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野口英世
伝記編日 OTSUKA漫画ヘルむー文庫4 野口英世 漫画:浜田貫太郎 汁1JH ほ 凪 F . V 司 ,, aaE' JP 血 ﹃ - ム' 止 会薦 健推 保会 校師 学医 本本 日日 日本医師会 会長羽田春兎 すいせんのことば すでに今までの三巻で皆さんは少しからだのし︿みや 崎慌に同レ同陸時同防除同同は岡ド同比はい門砂い出陣旧 は伝記です。こういう偉人たちがいたからこそ医学が進 のことをもう一度思い起こして下さい。 日本学校保健会 歩し人聞が病気に打ち勝ち寿命が延びてきたのです。こ この本を読むにあたって 人聞の発明や発見は偶然の機会によるものももちろん あります。しかし多︿は、絶え聞ない努力ど強い信念、 そして何よりも使命惑を持っところに生まれて︿るので す。この伝記編から偉大な業績の陰にある偉人たちのそ ういう姿を読み取ってほしいと願っています。 会長村瀬敏郎 力ンちゃんと 野口英世博士 ♂切 を引 跡 てす は吋骨川リポ﹂ l MV レ 持 山 川 村口 広 ん ﹂ 牢 ふ 一ソ iハフ﹂ 時弘子 、 よ 律ι TLE b 円 Lmw 少にち人 のか疋た 世レ私れ 英だだく 門︺同除草ふア L 野世、え 巳英ガ 札 教 +℃、 4 q J宇 佐 お柑でと H M M 司川台 で し し何 万 h 大 介残 こ計 川 。 作 も こ ω紹 を l 凶 年き中ガ 酢 青大の気 Lιv仲 工 作 、 円 人う 的日 代日 ' l f V O ¥ J 2 ¥ 争 ヰ/ /¥I~つ 1 /ナ ご イi 3 ハ ヤツとは 'd 占 、W rトv 3 ・作 1 ・し: A C '肴 円 、 注、- ザト う}汚句句ら号 j ああこんな 頭の悪い 知らなかった 、 、 、¥ 今j 4 F 〈 V 4 布前霊源野 分 の 趨ミ 北口 〉 可 西1 新i 爽 1 1猪 銀: 宇 ,t 世 使Z 曹 守 録t の 利句 代猪『生 で営璽 m~零 す 9 世代 。所 高 山:配 S L . L . - .. か下仔箇 ら 恵与り ヘ パ、か l e t 野口英世 少年時代 ス駅え い在ばんシ前 家 か代 白 ま 手 の の ヌ コ 正 泊 ちに 湖 5 2野 す に い、 ち万 ミ 喜せ名 ?生 の f R口 。 大 ろ 、よ 裏 乍Eつ 'ま ほ 手 よ 英 や り 、つ の 。 <' - - れ と さ 世 け に と 畑 二 ど ま り 、は ど 落 の に 蚕 も し の 福 τ、 を ち す 出 の の 定 ま 島 主ー レ て き て と こ 。 ず 県1 八 てしにいきろ しの七 し ま 、 芝 、の い猪六 まいそ l ま田名 農 す苗 年 i 2 1 5 清作は、小学校に入学し ます。しかし、やけどをし て、まるで木の棒のように なっ左左手ガはずかしく、 力パンや、きものでかくし ていまし定。でも、こども だちは﹁てんぼう﹂﹁手ン棒﹂ と清作をからかいまし定。 6 ぼくだったら 泣いちゃうかナ 学校も 行きたく なくなるなあ だに勉げし さ て のな強やだ二えわあ自 でるで、。人さ芝や親 す こ は 体とそ は せ し ま は 。 と 誰Z 操 ミし 抱どな ガ り そ をにでてきけ、まん 、も は 清 合 れ あ し な 白 負 負バ乍 つ ぱ 前 芝 清 にけけはて iに。作 約 ?な て 、 泣 ゃ に 束 ?し1 も 石 き け 泣令 し 入 、 投 公ま ど い チ ェッ ぼくだって えら いまに みせるさ 偉︿なって 7 野口清作という あの @AJLゅう 生徒は なかなか ですな 優秀な子 く績どて│ 誰 な ガ ん 勉│ 自に清 りよ成主強│ 分も作 ま ガ 績 ま す│ か負は す れ ガ る│ らけ勉 。 ぱ あ の│ ゃな強 、 ガ だ│ るいを 勉 り か│ 気ぞし 強 ま ら│ を:ま も す 、│ 起。し 楽 。 ど│ こ 定 し 成 ん │し 。 を 当 し を ま 代かえ わ 買時のだしわるず成 つであい疋り「か績 て は 金 へ 。 を 生f 十の く め を ん 白 す 長 :歳 良 れずは喜のる L でか ま ら 疋 ん シ 役?と 、 っ ししいで力にい下芝 定いて、はえう級清 。学 T 、 な 、 ら 先 生 作 生三そけこぱ生をは 服t のなれれの教、 8 今も ずっと卒換 そうどったら お前なんか できなか った もんな ガ し わ の 卒土 許 2 、 ざ 学 業 :清 さ 合ミわ 枝 を ' 作 れ 格1ざ l そ迎がそ まし先 ミ す て 生 上 舎や i 。はが級宍~ガ じ来の。て めて学こ小 て 試し 枝の学 卒 験1 かこ校 業をらろの 手で験いの に木のまず上 気のとしぱ級 ガ棒きだ按由学 つの、。