...

1. 思想史をふまえて展開する「倫理」教科書 [詳細PDFはこちらです]

by user

on
Category: Documents
20

views

Report

Comments

Transcript

1. 思想史をふまえて展開する「倫理」教科書 [詳細PDFはこちらです]
特色
思想・文化の育まれた背景や,他の
地域との交流にも言及しています。
思想史をふまえて展開する
「倫理」
教科書
1
本文では,抽象的,難解になりが
ちな用語や考え方を的確に説明
P. 50
caliph
の展開
し
P. 59
umma
ムハンマドの死後,ムスリムの信仰共同体
(ウン
イスラーム世界
(イスラームの指導者で預言者の後
マ)
は,カリフ
き
きょうてん
ない ふん
継者)の指揮のもとに,イスラームの拡大をめざした。その過程で内紛
先哲の思考を,
歴史的な関連性のもとにとらえます
空の思想とその展開
がおこり,とりわけカリフについての考えのちがいから,のちに,預言
shiī‘a
者の家系を重視する少数派のシーア派と,必ずしもこの家系にこだわら
▶1
sunnī
で用いられてきたが,大乗仏教はその内容を深め,発展させた。
はんにゃきょう▶2
イスラームの展開は,政治的・領土的な拡大を結果しただけではなく,
5
わち,認識が対象にしたがうのではなく,対象が認識にしたがうのであ
カントのシルエット
1
10
かんねん
1762〜1814
自律としての
ある。それはわが上なる星の輝く空とわが内
自由
腹になれば何か食べたくなる。これらは人間のもって生まれた本能・欲
理性の能力である。カントはその際,経験論
に支配されて存在するということなのであり,カントによれば,それは
▶1
ちょうてい
はい
カントの記念牌 記念牌には,
じょうぶつ
他者の成仏がなければ,私の成仏もない。空が縁起にほかならないとい
しゅじょう
ぎん み
『純粋理性批判』
で,両者を調停しながら,理性の能力を吟味する批判哲
すべきでないというもうひとりの自分の声を聞き,自然の因果法則から
学(批判主義)
を唱える。合理論から出発したカントは,ヒュームの著作
のがれることができる。これが,良心の声であり義務の念である。カン
を破ら
を読み,とくに因果関係の批判にふれたことで
「独断のまどろみ」
トは私たちが良心にしたがい,義務を果たすことを自由とよぶ。
れ,理性の認識能力について研究したのである。
▶ 1 ドイツの哲学者。人間の最大の徳を道徳的努力に認めた。主著
『全知識学の基礎』
。
やぶ
(→p.96)
利他行を基礎づけるものとなる。竜樹の後継者は,彼の主著
『中論』
にも
ちゅうがん は
▶ 1 「自我に固執する見解をうち破って,
世界が空なりと観ぜよ」
(
『スッタニパータ』
)
など。
50 第 2 編 人間としての自覚と生き方
▶ 2 紀元前後の成立。
この名をもつ経典は多数あり,
漢訳されたものだけで四十種を超える。
20
第 2 章 人生における宗教 59
P. 96
(イギリス)経験論
25
感覚的経験(生得観念を否定する)
理性(生得観念を認める)
知識を導く方法
帰納法
演繹法
でん ぱ
仏教の伝播
大乗仏教はインドから北方に伝
ベーコン・ロック・バークリ・ヒューム デカルト・スピノザ・ライプニッツ
わり,1 世紀ごろには中国に,4
▶ 1 カントによれば,①世界には空間的・時間的な限界が存在するかどうか,②世界の
ナポレオンの軍隊の占領下で
『ドイツ国民に告ぐ』
を発表した。
すべてを単純な要素に分割することができるかどうか,③「自由」はありうるかどうか,④
▶ 2 ドイツの哲学者。主観と客観,精神と自然が同一であり,すべての事象が絶対者のあ
「神」は存在するかどうか,という四つの問いについて,理性は解決のできないアンチノミー
らわれであるとした。このような考え方はスピノザの汎神論
(→ p.96)
の影響も受けたもので,
デカルトにとっては,感覚や経験に由 来 せず人間理性にもともと備
(Antinomie, 二律背反)におちいる,とされる。
自然観としては汎神論的自然観とよばれることがある。著書に
『超越論的観念論の体系』
ほか。
わっている生得観念こそが,確実な知識の基礎である。これに対して,
経験論と合理論
じ しょう
はんしんろん
ちょうえつろん
P. 60
(大陸)合理論
確実な知識の源泉
代表的な哲学者
せんりょう
に りつはいはん
世紀には朝鮮に,6 世紀には日本
