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ついに来た来た ホンジュラス!(15)

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ついに来た来た ホンジュラス!(15)
- 15 の 1 -
ついに来た来た
ホンジュラス!(15)
3月7日
〈やった!結婚式〉
私くらいの年頃の夢見る少女だと「結婚式」や「結婚」というのは、ちょっとした憧れだったりす
る・・・人もいる。世の中にはびこった「恋愛信仰」と「恋愛教」に洗脳されている私にとって、現
実を知らないふりをしながら、無邪気にパステルカラーの淡い世界を夢見て甘い気持ちになったり、
そこは現実逃避の丁度いい空想スペースだったりする。
そんな「恋愛教」信者のアホな私だから、
「ミヨ、妹が今度結婚するんだよ。結婚式に行こう!」と、
うちのママに誘われたときから、「ここの結婚式はどんなんだろう?」と、私は浮き足立っていた。
うちの一族の一人、うちのママの16人兄弟のうちの一人が結婚するのだ。彼女は24歳。彼は2
8歳。早婚が一般的なホンジュラスの中では、それなりの年齢だそうだ。付き合っている時から、彼
はずっとうちの一族と一緒に住んでいたし、とても愛し合ってる風な様子と仕草だったので、彼らは
夫婦なのだとてっきり私は思っていた。人の目の前で幸せモードになってくれる二人というのも、一
族全体の平和のためにはいいことかもなぁ、なんて思ていた。
普段から、「うちの一族はソナゲラ一のお金持ちだ」と豪語しているにふさわしい、この結婚式はホ
ンジュラスのそれとしては、かなり費用がかかってそうな規模だった。しかも式は、ソナゲラではな
くラ・セイバで行った。出席者は全員ソナゲラの人なのに、わざわざ「都会」のラ・セイバで行うと
いうところにも、力の入れようが感じられる。
彼が彼女に婚約指輪を贈るときから、
「ミヨ、来て!写真撮って!」と、わざわざ声をかけてもらい、
「ミヨ、結婚式には、必ずカメラを持っていってね。写真撮ってね。たくさん撮ってね。」と、ありが
たく何度も念を押してくれる。私はお抱えカメラマンではないが、こうなったら「よし、密着取材し
よう!」と決めていた。
- 15 の 2 -
結婚式が近づくと、当日用の背中は腰まで大きく開いたセクシードレスを、何回も着たり脱いだり
してみて、まるで自分が結婚するかのように楽しそうな、なんともかわいいうちのママだった。
式の前日、「明日は何時に家を出るの?
結婚式は何時からなの?」とママに聞くと「まだ決まって
ない。明日、結婚式なのは間違いない。」とのこと。いつもながら、なんつーいい加減な・・・と思い
ながら、私は密着取材用に普通のカメラ、デジカメ、ビデオカメラのバッテリーやメモリーを確認す
る。
ラ・セイバへ出発まで
の部
結婚式当日、2月15日もいつもと変わらず、朝から雲一つない快晴。まぶしい太陽がさんさんと
照りつける熱帯のごく普通の朝だった。
しかし、ごく普通でないのは一族のおしゃれの「力」の入れよう。ダンスバー以上に張り切ってい
た。
午前中は美容師さんっぽい人が来て、女性達の髪の毛をセットしていた。ハードジェルのような物
を髪の毛全体につけ、それから力を込めてを束ね上げる。一人にかかる時間は約15分。うちの一族
のお手伝いさんを除く女性全員、10人くらいがしてもらっていた。
料金は全部で100レンピ。2時間半仕事だから時給30レンピになる。日本円にして約200円。
この美容師さんと同じ、30代のホンジュラス教員の月給が、約2500レンピくらいだから、これ
は結構高い金額だよなと思う。
うちの一族はかなり女性の強い家系だな、と前々から思っていたが、今回の結婚式でそれをより強
く感じた。一族ののおじいさんとおばあさんだと、見ているとおばあさんの方が5倍よくしゃべり、
おばあさんの欲求の方が10倍よく通っている。この結婚式のカップルも、まさにそうだった。花嫁
の方は、朝から大きな声で止まることなくしゃべっているが、新郎の方は一言二言しかしゃべらない。
- 15 の 3 一族の他の一組の夫婦も全く同じだ。これは、うちだけのことなのだろうか?
傾向なのだろうか?
ホンジュラスがその
それとも、このレディファースト社会で、男性は女性を思うままにさせている
フリをしているだけ、なのだろうか?
髪の毛セットアップが完成した後、一族は数台の車に便乗して出発した。今朝、「9時頃に出発する
よ。」と聞いていたのに、結局出発したのは午後4時前。太陽は昼間の勢いをなくし、少し赤みを帯び
た光を放っている頃だった。
しかし、うちにいくら3台のピックアップ車があるとはいえ、全員は乗れない。車の荷台部分にも
何人か乗るが、まだ足りない。そのうちに、この「ラ・セイバ行き豪華結婚式ご一同様」用に、警察
の車も用意されたから驚いた。しかも迷彩服の警官がライフルを脇に運転してくれる。ここソナゲラ
の市長は、うちのママと腹違いの兄弟だ。そんな関係か、たびたびこういうことを目にする。公私混
同も、ここまではなはだしいとおもしろい。
用意ができた車から出発。しかし、またそのスピードがすごい。よく考えてみると、この長時間、
バスではなく、身近なホンジュラス人の運転する車に乗るのは初めてだ。運転席のメーターをのぞい
てみた。針は軽く110キロを超えている。乗っている家族達も、車のどこかにしっかりとつかまっ
ている。そうしないと、転がされて体勢が保てない。
先がカーブなのに、平気で対向車線側(センターラインがあるわけではないので、だいたい)を走
ったり、先が見えないというのにバスを追い越したり相変わらずだ。バスの無謀運転はだいぶん慣れ
たが、一般車とはまた感覚が違うようで、久しぶりにハラハラした。私は、死にたくないと思いなが
らながら乗っている状態のこの車なのに、なおも、これを追い越していく車が何台もある。もうこの
感覚と速度は、ここの「平均」なのだろう。前を見ていると寿命が縮まるので、もう見ないことにし
た。
ラ・セイバでの準備の
部
ラ・セイバまではバスだと1時間半だが、このうちの車は、1時間ちょっとで到着した。
- 15 の 4 -
ラ・セイバのどこに着いたのかと思っていると、ある一軒の家。「ミヨ、ここもうちの家だよ。きれ
いでしょ!」と言われる。なんとそこもうちの一族所有の家。「セイバには、他にも2軒の家を持って
いるんだ。それで人に貸しているんだよ。」と、誇らしげに教えてくれた。
女性達はまたどこかへ出かけた 。「専門の人に、化粧をしてもらう 。」らしい。彼女たちはおしゃれ
に余念がない。一体どんなになって帰ってくるのか楽しみだった。
しばらくして、想像通りバッチリ化粧で帰ってきた女性達、さっそく「ミヨ、写真撮って。撮って。」
と大はしゃぎ。見ているこちらの方が楽しくなるほどだった。
「ミヨ、ビデオ撮って、ビデオ、ビデオ!」と呼ばれるので行ってみると、なんとそこで花嫁さん
が着替えている。銭湯ではあるまいのに、上から下まで一糸まとわぬ姿で着替えている・・・。しか
も「え!?今撮るの!?」と私は驚いた。「そうよ。彼女がウェディングドレスに着替えるのよ。すて
きでしょ!今撮らなきゃ着替え終わってしまうでしょ」花嫁も、目のやり場に困るようなその格好の
まま「ミヨ、早く撮って撮って」と急きたてる。・・・でも今撮ったら・・・、これは何ビデオという
のだろう・・・!?
