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一 九八二年 「カナダ人権憲章」 とカナダ最高裁判所
上 修 市 一九八二年﹁カナダ人権憲章﹂とカナダ最高裁判所 カナダ憲法審査制の一考察として 一 はじめに 目 次 二 基本権問題に関するカナダ最高裁の対応 三 ﹁カナダ人権憲章﹂導入の目的と背景 五 おわりに 四 ﹁カナダ人権憲章﹂の憲法審査制度上の意義 一 はじめに 野 @カナダのナショナリストたちの長い間の夢であったカナダ憲法をイギリスから自国へ移し、自前の憲法に改めるとい 一九八二年は、カナダ憲法史上、重要な意味をもつ年となった。この年に、トルドー首相︵当時︶をはじめとする 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 う、いわゆる憲法の“移管”︵勺鋤件﹁凶⇔梓一〇昌︶が実現をみたからであるρカナダ連邦の最初の憲法である一八六七年の 2 ︵1︶ 79 律 280 叢 論 ﹁英領北アメリカ法﹂︵切葺一ωげ20答ゲ﹀日魯一8>。け なお同法は、現在、コ八六七年憲法﹂︵Oo窃け一ε二〇口﹀。計 目Q。①N︶と改称されている︶およびその後のいくっかの憲法は、イギリス議会が定めた法律であるため、従来、法的に は同議会の議決を経なけれぽ、その制定も改正もできないことになっていた。一九三一年の﹁ウエストミンスター 法﹂︵Qo鼠ε80h毛①ωけヨ言ω8﹁︶により、カナダ連邦は完全な独立国家となったにもかかわらず、自国の憲法の制定 ・改正を行うために、﹁他国の援助﹂を受けることが必要になるということは、カナダ国民にとって、いささか当惑 ︵2︶ ︵3︶ させられるところであった。また、﹁植民地時代の名残のようなBNAを屈辱として受け取ってきたカナダ人も少な <﹂なかったのである。それゆえ、一八六七年以来、カナダ憲法として機能してきたイギリス議会のいくつかの法律 をイギリスからカナダにもってきて、自国の憲法に改めるとともに、今後の憲法改正は自主的な手続にしたがって行 ︵4︶ うことになった憲法の”移管”は、﹁植民地時代の最後の名残りを断ち切ったことになる﹂。この点、コ九八二年カ ナダ法﹂︵︵︶四β鋤偶9 >oけ導 HO◎o卜o︶は、その一条で、﹁本法別表Bに掲げる一九八二年憲法︵Oo霧窪耳一8>9讐一〇。。卜。︶は、 ここにカナダのために制定され、カナダにおける法律としての効力を有し、かつ同法の定めるところにより施行す めざすこと。第二は、将来のために、自主的な憲法改正手続の制度を確立させること。そして第三は、﹁憲法上重壕 ︵6︶ き合せにもっていた。第一は、イギリス産の憲法の﹁カナダ化﹂︵︹WO昌⇔伍一⇔ロ一N口け一〇HP︶を図るという意味の“移管”を ところで、一九八〇年から八二年にかけて、トルドー首相が推進させた憲法移管計画は、三つの異なった要素を抱 している。また、﹁一九八二年憲法﹂は、将来のすべての憲法改正を、形式的にも実質的にも、カナダの国内問題と ︵5︶ して処理する規定を設け︵三八ー四九条︶、憲法改正権を“自国のもの”としている。 の法律の一部として、カナダに適用されることはない。Lと規定し、憲法制定権がカナダに移管することを明らかに る。﹂と定め、さらに二条において、コ九八二年憲法の施行後に制定された連合王国議会のいかなる法律も、カナダ 一法 一九八二年「カナダ人権憲章と」カナダ最高裁判所 281 で守った新しいカナダ権利・自由憲章﹂︵チ① Φきoop曾津信二8舜。一ζ①暮冨po巴09。昌⇔象四口Oげ゜。詳霞oh閑一σqゴ宏餌づ匹 閃﹁⑦o匹o目ω︶を制定することである。この第三の目標を、コ九八二年憲法﹂は、その第一章において、﹁権利および 自由に関するヵナダ憲章﹂︵O螢ロ巴貯昌O冨博雲oh空σq窪ω餌a午o①傷oヨω゜なお以下、﹁カナダ人権憲章﹂という︶ という形で、具体化している。カナダ連邦誕生以来、一〇〇年以上もたって、憲法上はじめて人権憲章の導入が実現 をみたことは、コ九八二年憲法﹂のもっとも大きな成果であったといえよう。しかしながら、人権憲章の導入を含 む新憲法制定の動きに対しては、イギリスからの憲法移管自体に問題はないとしながらも、州側からの強い反対を受 けた。その背景には、①州権がきわめて強いこと、②アメリカよりも広い国土に二四〇〇万弱の人口で、地方開発に 必要な労働力が不足していること、③石油などの天然資源が一部の州に偏在していること、④少数派であるフランス ︵7︶ 語系住民の不満がうっ積していることなど、カナダ連邦独特の事情が深くからんでいた。そして、人権憲章の憲法保 障に対する州側の主な反対理由としては、①基本権保障の立法はもともと各州ごとに制定されてきたという歴史的事 実がある、②人権憲章は州の立法権限を制限する、③人権憲章の制定は州の憲法秩序を混乱させる越権行為である、 ︵8︶ ということを挙げることができよう。 このような状況のため、八二年のヵナダ憲法は、連邦と州との間の妥協のうえにたって、成立せざるをえなかっ た。とりわけ、﹁カナダ人権憲章﹂の内容については、トルドー首相は、のちにみるように、いくつかの点で、大き な譲歩を余儀なくされたのである。したがって、カナダにおいては、八二年憲法の全体構造および﹁カナダ人権憲 章﹂について、さまざまな憲法的評価がなされている。 そこで本稿では、①カナダにおける基本権問題の保障に関し、カナダ最高裁がこれまでどのような対応の仕方をし てきたか、②﹁カナダ人権憲章﹂の憲法上の導入が、カナダの憲法審査制の今後の発展、とりわけカナダ最高裁の憲 律 282 ︵9︶ 法審査機能にどのような影響をもたらすか、などを検討の主な対象にしながら、八二年﹁カナダ人権憲章﹂の憲法審 査制度上の意義を考察してみよう。 ︵−︶”移管〃という用語の起源および血目心味については、即寓。謬凶目聲↓冨。。鼻一藍§ζ弩藍B即゜﹂°gH。°・。−°・b・‘ ︵2︶ 森島。リシヅク編⋮﹃晶剛掲﹄六頁。 ωb。諺ヨ。旨O。日,r卜⊃島輸鼻b。︵お◎Qら︶’および森島昭夫、ケネス・M・リシック編﹃カナダ法概説﹄六頁をそれぞれ参照。 ︵4︶ ジョソ・セイウェル﹃近代カナダの歩み﹄︵吉田健正訳︶七二頁。 ︵3︶ 真壁知子﹁カナダの改憲運動を通して知る日本国憲法の崇高さ﹂朝日ジャーナル一九八一年五月入日号ニニ頁。 八二年カナダ憲法﹂レファレンス三八一号が詳しい。佐藤延子﹁カナダ薪憲法制定の背景と展望﹂比較法研究四六号も有益 ︵5︶ 森島.リシック編﹃前掲﹄六i七頁。なお、コ九八二年カナダ法L・二九八二年憲法Lの制定過程は、斎藤憲司﹁一九 な論稿である。八二年憲法の邦訳には、斎藤﹁前掲﹂のほか、吉川智﹁カナダの︸九八二年憲法﹂産大法学一六巻二号、伊 藤勝美﹁カナダ一九八二年憲法法︵カナダ法別表B︶1仮訳i﹂近大法学三〇巻一・二号、法と秩序研究会﹁カナダ一九八 ︵6︶竃。署ぼ言①ざ8°。剛什゜”噂゜“。切N 二年憲法︵カナダ法別表B︵上︶・︵下︶﹂法と秩序=二巻四号・同六号がある。本稿も、大いに参考にした。 ︵8︶ 斎藤﹁前掲﹂八八頁。 ︵7︶ 内藤頼誼﹁カナダ﹃自主憲法﹄へ大揺れ﹂朝日新聞一九八一年三月三〇日朝刊。 に富む論稿であるといえよう。また、萩野芳夫﹁カナダ新憲法の人権保障﹂比較法研究四六号も貴重な論稿である。 ︵9︶ なお、この点に関して、長内了﹁カナダ連邦制度の新展開㊤㊥㊦﹂ジェリスト七九〇・七九﹁・七九四号はきわめて示唆 二 基本権問題に関するカナダ最高裁の対応 カナダ憲法審査制に与える﹁カナダ人権憲章﹂の影響を考察するためには、まず、基本権問題に関するカナダ最高 裁のこれまでの対応の仕方を、﹁応フォローしておくことが必要であろう。これにより、﹁カナダ人権憲章﹂の憲法 叢一一 論 法 審査制度上の意義が明らかになるからである。 カナダ連邦を形成させたコ八六七年憲法﹂︵旧称二八六七年英領北アメリカ法﹂︶は、連邦主義とイギリス議会 制度の根本原則である議会主権︵勺9。門一貯ヨ。口冨qωo<臼一σq口q︶の二大要素から構成されている。議会主権とは、議会 が、万能の立法権を有し、﹁いかなる法律も制定し・また歪する︵・°ヨ器゜;§量竃專碁§Φ麗こ とができることを意味している。それゆえ、イギリス流の憲法価値からみれぽ、立法の憲法審査は認められないとこ ろである。連邦主義は二般的政府と地方的政府が、一つの領土内において、めいめいが対等かつ独立︵80aぎβ。8 v一一一〇h閑一σqゲ博ω︶は採用していない。権利章典の憲法上の保障は、議会主権の原則に明らかに違反するという考え方 会主権の原則と一致する面もある。コ八六七年憲法Lは、アメリカの連邦主義の考え方を導入したが、権利章典 ︵3︶ 憲法Lが配分した立法権限の範囲内においては、連邦議会も州議会も、共に最高の機関である限り、連邦主義が議 囚冒σq山oヨ︶﹂をもつと明言している限り、議会主権の原則から大きく離脱していることになる。ただ、二八六七年 は、その前文で、﹁連合王国の憲法と同﹁の原理の憲法︵鋤08ω齢評β鉱o昌ω凶ヨ出餌﹃ぎ嘆ヨo昔♂8けげ9。仲ohけずΦd巳8勉 権限しかもたないとする連邦主義は、議会主権の原則と明らかに矛盾・対立している。この点、﹁一八六七年憲法﹂ 罠碁琶仙・琶であるように、諸権限を分配する方式﹂を意味す華連邦と州の各妾機関が一定の分配された 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 283 一八七五年に創設の﹁カナダ最高裁判所﹂も、共に立法の効力を審査し、当該立法が配分された立法権限外の事項に ︵5︶ 当たる場合には、無効と宣言している。ただし、立法権限内の事項に関する場合には、当該立法の内容についてま 裁判所として君臨してきたロンドンの﹁枢密院司法委員会﹂︵冒象9巴Ooヨヨ葺Φ①oh島Φ牢一く団Oo目。坤一︶も、また まったくないにもかかわらず、実際には憲法審査が行われてきたのである。一九四九年まで、カナダの事実上の最高 からみれぽ、﹁一八六七年憲法﹂には問題はない。しかしながら、同憲法上において、立法の憲法審査に関する規定は ︵4︶ (一 叢 284 論 律 ︵6︶ で、憲法審査はしないことになっていた。いずれにしても、立法権行使の形式審査︵立法管轄権問題の審理︶を行い ︵7︶ うる限り、ダイシー教授のいう意味の最高の立法機関は、カナダには存在しない。かくして、相矛盾・対立する面を ︵8︶ もつ連邦主義と議会主権の原則を同時に導入し、しかも、憲法上権利章典を制定せず、そのうえ、アメリカ型とは異 なる憲法審査制を実施した結果、カナダにおける基本権保障の方法は、やや複雑な様相を呈することになってしまっ た。 ﹁一八六七年憲法﹂に権利章典がなかったことは人権保障の点で問題はあったが、しかし、そのことが基本権の保 障を軽視したわけではなかった。とりわけ、裁判所が、議会主権の原則にしたがいながらも、さまざまな解釈技術を 駆使して、人権保障に努めた事例もあることは注目されてよい。第一の解釈方法論は、立法管轄権問題を審査するこ とは連邦国家における司法の当然の役割である、という理論にもとついていた。そして、人権を廃棄︵舜。暫oσqβ。8︶す る法律は議会の”権限瞼越”︵d臼け同⇔ <一﹃①ω︶の行為であると判決を下すことにより、人権を擁護したのである。権限瞼 越の概念は、立法の性質および目的を検証し、その立法が﹁一八六七年憲法﹂の定めた立法権限項目に該当するかど ︵12︶ 例をゆo信。ゲ霞く。↓げΦ囚凶ロσq事件に見い出すことができる。けれども、これらの解釈方法論には限界があった。立 をもっていないと推定することによって、自由の範囲を可能な限り広く確保しようとしたのである。かような裁判実 には、人権にとって有利となるように解釈を行う、という理論に根ざしていた。つまり、立法は人権を侵害する意図 ρのqρ事件を挙げることができる。第二の解釈方法論は、立法の曖昧な、あるいは不明確な部分を判断する場合 ︵9︶ ︵10︶ Oo一=①qOo°oh切゜O°︿’ゆ曙偶Φロ事件、幻oh頸Φ昌8勾①﹀一げ葭冨ωけ簿β8ω事件、ω乱言日鋤口︿°国一窪冒σq即﹀°ー ︵11︶ することによって、人権の保障に努めることができた。かような方法で人権の擁護を行った裁判事例として、d巳8 うかということを、ごく自然に裁判所の判断の対象にさせた。