ゆ らい
に伝わった(北伝仏教)。
一方,上座部系仏教はスリラン
カや東南アジアに伝わった(南伝
ホワイト・ペーパー(White paper)
第 2 章 現代に生きる人間の倫理 103
近年の学説の動向,論点などを
反映させた記述
新倫理_3編2章4-01_CS6.indd
103
2015/03/24
104 第 3 編 現代社会と倫理
10:31:25
新倫理_3編2章4-01_CS6.indd
104
P. 88
モラリストのことば
けっして知を愛し求めることはやめないだろう。
る必要はない。……しかし,宇宙がこれをおしつぶすときにも,人
ない。それゆえ,われわれのあらゆる尊厳は思考のうちに存する。
(パスカル『パンセ』断章 347)
つかっていて,恥ずかしくはないのか。評判や地位 域とされていた。
は
ることが,悟りの境地である。唯識派の人々はこのように考え,ヨーガ
G.W.Leibniz
(精神の集中・統一)
の修行を通じて,悟りを体得しようとした。
しゅ じょう
悟りにかんしても,大乗仏教独自の説が生まれた。衆生の心は本来,
15
しつ う ぶっ しょう
空・縁起という理法は,一切の存在を成り立たせる真理である。あらゆ
るものは仏陀の悟りにあずかって存在している。ゆえに,そのはたらき
ちょうてい
20
大乗仏教は,中央アジアを経て,中国・朝鮮・日本に伝えられ,他方,
部派仏教の流れは,東南アジア諸国に伝えられた
(上座部系仏教)
。特色
よ
に異なる点はあっても,仏陀を信じ,その教えを拠りどころとして,よ
▶ 2 スコットランドの哲学者・歴史学者。因果関係は人間の心の習慣によるものとし,
その客観性を否定したほか,人間の心そのものをたんなる「知覚の束」ととらえた。その結果,
思想家であった。彼らは,ギリシャ・ローマの古典的教養とキリスト教
れたものにするということに気もつかわず心配もしていないとは。
すがた
こんかん
き生を求めるという根幹において,どちらも変わりはないのである。
ほんせい
ヒュームは一般には懐疑論者とも見なされることになる。主著『人性論』(『人間本性論』)。
の精神にもとづき,人々の行動や心理を見つめ,人間としてのあるべき
じょさんじゅつ
せようとする。この方法が問答法
(助産術)
ともよばれる。
20
60 第 2 編 人間としての自覚と生き方
96 第 3 編 現代社会と倫理
たくえつ
姿を求めて,卓越した人間観察をつづけた。そうしたモラリストを代表
ソクラテスは,知は外から教えこまれることができず,ただ各人が知
15
を自覚することによって,誰もが成仏できる,と考えられたのである。
とした。
じんせい
たん てき
こうした考えの背景にも,空の思想があった。すなわち,仏陀の悟った
たば
のことは気にしても思慮や真実のことは気にかけず,魂(いのち)をできるだけすぐ
だい はつ ね はん きよう
(
『大般涅槃経』
)ということばは,その端的な表現である。
生悉有仏性」
▶ 1 アイルランドの哲学者。経験論を徹底させ,「存在するとは知覚されること」である
『パンセ』の扉
10
仏陀としての性質である悟りを備えている,という説である。
「一切衆
確実な基礎を求めようとしたのであった。
し りょ
する存在がモンテーニュとパスカルである。
を愛し求めてゆくことができるだけなのであると考えていた。助産術と
私は何を知るか
いう命名によくあらわれているように,ソクラテスはひたすら,相手が
みずから思索を深めてゆくのを手助けしていたのである。
や幻のようなものにすぎない。ただ識のみがある,という真実にめざめ
さらに,晩年のスピノザと交流をもったドイツの数学者・哲学者
受けとめながら,経験論と合理論とを調停して,ふたたび知識と道徳の
することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知ら
パルテノン神殿 アテネの守護
自分のものにしたいというようなことにばかり気を 神アテナ = パルテノスが祀られ,聖
5
しき
まぼろし
しょうげき
ら,人間は自分が死ぬことを知っており,宇宙が人間のうえに優越
力においても武力においても最も評判の高い偉大な
ひょうしょう
「識」
である。心もまた,夢
ない。どれも私たちの心が作り出した表象,
やがてカントの思考が登場する。カントは,ロックとヒュームの衝撃を
間は,人間を殺すものよりもいっそう高貴であるであろう。なぜな
400?〜480?一説に320?〜400?