このビデオに、気の利いた名前でもつければいい値段で・・・というのは冗談
だが、遠慮と性の価値観の違いはこういうところにも表れるのか、と大変驚いた。
大胆着替えは彼女に限らない。一族の他の人が着替えるのも、はなはだすごい。隠さないのだ。ド
キドキするようなTバックにも堂々とお目にかかれる。しかもドアは開けたまま、ドアの外に男性が
いても特に気にしない。大胆セクシー着替えが行われているとき、物を取りに男性が入ってきても、
彼女たちは取り立てて戸惑うこともない。
一族の知り尽くした間柄で、「今さら隠すこともないじゃないか」という感覚なのだろうか。でも私
はやっぱり、親しき仲にもなんとやらでありたいと思う。彼らは基本的に「性」に関してオープンな
んだから、こういったことも起こるのだろう。私のようにいちいち驚いていても仕方がない。しかし、
それぞれの国や民族には、その環境に影響を受けて独特の習慣と感覚がある。「国際化」というボーダ
レス化時代だからこそ、それらの感覚までもボーダレス化してはいけない、失ってはいけないものだ
と思う。
- 15 の 5 -
わたしがここで驚いたいろいろな感覚、これをまだ「驚ける感覚」のまま日本に持って帰りたい。
大胆セクシー着替えも、オープンな恋人感覚も、異様なほどの抱き合いダンスも、信じられないほど
の自己中自己主張の激しさも、バスの窓からの平気ゴミ捨ても・・・「当たり前」なのではなく、この
「え!?」と思う感覚は忘れたくない。これをなくしたら、日本へ帰るための切符をなくしたのと同
じ事だと思う。
もちろん、ここには今の日本がなくした良さもある。家族内外にかかわらず年齢別上下関係や、年
長者を敬う風潮などがそうだ。そういったものは学びたいと思う。
なんだか、国際協力などといういかにも今風?のようなことをさせて頂きながら、次第に保守的に
なっていっている私がいる。
などど考えている間にみんなそれぞれのドレスに身を包み、出発用意が完了した。もう夕方薄暗く
なっているが、この結婚式きらびやか集団は目立つ。私たちが車に便乗していると、近所の人たちが
みんな出てきて、こちらをじっと眺めていた。
彼らの「宗教観」とは、どれほどのモノ?
ふと、うちのおじいさんが私に近寄ってきて「ミヨ。これから教会へ行くんだが、ミヨは大丈夫か?」
と心配そうに聞く 。「ん?
何のことだろ?」と私が首を傾げると 、「ミヨは仏教徒だろ。教会へ入っ
てもいいのかい?」と神妙なことを言う。ああ、彼が言いたいことが分かった私は「ありがとう。全
然問題ないよ。大丈夫。」と異常に明るく答えておいた。彼は不思議そうな、それでも納得したような
顔をしていた。
ここの人たちは、大多数がカトリックかプロテスタント系のキリスト教徒だ。しかし、全てではな
い。密着している人もいれば、いつもは全く宗教的な事はしていないのに、困ったときにはおかしい
と思うくらい「神よ。神よ。」といってお祈りをする人もいる。しかし大多数の日本人よりも、宗教に
・
・
・
・
・
密着して生活している人が多いことは表面的には、確かかもしれない。
- 15 の 6 -
ちなみに私は、ここでは仏教徒ということになっている。本当に私が仏教徒なのかかどうかは、自
分でも疑わしい。しかし、ここで「ミヨの宗教は何だ?」と聞かれて 、「いや、私は無宗教だ 。」など
とは決して答えてはいけない。
「自分を信じてます。」なんて言っても、彼らには通じない。ここでは、
無宗教=倫理観・道徳観がない、つまりはその辺を歩いているニワトリや豚や犬と同じ、ということ
になってしまう。
だから宗教を聞かれると、ややこしいことを説明する前に、郷にいるんだから郷に従っておこうと
いうことで、私は仏教徒と通している。それだからうちのおじいさんは、ミヨは他宗教の門をくぐっ
てもいいのかな?
