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スペイン 駆け歩きの記

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スペイン 駆け歩きの記
ただし、トレモリノスの場合、海沿いの町の
スペイン居酒屋は良心的
SPAIN
でてプリプリ感を残すようにすればいいのに、
を言うと私はたまらなく“冷し中華”が食べた
くたくたになるまで湯がくのだ。それでもま
かったのだが、一行中の最年長者で舞台美術
ずくはないのだから、プリプリ感をいかすよ
家として世界中を旅しているSさんが、
「私は
うな料理をしてくれればいいのにと思うのは、
こういう所の中華レストランは信用しません。
こちらが日本人だからだろうか。
華僑が多勢住んでいるところの中華料理の店
るつるに禿げているのに、胸毛がモジャモ
ここらへんでは期待外れに終る公算が大です。
ジャだ。
と忠告してくれたので、スペイン料理のバル
(BAR)にしたのだ。
店頭にはカラー写真付きのメニューを出し
ていて、一品料理の値段も日本円にして60
0円ぐらいから1000円ぐらいで手ごろで
ある。つまり安くて美味い。
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店のオヤジはひどく愛想がいい。頭はつ
なら、それほどひどいものを食べさせないが、
華”は、おそらくやっていないでしょう。
」
数量はそれほどでもない。スペインはだいた
いやせている土地が多いが、それでも一応、農
業国ということになっており、重工業はあま
り発達していない。したがって煤煙とかダイ
オキシンなどといったものは極めて少ない。
だから空はどこまでも青く、空気が澄んでい
る。
(少々、乾燥気味だから、妻などはたちま
ちノドを痛めた。
)
日本のスギ花粉症とかアレルギー性鼻炎な
どというものは、重工業の排煙や車の排気ガ
スなどで空気が汚れているところにもってき
て、農水省(林野庁)の近視眼的政策でやたら
と杉の木をふやしたおかげでスギ花粉が多く
なりそれらの相乗効果で国民の体を痛めつけ
ているのではないだろうか。
(日本に戻った途
端、またアレルギー性鼻炎がぶり返してし
まった)
でかた。とれたてのエビなのだから、さっと茹
スの街には2軒以上も中華料理店があり、実
それに、あなたが食べたがっている“冷し中
< まえがき >
「ピレネー山脈を西に越えたら、そこはもう
ヨーロッパではない」と、昔からイギリス人や
フランス人などは言う。たしかにスペインは
“いわゆるヨーロッパ”とはどこか異なってい
る。住んでいる人たちはフランスやイタリア
と同じくラテン系でありながら、すべての風
景、食べ物、住民気質、そして空気までも異
なっている。スペインに行く前、私はずっとア
レルギー性鼻炎に悩まされつづけていて、出
発の直前、成田空港でもクシュン、クシュンし
ていたが、スペインを旅している途中、ふと気
がついてみると鼻炎がとまっていた。
それは私だけに起こった現象ではなく、ツ
アーの一行の中の誰かがそれを言い出したの
で私も気がついたのである。
もちろんスペインにも杉の木はある。一般
にレバノン杉といわれているやつだ。しかし
インに手がのびてしまう。
そしてどうにも気に入らないのがエビの茹
トレモリノスの夜は楽しかった。トレモリノ
スペイン
駆け歩きの記
せいか、味付けが塩っぱい。だからついついワ
「その胸毛を頭に移し変えればいいのに…」
とジェスチャーでからかってやったら
「まさにその通りなんだ。
」
と本人も笑う。そしてエビの皮のむき方、ハ
マグリの食べ方など、こまめに世話を焼いて
くれる。
なるほど、スペイン風のエビの茹で方だと、
脚をちょいちょいと外して、尻尾のところを
エビの塩茹でやイカとか貝などの料理、小
ちょいと押すと、身だけがツルリと口の中に