それゆえ、裁判官は、立法権限内と権限外の範囲を確立 一法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 285 法管轄権の審査を通じ、法律の内容を限定することにより、人権を擁護しようとする方法論は、人権に対する法律の インパクトそのものを審査の対象にしていたわけではない。なぜならぽ、もともと基本権問題は、連邦議会と州議会 の間の立法権限の分配問題とは別個の憲法問題であったからである。さらに、第一の解釈方法論には、人権侵害の内 容をもっ立法を制定する憲法上の権限が明白に存在する場合、その効果を発揮することができない。また第二の方法 論には、完全な人権侵害の制定法をそうでないと否定的に解釈することはできない、というそれぞれの限界があっ た。・れらの点ξいて、﹁枢密院司法委員会﹂は・一九〇三年の。§爵σqぎく﹄°ヨΦ琵゜日ヨ量輝おいて・ ﹁中国人.日本人﹂系カナダ市民の公民権行使を禁ずるブリティッシュ・コロンビア州選挙法の効力問題は、立法管 轄権の問題であり、﹁特定の人種に選挙権を与えないさような法律が賢明かまたは不賢明︵冒o=o団o﹃一日冒o=。団︶か は、当裁判所が審査する権限を有した論題ではない﹂、と判示している。かくして、カナダにおいて、議会主権の原 則は人権保障にとって大きな壁となったのである。 そこで、議会主権の原則がもたらす制約を乗り越えようとする司法的努力が試みられた。これが、﹁黙示的権利章 ︵14︶ 典﹂︵一ヨ覧一①匹露=oh二σq窪ω︶論である。﹁黙示的権利章典﹂とは、州のみならず連邦政府も侵すことのできない一 定の基本的権利の存在を認めることを意味している。この理論を示唆したカナダ最高裁判事は数人いたが、明瞭に表 明したのは、前記スイッツマン事件におけるアボット︵︾げぴo暮︶判事の付随的意見のみであった。同判事は、政治的 自由権を州議会が侵害することはできないと述べたのち、さらに、﹁本上告事件の問題に関する判決には直接必要では ︵15︶ ないが、⋮⋮連邦議会自身もこの討論および論争の権利を奪うことはできないというのが、私の見解である﹂、とつ け加えている。カナダの民主主義政治のために、州の侵害行為から政治的自由の基本権を守ろうとした裁判官の意見 は若干見受けられたが、州議会のみでなく、連邦議会までも含めて、規制の対象にしたところに、﹁黙示的権利章典﹂ ︵16︶ 律 286 叢 論 法 論の特徴がある。基本権の保障をめざすカナダにおける﹁司法積極主義﹂︵甘象9巴9。。鉱く一ω日︶の原点になるものと ︵17︶ 期待された﹁黙示的権利章典﹂論は、しかし、結局は根づかなかったのである。議会制民主主義には一定の基本権は 必要であるという認識から生じたこの理論も、カナダでは、管轄権限内で行使される立法権能に対しては、いかなる 制約もありえないとする議会主権の原則を克服することはできなかった。人権の保障を司法の解釈技術に頼ることに 潜在的な限界があり、また、司法に対するさような依存は妥当でないとカナダ国民が意識し始めた結果、基本権保障 の成文化の動きが現われてきたのである。 カナダ憲法の権利章典導入問題は、第二次大戦までは、ほとんど議論の対象にならなかった。しかし、大戦後、と りわけ一九四八年の世界人権宣言の成立を契機として、権利章典制定の声が高まった。一九六〇年、ディフェンベー カー首相は権利章典の採用を保証した。だが、連邦政府は、﹁英領北アメリカ法﹂のなかに、権利章典の導入を図 ることはしなかった。同年八月、連邦議会は、通常の制定法として、﹁カナダ権利章典﹂︵正式には、﹁人権と基本的 自由の承認および保障に関する法律﹂︵﹀昌>9h曾臣①幻①8σq巳二〇口的民牢03。江o口oh国qヨ9。昌凌σqぼωp。乱 ︵18︶ 閃目量日。茸巴国お①傷o日ω︶という︶を定めたのである。﹁カナダ権利章典﹂は、人権の保障に関し、裁判所が積極的 な役割を果たす機会を提供していた。けれども、同章典の法的効力について、次のような疑問があった。第一は、連 邦法が﹁カナダ権利章典﹂の保障する基本権と衝突した場合、それを違法と宣言する憲法審査が可能であるかどう か。かりに可能であるとしても、連邦法のあらたな制定によって、裁判所の判決を無視︵o<①凌嵐①︶することがで きるかどうか。第二は、﹁カナダ権利章典﹂を﹁解釈を制限する基準﹂︵慈冥o≦ぎσq$印昌o奮oh。o昌ω叶謹9δ昌︶を定 めた単なる制定法とみるか、あるいは、同章典の意図する諸目的を達成するよう、自由に解釈することが許される ”準憲法的”文書︵、.ρq餌ω〒oO昌ω二什信甑Oロ巴.博山Ooβ日O口け︶とみるかどうか、である。こうした理由のため、裁判所は、 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 287 ﹁カナダ権利章典﹂制定後の最初の一〇年間は、一般的に同章典に依拠することを避ける傾向にあった。しかし、日 曜日に仕事を行うことを禁ずる﹁主の日労働禁止法﹂︵ピo﹁α、ω∪亀>9︶は、﹁カナダ権利章典﹂の保障する非キリ スト教徒の宗教の自由を侵害すると訴えられた一九六三年の幻゜げΦ﹃ぎ。舅゜°・Φけ§罫目冨゜‘§事毯・﹁禁 止法﹂と﹁権利章典﹂が衝突しないと判示する方法を、次のような論理構成にしたがって見事に組み立てたのである。 すなわち、カナダ最高裁の多数意見は、﹁権利章典﹂が実施される以前に、﹁禁止法﹂は存在していたのであるから、 連邦議会は﹁禁止法﹂が﹁権利章典﹂と矛盾するとは考えていない、と簡単に結論づけている。﹁カナダ権利章典﹂ とその制定以前に成立した法律の関係をかようにとらえる考え方は、”概念凍結説”︵ヰoN①昌8旨8讐ω匹o。賃ぎΦ︶と 呼ば嫡同章典の誕にと・て大きな障害物とな・た・けれど曳一九六九年の鍾。β゜包喜8①ω事解おけ る最高裁判決は、﹁カナダ権利章典﹂を解釈基準を示す単なる制定法とはみなさず、それに大きな意義を与え、今後 は自由な適用を展開するかのごとき印象をもたせた。というのも、酩酊という同一の行為について、インディアンと 非インディアンに刑罰の相違を設けた連邦﹁インディアン法﹂︵H︼口匙一㊤口︾O叶︶九四条b項は、﹁カナダ権利章典﹂一条 b項の平等規定に反し、﹁無効﹂︵一口O冒①同鋤梓 <Φ︶と結論づけたからである。さらに、本件判決の文脈からみる限り、 ”概念凍結説”は否認されたかのように思えた。なぜならぽ、﹁インディアン法﹂の問題の規定は、﹁カナダ権利章 典﹂が効力を発生した一九六〇年八月一〇日には、すでに実施されていたからである。ここに至って、﹁カナダ権利 章典﹂は、司法の役割を大きく変える重要な法的文書になったと考えられた。しかし、ドライボーンズ事件で与えら れた﹁カナダ権利章典﹂に対する憲法的評価は、長続きはしなかった。一九七〇年代、カナダ最高裁は、﹁カナダ権 利章典﹂の平等規定の解釈をめぐって、九つの事件を審理したが、すべての事件において、平等規定違反の主張をし りぞけている。このことは、明らかにドライボーンズ事件判決からの後退を意味していた。 叢 律 288 論 この点については、次の三つの最高裁判決に、とくに注意する必要があろう。第一は、一九七三年の諺゜−ρ09。昌゜ ︵22︶ ︿.い⇔︿Φ一一事件判決である。最高裁は、インディアンの男性が非インディアンの女性と結婚しても、インディアンの 身分を失わないのに対し、インディアンの女性は非インディアンの男性と結婚すると、インディアンの身分を失う と規定する﹁インディアン法﹂=一条一項b号は、﹁カナダ権利章典﹂に反するとの主張に対し、﹁⋮⋮﹃法の前の平 等﹄という語句は、⋮⋮法執行機関および通常裁判所による法の運用または適用における平等を意味するものと解 されるべきである﹂︵リッチー︵匹8三①︶判事の見解︶と述べ、これを否認したのである。第二は、一九七四年の ︵23︶ ︵24︶ ﹀°1ρO潤ロ゜︿°09。昌鷺α事件判決である。本件では、非インディアンの女性は夫の遺産を自由に管理できるのに対 し、インディアンの女性の場合は、政府の関係当局の決定にもとついて管理することになると定める﹁インディアン 法﹂の規定が問題になった。最高裁は、もちろん﹁インディアン法﹂の合法性を認めた。﹁法の前の平等﹂とは、法 の内容そのものまでも平等であることを要求しないというのが、その理由であった。第三は、一九七八年の﹁連邦失 ︵25︶ 業保険法﹂︵閃Φ偶魯巴d昌①日巳o団8①昌Hロω仁鑓昌o①>9︶が問題となった匹一ωω︿.﹀﹁○.OゆP事件判決である。 定は、﹁一八六七年憲法﹂九一条二号Aにもとつく﹁有効な連邦目的﹂︵︿°。=αh巴①﹁巴〇三①。ぼくΦ︶に該当しているの とであるので、﹁法の前の平等﹂の否認には当たらないと判示した。さらにまた、保険金支給に関する資格条件の設 また、ドライボーソズ事件のように、刑罰を差別的に科するというものではなく、単に保険金を差し止めるというこ によってではなく、生まれつきによって︵σ団昌9。け霞Φ︶つくり出されたものである﹂から、性による差別ではなく、 は、﹁法の前の平等﹂の否認であるという主張に対し、カナダ最高裁は、﹁この問題における性別間の不平等は、立法 条は、性別を理由とした差別であり、非妊娠の労働者には保険金を与えながら、妊娠を理由にこれを拒否すること 妊娠をしている労働者に対し、産前八週間と産後六週間は失業保険金を支給しないと定める﹁連邦失業保険法﹂三〇 一法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 289 で、不平等を構成しないとも判示したのである。 ドライボーンズ事件以後のカナダ最高裁の各判決は、複雑な理論を駆使したが、本質的にはすべて憲法審査に消極 的であり、司法の役割に不安を抱いていたといえよう。﹁カナダ権利章典﹂は”準憲法的”文書であるか、あるいは 解釈の基準にすぎないか、”概念凍結説”の適用は妥当かどうかなどの諸問題は、ドライボーンズ事件で解決された と思われたが、一九七〇年代の後半になって、また再び問題になった。そして最高裁は、基本権の侵害をチェックす る方向で、﹁カナダ権利章典﹂を解釈・適用したのではなく、立法権限事項内においては、連邦議会は万能であるこ とを支持し、立法管轄権問題の審理の枠内で、司法機能を果たす方向を選択したのである。連邦議会の制定する法律 、 ︵26︶ は、﹁有効な連邦目的﹂に役立つものであり、﹁カナダ権利章典﹂の各規定に一致すると判定することによって、﹁カ ナダ権利章典﹂の存在を事実上無意味にしてしまった。 ﹁カナダ権利章典﹂は、もともと次のごとき三つの制約に取り囲まれている。第一に、﹁権利章典﹂は通常の議会 制定法であるため、議会による改廃がいつでも可能であり、立法権を拘束するものではない。第二に、﹁権利章典﹂ の規定は﹁カナダ連邦議会の立法権限に属する事項についてのみ、その効力を有するものと解釈されなければならな い。﹂︵五条三項︶と定められ、連邦のみに適用され、州には及ぼないことになっている。第三に、﹁カナダのすべて の法律は、カナダ連邦議会の制定法により、カナダ権利章典の存在にもかかわらず︵づoけ三9ω鼠巳冒σq︶、効力を有 すると明らかに宣言され﹂る場合には︵二条︶、﹁権利章典﹂の適用外に特定の法律を置くことができるのである。こ うした﹁カナダ権利章典﹂のもつ制度上の制約が、カナダ最高裁の憲法審査機能を大いに抑圧したことは確かであっ たが、しかし、﹁カナダ権利章典﹂を無力化させた最大の原因は、これまでみてきた通り、最高裁の判決態度にあっ たことはまぎれもない事実であろう。そして、最高裁の憲法審査に対する﹁消極性﹂および﹁カナダ権利章典﹂の保 障した権利・自由に関する解釈方法上の﹁保守性﹂は、伝統的な議会主権の原則にしたがって司法活動を行うという 律 ︵17︶ この点に関しては、詳しくは戸Ω冒①帥竃゜9霊巳①ざOpωoOoヨ日Φ葺ω1芝寓島ΦR匪o一ヨ9Φαげ監oh﹁凝算ω噌噛麟 ︵16︶ ピd”矯①h鴇ざo℃°9けこロロ﹄武山ら切゜ ︵15︶ ︵H8刈︶ω。ρ即ωb。Q。”刈U°い゜幻゜︵boα︶Q◎謡゜ 論を否認している。 ︵14︶ しかし、一九七八年の﹀㍉O°O餌戸く°Uξ8α事件︵◎。劇U°ピ゜図゜︵ω畠︶島O︶において、カナダ最高裁は、明確にこの理 ︵13︶ ︵おOω︶﹀°ρ5H° ︵12︶ ︵δ田︶ω゜ρ戸N①αu ︵11︶ ︵Hり昭︶ω゜ρ国゜卜a◎◎ρ﹃U°ピ゜即︵boα︶ω鵯゜ ︵10︶ ︵ちωQ。︶ω゜ρ戸δρ︵6ωQ。︶卜⊃U°い゜幻゜c。μ゜ ︵9︶︵冨りO︶﹀°ρ㎝゜。ρ 由に関する定めはない。 