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2001 年 10 月 29 日.INA・(イラク国営通信社) サダム・フセイン大統領

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2001 年 10 月 29 日.INA・(イラク国営通信社) サダム・フセイン大統領
2001 年 10 月 29 日.INA・
(イラク国営通信社)
サダム・フセイン大統領から西欧諸国民と政府への書簡
慈悲深く慈愛あまねくアッラーの御名の下に
いま一度われわれは米国を含む西側諸国のすべての国民と政府に書簡を送る。
われわれからの平安の挨拶を待つ人々のもとに、すなわち(ワ・アライクム・アッサラ
ー・ム)「あなたにも平安がありますように」と挨拶を交わす人々に平安を祈る。
世界は先の9月の事件の続報と分析に最大限の注目を集中させたが、綿密な分析をおこ
なった者は大多数ではなかった。けれど、今では、深く分析する人々が数の上では増加し
てきたように思われる。発生した事態の深刻さ、その動機または理由、そして事件の結果
及び効果を調査している政府高官の数もまた増加している。多くの者がよりよいことを思
いつくとは限らないのと同じように、誰にでも大事件や複雑な状況について深い考察がで
きるわけではないことを気付いていない人々にとっては、事件が発生した時点では、その
人員の多さや彼らのおこなった処理の仕方は惨めなものであった。
事件に拍手喝采した人々であれ事件を非難した人々であれ、彼らの感情と精神の興奮が
比較的に静まった今、私は、彼らの責任の所在と役割を明確にしたうえで、国民の支持に
基づいた指導者の役割が演じられるべきであると、申し上げたい。いかなる指導者にも求
められる最も重要な資質の一つは、路上に横たわる暗い溝の目印をつけることによって他
の人を死から、また目印に気づかない者が奈落の淵に落ちることを防ぐことによっても
人々を救うことである。その時、指導者に託されている国民の高揚あるいは優越感という
特質が、国民の潜在的な思考及び行為と一緒に現れてくるのである。国民や民族をおびや
かしかねない脅威は、その脅威に対処する方策を導く責任を当事者である国民に要求する
ばかりでなく、こうした危険が再発してこないため、その危険を取り除くため、脅威を柔
らげるか、根本的にその根拠に対処する見地から、それらの根拠を分析することを要求し
ている。
残念ながら、これまでのところ、この方向での一般的な取り組みはまだ弱い。この弱点
を現象として示している点では、西側諸国の政府はこの弱さの先頭に立っている。若干の
国民、ジャーナリスト、著述家の側から起こった発言が、非常に制約された形によるもの
であり、支配層にとって替わるべく影で準備している人々の発言であった。それにもかか
わらず、とって替わるべきポストの利害関係や権力中枢への影響力というバランスに照ら
すと、後者の発言は状況に対処するには、まだ、ためらいがちだと言えよう。米国に関し
て言えば、国民が絶大な影響力をもつシオニズムおよび彼らの有名な目標と結びついた利
権に奉仕する他のもろもろの行政機関の決定的影響から自由でない限り、もし米国民があ
るがままの事実を知ることができる時に、国民の意識のなかにある希望は政府のなかにあ
るものよりも大きいものであろう。
9月11日の事件とその後の米国民の激しい反応、あるいは疑惑にもとづくアフガニス
タン侵略やメディアないしは米国内外の指導者たちによる中傷と声明を含めて、この状況
を利用した者たちの存在は、たとえ大西洋を渡ってきた火花であったとしても、この広大
な世界が西側諸国から発した一つの火花によって燃えあがるように設定されているという
ことを露呈することになった。当然のことながら、なにかを燃えるよう火を点じることは、
その火を消すことよりも容易である。そして、善行が人の魂と人生を高揚させる一方、悪
行はそれらを堕落させるものである以上、悪行がその気になっている者を誘い込むことは
容易になるであろう。
このような現実の様相にもとづいて、全世界は米国とその類いのもの(それが国家であ
るか個人または組織であるかを問わない)によって突き落とされた深い奈落の淵から救い
だされる必要がある。実際、米国支配層がどの程度までみずからを危機に導くかを知った
今、世界はみずからを救いだしつつある一方で、米国そのものをも救いだす必要がある。
さもなければ、抜け出ることができないほどの深淵に落ち込むことによって、その深淵が
流血と悲劇で満たされるまで、泳ぐことができないため呼吸困難になる者がいることに注
意を払うこともなく、世界は米国の重みによって衰退させられるであろう。
ウム・アルマァリク(戦争の母/註:湾岸戦争のこと)の以前とその中でも、米国など
侵略に着手している者を前にしてわれわれが訴えたように、全世界はイラクやアラブ民族
のように侵略に直面しても目標を見失わず、沈着冷静でなければならない。米国が勝利す
ることを許してはならない。米国および同盟者がイラクに勝利することは、それに反対す
る立場と分析をおおい隠すであろうし、長期にわたってこれらの事実が再び姿を現すこと
を認められなくなってしまうであろう。実際、米国にはこれ以上の虚栄と傲慢は必要でな
い。しかし、もし米国がいつかイラクを敗北させるようなことになれば-神よ禁じたまえ
ー、米国は無益なレベルにまで自国を持ち上げるための更なる虚栄を求めただろうし、そ
