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《逆さ遊び》の反響
《逆さ遊び》の反響 小 玉 齊 夫 (1) 第三版への注記 1978 年の「イタリア語版、第三版への注記」1 で、アントニオ タブッキは、 ①その年の夏に「想像し、書いた」短編《逆さ遊び》は、「自伝(的な内容) の反響(un riflesso di autobiografia ; une résonance autobiographique)」である ・・ こと、②それに対して、短編集『逆さ遊び』に収められた他の八編は、大筋で は「私の知っていたこと」、したがって「私の内部から生まれ出てきたもの」 ではあるが、しかし「私の体験と明確なつながり」はなく、むしろ、「私の語 り方」に於いて「作品として成立している」こと、そして、③作品へと到る 「私の語り方」は、短編集『逆さ遊び』の冒頭に置かれた短編《逆さ遊び》に 於いて、「最も典型的に示されている」こと、を記している。 著者のこのことばに依拠するなら、短編《逆さ遊び》は、原体験から作品へ 到る創作の流れの内部に存する作者の[原感覚・文学的構成意識]の在り様、 その展開を、最も明確に提示した作品、と言うことが出来る。あるいは、タブ ッキの作品の成立過程を辿る側面から接近することも可能な作品、と見ること が出来る。 私的・原感覚 母岩としての私的な原感覚から作品へと変容するに到るタブッキの、その彫 啄の過程を辿るひとつの試みとして、敢えて私自身の“逆さ”にまつわる幻想 を、短編《逆さ遊び》への接近の糸口に据えてみることにしたい。逆光のなか に影絵となって桟橋を渡り、夕暮れのテージョ河を往復した体験は、私にもあ −1− 小 玉 齊 夫 るのだが、しかし、ここで提示されるのは、今から三年ほど前の北イタリアの、 冬の一日の“逆さ遊び”の実相(虚相?)である… (その 1) あと数日で一年も終わりとなる日の午後、霧につつまれたフェラーラの 駅を後に、巨大な暗い塔が街を見下ろすボローニャに来ていた。陰鬱な曇り空の下、 無数のひとの薄い影がしんと冷たい建物の合間をすうっ、すうっと行き来している音 のない世界、色のない空間と時間、そんな風に私はこの古都の中心街を眺めていた。 石畳に反響する車のタイヤの軋みとか物売りの声とか、宣伝文句とか行き交う人びと の話し声とか、都市に固有の雑多な喧噪が実際にはあたりを包み、ふだん以上に年の 瀬の騒音を作り上げていたに違いない。だが、寝不足の私の眼に映っていたのは、ひ っそりと自分の生活を守り俯いて歩みつづける灰色の老女、そんな代替的象徴で表わ される暗い街の妙に沈んだ姿であった。夕暮れの冬の北欧の氷結した海岸、時の侵食 に耐える凍みいるような寂寥感が、そこには在った。しぜんな傾きとして、私は夏の 地中海沿いの、狂おしいほどに陽光が吹き荒れる、マルセイユやニースの明るい街並 みを想い浮かべた。そして、不意に、自分の想像が呼び寄せた南フランスの画像は、 今、眼にしている、現にそこに在るボローニャに対して私が想像した(半ば) “逆さ” の画像の、さらに(完全な)“逆さ”として、しぜんに生まれ出てきたこと、そうい う、反対物への虚構・想像の在り様が、感覚のごく当たり前な展開として、どこにい ても、どんな時間のときでも、つねに有り得るし発生し得るということを、その時、 しぜんに、直観した… (その 2) 同じ日の午後、ボローニャで列車の切符の手配を済ませ、フェラーラを 通り越して「水の都」に戻り、観光土産の模造品にすぎないが、ヴェネツィア華やか なりし頃人々の顔を覆っていた仮面(マスク)を購入するつもりでいた。鮮やかな衣 装とは対照的に象牙色の無機の肌合いを露呈している、しかしつややかな仮面。仮面 は、その下の「顔」の表情を隠すだけではない。付けているひとの日常的な存在証明 を拒否・隠蔽し、その否定作用によって仮面の主を虚構の世界へと送り出すに到る。 そして、仮面じたいが、仮面の主とは無縁に、見ている者に対して「現にそこに在る」 事実性を突き付けてくる。仮面の主の日常が隠されただけではない、仮面によって、 ふだんとは“逆さ”の、新たな見なれぬ表情が現出している… 曲がりくねった細い路地を歩きつづけ、いくつもの店でさまざまな表情の仮面を見 て、私の眼がつねに吸い寄せられるのは、仮面の眼の窪み、その暗い空洞であった。 ヴェネツィアの仮面は、つけているひとの眼を完全に覆い隠しはしない。眼は外部に −2− 《逆さ遊び》の反響 露呈し、仮面の主のこころの動き、情のうつろいを見せつけてくる。改めてそのこと を意識して、店頭に飾られた仮面の、眼の部分にぽっかり開いた黒い虚空を見ている と、そこに在るはずの、その眼の持ち主の、あでやかに着飾った姿、リズミカルに母 音が強調されるイタリア語の張りのある明るい声が、私の粗い想像の画布にも、チュ ーブから絞り出された絵具のように新鮮なひかりを帯びて、現れ出てくる。同時に、 そこに在るべき眼が見ていたはずの、“こちら側の世界”が意識されてくる… 仮面 の空洞に在るべき眼は、現実の世界に対する裏側の世界からの視線、裏側の世界に属 する視線であり、それが眺めていたのは、我々がこちら側で見ている現実の世界とは 対立する“逆さ”の画像であったかもしれない、という虚構が、急に、自明な事実で あるかのように意識されてくる。 (その 3) それより三日前(当然、叙述の時間の方向は“逆さ”になっている…)、 夜遅くヴェネツィア空港からサン・マルコ広場に到る暗い運河を渡ってきた時、私の 乗った小船ヴァポレットは、巨大な鯨に変貌したかのように、闇のなかで、黒く重い 水のなかを上下動し、うねり、エンジンの暗い叫びを響かせていた。小船がゆらぐた びに、対岸の建物が、終末をもたらす水の圧倒的なちからの前で、無音のまま崩壊し ていくかのようであった。運河の水じたいが、太古からの、不吉そのものの流れ、う ねりであるように想われた。サン・マルコ広場近くのホテルに宿泊した私は、翌朝、 四階の窓から、広場の手前の雑踏を見通すことが出来た。冠水のために持ち出された 縁台、それをつなげた急造の橋の上を、よろよろと通り過ぎる観光客たち。一羽の鳩 が岸壁の一隅から、その光景をじっと見つめていた。水没の危機に瀕した、トーマス マンのことばで言うなら「ヴエネーディッヒ」、その水の侵蝕を見守る鳩。鳥の暗い 視線は、永劫の未来を透視していたのかもしれない。ホテルの傍ら、前夜にヴィヴァ ルデイの音楽会が開かれていた教会の灰色の石壁に、みぞれが音を立てて降り落ちて いた。 年末に二度めのフェラーラへと向かったのは、半年前に亡くなったジョルジオ バ ッサニに敬意を表するためであったが、「超現実主義の画家キリコと共に町を有名に してくれた作家」、そのバッサニを読み始めて、おそらく一年ほどたってから、私の、 アントニオ タブッキへの傾斜は始まっている。素人にはとかく有りがちのことだ が、それまで未知であったイタロ スヴェーノとかランぺドーサ、エリオ ヴィット リニ等の作品をいくつか(フランス語で 2)読み、しかしその特質・傾向を整理する ことが出来ず、それまで漠然と考えていた「イタリア文学」というものの性格が明確 −3− 小 玉 齊 夫 な像を結べなくなっていた時期、であった。最初に読んだタブッキは『パレイラは語 った』であるが、知識人の良心的な反応は、それなりに理解の枠に取りこめたものの、 それ以上の感動に引き込まれたわけではない。それと比べれば、短編《逆さ遊び》の 方は、ことばの面から作品の在り様の確定を試みてみよう、という意欲をかきたてら れたのは確かである 3。パリ市庁舎の近く、「シシリア国王」通りにあるイタリア書籍 店で、『Il Gioco del Rovescio』を求め、久しぶりにアリヴェデルチ!と言って店を出 たのは、連日熱暑が続いていた明るい夏の休暇中のことであった。一方のバッサニの 『Dentro le mura』は、フェラーラの、雨に撃たれた大聖堂の前の広場に設けられた 屋台の書店で購入、レシートには 12 月 27 日の 16 時 23 分と記載されている。少なくと も季節と天候に関して、タブッキの場合とは全く“逆さ”ということになる。エステ 家の城館のとなり、ドゥオモの傍らの、まだ片付けられていない大きなクリスマス・ ツリーが、暗い冬空の下、色つきの電球を淋し気に点滅させていた。地面に置かれた 古い黒緑色の大砲の横で、電球の放つ鮮烈な赤や青のひかりが、かえって孤独の象徴 であるように見えた、その時の私の心情は、冷たく降りしきっていた雨の感覚ととも に、今でもはっきりと記憶のなかにある… (2) “逆さ”の三つの在り様 短編《逆さ遊び》で示される“逆さ”に関わる“遊び”の在り様は、いくつ かの[形態・機能]を有している(あるいは、負荷されている)ように読み取 れる。これらを仮に年月を経て形成されてきた地層と比較するなら、基底に在 るのは、①「語彙の綴り」を対象とする“逆さ遊び”の層、その展開・継続と して上に積み重なってくるのが、図式的には、②空間的なものに関わる“逆さ 遊び”、そして最終的には、空間的な成層じたいを震撼させ覆すに到る、③時 間的なものに関わる“逆さ遊び” 、と見通すことが出来る。 以下、これらの典型例の枠組みを保守しつつ、試行錯誤を前提に、“逆さ遊 び”の三つの在り様を辿り、その解析を試みてみることにしたい。 ①「語彙の綴り」の“逆さ遊び” マドリッドにいた主人公の「ぼく」4 が、その死を知らされ葬儀参列のため −4− 《逆さ遊び》の反響 リスボンに出かけて行くことになる(第 1 節)、そのマリア ド カルモが、 生前、「ぼく」に説明してくれた(第 4 節)のが、この語彙の綴りに関する “逆さ遊び”である。4 、5 人の子供で輪をつくり、ひとりが輪の中央で、自分 の選んだ子に、或ることばを言う。その子は、5 つ数えられる前に、言われた 語彙の綴りを逆から読んで答えなければならない。《mariposa》5 と問われたな ら《asopiram》と発音する、というように。相手が答えられなければ、勝ち。 5 つ数えられる前に言えた子供は、今度は、別の新たなことばを他の子供に投 げかけていく。 公開の場所で子供たちの間で行なわれる、この、語彙の綴りに対する“逆さ 遊び”は、ことばを逆順に素早く読みとり発音する能力についての考査であり、 それじたいは、即興的な反応能力を競う遊びにすぎない。人生の実相(あるい は虚相?)は“逆さ”を認容し(追求し?)つつ、それを演ずる“遊び”の内 に在り、とする短編《逆さ遊び》の主調からすれば、ここでの語彙の綴りに関 する遊びは、単にひとつの前提あるいは基底として提示されているにすぎない ようにも思われる。