憲法には、宗派学校︵九三条︶および言語︵=二三条︶に関する重要な団体の権利を認めた規定はあるが、個人の権利・自 を示唆する論者もいるようである︵U°ω゜UP団oロ脚目目uO一く一一図一四ゴけω一口O鋤”9αρGQbδ︾ヨ゜旨゜OO日娼゜ピ゜GQOO︵一㊤巽︶︶。なお、同 ︵8︶ しかし、コ八六七年憲法﹂のなかに、﹁小権利章典﹂︵年け8び≡ohユσq窪ω︶といわれる一連の基本権規定が存在すること ︵7︶じd翅①hξ、8°。三層゜Nωρ ︵6︶ 長内﹁前掲㊥﹂八一頁。 ︵5︶ 踏oαqαq層8°9けこ戸卜。。。餅 なおまた、拙稿﹁司法審査とカナダ最高裁判所﹂︵明大社研紀要第四集︶参照。 権論文﹂という︶° ︵4︶ ︾.男じd塁臥ω開ざ勺脚島騨日o昌雷qωo︿雪o黄口受四巳国ロ日雪匹σq耳ωぎOp轟αρ留勺o一凶戸ωερb。自︵μ㊤o。ω︶ ︵以下、﹁人 ︵3︶ 勺゜≦°国oσqσq噂Oき巴臼.ω乞Φ≦O冨﹁8﹃oh空ぴq窪ω噸ωトコ﹀日゜トOoヨb°炉b◎o。α︵おQ。軽︶° ︵2︶ 閑゜ρ霜げ①胃ρ聞巴Φ﹁巴Oo<①ヨヨ雪けHO︵鼻げ巴‘目8ω︶° ︵1︶︸<°虫8ざぎ可o含o昌o昌8昏Φooε身oh冨ミoh些oO8ω捧ロ自oロωO︵δ90αこ一㊤①O︶° ことに深く関係していたといえよう。 ㎜ [ 員冊 叢 ヨム 法 [ 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 291 ︵18︶ なお、﹁カナダ権利章典﹂の邦訳については、長内了﹁カナダ憲法の非イギリス化現象ω﹂比較法雑誌九巻二号一〇六頁 ωq・ω犀゜炉菊Φ︿﹂鵯︵hO◎oOー◎◎一︶を参照。 ︵19︶ ︵一㊤忠︶凸U.い戸︵悼ユ︶膳◎。U° 以下参照。 ︵20︶ “概念凍結説”については、萩野﹁前掲﹂一七〇頁以下参照。 ︵22︶ ωQ。U° ピ 圏 即 ︵ ω 告 ︶ 膳 ◎ 。 H ° ︵21︶ ΦU°い゜戸︵ωα︶ミω゜ ︵23︶ R・M・エリオット﹁市民的自由とカナダ最高裁判所﹂︵倉持孝司訳︶ジュリスト七五九号=一五頁。 ︵25︶ 8∪° 即 即 ︵ ω 匹 ︶ 自 ﹃ ° ︵24︶ 認O°ピ.男゜︵Q。伽︶課◎。° ︵26︶ ∪契ρ8.o津二召゜ωb。甲G。b。◎。° 三 ﹁カナダ人権憲章﹂導入の目的と背景 ﹁カナダ人権憲章﹂︵以下、単に﹁憲章﹂と略す︶の憲法上の導入により、カナダ憲法審査制、とりわけ、カナダ 最高裁の憲法裁判機能のあり方にもたらす影響を正しく理解するためには、その背景にある政治目的を考察しておく ことが、とくに重要である。そこで次に、この点をふれてみよう。 ︵1︶ ヵナダにおいて、権利章典の制定をめぐる議論が、連邦議会の内外で、活発に交わされるようになったのは、第二 次大戦以降のことである。これには、次のごとぎ事情があった。第一は、国際的な理由である。ファシズムに反対す る戦争の経験と世界人権宣言の遵守義務は、カナダ国民の間に人権思想に対する関心を喚起させた。第二は、国内的 要因である。連邦レベルについていえぽ、第二次大戦中の日系カナダ人の処遇問題をめぐって厳しい反省が生まれ、 292 また、一九四五年の﹁グーゼンコ﹂︵︵甲O‘NΦ口犀O︶事件を契機に、スパイ捜査活動に対する司法上の権利の保障が大き な問題になった。州レベルでは、ケベック州のデュプレシi政府による﹁エホバの証人﹂︵旨Φゲo︿鋤げ.ω芝詳ロ①ωωΦω︶の 迫害、西部の州における宗教上の少数派に対する差別行為、ニューファウンドランド州の労働組合活動の弾圧など が、訴訟問題に発展していた。連邦議会では、戦後の移民問題の処理に際し、国家統一の必要性が意識され始め、自 由および民主主義の価値についてほとんど教養、あるいは経験をもたない大量の新しいカナダ人を受け入れるカナダ は、もはやイギリス流の市民的自由の保障方式に頼るべきではないという主張が現われていた。こうした諸要因が、 規定の実施を止めさせる権限を与えるものである。だが、連邦議会が、﹁適用除外条項﹂を発動しない限り、﹁カナダ 一般に呼ぽれる規定を有している︵二条︶。これは、連邦議会に、新たな法律の制定によって、﹁カナダ権利章典﹂の いえよう。しかし、サスカチワン州を含む三つの州の権利章典と同様に、﹁適用除外条項﹂︵⇒o口oげω8暮①o冨ロωΦ︶と 障規定も詳細に明示している︵二条一項ー七項︶。それゆえ、同章典は、権利章典としての水準を一応保持していると ︵3︶ また、人種・原国籍・皮膚の色・宗教・性を理由とする差別を禁ずる規定も設け︵一条︶、さらに、刑事手続上の保 同様、宗教および言論の自由など、カナダ国民が等しく享有できる一連の基本権を定めている︵一条一項−六項︶。 ところで、﹁カナダ権利章典﹂は、一九四七年の﹁サスカチワン州権利章典﹂︵ω⇔降暮。﹃Φ≦きしd厳oh国一σq窪ω︶と である。ただし、同章典は、権利章典の導入を図るために必要な﹁英領北アメリカ法﹂を改正しようとするコンセン ︵2︶ サスが高まるまでの暫定的法律とみなされていた。 いる進歩保守党政府のもとで、一九六〇年、制定法としての権利章典、いわゆる﹁カナダ権利章典﹂が成立をみたの た。﹁協同福祉連盟﹂︵CCF︶だけが、権利章典の制定を公約した政党であった。そして、ディフェンベ;カーの率 権利章典の成文化を推進させたのである。しかし、自由党の指導老層は、権利章典の制定の議論には動かされなかっ 叢一 論 律 法 一九八ご年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 293 権利章典Lの規定に反する連邦立法は無効であると、裁判所は判定することができた。にもかかわらず、﹁英領北ア メリカ法﹂の定める立法領域において、連邦議会は最高機関であるという考え方に立つカナダ最高裁は、﹁カナダ権利 章典﹂のもとでの自己の役割について大いにとまどいを示し、その結果、憲法審査過程において、きわめて消極的・ 保守的な判決を下すことになってしまったのである。かくして、﹁カナダ権利章典﹂は、当初の目的をほとんど達成 することができなかった。そのため、憲法上に真の権利章典の確立を要求する声が、国民の間に広がっていった。 しかし、一九六七年、オンタリオ州のロバーツ首相が﹁明日の会連合﹂︵08h巴Φ雷二80h目oヨo護o≦Oo三Φ﹁98︶ を組織するに至るまで、オタワの自由党政府は、この種の憲法改正問題にはまったく興味を示さなかった。一九六四 年には、連邦と州との間で、憲法改正手続を定めた憲法のイギリスからの移管問題についてはほとんど合意に達して いたが、ケベック州だけは抜本的な憲法改革を望んだ。カナダ憲法の移管をケベック州は支援するが、その代償とし て、ケベック州をフランス系カナダ人の故国と認め、かつ州に立法権限を多く付与する実質的な憲法改正を行う旨の 協定の取決めを、レサージ自由党州政府は要求した。この要求は、ケベック州のナショナリズムのまったく新しい展 開を反映していた。歴史的にみると、ケベック州のリーダー達の憲法主張は、きわめて保守的であったということが できよう。コ八六七年憲法﹂のなかで認められたケベック州およびフランス系カナダ人の諸権利を守ることが、彼 らの主な関心事であった。しかし、ケベック州の”静かなる革命”︵ρ三曾話くoξ二8︶ の煽りを受け、いまや各州 ︵4︶ のリーダー達も、憲法改革急進主義者になってしまった。ケベック州の根本的な憲法改革論が憲法問題の中心テーマ である限り、憲法改正を進めることは、連邦政府にとって得策ではなかった。そこで、ピアソン自由党政府は、最初 は行政および財政措置を通じて、ケベック州の要求に実利的に応えた。その一方で、ロバーッ首相の憲法論議に対し ては、冷淡な態度を示した。けれども、﹁明日の会連合﹂が、ケベック州の問題提起した憲法の実質的改正について、 律 294 叢 論 国民の関心と期待を呼び起こすことに大成功を収めたことは、ピアソン首相とトルドー司法大臣に別の戦略をとる必 要性を痛感させた。連邦政府は、憲法論争を避けて通るわけにはいかなくなってしまった。かくして、カナダの統一 をめざす憲法改正の提案によって、ケベック州の主張を打倒する戦略が登場することになったのである。この戦略と を、州との憲法会議において、第一番目の議題にしたのは、このためであった。 は、カナダ憲法のなかに、権利章典の導入を図ることを意味していた。のちに、連邦政府が、権利章典の導入問題 ︵5︶ 権利章典の憲法上の保障を憲法改正問題の第一の目標とし、ケベック州をはじめとする各州の動きを押え込もうと する戦略は、六七年秋の﹁明日の会連合﹂結成後、始動を開始することになる。まず、ピアソン首相が、六八年の州 との憲法会議において、﹁民主的な連邦国家の市民としての権利と住むことを選んだ言語社会のメンバーとしての権 利;さような個人の諸権利を取り扱う憲法の部分に対し、最優先権︵津ω梓胃ご葺︽︶が与えられるべきである﹂とい う見解を、各州政府に示した。つづいて、六九年の憲法会議に向けて、トルドー首相も、憲法改正のプロセスにおい て、﹁共通の価値に関し、合意に達することが絶対に必要な第一歩である﹂と述べ、権利章典の憲法保障を最優先事 トルドー首相は、政界入りする以前の一九六五年に、ケベック州の憲法改正運動にいかに対応するかという問題意 ︵6︶ 識のもとで書かれたアカデミックな書物のなかで、彼の憲法改正案リストの第一位に権利章典を位置づけていた。し するトルドー首相の政治的信念と情熱も、看過されてはならない。 ガンを前面に打ち出すことが、もっともよい戦略であるという基本認識があった。しかし、権利章典の憲法保障に対 分散させるための手段として、国民に評判がよく、かっ国民を統合する力を有した権利章典の憲法保障というスロー 保障を与えることが、トルドー政権の憲法政策の最重要課題となった。このような背景には、各州の憲法改正要求を 項にすることを強調した。この時点から、八二年の新カナダ憲法制定に至るまで、言語権を含む基本的権利に憲法的 一法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 295 かし、彼の論点の中心は、ケベック州民が、ケベックの政治的・社会的現代化という問題の解決のために、憲法改正 に訴、兄るようなことをしないようにさせることにあった。彼の考えでは、権利章典の憲法上の導入は、州立法に対す る連邦の﹁拒否権﹂︵象ω⇔一一四霜き8︶および﹁留保権﹂︵冨ω興話ユ○口︶の廃止を当然の代償としていた。この発想は、 権利章典の導入と連邦拒否・留保権の廃止の関係が、州の立法行為を拘束する権利章典の憲法上の保障に結びついて いるところに、その特徴がある。つまり、権利章典の導入の背後には、人権保障のための国家的基準を樹立しようと するねらいがあった。トルドー首相のこのリンク論は、七八年の憲法改正案のなかには、その姿を見出すことはでき ない。権利章典の代償として、連邦権限の変更を断行することは、一方において、人権憲章は国民の望むところであ るとの触れ込みが行われ、他方、各州首相が人権憲章の見返りに諸権限を獲得しようとしている政治的キャンペーン のなかでは、不適当と判断されたためであろう。いずれにしても、六七年、トルドー首相は﹁カナダ弁護士協会﹂ ︵O鋤昌巴ご目切9。門﹀ωω099。ユoづ︶において、当時司法大臣として政府の結論を述べた演説のなかで、権利章典の憲法保 障の提案は、﹁連邦政府と州政府の間で、憲法改正に関する対話を始めるのにもっともよい出発点である﹂、そして、 ︵7︶ ﹁われわれは、本質的にはカナダの統一を試み、かつ希望をいだいて、その確立をめざすであろう﹂と力説している。 このアプローチの仕方のなかに、彼の熱意を読みとることができよう。 トルドー首相の決意は、政治公約のなかにもっともよく現われている。同首相は、六八年の首相就任以来、権利章 典の憲法保障の実現に向って、一貫して取り組んできた。﹁ビクトリア憲章﹂︵<88ユ四〇ず帥詳①﹁︶を生み出した七一 年の対州首相会議において、権利章典憲法保障論についての所見を発表し、七八年のヶベック州における分離派の選 挙勝利に対抗して、連邦政府が憲法改正案を提出した際には、権利章典に高い憲法的価値を与えた。八〇年五月のケ ベック州における﹁主権−連合﹂︵000︿①冨一σq暮で﹀ωωO。一簿一〇昌︶をめぐる州民投票のキャンペーンにおいても、また、 律 296 叢 論 同年九月の対州首相会議においても、権利章典の憲法保障を強く叫んだ。