鰯のマリネ、パエリア(スペイン風炊き込み御
入る。それはそれなりに美味しいのだが、私は
飯)
、スペイン・オムレツなどいろいろある。
やはりプリプリのやつが食べたかった。
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食べ、かつ飲んで満腹し、勘定書きを取り寄
せる。
値段はメニューに書いてあるとおりで、少
それは治安の問題があるからだろうが、セ
ブン・イレブンとかミニストップといった
24時間営業の店は無いのである。
しもボッていない。イタリアあたりだと、客が
土地の事情にくらかったり、甘ちゃんの観光
客だったりすると、法外の値段を吹っかけた
りする店が良くあるが、スペインでは一度も
住んでみたいミハスの街
そんな目には会わなかった。どんな田舎町で
も、その種の不愉快な仕打ちを受けたことは
なかった。
外国に旅して、思いがけぬほどボラれたり、
トレモリノスの朝。ホテルのベランダから
地中海を眺め、英国の海洋作家、ダドリ・ホー
プの名作、ラミジ艦長シリーズに出てくる帆
足元を見て吹っかけられたりするほどイヤな
走軍艦カリプソ号や、セシル・スコット・フォ
ことはないが、ドロボーやスリ、カッパライは
レスターの名著、ホーンブロワー提督などが
別として、一般のスペイン人はおおむね純朴
活躍していたのはあのあたりか…などと思っ
である。そして気分がいい。
ていると、霧が小雨に変わってきた。
ただ、ミネラルウォーターのようなものの
朝食をとりに食堂に行くと、ここのホテル
場合、ホテルとか居酒屋で買うと小瓶で300
(ホテル・セルバンテス)では普通の食パンが
ペセタ(250円)、大瓶で600ペセタ
3、4種類あった。もちろん、例によって甘い
(500円)ぐらいするが、スーパーマーケッ
クロワッサンや揚げパンもあったが、白い食
トのようなところで買うと小瓶で40ペセタ
パンに生ハムやチーズ、レタス、ピーマンやト
ぐらい、大瓶で70ペセタ(60円)くらい
マトをはさんで食べる。ピーマンがなかなか
である。
うまい。
で、食事が終ってから、そういった店にミネ
小雨の中を九時に出発。昨日来た道を少し
ラルウォーターを買いに行ったら、時刻はま
逆行する。したがって地中海が左に見える。
だ午後8時半、通りには照明がこうこうとつ
このあたり、以前は引退した日本人がかな
いているというのに、その種の店ははやばや
り住んでいたそうだが、物価が安くても言葉
と閉店していた。
が不便だったりして、だんだん減っていき、今
ミハスの街の市場
では4分の1ぐらいになってしまったという。
そして日本人だけの社会、言うなればリトル・
ジャパンをつくって孤立しているという。
石段をのぼり、石ダタミの細い道をのぼっ
ていくと小さな市場がある。ここはサフラン
なにしろ、1500万円も出すと大豪邸が
の名産地できわめて安い。サフランは日本で
買えるのだし、日々の生活費が10万円ない
はかなり高価だが、ここでは一番安いのは
し15万円、お手伝いさんの給料が5万円く
100ペセタ(80円ないし90円)からあ
らいだから、年金生活者にはもってこいのと
り、一番高いもので600ペセタぐらい。みな
ころなのに、日本人はどうもコスモポリタン
サフランの花から雌しべをひとつひとつ手摘
にはなりきれない“何か”がある。そこへいく
みしたもので、パエリアやサフラン・ライスに
と中国人とか英国人、アメリカ人などは実に
は欠かせないものだし、お酒に入れてサフラ
たくましい。
ン酒をつくれば薬用になる。
道はやがて海岸から離れて山岳地帯に入っ
ていく。途中、ミハスの町で小憩。
そのサフランを幾種類か買って1000ペ
セタ札を出したら、掌いっぱいにコインのお
ミハスの町は椰子の木で取り囲んだ小さな
釣りをくれた。スペインのコインはややっこ
広場があって、その回りに市役所とかレスト
しくて、フランコ政権時代のコインには、万国
