Comments
Transcript
リーダーシップ発揮のための首相公選論 - DSpace at Waseda University
127 ソシオサイエンス Vol.17 2011 年3月 論 文 リーダーシップ発揮のための首相公選論 ─ 官僚統制の議論を中心として ─ 岡 田 大 助* 第1章 問題の所在 あるいは除去してゆけばよいのであろうか。と りわけ,行政府内が問題であろう。 現代においておよそ先進国と呼ばれる国家 憲法学者はその行政府内の構造について無頓 は,行政国家である。行政国家とは行政権が他 着か楽観的である。首相公選論であろうと「国 の国家権力と比較して,主体的役割を演ずる国 民内閣制」論であろうと,さも行政権の長であ 家である。日本にとって行政国家化が抗うこと る首相を国民の意思によって選び民主的正統性 ができないならば,そこでは「民意の統合」, 「内 を付与さえすれば,行政権全体が首相の思うと 閣機能の強化」そして「首相のリーダーシップ」 おりに動くであろう,と想定しているかのよう を必要とする。それらを充足させ必要条件とし である。行政学者である,西尾勝は「憲法学界 て成り立つ理論が首相公選論である。このうち での議論は高橋教授のそれも含めて,専ら議会 「内閣機能の強化」と「首相のリーダーシップ」 と内閣の関係に関心を集中させていて,任命職 は特に密接な関連性をもつ。ともに憲法 65 条 (官僚・行政職員)から構成されている官僚制 における行政権の所在を端緒とする議論であ に対する統制の問題をほとんど完全に無視して る。 いる点が遺憾に思われる」としている[西尾 「内閣機能の強化」の議論は,合議制である 0 0 0 0 1995:29]。 内閣の構造を変革することにより,その役割を 憲法学界での議論のように考えてよいのであ 強化しようというものである。そして, 「首相 ろうか。否,たとえどうであろうと,西尾の言 のリーダーシップ」の議論は,日本国憲法にお 及するとおり,官僚制に対する統制の問題を無 ける首相の権限がもし強いのに抑制されている 視するべきではない。現実に官僚の役割は大き とするなら,抑制しているものを除去しようと いであろう。それを検討してみる価値は高い。 いう議論になる。本稿では「首相のリーダーシッ 本稿において,なぜ首相公選制を導入しなけ プ」を扱う。 「首相のリーダーシップ」には,さまざまな 抑制がかかっている。それをどのように変革し, *早稲田大学社会科学総合学術院 助手 ればならないのかということの一端を明らかに し,そして,首相のリーダーシップにより,と りわけ官僚を統制できるか否かを論じたい。 128 第2章 首相のリーダーシップ 第 1 節 首相と内閣 きる」とされ,いわゆる内閣補助部局を含むと し,「広義の内閣」の存在が考えられる[稲葉 1999:114-115; 稲 葉 2005:136-137; 藤 田 2005:116- 憲法 66 条 1 項には,「内閣は,法律の定める 123]。すなわち,憲法の内閣と法律の内閣が存 ところにより,その首長たる内閣総理大臣及び 在するということである(以下で使用する「内 その他の国務大臣でこれを組織する」とあるた 閣」は,憲法の内閣を指す。)。 め,首相は内閣という合議制の組織における首 憲法 65 条によれば,行政権は内閣にある。 長である。首相については,憲法で「首長」と 独任制としての首相にあるわけではない。なる していることから独任制を要請しているという ほど大日本帝國憲法(以下「旧憲法」とする。) ことになる。首相は国会議員の中から国会の議 と行政権の所在の違いはあるものの,合議制と 決で指名される(憲法 67 条)。憲法において, しての内閣を重視することは,それ以来の伝統 国務大臣を任免でき(68 条),行政各部を指揮 である。旧憲法においては,「國務各大臣ハ天 監督する権限(72 条),国務大臣の訴追に同意 皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55 条 1 項)と定め する権限(75 条)等を有し,首相が欠けたと るのみで,内閣についての規定も,首相に関す きにはその他の国務大臣が総辞職すること(70 る規定もなく,首相は天皇から任命される「國 条)が規定されているのである。 務各大臣」の一人として,他の国務大臣と同格 一方, 「内閣」の権限は,首相の権限とは別に, に位置づけられていた。そして,旧憲法と同年 憲法 73 条で「他の一般行政事務の外」に行う に制定された「内閣官制」では「各大臣ノ首班 ものとして, 「法律の誠実な執行と国務の総理」, トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ受ケテ行政各部ノ統一 「外交関係の処理」,「条約の締結」,「官吏に関 ヲ保持ス」(2 条)とされ,「首班」が「同輩中 する事務の掌理」 ,「予算の作成と国会への提 の主席」とされていた。しかし,このような組 出」, 「政令の制定」 , 「恩赦の決定」と例示され 織がとられたのは,天皇を中心とした国政運営 ている。66 条 1 項から合議制であることは導 という構想に相応しいと考えられたためである けるが, 「内閣」の採り方には幅がある。憲法 [渡邊 2009:286]。 でいうところの内閣は「内閣総理大臣及びその 国民主権(前文及び 1 条)を掲げる日本国憲 他の国務大臣」ということであり,内閣法 2 条 法では首相は「内閣の首長」であるので,閣内 2 項に具体的に数を明示した規定があることか においては遥かに重要な地位が与えられている ら首相を含めて 14 人以内最大 17 人まで,とい [藤田 2005:116]。内閣における「一体性」と「統 うことになる。そして,内閣法 4 条 1 項の「内 一性」は内閣総理大臣という首長を中心とした 閣がその職権を行うのは,閣議による」のであ 「合議制の独任制的構成」として具体化すると る。