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人と人形の関係

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人と人形の関係
1
はじめに
近年、
「球体関節人形」と呼ばれる種類の人形の人気が高まっている。最初はごく一部の
人形愛好者の間のみでの人気だったが、近年では球体関節人形を手元に置く人や、趣味と
して作る人が増えている。
私自身も球体関節人形が好きで、作品展に行ったり、首を球体関節とした胸像を作った
経験がある。私の球体関節人形との出会いは、十代の頃、人形作家堀佳子(ほり・よしこ)
の人形写真集を手にしたことだった。悲しげな表情の少女人形や、半壊の人形の写真が気
に入り、趣味として堀佳子の人形写真集を2冊購入した。その後、2004 年、東京都現代美
術館での球体関節人形展” DOLLS OF INNOCENCE”が催され、ここで球体関節人形に再
び出会った。そこで初めて「球体関節人形」という呼ばれる一群の人形が存在することを
知り、興味を覚えた。
球体関節人形は、ドイツのハンス・ベルメールというシュルレアリストによる人形写真
をきっかけに日本に広まったとされている。日本において球体関節人形は、創作人形の一
種として人気を得、1960 年代から多くの人形作家を輩出するようになった。現在では球体
関節人形作りの教室も盛況であり、また、手ごろな量産型の球体関節人形も販売されてお
り、人気を呼んでいる。
この球体関節人形の世界においては、人形と作家、愛好者の関係に独特なものがあると
考えられる。本研究では、球体関節人形の作家や愛好者間に見られると考えられる、球体
関節人形に対する独特の関係性を探り、そこに人形の身体性と永遠性に対しての念や思い、
また、人形への自己投影などが内在するのではないかと考える。そして、人形作家と球体
関節人形との関係性を、球体関節人形の歴史上の変節に関わる重要人物に注目して分析し、
また、人形愛好者と球体関節人形の関係が現在どのようなものであるのかを調べる中で、
作家・愛好者と人形の関係の中でのこうした身体性や永遠性、自己投影のあらわれを浮き
彫りにしていきたい。
最終的に、球体関節人形が一部の人を強く惹き付ける理由について考察していきたい。
1
2 研究のアプローチ
2.1. 研究目的
本研究では、球体関節人形の歴史と現状を、次の三つの観点から検討していくことを目
的とする。
(1) 球体関節人形の身体性
(2) 球体関節人形の永遠性
(3) 球体関節人形への自己投影
各々の観点は、以下の考えから、球体関節人形の魅力を探る上で重要と考えた。
(1) 球体関節人形の身体性
球体関節人形は、他の愛玩用の人形と比較しても、人間に近い大きさ・形で作られてい
る。毛髪や眼球などもリアルに作りこんである場合が多く、大まかな見た目は非常に人間
に似ている場合が多い。また、球体関節人形は、手足・首などの関節に球体パーツが用い
られることで、首や手足を人間と同じように動かし、座らせたり立たせたりして動作に表
情をつけることができる。しかし、動くための機構は人間のそれとは全く異なるものであ
り、そのことは球体パーツの露出を一見すれば明らかである。球体関節人形は、外見的に
は人間に似せて作られながらも、球体パーツという人間にはないパーツによって人体とは
異なったものであると分かる、独特の様式で表現された人体である。
球体関節人形によって表現された身体性は、人がそれと関わろうとするとき、嫌悪であ
れ愛着であれ、何らかの強い興味を喚起するのではないかと考える。
(2) 球体関節人形の永遠性
人形は、成長も老化もせず、これから死ぬこともない。このような球体関節人形の特性
は、永遠の美や若さへの憧れを持つ人の心を惹き付けるのではないだろうか。永遠に美し
いままのもうひとりの自分、またはパートナーとして、球体関節人形を愛好する人がいる
のではないかと考えられる。
一方で、球体関節人形では、露出した球体関節が、その可動性から逆に脱力感を感じさ
せるため、死体のような雰囲気を感じさせる場合がある。人形作家の中にも、そのことを
意識し、わざと死体のような雰囲気を感じさせるように作る作家がいる。そのようなこと
から、球体関節人形は、
「永遠の生」を表現するとともに、「死」をも表現している側面が
あると考えられる。球体関節人形のそういった特性が、一部の人の、死を美化して考える
ような気持ちを惹き付けている部分があると考える。
人形表現における「死」は、腐って土に還るようなものではなく、美しい死体として永
遠にあり続けるというイメージを感じさせる。そのように考えると、球体関節人形の表現
における「永遠の生」と「死」は、方向性は違うが、どちらも「永遠」に関わるものであ
2
る。生命を感じさせる人形も死を感じさせる人形も、その両方を感じさせる人形も、それ
ぞれに人の永遠への憧れの表現であると考えられる。
(3) 球体関節人形への自己投影
人形は、その歴史的成り立ちからいっても、人間の身代わりとなりやすいものである。
呪術的な道具としては、日本ではかつて「ひとがた」「かたしろ」といわれる人形が、神や
人間の身代わりをつとめていた(*1)(*2)。
玩具としては、人形は多く子どもの「ごっこ遊び」に用いられる。ごっこ遊びにおいて
は、人が人形を動かしながら演じることで、人と人形が一体化しているように思う。球体
関節人形とその愛好者にも、これに近い「人形=自分」といった関係が見られると考える。
人形の中に自分ないし理想の自分を見る、人形に自分のしたいことを(代理的に)させる
といった行為は、人形と自分を重ね合わせることから行われていると考える。
球体関節人形の歴史や現状をこれら三つの観点から検討することにより、球体関節人形
に魅力を感じ、作ったり所有したりする人々の意識がどのようなものであるのか、一つの
見解を示すのが本研究の目的である。
2.2. 研究方法
2.2.1.
既往研究の調査
NACSIS-RLS、Science Direct で「人形」
「doll」を検索語として検索したが、球体関節
人形の魅力や、愛好者との関係について書かれた論文は、該当するものが見つからなかっ
た。
それに近いものを図書館、書店、大手ネット書店 amazon での検索およびブラウジング
で探索すると、下記のような文献が見つかった。
・ 一般的な人形論(球体関節人形でない)
・ 瀧口修造や澁澤龍彦ら文化人による球体関節人形論
・ 創作人形の専門誌「ドール・フォーラム・ジャパン」主催で行われた精神科医藤田博
史によるセミネール「人◇形◇愛の精神分析」
・ 詩と批評の雑誌「ユリイカ」に寄せられた評論
これらの諸文献をふまえて、本研究を進めることにした。
2.2.2. 人形作家の選定
本研究では、第一に、球体関節人形が作成されてきた歴史の中で、特に重要な人物に注
目する。
3
球体関節人形がドイツで世にあらわれてから現在まで、ドイツから日本への紹介、球体
関節人形の外見的傾向や愛好者層の変化など、様々な変節があった。球体関節人形の歴史
上で重要な人物としては、球体関節人形の発生や、球体関節人形の世界の変節に深く関わ
った、代表的な人形作家を選ぶことにした。
上記の観点より、注目する人物は、下記の4人とした。選定には、球体関節人形の世界
を総合的に把握することの出来る文献として、” DOLLS OF INNOCENCE”の図録(*3)
および公式サイト(*4)と、創作人形専門誌「ドール・フォーラム・ジャパン」の記事「特
集鼎談ニッポンの球体関節人形事情」(*5)(*6)を参考とした。
・
ハンス・ベルメール(Hans BELLMER 1902~1975)
現在の日本で行われているような球体関節人形作りの、始祖とされる人物である。
ドイツのシュルレアリスト 1で、版画や素描などを製作していたが、1930 年代か
ら球体関節を持つ粘土製の人形を作り、写真を撮影・発表した。
・
四谷シモン(よつや・しもん 1944~ )
日本で最初にベルメール風の球体関節人形を作った人物のひとりである。日本に
おける球体関節人形制作の先駆者であり、後述の天野可淡らにも影響が大きかっ
た。後に人形教室を開き、現在も球体関節人形作りを世に広めている。
・
天野可淡(あまの・かたん 1953~1990)
独特の表情を持つ球体関節人形を作り、若い女性を中心とした球体関節人形人気
の火付け役となった。彼女によって作られた、いわゆる「カタンドール」により、
球体関節人形愛好者の裾野が広がった。
・
恋月姫(こいつきひめ 1955~)
現在、非常に人気のある球体関節人形作家である。ビスクを用いた球体関節人形
制作で有名である。CD や本の表紙などに人形の写真が多く用いられ、球体関節人
形愛好者の裾野を広げた。
2.2.3. 人形作家に関する文献の収集
次に、これら4人に関する文献を収集した。収集したのは、以下のような文献である。
1
シュールレアリスム―1920 年代、ダダイスムにつづいてフランスに興った芸術運動。
(略)
意識下の世界や不合理・非現実の世界を探求し、既成の美学・道徳とは無関係に内的生活
の衝動を表現することを目的とする。(略)超現実主義。シュール。(広辞苑第五版)(*7)
4
・
それぞれの人形作家が書いた、球体関節人形に関する著作
筑波大学と国立国会図書館の OPAC、および大手ネット書店 amazon.co.jp での著
者名検索で得られた著作のうち、人形関連の文献。
・
創作人形の専門誌「ドール・フォーラム・ジャパン」の、それぞれの人形作家に
関する特集記事
ドール・フォーラム・ジャパンの公式サイトでバックナンバーの目次を確認し、
タイトルに人物名が出てくるなどして、その人物が重く扱われていると判断でき
た記事。
・
球体関節人形、球体関節人形作家を特集した一般雑誌
① 球体関節人形作家の公式サイトで掲載雑誌を調べて、得られた雑誌。
② 大手ネット書店 amazon.co.jp で、球体関節人形関連書籍の「類似商品」とし
て紹介されているものの中で、参考になりそうだと判断した雑誌。
③ 他の球体関節人形関連の雑誌等に広告や紹介記事が載っていたものの中で、
参考になりそうだと判断した雑誌。
・
新聞に載った、それぞれの人形作家に関する記事
聞蔵 DNA(朝日新聞)
、YOMIURI ONLINE(読売新聞)で人物名および「球体
関節人形」を検索して得られた記事。
・
それぞれの人形作家の公式サイト
雑誌等に URL が載っている場合はそれを参考にし、載っていない場合は作家名を
検索語として web 検索エンジン Yahoo!および Google を用いて検索して得られた
サイト。
以上の文献を、できるだけ網羅的に収集した。
2.2.4.
