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11 日本の対外取り引きの転換点ー新国際収支表を手がかりに

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11 日本の対外取り引きの転換点ー新国際収支表を手がかりに
データでみる現代社会
日本の対外取り引きの転換点ー新国際収支表を手がかりに
明治学院大学 国際学部 准教授 岩村 英之
はじめに
分析において,対外資産・負債の残高の重要性が
グローバル化の進んだ現代において,日々,外
高まった。⑵経済のグローバル化や金融取り引き
国との間で多くの製品・サービスが取り引きされ,
の高度化に伴って経済活動が大きく変化し,GDP
また多額の資金が外国の株式や債券を購入し,多
統計などほかの経済統計と連動した基準改訂が急
額の外国資金がわが国の株式や債券を購入してい
務となった。
る。外国との取り引き状況をシステマティックに把
こうした要請にこたえるべく,IMFマニュアル
握することは,今やわが国の経済活動を評価する
第5版の改訂が行われた。新版では,第1に,項
うえで必要不可欠である。こうした自国と外国の間
目の組みかえと項目名の変更が行われた(図1)
。
で行われる取り引きを国際通貨基金(International
旧版の所得収支・経常移転収支は,それぞれ「第
Monetary Fund, IMF)の定めるルール−IMF国際
一次所得収支」
・
「第二次所得収支」というGDP
収支マニュアル−にしたがって記録したものが,国
統計などと共通の名称に変更された。また,旧版
際収支統計である。わが国では,2014年1月に国
の資本収支は,その他資本収支を除外し外貨準備
際収支統計の公表形式が刷新されたが,これは
増減を統合することで新版では「金融収支」とな
IMFマニュアルの改訂と第6版の公表(2008年)
り,その他資本収支は「資本移転等収支」として
を受けた動きである。本稿では,前半で今回の改
大項目に格上げされている。なお,金融収支への
訂の背景と概要を説明する。後半では,近年大き
組みかえに伴って資本取り引きの収支尻の定義が
な変化に直面しているわが国の国際収支の特徴を
変更されているが,これは次項で詳述する。
概観し,中長期的な展望を紹介する。
また,旧版では補助的な扱いだった対外資産負債
国際収支マニュアルの改訂−背景と概要
拡充された。すなわち,90年代の通貨危機において
改訂の主要な背景は2点にまとめられる。⑴90
資産と負債の通貨構成・期間構成のミスマッチが果
年代の通貨危機の経験から,各国経済の脆弱性の
たした役割にかんがみて,資産・負債両側で幅広く
第5版
経常収支
貿易・サービス収支
経常収支
第6版
貿易・サービス収支
貿易収支
貿易収支
サービス収支
サービス収支
所得収支
第一次所得収支
経常移転収支
第二次所得収支
資本収支
資本移転等収支
投資収支
金融収支
通貨別・期間別などの詳細を報告している。
このほかにも,第5版以降のグローバリゼーシ
ョンの進展,金融技術の発達,そして政策分析上
の要請などに応じた項目内の細分化や,ほかの経
済統計と連動した計上基準などの変更が数多くな
され,統計の明確化・精緻化が試みられている。
金融収支−資産・負債の残高重視へ
直接投資
直接投資
証券投資
証券投資
金融派生商品
金融派生商品
その他投資
その他投資
資産取り引きの収支尻の定義変更にも反映されて
外貨準備
いる。最初に,一定期間における財・サービスの
その他資本収支
外貨準備増減
〈日本銀行
「国際収支関連統計の見直しについて」
(2013)
より一部改変〉
図1 項目の組みかえと名称変更の概要
11
残高が正式な統計に格上げされ,その内容が大幅に
現代社会へのとびら❖2015年度3学期号
対外資産・負債の残高を重視するスタンスは,
輸出入額(フロー)とある一時点における対外資