と、心暖かい心配をしてくれたのだ。おじいさんには言えないが、ニセ仏教徒の
私には、当然何の問題もない。
それどころか私は毎週日曜日の朝、ソナゲラの教会へミサに行っている。その教会はカトリックだ
が、そのミサへ行くのは、私にとって宗教がどうこうというのではない。それはスペイン語上達のた
めとに、というこが一つ。それと毎週一日だけ決まった日に地域の人と顔を合わせる、そして同じ目
的のために同じ事について考えて話を聞く。それは地域のコミニュティーの一人として、大切なこと
のように思うからだ。
教会で会った人たちは、みんな親愛的で慈愛に満ちた、まるで神のような(なんて、私は神たるも
のが何か分かってませんが)状態になっている。普段、耳を疑うような悪口を人に浴びせている人も、
良心がとがめないのかと思うくらい、自己中心的自己主張をしている人も、教会では全く別人だから
不思議だ。日本でいうなら、初詣に行って神前で手を合わすときのような、そんな純粋な状態になっ
ている。週に一度、そんな気持ちになるのも悪くないのかなと思う。
しかし、この日曜日のミサ、ソナゲラ人が全員行っているわけではない。ちなみにうちのママや子
供達など家族は誰も行っていない。彼女たちは自分たちでは「キリスト教徒だ。」とは言うが、お祈り
をするわけではなく、聖書を読むわけでもなく、日曜のミサに行くわけでもない。私のニセ仏教徒と
同じ、とまではいかなくてもエセキリスト教徒ぐらい、ではないかと思う。そんなことは彼らには言
えないが、必ずしも国民全てが、信心深いキリスト教徒とは思えない。平均すると、日本人よりは宗
教と密着している人は確かに多いと思う。しかし無宗教者であることを、彼らが異様なことのように
- 15 の 7 言うのは変だと思う。彼らの生活を見ていると、自称無宗教者日本人となんら変わらない、宗教と無
縁な生活をしている人はかなり多い。
ミサに行かないうちの一族の残りの人は、それぞれ宗派が違う。前述のプロテスタントとカトリッ
クだけではなく、日本にもあるエホバやエヴァンヘリコなど、多種多様だ。親子でも宗派が違ってい
ることも珍しくない。日本だと家の中で、誰かが宗旨を変えるなんていったら面倒なことになるが、
ここではそれほど大層なことでもないらしい。
日本人が宗教を持たないのではなく、自分が一体仏教徒なのか百八万の神の神道なのか分からない
から明確に言わないとい、とうことではないのか。「日本は死者の国」などと外国人にまで言われたよ
うに、人間を超越する何かに畏怖の念を抱いて生きている日本人は多いはず。そう思うと、自称キリ
スト教徒と軽々しくいう彼らの一部よりも、自称無宗教という日本人の方が、生についてより慎重で
思慮深い行動をしているのではないかと思う。しかし、彼らの中には心底信心していて、宗教と密接
に関わっている人と、そうではない人との差が激しいということもあるかもしれない。でも、それを
言うなら日本でもそれと同じ差はあると思うが。
わきあいあいの「式」
結婚式は教会で行われた。しかし、この日のために特別に用意された形式上の教会ではなかった。
ここでは毎週土曜日のこの時間に、お祈りが行われている。そのお祈りの会?に、新郎新婦が便乗さ
せてももらうといった感じだった。だから、この教会に来ている人たち、私たち一族以外の他8割は、
一般の人。おそらく、今日の結婚式をする人の名前さえ知らない人たちだ。いかにも生活に密着した
結婚式、という感じ。
日本で私が出席させてもらった教会での結婚式と、比較しながら私は興味津々だった。日本では、
当事者以外踏んじゃいけないと言われた、赤いじゅうたんのバージンロードだが、ここにはそのじゅ
うたんはなく、ごく普通にみんな踏んでいる通路だった。
花嫁は父親の腕に手を添えて、バージンロードを入場してくる。その先では、花婿が彼女を待って
いて、彼の前で父親は娘を手渡す。そこのところは、日本と全く同じだ。しかし、全く違っていると
- 15 の 8 も言える。日本だとその入場前には、閉まった扉の向こうに彼らはスタンバイしていて、観客が扉に
注目してその入場に期待を膨らませている。扉が開くと観客は一斉に注目と拍手で、父と花嫁を迎え、
その間、雰囲気が盛り上がる音楽が流れる。しかし、ここにはこういった演出や雰囲気は全くなかっ
た。まだ私たちが席に着いていない間、まだ「席はどこが空いている?」とか、「ここはダメだ」とか
バタバタしている間に、主役は入場し始め、他の人々も思い思いに聖書を読んでいたり、席を立った
り座ったりザワザワしていた。傍目で見ている間に入場は終わり、いつの間にか花婿と花嫁は祭壇の
横に座っていた。
しかし、この一種、緊張と厳粛さに欠ける式の雰
囲気はこの一時ではなく、式の間中、同じような感
じだった。結婚指輪の交換、そして牧師の「健やか
なるときも、病めるときもあなたは妻を愛し云々・
・・これを誓いますか?」新郎「はい誓います。」の
ワンシーン、これらは日本と同じ。(日本と同じとい
うより、日本が真似したのでしょうが)式の中で新
郎が新婦に、軽くキスをする日本でのお定まりのシ
ーン、但しこれはここではどれに当たるのか、あまりにもキスシーンが多くて、どれがそれに当たる
のかよく分からなかった。
そしてこの一連の式の間中、厳粛ムードがないところが、決定的に日本の神前式と違う。もちろん、
リハーサルをするわけでもないので、新郎は牧師から示された聖書を見ながら「え?どこ読むんだ?」
「え?違った?」なんて聞いている。緊張感はないが、リラックスしていて主役も楽そうだなぁと思
った。いかにもホンジュラスらしい、「わきあいあい」とした「儀式」だった。思わず、最近日本で、
流行つつある「わきあいあい成人式」と「わきあいあい卒業式」を連想してしまった。
わきあいあい
和気藹々としている上に、感情を隠さない彼らだから、新郎新婦の愛し合いムードがそのまま伝わ
ってくる。見ている私の方にも、ホカホカと夢を与えてくれているようで、悪くはない。参加者も同
じ次元で楽しめる方法でもあるのかと思った。
最後に長い虫取り編みのような物を持った人が、椅子の間をまわる。これは、「お気持ちを入れてく
ださい。」の意味なのだが、日曜日のミサと同じだ。しかし、いつも思うが、みんな多く入れても5レ
- 15 の 9 ンピくらい。神社のお賽銭と同じで、多額は入れない。松山の椿神社では椿祭りの時、大きな賽銭箱
に福沢諭吉が入っていることも珍しくなくて、私のような小市民は驚くのだが、まだここではそれは
見たことがない。また日本で宗教法人は、パチンコ産業、医療法人と並んで脱税三羽がらすと数えら
れるが、この国ではその辺りはどうなんだろう?
と興味がある。ここには日本のように檀家制度も
ないようだし、教会関係の収入源、運営源、そしてその先は、やはり「善意の寄付」だけなのだろう
か?