け枝 きょ清そ芝の まう作し成先 しにのて績生 定 な 、 、にわは 。 つ や 面 土 驚F だ け 接ミし¥,-清 左ど試て作 つよと学 て級、校小 い学でへ林 る校も行先 こへ、き生 との家だは を 進上ガ ガ 、 知 学T 貧 手つ 清 りをしてイ乍 ま 芝 い い か. しめ芝る上 疋らめこ級 9 先先 生生試 ガの験 い中に まに見 し¥え 定 J¥ ; i 定 。 林:上 栄 子級 と ‘学 い校 うの その後、小林先生は清作 の由シ力とも会いましだ。 三小年 」学の そして、清作の田親から、 、ご 泣 思f けどをさせてしまっ芝こと、 と の 出 等5 少 5 f省z i 本 できれば勉強を続けさせて 弓歪 │ 弓。罫枝、、 品こ やり疋いガ、それ定けのお金 ガないことを聞きましだ。 -・・清作はね 自分のこの やけどした手に とってもひけめを だけど はねかえす﹁力﹂も らから そのひけめを なにくそと しを O E 麦、い 持っていたんだね ず十 元二清 気キイ乍 に 口 十 通Z の三 学 T道 歳 ぼ︿んちは ぽ︿が大学に 行けるまで だいじようぶ だろうなあ いは と枝だ て決清に X め小 喜 し 作 し 岸がに 林 び て と ま 蚕;ょ 先 ま忘字シしを級生 しれ力 c白骨は し 苦 〈き 定にか 。もえ せり 10 ^ . お r 人 旅 1戸 出 まるのは 疋 館υレ し 本 し 人 l ま 、努 ちのパてやた々か田力 でごイくノ。のに親家 す主トれ │ 、、との 。人を疋ト 思清小清 さおを い作林作 だせ友買 やの先を くてだう り 身み生 さくちお も 近Z の んれや金 あに愛 ~ c 子 ご友 弥ゃ ご 脅すち 平C の の芝、を や蹴 I } 続減 刊i ・ t i勢 清作の作文を、小勝兜生 から見せら俄生方 も、お金を出し合い按じ定申 舎まで巴もいろいる清穆 の定め巴お金を出して来定 人たちも、また、こころよ くあ金を出しまし定。 11 小林先生は、清作の手を l 何とか治してやり芝いと思 i ゆ く主怜 えl i 轟癌醗 ザ i f うようになりまし芝。 事〉 ず三ぢ Z Z 1 叱字句、万主的司戸 文 そして、みんなに話して ¥ 乞 . l - 失事五の z お金を集め疋のです。 人弁A り い 情; の 渡部先生と会陽医院 さえ そ 学 院二 三 ミ いのんにー い先 5 5 J そ ま生 E 2‘? 守 宅の芳三 名ぉ 1 . ) 前り力 はまでの 学枝のあ友定ちも、少し Eし 医 会? ; ずつですガお金を持ちより まし定。 渡 部 主疋 学 陽 i 圃 2 、 。 を 医い し 術主 定を' 清 。愚作 i 亨尽 き 人 Lとめ F7 l こ沼ミ な 意、 りで ま 手 12 手術は、長い時聞かかり まし定。麻酔(痛みを感じさ せないくすり)もきれて、渡 しい痛みガ清作を苦しめま しだ。しかし清作は﹁これ H で 手 ン棒 Hでなくなるん 定﹂とガんばり通しまし定。 手術は成町しまし定。こ の知らせを宙シ力のもとへ 知らせ疋のは、お友だちの 秋山義次です。秋山は二十 キロの夜道を定りに定って、 たくさんの方に お世話になった このご思を 忘れては いかんよ 13 手術の成切を祈り続けてい 定シ力に伝えだのです。 清 作 こ 「 ガ 自じ こ 医 で 白守 ろ学きな か L る左 らのよ手 感 士す う を 清作は、自分をここまで 芝にれこ、 。 、 だ と 不ふ にしてくれ芝田をはじめ疋 ま し だ 。 くさんの人々の思を、決し 医学って すばらしいなあ 動5 ぱに物 しらしをそ まして持し しさくって お白さん おじいちゃん おばあちゃん 田中先生 さかい先生 モモコ先生 ユ力ちゃん・・ な忘音量2 こそ いれかいれ かで つに 1 る ー :し ん人て じ も や 14 お友芝ちの多くは、さら によの学校へ進むという。 中には東京の学校へ行くん だというあ友定ちもいだ。 清作も、もっと勉強を続 け疋かつだ。だガこれ以上 小林先生のお世話になるわ けにはいかない。 働こう うん・ ・ ・ 働きながら 勉強すればいい 小林先生にも、自分の考 えを伝えましだ。 そうか 医者に なりたいか そうだ・ . . それなら 話をきいだ渡部先生は、 清作の熱山さと、手術の時 じっと痛みにだえだがまん 強さを思い出して、書生に してくれましだ。 清作は、動くようになっ 左左手で、先生の手をしっ かりにぎりまし疋。 15 清作 医学者をこころ というわけなの あの子ちょっと 頭がおかしい んじゃない? 16 清作の勉強ぷりは、渡部 先生をはじめ、書生仲間を びっくりさせましだ。 ノ ; 屋ゃ 喜 eし に- ~ や渡 す良ß ~ す部 まとい先 わ二よ生 せ人うは まだに、 し け 、清 芝の勉作 。別強ガ の家勉 部 への 強 ま ーに型 も 清 す 生 }で く 作 喜 。