人形作家と球体関節人形の関わり方の検討
三番目に、収集した文献から、それぞれの人形作家が球体関節人形とどのように関わっ
たのかについて、身体性と永遠性、人形への自己投影という三つの観点から、年代順に整
理し、検討した。
5
2.2.5.
人形愛好者と球体関節人形との関わり方の検討
四番目に、以下の資料を参考として、球体関節人形愛好者の人形との現在の関わり方を
調査した。
・
創作人形の専門誌「ドール・フォーラム・ジャパン」
ドール・フォーラム・ジャパンの公式サイトでバックナンバーの目次を確認し、
球体関節人形と愛好者との関わり方について参考になりそうだと判断した号。
・
球体関節人形、球体関節人形作家を特集した一般雑誌
① 球体関節人形作家の公式サイトで掲載雑誌を調べて、得られた雑誌。
② 大手ネット書店 amazon.co.jp で、球体関節人形関連書籍の「類似商品」とし
て紹介されているものの中で、参考になりそうだと判断した雑誌。
③ 他の球体関節人形関連の雑誌等に広告や紹介記事が載っていたものの中で、参
考になりそうだと判断した雑誌。
・
新聞に載った球体関節人形に関する記事
聞蔵DNA(朝日新聞)
、YOMIURI ONLINE(読売新聞)で「球体関節人形」
「ス
ーパードルフィー」 2を検索して得られた記事。
・
スーパードルフィーを所持する愛好者のウェブサイト
人形専門の検索サイト「お人形サイト検索 Doll sight Navigator DollCircus」で、
カテゴリ「スーパードルフィー」に分類されている中で、参考になりそうだと判
断したサイト。
・
スーパードルフィーの公式サイト、公式ガイドブック
また、上記の調査を補うために、以下のヒアリングをも行った。
・
スーパードルフィーを販売している店舗「天使のすみか」秋葉原店での、人形を
所持する愛好者に対するヒアリングおよびメールによる追加調査
これらについても2.2.4 節と同様に、身体性と永遠性、人形への自己投影という三つの観点
から人と人形の関わりについて分析した。
2
スーパードルフィー―ボークス社が販売している、量産型の樹脂製球体関節人形。パーツ
の差し替えや彫刻、色の塗りなおしなどのカスタマイズが可能で、手軽な球体関節人形と
して女性を中心に人気となっている。
6
3
人形作家と球体関節人形の関係
3.1 ハンス・ベルメール以前と以後の球体関節人形
球体関節人形づくりの始祖といわれるハンス・ベルメール以前にも、球状のパーツを用
いて関節を可動化する方法は、西洋では用いられていた。アンティークのいわゆるフラン
ス人形にも、その手法は多く見られる。
ブリタニカ国際大百科事典(*2)には、木製人形の説明として、「今日ロンドンのビクトリ
ア・アンド・アルバート美術館に残っている一七六三年の銘のある人形は、玉軸受け 3の関
節のついた手足をしている。
」と書かれている。ここから、ハンス・ベルメールが最初の人
形を作った 1933 年の、少なくとも 170 年前には、球体関節が存在していたことが分かる。
また、同事典によれば、1851 年にロンドンで開かれた国際人形博覧会にも、
「手足が玉軸受
けになっていてすわることのできる人形」が出品されたということである。球体関節にこ
だわらず、単に関節が動く機構を持っている人形ということであれば、ほぞ穴を利用する
などして動くようにしたものが、既に紀元前1世紀頃から存在していた(*2)。日本では、腰・
膝・足首が曲がり、正座させることのできる「三つ折れ人形」が江戸中期末頃から作られ
ていた。
上記のような人形と、現代の日本で言われる「球体関節人形」の違いは、主に人形に対
するアプローチにある。その違いは、2004 年に開催された球体関節人形展の公式サイト(*4)
で、
「人形定義」として以下のように説明されている。
特に日本の美術的な人形においては、ハンス・ベルメールの影響によりシュルレ
アリスティック、エロティックな面を意識して展開しているのが特徴的。他国に
は見られない、日本での特異なジャンルとなっています。
本章における「球体関節人形」は、基本的にはハンス・ベルメール以降の流れを汲む球体
関節の創作人形を指すこととする。
3.2 球体関節人形の始祖
ハンス・ベルメール
ハンス・ベルメール(Hans BELLMER 1902~1975)と球体関節人形の関わりを、以下
で述べることにする。ベルメールが製作した人形は、生涯で二体のみである。しかし、そ
の人形を撮影した写真がシュルレアリスム界から好評を得て、広く紹介されることとなっ
3
「玉軸受け」を広辞苑第五版(*7)でひくと、軸受の一種であり、ボール・ベアリングのこ
とである―という内容の説明がなされている。しかし、ブリタニカ国際大百科事典では、
「玉
軸受け」に対して「ボールジョイント」という読み仮名がふられている。よって、この場
合の「玉軸受け」は、工業製品などに用いられる「ボール・ベアリング」ではなく、
「ボー
ル・ジョイント」すなわち「球体関節」であると考えられる。
7
た。特に、日本においては、ハンス・ベルメールの人形写真が「球体関節人形」というジ
ャンルの成立の最初のきっかけとなったと考えられる。
ドイツ領カトヴィツェ(現ポーランド)生ま
れの画家/写真家ハンス・ベルメールの、最初
の人形作りのきっかけは、次のようなものだっ
た。
ベルメールは、20 代の頃には実用デザインや
素描を行っていたが、1933 年、ナチス政権樹立
の年に、いっさいの「有用な労働」を拒否し、
弟と共に人形の制作を始めた(*8)(*9)。この人形
制作は、ナチスに傾倒していた技師の父親、お
よび国家に対する反抗として行われた。人形写
第 1 図:ベルメールの人形写真
真集「人形」に寄せられたエッセイ「人形のテ
DOLLS OF INNOCENCE 図録(*3)より
ーマのための回想」(*8)の中で、ハンス・ベルメ
たのしみ
ールは、
「表向きは無意味と称されているものこそが、実は悦楽なのだった。」として、無
用なものへの愛着を語っている。同時に、少女たちへの憧れをも語っており、この両者に
よって、ハンス・ベルメールは人形を作ったのだと考えられる。また、『ホフマン物語』の
観劇も、人形制作のきっかけになったと言われている。『ホフマン物語』の中には、
『砂売
り』という、青年ナターニエルの、コッペリウス博士によって作られた人形オリンピアへ
の恋物語がある(*10)。
1937 年、ベルメールは人形作家ロッテ・プリツェルと共に、二体目の人形を製作した。
この人形制作のきっかけは、球体関節を持つ 16 世紀に作られた人形を見たことだった。ベ
ルメールの二体目の人形は、腹部に球状のパーツを組み込むことで、胴の硬さを解決した
ものだった。
ベルメールの人形写真に関しては、1934 年、最初の人形の写真集「人形(Die Puppe)
」
が自費出版された。この写真集がフランスのシュルレアリストグループから好評を得て、
雑誌等で紹介され、1936 年にはフランス語版「人形(La Poupée)」として出版された。二
体目の人形の写真は、ポール・エリュアールの詩と合わせた作品集「人形の遊び(Les jeux
」で、1949 年に発表された。このとき、ベルメールはフランスに移住してい
de la poupée)
た。
どちらの作品集でも、ベルメールは、人形を分解したり、組みかえたりして写真を撮っ
ている。そのため、出来上がった写真作品は時に倒錯的、猟奇的に見えるものだった。
