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幸せの経済学あれこれ - livedoor Blog
幸せのため経済学あれこれー00 2015年7月15日 西川 博恭 ジェレミー・ベンサム(1748~1832年) 1791年のフランス憲法によって具体化されたフランス「人権宣言」への辛辣なコメントが ある。「自然権はまったくのナンセンスである。自然的で不可侵な権利は、修辞上のナン センス、竹馬に乗ったナンセンスである」。神聖不可侵な人権概念に経済政策の基礎づ けを求める変わりに、政策の<善>を判定する究極の基準は<最大多数の最大 幸福>であるという趣旨の最大幸福原理に、代替的な基礎付けを求めたのであ る。その中心概念は、簡素で直観に訴えかけてくる。それは、道徳の至高の原理 は、幸福、即ち苦痛に対する快楽の割合を最大化するという事だ。正しい行いと は、「効用」を最大にするあらゆるものだ。という功利主義の原理を確立した。 (反論) 1.人間の権利や尊厳は、「効用」を超えた道徳的基盤を持っている。 功利主義は、個人の権利、基本的人権を十分に尊重していない。 2.幸福を計測し、合計し計算する。あらゆる価値と事物を単一の尺度で計測し 比較する事は不可能である。 {事例}1884年ミニョネット号沈没 乗組員は、四人。船長のダドリー、一等航海士スティーブンス、船員のブルックス。全員、 素晴らしい人格の持ち主だった。四人目は、給仕のリチャード、17歳。これが、 彼にとっての最初の長い航海だった。新聞によれば、友達は、リチャードに 行くなと止めたが、彼は、「この旅が自分を男にしてくれるだろう」と考え、 若者らしい希望に胸をふくらませて出港した。だが、悲しい事にそうはなら なかった。 (マイケル・サンデル「ハーバード白熱教室講義録」早川書房2010年) ピグーの「厚生経済学」1920年 (鈴村興太郎「厚生経済学の基礎」岩波 2009) ベンサム流の功利主義の経済厚生概念に基づくものであり、総効用―すなわち最 大幸福―という社会的目標を定義するために個人の効用を互いに加えたり減じた りできる事を仮定していた。功利主義は、個人の効用の基数的加測性と、 選択肢のペアの間で生じる効用の得失の個人間比較可能性のみを要求する。 二人からなる社会では、yからxに移行した時に、一人が得る効用が他の個人の 失った効用より大きいのであれば、xがyより社会的に望ましいとする。 この原理には、ライオネル・ロビンズにより厳しい批判が浴びせられ(「経済学の本質と意 義」1932年)、その後、序数的効用の概念が支配的になった。 新厚生経済学 (鈴村一橋大学名誉教授「厚生経済学の基礎」) 序数的で個人間比較不可能な効用を新たな情報的基礎とする新厚生経済学を 目指した一人が、ジョン・ヒックスであった。彼が踏み出した最初のステップは、人々が 全員一致して支持する政策の実行は、社会的にも改善と認められるべきだとする <パレート改善>の基準を導入することだった。人々の間に異論が生じない状況に 考察を限定すれば、ピグーの躓きの石を前提とせずに、厚生経済学の有効性を相 1 当程度に回復する事ができる。<パレート改善>という弱い基準に依拠してさえ、 一層のパレート改善の余地が残されていない<パレート効率的>とか<パレート最適 >な状況を理論的に特徴付けるとか、パレートの意味では社会的に極大厚生の状 況を実現する政策を考案するなど、厚生経済学は<人間生活の改良の道具>を 鍛える実践科学として貢献する事ができる。しかし、経済政策の是非や経済システ ムの性能を巡って人々の間に利害対立が生じる可能性は、例外というよりむしろ 通則である。だからこそ、厚生経済学が、本格的に蘇生するためには、個人の利 害の全員一致を前提とするパレート改善の基準を超えて、人々の間に社会的な選 択肢の是非を巡って、判断の対立が発生する状況でも、公共「善」に関する社会 的な判断を形成できる原理が必要とされたのである。 アマルティア・セン(1933年~) ベンガルで生まれ、9歳の時に200万人を超える餓死者をだした1943年のベンガル 大飢饉でセンの通う小学校に飢饉で狂った人が入り込み衝撃をうける。