対州首相との憲法交渉が決定的に行き詰っ た八〇年一〇月の段階では、政治的観点からいえば、憲法改正手続を定めた憲法の移管のみを進めることが賢明であ った。にもかかわらず、憲法移管に権利章典をドッキングさせ、たとえ州の合意が得られずとも、連邦単独で、憲法 問題の解決を推し進めると固い決意を表明した。こうした一連の動きをみると、トルドー首相が権利章典の憲法保障 をいかに望んでいたかを、伺い知ることができよう。トルドー首相の強烈な個性とリーダーシップがなけれぽ、﹁憲 章﹂の憲法上の誕生はあり得なかったであろう。 連邦政府の憲法戦略およびトルドー首相の政治的信念以外にも、権利章典の憲法上の導入を促がした要因があっ た。﹁人権および基本的自由保護のための条約﹂︵Ooロ︿①導δ昌ho﹁さΦ勺88。ユo昌oh=qヨ⇔昌菊一σq窪ω⇔民司仁ロユ甲 ヨ①⇒8一牢o巴oヨω︶、いわゆる﹁ヨーロッパ人権条約﹂のイギリスへの適用、一九七六年の﹁市民的および政治的権 利に関する国際規約﹂︵H巨興口讐凶8巴Oo<。昌⇔けけo口Ω︿臨β。巳勺巳二。巴空σqぼω︶へのカナダの参加、各州にょる人 ︵8︶ 権保障立法の制定、一九七〇年の﹁戦時措置法﹂︵芝⇔同 ζO角ω己凹﹃Φω 諺O酔︶の発動、﹁カナダ騎馬警察﹂︵RCMP︶の の政策によっても侵害されないカナダ国民の基本権を確立することにある。オタワは、カナダ社会の州中心化現象の する一〇の州によるさまざまな形のインパクトによって、二つの道徳社会L︵⇔ヨo戦巴8日ヨo巳身︶ であるカナダ ︵9︶ が、分裂した国家になることを防こうとする連邦政府の道具である。連邦政府の目的は、﹁憲章﹂を通じて、州政府 カナダ国民の地位の向上を図ろうとする連邦政府の長い聞の夢の実現をねらっている。﹁憲章﹂は、カナダ国民に対 あったという事実のなかに、端的に現われているといえよう。﹁憲章﹂は、一つの国家社会を育て、州政府に対する 事例である。ともあれ、八二年﹁憲章﹂の政治的意図は、連邦政府がその支持者であるのに反し、州政府が反対者で 過剰警備、そして、一九六〇年の﹁カナダ権利章典﹂に対するカナダ最高裁の制限的憲法解釈などが、その代表的な 一法 進行を押し止めようとしている。この点で、﹁憲章﹂の保障する﹁移転の権利﹂︵六条︶、言語権︵一六条ー二二条︶ および﹁少数言語教育権﹂︵二三条︶はきわめて重要な規定であるといえよう。これらの権利が、連邦と州議会の双 ︵10︶ 方に拒否権の行使を認めた﹁適用除外条項﹂︵三三条一項︶の対象外になっていること自体、それを雄弁に物語って ︵1︶ 即口゜幻臣ω。戸↓冨℃o犀凶。巴団q召oωΦωoh昏Φ9冨α冨昌09誹賃oh空oq鐸ω導α写①巴o日ρ①μ9Pbd舞菊o<°ω 憲法審査制度上の意義について、考察してみよう。 ような変化をもたらすのであろうか。次に、一九六〇年の﹁カナダ権利章典﹂との比較検討を通じ、﹁憲章﹂のもつ う期待が、﹁憲章﹂に寄せられているのである。こうした﹁憲章﹂のねらいは、カナダ憲法審査制のあり方に、どの である。憲法上、権利章典の確立を図れば、カナダ国民の基本的権利および自由がよりよく擁護されるであろうとい させ、国民統合社会を造り出す求心力︵連邦主義︶の育成を、﹁憲章﹂に期待している。第二は、基本権保障の確立 る。第一は、国家の統一である。一つの統一国家として、カナダが生き残ることを脅かす遠心力︵州権主義︶を緩和 要するに、さまざまな要因が﹁憲章﹂の導入の背景にあったが、その政治目的を次のごとくまとめることができ ッドの頂点に立つカナダ最高裁の審査機能の重要性を、より一層高めたといえよう。 るのである。その意味では、憲法審査の機会の拡大を図った﹁憲章﹂の登場は、裁判所、とりわけカナダ司法ピラミ 司法決定を通じて発揮されることになろう。つまり、﹁憲章﹂のめざす政治目的の実現のカギは、裁判所が握ってい ﹁憲章﹂の影響力は、主として特定の立法や政府活動に対し、﹁憲章﹂の規定の解釈を行い、その当否の判断を示す その結果、連邦主義と州権主義が﹁憲章﹂のなかで入り交ってしまった。だとすると、カナダの憲法政治に与える しかし、﹁憲章﹂に反対する州政府は、その成立過程の終盤において、トルドi首相から一定の譲歩を克ち取った。 いる。 「 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 297 律 298 一 叢 論 法 ︵δ◎Qω︶° ︵2︶ ∪9唄ω噸O唱゜O詳゜℃b°ω卜⊃ω゜ ︵3︶ サスカチワン州以外のものとしては、﹁アルバータ州権利章典﹂︵≧び臼冨bd崔oh空σqげ梓ω讐H㊤認︶と﹁ケベク州権利・自由 憲章﹂︵O⊆oげ80冨昌霞oh閃茜げ3餌巳両器Φαo巳9遷胡︶がある。 ︵5︶幻臣ω①昌、8陰鼻二〇.ωb。° ︵4︶国゜竃゜妻三弓㊦ざOロ。げ①。塁α夢Φ08ωけぎぎpお8占ミ。。︵一〇お︶° ︵6︶戸国。↓⊇α8ロ渇巴臼・房ヨp巳匪①写窪99冨α冨βωふ同︵這①。。︶° ︵8︶ ︾°閃゜bロ餌︽oけ犀ざ日ゴ①一ヨロ8けoh葺①国崖﹁ob①9昌Oo昌くΦ耳凶o昌o昌ロロ日9コ菊凶αq巨ω冒子Φq三叶ω山国言σqロoヨ”HωO洋9毛P ︵7︶蜀讐αれ゜ い.幻①<㎝O刈︵一りQQ一︶° ︵9︶﹀°ρ9冨曽↓冨勺。臣。°。。﹄o。昌ω二葺喜巴菊9ω蓄=pO雪巴9︵閑゜Ω゜じd磐晋σq帥幻゜。D冨①8︵①e”臣。勺&け一8 ︵10︶ 勾βωω①FOO°o詳こ戸QQco。 0hOoコωユε鼠oづ毘Oげ鋤口σqo冒一昌島qωけユ巴Z騨ぼo⇒ω︵目㊤◎Q㎝︶︶”︾齢誌Φ゜ 四 ﹁カナダ人権憲章﹂の憲法審査制度上の意義 であるか、という問題が生じてくる。この点、﹁憲法﹂は゜、﹁憲章﹂を含むカナダ憲法が﹁カナダの最高法規︵ω信顎①日Φ 示的には廃止していない。それゆえ、カナダの裁判所が憲法審査を行う際、いずれを憲法判断の基準として考えるべき カナダ憲法の一部となったわけであるが、﹁憲法﹂は六〇年の﹁カナダ権利章典﹂︵以下、単に﹁章典﹂と略す︶を明 ﹁憲章﹂は、﹁一九八二年カナダ法﹂の別表Bに掲げる﹁一九八二年憲法﹂︵以下、単に﹁憲法﹂と略す︶により、 1 憲法審査基準の二重構造性 [ 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 299 ﹃≦o︷Oき巴①︶であり、本憲法の規定に反するいかなる法律も、その抵触する範囲において、効力を有しないもの とする。﹂︵五二条一項︶と定め、﹁憲章﹂の最高法規性を明確にしている。そこで、問題は、﹁章典﹂が﹁憲章﹂の規 定に反する法律に該当するかどうかである。﹁憲法﹂の二六条は、﹁本憲章における権利および自由の保障は、カナダ に存在するその他のいかなる権利または自由の存在を否認するものと解釈されてはならない。﹂と明記し、この問題 に対する解答を出している。つまりこの規定は、﹁章典﹂、州権利章典、あるいは権利・自由を保護するその他の憲法 ︵たとえぽ、﹁一八六七年憲法﹂の九三条および=二三条、コ八七〇年マニトバ法﹂、一九〇五年﹁アルバータ法﹂、 同年﹁サスカチアン法﹂、一九四九年﹁ニューファンドランド法﹂︶および制定法︵たとえば、一九六二年﹁オンタリ ォ州人権法﹂など、州人権保障法︶の存在を、﹁憲章﹂が承認することを意味しているのである。したがって、﹁章典﹂ は﹁憲章﹂に反する法律には該当しない。このため、﹁憲章﹂の保障する権利・自由以外のそれらを﹁章典﹂が保障 ︵1︶ する場合には、それらは有効に適用されることになろう。ただし、連邦政府に対してのみ、効力を有することを忘れ ︵2︶ てはならない。﹁章典﹂の多くの規定は、﹁憲章﹂と重複する内容となっている。この場合、﹁憲章﹂は重複規定を無 効とするのであろうか。﹁憲法﹂二六条は、﹁その他の権利・自由﹂を認めると定めるだけで、この点を明確にしてい ない。しかし、裁判所によって、﹁憲章﹂の規定に矛盾すると宣言されない限り、﹁章典﹂の重複規定は有効であろ うo 連邦法と州法の重複規定が衝突する場合、﹁連邦優位の原則﹂︵︷⑦匹興9。一冨鑓日o巨8団α09二口Φ︶を適用し、重複 した州法を無効にすることができるかどうかは、はなはだ困難な問題である。一般的に、連邦法と州法の衝突を解決 するための基準として、﹁矛盾の概念﹂︵鋤8昌。Φ只o臣言。oロω凶ωけ①昌亀︶を用いることが、かりに妥当であっても、基 本権保障の問題がからんでくると、重複を﹁矛盾﹂と簡単に解することはできなくなるであろう。この場合、結局 は、裁判所が連邦主義の立場に立つか、それとも州権主義に立つか、それによって、結論は異なってくる。前者の立 を無効にする力を有しているのか、という問題が生じてくる。後者の考え方をとれぽ、・連邦議会は、単なる法律の制 は、連邦法の疑わしいあるいは曖昧な文言を判断するための単なる解釈基準であるのか、それとも、抵触する連邦法 ﹁章典﹂は、これと抵触する連邦法に対する法的効力にっいては、一切なにもふれていない。そのため、﹁章典﹂ 3 ﹁憲章﹂の法的規範力 けである。﹁憲章﹂の成立は、カナダの裁判所の憲法審査行為に勇気を与えるであろう。 のである︵﹁憲法﹂三八条一項︶。したがって、﹁憲章﹂は、連邦法および州法からのいかなる侵害も許さない憲法上 ︵3︶ の地位を獲得している。カナダ憲法史上、﹁憲法上整壕で守られた﹂︵o彗器ロoゲ巴︶権利章典がはじめて実現したわ 州の人口の合計が全州の人口の五〇%以上であることを要する︶により承認された場合のみ、﹁憲章﹂は改正される とを明瞭にしている。つまり、連邦議会の決議と少なくとも三分の二以上の州の立法議会の決議︵ただし、それらの 三項は、﹁カナダ憲法の改正は、カナダ憲法に含まれている権限に従ってのみ行われるものとする。﹂と定め、このこ うに、﹁憲章﹂は憲法の一部を構成するから、憲法改正手続による以外、廃止または修正はできない。﹁憲法﹂五二条 ﹁章典﹂は通常の連邦法であるから、いつでも廃止あるいは改正することが可能である。この点、前にも述べたよ 2 ﹁憲章﹂の法的地位 は狭く、限られたものとなり、結果は、連邦立法の求心力から州の立法権を保護することになろう。 3 場をとれぽ、﹁矛盾﹂の概念は広く、ゆるやかなものとなり、連邦法の優越が結論となるが、後者をとれば、﹁矛盾﹂ oo 叢 論 律 法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 301 定により、自らの立法活動を束縛することができるのかどうか、という憲法問題がさらに起きてくる。この点、先に も述べたように、ドライボーンズ事件カナダ最高裁判決は、﹁章典﹂が連邦法を無効にできる規範力を有すると判示 している。けれども、問題の﹁インディアン法﹂の規定は、﹁章典﹂より以前に制定されていたため︵のちの法律に よって、それを廃止または修正する義務があったが︶、≒章典﹂が、一九六〇年以後に制定された法律︵改正法も含む︶ に関しても、等しく効力をもつのかどうかという問題については、ドライボーンズ事件判決はなにも答えていない。 この点、﹁憲法﹂は、﹁憲章﹂の規定に反するいかなる法律も、﹁その抵触する範囲において、効力を有しないものと する︵一ω鴇け。9Φ①×8葺o︷島①言8口臨ω8口。ざoh口o︷o同oΦoH①ゑΦ9︶。﹂︵五二条一項︶と定め、その規定に抵触 する法律を無効とする法的拘束力を、﹁憲章﹂がもつことを明らかにしている。 4 ﹁憲章﹂の適用範囲 ﹁憲章﹂と﹁章典﹂の大きな相違点の一っは、後者が連邦政府のみを拘束するのに対し、前者は連邦と州政府の双 方を拘束することである。けれども、両者とも、その適用範囲については異なった用語法を用いており、とくに、 ﹁憲章﹂は﹁章典﹂よりも不確定な要素を有した規定を設けていることに、注意すべきであろう。 ﹁章典﹂は、州議会または州政府には適用されないため、いかなる場合にも、州立法あるいは州行為に法的効力を 及ぼすことはできない。こうした重要な制約はあるけれども、﹁章典﹂の適用範囲の方が、﹁憲章﹂のそれよりも、よ り一層明確である。この点、前者の適用範囲条項である二条は、﹁カナダのすべての法律﹂︵①︿Φqず箋o︷O⇔ロ①膏︶﹂ に﹁章典﹂の規定が適用されることを明確にするとともに、さらに、﹁カナダの法律﹂という表現について、次のよ うに定義し、問題が生じないようにしている。