また、1958 年には、同棲中であった恋人のウニカ・チュルンの緊縛写真を撮影している。
8
第 3 図:ベルメールの素描
第 2 図:ベルメールの人形写真
「イマージュの解剖学」(*8)より
DOLLS OF INNOCENCE 図録(*3)より
ハンス・ベルメールの作品には、以下のような、身体に対する独特の捉え方が見られる。
絵画には裸体の女性を描いたものが多く、身体各部のイメージが重なったり、溶け合っ
たような表現がされている。二体製作した人形は、共に少女を模しており、球体関節の特
性を利用してばらばらに分解し、組み替えるなどして、異常な身体を表現した写真を多く
撮影した。緊縛写真でも、身体を細い紐で括ることによって変形させる試みがなされてい
る。
ベルメールは女性の身体に関して特殊な幻想を抱いており、そのことは人形写真集に寄
せられたエッセイや、
「イマージュの解剖学」から推察することができる。また、ベルメー
ルは裸婦の写真に鏡を当て、奇妙な人体の像を見る遊びを好んでいたという(*11)。そのよ
うな好みも、身体への強い関心をうかがわせるものである。このような身体に関する自分
の幻想を表すために、ベルメールは上記のような異常な身体表現の作品を作ったものと考
えられる。
1957 年に出版されたベルメールのエッセイ「イマージュの解剖学」は、別タイトルを「肉
体的無意識の解剖学あるいはイマージュの解剖学」という。この著作は、
Ⅰ
自我のイマージュ
Ⅱ
愛の解剖学
Ⅲ
外部の世界
の3章から成る、心理学や身体に関する一連のエッセイである。この著作にも、身体(特
に、女性の身体)に関する記述は多く見られ、また、ベルメール自身による、前述のよう
な裸婦のシュルレアリスム的絵画が、挿絵として添えられている。
絵画、人形や女性の写真、エッセイのいずれからも、女性の身体に対するベルメールの
9
強いこだわりをうかがうことができる。
球体関節人形の身体性、永遠性、球体関節人形への自己投影といった観点からベルメー
ルを見ると、以下のようなことがいえる。
まず、身体性と自己投影に関してであるが、ハンス・ベルメールは、特に女性の身体に
強い興味を持ち、それは独特の幻想となっていた。そうした内的世界を実在のものとする
ために、球体関節人形が作られたのではないかと考えられる。例えば、下半身のみが二つ
繋がった女性の身体、という幻想を、上述の鏡を使った遊びなどから得ていたベルメール
が、それを現実に目にするために二体目の人形を作り、分解して組みなおしたのではない
かということである。そして、最初は生身の人間に関しての幻想であったものが、球体関
節人形という分解・再構築の可能な独特の素材を得たことで現実のものとなり、更に人形
と向き合い試行錯誤することで、幻想自体も強化されていったように感じられる。このよ
うなベルメールの人形への関わりは、女性の身体に対する自己の幻想と向き合い、育てて
いくことだったように感じられる。それは自己を模索することであり、その表現として用
いられた人形とその写真作品には、ベルメールの内的世界があらわれていると考えられる。
このように内的世界の表現として人形を用いたことは、広い意味での人形への自己投影で
あるといえそうである。
球体関節人形の永遠性に関しては、ベルメールはむしろ自分の作り出した、人形のいる
風景を写真に撮ることで後に残そうとしていたように思われる。ベルメールの球体関節人
形自体に関しては、永遠への希求といったものはあまり感じられない。
3.3 日本の球体関節人形のはじまり
四谷シモン
四谷シモン(よつや・しもん 1944~ )と球体関節人形の関わりの概要は、以下のよう
なものである(*12)(*13)(*14)。四谷は 1965 年、21 歳の時に、ハンス・ベルメールの人形写
真に影響を受けて球体関節人形を作り始めた。四谷は、日本でベルメール式の球体関節人
形を作り始めた最初の人形作家の一人である。1973 年、初めての個展を開き、好評を得た。
1978 年には人形学校「エコール・ド・シモン」を開校し、現在も球体関節人形作りを一般
の人形愛好家に教えている。
四谷シモンが球体関節人形を作るようになったのは、次のような事情からである。
四谷は子ども時代から人形遊びを好み、12 歳からは紙粘土やぬいぐるみの人形を作るよう
になった。中学に入ってからは、人形ばかり作っていたという。1963 年以前に作っていた
のは、ぬいぐるみや布製の創作人形であった。ベルメールの人形に出会う前の彼は、
「決ま
り切ったポーズをして仰々しいタイトルがついた人形が、しょせん彫刻のまねでしかない
ことに漠然と不満をもって」いたという(*13)。1965 年、四谷は雑誌「新婦人」の記事「女
10
の王国」
(澁澤龍彦著)に添えられていたベルメールの人形写真を見て感銘を受け、それま
で持っていた人形材料を捨て去った。四谷は、ベルメールの人形写真のシュルレアリステ
ィックな面というよりも、これまでの日本の創作人形における、ポーズが固定されており、
彫刻のまねでしかないという不満を打破することのできる構造性に衝撃を受けたのだとい
う。この出来事は、後の日本の創作人形の世界においても大きな事件であり、
「ベルメール・
ショック」と呼ばれている。ベルメール・ショックの後、フランス人形なども参考にしな
がら、四谷は球体関節人形の制作を始めた。
四谷シモンは、役者としても知られている。彼の演劇活動
と人形制作活動との関係は、以下のようなものである。
四谷シモンは 1967 年から、状況劇場という当時の前衛的な
劇場において、女形として活躍した。四谷本人は、人形制作
と芝居の関係については「まったく別の世界だと思って」い
るという(*13)。しかし、彼の演劇活動と人形制作の間に全く
関わりがないとは考えにくい。
「慎み深さのない人形」という
シリーズに関して、
「状況劇場の女形のようにギラギラした作
品」と四谷シモン本人が評していることも、裏づけとなるだ
ろう(*13)。更に、次ページの発言にも見られるように、芝居
が「死んでは生き返りの繰り返し」であったことから、一度
死ぬと「死んだ瞬間の姿のまま、永遠に死に続ける」人形に、
惹き込まれていった様がうかがえる。1971 年、四谷は状況劇場
の役者としての活動を停止し、人形制作に専念するようになっ
た。
第 4 図:四谷シモン
『慎み深さのない人形 6』
「人形作家」(*36)より
四谷シモンは自分の作る人形に関して、次のように述べている(*13)。
人間に近づけたいという理想、人間のように見せたいという願望はいまも強く
あります。そのほうがゾクゾクするからで、リアルにできたときはいつも嬉しい
ですね。
死んだ人間も人形に近いなと思います。僕にとっていい人形とは、「このお人形
さん、まるで生きているみたい」と言われるような人形ではなく、息がとまって
死んでいる人間に近い、凍てついた人体表現です。そして人形は動かずにずっと
佇んでいるのがいいと思っています。
この発言から、四谷の作りたい人形の身体性が、リアルでありながら死体に近い、「凍てつ
いた人体表現」であることが分かる。
11
また、球体関節人形展の公式サイト(*4)の作家紹介での、
「あ
なたにとって球体関節人形とは?」という項目には、次のよ
うな回答をしている。
人形そのものの原型というか、本来お人形さんって
いうのは動いたり、座らせたりできるわけでしょ?