産・負債の残高(ストック)の関係を確認しよう。
対外純資産
対外純資産
−
= 金融収支(新)
の増加
の減少
外国に財・サービスを輸出すれば,代金を受け
去の借金の返済にあてるならば対外負債が減少す
る。いずれにせよ,財・サービスの輸出は同額だ
け対外純資産(=資産-負債)を増加させる。一
方,外国から財・サービスを輸入すれば,代金を
支払う。外国がこれを自国の株式・債券などに投
資すれば,自国の対外負債が増加し,自国に対す
る過去の借金の返済にあてれば自国の対外資産が
減少する。したがって,財・サービスの輸入は同
額だけ自国の対外純資産を減少させる。
資金の流入
対外純資産の減少
外国からの返済
対外資産残高の減少
外国からの借入
対外負債残高の増加
外国への返済
対外負債残高の減少
外国への貸付
対外資産残高の増加
資金の流出
対外純資産の増加
資産・負債の残高
(ストック)
に注目
るならば自国の対外資産が増加し,外国からの過
資金の流出入
(フロー)
に注目
取る。これを外国の株式・債券などの購入にあて
資金流入 − 資金流出 = 資本収支(旧)
図2 資本収支(旧)と金融収支(新)
このように,財・サービスの取り引きと資産の
の増加・負債の減少(純資産の増加要因)から資
取り引きは表裏一体であり,資産・負債の評価額
産の減少・負債の増加(純資産の減少要因)をさ
の変化を無視すれば,ある一定期間の財・サービ
し引くことで資産取り引きの収支を定義するよう
スの輸出と輸入の差額−経常収支−はその期間の
になった。これが金融収支である(図2)
。
対外純資産残高の変化分に等しい。
以上を換言すれば,旧資本収支は資金の流入超
むろん,対外純資産の変化を,より直接的に海
をはかっていたのに対して,新金融収支はその逆
外との資産取り引きの結果−収支尻−と関連づけ
の対外純資産の増分をはかっている。したがって,
ることもできる。第6版では,その収支尻の求め
同じ事象が正反対に評価される(逆の符号を付さ
方について大きな変更があった。第5版までは資
れる)ことになるのである。初めて学ぶ人に対し
4
4
4
4
4
金の「出入り」に注目し,資金が入ってくる資産
4
4
4
4
ては,従来の「資金の流出入」という観点ではな
取り引きから出ていく取り引きをさし引いて資金
く,
「対外純資産の増減」という観点から説明す
の「流入超」を求め,これを「資本収支」と定義
ると理解が容易だろう。
していた(厳密には「資本収支+外貨準備増減」
)
。
ところで,資金が入ってくる資産取り引き(外国
日本の国際収支−近年の特徴と変化のきざし
からの返済,外国からの借入)は対外純資産を減
近年の日本の国際収支の動向をみると(図3・
少させるが,資金が出ていく資産取り引き(外国
図4),その特徴は持続的な経常黒字と,その裏
への貸し付け,外国への返済)は対外純資産を増
側である金融収支の黒字,結果としての対外純資
加させる。したがって,前者から後者をさし引く
産の拡大に集約される。一方で,直近の数年に目
4
4
4
資本収支は対外純資産の減少分を表すことになる。
を移せば,黒字額は急速に縮小し,経常赤字が目
すなわち,旧資本収支のプラスは対外純資産の減
前に迫っている。背景としては,原油価格の高騰
少を,マイナスは増加を表す。
や震災後のエネルギー燃料の輸入拡大といった短
この資本収支の定義は一定期間の資金流出入
期的な要因が目を引きがちであるが,経常収支の
(フロー)の観点からは妥当であるが,対外純資
なかみをみると,海外との取り引き構造自体に変
産残高(ストック)の増減という観点からは直感
化が生じている可能性も疑われる。すなわち,貿
に反した符号をもたらすことになる。そこで,近
易収支の黒字は,経常黒字が拡大を続けていた
年の残高重視の傾向とあいまって,またほかの経
2000年代中ごろからすでに傾向的に縮小し,かわ
済統計に合わせる形で,第6版からは対外純資産
って第一次所得収支の黒字が急速に拡大し,経常