変、りは一 わこか、郎 うのえわは なねし力、 力 ぱ 勉 る 天Z つ り 強 ま オt E 強すで型 とさるなだ いは努 ~ Iv ガ い 力; ど、 17 ι 大 そ 憶 辞 じ自そ 1 1 切 う え 典Z分う 1 7 ごいでをでいら ぞういひ う 努くい と ヵ:てき も こっちは 英跨や ドイツ語の 辞典 ドをス イ学を清 、 ' y1 3 ¥ し1 イ 乍 語にかは をはし、 勉ぜてあ 強 つ 英土ら し だ 語ごゆ まいやる しill!.¥、チ 定要医ヤ 。な学ン ガろ」 し ま 昌│ こ ごq窯 ? 2 1 元三会と │ さi 陽 し¥ 1 医う 1, " 院 伝│ あ も 染│ 地 大病│ 官 いが│ f d そひ1 ' : ; : (再帰熱) u 18 微 uこ 1 1 . :C ,る い に が 鏡 : の渡 ~iíj <: J 高i よダ病 で ' 回部 'ik ~ するに熱~...., ニ 気 回 帰 見 帰 先 ゃ? る艇をてなの せ熱生 ;と に だ う と ! 引 き員同 ; 盲 説;52史F 戸 原 書 え がり 、れ の な 。 { 本 生 す で 、しる 血 る a を 苧 託5 tilfk すがだ 5 13こ し く ひ う ! 京 日 顕 にに 7 1 14ん l iすど . ! h1 4 :( 、 ‘ こん な 小き いもの が 人間 を 二九 殺したり 病 気 にしたり するんだな あ とで を 最! 日 早 は 清 も 高1 こ ま 1 3 ¥ 見 作 つ 級?の し小えももの顕 疋さな、の、微 。ない喜で 干 鏡 小スーし こ は さピ郎疋 百 、 な 口 も 。 倍T :当 生 主へ 、 の時 物 三│ 肉J t 倍氏で に タ 眼主 率2 は まあ幸い 顕微鏡などは 直接患者に あつかえるから 研究する医学者に 接する医者より 病原菌などを なったほうが・: いな てい清 考ま作 えまは て、、 み自そ ま分の しの夜 芝 将 }寝 担 。来三つ にか つれ 19 翻訳(ほんやく)Hある国の ことばを、別の国のことばに なおすニと 。 定 め清 の作 勉は 強、 を 細三 は 菌E じ学 め者 まに しな だ 。る 業i つ大れわ方 を' こ変をし、 やつな翻く顕 りとこ訳し微 続手ょとしる鏡 け あ で 理 ηさ の ま む し 解? ;れ 使 しず すだい 尽力清る本方 》し作こでな い は と 、ど 作会 こはこく 20 顕微鏡 ねえ お父きん ぽ︿にも お医者きん -フちのパパ ううん パパのよ って ! 見せてくれる 顕微鏡 お父さんが -:という わけでね ユカちゃんちの ですもの だって かつてよ 顕微鏡つ e ﹁ J 3﹂、 カ うーん そ・フだなあ もう少し ふえたらナ こりや 当分 ダメだめだ 21 どうだね カンちゃん ヨーグルトや チl ズを つくってくれる パンやお酒を この乳酸菌 二うば 3A つくってくれる 臨肝母菌 そうか! また一方 ひや︿に九一ザ3 回帰熱や て3 盲目唆など 伝染病をおこす 人間の敵の 小さな生物も いるんだ この人間に 清作は 悪いことをする 小さな生物の 勉強をする んだね 語道レンズ 164L 22 血脇守之助 びっこのをだ に も と 人 臨えけ 皿 き 涯 に だ 時 じ会 脇 て 部 し ち 診え陽 短 い 先 ま の 療 ;医 生 ま 生 し 歯 所E 院は しのだのにの、 だとガ治しま要 。こ、療てえ体 ろ夜を、のみ に は す 地 旅 1の 遊いる元館活 歯 しの し に 科 か親 定 一 一 医 .友 。 人 八 で iで そ の 九 しl血 勾の 害 五 だl 脇2 人ガ年 0] 守 t は疋夏 之町 、ず 、 助Z 渡ね会 と部て陽 い院き医 う畏ま院 勉強している清作に気位き 書生でいつも夜おそくまで 血脇先生は、会陽医院の りだい。りっぱな医学者に に、なんとか力になってや めで勉強熱山な青年の芝め 血脇先生は、この、まじ iF ヨ まし定。 ら も皿 、主主主 。イ 乍 の 言 舌 を き き 感 動 し してやり疋い- と思いまし ・ ・ 野口︿ん ことがあ ったら 東京へ来る わたしの家に よりたまえ 23 ヘ 吉 小 作東 津 一 周 して │の 商 てく 1 3 ¥1 で先清 下れだ│ す生作 さだり│ ガには つ う の │、 、 、 だえ先│ と東小 の、生│ 相1 京林 でおは│ 談f に栄 す 金 、│ し行、 。 ま 賛i まき渡 で 成1 しだ部 だし │ だ 。い 鼎 それだけ 清 作 の た めを 思 っていて い帽や二う-田多 下さ ったんだ また それだけ 清作が勉強家で まじめで 努力家で 親孝行で 24 そういえば に八たい 猪苗代の 清作の生家の 配念碑に 書いであったな ﹁忍耐﹂って 記意碑には、日本語で﹁忍耐﹂。 