お人形は玩具、おもちゃですね。まぁ、そういう一
つのスタイルで、要するに遊べる人形ってことでし
ょうね。
この回答からは、四谷シモンの人形の可動性へのこだわりを
読み取ることができる。四谷は、最近では露出した金属の骨
格を持った、球体関節でない可動構造をもった人形も製作し
第 5 図:四谷シモン
ている。四谷にとっての球体関節とは、可動性を感じさせる
『ドイツの少年』
「人形作家」(*36)より
人形を作るひとつの手段に過ぎないのかもしれない。
四谷シモンは、人形と死の関係について、以下のように書いている(*12)。
私の一番大切なことは、自分の架空の死を待つことである。(略)
私が人形を作ることもまた、死と関連があると思っている。私は人形に、自分
の死んだ状態を表現する。それは、芝居で、私が架空の死を表現するのとまった
く違う。芝居は私が演じなければならないので、自分が見えないし、手で触るこ
ともできない。これは、私の願望―自分の死んだ状態に立ち会いたいという願望
―を満足させない。人形は凝固である。私は、その、自分自身が凝固したいとい
う願望の裏返しとして、芝居で浮遊した。芝居の、色の着いた生き物は、来る日
も来る日も死んでは生き返り、死んでは生き返りの繰り返しだったが、人形はた
だ一度死ぬと、その死んだ瞬間の姿のまま、永遠に死に続ける。しかも、私の願
いはかなえられず、人形は死と同時に、まったく私の入り込む余地のなってしま
うので、こんなに美しく、感動的なことはない。
四谷は、ここで自分の「架空の死」への憧れともいえる興味を語り、それが人形表現に結
びついているということを述べている。
四谷シモンは、人形作りと自己愛(ナルシシズム)の関係についても考えている。
1978 年、四谷シモンは原宿に人形学校「エコール・ド・シモン」を開校した。以来、四
谷は人形制作と並行して、生徒に人形作りを教えるようになった。人形制作を教える中で、
12
四谷は人形作りと自己愛の関係に気が付いた。2002 年に出版された自伝「人形作家」で、
四谷シモンは次のように書いた(*13)。
二十数年間人形を作ることを教えていて、すべての生徒にいえることがひとつあ
ります。同じ教材を与えているのに、よくぞここまでその人のニュアンスが出てく
るものだということです。全員の作品にその人の「自分」が出ているのです。それ
を見ていると、人という生き物はこんなにも自分自身から逃れられない自己愛の強
い存在なのだなと感じます。
人形は具体的なものですから、表現に個が出やすいということはあります。料理
や花のいけ方などにもその人の個性は出ますが、いかんせん人形はヒトガタですか
ら、明快に個性が露出するのです。人形には作者本人に似るなにかがどうしても出
てしまうものなのです。
そんなことを考えているうちに、逃れきれない自己愛、ナルシシズムが誰にでも
あるならば、あえてそれをテーマにして意図的に作品化しようと思い立ちました。
人形というのは自分自身であり、分離しているようでしていないという作為的、幻
想的な考え方をするようになったのです。
こうして生まれた「ナルシシズム」
「ピグマリオニスム・ナルシシズム」などの作
品は、絵画や写真のセルフポートレートとは少し違っていますが、おそらく「これ
も僕です」といえるものではないかなと思っています。
「人形は人形である」というところから出発しましたが、人形は自分で自分は人形
という、自己愛と人形愛の重ね合わせが現段階での僕の考え方です。
ここで四谷は、人形を作る人一般に関して、人形に個性が出
やすいこと、作者本人に似る何かが出てしまうということを
指摘している。更にその認識を作品に昇華し、
「これも自分
である」といえる作品を作った。四谷シモンは、明確に「人
形=自分」という意識を持っているようである。
球体関節人形の身体性、永遠性、球体関節人形への自己投
影の3点から四谷シモンを見ると、以下のようなことがいえ
る。
まず、身体性について考える。四谷は人形の身体性に関し
て自伝の中でも言及しており、人形における身体表現に強い
こだわりを持っている。四谷の人形の身体性へのこだわり
第 6 図:四谷シモン
は、
「可動性」と「凍てついた人体表現」の二方向へ向か
『ピグマリオニスム・ナルシシズム』
っている。可動性に関しては、ベルメールの人形写真に出
13
「人形作家』(*36)より
会い、
「ポーズがいらない」ことに感銘を受け、その後、可動の球体関節人形を作り始めた
ことから、そのこだわりが読み取れる。しかし、その後の活動から、四谷にとって目に見
えて可動である構造であれば球体関節でなくとも良いらしいことも分かった。四谷にとっ
ての人形の可動性とは、人形を人形らしくするための条件である。四谷は幼い頃より「人
形」というものにこだわりがあったため、より人形らしい人形を作るための手段として、
目に見えて可動である、分断された関節に可動機構(球体関節、折れ曲がる金属骨格)の
見られる人形を作ったものと考えられる。「凍てついた人体表現」については、次の、人形
の永遠性との関わりの中で述べる。
二番目に、四谷シモンの人形の永遠性について考える。四谷は、自分の人形作品と死へ
の意識の関係に対して自覚的である。観念的な死への憧れを人形で表現しているというこ
とを、前述の「私の一番大切なことは、自分の架空の死を待つことである。
」以下の引用か
らうかがうことができる。
「人形はただ一度死ぬと、その死んだ瞬間の姿のまま、永遠に死
に続ける」という発言からは、人形に関しての死のイメージが、現実の死そのものではな
い、観念的なものであることがわかる。その観念的な死のイメージは、永遠への憧れとも
取れる。四谷は、死んだ人間を人形に近いと感じ、自分の作る人形に関して、「息がとまっ
て死んでいる人間に近い、凍てついた人体表現」が理想であると述べているが、そういっ
た人形制作上の身体性の理想も、上記のような死や永遠への憧れから発しているものと考
えられる。
三番目に、四谷シモンの人形への自己投影について考える。四谷は、人形制作における
自己愛の存在に自覚的であり、それをテーマに作品を作るほどの興味を示している。作っ
た人形に自分らしさが出るという気づきや、
「人形というのは自分自身」という記述からも、
「人形=自分」という四谷の意識を知ることができる。また、前述の、死への憧れを人形
で表現するという行為も、人形と自分の重ね合わせから行われていると考えられる。
3.4 球体関節人形を世間に広めた人形作家
天野可淡
天野可淡(あまの・かたん 1953~1990)と球体関節人形の関わりの概要を、以下で述べ
る。天野は、女子美術大学で洋画を専攻し、在学中に人形制作を開始した。天野の人形は、
人形作家/写真家であるパートナーの吉田良
4 (よしだ・りょう)によって撮影され、
「KATAN DOLL」(*15)(1989)
「KATAN DOLL fantasm」(*16) (1990)など、絵本的な
小さな写真集として出版され、若い女性を中心に好評を得た。いわゆるカタンドールのよ
うな、独特の暗さのある表情を持つ人形は、それまでにないものだった。天野可淡は、1990
年に 38 歳で夭折したが、現在でもファンが多く、影響も強い、伝説的な人形作家となって
いる。
4
天野可淡との活動時には吉田良一(よしだ・りょういち)を名乗っていたが、後に吉田良
に改名した。
14
天野可淡の人形制作は、以下のように行われた。
天野は、幼少期から人形に興味があり、人形の絵を多く描
いていた(*17)。他にバレエや子役としての活動も行ってい
たが、中学進学時には女子美術大学の付属中学を志望した。
人形作りは、大学3~4年頃から独学で始めたという。ハン
ス・ベルメールや四谷シモンらの人形作品も、製作の参考と
していた。1974 年、大学を卒業する頃には人に人形作りを
教えるほどになり、1988 年には吉田良の主催する人形教
室・ドールスペース・ピグマリオンのスタッフとなった。
天野の作る、いわゆるカタンドールは、大きな目とやや暗
い表情が特徴である。天野自身に自覚はなかったということ
だが、全体として独特の暗さや不気味さがあり、見る人によ
っては恐いという感想もある。しかし、ファンも多く、写真
集を出した出版社には、現在でも十代の若い女性などから、
第 7 図:天野可淡の人形作品
「yaso 夜想」(*21)より
自分が考えていた世界がそのまま本になっているので驚い
た、といった内容の読者カードが届くという(*18)。
球体関節人形の身体性、永遠性、球体関節人形への自己投影の3点から天野可淡につい
て考えると、以下のようなことがいえる。
まず、身体性と自己投影に関して考える。天野の作った球体関節人形は、四谷シモンら
によって作られていた天野以前の球体関節人形と比べ、等身が低い、顔立ちがあどけない、
目が大きくぎらぎらしているなどの特徴がある。また、耳の尖った人形や、骨が見えるほ