綴りの逆転によって本来の、元の語義が崩壊し、思いもか けぬ奇抜な音声・語が発生すること、そのことへの素朴な面白さが、子供達の 競争をとおして、遊びとして求められているだけなのだから。 だが、しぜんな欲望として「ものごと・ことがら」を“逆さ”に把握したい、 表現したい、というこころの傾きは、子供に限られたものではない。意図的に ものごとの秩序を覆したり(“逆さ”にしたり)、あるいは、単に何かの気配に 促されて、ふだんとは“逆さ”の観点からものごとを考えてみたりすることも ある。 「日常的にそれに拘束されている傾向性」に逆らうという意味で、 “逆さ” へ向かおうとする試みは、ささやかな「非日常への脱出」として、何とはなし に、自由へとつながる雰囲気をかもし出している。単なる対抗・転換の萌芽に すぎない子供じみた“逆さ”への意欲・行動も、それなりの意図を整え、それ なりの体裁を備えれば、人生の意義を触発する新たな“遊び”とさえ、なり得 る。たとえば… −5− 小 玉 齊 夫 たとえば…語彙の綴りに関する“逆さ遊び”は、当面は、現に存在する、意 ・ 味のある語彙が、綴りの順序を変えることで無意味な文字・音の継続となるこ ・ ・・・ とを示す遊びにすぎない。《mariposa》という語彙の綴り・音と、それが指す 「被指示物」(実際の「蝶」)との関わりは、いわゆる恣意性という「架け橋」 によって結び付けられているようであり、この架け橋をすなおに渡ることによ ってのみ、意味を有する「書記・発言」行為が現実化することになる。語彙の 「綴り・音」を“逆さ”にする試み・遊びは、この架け橋の、破壊でないとす れば(恣意性に基づいているとすれば、逆さにされた「綴り・音」が、再び恣 意的に、新たな「綴り・音」として公認されることも、絶対にないとは言い切 れない)、少なくとも、向かっていく「方向の転換」をもたらす行為となる。 新たに逆さとなった「綴り・音」の架け橋を渡りながら、我々は、これまで存 在しなかった、あまりにも無意味な表現を前にして、ひそやかな歓び・驚きと ともに、“逆さ”の秩序の中に入る可笑しさ・面白さ・楽しさを実感する。 そして、ことが人間の在り方に関わる場合、たとえば Maria の綴りが逆さに されて Airam に変えられる場合、実際のマリアはそれまでのマリアで在り続け るが、しかし、それまではアイラムではなかったことに根拠を置けば、名称の 変更によって「もたらされてくる何か」を否定しつづける存在という側面も明 らかになる。アイラムとされたマリアは、アイラムを否定しようとするマリア であり、とはいえ、見方によっては、アイラムを否定しようとするアイラムで もあることになる。このような、重畳する視点・視線の在り様へとも到る「遊 び」の発見は、タブッキの場合、ポルトガルの詩人フェルナンド ぺソアの 「異名性」にも通ずる観点を含みこんでいると見ることが出来る 6。 時には「無意味」であることそれじたいが、それでも有することになる「意 味」の在り様を、ことばの「綴り・音」の次元で、単に「綴り・音」を“逆さ” にするという単純な規則・行為だけで、発生させ得るということが、語彙の “逆さ遊び”の、より抽象的な生の次元での機能・実相である。タブッキは、 それを、さまざまな様相を取り得る“逆さ遊び”の基底にある「意識あるいは 精神の基本的な在り様 7」と看取している。短編《逆さ遊び》は、“逆さ”とい −6− 《逆さ遊び》の反響 う「語彙」が展開するさまざまな変容例を、物語の空間の内部の、ここかしこ ・・ に、ちりばめ、嵌め込み、提示している作品、ということになる。 ②「空間的なもの」の“逆さ遊び” 短編《逆さ遊び》の第 1 節、その冒頭で、マリア ド カルモは、ヴェラス ケスの作品『侍女たち』について、「この絵は逆さゲームなの」と述べている。 そして、この指摘に呼応して短編結末部、その第 12 節に於いて、同じくマリ ア ド カルモが、しかし今度は、「絵を解く鍵は背後の人物にある」ことを 指摘している。前景の人物よりも背後の人物の方に重要性が与えられている 「空間的な“逆さ”」の在り様のひとつが、ここで指摘されている。 冒頭に『侍女たち』を登場させた短編《逆さ遊び》(1978 年夏に書かれたの は前述のとおり)の意図は、おそらくタブッキの個人的な意向を超えて、同じ く冒頭に置かれた「侍女たち」の項ならびに「王の位置」と題された節でヴェ ラスケスの作品を分析した『言葉と物』(1968 年 4 月刊)の記述と(同じヨー ロッパの文化的風土のなかでは)関連してこざるをえない。「人文科学の考古 学」という副題をもつこの作品での『侍女たち』の解析は、「近代的な(18 世 紀末以降の)表現(再現 représentation)」が、各自の視点に応じて眼に見える がままの素直な再現を行なっていたそれまでの支配的な方向に限定されず、表 面的には視点が不在であっても、あるいは視点が複数化されているはずの場合 であっても、総体的な現実を写し(移し)取る試みとして、或る存在は同時に [主体・客体]としても表現され得ること、あるいは、[見つつ・見られつつ] ある「もの・事態」を再現する表現もあること 8、したがって、個物の存在の 直接的な再現だけでなく、個物をとおして現われ出る人間の「本性的な在り様」 についても把握可能な見方があり得ることを示している。このような把握の新 たな展開を保障あるいは確認する画像として、『侍女たち』は、古典時代とは 相違した視点・視線の多様性・重畳性の、絵画的な「再現」と見られているこ とになる。 前述のように、ヴェラスケスの作品を借りて、マリア ド カルモは、「前 −7− 小 玉 齊 夫 景と背景の人物」に関わる“逆さ”の在り様を指摘していた。細かな分析が彼 女の言葉によって与えられているわけではないが、画布に再現された内容から 推定するなら、以下のような具体的かつ典型的な“逆さ”の例示が含意されて いると言える。①画家の描く対象として実在しながら、『侍女たち』のなかで は単に「鏡に映った」「背景の人物」として再現されている、そのような、視 線の対象・位置の逆転としての「逆さ」の在り様、②実際には明るさの集中点 に位置すべき存在が、画面では輪郭も不鮮明なぼんやりとした反映画像として 表現されている、そのような、画面上での(比喩的な意義も含んだ)明度・彩 度の逆転としての「逆さ」の在り様、そして、③実世界では主役として全ての 価値が集約される中心点 9 を形成しているはずなのに、画布では背景に退いて ・・・ 副次的な役割しか与えられていない、そのような、重要さの逆転としての「逆 さ」の在り様。 ところで、鏡に映った像は、言うならば「通常」とは対立する逆さの像、場 合によっては倒錯した逆さの世界を写し出す像と想定され、特権化されること しばしばである(オランダ絵画に関わるメルロ・ポンテイの「鏡・像」観の引 用もしくは例証を、ここでは、敢えて避ける)が、しかし改めて現実を反映す ・・ る鏡の像を見直してみると、そこには倒立像が、あるいは歪んだ形態の像があ るわけではなく、単に「左・右」の位置のみが逆転し逆さに変換された像が示 されるにすぎない。完全な逆さとして「上・下」の位置が入れ代わっているわ けでもなく、「大・小」が変換されているわけでもなく、「色彩」のスペクトル の逆転があるわけでもない 10。さらに、その「動き」に関しても、鏡に向かっ て前進するにしたがって、後退していく画像が見られることもない。鏡に映っ た画像は、 “逆さ”の世界を表現しているようでありながら、実は、きわめて限 定された「左・右」の位置の逆さしか産み出していない。それにもかかわらず、 それが“逆さ”のひとつの典型として想像されるのは、その内部ですべてが逆 転して生起している、と想像される、鏡の裏側の世界への幻想・期待(「感覚 ・・・・・・・ の転換」)があるからである。 −8− 《逆さ遊び》の反響 仮に、鏡の反映する画像の色彩が勝手に変換されていたり、像の各部の大き さが勝手に逆転していたり、像じたいが勝手に不鮮明になっていたりすれば、 それが現実の素直な反映ではないがゆえに、かえって現実の「逆さ」の像とは 言い難く、したがって鏡の裏側に“逆さ”の世界を想像・希求する意欲も生ま れ難いことになる。「左・右」の位置変換はともかくとして、現実の「忠実な 反映」像と思い込ませる程度の正確さがあり、しかも、現実世界の延長の位置 に「対称的」な“逆さ”の映像を保ち続けている、その微妙な危うい平衡の在 ・・ り様によって構成されているからこそ、我々は、鏡の裏側の世界(の在り様) に魅惑され、一方的に幻想を膨らませて、現実を正反対にした虚の世界をそこ ・・・・ に求める「過ち」をおかすのである。 もとより、この「過ち」は、反転・倒錯の世界への憧れ、切実な欲求が、そ の対象を、現実的な空間とは対極の位置・距離に求めたことから生じたものに すぎない。あるいは、対極に別の視点を置くことで、新たな(“逆さ”の)映 像の事実が解明されることへの徒な期待があるからにすぎない。そして、鏡の 裏側の世界を通じて我々が忍び入るのは、不可避的に、みずから作り上げた空 間的な幻想が自身を延長・拡大させ展開させることによって生じてくる、した がって時間的な軸のなかで「意義の転換」として明らかにされてくる、“逆さ” の“遊び”の具体的な在り様にほかならない。 とはいえ、作家タブッキにとっての関心は人文科学の成立事情ではなく、視 点・視線の多様性・重畳性の描出によって作品の文学的構成(私の「語り方」) がどのように実現され得るか、その可能性の実験であったはずであり、その方 向から見直すなら、画面の空間的な前後の“逆さ”の示す意義は、象徴的に捉 えられる「前・後」の位置の変換・逆転を通じて、やがては、物語の展開にか かわる時間軸上での“逆さ”と、おのずから、交錯してくることになる。 ・・ ③「時間的なもの」の“逆さ遊び” 記憶のなかに押し込められた回想・期待に意識が「集中・浮遊」することで −9− 小 玉 齊 夫 中断される場合はあるとしても、しかし作品の言葉に向かいつづけている講読 の、継続され持続する時間の長さと、言うならば対応するように、実際の、あ るいは実際と想定される叙述のなかでの「物語の時間(過去・現在・未来)」 経過は、作者の意図・構想にしたがって自在に変換され得るものである。この 時間の変換の在り様、その叙述を、短編《逆さ遊び》の節に応じて提示すれば、 大略、以下のようになる。