ラン、小さなホテルなどがあり、町そのものは
共通のローマ数字の表示がない。
たとえば100
斜面にある。南仏の田舎町を思わせるなかな
ペセタのコインはシエン(CIEN)ペセタと
かいい風情だ。
スペイン語が浮き出しになっているだけだ
霧雨のような小雨がさらにその風情を引き
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立たせている。
から、外国人はとまどってしまう。新しい
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来ている客を後回しにして、後から来た客に
さきに料理を運んだりするものだから、日本
からついてきた添乗員の桑原さんはイライラ
のしどおし。スペイン語で怒鳴ったり、マネー
ジャーに文句を言ったりで、食事どころでは
ない。結局、桑原さんは出された料理の5分の
1も口に運べなかった。
昼食をすませるとすぐアルハンブラ宮殿へ
向かう。ここは観光客が多いから、定められた
時間に入らないと後へ後へと回されてしまう
ので、のんびり道草をくうわけにいかない。
ガイドはオクラホマ出身のアメリカ人で、
自称ジャック・ニコラウス。日本の奈良や京
グラナダのレストランにて
都、群馬にもいたとかで日本語がペラペラ、駄
洒落の名人である。
会の規則かなにかがあって、どうしても現地
のガイドを使わなくてはならない。
コインには一応ローマ数字が刻印してあるが、
にテーブルや椅子をならべているものの、客
添乗員の桑原さんなどはもう十数回以上ア
小さいので間違いやすい。
は一人もいない。コーヒーを注文したらいそ
ルハンブラ宮殿に来ているから、現地のガイ
アルハンブラ宮殿の庭園の美しさは定評が
いそと持ってきた。一杯150ペセタ(120
ドなど不要なのだが、そこはスペイン観光協
あるので、くるまえから楽しみにしていたの
その小さなコインを掌に山盛りくれたから
往生してしまった。
「こんな小額のコインばかりじゃ困る。100
ペセタのコインにしてくれ」
円くらい)
。やはり濃くて実にうまい。東京の
180円コーヒーの店の経営者たちを連れて
きて勉強させてやりたいくらいだ。
と言ったら、
「朝が早いので、そんなコインし
かないんだ」という。たしかにスペインは朝が
おそくて、市民がまともに活動し始めるのは
ヤマグチ組の名は国際的
昼ごろになってからだから、店のオバさんの
言うことも一理ある。仕方が無いからそのお
釣りで干したイチジクを3袋ばかり買った。
アルハンブラ宮殿の近く、パレスホテルに着
ところがこれが意外に美味い。しかも体に
いたのは正午少しまえ。相変わらず降りそそ
いいというのである。結局、バスの中でみんな
ぐ小雨の中を歩いてレストランに行く。自称
食べてしまったが、もっと買っておけばよ
医科大学の学生たちが4人、ギターをかき鳴
かった。
らしながら民族音楽を演奏している中で昼食
市場をひと回りしたが、朝が早いため(と
をとる。たっぷりの野菜サラダ、イカスミ料
言っても午前10時ごろだが)花屋さんとか
理、そしてアイスクリーム。ここはワインの名
八百屋さんには色とりどりの花や野菜がいっ
産地マラガに近いから、ワインを飲まなけれ
ぱい積まれているが、魚屋とか肉屋のガラス
ば画竜点睛を欠く。一行の中の酒好きは白ワ
ケースはがらがらだ。
イン、赤ワイン、シェリイ酒など、いろいろ試
石ダタミの町の風情をたのしみながら、小
雨に濡れつつ広場にもどり、一軒の喫茶店に
入った。歩道にせり出した雨よけテントの下
している。勘定は自分が飲んだ分だけテーブ
ルに置けばいい。
しかしウェイターの段取りが悪く、さきに
アルハンブラ宮殿
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69
くると、眼下にグラナダの市街が展望できる。
アルハンブラ宮殿の怪
赤い屋根、白い壁、ヨルダン杉。まさにスペイ