ど痩せた外見の人形など、異常な身体の表現もなされている。このような天野の人形にお
ける身体表現は、全体として、痛々しい子どもの姿のように感じられる。自己投影という
観点で考えると、天野の内的世界にそういった身体像があり、そのあらわれとして、この
ような痛々しい人形表現がされたのだと考えられる。天野自身が辛かったという時期、天
野は骨のように痩せた少女の人形を作っている。天野は出来上がったその人形を、夫との
トラブルになるほど眺めてばかりいたという(*17)。人形への自己投影という観点から考え
ると、これは、自分自身の中の辛い部分を人形に表現し、それと向き合う行為であったよ
うに思われる。天野は、自分の中の辛い部分などを人形として擬人化・具体化し、向き合
っていたのではないだろうか。人形への自己投影に関して天野の書いた文章を見ていくと、
次のようなものが見つかった。
「KATAN DOLL fantasm」(*16)に寄せたエッセイ「神経に
棲む者たちへ」に、
「私は私の精神に棲むものを/作らざるを得ないのです」と書かれ、更
に以下のようなことが書かれている。
15
私は自意識を分解し
新たな原子でそれを再構成することができま
す。
<彼> 5が一日目に光と闇を作り、
二日目に天と地を作り、
最後に私たちを作ったように、
アーティストも自らの光と闇、
自らの天と地、
そして最後に自らの神経をときめかす者たち
を
作ることができるのです。
この、自意識の分解と再構成という表現や、自らの神経
をときめかす者たちを作るという表現から、天野可淡に
第 8 図:天野可淡が辛い時期に
とっての人形制作が自己の内的世界の表現であり、その
作ったという人形作品
ことに自覚的であったということが分かる。また、人形
「可淡、疾走 第一回 可淡誕生」
=自分という自己投影のはたらきに関しても自覚して
(*17)より
おり、「KATAN DOLL」(*15)に寄せたエッセイ「解か
れたガラスのリボン」において、以下のように述べている。
人形を愛するということは、その人の年齢にかかわらず、子供の頃のままにな
ることだと思います。あらゆる社会の混沌の中から人形と向かい合う時、人は皆、
子供となります。
そして、人と人形は鏡一枚を隔てて同化することができるのです。
この記述から、子どもとしての自分=人形という、天野の思想を知ることができる。
次に、球体関節人形の永遠性について考える。天野は、
「解かれたガラスのリボン」にお
いて、上記の引用の続きとして、次のように述べている。
鏡一枚…それは人形が神から死を禁止されているということです。夢を裏切らな
いという代償に、死を神に捧げたという事です。しかしながら、人間とはエゴイ
あ くび
スティックな生き物です。裏切りの無い、安心の中での愛には、いつか欠伸をし
ます。愛するだけの一方的な愛にはいつか疲れ、その対象を置き去りにするので
す。そして彼女たちはいつしか忘れ去られ、蔵の中に捨てられてしまいます。そ
れは人形たちにとって、死よりも恐ろしい出来事です。そんな悲劇が起こること
5
神。
16
ほど
の無いように、私はあえて彼女たちのガラスのリボンを解きます。人に愛される
だけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に。常に話しかけ、耳をかたむ
け、時には人の心に謎をかける人形に。
注意深く、彼女のガラスのリボンを解くのです。それが私の仕事だから。
ここで天野は、人形に関して、生きているものに対するような表現をしている。前述の、
子どもとしての自分=人形という思想と、人と人形の鏡(=死)一枚を隔てての同化とい
うイメージと合わせて考えると、天野にとっての人形は、永遠に生き続ける子どものよう
なものだったと推察される。その永遠に生き続ける子どもとは、人の中に残っている、「子
どもとしての自分」であると考えられる。天野は、一般の人形における永遠性は、人との
関係の上で悲劇であると考えていた。その悲劇を防ぐために、天野は、人に対して働きか
けるような人形を作るという宣言をしている。上記の資料から、天野可淡が人形を永遠に
生き続けるものと考えながらも、その永遠性にあこがれてはいなかったことが分かる。し
かし、同時に、天野が人形の永遠性に関して深い関心を寄せていたことも分かった。
3.5 現代の人気人形作家
恋月姫
恋月姫(こいつきひめ 1955~ )と球体関節人形の関わりは、以下のようなものである。
恋月姫は、既に球体関節人形という創作人形の一分野が確立されつつある時期に、アンテ
ィークドールをきっかけとして人形づくりを始めた。恋月姫の作る人形は端正、高貴であ
りながら独特の暗い雰囲気をも持っており、若い人
形ファンを中心として人気を得た。恋月姫の人形の
写真は、本や音楽CDなどの表紙にも多く用いられ、
現在では、もともと人形に興味のなかった人々をも
ファンとして獲得している。
恋月姫の人形制作は、次のように始まった。
恋月姫は、美術学生時代にアンティークドールの
写真を見、非常に心惹かれたという。それ以前から
も、人形の描かれた絵を好むなど、人形に興味は持
っていたようである。卒業後、恋月姫はデザイナー
として働きながら、演劇やエッチング(版画)とい
った表現活動を行った。その間も人形の絵を描くな
どしていたが、人形そのものはうまく作ることが
第 9 図:恋月姫『永遠の約束』
できずにいたという。その頃、恋月姫は人形屋佐
DOLLS OF INNOCENCE 図録(*3)より
吉店主・片岡佐吉(かたおか・さきち)と知り合
17
った。1980 年頃、恋月姫は片岡に、天野可淡の工房に
連れて行かれ、しばらくの後に独学で人形の創作をす
るようになった(*19)。
恋月姫の根底にある人形像は、アンティークドール
である(*20)。この場合のアンティークドールとは、ビ
スク製の、19 世紀後半に作られた球体関節を持った愛
玩用の人形を指す。
球体関節人形の身体性、永遠性、球体関節人形への
自己投影の3点から、恋月姫について考えると、以下
のようなことがいえる。
まず、球体関節人形の身体性に関して考える。恋月
姫は再三、球体関節へのこだわりを語っている。雑誌
のインタビュー等では、次のような発言が見られる。
第 10 図:恋月姫の人形作品
「[別冊]Dolly*Dolly 少女人形」(*23)より
「私は初めから、人形と言うと自然に球体関節なんで
すよ。球体フェチだから(笑)
、球体じゃないとイヤです。球体がちょっとエロティックで
いいなって。人間にないものだからね」(*4) 「なんで球体関節がいいのかっていうと、そ
れはきっと、人の魂の中に、球体に関するフェチな部分があるからだと思うんです」(*19)
「球も魂みたいな感じで(笑)
。球なしなんて許せないという感じでしたよ」(*20) みずか
ら人形を作り始める前から絵に描いていた人形も、既に球体関節の人形であったという。
恋月姫は、もともと球体関節の人形にこだわりがあり、人体の表現というよりは、自分の
思い描く「人形」の表現として球体関節人形を作っていると考えた。
次に、球体関節人形の永遠性について考える。恋月姫は、みずからの作る人形に関して、
「生と死のその狭間」として、
「あの世があるかどうかは知らないけど、そこに行くまでの
間……魂がふっと抜ける瞬間とか、眠りに入る瞬間とか…その間を拡張していくと、それ
が私の人形の空間だったり、人形の魂の時間だったりする」(*21)、
「全く死んでいるわけで
もない、でも生きて活動しているわけではないというところに魅力を感じる」(*22) と語っ
ている。恋月姫は、人形作りと死、永遠性との関わりについて自覚的である。「生命のギリ
ギリ感がいいのかもしれませんね。だから、その世界に引っ張られるのかもしれませんね。
死の淵を覗きたいというか」(*21)とも語っており、死の世界への興味と人形制作の関連性
をうかがわせる。恋月姫は、人間には一瞬しかない「生と死の狭間」を拡張し、永遠のも
のとして球体関節人形で表現している。
三番目に、球体関節人形への自己投影について考える。恋月姫は、
「現実の世界と平行し
てもう一つ、自分の本当の心を見る魂の空間が、あるのではないかと思っているのですが、
それを人形というものに置き換えて、シンプルに人形と向かい合う。
(略)心と向かい合う
ために、人形というものが私には必要です」(*4) と述べている。また、人形作品は自己の
18
表現かという質問に対して、
「作家は大体自分を作るというところがありますが、私は同じ
ようで何か違いますね。自分の魂そのものをそこに作りたかった」(*23) と答えている。こ
れらの発言は、恋月姫にとっての人形作りが、自分の考えや主張を人形で表すような直接
的な自己表現ではないという意味だと考えられる。直接的な自己表現は行っていないが、
恋月姫においては、
