ、成功を収めています。3つのブランドは、それぞれが発展を遂げています
。また、それぞれのブランドで、異なる顧客層をターゲットしています。 2006年2月、ボルボ・トラ
ックは、660馬力の出力を誇る16ℓエンジンを発表しました。このエンジンは、世界で最もパワフルな
エンジンです。同年、ボルボは、日産ディーゼル株を相当数購入し、日産ディーゼル社との協力体制を
スタートさせました。その後、創立80周年を目前に控えた時期、日産ディーゼル社の買収を発表しま
した。 また、2006年は、ボルボ・トラックにとって記録に残る1年でした。今後も、ボルボは、未来
のトラックがクリアしなければならない厳しい環境基準への対応といった、大きな課題に取り組んで行
きます。ボルボは、未来に向かって「回転し」続けます! これまでのボルボ・トラック社長: 1927年
アッサー・ガブリエルソンとグスタフ・ラーソン 1956年グンナー・エンゲロー 1969年ラース・マル
ムロス 1976年ステン・ランゲニウス 1994年カール・エーリング・トローゲン 2000年トリグベ・ステ
ン 2001年ヨルマ・ハロネン 2004年ステファン・ユーフォス
VOLVO TRUCKS
4/13/2007
【本件に関するお問い合わせ】
日本ボルボ株式会社 ボルボ・トラック事業部 マーケティング部 原 佐知子
Tel. 03-5404-0347 Fax. 03-5404-0330,
e-mail [email protected]
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