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ベンガル農業社会における農家経営の階層構造
271 東京外国語大学論集第 89 号(2014) ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析- 谷口 晉吉 はじめに 1. 農民階層分析-先行研究 2. ベンガル農業社会の階層化: その歴史的形成メカニズム 3. ベンガル北部農村の階層分析(一):18 世紀後半北部ベンガル 4. ベンガル北部農村の階層分析(二):現代バングラデシュ 結びに代えて-富農による農業労働者の抱え込みの構造の打破に向けて はじめに 私は 1983 年から 85 年にかけてベンガル北部の一つの農村において半年ずつ 2 回の住込み調 査 1)を行い、この村の社会と経済に関する英文報告書を発表した。 そこで私が採用した調査手法は、5000 人ほどの人口を持ち、20 集落または分村(para)か らなるこの行政村全体を対象としたランダム・サンプリングではなく、私が一人で扱うことの できると判断した合計 110 世帯ほどからなる南端の 4 集落において悉皆調査を実施してデータ を収集し、それを階層化手法によって整理し、その上で各階層から比較的少数の世帯を抽出し、 より詳しい経営調査を行い、考察することであった 2)。 この報告書では、調査村の社会・権力・生産の構造を分析し、住民の半ば以上を覆う貧困の 一つのメカニズムを描くことができたと考えている。だが、残念ながら、筆者の作業は一部研 究者の好意的評価を得たとはいえ、後続の研究者による同様な問題視角からの調査を得ること は出来なかった。 最近の開発経済学や貧困研究は独自の発展を遂げ、ミクロ経済学と非常に高度な統計的推論 を駆使する分野となり 3)、これらの準備のない研究者の手の出せるものではなくなってしまっ たかにみえる。しかし、逆に言うなら、分析手法のテクニカルな準備、方法論上の制約、そし て膨大な先行研究のサーヴェイなどの負担が非常に大きくなり、調査地に虚心坦懐に向き合い そこから問題意識や社会経済のメカニズムを直接に学び取るという地域研究における最も基本 的な姿勢が弱くなっているのではないかと危惧される。 本論文は、私が 30 年ほど前にフィールドワークの中から見出した貧困の構図を、より広い 歴史的文脈の中に位置付けた上で再提示して、その有効性を問いたいという意図をもって書か 272 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 れたものである。但し、ここに示される構図は、1990 年代中頃から急速な経済成長の軌道に 乗ったかに見えるバングラデシュにおいては、すでに遺制と化しつつあるかもしれない 4)。だ が、例え急激な構造変化がバングラデシュ農業社会において始まっている可能性があるとして も、その変化の初期構造を示すものとして本稿の存在意義は失われないと考える。 1.農民階層分析-先行研究 ベンガル農業社会における農家経営の階層的構造は、これまでどの様に把握されてきただろ うか。ベンガルにおける農家経営に関する歴史史料は非常に少なく、英国植民地支配期の富農 jotdar 研究の先頭に立った Ray, R.(1979)も富農経営の考察は行っていないし、彼女の富農論 を強烈に批判し小農卓越論を繰り広げた Datta, R.(2000)も、彼の主張する小農経営の具体 的な姿を提示しているとは言い難い。Chaudhuri, B. B.(1975)の脱農民化(depeasantization) の議論は、植民地支配後期のベンガル農業経済に関する非常に優れた展望を与えるが、農家経 営の階層分析にまでは踏み込んでいない。同じく、植民地支配後期のベンガルを対象とした Bose, S.(1986)の地域類型論は具体性に乏しく、また、彼が東ベンガルを小農優越地帯とし たことに対して複数の研究者が反証を挙げ批判している。Goswami, O.(1991)は植民地期後 期のジュート栽培農家の経営に関する考察を行っているが、データの不足からその分析は初歩 的レヴェルに留まっている。Islam, M. M.(2012)は、同じく植民地後期のジュート生産と前 渡金について考察し階層分析の有効性を示したが、経営構造の分析にまでは考察は及んでいな い。 現代のベンガル農民階層研究は、農民を土地所有規模に基づいて、限界(過小)農、小農、中農、 富農などの階層に区分し、それぞれの階層の農民が、農業近代化の採用の程度、兼業のあり方、 価格変動への対応、負債の多寡、教育程度等々の多元的な指標において、どの様な実績を残し たのかを現地調査データに基づいて考察し、各階層の特徴を検出してきた。この様な多元的ア プローチを採用した研究はかなりの数に達する。例えば、Herbon, D.(1994)は実に様々な側 面について階層分析を行い、生産費用や作付作物の階層性にも言及するが、残念ながら階層化 された農家世帯間の経営的補完構造に関する考察はない。Datta, A. K.(1998)は現地調査に基 づいて、刈分小作、質地、農業労働者賃金について詳しく論じているが、ここでも農家経営の 階層分析はなされていない。 この様な多元的なアプローチにとは別に、限定された視点から階層分析を行った研究も多数 に及ぶ。Bhaduri, A.(1973)の半封建制(semi-feudalism)論は、労働市場・借地市場・農業 金融市場の市場連関に注目した興味深いものであるが、十分な実証性・具体性を欠き、多くの 批判を浴びることとなった。Van Schendel, W.(1981)は、バングラデシュの農民層分解や階 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 273 層構造、そして社会的流動性に関する実証データを提示し、Rahman, A.(1986)は農民層分解 論を集中的に論じ、Chaudhury, A.(1982)は、農民の階層化と村内の権力構造との関係を論じた。 Mandal and Ghosh(1976)は、在来品種、高収量品種についての自作農と小作人の費用構造 を示し、Jansen, E. G.(1987)は農民負債、土地移動、刈分小作、農業労働者など階層構造に 関する詳細な情報を与え、Rahman, P. M. M.(1994)は、階層別の家族労働、雇用労働の投入 量データを示し、Siddiqui, K.(2000)は、1977 年と 1997 年のある村の土地所有、小作・質地 などについて階層別の時系列変化を分析し、藤田(2005)は階層問題を主に灌漑費用の階層間 不平等という視角から論じ、Manwar, A.(1996)は高収量米と在来種米の費用構造を季節別、 階層別に考察した。Rahman & Husain (1995) や Rahman、Matsui & Ikemoto (2009) は、いず れも慢性的貧困層(the chronically poor)に関する興味深い研究であるが、バングラデシュの 農業社会構造全体を踏まえた、包括的な貧困問題へのアプローチとはなっていない。 以上の簡単な先行研究のレヴューからも分かる様に、現代ベンガル農業社会の階層性に触れ た研究は相当数に達し、その内の幾つかは階層的農家経営構造にも言及しているのだが、残念 ながら諸階層間の経営的相互補完関係(包摂-従属関係)には分析が及んでいない。本稿は、 この欠落を埋める作業の一つである。 2.ベンガル農業社会の階層化:その歴史的形成メカニズム 農業社会には、共同体的な平等化原則(共同体的土地所有や土地割替えなど)や領主・国家 権力による小農維持政策などによって、土地所有(あるいは土地保有)の移動や集中が抑制さ れ比較的に均質な耕作者・農民層が維持される場合と、政治的混乱や経済の商業化による土地 市場の発生などの結果として共同体的土地所有制や小農維持政策が崩壊して、土地集積が進行 し、農民内部の格差が拡大し階層化する場合とがある。本稿でいう農民階層化とは、農民内部 に土地保有 5)の不均等な分布が生じることであり、遅くともムガル末期から植民地期初期に はベンガル平野の全域で広範に見られた状況である 6)。ただし、その生成の論理や浸透の程度 はベンガル地方においても決して一様ではなく、地域により時代によりかなり大きな相違が あったと思われる。だが、その具体的な様相の究明は今後の研究に俟たねばならない。 農業社会の階層化の契機として留意すべきもう一つのメカニズムとして、荒蕪地の開発があ る。開発者は、未開発地域に住む森の神や地の神と折り合いをつけた者という宗教的意味合い もあり、開発地に対して特別の権利を得て、その一帯の有力な指導者となるからである。東ベ ンガルについては Eaton, R.(1993)のすぐれた研究がある。だが、彼はイスラム聖者 pir に過 大な評価を与えており、それ以外にも様々な社会層が開発を行ったことを軽視している。特に、 支配者から施与地を与えられたバラモン、ヒンドゥ系・アフガン系諸王朝の兵士・官僚やその 274 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 残党、ムガル帝国期の在地支配者(zamindar または talukdar)、帝国官僚(jagirdar)、帝国辺 境の屯田兵などの開発行為や勧農は無視されるべきでない。ベンガル平野を西方から望む山間 森林地帯 Jharkhand に展開する Munda などの先住部族社会においても村の開基者とその子孫 は khuntkatidar と呼ばれ様々な特権を認められており 7)、ベンガル平野と類似した過程が進行 した。英国植民地期になると商人などが政府から広大な荒蕪地の開発権を取得して、それを分 割して下位の開発者に借地に出し、耕作させた場合もあり、東ベンガルの南部において複雑な 中間借地権が発生した一つの理由となっている 8)。 ベンガルにおいては、この様な各種メカニズムにより農民と農業社会の階層化が進行した 9)。 階層化の主要基準となるのは保有地規模であるが、それ以外にも在地支配者・上級所有権者が 付与した農地保有条件に関する種々の特権や隠田の創出も農民内部の階層化を促した 10)。 ここで注意を要するのは、ベンガルでは農民の土地に対する事実上の所有権(農民的土地 所有権)が実現するのは 19 世紀後半に農民の借地権・小作権に関する法的権利(occupancy right: 占有権)が成立してからだということである 11)。それ以前においても、農民は領主や地 主に地代を払う限り土地からの退去を要求されることはなかったと考えてよいのだが、それは 彼らが自由に土地を売買したり質に入れたりすることができたということは意味していなかっ た。従って、19 世紀後半に農民的土地所有権が法的に確立するまでは、農民の階層化は土地 市場における農民保有地の売買を通じての集積という通常想定されるメカニズムでは進行せ ず、上述の開発行為や、隠田の拡大や、農地保有条件に関する種々の特権の取得などという形 をとったのである 12)。 19 世紀後半に農民的土地市場が確立した後、農民保有地の移転が日常化し、また、飢饉や 農産物価格の暴落などの経済ショックが起きる度に加速化したことはよく知られている 13)。 また、世界商品となったジュートの作付が急速に拡大した地域では、商人による前渡金や農民 貸しが拡大し、その結果として、商人による農地集積と集積された土地の刈分(adhi または barga)小作地への転化が進行し、これも農民の階層化を進行させた 14)。 また、1930 年代以降には、インド独立を視野に収めて農民の地代率引き下げや地代不払い の運動が起き、地主による実効的農村支配は事実上崩壊したといってよく 15)、更に独立直後 の土地改革によって地主制度が廃止され農業社会の最上位をなした地主層が消滅すると、それ に代わって農村内部で富農層が躍進した。