ホテルでの、これがいわゆる披露宴
ここまであるとは、本当に私は驚いた。しかも今回使ったホテルは、ラ・セイバで一番の高級ホテ
ル。私たち隊員でも「任期中、1回くらいはここに泊まって、ゆっくりとお湯シャワーを浴びたいよ
ね。」なんていうくらい、また日本から来た視察団がそのホテルに泊まったとか聞いて 、「さすが!」
と隊員レベルではビックリするくらいの、高級ホテルなのだ。しかし初めて中に入って思ったのだが、
いくら一番とはいっても、ここはやっぱりホンジュラス。私たち隊員はお湯シャワーが出ることで喜
んでいるぐらいだから、比較対照が違う。やはり日本のレベルはすごい。
披露宴まで呼んでもらったのでは、タダでは悪い。その辺りを聞いてみると、ところがここでは参
加者は何もお金は出さないとのこと。披露宴費用は全て新郎が受け持つ習慣らしい。
食事はバイキング形式で、プラスティックのお皿を持って自分で取りに行く。後方のテーブルには、
肉、サラダ、油で炒めたお米、マッシュポテト、パンの全部で5種類の料理が盛られている。飲み物
は、ふたテーブルに1本のワインと、ペプシコーラなどの炭酸飲料が3種類用意されている。この料
理なら飲み物も含めて一人分は、大体80レンピくらいだろう。ここがホテルという場所代も含めて、
一人100レンピと、ざっと予想してみる。今日の出席者を数えると、約120人だから、単純計算
でも食事代だけでなんと、12000レンピはかかっている。私の家賃が3食込みで2000レンピ
だから、その6倍だ。それが全部新郎もちだとは!!
大層な習慣だなぁと思った。しかも、これと
は別に日本でいうところの、新郎が払う「結納金」というのもあるらしいから、よけいに驚いた。い
ったい彼は何の仕事をしているのだろう?
てやめた。
と思ったが、それを聞くのはいかにもいやらしいと思っ
- 15 の 10 後日、このシステムのことを、その旦那にそっと聞いてみた。すると「そうなんだよ。すごい出費
なんだ。だから結婚指輪は一番安いのにしたのさ。」なんて、彼は話してくれた。
しかし、ひとことで「披露宴」とはいっても、日本のそれとは大きく違う。司会者がいるわけでも
なければ、スピーチがあったり余興があったりするわけでもない。もちろん新婦は、衣装替えもしな
い。音楽は流れるが、音量テストをしながら流すので、音はとんでもなく大きかったり小さかったり
する。機械操作をしている人の好みで選曲しているのかと思うくらい、みんなが曲にのって気持ちよ
く踊っているというのに、突然曲を止めて他の曲に変えたり、彼がトイレに行っている間、音楽を止
めていたり、好き勝手にやっていた。
しかし、日本と同じような、手順?もあった。ウエディングケーキ入刀、各テーブルへのキャンド
ルサービス、花嫁によるブーケトス。しかしいずれも、司会者がいるわけでもないので、誰も見てな
い聞いてない中でも平然と行われる。各テーブルはそれぞれの話題で盛り上がっていて、一方ではテ
ーブルを立って、ダンスを踊っているところもある。しかし、ふと気がつけばその片隅で、新郎新婦
がケーキ入刀をしていたいりするのだ。
全く縛られない、自由な、いかにもホンジュラスらしい結婚式であり披露宴だった。サッカー観戦
のときに私が感じたのと同じ、参加者の興味は一つに集まっていない、それぞれ個人やグループが好
きなように楽しんでいる。一定の決まりやルールがあって、個人が自分の欲求を抑え、またその欲求
を全体が共有できるものに変えて表すという楽しみ方とは違う。
「今日は彼らの結婚式。彼らをお祝いしよう。今日の主人公は彼ら」という気持ちがあれば、今盛
り上がる話題があっても、音楽に体がのってきて自然にダンスをしたくなっても、「今は彼らに注目し
ていよう。」と、自分の欲求を抑えるのではないだろうか。しかし、ここにはそうった縛られたものは
なく、価値観の基準は「好きなときに、好きなことを、好きなだけ」、ここでは我慢は美徳ではなかっ
たのだった。算数の講習会で感じたことも同じだった。
彼らは自己主張は強いが、それを認める土壌が彼らなりにある。だから上手く社会がまわるのだろ
う。彼らなりの方法で、結婚式をお祝いし、自分たちも楽しむ。それでみんなが満足なら十分だ。
- 15 の 11 -
この一連の手順?の中で、日本にはないおもしろいことがあった。それは新婦によるブーケトスの
後、新郎による「リーガトス」というものだ。リーガは、水色のレースとゴムでできた輪になていて、
今朝からずっと新婦の右太股に付けられていたものだ。
ブーケトスの後、新婦は椅子に座り、その前に新郎かひざまづく。そして、新婦のウエディングド
レスの裾を彼女の太股きわどいところまでめくり上げる。「・・・!?」いつもながら、またいったい
何が始まるのかと、私はワクワク・・・いや違った、ハラハラして目を見張った。近くの観客も声援
を送る中、彼は新婦の脚に顔を埋める。彼女の太股についているリーガを口でくわえ、そして手を使
わずにそのまま口で彼女の足先まで持っていき、脱がせるいや、はずす。ドキドキするほど、エロチ
ックな一場面だった。
そして、今度はそれを独身男性が集まって、ブーケとスト同
じ要領で争って受け取るのだ。
このブーケトスでは、日本で私は過去3回もブーケを受け取
ったことがある。しかし未だに結婚してないところをみると、
このブーケトスも単なる出しゃばりな私が証明されたってことか、なんて思う。しかし、「ブーケトス
も写真撮って」と頼まれていたので、今回の参加は遠慮しておいた。ブーケを受け取れたら、それを
遠慮して表現する必要のない、遠慮は美徳ではない文化の彼女たちだから、分かりやすいほどやる気
満々だ。独身女性だけではなく、独身子持ちの女性達もたくさ
ん参加した。
「日本にはブーケトスはあるけど、リーガトスはないよ 。」
と私が話すと、彼らは「それはおもしろくないなぁ。日本でも
リーガトスをしよう!しよう!」と楽しそうに勧めてくれる。
しかし日本だと、独身女性達とのブーケトスは成立するだろう。
いや、実際成立している。しかし、独身男性たちによるリーガ
トス、つまりは「早く結婚したい男性、集まれー!」と叫んで、結婚願望男性に集まってもらう、「誰
が一番早く結婚できるでしょう」ゲーム。そんなゲームに、日本男士たるものはこぞって参加するだ
- 15 の 12 ろうか?