また、この頃 ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい抗争で多数の死者もでた。これらの記憶や、インド はなぜ貧しいのかという疑問から経済学者となる決心をしたと言われる。宗教は無 神論者。1994年アメリカ経済学会会長。1998年アジアで初のノーベル経済学賞受賞。 セン著、鈴村訳「福祉の経済学―財と潜在能力(Commodities and Capabilities)」岩 波書店 1988年 序文 本書の主な目的は、厚生経済学の基礎、とりわけ個人の福祉と優位の評価に 関して、相互に関連した一群の命題を提出することにある。私は(「実質所得」の評 価におけるように)富裕に焦点をあわせたり、(伝統的な「厚生経済学的」枠組みに おけるように)効用に関心を集中したりする従来の標準的アプローチを批判し、人が機 能する潜在能力、すなわち人は何をなしうるか、あるいは人はどのような存在であ りうるかという点にこそ関心をよせるべきだと主張したい。 富裕や効用は、確かに果たすべき役割をもってはいる。しかし、その役割は、 (一)福祉と優位を生み出す源泉として富裕がもつ重要性、および(二)福祉と優位を (幸福、欲望充足、選択などさまざまな形で)証拠立てるうえでの効用の重要性とい うように、あくまで福祉と優位との間接的な関わりにおいて理解されるべきなのであ る。 日本語版への新しいてびき 福祉への新しいアプローチの展開は~人がその達成に成功するさまざまな「機 能」(すなわち人がなしうること、あるいはなりうるもの)と、人がこれらの機能を達成 する「潜在能力(capabilities)」に関心を集中するものである。 このアプローチは、福祉を、人が享受する財貨(すなわち富裕)とも、快楽ないし欲望充 足(すなわち効用)とも区別される意味において、人の存在のよさの指標と考えよう と試みる。福祉の主観的指標として効用がもつ限界は、明瞭に区別されるべき二つ の異なる理由から生じる。第一に、幸福であるとか欲望をもつということは、主観的 特性であって、我々の客観的な有様(たとえば、どれほど長生きできるか、病気に かかっているか、コミュニティの生活にどの程度参加できるか)を無視したり、それとか 2 け離れたりすることが十分にありうる。第二の限界は、主観的概念としても、効用 は、主観的評価ではなく感情に関わる概念だという事実から生じるものである。こ れと対照的に、「潜在能力アプローチ(Capability Approach)」は機能の客観的特徴に 注目し、しかもこれらの機能を、感情にではなく評価に基づいて判断する。人々の 評価が、究極的にはかれら自身によってなされ、その意味において主観性の残滓 をもつとしても、その要素はなお評価と内省に基づいている。効用に基礎をおく判 断は、人自らの評価になんら直接的な重要性をも認めずただ感情のみを考慮する のに対して、潜在能力アプローチは、人々がその人生において達成したいものに関し て人自らが下す(内省的・批判的な)評価に基礎を置いているのである。 蓼沼宏一「幸せのための経済学 効率と衡平の考え方」岩波ジュニア 功利主義の問題点 ⦁ 幸福ないし欲望充足の度合いが数値によって計測され、しかも異なる個 人の間でもその数値を比較する事に意味があると考えている。しかし、 幸福や欲望充足は、主観的な感覚であるから、その度合いを客観的な 数量として計測することは困難である。 ⦁ 幸福・欲望充足という主観的感覚は、その個人の形成してきた背景や、 おかれている社会的環境にも強く影響されるので、客観的な状況を評価 する基準としては、適切でない。この欠点を現代の代表的な厚生経済学 者であるアマルティア・センは、「物理的条件の無視」といっている。 ⦁ 幸福ないし欲望充足の度合いが高まるという事が、必ずしも、そのひと 自身の生き方の向上と結びつかない場合がある。「欲望を充たす」という ことと、自分自身がその行為を「評価する」こととは、必ずしも一致しな い。福祉とは、人間のよりよい状態とは何かを問うものですから、むしろ 「評価する」という人間の精神的活動に関わります。 この点を見逃している功利主義にたいして、センは、「評価の無視」といっ て批判している。