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2016 年・4 月号

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2016 年・4 月号
二〇一六年四月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十五巻第四号 (通巻六五〇号)
2016 年・ 4 月号
冬雷の表紙画をたどる 17 (昭和 47 年)
亜伊茂清の書き下ろし。
前号よりもシンプルになった門構えの中から、黒人の
青年がたくましい肉体を鈍く光らせて、腕にまいたアメ
リカ国旗のようなものを振り回しているように見える。
門の中から飛び出しているのが星条旗の赤いシマの部分
に見える。青年の胸には白と黒でYES N
/ Oと書かれ
ている。背景は真赤のべた刷り。反戦の言挙げが、抑圧
されて背景に潜んでいるかに思われる。
数年続いて来た亜伊茂清作品だが、女性会員の方から
多く反対されてこの画を最後に冬雷表紙画から亜伊作品
は見られなくなる。女流の皆さんが「気持悪い」と言う
からねって木島先生が話してくれた。
88 85 84 72 71 71 58 44 43 42 26 17 16 14 12 74 60 28 18 1 二
四月号 目次
冬雷の表紙画をたどる (昭和 年)……………………表
冬雷集………………………………………川又幸子他…
四月集……………………………………橋本佳代子他…
作品一………………………………………栗原サヨ他…
作品二……………………………………吉田佐好子他…
作品三………………………………………池田久代他…
『四斗樽』以後の土屋文明の歌⑹ ………………大山敏夫…
今月の三十首(二月の光)……………………江波戸愛子…
二月号冬雷集評……………………………………中村哲也…
二月集評……………………………………………小林芳枝…
二月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之…
橋本徳壽歌集『ララン草房』の背景……………赤羽佳年…
コラム「抒情する脳」……………………………橘美千代…
田中國男さんを悼む……………………………………………
二月号作品二評………………………赤羽佳年・中村晴美…
詩歌の紹介 〈『故郷の道』より〉…………………立谷正男…
二月集十首選………………………………………赤羽佳年…
二月号作品三評……………………水谷慶一朗・関口正道…
二月号作品十首選………………………昌三・説子・克彦…
歌集 歌書御礼…………………………(編集室・桜井)…
今月の画像…………………………………………関口正道…
/
25
17
47
表紙絵《浅間嶺》嶋田正之 / 作品欄写真 関口正道 /
題字 田口白汀 冬 雷 集
冬雷集
埼玉 川 又 幸 子
内杖の助けにそつと立ち居れど立つな歩くな転ばぬやうにと
誰かれが車椅子まで来なければ服も着れない老いたる吾は
人間にはまくらが必ずいるものか猫のまくらも水谷氏移す
思ひ通りのものはまとへず五つのうち三つがまんし食堂へゆく
目の先にあるソックスを取りに行けず左右の違ひ知らんぷり
東京 小 林 芳 枝
お帰りのためにコートは厚めにと細やかすぎる気象予報士
いつか来る知らせと思ひゐたりしが現実となり目を閉ぢるのみ
よしえちやんと呼ばれて寄りし車椅子ゑがほの人と目をあはせたり
房総の南東あたり勝浦は冬あたたかく黒潮の寄る
若き日の田中國男の仕事ぶり知らねども頼りゐたるをりふし
やすらかに逝きしと遠く聞きてをりどこかのだれかの事のごとくに
勝浦の魚食べ尽くすほどの間もなくて少しく急ぎすぎたり
ほんたうは案外近くかもしれぬこの世を去りし人の在り処は
では行つてくるねと低くこゑにして彼の世のやうな部屋に鍵する
横浜市中区 横浜三塔・キングの塔
1
筋力のいづこもゆるむ身の内に取り戻したし腹筋すこし
神奈川 浦 山 きみ子
湯あがりのぬくもりのまま床に入る寒夜の冷えも気にならぬまま
南天の葉を折々にひるがへす風あり二月十日青空
夫と二人の食事をすませていささかに遅き娘の帰り待ち居り
家内に争ひ事のなかりしを夜半に目覚めてしみじみ想ふ
林の中の温泉宿に泊まる夢夜半に目覚めて想ひだしをり
風邪ひきてあたたまるべく入る湯にともかく夫にすすめ入らす
氷上に舞ふ少年の幾たびか転びかけつつすぐ立ち直る
父さんと呼び母さんと呼ばれ居り子等の戻らぬ日暮れの部屋に
忽ちに新しき日々過ぎゆきて明日より娘は出勤となる
東京 近 藤 未希子 一月半ばの大雪が道の向かうの山裾に積み上げられて凍てつきてゐる
わが庭の雪もちひさき山いくつ春咲く花の上にもつもる
凍てつける雪を散らさむとスコップと鍬を持ち出し準備しておく
雪をけ散らすこと三四日続きてやうやく庭のゆき消えたり
新年の大雪やうやく消えたるを喜び居れば明くる朝雪
龍之介は外に出てゐる竹垣の上に積れる丸き雪を集めゐるらし
龍之介はひよこ色の上下に黄のブーツにてうれしさう
東京 赤 間 洋 子
2
冬 雷 集
おとうと
夫の死後頼りてゐたる義弟が階段踏み外し昏睡続く
手を握り声掛けすれど応へなく時に片目を開けることあり
痰が絡み苦しげに咳をする時は見守るのみにてなす術もなし
同じ轍踏まないやうに心掛け階段昇降特に注意す
指導員に測りてもらふ血圧がけふは低くて少し嬉しい
体操に通ひ始めて一年余言葉を交はす人が増えたり
シルバー体操今日のテーマは足腰の筋肉増強息が弾みぬ
各々が何処か痛みを抱へをり労りながら体操続く
味噌仕込む大豆買ふべく行く築地場外市場に外国人数多
大声で呼び込む寿司屋ラーメン屋立ち食ひ蕎麦屋をかき分け進む
大阪 水 谷 慶一朗
梅林に吹きくる寒風ものともせず春さきがけの寒紅梅咲く
梅林をゆらして川風吹けるなか寒紅梅は香り紛らす
つがひ
ばさつと下りて鴉ひとこゑ鳴きたればメジロ一斉に梅林を去る
番らしきキンクロハジロが鴨の群れにつかず離れず上流にゆく
昆陽池に共生しつつ冬を過ごす水鳥の群れはつね騒がしく
池の岸に立てば餌を欲る水鳥の群れそれぞれに聲あげて来る
(自爆テロ)
降雪の予報を聞きつつ見上げゐる吾がマンションの空さむく澄む
歌にすべく書き記したる断片語いくつも手帳に残りて古りず
身を挺し祖国を一途に護る意識善悪を問はねば尊くもあるか
3
世界の人が不戦平和を願へども叶ふることの容易に非ず
東京 白 川 道 子
頼みたる覚えなけれどコープよりケーキが届く当選ですと
声出して元気にならう熟年の男女の集ふ「歌声ニド」に
北風の冷たき夕べ春の歌沸き上がりくる小さなホール
声低くロシヤ民謡歌ひだし誰からともなく手拍子を打つ
三十六時間かけて娘の戻りくる猛暑のチリより寒波の日本へ
年どしに帰国する子は文庫本を四十冊ほど求めてゆきぬ
街角に配るティッシュの珍しと礼して受くる行きも帰りも
時差ぼけの治りたる頃帰りゆく隣りの町へ行くがごとくに
乗り換へは五時間待ちとダラスより退屈凌ぎかメールが届く
野沢温泉村 神奈川 桜 井 美保子
湯仲間の制度に守りゐるといふ外湯のひとつに熊の手洗湯
源泉の湯の絶え間なく溢れをり熱めと温め二つの浴槽
骨折の傷にも効くか遠く来て野沢温泉の湯に寛げり
雪道をマフラーをして来たる人 Good morning
と言葉をかへす
滑らずにゴンドラに乗るもよし窓のそと木々に積れる雪が輝く
よぢ登る感じにやうやく乗り込みぬ雪上車の車体あんがい高く
湖は凍らず厚く雪積る小さき足あとは野兎のもの
民宿の隣は村の郵便局わが子ら三人に絵葉書を出す
4
冬 雷 集
福島 松 原 節 子
雪掻きの二日つづきて三日目は此度も太陽溶かしくれたり
油断して霜焼け拵へてしまひたり踵つるつるの靴下は履けど
雪少し残れど日の射し風の止み待ちきれず母散歩の仕度す
クロスワードパズルの本の間より母の挟みし赤き葉落ちる
三日月に離れて東の空低く金星輝く節分の朝
パソコンの不具合次つぎ直りたり頼りにするは電話相談
まちづくり協議会といふありてこの頃すこし気にかけてゐる
雀二羽雨戸の戸袋のぞきをり父の巣箱は役にたたない
手摺より身を乗り出して眺めゐし父に見せたき福寿草咲く
愛知 澤 木 洋 子 コンビナートの吐き出す煙寒空に美しとも思ふ四日市宿に
伊勢詣で街道筋に四百年十五代目より長餅を買ふ
痒きより痛みを覚ゆジカ熱にかのアマゾンの蛇を思ひ出す
自治会の役員交代もつれもつれ重き時間のだんまり続く
わが脳の容量いつたいどうなつた昨夜より旧友の苗字迷子に
初に聞くふり大仰に三度目の友の失敗談声あげ笑ふ
このやうな世間のあるや政治家の金銭授受をあんぐり見つむ
声に出す目に見る文字に想像のふくらみゆけり蛇崩坂よ
自転車をこぎてこの町隣り町図書館めぐるある日の夫
5
東京 森 藤 ふ み
紅葉の時期をすぎたる吉野山土産物屋の雨に閉ぢをり
み吉野の枯色なせる山々を霧湧き出でておほへる疾し
ライトアップの木々の紅葉終りゐてトロッコ電車の暗がり走る
京に向く東名走るバスの窓一瞬太陽の塔の顔見ゆ
自由時間を興福寺にきたり木々の少なし五重塔あふぐ
興福寺国宝館に入りたれば冷気のなかに阿修羅像おはす
広からぬ国宝館に僧一人みまはりしてをり話は厳禁
猿沢の池に映れる五重塔ふちの柳のあをあをとして
明日香路を走りゆくバス左折してふいに現る石舞台古墳
茨城 佐 野 智恵子 食堂で思ひもかけず満月が正面にありて心ときめく
何かしら良き事あるを思ひみるこの歳なればと打消すのみに
おまま事思ひ出しつつレディース膳無言のままで食して戻る
(二月四日)
今までに雪も降らない南国に大雪降るをニュースで知りぬ
土浦に雪の降らない不思議さを毎年思ふ答知りたい
日本中大荒れなのに土浦は風強くして雪をまだ見ぬ
ハアハアと胸苦しくも十階の自室に戻る力はありぬ
学童の集ふ校庭に一羽だけ大きく円く鳶が飛び来る
五時半に真上を見れば星の数東西南北二十個程見ゆ
6
冬 雷 集
富山 冨 田 眞紀恵 あしたより誰も坐らぬ一脚の椅子に夕日が射してゐるなり
風が問ひ落葉答ふる問答も途絶えて睦月は半ばを過ぎたり
私がいま立つてゐる真裏にはどんな人が住む退屈な日なり
今年まづ老いゆく準備始めよう少しこころが豊かになるかな
八十を過ぎてもこの世を去りてゆくこころの準備出来ぬ吾なり
起き抜けにまづは除雪とわれ一人通れるだけの道幅つくる
しんしんと合掌の屋根に雪積もるテレビの画像ひとりのしづけさ
茨城 鮎 沢 喜 代 一月もなかばとなりておだやかに孫を相手にあけくれてをり
庭を這ふ虫の姿の今は無く真つ赤な薔薇が一つだけ咲く
春の日をたつぷり受けて庭中の椿の若葉光をかへす
祝事と葬儀と続き気の抜けぬ日々がつづきて頭つかれる
白き雲が輝きながら流れゆく二月八日の晴れたる真昼
かかりたるインフルエンザに布団より抜け出せずをり三日目の今日
三日間インフルエンザに臥しながら気づかひくるる嫁に感謝す
太陽が大いなる雲にかくされて庭の立木が寒さうにゆる
東京 池 亀 節 子 足早に歩みこし十字路青信号渡れるや否やの微妙な瞬間
商店街は大方シャッター下りてをりされど明るきその一角は
7
強風に歩みてをれば目の前で自転車数台おお横倒し
なんとなく窓を覗けばコンビニから力士が悠然と歩みくるなり
浅草の帰途屋上より電飾のスカイツリーを娘と見たり
気がつけばテレビ体操はじまるよ仕事投げ出しチャンネルまはす
今日ひと日何をしてたであらうかと日記手にして思ひあぐねる
一日一首抄 東京 天 野 克 彦
良きことを詠へばよきことあるといふ守りてゆかな言霊信仰
つきかげ
靴下の片方だけが見あたらず片足立ちに降る雪見てゐつ
雪原となりたる広場の積む雪に十日の月光ひらひらひらと
あッさうかさういふことかと気づくこと多くなりたり喜ぶべきか
新聞の折り込みチラシを今朝も見る豪華チラシが増えたと思ひ
樹木葬はお手頃価格と霊園のアート紙チラシに朝より見入る
ひと
わが顔をみつめ息のむ女のあり逝きたる夫に瓜二つと言ひて
リハビリに明け暮れ励みゐたる人今朝は元気に杖なく歩む
岡山 三 木 一 徳 後手後手の対策なれば犠牲多し毎年の如く冬に事故続く
大寒に入り列島を寒気団襲ひ岡山でも白一色の夜明け
負傷にも負けじと頑張る琴関のテーピング姿痛痛しくもあり
イスラムの国を名乗れる集団は目的明かさずテロ繰返す
日本にテロ入り込むと噂され伊勢志摩サミット事なかれと祈る
8
冬 雷 集
マイナンバー何の為にと問ふ記事があちらこちらに見ゆる昨日今日
上弦の月 埼玉 嶋 田 正 之
初日射すテーブル囲み子や孫と節日に酌むはやはり日本酒
陸前に甦りたる酔仙を舌にころがししみじみと飲む
旨き酒数々あれど焼酎の爆弾ハナタレこれは別格
目算に十五センチは積もりたる睦月土用の雪は重たく
微かなる蕾を持てるぢんちやうげ根より倒れる夜更けの雪に
雪雲の素早く去りて冷え渡りげにあざらけし上弦の月
残雪の屋根を照らせる青白き弓張り月の清麗として
大雪も煌々と照る月もまた生ある者への褒美なるべし
水分を多く含める降雪の倒木被害を雨氷と知りぬ
この冬の蝋梅急ぎ咲きたれど襲ふ寒波の身に凍みるらむ
郷土食 東京 櫻 井 一 江
日本型食生活学ぶに訪ねゆく食材産地の「ひたちなか市」の
昼時の那珂川河口の那珂湊ふねは出払ひ海しづかなり
那珂湊漁協女性部の皆さんに準備さるるは其の郷土食
獲れたてのヒラメは手まり寿司となりプリプリ食感口に広がる
ムシガレイ一匹そのまま唐揚にされゐて鰭までバリバリ食める
青々とフノリの天ぷら仕上がりてレースの如き形をなせる
学生も教授も共に集ひ来て和食の基本は郷土食にありと
9
「干しいも」の工場見学して気付く皮むきスライス干すも手作業
江戸の世の水戸藩開きし商港のなごりは漁港となりて栄えつ
「船甚句」唄ひつつ帰航の漁師らを迎へし明治の那珂湊しのばる
千葉 堀 口 寬 子 亡き兄の最後となりし年賀状文字の乱れもありてなつかし
年賀状貰ひし年の夏の日に八十四の兄は逝きたり
孫子らの写真の中に亡き兄の年賀状入れ並べてかざる
クラス会の服を揃へて待ち居たり夫は早早着替へて行きぬ
冬の日に皆老人のクラス会夫の話笑ひつつ聞く
栃木 兼 目 久 昭和四十四年臨時増刊の「四斗樽」が出でて来るを喜び手に取る
(台湾)
あたたかきも冷えたるもよし「しもつかれ」朝のおかずに夕べの肴に
何十人も若き命を奪ひたるスキーバスの事故死者は還らず
決壊より四ヶ月を経てやうやくに川の護岸の工事始まる
一流の大学を出たる教へ子は牛飼ひになり三十年を過ぐ
吸ふを止め八年が過ぐ須臾にして年月過ぎて煙草を忘る
塩ふりて串に刺しては鮎を焼くにほひ広ごる初市の飲屋
走つてゐる車種も多いが棚に並ぶ酒の銘柄の多種に驚く
コンクリートの柱に油缶・包装屑まぜたる台南の倒壊ビルは
東京 山 﨑 英 子 10
冬 雷 集
新年の吾に嬉しき事ひとつ曽孫男の子の健やかに生る
送り来る動画にいく度嬰児の泣く声沐浴眠りゐる様
新米の祖母となりたる娘いまみどり児抱き語りかけをり
心地よき抱かれかたか安堵して満ち足るみどり児祖母の腕に
初孫と生れて三十余年を目守りぬいま汝の嬰児曽孫とし抱く
元日の一番電話は離れ住む男孫の明るき優しき声なり
鬼の豆一合桝に窓ひらき娘と二人の小き豆まき
つぼみ未だ固きさくらの下の石に春の息吹を存分に受く
生気なき葉をつけながら沈丁花紅さすつぼみ冬陽を受けて
初日の明かり 東京 赤 羽 佳 年
歩数計ベルトにはさみ家を出づ年あらたまる初日の散歩
元日のわが窓下を破魔矢もち歩めるものはしあはせならむ
年明けの空に耿耿陽の明かり佳き証ともおもひてうくる
北よりの賀状がありて懐かしく手にしばらくは温めてゐる
ひるの陽の眩しきなかをひよいひよいと羽色かへつつ鳩の歩めり
わが歩む先先羽振く鳩のゐて初日の陽差しはあまねくありぬ
狛犬の石の頭をなですぐる宮に詣でて安らぐ気持
狛犬は高麗犬ならし高句麗の産より渡り扶桑に据わる
起き抜けのコップ一杯の清水が腸を整へひと日快調
元日の夕日は炬燵の背に差せる温温として眠気を誘ふ
11
『四斗樽』以後の
土屋文明の歌
⑹
は、まだそれは届いていない。
昭和四十二年は文明七十七歳、気力十分の
旺 盛 な 作 歌 ぶ り で あ っ た。 こ の 年 の 歌 数 は
二百六十五首。これだと月平均二十二首ほど
和 四 十 九 年 と 同 じ に な る。 × の 数 の 十 六 は
大山 敏夫
と な り、 か な り の 多 作 と 言 え る。 そ の 中 で
ここまでが昭和四十九年に作られた土屋文
明の作品である。合計一一三首のうち、「し」
ちょっと多めな感じ。
の「 し 」 の 数 八 十 五 は、 使 用 率 三 二 % で 昭
の使用三十六首であった。わたし的に言わせ
下の句の「し」は正しいが「肥えし」は目
の前に居る牛なので×であろう。
4
て頂き、×と思われるもの三首。常識的には
「たる」とかの状態で言うのが良いけれども
立ちあがるおほど4かにして肥えし牛かか
なかりき
る善き牛に触れし
作者の強い意志を秘めた選択を感ずる「老い
し」が二首となる。ざっとの計算だが「し」
一4つ岩に鯛釣りかねて人ありと食を運び
し
の使用率三二%で著しく多いけれど、×は「老
いし」を含めてもとても少なく、驚く程の正
舟かへり来る
確さである。そしてこの傾向は以後もずっと
いま舟が戻って来たところであろう。4
ほぼ同じになっている。
木をあまり知らざる妻の目に入りし
住吉
また、太田行蔵がアララギ東京歌会に現れ
た昭和四十九年四月を挟んでの、その前後の
4
がよく出ているが、現に見て居る葱だ。
蛙見て居る小童か広島に目
たたきつけし
立つ外国観光客
もの
4
異国の子供が悪さをしているのを見て、そ
こが広島であることを考えた深い嘆きだ。
けさの朝野分の来り片よりに倒しし
を抱へたたしむ
細かい行為が活写されるが、4これも状態。
たらは伏し曲
烏山椒若くはびこり老いし
りつつ4黒き実をもつ
木は枯れて世継の若木どももみづ
老いし
る色もおのおのにして
老体である自身を擬人化するかに「たら」
や「木」の老齢パワーを讃える歌い方には心
がある。が、ここの「老いし」は自分自身の
肉体等を指すのに限定したかの既述の歌とは
意識が違う。
こ れ ら の 歌 は、 い わ ゆ る 今 日「 慣 用 」 と
云 わ れ る 完 了・ 状 態 の 口 語「 た 」 に 置 き 換
え ら れ る「 し 」 で 過 去 回 想 で は な い。『 四 斗
の森の一樹はハルニレ
4
キャベツ畑か
寒さにか乾きにかいたみし
樽』刊行以後の遣われ方を比較すると、昭和
へり見られず蜜柑4の苗を植う
イヌビハの熟れし
傾向も大きな差が無いようである。だが、『四
斗樽』が刊行される以前と以後では様相を異
試むといふにもあらず
を一つもぎてゆく食ひ
にする。例えば歌集『青南後集』の前の『続々
春の芽のみづみづしくのびし
感 じ る こ と が な い。 つ ま り、「 し 」 と す べ き
るような微妙なものがあったが、ここで全く
していても、そこに何らかの意図が隠れてい
の状況と見比べると良い。この年あたりから、
引けど今日は買はぬなり
四十九年の作品では慣用の「し」の遣い方を
青南集』の冒頭の年が昭和四十二年なのでこ
これらもみな目の前の状態であ4る。
冬雷では「し」の誤用の問題が論じられるよ
青い野菜、韮とか葱とかを好んだ文明の心
青葱も心を
うになったのは既に書いた。だが文明の耳に
12
拘ったか否かの違いがあると思うのだ。
時に、「し」の誤用慣用問題が頭を過ったか、
乱れを一向かまわないでいるのに業を煮
太田氏はひいきするアララギが「し」の
つてゐる。アララギが(略)どういふこと
のか知らないのだ。(略)いいかげんに作
人の土屋文明は「一向かまわない」スタンス
たしは何故か、過去回想の助動詞「し」の誤
この言葉を真剣に考え作歌してきたのだ。わ
この言葉が横山氏にとっての「土屋文明か
らの宿題」なのだとあった。以後横山氏は、
いですか。何とか方法はないものですか」。
をてんから知らない。これぢゃ困るんぢゃな
を主張し、歌を発表し、人を集めてきたか
やして、・・・・・・
と書いていたが、一向にかまわずではなくて、
ではない。その姿に多くのアララギの門人達
用、慣用問題を考える上で、この文明の言葉
が気付かなかっただけなのだろうと思う。そ
立たなかっただけなのだろう。少なくとも個
かったのではないか。ただ絶対多数の中で目
そこに拘りたいという個人は皆無ではかな
もう一度四十九年四月の土屋文明の言葉を
思い出してみよう。
行 蔵 「 捨 て し 」 ト「 捨 て た る 」 ハ、 ド ウ チ
ヲ向ケレバ「捨てし」捨テテアル現状
してわたしたちも、「し」の間違いの完全追
ガウカオ教エ願イタイ。
文 明 両 方 同 様。「 捨 て し 」 ト イ ウ 行 為 ニ 目
ニ目ヲ向ケレバ「捨てたる」デ、目ノ
モノカ。コノ件ハマタウカガウコトニ
立場なのである。
立ち止まって考え、拘って作歌しようという
放ではなくて、こういう問題があるのだから、
○研究スル必要ナシ!