ここまでが「狭義の内閣」である。ところ する学説もある[日笠 2008:226]。しかし,合 が同じ内閣法 12 条 4 項で「内閣官房の外,内 議制であることは踏襲している。憲法に明文規 閣に,別の法律の定めるところにより,必要な 定がないものの慣習とされる,閣議での全会一 機関を置き,内閣の事務を助けしめることがで 致を求めることもそのひとつである。 リーダーシップ発揮のための首相公選論 129 首相としての意思はあっても,内閣としての 内閣法 6 条がそのように首相の権限を抑制し 明確な意思がない場合はどうであろうか。ロッ ていることについて藤田宙靖は憲法上,内閣が キード事件に関する最高裁平成 7 年(1995 年) 合議制であることに加えて,現行法上,各大臣 2 月 22 日大法廷判決の法廷意見では,首相が が行政各部の主任の大臣として,行政事務を「分 閣議による方針なしでの権限行使したことにつ 担管理すること」(内閣法 3 条 1 項及び国家行 い て 肯 定 し て お り[ 刑 集 1995:1; 吉 田 政組織法 5 条 1 項)――憲法上は「分担管理」 2007:398-399] ,学説で支持する見解も多い[菊 という言葉はないが――とされていることを挙 井 1987:40-43; 岡田 2000:74-75; 稲葉 1997:166- げる[藤田 2005:117-118]。そして,この「分 167]。また,学説では多数決も許容されるとす 担管理」をめぐっては議論がある。先に憲法 73 る説[有倉 1977:234]も存在はするが,実際 条の内閣の権限の例を挙げたが,内閣は行政の の運用では,全会一致が求められている。 全般に対して自ら執行する権限を有するのか 1997 年 12 月 3 日の行政改革会議(橋本龍太 (以下「①説」とする。),それとも憲法 74 条の 郎会長)の最終報告書では閣議の議決方式につ 「法律及び政令には,すべての主任の国務大臣 いて,本来内閣自らが定めるべきものであって, が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要 必要とあらば,多数決の採用も考慮するべきで とする」の規定を援用し内閣法 3 条 1 項「各大 あ る と さ れ た[ 行 政 改 革 会 議 1997: Ⅱ ―2]。 臣は,別に法律の定めるところにより,主任の 議院内閣制を採用する諸国の閣議では必ずしも 大臣として,行政事務を分担管理する」の規定 全員一致の原則がとられているわけではないこ から内閣のそれには限界があってそれ以外の行 とから,旧憲法下の内閣の慣行がこんにちに至 政権の行使は各大臣が分担管理するのか(以下 るまで続いているものとみるべきであろう[渡 「②説」とする。),ということである[藤田 2005:123-125]。すなわち,②説は内閣の役割を 邊 2009:291] 。 しかし,憲法に規定された首相の権限は,そ 「統括」する権能のみと理解するのである[塩 れによって他の国務大臣を任免できることなど 野 2006:60]。従来の通説でこれは「分担管理 から,旧憲法との比較でいえば強い。高橋和之 原則」と呼称された。 によれば,憲法は強い首相の地位を定めたが, 藤田によれば,内閣がどのように行政権の行 首相が行政各部を指揮監督するには「閣議にか 使をするかは立法政策の問題であるとする説 けて決定した方針に基」づかねばならないと規 (以下「広義説」とする。)も存在し,1999 年の 定し(内閣法 6 条),首相の独走を抑制してい 中央省庁再編立法においては,この立法政策の る[高橋 2010:338-339]。首相の優越的地位が 問題であるとする説の立場が強く現れたのであ 合議制の理念と矛盾する面は否定できないが, る[藤田 2005:124-125]。 行政権の主体である内閣が強固な一体性を実現 ただ,従来からの 2 つの説であろうと,広義 し迅速に行動しうることを保障するために,合 説であろうと,内閣が合議制であることは維持 議制を基本としつつも独任制的要素をもとり入 しているため,やはり抑制が掛かっていること (1) れたのである[高橋 2006:160] 。 に変わりはない。「分担管理」の意味を広義説 130 のようにとった中央省庁再編立法の存在によっ (本府)の外局が首相の指揮監督を受けないと て,抑制の軽減はなされたとはいえる。従来か するなら筋が通らないため,外局も「行政各部」 らの 2 つの説は, 日笠完治のいうところの「リー ということになる。 ダー型(強い)内閣総理大臣」か「調整型(穏 また,内閣府は内閣補助事務のほか,分担事 健な)内閣総理大臣」かの峻別が当てはまる。 務をも所掌する。藤田宙靖によれば,「内閣府」 すなわち,行政権が合議制である内閣にあるこ には,「内閣の補助部門」としての側面と,首 とを強調すれば後者になり,内閣の独任制的合 相を主任の大臣とする「行政各部」としての側 議 制 を 強 調 す れ ば 前 者 に な る[ 日 笠 面があるので,この後者を切り離した意味での 2008:227] 。 「中位の内閣」概念,言い換えれば「実質的(な しかし,いずれにせよ合議制であることによ いし機能的)意味での内閣」という言葉を用い り,首相の権限は旧憲法との比較でいえば強い る の が 可 能 で あ る か も し れ な い[ 藤 田 ものの,抑制されているのである。 2005:115-116]。だとするなら,内閣府の職務の うち,分担事務は行政各部としての側面という 第 2 節 首相と行政各部 憲法 72 条は「内閣総理大臣は,内閣を代表 して議案を国会に提出し,一般国務及び外交関 ことになり,内閣府すべてが行政各部ではなく, 各府省すべてが行政各部でもないということに なる。 係について国会に報告し,並びに行政各部を指 ほかに,性質上,独立性が求められる「独立 揮監督する」とする。そこにおける,行政各部 行政機関」である会計検査院及び人事院がその とはそもそも何であろうか。