「欲求する」という純粋に主観的な行為に比べて、 「評価する」ということは、より客観的な観点にたつ精神活動である。 選択論アプローチ モノを消費した時の幸福や欲望充足の量は観測困難が、二つのモノのどちらを 選好するかということは、その人の選択行動によって観測できる。モノやサービス の消費量や労働時間の組み合わせに関して、好みの順序をつけられるとい う事を基本的な前提条件とし、これをその個人の「選好順序」という。現代経 済学では、各個人の選好順序において、より高い序列にある消費パターンを実 現できるほど、その個人の状態はよいと判断する。つまり、 選好順序をそのひとの福祉を評価する基準とみなすのである。 センによる批判 ⦁ 選択の背後にある特定の状況と動機を考慮することなく、選択行動か ら導かれる選好順序が常にその人の福祉を反映するとみなす事は、 短絡的である。 ⦁ このアプローチは、福祉の個人間比較という問題の考察を第一歩から誤 らせることになる。福祉の個人間比較は、衡平性の観点からの経済シ 3 ステムの評価には必要不可欠である。客観的な観察可能性に拘泥し、 個人の実際の選択行動の観察によってのみ福祉水準の序列が示さ れるとするならば、個人間の福祉水準の比較評価は不可能ということ になる。そうすると、衡平性の観点からの経済システムの評価は不可能 という事になる。 機能(functionings) 個人が実際に「なし得ること、なり得るもの」を「機能」とよぶ。 「栄養を摂取すること」「自由に移動すること」「他人をもてなすこと」などは、 機能の例である。福祉の水準として、機能に注目することは、私達の目 を社会的存在としての人間のあり様に向けさせることになります。効用 も機能も、その人の置かれた社会的環境に影響されるが、効用は、行 為や状態の結果としてその個人に生じる主観的感覚であり、機能はそ の個人のなし得る、あるいはねり得る客観的な物事・状態である点が 異なる。 潜在能力(Capabilities) 機能をベースとして、各個人の生き方における選択の機会の豊かさー選択 の機会としての自由―を表現するもの。潜在能力とは、その個人が実現で きる様々な機能の水準の組み合わせ全体の集合の事である。 潜在能力を決める主な要因は、三つに分けられる。第一は、入手可能な モノやサービスの種類と量であり、これは、各個人のもつ所得・富とモノや サービスの価格という経済的条件によって決まる。第二は、健康状態、 ハンディキャップの程度、知力、体力、共同体内での地位などの各個人の特性で ある。第三は、公衆衛生、教育制度、人種やジェンダーによる差別の有無、 障碍者への社会的対応、表現の自由、集会の自由などの社会的環境である。 そのようにして導かれる「潜在能力」は、それぞれの人が実際に達成して いる福祉を表すというよりも、社会にあって、どれだけの生き方の選択肢 に恵まれているかという「福祉に関する自由度」を表現するものである。 無駄のない経済システムとは?-効率性の考え方 ある資源配分から別の資源配分への移行によって、社会における誰の状 態も悪くはならず、少なくとも一部の人の状態がより良くなるならば、 この移行は、明らかに「人々の福祉を高める」という目的に適ったものー 改善―であると言える。これを「パレートの意味で改善」略して「パレート改善」 という。 福祉評価のベースとなる概念によって、その人の状態が改善したのか、悪化 したのかという評価が分かれる場合には、何によって福祉を評価してい るのかを明示する必要がある。「機能に関するパレート改善」「選好順序に関 するパレート改善」を区別する必要がある。 パレート効率的資源配分の実現 市場メカニズムば、多数の人々が参加する大きな社会を前提とする匿名性の 高いシステムであり、そこでは、個人的な嗜好の実現にかんする限り、消費・ 4 労働に関する選好順序に基づく、パレート効率は、達成できる。しかし、 機能に関しては、例えば、共同体における人の連帯を強める為に、私的消 費を犠牲にして公共的サービスを増加させる事は、社会の中の個人の尊厳を 高め、機能で評価した各個人の福祉を向上させるかもしれないが、パレート 改善を実現するメカニズムは、市場には、存在しない。その為には、市場とは 別の社会的な意志決定が必要である。 