すなわち、﹁第一章における“カナダの法律”という文言は、カナダ 302 律 連邦議会が、本法の効力発生前または発生後に制定した法律、同法律にもとつく命令、規則もしくは規程、および本 法の施行時において、カナダ連邦議会による廃止、削除あるいは改正に服するカナダまたはその一部において効力を 有するすべての法律を意味する。﹂︵五条二項︶、と定めているのである。﹁カナダ連邦議会の法律﹂および﹁同法律に もとつく命令、規則もしくは規程﹂という文言は、制定法上の権限にもとついて行われるすべての連邦行為を含むも のであることは、明白である。また、﹁カナダ連邦議会による廃止、削除あるいは改正に服する﹂すべての法律とは、 連邦結成以前の法律とともに、コモン・ローを含むことは明瞭であろう。したがって、これらのことから、﹁カナダ の法律﹂という語句は、私的行為を除外する概念であることは、きわめて明らかであるといわねぽならない。 ては、各州の立法議会および政府。﹂と定め、﹁憲章﹂の連邦と州レベルへの適用を明確にしている。したがって、私 にあるすべての事項については、連邦議会および政府。㈲各州の立法議会の権限の範囲内にあるすべての事項につい 8q︶およびノースウェスト準州︵Zoユ﹃≦。馨目Φ貫坤o同一①ω︶に関するすべての事項を含む連邦議会の権限の範囲内 ﹁憲章﹂三二条一項は、﹁本憲章は、次の各号に掲げる対象に対して適用される。㈲ユーコン準州︵唄信犀。口目Φ目﹁一, 叢一 論 されている国王の大権あるいは慣習法として認められている諸権限、たとえぽ、外交行為、財産の取得および管理、 に、﹁政府﹂という言葉は、制定法上の権限ではないにもかかわらず、現実には、大臣または王室官吏によって行使 たとえば、大臣、公務員、地方自治体、教育評議会、大学、行政審判所などが含まれることは確かであろう。第二 には、制定法上の統治権限を行使するすべての機関︵9。一一げo象①ω①×興9ω一けαqω3窪8運σqo︿①鐸ヨoロ梓四一9暮げ。同詳団︶、 一体どの範囲までの行為を包含するものであるかは、まったく不明である。まず第一に、﹁議会﹂という言葉のなか が﹁連邦議会および政府﹂あるいは﹁各州の立法議会および政府﹂による場合のみである。しかし、これらの語句が 的行為には﹁憲章﹂の適用はない。特定の権利あるいは自由の侵害が﹁憲章﹂の侵害に該当するのは、その侵害行為 一法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 303 任命書および勲章の授与などの政府行為も含むと考えられる。第三に、商業活動に従事する公的および私的企業体 の行為には、﹁憲章﹂の適用は及ぼないであろう。ただし、これらの行為が連邦および州議会の定める﹁人権法﹂ ︵ゲロヨ磐ユσqぼω8山①︶ に違反する場合があることは、いうまでもない。第四は、私人の行為が﹁憲章﹂の適用対象 から除外されることは、確実である。﹁憲章﹂の原案では、連邦・州の両議会および両政府と両議会の﹁権限の範囲 内にあるすべての事項については︵帥口匹8鶉。一一日仁。洋①屋乱け7ぼ島o⇔耳ゲo葺︽oh⋮︶﹂となっており、これでは立 法および政府機関のみならず、連邦と州の両議会の権限の範囲内にある私的活動にも、﹁憲章﹂が適用される余地が あった。しかし、“節民8”の部分が“ぎ話゜。需90油に変更されたのであるから、﹁連邦議会および政府﹂と﹁各州 の立法議会および政府﹂に﹁憲章﹂の適用が限定され、私人の行為には、その適用がないことは明白であろう。第五 に、コモン・ローによって課せられる制約、たとえぽ、名誉棄損罪または法廷侮辰罪などには、﹁憲章﹂が適用され ないことも、また確かである。第六に、﹁一八六七年憲法﹂一二九条にもとづき、現在なお効力を有する連邦結成以 前の法律によって課せられる制約が、﹁憲章﹂の適用範囲外におかれることはいうまでもなかろう。 5 ﹁憲章﹂の人権制約原理 ﹁章典﹂は、﹁憲章﹂一条のごとき、人権制約条項を有していない。多くの自由、とりわけ﹁法の前の平等﹂︵﹁章 典﹂︵一条二号︶、﹁宗教の自由﹂︵同一条三号︶、﹁言論の自由﹂︵同一条四号︶、﹁集会および結社の自由﹂︵同一条五 号︶、﹁出版の自由﹂︵同一条六号︶は、無条件の保障規定となっている。これは、アメリカの権利章典のパターンに ︵4︶ したがったためと思われる。しかし、裁判所は、﹁章典﹂の保障の絶対化は認めなかった。たとえば、一定の理由に もとづき、特定のグループを特別に取り扱う法律に対し、﹁法の前の平等﹂条項との調整を図ったり、治安妨害・わ 律 304 叢一一 論 法 いせっ.詐欺・公務上の秘密・名誉棄損・虚偽の広告などを取り締る法律と﹁言論の自由﹂条項との調節を試みてい る。こうしてみると、制約条項の有無は、憲法審査過程に大きな違いをもたらさないともいえよう。しかしながら、 明白な制約条項の存在は、憲法審査にあたって、問題を解決する際に使われる判断基準となり、裁判所の審査行為に 一定の指示を与えることになるから、そのもっ意味は大きいといわねばならない。 この点、﹁憲章﹂一条は、﹁権利および自由に関するカナダ憲章は、自由かつ民主的な社会において、明確に正当化 しうる法律で定める合理的な制約のみにしたがうことを条件に、本憲章の定める権利および自由を保障する。﹂と規 定し、人権制約条項の存在を明言している。この制約条項は、﹁市民的および政治的権利に関する国際規約﹂と﹁ヨ ーロッパ人権条約﹂をモデルに、作られたものである。両国際法規とも、﹁憲章﹂の一条に類似した制約条項をもっ て、諸権利の保障を限界づけている。﹁憲章﹂一条の規定にもとづき、連邦と州の議会は、自由・民主社会で、﹁合理 的﹂︵﹃gωo口鋤甑①︶かつ﹁明確に正当化しうる﹂︵儀oヨoロω賃簿㊤げζ甘ω二︷δ匙︶法律を定め、権利・自由の保障を制約 することが可能である。しかしながら、三三条の﹁適用除外条項﹂とは異なり、この制約条項は、あまりにも漠然と した制約原理を設けていると批判せねぽならない。結局、裁判所が制約原理の中身を解明することになるのであろう が、﹁合理的﹂、﹁明確に正当化しうる﹂という判断基準について、﹁憲章﹂自体はなにも材料を提供していない。これ では、裁判所は困難な作業を背負込むことになるであろう。だが、﹁憲章﹂が、”概念凍結説”の成立を排除している 点は、一応評価すべきである。﹁章典﹂一条に、﹁カナダには、次のごとき人権と基本的自由が、⋮⋮現に存在し ︵訂く①Φ臥゜。8α︶、かつ将来に向って存続することを︵帥巳ω冨=8葺ぎ口①8①×一ω件︶、ここに確認し、宣言する。﹂と いう規定があるため、これが制約原理として解釈された。この、いわゆる”概念凍結説”にしたがえば、一九六〇年 に存在する権利・自由のみが保障され、この年の法律の内容によって、諸権利が限界づけられることになり、この時 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所一 305 点で存在する法律は、﹁章典﹂に違反しないことになってしまう。したがって、一九六〇年以後の法律のみが、﹁章 典﹂の適用対象になるにすぎない。この理論は、ドライボーンズ事件判決を除き、一九七〇年代に至るまで、その生 命力を維持し、﹁章典﹂の効用力の大半を奪いとることになった。そのため、﹁憲章﹂↓条は、”概念凍結説”の理論 的根拠となる文言を慎重に避けているのである。特定の法律が、﹁自由かつ民主的な社会において、明確に正当化し うる﹂ものであるかどうかを審査するにあたり、以前の法律の内容が一つの判断要素として利用されることがあって も、今後は、”概念凍結説”のために、裁判所の﹁憲章﹂の解釈が悩まされるということはないであろう。 6 ﹁適用除外条項﹂ ﹁⋮⋮カナダ連邦議会の制定法によって、カナダ権利章典の規定にかかわらず適用される旨を明らかに宣言され﹂ るならぽ、﹁章典﹂は適用されないと定め︵二条︶、いわゆる﹁適用除外条項﹂を認めている。この規定は、カナダ独 ︵5︶ 特の作品であり、﹁憲章﹂三三条のモデルともなった。しかし、﹁憲章﹂と異なり、﹁章典﹂の﹁無視権限﹂︵○<Φ凌筐① ℃o≦①﹁︶はすべての権利保障に及び、拒否する保障対象を指定する必要はない。﹁章典﹂二条のねらいは、﹁章典﹂の すべての規定を除外の対象にすることにある。﹁章典﹂は、失効宣言に関する年数制限規定および再制定宣言に関す る規定は設けていない。﹁適用除外条項﹂に関しては、のちにみるように、﹁憲章﹂の規定の方が、﹁章典﹂よりも、 ︵6︶ 精巧に作られている。なお、﹁章典﹂の﹁無視権限﹂は、過去一度だけ発動された。 ﹁憲章﹂も、﹁章典﹂と同様に、連邦議会または州議会が、﹁憲章﹂の規定に制定法を追従させるのを免除してい る。この点、﹁連邦議会または州の立法議会は、その法律において、本憲章の第二条または第七条から第一五条まで に定める規定にもかかわらず、当該法律またはそれらの規定が適用される旨を明らかに宣言することができる。﹂と 叢 306 論 律 法 ︵7︶ いう﹁憲章﹂三三条一項の規定をみれぽ、明白である。﹁憲章﹂は、さらに、﹁本条にもとついてなされた宣言で有効 である法律または法律の規定は、当該宣言に指定された本憲章の規定がないものとして、適用される。﹂︵三三条二 項︶と定めている。この趣旨は、法律のなかで宣言を行えぽ、当該法律は、その宣言で言及したところの﹁憲章﹂の 規定の支配から免れることを意味する。﹁憲章﹂の法的規範力を無視することができる権限の存在は、﹁憲章﹂の保障 する権利・自由に対し、制限を設けることを許すことになり、また、﹁自由かつ民主的な社会において、明確に正当 化しうる﹂ところの﹁合理的な﹂制約のみを認める﹁憲章﹂一条の意義を、無意味なものにしてしまう可能性があ る。もっとも、この﹁無視権限﹂を行使すれぽ、政治的非難に直面することになろう。したがって、実際には、安易 に利用できまい。だが、﹁適用除外条項﹂は、憲法改正に訴えることなく、﹁憲章﹂の内容を骨抜きにする力をもって ︵8︶ いることだけは、確かである。 しかし、このことは、﹁適用除外条項﹂が万能の力をもつことを決して意味するものではない。﹁憲章﹂はいくっか の制約を設けている。第一に、﹁憲章﹂の規定の適用免除をめざす宣言は、当該法律を指定しなけれぽならないこと である。多分、この宣言は、通常当該法律自体のなかで行われるはずであるが、その法律の修正法において行うこ とも可能であろう。第二に、﹁無視権限﹂の行使の対象は、﹁憲章﹂二条および七条から一五条までの規定に限定さ れていることである。したがって、三条から五条までの﹁民主的権利﹂︵U①ヨo。鑓江。空σqぼω︶、六条の﹁移転の権 利﹂︵竃○び自一什矯幻一σqゲ梓ω︶、一六条から二二条までの言語権︵いきσq轟σq①知一σq窪ω︶、そして二三条の﹁少数言語教育権﹂ ︵≦ぎ頃ξいきσq轟σq。国含。鋤まロ巴空αqげ件ω︶は、対象外となる。また、﹁憲章﹂三三条二項にもとついてなされる宣 言は、無視する﹁憲章﹂の規定を指定せねぽならない。もしこの指定宣言を行わない場合には、当該宣言は無効とな るであろう。第三は、期限の制約である。この点、﹁憲章﹂三三条三項は、﹁本条第一項にもとついてなされた宣言 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 307 は、その施行日から五年後または当該宣言に五年以前に施行日が明示された場合は、その日に効力を失うものとす る。﹂と定めている。この、いわゆる﹁日没条項﹂︵ω二口ω①けΩ磐ω①︶は、適用除外宣言を五年後に自動的に失効させ るものである。しかし、この宣言の再制定を認めている︵﹁憲章﹂三三条四項︶。しかも、これを五年毎にできる︵﹁憲 章﹂三三条五項︶。これらの規定は、政府︵内閣︶の交代毎に、﹁無視権限﹂の行使に関し、周期的な再検討が行われ ることをねらっている。こうした措置は、﹁無視権限﹂の無分別な行使に対して、政治上の防波堤を築いたことにな るであろう。 7 法の執行 抵触する法律を無効とする﹁憲章﹂の規範力︵五二条一項︶は、きわめて重要な法の執行手段である。というの も、裁判所および審判所が、﹁憲章﹂の規定に反すると判断した制定法を否認する権限を有することになるからであ る。裁判所および審判所の憲法判断には、いかなる特別の権威も必要ではない。﹁憲章﹂に抵触する法律は無効であ ︵9︶ るということ自体が、特別の権威である。 ﹁憲章﹂は、法律違反を理由に告訴あるいは起訴された被告人および法律にもとづき憲法審査を提起した申請人に 対し、救済規定を設けている。