「『行政各部』とし 射程から外れるであろう。そして,行政各部そ て従来(主に)念頭に置かれてきたのは, 『内 れぞれのトップは国務大臣が主任の大臣となる 閣の統括の下』にある各府省であった」[稲葉 (憲法 72 条及び 74 条)。それを受けて内閣法 3 2005:136]り, 「内閣の統括の下に行政事務を 条 1 項では,各大臣は内閣を構成する閣僚であ つかさどる機関である『省』,その外局として るとともに,「主任の大臣」として行政事務を 置かれる『委員会』および『庁』を指している」 分担管理するとしている。しかし,同 2 項では [渡邊 2009:288]であったりする。 外局が「行政各部」に含まれるか否かである 行政事務を分担管理しない,いわゆる無任所大 臣の存することを妨げないとしている。 が,外局の設置理由が本省又は本府の所掌事務 仮に「分担管理」の意味を前節の①説か広義 の中に,その事務内容に鑑み,本省(本府)の 説のように捉えたとする。そうだとしても,憲 主任の大臣とは別の責任者を設け,事務処理に 法で「行政各部」と「主任の国務大臣」と定め ある程度の独立性をもった事務処理を行わせる ている以上,憲法は法律の立案・運用について ような単位組織を設けた方が合理的であると考 所管するものの存在を予定している[佐藤 えられる場合があるからであること[藤田 1999:219],といえるのである。 2005:139]を考えれば,本省(本府)が憲法 72 そもそも法律は国会単独立法の原則(憲法 41 条により首相から指揮監督をされるのに,本省 条)により,国会が独占するはずであるが,こ リーダーシップ発揮のための首相公選論 131 こで問題となることとして,内閣に法律案提出 ること,そして内閣法 5 条には「法律案,予算 権があるか否かがある。憲法にはその規定はな その他の議案」と規定されており,憲法改正案 いが,内閣法 5 条に定められている。また,国 は含まれていないこと,さらに,ドイツのよう 会の審議の対象となる案件を広く「議案」とい に憲法改正法律の形をとる国とは違い日本では い,もっとも重要な議案は法律案であるとされ 立法権の延長線上には位置づけられないことを る[大山 1997:69]。 考えれば,憲法改正案の提出までは含まれない これについては,憲法上の明文の不存在と憲 [ 永 田 2008:241]。 そ し て,2010 年 5 月 18 日 法 41 条の国会は唯一の立法権であるとする消 に施行された「日本国憲法の改正手続きに関す 極説と,内閣による法律案の提出権を否定する る法律」(いわゆる国民投票法)においては, 規定がないことと憲法 72 条の「議案」に含ま 内閣による憲法改正案の提出は認められていな れることとそれに国会による修正・否決が可能 い。 であることから許容されるとする積極説がある さて,法案はその提出機関の違いによってわ [藤井 2009:111] 。芦部信喜は,憲法 72 条前段 けられ,内閣が提出した法案が内閣提出法案で の「議案」に含まれると解されること,議院内 あり,議員が提出した法案は,それぞれ衆議院 閣制の下では国会と内閣の協働が要請されてお 議員提出法案と参議院議員提出法案である。そ り,また国会は法律案を自由に修正・否決でき れぞれ国会用語で,順に「閣法」,「衆法」,「参 ることなどの理由から違憲とは考えられていな 法」と略称されている[大山 1997:69-70; 大石 いとする[芦部 2007:281]。通説も許容される 2001:83-84]。旧憲法においては 38 条で「両 としている。すなわち,ここで問題となってい 議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各ゝ法 るのは,憲法 72 条の「議案」の言葉から内閣 律案ヲ提出スルコトヲ得」とされ,憲法の規定 提出法案を導き出せるかどうかである。 により明確に内閣提出法案が定められていた。 憲法 41 条の国会単独立法の原則は,国会の 議決によってのみ法律が成立し法律としての効 一方で,議員提出法案の成立率は 1 割にも満た なかった[永田 2008:240]。 果が発生するという趣旨のことであり,内閣が 現在においても成立した法律のうち,圧倒的 法律案を提出したとしても,結局のところ国会 多数を占めるのが,内閣提出法案である。第 で審議と議決をしているわけであるから,その 165 回臨時会が始まる 2006 年 9 月 26 日から第 規定とは対立しない。 174 回常会が終わった 2010 年 6 月 26 日までの ただ,憲法改正案が憲法 72 条の「議案」に 間に,提出された法案の総数では内閣提出法案 含まれるか否かについては議論がある。憲法改 が 359,議員提出法案(衆法及び参法)が 353 正は国の基本法の改正で滅多にあるものではな とほぼ拮抗しているのに対して,成立件数では いこと,その改正規定である憲法 96 条が「国 内閣提出法案 291,議員提出法案 89 である。成 会の発議」についてのみ規定していること,憲 立 件 数 に 占 め る 内 閣 提 出 法 案 の 割 合 は, 約 法改正権の主体は国民であり,発案権も国民に 76.58%を占める。 直結する国会議員に留保されていると考えられ 大山礼子によれば,55 年体制の崩壊後,首 132 相の指導力強化の方向に舵を切った一方,国会 確かに内閣提出法案が法律として成立するま 側も短期間にさまざまな改革を行った。1997 年 での過程では修正が入ることもあるが,叩き台 末の国会法改正により,衆議院では決算行政監 すなわち法案を提出する時点における内容を作 視委員会の新設等,1999 年に国会審議活性化 成しているのは,官僚である。 法が制定され,政府委員制度の廃止,党首討論 の導入などの動きがあった。しかし,もともと 諸外国に比べて短い本会議での審議時間に変化 第 3 節 小括 議院内閣制における首相のリーダーシップに はなく,むしろ減少気味というぐらいであった。 