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会計史論 - 中京大学

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会計史論 - 中京大学
第 77 回 愛知ブロック学生会計学研究会
会計史論
発表者:中京大学
山内
ひ ろ し
啓示
開 催 日 : 2009 年 5 月 17 日 ( 日 )
場
所: 愛 知 大 学
Copyright © HiroshiYamauchi 2009 All Rights Reserved.
会計史論
はじめに
はじめに
人 類 の歴 史 を振 り返 れば,人 は常 に困 惑 の中 に進 歩 してきたと言 えよう。寒 さ故
に火 を用 い,不 便 さ故 に道 具 を創 って生 きてきた。しかも,それは単 なる一 個 人 の苦
悩 ではなく,社 会 的 困 惑 からの脱 却 を志 向 したものであった。社 会 の要 請 なくして物
5
事 が進 歩 し,発 展 し,人 口 に膾 炙 するなどあり得 ないのだ。
会 計 も,また同 じではないか。古 代 ,単 式 簿 記 の発 生 に産 声 を上 げた会 計 が,大
航 海 時 代 ,世 界 恐 慌 ,金 融 ビッグバンという歴 史 の荒 波 の中 で,六 千 年 の永 きにわ
たって進 化 を続 け,発 展 し,今 日 のような社 会 的 地 位 を築 きあげるに至 った背 景 を見
れば,会 計 にはいつの時 代 にも社 会 からの要 請 があり,社 会 的 困 惑 の解 決 の一 助 と
10
なるものがあったのではないか。それを考 えるとき,会 計 には「いかに時 代 が変 われども
常 に社 会 から愛 され,求 められる普 遍 的 性 質 」のようなものが備 わっているかのように
思 われてならない。
本 論 は,この点 に焦 点 を当 てるものである。したがって,単 に簿 記 ・会 計 のみの歴 史
を追 究 し,あるいはその年 号 をいたずらに列 挙 するのではなく,常 にその社 会 的 ・歴 史
15
的 時 代 背 景 を含 めて考 察 に入 れ,各 時 代 における会 計 のスタンスや,各 時 代 の社
会 が会 計 に対 してどのような要 請 をしていたのか歴 史 的 に解 き明 かし,百 年 に一 度
の大 恐 慌 と言 われる今 ,会 計 には何 が要 請 され,いかなる変 化 が求 められているのか,
考 察 を加 えるものである。
平 成 21 年 5 月
20
輝 き始 めた若 葉 と晩 春 の風 を感 じながら
山 内 啓 示
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~1~
会計史論
本論の見方・使い方
本論の見方・使い方
註 釈 について、
・ ローマ数 字 の i , ii , iii など………各 章 末 の脚 注 の番 号 に対 応 。
・ アラビア数 字 の 1 , 2 , 3 など………各 ページ下 部 の注 に対 応 。
5
・ 括 弧 付 きの [1 ] , [ 2 ] , [ 3 ] など………巻 末 の引 用 文 献 の参 照 番 号 に対 応 。
※尚 , [ 1 ] , [ 2] , [3 ] などの番 号 が付 されていない場 合 ,カギ括 弧 がついていても,引 用
ではなく,論 者 が強 調 を意 図 して付 したものである。また,「私 」とは本 論 の論 者
を指 すものである。
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会計史論
目次
目次
はじめに ................................................................................................................... 1
目 次 ........................................................................................................................ 2
第 一 章 ............................................................................................. 単 式 簿 記 の歴 史
4
第 一 節 ...................................................................................................... メソポタミア
4
第 二 節 ............................................................................................................ エジプト
5
第 三 節 ............................................................................................................ ギリシャ
6
第 四 節 ............................................................................................................... ローマ
7
第 五 節 ............................................................................................ 古 代 会 計 史 通 論
9
第 一 項 ..................................................................................................... 記 帳 の起 源
9
第 二 項 ................................................................................. 複 式 簿 記 発 生 への障 害
10
第 二 章 .................................................................................. 複 式 簿 記 の成 立 と発 達
12
第 一 節 ............................................................................................ 暗 黒 時 代 を経 て、
12
第 二 節 .................................................................................................... 数 学 的 側 面
13
第三節
S ECTOR 別 会 計 期 ........................................................................................ 14
第 四 節 ......................................................................................... 企 業 構 成 員 の変 遷
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会計史論
単式簿記の歴史
14
第 五 節 ......................................................................................... 代 理 人 会 計 の展 開
16
第 一 項 ......................................................................................... 代 理 人 会 計 の起 源
16
第 二 項 ................................................................ 定 期 総 括 的 期 間 損 益 計 算 の成 立
16
第 六 節 ............................................................................................................. そして、
17
第 七 節 .............................................................................................................. その後
17
第三章
BIG BANG .......................................................................................... 20
おわりに ................................................................................................................. 21