の増減と整合するよう,旧資本収支と反対に資産
黒字を拡大・維持する原動力となっている。これ
現代社会へのとびら❖2015年度3学期号
12
は,過去に海外に対して蓄積した資産からの収益
半からは拡大基調にある。さらに,第一次所得収
によって,現在の財・サービスの取り引きの赤字
支を構成する項目の直接投資収益が90年代の1兆
を埋め合わせていることを意味する。
円前後から2010年代には6兆円台へと約6倍に増
貿易収支の持続的悪化の要因としては,趨勢的
加していることも,海外移転の順調な拡大を表し
な円高や国内生産コストの上昇によって,多くの
ている。
日本企業が生産拠点を海外に移してきたことがあ
松林(2015)は,2000年代以降,わが国の製品
げられよう。こうした動きは,現地生産による輸
輸出が為替レートや海外の景気動向といった短期
出の減少と海外生産による逆輸入の増加をうなが
的・循環的ショックに反応しにくくなっている点
し,貿易収支の悪化要因となる。
を指摘し,近年の貿易収支の悪化が短期的・循環
生産拠点の海外移転の傾向は,直接的には直接
的なものではなく,構造変化のような中長期的要
投資として金融収支に表れる(図4)
。証券投資
因によるものである可能性を論じている。そうで
収支やその他投資収支は額・符号ともに激しく変
あるならば,貿易収支の悪化はトレンドと考える
動し,傾向的な動きがみられないのに対して,直
べきであり,今後しばらくは経常収支を押し下げ
接投資収支は安定的に黒字を維持し,2000年代後
る要因として作用することになる。
兆円
40
貿易収支
第二次所得収支
サービス収支
経常収支
第一次所得収支
わが国と同様な経済発展をとげ,その
30
後に経常赤字を経験している国として,
まっさきに浮かぶのはアメリカとイギリ
20
スであろう。両国の事例は,数十年とい
10
った長期にわたる経済発展過程におい
て,国際収支が一定のパターンにしたが
0
って変遷する可能性を示唆する。
「国際収支の発展段階説」によると,
ー10
ー20
1996 97 98 99 2000 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14年
〈財務省
『国際収支統計』
より作成〉
図3 日本の経常収支
兆円
50
直接投資収支
その他投資収支
証券投資収支
外貨準備増減
金融派生商品収支
金融収支
一国経済は発展の初期段階では国内生
産の不足によって消費財・資本財供給
を輸入にたよらざるを得ず,貿易・サ
ービス収支も所得収支も赤字となり,
対外債務を蓄積する未成熟債務国とし
て出発する。やがて経済発展とともに
40
貿易・サービス収支が黒字化するが,
30
対外債務に対する利払いから所得収支
20
の赤字額が大きく,経常収支は依然と
10
して赤字である(成熟債務国)
。貿易・
0
サービス収支の黒字が所得収支の赤字
ー10
を上まわると,経常収支が黒字化して
対外純債務が減少し始める(債務返済
ー20
ー30
1996 97 98 99 2000 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14年
図4 日本の金融収支
13
国際収支の発展段階説
現代社会へのとびら❖2015年度3学期号
〈財務省
『国際収支統計』
より作成〉
国)
。持続的な経常黒字によって対外純
資産がプラスに転じると,未成熟債権
国となり,所得収支も黒字化する。経
済の成熟化はいずれ高齢化や賃金上昇をもたらし
表1 世界各国の経常収支および対外純資産(対GDP比,%)
経常収支
貿易・サービス
収支 アメリカ
△ 2.6
成熟債権国として対外純資産の拡大は続く。やが
イギリス
△ 3.7
て貿易・サービス収支の悪化によって経常収支は
貿易・サービス収支を赤字化するが,膨大な対外
純資産による所得収支の黒字は経常黒字を維持し,
赤字化し,対外純資産は減少に転じる。すなわち,
過去に蓄積した資産の取りくずしによって経常赤