インド・パキスタンの分離独立は、西ベンガル州と 東パキスタン(現在のバングラデシュ)の間で数百万人規模のヒンドゥとムスリムの難民を生 み、立ち去った農民の土地を獲得して土地集積を進めた者が現れている。 集積農地を有利に経営する方法として機能してきた刈分小作制度は、バングラデシュ成立後 も存続し、また、多くの農民が貧困に喘ぐ中で活発に金融活動を行い土地を集積してきた高利 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 275 貸し(mahajan)の活動も抑制されることはなかった。 こうして、遅くともムガル時代末期にはベンガルの農業社会の階層構造が確立し、それは、 植民地支配末期に拡大・強化され、さらに、インドの分離独立やバングラデシュの成立によっ ても解消されることなく、今日に至っている。 3.ベンガル北部農村の階層分析(一):18 世紀後半北部ベンガル 私は、18 世紀末と 1980 年代という 2 時点における北ベンガルの農家経営構造を考察し、特 に後者においては、現地調査データに基づいて現代バングラデシュ農業社会の農家経営の階層 的包摂性を生産費用構造の考察から検出した 16)。200 年弱という長期間を隔てるにも拘らず、 両時点の農家経営構造には、相当に強い類似性が見られる。とはいえ、検出された両者の類似 性は長期に渡ってベンガルの農家経営構造が不変であったことを意味するものではなく、その 間に幾つもの大きな変容を重ねながら形態上の類似性が維持されてきたと理解すべきであるこ とを直ちに指摘して置かねばならない。 本節では、18 世紀末の北ベンガルにおける農民階層と富農経営構造について歴史史料によ り確認できることを述べる 17)。 3.1.その形成論理と構造 ムガル時代のベンガルではあらゆる土地は皇帝のものという建前の下で、領主(zamindar、 talukdar)が領有(上級所有)権者としての処分権を与えられ、農民は領主 18)から様々な条件 の下で土地を貸与され耕作する小作人と位置付けられていた。この位置付けは英国植民地支配 期にも続いた。18 世紀初頭ベンガルにおいて、ムガル州太守 Murshid Quli Khan は強大な権 力を掌握し、州内全域で検地を行い、各地域の領主が農民からどれだけの地代を取得している のかを確認し、それに基づいて領主が政府に納入すべき地税額を改訂した。当時の農業社会の 実態については殆ど情報がないが、この措置によって領主は領内の農民の土地保有規模、担税 能力を把握することが出来たから、農民内部の保有地の移動は抑制されたと考えることが適切 であろう。一例をあげるなら、北西部ベンガルを治めていたディナジプル(Dinajpur)王家は、 18 世紀後半においても村々に及ぶ強大な徴税・統治組織を維持しており、農民保有地に対す る強い支配を行使した。従って、そこでは農民層の階層分化は抑制されていたと考えてよい。 家族労働で耕作可能な面積を上回る過剰な土地を持つことはその分だけ地代支払いが増加する ことを意味するから、農民は耕作し切れない余剰地が発生すると、高額な地代支払いを回避す るために、余剰地を領主に返上することもあった。この様なタイトな領主支配の下で、どの様 にして農民内部に階層化が進行し、富農層が成長したのかを考えてみよう。 276 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 18 世紀後半に入ると、ベンガルにおけるムガル支配が弱体化し、その中で州政府による領 主に対する増税が加速化し、従来の統治システムが機能麻痺状況に陥った。当時、ヨーロッパ 商業会社のベンガル進出が急速に拡大した時期でもあり、その巨大な投資資金(金銀)の流入 は流通貨幣量を増大させ、物価上昇(インフレ)の圧力をベンガル経済に与えたが、その効果 を相殺する様に農民に対する地代引き上げ圧力も加速しており、ベンガルは政治のみならず社 会経済的にも不安定な時期を迎えた。ムガル支配からイギリス植民地支配への移行期における この混乱のさなかにベンガル各地で農民反乱が多発し、領主の在地支配力が急速に衰えた。こ れは、上層農民がその保有地を拡大する機会を与え、実際に、この時期に急速に保有地を拡大 した富農の複数の事例が史料に残されている。だが、この農民階層の分化は、イギリス植民地 政府の農村統治が安定した構造に達すると抑制された。ディナジプル県では収税官 G.Hatch に よる農民の土地保有上限の設定が知られており、また、ベンガル全域に対して 1799 年、1805 年に導入された 2 つの法律は、地主による農民支配を回復させ、強化させるものであった。 図1:S 集落の家族関係と階層 ▲ 死亡 ▲ 死亡 S-1(Ⅳ) ▲ 死亡 S-9(Ⅳ) S-12 (Ⅴ) ▲ 死亡 S-13 (Ⅰ) ▲ 死亡 ▲ ▲ 死亡 死亡 S-2 S-3 S-4 S-5 S-6 S-7 S-8 S-10 S-11 (Ⅲ)(Ⅲ) (Ⅲ) (Ⅳ)(Ⅲ) (Ⅱ) (Ⅳ) (Ⅳ) (Ⅲ) ▲ 死亡 S-18 (Ⅰ) S-16 S-17 (Ⅲ) (Ⅲ) (出典)Taniguchi, S.(1987), Chart 1. 図2:純賃金労働者の雇用率 100 % 90 80 70 60 50 40 30 20 10 3-4月 2-3月 (出典)Taniguchi, S.(1987), Chart 11. 1-2月 (注)月間雇用率=月間雇用日数/30とした。 12-1月 11-12月 9-10月 8-9月 7-8月 6-7月 5-6月 4-5月 10-11月 0 ▲ 死亡 S-14 (Ⅰ) S-15 (Ⅰ) 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 277 図3:第Ⅰ階層(G-I)の職業構成 小作 賃労働 あり:8世帯 あり:10世帯 なし:2世帯 (a)土地なし層:40世帯 あり:26世帯 なし:30世帯 なし:4世帯 あり:6世帯 あり:9世帯 なし:3世帯 (b)零細土地所有層:16世帯 あり:5世帯 なし:7世帯 なし:2世帯 その他 あり:2世帯 なし:6世帯 あり:2世帯 なし:0世帯 あり:4世帯 なし:22世帯 あり:3世帯 なし:1世帯 あり:4世帯 なし:2世帯 あり:3世帯 なし:0世帯 あり:1世帯 なし:4世帯 あり:1世帯 なし:1世帯 職種 ムリ製造1;鍛冶屋1 ムリ製造2 大工1;パーン小売1;ビスケット小売1;土壺小売1 ムリ製造1;牛売買1;土壺小売1 乞食1 精米1;ムリ製造2;製材業1 精米1;鍛冶屋1;タバコ小売1 ムリ製造1 精米1 乞食1 (出典)Taniguchi, S.(1987), Table 25. 表1: 18世紀末北部ベンガルの4ヵ村の農民階層構成 階層 人数 土地 地代率 % % (ビガ) (人) (ビガ) (ルピー/ビガ) 0-12 138 66 525 15 0.5 12-30 42 21 855 25 0.43 30- 28 13 2024 59 0.33 合計 208 100 3404 99 0.38 (出典) 谷口 (1994)、表6. 表2: 19世紀初頭北部ベンガルのブキャ ナンの5分類による農民階層構成 人 % 農業労働者 80000 18 刈分小作人 150000 34 小農 138000 31 中農 62700 14 富農 11000 2 合計 442000 99 (出典) 谷口 (1994)、表8. 表3: 1980年代前半北部ベンガルの4パラの経済階層構成 1983/84 % 1985/86 % G-I 56 51.4 64 54.2 G-II 15 13.8 18 15.3 G-III 17 15.6 15 12.7 G-IV 12 11.0 10 8.5 G-V 9 8.3 11 9.3 合計 109 100 118 100 不明 2 4 (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 23. 278 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 職業 表4: 階層別職業構成 (4パラ集計) G-I G-II G-III G-IV 農業 自作 地主 (刈分地) 地主 (質地) 農業賃労働 職人 大工 製材業 鍛冶屋 裁縫師 商業・店舗 ストック・ビジネス 嗜好品(パーン)小売り パン・ビスケット小売り 塩・白灯油小売り 土壺売り 煙草(ビリ)売り 茶店経営 牛馬売買 製造・加工業 精米業 小麦精製業 ムリ(米の加工品)製造業 各種専門職 ユニオン(地方自治体)議員 医者 小学校教師・校長 イスラム学校教師 軍人 鉄道職員 村警官 金貸し 乞食 (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 15. G-V 合計 24 0 0 39 14 2 3 7 18 0 4 7 11 4 3 0 10 4 0 0 77 10 10 53 1 1 2 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 1 0 2 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2 1 6 1 0 1 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 1 1 0 1 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 1 1 0 0 1 0 3 0 0 0 0 1 0 2 1 2 2 1 1 1 1 2 1 1 1 6 1 7 1 2 6 2 3 1 1 1 2 <G-I> S-18 4 3 0 M-25 4 1 0 P-8 4 1 0.03 K-10 4 1 0.15 K-19 3 1 0 K-27 5 1 0.04 K-46 3 1 0.19 M-4 7 4 0.5 M-9 6 1 0.3 M-18 5 1 0.7 M-28 7 3 0.15 M-30 3 1 0 K-20 4 1 0.25 K-34 3 1 0.525 K-42 4 1 0.5 <G-II> P-1 5 1 2.5 <G-III> S-3 4 1 3.5 S-11 5 1 3.95 S-17 5 1 4 M-14 5 1 3.65 P-5 6 2 4.75 K-14 5 1 5.8 K-15 4 1 3 K-23,24 20 5 5.5 K-49 6 2 5 <G-IV> S-1 8 1 10.15 M-7 4 2 7 K-8 8 1 9.5 K-12,13 8 2 8.75 <G-V> S-12 6 1 25 M-2 4 1 25 M-12 4 2 18 K-7 15 2 46.65 K-9 12 2 34 (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 28. 