この国だから成立する、男性達による「結婚の夢トス」なんだろうと思う。・・・いや、もし
かして日本はもう、私が思うよりも変わっているのかな?
自己主張と写真好きが重なると・・・
「ミヨ、写真撮って!
私だけを!
私のために!」
このセリフ、いつも一族に何十回言われていることか。しかしこの式の間、また披露宴の間はいつも
にも増して、何百回言われたことか。
なんとこの結婚式と披露宴には、専門のカメラ屋さんが雇われていて、カメラやビデオの方は彼が
ひっついてバッチリ撮ってまわっている。だから私に頼まなくても心配ないだろうに、と思うが、も
っと写真が欲しいのだろう。また彼らは冗談ではなく、まして悪気があって言っているのではない。
普通の、当たり前の感覚で言っているのだ。
しかも「写真撮って」だけならまだしも、「私だけを撮って!私一人で撮って!!他の人は入れない
で!!!」と。またその上「私のために!!!!」と、胸を張って両手を大きく広げて、このセリフ
を主張するからその威力はすごい。普通の日本人の感覚なら、これほどのパフォーマンスと自己主張
はできないだろう。
しかも彼らは、フラシュがないと写真を撮ったとは理解してくれないのがつらい。デジカメだと、
「ほ
ら、ちゃんと撮ってるでしょ」と見せられるが、フィルムカメラはそうはいかない。私がフィルム残
数を示す数字を見せながら、「ほら、撮ったら残り数が減るよ。」と言っても、「数字」などの活字を読
む習慣がない彼らは、それをよく分かってくれない。
たまに数字を読んでくれる人でも「ほう!
日本のカメラはスペイン語の数字を使っているのか!」
と驚いていたりするので「いや、数字は共通なんだよ。」と説明すると、「冗談だろ。」なんて言って目
を丸くしている。
今まで、この説明にどれほど苦労したことか。写真くらいで喜んでくれるのなら、お安い御用だと
は思うが、それが毎日になると、いい加減疲れてくる。しかも喜んでいるのかどうか、「ありがとう」
- 15 の 13 も一言も言われない。まぁスーパーの店員も「ありがとうございました」を言わないんだから、仕方
ないかとは思うが。最近では、安易にカメラを見せた私が悪かったのだと思うしかない。
一族の女性陣は、特にこのセリフとパフォーマンスが大好きで、普段から「強い」彼女たちが、こ
の勢いにのられると、私にはますます強く見える。ところが、ソナゲラ市長もこのセリフが大好きだ。
「ミヨ、写真撮ってくれ!俺だけを!!」と嬉しそうにバタバタと叫ぶ。「市長たる者が、そんな軽薄
でいいものか?」と、私は真っすぐに彼の目を見つめてみる。しかし、彼の目からそんなことには、
少しも負い目の様子は感じない。無邪気とさえ思ってしまう。自己主張こそが美徳という、私にはど
うも理解しがたいことの一つだ。
ダンス・だんす・ダンス
宴もたけなわを過ぎた頃、出席者は自由に帰っていき、残りの人たち、一族と私は踊りに踊った。
私が踊っていても、あのお決まりのセリフ「ミヨ、写真撮って!」は、かまうことなく飛んでくるの
で、適当にあしらうことを覚えながら、私もダンスを楽しんだ。うちの一族の女性達は、今日は夕方
からヒールの高いサンダルを履いている。足が痛かったのか、サンダルも脱いで踊っていた。なんと
花嫁まで、白いヒール靴を脱ぎ捨てて踊っていた。私も同じくサンダルを脱ぎ捨て、裸足になって加
わった。足も心も解放されたようで、とても楽しかった。
いつの頃か、うちのママが「もう帰ろう」と、踊り狂っている私の腕を引っ張る。ハッと時計を見
ると、夜中の2時過ぎ。始まったのがそもそも遅かったのだが、もうこんな時間になっていたとはビ
ックリだ。一族はサッと帰る体勢になって、ホテルの階段をサンダルを持ったまま、裸足で駆け下り
た。さすがに帰りは行きのように、もう警察の車はチャーターできない。一族の車、数台にぎゅうぎ
ゅう詰めになって乗って、ソナゲラへの真っ暗な道を急いだ。運転手は、今日の主役の一人、新郎だ
った。
披露宴といっても、お酒類はほとんど出ない。だからみんな、眠気以外はしらふだった。いつも思
うが、こういったパーティや食事会などでも、彼らはほとんどお酒を飲まない。日本人飲酒傾向から
すすると、ビックリするくらい飲まない。彼らの意識には「飲酒は悪」というイメージがあり、それ
は私には異様に感じるほど強い。煙草に関してのタブー感は、もっと強い。特に女性に対するその感
- 15 の 14 じ方はもっと厳しく、「女性が、ビールを飲みながら煙草を吸っていた」なんていうのを見られると、
ここではもう人間じゃないような、ひどい言われ方をする。私はなさけないほどの下戸で、お酒もダ
メだし、喫煙の習慣もない。ここではこの体質で、思いがけなく助かっていると思う。その他のこと
は、驚くくらいいい加減な彼らなのに、どうしてそんなにお酒と煙草には敏感に警戒するのか、私に
はそのギャップが不思議なくらいだ。
ソナゲラに着いたのは、朝の4時前。早起きのニワトリが、ちらほら鳴き始めている頃だった。
しかし、楽しく興味深い結婚式だった。うちのママにお礼を言い、子どもたちともおやすみのキス
をして、私はベッドに横になった。体中が汗くさくて、じどじどしている。今日(いや、もう昨日だ)
も暑い一日だったうえに、よく踊ったからだ。汗くさくても、体が満足している。はき慣れないヒー
ルで、足に靴ずれもできて痛いが、それさえも不思議に嫌じゃない。結婚式に、家族として私を参加
させてくれた一族に、純粋な気持ちで感謝したい。
〈スペインは、この国への責任をしっかり自覚しろ!〉
結婚式、クリスマス行事とその他、ここで彼らと過ごしてきて、私なりにいつもの疑問に一つ、考
えがまとまったような気がする。ホンジュラスならではの伝統的な習慣、文化は今はどうなった?