これを額面通りに受け取っているだけでは、
○マタウカガッタトテ同ジコト。
が思い出されてならない。
向ケドコロガ違ウダケダ。(と大声)
行 蔵 「 し 」 ト「 た る 」 ガ 同 様 ト ハ イ カ ガ ナ
シマス。
文明晩年の弟子の一人横山季由氏の、最近
上梓された好著『人と歌
土屋文明からの
オ願イシマス。
土屋文明は語り出したとあった。
なる少し前の歌会の後に、突然厳しい口調で
宿題』(現代短歌新聞社刊)のなかに、亡く
ることによって感じ取ってゆくしかない。
も、文明の行動や遺された作品を熟読熟考す
会員への「檄」を飛ばした文明の言葉の真意
真実は見えて来ない。最後の力を振り絞って
文明 マタウカガッタトテ同ジコト。
行 蔵 「 し 」 ト「 た る 」 ニ ツ キ、 ナ オ 研 究 ヲ
文明 研究スル必要ナシ!
明は表面的にはこう言っておきながら、自身
代表の土屋文明のものであることが解る。文
葉が土屋文明という個人ではなく、アララギ
分ひどいのがありますが、それと変りませ
に出せますか。(略)新聞の投稿歌にも随
だ。これがアララギの詠草だと言つて世間
「全体について申し上げますと非常に下手
その美しさにため息が出る程である。(完) 字なのだが、一二三四五と並ぶのを見ると、
遺として一九七首が追加された。そうした数
巳世司の編集により、既刊の十四の歌集に補
『土屋文明全歌集』(石川書房刊)に収録さ
れたのは一二三四五首だとある。娘婿の小市
はその立場立場に於いて考慮し、研究して使
んよ。皆さんの大多数は、歌はどういふも
であった。その作品の変化を見れば、この言
用していたように思う。宮地伸一が、
13
|
二月の光 江波戸愛子
☆
「着きました」あなたのメールはいつだって向かう電車の中に受けとる
前に立つ人の肩越しに手を振れば日溜りにいるあなたが手を振る
台東区の区展会場より出でて歩めりコートのなかが汗ばむ
やわらかな日の差す上野の球場に向かいてしばし動かぬ人居る
久しぶりに肩を並べて歩みゆく二月の光を身に纏いつつ
きれいねとつぶやく声に見上げれば花の間に見ゆる青空
下向きて咲く寒桜を取り囲み人らのかざすカメラ ケイタイ
寒桜しずかに咲きいる傍を通りて上野の人込みのなか
ルノアール うさぎや がんこという店を話すあなたの声に聴き入る
うさぎ饅頭ようやく求めて出できたる道にあなたの姿をさがす
14
今月の 30 首
私を待つ間に買いたるカーディガンを暖かそうでしょと見せてくれたり
御徒町駅の近くのルノアール昔に愛を告げられし店
人込みに紛れて見えなくなるあなた背伸びしてみるアメ横通り
閉店だよ安く売るよという声を聞きながしゆくアメ横通り
込み合えるアメ横通りを歩みいてバナナを安く売る声聞かず
優勝のメダルふたつを曾祖父に供えて孫の帰りゆきたり
神宮大会初出場の記念のペンわれらに残して孫帰りゆく
じゃあまたと別れまぎわに十七歳の大いなる掌がわが手をつつむ
その兄に負けまいとする弟に医師より運動禁止令でる
見方変え言葉を変えて接すれば穏やかになるふたりの暮らし
ようやくに開ききりたる薄紅の梅に降りくる大粒の雨
四枚の売り出し広告見比べていつもの店に夫出でゆく
十余年作りくれたる義妹の味噌を習いにゆく小正月
朝食を早めに済ませて浸したる大豆二キロを茹で始めたり
茹であがる大豆を待つ間に義妹の書きたる味噌の作り方を読む
待ちかねる夫の出番ゆで汁を取りおき大豆をふたりで潰す
味噌玉のかたさは耳朶ぐらいとぞわが耳朶を標準とする
雪投げのようにつぎつぎ味噌玉を狙い澄ましてたるに投げ込む
米麹しかと働きいるらむか開く桜を見ながら思う
桜葉の色づき落ちて溜まりおりそろそろ味噌を出してみようか
15
段は難儀のようだ。思わず手摺に頼った
句「火のある暮らし」を懐かしく感じた。
作 者。 難 な く 歩 き 通 せ た 頃 の 事 な ど を、 冬枯れの小枝に列なす露の玉差しくる
亡 友 の 口 癖「 こ ろ つ と 忘 れ る 」。 何 事
もくよくよしないと心に決めての言葉で
朝食の準備をしながら、思わず声に出し
容の妙義聳つ 嶋田正之
みすずかる信濃の国の番兵のごとき威
小枝にびっしりと連なる露玉。朝日を
イヤホンに早口言葉聞きながら声出し 浴びて暖かさが増す頃、一つずつ落下し
てみる朝のキッチン 桜井美保子
て行く。枝に光る露玉の落下する光景は、
イヤホンでラジオを聴いていたのであ
ろうか。早口言葉とはいやに楽しそうだ。 暫し作者を魅了させた事であろう。
朝日に又一つ落つ 天野克彦
あったろう。友のその言葉は作者の中に
てみた作者。朝のひと時を楽しみながら
「みすずかる」とは信濃に掛かる枕詞。
妙義山を眺める作者。信濃と上野を隔て
思い起こしていたに違いない。
ずっと存在し、今も忘れられない模様。
家事を行っている作者の生活が窺える
二 月 号 冬 雷 集 中村 哲也 初句の友の信条、結句に作者の思いの「忘
冷たいと言ふ母のためタオル下ぐ廊下
「 こ ろ つ と 忘 れ る 」 口 癖 た り し 友 の 逝
れる」・「忘れず」の対比が印象的だ。
の手摺のあちらとこちら 松原節子
勢力の信濃侵攻を困難にした。作者はそ
サンタクロースにプレゼントを貰った
少女。その礼状を枕元に置いて眠りにつ
オ ル を 下 げ た。「 あ ち ら と こ ち ら 」 の 結
作者は要所要所に手が冷えないようにタ
枯れず多肉葉繁る 赤羽佳年
松葉菊いたづらに伸び鉢に垂り秋にも
の天然の防塁に只々、圧倒された模様だ
いた。その行為が心温まると同時に、頂
きはや二十年われは忘れず 川又幸子
サンタクロース宛の礼状いちまいを置
朝晩の冷え込みが厳しく、屋内歩行を
手摺に頼る母の手摺が冷たいとの嘆きに
ていたそれら峻厳な山並みは、時に周辺
きて眠れる今宵の少女 小林芳枝
いた物への礼状をしっかり書くよう躾け
句に、母の摑まる位置を心得ている作者 横に這うように広がり育つ松葉菊。鉢
の、普段の母への献身ぶりが垣間見える。 から溢れる勢いだ。おまけに葉は肉厚で
友の言ふ「焼べる」言葉の懐しや幼き
が何らかの秋を感じさせる中で、松葉菊
青々として枯れる気配も無い。他の草花
られている少女の家庭環境に、作者には
印象深いものがあったように感じる。
ころの火のある暮らし 澤木洋子
を感じていたようだ。
の季節感の無さに、作者は一種の戸惑い
三階まで上る階段脚おもく荷を持つ夕
筆者の幼少の頃、実家は薪ストーブで
あった。よく「薪を焼べる」と言ったも
のだ。作者同様に「焼べる」の語や、結
べは手摺に頼る 水谷慶一朗
買い物の帰りであろうか。夕刻までの
歩行で両足は足取り重く、三階までの階
16
二月集評
小林 芳枝
満天星も楓も冬木となる庭に山茶花の
紅が白が目を引く 橋本佳代子
晩秋の寂しくなる庭を明るく捉えた。
下句の畳み掛けが生きている。
黄の花に黄の蝶が来て暫くをたはむる
枇杷の歌というと佐太郎に有名な歌が
あるが、この歌も細かな所を良く見てい
く流すような下句が合っている。
同色の花と蝶、何か繋がるものがある
ようにも見えて面白い発見である。明る
字の「萼」の方がよかったか。
り、 結 句 の 収 ま り も 良 い。「 が く 」 は 漢
て下句では大きな広がりを持たせてお
のぞきこむ小さき谷川の水澄みて冷気
フルートの音の良し悪しは知らざるも終
へたる奏者に笑みの零るる 中村哲也
ごとく舞ひて行きたり 穂積千代
ただよう杉木立の中 本山恵子
と感じた作者の正直な気持が現れている。
上句は謙遜だろうが、演奏を終えた奏
者 の表情から、ああ上手く弾けたんだな、
雪原を貨物列車はひた走るオーロラだけ
が見つめる夜も ブレイクあずさ ☆
薄暗い杉木立の中を流れる小さな川の
冷気は神秘的で少し寂しいが、疲れた心
☆
を休めておられるようにも感じられる。
人影のない雪原をゆく貨物列車の孤独
を見守るようなオーロラ。美しくて広大
おとろふる葉を閉ぢかねて晩秋の風に
真向ふ鉢の合歓の木 高島みい子
な地球を感じさせてくれる。
もう一度土讃線に乗りてみむ十八歳の
夢確かめに 増澤幸子
土讃線は香川県から徳島・高知につづ
く J R 線。 作 者 の 古 里 で あ る 。 十 八 歳 に
戻 れ ないことは十分分 か っ て い て の 願 望 。
マメ科落葉樹の合歓の木、夜は葉を閉
じるのだがその力もなくなって北風に吹
う に 自 分 も 咳 を す る。「 大 丈 夫? 私 も ま
はどんなにかやさしく響いたことだろう。
こうした心遣いがいいのかも知れない。
寝ている夫が咳をする。それに答えるよ
前の歌と同じ作者の歌、こちらは暖か
い体温が直に伝わってくる。隣の部屋に
るよと吾も咳する 〃
クッションを締めたり投げたりしつつ
かれている。それでも負けていない姿に
壁へだて眠れぬ君が咳をする起きてい
見る黒帯たちの世界大会 髙橋説子
感動し自分を励ましておられるようだ。
上句だけ読むと何だろうと思うがどう
やら柔道の世界大会らしい。一緒に戦い
☆
☆
だ起きているんだよ」と呼びかける愛の咳
の山に枇杷の花房 川上美智子
しっかりと産毛のがくに包まれて初冬
ながら観戦するのが髙橋さんのスタイル
然りげ無く擦れ違うのが日常となりて
ら し いがクッションは い い 迷 惑 で あ ろ う 。
二人の暮らしは静まる 本郷歌子 ☆
菜園のカキ菜も大分太くなり春よこい 子供達が独立し夫が退職する。その後
の長い暮らしをどう過ごすのかが難しい。
よと畑に待てり 高松ヒサ
体調が戻られた歌があり喜ばしい。春
を誰より待つのはご本人なのだろう。菜
園に出たいというたのしみがある。
17
四月集
福井 橋 本 佳代子 雪ぐにのきびしき冬は峠を越えて朝の厨に入る日やはらぐ
春早き庭に雀の遊ぶこゑ明るく聞こゆひとりの炬燵に
冬籠る気分変へむとこの朝は街に出で行き買物たのしむ
在りし日はおでんの大根喜びし思ひつつけふは二人分煮込む
リハビリの散歩は老いの身に付きて風さむきけふも休まず歩く
この春は小学生になる曽孫直樹の制服誂へに連れだつ喜び
くらし
生みの子なき吾に三人の曽孫どちなつき呉るるは今の仕合せ
この峡に週に二度来る市民バスのおかげに老いの生活うるほふ
☆
東京 穂 積 千 代 ゆつくりと吾を追ひ抜く若者の駅の階段一段抜かし
ながく手を振りゐる我に気付く娘の似た顔ふたつ笑みて近づく
煽られて自転車倒るる道駈ける春一番なら許してやらう
茨城 吉 田 綾 子
大霜に凍て付く松の摘葉する庭師は手袋にホカロン貼りて
駐車場を覆う椿の剪られゆき樹形の変化に土鳩逃げ去る
大檜の剪定作業はユニックで庭師は樹形を整え動く
横浜市中区 横浜三塔・クイーンの塔
18
四 月 集
十坪のジャングルなせるキウイの棚庭師の手が入り空のみえたり
順序よく整枝されゆく庭の樹にまつわる思いの湧きくる夕べ
紹興酒の空き甕ありて剪られたる梅の徒長枝を拾い来て挿す
幼き日子らが植えたる庭の木の胡桃も栃も逞しく立つ
小四の娘の洗濯物を干すハンガーすでに大人のサイズ
身体の声 栃木 高 松 美智子
CDより流れる囀り聴きながらリラックスヨガの講座が始まる
吐く息に伸ばす大腿二頭筋右足つけ根の違和感強し
ストレッチひとつひとつを丁寧に試せば聞こえる身体の声が
老廃物を流すイメージに呼吸せよと講師につきて長く息吐く
仙骨の位置を意識し足組めど身体の芯が前後に揺れる
文字を書くわが指先は儘ならぬいらざる力が肩に入りいる
手折りたる梅の一枝を瓶に差すハサミひとつも入れざるままに
長生きのコツのひとつと思いたり些細なことにも手を合わす人
☆
栃木 髙 橋 説 子 大寒のわが生日に雪の一首をメモして始まる新しき一年
四十分遅れてゐますとアナウンスありて混みゆく雪の日のホーム
きさらぎといふ美しき響きさへ吹き散らすけふの風の厳しさ
かき餅の黴の生えたる幾つかを揚げて醤油をじゆつと垂らしぬ
三百円均一ショップに優れものありてワクワクと二つを選りぬ
19
勢ひよく鳥は飛び来て細枝と共に上下すトランポリンのやうに
母逝きし齢まで四半世紀あり一万首めざし精進しようか
胃腸炎ぎつくり腰に風邪歯痛治りて立春また歩き出す
桜エビのパスタに緑のアスパラを散らして夫と立春ランチ
☆
茨城 関 口 正 子 どきどきとする胸押さへ挑戦す初の飛びこみスタート練習
背浮きしてプールの天窓見てをれば雲なき空に白き半月
年明けて日脚がややに伸びたりとジムより帰る夕映えの道
手作りの干支の壁掛けいただきぬ押絵の猿はぽつちやりとして
アルカリ度強き出湯に浸かりゐる身はぬめぬめと鰻のやうな
二年ぶりに来れる友と語りあふ持参の弁当頬ばりながら
四日目に黒星二つの稀勢の里「ガオッ!」と吠えて花道を去る
成人の日を祝ふがに開きたる紅梅白梅すがしくにほふ
祖父の開業の話 東京 河 津 和 子
八日毎「市」の立ちたる人通り多き所に祖父開業す
人力車で山越え遠き往診の時もありたる祖父の日常
診療と往診終えて真夜中の手術になるは常の事にて
軍医より帰還したる祖父が再建せし医院は掘建て小屋から始む
数えれば八LDK夫らの育ちたる家は築七十年
見廻せば部屋部屋温もり残りいて住みし家族の荷物溢るる
20
四 月 集
定めいたる終の住処には大きかり巣作りしたる野鳥も去りて
マンションの並び立つ中の古き家買い手はあまた心を決めん
☆
千葉 石 田 里 美 百歳の夫送りしと便り来し友が寝つくと家人知らせ来る
戸を引けば雨はあがりてリビングに朝の陽入りて今日が始まる
物忘れ増えてきたりと愚痴言へば歌を励めと机がとどく
在りし日の夫偲びつつ節分の今宵好みし赤飯を炊く
杖つきてときにはよろめき歩むともひとりの通院出来るよろこび
埼玉 本 山 恵 子
雪を積む日光連山遠く見て利根川を越え渡良瀬川に来つ
谷中湖に掛かる標識へーと見る四つの県の交わる処
目の前に広がる渡良瀬遊水地冷たき風も心地よきかな
招かれて来たる知人宅一歩入れば薪ストーブの優しい暖かさ
冬空に低音響かせ飛行機は等間隔に三機行くなり
戦争に行く機でなくば美しいと見上げておりぬ見えなくなるまで
メッセージはスマホデビュー促すもガラケー愛する吾は無視する
長崎 福 士 香芽子 押し花はもう止めようと思へども美しきを見ればつい手がのびる
押し花を厚紙にはりカレンダーの大いなる絵を裏打ちとせる
肥前に来て初めて五センチばかり降り雪は一日で消えてしまへり
21
雪降れば雪国生れの盲ひ夫は我が意得たりと雪掻きしたりき
平らかに保つ命や食べては寝起きては食べる日日にして
「人生は人は年を取つても老いない。夢を無くした時に老ゆ」とぞ
☆
プランターにヒヤシンスの花芽がのぞきゐるああそこまで春は来てゐる
三階の南西角の吾が部屋は陽当りよけれど海風冷たし
栃木 早乙女 イ チ
寒風の過ぎる会館西通り眼科帰りに庭園覗く
会館の庭園に咲く紅梅の爽やかな花日に映えており
紅梅の花香る中庭園をゆっくり歩く心地好い昼
築山の落ち葉すっかり掃除され大木の根方さっぱりとせり
高高と小鳥飛び交い築山の大木渡る賑やかな声
☆
埼玉 倉 浪 ゆ み 新しき下着を枕もとにおき迎へし昭和の正月なつかし
亡き父母の縁となりし聖戦歌集いろあせて今も我の手にあり
金婚の一月五日の寿ぎにはなたば抱へて妹らが来る
従姉妹会笑ひさざめき盛り上がる最年長なり古希すぎた我は
大き声を出したい思ひ押さへつつ風にさからひ川辺を歩む
やじり
幼な児のたどたどしくも愛らしく待合室に絵本よむ声
如月の空すみわたり園庭の白蓮のつぼみは鏃のごとし
東京 林 美智子
22
四 月 集
か らい
冬雷の表紙絵浅間の空の青 絵具の起伏に思わず触れる
春一番の強き日差しと強き風枝垂れ紅梅の揺れつつふふむ
昨秋の畑仕事を怠れば今採れるものノラボウ少々
遅植えのカリフラワーが葉の間より五センチ程の花蕾覗かす
菜園にて大根三本頂きて葉を切り土に埋めよと教わる
地面より半分身を出し太りたる大根ザクザクかじれば甘し
久々に母の歌集読み省みる短歌などせぬと常言いし我
夕空に網目のように広がりてヤマアララギの春を待つ力
高知 松 中 賀 代
暖かき冬日つづけば知らぬ間につぼみ膨らむ庭の紅梅
七草は良心市で売られおり農家の主婦も求めておりぬ
半日が精一杯と言いながら今日も一日を畑で過ごす
雉鳩のくぐもれる声絶え間なく森の奥より明け方とどく
山道を息を弾ませ登り行く今日の目安は一万歩なり
難病と闘う友と知りてより吾が悩みなど口には出せぬ
身に覚えなきメール着く「ああこれが」詐欺の手先か指が震える
東京 佐 藤 初 雄
外来の花鮮やかに咲く庭を垣間見て行く通院の路
幹太く秀つ枝は蒼き空に入り銀杏並木は黄葉散り尽きぬ
鉢植えの挿し木の椿それぞれに蕾抱える庭の賑わい
☆
☆
23
子ら孫ら遠く住む身は幸せの便り何処ぞと福豆を撒く
日の当たる片側選び通院す寒気の季節と早も移りて
プレハブの古き我が家の屋根と壁修理が済めば身も安らぎぬ
四粁の散歩の路を駆け足の心地の良さは夢が覚めても
拡大鏡を頼りて日々読む新聞は我れの関心深き記事のみ
テレビ画面の文字読み難き近頃は各種の眼鏡役立たずなり
群馬 山 本 三 男
職場での苦しき夢に覚むる床もう働かぬわが身確かむ
棒読みの少女のセリフ悲しくて「野菊の墓」に涙を流す
自販機で飲み物を買う老人の孤りの姿遠くより見る
裸木に蓑虫の蓑下がれるを余裕を持ちて眺めいる午後
日一日日の出時刻の早くなる一月末の光明るし
ここにまたムクドリの群居るらしく車降りても鳴き声を聞く
パソコンを処分するため分解すわれはかつての技術者となり
金ノコで鉄を切りたり予想より苦しかれど切り終りたり
この頃はレンタル店にも出入りして昔の映画を観たりしている
東京 永 光 徳 子
冬枯れの彩りの無き田園を赤きラインの電車が走る
山間の小さな駅の待合室古き模様の小座布団あり
空っ風桜の落ち葉巻き上げて人は急ぎて駅舎に入りぬ
☆
☆
24
四 月 集
雪の中のどこから来たか鳥の群山梔子の実を競い啄む
落ち葉より黄の花一つ覗かせる立春の朝福寿草見ゆ
カーブスで孫の様なるコーチより励まされつつ筋トレをする
奈良 片 本 はじめ 冬布団今年も買へず炬燵にて寝起きすれども何不自由なし
病貧に妻子と別れ借金と酒に溺れし過去われにあり
ゴミ出しの夜に橋の上で道問はれ子連れの女を駅まで連れ行く
ゆう こ
心病む君吾のために林檎剥く初めてのこと甘くて旨し
心病む君は自分を裕子と言ふ善しも悪しくも幼子のごと
暮れゆけど西の山の端明るめり向かうは大阪平野のネオン街
冬陽射すチャペルの中は暖かし賛美歌流れしばしまどろむ
貧しさに今朝も礼拝休みたりとても歩いて行ける距離でなし
カナダ ブレイクあずさ
年開けてたどる家路は霧深く先は見えねど空に星あり
先走るフルートなだめて連れ戻す常より遅めのリタルダンドで
早春の偏西風に揺れ動く長き三つ編みほどいてみたり
降り止まぬ雨の町から国境の向こうの山の輝きを見る
早口に母語の北京語話す友わたしの知らないトーンの声で
漆黒の庭を見つめる猫は背にひそかに力蓄えており
完璧な円重ねたるイーグルは二月の青の一部となりぬ
☆
(☆印は新仮名遣い希望者です)
25
どしや振りの雨でも飽きぬ工夫あり人
冨田眞紀恵
二月号作品一評
ての子育てなのでしょうか、私もこの歳
どの様な経緯を経てこの様な状態に
なったのかは分かりませんが、多分初め
子をそのままに若き母行く 野村灑子
ろいまだ台所に立たれるとは、立派な事
時代からとも考えられるが、いずれにし
達成感の喜びが結句によく出ている一
首、結句が上手くおさまっている。
下りる顔の輝き 飯塚澄子
階段を祖母と一緒に上りきり手を繋ぎ
気パークの見えなき努力 中村晴美
確かにそうだと思うが、そこが又経営者
工夫されていると、作者は言う、それは
人々が楽しむ人気パークそこには、季
節、天候に関係なく人々が楽しめる様に
になって子育ての頃に後悔する事もあり
指先の動き鈍れど包丁をゆるり動かし
ます。
もの刻みゆく 田中しげ子
童謡は幼き頃を思ひ出す自然に動く両 八十年前より使ひし擂粉木は短くなり
の足先 小川照子 ても未だ現役 同
音楽にも色々なジャンルがあるが、こ 作者は何歳位の方でしょう。二首目に