れは米国をこのうえなく奈落に近付けるであろう。
しかり。虚栄とは対決する必要があるように、圧制者とは対決せねばならない。それは
ちょうど、安易に悪行を行ない、人に燃えさしを投げつけるような者たちと対決する必要
があるのと同じ道理である。われわれが侵略に直面するイラクについて語ったことにもと
づいて、世界は今や、アフガニスタン国民に対する侵略を含む米国の侵略的な計画を未然
に防ぐ必要があり、米国の侵略政策は中止されねばならない。
われわれは再び主張する。誰かが不正に処遇されていると感じ、そして誰も彼に対する
不正な処遇を排除することも止めることもしない時、彼は正義をかかげる方法と手段を自
分で求めるのである。もちろん、負わされた不正をふりほどく最良の方法が誰にでも見つ
けられるわけではない。しかし、人々は自分自身の考えにしたがって最良の方法であると
自分が考えたことに頼るのであり、彼らの全員が最善の着想と手段に到達するために、入
手可能なものを超えるにいたる能力を備えていないというわけではない。
最善の方法を見いだすためには、神および神のもとの正義へ通じる道を見つけたのちに、
不正によって苦しめられる人々は、自然な環境から隔離されないようにしなければならず、
あるいはその環境の中で誤解から当局者によって故意に無視されたりしてはならない。む
しろ、彼らは安心して彼ら自身と環境から身を守ることを援助されるべきである。われわ
れの世界に処罰は必要である、と主張することは当然であるというほかない。なぜならば、
来世において必要なものは地球上のこの世界においてもまた必要とされるからである。し
かし、来世での処罰は公正で正当なものであり、預言者ならびに神の使者たちは(彼らす
べてに平安あれ)処罰を行い、それを公正に裁かれ、疑惑や気まかせなことを根拠となさ
れなかった。このことからも、人が行なう処罰も公正かつ説得力のあるものでなければな
らない。あなた方はたびたび、相手を弱体化させようとして、批判する相手に対して彼ら
が非常事態法を使うからといって批判し、また西側世界の基準にしたがって非常事態法は
一般的なルールではありえないといって批判しているように私は思う。ところで、あの悲
痛な惨劇を目撃したあと、あなた方が独裁者とか専制君主であると非難する者について語
るのとは異なって、われわれは何十もの非常事態法とその処置が米国を筆頭とする西側諸
国の政府によって採用されてきたのを目にしている。
あなた方は、米国で9月11日に起こった事件よりも大規模で危険きわまりないような、
どれほど多くの悲痛な出来事が非民主主義であると君たちの非難する諸国やその国民を苦
しめて来たかをご存じだろうか?
この事実一つだけでも、西側諸国の政府及び国民によ
って熟考されるべき一つの事例であるが、しかし、それはここでわれわれが論じる主要な
テーマではない。
今一度言うと、人々にたいする、そこから生まれる不正と抑圧は暴発点に導くというこ
とである。この暴発は、必ずしも組織されたものではないので、この人々をそこまで追い
やったものばかりでなく他の人々を傷つけるかも知れないことは予想できることである。
もしアメリカ人がこれらの事件は海外からやってきた者たちの手で遂行されたと確信する
のなら、9月11日の諸事件はこの基礎の上に理解されるべきであり、民主主義的である
ことを非難された諸政府の側のバランスを欠いた反応に基づいて吟味されるべきである。
・たんに重要であるということでなくて、むしろ、最重要なことに集中するためにも、
再度申し上げたいのは、いかなる火の手も炎となって燃え上がり全世界を覆う程に拡大し
て行くことを知った以上は、何よりも一番必要とされるのは、公正に基づく正義である。
このことの最良、最高な表現は、全能の神がかくあれ、かくあってはならぬということか
ら学んだ者が知っている。
もしわれわれが、本質において一致しないならば、その時のわれわれが願わしいと思う
ことは、われわれ自身に望むものを他者が入手したり、享受したりすることを妨げてはな
らない。また同時にわれわれは、他者にたいして、われわれが願わしいと思うことは、拒
絶したいものを与えると言う二重基準を選ぶべきではないと言うことである。財産を持っ
たものは、飢えたる人々の社会の中で生活すれば、安全でないではないことを誰もが知ら
ねばならない。もしその資産家が、これらの飢えたる人々を搾取したり、彼らの犠牲の上
に財産を築いた場合は、彼の抱える問題は一層大きなものであろう。
イスラム国家の第2代カリフ、ウマル・イブン・アルハッターブは、レマ-ダ(旱魃)
の年に、聖クルアーンの中に処罰すべきと明記されているにも関わらず、泥棒の手を切断
するという処罰の中止を申し渡した。カリフがそのように命じたのは、信者としての感性
から、一人の男または、彼の家族が飢えに直面している時に、信仰の正確な基準は時とし
て揺れ動くものであること、飢餓は窃盗の罪よりより攻撃的なものであり、人の命を救う
ことは誰かの財産を守ることよりもより重要だと信じるからであった。こうした理由から、
彼はシャリア(イスラム法学)を凍結したのであった。現代の人々は平和と安全の中で生
活するために、果してこの教訓を学びとったのであろうか。あるいは、関連する当事者た
ちは、彼らが自分たちのために望む安全というものが、他の人々を殺したり、脅迫したり、
餓死させることをより増幅することによって達成されると考えるからだろうか?