文 献 目 録 .............................................................................................................. 24
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会計史論
単式簿記の歴史
第一章
単式簿記の歴史
記 帳 の起 源 をどこに求 めるかは諸 説 あり,様 々な学 説 が存 在 するが,本 論 におい
ては会 計 と社 会 との関 係 に着 目 する立 場 から,「社 会 発 展 との関 係 で考 察 」
[1]
する
Chatfield Michael氏 と同 様 の立 場 をとり,紀 元 前 四 千 年 頃 と定 めたい。
5
それでは,この時 代 区 分 について,メソポタミア・エジプト・ギリシャ・ローマの四 つに
区 分 して概 観 していくとしよう。
第一節
メソポタミア
人 類 の歴 史 は,シュメールに始 まる。
チグリス川 とユーフラテス川 の間 の地 域 ,今 のイラクの辺 りはメソポタミアと呼 ばれ,
i
さらにそれを三 つに区 切 り,北 部 はバビロニア,中 部 はアッシリア ,そして南 部 はシュ
10
ii
メールと呼 ばれる 。
シュメールには世 界 最 古 の組 織 的 政 府 が紀 元 前 五 千 年 頃 から存 在 しており,紀
元 前 三 千 五 百 年 頃 の世 界 最 古 の商 業 帳 簿 もこの地 域 から出 土 している。貨 幣 もか
なり早 い段 階 で誕 生 していたが,記 帳 単 位 は資 産 毎 に異 なっていた。紀 元 前 千 年 頃
iii
には少 なくとも二 行 の銀 行 が存 在 し,小 切 手 ・受 取 手 形 ・為 替 手 形 による取 引 が
15
盛 んに行 われたほか,抵 当 権 や売 掛 金 ・買 掛 金 ついての現 代 と同 じ認 識 が存 在 し
iv
ていた。出 土 した計 算 書 からは,単 式 簿 記 しか存 在 しなかった時 代 にこれらを管 理
するために大 変 な苦 労 を要 したであろうことがうかがい知 れる。
v
数 体 系 も早 い段 階 で存 在 していた。彼 らは,基 本 的 には 60 を底 としつつ,10 を
1
底 とした数 体 系 を補 助 的 に用 いるという複 雑 なものだった 。
20
vi
紀 元 前 二 千 年 代 前 半 の頃 のハムラビ法 典 を見 ると,現 在 の財 務 報 告 書 にあた
るものを「超 自 然 的 支 配 者 」
[ 2]
に提 出 することが義 務 づけられていた他 ,どんな些 細
な取 引 でも契 約 書 を作 成 しなければ,契 約 の法 的 実 施 を主 張 できないとされていた。
大 多 数 の人 々が文 盲 であったこの時 代 に,契 約 書 の作 成 に当 たったのが政 府 の記
録 官 であった。
1
次 章 二 節 にて細 説 。
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会計史論
単式簿記の歴史
取 引 の内 容 が決 まると,それを記 録 官 に話 す。すると記 録 官 はそれを粘 土 の板 に
針 の様 なもので記 録 した。当 時 の人 々は自 分 の名 前 を彫 った石 の札 を首 から下 げて
持 ち歩 いており,それを粘 土 板 に押 しつけることで押 印 とした。粘 土 板 は,重 要 な取
引 であれば炉 に入 れられ,そうでない取 引 の場 合 は陽 にほされた。また,重 大 な取 引
5
の場 合 は粘 土 板 が粘 土 の箱 (壊 さなければ中 が取 り出 せない)に入 れられ,箱 の表
面 に粘 土 板 の複 写 と押 印 が書 き込 まれた。箱 を壊 さなければ契 約 書 に不 正 な改 変
を加 えることは出 来 ず,また箱 の表 面 の記 述 に改 変 を加 えても,中 の契 約 書 と見 較
べることで見 破 られた。また,秘 密 性 を有 する取 引 の場 合 には箱 の表 面 には押 印 のみ
がなされた。
10
さらに,政 府 の記 録 官 の職 務 は上 記 にとどまらず,記 帳 ・徴 税 も行 っていた。当 時
の人 々は「無 類 の記 帳 好 き」
[3]
とも言 われ,簿 記 を用 いた組 織 的 な資 産 管 理 は社
会 の隅 々にまで浸 透 していたが,なかでも政 府 と寺 院 においては著 しいものがあった。
物 納 税 や奉 納 品 が納 められると,政 府 の記 録 官 や寺 院 の資 産 管 理 担 当 者 は倉 庫
に保 管 するか換 金 するかを素 早 く判 断 し,同 時 に記 帳 した。彼 らの記 帳 した帳 簿 には,
15
政 府 ・寺 院 の高 官 による監 査 ・検 証 の跡 がうかがえる。この点 については本 章 の最 後
でも述 べるが,この監 査 と検 証 こそが,この時 代 に会 計 が社 会 から受 けた要 請 で無 か
ったかと思 われる。
第二節
エジプト
vii
エジプトと言 えば,砂 漠 とピラミッド ではないだろうか。
古 代 エジプトに関 する研 究 の多 くはピラミッド内 部 に描 かれた絵 によって行 われて
20
いるが,容 易 に想 像 できる様 に,ピラミッドに帳 簿 が描 かれることなどなく,古 代 の会 計
に関 する史 料 はメソポタミアと較 べてわずかしか出 土 していない。
エジプトには貨 幣 がなく,物 々交 換 で成 り立 っていた。金 ・銀 は存 在 したものの,そ
れらは他 の様 々な物 と同 様 に,交 換 の過 程 で用 いられたに過 ぎず,貨 幣 としての位
置 づけはなかった。
25
一 方 で,彼 らの政 府 はメソポタミアよりはるかに組 織 的 であった。王 の直 下 には高
官 がおり,その下 に王 領 地 ・王 室 ・国 庫 ・納 税 の各 部 門 が設 置 され,各 部 門 には記
録 官 ・記 録 監 督 官 ・記 録 検 閲 官 ・監 査 役 がいた。これらの部 門 の中 でも,国 庫 部 門
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会計史論
単式簿記の歴史
は特 に重 要 視 され,国 庫 長 官 の権 力 は大 きかった。国 庫 は,穀 物 ・銀 ・黄 金 ・牛 など,
さらにいくつかの倉 庫 群 に分 けられ,各 倉 庫 群 には国 庫 長 官 に次 ぐ位 として出 納 官
がいた。出 納 官 は,その倉 庫 群 に属 する複 数 の倉 庫 の管 理 を統 括 し,さらに,それぞ
れの倉 庫 には監 督 官 がいた。国 庫 の各 倉 庫 群 の中 でも穀 物 は重 視 されており,穀 物
5
の出 納 官 は国 内 の農 業 指 導 も行 っていた。
どんなささいな取 引 でも,国 庫 の入 出 庫 には必 ず当 該 監 督 官 の証 書 を必 要 とした。
監 督 官 には,自 分 の管 理 する倉 庫 の入 出 庫 について,証 書 の発 行 に基 づき,すべて
を記 帳 することが義 務 付 けられ,記 録 官 にはどんなささいな取 引 も,複 数 の記 録 官 に
より別 々に記 帳 することが義 務 付 けられていた。万 一 ,監 督 官 と記 録 官 の帳 簿 の内
10
容 の差 異 が生 じたり,複 数 の記 録 官 の帳 簿 の間 で残 高 が一 致 しなかったりした場 合
には,鞭 打 ちの刑 か,重 い場 合 は死 刑 も免 れなかった。この監 査 の習 慣 は,メソポタミ
アから流 入 したものと推 測 される。
記 録 官 と監 督 官 のつけた帳 簿 には,日 付 ・納 入 者 ・数 量 ・処 理 方 法 が正 確 かつ
詳 細 に記 帳 されていた。それらの帳 簿 は最 終 的 には高 官 の手 によってまとめられ,月
15
ごとに決 算 が行 われた。決 算 にあたっては,中 央 政 府 の決 算 書 を作 成 するだけでなく,
地 方 の県 の決 算 と連 結 決 算 を組 むことが求 められた。高 官 の作 成 した決 算 書 は,穀
物 の収 穫 状 況 報 告 書 とともに王 へ差 し出 され,穀 物 の収 穫 状 況 が好 成 績 であった
場 合 には穀 物 の出 納 官 は王 から褒 美 を与 えられた。
記 録 官 の職 務 は政 府 の出 納 の記 録 にとどまらなかった。ほとんどの人 々が文 盲 の
20
時 代 にあって,国 中 のあらゆる取 引 の記 帳 代 行 も彼 らの職 務 であった。エジプトから出
土 するこの頃 の絵 画 には,決 まって記 録 官 がパピルス紙
viii
に記 帳 を行 う姿 が描 かれ
ている。
第三節
ギリシャ
世 界 は,カオスに始 まった。やがて,ガイア・タロタロス・エロスが生 まれた。その四 人
が近 親 相 姦 を繰 り返 す中 で,ゼウスが生 まれ,彼 が世 界 を統 治 した。ギリシャ神 話
25
ix
の冒 頭 のあらすじである。後 に,かのサラエボ事 件 を引 き起 こすバチカン半 島 の南 端
にあって,芸 術 ・文 化 ・文 明 の花 は開 いた。
中 でも記 数 法 に関 しては優 れたものがあった。初 期 の記 数 法 は他 の文 明 と同 様 の
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会計史論
単式簿記の歴史
2