彼らによれば,私たちが見たり聞いたりする対象は,客観的に実在し
10
つらぬく必然的法則を認識することにあった。
(→p.103)
Vasubandhu
せ しん
弟を代表とする,唯識派の人々であった。
もと
後者の潮流,
とくにライプニッツの流れをくむ哲学の伝統のなかから,
あし
●人間は自然のうちで最も弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは
・ga
Asan
395?〜470?一説に310?〜390?
(
「神即自然」
)
を唱える。スピノザにとって,人間
を神ととらえる汎神論
そう
すると思われているのは,どういうわけか。この
,世親
(ヴァスバンドゥ)
兄
問いを追求したのは,無著(無着,アサンガ)
すなわち
れているのである
(
「予定調和」
)
。
考える葦である。これをおしつぶすのに,宇宙全体はなにも武装す
い だい
24
はんしんろん
ところで,一切は空であるのに,ものごとが実在
む じゃく
1632〜77
影響を受けながら合理論を徹底させ,主著
『エチカ』
では,自然そのもの
無数のモナドによって形成され,各モナド間にはあらかじめ調和が保た
息のつづくかぎり,わたしにそれができるかぎり,
dialektikē
他方,オランダのユダヤ系哲学者スピノザは,デカルト哲学に大きな
monade
さと柔軟さに富む魂なのだ。
(モンテーニュ『エセー』第3巻3章)
……世にもすぐれた人よ,君はアテナイという,知
唯識説と仏性論
B.Spinoza
いることではない。
もっともりっぱな魂というものは,
もっとも多様
は,むしろ神に服するだろう。すなわち,わたしの
ポリス
ゆいしき
1711〜76
き方に執着し,束縛されているのは,存在しているだけで,生きて
ひとくき
れている。
5
1685〜1753
D.Hume ▶2
とヒュームであった。
10:31:25
(単子)
と名づけられる
(
『モナドロジー』
)
。宇宙は神が創造した
はモナド
せることができるということだ。どうしようもなくあるひとつの生
せつじつ
しんぽう
アジア諸国で多くの人々に信奉さ
G.Berkeley▶1
ると主張し,デカルトと対立する。この立場を徹底したのが,バークリ
主張する。その独自の合理論哲学において,すべての存在の最小の単位
われわれの根本の能力は,さまざまな習慣にたいして自分を適応さ
わたしは,アテナイ人諸君よ,君たちに対して切実
国都の人でありながら,ただ金銭をできるだけ多く
般にはタブラ‐ラサともいう)であり,すべての知識は経験からはじま
1646〜1716
●自分の気質,
性格にあまりひどく自分を釘づけにしてはいけない。
な愛情をいだいている。しかし君たちに服するより
でも,タイやミャンマーなど東南
(→p.100)
『人間知性論』
を批判し,生得観念の重要性を
ライプニッツは,ロックの
くぎ
P. 28
魂への配慮(プラトン『ソクラテスの弁明』)
先哲が,他者の思考をどう
受けとめ,批判・継承して
いったのか,ポイントを押
さえています。
tabula rasa
とらえ,理性にもとづいて,自然を
の幸福は,自然を
「永遠の相の下に」
思考の手がかりに,先哲のことばとして原典資料を掲載す