しかし、損害賠償請求に関する当事者適格および﹁憲章﹂違反に対する救済命令にっ いては、なにも規定していない。一般法のもとでは、無効とされた法律にもとついて行われた公的行為が訴訟原因に 該当する場合のみ、訴権が存在することになる。たとえぽ、﹁憲章﹂八条違反の不当な捜索または押収を受けた者は、 当該公務員に対し、不法行為の訴えを起こすことができるが、しかし、市当局が市道におけるパンフレットの配布を 禁じたことにより、﹁憲章﹂二条b号の表現の自由の侵害を受けた者は、一般法にもとついては、訴訟を提起するこ 律 とはできないであろう。﹁憲章﹂は、侵害行為に対し救済規定を設け、一般法の前述の欠陥を克服している。すなわ ち、二四条は、﹁何人も、本憲章で保障する権利または自由が侵害もしくは否定された場合には、裁判所が事情に照 らして適当かつ正当であると認める救済を受けるために、正当な管轄権を有する裁判所に提訴することができる。﹂ と定めているのである。この規定は二つの意味をもつ。第一は、権利または自由が侵害された何人も、原告適格を有 すること。第二は、権利または自由が侵害もしくは否定された何人も、その事実だけで、”適当かつ正当な救済”を ﹁章典﹂は、﹁憲章﹂二四条に匹敵する規定を設けていない。カナダ最高裁も、﹁章典﹂違反の行為に対する救済に ︵10︶ 求める訴訟を提起することができることである。 に違反する形で獲得された証拠でも、もし適当であると判断する場合には、採用できると判示している。この判決は 暴動が現実に存在し、またはその危険がある﹂と宣言する場合には、いつでもその効力を発生することになってい 一九一四年、連邦議会が制定した﹁戦時措置法﹂︵を鋤﹃ ぞ︻Φ鋤ωd﹁﹁①ω >Oけ︶は、連邦政府が﹁戦争、敵の侵攻または 8 非常事態の応急策 除することを明確に宣言し、司法の信用を失墜せしめないように努めている。 合には、これを証拠としてはならない。﹂と定め、違法または不適切な方法で獲得される証拠については、これを排 状況に照らし、訴訟手続において、その証拠を採用すれぽ、司法の執行について信用を失わせしめると認められた場 判所は、証拠が本憲章の保障する権利または自由を侵害あるいは否定する方法で獲得されたと決定し、かつあらゆる 大いに批判されたが、﹁章典﹂の侵害に対し、明らかに救済を差し控えている。この点、﹁憲章﹂二四条二項は、﹁裁 は、これまで好意的な態度を示さなかった。たとえば、=oσq鋤口く゜目ゲoO器①昌事件において、最高裁は、.﹁章典﹂ 叢 308 論 法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 309 る。同法は、検閲・逮捕・拘留・国外追放などを含むあらゆる事項に関し、規則を定める権限を連邦政府に付与して おり、第一次大戦、第二次大戦、そして一九七〇年の﹁ケベック一〇月危機﹂︵○。8び興9凶ω一ωぎの話げ①。︶と、こ れまで三回にわたって発動された。いずれの場合においても、﹁戦時措置法﹂にもとついて定められた規則は、市民 的自由に対し、平時では耐えられないほどの厳しい制限を設けていた。﹁章典﹂六条は、二つの点において、同法を 改めている。第一に、﹁戦時措置法﹂の布告は連邦議会に通知され、議会の審議を受け、第二に、場合によっては、 布告の取消ができることである︵六条二・三・四項︶。しかし、﹁戦時措置法﹂にもとつく行為・命令・規則は、﹁章 典﹂を侵害するものと考えられていない︵六条五項︶。それゆえ、﹁戦時措置法﹂は、全体的には﹁章典﹂のコントロ ールを免れていた 。 この点、﹁憲章﹂は、﹁戦時措置法﹂について、なにも言及していない。そして、次のごとき緊急時における唯一の 例外を認めているだけである。すなわち、﹁戦争、侵略または暴動が現にあり、あるいはその恐れがある場合には﹂、 連邦議会の下院または州立法議会は、﹁五年を超えて、その存続期間を延長することができる。﹂︵四条二項︶と定め ている。この規定は、実は州立法議会には適用されないところの﹁一八六七年憲法﹂九一条一号の焼き直しにすぎな い。﹁憲章﹂は、この唯一の例外を別とすれば、非常事態において、市民的自由が制約を受けるのかどうか、また、ど の程度まで制限されるのかどうか、などに関しては一切ふれていない。緊急時において、﹁憲章﹂の保障する市民的 自由を明らかに制限する﹁戦時措置法﹂が、﹁憲章﹂一条の﹁自由かつ民主的な社会において、明確に正当化しうる 法律で定める合理的な制約のみにしたがうことを条件に、⋮⋮﹂という制約条項に当てはまるかどうかは、裁判所が 決定することになろう。むろん、非常事態の応急策は、たとえぽ、﹁憲章﹂三五条の﹁無視権限﹂の利用によって、 ︵11︶ ﹁憲章﹂二条および七条から一五条までの規定より免除されることも可能である。 律 310 叢 論 法 9 司法大臣の審査 ﹁章典﹂には、﹁憲章﹂のなかにまったく類例をみない、きわめてユニークな法律案等の審査手続が定められてい る。すなわち、﹁章典﹂三条は、連邦のすべての法律案および規則案にっいて、司法大臣が﹁章典﹂との抵触を審査 し、﹁もし抵触がある場合には、最初の手近な庶民院に報告するものとする。﹂と規定し、一種の事前審査制度を設け ている。しかし、この制度の欠陥は、連邦政府提案の法律案等の審査を連邦政府自身に託している点にあるといえよ う。ともあれ、これまで一度だけ、抵触の報告があった。そして、議会の草案が司法省内で厳格な審査を受け、最終 案に至る前に修正されたケースは、若干ある。司法大臣によるこの審査手続は、﹁憲章﹂の登場にもかかわらず、﹁章 ︵12︶ 典﹂の有益性を存続させる一つの要因になろう、と指摘する論者もいる。 ︵13︶ 10 基本権保障の具体的内容 ω ﹁基本的自由﹂︵哨ロロ傷⇔日①p冨一閃話Φ自oヨω︶ ︵14︶ ﹁憲章﹂は、その二条で、①良心および宗教の自由、②思想・信条・意見・表現の自由、③平穏な集会の自由、④ 結社の自由を保障している。この規定は、﹁章典﹂の一条よりも厳密な文言を用いているが、両者の間には、本質的 な差異はない。 ② ﹁民主的権利﹂︵Ooヨo自9。ユo幻一σq窪ω︶ ﹁憲章﹂は、すべてのカナダ市民が、連邦議会の下院および州議会の議員選挙について、選挙権および被選挙権を 有すると定めた規定を、新しく設けている︵三条︶。また、下院および州議会議員の任期は、非常事態の場合を除き、 五年を超えないものとし︵四条一・二項︶、連邦議会および州議会は、少なくとも一ニヵ月毎に一回、召集されると 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 311 ︵15︶ 定めている︵五条︶。﹁章典﹂は、﹁民主的権利﹂︵選挙および議会︶については、なにもふれていない。 ㈲ ﹁移転の権利﹂︵]≦oげ出q空σq匿ω︶ ﹁憲章﹂六条一項は、すべてのカナダ市民に、﹁カナダに入国し、滞在し、かつ出国する権利﹂を与えている。同 条二項は、すべてのカナダ市民およびカナダの永住権を有する者に対し、①すべての州に移動し、かつ住居を定める ︵16︶ 権利、②すべての州において、生計を得ることを追求する権利を保障している。しかし、六条二項には、二っの重要 な条件がつけられていることを看過してはならない。第一に、﹁現在または過去の住居の州を主たる理由として、人 々を差別するものを除き、州において施行されている法または一般に適用されている慣行﹂と﹁公的に提供される社 会的サービスの受給資格として、合理的な居住要件を定める法律﹂にしたがうものとされている。第二に、﹁カナダ の平均就業率よりも低い州において、社会的または経済的に不利な立場にある個人の状態を改善することをその目的 とする法律、計画または活動を排除するものではない。﹂となっているのである。これらの制限、とくに第一の制約 ︵17︶ は、六条二項の規定の存在をほとんど無意味なことにしているように思われる。第二の制約は、地元の労働者に、優 ︵18︶ 先的に雇用の機会を与えている州の反対に対し、トルドー首相が譲歩したものである。﹁章典﹂は、﹁移転の権利﹂に ついても、なにも定めていない。 ω ﹁司法上の権利﹂︵︼じΦσq⇔一 菊一σqゴ什ω︶ ﹁憲章﹂は、正当な理由がない捜索・押収に対する保護︵八条︶、恣意的な抑留・拘禁に対する保障︵九条︶、逮捕 ・抑留に関する公正な手続を受ける権利︵一〇条︶、犯罪の告発に関する保障︵一一条︶、残虐・異常な処置.刑罰に 対する保護︵=一条︶、自己に不利益な証言を強要されない保障︵一三条︶、通訳の補助を受ける権利︵一四条︶など ︵19︶ を含む、一連の詳細な刑事手続上の権利を保障している。八条を除き、これらの規定の多くは﹁章典﹂とほぼ同一で 312 ある。しかし、若干の規定、たとえぽ一一条の㈲・ω・⑥・ω・②・ω・ωの各号などは、﹁章典﹂よりも進んでい る。とはいえ、﹁章典﹂にはあるが、﹁憲章﹂からはオミットされている三つの規定があることに、注意すべきであろ う。 第一は、何人に対しても、恣意的な﹁国外追放﹂を禁ずる規定である︵二条a号︶。﹁国外追放﹂については、 ﹁憲 章﹂はなにもふれていない。けれども、﹁憲章﹂六条一項の﹁移転の権利﹂は、﹁すべてのカナダ市民はカナダに入国 し、滞在し、かつ出国する権利を有する。﹂と認めている。そこで、この﹁移転の権利﹂は、﹁国外追放﹂の禁止を含 の存在がこの問題に関し、重要な意味をもつ。﹁章典﹂が効力を有する限り、連邦法が認める人の権利および義務に 正な審理﹂または﹁基本的な正義﹂の原則の適用はありえない。これが﹁憲章﹂の欠陥であり、それゆえ、﹁章典﹂ しかし、その多くは刑事裁判に対して適用されるのみである。裁判所または行政審判所における民事裁判には、﹁公 えないであろう。﹁憲章﹂の八条から一四条までの司法上の権利は、公正な審理を受けることにかかわりをもつが、 受ける一般的な権利を保障するものではなく、また、経済的利益のみが問題になった場合には、いかなる適用もあり れない権利を有する。﹂︵七条︶という規定は、存在する。この規定は、権利および義務の決定に際し、・公正な審理を だし、﹁何人も、生命、自由および身体の安全の権利を有し、基本的な正義の原則による以外は、右の諸権利を奪わ った公正な審理を受ける権利を人から奪わない。﹂という規定はあるが、﹁憲章﹂はかような規定を設けていない。た 障する規定である︵二条e号︶。﹁章典﹂には、﹁自己の権利および義務の決定に関し、基本的な正義の原則にしたが 放﹂の概念は、母国からの追放を意味しているからである。第二は、何人に対しても、公正な審理を受ける権利を保 条一項は非市民には適用されないが、非市民の追放は、一般的には﹁国外追放﹂とはみなさないであろう。﹁国外追 んでいるかが、問題となる。しかし、この規定には、市民の﹁国外追放﹂は含まれていないと解される。﹁憲章﹂六 叢一 論 律 法 一九八二年「カナダ人権癒章」とカナダ最高裁判所 313 関する判決は、﹁基本的な正義の原則にしたがった公正な審理﹂にもとついて、今後も引き続き言い渡されることに なろう。第三は、財産を”正当な手続”によって、保護する規定である︵一条a号︶。この点、﹁憲章﹂七条は、﹁生 命、自由および身体の安全の権利﹂を保障するだけに留まっている。これとは対照的に、﹁章典﹂一条a号は、﹁生 命、自由、身体の安全および財産の享有に関する個人の権利、ならびに正当な法の手続︵含①暇08ωωoh冨≦︶によ る以外は、これらの諸権利を奪われない権利﹂を有するとなっている。つまり、﹁憲章﹂では、﹁財産の享有﹂はオミ ︵20︶ ットされ、﹁正当な法の手続﹂の代わりに、﹁基本的な正義の原則﹂が用いられているのである。かりに﹁正当な法の 手続﹂と﹁基本的な正義の原則﹂との間に、相違があるとすれぽ、その点は、裁判所によって解明されることになろ う。両タームとも、今日、カナダ法において、一定の概念をもっているわけではない。いずれにしても、﹁憲章﹂か ら財産権の保障が脱落したことは、大きな意味をもつといえよう。﹁章典﹂の保障規定を別にすると、私有財産を公 ︵21︶ 共のために用いる場合には、公正な手続によることが必要であるとか、正当な補償なしに、私有財産を徴収されるこ とはないとかいう規定は、カナダ憲法のなかには、どこにも見当たらないのである。﹁章典﹂ 一条a号は、”正当な手 続”によることを明らかに定めており、かつ”正当な補償”も要求していると解することができよう。この点、﹁憲 章﹂は、私有財産の徴収に対し、補償はいうまでもなく、公正な手続さえも一切保障していないのである。