フランス語で﹁忍耐はにガい、だガ t- 実はあまい l﹂とあります。 あ伺 なに オシッコ って? がまんしてる 25 買 志主 律 Y得 自 ~ LI 弓 ; iを 、 地 : u ' . . . を ざ 岩 踏 ゅれ 伝 言女ぱ崇 ず の 』 柱 ることガできます。 つけ定柱ガ残っていて 、これを見 清作の生家には 、清作ガきざみ 定つ芝のです。 巳は帰らないぞ -とか芝い決山 医学者にならなかっ芝らここ 此 ~:書室喜 , - 両世 親話 ー そに 八 しな九 てつ六 弟定年 清 三々 清 三雪 、作 とま 十 もだ九 の人、 、、歳 東 京 でのさだない下 宿 生活ガ始まりまし定。 医術開業試験(前期)は 月後の十月でし定。かなり 清作ガ東京に来てから一か むずかしい試験ではあっ芝 ガ、清作はみごとに合格し まし定。 ゃ っ 一 た そ 26 しかし、前期試験は合格 のんでくれまルだガ、院長 は、舎は人を雇い入れる気 皿脇先生は、院長先生にだ はないといいます。 し疋ものの 、まだ後期の試 験ガ残っていましだ。でも、 院へ来だ血脇先生のことを 清作は、舎年の夏会陽医 らうことにしまし疋。 ないしょで清作を置いても 小便さん夫婦に芝のんで、 歯料医学院を定ずねま 思い出し 、先生のいる高山 血脇先生は困ってしまい 清作のふところは、さびし くなっていまし芝。 先生や友だち からもら った お金も 然り少なく なってきた づ僻 きびし かったから ついつい むだ遣いして しまったなあ 27 清作は、目立だぬように 小使さんのてつだいをしま しだ。 じつは、院長先生はこれ をしっていましだ。そして 、 清作の勉強ぶりや圃きぶり を見ていましだ。 主主 そして 、清作を正式に小 使として雇ってくれまし定。 清作は、後期の試験に合 格するには、ま定まだ勉強 ガ芝りない。もっとドイツ 詞樹齢凶刈 困割晶劃 ガできる学絞 へ行きだい・ そう思うと、血脇先生に相 談しましだ。いや 、相談と いうよりもっと強引に定の み込んだのです。 援 えの ま ず 続芝りく •. けり高よ清悶 ~ t?_しう 芝 、い う 作 を め 疋 ず の親月にの続にガう で も 謝 と 左 け 、、 し 門 す お の 再三手 ま 出 青写い 。 よ 学 手 ガ し 来 望守青 ぱ校術もだるな年 ぬにをう。ガこに 援 え通 さ 少 ぎのあ 回i わせし り膏き」 をせだ動 の年れの 28 清作は、医学を教える学 一八九七年十月、清作は す。受験者八十名。そして いよいよ後期試験に挑戦で その時の合格者四名。 校に通うようになりましだ。 しかし、学校は遠いので 、 の笥かありまし定。 合格者の中に﹁野口清作﹂ 学院の小使をやめ、学枝の 近くに下宿しなくてはなり ません。 七年はかかるという試験 を、清作は一年、 一発で決 下宿代と 、学校の月謝で 十五円もかかります。血脇 めだのです。 合 成 仔r ゃっ十 v , 先生の月給ガ七円です。し かし血脇先生は、いろいろ な人の協力を得て、そのお 金を清作の定めに出してや りましだ。 杓れれぞ 医者F c 29 よりなる さ 言 ,/i天 セパ と占 盆 " と 感丈の おまえだ って お医者さんに 努 力す れ ば なれるかも しれない 30 細菌学者への道 baう よ な:・なに 故郷へ帰って 医者になる のか? J のではない 。 、 ,くには ぼ 医院を開く お金も ありません 字F A 、 一 は 細菌掌去に なりたい のです 血脇先生は 、清作ガ医師 の試験に合格しだら、故郷 に帰って医者になるのだろ うと思っていまし疋ガ、清 作の話を聞いてなっとくし ましだ。 いいじゃないか き みは 今 は りっぱな医者 なんだから 31 匿 事 学そをそ 院のあし の仕だて 講 ミ事 え 、 師 しと て 清 2 はく作 誌、れの 5 高ま疋 で山しめ し歯だに 芝科。{士 血脇先生はだいへん喜び ーー令ー 刷 竺旦』 まし芝ガ、清作は不満でし ・・細菌について研究かでき . じと J I I 買 食を E し 天1 事つ 0 て 堂5 つく 医‘ さ る し│し 勤 2 E 。は 雑 2 、誌 L 円片岡同怜同医陶随 なかっだからです。 ある日、清作は思い切っ て、皿脇先生に学院をやめ 芝いと申しでましだ。 どこか ドvつ ノ、何ゾ 細菌に つ いて のです 研究できる ところへ 行きたい に ヌ 《清 な 立 じ作 り E E; は、 し 月 "さ だ 結 ?な つ 田 し で、小 さ 医、さ 円でる るにや ことい め 院x でこて 32 食事つきですから、節約 すればなんとか生活できま しだガ、清作はいつのころ からかお金の使い方ガだら しがなくなっていて、お金 を持っと遊び歩きましだ。 そのくせ、髪の毛はポサ ボサ、着ているものはヨレ ヨレ。 さすガに血脇先生もこ 怒り お まし定。 