るなど,配慮しています。
仏教)。この系統の仏教は,今日
(一
経験論の立場に立つロックは,
『人間知性論』
で,心は最初は
「白紙」
2015/03/24
基本的な事がらをきちんと押さえる
ぼ さつ
うことが,このように無差別・平等の衆生観を生み出し,菩薩の慈悲・
インド大乗仏教の一大学派となった。
とづく学説を唱えて中観派とよばれ,
だが,人間はたとえ本能や欲求にかられるときでも,してはならない,
まれていた。
25
コルドバのメスキータ(モスク)
不自由なのである。
『実践理性批判』末尾の一文が刻
どくだん
には,私がかかわる。また,一切の他者の苦は,私の苦であり,一切の
メソポタミア
イスラーム世界でのギリシャ語文献の継承
いん が
求である。この本能・欲求のままに生きるというのが,自然の因果法則
たとえば,私の存在には,一切の他者がかかわり,一切の他者の存在
チグ
リス
川
バグダッド
ユー
フラ
ティ
ス川
と,ヨーロッパ世界への移入
ふく
「星の輝く空」とその法則を認識するのは,
論は過大に評価していると考えた。カントは
地 中 海
くう
ントの著書
『実践理性批判』
末尾の一文である。
ギリシャ
アラビア語からラテン語へ エジプト
15
かの動植物と同様に自然のなかにあるかぎり,自
然の法則に支配される。私たちはのどがかわけば水がほしくなるし,空
コンスタン
ティノープル
パレルモ
(→p.107)
「道徳法則」については,どうだろうか。人間もほ
なる道徳法則とである」。ドイツの哲学者カ
にん しき
25
1775〜1854
シチリア
グラナダ
けいしょう
し,フィヒテ・シェリングらに継承され,ヘーゲルによって大成された。
み
は理性のはたらきを過小に評価し,逆に合理
トレド
て,他と支え合いながら,現に “ ある ”。そうしたありよう,存在の真
相こそ,空の示すものなのである。
ギリシャ語・サンスクリット語からアラビア語へ
倫理308
すうけい
ではない。ものごとは独立的には存在しないが,他とのかかわりにおい
20
(→p.46)
西ヨーロッパ
じ しょう
空である。空というと,何も “ ない ” ことと思いがちだが,決してそう
容されて,スコラ哲学の形成に大きな影響をあたえることになった。
(理想主義)として発展
理想に価値をおくことを特色とするドイツ観念論
感歎と崇敬とをもって心を充たすものが二つ
む
になる。つまり,一切は
有で不変の性質
(自性)
をもたないこと
(無自性)
20
による研究書がラテン語に翻訳されるとともにアリストテレス哲学が受
コルドバ
き ばん
は,空の思想によって縁起の説をとらえ返し,大乗仏教全体の基盤を築
きあげた。縁起の説を徹底すると,すべてのものごとが実体を欠き,固
(→p.37)
Rushd
1126〜1198
度も,長いあいだ考え
▶2
ibn
クレタ島
カントの思想はその後,世界の本質を精神におき,現実よりも観念や
かがや
20
(イブン = ルシュド)
流入があり,
また,
イスラーム医学の大家アヴェロエス
10
る悟性により,認識が成り立つとした。
るほど,それだけ新たに,また増大してゆく
15
組みを,カントは,経験に先立つア・プリオリなもの
(より先なるもの)
Averroes
150?〜250?