もの であったが,後 にこの文 明 では数 を表 す膨 大 な記 号 が生 み出 された。彼 らはエ
ジプトにならって 10 を底 としていたが,ここで誕 生 した新 記 数 法 では 1 から 10 までの
x
記 号 が創 られた他 ,20,30,40,…,100,200,300,…という記 号 が用 意 された。この記
数 法 の優 れた点 は,大 きな数 を表 現 するのに多 くの文 字 を使 用 せずに済 むという点
5
であった。
この国 において会 計 が受 けた刺 激 として治 安 の悪 さがあったことは指 摘 しなければ
ならない。窃 盗 ・盗 難 ・詐 欺 などが横 行 するなかで,自 らの資 産 を保 護 ・管 理 するため
に記 録 ・監 査 が行 われた。
やがて,紀 元 前 630 年 頃 から貨 幣 が誕 生 し,記 帳 の単 位 は係 る貨 幣 に統 一 され
10
た。
この国 の政 治 は,きわめて民 主 的 であった。抽 選 で選 ばれた会 計 官 が記 帳 を行 い,
できた帳 面 は議 会 に示 された。すべての支 出 は議 会 の承 認 を必 要 とした一 方 ,一 度 ,
認 められた支 出 は半 永 久 的 に法 律 で定 められることとなった。
メソポタミアからの影 響 もあってか,銀 行 は,かなり早 い段 階 で存 在 していた。手 形 ・
15
小 切 手 ・抵 当 権 の他 ,当 座 預 金 までもが存 在 した。現 代 のように一 つの銀 行 が全 国
に支 店 を持 つことはなかったが,自 分 の取 引 銀 行 の発 行 した支 払 指 示 書 を持 参 する
ことで,ある銀 行 の預 金 を他 の銀 行 で引 出 すといったことは可 能 であった。
xi
公 会 計 ・銀 行 会 計 においては,帳 簿 組 織 の萌 芽 のようなもの も見 受 けられるが,
私 企 業 では記 帳 自 体 が行 われないこともしばしばであった。これは,大 多 数 の人 々が
20
文 盲 の時 代 にあって,前 述 したに文 明 のような記 帳 代 行 制 度 が存 在 しなかったことに
起 因 すると思 われる。
第四節
ローマ
「すべての道 はローマに通 ず」と言 ったのは誰 であったろう。ローマの文 明 は,古 代 と
中 世 を繋 ぐ「道 」であった。
ギリシャと地 理 的 に近 距 離 にあったローマの文 明 は,記 数 法 こそ退 化 したものの,
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ギリシャのそれを大 きく発 展 させたものだった。
2
五 節 二 項 で細 説 。
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会計史論
単式簿記の歴史
数 体 系 は 5 を底 とするもので,記 数 法 体 系 は底 の冪 乗 毎 に記 号 を設 けるという,
ギリシャの初 期 段 階 のものだった。現 代 の所 謂 ローマ数 字 である。
政 治 的 には歴 史 は浅 く,B.C.753 に王 制 国 家
帝政
5
xiv
xii
として成 立 ,その後 ,共 和 制
xiii
・
へと移 行 した。エジプト・ギリシャを植 民 地 化 しながら拡 大 を続 け,286 年 に
東 西 に分 裂 。西 ローマ帝 国 は 480 年 に滅 亡 したが,東 ローマ帝 国 は 1453 年 まで存
続 した。
政 府 の資 産 管 理 法 はエジプトに似 たものがあり,倉 庫 の管 理 官 と複 数 の財 務 官
が別 々に付 けた帳 簿 を監 査 官 がチェックし,一 致 していることを確 認 していた。
財 政 は,初 めは元 老 院 ・戸 口 調 査 官 ・財 務 官 が分 権 していたが,侵 略 戦 争 への
10
経 費 を捻 出 する目 的 から,帝 政 への移 行 と共 に中 央 集 権 化 した。
銀 行 は,ギリシャのそれと同 じく,小 切 手 ・手 形 ・当 座 預 金 ・抵 当 権 ・支 払 指 示 書
といったものをもっていた。また,口 座 を作 成 した顧 客 毎 に名 宛 勘 定 を作 成 するととも
に,債 務 者 が分 割 返 済 をする場 合 には得 意 先 元 帳 のようなものを作 成 して管 理 して
いた。
15
ローマが他 の文 明 と大 きく異 なるのは,記 帳 が奴 隷 の仕 事 であった点 である。他 の
文 明 ,とりわけメソポタミアとブラジルでは大 多 数 の人 々が文 盲 であったこともあり,記
録 官 の地 位 はかなり高 いものであった。ところがローマでは,よく教 育 を施 された奴 隷
が記 帳 と小 口 現 金 の管 理 を行 う制 度 が定 着 していた。
まず,日 記 帳
20
xv
に記 録 し,それを月 に一 度 ,勘 定 毎 の出 納 帳 のようなものと,得 意
先 元 帳 ・仕 入 先 元 帳 のようなものに転 記 し,さらに年 に一 度 ,債 権 債 務 一 覧 表 を作
成 するという高 度 な帳 簿 組 織 をもっていた。また,ささいな取 引 であれば単 に双 方 の
帳 簿 に記 帳 することでニ者 間 の契 約 が成 立 した。残 念 ながら,彼 らはワックスを塗 っ
た木 の板 に記 帳 したため,老 朽 化 が早 く,出 土 した帳 簿 はほとんど判 読 できない。
ローマでは,左 右 対 称 の帳 簿 がしばしば出 土 している。これをもって「複 式 簿 記 の
25
萌 芽 が見 られる」とする意 見 があるが,これは間 違 いだと私 は考 える。借 方 ・貸 方 の
概 念 や資 産 ・負 債 ・純 資 産 ・収 益 ・費 用 という分 類 がなかったし,財 務 諸 表 と言 えば
債 権 債 務 一 覧 表 のみで,損 益 計 算 という考 えは無 く,貸 借 平 均 の原 則 や実 在 科 目
と名 目 科 目 を組 み合 わせて記 帳 するという考 えもなかった。それに何 より,本 章 の最
後 で記 述 する理 由 からも,この時 代 に複 式 簿 記 は発 生 し得 なかったのである。
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会計史論
単式簿記の歴史
第五節
古代会計史通論
古 代 会 計 を四 つの文 明 に区 分 してみてきたが,それらのまとめとして,ここで考 察 を
加 えたい。
第一項
記帳の起源
本 論 では,記 帳 の起 源 を紀 元 前 四 千 年 としてきたが,その根 拠 について,ここで整
理 しておきたい。というのは,古 代 の会 計 を研 究 する先 駆 的 研 究 者 の方 の多 くは,紀
5
元 前 五 千 年 以 前 に記 帳 が行 われていたとしているのである。最 も,現 在 見 つかってい
る,最 古 の帳 簿 は紀 元 前 三 千 五 百 年 のものであり,いずれの論 も推 論 に過 ぎないこ
とは,述 べておかなければならない。
紀 元 前 五 千 年 以 前 に記 帳 が行 われていたとする研 究 者 の多 くは,国 家 の成 立 時
期 に着 目 して,論 を展 開 している。メソポタミアにおいて世 界 最 古 の組 織 的 政 府 が紀
10
元 前 五 千 年 に誕 生 していたことは既 に述 べたが,組 織 的 政 府 が誕 生 するためには,
政 府 の資 産 管 理 手 法 たる記 帳 が既 に確 立 ないしは形 成 されていなければならない
ため,それに先 立 つ紀 元 前 五 千 五 百 年 か紀 元 前 六 千 年 に起 源 を求 めるべきだと言
うのである。
しかし,本 論 においては,そうした多 数 派 の見 解 をあえて採 用 しなかった。確 かに,
15
紀 元 前 五 千 年 の段 階 で組 織 的 政 府 が存 在 していたのは事 実 であろう。しかし,初 期
の政 府 においては記 帳 による資 産 管 理 が必 ずしも必 要 だったとは断 定 できないと思
うのだ。というのは,少 なくとも初 期 の政 府 においては,自 らの資 産 を管 理 する手 法 とし
て,倉 庫 を作 り,そこに門 番 を立 てておけば事 が足 りたのではないか。
ところが,時 代 が進 むにつれて,その手 法 に問 題 が出 てきた。その門 番 が本 当 に正
20
しく職 務 を執 行 しているか否 かの確 認 が取 れなかったのだ。記 帳 は,こうした社 会 的
困 惑 と監 査 に対 する社 会 的 要 請 により創 始 したのではないだろうか。監 査 といっても,
現 代 のようなそれではなく,組 織 のトップが当 該 組 織 の資 産 管 理 担 当 者 の職 務 の信
頼 性 ・正 確 性 を確 認 する趣 旨 のものであったろう。既 に見 てきたように,どの古 代 文 明
にあっても監 査 の仕 組 みが存 在 していたのも,この考 えに立 てば納 得 がいく。
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会計史論
単式簿記の歴史
もちろん,犯 罪 からの資 産 保 護 や債 権 ・債 務 の把 握 も社 会 からの大 きな要 請 であ
ったろう。しかし,それは「後 に利 用 されるようになった」と考 えるべきものであって,当 初
の発 生 要 因 たる要 請 は「監 査 」だったのである。
第二項
複式簿記発生への障害
古 代 社 会 が,高 度 な商 業 上 の知 識 ・文 明 を有 していたことは,既 に述 べた通 りで
5
あるが,ではなぜ,そこまでの高 度 な文 明 を有 していながら複 式 簿 記 が誕 生 しなかっ