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.15 0 0 0.5 -0.9 -0.95 0 0 0.5 -1 0 0 0 0 0 0 0.25 0 0 0 0 0 -0.5 0 0.95 0.5 0 0.5 0 0 6 -0.45 0 0.5 1.5 8.75 0 0 -2 -5 -4 質地(LB) 21 24 16 39.5 26.25 9.15 7.5 10.75 8.5 2.5 2.95 3.25 3.65 5.75 4.5 2.65 10.5 3.35 2.5 0 0 0 0 0 0 0 3.5 1.5 3.7 0.75 2.55 1.4 0.55 0.5 159 181 239 149 182 198 159 166 137 240 173 186 226 193 167 182 186 162 246 0 0 0 0 0 0 0 243 260 154 300 167 182 200 300 88159 113251 97315 202070 176233 62075 33240 54498 29645 19904 16395 19292 20304 30975 19996 14755 54259 17070 14370 0 0 0 0 0 0 0 19975 9836 13271 4800 13367 6510 2540 4765 経営面積 作付率 総生産 (タカ) (LB) % 30754 40231 11865 86020 40047 37370 10350 20803 12975 8364 9615 10002 9739 13555 6849 5276 22400 13255 9985 0 0 0 0 0 0 0 2590 3330 8186 2000 3119 2870 2155 3605 0 0 0 0 0 0 2005 3150 1150 0 1890 3105 0 2925 0 0 14944 0 300 0 0 0 0 0 0 0 8590 4649 4575 2400 6638 1250 210 0 0 0 3775 9725 7550 0 0 0 0 0 0 0 0 0 800 0 0 1183 1155 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 30524 48221 35906 49669 46620 14706 7492 12374 4259 2575 3695 4498 4569 5945 2477 2818 9215 2641 1943 0 0 0 0 0 0 0 4184 1929 2247 1425 3364 1966 352 616 自家 地代 耕作費用 消費 (タカ) (タカ) 支払い 受取り (タカ) (タカ) 表5: 階層別の農家経営基本諸指標(SRMSによる) 0 0 0 0 0 0 0 3.5 1.25 3 0.75 3 0 0.15 0 所有地 地方ビガ (LB) 世帯 家族労 刈分地(LB) 人数 働者数 家族構成 小作地 (-は貸出し) 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 250 0 425 0 2950 1625 2925 14585 6028 5763 6281 5764 9845 7069 17954 2545 1430 14670 3788 3900 5947 1576 農業 賃銀 収入 (タカ) 道路工事 漁業 ムリ製造 ムリ製造 漁業 家畜飼育 カエル取り 漁業 漁業 パーン売り 家畜飼育 種別 (タカ) 0 0 0 0 1000 穀物商 6600 小学教師 0 0 0 6600 小学教師 0 0 0 4400 穀物商 0 0 600 牛車賃貸 0 0 280 550 2494 450 250 4590 500 0 7200 4800 0 0 1900 1000 0 収入額 (タカ) 非農業就業 12966 11358 12723 39736 24529 7942 6266 12512 7810 5716 5910 3095 6070 4975 4958 4934 11100 3246 4975 1471 3294 3305 4417 2051 6441 2897 9283 5485 6542 5448 3250 4933 3552 4310 0 0 0 0 0 600 1300 7500 750 400 6000 1475 1000 0 3400 2250 400 3000 300 300 200 50 100 100 1000 100 900 400 2000 200 400 300 600 600 一般生活 負債 費用 (タカ) (タカ) 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 279 高収量 品種 10.25 1.65 在来種 冬米(Aman米) 夏米(Aus米) 作付面積 G-Ib 総作付面 35.22 5.67 40.89 15.98 0.00 15.98 積に対す 作付面積 1.85 0.65 2.50 0.60 0.60 G-II 総作付面 29.84 10.48 40.32 9.68 0.00 9.68 積に対す 作付面積 31.65 4.15 35.80 6.85 1.40 8.25 G-III 総作付面 42.20 5.53 47.73 9.13 1.87 11.00 積に対す 作付面積 27.30 2.75 30.05 6.00 0.70 6.70 G-IV 総作付面 45.84 4.62 50.46 10.08 1.18 11.25 積に対す 作付面積 107.25 8.00 115.25 17.00 9.00 26.00 G-V 総作付面 48.42 3.61 52.03 7.67 4.06 11.74 積に対す 作付面積 178.30 17.20 195.50 35.10 11.10 46.20 Total 総作付面 45.56 4.40 49.96 8.97 2.84 11.81 積に対す (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 29 (corrections on boro rice was made). 階層 表6: 農業生産の階層別費用構造 (3) (4) (5) (6) (7) 飼料 農具損耗 種子(小麦) 灌漑 賃耕料 タカ タカ タカ タカ タカ 510 442 1308 1407 4800 3.2 2.7 8.1 8.7 29.8 80 110 0 418 0 4.9 6.7 0.0 25.4 0.0 2006 1439 2496 5185 3220 5.3 3.8 6.6 13.7 8.5 1648 1619 1824 3691 1625 4.5 4.4 5.0 10.1 4.4 24970 3662 5400 18648 8900 11.8 1.7 2.6 8.8 4.2 29214 7272 11028 29349 18545 9.6 2.4 3.6 9.7 6.1 (8) (9) (10) 賃金 物的費用 雇用費用 タカ (1)~(6) (7)~(8) 2377 8906 7177 14.8 55.4 44.6 0 1643 0 0.0 100.0 0.0 9492 25079 12712 25.1 66.4 33.6 15534 19472 17159 42.4 53.2 46.8 95790 106250 104690 45.4 50.4 49.6 123191 161350 141736 40.6 53.2 46.8 16083 100.0 1643 100.0 37791 100.0 36631 100.0 210940 100.0 303086 100.0 合計 (11) 8.95 10.00 4.04 28.00 22.50 12.64 10.16 2.05 5.10 11.49 12.25 3.59 19.95 14.05 44.95 47.95 4.51 3.44 4.50 7.56 7.60 5.55 1.20 0.90 0.00 0.00 3.78 9.32 12.76 2.95 3.93 20.16 8.87 20.16 9.35 10.40 1.25 1.25 0.55 12.47 13.87 7.90 5.15 21.31 2.07 8.10 1.51 3.35 2.77 1.65 3.67 2.75 0.81 0.05 1.03 1.98 7.75 2.26 5.00 0.84 0.50 2.67 2.00 0.00 0.00 0.86 0.41 1.60 0.11 0.25 0.59 0.35 1.33 1.00 0.00 0.00 0.00 0.23 0.90 0.20 0.45 0.59 0.35 0.13 0.10 0.00 0.00 0.00 0.19 0.75 0.09 0.20 0.00 0.00 0.40 0.30 0.00 0.00 0.86 0.15 0.60 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 2.06 0.13 0.50 0.23 0.50 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.13 0.50 0.05 0.10 0.08 0.05 0.47 0.35 0.00 0.00 0.00 0.13 0.50 0.23 0.50 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.13 0.50 0.16 0.35 0.08 0.05 0.07 0.05 0.00 0.00 0.17 0.17 0.65 0.00 0.00 0.25 0.15 0.67 0.50 0.00 0.00 0.00 0.06 0.25 0.02 0.05 0.00 0.00 0.27 0.20 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.03 0.10 0.02 0.05 0.00 0.00 0.07 0.05 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.01 0.05 0.00 0.00 0.00 0.00 0.07 0.05 0.00 0.00 0.00 6.20 75.00 59.55 0.00 100.00 0.00 391.35 0.00 100.00 0.00 221.50 0.00 100.00 0.00 0.00 100.00 0.00 0.00 100.00 0.00 0.00 100.00 表7: 階層別作物構成(SRMS) 春米 ジャ コチュ (Boro ポトル ダニャ 各種 サツ グア 総作付 小麦 ジュート 苗床 ガイ カライ豆 ニンニク タマネギ タマリンド 蕪 ウ(根 唐辛子 生姜 菜種 ナス タバコ 米) (野菜) (野菜) 野菜 マイモ ヴァ 面積 モ 菜) 高収量 高収量 合計 在来種 合計 品種 品種 11.90 4.65 0.00 4.65 1.50 6.20 2.30 1.10 0.30 0.25 0.00 0.00 0.25 0.60 0.00 0.00 0.00 0.05 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 29.10 (1) (2) 世帯数 化学肥料 殺虫剤 タカ タカ 4662 G-Ib 8 577 29.0 3.6 % 888 G-II 1 147 54.0 8.9 % 11838 G-III 9 2115 31.3 5.6 % 9422 G-IV 4 1268 25.7 3.5 % 47573 G-V 5 5997 22.6 2.8 % 74383 Total 26 10104 24.5 3.3 % (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 31. 