その本を出版してもらえれ ばお金ガ入る・:と、その日 大愚ある先生を怒らせて は疋いへんです。清作はあ やまりましだガ、もうお金 を借りることはできません。 清作は、故郷を出るとき からの﹁宿題﹂・:細菌学の 本の(後編)翻訳をして、 そしてお金ガなくなると、 から、その難事業にとりか かりましだ。 血脇先生や、友定ちから大 金を借りて遊ぶのです。 清作という人はネ 一方では のら 金使いが 荒かったり したけれど また一方では すごい努力家 だったんだ 野口︿ん おい 少しは 寝たら どうだ VA ,J 4 、+・ いや いい の です 三時 間 寝れば 33 学 菅Z の 野町 翻徹三 訳 三す をは み出 菅野は、清作ガ順天堂医 菌の 院にいるよりも、伝染病研 清作は、血脇先生、順天 堂医院の佐藤進院長などの つ 権1 病 芝 鼠ぃ研 。 。ヲ 宅 ほ岡崎内陀い陥陳情剛院聞 に、問手として入ることガ できましだ。 北里柴三郎樽士 イ乍の染 研 究 所 を つの 究所にでも行って、もっと α コ 勤 め 疋 伝 。 細 菌 学 呈三塁差 だ よ2 細 役? じっくり勉強するようすす ちの英 1じ 月 斤 性t 上接 めまし定。 の所 来直 イ乍り でき しつ 疋て ガ研 、究 なにもきせて くれない l 思ったのに・ 助手には もっと いろいろ 研究できると だ 守清 は 問所 もに な入 くつ 34 奥 急=気 大 さいと思 んで閏あ を帰いる 見 みり て 先 とい苦 生 いいしそかそ うくんれらん も す で に 手 てな の り い は 紙主折 い 早三清 の ま 速 Tイ乍奥 し な 。 妻2 居会 だい東ガい津 。 も 京 腎 Zだ の の に 臓5。 小 ガ 何 病3 林 か で 先 舞 玄、 、生 し、はさ だ先会ん 。生津ガ のに病 清作は、東一切から持って 来芝くすりを飲ませ、っき まかせてよ お父さんが 死んでからも おはか参り てのだて ちゃんと " さ 気 護ご 。 涙さん は の を は 治主力 な 、り い ガ清まあ しイ乍しつ してあげるよ し こ 生 れJ 厚 三 まろとのい し に 奥 病 看f 35 っきりで看病しましだ。 うん これからの おまえも 人生で これを 忘れては いけない 霊丈 ま 奥 与 ご 先 さ 手て c ではる、ガ、 ほっとし疋ある 日、清作 は小林先生にこんなことを il-3 r 話し出しまし u m a h 糸川 先生 この小鋭の立 由 ﹁野々口精作﹂という CA--' 人物がでてきます ぽ(と同じように 医学生なんです そしてその人物は ふしだらな生活を 続けてやがて csq 自殺してしまうのです ﹁うぜんでも 同じような名前で不ゆかいです ぽ︿は名前を かえようかと思っています 36 英世 アメリ力ヘ レ と ろ のメはレ ろメ が ね 、 る 定 リ に て し す ずあ 掛 て力答いあ ににえら 、 37 ある目、英世は、所長の フ;よそア私フそ 、定 な 渡主ぎ っ し ¥ つつししい てだだ やで く英ガいす 北里博士に呼ばれまし定。 勺うや︽ すうに 今 ア メリカから フレキスナ!という 博士が日本に来ている そ の 博士が この 研究所 を 見た いとお っしゃる きみ通訳と案内役を やってくれないか 熱山に案内して回る英世 に、北里博士はもちろん 、 フレキスナ │博士も喜びま しだ。 れ世の 在l まのちとを博士 ~.:.L4 に ← くきカのス おはにうナ の 願行ち l みい に博 まし 土 L-す ま す i だ の さ v 英 世 は 、 ここで英世は、大手柄を ベスト め日国 ぺ 号ん ス だてます。 、で 記 ん 求、各は昌喜 1竿 ス ら が た L叩卜 乾 fノ t . :T I i ¥ i 黒i 死b 燥 iミ オ 、 に 病 iし に ズ 、 よ とーて よ ミ つ も黒っかて 呼ってら起 ば { . r入 、 こ れくにそる るなうの イ 云 る つ 泊i 染 そのころ、日本ではじめ す 派 uま い 清 二 三 い 。 遣1 って圏三三 へ 横査の結果、高熱に苦し ぺい の 師 ガ っ す 清副ま で の 集 て 。 国. 7C と ひ l 吸す感 2 ぺ かふつ て、外国力らくる船に伝染 語痛λが吠末件患者せ士 湯 寸¥ fλ ことを発見しだのです。 これゆ 々スト ku ペストは、 わずか五年前、北里博士ガ ホンコンではじめてその病 原菌を発見しだばかりで 、 一般にくわしく知られてい ませんでしだから、患者の 発見は大ニュースでし定。 ら本ガスにで れ か ら ト あ 、北 てら医ガく英里 いも師はり世博 芝医団やまを士 ガて 病患者ガいないかどうかを 。 海港検疫医官時代の 。 英世 。 。 職匡 官2 れつ に北」をだ さ 里 ガ 横1 り せ博lD!.