節を示す、原著に記された数字の、右に付した○は、 その節が、主として、叙述の現在時に於ける現在的な動作・状態を記述してい ・・・・ ることを表わし、●は、主として、叙述の現在時に於いて回想として示されて いる過去的な動作・状態を記述した節であることを示している。各節の要約は、 ・・・・ 記述されている空間・時間内での移動の軌跡を示すことを主眼としている。 1 ○ マリア ド カルモが亡くなりつつある時、「ぼく」はプラド美術館でヴェラ スケスの『侍女たち』を眺めていた。 2 ● サウダージについて。マリア ド カルモとリスボン市内散策。ぺソアの “逆さ遊び”について。 3 ○ マリア ド カルモの葬儀に参列するためリスボンへ向かう列車内。 4 ● マリア ド カルモによる「言葉の“逆さ遊び”」の説明。アロズ デ カビ デラ 11(料理)について。 5 ○ リスボンへ向かう列車内。同室のスペイン人との会話。ポルトガルの詩人等 6 ● アロズ デ カビデラ(料理)について。 についての議論。サウダージについて。 マリア ド カルモとリスボン 市内の散策。 7 ○ リスボンへ向かう列車内。 8 ● ナヴォーナ広場(ローマ)。リスボンへの特別任務を引き受ける経緯。「フェ ルナンド ぺソアの新しい翻訳が出版された」という合い言葉。 9 ● リスボン到着。トリンダージ劇場裏の小ホテルに投宿。ベルトラン書店でマ リア ド カルモに会う。 10 ○ リスボン到着。トリンダージ劇場裏の小ホテルに投宿。マリア ド カルモ の夫に電話連絡。 11 ○ マリア ド カルモ邸で夫と会話。マリア ド カルモの「話」が「遊び」 にすぎなかったことを夫が暗示。「現実は不愉快なものです、あなたは夢の方 がお好きでしょう。 」 窓外の光景。 サウダージ。 マリア ド カルモの残 −10− 《逆さ遊び》の反響 した手紙。 12 ○ ホテルで手紙を開封。 《SEVER - REVES》ヴェラスケスの『侍女たち』の、奥 に描かれた人物像がマリア ド カルモの顔になっている。「そして私はその 点に向かって進んだ。その時、私は別の夢のなかに入っていた。 」 構成(時間・空間の交錯・逆転) 第 1 節から第 8 節までは、上に示されているように、現在時と過去時が交互 に表現されている。現在的な動作・状態の記述から、現在の動作・状態をもた ・・ らすことになった回想の内にある過去的な動作・状態の描出へ、そして次の節 ・・ では、そこからまた現在時の記述へ、というように、読み進むのに呼応して時 間の提示方向が変わると同時に、記憶のうちの時間性の異なった方向が交互に 入り組んで提示され保存される、という形式が採られている。「現在と過去と の交錯・転換」の内に於いて存在する作品の在り様が、いわば図式的に単純に 提示されているのだが、このような第 1 節から第 8 節までの現在・過去時の転 換は、時の振動、いわば「振り子」の動きを実視・実感させるものとなってい る。空間的に右へ左へと揺れ動く振り子の像が、時間的な振動に置き換えられ、 現在・過去・現在・過去と、物語りの進行にともなって方向を変えつつ直線的 に揺れ動き(第 1 節から第 8 節まで)、しかし、その速度も振幅もやがて徐々に その動きを抑制し、過去時の行動への回想で、その静止点へと向かう(第 9 ・・・ 節のリスボン)。そして、第 10 節(のリスボン)から続く現在時の描出によっ てその後の終焉への予震が開始され、第 12 節の結末部、最終的な静止の頂点 としての時間・空間に到って、おのずから現実的な「ぼく」は行動を停止し、 観念的な「ぼく」は、薄明の「夢」の世界の混濁の内に滑り入っていくことに なる。 振り子の動きの始まりは、マドリッドからリスボンへと向かう実質的な空間 移動にその根拠を置いているが、空間の時間的な継起・併置の表現とともに、 観念的な空間移動にともなう「感覚の転換」、つまり、その空間に込められた −11− 小 玉 齊 夫 「ぼく」、あるいはマリア ド カルモとの繋がりに於いて考察(回想)される 「ぼく」の、過去時に関わる人生の意義・感情が、同時に、提示されてくる。 マリア ド カルモの回想に現われてくる、おそらくは虚構の「亡命」の意味 が込められたブエノスアイレス、「ぼく」がマリア ド カルモと出会う契機 になる、おそらくは虚構の「政治活動」の始まりの場所ローマ(ナヴォーナ広 場)、マリア ド カルモと散策した、おそらくは彼女に対する虚構の敬愛・ 思慕の始まりの地であったリスボン… これらの観念的な空間移動は、想像の 翼が拡げられ、あるいは過去に対する記憶の潤色も混入して、「ぼく」のいっ そう主観的な思い込みの素描画を展開するに到っている。 ところで、しかし、時間軸での“逆さ”は、客観的な時間(「砂糖の溶ける」 時間!)に可逆性があり得ないとすれば(不可逆性を敢えて「逆さ」にすれば、 物語りは SF 風に展開せざるを得ない)、結局のところ、作品として捉えられる 時間の“逆さ”はそれぞれの時点で構想された「意義の不断の転換」と要約さ れる。時間の“逆さ”は、現在を過去、あるいは過去を現在にすることではな く、むしろ、過去・現在・未来それぞれの時間に於いて、自身が持ちつづけて いた(持っている・持つことになる)価値観が、好むと好まざるとにかかわら ず、強制的に、根底から、別の価値観によって置き換えられ転換される、その ような「方向・感覚・意義の逆転」によってもたらされると考えられる(「時 間性」として生存している人間の在り様そのものが、このような規定の根拠で ある)。 空間的な“逆さ”に見られる「位置の移動」ではなく、むしろ観念的に内面 化された「方向・感覚・意義の転移」が、時間的な“逆さ”の内部には装填さ れ展開されている。この特徴のゆえに、過ぎ去ったその時点ごとに理解され評 価されていたことがらは、その“逆さ”として捉えられるときには、新たな時 点に於ける、方向の変化、さらには意義および感覚の転換を蒙ったものとして、 現出し、表現されてくることになる。マリア ド カルモの過去に対して、あ るいは彼女との交錯に於いてあった自分の過去に対して、「ぼく」が与えてい た一定の、ある意味では甘美な評価は、マリア ド カルモの夫のことばによ −12− 《逆さ遊び》の反響 って逆転され、否定される。マリア ド カルモは、ヴェノスアイレスに亡命 していたポルトガル人のなかで、「ぼく」が想像していたような悲劇とは無縁 な生活を送っていたようであり、「ぼく」が、ローマで引き受けわざわざリス ボンにまでやって来て行なった政治的行動、「ぺソアの詩集の新しい翻訳が刊 行された」という合い言葉で展開されたその行動も、表面的な危険性・秘匿性 とは逆に、実際には政治的な意味など(ほとんど?)なく、マリア ド カル モが生の倦怠を薄め虚構の絵具で彩るために作りあげた単なる「戯れ」12 でし かなかった、というように。 マリア ド カルモの夫からこれらの実相(虚相?)を聞かされた直後、 「ぼく」は、彼に対する敵愾心をかき立てているように描かれる(第 11節)が、 それはおそらく、マリア ド カルモが初めから「ぼく」を欺いていたこと、 真相を明かすことなく彼女の一方的な戯れを共演する役割を「ぼく」に強いて いたこと、それへの反撥が、直接的には、親切そうにその事実を暴露した夫へ の反撥というかたちで現れ出てきたもののように読みとれる。 だが、思い返してみれば、マリア ド カルモは、単純な繰り返し作業の継 続である退屈な現実の秩序をわずかでも崩し、それにささやかに反逆し、可能 ならばフェルナンド ぺソアのように“逆さ”を“戯れる”という理想を追求 してみたかったのであり、そのような“夢”の実践を試みていたのである。現 実の、一見して深刻な、意味が有りそうに見えることがらも、彼女にとっては、 依然として退屈な現実じたいの一挿話、一画面にすぎない。“逆さ”は、理想 としての夢に関わることで、辛うじて、現実から逃れることの積極的な意義を もたらしてくれる。秘密を打ち明けてくれなかった、彼女のその「よそよそし さ」は、しかし、それじたいがその“逆さ”として、彼女の「ぼく」に対する 親しさの、敬愛・思慕の念であったかもしれない。彼女から「ぼく」に当てら れた手紙(語彙の集積!)の存在は、彼女のこころの真の在り様についての証 明であったとも解される。 おそらく、マリア ド カルモの死によって喪失したものは、いくらかの (一見してくそ真面目な)「深刻さ」のみであったことを、最後の第 12 節に於 ・・ −13− 小 玉 齊 夫 いて「ぼく」は実感したと思われる。マリア ド カルモの手紙にあった“逆 さ”もしくは“夢”という語彙(結末部に到って、物語は、「語彙の綴り」の “逆さ遊び”を、再び提示している)を眼にして、「ぼく」はマリア ド カル モの“遊び”の企てにいっそう吸い寄せられていく。一生を「逆さの実現」に 賭け、費やしていたとすれば、その生の軌跡それじたい、それなりの「夢の実 現」の過程、ということにならないか。実際の「ぼく」から遊離していく観念 としての「ぼく」は、ヴェラスケスの『侍女たち』のなかに入り込み、絵の裏 側の世界を見ているマリア ド カルモに、「ぼくもそっち側に行くから、待 ってよ」と話しかけ、「その点に向かって歩きはじめ」る、そのとき… 時間の観点から見られた“逆さ遊び”の在り様は、総体としては過去の「方 向・感覚・意義の転換」であるにしても、いたずらにその変換が嘆かれ、悔や まれ、悲しまれるのではなく、むしろ、それなりの必然の連鎖として生成して きた擬似的な安定として、再び、瞬間としての空間的な“逆さ”の上に定位さ れてくるようである。あるいはその安定も、表面的な装いにすぎないかもしれ ないが、しかし、この安定状態は、(過去を現在に、現在を過去にすることは 不可能な)時間軸での“逆さ”が、辛うじて自身に課し得る、あるいはそうな ることを強いられた、変換の途上に於ける平衡状態と言うべきものかもしれな ・・ い。ここでの途上とは、「方向・感覚・意義の転換」を経た後にもたらされる、 次の転換の根拠となるためにやはり空間化されざるを得ない、そのような、あ たらしく生成された、時間の関数としての動きのただなかに於ける平衡状態で ・・ あり、鏡に於ける反射像あるいは対称の位置に在る像のように、精確な空間的 ・・ 平衡を保つ位置に定位される在り様にも照応していると言える。だからこそ、 「そのとき… ぼくは、もうひとつの、別の夢のなかにいた」という事態が可 ・・・・ ・・ 能なのである。 短編《逆さ遊び》は、結局は、この空間的ならびに時間的な「途上に在る平 衡状態」の提示によって、作品生成への「私の語り方」の描出と同時に、作品 −14− 《逆さ遊び》の反響 の根拠に在る心情の描出をも果たし得ているように思われる。 ・・ (3) 心情としてのサウダージ(ノスタルジーとメランコリー) リスボンへ向かう列車で同室になったスペイン人との会話で、主人公は、ス ペイン語の「サレーロ」とポルトガルの「サウダージ」を対比している(第 5 節)。第 2 節、そして第 11 節でも言及されるこのサウダージは、言うならば 「ハイデッガー的な気分」(と書くのは、タブッキがそれについて述べているか ・・ らなのだが)として、あるいは、短編《逆さ遊び》の通奏低音として、しかし ・・・・ むしろ沈鬱で不安に満ちた響きを、その「語り」の過程で、途切れることなく、 ・・ 持続させているように聴き取れる。「ポルトガル人しかわからない」とマリア ド カルモが断言する、 「精神の範疇のひとつ」としてのサウダージ(第 2 節)、 これこそが、タブッキがその「語り」をとおして伝えたい、ポルトガルの文化 的実質(のひとつ)である。 第 11 節、マリア ド カルモの夫から彼女の“逆さ遊び”を知らされた 「ぼく」は、窓の外のテージョ河を見ながら、自分が「リスボンという知らな ・・・ い町の港にこれから入ってくる渡し船の乗客でありたい」という痛切な欲求に ・・ ・・ 襲われる。マリア ド カルモの家の中で、傍らの夫から過去の出来事につい ての真相を聞かされたばかりの、そういう場所・時での「ぼく」のこの欲求は、 おそらく最初の反応としては、屈辱を受けているに等しい実際のその場から逃 れてしまいたい、という素朴な願望であるが、しかし、その次元を通り越した 時点では、つまりはマリア ド カルモの意図に沿って自分も“逆さ遊び”に 没入しようという意図がおのずから硬まった時点では、「窓の外」という空間 ・・ 的なものへの“逆さ”と、「初めてリスボンに来た頃」という時間的なものへ ・・ ・・・ の“逆さ”を、ともに、同時に、実現したいという、焼けるような強い願望と して表示されてくることが理解される。「ぼく」は、マリア ド カルモの家を 消し、その夫の存在を消し、眼の前のテージョ河の、見知らぬ、しかし自身の 分身である、「初めてリスボンを訪れる若い男」にこころを集中し、彼の心理 −15− 小 玉 齊 夫 の内側に滑り入り、彼の感情のなかの、未来への希望に満ちた歓びを自分のも のとし、同時に、過去のマリア ド カルモへの自身の感情を、もう一度、あ らたな体験として、切実な現実感をもって、再(追)体験するに到る。 このような、空間的・時間的な在り様を「ともに、同時に」“逆さ”にしよ うとする試みは、短編《逆さ遊び》で、それまでに提示されたさまざまな“逆 さ”の在り様の、「統一」的と言うにはいささか不分明に傾くが、少なくとも 「集中」的な表現、と認めることが出来る。そして、現在から見た「過去に於 ける未来」を、現在時、未来時へと重ね視るとき、おのずから生成してくる心 情の世界へと自ら透入することを可能にしてくれる。基本的には郷愁あるいは 悔恨の二極に分離・分岐していく過去の諸体験を、未来の方向から“逆に”見 返すことによって生じてくるのは、或る感情的な充溢態、“逆さ”を求めるこ ・・・ とで現実化してくる(二極の)平衡状態(郷愁としての悔恨・悔恨としての郷 ・・・・ 愁)と言うことが出来る。「精神の範疇のひとつ」として取り上げられるサウ ダージは、感情に満たされた、しかし定型としての枠を採り得た、或る反応の かたちでもあり、事実、第 11 節の上記の「欲求」の後で、つまりは現在時の 「ぼく」が過去の事態を未来の方向から見返した時、「ぼく」は、「初めてリス ボンに入るこの見知らぬ乗客が抱いている」感情は「サウダージ」そのもので あることを、改めて、感得し、そして、このサウダージという「言葉」も、そ れじたい、「何かの“逆さ”である」という感慨を持つに到っている。 このサウダージは、それでは、日常の言葉では何にあたるのか。タブッキが 述べている他の規定を見てみることにしよう。 「ノスタルジー(郷愁)と不安(落ち着きのなさ)」 ぺソアに関する論考 13 で、 という感情状態を示す語彙が重要であることを述べた後で、タブッキは、この ノスタルジーを「ポルトガル語ではサウダージ saudade と言うが、それはメラ ンコリー(憂愁)のひとつの形態でもある」と解説している。さらに、タブッ キは、ぺソアが、「倦怠、心配ごとのある状態、不快感、心痛、混乱、通常の −16− 《逆さ遊び》の反響 生活との乖離」等々をも含む「複雑な感情」にまで、この「不安」の概念の外 延・領域を拡張・拡大している、ことを指摘している。 そしてまた、これはことによると信憑性を問われる記述かもしれないが、ミ シュラン社の『ギド・ヴェール・ポルトガル編』14 は、3 歳で王位に着き、騎 士道的価値の体現者で「騎士王」と呼ばれたポルトガル王セバスティアン一世 (1554-1578)への追慕を、ポルトガル人の抱くサウダージの心情と重ね合わせ ている。1578 年、アフリカ遠征に出た王はモロッコで敗退、17000 人の兵の半 数は殺害され半数は捕虜となり、王の遺体は発見されなかった。その直後の 1580 年、王位継承の争いからスペイン王フィリッペ二世に統治されることに なったポルトガル(1640 年までスペイン王の支配下に置かれることになる) では、若くして「姿を隠した」セバスティアン一世が「祖国を救いに戻って来 る」という願望・期待が抱かれるようになる。栄光に満ちた過去の再来を願っ ての「未来への願望・期待」こそが、まさにポルトガル的なサウダージの内実 である、と紹介されている。一読して、「義経伝説」のポルトガル版と言えな くもないし、(沖縄等での)「平家の落人」説などとも通ずる「没落した貴人・ 英雄の哀れな現在の身の上への同情、将来の成功への期待・応援」という心理 の形態にすぎないのかもしれない。不安定な情緒のなかで浮きつ沈みつする大 衆の悲願は、時に、特別な能力を特定の人間に与えたい、そしてその人間にみ ずからの運命を託したい、という依頼心・期待を引き起こすし、おそらくそれ は洋の東西を問わず存在する感情・心理状態と思われる。 だが、それにしても、サウダージは「ポルトガル人しかわからない」ものな のか。 論理の問題として考えれば、ノスタルジーあるいはメランコリーを「ポルト ガル人しか…」と断定するのは、いささか乱暴である。ただ、それらの心情が、 どういう経緯でいわゆる「集団表象」となるに到ったのか、それら「郷愁・憂 愁」がどのような歴史を経てひとつの民族的あるいは民俗的な文化の実質とし て固有のちからを発揮するに到ったのか、という側面を考慮にいれるならば、 −17− 小 玉 齊 夫 サウダージは「ポルトガル人しかわからない」と主張されることにも、それな りの根拠・理由はあると考えるべきかもしれない。たしかに、大航海時代に世 界一周を企てたかつてのポルトガルの栄光を思い、同時に、現代に於いては、 仮に「帆船で世界一周を試みる民族は?」という問いを想定してみて、その答 えに即座にポルトガル人の名を挙げるのはいささか困難な状況であることを思 うと、既にその事実が、ノスタルジーとメランコリーがポルトガルに於いて確 実に存在していることの立証のようにさえ思われてくる。郷愁あるいは憂愁 (悔恨)の二分肢は、やはり、いつしか、民族的あるいは民俗的にポルトガル 人の感情的な知識の根底を覆いつくしてしまった、と見るべきなのかもしれな い。ポーランド系でウクライナ生まれの、しかし祖国を離れ海に飛び出し世界 中を訪れたジョゼフ コンラッドが、「男と海とが相互に浸透しあっているイ ・ ギリス…」云々と、英国人の国民的性格を規定したように 15。 とはいえ、タブッキの主張するノスタルジー、というよりも、タブッキがぺ ソアの内に認めるノスタルジーは、過去の栄光を偲ぶという一般的な、いわば 消極的なノスタルジーではない。 タブッキは、そのような一般的なノスタルジーの方向を“逆さ”にする。過 去と現在との比較のうえで、「過去へのノスタルジーは不如意な現在に対する メランコリーな心情をもたらす」という一般的な在り様・対応に逆らって、タ ・・・・ ブッキは、「可能態としての未来時に対するノスタルジー」を提起し、そこに、 サウダージの積極的な動力因を見い出そうとする。前述の、窓の外のテージョ 河を見ている「ぼく」の心情のように、現在に過去の姿を招き寄せ、その現在 化された過去の像に未来の在り様を転移させる、そのような重畳する視点・視 線の展開を通じて、個人というよりは個人を支えている文化的な定型、過去か ら現在へと継続して来たその在り様を反転・転換させる、つまり“逆さ”にす る、そして何らかの、新たな動きのなかへと定型を誘導していく、そのような “遊び”への誘いを、タブッキは提起しているのである。 それは、ポルトガル文化のなかで、それに固有な感情的契機に対して、その −18− 《逆さ遊び》の反響 方向を未来へと転換することによって、他の文化に於いても受け入れられる普 遍性を求めようとする試み、なのかもしれない。いや、それは、現実的なプロ グラムというよりは、ちょうど「ぼく」が“夢”のなかへ入りこんでいったよ うに、単なる詩的な仮託でしかない、のかもしれない。それ以外ではあり得な い、かもしれない。政治的な発言が皆無というわけではないタブッキではある が、ぺソアに関する記述について言えば、現実的な、つまりは文化的な普遍性 を求めるという意味での「非・観念的な」プログラムを提起する意図があった とは考えにくい。ぺソア自身が、つねに、観念的な他の在り様を模索しつづけ た詩人であり、他の在り様に於いて存在し得るという“遊び”、あるいは“夢” を追い求めた詩人であったのだから 16。 注 1)参照したのは Antonio Tabucchi:《Le Jeu de l’Envers》(Lise Champuis による仏訳本); Récits Complets(Christian Bourgois、1995年11月)に採録。このRécits Completsに記され た「イタリア語版の第三版への注記《Note à la troisième édition italienne》は、Antonio Tabucchi : Il Gioco del Rovescio(Feltrinelli, Milano, 1999)所収の「第二版への注記」 《Prefazione alla seconda edizione》と同じ内容である。