280 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 281 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 表8: 費用-便益分析の概略(SRMS) G-I G-II G-III G-Ia G-Ib Total 7 8 15 1 9 27 39 66 5 60 9 13 22 2 15 世帯数 家族人数 労働者数 G-IV G-V 4 28 6 5 41 8 農業粗生産 世帯当たり粗生産 諸収入(賃金を含む) 世帯当たり諸収入 総収入 世帯当たり総収入 0 0 64495 9214 64495 9214 75064 9383 67310 8414 142374 17797 75064 5004 131805 8787 206869 13791 14370 14370 2425 2525 16795 16795 212950 23661 18833 2093 231783 25754 179458 44865 6600 1650 186058 46515 677028 135406 21050 4210 698078 139616 地代支払い 世帯当たり地代支払 自家消費(khorakiを含む) 世帯当たり自家消費 農業費用 世帯当たり農業費用 一般生活支出 世帯当たり一般生活支出 負債(利子のみ) 世帯当たり負債 総支出 世帯当たり総支出 0 0 29153 4165 0 0 23876 3411 1850 264 54879 7840 28312 3539 55275 6909 16083 2010 42803 5350 5400 675 147873 18484 28312 1887 84428 5629 16083 1072 66679 4445 7250 483 202752 13517 0 0 9985 9985 1943 1943 4957 4957 300 300 17185 17185 22864 2540 99100 11011 37791 4199 51084 5676 17925 1992 228764 25418 6305 1576 81498 20375 48321 12080 34530 8633 10150 2538 180804 45201 0 0 208917 41783 210940 42188 101312 20262 0 0 521169 104234 総収支 9616 世帯当たり収支 1374 (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 32. -5499 -687 4117 274 -390 -390 3019 335 5254 1314 176909 35382 調査世帯 家族人数(人) G-Ia M-25 表9: 階層別年間生活費 G-Ib G-II G-III M-30 P-1 K-14 4 3 5 5 支出項目(タカ) 米 0 0 菜種油 384 576 小麦粉 0 0 砂糖 0 40 粗糖 32 96 魚 480 360 肉 300 240 野菜 480 180 塩 60 60 タバコ 468 360 医薬品 100 300 衣服 500 600 白灯油 120 288 什器類 50 150 合計 2974 3250 一人当たり平均支出 744 1083 (出典) Taniguchi, S.(1987), Table 33. 0 768 0 384 384 0 540 960 168 12 200 1300 216 25 4957 991 200 392 60 480 240 384 480 0 60 78 500 1500 480 200 5054 1011 G-IV S-1 G-V S-12 8 6 0 768 0 192 96 800 720 160 432 624 350 3000 600 200 7942 993 0 1200 0 576 480 1680 1800 480 240 0 1000 2700 840 1000 11996 1999 では、この時期のベンガル農業社会の階層構造はいかなるものであったろうか。1793 年に イギリス植民地政府が永代ザミンダーリー査定(地税の永久的固定化)をベンガルに導入した 際に、その前提となるべき情報収集のために幾つかの地域に有能な行政官僚を派遣して詳細な 現地調査を行わせた。その様な調査報告の白眉が、J.H.Harington の北部ベンガル Swaruppur 282 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 領報告であった。また、この調査の 20 年ほど後に、博物学者 Francis Buchanan がこの地域を 含む北部 2 県(ディナジプル県とラングプル(Rangpur)県)を各県に 1 年ほどかけて踏査し、 詳しい調査報告書を著した。植民地支配初期としては望みうる限り最も詳しい、これら2つの 現地調査に主に依拠して、この地方の農業社会の階層構造と富農経営の特徴を示すことにしよ う 19)。 我々は、この時期の北部ベンガルの 4 ヵ村の保有地構成表を利用できる。それによると、ほ ぼ隣接した地域内にある 4 ヵ村の階層構造には相互にかなりの違いが見られ、小農・中農が 主たる部分を占める村から高度に両極化した村まで、いろいろな類型が検出される。しかし、 これら 4 村のデータをまとめた統合構成表(表 1)から検出される階層性と、県全体に関する Buchanan の階層構造の観察結果(表 2)とがほぼ重なることから、この両表の示す分布が北 部ベンガル農業社会の平均的な姿に近いと考えることが許されるであろう。その平均的な姿が 指し示すのは、過小農・農業労働者、小農、中・富農という 3 つの経済階層からなる高度に階 層化した農業社会構造である。 以下において、これら 3 階層の家計と経営の特徴を考察しよう。 3.2.経営諸階層 3.2.1.過小農・農業労働者の家計 表 1 が 示 す 様 に、4 ヵ 村 の 農 業 労 働 者 と 過 小 農 を 合 わ せ る と 農 村 人 口 の 半 分 を 超 え、 Buchanan による県全体に関する推定値(表 2)とほぼ一致する。 農業労働者(krishan)は農村人口の 20%弱を占め、犂や牛を持たないために借地も又小作 もできない。労働力を裕福な家族に提供して報酬を得、更に雇主が支給する食事、衣服や、妻 が行う精米と、富農の家の家事手伝いなどで得る収入を合わせることによって辛うじて一家の 生活が成り立った。 過小農は農村人口の 30%以上を占める。彼らは、犂と牛を所有するので地主から小作地を 得ることができるが、自己資金が不足しているので一家の生計を維持できるほどの面積の農地 を借地することができず、種籾、その他の生産費用を貸与してくれる富農の保有地を又小作す ることで生計が成り立つ。従って、彼らは富農経営に包摂されることで生計を確保しており、 従属農民(praja あるいは under raiyat)と呼ばれた。彼らの家計においても、妻の精米収入や 富農の家での家事手伝いの報酬が生活費の不可欠の一部をなす。彼らは、自給用の夏米、食用 油、豆類、野菜などを作るが、販売用の冬米を栽培する水田を得ることは殆ど出来ない。既に 当時から、又小作地では折半刈分制度(adhi)が導入されていたことは、刈分小作の展開の重 要なメカニズムとして注目される。 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 283 3.2.2.自立小農の家計 自立小農は地主から家族の生計をちょうど維持しうるほどの農地を借地する存在である。ベ ンガル農業社会の中核をなす層であると考えられるが、利用可能な史料によれば、18 世紀後 半には、彼らは農民人口の 20~30% 弱を占めるに過ぎなかった。彼らは犂と牛 2 頭を所有し、 家族労働を基本とした営農を行うが、大量の労働力を集中的に投入しなくてはならない田植や 収穫においては、相互扶助的な共同作業を行ったと考えられる 20)。彼らの農地の地代はムガ ル時代に設定された標準地代率表 (nirikh)に基づき決定され、各種の付加税・付加徴収も負 担した。自給用の夏米と販売用の冬米を作り、生活に不可欠な食用油(菜種油)や豆類、そし て、野菜などを宅地の周囲で栽培した。彼らの最大の支出は、地代支払いであった。 3.2.3.富農経営 18 世紀後半の混乱期に急速に成長した富農層は、農村人口の 20%弱を占め、先述の 4 ヶ村 に関して言えば、農地の 60~76%という圧倒的な部分を保有するに至っていた。 富農は、様々な手段を用いて拡大した保有地の内で、自作可能な範囲を超えた部分を近隣の 農民たちに又小作させた。これらの又小作地では折半刈分制が導入されることが多く、そのよ うな小作人は折半小作人(adhiyar)と呼ばれた。富農は小作地の収穫物を家の中庭まで運ば せ、そこで折半した。その際に、従属農民が富農から負債を負っている場合にはその倍量をま ず収穫物から取り除いて返済させ、さらにビショリ(富農が刈分小作に出した土地に対して地 主に支払う地代及びその他の諸経費に充当される生産物の一定割合)が差し引かれ、最後に残っ た作物が富農と刈分小作人との間で折半された。富農は村内の最上地をしばしば低い地代率で 享受し、そこに、販売用の冬米を中心に栽培し、更に自給用の夏米、菜種、豆類、果樹、野 菜、その他多様な作物を作った。村内の土地に加えて、広大な土地を村域の外に持つ富農も存 在した 21)。この様な土地は独立保有地(huzuri jot)と呼ばれ、村役人や村長の管轄外となり、 村へ課される諸課徴を免除される。その様な土地を持つ有力富農は独立ジョトダール(huzuri jotdar)と呼ばれた 22)。 富農は、農村地帯の人口の半分以上にも達する零細な過小農民と農業労働者を自分の保有地 で働かせていた。先述の如く、この様な過小農民、労働者の生計は、富農を中心とした農業生 産システムつまり富農経営に包摂されていたのである。 4.ベンガル北部農村の階層分析(二):現代バングラデシュ 本節では、現地調査で収集したデータに基づいて、現代バングラデシュにおける農家経営の 階層構造を考察しよう。 284 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 4.1.フィールド 現地調査は、1983 年と 85 年に半年づつバングラデシュ北部ラングプル県 Badarganj 郡の一 つの村に住み込んで行った。この村に到達するには最寄りのバス停留所から自転車で小一時間 かかる。当時はまだ電気がなく、未舗装の村道を自動車が通ることは滅多になかった。この村 は人口約 5,000 名の行政村であり、20 ほどの集落に分かれており、その南端の 4 集落を調査対 象とした。4 集落には 114 世帯がおり、567 名が住んでいた。その後 1990 年に同村で 1 ヵ月ほ どのフォローアップ調査を行い 23)、さらに 1995 年にも短期間ではあるが同村を訪問したが、 この間に村の状況に大きな変化は見られなかった。なお、この調査村は 200 年ほど前にハリン トンが調査を行った村に隣接しており、両村の生態学的環境や村社会の構造などは殆ど同一と 言える。 4.2.村の社会関係 20 集落はそれぞれ一つないし数個の父系集団(gushuti)を中心に構成されている。同じ一 族であっても、その内部は最貧困層(I)から富裕層(V)までに階層化している(図 1)。同 一父系集団に属し、数世代を遡ればそれぞれ同一面積の相続地を与えられた諸家族が、その後、 富農、中農、小農、農業労働者などへと分化した訳である。この階層化の最も重要な契機は、 未開地の消滅という背景の中で、均分相続によって進行した土地財産の細分化であるが、それ 以外の諸要因(病気、冠婚葬祭、事業の失敗、不作、農産物価格の暴落など)もある。同じ一 族としての社会関係が存在するから、一族内における地主小作関係はドライな階級関係だけで はありえず、様々な社会的配慮が絡むことになる。 4.3.土地所有分布と階層性 調査村における聞取り調査によると、農民たちは、農業だけで小家族を維持できる最小限の 所有面積はほぼ 3 地方ビガ(1 地方ビガ=約 1.8 標準ビガ = 約 0.6 エーカー)であると考えて いる 24)。