たのであろうか。
この点 を,単 に「社 会 的 要 請 がなかった」と片 付 けてはならない。現 に,彼 らは単 式
簿 記 で 債 権 ・ 債 務 を 管 理 する のに , 膨 大 な 努 力 と書 類 作 成 ・ 計 算 を 行 って いた の
だ。
10
その鍵 は,「ゼロ」である。
ゼロは初 め,数 ではなかった。「危 険 な数 学 的 属 性 を備 え」
[4]
る恐 怖 の概 念 であっ
た。「ゼロ」という数 のない所 に,「0」という記 号 はなく,「0」という記 号 のない所 に,現
在 のような記 数 法 は存 在 しえなかった。
したがって彼 らは,底 の冪 乗 毎 に記 号 を作 り,同 じ記 号 を幾 つも書 くことで数 を表
15
現 していたのである
そのような記 数 法 の中 にあっては,複 式 簿 記 の誕 生 に欠 かせない,大 切 な概 念 が
生 まれえなかった。それは,「数 字 の位 置 が意 味 を成 す」という発 想 である。
我 々が現 在 ,使 っている記 数 法 は,左 が高 い位 ,右 が低 い位 というように,数 字 の
位 置 に意 味 づけが存 在 する。しかし,彼 らの記 数 法 では「どの文 字 が幾 つ書 かれてい
20
るか」ということだけで数 の大 小 を判 断 するため,字 の書 かれる位 置 は問 題 とされなか
った。
xvi
今 まで述 べてこなかったが,古 代 社 会 の帳 簿 は表 の様 なものではなく,むしろ
文 章 に近 いものがあった。文 字 の位 置 が問 題 とされないところに,「収 益 は右 ,費 用 は
左 」といった借 方 ・貸 方 の概 念 も誕 生 し得 なかったのである。
歴 史 を語 る上 で,「もし」というのは禁 句 ではあるが,もし,彼 らがゼロという概 念 をよ
25
り早 い段 階 で数 として認 識 していたら,複 式 簿 記 は紀 元 前 何 十 世 紀 という段 階 で成
立 していただろうし,現 代 の簿 記 ・会 計 のあり様 も違 ったものになっていたのかも知 れ
ない。
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~ 10 ~
会計史論
単式簿記の歴史
【脚 注 】
i
より正 確 には,北 中 部 がバビロニアで,バビロニア南 部 を特 にアッシリアとして区
分 する。
ii
メソポタミア文 明 の中 心 は,時 代 と共 に南 から北 へ遷 移 した。政 府 の成 立 はシュ
メールにおいてであったが,少 なくとも紀 元 前 二 千 年 頃 には,文 化 の中 心 はバビ
ロニアに移 っていたとされる。
iii
エジビ兄 弟 商 会 ・ムラシュ兄 弟 商 会
iv
当 時 の単 式 簿 記 は,現 代 のそれと異 なり,資 産 ・負 債 の増 減 のみを記 帳 するも
ので,損 益 計 算 という考 えはなかった。
v
底 とは,数 学 用 語 で何 かの基 準 となる数 のことである。現 代 数 学 における正 確 な
説 明 には,指 数 ・対 数 についての理 解 を要 するが,ここでは「何 進 法 を採 用 して
いたか」といったニュアンスで捉 えていただきたい。
vi
バビロニアのハンムラビ王 により流 布 された法 典 で,イスラム教 の源 流 とされる。
ウルナンム法 典 に次 ぎ,現 存 するものとしては二 番 目 に古 い法 典 。「目 には目 を,
歯 には歯 を」の記 述 は特 に有 名 で,映 画 『新 世 紀 エヴァンゲリオン 劇 場 版
THE END OF EVANGELION まごころを、君 に』の中 のゼーレの台 詞 「やはり,
毒 は同 じ毒 をもって制 せねばならぬか」は,この記 述 から来 るものとされる。
vi i
ピラミッドとは,古 代 エジプト人 の王 族 の墓 とされる,四 角 錐 形 の巨 大 建 造 物 で
ある。ギザの三 大 ピラミッドなどは特 に有 名 。2009 年 4 月 現 在 ,118 基 が発 見 さ
れている。
viii
パピルス紙 は,パピルスと呼 ばれる植 物 の茎 の髓 から作 られた紙 。古 代 エジプト
文 明 にて多 用 された。パピルスはアフリカに原 生 するカヤツリグサ科 の水 草 。観
賞 用 に自 宅 で飼 われる場 合 もあるが,寒 さに弱 いため冬 場 は室 内 に入 れなけれ
ばならない。
ix
ギリシャ神 話 は,古 代 ギリシャの人 々の間 に伝 わる神 話 ・伝 説 を大 成 した物 語
である。
x
全 28種 に及 んだ。
xi
取 引 を日 記 帳 に記 録 し,出 納 帳 へ転 記 するというもの。
xii
王 制 とは,君 主 制 の一 種 で,政 権 が国 王 に集 中 する政 治 形 態 である。
xiii
共 和 制 とは,複 数 の人 々に主 権 ・政 権 が与 えられる政 治 制 度 であるが,国 民
の全 てに主 権 が認 められるとは限 らない。古 代 ギリシャでは,貴 族 にのみ主 権 が
認 められた。尚 ,(この点 については二 章 五 節 一 項 でも触 れるが,)共 和 制 ギリシ
ャでは貴 族 は商 業 を営 むことは禁 じられていた。
xiv
帝 政 は,君 主 制 の一 種 で,皇 帝 に政 権 が集 中 する政 治 形 態 である。領 土 拡
大 を重 視 する場 合 が多 く,戦 争 に備 えるための中 央 集 権 国 家 としての性 格 が
強 いことが多 い。古 代 ローマに敷 かれた帝 政 は,第 一 次 世 界 大 戦 前 のヨーロッ
パでモデルとして採 用 された。
xv
ギリシャにおけるそれにも同 様 のことが言 えるが,当 時 の日 記 帳 は,現 代 の仕 訳
日 記 帳 とは大 きく異 なり,カレンダーのようなものに取 引 毎 のメモを記 したもので,
18世 紀 初 頭 まで広 く用 いられた。
xvi
現 代 のローマ数 字 では文 字 の位 置 が問 題 とされるが,当 時 のローマ数 字 では
左 側 に文 字 を書 くことで減 算 されるルールが存 在 しなかったため,文 字 の位 置 は
問 題 とされなかった。
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~ 11 ~
会計史論
複式簿記の成立と発達
第二章
複式簿記の成立と発達
時 は巡 り,13 世 紀 初 頭 。
十 字 軍 が中 東 史 に新 たな歴 史 を刻 み込 んだ,ちょうど同 じころ。舞 台 は欧 州 であ
る。
5
1494 年 。この年 を語 らずして会 計 史 は語 れまい。Luca=Pacioli xvi i 著 『Summa de
Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalita』 xvi i i 。今 に語 り継 がれ,尚 も会
計 史 論 者 の研 究 の的 となっている,簿 記 史 上 の歴 史 的 大 作 である。この一 冊 がなか
ったら,複 式 簿 記 が伝 播 し,普 及 し,今 に伝 わることはなかったろう。
本 章 では,当 時 の社 会 がいかなる潮 流 の中 に彼 をしてこの一 冊 を記 述 せしめたの
10
か,時 系 列 に沿 って追 いかけてゆくこととしたい。
第一節
暗黒時代を経て、
歴 史 は繰 り返 されるとはよく言 ったもので,文 化 の発 展 が滞 る時 期 には犯 罪 が横
行 するものと相 場 が決 まっている。
ローマ帝 国 の滅 亡 が 480 年 であることは既 に述 べが,本 論 では 480 年 から 13 世 紀
初 頭 までの歴 史 を記 述 しなかった。それは,この時 代 が「暗 黒 時 代 」
15
[2 ]
と呼 ばれる文
化 ・文 明 の停 滞 期 であり,会 計 の著 しい進 歩 も見 られなかったからだ。
しかし,この時 代 に犯 罪 が多 発 したことは会 計 にも良 き刺 激 となった。犯 罪 により詐
取 ・強 奪 された資 産 額 の把 握 やトラブル時 の証 拠 書 類 作 成 といった社 会 的 要 請 が
高 まり,簿 記 を社 会 に普 及 させた。
この頃 の帳 簿 には十 字 架 が散 見 できる。これは,帳 簿 に虚 偽 記 載 がないことを神
20
に誓 った証 しだった。この十 字 架 があることが,裁 判 の際 に帳 簿 を証 拠 書 類 として採
用 する条 件 だった。
しかし,やがて暗 黒 時 代 が終 わり,社 会 の治 安 が改 善 されるにつれ,十 字 架 も帳
簿 から姿 を消 してゆくのである。
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~ 12 ~
会計史論
複式簿記の成立と発達
第二節
数学的側面
ゼロを数 として認 識 した初 めは,バビロニアであった。
否 ,より正 確 には,ゼロの機 能 の一 部 を有 する記 号 を発 明 したといった方 が良 いの
かもしれない。
バビロニアの数 体 系 は恐 ろしく複 雑 怪 奇 であった。60 の冪 乗 と 60 の冪 乗 をそれ
5
ぞれ 10 倍 した数 とで位 取 りを行 うもので,一 般 にはnを項 数 ,kを実 数 とするとき,一
般 項 が an =
2n −1
3
∏nk=1 �4 + (−1)k � となる数 列 {an }が底 であった。 しかも 60 の冪 乗
すべてを表 す記 号 と,60 の冪 乗 をそれぞれ 10 倍 した数 のすべてを表 す記 号 との二