¥査 さす ま士要する し は で る 法す 芝 、 し 「 律2 。 英 疋 海? ;ガ 世 。 港 ミで を 横1 き そ 疫2 の 医 いそ こ えを埼 38 いと思うようになりましだ。 ますます戸メリ力に行き芝 英世は、帰国してからは ガ、それを伝え聞いだ小林 くれると言ってくれましだ 弥寿平は五百円を出して のもとで講師をしなガ5、 ってき芝英世は、皿脇先生 先生に叱られて東京に戻 作ろうとしないのか なぜ 自 分 で そのお金を 他 人 に た よ る のか きみはなぜ へん怒りましだ。 先生は、英世を呼んでだい 疋さじ 、んみ あおの 、 の金 皿脇先生は 、そんな英世 をみて 、方々力らお金を借 りなんとか戸メリ力に行か せてやり芝いと思いまし定。 39 それでも戸メリ力への夢を 捨て切れずにいましだ。 八 ゃを そ 子 ごつ し 八 弥 ゃご て 子 寿 すう 舎 と 平 ごし で は でても、 すく芝却 。れくな 日 1 : 1 フレキスナ│博士は、突 を感山させましだ。 えの熱山さと努力で博士ら 定。ここでも英世は持ちま 英世は、博士の友だちの ミ 山チ工ル博士とともに 、 毒蛇の研究に取り組みまし 然やって来定日本の青年に 五 そのこ沼戸メリ力に行く には、汽船で十八日もかか =. いましだガ、しつこ す言葉 りまし定。そして、フレキ かに りは ま 、 。 ? 三 ァ i .' 車 で も 40 毒蛇の研究はりっぱな本 にまとまりまし定。 てく学カ 〈 校は れ 実与を るヵ }出 。勉メ 強 I _ ) 力 につださだし 刻 喜だ ら ん 過かて み こ 、 の 去こま 込とこ人を疋 み を こ 々 13¥ 、 ま、まのり自 し あ で 援土力 分 芝 ら こ 助 5え の 。だらがつ歩 めれなてい いよいよ研究発表の目、 ノ てなか芝て 両博士は 、育名な科学者だ みなのリ 研で 究、実 に英力 熱 予世 ガ 中 手は も しまの ますい しまう 疋すフフ l 山かつくきそ ちに英世を紹介しまし定。 ヒデヨ・ノゲチの名は、 で、 不 1 、 明 広く戸メリ力に知られるよ ゐ 会え わたしは びんぼうな家に育ち 左手のやけどを 笑われてきた いつか見返してやろう 偉くなってやろう:・と がんばってきた そして自分の力で ここまで来たと 思っていたが そうではないんだ たくきんの人々が わたしをここまで 育ててくれたのだ 41 うになりまし定。 人でどア をはこメ 英世は、人は力とともに 徳(りっぱな山やおこない) ガなければいけない・・・とつ アレ? 刊ぺlジのときと 同じだなあ お母さん おじいちゃん おばあちゃん 田中先生 きかい先生 モモコ先生 ユカちゃん・: 叫 べ lジと同じで こいつ 誰か一人 忘れてんだよなあ 42 血清 療行示 英世が研究を 続けた e げヲえ 22弓 ロックフェラー医学 ご~ =- ~ 研究所 島内9 L a守 のき 」書留三 O 溝 fの に 」 血液をt ってしばらくその kうめい 、 透明なう ままにし てお ︿と かた わずみ液と、赤黒い固まりに 分かれます。そのうわずみ液 が血清 。 ど 毒、,(例えば蛇の)や病原磁 を、ある動物仁移すt その血 清仁、その毒や病気をやっつ ぷっしつこうたい ける物 質 (抗体)ができます 。 めた その抗血清を人に与・ λると、 その人は毒や病気 にうち・勝つ カを 得ます 。 英世が研究したのは蛇の奇で、 1 0' ;Ai この毒をヤギに注射し、そ のヤ ギの抗血清を使 ・λぱ、蛇にかま れた人は死なずにすみます。 まんよ 英世の毒蛇の研究も一段 長吾; や 落ついてしまいましだ。英 ︿ 句 世はこんどはトラホームの 空のう 「毒│一 作うし るちま英 こ勝す世 をに学年 とつ。は でく研ア すす究ン 一年後、戸メリ力に 帰つ疋英世は、世界にほこ mZ聞 の ロックフェラー露呈 一等母子として迎えられまし 定。そしてさらに、 =歪後に ことにしまし定。 43 病 な 気方 u 病原菌の研究にとりかかる きさの 皿: ' . 9 t 8-?九 は準正員、五年後には副正員 になります。 ガ疋 でくこ りはマ 梅毒 な か ぱ 、 い ま す 。 そのころドイツで梅毒の 病原薗ガ発見され、医学界 の話題巳なっていまし定。 間巳ある西インド諸島定 けの病気でしだガ、それが 戸ツという聞に広ま わ疋病 気で、ひどくなると脳をお かされ、死んでしまいます。 は 婚えの フフも研 メし究 リての 力 の 人 で だ 夫?ぃ 入 鏡 も 梅毒も恐ろしい伝染病、ま さに人類の敵です。 英世は、この梅毒の新し い発見方法をみつけ疋り、 ま芝、死んだ患者の脳から 梅毒の病原菌をみつけ出し だり、医学上大きな働きを します。 世界中でこの病気の研究 をしている医学者はだくさ んいましだガ 、ノゲチの努 力ガ勝つ疋のです。 