これを基準として、この村の住民を、土地なし、あるいは、ほぼ土地なし層(0~1 地 方ビガ)、 過小農(1~3 地方ビガ)、 自立小農(3~6 地方ビガ)、 中農(6~12 地方ビガ)、 富農 (12~ 地方ビガ)という 5 階層に分け、それぞれ、第 1 階層(G-Ia、G-Ib)、第 II 階層(G-II), 第 III 階層(G-III)、第 IV 階層(G-IV)、第 V 階層(G-V)とする。注意を要するのは、これは 経営面積(operated area)ではなく所有面積(owned area)による分類であることである。所 有規模による分類の方が、経営規模による分類よりも、農民諸家族の様々な特性(例えば、経 営・費用構造、農業収益、職業や教育など)とより強い相関を持ち、従って、農家の階層的特 徴をよりよく捉えていると判断されるからである。この基準による調査村の階層分布は表 3 に 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 285 与えられている。 4.4.階層別農家経営のパターン 4.4.1.階層性と兼業構造 バングラデシュの農民は農業以外の多様な兼業を行うが、表 4 に見られる様に、階層により 兼業の職種が明確に異なる。低階層(G-I)は、農業賃労働を主とし、その他には、ムリ 25)製 造、精米業、各種零細商業、大工、鍛冶屋など肉体労働を基調にした兼業を行い、上層(G-IV、 G-V)は、教師、精米工場経営、投機、金貸し、軍人、医者など資本、知識、資格、情報など を基調にした兼業を行った。 4.4.2.各階層の農家経営 表 5 は、刈分小作地(借入れ、貸出し)、作付け率、地代負担(地代収入)、耕作費用、農業 余剰、賃金収入、農外所得などを階層別に示している。表 6 は、耕作費用の諸項目(賃金、化 学肥料、賃耕、灌漑、飼料など)を階層別に示したものである。標本数が小さく、そのために 偏った数字が出てしまった部分(G-II)もあるが、全体としては、これらの表から明確に農業 経営と生産費用構造における階層による違いが読み取れる。以下、各階層について、農業経営 と家計の特徴を示すことにしたい。 なお、現地調査においては、まず、調査地域内のあらゆる家族の全ての構成員の詳細な聞 取り調査(Family Census: FC)と、あらゆる作物についての収量と労働投入量、肥料投入量、 耕耘回数、輪作などの聞取り調査(Agricultural Production Survey:APS)を行い、各世帯と 農業に関する基礎情報を収集した。その後に、農家経営データを収集するために、調査地域の 全世帯を対象とした予備的な悉皆生計調査(Rural Household Survey:RHS)を実施して諸経 営階層の大まかな分布を把握し、次いで、この情報に基づいて各階層から 6 世帯づつを選び、 より詳しい層別農家経営調査(Stratified Rural Management Survey:SRMS)を実施するとい う 2 ステップの調査を行った。表 5 と表 6 は、この SRMS データに基づいて作成されたもの である。 第 I 階層(0 ≤ G-I<1 地方ビガ):土地なし農業労働者および零細農 この階層は村内の最貧層である。1983 年のデータでは、実に世帯数の 51%、人口の 41% を 占める。この層には土地なし労働者 G-Ia(71%)と零細農民 G-Ib(29%)とが含まれる。土地 なし労働者の 55% は純農業労働者であり、また、零細農民の 69% は農業賃労働を兼業してい るから、結局、この層の 80% の世帯は賃労働に従事していることになる。詳しい兼業構造は 図 3 に与えられている。 土地なし労働者世帯について考察しよう。彼らは殆どすべて核家族タイプである。平均家 286 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 族規模は 3.9 名であり、零細農民(G-Ib)の平均規模 4.6 名を下回る 26)。彼らの就業形態には 日雇いと、長期雇い(月雇、年雇など)がある。更に日雇いにも、日決め賃金制(pait または din majuri:78%)と作業請負契約制(chukti:22%)とがある。純労働者は年間に平均 312 日 働く。非常に高い就労率だが、この村が年間を通じて生産可能な粘性砂土(pali)地帯にあり、 かつ、高収量品種導入(緑の革命)により農閑期が縮小し、高作付率を達成していること(表 5)、そして、地主が端境期にも低賃金(一家が生活を辛うじて維持できる生存賃金)で何らか の仕事を与えることなどにより説明される。 労働者の日決め賃金は、貨幣部分(beton)と現物部分(khoraki:食扶持を意味する)から なる 27)。貨幣部分は、村の労働市場の需給状態によって年間で 1~10 タカと大きく上下し、現 物部分は労働市場の状況に関わりなく年間を通して一定(精米 2.5 シェール = 約 2.5kg)である。 この量はちょうど核家族が 1 日を何とか食い凌げる最低量を保証するものであり、生活を保 障する生存賃金(subsistence wage)あるいは制度的賃金(institutional wage)と解釈できる。 日決め賃金に関してもう一つ興味深いのは、同じ村でも、賃金に個人差が大きいことである。 よく働く青壮年労働者は高賃金を得るが、病弱者や老齢者や女性は半分程度の賃金に甘んじな ければならない。つまり、地主は、労働者の能力に応じた差別的な賃金を採用している。 また、地主と良好な関係を保持する労働者には、日常的に生活援助が与えられたり農閑期に 優先的に仕事が与えられたりするが、反抗的な労働者にはこれらが拒否される。労働者はほぼ 年間を通じて働くが、9~10 月の農閑期には 2 日に 1 日は仕事にあぶれる。この農閑期を乗り 切るために、農業労働者は高賃金を得られる農繁期に籾米を備蓄する。だが十分な蓄積を行え なかった家族や病気などで不意の支出を余儀なくされた家族は、端境期に地主からの借入れを 強いられる。この様にして生じた借金・借米は、農繁期に無給で労働を提供して返済する。地 主は、命令を聞く忠実な労働者には金や米を貸し、また、薪や余った食事を与えたりする。こ うして特定の地主への特定の労働者の従属的関係が築かれ、その関係が父から子へと続く場合 もある。 もう一つの賃金形態である作業請負契約制は、農繁期に 4~5 名の労働者が組を作り、そのリー ダー(sardar)が地主と交渉して、1 地方ビガあたり幾らという契約金額で農作業(刈入作業 が多い)を請け負う。もし労働者チームが非常に効率的に働けば、通常 1 日かかる作業量を半 日で終えることも可能であり、その場合には労働者は時間当たり通常の倍の報酬を得ることに なる。但し、このやり方は仕事が雑になると考えられており、地主はできるなら回避したいと 望むが、特に高収量品種の導入後の農繁期には労働の需給関係が逼迫しており、労働者を確保 する為に、この方法を採用することを余儀なくされることが多い。 この村では、労働者は通説とは異なり年間 312 日とほぼフルに雇用を得ており、年間所得は 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 287 5,809 タカ(1 日平均 19 タカ弱 28))であった。年間の労働需要の動きは図 2 を見て頂きたい。 それでも、彼らの生活は、川で魚やカエル(当時、ヨーロッパ向け輸出需要があった)を取っ たり、妻が牛の折半飼育(adhi)29)をしたりすることで、やっと成立している状況であった。 彼らの生活状況を悪くしている一つの要因は慢性的な負債であった(表 5)。 以上では、G-Ia の農業労働者についてのみ述べた。この層には専業の職人・商人もいるが、 彼らの家計維持の方法については本稿では触れない 30)。 零細農(G-Ib)について見ていこう。彼らの世帯は平均 4.6 人、家族労働者は 1.6 名である。 平均 1.8 地方ビガを耕作するが、自作地は僅か 0.2 地方ビガであり、1.6 地方ビガ(89%)は小 作地である。そして、小作地の内 1.45 地方ビガ(81%)は刈分け小作地で、残りの 0.15 地方 ビガ(8%)は質地(bandak)であった。経営規模だけを見ると G-II とあまり変わらないが、 所有地と小作地の割合の違いは収益に大きな差を生む。彼らの経営農地の 81% が刈分小作地 であるという事実は、この階層の経営における小作地の重要性と地主の大きな影響力を如実に 示すものである。高率地代を嫌って小作地を返上しても、当時のバングラデシュ経済の状況で は、彼らは村の中で賃労働者に転ずる他なく、富農の影響下から脱することはできなかった。 この層が、明らかに資金不足であるにも拘わらず高い作付率(平均で 204%)を実現してい るのは、生存圧力(subsistence pressure)の下で家族労働を多投したことによって説明され よう。作付構成(表 7)31)をみると、自給用と考えられる夏米、野菜と、販売用と考えらる小 麦、生姜、ジュートが多いが、水田稲作(冬米)が相対的に少ない。彼らの作付構成は、地主 が小作地として与える農地の種類に依存していることに留意すべきだろう。 小作地を合わせても彼らの経営農地は過小であり、農業収入だけでは家族を養えないために、 様々な兼業を行う(図 3)。この層の 69% は、年間平均 186 日間も世帯の外で農業労働者とし て働く。従って、外部で賃労働をする時間が過半を占め、自分の経営農地を早朝、夕方に耕し、 日中は他人の農地で働くこともある。所得において賃金収入が全体の 65% に達しているから、 零細農民は基本的には農業労働者であり、副業として零細農業を行うと理解する方が適切であ ろう。 彼らは経営農地(1.8 地方ビガ)から平均年間粗所得 9,383 タカを得ており、そこから生産 費用 2,010 タカを控除すると、可処分所得は 7,373 タカとなる。ここから更に小作地の地代支 払いを引くと、純可処分所得は 3,834 タカに激減する。同面積の農業経営を行っても、自作農 民と小作農民とでは費用-収益構造においてこの様に大きな相違が生じる。ここから、自家消 費米 3,482 タカ、および、衣服、油、医薬品などの諸費用 5,350 タカを引くと、年間収支は 4,998 タカのマイナスとなる。つまり、農業収入だけでは彼らの生活はまったく成り立たない。これ を埋め合わせているのが、農業労働者賃金を含む兼業収入 8,414 タカである。だが、そのうち 288 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 現物支給の精米は自家消費米としてすでに計上しているので、現金収入は 4,770 タカとなる。 従って、計算上では、なお 228 タカのマイナスが出ていることになる。零細小作農にとっては 地代支払いの負担が大きく、また、その平均負債額は 675 タカであり、土地なし農業労働者の 264 タカよりかなり大きい(表 8)。 しかし、零細農民が農業労働者より貧しいと考えるのは正しくない。なぜなら、支出面を検 討すると、表 8、表 9 が示す様に零細農の方が土地なし労働者よりもかなり豊かな生活を送っ ており、多少の園宅地や経営農地において様々な自給作物を作り、また、燃料や藁、ジュート の茎などの生活必需品も自給できる。僅かな土地であっても自己所有地は資産価値を持ち、万 が一の場合にはそれを売ったり、質地に出してまとまった金額を調達したりして急場を凌ぐこ とが出来る。これらの利点は純農業労働者には存在しない。 零細農の経営の特徴を費用構造から考察しよう。表 6 を見ると、地代支払いを除く最大の 費用(貨幣支出の 30%)は、賃耕で生じている。これは、この層が自分の耕牛を持っていない からである。