えん ぎ
15
ロッパに伝えられ,中世ならびに近代における学問・文化の発展に大き
と考えた。カントはこのように,感覚を受容する感性と,概念を形成す
Nāgārjuna
りゅうじゅ
(ナーガールジュナ)
であった。彼
空の思想をさらに深めたのは,竜樹
く寄与した。13 世紀には,イスラーム哲学が重視した新プラトン主義の
a priori
▶1 F.W.J.Schelling
固定的にとらえない態度が,求められるのである。
ど,多岐にわたっている。
こうして築かれた独自の学問・文化内容は,十字軍の遠征以降,ヨー
「それを考えること何
カントの批判哲学 かんたん
5
15
き
他方で,感覚を整理し,秩序づける枠組み
(概念)
が必要である。この枠
J.G.Fichte
知る境地にはない。何かを空と知るだけでなく,空ということば自体も
てんぱん
た
わく ぐ
ムの思想を手がかりに,自己実現と幸福について考えよう。
空なるものとして私を固定し,空ということばに執着して,やはり空を
ゆ
)
,音楽,
『クルアーン』
の注釈,スーフィズム
(神秘主義)
な
(
『医学典範』
対象を認識するためには,
まず感覚があたえられなければならない。
人格の尊重と自由
▶カント
ち
きがない。では,
「私は空だ」という場合はどうだろうか。今度は逆に,
新倫理
も他者や社会と深くかかわっているからである。
はいしゅつ
した最高の知識人と評される。彼の研究分野は哲学
(
『治癒の書』
)
,医学
(→p.105)
この節ではカント,ヘーゲル,功利主義,プラグマティズ
10
レス哲学と新プラトン主義を結合させた学者で,イスラーム世界が輩出
る。このことを理論理性におけるコペルニクス的転回という。
ちを孤独や不安にさせることもある。幸福の追究は,そもそ
実体的なものとして私を固定し,私に執着して,空ということへの気づ
Sina
980〜1037
のはたらきにしたがって「物」が現象として構成されることである。すな
見いだすことがある。その一方で,自由であることが,私た
ibn
(イブン = シーナー)
は,アリストテ
究された。なかでも,アヴィセンナ
対象である
「物」
(客観)をそのまま受け入れるのではなく,人間
(主観)
的な状態で生きているときの満足や喜びのなかに,幸福を
5
Avicenna
自体」ではなく,私たちにそのようにあらわれる現象である。認識とは,
は何だろうか。私たちは,自分にとってもっとも望ましい理想
ほんやく
リット語文献がアラビア語へ翻訳され,多くの学者によってさかんに研
げんしょう
私たちは誰でも幸福になることを望んでいる。では,幸福と
して無執着であることをいう。たとえば,
「私は実在する」という場合,
10
公民科
自己実現と幸福
第4節
えず,何かのことばを用いるときにも,そのことばにとらわれず,徹底
た。東のバグダッド,西のコルドバ,グラナダといった知的中心地で,
ぶんけん
かん
え
ずる智慧の体得を説く。一切を空と観ずるとは,何ごとも固定的にとら
ギリシャの主知主義的傾向を受けつぐイスラーム文化の構築をもたらし
カントによれば,認識の範囲は経験に限定され,とらえ得る事物は「物
いっさいかいくう
は,すべてが空である
(一切皆空)
と観
初期の大乗経典である
『般若経』
ち
こうちく
哲学,地理学,数学,化学,医学,天文学などのギリシャ語・サンスク
くう
「空」
展開した。その中心には,空の思想がある。
とは,ものごとに実体がないことを意味する語で,古くから経典のなか
5
(スンナ)
派という,
二つの大きな宗派が生まれた。
ない多数派のスンニー
P. 103-104
やがて,多くの経典が編まれ,大乗仏教の思想が
▶モンテーニュ
5
Essais
ずいそうろく
フランスで,カトリックとプロテスタントがはげ
M.E.Montaigne
しく争ったユグノー戦争のころ,モンテーニュは
1562〜98
1533〜92
5
新倫理_3編2章2_CS6.indd
96
2015/03/24
10:25:03
新倫理_2編2章3_CS6.indd
60
2015/03/24
25
9:55:28
Fly UP