の 一 首 は 童 謡 を 聞 い た 時 の も の で あ る。 は「八十年前」とありますが、姑さんの
私にも経験がある、知らないうちに体を
としては辛い事の一つでもあろう。
揺らしている事があり、心の奥底にある
が良いと言われます。体に気をつけて頑
痛み止めの薬効きしか腕軽く風吹き通
張って下さい。
です。少しずつでも体を動かしている方
思う事がある。
小さい時の思い出が蠢いているのかなと
下句に作者の腕の痛みから開放された
喜びが上手く表現されている。
ぬれ落葉とはよく言ったもの雨上がり
色のよき落ち葉を手帳に挟みこみ明日
る心地す今朝は 有泉泰子
石蕗の葉にたまりたる朝露を硯に採り
の朝の掃除に一苦労する 大川澄枝
会う友との話の種に 髙橋燿子
☆
て賀状書き継ぐ 田端五百子
ぬれ落葉を掃くのは一苦労ですね、昔
☆
友の訃報聞きたる朝に葉の露を硯に取
下句は「明日会う友と逝く秋おしまむ」
としてみたい。そうすると、三句目は、「挟
の歌に上手く使い分けてあるな、と感心
みが出来たからでしょうかね。
かなくなったのは、ゴルフ等、他の楽し
とかだと記憶があります。今はあまり聞
会う友と逝く秋おしまむ
いかがでしょうか。
色のよき落ち葉を手帳に挟みこみ明日
みこみ」かな。
しました。
主人の事を「ぬれ落葉」と言った事があ
りて弔辞書きたり 同
露 の 歌 を 詠 ん で「 朝 露 」 と「 葉 の 露 」 ります。何処へ行くにも「俺も連れて行
と使い分けて、喜びと悲しみのそれぞれ け」と言ったとか言わなかった事だった
口もとをへの字に曲げて泣きじやくる
26
二月号作品一評
嶋田 正之
た事を証明する場所でもある。
界でも重要な存在で、太古の昔海で有っ
師の忍耐と苦労を知りぬ 荒木隆一
くだをまく患者に耐へて笑顔する看護
喜寿の夫君の元気な姿には感服ですが
ご存知の様に柿の木は非常にもろい木で
度経済成長と共に若者を中心の西洋文化
ではない等のキャッチフレーズに乗り高
マイナンバーが導入されて日が浅いが
その管理には皆さんご苦労をされている
怖れのありて入れ物捜す 飯塚澄子
マイナンバー仕舞ひ無くすか紛れるか
は色々な人がおるが、褒めたり宥めたり
どんな職業であれ人を相手にする仕事
には、理不尽なこともあるが、世の中に
☆
ジャズ喫茶・歌声喫茶と若き日の話は
ずみて祖父は生き生き 河津和子
すから折れたら大変な事になります。
を盛んに吸収しようとした時代だった。
☆
背伸びしても手の届かねば木に登り柿
それにしても今年は豊作だった様で、柿
石蕗の葉にたまりたる朝露を硯に採り
来ないと嘆く歌です。適度の寒さと太陽
し賀状を頂いた人の心にも伝わるものが
舞う現在にあって手書きは貴重なことだ
えがあるが、パソコンで賀状を作って仕
籍に入られた方への供養なのだろう。
亡き母への想いがひしひしと伝わって
くる。こうして想い続けることこそが鬼
ある母のセーター 酒向陸江
残り香をせめて一冬纏いたし虫喰い穴
に取り扱いには危険が同居する。
こんな便利なものはないだろうが、同時
様だ。行政を司る立場の人から考えると
叱ったりの仕事とはご苦労なことである。
を詠まれる歌を多く見掛けました。
て賀状書き継ぐ 田端五百子
ご祖父の年齢は存知あげないが昭和一
桁かその近辺の方かと思う。もはや戦後
この冬の干柿作りは失敗と嘆き合ふ声
昔よく七夕飾りの短冊に願い事を書く
ときに里芋の葉の朝露を集めて書いた覚
を捥ぎとる喜寿の夫は 吉田綾子
彼方此方で聞く 有泉泰子
と風が上手くマッチしてこそ出来るのが
有るだろう。出来たら見習いたい。
これも柿の歌ですが、こちらは暖冬の
影響で干し柿が上手く出来ない、全く出
自然の食品なのでしょう。自然の力は偉
渋柿を一寸つついて甘くして小鳥も利
☆
☆
大ですね。
曖昧も模糊も容れざる冬の朝富士の頂
くっきりと見ゆ 高松美智子
口餌に困らず 沼尻 操
野に生息する全ての動物は毎日如何に
食料にありつくかに命をかけているのだ
訪ねたる博物館の案内人太古の長瀞は
☆
ろうが、それにしてもこうした、知恵は
海だったと言う 永田夫佐
長瀞は埼玉県の秩父を流れる荒川の上
流に在り長瀞は字の如く深い水深のため
どう伝承されて行くのだろうかと感心する。 富士を見つけた時は得をした気分になる。
冬の富士は空気が澄み切っていればい
る ほ ど く っ き り と 美 し く 見 え る。 完 璧 な
にゆったりした瀞場である。地質学の世
27
作品一
☆
埼玉 栗 原 サ ヨ 病室の変り変りて四回目リハビリ病棟に移り来りぬ
リハビリは毎日つづき手と足の上げおろし等きついがつづくる
手すりに片手つかまり杖を手に十メートルは何とか歩く
毎日があつといふ間に過ぎてゆくリハビリ棟は活気あふるる
栃木 高 松 ヒ サ
歩行器に助けられてる毎日を夏の来る迄に卒業したい
半年の歩行リハビリ甲斐あって徐々に効果の上がりて嬉し
白髪にパーマをかけて少しでも若さ保たん米寿なれども
芹摘みに通った道も懐かしくセンター行きのバスにゆられて
隔日にセンターの友等と顔合せ朝の体操早速始まる
隠れたる太陽雲の合間より時々覗く薄れ日寒い
横浜市中区 横浜三塔・ジャックの塔
籾殻の燃えてる中に甘藷入れ待ってた幼い頃を思いぬ 東京 大 塚 亮 子
牛久駅より乗る循環バス「かつぱ号」友の団地を巡りくれたり
手入れなどせぬと言ひたる友の庭ゆず金柑の色付きてをり
濃く実る金柑含めば口中に甘酸つぱさの弾けて香る
風折れの水仙褪せずに香れるを剪りてバケツに水揚げをする
28
作 品 一
散り積もる落ち葉の下に蕗の薹あまた芽吹きぬ春の色して
友と摘みたる篭山盛りの蕗の薹牛久の土産と包みくれたり
☆
認知症を案ずる友に「物忘れ私もひどくなりました」と笑ひ飛ばしぬ
蕗の薹の天ぷらつまみに酌む夫ふる里の八海山わたしも相伴
坂東三十三観音巡礼 東京 酒 向 陸 江
観音様仁王様とも運慶作杉本寺の縁起に畏む
古きふるき苔むす石段通させず若き僧侶が丁寧に水撒く
金目川のほとりに冬の陽さんさんと富士の全き姿を仰ぐ
澄み通る水豊かなる金目川翡翠の飛び錦鯉泳ぐ
昔庶民の絵文字の経の難解なる逆さの釜の絵摩訶と読ませる
冬の日の沈むは早く丹沢の連なる山際茜に染まる
初めての般若心経観音経唱えて巡れば心楽しき
岩手 田 端 五百子 胸高のさらし鉢巻き生徒らが景気付けにと仮設に枹ふる
一張りの和だこが冬空しめてゐて正月の空晴れて雲なし
「つや姫」といふブランド米ぞと言ふ娘湯気もろともに仏器に盛りぬ
トックリのセーターに首を仕舞ひ込みしばれる参道のぼり来たれり
宮大工の使ふカンナの削り屑かざせば薄く陽の透きて見ゆ
氷点下に下帯姿の男衆みそぎと海へ突進しゆく
縦縞の天気図列島しめあげて人ら寒波に朝々ふるふ
29
三尺余の父の土産の市松人形われの八十年片へでみつむ
☆
山梨 有 泉 泰 子 突然にマイナス七度の寒さなり河原のたんぽぽどうしてをらむ
ベランダに衣類干す手の悴みぬ子どもの頃の手指の感触
新報に君の歌載らず幾週か松の明けたる今日訃報入る
君の歌ユーモアありて明るくて前へと前へと力のありぬ
金曜日君の歌なき新報にふつくら笑顔甦り来る
雪予報に躊躇ふ夫の背を押して「あずさ」に乗れば青空のぞく
東京は青空広がり暖かし佳き日とならむ甥の結婚式
幼き日我が家で過ごしたる甥の面影のこる今日の花婿
歩く 東京 永 田 夫 佐
触れてみて見た目と違う感触に改めて見る盛る蠟梅
蠟梅に盛りのすぎゆく季早くエルニーニョとは人をも惑わす
富士の雪ただ荘厳と称えつつ今日降る雪を掻き散らしいつ
変りゆく時の流れに中高の一貫校になりたる母校
半世紀余り過ぎたる武蔵野の母校の辺り林はビルに
放課後のバドミントンに興じいしあの頃の桜は大樹となれり
年賀状今年で止めると書き来たり長の無沙汰を心で詫びる
届けたる母の遺ししシンビジューム義姉の賀状に満開とあり
愛知 小 島 みよ子 30
作 品 一
娘や孫に助けられつつ迎へたり四十九日の法要の朝
心に響く僧の読経にしみじみと夫安らかにと思ひ聴き入る
四十九日の法要に集ふはらからと在りし日の夫想ひつつ語る
これからは身体いとひてゆつくりと日日過ごさむと語り合ひたり
忌明け済み夫の写真の前に坐しほほゑむ写真静かに見守る
夜半の雪掻き寄せをればさらさらとたやすく寄りてほつと息する
雪止みて昼日輝く午後の道散歩に出でて気分さはやか
すつきりと雪の消えたる此の朝は洗濯物の軽く揺れをり
愛知 山 田 和 子
六センチの積雪に交通は大混乱長蛇の列の傘が犇く
鴉の群れは今日は何処へ行ったやら一羽が枯木で「カア」と一声
長靴でゴミ袋さげ外に出る誰がしたのか雪掻きは済む
おだやかな川面に鴨が群がりて寒空の下ふっくらと浮く
腱鞘炎にならずに済むという弾き方を教えてくるる七十の手習い
☆
千葉 涌 井 つや子 被災地をわが責のごと巡りたる両陛下の優しさに又涙ぐみをり
春一番吹くといふ予報聞きしより今日か明日かと首長くして待つ
草花の花色愛でたりけふも又少し早めのカトレアを見る
東京 荒 木 隆 一 冬陽射し背中に浴びて七福神巡りて祈る佳き年なれと
31
書初は延命十句観音経書道教室願ひさまざまに
白内障手術後避けよ眼の酷使指示に早寝し夜を持て余す
白内障手術のあとの乙女等の顔の白さにしきりと驚く
早死をされて替りに長生きす父五十回忌苦難の人生
血糖値高血圧に痴呆症注意促す講座が続く
ぼつたくりと言ふに等しき修理代職人気質の欠片も見せず
千葉 野 村 灑 子 新人の頃の想ひ出マイナスと思はるる事も笑ひに替へぬ
日毎くる郵便物を発着簿に先づは記してハサミを入るる
その頃の上司の米寿を祝ふとて新人たりし日の仲間集ひぬ
名が瞬時浮かばねば日記には〇〇さんとのみ書き今日の分終る
工事中の駅の片隅かこはれてコーヒー店あり匂ひに寄りたり
条幅の手本届きて数日は長押に下げて目習ひしたり
一年を精進しきて筆塚に退筆の炎高く上がりぬ
退筆に上がる炎のそばに置く焼香台に頭を垂れる
埼玉 小 川 照 子 まゆ玉を見て嬉しかつたとケイタイにメールがあつたと息子は言ひぬ
正月行事も二十日の恵比寿講にて終る二十日は夫の命日にして
花持ちて子供らと夫の墓参りシベリア抑留が話題となりぬ
墓掃除は暮れに息子がしておきぬ先祖がありて我らがありぬ
32
作 品 一
屋根からの雪溶けのしづくポタポタと冬陽を浴びて光を放つ
大寒の水は何時になつても大丈夫と子はポリタンクに何個も汲みおく
寒風に向ひペダルを踏んで行くシルバー新年会に出席出来る幸せ
☆
茨城 沼 尻 操 百日紅枝を落され瘤が出来小鳥たち来て虫を啄む
東日本大震災の時しがみつきし百日紅は忘れられぬ樹
晴れた日に二日にわたり庭師十人来て剪定が綺麗に終る
栗畑の草むらの中時折に雉子鳴く声にときめきおぼゆ
朝と夕に色あひ変る筑波山アパート建ちて全容見えず
百歳でのど自慢に出て堂々と歌ふに聞き惚る吾九十二歳
五七五指を折れども歌ならずしびれる指の運動も好し
東京 大 川 澄 枝
宝くじ期待を持ちて年明けてすべてがただの紙に変わりぬ
エントツが切り落とされて銭湯の大きな屋根はただの物体
着ぶくれて二人の様は力士並両ひざポンと打ち立ち上がる
寒き日に母の着て居し羽織下羽織れば温し昭和の知恵で
年一度三人で会う友たちの自慢話は苦労話に
富山 吉 田 睦 子 今日も又雀群れ来てかしましく晴れたる初冬楽しみてをり
色々の額を眺めて若き頃刺繍に励みし日々なつかしむ
(一月二十二日)
33
初老より機械の仕事の増す農にたまの遊行を楽しみて来し
雪間より顔出す青葉を椋鳥は日々に食べゆく春遠からず
二回目のズボンの裾上げミシンにて縫ひたり外には椿の花見ゆ
スーパーを手押し車で一回り五百歩あまりで食料求む
千葉 黒 田 江美子
目前にカモメ群れ飛ぶ行徳の野鳥観察舎は明日より休館
耐震不足に野鳥観察舎三十六年の歴史閉ぢられ無期休館に
幾組も親子連れ居て賑はひぬ野鳥保護区の夕暮れ観察
三階の観察室より夕暮れの行徳湿地を一望にする
と印されたるセグロカモメロシアの繁殖地に観察さるる
望遠鏡にカハウ ダイサギ コチドリと飽かず眺める観察舎あれば
行徳に放鳥されたるセグロカモメ四千キロを渡りゐたりと
白
描かれし絵の物語知るほどに興味ましくるボッティチェリ展
天狗焼ほほ張りくだる舗装道羽団扇の風かときに吹きくる
山頂の東屋に飲むウィスキー明日は晴れとの予報聞きつつ
雪まじる小雨降りくる高尾山泥道避けて雪踏みのぼる
比企ガ谷に眠る一族弔はむ白梅に寄りて紅梅咲きをり
福島 山 口 嵩
竹林をいづれば明るき道筋に万両の実は冬を彩る
ピラカンサの朱き実すつかり啄まれ一月なればひと粒もなし
54
34
作 品 一
肖像の人物誰か判りえて自分勝手な想像めぐらす
「中立」は自党の意向に添ふことか放送法へも触手のびゆく
法律も思ふがままの解釈か表現規制の種は蒔かせず
埼玉 高 橋 燿 子
「おめでとう」薔薇の花束抱え来る友に感謝の結婚記念日
穏やかな暮らし重ねて五十年余友や家族の支えに感謝
香りつつ時かけ花びら開きゆく薔薇を見ながら余韻楽しむ
枯草の中に椋鳥群れをなし声無く啄む前にまえにと
羽と足そろえてのばす白鷺はすぐ歩き出す流れに向かいて
招福の声に合わせて菓子が降り目を輝かせ子等の手忙し
節分会この楽しみがあるからと子供が好きな住職菓子まく
兵庫 三 村 芙美代
飛行機雲走れる空へユニホームの子等の掛け声生き生き上がる
柔らかな朝のひかりに包まれて猫三匹の憩う路地裏
傍らに眠れる猫は暗闇に病みても眼の鋭く光る
畳の上の午後のひかりに疲れたる心緩ませまどろみており
足の付け根痺れ時折痛みおり現状維持も老いて危うき
綾部山梅林のポスターに病める妹残して出かけたかの日を悔やむ
水道管破裂に混乱する町を遠い昔を重ね見ていつ
華やかに花の様なるチョコレート亡き妹にひとつ買いたり
☆
☆
35
鳥取 橋 本 文 子 大寒の庭にゐるのはどんな虫針先程の穴が菜にあり
雨止みて黒ぐろ太き梅の枝きらきらの露つぼみ紅
立春のあともマイナス二桁の寒さ続くと松本の便り
床板にぺたり仮眠の夫起こす我の腰に激痛はしる
床板から立てぬ夫を起こすこともうできないと周囲に告げる
今日も又床板ねむりの夫には毛布重ねてかけておくのみ
六十代の子息の世話を九十代の母上がするお宅あるらし
東京 飯 塚 澄 子 忘れ得ぬ正月六日急性の胃腸炎なる夫の一夜を
突然の嘔吐の激し真夜までも長く続きて苦しむ夫は
吐く度に夫の身辺拭き清め明けの四時過ぎ漸く就寝
急性の嘔吐に苦しむ夫の朝起き上がれずに介助求むる
通院もせず絶食に過ごす夫流動食にて徐々に調整
年明けて卒寿迎ふる夫なれば気遣ひの日々来たるを覚悟す
バスに行く茂原の寺の苔むして古木の枝先白梅綻ぶ
東京 高 島 みい子 右膝に水がたまると医師の言ふ家の中でも杖つき歩く
転ぶなよと毎日かかる子の電話膝の痛さは口には出せぬ
大恩ある師の病を知りながら見舞ひにも行けず只祈るのみ
36
作 品 一
長生きは孤独に耐へると人は言ふが気楽七分に孤独は三分
独りでは泣けても笑ひは出来ぬと言ふ一人でも笑ふ十一階の角部屋
箒持つ小き母の背夢に見て八十過ぎても恋しさつのる
「独り居は心配だから一緒に住まう」銀河と雅羅はわれを促す
☆
東京 田 中 しげ子 早や二月節分終れば雛祭り豆撒きひひなも遠き昔に
閑居的余生送りて年の明く凡てに感謝の日々送り度し
何時見ても雲の流れは千変万化飽かずに眺むる朝のひととき
日の当たる机の角に手をのせて強張る掌に和らぎ貰ふ
赤い帽子黄色い帽子の園児達木の間隠れに動きの早し
三年ぶり娘に付き添はれカート押し緑道歩めり風強き日に
緑道は桜木残し刈られあり明るみ増せど風情無く見ゆ
着る折りなき友手作りのちやんちやんこ仕舞ひ忘れを娘の羽織る
茨城 姫 野 郁 子
夕食時の不意の停電にローソクで一時間半体も冷える
告示され二十議席に二十二人静かな村に選挙カー走る
十七年間娘の職場の服売場閉店となるお疲れ様
異動決まり二週間の休暇あると娘が伊豆に誘い呉れたり
乗物も宿泊ホテルも携帯で娘は手際良く予約する
娘の希望はおいしい料理と修善寺我は温泉と河津桜と
37
二分咲きの土手の河津桜まつり迫り露店準備の軽トラ並ぶ
☆
☆
☆
河津から修善寺へのバス満員で中国客降りれば我等二人のみ 栃木 正 田 フミヱ
新品の冬タイヤ着けゆったりと青き空の下運転をする
風呂に入る一日の終わりいい気分一瞬の心地解き放たれて
臨月の腹を撫でつつ嫁が来る買物さそわれついてゆくなり
歩けという医師の指導に臨月の嫁は歩きぬ一日五千歩
臨月の嫁と並びて散歩ゆく介護のあい間暫し楽しむ
栃木 斉 藤 トミ子
南から北の端まで真っ直ぐに空を切りゆく飛行機雲は
稔りたる稲がそのまま枯れており田植励みいし翁を思う
あと五分と言いつつ遅く起き出して飲む蜆汁胃に染み渡る
視野検査に満点なりと言わるるもドライアイにて光の眩し
優しいと友は夫君を称えいて新婚二年の面の輝く
朝日受け唐沢山は輝けり松の間に紅葉のありて
この時間此処を曲れば会える筈犬の花ちゃん伏せをしており
ぶら下がり二百数える時の間を犬の花ちゃんに見られておりぬ
冬雷を隈無く読むぞと誓いしがああどうしよう二月号届く
埼玉 江波戸 愛 子
腹痛に娘のうけたる腸検査五ミリのポリープひとつ見つかる
38
作 品 一
見せくるる娘の腸のなかの色サーモンピンクポリープまでも
ポリープの切除されたる傷口をとじるクリップふたつに見入る
ポリープの正体わかるという日なり雨傘持ちて娘出でゆく
つねになき素早い動きに受話器とり話す夫の声の明るし
ようやくに許可がおりたと嬉しげに娘の作る小松菜ジュース
六年後癌に変化をするというたった五ミリのポリープ指して
九十七年生きたるちちの引き出しに二十一枚の診察券ある
茨城 大久保 修 司
「ぢいちやんと入りたかつた」と孫娘の殺し文句を湯上りに聞く
小学校入学の孫のお祝に子供新聞の配達頼む
「卓上に置いとけ」の助言に逆らひてまた飲み忘る食前の薬
交差路にハンドル切れば対向車のライトに横断歩行者消えつ
突然に横断歩行者あらはれて急ブレーキに間一髪停車す
自信ありしが夜の運転を止めようとしみじみ思ふ高齢者われ スーパーのリサイクル品の回収箱わが自治会の活動費減らす
神奈川 関 口 正 道 手摺り伝ひ石段の中途まで下り来れば角隠しの花嫁をり舞殿の横
終はるまでガシュボムガシュボムと騒がしきMRIの音の理由を尋ぬ
吾が脳の侵さるる如くMRIの電磁波の連続音に暫し耐へをり
古書を買ひ御茶ノ水駅にて財布出し電車賃無きことに気付きぬ
39
腹這ひてパソコン操る楽しさよB5ノートの上にマウスを置きて
ニコレット噛み喉飴・緑茶も絶やさずに唇忙しければ喫煙せざり
武器輸出原則緩めらるる現実を気にする人の少なし戦場の道具
ノモンハン事件尋ねたるとき意思表示できぬと家族に断られたり
茨城 中 村 晴 美
震へくる寒き日続く長い夜は鍋やシチューに温まり寝る
陽の当たる窓辺に置ける育苗箱まづはピーマン立春に蒔く
水爆にロケット発射と隣国の核の脅威にただただ唖然
害あるとフライドポテト名指しされアクリルアミド即検索す
雪だるま小ぶりに作り皿に乗せ食卓に置き溶くるを見ゐる
大きめの地震ニュージーランドに来て震災前に似てると感ず
(田中國男氏)
神奈川 青 木 初 子
雪の降る予報に明日のОB会メールを打ちて欠席伝ふ
来年のОB会まで短くも長しとも思ふ皆高齢者
真昼間の硝子に姿を映しつつ庭を頻りに鵯飛び交ふ
日差しのび緑濃くなるブロッコリーの葉を鵯は啄みに来る
鵯は葉脈のみを残しつつ鉢のブロッコリーの葉を食べ尽くす
食欲のあらずと言ひつつ残さずに牛肉弁当父は食べをり
若き日の記憶確かな九三歳昨年食べし安納芋は初と
強き光一瞬放ち洗面所の電球はその命終へたり
40
作 品 一
東京 増 澤 幸 子 秦王朝の発掘品を見終へて兵馬俑展示のエリアにオーと声上ぐ
権力と富にあふるる始皇帝死後の君臨願望の跡
複製と知らさるるも兵馬俑異なる面ざし力強しも
背の高く立ちゐる兵馬俑膝折る兵の姿まじりぬ
兵馬俑切れ長の目の同じかと見ればきりりと空見る瞳
築きたる広大な国の都市計画水道管のみごと技は
金銀の細工の文様工芸品に酒器や壺に玉の跡あり
赤き玉貴族の墓の出土とふその輝きに豊かさを見る
アベシトトリマキ 埼玉 大 山 敏 夫