「人形=自分」という関係はむしろ強いように感じられる。自分の心と
向かい合うために人形が必要である、自分の魂そのものを人形として作りたかったという
発言から、そのことがうかがえる。また、恋月姫は独自の人形観を持っており、それは前
述の球体関節へのこだわりや、
「生と死の狭間」が人形になる、といった発言から推察する
ことができる。このような人形観のあらわれとして、恋月姫の球体関節人形があるのだと
考えられる。
4. 人形愛好者と球体関節人形の関係
4.1 手軽な球体関節人形
スーパードルフィー
スーパードルフィーは、1999 年にボークス社より
発売された、樹脂製の球体関節人形である(*24)。身長は
26.5cm(幼 SD)から 65cm(SD16)で、ドールアイ(人形
用の義眼)とウィッグ(人形用のかつら)を着けている。
価格は1体につき約3万~13 万円である。スーパード
ルフィーは、作家による球体関節人形よりも安価であり、
自分でカスタマイズをしたり、顔や手足などのパーツや
メイク(塗装)を指定して、セミオーダーメイドをする
ことができる。手軽に入手できる自分好みの球体関節人
形として人気を獲得した。現在では、「ドールズパーテ
ィー」(自作の人形用衣装やカスタマイズ済みのスーパ
ードルフィーなどを販売するイベント)に、1万2千人
第 11 図:スーパードルフィーの一例
が訪れるほどのブームとなっている。
「スーパードルフィー
パーフェクトカタログ」(*27)より
4.2 マスメディアの調査
スーパードルフィーのオーナー(持ち主)層と、オーナーの意見を新聞で調べると、以
下のようなものが見つかった。
主な顧客は、20 代から 40 代の女性。「全部、自分好みにできるからいいの」
19
朝日新聞 2003 年6月 25 日(*25)
「カルチェやルイ・ヴィトンなどすてきな物(ブランド)はたくさんあるけれど
も、自分を映し出すもう一つのものに初めて出会った」と言って泣き出す人もい
るそうだ。
購入者の約7割は女性で、20 代半ばから 40 代のキャリアウーマンが多い。「夜
勤のある看護婦さんなどストレスの多い職業の人が多い」と話す。
朝日新聞 2004 年8月 29 日(*26)
上記の記事より、
「自分好みにできる」「自分を映し出すもう一つのもの」というキーワ
ードが得られた。ここから、人形を自分好みにカスタマイズする、あるいは自分好みの人
形を所持することが、一種の自己表現となっていると考えた。「夜勤のある看護婦さんなど
ストレスの多い職業の人が多い」ということから、スーパードルフィーとの付き合いがス
トレスの緩和に役立っていると考えられる。ここから、スーパードルフィーを所持するこ
とは、他人に見せるための自己表現であるだけでなく、自分自身に肯定的に向き合うため
の自己表現となっているのではないかと考えた。
4.3 ウェブサイトの調査
人形専門の検索サイト「お人形サイト検索 Doll sight Navigator DollCircus」を用いて、
スーパードルフィーを所持する愛好者のウェブサイトを探索した。
「お人形サイト検索 Doll
sight Navigator DollCircus」には、検索カテゴリとして「スーパードルフィー」がある。
よって、そこに分類されていたサイトの中から、愛好者と人形の関係性がよく現われてい
るものをひとつ取り上げることとした。その結果、G というサイトがサンプルとなった。
G の運営者である H さんは、女性型 2 体、男性型 1 体、計 3 対のスーパードルフィーお
よびその韓国製類似品のオーナーである。ここでは、愛好者と人形の関係性が最もよく現
われている、H さんとスーパードルフィー「此子」の関係を見ていくことにする。
2004 年 6 月 2 日時点で、H さんのサイトには此子のプロフィールとして、以下のような
文章が載っていた。
とあるゲームのヒロイン(コレット)から、お名前を拝借しました。
漢字は当て字で「此子」
此処にいる子、自分を見失わない子。
胸にぶら下げてるトンボ玉は、私が作った物です。
お守り代わりに持たせてます。
20
また、2004 年 5 月 9 日、H さんは、
「ヒッキーでもお宅でもキモイ奴と言われてもいい。
」
というタイトルで、次のような日記を書いている。
最近此子がとても可愛いです。
そりゃ私の元に来た日から、そんなの百も承知でしたけど。
目がぱちっと醒めたみたいに、突然私に視線を投げかけてくるようになりました。
なんでだろう。
お迎えしたての 1 ヶ月程は、親に隠してたために写真は撮れませんでした。だか
らファーストメイクの写真はないんですが、今の此子と顔だけでも大分違います。
メイクの上手い下手ではなくて、此子「らしさ」があるかないかなのではと思い
ます。
これは一つの、私の考えですが、お人形のメイクって、絵とおんなじで、そのと
きのその人の気持ちが映ると思う。
あの頃、人に認められずに、ひっそりとロッカーに住んでいた此子自身の境遇も
だし、私自身色々迷ったり悩んだり寂しかったりして、だから、そんなオーナー
がメイクしたから、此子はいつも寂しそうでした。
お迎えするなら、名前はコレットにしようと思いました。
コレットは私の持っていない美徳をいっぱい抱えている。
ごちゃごちゃした世界の中で、きれいなものだけをより分けて吸収して大きくな
る強さと、コレット自身の優しさがある。
此子にはそんな、人間には持ちえない決して手の届かない美しさに到達して欲し
かった。
人に作られた理想のカタチだからこそ、此子には届くと思う。
けれどいくらメイクしてやっても、此子は悲観に暮れている。自分のせいだと分
かってるので悲しかった。
私は此子には、きれいで優しくて暖かいものだけ見ていて欲しかった。
此子は最近嬉しそうです。
一番似合う目の色に、一番似合うウィッグを付けて、私が作った、おそまつな仕
上げだけど此子らしい、世界で一番此子に似合う服を着て、他人への毒や牙を諦
めて。
理想には程遠いけど、等身大の優しいお人形です。
この子はきっと、私のテンションが自分に追いつくのを待っててくれてたんだろ
うな。
21
アホと言われようが、此子が隣にいるのが嬉しくて仕方がありません。
これらの記述を、人形の身体性、永遠性、人形への自己投影という観点から考察する。
まず、身体性と自己投影について考える。H さんは、上記の日記で、此子のメイク、す
なわち顔の塗装というカスタマイズについて記述している。
「お人形のメイクって、絵とお
んなじで、そのときのその人の気持ちが映ると思う」として、自分がネガティブな状態で
あったために、此子も「寂しそう」だったという。H さんは、人形に対するカスタマイズ
に自分の心理状態が反映されていた、ということに自覚的である。
次に、人形への自己投影について考える。上記の引用からは、H さんが人形に強いあこ
がれを投影していることが分かる。まず、人形の名前を、好きなゲームキャラクター・コ
レットの名前から取ったという行為からは、H さんが人形に「コレットのようにあってほ
しい」という願いを持っていたことが感じられる。H さんは、
「コレットは私の持っていな
い美徳をいっぱい抱えている」など、ゲームキャラクター・コレットへのあこがれを語っ
ており、
「此子にはそんな、人間には持ちえない決して手の届かない美しさに到達して欲し
かった」と、そのあこがれの実現という願いを、此子に託していたことを明言している。
これは、カスタマイズによって自分の中の理想像を人形に表現するという形での、自己投
影であると考えられる。更に H さんは、此子が「悲観に暮れて」いたが、今は「嬉しそう」
であるというふうに、人形から表情を読み取っている。これは、ロッカーに人形を入れて
いて申し訳ないという気持ちや、安心して人形と暮らせて満足しているという気持ちを、
人形を介して自分から自分が受け取っているのだとも考えられる。これも、人形=自分と
いう、愛好者の人形に対する自己投影の一例であるといえるだろう。
人形の永遠性については、上記の引用からは特に読み取れることはない。
4.4 ヒアリングによる調査
2004 年 10 月 20 日、スーパードルフィーを販売する店舗「天使のすみか」秋葉原店にお
いて、スーパードルフィー2体と共に来店していた女性、Sさんを対象にヒアリングを行
ったが、球体関節人形の身体性、永遠性、自己投影に関しては有効な回答が得られなかっ
た。そのため、後日 2006 年 01 月 19 日、メールを用いた追加調査を行った。そこで、身体
性、永遠性、自己投影に話題を絞って質問したところ、次のような回答を得た。
(Sさんは、女性型 6 体、男性型 4 体、無性型 3 体の計 13 体のスーパードルフィーのオー
ナーであり、人形の写真公開やスーパードルフィーのオーナー同士の交流を目的としたウ
ェブサイトを運営している。
)
そもそもSDに出会ったきっかけは、友人の誘いで映画イノセンス公開記念の球体