つしか記 号 がなく,その二 つを何 度 も書 きならべて数 を表 わすというものだった。現 代
を生 きる我 々からすれば,どうすればそれで生 活 が成 り立 つのかと不 思 議 に思 ってし
10
まうが,当 時 の人 々にとっては「文 句 なしで理 にかなって」
[4]
いたのだ。
しかし,歴 史 が進 むにつれて(至 極 当 然 ではあるが),書 けるが読 めない記 数 法 には
問 題 が生 じてきた。そこで,彼 らはその位 に何 も値 がないことを示 す記 号 を発 明 し,数
字 の位 置 に意 味 を見 いだしたのである。
本 論 の領 域 を逸 脱 するため,その後 のゼロ史 を語 ることは差 し控 えるが,やがて,
15
彼 らの発 明 した記 号 は無 の概 念 と結 びつき,「ゼロ」として数 の中 に組 み入 れられ,時
に軍 艦 をも止 める数 として,現 代 数 学 ・現 代 物 理 学 の脅 威 となってゆくのである。
xix
さて,この期 に及 んでも,まだ人 が数 の並 びに意 味 を見 いだすには及 ばなかった。そ
の位 に値 がないことを示 す記 号 が生 まれても,その用 法 が熟 知 され,広 く社 会 に普 及
しなければ,人 々の思 考 の根 柢 を形 成 するには至 るべくもなかった。そのためには,ま
20
ず(十 進 法 で言 うところの)1 から 9 までの記 号 が必 要 であったし,何 よりあの複 雑 な底
の概 念 から解 き放 つ必 要 があった。現 に,中 世 に入 っても依 然 として記 帳 はローマ数
字 で行 われていたのだ。
1211 年 。一 人 の男 がその歴 史 を変 えたと言 って良 かった。レオナルド=フィボナッチ
xx
25
著 『算 盤 の書 』。この一 冊 によりアラビア数 字 の加 減 乗 除 ・分 数 ・平 方 ・幾 何 ・代 数
に至 るまでが初 めて体 系 的 に構 成 された。この快 挙 により,徐 々にではあったがアラビ
ア数 字 の記 数 法 体 系 は10を底 とする数 体 系 と共 に広 く欧 州 へ普 及 するに至 ったの
だ。尚 ,アラビア数 字 は,記 帳 においては13世 紀 後 半 から徐 々に用 いられ初 め,16世
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会計史論
複式簿記の成立と発達
紀 前 半 には広 く社 会 全 般 に普 及 した。
これにより,数 字 の位 置 が意 味 をなすという考 えが広 く人 々に根 付 き,その思 考 の
根 柢 が形 成 され,信 用 取 引 に係 る債 権 ・債 務 の把 握 という長 年 の困 惑 の解 決 に向
けて,簿 記 史 の駒 が進 み始 めたのである。
第三節
5
Sector別 会 計 期
13 世 紀 に入 るとSector別 会 計 xxi がヴェネツィア xxi i で誕 生 する。当 時 のヴェネツィア
はヨーロッパの玄 関 口 であった。東 洋 人 が西 洋 の風 を浴 びる唯 一 の場 と言 って良 か
ったし,また西 洋 人 が東 洋 から採 光 する唯 一 の窓 であった。
そこでは様 々な商 品 が行 き交 ったが,逆 に言 えばある商 人 が常 に同 じ商 品 ばかり
を扱 うことは少 なかった。今 まで見 てきたように,資 産 管 理 が会 計 の主 たる目 的 とされ
10
ていた社 会 である。会 計 ・帳 簿 の組 織 が Sector 別 に細 分 化 してゆくのは時 代 の必 然
であった。彼 らは東 から胡 椒 が来 れば胡 椒 会 計 を作 り,西 からワインが来 ればワイン
会 計 を起 こした。そして,胡 椒 が売 り切 れれば,(売 り切 れずに半 永 久 的 にある商 品
が手 に入 り続 けるなどあり得 なかったから,)胡 椒 会 計 単 体 での利 益 を計 算 し,全 勘
定 を締 め切 った。商 品 が売 り切 れる途 中 で決 算 が行 われることはなく,ある商 品 の会
15
計 を締 め切 ったからと言 って,他 の商 品 の会 計 と連 結 されることはなかった。
費 用 ・収 益 の認 識 という側 面 から考 えると,この段 階 においては,「期 間 に区 切 る」
という考 えが無 く,利 益 についても仕 入 時 と売 上 時 のキャッシュの差 額 として認 識 さ
れていたため,発 生 主 義 と現 金 主 義 は同 義 であった。「会 計 期 間 」という考 えの無 い
ところに,費 用 ・収 益 を当 期 のものとするか,他 の期 のものとするかといった「識 別 」
20
[5 ]
の必 要 性 は生 じず,何 ら手 を加 えなくとも費 用 ・収 益 は自 動 的 に対 応 したのである。
第四節
企業構成員の変遷
一 方 では,企 業 形 態 の変 化 も当 時 の簿 記 に影 響 を与 えた。
13 世 紀 までは,企 業 の構 成 員 は家 族 の構 成 員 に等 しかった。確 かに,古 代 におい
て銀 行 や大 規 模 商 館 は存 在 したが,それは古 代 社 会 の中 では比 較 的 大 規 模 であ
ったという意 味 での「大 規 模 商 館 」に過 ぎず,家 族 のみで十 分 運 用 できうる範 囲 内
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会計史論
複式簿記の成立と発達
であった。
ところが時 代 は巡 り,大 航 海 時 代 を迎 えようという時 期 になると,商 業 の発 達 に伴
い,企 業 が更 なる業 務 拡 大 ・事 業 発 展 を志 向 し初 め,企 業 に更 なる人 手 を加 えるこ
とで大 規 模 化 しようという者 が現 れてきた。マグナ・ソキエタス(期 間 組 合 ) xxi i i の誕 生
5
である。
期 間 組 合 は,13 世 紀 前 半 から 14 世 紀 初 頭 のフィレンツェ xxi v で発 生 した。それまで
の企 業 (ソキエタス)では,給 与 は家 族 への小 遣 いであり,会 社 の資 産 は家 財 に等 し
く,利 益 は家 族 で山 分 けすれば良 く,そもそも決 算 の必 要 がなかった。ところが,
マグナ・ソキエタス
期 間 組 合 では,そうは行 かなくなった。給 与 は,その人 の生 活 に足 る額 ・その働 きに
10
見 合 う額 を,正 しく支 払 う必 要 があったし,家 財 と資 産 は誤 たず別 会 計 とせねばなら
なかったし,何 より他 人 との利 益 配 分 xxv にはSectorの枠 を超 えた正 確 な損 益 計 算 ・利
益 算 定 が求 められた。
当 時 の利 益 算 定 は,現 代 の所 謂 「資 産 負 債 アプローチ」 xxvi であった。当 時 の簿 記
は名 宛 勘 定 xxvii を主 とした資 産 諸 勘 定 ・負 債 諸 勘 定 のみで構 成 されており,費 用 ・
15
収 益 の各 諸 勘 定 は存 在 しなかった。これは,簿 記 ・会 計 の目 的 が専 ら資 産 ・負 債 の
管 理 であった為 である。従 って利 益 算 定 に当 たっても,彼 らは「ヴィランツィオ xxvi i i 」
[6]
と呼 ばれる現 代 の貸 借 対 照 表 の様 なものを期 初 ・期 末 に時 価 評 価 で作 成 し,その
棚 卸 高 の差 をもって利 益 としていた。当 初 はそれで良 かった。ところが,期 間 組 合 の
出 現 ・発 展 と共 に,その利 益 の信 頼 性 に疑 問 の声 が上 げられるようになってきた。評
20
価 損 や棚 卸 減 耗 費 の詳 細 はおろか, 費 用 ・収 益 の内 訳 も一 切 示 されないまま,資
産 ・負 債 の明 細 のみを提 示 されても,納 得 のゆくはずがない。そこで,その利 益 に収 益
費 用 アプローチからの証 明 を加 えるべく,収 益 諸 勘 定 ・費 用 諸 勘 定 が生 まれ,まだ
不 定 期 的 ではあったが期 間 損 益 計 算 が始 まった。
そこでは,利 益 が正 しいことを示 すため,収 益 費 用 アプローチで求 めた利 益 に種 々
25
の加 算 ・減 算 を行 い,資 産 負 債 アプローチからの利 益 額 に一 致 することを示 さなけれ
ばならなかった。評 価 損 益 や棚 卸 減 耗 費 の計 上 はもちろんのこと,見 越 ・繰 延 といっ
た会 計 期 間 を意 識 した決 算 整 理 が必 要 となった。こうして会 計 は,生 まれながらにし
て発 生 主 義 を身 につけた xxix 。14 世 紀 のことである。
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会計史論
複式簿記の成立と発達
第五節
代理人会計の展開
企 業 についてもう一 つ,出 資 に着 眼 して見 てみたい。
資 産 所 有 者 が他 人 にその運 用 を委 託 し,受 託 者 が運 用 ・管 理 を行 い,委 託 者 に
会 計 報 告 を行 うといった会 計 を代 理 人 会 計 という。代 理 人 会 計 の歴 史 は古 く,その
起 源 は古 代 ロ-マにまで遡 るが,それが出 資 への発 展 として会 計 に大 きなインパクト
5
を与 えるのは16世 紀 になってからであった。
ここでは,一 旦 ,古 代 ローマの代 理 人 会 計 に触 れた上 で,16世 紀 の会 計 の変 革 を
見 てゆくことにしたい。
第一項
代理人会計の起源
古 代 ローマにおいて,奴 隷 が小 口 現 金 を管 理 していたことは既 に述 べたが,それこ