他の階層におけるこの費用は 4~9% であるから、零細農にとって、この賃耕代金 が非常に大きな負担となっている。次いで、化学肥料の購入コストが大きな部分を占め、こ の両者で全コストの 59% を占める。また、この表は、この様な零細農民であってもかなりの 農業労働者を雇う(総費用の 15%)ことを示している。移植、除草、刈入は短期間に行わなく てはならず、結の様な労働交換組織(badla)が最早なくなってしまったので、いかに零細な 農地であっても、作業のピークを乗り切るには外部労働を導入せざるを得ない 32)。とはいえ、 費用構造において賃払いの占める割合は、全階層平均 41% に対して、この階層は 15% であり、 非常に低い。 第 II 階層(1 ≤ G-II<3 地方ビガ):過小農 農業だけでは自立した経営が困難な過小規模の農地所有農民の中で、1 地方ビガ以上を所有 する者を過小農とする。RHS データによれば、この層は対象世帯の 14% を占め、平均世帯規 模は 5.1 人であり、G-I より明確に大きい。 この階層の世帯の 87% が兼業を行っており第 1 階層と同様に高い比率であるが、その職種 において農業労働者が少なくなり、より広範囲の職業に就いており、その中には、給与所得者 (教師、軍人)、村医者などがいる。なお、RHS データに基づいて 6 世帯の SRMS を実施した が、そのデータを集計すると、2 世帯は G-I、3 世帯は G-III に属することが判明したので、過 小農の農家経営(SRMS)データは僅か 1 件となってしまった。従って、偏ったデータになる 可能性を否定できないが、その経営の特徴を示しておこう。この農家は、新婚早々の息子がま だ父の世帯から独立せずに結合家族(joint family)を形成している。所有地は 2.5 地方ビガだ が、小作地として 0.5 地方ビガを貸し出し、同時に、質地 0.5 地方ビガを保有するので、結局、 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 289 経営面積は 2.5 地方ビガである。二人の成人男子労働力がいるので、外部労働力を雇用せずに 246% という非常に高い作付率を実現している。耕牛を所有するが、経営規模が小さいので耕 耘能力に余裕があり、年間 50 日ほど他の農家の経営地で賃耕をし、また、同じく 50 日ほど農 業労働者としても働く。これらの有利な条件にも拘らず、この世帯の経営収支は僅かだが赤字 (390 タカ)となっており、年にモミ米 2 マン(1 マンは 40kg 弱)、現金 100 タカほどの負債 が生じる。2 人の労働力と役牛を持っていても、この程度の経営面積では、賃耕、賃金収入が ないとかなりの赤字となる。従って、この世帯は自立小農とは言えないことが確認される。 しかし、同様の経営面積を営む零細農と比べると過小農の農業収支状況は遥かに良好である。 これは、土地と役牛という重要な農業資源を所有することによって小作地代と賃耕支出が生じ ないからである。 第 III 階層(3 ≤ G-III<6 地方ビガ):自立小農 所有農地の耕作によって家計を維持することが出来る自立小農の世帯数は全体の 15%と予 想外に少ない。平均世帯規模は 6.7 名であり、G-I、G-II より明らかに大きく、各世帯は平均 1.7 名の家族労働者を持つ。平均経営面積は約 4 地方ビガであり、その内 90%は自己所有地である。 専業農家が 41%を占め、G-Ib、G-II より遥かに多く、また、兼業者の中で農業賃労働を行う者 の比率は遥かに低い。作付率は平均 189% であり、農繁期には相当数の賃金労働者を雇用する。 生産費用を除いた純農業生産の内で自家消費分が 65% を占め、市場化されるのは 35% に留 まる。貨幣所得についてみると、彼らは農業から 74%、兼業から 24% を得ているから、自立小 農と呼ぶに相応しい特徴を持つ。この収入は世帯の全支出を十分に上回っており多少の蓄積を 行うことも可能と思われるが、実際にはかなり大きな負債を負っており、結局、高利の利子支 払いによって剰余はほとんど金貸しの手に渡ってしまう。 彼らの農業経営の費用構造(表 6)を見ると、賃金支払いが総費用の 25% と零細農よりかな り大きくなっているが、なお、中農、富農と比べれば遥かに小さい。この層は労働者を雇いつ つ、自からも雇用労働者と並んで農作業に従事する。 第 IV 階層(6 ≤ G-IV<12 地方ビガ):中農 この階層から農業経営のあり方に大きな相違が現れる。世帯規模は平均 7 名、家族労働力は 1.5 名である。1 世帯のみが年雇労働者を持つ。世帯の平均所有規模は 8.5 地方ビガだが、所有 地の 17% ほどを小作に出しており、他方、若干の借入地もあるので、経営面積は 7.3 地方ビガ となる。全世帯が犂と役牛を持ち、複数の犂を持つ世帯もあるが、耕耘の繁忙期には犂の不足 が生じ、かなりの賃耕を雇う世帯もある。75% は専業農民であり、農業労働者として働く者は 皆無である。作付率は 150% と零細農、過小農、自立小農よりも低い。 この階層の費用構造を見ると、必要な労働力の 57% を雇用労働に頼り、賃金払いが総費用 290 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 の 42%(賃耕を含めれば 47%)を占める。耕耘作業の 9% を賃耕に頼る。家族労働者は管理的 労働と犂耕に従事し、田植、除草、収穫などは主に外部労働力に依存する。純可処分農業生産 物のうち 65% は自給用に自家消費され、市場化されるのは 35% であり、自立小農とちょうど 同じ割合だが、これは世帯当たり一般生活支出が小農を 30% も上回るからである 33)。負債額 は1世帯を除くと比較的に小さく、借金の利子を払っても、ある程度の余裕が残る。 第 V 階層(12 地方ビガ≤ G-V):富農 村の最富裕層であり、平均世帯規模は 8.2 名と大きいが、子供、村外就業者などが比較的に 多く、世帯当たり家族労働者は 1.6 名に留まる。世帯の 3 分の 2 が兼業を持ち、兼業率の低い 中農とは対照的である。平均所有面積は 23 地方ビガであり、その内 2.4 地方ビガを小作に出 すから、経営面積は 20.6 地方ビガとなる。調査地域の農地の実に 47% が富農の所有下にある。 小作に出したのは 10.4% 程度であり、89.6% の土地が彼らの直接経営下にあった。中農が 17% を小作に出しているのと比べて、予想外に小作地が少ないといえよう。全世帯が犂、多数の役 牛、牛車、米蔵を持ち、その他の動産の所有規模も遥かに大きい。作付率も 175% とかなり高 い。経営調査(SRMS)を行った 5 世帯は、実に 17 名もの年雇労働者を抱えていた。従って、 富農世帯には、家族営農者 1.6 名に加えて 3.4 名の年雇労働者がおり、合計 5 名が常に農場経 営に従事していた。富農の家族営農者が農業経営と雇用労働者の全般的な管理労働を行い、年 雇労働者は主に犂による耕耘や日雇い労働者の監視、農場や家内の雑多な補助的労働を行い、 大量の労働力を必要とする田植、除草、刈入れなどの作業は日雇い労働者が行う。 ある地主は敷地内に無料で 5~6 世帯の労働者の住居建設を許し、その代わりに、これらの労 働者家族が農繁期に彼の農地で働くことを期待している。その地主からの呼び出しを拒否して より高い日給を払う他の地主の農地で働く者がいたが、その者は提供された居住地からの立ち 退きを要求された。また、労働者は生存のための借金(生活ローン)を富農から得ることが多い。 富農の 5 世帯は年間延べ 4,200 労働日もの日雇い雇用労働(必要な農場労働の 61%)と 351 日 分の賃耕(必要な耕耘量の 17%)を必要とし、それでも足りない労働力を主として年雇労働者 が供給した。1富農あたり年間延べ 840 人ほどの日雇い労働者が雇われ、農繁期には 1 日当た り 14 名ぐらいが必要となる。更に農閑期にも、しばしば数名の日雇い農業労働者が様々な作 業に雇用される。 小作地についてもう少し述べておきたい。聞取り調査において、下層農民 34)は地主が小作 地を与えなくなったとしばしば苦情を述べている 35)。調査時点は、この村では春作(boro) の高収量品種米の普及初期にあたり、富農は最も安定した収益を得られる冬米 36)は自分で作り、 当時まだ新技術であり、不安定な要素のあった春米を小作に出すというリスク回避行動を採 り、その結果、刈分小作において従来の年間契約が減り、作期ごとの季節契約が登場したと思 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 291 われる(表 7)。そして、緑の革命の進展により春米耕作の収益性が確認されるに従って、こ の部分についても小作地を回収して直営部分を増やしたと思われる。実際、1990 年初頭に調 査地を再訪した折には、地主による高収量春米の耕作が拡大していた。リスク(不確実性)と して種子の供給や収量の不安定、水供給の不安、米と麦の価格動向、化学肥料の価格動向、そ して、運転資金の不足、管理労働力の不足、農業労働力確保の困難などがあり、それらに対応 して個々の農家ごとに最適な小作貸出しの形態と規模が模索されたと思われる 37)。機械化も 彼らの経営における選択肢の一つであり、労働節約的機械の購入に対する補助金の動向、農業 機械の賃貸市場と農業金融市場の発展、農村電化の進展などがその経営判断に影響を与えたで あろう 38)。 富農経営において重要な役割を果たす年雇あるいは常雇についても簡単に説明しよう。彼ら の多くは未婚の若者で雇い主の家に住み込むが、通いの既婚者もいる。後者には、長年に渡っ て地主の農業経営の差配役を果たす者もいる。報酬は、1983 年には年俸 600~1400 タカ、3 回 の食事、衣料、タオル、サンダルなどであった。しかし、1985 年に年俸は 2,000 タカに急騰し、 年雇一人を雇うには諸経費を含めると年間 6,100 タカを必要とする様になった。つまり、日雇 い労働者の年収を僅かに超える総賃金が払われている。平均 3.4 名を雇うから、年間 20,740 タ カとなる。だが、年雇労働者は、朝から晩まで雇い主の家で過ごさねばならないために、自分 の家の仕事、副業などが出来ず、家族を養うのは容易ではないと語っている。実際、年雇労働 者は減少しており、富農が数名の年雇を置くという伝統的な地主経営方法は困難に直面してい た。 収支構造を見ると、5 世帯の富農経営の合計粗所得は 677,028 タカであり、そこから全生産 費用を控除すると、粗可処分所得は 466,088 タカ(1 世帯当たり 93,218 タカ)となる。彼らに は地代支払の負担はないので、ここから自給用食糧等 208,917 タカを差し引いた 257,171 タカ (平均 51,434 タカ)が彼らの純可処分所得となる 39)。彼らにはこの他に、地代収入、給与収入、 農産物取引利益、事業収入、金貸し収入などがあるが、これらの実態は残念ながら把握できて いない。表 8 にある様に、富農家族の一人当たり消費支出は中農の 2 倍以上であり、生活様 式において他の諸階層とは一線を画し、5 家族の生活支出は 101,312 タカに達する。だが、そ れを控除しても、世帯当たり 35,000 タカ程度の剰余がある。彼らは全く負債を負っていない。 とはいえ、生産費の高騰は彼らの利益を圧迫し始めており、その経営の将来は決して楽観でき ないが、他階層に比べれば、遥かに裕福である。彼らの多くは、近隣の都市や商業センターに 町家を構え、様々な事業(精米所や穀物ストック・ビジネスなど)や子供達の教育の拠点とし ている。 最後に、表 6 & 8 から富農経営を考察しよう。