ンらしい風景だが、街のはずれに小高い丘が
あり、よく目をこらすと、丘の中腹に点々と洞
それはともかく、面白かったのはアルハン
穴が見える。
ブラ宮殿内の王妃の部屋で、王妃は部屋から
ガイドに聞くと、その洞穴がジプシーたち
出ることを許されないから、定刻になると自
の住居で、どう仔細に見ても電線も水道らし
室からメッカの方向に向かって拝礼する。
いものもない。
そのため、一方の壁にだけ小さな窓があけ
ジプシーには戸籍も国境もなく、旅から旅
てあるが、ガイド氏の解説によると、実際にそ
へ漂泊生活を続けたり、あるいは物乞い、ス
の方角を正確に調べてみたら、その方向に
リ、カッパライをするものだから、あちこちで
メッカはなく、実はその窓は、日本の伊勢の皇
嫌われているし、近ごろはパリの中心部でも
大神宮に向いているとのこと。
グループを組んで悪さをするものだから問題
つまり、イスラム王の王妃たちは、知ってか
になっているが、しかし、あのような洞穴に住
知らないでか、毎日、何回も、伊勢の皇大神宮
んで、電気も水もないところでどのような生
におわします天照大神を拝んでいたわけで、
活をしているのか、スペイン政府もさぞ頭の
これはいったい何を物語っているのだろう
痛いことだろう。
か?。
そしてグラナダをはじめスペインのあちこ
アルハンブラ宮殿の観光を終えて外に出て
ちの街角で見かけたのがジプシーの老婆たち
アルハンブラ宮殿
だが、あいにくの雨で庭園めぐりは中止。宮殿
内のみ歩き回ることになった。
宮殿は確かに豪勢そのもの。まさしくすべ
てに惜しげもなく金が使われている。もとも
とはイスラムの王さまが造営したものだが、
コンキスタドーレ(スペインの失地回復運動、
「アメリカも同じじゃないか。世界で一番の金
持国だったのに、ベトナム戦争に手を出した
ものだから、一遍に貧乏になって、いま、もと
の力を取り戻すのに苦労している」
と言ってやったら、途端、一瞬絶句したのち、
「あなたはヤマグチ組の親分だろう」
かの有名なエル・シドなどが活躍した)のあと
ときた。以来、彼はガイドが終って別れるま
は、スペイン王家が維持し、さらに金をつぎ込
で、私のことを“ヤマグチ組の親分”と言い続
んだ。
けた。
アメリカ人である自称ジャック・ニコラウ
そういえば、マドリードのプラド美術館の
スが、どうしてアルハンブラ宮殿のガイドに
まわりでも、スペイン扇子とか絵葉書を売る
なれたのか不思議だが、流暢な日本語を駆使
物売りたちが沢山いて、日本人観光客をみる
して、とにかく一行を飽かせない。
と
「スペインの王様は馬鹿で、せっかく南米や中
「安いよ、安いよ。ワタシ、ヤマグチ組ではあ
米から大量の金や銀、宝石を吸い上げ、大金持
りません!」
になったのに、それを全部戦争で使って貧乏
と叫んでいたが、山口組も国際的になったも
になってしまった。
」
のである。
とアメリカ人ガイドが言ったから、私が
アルハンブラの街
70
山の斜面いジプシーが住む洞穴がある。
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で、顔つきはまるで魔女そのもの。その老婆た
うと思って、マドリードでも一流の店に入っ
フラメンコ・ショーを見に行くのは8時な
われわれだけを先きに観覧席に案内してくれ
ちが、なんの意味があるのか知らないが、手に
たら、ショートサイズのタバコ用のものしか
ので、ひとまず部屋には行ってシャワーを浴
た。だからわれわれが一番乗り。したがって舞
手に葉っぱのついた木の枝を何本も持って、
置いていない。
びて一服する。
台正面の一番いい席にすわれた。
道行く人の前に差し出す。うっかりそれを受
街ではロングサイズのアメリカタバコを
といっても8時半の食事まではおなかがも
それぞれの椅子の前に小さなテーブルが
け取ったらアウト。なにがしかの金を払わな
じゃんじゃん売っているのに、タバコケース