そが代 理 人 会 計 であり,出 資 の概 念 はその発 展 の末 に生 まれたと言 えるだろう。
10
初 期 の会 計 の委 託 ・受 託 関 係 の中 では,受 託 者 は資 産 運 用 ,分 けても現 金 の管
理 に慎 重 になった。万 が一 にも帳 簿 残 高 と実 際 の有 高 に差 額 が生 じれば,委 託 者
から説 明 を求 められ,責 任 を追 及 されるのである。
従 って,古 代 ローマの小 口 現 金 管 理 でも現 金 については厳 重 な記 帳 ・管 理 が行
われた。彼 らは「主 人 勘 定 」
15
[7 ]
を開 設 し,主 人 ・奴 隷 間 の金 銭 等 の授 受 は奴 隷 の手
により現 金 勘 定 ・主 人 勘 定 の双 方 に記 帳 された。
やがて,時 の流 れと共 に奴 隷 の扱 う資 産 運 用 の幅 は広 がって行 き,利 子 を付 けて
資 産 を貸 出 したり,商 品 の売 買 を行 ったりと,その幅 は小 口 現 金 の域 を完 全 に脱 して
いた。その期 に及 んで奴 隷 は商 人 へと,その立 場 を変 え,主 人 は出 資 者 たる貴 族 へ
と変 容 した。主 人 勘 定 が資 本 金 勘 定 へと進 化 を遂 げるのも,時 間 の問 題 だった。
第二項
20
定期総括的期間損益計算の成立
16世 紀 になると,企 業 はさらに進 化 を遂 げ,全 国 に支 店 を持 つに至 った。この時 ,い
くつかの企 業 は各 店 舗 を本 支 店 会 計 で繋 がず,独 立 採 算 制 を敷 いた。
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会計史論
複式簿記の成立と発達
本 店 で修 業 を積 み,やがてトップに認 められると,開 店 資 金 が支 給 され,支 店 の開
設 が認 められた。その後 は,一 年 毎 の本 店 への財 務 報 告 ・利 益 配 分 が課 せられた他 ,
一 切 の経 営 は任 された。
さらに,その業 績 が良 好 であった場 合 には,開 業 資 金 が与 えられ,のれん分 けが認
5
められた。のれん分 けの後 も,財 務 報 告 と利 益 配 分 は科 せられた。
さらに,時 代 が進 むと,完 全 なる他 者 資 本 も介 入 するようになり,出 資 の証 拠 書 類
として「株 式 」が誕 生 した。
こうして定 期 総 括 的 損 益 計 算 xxx と出 資 の概 念 は誕 生 した。
第六節
そして、
サンセポルクロに生 まれた男 に,迷 いはなかった。元 々数 学 者 であった彼 は,アラビ
10
ア数 字 にも慣 れ親 しんでいた。幼 い頃 ,商 人 の家 に奉 公 した経 験 からか,簿 記 を語 る
ことに何 の抵 抗 も感 じなかった。15世 紀 の半 ばに活 版 印 刷 が発 明 されたことも,彼 を
後 押 ししたに違 いない。彼 は成 した。49 歳 ,5 作 目 にして彼 の主 著 ,スンマの完 成 xxxi
であった。
第七節
その後
その後 の歴 史 についても,触 れておかねばなるまい。
15
「大 人 になるってことは,近 づいたり離 れたりを繰 り返 して,お互 いがあまり傷 つかず
に済 む距 離 を見 つけ出 すってこと」
[8 ]
葛 城 ミサトの台 詞 である。
会 計 の歴 史 も,正 に近 づいたり離 れたりであった。
業 務 の効 率 化 から日 記 帳 が仕 訳 帳 に統 合 された一 方 ,リアルタイムな財 務 状 況
の把 握 の為 に試 算 表 ・清 算 表 が生 まれ,元 帳 と決 算 書 の間 に距 離 が生 まれた。
20
名 宛 勘 定 が消 失 し,資 産 ・負 債 の諸 勘 定 へ統 合 されたかと思 えば,債 権 ・債 務 の
把 握 に駆 られ補 助 簿 が誕 生 する。
三 分 法 xxxii の成 立 過 程 は特 におもしろい。当 初 は,商 品 毎 に各 資 産 勘 定 (胡 椒 勘
定 ・パン勘 定 など)が作 成 されていたが,18 世 紀 後 半 から雑 商 品 勘 定 が生 まれ,雑
多 な商 品 がそこにまとめられた。現 在 の雑 費 や消 耗 品 費 のようなものだ。次 第 に雑 商
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会計史論
複式簿記の成立と発達
品 として扱 われる商 品 が増 加 して行 き,ついに 19 世 紀 前 半 ,商 品 勘 定 (資 産 )で一
本 化 される。ここまでが”近 づき”の歴 史 である。ところが 20 世 紀 に入 ると企 業 の肥 大
化 に伴 って,企 業 の経 理 を一 人 の担 当 者 が全 て賄 うことが不 可 能 となり,仕 入 係 ・
売 上 係 といった役 割 分 担 と共 に,商 品 勘 定 にも仕 入 勘 定 ・売 上 勘 定 に分 かれること
5
が要 請 され,やがて決 算 法 の進 展 と共 に 繰 越 商 品 勘 定 が誕 生 ,三 分 法 が成 立 に
至 ったのである。
【脚 注 】
xvii
Luca=Pacioli(1445-1517)。サンセポルクロに生 まれ,中 世 ヨーロッパを生 きた数
学 者 。16 歳 にして同 郷 の画 家 (当 時 の画 家 は数 学 的 思 考 に優 れていることが
求 められていた)に数 学 的 才 能 を見 込 まれ,19 歳 から6年 間 ,ヴェネツィアの商 人
(当 時 ,商 業 には数 学 的 能 力 を要 した)に奉 公 に出 る。25 歳 にして初 の数 学 書
を著 し,生 涯 5作 品 を残 した。晩 年 はローマ法 王 からもその才 能 が認 められ,ロー
マ大 学 教 授 への抜 擢 を受 けた。尚 ,レオナルド・ダ・ヴィンチとも親 交 が深 かった
とされる。
xviii
直 訳 は,『算 術 ・幾 何 ・比 および比 例 に関 する総 覧 』であるが,『複 式 簿 記 全
書 』などと意 訳 される場 合 もある。複 式 簿 記 が詳 細 にわたり体 系 的 に記 述 された
書 物 としては世 界 最 古 。「スンマ」の愛 称 で知 られる。
xix
詳 細 は,チャールズ=サイフェ氏 著 ,林 大 氏 訳 の『異 端 の数 ゼロ』を参 照 された
い。
xx
レオナルド=フィリオ=ボナッチ(Leonardo=Pisano=Fibonacci,)。「中 性 一 の才 能 」
と称 されるイタリアの数 学 者 。「フィボナッチ数 列 」などで知 られる。
xxi
現 在 の部 門 別 会 計 と類 似 しているが,歴 史 的 に連 続 性 を持 つものではない。
当 時 の Sector 別 会 計 は,Sector 毎 に会 計 自 体 が別 々に分 かれていた上 ,それら
は連 結 されず,完 全 な独 立 採 算 制 であった。また,同 じ商 品 でも仕 入 値 ・売 値
が異 なれば別 会 計 とされた。現 金 勘 定 ・名 宛 勘 定 なども会 計 毎 に別 々に設 けら
れた。
xxii
Venezia,またの名 をヴェニス。イタリア北 部 の港 町 。
xxiii
同 族 のみで形 成 された組 織 を核 としつつ,三 から五 年 の期 間 に区 切 って同 族
以 外 の者 を企 業 に参 画 させるものだった。
xxiv
Firenze。イタリア北 中 部 の都 市 。
xxv
マグナ・ソキエタスでは決 算 毎 に同 族 以 外 の企 業 参 画 者 へ利 益 配 当 が行 わ
れた。
xxvi
資 産 負 債 アプローチとは,期 首 純 資 産 高 と期 末 純 資 産 高 の差 額 をもって利
益 とする考 え方 。一 般 には 1976 年 12 月 2 日 に FASB(Financial Accounting
Standard Board,米 国 の会 計 基 準 設 定 主 体 )が討 議 資 料 として公 開 した財 務
諸 表 の概 念 フレームワークの中 で提 示 した利 益 観 とされているが,(歴 史 的 連
続 性 は認 められないものの,)実 質 的 発 生 は当 時 のヨーロッパに見 られる。
xxvii
所 謂 人 名 勘 定 。債 権 ・債 務 の発 生 時 に,相 手 先 名 の勘 定 科 目 を設 定 する
記帳法。
xxviii
イタリア語 でバランスの意 。
xxix
費 用 ・収 益 の認 識 について,現 金 主 義 が発 生 主 義 に先 行 して発 生 したとする
歴 史 観 は誤 りである。古 代 より,債 権 ・債 務 の把 握 ・管 理 が会 計 の役 割 であった
ことは既 に述 べたが,その流 れから考 えても発 生 時 点 をもって費 用 ・収 益 を認 識
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会計史論
複式簿記の成立と発達
し,買 掛 金 ・売 掛 金 などの資 産 ・負 債 を計 上 したと考 えるのは極 めて自 然 である。
尚 ,上 述 のような間 違 った歴 史 観 が普 及 した背 景 としては,黒 沢 清 氏 著 の『近
代 會 計 學 』(1951,春 秋 社 )と,山 下 勝 治 氏 著 の『會 計 學 の一 般 理 論 』の中 で
「Sector 別 会 計 では現 金 主 義 がとられたが,マグナ・ソキエタスの台 頭 と共 に発
生 主 義 へ変 化 した」とする誤 った仮 説 が立 てられ,それが普 及 したことによると
考 えられる。しかし,既 に述 べたように,Sector 別 会 計 では費 用 ・収 益 を識 別 する