メお英 I _ ) 嫁 品世 つにま英を寝 疋つし世のる ん 結己こ さは そく芝のぞ時 う す ガ 愛Rい 間 研 で や 、 相通て を 究 す さ 宝 ) い 惜 u熱 。しとにるし山 い L あ「んで 奥もきヒで、 さよれデ顕い ん く おて イ 微 つ 44 な 結立さ 病核 ~. 5 英 気じに世 2与 J J~ ~ I 宅 提 ホ 児三梅 を│マ毒 続台ヒミの け き 狂 t研 ま 大 犬i 究 そき病 1 2 そんなあり、英世のもと に一通の手紙ガ日本から届 きまし定。それは、血脇先 生のもとで一緒に勉強しだ 友だちからぐ中に英世の 田シ力の年老いだすガ疋を し定。 写し芝写真ガはいっていま しかしその白も、一九一 八年十一月十目、六十五歳 でてくなります。 45 シ世 しよ友 力に十芝とだ英 は 、五 。 熱 ち 世 泣巴年 l 山もは き本 1 3 ¥ に、大 じ中り す 一 声 や 大主に す度で く 騒Z 帰e め帰泣 り ぎ 国2 て つ き ま 、し し宙定 だ の英 。 くてま れ来し まい疋 。 熱病の調査、研究の定め南 かけます。 戸メリ力の工ク戸ドル へ出 患者や病原菌をもったネズ ミなどの血をす つだ力ガな かだちしてか かる伝染病。 高熱と寒けで 、 血を吐い た りする。 τ フ 医│ 学そ 研の 窒後 、 の口 円片 い局 庁 ソ 、 土長 7 のフ すフ 工 い戸五 の 熱 疋だはか る 7 月ーで病英 。、 にし 天 Zラ 二 九 す は 世 研 世 み か 国f で 十 二 。お に 究 界 え し に英一八 そ 、に 中 だ 旅世日年 い 悪T 続に黄一 立は 、( ガ 魔 まく 映 熱 時 ちあ戸昭 かの研き病お ま白フ和 つ よ 究 荒 あの さ しさリ三 てうにれあま だん力年 き に 疲 Zま ら つ 。の・ ) だ黄れしし疋 チ ンこ をこ つで く、 つ英 て世 人は 々 予ょ を 防す 助つ けク 五 十 世一 界歳 の 医短 学い 界 生} に 涯f 残で しし 芝芝 46 . 1907 (明治 40 年 ) 31歳 ア メ リ 力 ・ベ ン シ Jレノぜこニア大会酔より、 T'( ‘ , , ( マ ス ア ー ・オ ブ ・サ イ エ ン ス の 学 イ 立 を 贈 ら れ る。 ・ 1911 ( 明 治 叫 年 ) 35 歳 京都議酋大学(今の京都大学)より 医 学 博 士 の 学 位 を 贈 ら れ る。 ・ よ位ぃ 々の 1914 (大正 3年 ) 38 歳 う 、 か 偉い 東京帝国大学(今の東京大学)より 。勲1 ら 大目 章; 贈?な なら足 理学博士の哨立を員曽られる。 ・ ・ 1915 (大正 4年 ) 39 歳 帝 国 学 士 院 よ り、 主 主 均 百 を 贈 ら れ る。 1918 (大正 7年 ) 42 量 生 に Aの 、 エ ク ア ド Jレ 名 誉 軍 医 監 、 陸 軍 大 佐 に 任 命 さ れ る。 グ ア ヤ キ ル 大等監、キ 卜一 大 学 よ り 、 名 誉 畢 伺 受 の L主 bご う 見 名合 世 て 誉ょ 界野 みあ中口 まるの英 し 学?国 世 どれ跡 でだを 称 号 を 貝 曽 ら れ る. ・ 1920 (大正 9年 ) 4 4 . 歳 ベ ル ー ・リ マ 大 学 医 学 部 名 誉 教 授 の 称 号 を 贈 ら れ る。 ・同 年 この本をかくにあたり 、次 のような文献を 参考 にさせていただきました 。 -中 山茂著 野 口 英 世 ・ 土 橋治重著 野口英 世 ・ 馬 場正 男 著 野 口 英 世 ・ 神 戸 濠 箸 吉 弁 忠 商 野 口英 世 ・ ブ ル lガイドパ ック 会 津 、 蔵王、 仙台 ・ 学 研 新 世 紀 大 辞 典 ・ そ の 他 47 メ キ シ コ ・ユ 力 ? ン 医 科 大 学 よ り 名 誉 医 学 博 士 の 学 f 立 をR 曽ら才1る 。 ・ 1921 (大正 10年 ) 45 歳 ア メ リ 力 ・ブ ラ ウ ン 大 学 及 び エ ー Jレ 大 学 よ り ド ク ト ル ・オ ブ ・サ イ エ ン ス の 名 誉 学 位 を 贈 ら れ る。 ・ ・ ・ 1923 (大正 12年 ) 47 歳 帝 国 学 士 院 会 員 と な る. 1924 ( 大 正 日 年 ) 48 歳 フ ラ ン ス の レ ジ オ ン ・ ド ・ヌ-)レ微調Eを 目 曽 ら れ る。 1925 (大正 同 年 ) 49l 最 ・ ' . . コ ー ベ Jレ 賞 牌 を 贈 ら れ る。 フ ラ ン ス ・ノぐリ大学より、 ド ク ト Jレの名誉学イ立を且曽 ら れ る。 ぜ L ご ・ い 正五イ立の動章受講t" 1928 ( 目 召 手口3今三) 亨E呈 云 ( AI :t . う ~.l (じっじ...ニ, L. :' 寛 有= 二' O oc 二事Eさ才、、丸E 日.