パレート効率性基準の限界 この基準は、全員一致(利害が対立する個人がいない)を前提とし ているので、次のような限界がある。 ⦁ 社会的に「最善」の資源配分は何か 国王による資源独占は、パレート効率的な資源配分だが、最善か? ⦁ 資源配分のどちらが望ましいかという相対評価の問題 資源独占配分から、国民均等配分への移行は、パレート改善ではない? について、その有効性に限界をもっている。 政策を実施すべきか否かを決定する為には、状態の良くなる個人と逆に 悪くなる個人の状態を比較し、その福祉水準の分布の変化が望ましいも のであるかを判定する基準が必要である。利害関係の異なる個人の間の 福祉水準のバランスを問う衡平性の基準が不可欠である。 衡平性の基準 現代経済学の標準的な理解によれば、<パレート効率性>と<羨望の無い 状態としての衡平性>は、経済システムの成果を評価する代表的な基準と されている。<効率性>と<衡平性>を同時に満足する資源配分が存 在しない事例は、<効率と衡平のジレンマ>と称されて厚生経済学者が解 決すべき重要な論理的パズルとされてきた。 なお、パズナーとシュマイドラーの<平等等価>の原理がある。 (鈴村 「厚生経済学の基礎」) 無羨望(no―envy)原理 序数的かつ個人間比較不可能な選好概念に基づいて自分自身の分配 分とあらゆる他者の分配分とを比較する個人の主観的選好に着目し どの個人においても、自分自身の分配分が、だれか他の人の分配分よ り、好ましくないと評価されないことを公正基準とするもの。 平等等価(egalitarian equivalent) 各人の主観的選好において、等価な厚生をもたらすような均等分配 点が存在することを公正な配分基準とする。 消費に関する無羨望配分とパレート効率 オレンジとバナナの配分 ⦁ Aさんが全部を独占してしまう。 無羨望配分ではない。しかし、パレート効率的。 5 均等分割 無羨望配分である。しかし、パレート効率的ではない。 ⦁ 均等分割から出発して、オレンジの好きな人とバナナが好きな人が 自発的に交換すると、パレート効率的となるが、 a)ペアーにより交換比率が異なる場合は、選択の機会により有利、 不利が発生し、無羨望配分にならない。 b)誰もが同じ交換比率で交換する(市場システム)場合は、無羨望 配分となる。 即ち、均等分割を初期配分とする市場均衡配分においては、効率性 と衡平性は両立できる。それは、個人的嗜好に基づく選好順序を ベースとするものであり、評価に基づくものではない。 ⦁ 労働に関する無羨望衡平性とパレート効率性 生産性の高いAの方がBよりも多く働く必要がある一方、Aの方がB よりも自由時間への選好が強い場合、衡平性を達成するような受取金 額の差の調整が不可能になる。逆に自由時間への選好が強くない(労働 を苦にしない)人の生産性が高ければ効率と衡平は両立できる。 自由時間への選好と労働生産性に関する個人間ミスマッチが効率的かつ公 平な分配を不可能にする。労働能力も初期の資源であるが、分割や交換 はできない。また、労働生産性も交換はできない。このように、資源の 中に、分割・交換できない要素があると、効率と衡平の両立が困難にな る。 現代の日本でも、社会保障給付の適正な水準について多くの議論があ る。実質的な労働時間と最終的な所得の分配を巡って国民の間に不満 があるとすれば、それは、衡平性が達成されていないことの反映である と考えられる。 パレート改善と衡平性の対立の例 ⦁ 経済成長のない、一定量のモノを分配する問題において、パレート改 善 を実行した結果、不衡平が新たに発生する場合がある。逆に 衡平性をあくまでも遵守すると、資源配分の大きな無駄を放置する 場合がある。 ⦁ 経済が成長する局面では、すべての人々が貧しかった社会状態 ―ある意味では、衡平―から、経済成長によって全員の状態が 同じように増加することは、まずあり得ないので、個人間で は、格差が発生し、衡平性が満たされなくなる場合がある。 羨望のない状態としての衡平性の基準の問題点 ⦁ 労働も考慮に入れる資源配分において、人々の労働能力に差がある 場合、パレート効率的でかつ衡平性を満足させる資源配分が存在しな いことがある。 