それゆえ、 この面でも、﹁章典﹂の存在が重要な意味をもつ。連邦法による私有財産の微収に対し、当該所有者を保護すること になるからである。 ⑤ ﹁平等権﹂︵国ρβ巴一昌幻一σqぼω︶ ﹁憲章﹂ 一五条一項は、﹁すべて個人は、法の前および法の下に平等であり、差別、とりわけ人種、民族的または 種族的出自、皮膚の色、宗教、性別、年齢または精神的もしくは肉体的障害にもとつく差別を受けることなく、法の 律 叢 314 論 法 公平な保護および利益を受ける権利を有する。Lと規定し、さらに同条二項は、﹁前項の規定は、人種、民族的または 種族的出自、皮膚の色、宗教、性別、年齢または精神的もしくは肉体的障害のゆえに不利な境遇にある人々を含む恵 まれない個人または集団の状態を改善する目的を有する法律、計画または活動を排除するものではない。﹂と定めて いる。この規定は、﹁章典﹂よりも、きわめて詳細かつ精巧に作られているといえよう。この点、﹁章典﹂一条は、カ ナダにおいては、次に掲げる人権および基本的自由が、人種・原国籍・皮膚の色・宗教または性別を理由として差別 されることなく、現に存在し、かつ将来にわたって存続することを、ここに確認し、宣言すると前置きして、そのb 項で、﹁法の前の平等および法の保護に関する個人の権利﹂を保障すると、ごく簡潔に定めている。 ﹁憲章﹂一五条一項は、﹁章典﹂ 一条b号よりも、確かに広汎な内容をもった規定である。というのも、﹁章典﹂は ﹁法の前の平等︵①ρ¢巴詳団ぴ臥o﹃Φひ①冨薯︶﹂のみにふれているのに対し、﹁憲章﹂は﹁法の前および法の下の平等 ︵①ρ自ρ。一凶なげ無08帥巳巷島Φ﹁チΦ冨毛︶﹂、﹁公平な保護︵。ρロ巴鷺03。二〇⇒︶﹂、﹁法の公平な利益︵Φρ口巴げΦ昌亀詳Oh 臣Φ冨芝︶﹂について言及しているからである。これらさまざまな文言は、カナダ最高裁が、かつて﹁法の前の平等﹂ ︵22︶ に対し、制限的な解釈を与えたことを克服するために、挿入されたことは疑いもない事実であろう。したがって、今 後、﹁憲章﹂一五条一項が解釈の対象になる場合には、言葉の変更に着眼し、広い解釈が行われることは間違いない。 ﹁憲章﹂一五条一項は、また﹁章典﹂一条b号よりも、差別の禁止事項をより多く挙げている。すなわち、﹁年齢 ︵β。σqΦ︶﹂および﹁精神的もしくは肉体的障害︵日。耳巴O﹃℃ξω一8一象ωβ。げ一=畠︶﹂は﹁憲章﹂にはあるが、﹁章典﹂に はないのである。しかし、この点の相違はあまり実質的な意味をもたないように思われる。なぜならば、﹁年齢﹂お よび﹁精神的もしくは肉体的障害﹂を理由とする不公正な差別は、﹁章典﹂違反になることが明白だからである。 ﹁憲章﹂一五条二項は、﹁恵まれない個人または集団の状態を改善する目的を有する法律、計画または活動﹂を明 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 315 ︵24︶ らかに認めている。この点、﹁章典﹂には、﹁肯定的行為︵﹀︷hマ日㊤江く①諺。江oづ︶﹂に一言及した表現は、まったくない。 その結果、ある種の﹁肯定的行為﹂計画は、﹁章典﹂違反になる可能性が十分にあるといえよう。けれども、カナダ の裁判所は、﹁肯定的行為﹂計画を﹁章典﹂の平等条項に両立させるように判断すると思われる。なお、﹁憲章﹂一五 条は、他の規定と異なり、直ちに施行されるわけではない。三二条二項の規定にもとづき、三年後に効力を発するこ とになっている。かように遅れる理由は、法令全書を再調査し、差別規定の削除に必要な修正を行う時間を、連邦と 州政府に与えるためである。それゆえ、﹁憲章﹂の効力発生後三年間は、平等条項の適用はないことになる。この期 間中、﹁章典﹂一条b号が、連邦法の差別規定から個人を保護するため、適用されることになろう。 ㈲ ﹁言語権﹂︵いきσq8σq㊦国αq鐸ω︶ ︵25︶ ﹁憲章﹂は、その一六条から二三条までにおいて、英語とフランス語の使用に関し、﹁同等の地位および同等の権 利と特権﹂を認めている。つまり、これらの規定は、英語とフランス語を連邦とニュー・ブランズウィック州の公用 語と定め︵﹁憲章﹂一六条一・二項︶、連邦とニュー・ブランズウィック州政府のすべての機関において、使用するこ とを保障しているのである。とりわけ、連邦に関する﹁一八六七年憲法﹂一三三条の規定は、﹁憲章﹂のなかに、そ のままくり返されており、また、同様な規定がニュー・ブランズウィック州に適用されることになっている。﹁憲章﹂ は、英語とフランス語の使用を認めている﹁一八六七年憲法﹂二三二条と﹁マニトバ法﹂一二二条の規定の存在にもか かわらず、ケベック州とマニトバ州については、まったくふれていない。いずれにしても、ニュー・ブランズウィッ ク州、ケベック州、そしてマニトバ州以外の各州に対しては、ニカ国語使用に関する規定の適用はないであろう。す べての州に対して、一般的に適用される﹁憲章﹂の唯一の規定は、二三条である。同条は、各州の英語およびフラン ス語使用の少数住民に対し、その人数が少数住民の言語による教育を保証するに十分である場合に限って、﹁自己の 叢 316 論 律 法 子女に、当該言語による初等および中等学校教育を受けさせる権利﹂を認めている。この点、﹁章典﹂は、二条9項 の通訳の補助を受ける権利を除き、言語権の保障規定を設けていない。 これまでの考察により、﹁章典﹂よりも﹁憲章﹂の方が、権利と自由の保障に関し、厚い保護規定を整えているこ とが理解されるであろう。けれども、次の四点において、﹁章典﹂は、﹁憲章﹂に勝る規定を設けている。第一に、連 邦の法律案および規則案を司法大臣に審査させ、﹁章典﹂に抵触する場合には、その旨の報告を義務づけていること。 第二に、権利および義務の決定に対し、﹁基本的な正義の原則﹂にもとつく公正な審理を義務づけていること。第三 に、﹁正当手続﹂条項を通じ、財産権の保護を定めていること。第四に、三年間﹁憲章﹂の平等条項が遅れて実施さ れるため、﹁章典﹂の﹁法の前の平等﹂条項が、その間適用されることである。﹁憲章﹂二六条は、これら四つの﹁章 典﹂の規定が、﹁憲章﹂制定後までも、生き残ることを明らかにしている。したがって、かような点において、﹁章 典﹂は﹁憲章﹂の規定を補完する機能を果たすことになるといえよう。けれども、﹁章典﹂にごく一部のみ存在し、 ﹁憲章﹂にはまったく存在しない、次のごとき基本権事項について、注意すべきであろう。すなわち、①経済的諸権 利、②労働に関する権利、失業救済に関する権利、社会福祉に関する権利など、いわゆる生存権、③文学および美術 ︵26︶ など、人間の創造活動の振興および保護に関する権利、④﹁章典﹂の前文では確認されているが、家庭生活に関する 権利等の基本権が、欠落しているのである。 かような脱落があるにもかかわらず、﹁憲章﹂は、裁判所が憲法審査を行う際に判断の基準となる基本的な憲法価 ︵27︶ 値については、一応十分なる規定を設けているといえよう。それゆえ、カナダ最高裁は、﹁章典﹂の憲法解釈に当た り、これまで﹁おずおずした﹂︵ニヨ乙︶姿勢を示してきたが、﹁憲章﹂の憲法上の導入は、最高裁を変えるであろう ︵28︶ と期待されている。﹁憲章﹂が、裁判所を一一の選挙された政府と対等の地位に高めたことは、無視することのでき ない事実である。﹁憲章﹂に違反する法律の否認︵五二条一項︶、﹁憲章﹂違反の公的行為に対する司法救済︵二四 ︶などは、これを立証する規範であるといえよう。だとするならぽ、最高裁は、﹁章典﹂を前提に憲法審査を 条︶、﹁章典﹂よりも広い範囲をカバーする平等条項︵一五条︶、さらに、﹁概念凍結説﹂を排除する制約原理の採用 (一 むろん、カナダの裁判所は、﹁英領北アメリカ法﹂の定める連邦主義の権限配分ルールとその他の制限を審理するため、司 ︵9︶ ﹁憲章﹂五二条一項が、カナダにおける違憲審査の憲法上の明白な根拠であるといわれている︵国oゆqoq噛8°98b°G。OO︶。 ︵8︶ 国oαqぴq﹁憲章論文﹂一一頁。 る譲歩である﹂という論者もいる︵国o印qmq”8°o霊層娼bり◎。︶。 ︵7︶ この点、﹁無視権限﹂は、﹁民主的政治プロセスと国会の最高性という長い間のイギリス・カナダの伝統に対する分別のあ ロ器ω︶︶を制定したことがある。なお、同法は、その後﹁戦時措置法﹂に取って代わられた。 ︵6︶ 一九七〇年の﹁ケベック一〇月危機﹂の際、連邦政府が﹁公共秩序︵臨時措置︶法﹂︵勺ロびぎO円α雪︵↓①筥bo冨﹃団竃①器ー を取り付けるため、連邦側が譲歩した結果、生まれた条項である︵口Oゆq印q℃OO°O一け゜脚 弓゜鱒OQQ︶。 日の連邦と州の協定のなかで、憲法移管問題のなかに﹁憲章﹂の導入を含ませることに反対していた八州のうち七州の合意 ︵5︶ ﹁憲章﹂三三条は、その原案︵一九八〇年一〇月と八一年四月︶にはなかった規定である。これは、一九八一年=月五 ︵4︶ 国oゆq㎝q﹁憲章論文﹂九頁。 リカ事情回﹂法学セミナー三二五号七〇1七一頁︶。 ︵3︶ この点、奥平教授は、﹁ざんごうで固めた”権利章典”﹂という表現を用いている︵奥平康弘﹁カナダの憲法事情i新アメ Ooヨ罰い.刈 這 ︵ 一 ㊤ 刈 Q Q ︶ ” を そ れ ぞ れ 参 照 。 Oo﹃①居団勺属〇三Φヨωoh℃ロ巨一〇いp≦貯Oロ昌”α鋤︵一〇①Q◎︶︶°および∪°甲閃oミ♂5↓げ①〇四昌p山貯昌じd已o︷空σqげ砕9bo一︾日゜旨 ︵2︶ なお、﹁章典﹂の詳しい内容については、国゜︾﹂︶ユ巴σq①が目ゲ①Oきp島雪しU一ロoh空αq巨ω︵ρ国・いp昌咀︵①α・yOo暮Φ日− 下、﹁憲章論文﹂という︶。 ︵≦・ω.目9話o℃o﹃閃同卸○°︾°bu$償α8︵①阜︶”↓げΦOきロ島雪O冨洋卑oh幻就茸ω”巳聞﹃Φo匹oヨの︵δQ。卜。︶︶りU°ω︵なお以 ︵−︶勺゜日雷。mqびq讐>O。日冨蔚。昌。h島Φ9冨島碧O冨答①﹃。臨空mq耳ω釦巳孚Φa°ヨの≦一昏9Φ9富9磐しu崔゜︷菊一ひq算ω 行った時よりも、﹁憲章﹂が成立した現在の方が、より容易に違反立法を駆逐することができるといわねぽならない。 「 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 317 律 叢 318 論 法 法審査権をこれまで行使してきた。その意味では、﹁憲章﹂五二条一項は、以前の慣行を単に明瞭にしたにすぎないともい ︵回︾①O一帥﹁餌けO同団 回βユぴq5PO昌け︶、③行政機関の決定に対する﹁禁止命令﹂︵一邑§。什一。 ︶あるいはその再審査を求める申し立て、 えるであろう。なお、カナダにおける憲法審査は、①勧告的意見を求める﹁照会事件﹂︵幻Φh①鴇①昌OO︵∪帥ωO︶、②﹁宣言的判決 ロセスである。この点については、詳しくは拙稿﹁カナダ法の照会事件︵肉①hΦ﹃Φ口O① O曽ω①︶についてーカナダ司法審査制の ④刑事・民事訴訟における附随的争点の審理という形で行われる。なかでも、﹁照会事件﹂はカナダの憲法裁判の重要なプ 一側面﹂法律論叢四〇巻四・五号三五頁以下参照。 ︵10︶ ︵お胡︶卜oω゜ρ即宅ト゜ ︵11︶ =oαqぴq﹁憲章論文﹂一三頁。 ︵13︶ コ九八二年憲法﹂は、その第二章において、﹁カナダ原住民﹂︵﹀げ〇二σq冒巴勺8豆ΦωohO碧餌畠︶の権利について、注目 ︵12︶ 同右、一五頁。 すべき新たな規定を設けているが、本稿ではこの点の考察は割愛する。なお、この点に関しては、しd°ω訂洋興ざ日ゴΦ国己ロΦ昌 Ooロω二ε二〇Pω卜⊃︾芦900ヨ,劉。。ΦN︵μり鐙︶’および斉藤憲司﹁カナダ憲法を改正する一九八三年の布告﹂外国の立法二 ︵14︶ ﹁憲章﹂二条は、﹁市民的および政治的権利に関する国際規約﹂の一九・一二.二二条の規定を参考にして、作られたも 三巻五号をそれぞれ参照。 ︵15︶ ﹁民主的権利﹂規定の制定は、将来次のごとき問題を、憲法審査の対象にするかも知れない。第一は、連邦および州議会 のである。 人または団体による政党への献金を禁ずる正当な根拠はあるのかどうか、などである。 の議席再配分が、コ人一票︵o昌oヨ鋤P80︿08︶﹂および﹁法の平等保護﹂原則に違反していないかどうか。第二は、個 ︵16︶ ﹁憲章﹂六条一・二項は、﹁国際人権規約B規約﹂の一二条の規定に影響を受けている。 ︵18︶国頃゜写ざO雪鋤島きOo<①﹁昌日①暮p巳剛9昏ωぎ9旨℃9。鑓馨Φ℃Φ﹃ωや①a︿Φ︵卜。昌α゜Φ2一㊤。。昏︶℃ロ,①b。