必 要 が無 かったため,現 金 主 義 か発 生 主 義 かを語 る次 元 に無 いのである。尚 ,
現 金 主 義 は 19 世 紀 に入 ってから,キャッシュフロー計 算 書 の発 生 過 程 で誕 生 す
る。
xxx
ここで,定 期 的 とは決 算 を定 期 的 に行 う意 。総 括 的 とは Sector を超 えた損 益
計 算 を行 う意 。
xxxi
Pacioli は,記 述 されていなかった複 式 簿 記 を大 成 し,体 系 的 に構 成 したに過
ぎず,複 式 簿 記 を発 明 したわけではない。これは,自 身 も認 めており,スンマの中
で「複 式 簿 記 の祖 ではない」と記 述 している。
xxxii
仕 入 ・売 上 ・繰 越 商 品 の三 勘 定 で商 品 の管 理 を行 う記 帳 法 。詳 述 は差 し控
える。
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会計史論
BIG BANG
第三章
BIG BA NG
太 陽 の塔 を建 てた男 は言 った。「芸 術 は,爆 発 だ。」
20 世 紀 以 降 の会 計 は,爆 発 である。
広 く一 般 には,1986 年 10 月 27 日 のイギリス金 融 ビッグバンに端 を発 するとされて
5
いるが,正 確 な時 系 列 に基 づけばその起 源 は 20 世 紀 中 盤 まで遡 る。
企 業 会 計 審 議 会 (後 に企 業 会 計 基 準 委 員 会 )の誕 生 と,企 業 会 計 原 則 や種 々
の会 計 基 準 の策 定 。独 占 禁 止 法 の改 正 はコングロマリットや,連 結 決 算 ・連 結 納 税
制 度 を発 生 させ,保 守 主 義 は,引 当 金 ・減 価 償 却 ・減 損 会 計 といった考 え方 を生 み,
キャッシュの変 化 と利 益 額 との間 に差 異 をもたらし,キャッシュフロー計 算 書 を発 生 せ
10
しめ,現 金 主 義 を誕 生 させた。
世 界 に目 を向 ければ,米 国 33 年 法 ・34 年 法 の制 定 ,SEC の誕 生 と FAF・FASAC・
FASB のトライアングル体 制 の成 立 。グローバル化 と IASC による IAS(後 に IASB によ
る IFRS)の誕 生 。
問 い続 けたのは,一 般 に公 正 妥 当 と認 められた会 計 基 準 及 び原 則 とはどうあるべ
15
きか。全 ては,Stakeholder の為 であった。
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会計史論
おわりに
おわりに
本 論 が,社 会 的 要 請 に着 目 して会 計 の歴 史 を見 つめるものである限 り,20 世 紀 以
降 の会 計 を語 ることは,もはや主 題 の外 である。
会 計 の歩 みを見 つめることは,とても意 義 深 かった。現 金 主 義 から発 生 主 義 ,収 益
5
費 用 アプローチから資 産 負 債 アプローチ,取 得 原 価 主 義 から時 価 会 計 へと言 った巷
間 で言 われる会 計 の流 れが,歴 史 的 には全 て逆 の進 化 をたどったものであったとは,
おもしろい。
アメリカ発 の大 津 波 が,世 界 経 済 を激 震 へ陥 れしている。今 ,会 計 には何 が求 めら
れているのか,否 ,会 計 に何 が出 来 うるだろうか。考 察 を加 えなければならない。
10
恐 慌 は,何 故 起 こるのか。バブルの崩 壊 である。バブルは何 故 発 生 するのか。人 々
が時 勢 を読 めないためである。バブルの最 中 に今 がバブルだと断 言 できる者 はいない
はずだ。なぜなら,誰 かがそれに気 づいた瞬 間 をもって,バブルがはじけるからだ。
あの世 界 恐 慌 でさえ,そうであったように,往 々にして恐 慌 は中 長 期 的 要 因 に誘 発
される。今 回 の恐 慌 も例 に漏 れなかった。サブプライムローンとは,一 般 の住 宅 ローン
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(プライムローン)の融 資 を受 けられない低 信 用 力 の人 に住 宅 ローンを貸 し付 ける商
品 で,借 入 から一 定 期 間 の返 済 額 を減 額 する代 わりに,その後 の返 済 額 を増 額 する
というものだった。本 来 なら,この商 品 が台 頭 してきた時 点 で,市 場 は気 づくべきであ
った。「一 定 期 間 の返 済 額 を減 額 」してもらわねば返 済 できないような人 が,「その後
の返 済 額 を増 額 」されて,返 済 が滞 らないはずがない。金 融 機 関 が多 額 の不 良 債 権
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を抱 えることは予 想 できたはずである。やがて 2008 年 夏 ,サブプライムローンの焦 付
きが明 らかになり,ファニーメイ・フレディマックが合 衆 国 政 府 の公 的 管 理 下 に入 った
のが同 年 9 月 7 日 ,リーマンブラザーズの破 綻 が同 月 15 日 であった。
このバブル崩 壊 が世 界 経 済 へ領 域 を拡 大 した背 景 には,ローンが証 券 化 されて
いたことが挙 げられる。銀 行 は貸 出 しを行 うやいなや,すぐさま証 券 化 し売 却 。売 却
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先 金 融 機 関 でも,様 々な金 融 商 品 と共 にポートフォリオが組 まれ,転 売 される。さらに
は転 売 先 でもポートフォリオに組 み入 れられるに至 り,その繰 り返 しが実 態 を見 えなく
した。複 雑 化 した金 融 商 品 の全 体 を把 握 することは既 に不 可 能 であったから,末 端 の
金 融 商 品 購 入 者 にとって,当 該 商 品 は金 を生 むブラックボックスに過 ぎなかった。
会 計 の本 質 が,「経 済 的 情 報 」
[ 5]
を「伝 達 」
[5 ]
し「事 情 に精 通 」
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[5 ]
せしめることに
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会計史論
おわりに
あるのなら,それこそ会 計 の担 うべき社 会 的 責 任 ではないか。貸 出 しを行 った銀 行 と,
末 端 の金 融 商 品 購 入 者 とを繋 ぐ情 報 チャンネル,Accessibilityの整 備 である。企 業 の
資 産 たる債 権 が,いかなる回 収 可 能 性 ・収 益 性 を保 有 しているかといった情 報 を「経
済的情報」
5
[5 ]
と呼 ばずに何 と呼 ぼう。思 えば,資 産 管 理 や債 権 ・債 務 の管 理 は会
計 の古 くからのテーマではなかったか。
そのためには,貨 幣 以 外 に,もう一 つの単 位 が必 要 となるだろう。いわば,リスク頻
度 の数 値 化 である。種 々の資 産 を別 々に管 理 した古 代 会 計 から,単 位 が貨 幣 に統
一 されるに至 る「近 づきの歴 史 」と,金 融 資 産 の管 理 に駆 られて新 たな単 位 が誕 生
する「離 れの歴 史 」である。我 々は今 ,その転 換 点 に立 たされているのかもしれない。
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リスク頻 度 の数 値 化 と財 務 諸 表 という観 点 から,もう一 点 述 べておきたい。近 年 ,
世 界 的 台 頭 の著 しい資 産 負 債 アプローチについてである。私 は,これを過 去 への回
帰 より,むしろ新 たなる進 化 だと考 えている。
既 に述 べたように,そもそも損 益 計 算 は,資 産 負 債 アプローチから求 めた利 益 額
が正 しいことを証 明 するためのものとして誕 生 した。従 って,そこでは二 つのアプローチ
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から求 めた利 益 が正 確 に一 致 することが求 められた。
しかし,今 の会 計 はどうか。評 価 損 益 計 上 のタイミングが議 論 されたり,繰 延 資 産 ・
引 当 金 と言 った,資 産 ・負 債 ならざる資 産 ・負 債 が誕 生 したりと,種 々の問 題 が山 積
し,必 ずしもその二 つは一 致 していないのが現 状 である。特 に,我 が国 ではその傾 向
が著 しく,「純 利 益 」の名 の下 に繰 延 ヘッジ損 益 や土 地 再 評 価 差 額 金 が直 接 純 資
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産 へ繰 り入 れられる会 計 を,みのがして良 いはずがない。
六 千 年 の会 計 史 の大 部 分 で人 が追 い求 めてきたものは時 価 による資 産 ・負 債 の
適 正 な把 握 ・管 理 であった。そこでは,何 にも増 して資 産 ・負 債 が会 計 上 の最 重 要
項 目 であったはずだ。ところがこの百 年 の会 計 を見 ると,六 千 年 もの永 きにわたる歴
史 を踏 みにじり,収 益 ・費 用 を重 視 し,追 い求 める あまり,実 在 科 目 であるはずの資