という疑問だ。どこまでが伝統かというとそれも疑問だが、ホンジュラスの伝統文化・習慣といえば、
本来ならばマヤ文化を受け継いだものになるのだろう。しかし、今の彼らの生活には、それはほとん
ど見られない。
マヤの文明や習慣は、300年間にわたるスペインの支配の中で、ほとんど消滅してしまっている。
民族もスペイン系白人と、先住民族の混血であるメスティーソが人口の約90%を占め、マヤ系レ
ンカ族などの先住民族は、統計上は4%しかない。
言語も、イギリスやフランスなどの植民地支配が進んだアフリカでは、英語やフランス語が使われ
ているが、それは公用語としてだけで、一般住民はまだまだ残っている現地語や現地部族語を、広く
- 15 の 15 使っている。しかし、ここは従来の部族語というのはほとんど消滅し、植民地支配国のスペイン語が
一般言語になっている。自分たちの言語を失うというのは、文化にとってかなり大きな痛手だと思う。
食事に関しては一般的に主食にされ、毎日ごく当たり前に食べられているトルティージャ、これこ
そは、ここの伝統的な料理だと私は思っていた。しかし実は、これさえもスペイン料理のトルティー
ジャからきている。
基本的な住居の考え方も、ヨーロッパ調に偏っている。サンペやラセイバなどの政府関係の建物に
入ってみると、重厚な石造りの建物、アーチ型の装飾と、ギリシャ神殿を思わせるような柱、そして
必ず中庭と噴水がある。これらはどう見てもマヤ建築の影響というよりは、ヨーロッパ建築の影響だ
と思う。
ダンスバーのことも、ある人は「ホンジュラスの伝統文化だ」などと言って誘ってくれるが、そん
なものはここの伝統でもなんでもない。セクシードレスと香水、近代的な方法の化粧、グラミー賞や
レコード大賞で上位につらねるような現代的なリズムと音楽、それらのどこが伝統だったりするもの
か。
衣食住や習慣に関して、スペインやヨーロッパは影響をあたえているどころか、そのままそっくり
移されている。もちろん文化や習慣は、周辺各国の影響を受けて現代に受け継がれるものだとは思う
し、日本でも古来から中国の影響を大きく受けている。しかし、ここの文化、習慣は影響といった、
生やさしいものではない。
小学生用国定教科書の社会科に「私たちの祖先は、スペイン侵略前は独自の文化を持って、自然と
共に生きていた。」1年生の教科書にも「∼しかしスペイン人が来てから、文化が変わった。レンピー
ラは村と領土を守るために勇敢に戦ったが、スペイン人に騙されて殺された。」と書かれている。いか
にも抗西感情が生まれそうな表現がされているが、彼らにスペインのイメージを聞いてみると、決し
て嫌ってはいないことが分かる。
そもそもメスティーソである彼らは、血の半分は先住民族だが、後半分はスペイン人なのだから、
自分の祖先であもあるスペインを嫌うわけがないのだろう。それどころか、今の彼らは自分たちの先
住民族やインディヘナの伝統的な文化の方を、軽蔑しているところがある。この植民地支配の中で、
スペインはすっかり彼らの心も奪ってしまった。
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スペインは、原住民にとっては目新しい最新の技術や機械を持ち込んだ。『パパラギ』という本の中
に、初めて文明を見たサモア島の酋長の演説が、載っていたことを思い出す。「ヨーロッパ、白人たち
のもたらす言葉や物は大変甘い。だがそこには、先住民族のごく日常の光と喜びを殺してしまう槍と
毒が隠されている。弱く迷い多い人間は、覚めていなければそれらに惑わされる。」というようなこと
が、書かれてあったと思う。その指摘の通り、植民地支配の中で、彼らは否応なしにか、それとも故
意にか、伝統を捨てヨーロッパのスペイン文化、習慣に染まっていった。またそれと同時に、植民主
義と結託した伝道活動によって、キリスト教が広まり、彼らの心を根本から変えてしまった。
先住民族の文化、習慣、風習、そして彼らの伝統的な考え方、これらを奪い、すっかり変えてしま
ったスペインの罪は、はなはだしく重いと思う。これらはいわば民族の魂ともいえるもの。魂を抜か
れてしまっては、もはや彼らは支配者のコピーロボットでしかない。
そして前回のホンジュラス便りで書かせてもらったように、彼らは今、アメリカっぽい物、アメリ
カ風な流行に惹かれている。自国の伝統のにおいがする物を嫌う、彼らの今の傾向は、悲しくもあり
危険なことだなぁと私は思う。この傾向は、若い人ほど強い。
日本も今、「文化の輸入超過」や、外来語、カタカナ語の乱用などの状態が言われている。将来の日
本人の魂が、ホンジュラス人の今の状態でないことを祈りたい。
日本の江戸時代は200年以上にわたって、大きな戦乱のない平和な時代だった。これは世界史上
でも、他に例のないほど奇跡的な平和の時代(ミラクル・ピース)だといわれている。日本ではその
時代に、多くの文化が花咲いたわけだが、スペインの支配はこのミラクル・ピース以上の300年と
いう長期間に渡っていた。そう考えると、彼らの魂が根こそぎ変えられることもやむを得ないのかも
しれない。植民地支配とは恐ろしいものだと思う。
しかし、日本でも明治維新の開国時などは、領土が租借されたり、植民地化されたりする可能性は
いくらでもあった。似た危険(全然似てないかもしれないけど)にさらされながら、今のホンジュラ
スと、今の日本の根元を大きく分けたものは何だったのか?
