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わが街紹介17「伯耆町」

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わが街紹介17「伯耆町」
第1 3 0 号
神 戸 ひ し の み 会
《 紹介者 》
伯耆町にお住まいの
福居 宏一さん
伯耆(ほうき)町は人口約 11,800 人の、昔 伯耆の国と言われたところの西に位置します。
(因みに鳥取市は、昔は因幡の国です。) 古代は出雲文化圏にあり、産業は現在の農業・
林業に加え、明治以前では、たたら製鉄で大いに賑わい、野だたらが流す土砂を日野川が運
び皆生温泉の砂浜を形成した程です。そして、備中・備前に到る出雲街道の宿場町の風情が
色濃く残る街です。近年では、大山の自然に恵まれ、観光・アウトドアー娯楽も盛んです。
この町章は、大山と豊
自然豊かな農業と林業に支えられている伯耆町ですが、他府県からの人の交
かな自然・緑と水をイ
流に貢献しているのは、大山ペンション村と今年のダービー優勝馬キズナを
メージしたものです。
調教する大山ヒルズです。
ペンションエルモンサ
大山ヒルズ
特産物は、大山の湧き水とクロボク(土)に育まれた、八郷米、白ネギ、スイカ等の農産物と、
伯耆牛やミネラルウォーター、大山地ビールなどがあります。
―歴史を散策しよう―
鴟尾
ここ伯耆町に、飛鳥時代に中国大陸から伝えられ
た、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種で、
火除けの呪いにしたと言われている石の「鴟尾(しび)」
が遺跡として発見されています。古代にはこの地に、郡
役所の大きな建物があったと言われています。伯耆町は
これを町のシンボルとして、役場の瓦葺大屋根の両端に
金色の鴟尾を配しています。
古代の出雲と備前を繋
ぐ道、又江戸時代の参勤交
代の道(出雲・松江から備
前へ)としての「出雲街道」
は、人々の交通の幹線とし
て利用されました。ここ伯
耆町も宿場町として栄え
た通りがいくつかあり、今
でも陣屋が残っており、昔
の面影を残しています。
伯耆町役場
二部の街案内
溝口の陣屋
溝口地区の陣屋、二部(にぶ)の宿場通りや、もう少し先の根雨(ね
う)の宿場では、通りには石製の側溝に水が流れ、街の家々には、家号
を染めた暖簾が架かっていたりします。今は、夏祭りなどイベント時に、
街道沿いに露店が並んだり、灯りが点ったりして昔の賑わいを偲ぶこと
が出来ます。近年は街道を往来する人の数は激減しています。
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第1 3 0 号
神 戸 ひ し の み 会
日本海を望む丘の高層倉庫
次に、伯耆町に隣接する古代遺跡などを紹介しましょう。
今年は、古事記編纂 1300 年の記念行事に沸く出雲ですが、こ
こも古代では同じ文化圏の中にあり、民俗学的にも又、生活習慣
もお互い非常に近いものがあります。隣町の大山町にある妻木晩
田(むきばんだ)遺跡は、弥生時代中期(AD1 世紀)に栄えた
150 ヘクタールに及ぶ国内最大級の弥生時代の集落跡です。発見
された土器や鉄器、及び約 900 棟の竪穴式住居や建物跡、30 基
以上の墳丘墓の跡があります。外敵の侵入に備えた環濠や、穀物
と道具を納める高床倉庫があります。又、他の地方では見られ
ない珍しい四隅突出型方墳(これと同じ形の方墳は朝鮮半島で発見されている)は、この地方が古代、
朝鮮半島と密接な交流があった事を伝えています。
この他に、弥生前期の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市)があります。又、出雲市斐川町の荒神
谷遺跡では、銅剣 358 本、銅鐸 6 個、銅矛 16 本が発掘されており、大きな出雲勢力があった事を物語
ると共に、銅器や鉄器の製造、ひいては後のたたら製鉄技術に繋がるものが、この地方から出ています。
−自然と地元産を楽しもう!−
何と言っても、大山の自然に恵まれた所です。 大山登山やスキー、山野草や黄葉
の観賞、パラグライダー飛行など数え切れないくらいのアウトドアー活動を楽しめます。
4 月の大山
大山ゴルフクラブ
ゴルフ場は、他に大山平原ゴルフ、大山アーク、大山
グリンパークと近場で3コースあり、のんびりプレーで
きます。又、大山乗馬クラブでの乗馬トレッキングや、ト
ムソーヤ牧場での 14 種、約 160 頭の動物達と触合うこと
も出来ます。
2 段に落ちる大山滝と秋の枡水高原
トムソーヤ牧場のアルパカ
大山乗馬センター
週末にはミニ豚レース、ポニーの乗馬、ヤギの搾乳体験などの
イベントを楽しめます。
又、地元産ビールを楽しむ『G ビールフェスタ』
が毎年桝水高原で 6 月に開催されます。高原で飲
むビールの味は格別で、
“大山 G ビール”は 2011
年ヴァイツェン部門で世界一位を獲得しました。
大人気です。
ビアハウス・ガンバリウス
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第1 3 0 号
神 戸 ひ し の み 会
下の写真は、県立の日本最大級のフラワーパーク『とっ
とり花回廊』です。全長1Km の屋根付き回廊があり、オ
ランダのキューケンホフ園とは姉妹園関係にあり、かの地
の花々も楽しめます。今年の全国植樹祭のイベント会場と
なり、5 月 26 日は天皇皇后両陛下がお見えになりました。
ドーム型温室の向こうに大山
県立フラワーパーク“とっとり花回廊”
入口に残る全国植樹祭の案内
−山陰文化の香りも如何?−
伯耆大山の見える棚田に植田正治写真美術館があります。氏
は大正 2 年現境港市に生まれ、小学生の頃から写真をはじめ、
写真雑誌のコンテストでも、多数の入選を得るなど、戦前、戦
中、戦後にかけて活躍。数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台
にした『砂丘シリーズ』はよく知られています。
植田作品は人をオブジェのように配する構図や、逆に物を
擬人化するなどの演出写真の特徴を持ち、土門拳以降の主観
や演出を重視した日本の写真傾向と合致し、又ファッション写
真とも親近性があったこともあり、次第に評価が高まりました。
今年は、生誕 100 年の記念事業が開催され、写真美術館に全国
から多数の方が来館され、チェリストの溝口肇さんもチェロ
演奏されました。
生誕 100 年記念行事案内と大山
植田正治写真美術館
辻晋堂は、明治 43 年に二部村で生まれ、彫刻家を志して上京、独立美術研究所
で学び、日本美術院展に入選し、若くして才能の非凡さを認められ、木彫の代表
的作家として高い評価を受けました。戦時中は郷里に疎開して、郷土文化にも多
大な影響を与えました。抽象的な陶彫を手がけ、32 年サンパウロ、33 年ベネチア
のビエンナーレ展に「鳥」「沈黙」などを出品し,彫刻の世界に新たな領域を開くな
ど、世界的彫刻家として名声を博しました。
辻晋堂作 拓土の像
(二部小前)
香田勝太は、東京美術学校西洋画科を卒業
後、パリ留学し、藤田嗣治らと共に 洋画を
学びました。太平洋戦争により帰郷し、大山
山麓の文化人集団「麓人会」を発足。郷土の
芸術文化の振興普及に努めました。
こよなく花を愛した香田勝太作
野の花(枡水高原)
自然あふれ 野趣豊かな街“伯耆町”へ是非一度お越しください
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