われわれは、最近のニュースの中で、アメリカの公務員政府関係者たちは、炭素菌の源
は恐らくアメリカそのものであろうと考えていると聞いた。このような結論あるいは情報
は、ビンラ-デンが炭素菌の源だと聞かされて、あるいは他の非難への暗示を聞いて、さ
らに多くのアメリカ人が面倒をみている人々に危害を加えることを続けるべきでない、そ
れはその人々削除こうしたやり方や他の手段によってより強力な反撃を受けるだろうから、
と考えていることを聞かされて恐怖に襲われた人々の注目をそらせる戦術だったのだろう
か?
あるいは、彼らがこうしたことを強行したのは、9月に発生した諸事件におけるア
メリカ政府の無能力からその目をそらすことにあったのだろうか?
そして、今、彼らは、
今、彼らの目標を達成できた、その結果、この事件の実行と遂行者たちは闇に葬られるの
だろうか?
とにかく、このことや他の諸事件を通じて大量破壊兵器が自衛と彼らの国々を防御する
上で絶対的に必要としない以上、その所有者ばかりか人類全体にとって重荷になっている
ことが示された。
このことから、アメリカの納税者のポケットばかりでなく、彼らの予算や他の国々の予
算を空にするために、彼ら自身や世界をいわゆる対ミサイルの盾の入手に大わらわにさせ
るのではなく、アメリカを先頭に、それから、あるいは同時に、世界の他の国々で大量破
壊兵器の一掃に精を出すべきである。言うまでもないことだが、アメリカを含む西欧諸国
は、大量破壊兵器-核兵器、生物兵器、化学兵器を最初に作った国々である。これらの兵
器を使ったのも、第一に西欧やアメリカであった。
9月に起こった諸事件やアメリカ人自身が言及した炭素菌はアメリカからやってきたと
言うことは、もし不正義と侵略が収縮されるならば、大量破壊兵器の負担と脅威を取り除
き、それを取るべき他の手段を刺激する拘束力のある協定に基づいて世界が協力する重要
性をはっきりと示している。人類にとって、そしてアメリカ国民にとっての最大の脅威と
なっているのは、イスラエルが所有する同様の兵器、さらに他の国々の同様の兵器ととも
に、アメリカの大量破壊兵器に外ならない。
アメリカは大西洋を越えた国である。その信頼を確立するために、こうしたイニシアテ
ィブを発揮することが求められている1番目の国である。そしてイスラエルがアラブの領
土や聖域を奪い、占領し、アラブ諸国民を抑圧し、彼らの感情を傷つけている以上、また
このことから大失態が生じることが予測され、抑圧された人々の反撃が予想される以上、
イスラエルからこれらの兵器を取り上げることは必要になっている。
その時点において、そしてアメリカがこれらの兵器を実際に廃棄しようとする時に、健
全な心を持った国なら、このような実際的な計画の枠組みに参加しない国はどこにもない
であろう。
アメリカが世界に対するバランスのとれた態度を選択し、分別の道を見つけていくのは
その時であろう。世界がアメリカとの関係の中で、愛と尊敬を見い出す時に、世界は尊敬
と愛によって、アメリカに対処していくであろう。アメリカを含む世界が平和のうちに生
活を営み、奈落ヘの転落の瀬戸際に立つようなことはなくなるであろう。安全が広く行き
わたるのを監視するのはある種の真の連帯に基づくものであろうし、それは、勇気ある、
公正な人々の連帯であって、大国の脅迫でも恐怖に基づく連帯でも、利権に奉仕する連帯
でもないであろう。
このメッセージを伝えることを全能の神に祈り、神が御照覧あらんこと願う。
アッラ-(神)は偉大なり
アッラ-(神)は偉大なり
サダム・フセイン
イスラム暦
1422年 8 月13日
2001年10月29日
阿部政雄
「日本・アラブ通信」より
http://www.japan-arab.org
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