は類型として,行政府の最高指導者という側面 その一方で,内閣提出法案の成立率は向上して と,国会の多数勢力の指導者という側面が存在 いる。① 55 年体制崩壊まで,②細川内閣成立 する。前者の場合,リーダーシップを振るう対 後小泉内閣まで,③小泉内閣が始動した第 152 象は官僚機構であり,後者の場合は与党の政治 回から小泉退陣までの三期に分けて比較する 家となる。そして,政に対するリーダーシップ と, 順 に 83.7 %,93.2 %,92.2 % と 高 く,2004 と官に対するリーダーシップを総合した形で, 年 12 月 3 日までに限定すると,94.3%にも達す 国民に対するリーダーシップが生まれてくる。 る。この時期は小泉政権下において,テロ特措 これは首相の政治的正統性や権威に関わる問題 法,有事法制およびイラク人道復興支援法,国 であるとする意見もある[山口 2002:88-89]。 民保護法制など重要な案件があったことも関係 首相公選制というのは必ずしも大統領制の亜 するのではないか。内閣提出法案のうち 8 割は 種ではない。首相公選論には国会と内閣の関係 修正することなく国会を通過しているのである から大統領制型や議院内閣制型,そしてイスラ [大山 2007:110-112]。 内閣提出法案の成立過程は,担当省庁(課・局) エルのように首相の「罷免」と「不信任」(イ スラエル「基本法(2): 政府」27 条及び 19 条)と における起案,次官・大臣の了解による省庁案 いう大統領制の要素と議院内閣制の要素の双方 の確定,内閣法制局の下審査,担当省庁と関係 の特徴を包含した折衷型も考えられる。首相の 省庁との法令協議,各省大臣による閣議請議, 独裁の抑制と国会与党とのねじれ防止のために 内閣法制局の法案審査・内閣への上申,事務次 は,国民による直接公選であるにしてもその候 官会議等会議の調整,与党審査,そして法案の 補者を与党の国会議員に限りさらに内閣不信任 閣議決定・国会提出という順番になっている[大 制度をもった議院内閣制型が必要になる。そう 石 2001:84]また,それより前からみるなら, だとすると,たとえ首相公選制といえども,議 法案の立案にいたるきっかけは与党の公約等に 院内閣制を維持したとするなら,首相のリー もとづく政治家主導型,各省庁の日常業務のな ダーシップの理論も当てはまるであろう。 かからの発想による官僚主導型,外国からの批 そうすると,国内においてリーダーシップを 判を受けての外圧など,さまざまあるが,法案 発揮すべき対象として考えらえるのは , 国民, を実際に起草するのは各省庁の主として中堅職 国会,官僚であり,国民に対するリーダーシッ 員の役割である[大山 1997:72]。 プは政に対するリーダーシップと官に対する リーダーシップ発揮のための首相公選論 133 リーダーシップの合成によって生じるため,先 び→政権成立に対する国民の欲求不満がある。 に重要になるのは国会と官僚ということにな しかし,小泉政権発足後の首相公選論議には, る。 こうした政治的コンテクストに加えて,1994 年 このうち法律の立法・運用によって主体的役 の選挙制度改革・1999 年の行政改革(3) と共通 割を果たしているのは官僚である。官僚の領域 する首相・内閣の統治能力向上の要請もあると には殆んど政治家が関与できない。関与が可能 考えてよいだろう[赤坂 2003:51-52]。 であるのは各省庁でもトップの数人のみであ る。 憲法 72 条と 74 条は,法律の立法・運用につ いて,所管するものの存在を予定している。す それは戦前の超然内閣の伝統が戦後の議院内 なわち,抑制されたリーダーシップで指揮監督 閣制にも引き継がれたもので,その根底には行 されるものが,官僚である。首相・内閣の統治 政府における政治任用を,立法府による行政府 能力を向上させることを考え,政党政治・派閥 の侵害として排除した日本官僚制の憲法解釈が の発達が日本の政治文化であるとするなら,む 存在したのである[山口 2002:96-97]。 しろ官僚について考えてみる必要が出てくるの 法律の制定の決定権は国会にあるが,政党政 治や派閥が発達し党議拘束が掛かる。かつて中 曽根康弘の「首相公選論の提唱」は主として派 閥の弊害の除去という文脈ででてきたもので である。 第3章 官僚制 第 1 節 日本官僚制の特徴 あった[中曽根 1962:7-9]。首相公選論につい 「官僚」「官僚制」という用語は法律用語では ての座談会でも(首相をどう決めるかというこ ない。「官僚制」の概念は多義的である。官僚 と,すなわち)政党をどう立て直すかというこ 及び官僚制という言葉は,フランスで生まれ, とについて「法制度外の,まさに政治文化その ドイツを経て,ヨーロッパ諸国に普及した。辞 ものの問題」ということがでている[安念ほか 書類に登場したのはフランスには 1798 年,ド 2001:24] 。 (日本における政党は)「基本理念 イツには 1813 年,イタリアには 1828 年,イギ で一致してはいても,それぞれの選挙区や支援 リスでは 1837 年であった。そして,ウェーバー 団体の利益を代表する議員からなる寄り合い所 によって官僚制の概念は整えられた。ウェー 帯となっている。・・・ 強権でまとめることは容 バーは家産官僚制と近代官僚制を明確に区別 易ではない」のである[永久 2001:202-203]。 し,身分の不自由な官吏で構成されているのが 日本においては派閥の集合体が政党を形成して 家産官僚制であり,官吏が自由意志に基づく契 いる。派閥の発生を防ぐのはなかなか難しい。 約によって任命されているのが近代官僚制とす 「政治家が首相公選論を唱える動機には,憲 る。そして,支配の正統性という観点から,支 法改正の突破口をねらうとか,自民党の少数派 配の類型を 3 つにわける。