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産 ・負 債 に名 目 的 要 素 を持 ち込 むまでに至 ってしまった。14世 紀 の会 計 が全 て時 価
会 計 であったことを考 慮 しても,包 括 利 益 の方 が適 正 かつ妥 当 では無 いだろうか。永
く,資 産 ・負 債 や債 権 ・債 務 の管 理 手 法 だったはず会 計 が,資 産 ・負 債 ならざる資
産 ・負 債 を生 み出 すなど,もはや狂 気 と言 わざるを得 ない。
しかし一 方 では,売 却 予 定 のない資 産 を時 価 評 価 することへの抵 抗 もあるだろう。
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そこで,使 われるのが前 述 のリスク頻 度 の数 値 化 である。リスクアセスメントの中 で,資
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会計史論
おわりに
産 売 却 時 の差 損 について正 しく洗 い出 し,そのリスク頻 度 を正 確 に数 値 化 することが
出 来 れば,評 価 損 益 が現 実 的 なものとなるか否 かも含 めて財 務 報 告 書 に明 記 する
ことが出 来 るため,そうした抵 抗 ・懸 念 も抑 えられるのでは無 いだろうか。
20 世 紀 以 降 の会 計 は,「利 益 」ということにこだわりすぎて,あるべき会 計 の姿 を見
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失 ってしまったのでは無 いだろうか。今 こそ舵 を切 り直 し,本 来 のあるべき歴 史 的 発 展
を志 向 することこそ,会 計 に求 められる社 会 的 要 請 では無 いだろうか。
読 者 諸 氏 は,気 づいているのだろうか。私 は,「複 式 簿 記 の”完 成 ”」という言 葉 を,
一 度 として使 ってこなかった。簿 記 の創 始 から六 千 年 。うち,期 間 損 益 計 算 が誕 生 し
てから五 百 年 。会 計 基 準 ・会 計 原 則 が話 題 となってから,まだ百 年 しか経 っていない。
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この期 にあたっては,簿 記 ・会 計 の完 成 など論 じうるべくもない。
この六 千 年 ,人 は文 化 ・文 明 の中 に生 きてきた。文 化 ・文 明 の中 の経 済 であり,文
化 ・文 明 の中 の会 計 であった。しかし,その流 れにも変 化 が現 れるかも知 れない。地 球
環 境 保 護 の立 場 から,単 に経 済 的 豊 かさのみを求 める社 会 からの脱 却 が求 められて
いる。会 計 が「経 済 的 情 報 」
15
[5 ]
を扱 うものである限 り,経 済 の変 化 は会 計 の変 化 であ
る。
古 代 より,文 明 の歴 史 は会 計 と共 にあった。会 計 は,今 後 も永 久 に進 化 を続 ける
だろう。百 年 後 ,千 年 後 の「地 球 に優 しい経 済 」がどんなものか,今 を生 きる我 々には
知 る由 もないが,その時 の会 計 の姿 は,少 し見 てみたくもある。
最 後 になってしまったが,本 論 の記 述 にあたり種 々の助 言 を賜 ると共 に,何 より私 の
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心 の支 えとなってくれた中 京 大 学 会 計 学 研 究 会 の親 愛 なる同 志 に深 甚 なる謝 辞 を
啓 し,六 千 年 に渡 る Theory に幕 を閉 じることとしたい。
平 成 21年 5月
輝 かしき陽 光 に乗 せて者 諸 氏 へ捧 ぐ
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会計史論
文献目録
文献目録
1. 濱 田 弘 作 . 会 計 史 研 究 序 説 . 千 代 田 区 : 多 賀 出 版 株 式 会 社 , 1983.
ISBN:4-8115-2094-7.
2. ArthurH.Woolf. ウルフ会 計 史 . (訳 ) 片 岡 義 雄 , 片 岡 泰 彦 . 港 区 : 財 団 法 人
5
法 政 大 学 出 版 局 , 1977. 本 書 は,A Short History of Accountants and Accountancy
の邦 訳 である。. ISBN:978-4588655029.
3. MichaelChatfield. 会 計 思 想 史 . (訳 ) 津 田 正 晃 , 加 藤 順 介 . 新 宿 区 : 株 式 会
社 文 眞 堂 , 1978. 本 書 は"History of Accounting Thought"の邦 訳 である。.
ISBN:978-4-8309-3922-8.
10
4. CharlesSaife. 異 端 の数 ゼロ. (訳 ) 林 大 . 千 代 田 区 : 早 川 書 房 , 2003. 本 書 は,
ZERO:The Biography of a Dangerous Idea の邦 訳 である。. ISBN:4-15-208524-X.
5. アメリカ会 計 学 会 (American Accounting Association,AAA). 基 礎 的 会 計 理 論 .
(訳 ) 飯 野 利 夫 . 東 京 : 国 元 書 房 , 1969. 第 1 巻 , 本 書 は,1966 年 アメリカ会 計
学 会 発 行 の ASOBAT(A Statement of Basic Accounting Theory)の邦 訳 である。尚 ,
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本 書 の中 で,会 計 について「情 報 の利 用 者 が判 断 や意 思 決 定 を行 うにあたって,事
情 に精 通 したうえでそれができるように,経 済 的 情 報 を識 別 し,測 定 し,伝 達 する過
程 である」と定 義 されており,本 論 における会 計 の定 義 も,これに従 うものである。.
ISBN:4765805042 / NBN:JP70013810.
6. 渡 邉 泉 . 歴 史 から学 ぶ会 計 . 初 版 . 千 代 田 区 : 同 文 館 出 版 株 式 会 社 , 2008.
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ISBN:978-4-495-19101-6.
7. 岸 悦 三 . 会 計 前 史 〔増 補 版 〕―パチョーリ簿 記 論 の解 明 ―. 千 代 田 区 : 同 文 館
出 版 ㈱, 1990. 本 書 には、第 一 部 第 四 章 で、資 料 として、Luca=Pacioli 著 の Summa
de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalita の著 者 による全 訳 (邦 訳 )
が所 収 されている。. ISBN:4-495-13182-6.
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8. 庵 野 秀 明 . 新 世 紀 エヴァンゲリオン. ( TV アニメーション). (出 演 /演 奏 :) 緒 方 恵 美 ,
ほか. (プロデュース) 大 月 俊 倫 , Eva.Project. テレビ東 京 ・NAS・GAINAX・タツノコ
プロ・鷺 巣 詩 郎 ・山 下 いくと・庵 野 秀 明 ; テレビ東 京 , 1995-1996. 尚 ,原 作 ・漫 画 は
貞 本 義 行 ・GAINAX・カラー・角 川 書 店 による。.
9. BrownRichard. A History of Accounting and Accountants. 出 版 地 不 明 : Cosimo
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会計史論
文献目録
Classics, 2005. ISBN:978-1596050846.
10. Edmund, Robertson F and John, O'Connor J. Mathematics in Egyptian Papyri. The
MacTutor History of Mathematics archive. [Online] University of St Andrews, 12 2000.
[Cited: 4 19, 2009.]
5
http://www-groups.dcs.st-andrews.ac.uk/~history/HistTopics/Egyptian_papyri.html.
11. ホルストクレンゲル. 古 代 バビロニアの歴 史 ―ハンムラビ王 とその社 会 ―. (訳 ) 江
上 波 夫 , 五 味 亭 . 千 代 田 区 : 株 式 会 社 山 川 出 版 社 , 1980. 本 書 は,
Hammurapi von Babylon und seine Zeit の邦 訳 である。. ASIN:B000J89KMC.
12. 室 井 和 男 . バビロニアの数 学 . 文 京 区 : 東 京 大 学 出 版 会 , 2000.
10
ISBN:4-13-061302-2.
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