天皇は象徴にして政治的に動かず言はずしかにあらずやも
総理の任命はするが国政に関する機能を有せずとある
内閣の助言と承認を得たる後の言葉かぎりぎりのその言の葉は
政権の暴走に胸を痛めゐる天皇と思ふ言葉を聴けば
国政に関する機能を有しない天皇ながら言葉は響く
フィリピンに行きて天皇は行動す敗戦を体験せし人として
好きになつてもいいぢやないかと又おもひ天皇明仁の言葉聴きゐる
天皇は戦争はいけない悪だと言ふ心して聴けアベシトトリマキ
見た目にて信じゐし一人五〇万円をポケットに捻じ込んだと言はれゐる
(☆印は新仮名遣い希望者です)
我武者らに改憲ごりおすアベシラも憲法第一章にはふれざるらし
41
橋本徳壽歌集
『ララン草房』の背景
赤羽 佳年
本歌集は、橋本徳壽の第九歌集にあたり、
昭和三十年に刊行された歌集が戦後七十年を
経て、「青垣会」から復刊されたものである。
せており歌を理解するうえに役だっていよう。
ごとにその頃の社会背景・状況を、小文に載
第二部は、二十一年二月帰還後の三三七首
の作品をおさめている。
れ 妻 子 ら を 尋 ね あ て し 日 マライ新生記念日は二月十五日にしてわ
のぼる日に照らしださるる浪のうへただ
現地人がわれらに媚びしさま知れり米人
造船界に関わった証となっていよう。
家族や市井の人びとの生活を詠んでいるな
かでも、海・船の歌が見られるのは、戦後も
日本へ帰還
わがよはひなほいくばくか船を造りつく
り造らむかへり見はせず 念願
ただよへる海しらじらとあけきつつよみ
よふははた人かむくろか のオフィスにいまわれはをり 雑詠・一
がへるわが命を感ず 海上日出
海のうへに朝日子のぼる人の世のなべて
をさなめがあそばないよといふ声すいは
著者は明治・大正・昭和にわたり活躍し、平
たのである。三首目の歌は結句が十音だが緩
「海上日の出」は東支那海で潜水艦の魚雷
を受け大洋丸沈没。漂流のなか日の出を待っ
町のなかに避病院あり火葬場あり老の渡
型を説ききたりつつ や木造船に関する著作も多数のこした。木造
死にどころ死にどきといふもおほなれや
団
船の艫にをさなめひとり 南米エクアドルへ行く話ありき
お茶の水のひくき流れをくだりゆくごみ
淡路島詠
船の指導にあたり大正・昭和の日本木造船界
四十九年をわれは生き来ぬ
世とこの島に来し 淡路島造船労働詠
このわざにひと世はすぎむ苦しみて流線
雑詠・二
成元年一月十五日九十四才にて四代の生涯を
まず重厚なひびきを感じさせ緊張感がある。
れたる児の声はきこえず むなしくよろこびもかなしみも
終えた。当歌集は三十年度芸術院賞候補。。
古泉千樫と共に昭和二年歌誌「青垣」を創
刊するも、創刊号が千樫の追悼号になった。
この間に第一歌集『船大工』他十五冊と歌書
ある夕べ突如潜水艦の襲撃をうく、わが船
(二隻)よく防戦して、
ことなきを得たり。
に大きな功績を残した。
わが船を追ひぬきてゆく船のあぐる波の
右足の軍靴のなかに骨しろし蟻二三匹は
ところのみ追ひてことたる
歌集名の「ララン草」はススキに似た草で、
「 ラ ラ ン 草 と い ふ ス ス キ に 似 た 草 を 刈 っ て、
ありさまを観察しをり いる。 (青垣会編 現代短歌社刊 二五〇〇円)
て い る。 内 扉 に、「 羅 鸞 」 の 逆 ル ビ を 付 し て
き壁垣とした記念である。」との言葉を残し
俘虜抑留中に自らの住む掘立小屋の屋根を葺
二
・
日本名では昭南島と呼ばれていた)し軍属(大
ひまはりつつ 南方造船詠
天草島詠
佐級)として終戦まで木造船建造の任務につ
三十余年ひと筋と来し木船がおもてに立
航海をつづく
飯をかくすばかりに黒き蠅のむれも食ふ
く。敗戦後は抑留生活を経て昭和二十一年帰
本歌集は二部構成に編まれており、第一部
は昭和十七年に渡南(当時のシンガポールは
還するまでの四年間に詠んだ四〇四首が収録
ちし世にあひにけり コタバル戦跡詠
されている。
ララン草干して敷きたる夜のわれのよろ
こびは勝ちし敵知らざらむ レンガムにて
一部後半部分の「降伏前後詠」では部立て
42
ことは明らかだ。前者は万葉調を受け継ぐ
と恋情を歌っているが、感動が異質である
らも人間の根源的な感情を、死別の悲しみ
水滴のひとつひとつが月の檻レインコー
穂村弘 『シンジケート 』
トの肩を抱けば
ここに趣の全く異なる二首を挙げる。どち
はづ天に聞ゆる 斎藤茂吉『赤光』
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のか
とにより脳が叙情するのだ。
の高度な機能による。詩歌の言葉を読むこ
言葉から感情が誘発されるのは、人間の脳
共感を覚えることにより読者も叙情する。
歌の言葉より作者の感情を読者が読み取り
は何か。感情も要は脳の機能の一部なのだ。
現した詩」のことだと辞書にある。叙情と
短歌は叙情詩である。叙情詩とは、叙事
詩の対義語であり「作者の感情や情緒を表
釈であることをことわっておく。
歌の感動と脳については筆者の感覚的な解
筆者は皮膚科医であり脳科学者ではない。
て い る 心( 脳 ) の 場 所 が 異 な る と 思 っ た。
り辺りに拡散してゆくような感覚。感動し
く、理解と共に目の前上方に煌めきが起こ
うな感動ではな
体の鳴動するよ
ら立ち上がる全
る。心の奥底か
昂ぶりを象徴す
ピュアな恋心の
で い た と 解 す。
月光が映りこん
水滴それぞれに
来た恋人を抱きしめるとコートについた
で引っかかる。月光の下、雨の中を会いに
映画の場面を思わせる。まず、月の「檻」?
性はあるが、どこか現実感が希薄だ。SF
一方、後者は口語によるライトヴァース
と呼ばれた類の歌である。ナイーブで叙情
や近代の歌による感動も同種である。
現代人の心の病も減るかもしれない。
能の大脳辺縁系をもっと活性化させれば、
皮質に偏りすぎている。詩歌でさえも。本
掛かかりがあって考えるゆえに。現代は新
強く刺激される(理がまさる)ようだ。引っ
一方、ライトヴァースの歌は新皮質がより
大脳辺縁系を刺激するものなのだと思う。
ト レ ー ト で 深 い 感 動 を 生 む。 詩 歌 は 本 来、
た本能的な記憶が無意識に呼び覚まされス
に刺激し、そのため生物として本来備わっ
歌や近代の歌は旧い皮質の大脳辺縁系を特
動)をコントロールする部位である。万葉
含み、人間の感情と感情に基づく行動(情
成する。記憶の海馬、本能を司る扁桃体を
ある。旧皮質と古皮質とで大脳辺縁系を構
保全のために機能する爬虫類的な古皮質が
旧哺乳類的な旧皮質が、さらに奥には自己
の内側には本能的な行動や情動にかかわる
「心」の働きを生み出す部位でもある。そ
営む。共感や感動、理性的な判断といった
殆どを占める。大脳皮質の前頭葉は思考や
橘 美千代
み
、
』 伊古田俊夫著『脳からみた認知症』
判断、推測や抽象化といった高度な活動を
写実の作風で、声調は沈潜して厳かである。
* 参 考 文 献: 池 谷 裕 二 監 修 『脳 と 心 の し く
㈠
森羅万象に通じる天の摂理を内包しており
脳は大まかに大脳、小脳、脳幹から成る。
大脳の一番外側が大脳皮質で、人間らしさ
身体感覚を歌う
深 い。 心 の 奥 底 か ら 鳴 動 す る よ う な 深 く、
を型づくる新哺乳類的な進化した新皮質が
叙 情 す る 脳 どこか懐かしい感動を覚えた。万葉集の歌
43
田中國男
悼む
さんを
田中國男さんを偲んで
知らせを頂き、やはりあの時、会いに来てくれたのだという確信に
変わりました。
田中さんとの出会いは、田中さんが細田先生の「俳句の会」の会
と間違えて、冬雷に入会したことから始まります。私たちは、冬雷
の中に「あひる短歌会」としてグループ活動をして細田先生、木島
先生のご指導を受けていましたが、田中さんは、その指導はともか
くは平野さん、長谷川 豪さんなどの飲み仲間を見つけ、「あひる
短歌会」の常連となってきました。東陽町の町会会館が「あひる短
歌会」の例会場所であり、また東陽町にあった川又宅が例会会場に
なることもありました。度々、医者に行くを口実に私の家で、一杯
ひっかけるのが楽しみのようでした。そこで、何でもない話をして
帰るのが楽しいようで、いつしか私の家は「居酒屋・幸ちゃん」と
も言われるようになりました。「あひる」は結構厳しい短歌会で家
族の死亡以外の欠席は認められませんでした。そんな中で、皆さん
わいわい集まり話し合っている雰囲気が好きだったのでしょうか。
「あんた達、そんなに良く喋るな」と驚いていました。
非常に綺麗なお顔をされて挨拶に来られました。丁度、私が二度
目の入院をする直前の十一月二十四日頃の気がいたします。まさし
こんなことを言うのも変ですが、田中さんが亡くなる前に実は、
挨拶に来られました。
田中さんという方は「才」のある方でしたから、その様な人間関係
な連帯とも言うような、短歌を通じた繋がりであったと思います。
娘さんは「お父さんは、先生のことが好きなのよ」と言っていまし
川又 幸子
く夢であったのでしょうが、やはり田中さんの病状のことが気にか
も上手に作ってくれたのでしょうね。
齢も取り、お互いに耳が聞こえなくなると「聾者同士の会話」の
ようで、落語の世界のように―勝手に話していました。田中さんの
かり、家に来られていた高田さんに「國ちゃんが来たのよ」と話し、
田中さんは多作で、推敲をしません。多作自体が推敲なんだと木
島先生も認めておられ、皆さんには辞書を引けと厳しく指導されて
たが、これは男と女、恋愛感情というより、「同好の士」の緩やか
安否を気遣ったものでした。その後、十二月を過ぎた頃に、田中さ
んのご家族から「家族の見守る中、安らかに亡くなった」というお
44
た私共は、「あひる短歌会」として四十九日に「供花」させてもらい、
田中家からは、密葬ということで葬儀を終えてから通知頂きまし
た。家族でのお見送りを大事にしたかったのでしょう。お世話になっ
くて良いと、容認されて居られました。知識も豊富だったんですね。
いた先生も、田中さんと長谷川豪さんのお二人だけは辞書を引かな
いつもにこにこしてやさしそうだった田中さん。私の出会った田
中さんは厳しく苦しい日々を生き抜いてこられた後だった。やさし
事をされてきたんだなあ、と改めて田中さんの大きさを思う。
代の素晴らしい活躍が想像される。空にも山にも海にも関わるお仕
兵役を経て終戦後は、常盤炭田高萩炭坑に入社、全石炭労働組合委
を開く。平成四年刊行とあり、略歴には、立川飛行機学校に入学、
(昭和六十三年)
七十になるのですよと妻のいふ戸籍の上ではさうかも知れぬ い。
田中さんと会話しているような不思議な感じになり、とても懐かし
を言わせて頂いた。読んでいるうちにどんどん言葉が浮かんできて
く見守って下さって有難う御座いましたって歌集を読みながらお礼
員長などを努めた後、石川島造船所に入社されたと記され、現役時
ささやかですが気持ちを伝えることができました。
田中國男さま、本当に冬雷・「あひる」とのお付き合いありがと
うございました。 合掌
温かさと明るさと 歌集の中の一首。元気すぎて万年青年のような夫をたしなめる妻
に返す歌だろう。九十を過ぎてもこの気持ちは変わらなかったので
枝川から潮見、勝浦とだんだん遠くに行かれて、そしてもう本当
に届かない所に行ってしまった田中さん。思いはいっぱいあるのだ
疑問であるが近づくことは出来るかも知れぬ」という一節がある。
た病ひに臥したら短歌三昧に過せるだらうか。はたしてどうだらう。
小林 芳枝
が、何度も書き始めては消して言葉がなかなか出てこない。
編集長にお聞きしている。凄い方だったんだなあ、と空を仰ぐ。
はないだろうか。歌集のあとがきに「私も死と必ず対ひ合ふ切羽詰っ
目を閉じていると浮かんでくるのは笑顔といつもの明るい大きな
声ばかり、例会の途中で田中さんが入って来ると会場に緩やかな空
木島先生と冬雷の仲間のこと話しているかなあ。
最後まで健筆を揮い、亡くなられた後の分まで原稿が届いていたと
気が流れて、大きな声と笑顔は私たちをいつも応援してくださって
いるようで力強く感じられたものだった。
お別れもお礼もお伝えできなかったので、手元の歌集『老兵の歌』
45
田中國男さんを悼む
赤羽 佳年
とがき」に歌集の命名は、歌友長谷川豪君です。と明かしている。
後年脚を悪くされてからは、車椅子に歌会にも出席されて、われ
われを励まして下さった。また「冬雷大会」や「月例歌会」では、
たびたび朗吟を高々と詠いあげ見事なものであった。
とにかく酒が好き、旅が好きな田中さんが印象として残っている。
亭々と杉の木立は八百年の樹齢を満たす高野の並木 篇『老兵の歌』
冬雷叢書第
奥多摩の古き酒蔵おとづれて巡りながらの利き酒に酔ふ
私 に 田 中 國 男 さ ん の 名 が 印 象 づ け ら れ た の は、 昭 和 五 十 七 年 の
「冬雷」誌九月号に載った、「町田探訪」五首の作品であった。私も
四十年代に町田に住むようになって、徒歩にても行ける範囲なので、
酔ひ臥して妻の小言をみ仏の声とききつつ深く寝入りぬ 篇「歳月」
冬雷選集第
『老兵の歌』「歳月」をはじめ合同歌集『あひるの歌』『江東短歌』
等に多くの歌を発表された。略歴や人となりは、冬雷選集第 篇「歳
年7月号)の川又幸子氏の賛辞「歳月」によせて」に
30
老兵とみづから言ひて憚らず歌集を多くを遺して逝けり
本町田縄文住居跡に立ちし國男想ひて風のなかに来つ
昭和五十七年田中國男が詠みませる縄文住居跡に立てれば冬日
ここに五首を田中國男さん追悼の歌とし、御冥福を祈りたい。
月」(平成
既に傘寿近くなっていたかも知れない。
天王さながらと言えましょう。
いま天上では御崎光一・長谷川豪・平野元(木島秀夫)氏の三羽
烏と共に木島先生を囲み、和気藹藹と飲んで居ることでしょう。四
元さんとワンカップ手に塩屋崎の沖の荒波黙し見てをり
30
詳しい。
このあと田中さんに見えるのは十数年後のことになる。私が怠け
ていた歌会に、漸く出席するようになってからであり、田中さんは
海たりし住居遺跡のまな下は町田の街のビル建ち並ぶ
五千年前の人らと語るごと復原なれる家なかにをり
の二首を抄出すると、
この縄文住居跡は度々訪れたことがあり印象に残った。左に五首中
71
後に『老兵の歌』を編んでこの地を詠んだ同年作の二首も遺して
いる。
復原の縄文人の家に入り縄文人のごとく坐りぬ
恩田川へ下水となりて流れ落つ古代の暮らし支へ来し水
老兵を標榜して憚らなかった田中さんであるが、『老兵の歌』の「あ
14
46
國男見し竪穴住居は建替へて萱あたらしく古代のすがた
直土にたてる柱に萱葺きて明かりとりなき古人のいへ 年1月 日)
老兵 田中国男氏逝く
と思った。嘗ては軍事に精通熟達した軍人兵士を指した語だが、敗
戦国日本を統治したマッカーサー元帥が離日の時、「老兵は死なず、
ただ消え去るのみ」の言葉を述べて帰国した。何れにしても世事に
闌け思うまま強い意志を貫いて生きた人の自負心の表れであるもの
と認識する。そう考えると、甚だ田中さんに相応しい歌集名でもあ
る。ちなみに歌集名は歌友の長谷川豪氏であったらしい。
この歌集に木島茂夫先生が素晴らしい序文を書かれている。
田中さんの人物像を追想させる愉快な文章に加え、先生の言葉の
端々には指導的指針があり、この歌集を存じない冬雷の今の人々の
心にも伝わるものがある筈だろうから、紙幅を省みず全文を記して
紹介させて頂くことにした。
『某日、田中国男来り、今度歌集を出すから序文を書けと言ふ。
筆者にとって彼は歌(歌は自分で作れる。)より必要な吞み友
達である。断るわけにはいかない。よしよしと応へ歌集原稿を
前は?」と訊いてしまったら笑顔を綻ばしながら「アチシは田中国
を存じないのでつい風貌の親しさから「失礼ですがお父さんのお名
トイレを出ても「冬雷には珍しく正統派だね」と言われた。お名前
を足しながら隣りから「いい歌作るね」と呟く様に声をかけられた。
るらしい、こんなに手廻しのよい男とは知らなかった。そのう
略歴」が添附されてゐる。長年の友と謂へども人には表裏があ
原稿の封を開いて驚いた。原稿には既に「あとがき」と「著者
ひだせないからだ。平成四年二月四日やうやく寸暇を得、歌集
ところ記憶力の減退で、その日が去年か今年か、どうしても想
預かり冷酒を吞ませて帰した。始めに某日と書いたのは、この
男と言う趣味の多い大酒飲みです」と名乗られ、以後ずっと親しく
筆者自身を省みるに、五十年前は少しは名の知られた歌人で
少しもをかしくはないのである。
てよ、果してをかしな歌集名であらうか、よく考へてみると、
へ「老兵の歌」といふをかしな歌集名まで付けられてある。待
持ってお父さんで通した。
接して下さり私も田中さんと一度もお呼びすることなく、親しみを
私が初めて田中さんにお目に掛かつたのは、入会間のない頃の冬
雷月例歌会であつた。会場の芭蕉記念館での休憩時間にトイレで用
好々爺の風格であった。
を 合 わ せ て も 温 厚 そ の も の の 穏 や か な 笑 顔 で、 絵 に 描 い た よ う な
二十九日」享年九十七歳であられた。田中さんは、いつも何処で顔
冬 雷 の 長 老 的 存 在 と し て 長 ら く 活 躍 さ れ、 い ろ い ろ お 世 話 に
預 か っ た 田 中 国 男 さ ん が 遂 に 他 界 さ れ た。「 平 成 二 十 七 年 十 一 月
水谷慶一朗
合掌(平成
18
田中さんは平成四年に歌集『老兵の歌』を冬雷叢書第七十篇に推
奨されて上梓。私も一冊頂戴したが今時「老兵」の意味は何だろう
47
28
あった。現在はどうであらう、
既に歌界にあっては老兵にすぎぬ。
戻ってみるのも、何かの上で発見があるかもしれない。
いが、互いにもう若くはない。もう一度多作から原点の推敲に
末筆になったが、此処で著者に相談がある。多作を否定しな
月々の投稿歌を規則通り、月一回十首に限定してみよ。月に
老兵が、「老兵の歌」の序文を書く、すこしもをかしいことなど
無いのであった。「あとがき」を読むと、「一万首の中から三百
「老
十八首を自選す」とある。此処まで来れば、著者にとって、
二回も三回も投稿されるとどれが本物かわからなくなり選者側
篇に
推奨し、広くより、著者へ激励のお言葉をお待ち申し上げる。
にも不手際が起こらぬとも限らない。本書を冬雷叢書第
兵の歌」は最も切実は日本語として絶対であると識る。
平成四年北方領土の日 大蒜荘主人 木島 茂夫 歌集の紹介として、例に依り一巻から二十首を左記に抄出し
た。縁あって一冊を手にされた読者と改めて一緒に読み返した
れも人真似ではなく、作者自身のうたであるのがよい。特に天
皇へのうたは老兵の名残の作として敬意を表す。
者へのサービスである。序文に紹介しなかったうたを読者が多
選ばなかった中に佳品は幾らでもあるといふことだ。これは読
のである。
作品から厳選したと言う、田中さんの尋常でない凄まじさが窺える
倒される」と謂わしめた歌集「老兵の歌」三百十八首を一万首の自
選歌の仕方は各年度から必ず一首は選んである。結果的には
く選出すれば、是また著者の歓び最高とならう。
私が社命で大阪に戻ると決まった時、思いがけず田中さんから電
話をいただいた。川又さんと相談して送別会をするから晴海ホテル
となっては、既に老耄であり、これだけの首数を一巻に圧縮す
る。まだ若かったから「多作よりの出発」を実践したのだ。今
の昭和三十七年から四十五年まで九年間に合計約五千五百首あ
内の第五歌集は未出版である。此の期間の発表歌は、冬雷創刊
筆者には第一歌集から第六歌集まで六篇の歌集があるがその
推敲より純粋である」に尽きる。
りの出発」がある。趣旨は、「多作は推敲の変形であるむしろ
今頃、黄泉の国で「遅かったじゃねえか、先ずは一杯だ」と木島
先生の差し出すワンカップ冷酒を受けて恐縮している顔が想い浮か
まった。
東 京 五 輪 の テ レ ビ 観 戦 を 夢 み て お ら れ た が、 も は や 儚 く な っ て し
くの知己を得、短歌交流を温かくして戴いた。田中さんは四年先の