すなわち,制定され 閥を基盤として政権獲得をねらうなど,様々な た規則にもとづく「合法的支配」,昔から存在 政治的思惑があり,メディアがそれを大きく取 する秩序と支配権力の神聖さに対する信念に基 り上げる背景には,自民党内の不透明な総裁選 づく「伝統的支配」,そして支配者の持つ天与 134 の資質とりわけ呪術的能力・啓示や英雄性そし の処理方針についての文書案を,まず単位組織 て弁舌の力に対する情緒的帰依によって成立す の最末端に位置する担当職員(補助機関)が作 る「カリスマ的支配」である。その中で近代官 成し,それを順次上位の機関へと回覧して行き, 僚制は合法的支配に分類されるのである[西尾 その都度点検・修正を受け,最後に本来権限を 2001:161-170; 真渕 2009:456-459]。 有するものの決裁を受けることにより,当該組 日本が明治維新後,官僚制を構築するに際し 織内部での最終的意思形成がなされたこととす て参考にしたのは,イギリスとアメリカと同様 るシステムであった。それ自体は 1 つの文書処 に,プロシャであった。その特徴は公開任用試 理方式である[藤田 2005:89]。稟議制のよう 験の採用,官僚養成大学の設置と官僚養成のた なものをボトムアップ型調整とよぶ[宇賀 めの学問体系の形成のセットであった。戦前に 2010:76]。辻清明は,稟議制のデメットとして, おいて元老がいる間は近代化の推進力として大 能率の低さ,責任の分散そして指導力の不足を きな役割を果たしたが,いなくなってからは政 挙げ,メリットとして,各省単位における組織 治的分裂を引き起こした。戦後は試験の合格認 の内部意思の一致が可能なこと,後見的な上下 定と採用を分離する国家試験制度をその原因の の秩序関係が維持されやすいことを挙げる。そ ひとつとして,公務員のエネルギーは内閣に向 のうえで,日本では執行権ないし命令権がなく かっているが,それが省庁でとまっているので 単なる勧告権しか持たなく,スタッフ強化の充 ある[村松 1994:11-21]。 実がないから,結果に対しての実体的責任が何 藤井俊夫によれば,「官僚制とは,最広義に 人(ママ)に帰属するかを明白にする「わりつ おいては一定の団体・組織における階層組織を け方式」よりも稟議制の再検討が望ましいとす さすものとして用いられることもあるが,一般 る[辻 1966:77,121-122]。 的には,国家の活動とくに行政を遂行するため 次に,行政指導である。行政指導とは「行政 の人的組織,すなわち,国家の行政機構および 庁が行政目的を達成するために,助言・指導と それを担う各種の官吏の総体をいう」[藤井 いった非権力的な手段で国民に働きかけてその 2009:186]。したがって,日本におけるそれにつ 協力を求め,国民を誘導し,行政庁の欲する行 いて,歴史的沿革等と藤井の定義を合わせて考 為 を な さ し め よ う と す る 作 用 」[ 原 田 えると,この文脈では藤井のいうところの「一 2010:195]や,「行政庁が助言,勧告,奨励など 般的」に近いもので,「官僚」とは政策決定に という非権力的な形で国民にはたらきかけ,そ 影響を与える公務員という程度になるであろ の同意,協力に基づく国民の行為によって,一 う。 定の行政目的をはかること」[藤井 2010:227] 日本官僚制の特徴は以下の 3 つに収斂され る。 まず,稟議制である。明治以来の慣行であり, であったりする。かつては官僚と業界の双方に とって柔軟な活動ができるというメリット,不 透明な行政活動になるというデメリットがあっ 法律用語ではない。稟議制とは,或る行政機関 たが,メリットの重視で多様された[高木ほか に与えられている権限の行使につき,その事案 2007:136; 原 田 2010:197-198; 藤 井 2010:228- リーダーシップ発揮のための首相公選論 135 229] 。新藤宗幸は,大手 ・ 準大手・中堅証券会 ており,その成果については,今後,判断が下 社による大口投資家への損失補填のような官僚 される[加藤 2008:138-139]。日本官僚制が行 と業界の構造が出来上がっているのは,大蔵省 政指導など先に挙げたように,ほぼ法的根拠も の行政指導がひとつの要因ではあるもののそれ 曖昧な独特の制度を維持してきたのだとするな を生み出しているのではなく,行政指導を可能 ら,そもそも日本における政治は官僚が牽引し としている日本の行政や政治の構造や業界の構 てきたといえなくもないのではないだろうか。 造 が 究 明 さ れ る べ き で あ る と す る[ 新 藤 その検討が必要になる。 1992:3-14] 。そのような弊害を是正するため, 行政運営における「公正の確保」と「透明性」 第 2 節 官僚優位論と政党優位論 を図り,それによって国民の権利・利益の保護 日本は官僚優位であるのか,政党優位である をはかるため,ようやく 1994 年に行政手続法 のか。緊張関係にある 2 つの学説が存在する。 が定められ,その 2 条 6 号で明確に明文化され, 辻清明は 1960 年代に官僚優位論を説き,村松 行政指導の「任意」性が確認されたのである[原 岐夫は 1980 年代に政党優位論を説いた。 田 2010:229] 。 さらに,セクショナリズムである。これにつ 辻によれば,先進的な近代民主制国家と通常 呼ばれているイギリスやアメリカは,行政官僚 いて,辻清明は「割拠性」[辻 1969:59]という 制が常備軍とともに絶対主義を支えた官僚制, 言葉を使い,西尾勝は「分立割拠性」[西尾 政治の「侍女」たることを理念とした市民社会 2001:100,111,148,235]という言葉を使っている の官僚制,そして社会的責任と権力を拡大した 。また,今村都南雄はその定義について,英語 現代の官僚制,と官吏制度の 3 つの過程を歩ん の sectionalism にならっているのは明らかであ できたが,わが国はそれとは異なり正常な歩調 るものの英語の意味と異なり「権限や管轄をめ で経過することなく現代の変革期に当面してい ぐる省庁間の対立・競争」であるとする[今村 るため,第 2 の過程の公務員制を 1960 年代の今, 2006:5]。