日本は、それらの危機をきわどいとこ
ろで守り抜き、流血の惨なしにあれほどの大改革を行った。そう思うと、それらを行った幕末の志士
- 15 の 17 たち、そして維新の建設者たちの聡明さ尊さに、私は感じ入らずにはいられない。
江戸時代には、日本には、すでに当時としては世界一の学校数があり、一般庶民の識字率も世界的
にみてもも非常に高かったという。また飛脚を中心とした郵便ネットワークは、全国に完備され、運
営やその管理も行き届いていた。そんな国は当時、他にはどこにもなかったという。不勉強な私では
よく分かっていないのだが、そんな日本の歴史を見直そうという趣旨の本が、今の日本でよく出てい
るらしい。帰国したら早く読んでみたい。それと、あまり滅多なことは言えないが、堂々と言ってし
まうと、日本でも自国の文化と歴史に誇りをもてるような、例えば「新しい歴史教科書をつくる会」
のような教科書が使われ、そんな歴史教育が行えるといいと思う。
おご
奢りは全く不必要な代物だが、自国へのいたずらな劣等感や卑下は必要ないだろう。自国への尊厳
や誇り、愛国心を持つことや、それを意思表示することは「右」なのではなく、それは国民として当
たり前の世界的な常識なのだ。
野球の野茂がアメリカへ渡り、いつの頃がテレビで言っていた。「自分はアメリカへ来て、初めて日
本人になった」と。私も日本にいる間、「自分が日本人だ」なんて、そんなことを自覚したことはなか
った。しかし考えてみると、私は日本という国にどれだけ守られていたことか、そして今、ここに住
みながらどれだけ日本に守られていることか。日本人でないと許可されないこと、日本人だからこそ
できること、その数は計り知れない。極端に言うと、私がもしもイスラム圏の人間だったら、と仮定
してみるとそのことは歴然とするだろう。
私は日本人であることの誇り、そして日本という国、文化、習慣に対する尊敬の念、それらをここ
で初めて感じた。私も心から、声を大にして言いたい。
「ホンジュラスへ来て、初めて日本人になった!」
と。
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〈逃れられない孤独感。ごまかせられない差別意識〉
「ここへ来て、私は日本人になった! 」「日本人であることの誇りを感じる! 」「この今に至る日本の
歴史をつくり上げ、支えてきた先人先輩方に、心からの敬意を表したい!!」
・・・と、すぐに熱くなる単純な自分を眺めながら「ああ、私は自分の存在があやふやで、不安な
んだろうな。自分に自信が持てず、焦ってるんだろうな」と思う。
ここでは、どう逆立ちしても、私は「社会の少数派」だ。道を歩けば、人は必ず、ジィーーーーー
ッと穴が開くほど私を見つめる。「オラ!」と挨拶して通り過ぎ、振り返ってみると、彼らは立ち止ま
ってまだこっちをジィーーーーーッと見ていたりする。また知っている人は、道を歩いていたら必ず
「ミヨー!」と声をかけてくれる。道の先方遙か彼方、点にしか見えないような人からも「ミヨー!」
などと、わざわざ叫んでくれる人もいる。「目がいいなぁ」と私は感心してしまう。また私と道で会う
と、「ほらほら、見てあれ!」と、近くのみんなに合図までしてくれ、ミヨ様のお通りを知らせてくれ
る。陽気な彼らなので、それは嬉しいのだが、「もうちょっと、そっとしておいて欲しい」と思わずに
はいられない。
道を歩いていると、声をかけられ「ミヨ。昨日教会横のお店で、トイレットペーパーを5つも買っ
たでしょ。」とか「1週間前にミヨ、道で立ち止まって、男性の△△さんと話をしてたでしょ。」とか、
悪気もないようなので、笑顔でたびたび詰問される。その度に、私の顔も一応ニコニコと答えている
が、心の中では「わぁ、もう私のことはほっといてくれぇ。」と、そんなイライラがつのっている。
ここには電話線もない、メールもできない、期待の郵便物もひと月に1回まとめてしか届かない、
首都まで遠くて1日かかる・・・とか、ブツブツ・・・。何言ってんだ、それくらい!
愚痴ってばかり
の私は甘ちゃんだな。子どもの頃、私がぐだぐだ言っていると、母に「もし戦争中やったら、そんな
ワガママ言っとれんのよ。外地へ行った兵隊さんは、大変やったんよ。」とよく言われた。今のこの状
態もまったくその通りで、それはそうとは思うものの、どうしても、どうしようもないほどの孤独感
が押し寄せてくる。
少数派であることにかまわず、なんとか自分のアイデンティティを支えようと、もがいているのだ
ろうか。少数派ということを、自分の強みにしてアピールしまくり、孤独からも開き直られればいん
だが、それほど私は強くない。中学生の頃から協力隊を夢見ていろいろ調べ、何度も志願しておきな
- 15 の 19 がら、まったく心構えの足りなかったことだと、ほとほと情けなくなる。
そんな中、彼らに「ミヨ、日本って、どこにあるんだ?」と聞かれるので「ほら、ここだよ。」と、
説明のためにいつも持って歩いている日本製の世界地図を見せる。その後の彼らの反応は、ほぼ一様
に同じ。
「ええええええ!!!
こんなに、日本はちっぽけな国なのか!
小さいなぁ。島ばっかりだ。」
あんまりにも「小さい。小さい。」と言われるものだから、いい加減腹が立ってきて「でも、ホンジュ
ラスよりは大きいんだ。」などと、私はまたろくでもないことを言ってしまう。するとまた彼らは一様
に「ええ!?
本当か?
日本より小さいのか?」と驚く。目の前の地図を見れば、その3倍も違う
大小差は一目瞭然なのに、彼らはいつまでも「それは信じられない・・・。」と言っているので、その
ことの方が私は信じられない。
その後、「日本はアメリカとの戦争に負けたんだろ 。」と、くるので「ん?
うん。アメリカだけと
の戦争じゃなかったけど、うん負けたよ。」「他にも、日本は戦争をやったのか?」「うん。やったよ。
中国とやった。」「ああ、あの中国か。んで中国ってどこにあるんだ?」「ここだよ。」「え!!
中国は
こんなに大きな国なのか!
こんな
だったら、日本は負けたんだろ?」「いや、勝ったよ。」「え!!
ちっぽけな日本が、こんなに大きな中国と戦って勝ったのか?
信じられない・・・。他にも日本は
戦争をやったのか? 」「うん。やったよ。ロシアとやった 。」「ロシアってどこにあるんだ? 」・・・そ
の後の会話は、もう想像できてしまう通り。
戦争というものを勝った負けたのその一点だけで、いったい何を判断しようというのか?
前に、戦争の「勝ち負け」って何だ?