第一次所得収支
対外純資産
△ 3.2
1.4
△ 32.2
△ 1.9
△ 0.4
△ 16.8
1.1
△ 1.9
3.3
61.2
ベルギー
△ 0.3
△ 0.3
1.6
53.9
フランス
△ 14.1
日本
△ 1.0
△ 1.3
2.3
ドイツ
6.7
5.8
2.3
31.6
スイス
9.7
9.4
1.7
124.3
字をファイナンスする債権取崩国となる。
オランダ
10.5
10.2
1.8
34.9
この仮説にしたがえば,現在成熟債権国の特徴
ノルウェー
11.3
11.3
1.4
113.1
中国
を備えるわが国は将来的には債権取崩国へと移行
し,経常収支の赤字を経験することが予想される。
そして,現時点で経済発展のさまざまな段階にい
る世界の国々の国際収支は,この仮説がある程度
説明力をもつことを示唆している(表1)
。すなわち,
2.0
2.6
△ 0.6
20.7
19.0
24.2
△ 2.8
183.2
タイ
1.2
3.2
△ 4.8
△ 19.3
韓国
4.6
4.2
0.7
△ 2.9
マレーシア
6.1
11.4
△ 3.3
△ 0.9
シンガポール
(注)2011年から2014年の平均.スイスのみ2011年から2013年の平均。
IMF Balance of Payments StatisticsデータベースおよびWorld Bank
World Development Indicatorデータベースより筆者計算。
いち早く工業化による発展経路にのったイギリスや
う日本の国際収支の説明は,今後は変更を余儀な
アメリカは,持続的な経常赤字を経験し,すでに
くされるだろう。同時に,経常赤字は必ずしも悪
対外純資産はマイナスとなっている。アメリカとイ
ではないことも留意すべきである。すなわち,生
ギリスに続いたヨーロッパの先進国や日本は,未成
産能力の高い時期に余剰分を輸出して対外資産を
熟債権国か成熟債権国の特徴を備えている。一方
蓄積し,やがて生産能力が低下する時期に,資産
で,遅れて工業化を果たした東南アジア諸国にお
を取りくずして輸入によって消費・投資の水準の
いては,所得収支は赤字であるが,それを上まわ
低下を抑制することは,基本的には国民の経済厚
る貿易サービス収支の黒字によって経常黒字を実
生を高めるのである。
現し,対外債務の返済が始まっている。近年成長
著しい中国は,急速な貿易・サービス収支の黒字
によってすでに債権国化を達成し,未成熟債権国
へと移行しつつある。
以上,製品の輸出入というミクロ的な視点と,
経済の発展段階というマクロ的な視点からの考察
を紹介してきたが,いずれもわが国の経常収支の
悪化が中長期的トレンドである可能性を示してい
る。したがって,これまで教科書で学んだような
「持続的経常黒字による対外純資産の拡大」とい
≪参考文献・参照ウェブサイト≫
・国際通貨基金「Balance of Payments and International
Investment Position Manual Sixth Edition(BPM6)
」
2008 年 https://www.imf.org/external/pubs/ft/
bop/2007/pdf/bpm6.pdf
・日本銀行国際局「国際収支関連統計の見直しについて」
2013 年 https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2013/
data/ron131008a.pdf
・日本銀行国際収支統計研究会『国際収支 統計の見方・
使い方と実践的活用法』東洋経済新報社 2000年
・深尾光洋『国際金融論講義』日本経済新聞社 2010年
・松林洋一「我が国経常収支の長期的変動と短期的変動:
1980–2014」
『国際経済』2015年
現代社会へのとびら❖2015年度3学期号
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