その原因は,一党優位体制,省庁別 実現しなければならないという困難な状態が生 採用,行政の鉄格子,融和的中央地方関係など じている[辻 1969:5-23]。日本の場合は,敗 である[真渕 2009:577-578]。 戦の結果として,民主化と能率化という 2 つの このように独特の特徴を有する日本における 課題に同時に直面した[辻 1969:26]。そして, 官僚制であるが,2001 年 1 月 6 日に従来の 1 府 永い「官尊民卑」思想によって浸潤されている 22 省庁から 1 府 12 省庁への大改革が行われた。 わが国の政党は 1960 年代現在近代議会の運用 その根拠法である中央省庁等改革基本法(平成 に最適の資格を有しているかどうか甚だ疑わし 10 年 6 月 12 日) の第 1 条で目的が謳われている。 いだけではなく,官僚制の民主化を担当する重 具体的には,内閣機能の強化,縦割り行政の弊 要な役割をひとり代議制の古典的形態を象徴し 害の除去などであるが,その中での最大の目標 ている国会にのみ振りあてることは,一種の時 は政策決定の仕組みを従来の「官僚主導」から 代錯誤である[辻 1969:37]。そのような官僚 「政治主導」(首相主導)に転換することとされ が戦前戦後を通じて終始官僚が国家利益の唯一 136 の護持者であり国家意識の無二の体現者である がその組織としての存続・成長を社会の他の要 という自負意識が可能であったのは,GHQに 素(とくに政治勢力)からは独立して行ってい よる占領政策が「間接統治」であったこと,国 る能力であり,官僚集団の場合,法的裁量権, 民意識の裡における官僚制の中立性格に対する 人事権,専門的知識・情報等が自律性の程度を 幻想の潜在,そして,現代行政の知識と遂行能 きめるリソースになるとしている。また「活動 力 に お け る 政 党 の 無 力 さ, で あ る[ 辻 量」とは,官僚がその持てるリソースを利用し 1969:270-281] 。 「明治以来のわが国統治構造の てうみ出す出力であり,法案,政省令などを通 中枢は,占領政策の唯一の代行機関となること じての政策でみることができるとしている[村 によって補強され,あたかも利用されたかのご 松 1994:202]。(A)「活動量が大きく,かつ自 とく外観の下に,逆に一切の政治勢力を利用で 律性も高い」,(B)「活動量は大きいが,自律 きたのである。戦前と同じく,戦後の国会も政 性が低い」,(C)「活動量は小さいが,自律性 党も,華々しく衣裳は纏っていても,けっきょ が高い」である。そして,官僚の自律性は減退 く精緻な官僚機構の舞台で,踊っていたといえ の方向をたどっておりそれにより(A)は消去 るであろう。まことに,わが国の官僚機構は, される。(C)については,実際の社会では自 強靭な粘着力の所有者であった」 [ 辻 己の属する省庁の活動量を増大させて自分で制 1969:281]。したがって,今なお,日本は官僚が 御できるリソースや価値を増殖させ同時に組織 優位である国家であるというのである。 の存続・拡大を願うのが通常であることから, 対して,村松は,辻への批判から理論を始め 自律性の確保のために活動量拡大の欲望を抑え る。官僚についての理論である,官僚論には特 るのは困難なこと。国民の行政期待は続いてい 権的官僚論と官僚私兵論があり,前者である特 るので,官僚制は自律性を多少譲っても活動量 権的官僚論は,行政学,政治過程論,公法学の をとること。そして官僚側に消極的態度が現れ 3 つの研究分野で現れている[村松 1981:141- れば政党は明示的な要請を次々に打ち出してく 147] 。もちろん,村松のいう特権的官僚論にお る可能性があること。それらのために官僚は活 ける行政学分野の最も代表される論者は辻であ 動量を増やさなければならないため,消去され る。辻のいわゆる官僚制優位論を村松は戦前戦 る。したがって,日本の官僚制を説明できるの 後連続論と呼称している[村松 1981:10]。村 は( B ) だ け で あ る と す る[ 村 松 1994:202- 松によれば,官僚制優位論は 55 年体制では, 207]。したがって,官僚制が優位ではないとす 自民党の長期政権化などによって,自民党の政 るのである。そうであっても,村松は官僚制が 治家も次第に政策能力をみにつけ大きな影響力 絶対的に優位な状況から55年体制のもとで絶 をもつようになっており,また政策過程も多元 対的に政党が優位な状況に変化したといってい 的になってきている[村松 1981:153-168,285- るのではない。あくまで相対的に,政党の影響 324; 村松 1994:207-208]。 力が増して優位になりつつあるとするにとどま 自律性と活動量という 2 つの要素で 3 つの る。1990 年代においても「現在,官僚制の影 ケースを考えられる。「自律性」とは官僚集団 響力が大きいとしつつも,政党の影響力拡大を リーダーシップ発揮のための首相公選論 137 認める認識が一般的である」としている[村松 かの方式で与党の政治的指導力を政権の内に実 1994:194] 。 質的に取り込み,政権の政治指導力を格段に強 また,辻の理論は 1960 年代,村松の理論は 化することが肝要であるとし,そのための解決 ――1990 年代において補強はしているが―― 策として背反する 2 つを提示する。ひとつはイ 基本は 1980 年代である。その後において,真 ギリスのように行政府の頂点に与党政治家を大 渕勝と山口二郎によって,辻と村松の理論の検 量に送り込み,この政権が結束して官僚制を指 討がなされ,政策領域によって,力関係は異な 導し統制する方式であり,今ひとつはフランス・ るという主張がなされている[真渕 1981:123- ドイツなどのように高級官僚を政治任用の対象 128; 山口 1987:10]。 