22
間接人形展に行って球体関節人形を見たのちボークスでSD6を拝見しました。
最初は金額も高く手に入れるのに抵抗しましたが、ファースインスピレーション
でしょうか我が家にいて欲しいと思い始め初めてお迎え 7したのがルーティ 8です。
初めてのSDは本当に凄いと思いましたよ。ジェニー 9やリカちゃん 10とは全く構造
が違うし(ボディラインとか手の形とか)、リアルだしメイクやアイチェンジにウ
ィッグチェンジすることによって自分の写しというより自分の理想の子になる感
じですね。
自分が着れない服を着せてみたり凄く楽しみが増えたりと楽しいです。
自分が悲しい時とか辛い時皆の顔をみてると少し沈んだ気持ちが癒されたり…い
ろんな効果をもたらしてくれます。
確かにドールは年をとりませんが、うちはそれでも良いと思っています。
友人はうちは我が家の葵
11に似ていると言われますが葵は葵であって自分で無い
と認識してます。ドールにも1人1人個性があると思います。
同じタイプの子
12でもオーナーによってはまったく違う子になりますしそれを見
比べるのも楽しいです☆
この回答から、以下のようなことが読み取れる。
まず、スーパードルフィーの身体性について考える。メール中で、Sさんは、以下のこ
とに触れている。
・ スーパードルフィーの構造が、ジェニーちゃんやリカちゃんとは全く違う
・ 外見がリアルである
・ カスタマイズができる
ジェニーやリカちゃんとの構造の違い、外見がリアルであることは、球体関節人形の特
徴である。球体関節人形の特殊な構造や外見は、人に嫌悪や愛着といった感情を起こさせ
ると考えられるが、Sさんの場合は「本当に凄い」という発言から、感心し好んでいる様
子がうかがえる。スーパードルフィーに出会う前に球体関節人形展を訪れていることから
も、Sさんが球体関節人形の身体性に好意的に興味を抱いていることが分かる。
カスタマイズができることは、スーパードルフィーの特色であるが、これはむしろ人形
を自分好みに作り変えるという意味で、自己投影に関連することだと考えられる。
次に、スーパードルフィーの永遠性について考える。メール中での、人形の永遠性に関
6
スーパードルフィーの略。
購入すること。
8 Sさんの所有するスーパードルフィーの名前。
9 タカラ発売の身長約 27cm の着せ替え人形。
10 タカラ発売の身長約 22cm の着せ替え人形。
11 Sさんの所有するスーパードルフィーの名前。
12 素体が同じ人形どうし。
7
23
するSさんの発言は、以下の1点のみである。
・ 人形は年をとらないが、それでも良いと思っている
この発言は、スーパードルフィーの永遠性について質問したことへの回答と思われるが、
年をとらないがそれでも良いという発言からは、あまり永遠性にこだわっている様子は感
じられない。
三番目に、スーパードルフィーへの自己投影について考える。メール中でのSさんの発
言で、自己投影に関連すると考えられるものは、以下の通りである。
・ メイク、アイチェンジ、ウィッグチェンジによって、自分の写しというより自分の理
想の人形になる感じである
・ 自分が着られない服を着せてみたりすることが楽しい
・ 悲しい時や辛い時、皆(人形たち)の顔を見ていると少し沈んだ気持ちが癒される
・ 友人には、Sさんの所有する人形・葵とSさん本人が似ていると言われる
・ 自分に似ていると言われる人形・葵に関しては、葵は葵であって自分ではないと認識
している
・ 同種のスーパードルフィーでも、オーナーによって全く違う人形になる
これらの発言を、人形への自己投影という観点から検討する。
まず、スーパードルフィーがカスタマイズによって「自分の理想の子になる」というこ
とについて考える。Sさんはメールの中で「自分の写しというより自分の理想の子になる
感じ」
「葵は葵であって自分で無いと認識してます」と発言している。ここから、Sさんが
積極的には人形を自分に似せようとはしていないことが分かる。むしろ人形は、Sさんの
思い描く、
「自分以外の理想の誰か」をモチーフとしてカスタマイズされているようである。
Sさんのウェブサイトの人形紹介コーナーでは、人形どうしの関係(親戚関係や友人関係、
主従関係など)や性格が紹介されている。意識としては、自分ではない誰かとして、それ
ぞれの人形のキャラクターが構築されているようである。しかし、自分の想像に基づいた
カスタマイズやキャラクターづけをするという行為は、人形を用いた内面世界の表現であ
ると考えられる。そのように考えると、スーパードルフィーは意識的に自分自身をモデル
としたり、自分と重ね合わせたりはされていないが、人形の中に自分の内面世界における
理想像を見るという形での自己投影が行われていると考えられる。また、他人からはスー
パードルフィーの1体がSさん自身と似ていることが指摘されているということなので、
意図的ではなく自分自身に似た人形を選んだり、自分に似せてカスタマイズしたりといっ
たことが行われている可能性はある。
悲しい時や辛い時に、人形たちの顔を見ていると癒されるということに関しては、人形、
すなわち具現化された自分の内面の理想像と向き合うことで、心がなぐさめられたり癒さ
れたりするということが考えられる。
「自分が着られない服を着せてみたりすることが楽しい」というのは、人形に自分のし
24
たいことを代理的に行わせ、満足を得ているのだと思われる。Sさんはコスプレ
13に興味
があり、自分でもゲームのキャラクターのコスプレをしている。スーパードルフィーにも
同様にゲーム等のキャラクターのコスプレをさせているが、その対象となる人形は男性型
が多い。これは女性では着づらい男性キャラクターの衣装を着るという願望を人形に代行
させる行為だと思われる。コスプレに限らず、華やかなドレスや特殊な外見の服はなかな
か日頃着る機会がないため、代理的に人形に着せているものと考えられる。また、「このよ
うな服を着た理想の誰か」という像が脳裏にある場合、願望の代行のみでなく、自分の内
面世界における理想像の具現化のために、ある衣装を人形に着せる、といった場合もある
と思われる。
「同種のスーパードルフィーでも、オーナーによって全く違う人形になる」というのは、
カスタマイズの原動力となる上記のような理想のキャラクター像や、衣装の好みが違うた
めに起こることであろう。
5 考察
3章、4章を踏まえて、人形作家・愛好者と球体関節人形の関係性を人形の身体性、永
遠性、人形への自己投影の視点から考察する。
まず、人形作家と球体関節人形の関係性について考える。
ハンス・ベルメールと球体関節人形の関係性については、次のようなことが言える。ベ
ルメールは、自分の内的世界における女性の身体への幻想を現実のものとするために、球
体関節人形を作った。また、人形と向き合い試行錯誤することで、自己の幻想と向き合い、
育てていった。これは、自己の模索であったとも考えられ、広い意味での人形への自己投
影であると考えられる。
四谷シモンについては、次のようなことが言える。四谷は、人形らしい人形の条件とし
て、可動性にこだわっていた。そのため、自分の人形観の表現として、可動性のある球体
関節人形を作った。また、人形制作に当たっては、
「凍てついた人体表現」にこだわりがあ
った。これは、観念的な死への憧れの表現であった。「死んだ瞬間の姿のまま、永遠に死に
続ける」という観念的な死への憧れは、永遠への憧れとも取ることができる。また、四谷
は人形制作における自己愛の存在に自覚的であり、
「人形=自分」という認識を持っている。
天野可淡については、次のようなことが言える。天野可淡にとっての人形作品は、自分
の内的世界における、子どもとしての自分自身であった。人形における身体表現には、天
13
アニメやゲーム、漫画などのキャラクターを模した衣装を着ること。コスチュームプレ
イ。
25
野自身の心の一部が投影されており、擬人化・具体化することで天野は自分自身と向き合
っていたのではないかと考えられる。また、天野は人形の永遠性にも関心を寄せているが、
明確な形での憧れがあったという結論は出なかった。
恋月姫については、次のようなことが言える。恋月姫は、もともと球体関節人形に関心
が強く、人形の身体における球体関節にこだわって人形制作を行っている。恋月姫は人形
に関して、人間には一瞬しか訪れない生と死の狭間を拡張した表現であると述べている。
ここからは、恋月姫の永遠への憧れを感じ取ることができる。恋月姫は、自分自身と向か
い合うために人形が必要である、自分の魂そのものを人形として作りたいと述べており、
ここから恋月姫の「人形=自分」という関係を見ることができる。
これら4人の人形作家と球体関節人形の関係性から、次のようなことが分かった。身体
性、永遠性に関しては、それぞれ個人差があり、どちらかに関心が深かったり、どちらか