ぅ'e.を員個らオ1る 。 フ ラ " うえ さニ うあう O A l n. ン ス 政 府 よ り 防 疫 功 労 金 牌 を 贈 ら れ る。 ニの本を作った先生方 j 曇 函 浜田貫太郎(はまだ・かんたろう) 昭和 5 年東京生まれ。東京J~業大学・~~学部中選、 日本芸術学院卒。代表作にミ ニミニ ミクロ君、 まんが活、 1'tちゃん釣り歩きなど。著~I f-に'!lt1J 物のひみつ J'つりのひみつ J'つり入│吋 J'海づ り入 I " I J' J I Iづり入門 J'ヘラブナ釣り入門 J' つ J '存夏秋冬つりの本J 'かんちゃんの りの小百科 没1 1 ! i 1 かま〈ら使利帖J なE。 監修委員 村瀬敏郎(日本学校保健会会長) 矢野 亨(日本学校保健会副会長) 和久井健三(日本学校保健会専務理事) 大園真彦(日本小児科学会会長) 協 ) I 頂天堂大学医学部教授) カ 酒井シヅ( 修 第川森ビル八階 例 日本学校 保 健 会 東京都港区虎ノ門ニ│三│一一一一 q 尚、二の冊子についてのお問合せは 窓口3 3 2 3 3 6 9 6 0'OTSUKA 漫画ヘル OTSUKA 薦 )世界を駆けぬけた生涯 行函 径七 漫 画 ヘ ル シ l文 庫 伝 記 編 五m @ 野 口英世 推 船 日 本 医 師会 l 二八│一 六 東京都文京区本駒込 ニ 浜田貫太郎 大塚製薬株式会社 東京都千代田区神田司町二│九 前伊割到到剖汁叫割刺柑 llt6 東 京都千代田区神田小川町三│二 インペリアルお茶の水五O 七 株式会社旭通信社 東京都港区新橋一ーー九│六 合このヘルシ 1文庫を御希望の方に戸失費 (12 0 0阿+送料)てお分けしています。詳しくは OTSUKA没闘ヘルシ i文賄事務局 803 (3233)6960まで御述絡F さい。 発;曇 j J l . 当 { 宅 ま で ? 。 48 日本学校保健会編 図書一覧 学 校 保 健 の 動 向 平 成 3! I 三l 克服 2, 8 ∞円 歯の保健指導(小学校編) 学校担任のため l 1, 630円 東 山 智 房 刊 姿聖書 ・運 動 ・乗 物 酔 い と 平 衡 機 能 )半校生 活とか ら だのパランス ,~"~ 字J 1 2 iえdf f i ZJ ふ ) て 腎 臓 手 帳 学校心臓検診の実際 スクリ ーニ ングから管理まで (2版 ) , 心 臓 手 帳 900円 東山智房刊 第一法規刊 1, 300円 予 防 医 学 中 央 会 刊 350円 予 防 医 学 中央会干1 ) 1,1 0 0円 予 防 医学 中 央 会 刊 350円 予 防 医 学 中 央 会 刊 知っておきたい脊柱側轡痘 一脊柱絵訟の しおり ー 7 ∞円 高等学校 保健指導の手引 ー ホー ムルーム担任 のために ー 1, 860円 耳 〈 貧 血 と 脳 貧 血 ー その干 防 t指導一 1,1 0 0円 第 一法 規刊 自 の 健 康 と 視 力 その管理と指導ー 950円 第 一法 規刊 就学児の保建指導のために 一誕生から就学までの子育て 1.1∞円 第一法規 刊 生き生きとした学校環境っくり 一学校環境衛生活動事例集ー 1,1 5 0円 第一法 規刊 中学校保健指導の手引き 一学級担任のためにー 2, 5 ∞円 第一法規 t l ) 高 等 学 校 喫 煙 ・飲 酒 ・薬 物 乱 用 防止に関する保健指導の手引 1, 200円 第 一法 規刊 水泳プールの健康衛生管理 きれ札、なプー ルで元気 に泳ごうー 1.3∞円 第 一法 規刊 小学校 喫煙防止に関する 保健指導の手引 950円 第一法規 刊 締 尿 病 手 帳 2 5 0円 予 防 医 学 中 央 会 刊 学校三先日調誤作竺指導 1 . 1 0 0円 予 防 医 学 中央会干1 ) 中学校 喫煙・飲酒・薬物乱用 防止に関する保健指導の手引 1, 000円 予 防 医学 中 央 会 刊 山 空 : :J J j :t l ) 第 一法 規 t l ) 日本学校保健会事務局 〒1 05 東 京 都 港 区 虎 ノr ' J2丁目 3番 1 3号 第 1 8 森ビノレ 8階 財 団 法 人 日本 学 校 保 健 会 TEL0 3( 3 5 01 )3785・0968 講読申込み先 . ' , , ゐ 切 会場製警は、惇嬰のみまの よ り よ L惇壊のために、 新し L 、製品を創造します二 O t s u k ap e op l ec r e a t i n gn e wp r o d u c t sf o rb e t e rheal~h wo l r d wi d e オ 方ツカ ヒープ ル タリエイテイノグ ニ2ー プロタクツ フaー ベ ター ヘ ル刈 ワルドワイド 細菌やウイノレスの病気の治療をめざし甘います 大塚製薬株式会社 東京都千代阻区神国司町2 -9