にし,これを梃子にして内閣・首相・各省庁大 日本における政治において政党が強いか官僚 臣が官僚制を指導し統制する方式である。その が強いかは時期や政党を構成する政治家の資質 うえで前者の方が日本には合っているとする にもよる。しかし,政党優位論であろうと,官 [西尾 1995:42]。 僚優位論であろうと,必ずしも対立関係にある どちらの方式を採用するにしても,少数では わけではない。また,政策領域によって異なる 効果が見込めず,最低でも官僚のトップ数百人 という主張があるが,たとえそうだとしても官 は入れる必要がある。そして,それぞれを検討 僚の影響力の強いところは依然,存在するとい すると,イギリスのように与党の政治家を大量 うことである。憲法論における,憲法が最も強 に送り込む方法であるが,現在民主党政権のも い効力をもつという意味での「最高規範性」, とで,副大臣,政務官等のスタッフの拡充をし 憲法が立法者に権限を授けるという意味での ている。確かに政権交代後,僅か 1 年で評価を 「授権規範性」 ,憲法が権力を制限するという意 するのは時期尚早ではあるが,目に見えて効果 味での「制限規範性」を考えるなら,主権者で ある国民から選ばれたわけではない,また別の が上がっているとはいえない。 さらに現在衆議院と参議院の定数の合計が (4) 観点から,メリットシステム(資格任用制) 722 でしかないにもかかわらず,数百単位で行 を採用しているため主権者である国民が選んだ 政府の中に入り込んだとしたら,議会統治制に 国会議員から選ばれたわけでもない官僚が,な なるのではないだろうか。 ぜそれでもなお影響力を保持しているのか疑問 が残る。 第4章 処方箋としての首相公選論 「 議 会 統 治 制 」 と は 会 議 政(assembly government)とも呼ばれ,議会が内閣を完全 に従属させてしまい,すなわち内閣は議会の一 委員会にすぎなく権力が議会に融合する体制で 日本の政治の欠陥について,西尾勝は,これ あり,内閣は辞職の自由を持たず,つねに議会 まで繰り返し提言され試みられたような内閣官 の指令に従う必要がある政治制度であり,代表 房および総理府に属する諸機関を強化拡充する 的な国としては,フランス第一共和制,第四共 方策などで解決できる性質のものではなく,与 和制,スイスなどである[高橋 2010:27; 長谷 党機関と内閣の二元的分立体制を克服し,何ら 部 2008:375; 辻村 2008:428]。 138 「イギリスでは三百数十名から四〇〇名程度 一方で行政府のトップ数百人を政治任用の対 の与党議員のうち,およそ一三〇名程度が大臣, 象にする方法であるが,行政刷新会議で民間人 副大臣の役職について,行政府の中に入ってい を採用しある程度の成果があがっていることか る」 [山口 2002:96]。1911 年議会法(Parliament ら,方法としては肯定できる。 Act 1911)7 条によって,下院である庶民院の 2001 年 1 月 6 日の省庁再編制以降の各省庁 任期は 5 年と定められているが,解散は任期ぎ の幹部職員人事について,辻隆夫は再編統合 4 りぎりにしか殆んどできない。もし日本におい 省庁(総務省・文部科学省・厚生労働省・国土 て数百人の行政府内部に入る国会議員もいれ 交通省)における襷がけ人事・棲み分け人事(5) ば,それらは保身のために,内閣不信任案への は予想以上に徹底して行われていることと,い 賛成をする可能性は低くなり,また憲法 69 条 わゆる省名審議官の役割と位置づけの明確化の によらない首相の裁量による解散への抵抗も相 必要性をあげ,それらへの対応として,第一に 当激しいものになるため,首相は基本的に議会 果たされるべき公務の内容を明示し,第二にそ を解散できなくなる。したがって,議会統治制 れに対応する組織編成がなされ,第三にそこに になってしまう。 最適な人材が配置されるという手順を踏む必要 さらに,この方法は政治家の専門的能力に対 があるとする。その「最適な人材の配置」につ する過信がある。たしかに「族議員」という言 いて具体的には,局長以上を政治任用にする。 葉で例証されるとおり国会議員においても各分 新たに設置が予定されている内閣人事局では幹 野の専門家は存在する。しかし,そうであるの 部職員の一元化を実現するために,内閣官房長 に何故かつて政府委員制度を採用していたので 官による候補者長官による候補者名簿の作成と あろうか。官僚の方がより専門的であるからで 首相及び閣僚との協議による人事の決定の仕組 ある。官僚はスペシャリストであり,国会議員 みが導入されることが決定されている。その前 は基本的にはジェネラリストである。どちらの 提として,各省の人事に関する情報とデータが, 能力が上であるかは比較のしようがない。 組織とそれが担うべき職務内容との関連性を踏 行政指導での文脈で,かつて大手 ・ 準大手・ まえて統一的に整備される必要がある,とする 中堅証券会社による大口投資家への損失補填の [辻 2009:64-67]。たしかに,たとえ政治任 時に, 「損失の負担」について「損失負担の保証」 用をするにしても,政治任用の前の段階として (「損失の負担」を約した文章を前もって交わす ことで構成すること)ではないとして,証券取 の手続き整備しなければ政治任用する意義がな い。 引法 50 条 3 号の「損失の全部又は一部を負担 ただ,前の段階としての手続きを整備したと することを約して勧誘する」に該当しないとし しても,問題は残る。現行議院内閣制で首相は た[山口 1987:6] 。官僚はそのような,客観的 国会から選ばれているため,主権者である国民 にはわからない,詐欺まがいの運用をする可能 による直接投票で選ばれているわけではない。 性すらある。 そのような状況で,数百人も政治任用してよい したがって,この方法には無理がある。 