6 全員の状態が改善する場合は、それを実行し、利害対立がある場合 には、衡平性を満たす資源配分の方を選択するという「改善」を繰り返 していくと、実は元の資源配分に戻ってしまうことがある。 これらの難点を克服する為には、羨望の無い状態としての衡平性のベースで あった、全ての人々の嗜好・価値観を尊重し、各個人の選好順序で、自他 の状態を「直接的に」比較評価することを諦めなければなりません。 人々の嗜好・価値観が異なることを引き続きみとめつつ、何らかの基準で 個人間の状態を比較評価する共通の尺度の導入が必要である。 それが、「平等等価」の概念の導入である。 ⦁ 平等等価配分とは何か 機能に関する平等等価配分について (1)個人の達成するさまざまな機能の水準のリストをベクトルとして表現する。 (2)個人間福祉評価の基準となる<基準機能ベクトル>を定める。基準機能 ベクトルとは、「栄養を摂取すること」「寒さや風雪から守られているこ と」「自由に移動すること」「他人をもてなすこと」といった、人間生 において不可欠な諸機能の、最低限達成すべき水準を表す。 (3)各資源配分において各個人の達成している機能ベクトルと、基準機能 ベクトルの何倍とが等しい福祉水準にあるかを、その個人自身が評価 する。 (4)(3)で求められた基準機能ベクトルの倍数を各個人の(機能ベースの) PS福祉指標とする。 (5)すべての個人のPS福祉指標の等しい資源配分を、機能に関する 平等等価配分という。 パレート改善第一・衡平性(平等等価)第二の基準 ⦁ ある配分から別の配分へ移行したとき、どの個人も、自分の福祉水準が 高くなったと評価する時は、この移行は社会的に望ましい。 ⦁ 二つの配分の間で、自分の福祉水準が高くなったと評価する人と、 低下したと評価する人がともにいて、かつ、一方が機能に関する 平等等価配分で、他方がそうでないときには、前者の方が社会的に 望ましい。 (c)(a)(b)の要件を満たし、かつ順序として一貫性のある評価方法 にする為に、各資源配分における人々の機能をベースとするPS 福祉指標のうち、最小の値に注目し、最小値の高い方がより望まし い配分であると判定する。(消費・労働に関しても全く同様に証明 できる)。 この基準は、「最も不遇な人の状態を、可能な限り高めるべきであ る」―マキシミン原理―と同じものであることが分かる。 マキシミン原理(格差原理)は、ジョン・ロールズが、分配における正義の原理と して提示したものであるが、公正な初期状況における合意によって、社 会経済の基本構造を規定する正義の原理が基礎づけられるロールズの 7 理論的枠組みには説得力がある。そこから導出されるマキシミン原理は、ど こまでの格差が許容されるべきかという問題に明確な指針を与えてい る。先述のように、マキシミン原理は、全員の境遇の改善を第一とし、それ が当てはまらない場合には、衡平性を第二基準として適用するという 評価法として基礎づけることもできる。 同一の原理が複数の理論から導かれるということは、その正当性の 基礎をより強固にすると言えるであろう。 (補足1)PS福祉指標と功利主義の違いー消費・労働に関する衡平性― 福祉指標も功利主義の効用も、どちらも個人の得る満足の 度合いに注目する。しかし、PS福祉指標では、主観的な満 足ないし欲望充足の度合自体を「個人間で」比較しているわけ ではない。各個人の嗜好が反映されてはいるが、それは、実際 の自分の消費と、基準消費ベクトルの何倍の消費とが同程度に 望 ましいかという「個人の内部での」比較に用いられているだけ である。功利主義による、主観的な満足度や幸福感自体を個人 間で比較すると、センが指摘した「物理的条件の無視」という問 題が発生するが、PS福祉指標にもとづく評価には、「物理的条 件の無視」という問題は、発生しない。 (補足2)労働を考慮にいれた場合、効率的かつ羨望のない状態として衡平 な配分が存在しない場合があったが、効率的かつ平等等価である 配分は存在する。人間の基本的な生活に必要不可欠な余暇を含む 「基準消費・労働ベクトル」に基づいて、PS福祉指標を定義し、その 指標が個人間で等しくなるように、かつできるだけ高い水準で均 等化するように資源配分を調節すればよい。 8