費用構造をみると、化学肥料・殺虫剤、種子、 292 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 灌漑および賃耕の諸費用の比率が諸階層中で最低であり、他方、飼葉、労賃の支出比率が最高 である。何よりも労賃支払いが全費用の 45% と中農の 42%と並んで飛び抜けて高い。これは、 同じ村の中で、1)純農業労働者、2)零細農、過小農、そして小農の一部を含む下層農、3)中・ 富農という性格を異にした 3 種類の家計が、労働力のやり取りを通して強く結合していること を示唆する。そして、この 3 者を合わせると村人口のおよそ 85%を占めているのだから、こ こに北部ベンガル農業社会構造の少なくとも過去 200 年以上にわたる基本的特徴を見ることが 自然である。勿論、3 者は平等な立場で結びついているのではなく、土地と資本をもつ富農・ 中農の地主的経営の下に純農業労働者家計と下層農民の自小作経営とが包摂されている。富農 経営は、後者の家計から供給される安価な労働力を取り入れてはじめて成立しており、富農は 様々な触手を後者に伸ばして、この包摂の構造、即ち、低賃金と貧困の構造、を維持している。 それは村の社会のあらゆる側面に浸透し、影響を与えている。 なお、土地フロンティアが消滅したと思われる 19 世紀末(3~4 世代前)以降においては、 従来のチャーヤノフ的な耕地拡大 40)は不可能となった。そこで富農などは、均分相続による 土地の細分化を回避するために、子弟の高学歴化による農外給与所得の確保、兼業収入の確保、 土地の購入、家族計画の導入による子供数の抑制 41)などの対応を図っている。 4.4.3.まとめ 機械化がまだ灌漑施設と精米機の導入に留まっていた 1990 年代中頃までのバングラデシュ 農業では、同様の農業環境にあれば、農民は階層に関わりなくほぼ同様な作物を同様な農業栽 培技術を用いて生産しており、農法的に見る限り階層間の格別の差異を見いだせない。しかし、 経営内容に立ち入って観察すると、実は、富農層と下層農の間には非常に大きな質的相違があ る。 富農、下層農、土地なし労働者の3階層の相互関係を考察すると、富農経営を中心として、 その経営に必要とされる労働力を過小農と土地なし労働者が供給するという基本構図が浮かび 上がってくる。但し、小作地の貸出面積、労働者の雇用数などをコントロールするのは富農で あり、両者は平等な市場関係(土地賃貸市場、労働市場)で結ばれているとはいえない。小作 地供給の縮小は、下層農の経営面積を縮小させ、下層農民は家計内に余剰労働を抱えることに なり、それは村の労働市場に流入して低賃金労働者の供給源となり、富農経営を可能にする。 他方、下層農は、多くの小作地を確保できた例外的な場合を除いて、所得の大半を富農への労 働力の提供と農外就業によって得ていた。富農経営に下層農と労働者の家計が包摂されていた というべきであろう。重要なことは、富農とそれに従属し包摂された下層農および土地なし農 業労働者は緊密な補完的関係にあったことである。下層農と農業労働者は富農が提供する小作 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 293 地、雇用機会なしには生計を維持できないが、他方、富農経営の存続の為にも十分な数の他の 2者の存在が不可欠である。下層農民は犂と役牛を自給できず経営外部からの賃耕に頼る場合 が多く、しかも、小作地市場が縮小傾向にあるという不利な条件下におかれている。彼らは、 富農の提供する雇用機会に依存し、かつ、しばしば、村の金貸しを兼ねる富農から生産ローン、 生活ローンを得ないと農業生産と生計が成立しない。従って、相互補完的関係にあるとはいえ、 富農が明らかに強い立場にあった。富農の費用構造にしめる労賃支払部分の大きさは、労働者 賃金の水準が富農経営の収益性に直接的な強い影響を与えることを意味しており、富農経営に とって、賃金支出を抑制し、かつ、労働者が富農経営から離間するのを阻止することが、経営 上の要諦となっていた。彼らは、その為に、意識的に様々な社会関係を労働者と結び、影響力 を行使しうる状況を創出していた。宅地供与、緊急時のローン供与、永雇、日常的な恩義、農 閑期の雇用提供などが挙げられる。そして、村及び村連合レヴェルの伝統的裁定集会(salis または bichar)は既存社会秩序を維持させる制裁装置であり、富農の権威を維持し、経営を成 立させるための機構としても重要な役割を果たしていたと思われる。 結びに代えて-富農による農業労働者の抱え込みの構造の打破に向けて 少なくとも過去 200 年以上に渡って存在してきた富農による下層農民と農業労働者の包摂の 構造-貧困永続化の構造-は、どの様にしたら解消されるのだろうか。 ある程度以上の経済規模を持つ国家の農業発展と農村貧困解消の道筋は、結局は比較的簡単 なメカニズム/プロセスに帰着する。Lewis, W. A.(1954)の 2 部門モデルと石川滋 Ishikawa, S.(1981)が近代日本の農業発展を土台として描いた石川カーヴを結合させたものがそれであ る。両モデルは、経済社会が置かれた歴史的初期条件に応じて多様な発現形態を持つと考える べきだから、地域ごとにその具体的な発現のプロセスが究明されねばならない。 バングラデシュの場合には、それは、1)1972 年以降の緑の革命の普及→村内剰余の拡大→ 商業深化(生存経済→市場経済)→村の労働需要の拡大と労働需要の谷間の縮小→賃金上昇と いう農業部門における発展と、2)工業部門の発展→工業部門における労働需要の拡大→賃金 上昇という二つの基本的な発展プロセスが結合することにより、農村から過剰労働力が都市・ 非農業部門(工場・都市サービス・商業・インフラ等々)に吸収され、その結果として農村賃 金の上昇が軌道に乗ることが最も重要である。3)実際、都市へのアクセスの便宜に恵まれた 地方では、1990 年代後半には各家族から一名以上の都市就業者がでるという状況が出現して おり 42)、彼らの送金が大きな資金源となり農業機械化や農業における労働節約技術が促進され、 農業における労働生産性の向上をもたらし、農民の農業所得と農業労働者の労賃の改善が実現 される。これは、本稿で説明された地主経営による労働者と下層農民の労動力の包摂構造の解 294 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 体プロセスとして理解することができるだろう。 以上に示された様に、農村の貧困は農業の中だけでは解決できないのであり、1990 年代以 降の輸出向け既製服産業を中心とする産業部門の雇用の目覚ましい拡大が、このための一つの 起爆剤となっている可能性がある。 もちろん、これと並んで、1980 年代以降のマイクロファイナンスの劇的な拡充は、村内雇 用機会の増大と下層農民の旧来の高利貸し金融の束縛からの解放、村民への各種金融サービス の普及を促進したことも 43)、上記プロセスの進行を円滑化させたであろう。 ここに素描されたプロセスが、現代のバングラデシュ農業においてどこまで実現しているの かについて、現地調査に基づく実証研究が積み重ねられることが望まれる。 注 1) 始めの 3 か月は調査村と同じ県出身の Dhaka 大学修士の学生を調査助手として雇い、その後は単独で 調査を続けた。報告書は、Taniguchi(1987)である。 2) 様々な質的に異なる標本-ここでは農家世帯-が均等かつ相互に独立して分布するという仮定には違 和感がある。行政村全体からサンプリングをするなら、まず行政村全体(1000 世帯以上)について予 備調査を行い、標本の分布状況を把握し、層化した上で、ランダム・サンプリングを行うべきであるが、 それは筆者には物理的に不可能であった。 3) 例えば、黒崎卓(2008)の巻末の参考文献を見られたい。 4) 1989~90 年に、同村において短期間の現地調査を実施したが、その時点においては本稿で示す構図に 変化は生じていなかった。だが、丁度この頃にこの村にもグラミン銀行の活動が及び、また、地方商 業センター Saidpur との間をトラックによって往復できる道路が完成し、村の電化も始まった[谷口 晉吉 1991]。従って、その後に急速に階層別の農家経営のあり方に変化が生じた可能性を否定できない。 フォローアップ調査を是非行いたいと願っている。 5) ベンガルにおいて農民が近代的な所有概念に基づく土地所有権を獲得するのは地主制度が廃止される 独立後まで待たなくてはならないが、すでに植民地期においても、上級の地主的土地所有の下で世襲、 分割、処分の権利(農民的土地所有権)が法的に確立しており、それを占有権 occupancy right と呼ぶ。 6) 古井(2013)によれば、本稿の対象とする北ベンガルでは、すでに紀元後 5~6 世紀以降に開発の進行 の中で非農耕民の農業労働者への編入が見られ、クトゥンビンと呼ばれる農民層の差異化と階層化が 進行した。Ray(1978)が展開した jotdar(富農)論を批判した Datta, R.(2000)、Bose, S.(1986)の 小農優位論が一時期は主流的見解となったが、これに対する史料的裏付けを伴った批判が Taniguchi, S.(1996)、Nakazato, N.(1990)、Chatterjee, J.(1994)、Islam, M. M.(2012)などにより提示され、 今日では広範な富農の存在が確認されている。我が国では、小谷汪之、水島司などの watan 体制論あ るいは社会的取分権論が有力であり、土地所有・保有の基本的重要性に対して否定的な見解が支配的 である。だが、ムガル期以降のベンガル地方に関しては、この様な議論は支持できない。 7) 詳しくは、谷口(2013)を見られたい。 8) 谷口(2002)を見られたい。 9) ただし、階層化の進行は決して不可逆ではなく、一定の状況下では、その進行が弱まったり、逆に 均等化が進む場合もある。例えば、1720 年代の Murshida Quli Khan の検地事業や、1780 年代後半の Dinajpur 県における Hatch の小農維持改革は示唆的である[Taniguchi, S. 1977]。 10) 特権的優遇地代率、付加税免除などについては、谷口(1979)を参照されたい。また、農民が、上級 東京外国語大学論集第 89 号(2014) 295 所有権者の承認なしに荒蕪地を開発したり放棄された農地を占有して、保有地を事実上拡大すること については、Taniguchi, S.(1996)を参照されたい。 11) 詳しくは、谷口(1981)を参照されたい。 12) Taniguchi, S.(1977)において、そのメカニズムを土地市場によらない政治的土地集積とした。 13) Nakazato, N.(1996)、Chakraborty, R.(1997)、Islam, M. M.(2012)など。 14) 谷口(2014)において、東ベンガルの3つの県におけるこの過程を示した。 15) 有名な Tebhaga 運動以外にも、農民たちは地主への地代支払いを数年にわたって停止する状況が見ら れた。 16) 本研究で依拠するのは、農業収入と労賃収入だけについての不完全なデータ・ベースではあるが、構 造やメカニズムに関する一定の実証的データに基づく仮説提示として十分な存在意義があると考える。 統計的推論からメカニズムの研究へと研究手法の進展が図られねばならない。その為に、問題策出あ るいは理念型モデルの構築に有効な方法が採用されてよい。そして、理論的モデルが構築されれば、 そのモデルを一つの仮説とみなして、それを検証するためのデータを集め、統計的検定を行えばよい。 つまり、問題策出や理念型モデル(つまり仮説)の構築のための手法と、その検定方法は切り離して 考えるべきだということを主張したい。 