なお、作者の原体験とその作品化 との「近接・乖離」の様相は、タブッキの作品集『ポルト ピムの女、その他の物語』 (Femme de Porto Pim et autres hitoires, Donna Di Porto Pim ; Romans I, Christian Bourgois, 1996 年11月)の「プロローグ」 (Prologue)の項に於いても言及されている。 2)残念ながら、バッサニも含めて、すべて、フランス語の翻訳を読んだだけである。イタ リア語原文を、さまざまなニュアンスも含めて、直接的に十分に理解することは、現在 の私の能力を越えている。 3)最初に、上記の、イタリア語から翻訳したフランス語版を読み、その後に、イタリア語 から翻訳した日本語版(須賀敦子訳、白水社版「逆さまゲーム」)を参照した。本稿で の引用は原則としてこの日本語版に拠る。ふたつの「翻訳」をイタリア語原文と比較す ・・・・・ る作業は、私の理解が十分に届かない箇所も多かったが、それでも、翻訳の問題を考え るためにはきわめて有益な試みであった。 たとえば、避け得ないことではあろうが、明らかな誤訳はある。《un portiere algarvio cordiale e ciarliero》(上記 1999 年イタリア語版単行本、p.19)は、日本語版では「愛想 のいい、おしゃべりなアルジェリア人の玄関番」(白水社版 p.24)となっているが、フラ ・・・・・・・ −19− 小 玉 齊 夫 ンス語版(の日本語訳)は「 (愛想のいい、おしゃべりな)アルグラヴ地方出身の(originaire ・・・・・・・・・・ de l’ Algrave)玄関番」である。このアルグラヴは、ポルトガルの南端にあり、大西洋に ・・・・・ 面し、海産物、アーモンド等で知られる地方で、ポルトガル語ではAlgarve。イタリア語 原文には上記のように「アルグラヴ地方の人 algarvio」とあり、イタリア語で「アルジ ェリア人」は algerino であるから、日本語訳の誤りは明らかである。日本語版訳者はタ ブッキと知己であったと聞くが、まさか、内々の「許可」を得て自在に訳したというこ ともあるまい。もっとも、イタリア語版の「初版」と「第三版」とには異同があるかも しれず、それを検討・確認していないので、現時点では完全な「誤り」と断定できない かもしれない。だが、「初版と第三版とのあいだに異同がある」とは、これまで見たか ぎりでは、どこにも記されていない。 イタリア語原文をフランス語に直す作業(語順等の変更はほとんど必要なく、逐語訳 がそのまま「正しい」翻訳を構成する場合が多い)と、イタリア語原文を日本語に直す 作業(単語、文章表現上でのさまざまな配慮が要求される)とでは、その困難さを同列 に論ずることは出来そうにない。したがって、それぞれの「翻訳の次元での要請」に基 づく結果的な(翻訳後の)「表現の相違」は、いちいち対照してみると、意外に多いこ とが分かる(それらは、日本語版のいくつかの「誤り」や、いくつかの「欠落(原文の 一部を訳出してないこと)」とは別に、見いだされる)。たとえば、「昼下がりの暑気を ・・・・ やりすごすために」(p.12)と日本語に訳された部分のフランス語訳(の日本語訳)は 「正午の暑さ」(p.25)であり、これはイタリア語原文(《la calcura meridiana》, p.11) ・・・ と逐語的に対応する。この程度の翻訳の「相違」は、翻訳の次元での「許容性」を考慮 に入れると、日本語訳を誤訳と決めつけるわけにはいかない。同じく、「夕暮れ、テー ・・・ ジョの河口を渡ってゆく、深い空色の小さな曳船」(同)という日本語版の「夕暮れ」 ・・ にあたる語はイタリア語原文にはなく(したがってフランス語訳文にもなく)、この部 分以降の記述を先取りして訳者が、理解を容易にするために付け加えた語彙と想像され る。「深い空色」も、イタリア語原語の意味を厳密にとれば「深い」は不要と思われる ・・ が、これも日本語版翻訳者の裁量の範囲内での語彙選択と考えられる(映画字幕の「翻 訳」などは、映画であるがゆえのさまざまな制約のため、小説の翻訳よりもこの種の 「許容性」は、はるかに大きく・広くなっている)。「誤り」から「許容される」までの 範囲内にある「翻訳の次元でのさまざまな問題」を見るために、以下、特に気づいた箇 所のみを、参考のために、a 日本語訳 b フランス語訳(の日本語訳)c イタリア語原 文(関連する語彙を中心に)の順番で、該当箇所を挙げてみる。 ① a 「彼女が死んだことを知らなかった(p.12) 」 b 「彼女が死につつあることを知 ・・・ ・・・・・・ 知らなかった(p.25)c《io non sapevo che lei stava morendo(p.11) 》 フランス語にお ける「半過去」的な表現の方が、やはり、正確と言うべきかもしれない。 ② a 「タラヴェーラ・デ・レイナあたりで、ぐっすりと眠ってしまった(p.13)」 b ・・・・ −20− 《逆さ遊び》の反響 「タラヴェーラ・デ・レイナあたりまで、ぐっすりと眠ってしまった(p.26)」 ・・・・・ dintorni di Talavera de la Reina dormii profondamente(p.12) 》 c 《ai イタリア語原文は、文法的には、「あたりで」寝込んだ、という a の訳も、「あたりま ・ ・ で寝ていた」という b の訳も、ともに可能なようである。それでは、実際に列車に乗っ ・ ていての可能性は、どうか? 日本語版では「真夜中のルジタニア・エクスプレス」(イタリア語原文でも《Presi il ・・・・ Lusitânia-Express della mezzanotte》とあるが、私蔵のトマス クック『大陸時刻表』 (Continental Timetable)で、《逆さ遊び》が書かれた「1978 年夏」にもっとも近い「1984 年 7 月」版によると、ルジタニア・エクスプレスのマドリッド発は 23:10 であり、マドリ ッドから137キロメートル先のタラヴェーラ(イタリア語原本は、このTalavera de la Reina をスペイン語綴りで表わしている)には、1:07 に到着する(上記『大陸時刻表』の「1985 ・・・・・・・ 年 7 月」版では前年度と同じであるが、同「1986 年 7 月」版では、「マドリッド発 23:30、 タラヴェーラ着 1:10」となっている)。したがって、「タラヴェーラあたりで」寝込んだ とすれば、マドリッドを出発してから 2 時間ほど後で寝込んだことになり、「タラヴェー ラあたりまで寝ていた」のだとすれば、マドリッドを出発してから 2 時間ほど寝ていた ・・ ことになり、いずれも、その後に続く記述と矛盾があるかないか、が問われる。 ところで、その後の行動としては、眼が醒めてから「横になったままで、エストレマ ・・・・・ ドゥラの暗い荒野にむかってひらいた窓を、じっと見つめていた」と記されている。こ ・・・ のエストレマドゥラはどの地域か?ここで、新たな問題が生ずる。「先端(はずれ)の ・・・・・・・・ 地」という意味からつけられた「エストレマドゥラ」地方は、スペイン(ポルトガルと の国境に到る手前の、スペイン西端の地方)にも、ポルトガル(「レイリア、リスボン、 およびセットブルの三都市をそれぞれ中心地とする三つの地区」の総称。リスボンを中 心に北はナザレ、南はセットブルあたりまで広がる「大西洋沿岸の西端地域」)にも存 在するのである。スペインのエストレマドゥラはスペイン語綴りで Extremadura、ポル トガルのエストレマドゥラはポルトガル語綴りで Estremadura。そして、イタリア語原 ・・・・・ 本に書かれた「エストレマドゥラ」は、スペイン語綴りの Extremadura ではなく、ポル トガル語綴りの Estremadura になっている。もし「タブッキ本人が記した綴り」を重視 すれば、「エストレマドゥラの暗い荒野にむかってひらいた窓を、じっと見つめていた」 のは、もうリスボンも間近になってから、ということになる(ルジタニア・エクスプレ スに乗っていて、リスボン到着までに 1 時間以上かかる地域は、まだ「ポルトガルのエ ストレマドゥラ地方」には含まれていない!)。これに対して、タブッキが「実際には スペインのエストレマドゥラ地方を指すつもりで、しかし、綴りをついポルトガル語表 記にしてしまった」と考えれば、このスペインのエストレマドゥラ地方は、(列車の駅と しては)Cacerez 駅と Valencia de Arcantara 駅との間に広がる地域であり、マドリッド 23:10 発のルジタニア・エクスプレスは翌朝 4:55 にカセレス駅を出発し、ポルトガルとの −21− 小 玉 齊 夫 国境のヴァレンシア デ アルカンタラ駅には 6:22 に到着するから、この一時間半ほど を「眼が醒めてから…じっと見つめていた」ということになる。これは、目が醒めてぼ んやりとあたりを見つめる時間・時期として、いささか長いが、おそらくそれほどの異 和感なく受け入れられるし、またリスボン到着は 9:35 となるから、たしかに、「マリア ド カルモのことを考える時間はたっぷりあった」と言える。「ポルトガルのエストレマ ・・・・ ドゥラ地方」の可能性がまったくないわけではないが、本稿では、ポルトガル語の著作 もあるタブッキが、(エストレマドゥラ地方の名を)スペイン語綴りで表わすべきであ ったのに、うっかりして、ポルトガル語で書いてしまった、という風に解したい。 ところで、「ぐっすりと眠ってしまった」のが、a の「タラヴェーラ・デ・レイナあた ・・ りで」なのか、b の「タラヴェーラ・デ・レイナあたりまで」のどちらか、ということ ・・ ・・・・・ になるが、1)タラヴェーラへはマドリッドから 2 時間後に到着する。2)(スペインの) Extremadura 地方にさしかかるまで、タラヴェーラから列車で 3 時間 45 分から 5 時間 10 分かかる、3)(スペインの)Extremadura 地方の終わりからリスボン到着までは、3 時間 10 分ほどある、等々の状況を考慮すれば、絶対的ではないが、a の方が正しそうである。 文法的にも、aの理解の方が妥当かもしれない。 ③ a 「エストレマドゥーラの暗い荒野にむかってひらいた窓を」(p.13)b 「エストレ ・・ ・ マドゥーラの荒野の暗さにむかってひらかれた暗い窓を」(《regarder la fenêtre obscure ・・ ・・ sur l’ obscurité déserte de l’ Estramadura》 (p.26)c 《guardare il finestrino buio sul buio deserto dell’ Estremadura》(p.12)繰り返しを厭わない日本語文であるにもかかわらず、 訳者は、原文には「ふたつ」書かれている「暗い」を、根拠は不明であるが、ひとつに している。