見えた。東京在勤十二年であったが、冬雷に入会以来五年の間に多
論、田中さん川又さんの他に近藤さん山崎さん茂木さんらのお顔が
坐って居られて驚き入りました。今よく言うサプライズである。勿
に来るようにとの事で伺うと、レストラン中央に木島先生ご夫妻が
される。
る躰力と暇がない。それにつけても著者の今回の壮挙には圧倒
昔になるが、歌誌「現実短歌」に筆者の書いた作文に「多作よ
著者は多作者である。このことにも敬意を表す。五十余年の
この様に木島先生は懇切な序文を締め括られ、田中さんとの友情
と師弟の絆を明らかに示されている。木島先生に「著者の壮挙に圧
い。(ここで先生抄出の二十首が並記されるが割愛す)右いづ
71
48
ぶ。
田中さん、本当に長いご友諠を賜り有難うございました。真に感
謝申し上げます。どうか寂かに瞑目なさいますことを心から念じさ
さやかな追悼の文を捧げます。 合掌。
田中國男氏を偲んで
戦前戦中戦後と苦労を重ねて歩んでこられ、その心の軌跡は、こ
れまでの多作を含めた冬雷誌上作品や合同歌集、個人歌集の「老兵
の歌」に凝縮されているのではないだろうか。本棚には六百号と並
んで合同歌集『冬の雷霆』が置いてある。その中から心に残る田中
國男氏の作品を幾つかあげて追悼の心を籠めたい。
敗戦を終戦と記すマスコミは破壊瓦礫の現場を知らず
青春の滾る力を戦場へ帰国し職場へ全て燃やせり
ひたすらに月日重ねて歌を詠む夢を離さず生きがひなれば
老い人と云はるる吾にも好奇心遺蹟古跡を訪ね旅する
桜井美保子
田中國男様、お世話になったことを深く感謝します。私も歌を詠
む夢を離さず進みたいと思います。本当に有り難うございました。
ても短歌だけにとどまらぬ才能を持っておられた。その一つ一つの
言葉と短歌即詠、川柳、俳句、律詩が掲載されている。文芸におい
れるなんて・・・・。
えてくれました。それなのに百歳を迎えることもなく逝ってしまわ
決まった時も詠草の傍らに「オリンピックまで頑張ろう」と書き添
田中國男さんは私の中では百歳まで生きるお方だと、何時ごろか
らかそう信じて疑いませんでした。日本でのオリンピックの開催が
大塚 亮子
さ よ う な ら 田 中 國 男 さ ん 長く冬雷のためにご尽力くださった田中國男氏に心からの感謝を
申し上げたい。絶えず冬雷の発展を心にかけておられ、木島先生の
時代から、ずっと今日まで冬雷を支え続けてくださった田中國男氏。
本当になくてはならない方で、もうお目にかかれないことが悲しい。
お元気な頃、大会懇親会や新年会などで、その日の注目歌をよく通
る声で朗詠され、大いに会を盛り立て和やかな雰囲気を作ってくだ
さったことを思い出す。またさまざまな行事の際に笑顔で挨拶を述
べられたお姿が浮かんでくる。
作品からは作者である田中國男氏の温かいお人柄と人生への洞察が
手元にあるたくさんの冬雷誌から、六百号を迎えた二〇一二年二
月号を開いてみた。六百号記念特集の冒頭に田中國男氏のお祝いの
伝わってくる。
49
訃 報 を 聞 い た と き「 約 束 違 反 で す よ 」 思 わ ず 心 の 中 で 叫 び ま し
た。最近の病状を考えれば来るべき時が来たと思う反面悔しさが先
立ち、悲しさは後からじわじわ押し寄せてまいりました。
田中さんのことで今でも鮮明に覚えているのは三十年以上前の水門
のバス旅行でのことです。
亡くなられた長谷川豪さんと二人でバスの後部座席に陣取り、酒
を酌み交わしながら話し込んでおられました。そのうち話し声が突
然軍歌に取って代わり、あちこちで唱和する人もいて気付けばバス
の中は軍歌の大合唱となっておりました。軍歌がこんなに多くあっ
たのかと驚くほど次から次へと歌うのです。私は歌詞は知らないも
長きにわたり誠にありがとうございました。
追 悼 酒向 陸江 一緒に楽しんだことが、遠い記憶の断片として今も心に残っており
ても早く提出されるのでしょう。いつも一番でした。
いことから親しみを感じ、尊敬致しておりました。大会の短歌はと
田中様は歌会の新年会、暑気払い、忘年会に必ず差し入れをお届
け下さり、ニコニコと車椅子でお見え下さりました。母の年齢と近
田中國男様の訃報に接し「又、冬雷の重鎮を一人失ってしまった」
との思いが過りました。
ます。
ののメロディーは聞き覚えのあるものもあり、手拍子を取りながら
江東短歌の例会では、時折り「先に行ってるよ」と声をかけ颯爽
と自転車に跨り走り去った元気な後姿が今でも懐かしく甦ります。
「人生の歯車よくぞ噛み合へり六十余年の妻との歴史」
東京空襲三月十日を」
又戦争体験を語り継がねばとの強い御意志をお持ちの方でありま
した。
また大会や例会ではいつも一番に出詠され、すごい人がいるものだ
と感心しつつ驚いておりました。足を痛め出席出来なくなられてか
らも、一番の出詠はずうっと変わることはありませんでした。例会
が終わると間なくして次会の歌が届くのです。心底歌がお好きだっ
たのでしょう。
「絶対に風化させまいB
冬蕾のこれからと、施設へ入居された川又先生をお守りください。
田中さんへはいつもいつもお願いばかりして来たような気がいたし
懸命に生き抜いて来られた田中様の晩年は御家族への感謝にあふ
「吾今日で飛行会社の事務の処理終りGHQの監視解けたり」
「地獄絵をまともに見たり走りつつ前後左右へ焼夷弾の雨」
ます。
今頃天国では木島先生や豪さんと大好きなお酒を酌み交わしなが
ら短歌談議に花を咲かせていることでしょう。
29
50
れ、実に好々爺と言うお手本にしたい様なお幸せな御一生であられ
たと思います。
す。『冬雷の113人』に、
「我生きてほぼ一世紀記憶には戦さの歴史ばかりなりけり」
支那事変から始まる戦の数々を生と死の背中合せの戦場を生き抜
かれ、終戦の玉音放送を聴き除隊後のご苦労に身につまされます。
「生きて来てなほ生きがひを懸命にリハビリに励む現役のごと」
「ホテルから坂上に見ゆる露天風呂へ婿殿黙つて吾を背負へり」
戦争体験は辛酸を舐め、日本に尽くされこれからの日本の平和のた
○
うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
を教訓に下手でも短歌を続けて行こうと思っております。ありがと
めにも残念でなりません。最後まで短歌詠草を続けられましたこと
又、最後まで夢をお持ちの方でございました。
「七年の先の五輪の夢に酔ふ九十六歳一途なり吾は」
どうぞ安らかに。御冥福をお祈り申し上げます。
田中國男氏への追悼文
この度の、田中國男様のご逝去、心よりお悔み申し上げます。大
先輩の方に私ごときが甚だ失礼なことですが、田中様のお歌は、冬
金野 孝子 岩渕 綾子 雷誌上にて、常に注目いたしておりました。それと言いますのは、
た。大会当日には舞台の直ぐ前に車椅子にておられまして、其のお
倉市に避難中で四日後には故郷大船渡に戻ることになっていまし
私が初めて田中氏にお目にかかったのは冬雷創立五十周年記念短
歌大会の平成二十三年十一月二十日でした。大震災で総てを失い佐
歌集『冬雷の113人』では、感銘を受けた作者三名の中のお一
人として選ばせて頂いたところでした。また「冬雷二〇一四年十月
となったことに唯々頭が下がるばかりです。
当時の若人達の掛け替えのない青春時代が戦争時代と化し、国の盾
て頂くと、あの時代が鮮明に思い出されてくるのです。ほんとうに
戦時一色の教育の中で暮らした私にとって、田中様のお歌を読ませ
田中國男氏のご逝去をお悼み申し上げます。
姿は挫ける私を励ましている様に見え、感銘を受け生涯忘れること
はございません。あの日頂いた記念のタオルは大事に手元にありま
51
号」ノモンハンの三十八首には、戦場の厳しさを感じ、更には初め
てお会いする田中様のお歌が掲載の写真の中に拝見でき、巡り合わ
せを覚えたことでした。
田中様の戦争を詠んだ貴重なお歌の数々は、きっと平和への語り
部として、これからもお役に立つものと思います。本当にありがと
うございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
悼 田中國男さん
田中國男氏の歌鑑賞
関口 正道 田中國男さんが「ノモンハン事件」に参戦しておられるのを平成
二六年一〇月号で改めて知った。この「語り部としてのノモンハン」
を鑑賞してからだが、房総半島南端に移られた田中氏に手紙を書き、
インターネットでその顛末を取り上げさせて下さい、とお願いした。
だが、すでに田中さんは意思疎通が困難だった。私は実父が戦病死
なので、インターネットで個人の発信だが「戦争の昭和史」を綴っ
ている。実際の戦争最前線を余儀なくされた方にその委細を尋ねる
ことは、正直憚られるので皆無だった。またそうした方は、肝腎な
ン事件・戦争に関連する歌を抄出、鑑賞した。かつて製版を担当し
田中さんは昭和五〇年に冬雷に入会、交際のあった多くの方の思
い出がそれぞれあるだろう。ここではいささか意図的だがノモンハ
田中さん。冬雷にあひるの会にお世話になり有難うごさいました。
あひるの会の会場が豊洲の川又さん宅になり私が幹事をやらせて
た「綴込歌集・歳月」に於いてその経歴は知っていた。また二一年
ことは寡黙であることも事実、それも当然なのだが。
頂くようになってから、いろいろと気をつかって助けてくださいま
森藤 ふみ
した。とても感謝しています。
た。
忘れ得ず夢に唱ふる戦陣訓冷たき汗に肌着を濡らす
◇『田中國男歌集 歳月』平成十四年七月号
一月号のエッセイで田中さんの元兵士の経緯・悲哀・力強さを知っ
あひるの会には何をおいても出席するとの気概で膝の痛みで歩く
のが辛いときは自転車で、つぎは電動自転車、その次はタクシーで
と移動手段をかえて出席されました。その熱意にかんしんしました。
歌会ではいつもにこやかにお酒を飲みつつ評をしてくださいまし
た。何か質問すると抜群の記憶力と博学で教えてくださいました。
長い間有難うございました。
52
戦陣訓は、昭和十六年、陸軍大臣より出された。「生きて虜囚の
辱めを受けず」の文言が夙に有名。要するに「捕虜にはなるな、なっ
二十年前、田中さんが北海道に旅したときのこと。当時ならこう
した人たちは多く存在した。一とき相互に経験したことを話し合い、
時代を共有したに相違ない。
街が燃え道路も橋も燃え盛る八王子の街駈けたる記憶
たなら死ね!」である。蛇足だがこれは島崎藤村など多くの文化人
が、その校閲に参加させられた。
除隊された軍人が空襲に遭う現実。戦争経験者の記憶であれば、
その遣り切れなさは倍加する。
ドした。
◇語り部としての「ノモンハン」平成二十六年十月号
ノモンハンたつたふた月関東軍は歩兵一個師全滅の敗戦
がある。最前線の指揮官は責任を取らされ、自決を強要された。
明らかに第二次「日露戦争」だった。政治的に〝戦争〟としない
がための「事変」だ。それ故に戦争のルールが無い阿鼻叫喚の実態
昭和十三年の下旬からノモンハンと云ふ事変のおこる
太平洋戦争の犠牲者だ。つまり明治時代に生まれた者が、戦争をリー
司馬遼太郎は「私は不覚にも大正時代に生まれてしまった」と述
懐している。男だけではない、男女ともに大正時代に生まれた者は、
八割も二十世紀を生き来たる証の記憶戦ひばかり
戦死後の処理はひたすら認識票照らし合はせて兵らの確認
認識番号があれば戦死しても誰なのか判定するのが早い。死ぬこ
とが前提となっていたのが正直なところ。
僅かなる髪の毛と爪納めたる小箱に記す認識番号
髪の毛・爪ならまだいい。彼の地の小石が入れられていたのが終
戦前後の実態。戦争最前線ではあらゆる点が劣悪だった。その多く
の事実を終戦後、国民は知った。
囚人を軍属となし前線へ送りしといふ日本軍閥
兵士は当初から〝使い捨て〟が基本だった。田中さんとて戦後委
細を知ったと思うが、それが事実でも戦争の最前線を経験された方
の発言だけに重みが断然違う。
観音の由来を述ぶるドライバー君も比島に戦ひしを言ふ
53
歩兵師団とは二万人規模。日ソ双方それぞれ二万人弱が戦死して
いる。きちんとした総括をしていれば、無残な太平洋戦争はもっと
違った展開になったと指摘する専門家もいる。
ノモンハンへ通信機材馬に乗せ八月十日戦場に入る
田中さんは広大な満州での騎兵隊の通信兵だった。戦闘最前線の
二等兵ではないことが命を救った一因にもなろう。
病院に運び呉れしはソ連兵捕虜にあらずと一こと添へて
戦争ではないのだから日ソ双方で捕虜が原則、無かったことにな
る。だが戦死、戦病死は、事変、事件でも同じだ。
戦病死三名重傷一名で生き還りたるは貴様一人と
生き残ったのが、良くないとのニュアンスさえある。田中さんの
この歌一首のみで、〝日本の戦争の仕方〟が敷衍・解説できる。ノ
モンハン事変の膨大な史料を収集した前記の司馬遼太郎が、その無
謀な経緯・内容に、小説に著わす主題が最後まで見つからなったと
嘆いた。だからこそ生き残った田中さんの生命力に素直に敬意を表
するのみだ。
師団長梅津閣下の訓示今朝英米蘭と戦火交ふと
私の短歌歴
細田隆善先生から句会のお誘いがあった(日時不詳)。
定 例 の 句 会 の 日 で は な か っ た が、 行 っ て み る と 木 島 先
生 が お ら れ た。 新 聞 記 事 に 死 刑 囚 に 短 歌 を 教 え て い る
方 と 知 り「 田 中 君、 気 が 合 い そ う で す ね 」 と 隣 の 席 を
勧 め ら れ た。 御 崎 光 一、 長 谷 川 豪 も 同 席 で「 彼 ら も 初
心 者 だ が 上 手 い。 田 中 君 は、 ま ず は 五 七 五 の 俳 句 を つ
く れ、 そ れ か ら 七 七 を あ ん た し か 作 れ な い も の を 」 と
言われた。「何回でも言うぞ、上手に作っちゃ下手にな
る。 下 手 で こ そ 田 中 君 の 歌 は 生 き て く る。 下 手 に 作 る
んだ。」が最初の教えであった。
そ の 後「 あ ひ る 」 に 入 っ て 川 又 先 生 に 短 歌 の 面 白 味
を教わった。「あひる」は川又先生を始め他に三人の女
性 が 指 導 者 ク ラ ス で、 一 時 は 三 六 名 の 所 帯 の 賑 や か さ
で あ っ た。 細 田・ 木 島 両 先 生 に 会 っ た こ と が 人 脈 を 太
く し て 大 田 行 蔵 先 生・ 山 本 寛 太 先 生 や 新 井 先 生・ 海 老
沢 先 生 の ご 指 導 も 賜 る よ う に な っ た。 こ の 人 脈 の 集 大
成の中に江東短歌会があった気がしている。
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終戦時の参謀総長・梅津美治郎は、当時の関東軍司令官。日米戦
争の開始を兵に伝えたのだろう。その後、田中さんが中国戦線に動
員されなかったのは不幸中の幸い、と断じたなら失礼になろうか。
通信技術が専門職ならばこそ飛行機製造に必要な人材だったことに
田中 國男
老兵の回顧録 (ノモンハン事件)
塹壕を掘りつつ気付く四方の壁草の根の傷蛍
の光り
傷つきし草の根のつゆ一滴づつ吹き出て根も
こでは敢えて戦争に関連する歌を取り上げさせて頂いた。戦争遺児
田中國男さんには酒の歌、旅の歌、家族の歌、あひる短歌会との
交流の歌、木島先生、平野元氏との交流の歌、など秀歌が多い。こ
塹壕の暮らしも種々苛立ちて仲間同士の荒立
ややに涼しく
塹壕のカモフラージュには丈繁る青草を置く
との砂に消えゆく
の私の歌には、少なからず眼を掛けていただき、感謝あるのみだ。〝向
つ声す
なる。
うの世界〟では、まさか戦争は無いだろう。多くの冬雷短歌会の友
五一四部隊ときざみて
レテイ島へ真むかひ建てたる観音の像に
孫呉へ届く
見舞ひ来し二人の若い同期生レテイで戦死と
めは憲兵なりき
飽くまでも吾に死に神とりつかず孫呉のつと
病死と云ふ
ハルピンの病院までも生きて来て隊員四人戦
は知らねど
戦ひは終りたるらし濠出よう日ソ何れの勝か
モールスもなし
砲声が聞こえずなりて二日経つ本隊無事か
田中様を偲んで
山﨑 英子 短歌を愛し、冬雷を愛し、お酒を愛した田中様。博識でおおらか
で何方からも慕われる方でございました。
初めてお会いしたのは四十余年も前の事でした。深川勢至院の細
田豊明先生宅での江東短歌会の席に俳句の会と間違えて来られ木島
先生のお人柄に魅せられその儘短歌会に入会され、冬雷にも入会さ
55
人と大いに酒を酌み交わして頂きたい。
遺 稿
れたと憶えております。
以来冬雷、江東、あひる短歌、とお仲間として吟行会、旅行等御
一緒でした。短歌は湧く如く出来る方で旅行先で御馳走を頂き乍ら
も「今作ったんだよ」と箸袋に次々と書いて下さったものでした。
博識な方で何事もよく御存知で直に答えて下さいました。もっと種
悼 田中國男さん
昨年の大会に出詠なさらず淋しい思いを皆様が仰有っておられまし
と思います。冬雷、江東の大会はいつも一番に出詠されておられ、
聴でいらして、なかなかお話が通じない事が多く本当に残念だった
稿には、必ず別紙が付いていて、近況やら作品の背景の解説やらが
田中さんの原稿のストックがある状況だった。そして、それらの原
が届くのである。歌の原稿も早め早めの対応で、編集室にはいつも
集や、会員の歌集等が出た場合、誰よりも早く、それに関する文章
田中さんからの原稿が来なくなってから暫くして、そのご逝去を
知ることになった。田中さんは実に筆の早い方で、冬雷で何かの特
大山 敏夫
た。大会では必ず朗詠をされておられましたが少し調子のはずれて
種教えて頂き度い事、もっとお話ししたい事、沢山ありましたが難
らした事も、今はなつかしい思い出となってしまいました。
書いてある。わたしは、それを読みながら田中さんの思いを想像す
ここ一、二年は主に戦争の回顧や、実体験の「語り部」としての
作品や、社会性濃い作品が多かった。それらは強い問題提起の心構
るのである。
冬雷にこんな歌をみつけました。
もう一度膝より痛み遠ざけてペダルを踏みて街走りたし 体験を歌ったものは、さすがに読んで迫力がある。
して歌っているのであるが、それとは重複しなかった。こうした実
えを備えた作品であり、今回「遺稿」として高田光さんに託された
長い間どんなに御不自由であられた事かとお察し申し上げます。
いまはその痛みからも解放されペダルを踏んで走り廻っていらっ
(二〇一二年一月)
しゃる事でしょう。何卒田中様の愛した冬雷をいつまでも見守って
百歳を超ゆるも作歌の意欲見ゆ日下部冨美を手本に吾も
(冬雷二〇一三年三月号)
九十五になつたばかりの吾が脳が冨美の歌読み励まされたり
作品もノモンハンでの戦場体験であった。以前も冬雷に特別作品と
いて下さいませ。
田中様、本当に長い間有難うございました。心より御冥福をお祈
り申し上げます。
百歳は吾にも届くほど近し戦中戦後の労苦は夢かも
わが膝を癒して呉れと旅先の道祖神にも双手を合はす
(同9月号)
56
百歳を意識されて、密かに目標とされてもいた。躰も普通に動き、
頭も短歌が作れるほどには活発である百歳。思わずゆきずりの道祖
神に「双手を合はす」様子は痛々しいが、肉体の衰えとの闘いも、
具体的な目標があれば頑張れるし、継続される。東京オリンピック
を再び見るのだとも仰有っていた。わたしも、その程度は何でもな
くクリヤーするだろうって思っていた。
永年の知人のごとく顔向けて仲よくしてね挨拶うれし
橇に似る機具に乗せられ吾が裸体ベルトで固定されての入浴 (冬雷二〇一五年五月号)
だから、リハビリや介護現場の状況ですら、何か楽しそうに、明る
く描写されているのだろうと思い、その姿勢に励まされた。丁度こ
の頃に歌と一緒に頂いた一筆箋のお便りが手もとにある。
皆さんと遠く離れ、いや近いかも知れませんが、市営のリハビ
リステーション通いが日課になりました。朝九時には家を出て、
九時三十分に到着。十時まで朝の体操。終ると入浴。出ると昼
食後昼寝一時間位です。二時より頭の体操。①大人のぬり絵②
一時間散歩③幼稚園児みたいな遊び。好天と雨天で違います。