17) 博士論文 Taniguchi, S.(1977)において歴史的な農業社会構造の考察を行い、その後、機会を得て、 同地域の農業社会の現状をフィールド調査によってフォローしたというのが研究プロセスの実情であ る。 18) Zamindar は、ムガル期については領主(あるい在地支配者) 、英領期(特に 1793 年以降)については 地主と訳す。 19) 次節に対する歴史的参照枠を提示するのがここでの目的であるから、アウトラインを示すに留める。 文献や注を含めた詳細は谷口(1994)を参照して頂きたい。 20) 19 世紀末から 20 世紀初頭に書かれた諸県の地籍確定事業報告書に共同作業への多くの言及がある。 21) 以上の叙述は極めて簡略化したものであり、より詳細な記述は谷口 (1994) にある。 22) この種の独立保有地は、開発や官職などに関わって発生したと思われるが、今後の研究に俟ちたい。 23) 谷口(1991)。この時は、主に農家の意思決定における男女の領分について調査した。 24) この面積は作物の種類と収量に依存するから、高収量品種の普及や作物構成の変化などがあると変動 するが、一つの目安としては有効である。 25) ムリは、米を煎ってはじかせたもの。塩、菜種油、唐辛子、玉ねぎなどを混ぜて軽食とする。 26) 但し、詳細な経営調査を行った零細農 8 世帯の内で多くの息子を持つ 2 世帯を除けば、他の 6 世帯は 平均 3.8 人であり、土地なし農業労働者と同様のサイズの核家族である。 27) 但し、この様な賃金形態は、大都市に近づくに従って現物支給部分が消滅し、貨幣部分のみへと移行 している。 28) 現物支給部分はその時々の村における精米価格で金額に換算し、貨幣部分も年間変動を考慮して、計 算した。 29) 牛の所有者から牝牛を借りて飼育し、仔牛が生まれると、最初の一頭は持ち主に与え、2 頭目は自分 が取る。 30) 関心のある方は、Taniguchi, S.(1987)を参照していただきたい。 31) 深井戸灌漑地域(scheme 地と呼ばれる)における稲作は春米(ボロ)と考えるべきであるので、そ れを夏米(アウス)としていた英文報告書の表 29 を、本稿では個票データに拠って訂正した。 32) 役牛を 1 頭でも所有すると、他の農民と組んで、犂組を構成し、相互に利用することもある。この場 合には、費用項目に牛 1 頭分の飼育費用が加わることになる。また、ここには共同耕作の後退と農業 日雇い労働の拡大という農業社会に於ける大きな歴史的変動も関わっている。これを、ベンガル農業 社会のどの様な変容と把握すべきかという問題がある。Schendel & Faraizi(1984)を参照されたい。 33) 表 8 による。表 9 では、零細農、過小農、小農の一人当たり支出はほぼ同じ水準であるが、表 9 のデー 296 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 タは各階層から 1 世帯のみを抽出して支出の詳細データを集めたが、世帯による個別的事情の影響が 大きくなってしまっている。 34) ここで、下層農民とは、小作をしたり家族労働力の一部を労働市場で売る農家であり、本稿の分類では、 Ib と II の全部と III の一部が入る。 35) 200 年前には、この地域の刈分地は富農保有地のより多くの部分を占めていたことを想起すべきだろ う。 36) 近代的農法の導入は、通常いわれている春米への高収量品種に限定されることなく、主要作物である 在来種冬米にも化学肥料が施肥され、また、冬米の高収量品種も導入されるなどしたので、農業全体 の生産性が向上している。特に、在来種への近代農法の応用は、農民自身による創意工夫として注目 される。 37) Bardhan, P.(1998)は理論的に言うと、緑の革命による土地増大的技術と労働投入量の増加は小作地 の増加をもたらすとした。リスク回避のためには小作人にリスクを share させることが望ましいし、 小農の方が家計内により多くの剰余労働を持つから、高収量品種を採用しやすいというのである。だが、 階層別費用構造がこの経営判断にどの様な影響を与えるかを問う必要がある。 38) 富農経営における直営部分と小作部分振り分けの経営判断の決定メカニズムの他にも、近代的灌漑設 備や農業機械化、化学肥料の投入量、高収量品種を含む各種商業作物の作付規模の決定、労賃決定メ カニズム、農業と非農業事業への投資振り分けなど多くの重要な論点が検討されなくてはならないが、 それは将来の課題である。 39) 調査時点では、農民は殆ど税金を払っていなかった。 40) チャーヤノフ(1957). 41) ある富農の長男は、財産の細分化を防ぐために子供が出来ない手術(パイプカット)を行ったと述べ ている。 42) 海田編(2003)所収の向井論文(第 3 章)など。 43) 藤田(2005)は、マイクロファイナンスの効果について懐疑的であるが、貧困改善に向かって一定の 成果を収めたことは否定できない。 参考文献 Bardhan, Pranab K. 1984 Land, Labor, and Rural Poverty Essays in Development Economics, Columbia University Press. 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In my Ph.D. dissertation [Taniguchi, Shinkichi 1977], I made a detailed study on the agrarian society in northern Bengal and found that the Bengal peasantry in that corner of the country had a highly stratified structure by the end of the 18th century. In the middle of the 1980s, I conducted a field research in a village situating exactly in the same locality that I had selected for my Ph. D. dissertation in order to detect the extent of changes that should have taken place in two centuries. To my surprise, the picture that emerged from the analysis of the field data did not show any remarkable difference from what I had reconstructed on the basis of archival documents in my Ph. D. dissertation. Above finding naturally prompted me to ask what was the mechanism that allowed this apparent similarity to continue for such a long period, despite the huge economic, political and social changes that took place in between. I was aware that this apparent similarity did not necessarily mean that the same logic and mechanism worked all this while. Then, I had to identify the mechanism that brought about the similarities and dissimilarities in the village structures of two hundred years ago and 1980s. The most obvious changes occurred in the legal framework concerning the right of peasants to landholdings. Two hundred years ago, Bengal peasants could not sell or buy lands in the landmarket, because all the lands belonged to the zamindars who collected rents from the peasants and paid land-tax to the government. Therefore, differentiation of peasantry took place through non-market mechanism. In the second half of the 19th centur y, Bengal peasants acquired occupancy right which enabled them to buy and sell their land-holdings. In fact, the economic booms, depressions, endemics and famine that ensued in succession resulted in a great deal of transfer of occupancy rights. Naturally considerable differentiation of peasantry through landmarket followed. Then, what remained unchanged during the days of great changes? The answer lay in the way the agricultural production was carried on by the rich peasants. My analysis of the present agricultural production in a Bangladesh village reveals that, though technologically 300 ベンガル農業社会における農家経営の階層構造 -その歴史的背景と現状分析-:谷口 晉吉 all the peasants of the village follow more or less the same method of agricultural production, production-cost structure differ greatly according to the economic strata to which the peasant belong. This finding led me to the argument that there is a system of labor/managemet subsumption where the rich peasants secure the labor of the marginal farmers and landless laborers at a price somewhat less than the market-clearing wage level through multiple patronclient type relationships.