もっとも、訳者の裁量内の訳とも言える。 ④ a「カンポスが、胸のなかでくるくると羽根が舞うように感じる」(p.14)ここは ・・ 《海のオード》という詩の、小さな船が姿をあらわし云々という詩句を暗唱する場面であ り、したがって、原詩の語彙と関連しているはずであるが、フランス語版では《Campos sent une roue qui commence à tourner dans sa poitrine(p.27) 》で、roueは、即物的 ではあるが、船を推進する回転輪を想起させる。イタリア語原文は《Campos sente un volano che comincia a ruotare dentro il suo petto》で、volano は「 (バドミントンなどの) 羽根」とされている(小学館刊『伊和中辞典』の語彙説明による。日本語版訳者はこの 『伊和中辞典』の「執筆者」に名を列ね、「詩学」部門の「校閲者」でもあるから、日本 語訳出に際してこの辞書も利用していた可能性は高い。初版は 1983 年 1 月。白水社版 《逆さまゲーム》は、1998 年 8 月刊。とはいえ、訳の「正解」を云々するより、ここは、 「羽根」の喚起する画像のちからを尊重した翻訳者の、自由な、巧みな訳と見るべきで あろう。 ⑤ a 「人生が(...)ただのゲームにすぎないなんて(p.13) 」b 「人生が(...)ゲームに ・・・ ・・・・・ ・ 似ていることもある」 (p.28) c《la vita fosse come un gioco.》この程度の「相違」は、 ・・・・・・・・・ −22− 《逆さ遊び》の反響 翻訳者の裁量内の訳と言えよう。 ⑥ a「ポルトガルからファドのレコードをたくさん、もってきてたの」(p.17) b「ポ ・・・・ ルトガルからファドのレコードを何枚か(quelques disques)、もってきてたの」(p.29) ・・ c《dal Portogallo aveva portato con sé qualche disco di fado.》この程度の「相違」も、し かし、翻訳者の裁量内の訳であろうか。 ⑦ 欠落部分: a には、「どうしてあのとんでもない館にすんでるのかって」(p.17)の 後に、以下の部分が、何故か、訳出されていない。「どうして、わたしがそこで伯爵夫 人 の 役 柄 を 演 じ て い る の か っ て 」( フ ラ ン ス 語 訳 に よ る )。 イ タ リ ア 語 原 文 で は 《 (perché vivo in quel palazzotto assurdo,)perché sto qui a giocare alla contessa,》 ⑧ フランス語訳にも若干の「不正確さ」がある、その例を挙げておく。a「夕食のと ・・ きもつけっぱなしのラジオ」(p.17)」b 「食事のときはいつも(à l’heure des repas)つ ・・ けっぱなしのラジオ」(p.30) c《la radio accesa all’ora di cena》 フランス語訳は「夕 食」以外の食事も含めてしまっている。 ⑨ a 「ポルトガル人はコーヒーにうるさいですね」(p.18)b(直訳であるが)「ポルト ・・・・ ガル人はおいしいコーヒーをもっていますね」(p.30-p.31)c《I portoghesi hanno un buon caffè》(p.15)本来は「ポルトガルには美味しいコーヒーがありますね」という意 味であろうが、日本語訳は、「ポルトガル人」という主語を、これに続く文(「コーヒー の恩恵をこうむっているようには、あまり思えませんね」 )とつながるように、巧みに ・・・・・・・・・・ 訳してある。 ⑩ a「サレーロには欠けますが、サウダージに満ちています、当然」 (p.19)b「サレー ・・・・ ・・・・・・ ロが(より)少なく、サウダージがもっとあります、もちろん」 (p.31)c《con meno salero ・・・ ・・・・・・・ e più saudade, naturalmente》(p.16)「比較級など、そのまま公式どおりに訳すわけには いかない」という翻訳方針が有ったとすれば、ここも、翻訳者の裁量内の訳と言える。 ただし、列車内で若いスペイン人と話している想定であるから、ここの《salero》はス ペイン語のはずである。したがって、「サレーロが足りない」を「塩気がたりない」と ・・ 訳す(日本語版p.18)のは、 「サウダージ」との音の関連を生かそうとする意図は理解さ れるが、いささか疑問なしとしない。フランス語版もイタリック体で salero, saudage を そのまま用いてはいるのだが。白水社版『現代スペイン語辞典』改訂版の《salero》の 項にある「機智、愛嬌」という意味を、少なくとも「ほのめかす」訳の方が適切であっ たのではないか。上記『伊和中辞典』の《sale》(塩、を指す)の項でも、イタリア語の 《sale》が文学的表現としては「辛辣さ、機智、面白み」を意味する、とある。 ⑪ a「なんともデリケートな味の米料理(p.19)」b「なんともデリケートな味の、しか ・・ し見かけは吐き気を催すような(米料理) 」 《 (L’ arroz de cabidela avait)un goût très raffiné ・・・・・・・・・・・・・・ et un aspect répugnant》 (p.31)c《 (L’ arroz de cabidela aveva)un sapore raffinatissimo e un aspetto ripugnante》 (p.16) 下線部が日本語訳では欠落している。さらに、この後の −23− 小 玉 齊 夫 「血とぶどう酒」に対して、イタリア語では、それぞれに係っていく《bolliti》 (煮た)とい う形容があるが、日本語訳では省略されている。もっとも、「こってりとした栗色(フラ ・・ ンス語訳では《brune》なので「栗色」にはなりにくい…)のソースになっていた」と続 くので、内容的に理解可能と判断したに違いない。さらに、レストラン内部の「大理石 のテーブル」は、日本語訳では、イタリア語原本にない(したがってフランス語訳にも ない) 「安物の」という形容が付け加わっている。レストランの「程度」を理解させる仕 方として、適切な説明語と思われる。この種の、状況説明のための追加語は、 「彼は、心 配そうにたずねた」と述べられているイタリア語原文に対しても、その唐突さをやわらげ るためか、原文にはない(したがってフランス語訳にもない)「どういうわけか」を付け 加えている(「どういうわけか、彼は、心配そうにたずねた」p.19)。場面・状況の理解を ・・・・・・・ 容易にするため、翻訳者がその裁量内で行なった付加(時には、削除)の例であり、こ のような「勝手な」追加は、否定的に判断されることもあるが、それが過剰でなく適切 さを欠いていない限り、付加説明は、翻訳としても有益であり許容されるべきもの、と 私は考える。もう一例を挙げると、日本語版の「ヌーノ・メネーセス・デ・セケイラは 組んだ手で腹をおさえていった」 (p.26)は、フランス語版では単に「膝の上で手を組んだ」 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ (p.38)であり、イタリア語原文でも《Nuno Meneses de sequeira intrecciò le mani in grembo.(p.20)》である。イタリア語の《grèmbo》には「膝」以外に、「子宮、胎内、内 部、奥深いところ」等の意味があるとはいえ、日本語版は、状況を考慮しての翻訳であ り(映画の「字幕」的な意味合いに於いて)かえって「適切」と言うべきかもしれない。 ただし、 「創作に近い訳」という反撥はあるかもしれない。 ⑫ a「ファドの古典をいくつかうたった。通りがかりの客は…」(p.19)の箇所の日本 語訳にも欠落がある。「うたった。」と「通りがかりの客は…」の間に、「タヴァーレス 氏は、電灯を消し、棚に置かれたいくつものロウソクを点していった。 」が入る。 ⑬ a「うっとりとした手つきで(p.20)」 b「心ここにあらずといった様子で《(elle ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ allumait une cigarette d’un air absente(p.32) 》c《accendeva una sigaretta con fare trasognato》ここも、日本語訳はイタリア語原文に照応しているが、フランス語訳がいささか方 向を異にした訳となっている例である。ただし、許容範囲内とも言える。ついでに、こ の少し前にある、日本語版で「たぶん、マリア ド カルも、ついに自分のさかさまに 到達したのだろう」(p.31)という文の動詞について。イタリア語原文は《Forse Maria ・・・・ do Carmo aveva finalmente raggiunto il suo rovescio.》 (p.24)であるが、前記『伊和中辞 典』では《raggiungere》に、 「1追い付く、届く 2(広義)着く、到着する、到達する 3(比 ・・ ・・・・ ・・・・ 喩的)獲得する、達成する」と、大別して三つの訳を与えており、日本語版は 2 を採用し たことになる。フランス語版は《Peut-être Mario do Carmo avait-elle enfin trouvé son envers.》で、「(自分のさかさまを)見出した」という訳となる。「到達した」と「見出 した」という、日本語版とフランス語版の訳は、「だいたい同じ」とも言えるが、「微妙 −24− 《逆さ遊び》の反響 な違いはある」とも言えるかもしれない。 ⑭ 欠落部分: a「ねえ、わたしたち、いったいだれなのかしら。どこにいるのかしら。 (p.20) 」の後に、 「どうしてここにいるのかしら。 」が入り、その後に、 「一生をまるで夢 ・・・・・・・・・・・・・ のように生きて。」が続く。