四時に帰宅準備。四時二十分から四十分、車の順に帰宅。自宅
へは早いとき五時、普通五時三十分。夕食は到着後直ぐです。
年5月3日) 終れば冬雷を読み、作歌する。(平成
克明に記されていて生々しいが、最後に冬雷を読み、作歌するで
終るのが流石だなと思った。でも、わたしが想像していたよりずっ
と田中さんの状態は良くなかったのであろう。百歳にはついに到達
することがなかった。又もや冬雷から、一つの時代、一人の大物が
姿を隠した。そして新しい時代がどんどんと迫って来る。合掌。
57
27
二月号作品二評
赤羽 佳年
☆
年末はし忘れたことが次々と出てくる
中には三年超しも 吉田佐好子
端 的 に 表 現 さ れ て い て、「 そ う な ん だ
よ、なー」と同感してしまった。口語調
の面白さのある作品。
表現した。
の眼も体に似合わずやさしい感じで巧く
してより葉書を入れぬ 山本貞子
誤字なきかポストを前に改めて読み返
の辺を考えての行為と思はれる。
二 首 目、 動 物 園 の 嘱 目 詠 で あ ろ う が、 な も の イ コ ー ル 良 い も の と は 限 ら な い
象の仕種をユーモラスに捉えている。象 が、TPOの心構えは必要であろう。そ
縁さきにならべ干さるる大根は初冬の
三句の「改めて」あたりに数度の確認
の様子がうかがえる。素直な詠みぶりで
完璧主義の慎重派が表出されていよう。
日差しに甘くにほへり 倉浪ゆみ
初冬の風物詩のひとこま。結句は捉え
どころ。直截に詠って清清しい
寒さ増す今宵の卓は風呂吹き大根柚子
の香もよし娘待つなり 飯島久子 ☆
キレイは自在に動く 田中祐子 ☆ ちょこちょこと移動しながら尾を上下 愛 情 の 籠 っ た 冬 の 夜 の 食 卓 と な っ た。
に 振 る 習 性 を 称 し て 別 名「 い し た た き 」 四句切れ倒置の効果。
恐がると思い動かず見て居ればハクセ
志望校選びはこれで決定と書いた用紙
☆
三句以下の語句に、久しく食していな
かった昔ながらの味に感激の様子。母親
とも呼ばれるセキレイだが、やさしい作
は修正だらけ 山口めぐみ
遠く住む娘提げ来る思い出の懐かしき
の味なのであろうが、しっかりと娘さん
者を自然の造形物と見ているのだろう。
味南瓜の煮付け 佐藤初雄
に伝わっていた。
に力となって行くことでしょう。口語の
きたかどうか。副詞遣いの難しさ。 「 地 に 低 く 」 が 根 生 葉 を ひ ろ げ 陽 を 浴
びる様子が出ている。四句の形容句が活
☆
子供の成長を見守る母親の感慨。決定
するまでの悩んだことがこれからの人生
☆
隣家より庭のキウイが届きたり林檎を
あちらの姉こちらの兄の整理する器・
服など我が家潤う 林美智子 ☆
勿体ない精神を捨てたところに「断捨
力強さを見る作品。
きその眼で迎えくれたり 同
象二頭ゆったり冬の陽鼻でまぜやさし
☆
離」の考え方が生まれた。ヨーガの行法
枯れ草の所どころに地に低くほっこり
入れて試食日を待つ 糸賀浩子
の考え方から来ているようだが、作者の
咲ける黄のたんぽぽ 松中賀代
安物の服を着ているわが為に姪は千円
の帽子持ち来る 矢野 操 ☆
皮肉っぽさがあって面白い作品。高価
家では有難い贈り物となった。
一首目、追熟を促すために林檎と共に
保存すると、林檎のエチレンガスが作用
して成熟を早めるらしい。二句を一音多
くなるが「庭木の」とされたら解りやす
い。結句に期待感が出ている。
58
二月号作品二評
中村 晴美
☆
年末はし忘れたことが次々と出てくる
中には三年超しも 吉田佐好子
日本人は年内にケジメをつけたがるが
ケジメは他でも付けられる。3月末の年
度末。2月の節分。月末。週末。気楽に
いる。
お手玉を投げ上げ受けるはままならず
☆
石本啓子
友と顔見合わせ笑うしかない
噴き出す 野崎礼子
自覚なく日々なにかが衰え、ある日そ
れを自覚させられる。やはり笑うしかな
早足で二駅歩き友に会う三年分の話が
三年分の話が噴き出すが良い。楽しい
会話が聞こえて来そうです。
いですね。老いは時に悲しい。
☆
象二頭ゆったり冬の陽鼻でまぜやさし
動植物の動きは人の行動に投影させ思
いを馳せるもの。作者は何を感じたので
の高みを競う 佐藤初雄
☆
幼きも混じり飛び交う白鷺の大きは空
干柿が音符のやうに吊されて近寄りゆ
人は消えてしまうのか。
修理するより新しく買った方が安い時
代。良い本物が欲しくなった時には、職
継ぐ無きを言ふ 立谷正男
歴代の労働大臣の額ありて時計店主は
鳴らして歩く桜木の下 山口めぐみ
公園の落ち葉のじゅうたんカサカサと
なんとも淋しい歌です。
きその眼で迎えくれたり 糸賀浩子 ☆ 充分にミントを食べて繭籠もるさみど
りの虫は胎児の形 関口みよ子 ☆
冬 の 陽 を 鼻 で ま ぜ た 様 に 映 っ た の か、 歌もやさしさに溢れている。
胎児の形に何か共通点を感じたので
しょうか。生物の起源は同じだったかも
しょうか。
けば空気が甘い 倉浪ゆみ
行きましょう。
「 千 円 か ら お 預 か り し ま す 」 と レ ジ で
花だけでなく桜も紅葉し落ち葉となり
固い蕾で春に向かう。桜の落ち葉を歌う
☆
☆
目線が観覧車一点から街へと移る。動
きがある見事な歌です。
闇に街のシルエット 橘 美千代
灯の消えて透明になる観覧車ひろがる
と聞きたき思いは残る 飯嶋久子
行く先も告げずに去りたる住人になぜ
と思いが広がります。
言う首かしげたき日本語流行る
音符のように吊されてが印象的な歌で
す。季節の風物詩を歌った歌は良い。
☆
のは珍しい。そこが良い。
和田昌三
電線の揺れいる空は青く澄み家軋ませ
口に出して言ってみるとリズムが良く
言いやすいのかと。おかしな言葉も続け
☆
ていると普通になるから面白い。
て木枯しの吹く 長尾弘子
て守ろうとする姿勢は大事ですね。
生家跡や近所を巡り思い出と一致する
☆
定形に収まり読んでいて気持ちが良い
歌。やはり五・七・五・七・七は常に意識し
のは一軒二軒 浜田はるみ
悲しいけど思い出の地にも時が流れて
59
作品二
茨城 吉 田 佐好子
利根川の下流にある町神崎は昭和のかおり発酵のまち
酒造所の庭に干したる濾し布に湯気のほんわり空気まったり
微生物が魔法をかけて時間かけお米や豆は変身遂げる
新小岩商店街には活気あり近ごろ見かけぬにぎやかな街
にぎやかなアーケード街寄り道でなかなか目的の場所に至らず
夕方は店の出口に惣菜を並べて売り出す名物店主
垢ぬけた感じはないが明るくて歩けばワクワクする新小岩
近場にも楽しくなれる場所がある心のアンテナ張り巡らして
この次はパワースポット巡りなど計画立てる近場の遠足
栃木 本 郷 歌 子
春はまず黄の花から始まるか冬枯れの庭に福寿草咲く
大きなる巣の真ん中に在る女郎蜘蛛鮮やかな黒と黄を誇るごとくに
二人居の家元旦に静まりてきのうと同じ夜の更け行く
雲低く重き冬空広がりて犬引く人の足早に行く
最終電車の子を待つ駅舎は凍てついて車輪の響き伝わりてくる
老いの心に誕生日祝う花届き浮き立ちてゆく明るき色に
☆
☆
横浜市西区 ランドマークタワー
60
作 品 二
竹針の触れ合う音もリズミカルにセーターを編む日溜りの中
静まれる川面は銀に光りたり耳を澄ませば水流る音
西風に追い立てられて自転車はあっという間に目の前過ぎ行く
埼玉 野 崎 礼 子
大雪に春が遠いと嘆く母ありて電話が日課となりぬ
雪だからお休みしますと言える今有難いけど少し寂しい
冬の空凛として空気澄み渡り妙に古里の友に会いたし
熱々の鍋を囲めばほっとして今日のショックの薄らいでゆく
思い出は良きことのみ蘇り写真の父が微笑みかける
スケジュールすべて手帳に書き込んですでに気持ちは春めいている
生き難い時代の子だと思う孫ハイハイの一歩に思わず拍手
初めての離乳食に顔しかめ二月五日は記念日となりぬ
埼玉 浜 田 はるみ
喪中はがき欠礼したと元旦に電話かけくる友の声嬉し
少しでも娘の家事の助けにとおかず色々持たせて帰す
大鍋の料理を小鍋に移し替え正月料理そろそろ終わりぬ
亡き従妹とわれと二月に二人して仲よく齢を重ねていたね
三月に旅行でもと言う提案にうちの別荘にと誘いくれたる
慰めの言葉を持たぬ悲しみは花に託して心贈りぬ
赤い実はおもとに千両万両と雪兎の眼は選び放題
☆
☆
61
茨城 立 谷 正 男
ひと本の冬木に寄れる群雀夕映えの雲遠く輝く
裸木の梢を出でて中空に十三夜月黄の色に照る
寒なかの雀餌台に数増して一椀の米夕べにも置く
ちちはは
若菜摘む小川の辺りさらさらと落葉を越ゆる水の音聞く
父母も幼なの声も遥かにて妻と吾との豆撒き終へる
二月の日背に暖かく行き行きて遠き故郷の風に吹かるる
青春の弘田三枝子の歌を聞くかつてツイスト踊りたる日よ
茨城 糸 賀 浩 子
捨てられて十日も餌に寄れぬ犬零度の軒に今朝は寄りきぬ
朝毎に霜除けはずすヒヤシンス・クロッカス鉢の蕾ふくらむ
一人居の節分の豆新聞紙に纏めて撒きて福は内なり
ジカ熱の感染恐れる妊婦など無かりし頃の出産思う
寒の朝ぬくき布団に手足伸ばしさあ起きるぞと全身に告ぐ
川沿いの枝垂れ柳にみどり見えゆっくりもどりいる鴨の群れ
医療費の領収証の束持ちて確定申告を待つ列にいる
☆
青森 東 ミ チ 真夜中の目覚めは辛く寝床より抜け出て身体のスイッチ替へる
灯油の安値に救はれ眠れぬ夜はストーブ赤赤と心満たしぬ
カド番を五回凌ぎて優勝の琴奨菊に拍手惜しまず
62
作 品 二
賜杯抱く琴奨菊の映像に「努力が報はれたネ」心から言ふ
ぬれ雪を伴ふ寒波に襲はれて貝塚伊吹の垣根が転ぶ
荒れまくる寒波に軋む家の角怖くて怖くて歌などうたふ
両膝にヒアルロン酸の手当て受け八ヶ月経て効果表る
去年より身体の調子上向くを感じて春の息吹待ちをり
☆
岩手 岩 渕 綾 子 真向ひの夫の遺影につぶやきぬ今朝あげし茶は牧子のこころ
われ逝かば子ら帰りくる家のなく健康寿命をめざし生きゆく
とつぜんの電話の声に思案せり短歌を見たよとなつかしき人
知らぬ間にあまたの人の眼に留まり短歌がむすぶ絆となれり
神棚を鴨居に崇めやすらけく復興住宅に心足らへり
墓守の長男夫婦ありがたく女孫二人に後を託さず
わが住みし跡地に大規模店舗建設中日ごとに見ゆる明るき萌し
冬雷を吾が師と言ひし田中氏よ黄泉の国にて吟行会あれ
東京 樗 木 紀 子
年末と共に公孫樹の落葉絶えはだか木は青空に向かって高し
穏やかな新年を迎え暫くは朝の掃除を休みて過ごす
初雪に出掛ける予定中止にし時間をかけて新聞を読む
生後百日目に長女亡くしたり五十二年前の一月三十日埼玉大宮にて
スーパーは商魂たくましく二月四日にひな菓子並べ歌も流しぬ
63
岐阜 和 田 昌 三
市議選に立てる仲間に推薦文頼まれ「俺でいいのか」と問う
市議選に立てる仲間のチラシには我が推薦文大きく載りぬ
飛び来たる白鷺大きな羽広げ悠々と行く王者の如く
青鷺の魚銜えて逃げ行くを何処から来たか白鷺の追う
十年ぶり日本人力士の優勝にカフェの客ら歓声挙ぐる
☆
(大阪女子マラソン)
(スキージャンプ)
「一等賞取りたかった」と満面に笑みを浮かべて福士選手は
年長の入賞記録塗り替える葛西選手の笑顔また良し
細いのも具の片寄るも混じりいる妻の作れる恵方巻には
妻の作る恵方巻旨し酢加減も和田家の味にぴったり合いて
☆
東京 西 谷 純 子 廃校を一部活用の保育所あり大声出して元気に走らう
ベランダの隙間を抜けて来るねこは吾と目の合ひのそりと帰る
風吹きてペットボトルのガラガラ鳴り眠れぬ夜は昔を思ふ
寒き夜は幼を抱き寝入りたりぐづれば母乳おむつの始末
幼児の冷たき指を懐に入れし子育てなつかしむ今
擦れ違ふ男子学生爽やかな香りを残して自転車走らす
後戻り出来ぬことだと知りながら過去に思ひを馳せる昨今
埼玉 田 中 祐 子
ふつふつと煮込むシチューの加減良く孫達今日は来るかと待てり
64
作 品 二
雪だるま僕も作ったと十歳を迎えたる少年声弾み来る
久久の湯宿に義妹と寛ぎぬたわい無き愚痴零し合う幸
匂いのみ残しきれいに売切れの焼芋コーナーばあちゃんも見てる
来てたぞと手に冬雷を持ち呉るる寄合退けて機嫌良き夫
届きたる冬雷まずは経机へ置かせて貰う何故か習慣
霜柱に甚振られなお残り咲く寒菊横に斜めにへたる
愛知 田 島 畊 治
河津桜正月前に花の咲く尾張の里も異常暖冬
☆
☆
デイの人とイブのパーティでボール投げ皆に合せてボールもよろよろ
アラビアンナイトの子供の夢はいずこにかいつまで続く中東の乱
正月の異常気象は良しぽかぽかと花の季節の先取りをする
駆けるありじゃれるのもあり犬の群犬の公園に縦横無尽
冬将軍消え入るように姿消し寒になりても温度下がらず
スーパーの店員さんと道で合う声をかけられ美人にびっくり
グランドゴルフ毒舌も又楽しかり七千歩あゆみ認知症予防
東京 石 本 啓 子
申歳の弟夫婦と新年の温みにあやかり会話明るむ
山肌のあらわな富士山バスに見て異常気象を目の当りにす
放映に冠雪の富士山写りいて戻る寒気にまた厚着する
定刻に能を舞うからくり時計塔ありて人集う岡崎城の庭
65
樹々繁り老若賑わう参道に破魔矢の目立つ熱田神宮
服薬の増えるを厭い頂きし養命酒飲み寝付き良くなる
書き留めしメモを整理し迷いつつ歌の清書して安堵極まる
東京 長 尾 弘 子
暖かき年の始めに孫に添い牛島神社に初参りする
冬枯れの園の片隅石蕗の黄にあまた咲き周り明るし
あした
野火止の疎水に張り出す楢の枝木の実落して水の輪つくる
初雪の舞う朝なり外出をやめて炬燵に一日をすごす
浅春の術後半年冷える夜は胸の痛むを抱きて眠る
座りこみ動かぬ園児を先生と友達皆で待っているよ
ようやくに園児の散歩動き出し近くの広場に手をつなぎゆく
☆
新潟 橘 美千代
フィリピン慰霊訪問されし若き美智子さま決意を秘める若きまなざし
いつまでも見てゐたし若き美智子さま嫋やかな着物に御身鎧へる
やはらかく微笑む若き美智子さま 弥勒菩薩の伏し目のおかほ
ふる雪のかなたに街の灯の浮かび青のおりくる雪原をゆく
ひとしきり喜劇ドラマに笑ひ入り終はれば心また沈黙す
髪を切る明日にむけてきつぱりと一歩もひかぬ覚悟を決めむ
リモコンの壊れ暖房無き部屋に三日ゐたる汝コート着込みて
あたたかき食事にこころと身の凍えともに癒やせよ味噌汁を盛る
(ニュース回顧映像)
66
作 品 二
☆
岩手 及 川 智香子 受話器取るやゴホンゴホン「風邪引いた」と聞きなれぬ声俺俺詐欺かも
一世紀を超ゆる命の叔母逝きて聞かずに悔やむことの多かり
高台の下田港を見張る地の古き大砲鎖国時偲ばす
古き衣展示してゐる喫茶店に紫の羽織購ふ外国の夫婦
石廊崎風強まりて引き返し看板を背に並びて写す
手土産に持ち来し落花生節分にむきつつ偲ぶつい先日の義兄
新しき高速道路にシカ一頭車と競ふごと先頭走る
東京 関 口 みよ子
喜怒哀楽淡くなりゆく日常に轟き落ちる屋根の残雪
氷点下の朝覗けば同心円の氷が眩しいブルーのバケツ
途切れなく頂芽を付けるペチュニアのひたむきに寄る一月九日
年玉は今も嬉しきものなればすぐさま仏壇に供える母は
飽きるまで生きよと願う卒寿すぎご飯が旨いと言う母がいる
郷里の節作る妻もつ息子なりわれの知らない正月の味
立ち上がる不安すくいて言の葉に載せれば見えくるなすべき一つ
岩手 金 野 孝 子 初めての女孫の成人式なれば吾も弾みくる振袖選び
四時起きして着付けに写真に式場に送迎係の息子の忙し
正装の女孫は手を組み足揃へ今日の姿はやつぱり女性
67
復興の担ひ手になる新成人にひたすら祈りぬこの地に在れよと
振袖の孫眺めゐて中学校卒業前日の津波を思ふ
初場所の琴奨菊の千秋楽鍋の火を止め応援したり
茨城 飯 嶋 久 子
近づける勝田マラソンに備えてか野にも街にもランナー多し
声だけは年より若いといわれいて勧誘電話に娘をよそおう
電車道車の道と人の道平行に走る千波湖に沿いて
あの電車の終点までも行きたしと願う心の今日は重たし
群青に水色にやがて銀色に刻々変わる海を楽しむ
母のごとぬるく優しきミルクティ心折れた日一人飲むべし
穏やかに介護ホームに在る友も家に戻るを夢に見るらし
子育ての楽しき日々を語りつつ思いがけなし三時間過ぎぬ
☆
ひ 東京 富 川 愛 子 と け
下町もめつきり人気減りをればコンビニの客すら心おちつく
陽のあたる生垣の上に雀きてガラス越しに餌を催促す
餌をやれば三羽が十羽とふえすぎて餌づけは禁止と人に言はれし
も
文鳥は目的の場に降りられず床に落つるは老いか哀しも
金曜日の映画広告たのしいが観たきと思ふも身はままならず
ウイルスによりパソコンを捨てたればサヴアンナにすむキリンにも似る
如月は逍遥忌茂吉忌そして西行忌あり天上の偉人
68
作 品 二
香川 矢 野 操 ☆ 気落ちする午前であるが巡りゆく売場に蘭の緑あざやか
一月に咲いてる五輪の茉莉花に文豪の名付けし女優が浮かぶ
テレビ見る側には単調申歳の箱根駅伝終始独走
カップの紙はがして裏のヨーグルトなめてる顔は孤独そのもの
あと一つ呼び出し音が続くなら受話器をとれる位置に立ってる
聞えない予算委員会席上の国の借金へらす方法
☆
東京 山 本 貞 子 路に沿ふつつじの中より思ひ切り葉を伸ばしゐる水仙一本
山茶花の垣根の下の寒椿寒き日差しに乾きて咲けり
街灯の光の中に降る雨のときをり揺れて暖簾の如し
不確かな文字多くなり日記書く時にも辞書に確かめて書く
ごみの日の袋の一つにホカロンと読める赤き字よぢれて見える
バスの中の吊革に丸と三角あり古き丸より三角が良し
五年間入院せねば郵便局の健康祝金振込まれたり
埼玉 山 口 めぐみ
センター試験の前日普段と変わらない夕飯食べさせ早寝をさせる
高校の受験の時と同じ様にホットサンドの弁当持たす
センター試験無事にやり終え帰る子を待ちてあんこう鍋を囲みぬ
翌朝の自己採点が気になりてわれは眠れず子は爆睡す
69
次々と私大入試が始まって神棚拝む回数増える
ネット見て合否確認出来る今書留待ちいし昔懐かし
亀戸七福神 東京 高 田 光
亀戸の七福神は七日まで早い終ひに急ぎて参る
弁才天薄衣を着けて琵琶を持つ枯山水のお堂の中に
寿老人弁才天を参り撮るお堂の内のガラスを避けて
世に聞こゆる仏像盗難避けるためお堂の内は強化ガラス張る
弁才天祀るお寺は江戸よりの不動が御座す盗難除けの
普門院の毘沙門さまは薄暗く鉄扉の奥に守られ居りぬ
邪鬼をふむ毘沙門天に供へある酒の菰樽「多門」と読めり
冬なれば伊藤左千夫の墓案内苦にならずする藪蚊の居らず
十人に一人二人知るか伊藤左千夫と中村不折の交流のこと
東京 伊 澤 直 子
冬枯れの木立の中の寒紅梅春呼ぶように香り放てり
横浜港大桟橋より見える富士ビルの間に白き嶺立つ
富士山の前にビルなき今だけの横浜港の富士見スポット
葉の色の移ろい楽しみし大欅隣家の主は根元より伐る
幼子と種を蒔きたる大根のたくあんできたと娘は持ち来る
☆
(☆印は新仮名遣い希望者です)
手作りのたくあんの味シンプルでポリポリ一本すぐになくなる
白梅の枝ぶりの良きを生けたれば匂いほのかに部屋に広がる
70
二月号 十首選
がある。政治権力や宗教組織が主導する場合
は、長年懸けて獲得した人権思想が奪われる
二月集 赤羽 佳年
穏やかな師走の光喜びて雪来る用意にけ
詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集
危険がある。しかし、国民一般が素朴にこの
は大切に引き継がれるべきだろう。今は素直
ふは精出す 橋本佳代子
体調も徐々に戻りて正常な暮しの今夜は
『故郷の道』より㉕ 立谷 正男
に天皇を尊重する気持ちが生まれている。し
国の歴史を思い、祖先を敬い、同胞を思う心
かし、人々の心がもっと穏やかな時代には天
熱々の鍋 高松 ヒサ ☆
友からの赤大根は楕円形ひげ根十本まる
戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて
変わることがない。
皇家も市井の暮らしに帰るべきという考えは
海に横たふ
今年の歌会始の天皇の御歌、去年はパラオ、
今年は早々にマニラへと陛下の慰霊訪問が続
で蛸なり 関口 正子
診断より一年たつもQOL保ちいる夫に
く。戦争の悲しみを歌い、二度と戦争のない