にはあまり関心がなかったりという様子が見られる。しかし、どちらにも関心のない人形
作家は4人のなかにはおらず、人形作家にとって身体性、永遠性は重要なものであると分
かる。そして人形作家は、その身体性、永遠性に対する関心を含めた内的世界の表現とし
て、球体関節人形を作っている。人形への自己投影は、どの人形作家にも見られるもので
ある。自己投影は、ハンス・ベルメールにおいては自己模索といった形で現われているが、
残り3人の人形作家に関しては、明確に「人形=自分」という関係が見られた。
次に、人形愛好者と球体関節人形(スーパードルフィー)の関係性について考える。
マスメディアの調査からは、以下のようなことが言える。スーパードルフィーを自分好
みにカスタマイズすることは、一種の自己表現である。そして、その自己表現は、他人に
見せるためだけではなく、自分自身に肯定的に向き合うことに役立っていると考えられる。
ウェブサイトの調査からは、以下のようなことが言える。今回サンプルとなった H さん
は、人形に対するカスタマイズに自分の心理状態が反映されていたと述べている。また、H
さんは、ゲームキャラクターに対する憧れの実現を人形に託しており、自分の内的世界に
おける理想像を人形に見るという形での自己投影が見られる。更に、H さんは人形から表
情を読み取ることを日常的に行っているが、これは人形を介した自分自身との対話である
と考えられ、
「人形=自分」という自己投影のあらわれだと考えることができる。
ヒアリングおよびメールによる追加調査からは、以下のようなことが言える。スーパー
ドルフィーの身体的な構造は、オーナーである S さんに好意的に受け止められている。永
遠性に関しては、オーナーの関心はそれほど高くない。スーパードルフィーに対する自己
投影は、人形と自分を同一視するような、表立った形では行われていない。しかし、オー
ナーの内面世界における理想のキャラクター像の具現としてスーパードルフィーを捉える
と、広い意味での自己投影は行われている。そうした、理想を具現化した人形と向き合う
ことで、オーナーは満足感や癒される感覚を得ている。また、スーパードルフィーに自分
の願望を代理的に充足させる行為は、日常的に行われていることである。
26
これら3つの方法による調査から、次のようなことが分かった。人形愛好者は、身体性・
永遠性そのものにはそれほど関心が強くない。ただし、スーパードルフィーの身体的構造
には好感を持っている愛好者もいる。また、スーパードルフィーの特徴であるカスタマイ
ズ性は、愛好者の内的世界における理想のキャラクター像を人形に実現できるという点で、
人形への自己投影との関連において重要である。人形のカスタマイズに、自分の心理状態
が反映されると考える愛好者もいる。また、人形から表情を読み取る愛好者もいるが、こ
れは自分自身との対話であると考えられる。愛好者が人形に向き合うということは、自分
の内面世界における理想像の具現と向き合うということである。それは、
「人形=自分」と
いう明確な形では意識されていないが、自分の内面と向き合う自己模索として、広い意味
での自己投影であると考えられる。
人形作家・愛好者と球体関節人形の関係性を人形の身体性、永遠性、人形への自己投影
の視点から考察した結果、次のようなことが分かった。人形作家・愛好者と球体関節人形
の関係においては、
「人形=自分」という関係や自己模索をはじめとする、自己投影のはた
らきが最も重要なものである。身体性、永遠性に対する関心や憧れは、人形作家や愛好者
の内的世界に見られるものであり、人形作りにおいて表現されたり、人形との関係の中で
表出したりしている。そうした表現や表出もまた、自己投影の一種であると考えられる。
27
6 おわりに
本研究を通して人形作家・愛好者と球体関節人形の関係性について考え、ほんの一端で
はあるが、球体関節人形が一部の人を強く惹き付ける理由を知ることができた。人形作家・
愛好者にとって、球体関節人形は自己模索のツールとなり、また自分そのものとなる。そ
してその関係には、身体性、永遠性に対する関心や憧れを見ることができる。
球体関節人形と向き合うことは、自分自身と向き合うことである。球体関節人形との出
会いによって、時には、人は初めて自分自身を抱きしめることができるのかもしれない。
私が悲しげな表情の少女人形や、半壊の人形に心惹かれたのは、そのような自分を抱きし
めてみたかったからかもしれない。球体関節人形は、四肢が持ち主の動きに合わせて動く
ため、その抱擁を受け止めることができる。球体関節人形に惹き付けられる人の中の一部
には、球体関節人形のそうした面に惹かれる人もいるのではないかと、本研究を進める中
で考えた。
球体関節人形の近年の人気について、第1章で述べた。上記のような、自己模索のツー
ルや自分そのものとして存在する球体関節人形の人気が高まっていることは、人々の自分
自身との対話への希求の表れであるとも考えられる。
謝辞
本研究にあたって、辛抱強く、多大な御指導・御助言をくださった武者小路澄子先生、
切磋琢磨し励ましてくださった 2004 年度、2005 年度の研究室の皆様、迷いがちな私を助
けてくださった松井めぐみ先生、佐々木恵美先生、小松崎浩司様、愛し支えてくださった
家族と友人、研究に協力してくださった方、応援してくださった方、すべての皆様に深く
感謝し、この場を借りて心より御礼申し上げます。本当にどうもありがとうございました。
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引用文献
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参考文献
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7) 『コレクション瀧口修造』4.(みすず書房, 1993)
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(澁澤龍彦による球体関節人形論)
9) 『新文芸読本 澁澤龍彦』(河出書房新社, 1993)
10)澁澤龍彦:『少女コレクション序説』(中央公論新社, 1985)
11)澁澤龍彦:『ちくま日本文学全集 澁澤龍彦』(筑摩書房,1991)
12)澁澤龍彦:『幻想の画廊から(新版)』(青土社, 1998)
13)澁澤龍彦 著,谷川渥 編:『イコノエロティシズム―澁澤龍彦美術論集』(河出書房新社,
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20)『特集*押井守 映像のイノセンス』
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第五回 ストライプハウス美術館での個展』,ドール・フォーラム・
ジャパン. 17(ドール・フォーラム・ジャパン事務局, 1998)p20-21
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ール・フォーラム・ジャパン事務局, 1998)p20-21
49)DOLL SPACE PYGMALION 公式サイト(http://pygmalion.mda.or.jp/)
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(スーパードルフィー関連文献)
56)『秋葉原 12:45(Tokyo2003)/東京』
(朝日新聞, 2003-06-25)
57)『ボークス「私だけの人形」心つかむ(挑む 企業家たち)【大阪】』(朝日新聞,
2004-08-29)
58)『スーパードルフィーパーフェクトカタログ La carte d'un Ange~天使の地図~』
(朝日ソノラマ, 2003)
59)『スーパードルフィーパーフェクトカタログ2 La Modele pour Ange~天使設計図
~』(朝日ソノラマ, 2003)
60)吉村昌史:『ドール、ドール、DOLL』第六回~第八回,ドール・フォーラム・ジャパ
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38 号(2003)p79-81, 第 39 号(2003)p61-63
61)ボ ー ク ス 公 式 サ イ ト VOLKS INC. ボ ー ク ス の お 人 形 ス ー パ ー ド ル フ ィ ー
( http://www.superdollfie.net/)
(人形専門検索サイト)
62)お人形サイト検索 Doll sight Navigator DollCircus
(http://www.3dcg.ne.jp/~kaizoku/dollcircus/)
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