b《écoute, qui sait ce que nous sommes, qui sait où nous sommes, qui sait pourquoi nous y sommes,》 (p.32) c《lei ... mi diceva : senti, chissà cosa siamo, chissà dove siamo, chissà perché ci siamo,》 (p.17) ところで、この「一生をま るで夢のように生きて」という日本語訳に対応するイタリア語原文は《 (senti,) viviamo questa vita come se fosse un revés》であるが、フランス語原文は《 (écoute,)juons notre vie à l’envers》としている。つまり、フランス語訳は、「逆さまの人生を演じてみましょ う」であり、この方が、日本語訳より「正しい」と思われる。この判断は、タブッキが、 イタリア語原文のなかで、意図的に、スペイン語の《revés》を用いていることに基づく。 後に p.30 で、REVES という語は「フランス語では“夢”(の複数)だし、スペイン語だ ったら“逆さま”だ」と言われているが、しかし、それも(p.30 のように)「大文字」で 書かれ、したがって「アクセント記号」が省略されている場合には、フランス語かスペ イン語か判定が難しくなるが、ここ(p.17)のように、綴りが「小文字」であり「アク セント記号」もはっきりと付されている場合には、《revés》は、明らかに、スペイン語 で書かれていると判断せざるを得ない。それゆえ、ここ(p.17)では、「夢」ではなくて 「逆さま」を訳語として選択しなければならないはずである。とはいえ(にもかかわら ず)、文の言わんとするところは、「逆さま」であるがゆえの「夢」(非・現実)を演ず る、ということでもあろうから、とすれば、翻訳者の裁量の内として、両様の翻訳も可 能ということになる(のかもしれない) 。 ⑮ a「ポルトガル人はむりしてグリニッチ時間を守っていますが、太陽で測ると、一時 ・・・・ 間もずれているのです。ポルトガルの闘牛を… 闘牛士は一時間あまりも牛のまわりを ・・・ ・・・・・・・ 踊って… 鈴を盛大にならしながら、去勢した牛の群れを場内に入れる。(p.21)」 この ・・・・・ 部分の日本語訳には、いくつかの「誤訳」がある。フランス語訳を参照すれば、以下の ようになる。「ポルトガル人はグリニッチ時間を守りたがっているが、太陽で測ると一 ・・・・・・・・ 時間遅れているんです。ところで(日本語版には欠落)ポルトガルの闘牛… 闘牛士は ・・・ ・・・・ 三十分間牛のまわりを踊って…鈴を盛大にならしながら、雌牛の群れを場内に入れる。」 ・・・・ ・・・ 「ずれている」と「遅れている」との違いは無視可能であろうが、牛のまわりを踊る時間 (「一時間あまり」と「三十分」)、場内に入れる「オス牛(去勢した)」と「メス牛」との 違いは、以下のように、イタリア語原文でも確認される。(《il sole è un’ora di meno》, 《e poi》, il torero gli balla intorno per mezz’ora》《entra una mandria di vacche col campanaccio》なお、タブッキは、「血なまぐさくない」ポルトガルの闘牛で「雌牛を場内に ・・ 入れる」場面を、『フェルナンド ぺソアの最後の三日間』のなかでも、ベルナルド ソアレスの口を借りて、描きだしている(Les Trois derniers jours de Fernando Pessoa Un −25− 小 玉 齊 夫 Délire ; Seuil, 1994 年版 ; p.54 ) ⑯ a「引き受けるよ。あさって出発する」(p.23)。ここは、日数についての誤訳と思わ ・・・・ れる。b「引き受けるよ。三日後に出発する」 (p.35) 《C’ est d’accord, dis-je, je pars dans ・・・・ trois jours》. このフランス語訳はイタリア語原本によっても確認される。c《D’ accordo, dissi, io parto fra tre giorni.》 前記『伊和中辞典』の“fra”の項には、Partirò fra tre giorni. という例文が示されており、ちゃんと、「3 日後に出発します」という訳が与えられてい ・・・ る。「あさって」は「2 日後」のはず。ついでに、日本語訳で「あさっての飛行機の切符 ・・・・・ (p.31) 」とあるのも、原文では《un biglietto aereo per l’ indomani》であり、 「翌日」であ る。一日くらいの違いは、無視しても構わないといえば構わない、かもしれないが… ⑰ a「リスボンでは、トリンダージ劇場のうらの、国立図書館にほど近い、小さいホテ ・・ ・・・・・ ルに泊った」(p.24)b《Arrivé à Lisbonne, j’étais descendu dans un petit hôtel du centre, derrière le théâtre de la Trindade, tout près de la bibliothèque》 (p.36) 。日本語訳の「劇場 のうら」は、言葉としてはそうなるかもしれないが、実際のトリンダージ劇場は、その ・・ 後ろ(背後)に 200 メートルも他の建物が続く建てられ方になっていて、一戸建ての劇 場の裏手にホテルの建物が有るようなイメージとは合致しない。そして、イタリア語版 原文は「国立」図書館と明示している。c《A Lisbona mi ero fermato in un alberghetto del centro, dietro al teatro della Trindade, a due passi dalla biblioteca nazionale》 ところが、 フランス語訳ではこの「国立」が落ちている。何故、落としたのか?おそらく、「国立 図書館」は、リスボン市の「中央部」(日本語版はこの語が欠落)にも、「トリンダージ 劇場」の近くにも、存在していないからである。1768 年創立の「国立図書館」(Biblioteca Nacional de Lisboa)は、1836年、リスボン北部の聖フランシスコ会修道院の建物に移 転(本部住所はCampo Grande 83番地) 。都心からかなり離れているこのCampo Grande 地区は、リスボンの「中央部」とも「トリンダージ劇場」の近くとも言い難い。トリン ダージ劇場じたいは市のほぼ中央部にあるから、フランス語版は、「国立」を落とすこと で、ホテルが(リスボン市の)他の公共「図書館(実際の有無は不明であるが…)の近く」 にあるような訳し方をし、日本語訳版は「中央部」の語を落とすことで、トリンダージ 劇場のはるか「うら」にあたる「国立図書館の近く」にホテルがあるような訳し方をし ・・・ た、ということかもしれない。イタリア語原文じたいに(つまりタブッキ自身に)、何ら かの思い違い(記憶違い)があったのではないか。あるいは、トリンダージ劇場の「う ら」手にあたる方向(距離はかなり遠い)、カモエス広場近くには、ぺソアがつねに姿 を現わしていたカフェ「ア ブラズィレラ(A Brasileira)」(あまり感動的ではないぺソ アの「座像」が手前に置かれている)があり、その向かって三、四軒右隣りには「ボル ヘス(Borges)」という「小さなホテル」があるから、もし、アルゼンチンの作家の名 でもある(タブッキの「嗜好」にもかなっている気がする)この「ボルヘス」が、ここ で言われる「小さなホテル」であれば、「ぼく」が「ベルトラン(Bertrand)書店」(「ボ −26− 《逆さ遊び》の反響 ルヘス・ホテル」と同じガレット通りの、73-75 番地にある。ただしホテルとは“反対” 側)でマリア デ カルモと会うという設定にも無理がないことになる。ことによると、 この事実をカモフラージュするために、タブッキは意図的に、「国立図書館」という離 れたところにある建物(「ぼく」はバロック期のポルトガルの詩を研究している想定で あるから、国立図書館を登場させる根拠はある)を、わざわざここで話題にしたのかも しれない。このあとの、ホテルの「アルジェリア人の玄関番」については、既に述べた。 ・・・・・・・・ ⑱ a「彼は、話の腰を折られないように手まねでぼくを制止しておいて、つづけた。 ・・ ・・・ (p.28)」 b「ぼくは、話すのをやめるようにと彼に手で合図したが、彼は話しつづけた。 ・・・ ・・ ・・・・ (p.39) 」c《Feci un cenno con la mano, come per imperdirgli di continuare, ma lui seguitò.》 ここは、bのフランス語訳の方が「正しい」と思われる。 以上、疑問点を挙げてきたが、日本語版訳は、たとえば、フランス語版では単に「よ ろい戸」《volet》としている(イタリア語の)《le imposte》を、「窓についた木の扉」と 説明的に「訳している」点に、その特徴を見ることが出来る。おそらく、訳者の意識が ・・・・ 非常にイタリア語に近いため、日本には本来ないはずのものの名称は、「説明語句」に 置き換えてしまったのである。このような「説明性」は、前述の、状況説明として付加 された訳の場合に典型的に認められたように、方法的な配慮に基づくものであり、その 方向で見るなら、フランス語と異なる部分の日本語版訳では翻訳者の巧みな表現が随所 に眼についたことは、付け加えておかねばならない。 4)主人公を「ぼく」とするのは、日本語版訳にしたがっている。 5)スペイン語で「蝶」を指す。冒頭の、マリア ド カルモが死につつあった時、「ぼく」 はマドリッドのプラド美術館でヴェラスケスの Las Meninas(原題は La familia だったが 「不敬」の意味に取られ得るので、1843 年以来、ポルトガル語を借用してこう呼ばれる ようになったとされる。J. Rogelio Buendia による『プラド美術館カタログ』El Prado Basico, p.222 ; Silex, Madrid, 1973)を見ていたという設定になっているが、ここに限ら ず、たとえば、リスボンに向かう列車で同室になる若いスペイン人に、マリア ド カ ルモがポルトガルの詩人フェルナンド ぺソアの詩の特質を形容したことばをスペイン 語(《juego del revés》)で説明する場面、同じく、ポルトガルの女流詩人の名を、わざわ ざスペイン語表記で説明する場面、あるいは、スペイン人であるこの若い男がポルトガ ルの闘牛を批判する、さらには、マリア ド カルモの話しに出てくる「スペイン市民 戦争」、そして結末部の REVES(ここでは、大文字で書かれているため、フランス語か スペイン語かは曖昧、という想定になっている)という語彙の提示等々に見られるよう に、広義のスペインに関わることがらが、ポルトガルに関わることがらと同じ程度の比 重で、言及されていることがわかる。