ことを願う思いが伝わる。
水テロを憂ひて 高島みい子 歩く速度ゆるめずに来て池之端の紅葉に
助けられおり 本山 恵子 ☆
明日ありと思ふ心を捨てました地震に洪
「幸せだろうか」
道に鴉降り立つ 中村 哲也
山に枇杷の花房 川上美智子 ☆
ひと気無き午前七時の交差点向かひの歩
新居に冬雷の友 金野 孝子
しっかりと産毛のがくに包まれて初冬の
本武士を思はす 大滝 詔子
手料理を持ちより膝よせ祝ひたり友人の
夫もわれも足止む 江波戸愛子 ☆
厳しさの中に静かなたたずまひ神父の日
遠い月かげ蛙鳴くころ
灯るあの家幸せだろうか
遠い山かげお日さまゆくころ
昼顔の花は何を夢みる
遠い人かげ麦を刈るころ
空の雲雀はどこへゆくのか
今、日本が戦争の出来る国に変わってしま
うのではという不安がひろがるなか、難しい
立場にあって、平和を願う行動を取られるこ
とにしみじみ頭が下がる。
思えば天皇に対する思いも変遷した、若い
時代は人間平等論から特権的な立場に疑問を
もち、戦争責任についても、何百万の人々の
犠牲に対して曖昧過ぎると思った。しかし、
短歌を学び、万葉集を学び、歴代天皇の人間
的な心情に親しみを持つようになり、光明皇
后の病者を救う話なども知った。徳を持って
民に接する王道という言葉があるが、それを
願ったりもした。
今、日本人の美しい心の回帰を求める動き
71
二月号作品三欄評
水谷慶一朗
建物に沈み始むる秋の陽は散り残る葉
闇深し補聴器はづせば音のなく歌を詠
まんと居住まひ正す 植松千恵子
高齢になると聴力低下の度合いが進行
して難聴をまねく。雑音の混じる補聴器
幾度か大笑ひせり」等で充分である。
☆
落ち葉掃き黒き地面の見えくれば清々
しくも芽吹くものあり 永光徳子
いている。「補聴器を外せば音の無い世
はいい。唯、初句切れの詠嘆は唐突で浮
環境のいかに整った職場でも不平不満
を愚痴る人は愚痴る。どんな施設か不明
を言わず子は勤めおり 山本三男
また一人辞めゆくという施設にて不平
よ く 見 た 処 だ が、「 清 々 し く も 」 は 良
くない。「みどり微かに」で生きる歌。
夕づく街の景観であるが過不足は否め
ない。上句「建物に沈みゆく秋の陽のひ
界」くらいで下句へ継げばいい。
を外し、無音の中で作歌に集中する姿勢
かり」でよい。下句の「散り残る葉」も
旋回するヘリは地上の音消しぬ普天間
にも耀き与ふ 鈴木やよい
突然で具象に欠ける。「街路樹に残る葉
の空ふと思わるる 乾 義江
の辛苦に耐えて働く子息に安堵と称賛を
勤務だけに厳しい。平易な一首だが勤務
だが、高齢者介護施設などは弱者相手の
☆
を耀かす」と限定するのがよい。
回想の歌だろうか。三句以下「音を消
し普天間の空思わせて飛ぶ」でどうか。
している親心の歌である。
長寿という時間の先に潜んでる認知症
恐らく容貌と不釣り合いな化粧であっ
たか。じつと観察を凝らす作者を想像で
症も高齢者の抱く不安の一つでもある。
長寿なるありがたい命を貰っても先々
どんな病症に苦しむか予測は不明。認知
で「妻の友が書き寄こしたる川柳に今日
思わず笑いを誘われる一首だが、整理
不足は否めない。先ずは率直に詠むべき
仰臥しておれば」の方が整うと思う。
秋の終いを切取つて感じのある歌。上
句は少し矛盾する。「散り敷ける落葉に
☆
☆
きて愉快。上句「はねあげて眉濃く描け
降りしきる落葉の中に寝そべれば秋の
☆
はねあげし眉の色濃きOLは朝日の電
☆
ひざ上げて大きくゆつくり廊歩く小学
唱歌口ずさみつつ 池田久代
歩行強化のリハビリに専念する作者の
姿勢が具体的。小学唱歌は戦前戦中の教
沁みついた歌。リズム、テンポの明快な
るOLは」四句「朝の電車に」では。
終りの香に包まれる 横田晴美
なる大きな不安 加藤富子
唱歌はリハビリに効果するでしょう。
妻が友の川柳の葉書届きゐて今日幾度
車で目を閉じており 木村 宏
取り取りの自慢料理を持ち寄りて友の
目の大笑ひせり 大野 茜
科目の一つでその時代に学んだ人の身に
新居に冬雷会員集ふ 村上美江
冬雷会員が居られ誌上で活躍である。冬
友の新居は先の震災津波の被災から再
建された家でしょうか。岩手には数人の
雷短歌で結ばれた交流の絆が嬉しい。
72
関口 正道
スープ作る工程見直し新しき小さな寸
寄ったメディアも同罪だと思う。
軍人や政治家だけではない。軍部に擦り
だのか。戦前、青少年に死を強いたのは
お子さんを確実に心配している。短絡
的指摘と云われそうだが、介護最前線は、
を言わず子は勤めおり 山本三男
また一人辞めゆくという施設にて不平
の類、狸なのがこの歌の捉えどころ。
二月号作品三欄評
列に並び待てどもバスはいまだ来ぬ手
胴鍋買い求めたり 永野雅子
富士登山遂げたる誇りがじんわりと孫
薄給なのは国・自治体の不作為だ。
現場に丸投げの気がする。重労働なのに
☆
持無沙汰にハンドクリーム塗る
イベントのために働く作者だが、その
努力は半端ではない。作者の真面目な性
格が歌に現れている
の頬染む暑き夏の日 横田晴美
☆
鈴木やよい
高尾よりのりたる高速道路網一度もお
バス停では、老人の多くはぼんやりと
待つが、作者は時間を無駄にしない。若
者ならバスが少々遅れても気にせずスマ
りず鳴門までゆく 廣野恵子
釣人が三キロの鯛持ち来たる如何に捌
は
☆
脚の怪我したる一瞬を悔やむ夜我が人
は舌に残るし、匂いの記憶もある。
酒も手作りだった。今でも甘酒の濃い味
母 を 自 慢 し 尊 敬 し 追 憶 に な っ て い る。
私も母の実家は農家で、醤油も味噌も甘
の手で全てを作りし 藤田夏見
蒸しパンも甘酒味噌も麹さえ亡母はそ
は
孫の成長を喜ぶ作者の気持ちは確実に
伝わる。小さな誇りが成長の基本。
☆
ホ画面を撫でている。それも問題だが。
休憩を挟んでも高速道路で鳴門までは
☆
町会の会合終り帰る道見上げればまあ
れば」は無くてもいいし、道も重複。
かん妻の眼輝く 大野 茜
友人の釣りの腕も確かだが、奥様の包丁
るい月が道を照らせり 卯嶋貴子 ☆ 遠い。友人と交替しながらでもタフであ
り車もいいに違いない。私も一度、明石
「 ま あ る い 月 が 」 が ポ イ ン ト だ ろ う。
こ れ を 残 し て 削 る 箇 所 は あ る。「 見 上 げ 大橋は渡ってみたいと思う。
庭の隅ペットボトルが並べあり猫きら
捌きをも認めている。結句はとにかく具
生を変えしあの刻 佐久間淑江
☆
体的で〝輝く〟の表現はいい。
あの刻を思わず忖度してしまうが、筆
者の私も腰椎骨折の刻を思い出してしま
いたる人の住みしか 乾 義江
死にしのち何をされても分からぬが車
葉だが前向きに努力しましょう。
う。元に戻らないのであれば、平凡な言
☆
置く。猫好きの方には許されたい。
道の狸を啄む鴉 篠本 正
拙宅は玉竜が汚されるので「ネコキラ
イ」なる粉末を撒き、ガーデンバリアを
祖母あての特攻隊員の遺書を読み孫に
最近は運転者も慎重、動物も無暗に車
道へ出ない気がする。だがそれは犬・猫
☆
電話する声ききたくて 斎藤陽子
特攻隊員の遺書が著わされた書を読ん
73
作品三
長崎 池 田 久 代 羽毛蒲団軽いと思ひ抱へたるにひとりで持てず介護士を呼ぶ
しんしんと降り積む雪を見つめをり数十年ぶりの大雪にあひ
雪の花一夜の中に花ざかり花咲ぢいさん頭をよぎる
横浜市中区 旧第一銀行横浜支店
「あつ、つららが」友のさけびに目を向ける数多のつららが軒端に下がる
孫の顔思ひ浮かべてくず湯飲む生姜の香からだの芯まで
「鬼は外福は内」とて豆をまく病気の鬼とつとと出ていけ
夕食後『椎の若葉』を読みはじむ歌にひかれてねる時刻過ぐ
東京 鈴 木 やよい リビングに居場所定まる小さきダルマ片目見開き暮らし見守る
人見れば激しく吠ゆる犬なれど散歩のたびに寄りて声掛く
早朝の建設現場にひとつ立つクレーン鋭く冬空を突く
積もる雪に沈む足跡誰のものか我が足入れてぎごちなく歩む
ビニールにすつぽりバギーは覆はれて幼な児おとなし雪残る街
凍つる朝ランドセルの子ら蹴りてゆく泥に汚れた雪の塊
岩手 村 上 美 江 元旦より十五分早く日は昇り明日は節分いよよ春めく
厄払ひ家族の無事と健康と世界平和の鬼打豆蒔く
74
作 品 三
この花の何処に毒のひそめるか茎隆隆として福寿草五つ
この春も先んじて咲く福寿草日向ぼつこの十二の花びら
元日草寒さに堪へて開きたる黄金の色目を見張るなり
土色の小鳥が空へ登りてはすぐに降り来て又飛び立ちぬ
東京 卯 嶋 貴 子
さむ空の下に日差は日々強くなりきて梅の蕾ふくらむ
北風に向い自転車を漕ぎゆけば針で刺すような空気の冷たさ
☆
☆
夜の雨が雪に変わりていたるらし目覚めれば二十センチほど積りおり
笑みて「吾はパーなの」と言い手をかざす母を介護する胸を痛めて
いつも気丈で怖かった母を介護して少し人間らしくなる吾
東京 大 塚 雅 子
雪の降る予報の曇り空の下今年最初の梅が咲きたり
マンションの角を曲がりて見上げれば星見えぬ空に映える三日月 静岡 植 松 千恵子 雪のなき正月迎へる北陸は草履での参拝が近年の姿
若い子の「メリクリ・明けおめ」の短縮語会話を急くのか仲間意識か
申年の逆打ち遍路は御利益のありと誘はれ五ヶ寺参加す
八十八ヶ寺は今行けずとも生涯に遍路の続き貫徹したし
寒の入りに太鼓鳴らして道を行く勤行僧に手を合はす母
風強く唸りを上げて寄せる波荒るる海にて迷ひ断ち切る
75
慈愛込め時に厳しく添削す恩は忘れじ川又先生
茨城 乾 義 江
中東の終息いまだ儘ならず不安纏いて時は過ぎゆく
生命の保障なきまま追われゆくシリア難民日々海を越ゆ
登坂して左に大洗海岸の水面眩しく細波ひかる
くっきりと水平線の遠く見え年の始めの鹿島灘見ゆ
思いのほか人影多い参道の鹿島神宮の鳥居を潜る
地震後の入浴の怖さ続きいて気付けば長湯しているわたし
野鳩らし隠れる振りして木の枝に円き目をして四方を見回す
岩手 佐々木 せい子
菩提寺の池の堤の五葉松津波に耐えて尚緑濃し
人前に話下手なる吾なれば歌会の席の皆輝きてみゆ
ほっこりと頭覗かす蕗の薹春のおとずれ田にも畑にも
高台の移転進みて家々に灯る明りに吾もほっとす
三陸の海のミルクと称されてカキ小屋賑わうツアーバス並びて
牡蠣小屋はプルンプルンのカキ尽し内陸の親子の歓声頻り
三陸のリアスの海のカキ小屋は人気絶頂復興の証
大好きなクイズ番組見逃さず八十五歳の姉は健やか
両膝にヒアルロンサン注射しつつ傘寿迎えん願いは一つ
☆
☆
岩手 斎 藤 陽 子 76
作 品 三
チャンネルをどこにまはせど清原の悲しきニュース胸暗く見る
まだ若い四十八歳きつときつとまた生きなほせ清原がんばれ
四日前みごとな白菜持ち来たる隣家の人急逝したり
三猿になれぬ我なり見て聞いて語つて暮らさう元気にこの年
往生を褒められ逝きし人なれどあまりに突然元日の朝
精いつぱい伯父の介護せし末娘未婚のままに独りになりぬ
☆
☆
神奈川 山 本 述 子
夕暮れに紅梅の色くらみつつ薫り高きに満開と知る
「寒」なれどぽかぽか陽気に観音のお顔一際穏やかに見ゆ
臘梅の満開近き寺の庭香り楽しみゆるりと巡る
寒に入り冷込みの増す厨にてボルシチ煮込み春を待ちわぶ
ことことと鰤大根の湯気立つる千秋楽は熱気溢れをり
福島 中 山 綾 華
海外の人を迎える三泊四日地球の裏側のアルゼンチンより
客の接待年々重くあれこれと頭に浮かびながらもこなす
計画はまた練り直し私一人山形へ向かい車走らす
友を見舞い日帰りで山形より戻り客の接待のいちご狩りせり
茨城 豊 田 伸 一
早朝の眼科の予約をとるために急ぎ来たるにすでに人の群れ
はや三年われの病は治らずに外出へりてとじ籠りいる
77
風呂に入り初めて洗う目のまわり白内障の手術後七日目
遊びに来て喜びはしゃぐ隣りの児赤色飾りのツリーの光に
隣りの児の優太謙太が遊びに来てジュウタンの上で妻ところがる
白内障の手術すれども良く見えぬは抗癌剤の薬害の所為
歳末の月の半分病院へ次第に増える病名の数
東京 永 野 雅 子
願書出しいよいよ受験本番と話す娘の顔引き締まる
全力で合格信じ受験すれど三連敗で気落ちする娘
試験はまだ終わってないから大丈夫と娘を励ますことしかできぬ
速達で合格通知が届いた日家族全員バンザイをする
合格で気分が軽くなりたるか表情緩み笑顔の娘
夫婦揃い芝居見物は久し振りと緊張しつつ母は出で行く
茨城 木 村 宏
マニラ湾の夕日を詠みし学徒兵七拾年過ぎなお忘れ得ず
沖縄も百年振りに雪という辺野古埋立てただに急ぎぬ
天皇の戦没者慰霊比島へと国民なべて深く祈りぬ
石油安に日々の暮らしに息つけど景気乱れて人落着かず
水仙の香りゆかしき正月の庭に真白き花たたずめり
真紅なる椿いくつか咲き出でて雛人形の顔も映えたり
津波にてさらわれし命二千人五年たてども尚闇の中
☆
☆
78
作 品 三
霜月や母の在所と最上川無沙汰を詫びて香華を手向く
埼玉 星 敬 子 冬空に色鮮やかに虹かかり琵琶湖湖畔に白鳥が来る
厳寒の札所めぐりを千葉寺で吹き荒ぶ風まともに受けて
「五月雨にこの笠森を」と芭蕉の句観音堂は四方懸崖造
秋山郷ふりつぐ雪に氷筍が原野に開く花の如くに
露天風呂背には氷雨を受けながら卯月の夜は静かに更ける
高知 川 上 美智子☆
青空は昨日と同じ色なれど格別に見ゆ元日の朝
螺旋描き薄墨の空乱舞して湧き立つ如くぼたん雪降る
坂道を幾重も登る道すがら梅や椿の花にひと息
新春に椿満開のあたたかさ此の夏猛暑が頭をよぎる
宮城 中 村 哲 也
朝朝の駅への道にすれ違ふ人との位置にて歩速を決むる
信念と呼ぶべきものか冬空に防寒着着ず生徒ら歩く
雪溶くる路上に足で顔を拭きひと声上げて猫走り行く
二十年歩み来し道に見るを増すジョギング姿に犬との散歩
向かひ合ふ席の男は顔しかめ掲げ読みゐるドイツ語入門
真白なるロングドレスに包まれぬあらはな肩を照明照らす
ラーメンを一杯食まむと久々に寄れば立ち食ひそば屋となりぬ
79
☆
☆
☆
バス乗り場変りたるなり夜九時に仙台駅前周囲に迷ふ 東京 山 口 満 子
休日の夫はつまらなさそうなので十条商店街へ行こうと誘う
低気圧症候群の頭痛を薬に抑え買物リストをスマホに打ち込む
コロッケキャベツメンチチキンボール等購入金額約二千円
東京 廣 野 恵 子
静かなり庭うめつくす朝の雪知らず戸を開け冷気にちぢむ
雪道に深きわだちを残しゆく我が物顔の隣家の車
情緒よりまずは頭をよぎりたるこの大量の雪の始末を
パンジーは雪の中より背をのばし花を開きて陽ざし受けいる
子育ての思い出多き友つどうそれぞれの子らが当時の我が年
成績を一喜一憂したる仲今は互いの老いの心配
本を読み若き日と友ら思い出すにぎやかだった五十年前
栃木 川 俣 美治子
髪を切る鏡の前に向き合うは久しぶりに女性らしきわが顔
枯れ草の中にすいせんポツポツと強い緑に春が待たれる
正月の新しき写真孫たちの笑顔は声の聞え来るよう
布押さえ力が入るミシンがけバッグの仕上げに気持は急ぐ
意味さえもわからぬ歌が心地良く暖かな陽を背に聴いている
友の作るすいとんの味やさしくてなつかしさも又会話はずます
80
作 品 三
冬の朝冷たい空気深く吸うミントのようなすがすがしさに
愛知 鵜 崎 芳 子
鉢植の梅もう開花去年より一か月早い暖かな冬
峰や蝶まだ見かけぬが梅の花早い開花に実は生るのかな
新幹線北海道まで開通と聞きこおどりす旅が楽しみ
冬枯れの木立の道を登り行く若いグループに道をゆずりて
子等の弾いて残したピアノ今私が楽しみて弾く「乙女の祈り」
☆
神奈川 大 野 茜 強風に揺るる機上に落ちつかず珈琲一気に飲みて眼を閉づ
高々と青空澄みて風渡る頭を上げて西から東見わたす
この秋の木枯らし一号吹く夜は何故か昔を想ひて過ごす
石蕗の花に蜜蜂留まりゐて秋の日差しは背に注げり
石蕗の花の色こそ真の黄ぞ黄花多けれど勝るものなし
長崎 野 口 千寿子 ☆
友の賀状に「見ざる聞かざる言わざる」の添え書きありぬ今年申年
窓を背に日向ぼこしつつ冬雷を読みて学ぶは土屋文明
凍て空に雪つもる庭子供らの雪合戦を窓から眺む
東京 松 本 英 夫
暖冬の人工雪に幼子のそりの歓声ひときは高し
診断を受くる朝はさりげなく「行つてくるね」に「行つてらつしやい」
81
診察の結果を告げる携帯は弾ける笑顔になみだと涙
ルーティンの掃除水やりすべて終へコーヒーうましけふもすこやか
日の暮れて妻の天ぷら揚げる音むかしは耳に入らざりしに
「こんなこと誰がしたの」と宣へど決まつてゐるよ他にたれかゐる
☆
☆
パーマかけて帰りたる妻を迎へれば「どう」とはなやぐ廊下の灯りに
「離せ」とぞひびきわたるも露と消え松の廊下はつはぶきの花
埼玉 横 田 晴 美
久し振りに戻りたる子と夕餉取る気付けば中年呼び捨て出来ず
現代を庭に植えると子は言いて老母に見せるLEDランプ
LED光の輪の中昼静か楊貴妃のごとく闇に色めく
夜半過ぎて霙の音がする頃に眠りに落ちて時を忘れる
雪の朝河津桜が満開と友より届く夫婦の写真
別荘を終の住処と定めたと友語る声掠れて揺らぐ
栃木 加 藤 富 子
新春のために求めし桜枝小さき花びら白くほころぶ
関東の初雪ニュースは一日中混乱の様を各局映す
これからの道を求めて進み行く准看護学校入学の娘
雨降りても雪が降りても金柑は黄金の実をギュッと離さず
しっかりと枝につきいる金柑を一つもぎとり朝に味わう
新しく作りたるキルトのバッグ持ち意気揚々と友とのランチ
82
作 品 三
東京 佐久間 淑 江
箱根路を寒風切りて走りゆくランナーらみな光をあびて
亡き父と共に応援し続けた箱根駅伝今年も快晴
亡き母の手植えの野バラ池の端に風に揺れつつ凛と咲きおり
一人居の茶の間の壁にほほえみて我を見守る父母の遺影
愛知 児 玉 孝 子
東の山並澄みて初日さす小高き処に立ちて拝みぬ
正月を祝ぎて集える同胞と笑いにとけつつ善き年迎う
成人式に向う青年揃いゆく姿明るし駅舎の通り
初雪を踏みて児童の弾む声真白き道を列乱しつつ
バス事故は若き命を奪いたり無念の極み顔写真拝む
逝く人の続く厳冬われよりも年下ばかり癌腫に倒る
高齢者叙勲の報せを受くる夫の顔明るみて長寿を悦ぶ
☆
☆
☆
(☆印は新仮名遣い希望者です)
広島 藤 田 夏 見
教会にトランペットの響きおり屋根裏高きを奏者嬉しと
三角の屋根裏高くシンフォニー合唱の輪にわれも入りたる
切り置きし桜の薪くどに燃え黒豆煮えて釜のあく取る
ふんわりと二本の指に押しつぶす口にとければ豆煮え上がる
八十歳の友は今年がお仕舞いと味噌搗く人もわずかとなりぬ
黒豆は友の畑の無農薬豊作なりともらい受けたり
83
店内に流れるシャンソンかき消しておんな三
のセーター 酒向 陸江 ☆
のまだ定まらず
青木 初子 残り香をせめて一冬纏いたし虫喰い穴ある母
けをりなむ 山口 嵩 ひらがなの読み書き学ぶ五歳児の字の大きさ
今渡るらし 野村 灑子
聖域は無しといひつつ大鉈は福祉予算を目掛
眠りゐて車輪の音に気づきたり鉄橋の上を
錯乱覗く 荒木 隆一 る夕映えながし 田端五百子 手遅れの末期の患者と隣り合ひ生への執着と
蘭褒む義母のメールは 河津 和子 ☆
葦の間を二羽の白サギもつれ飛ぶ川面を染む
の拠点出来たり 有泉 泰子 「ひらひらと蝶が飛んでるようです」と胡蝶
ん従妹より届く 吉田 綾子 ☆
使はれぬ給食室をリフォームし食事サービス
外見より実を味わえと書き添えて無農薬みか
作 品 一 和田 昌三
きているなり 伊澤 直子 ☆
膨るるガラス 橘 美千代 散りもみじ緑の苔にそれぞれの色を広げて生
る庭の柊
飯嶋 久子☆
炉の炎よりとりだされ青年の息吹にたちまち
落ちた音聞く 山本 貞子 ほのかなる香り訪ねて行く先に無人になりた
は胎児の形 関口みよ子 ☆
街中の車の音にもまぎれずに葉書がポストに
出雲へ 田島 畊治 ☆
充分にミントを食べて繭籠もるさみどりの虫
思ふも楽し 西谷 純子 神無月妻の病はそのままに吾にあずけて神は
気が甘い 倉浪 ゆみ 美しき便箋目にし求めたりどなたに出さうか
事を見比ぶ 東 ミチ 干柿が音符のやうに吊されて近寄りゆけば空
眼で迎えくれたり 糸賀 浩子 ☆
抱へたる県の事情が顔に出る沖縄と青森の知
象二頭ゆったり冬の陽鼻でまぜやさしきその
作 品 二 髙橋 説子
人とあらそはぬこと 斎藤 陽子