ちそうにないので、ルームサービスに言って
あって、ウェイターが客の注文をきき、好みの
くてはならない。
はショートサイズのものしか売っていない不
お湯を持ってきてもらい、カップラーメンを
飲み物をくばる。
思議さ。
ひとすすり。
またマドリードでもどこでもそうだが、ス
私はあらかじめ「舞台にもっとも近い最前
ペインでは目つきが悪くてガムを噛んでいる
ついでにスペインのタバコについてふれる
定刻、ホテルを出て専用車でシアターレス
列の席は、長いスカートが巻き起こすホコリ
人間を見かけたら要注意である。スペインの
と、ホテルにしろ居酒屋にしろ、自動販売機で
トランのようなところに案内された。料金は
や、踊り手たちの汗が飛んでくるので、第二列
ガムはとてもやわらかくて、とてもくっつき
売っているタバコの主流はラッキーストライ
ワインつきの食事と観覧中の飲みもの(選択
か第三列の方がいい」と聞いていたので、舞台
やすいのだ。
クとか、フィリップモーリスといったアメリ
は自由)付きで一人12500円。
正面よりやや右、第二列目に陣取った。
カッパライ犯はそのやわらかなガムを噛み
カ煙草だ。
食事はオードブル、スープ、野菜サラダ、肉
10時20分ごろ(スペインではすべて時
料理、アイスクリーム、そして2人に1本ぐら
間どおりに事がはこぶことはまずない)
、場内
いの割りでワインがつく。
がいっとき暗くなり、やがてボーッと小さな
ながら近づいてきて、お目当てのカモとすれ
田舎のレストランでようやくスペインのタ
違う瞬間、そのガムをパッと瞼と目のところ
バコを見つけた。値段は300ペセタ(270
に貼りつける。
円)
。名前はHAVANOS。ためしに喫って
ショウが始まるのは10時だというから1
みるとこれがなかなか香りが良く、味も悪く
時間半もあるわけだが、われわれせっかちな
一瞬、目が見えなくなるし、ガムをはがそうと
ない。レストランから出てきて、それを得意に
日本人一行としては、1時間半もかけてゆっ
間もなく照明が強くなると、舞台にはギ
してもマツ毛や瞼にべっとりくっついている
なってふかしていると、専用バスの運転手が
くり、ぺちゃくちゃしながら食事する習慣は
ター奏者が二人、男性歌手と女性歌手がそれ
から、てんやわんやの騒ぎにある。そのスキに
近寄ってきて、
ないから、あっという間に食べ終わってし
ぞれ一人ずつ、そして踊り手は男性二人、女性
まって、手持ち無沙汰をなげくことしきり。
六人。歌がだんだん急調子になってくると、踊
見かねてシアター・レストランの支配人が
り手たちは強く手を叩きながら激しく踊り出
貼りつけられた方はたまったものではない。
カッパライ犯は素早くハンドバッグとかカメ
ラなどを奪って逃走するわけだ。
ついでにスペインを旅して気がついた雑観
を二つ三つ。
スペインの男子トイレだが、小便用の便器
の取り付け位置がみな高いのである。スペイ
ン人の身長はあまり日本人と変わらないのに、
便器の取り付け位置が高いから、私などはツ
「それをあまりたくさん喫うとノドをやられる
から気をつけろ」
照明がつき、ぼんやり人影が浮かびあがった。
そしてグラナダ風の歌がはじまる。
と注意してくれた。だが、味がいいので、
せっかくの忠告を無視してHAVANOSを
ばんばん喫っていたら、帰国直前には完全に
ノドをやられてしまった。
しかし、あの味と香りはいまでもなつかし
く、もう一度喫ってみたいと思っている。
マ先立ちして用を足さなくてはならないばか
りでなく、うっかりしていると竿を便器のふ
ちにこすり付けてしまうのである。
フラメンコ・ショウの迫力
私などは胴長短足の典型的日本人だが、
それでも私より背の低いスペイン人が沢山
いるのに、彼らは不自由と思っていないの
だろうか。
アルハンブラ宮殿を見たあとは、スペイン
シルクの織物工場兼直販店を訪れ、夕刻まえ
だから私は旅の途中から、トイレに入って
にグラナダのロス・アレキサンドル・ジェネラ