ふω・ ︵17︶ 国oぴqoq讐o㍗9叶二PbδOoり。 ︵19︶ ﹁司法上の権利﹂の詳しい内容と問題点については、∪°ρ嵐oU8巴9い。αq巴力茜耳ω一昌誓①O餌爵9雪O冨詳Φ﹃oh 空αqげ冨餌昌山閃冨。ユoヨω︵一り◎oN︶りを参照。 ︵20︶ ﹁基本的な正義﹂というタームは、﹁自然的正義︵昌鉾ロ冨ニロωけ凶8︶﹂と同意語に解されているようである。 ︵21︶ ﹁憲章﹂から財産権の保障がオミットされた背景には、﹁公共事業のための土地収用、土地利用やゾーニソグ︵No巳づmq︶の 懸念もからんでいたそうである︵森島・リシック﹃前掲﹄一四−一五頁︶。 規制、その他の財産権行使に対する制限などの立法権限に対して、裁判所が、厳しい制約を課すのではないかという﹂州の ︵23︶ 国ooq ゆ q ’ 8 噸 鼻 二 〇 ° b 。 り ゜ 。 ° ︵22︶ 頃oぴq印q﹁憲章論文﹂一九頁。 ︵24︶ ﹁憲章﹂はまた、﹁本憲章は、カナダ人の多元的文化の伝統︵日巳鼠o巳け霞巴げ①二け的σq①︶の保存および高揚と一致するよう ︵25︶ カナダにおける言語権問題に関しては、鈴木敏和﹁カナダにおける言語権の性格﹂立正法学論集一五巻一−四号参照。 に解釈される。﹂︵二七条︶と定め、少数言語および宗教集団を保護することを明らかにしている︵∪笛ざ。O°o一け‘写ω。。O︶。 ︵26︶ この点、﹁章典﹂は、﹁⋮⋮カナダ連邦が、神の至高、人間の尊厳および価値、ならびに自由な人々と自由な諸制度の社会 における家族の地位を承認する諸原則の上に成り立っていることを確認する。⋮⋮﹂と明言している。 ︵27︶ PPしUm旨ざ匿ヨ℃oぎ団p昌αω富ε8蔓ぎ86器冨齢δ昌ロ巳①﹃Oo霧藻三δ昌四ぐ国口茸89巴9舜島きO匿答窪o ︵28︶ =oαqσq﹁憲章論文﹂二一頁。 空αq耳ωo巳周器巴oヨρ80笛昌しu母幻⑦<°卜⊃91まb。︵HΦQo卜⊃︶° 五 おわりに 一八六七年の﹁英領北アメリカ法﹂の制定から一九六〇年の﹁章典﹂の成立に至るまで、カナダ最高裁は、連邦主 最高裁に新しい役割、っまり人権保障問題に正面から取り組むチャンスを与えた。しかし、この段階でも、﹁章典﹂ 則にウェイトを置いた立法管轄権の形式的審査に終始したきらいがあった。一九六〇年の﹁章典﹂の登場は、カナダ 問題﹂について、憲法判断を示した。当時、権利章典が憲法上および法律上なかったことも手伝って、議会主権の原 義と議会主権の相矛盾・対立する原則の間にはさまって、もっぱら立法権限の配分にかかわる問題、いわゆる﹁連邦 一一一一 續ェ二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 319 律 の法制上の制約と相まって、最高裁は、自己の役割を十分に自覚せず、議会主権の原則の尊重に大きく傾斜し、その 結果、﹁章典﹂の存在をほとんど無意味にするかのごとき状態を作り出したのである。一九八二年の新憲法は、かよ うな過去の現実に対する厳しい反省の上に立ち、はじめて権利章典を憲法上導入した。これによって、カナダ最高裁 ﹁連邦問題﹂のアンパイヤーのみならず、”人民の良心”︵8霧。一①コ80h島①℃⑦o℃一Φ︶として、基本権問題にも取り の役割は大きく変わり、人権保障に貢献することが期待されている。つまり、最高裁は、いまやこれまでのように、 ︵1︶ 組むことが強く要請されているのである。にもかかわらず、﹁憲章﹂の具体的内容を検討してみると、最高裁がかよ うな期待に応えるべき憲法的基盤は、必ずしも強固に構築されているわけではない。ここに、カナダ憲法審査制がか かえている一つの大きな問題があるといえよう。具体的にいえば、﹁憲章﹂のめざすカナダ憲法審査制と議会主権の 原則の関係である。 この点に関して、﹁憲章﹂の成立過程をみると、一九八一年四月に終了した上・下両院特別合同委員会と同年= ︵2︶ 月に最終的合意に達した連邦と州との会議の段階において、大きな変化が生じていることがわかる。一九八〇年 一〇月二日に発表された﹁カナダ憲法に関する決議案︵勺8でoω①窪幻①ωoξ二8因Φωb⑦。二口σq島①08ω叶詳耳凶o昌oh Oきβ。9︶﹂を検討するための﹁上・下両院特別合同委員会︵ω噂①。巨冒ぎ梓Oo日ヨ葺①ooh博ゲΦQり①ロ讐Φ⊆。昌亀島Φ 国o口゜。①ohOoヨ日oづω︶﹂の聴聞会において、クレチエン連邦司法大臣は、議会主権の伝統を改める意向を明らかにし ている。これを受けて、﹁憲章﹂五二条一項の最高法規条項が作られたのである。さらに、前記﹁特別合同委員会﹂ の開催中、﹁憲章﹂ 一条は議会主権の原則を保持するかのように起草されているとして、多くのグループが強い批 ︵3︶ 判的意見を表明したところ、連邦政府は、これに応えて、原案から﹁議会政治制度︵⇔O母=⇔ヨΦ耳⇔曙超ω8ヨoh 潤q①旨日①艮︶﹂という言葉を削除した。こうした事実は、将来、裁判所によって、議会主権の原則が前面に持ち出 σq 320 叢一 論 法 一九八二年「カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所一 321 されないようにした努力の直接の現われである、と考えることができる。けれども、連邦政府の憲法改正案に対し、 最高裁に、マニトバ・ニューファンドランド・ケベックの三州が﹁照会事件﹂を持ち込んだのを契機に、事情は一変 した。最高裁が、一九八一年九月、﹁憲章﹂は州の立法権限に影響を与えるものであるとの問題に関し、肯定的な意 ︵4︶ 見を述べたことなどにより、連邦政府は改めて州と憲法交渉に入ったのである。この段階で、連邦は州の同意を得る ため、譲歩を示した。その結果、﹁憲章﹂に大きな根本的変更が生じることになった。これが、﹁憲章﹂三三条の﹁適 用除外条項﹂の成立である。﹁適用除外条項﹂は、州の同意を取り付けるための連邦の譲歩であるにもかかわらず、 ﹁憲章﹂を無視する権限を州のみならず、連邦自身にも与えている。このことは、人権保障の機能を最終的には、従 ︵5︶ 前通り、裁判所よりも議会に託すことを意味しているといえよう。それはまた、﹁憲章﹂がめざした当初の性格に変 化が生じ、カナダ憲法の基本的特徴である議会主権の原則を、従来通り保持することを意味するものである。 かくして、カナダ憲法は、議会主権の原則の枠組みのなかに止まっているといわねぽならない。カナダの憲法体制 に対して、議会主権の原則がもつ影響力を、﹁憲章﹂が希薄にしていないという事実は、人権保護に関する司法の役割 を限界づけることになろう。つまり、カナダ最高裁は、これまで通り、基本権保障政策を決定する最終責任を立法機 関に託すように努め、また、議会の立法行為をコントロールするように、﹁憲章﹂の解釈を行わないであろうという ことである。もしかような予測が的中すれぽ、一九六〇年の﹁章典﹂に対してとった最高裁の判決態度に厳しい批判 ︵6︶ が集中したように、﹁憲章﹂のもとでも、同様の現象が生じるに違いない。﹁憲章﹂は、①市民的自由の保護、②カナ ︵7︶ ダの国家統一の促進、③憲法審査の拡大をめざしていることは、確かである。このいずれの目標達成にも、カナダ最 高裁は重要なかかわりをもっている。議会主権の原則からの離脱を果たさずに、これらの目標を達成しようとするな らぽ、最高裁は、議会主権の原則と﹁憲章﹂の最高法規性の問に、適当なバランスをとらねぽならないであろう。 律 322 叢 論 法 カナダ最高裁がこうした困難な作業をしなけれぽならない羽目に陥った最大の原因は、議会による人権保障をめざ すイギリス型のシステムを一方で採用しながら、他方、権利章典の最高法規性を前提とするアメリカ型の人権保障シ ステムに接近したためである。カナダの憲法構造は、当初から連邦主義と議会主権の対立という問題をかかえていな ︵8︶ がら、いままた、議会主権と権利章典の問題をかかえ込んでいる。いずれにしても、﹁ジブラルタルが大西洋と地中 ︵9︶ 海の間にあるように、人権憲章はカナダ市民と政府の間にある﹂といわれている。かような﹁憲章﹂に、どのような 憲法的価値を与えるかは、最高裁の舵とりいかんにかかっているといえよう。最高裁の憲法審査次第によっては、カ ナダの連邦制に変化が生じるかも知れない。 ︵10︶ ︵1︶ O巴ヨρ8.9け‘切.おQ。° ︵2︶ じd9鴫鼠ω吋団﹁人権論文﹂二五四ー二五九頁。 ︵3︶ 現行﹁憲章﹂一条は、﹁権利および自由に関するカナダ憲章は、自由かつ民主的な社会において、⋮⋮﹂と定めているの っていた︵国゜竃o≦げ言コΦざOP口巴帥曽づα芸ΦOo昌ωけ凶εぼoコ困り刈㊤占OQ。卜⊃︵Hり◎。卜。yO﹂昏卜。︶Q に対し、原案は、﹁権利および自由に関するカナダ憲章は、議会政治制度をもつ自由かつ民主的な社会において、⋮⋮﹂とな ︵4︶菊Φ菊。ω゜ぎ江88>日Φ巳9ΦO。口ω簿註8︵δ゜。μ︶目QD°ρ男゜誤ω゜ ︵5︶ ∪ミρ8°o凶梓二uPωωらーωω伊 なお、﹁憲章﹂に対する州の反対論を整理すると、次の通りである。①人権保護のメカニズ ムとしては、任命人事の裁判官よりも、国民の代表である議会の方がすぐれている。②憲法上保障された人権憲章のもとで は、裁判所は、その解決を民主的なプロセスに委ねるべきである重要な公共政策問題に関し、決定することを必然的に要求 ︵Oロヨ一∪Φ﹃1ω05PΦ︶手続に訴える必要もなく、社会の変化する諸条件に応えることができる。④アメリカの経験は、カナダに されることになる。③立法の方が、抽象的な憲法上の権利宣言よりも、柔軟な手段であり、かつ憲法改正の﹁やっかいな﹂ おける﹁権利の立憲化﹂︵8口巴9二8島器江o昌o断ユmq算ω︶に正当な根拠を与えないことを示唆している。アメリカでは、 権利章典は“うまく作動していない”︵冨ω昌oけ≦o葵Φα竃Φ5。カナダの伝統の方が、個人の諸権利をよりよく保護してい 質化を図ることは、不適切である︵旨しd°冒器賦P↓700p轟α一缶昌08の葺ロユo昌巴勺﹃80ω里ω噂勺鐸げぎい.ω自tωお︵一〇。。同︶°︶。 る。⑤地域的な相違が充満しているために、連邦制度を採用した国家において、全国的な権利の宣言によって、権利保障の均 一九八二年1カナダ人権憲章」とカナダ最高裁判所 323 さらに、﹁憲章﹂に対する一般的な反対論は、次のようにまとめることができよう。①憲法上保障された﹁憲章﹂は、基本 憲法の伝統に、なじまない。③議会至高の原則は、憲法上保障された﹁憲章﹂と共存できない。④裁判所の独立と公正は、 的権利および自由の保障にとっては、幻想的な文書にすぎない。②﹁憲章﹂を憲法上保障する考え方は、カナダの法および ﹁憲章﹂をめぐる訴訟によって、侵される。⑤憲法上の保障を受けた﹁憲章﹂は、基本的権利の種類のなかに、必ず差別を 持ち込む。⑥憲法上保障された﹁憲章﹂の実施は、法形式主義のイデオロギーを強め、かつ法律専門職のパワーを一層高め る。⑦憲法にょる﹁憲章﹂の保障という考え方の基礎には、最小の国家が憲法上望ましいとする政治および経済理論があ ︵O﹁一く鋤梓① OO毛①門︶による侵害を排除することはできない︵即﹀°墨ooユ8巴鼻℃oωけωo﹁一冥9。巳勺﹁巴巳Φ1↓げΦ智ユ゜。b歪α①ロ8 る。⑧憲法上に保障された﹁憲章﹂は、政府による侵害から憲法の保護する基本的自由を擁護するのみで、﹁私的権力﹂ ︵6︶切﹄。<冨帥戸冨三戸↓90き巴尋o冨・§。駒国凶ゆ・募四巳牢①。8日ω冒什冨ω看冨日Φo°舞゜h9津量①一 0h昏①O訂答①さ昏oリロ”°9.目゜幻①︿°ωb。令ω卜。㎝︵60。卜。︶°︶。 ︵7︶戸≦国。σqσqお。藁ぎけ巨巴い畢。柚9雷畠︵・。巳.①匹゜藁o°。。︶も゜°①田ム㎝刈゜ 〇9Pじd9﹃幻①<°ω㎝軽︵一り◎oω︶° ︵8︶ この点、カナダの新憲法体制を、イギリス型とアメリカ型の中間的な存在であると指摘する論老もいる︵ジョンT・セイ ウェル﹁カナダ憲法改正と今後の政治課題﹂明治大学学術国際交流委員会参考資料集九七号一二頁︶。また、長内教授は、 人権保障システムを提供しているのである。L、と述べている︵﹁カナダ連邦制度の新展開︵下︶﹂ジュリスト七九四号八六 コ九八二年人権憲章は、カナダ憲法の非イギリス化を一層明確にすると同時に、アメリカ型とは異なった、カナダ独特の ︵9︶牢ざ8 ° 簿 ‘ p ° 。 伊 頁︶。 ︵10︶ い器匹P8°o凶けこ戸ω課゜なお、﹁憲章﹂誕生後の一年間における州最高裁の判決状況については、S即ζ餌oqづ①け.Oo房亭 窪梓δ昌巴ピ鎖毛o鴎O餌爵魯︵目㊤ooω︶矯暑゜①紹1①韻嚇を参照。