しばし味わう 中山 綾華 ☆
喜寿すぎて傘寿に近き日々なれば一人誓ひぬ
にしばし近況を語る 佐々木せい子 ☆
散紅葉踏んで散歩の心地よし行ったり来たり
夜は来りぬ 大塚 雅子 ☆
「越えましたあなたの年齢を」朝日差す遺影
り進みぬ 乾 義江 ☆
地平線に幽かに残る夕焼けを惜しむ間与えず
居住まひ正す 植松千恵子
免許証返納までにと着手する身辺整理もかな
らかに照る 卯嶋 貴子 ☆
闇深し補聴器はづせば音のなく歌を詠まんと
きながら 村上 美江
澄みわたる初冬の夜空に昇る月煌煌として清
し 池田 久代
美しい日本語使ひ語り合ふ専門用語に辞書引
き与ふ 鈴木やよい
紅葉の舞散る中庭いつしらに枝の間の青空広
建物に沈み始むる秋の陽は散り残る葉にも輝
作 品 三 天野 克彦
二月号 十首選
人のボルテージ上がる 高松美智子 ☆
二月号 十首選
84
編 集 室
老いふたり現状維持に躍起なり、いまの
去つてゆく過去をひきつれ
追憶のひそむピアノがトラックに積まれ
はらぎて光りさしくる 新薬の効果れきぜん リウマチの不快や
けばすでに弱き立場に 「足の小指」より。一首目は一連の冒頭の
一首。ごく自然にこの連作の中に誘い込まれ
人間の死よ
一輪となりて地上に一輪となりて地上に
イタイと泣いてをるなり
けつまづく足の小指がおれよりもイタイ
り濡れてをるなり
も、むしりとってもエンドレス。誰の傘か分
な世界を捉えている。貼り紙をむしりとって
■武藤雅治歌集『鶫』
かなか現実はそうはいかない。読者それぞれ
に一輪となりて」が心に響いてくる。その一
は自分とは別の存在として捉えられている。
四首目は自分の足の小指でありながら、小指
からないがたった今、雨の中を来た人がいる。
る。抄出した二、三首目は日常の中の不思議
このような作品もまた心に残る。作者の凝
視しているものに読者の思いが及ぶのであ
自在のあればこそとて
る。
二十五日発行。「古今」所属。
北にみんなみ天変地異のあひつぐは自然
著者の第五歌集でここに収められている作
品のほとんどは未発表のものだという。あと
が自由に色々な想像を膨らませながら読める
自然界のとてつもなき強大さに立ち向か
ふ人のちからは無力
がきで 作
「相互想像」
< 者と読者それぞれが、
によって、「全世界」を創造してゆくような
保護のなくば死と直結の弱者こそ救はる
るべき 孤独死つづく
人間が自然を恐れず、環境を破壊してきた
ため様々な問題が起っている。そして世界で
輪となるまで輝き続けていたいものだが、な
判精神や問題解決への願いを込めたこれらの
これまた厳しい現実がある。人間社会への批
絶えない。そして日本の社会に目を向ければ、
の下またむしりとる
むしりとる貼り紙の下むしりとる貼り紙
を見上げつつ弥生もなかば 咲きさうでなかなか咲かぬ辛夷の木 そ
地理院の地図に載りたる槻の木の供木と
き供木いづこ
終戦の直前伐られし大欅わが家を去りに
■宇留賀七郎歌集『早瀬響かふ』
という事が、この歌集の魅力だと思う。
作品は読む者を立ち止まらせる。
持ち主のわからぬ傘が玄関の傘立てにあ
は絶えず政治や宗教の対立などからの戦いが
五首目は人間の死を取り上げているが「地上
つねにおもふは世界の平和 宗教も民族
作品世界を、私は、私の短歌にも願望するの
(六花書林刊)
も一つとしてかたれぬか
である と
> 記 す。 平 成 二 十 六 年 十 二 月 八 日
初版発行。「月光」所属。 (古今叢書第一三〇篇 角川学芸出版刊)
破壊の代償ならむか
巻末に「じゃじゃ馬短歌考」と題して福田
龍生氏執筆の跋文を置く。平成二十七年一月
■古屋寛子歌集『じやじや馬ならし』
歌集 / 歌書
御礼
人らみな加齢といふをお忘れか、気がつ
85
アに夏の陽は病みていつ
れ な い が、 島 崎 榮 一 氏 の 序 文 に「 昭 和 戦 中
尾張ゆ御嶽の見ゆ
まほろばの信濃にわれは生を享く住まふ
る番傘匂ひし
雪のみが生命あるごとひしひしと降りこ
までに打ちし波かも
いんいんと運河はいたり牢壁をおののく
の一時期、供出ということがあった」「農家
作者は信濃の生れ。いつ何処にいても故郷
をはるかに思う。そしてそこで過ごした思い
夏のおもき暗流
下校どき道半ばまで出迎へて母渡しくる
においては米や麦、大豆など馬も軍にとられ
出が多くの短歌となって歌集に散りばめられ
ドーヴァーの海傾けば双翼は一気にくだ
してわが家を離れき
た」とある。この大木の欅は船材に加工した
ている。平成二十七年三月十九日発行。「鮒」
全体を読み通して濃い印象を受けた二首。
戦後生れの私には「供木」という言葉が耳慣
らしいという記述もあって作品の背景がよく
前庭の池の深みに棲む鯉の冬の寒きに耐
べて傾きて立つ
春雪に半ば埋もるるバス停のポールはな
第二部を歌論という二部構成となっている。
収めることとなったという。第一部を海外詠、
に過ぎて来たため、今回その海外詠を本集に
録したものの、多くは発表する機会を持たず
詠を生み出した。その一部をのちに歌集に収
イタリアなどの諸国をまわり、瑞々しい海外
スイス、オーストリア、イギリス、フランス、
という詩型を正面から見据えて自らの詩心が
という歌論が中でも深い印象を受けた。短歌
第二部は所属の「塔」、その他の場で発表
し た 歌 論 を 収 め て い る。「 私 の 作 歌 の 姿 勢 」
みつつふっと、そんなことを思った。
歌の世界を展開させただろうか。作品を楽し
もし今、同じ地を訪ねたとしたらどのような
海外詠前半から心惹かれた作品。知性と詩
性ともに豊かな作者の若き日の詠嘆である。
つなぎつつ あふれくる灯の輪と
こよい葡萄酒村にうたえば見知らぬ手を
韻を熱く訪わばや
中世の雨は降りつつよみがえるわれよ鐘
る空を逃れて
日の涯てを流るるセーヌ浮浪者の横たう
めてくらし昏しヨッホの
分かった。国のためとはいえ、愛着のある欅
■『想い出への序章』早﨑ふき子著
(鮒叢書第九〇篇 現代短歌社刊)
所属。 うか。
おおよそ半世紀前、海外旅行者などほとん
どいなかった時代、著者は夫とともにドイツ、
を伐らねばならぬとは、なんと寂しい事だろ
朝霧の薄れゆくうち十羽ほど背に光うけ
へて動かず
平成二十七年一月二十五日発行。「塔」名誉
白鳥降り来
飯粒のつける碗など池に洗ふ指先なむる
会員。「玲瓏」所属。
写実で捉えた端正な作品。切り取られた情
景が読者の心にすっと入ってくる。
鯉ども寄り来
山と山重なり合ひて木々透くを学校帰り
ゴンドラに黒き真昼は溢れしめヴェネツィ
ノの昼の静寂
尖塔のすさまじき群 天空を圧せりミラ
て一首を定型に収めたあと確かに不思議な陶
さを提示している。場合にもよるが、推敲し
この韻律に呑み込まれはしないかという危う
鯉と対話するかのような様子が伝わってく
る。二首とも作者の温かい人柄が偲ばれる。
に親友と見き
86
にも充実した内容の論考が収められて、改め
限の文学的広がりを持つのだと感じた。ほか
型の韻律に埋没することなく、言葉自体が無
しこの論考を読んで、作家の選んだ言葉は定
酔感のようなものを感じることがある。しか
らしく、作者の個性を感じる。色々と紹介し
の雲を詠んでいる。擬人法での捉え方が素晴
までが表現されている。四首目は象のかたち
つけられる。少女の柔らかな動きや繊細な心
例えている。三首目の下句には、ぐんと惹き
一、二首目は米寿を迎えての作で、なるほ
どと頷かせる機知とユーモアが漂う。三首目
すぐのこゑ
百年を百一年へ繋ぐいま正念場とぞまつ
九人目アンカーにあらず
ひとつ火を継ぎて継ぎての百年ぞわれは
フトに探す時の間
はこの世では会えない夫の足を思わずリフト
たい作品があるが現代社会を日常の暮しから
に探して愛の深さと切なさが伝わる。四、五
見つめた作品を挙げておきたい。
戦場をテレビの中に閉ぢこめて桜の下の
首目は「水甕」百年を詠んだもので、さらに
て短歌について考えることが出来たことを感
うつし身になる
未来に向かって進む強い意思と祈りが込めら
謝したい。 (角川学芸出版刊)
爆弾を腹に括りて進みし人鼻腔に蜜の匂
れている。
■十鳥早苗歌集『縄張り宣言』
ひののこる
本格的な作歌に取り組んで十二年が経ち、
その間の作品三五〇首を収録した著者の第一
歌集である。平成二十七年三月二十日発行。
少女寄りゆく
街角に置かるる水の販売機羽をたたみて
満年齢八十七はハナの年華やぎあれと日
平成二十七年一月二十五日発行。
甕」は創刊百年を迎えたと書いておられる。
品を収める。氏はあとがきで、この間に「水
むらさきに熟れやはらかき無花果は野辺
夏の始まり 校正の厚き束待つ東京へ ふたたび猛き
をさらりと老いて
標高千米遊休農地の蕎麦啜る この一年
ども複数がよし
首寄せて柿の一つ実つつきをり鳥といへ
力を掬ふ
ひと椀の朝の味噌汁賽の目の豆腐の白き
光積みセシウム積みて三六五日クロッカ
■春日真木子歌集『水の夢』
(本阿弥書店刊)
「笛の会」所属。
ス黄に咲くは変はらず ヨとカラスとワタシと動く
「水甕」代表の春日真木子氏の第十二歌集。
平成二十三年秋より平成二十六年春までの作
ジョウビタキに縄張り宣言されながらヒ
人多き関東平野に煮炊きして南に帰る気
北側の窓に流れて来し雲がひととき象の
のくちびる母のくちびる 持ちの起きず
かたちで過ごす
日在りたるに
ひとつの歌が提示する世界に広がりがあっ
て読んでいて楽しい。色々学ばせて頂いた。
と笑はむ
(水甕叢書第八七一篇 角川学芸出版刊)
数へ年老いを早むる数へ年八十八歳ハハ
そうな情景を面白く捉えた。二首目は同じ一
天空ゆしづかにおろす夫の足もしやとリ
一首目は歌集名となった一連からの作品。
活発に動くジョウビタキの勢いに巻き込まれ
連にある。作者の故郷は鹿児島、自らを鳥に
87
■井川まさみ歌集『桜の家』
剥がしてゐたり
前髪はどうしませうか美容師に決めて欲
しきをまたも迷へり
る。平成二十七年四月十六日発行。
媛県生れ。期待される若手の作家の一人であ
病篤き義父のパジャマを洗ふ夜半こころ
身裡に籠る
早朝の受信メールの一文が火種となりて
らいつもの私
ンプのカードに例えて名付けた。今も
る船舶の目印になった。外国人がトラ
高層ビルが無い時代、横浜港に入港す
「横浜三塔」は、大正・昭和初期の建造。
◇今月の画像 開け放つ座敷に昼寝の子ら二人くの字へ
横浜港のシンボルになっている。大桟
温泉に浸かれば十歳若返る事なしどうや
の字の形に眠る の芯がぐらりと傾ぐ
「白珠」同人である著者の第一歌集である。
井川まさみ氏は略歴によると昭和三十六年愛
新しき命産み出す瞬間に宇宙のちから体
しなやかな感性で対象を切り取る。あると
きは細やかに心の襞を掬い、あるときはほの
キャベツは芯まで熱し
る。新鮮で伸びやかな表現が魅力である。
ぼのとしたユーモアを込めて人間の本質に迫
庁 本 庁 舎 昭 和 3 年・ m )、 ク イ ー
ンの塔(横浜税関本関 昭和9年・
三塔が見える。キングの塔(神奈川県
橋の国際客船ターミナルから辛うじて
感したり
添ひ寝して触るる子の耳の冷たさよ粉雪
最後に歌集名「桜の家」に関連する作品を
あげておきたい。
壁と床取り払はれてあらはなる古家の骨
51
会 館 大 正 6 年・ m )。 ラ ン ド マ ー
クタワー(平成5年・297m)、は、
m )、 ジ ャ ッ ク の 塔( 横 浜 市 開 港 記 念
49
家族待つ ケチャップ色の鍋の中ロール
の舞ふ睦月の夜更け
てをり緑陰に坐し
組み束・桁・垂木
父と子の川原に石を投げて遊ぶさまを見
摘みたての苺に練乳かくる朝娘と恋の話
改築の完成の日よ遅咲きの桜がつひに花
(以上担当 桜井美保子)
(白珠叢書第二三五篇 青磁社刊)
生き継ぐ古木さはさはと「桜の
庭ぬちに
さと
の人言ふ
家」と郷
開き初む
などする
何と言ってもこれらをはじめとした家族詠
の温かさが心に沁みる。母親として妻として
生き生きと暮す日常が自然体で歌われてい
る。
遠山にま白く吹雪く一団が両手を広げ駆
けおりて来む
解明の鍵その内に在るごとく白菜の葉を
(関口)
街「日本大通」の東端に位置する。 横浜創造都市センター)は、横浜官庁
た。旧第一銀行横浜支店(昭和3年・
のシンボル。長らく最高層のビルだっ
J R 桜 木 町 駅 前「 み な と み ら い 地 区 」
36
88
遂げた。別冊付録としての文庫歌
だったが、平成十八年に大進化を
集を挟み込むという画期的なもの
ものがあった。冬雷誌に個人の歌
▽かつて冬雷には綴込歌集という
他にはハードカバー新刊歌集が二
雷 文 庫 扱 い と し て の 歌 集 が 二 つ、 ている。仲間ぼめの手前味噌だと
▽今年は歌集類の刊行が続く。冬
みになった。
からの大胆な発想の様相で、楽し
んに担当してもらう。得意な分野
▽今月から新コラムを橘美千代さ
て、ご冥福をお祈りする。合掌。
のは故人のお人柄の賜物だ。改め
した。沢山の追悼文が寄せられた
云われるかもしれないが、縁あっ
読ませるものに仕上がったと信じ
が、扱ったものはすべて個性的な
歌集・歌書を企画、制作して来た
▽わたしも今まで、かなりの数の
る。自ずから自分の歌が出来る。
もりで、短歌で自分自身を凝視す
ものだ。生涯一冊の小説を書くつ
ても、作者がどこかに濃く現れる
桜井美保子
▽誤植訂正
三木一徳 赤羽佳年 中山雅代
来生陸夫(直接)
▽寄附御礼
▽新入会紹介
いるのでご利用下さい。
(小林芳枝)
用紙なども三冊千円でお分けして
お守り戴きたい。冬雷専用の原稿
定がある。裏の投稿規定を読んで
型の原稿用紙を使用するという規
▽冬雷ではB5版二百字詰めタテ
編 集
後 記
集 が 誕 生 し た の で あ る。 こ の シ
て同じ結社に寄合う同志なのだか
ん の 第 二 歌 集『 美 し い も の 捜 し 』 ら、 そ う い う と こ ろ は 濃 厚 に 開
中段1行目 リーズは第一回の『なほ走るべし』 つの予定。そのひとつ野村灑子さ
から『桃苑』までなんと二十二の
け っ ぴ ろ げ で よ い と 思 っ て い る。 3月号 P
(出席者の誌上掲載作品を批評)
篇 ) は、 今 月 出 版
54
第 6 研修室
午後1時~5時まで
瞬なれど→一瞬なれど
4月 10 日( 第2日曜日 )
。
文庫が発行されている。現在は大 ( 冬 雷 叢 書 第
▽「下手でも良い。自分の歌を詠
▽四月には新年とは少し違う感じ
み に。 そ し て 激 励 の 意 味 か ら も、 してゆきたい。 (大山敏夫)
め」という冬雷のモットーが輝く
の喜びがあると感じている。
社へ入れる。続いて進められてい
入学・進学・入社など新しい生活
久保さんの歌集と大滝さんのコラ
祝福の意味からも、是非とも一冊
に進む節目の月ということもある
ような歌集を今後もプロデュース
と思うが、文庫歌集などで自分の
ご購入下さるようお願いしたい。
のだろう。今月の紙面にも新しい
るのが桜井美保子さんの第三歌集
作品を纏めてみることもよいので
らいは作る目標があってよい。あ
ん で も ら う こ と が 一 番 で あ る が、 ▽作歌を志した以上、歌集一つく
はないだろうか。多くの読者に読
んなもの自己満足に過ぎない、と
*お気軽にご参加下さい。
ム・歌集が準備中と聞いている。
自分自身のためでもある。どう自
「豊洲シビックセンター8階」
です。
*ゆりかもめ「 豊洲 」駅前
▽合同歌集参加も素晴らしいこと 『 駅 』 で あ る。 ど う ぞ 皆 様 お 楽 し
分が生きてきたのか、その軌跡を
る。体をそして脳を活性化させて
い う 冷 め た 目 で 見 る 方 も 居 る が、 風 が 吹 き 込 ん で い て 楽 し み で あ
この季節を満喫したい。
編集後記
残せる。歌集を纏めたい方は担当
選者にご相談を。 (桜井美保子) 人 間 一 人 の 生 き 方 は 単 純 で は な
▽今月は田中國男さんの追悼号と く、そして短歌はどのように歌っ
冬雷本部例会のご案内
95
≲冬雷規定・掲載用≳
り執行する。
≲投稿規定≳
一、歌稿は月一回未発表十首まで投稿できる。
一、本会は冬雷短歌会と称し昭和三十七年四
月一日創立した。(代表は大山敏夫)
一、事務局は「東京都葛飾区白鳥四の十五の
原稿用紙はB5判二百字詰めタテ型を使
担当選者は原則として左記。
再入会の方は「作品三欄」の所属とする。
切りは十五日、発表は翌々月号。新会員、
が二枚以上になる時は右肩を綴じる。締
作品欄担当選者宛に直送する。原稿用紙
用し、何月号、所属作品欄を明記して各
九の四〇九 小林方」に置き、責任者小
林芳枝とする。(事務局は副代表を兼務)
一、短歌を通して会員相互の親睦を深め、短
歌の道の向上をはかると共に地域社会の
文化の発展に寄与する事を目的とする。
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、長年選者等を務め著しい功績のある会員
作品一欄担当 大山敏夫
作品二欄担当 小林芳枝
一、Eメールによる投稿は作品一欄及び二欄
頒 価 500 円
ホームページ http://www.tourai.jp を名誉会員とする事がある。
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
作品三欄担当 川又幸子 一、表記は自由とするが、新仮名希望者は氏
名の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応じる。一通を返信用とし
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
記した封筒に切手を貼り同封する。一週
間以内に戻すことに努めている。添削は
入会後五年程度を目処とする。
一、事情があって担当選者以外に歌稿を送る
にて左記で対応する。なお、三欄所属の
方は実際の締切日より早めに投函する。
≲Eメールでの投稿案内≳
千円
A 普通会員(作品三欄所属) 方のEメール希望者も、次のどちらかの
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
350-1142 川越市藤間 540- 2-207
電話 049-247-1789 事 務 局 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409
振替 00140-8-92027
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬雷」
に作品および文章を投稿できる。ただし
取捨は編集部一任とする「冬雷」の発行
所を「川越市藤間五四〇の二の二〇七」
とし、編集責任者を大山敏夫とする。
一、編集委員若干名を選出して、合議によっ
て「冬雷」の制作や会の運営に当る。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
し、六か月以上前納とする。ただし途中
退会された場合の会費は返金しない。
B 作品二欄所属会員 千二百円
*会費は原則として振替にて納入する事。
C 作品一欄所属会員 千五百円
〉
[email protected][email protected]
選者宛に送る。
大山敏夫〈
小林芳枝〈
D 維持会員(二部購入分含む)二千円
E 購読会員 五百円
一、この会則は、平成二十七年十二月一日よ
《選者住所》
大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 090-2565-2263
川又幸子 135-0061 江東区豊洲 5-3-5-417 TEL 03-3536-0321
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655 2016 年 4 月1日発行
編集発行人 大 山 敏 夫
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