も小便器を使用せず、椅子式、つまり洋式トイ
ル・ホテルに入った。この旅行中、初めて、そ
レのフタをあげて用を足すようにした。
して唯一の3つ星ホテル。
またスペインは皮細工がいいことで知られ
といっても場所がグラナダ市街から離れて
ている。手にとってしらべてみるとたしかに
いるだけで、建物も部屋の内装もそれほど悪
良い。しかしお土産用にタバコケースを買お
くない。
72
フラメンコ・ショウ
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した。カスタネットは使わない。
足を踏み、スカートをひるがえし、手を打ち
合わせ、息をつかずに踊りまくる。その激しい
ウトドアライフを趣味にしているNさん夫妻は
旧市街地の一番上に建っているお城めがけてど
んどん歩いていく。とてもついていけない。
こと、スピード、しぐさ、めまぐるしさはまさ
私やジャーナリストのSさん(60歳に近
に迫力満点。たしかに汗が飛び散るのが見える。
いとみた)は“赤い丘”へ行くのをあきらめ、
サングリアを飲むのを忘れるほどの激しい
ホテルに入ってコーヒーを飲んだり、土産物
踊りが約1時間半続き、最後は7歳ぐらいの
屋をひやかしたりしていたが、それでもあっ
男の子と女の子がでてきて、こまっしゃくれ
という間に時間がたつ。
たしぐさでフラメンコを踊り、そして幕。
にもかかわらず、Nさん夫妻はちゃんとお
ふと見渡すと場内は満席で、踊りに酔った
城まで登って、時間までに悠々ともどってき
観衆の拍手が鳴りやまない。たしかに見ごた
たからおどろき。つくづく年はとりたくない
えのあるショウだったし、野性の血をかきた
なあ、海外旅行は若いうちにした方がいいな
てられたような感じのフラメンコであった。
あ、そして日ごろから山歩きなどして足腰を
きたえておくべきだなあと思った次第。
トレドからは1時間でマドリードに入り、
土産にしたかった生ハム
第一日目と同じくコンベンション・ホテルに
入った。
夕方、Nさん夫妻とゴヤ駅(地下鉄)近く
翌日は午前8時半にホテルを出発。コンセ
の百貨店に買い物に行ったが、お目当てのハ
グラで風車の丘に登り、風の強さに感心しな
モン・サレノ(生ハム)の日持ちするパック
がらコンセグラ近くのレストランで昼食。ト
がない。
レドに向かう。
「これはどうかな」と手にとって眺めていた
こんどは山岳地帯からおりるわけで、右は
ら、運良く英国婦人が通りかかって「それはせ
300メートルから500メートルの崖。左
いぜい一日しかもたない」と教えてくれた。
はいつ大石がころげ落ちてきてもおかしくな
ペセタ紙幣は日本に帰ってからでも円に換
い急斜面で、軽乗用車ぐらいの大きな岩が、そ
金できるが、コインは駄目なので、なんとか全
れこそようやく引っかかっているといったか
部使いきってしまおうと思っているのに適当
たちで斜面にのっかっている。落石防止用の
なものがない。仕方なくキャンデーとかミネ
ネットはほんの一部にしか張られておらず、
ラルウォーター、サンドイッチなどを買う。し
右側にはガードレールもない。
かし、そのサンドイッチ、意外にうまかった。
そこを大型バスがごうごうと(さすがに少
総じてスペインは食べ物やコーヒーはうま
しばかりスピードをゆるめたが)
、右に曲がり
かったが、こんどくるときはユズコショウや
左に曲がりながら走るのだから、気持ちの悪
七味唐辛子をもってこようと思った。醤油は
いことおびただしい。
必要ない。さあ、明日はロンドンだ。
右側の席に座っていた女性が、しきりにス
ペイン扇子で顔をあおいでいたが、だんだん
顔色が悪くなってきた。無理もない。
約400キロメートル走ってようやくトレド
着。タホ渓谷の絶景をみたあと、私たちは新市
街の方へ引き返したが、山歩きのベテランでア
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