マリア ド カルモの死を聞いた「ぼく」が、真 夜中の「ルジタニア急行」に乗るのも(それ以外の手段はなかったのであろうが)、お −27− 小 玉 齊 夫 のずから、スペイン・ポルトガルに関わる歴史的な意味合いを印象づける表現となって いる(lusitano:ルシタニアの。 『伊和中辞典』では「イベリア半島にあった古代ローマ領。 ・・・・・ 現在のポルトガルとスペイン西部にあたる」。ただし、『現代スペイン語辞典』では、「① ルシタニアの、現在のポルトガル中央部とエストレマドゥーラ ②ポルトガルの、ポル ・・・・・・・・・ トガル人」)。いずれにせよ、これに加えて、イタリア(ローマ)、アルゼンチン(ブエノ スアイレス)等への言及も考慮に入れるなら、現実的には国境によって定められている 境界を、小説の事実性として自由に飛び越える、そのようなタブッキの意図・文学的方 向性は明白と言えよう。 6)蝶(チョウ)《mariposa》というスペイン語の語彙を逆さにした「ウョチ《asopiram》」 ・・・ ・・・ (という虚構の語彙)は、チョウの“逆さ”であることに於いて、自身が「蝶・チョウ である」ことの全ての規定から解き放たれている(蝶の「反対」である)ことになる。 その結果として「ウョチ《asopiram》 」という虚構の語彙(観念)が積極的・肯定的・具 ・・・ 体的に何を獲得したのか、それは当面は不明である(たいていの場合、実際的な照応の 面では、何も獲得していない)が、消極的・否定的・抽象的な方向から見れば、ウョチ であるかぎり、「チョウ」であることに関わる「他者性」を自身の存在規定としたこと、 つまり、 「チョウ」の“逆さ”であることに於いて自己を成立させている以上( 「チョウ」 に対して他者性を有している以上)、可能性としては他のあらゆる規定を受け入れるこ とが出来るが、もはやチョウだけには絶対になり得ないということは、少なくとも同一 ・・・・ ・・・ 律が成立する世界に於いては、確実である。Maria から Airam への“逆さ遊び”に関し ても、最低限(マリアは人間であり、となればその「他者性」は、人間としてのマリア ・・・ の過去の在り様との同一的な関わりなど、錯綜した生の実態を考慮に入れなければなら ないことになるので、少なくとも最低限は)、「チョウ」と「ウョチ」の場合と「同じこ ・・・ と」が言える。「アイラム」になった「マリア」は、自身を「アイラム」と意識すれば、 マリアの“逆さ”であるがゆえに「マリア」には絶対なり得ないにもかかわらず、しか し実際には「マリア」でありつづけてもいる、そういう「観念の遊戯」にひたり得る存 在、ということになる。この観点を延長させれば、短編《逆さ遊び》でその名が言及さ れるポルトガルの詩人フェルナンド ぺソア(Fernando Pessoa ; 1888-1935)と、彼が (おそらくは)自身の“逆さ”の存在として構想するに到った「旅行カバンいっぱいの 人物たち」 (注9参照) 、Alberto Caeiro da Silva, Alvaro de Campos, Ricaldo Reis, Bernaldo Soares, A.A. Crosse, Alexander Search 等々の「異名(hétéronyme)の存在者」たちとの 関わりも、「チョウ」と「ウョチ」あるいは「マリア」と「アイラム」の場合と同様な 「他者性」あるいは「同一性をその対極に置いた他者性」が貫かれ、表現されていると ・・ 見ることが出来る。語彙の“逆さ遊び”という次元に於いても、既に、ぺソアの「異名」 性ともつながる「 “逆さ”のひろがり」を有していることが認められる。 7)短編《逆さ遊び》のなかで、《saudade》の説明に用いられている語彙を採用すれば、「精 −28− 《逆さ遊び》の反響 神のカテゴリー」ということになる。 8)自己固有の視点と、その自己固有の視点を眺める自己の視点というような、「観念的な、 自己分裂」に基づいての複数の視点を構想すれば、或る「主体」も、ひとつの「客体」と して表現・了解されることになる。このような視点の複数化は、日常的な表現としては、 時間的に前後を置くことによって可能になるが、絵画のように空間的に表現が展開され る場では、空間的に併置・併存された在り様で展示され得ることになる。書記文字によ る場合には、厳密に言えば、読解の時間が必要であるため、絵画よりはその空間性が弱 いと言えるが、しかし、時間化としての意味理解を拒否する観点に立てば、それなりの 「空間化」が不可能なわけではない(モーリス ブランショ等の創作は、空間化を通じて ・・・ の意味理解の拒否、つまりは無意味(不条理)の世界の描出の試みであろう) 。 ・・・・ 9)ぺソアについての論考『旅行カバンいっぱいの人物たち』(参照したのはフランス語版 Antonio Tabucchi: Une malle pleine de gens, 10/18版、2002)の冒頭で、タブッキは、周 知の、書物が有する「移動する中心点」についての、モーリス ブランショの記述 (『文学空間』、1955 年刊)を引用している。指摘の意味する方向、意義の及ぶ範囲を考 えれば、ブランショの観点は、タブッキの作品だけでなく、そのヴェラスケスの絵の解 析に対しても、ひとつの論拠を提供したと言えそうである。 10)その意味では、写真像、陰画あるいは影絵の方が、実際のひかりの像に対するネガティ ・・ ・・ ブな虚像の実現として、より明確に“逆さ”を示す画像と言える。 11)ラルゥス刊『ポルトガル語−フランス語辞典』 (Dictionnaire Portugal-Français ; Larousse, 1996)は、arroz de cabidelaをriz au sang と翻訳・説明している。直訳すれば「血入りの 米」であるが、riz au curry を「カレー ライス」とするのにならえば、「ブラッド ラ イス」となるのかもしれない。日本語版訳者は、その後の本文に「ニワトリ」 「血」 「米」 の説明があるので、「アロズ デ カビデーラ」というカタカナのルビ付きの原語で済 ませている。フランス語版も、直訳の「なまなましさ」を避けるためか、原語をそのま ま、イタリック体で、採用している。 12)上記ぺソア論(『旅行カバンいっぱいの人物たち』; p.9)で、タブッキは、ぺソアの「演 技・戯れ・遊び・賭け」(《jeu》 )に関して、「ぺソアの遊び jeu の本質は、遊び jeu を“演ず ・・ ること”にある、と言えよう( 《on pourrait dire que le jeu de Pessoa consiste à “jouer” le ・・・ jeu.》 )と述べ、 さらに、それこそがぺソアの「真の虚構(化) ( 《sa fiction vraie》 ) 」であ ・・ る、と言い換えている。そしてまた、別の観点から、「現実の本質を獲得するため、現 実に向かい合いつつ、そこから退いていくという倒錯」(《La pervesion d’abdiquer face ・・ au réel pour posséder l’ essence du réel.》 )こそが、ぺソアの「根源的な(現実の)拒絶」で あり、それが、彼を「(現実に対する) “逆さ”と“不在”、“否定”に関する二十世紀で最 ・・ も卓越した詩人」とした、と述べている(p.26;《Un refus radical, presque empreint de dégoût, qui fait de Pessoa le plus sublime poète de l’ envers, de l’ absence et du négatif de −29− 小 玉 齊 夫 tout le XXe siècle.》)タブッキの短編《逆さ遊び》にも反響してくる規定・限定と言える。 ・・ 13)Antonio Tabucchi : La Nostalgie du possible - Sur Pessoa(Seuil, 1998 年版); p.81. ぺソ アの「異名」者のひとり Bernardo Soares が書いた(とされる)『不安の書』(Le Livre de L’ Intranquilité ; Françoise Laye による仏訳・改訳版, Christian Bourgois, 1999)について の論考である。 「ノスタルジーと不安(落ち着きのなさ) 」とした語彙のフランス語訳は、 《nostalgie et intranquilité》であり、これに続く引用部分のフランス語訳文は、 《en portugais, nostalgie se dit saudade, et la saudade est aussi une forme de mélancolie.》である。サ ウダージという「感情的な文化圏」の内部での「普遍的な特性」 (としてのノスタルジー、 メランコリー、不安等)の確定の試みが、ここでなされている、と言うことが出来る。 14)2001年版、p.38 15)タブッキは、上記(注 13)のぺソア論(p.19)で、本名ジョゼフ テオドル コルゼニ オウスキー伯爵たるジョゼフ コンラッドの ego と alter ego との関わり(『密航者』1912 年)について言及しているが、ここで引用したコンラッドによるイギリス人の国民性の 規定は、『青春期』Jeunesse(参照したのは改訂仏訳版 Gallimard, 1993)の冒頭に書かれ ている。コンラッド説を補強するためには、たとえば、シャーロック ホームズを創出 した「身長 180 センチ、体重 100 キロを超す」コナン ドイルも、かつては「船医として 捕鯨船に乗り」込み、スポーツで鍛えた体力で「北氷洋の荒波に耐えた」(山崎光夫 『ドンネルの男 北里柴三郎 上』東洋経済新報社、2003 年; p. 241)というエピソード を付け加えれば良いであろうか。 16)ペソアの『アナーキストの銀行家』(Le banquier anarchiste ; Françoise Laye による仏訳 版、Christian Bourgois, 2000)の試みは、商業主義という現実への批判を借りて、未来に 向けて託されたノスタルジー、その希望(夢)への、ぺソアによる観念的な表現(現実 化)と見ることが出来る。 −30−