と言う
それだけを聞いてくる彼らの単純性に、あきれて言葉がなく
なる。
(と言う前に、あまり突っ込んだ話になると、私のスペイン語がついていかないんだった・・・。
いや、辞書を片手にでも、そんな突っ込んだ話をしてみたいが、どうしてかそこまでの話にならない
のはどうして?)また彼らが日本を「小さい。小さい。」とこぞって言うものだから、まるで日本が馬
鹿にされているようで、どうしても「うう・・・なんだと!
よくも日本のことを!!」と怒りがこ
み上げてくる。
「国の価値なんか、国土の大きさで決まるんじゃない!」などと言っても、普段から「立派な服を
着ている人は偉い人。ボロをまとっている人は、お友達にもなりたくない人」と、冗談だろと思うよ
- 15 の 20 うなことを彼らは平気でいうので、この理屈が通じるわけがない。
「ここでは、服装で人物を判断されます。みなさん気を付けましょう」とはJICAからも再三言
われている。ここのキリスト教って、いったい何を教えてんだ?
と疑いたくなる。
しかし、よく考えると彼らを非難できるほど、自分には間違った差別感覚がないのか?
と思うと、
それが疑問なのだ。
平気で中国人蔑視をする彼らを「差別だ」と冷ややかに、私は眺めている。しかし、「おーい。チナ
ー。」と呼ばれて「私は日本人だ」と強く思う気持ちは、一方で 、「私は日本人なのだ。中国人なんか
じゃぁない。他と一緒にしてくれるな」という、私の差別心の表れのようにも思える。「誇り」を強く
持つということは、同時に「他」と比較して、自分を優位に立たせて安心するという差別でもあるの
ではないか。
「中国人って、汚いよな。ネズミを食うんだもんな。パンツもはいてないんだもんな。」と 、「中国
人」に、生まれて一度も会ったこともない彼らが、誰かからの噂で事実誤認の差別をする心の奥には、
「ホンジュラスは貧しくても、ネズミは食わないぞ。パンツもはいてるぞ。中国は汚い国だもんな。
中国人よりましだろ。ああ、自分らより下の中国人がいてよかった!」と思いこんで、自分を安心さ
せているところがあるのではないか。中国人を差別している彼らは、社会の差別意識の中で、無意識
のうちに自己を引き裂かれているという、実はつらい存在なのだろう。
私のわずかな教員生活でも、人権週間などに学校で、子どもたちに「差別をなくす標語を考え、ポ
スターを描きましょう。」などとやっていたことがある。子どもたちは、けなげにも一生懸命に標語を
考え、そしてそれにピッタリのみんなが仲良ししている明るい絵を描いてくれた。最近、子どもたち
がどうのこうのと言われるが、それでもやっぱり子どもは純粋で、そしてとても敏感だ。私の意図を
「ああ、先生はこうさせたいんだな。」と気を遣って読んでくれ、ちゃんとその通りにしてくれる。
- 15 の 21 私はその度、子どもたちのけなげさに、ありがとうと思いながら、一方で「こんな甘ったるいこと
をしていて、本当に差別がなくなるものか。」と、へりくつを思っていた。人権教育などでも「差別を
なくして明るい社会を」「人権を大切に」などと、キレイごとを並べても、「うん、そうだ。そうだ。」
とは思うものの、実際に差別や偏見をなくすのには役立たない。
しかし学校は「っへ、そんなのキレイごとさ。」とは分かっていても、あえてそれをくり返すことに
よって原理原則を徹底浸透させるという役割があると私は思う。だってこの現代、学校さえも「キレ
イごと」を言わなくなったら、代わりにそれを言ってくれる人がいないじゃないかぁ。
しかし差別や偏見をなくすには、頭でそれはいけないと思っていただけでは、いざというときの言
動に結びつかないのは言うまでもない。しっかりとした事実認識、知識、・・・・・例えば、中国人は
パンツもはいているし、汚い国でもない(何をもって汚いというのか、という問題もあると思うが)。
13億近い人口を有し、この時代に年率7%台という驚異的な経済成長を遂げている、他に例のない
末恐ろしき国?だという正しい認識(またその認識そのものに、一種の差別の元になる意識が含まれ
そうな気もするが)をもつ必要があると思う。
しかし「正しい認識」の元に、中国人差別がここからなくなったとしても、また別の差別対象が生
まれるような気がしてしまう。どうしようもなく悲しいことだが、すべての人間の心の中には、自分
ごう
のプライドを満足させるための差別心が潜んでいるのではないだろうか。人間が業をもった不完全な
存在である以上、神にでもならない以上、自分の存在意識とプライドを安心させるために、心のどこ
かに「差別心」が、あってしまうのではないかと思ってしまう。
「差別はいけない」そんなこと、考えるまでもなくよく分かっている。心理的にも社会的にも、「社
会的弱者」なる差別は、完全解消するべきである。しかし、実際「差別のない社会」そんな社会の実
現が可能なのだろうか。完全平等社会といえば理論的にはマルクス主義、社会主義を連想するが、実
際それを実現した国々が、資本主義社会から羨ましがられるような社会になっているかどうかという
のは、私ごときが述べるまでもない。
「中国人」として差別の対象になった自分、そして「中国人ではない」と否定している自分、差別
をされながら一方で差別をしているという、自分が最悪の存在に思えてならない。大小の差別感情は
- 15 の 22 人間がどうしても持ってしまう悲しきものなどと思っても、何だかすっきりしない。私は偽善者を装
っているのだろうか?「日本人としての誇り」を強く持てば持つほど、自分の無意識の差別意識が増
長していそうで、また自分に差別感覚があることを嫌でも認識せざるを得なくなって、ますます自分
が嫌になる。かといって、ここで「日本は実はすばらしい国だった」と感じたのは、正直なところだ
し、「自分は日本人だ」と思っていないと、自分の存在がなくなりそうで不安にかられる。そんなに国
籍にこだわることが、自分の自我だといえるのか?
在を見失っているだけではないのか?
国という組織に自己を溶け込ませて、自分の存
自分に自信を持つこと、また自我を持つことさえも、どこか
で他を差別して安心しているだけではないのか?
どうしたらいいものでしょう・・・?
単に自分が精神的に弱いだけなんだろうけどな。何が起こっても、へっへのかっぱでられるような、
事に当たっても動じない心になりたいものだ。
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