のかどうか。少なくともこの方式であるフラン リーダーシップ発揮のための首相公選論 139 スにおいては官僚における高級職の任命権者で 呼称される。イギリスの議会制をモデルとする ある,大統領を国民によって直接公選している 一元的民主政(monistic democracy)や,ドイ (フランス第 5 共和制憲法 6 条)。ドイツでは大 ツ連邦共和国基本法のように民主的な決定に 統領は連邦議会と 16 の州議会から比例代表で よっても侵害することができない基本的権利の 選出された代表からなる連邦会議から選出され 存在を規定する考え方である権利基底主義 るため国民による直接公選ではない(ドイツ連 (rights foundationalism)と区別される。その 邦共和国基本法 54 条)。ヴァイマル憲法下の う え で リ ベ ラ ル・ デ モ ク ラ シ ー(liberal 1933 年 3 月 24 日の授権法による議会制民主主 democracy)の政治制度として,大統領制,イ 義の解体によるヒトラーへの権力集中[村上ほ ギリス型議院内閣制,そしてドイツや日本のよ か 2008:20]が影響している――ただしヒト う な「 制 約 さ れ た 議 院 内 閣 制 」(constrained ラーは議会制民主主義・議院内閣制によって権 parliamentarianism)を挙げ,アメリカ型は議 力を手中に収めた――のであろう。 会と行政府の対立のため閉塞状況に陥り,イギ ドイツは例外であるものの,政治任用がもと リス型は議会と行政府が与えられた権限をほし もとは主として,大統領選挙における戦利品と いままにして行使して人々の基本的人権を侵害 して生成しており,現在残っている政治任用の する危険すなわち「選挙された独裁」(elected システムがその残滓であるため,むしろ任命権 dictatorship)に陥る。そして,新興国が採用 者を直接公選した方が論理がすっきりするので するべきだとするのが日本・ドイツ型の「制約 はないだろうか。だとするなら,憲法政策論・ された議院内閣制」であり,議会や行政府の権 憲法改正論として,議院内閣制を維持したとし 限を制約するための仕組みが違憲審査制度な ても,首相公選論なのである。 ど,さまざまな形で存在している[Ackerman 民主主義による憲法原理の変更の限界を考え る た め の ひ と つ の 例 が ア ッ カ ー マ ン(Bruce 1991:230-294; 阪口 2001:72-83; 長谷部 2006:92-95; 大江 2010:159-178]。 A,Ackerman)の理論である。アメリカ憲法の それに関連して,長谷部恭男は議会のメン 民主プロセスを,日常的な利害調整に関わる政 バーとは独立に首相を選出する首相公選論は, 治過程である「通常政治」(normal politics)ま アメリカ型にあたり,最悪の政治体制になると たは「低次の法形成」(lower lawmaking)と, する[長谷部 2006:106]。また,「抑制された 政治過程を国の根本原理を変革する政治過程で 議院内閣制」は議会下院の役割を重視している ある「憲法政治」 (constitutional politics)また ため,首相公選論には批判的なのは無論である は「高次の法形成」(higher lawmaking)とに が,内閣の権限強化を図る議論に対しても警戒 わけ,前者に人々が私的市民として行動する議 的になるかもしれないとするものもある[大江 会制民主主義,後者に人々が私的市民として行 2010:175]。そもそもアッカーマンは日本を, 動 す る 討 議 デ モ ク ラ シ ー(deliberative 官僚を統制する規則制定監視部門(reguratory democracy)を通じた憲法改正を挙げる。これ branch),官僚機構の中立性などの特徴を兼ね らは二元的民主政理論(dualist democracy)と 備えた「抑制された議院内閣制」[孝忠ほか 140 2000:110-111; 長 谷 部 2006:106-109; 大 江 2010:167]であるとするが,日本の官僚機構は 中立であるとする根拠はないし,それを監視す る。 第5章 まとめ る部門も機能していない。そして,官僚機能の 現行における首相の抑制されたリーダーシッ 変革は過去幾多も試みられたができなかったの プで指揮監督されるのは官僚であるが、日本に である。 おいては選挙で選ばれているわけでもない官僚 上記のことは西尾の言及した,従来の方策な の影響力は依然強い。さらにいえば、そもそも どで解決できる性質のものではない,というこ リーダーシップを発揮するのは議会に対しても とを前提として,議論を進めてきた。しかし, 難しく,官僚に対しても難しい。しかし,官僚 従来の方法ではなぜ駄目であるのか。 の方がスペシャルな領域で身分が保障された 従来の方法で提示しているのは,松下圭一の 人々である――議員は選挙で落ちる可能性を 「 国 会 内 閣 制 」[ 松 下 1998:43-110; 松 下 もっており落ちればただの人である――ので, 2009:147-196]と飯尾潤の「議院内閣制」[飯尾 比較の問題でいえば,リーダーシップを発揮す 2007]であろう。松下,飯尾ともに日本は戦 るのは難しい。これに対抗するには究極のとこ 前も戦後もずっと官僚内閣制であり,憲法運用 ろ,官僚制のトップ数百人を政治任用し,それ の改革により,国会による内閣の統制を論じて に民意の正統性を獲得する必要がある。立憲的 いる。しかし,松下の理論は内閣と省庁を明確 意味の憲法である日本国憲法が定めるところ に区別し,国会によってそれらを統制し,国会 の,国民主権の実体をプープル主権(人民主権) 自身の変革もする必要があるとするものである であると考え,純粋代表,半代表制,半直接制, が,そこにおいては,国会議員が憲法上は選挙 そして直接制へと読み込んでいくべきである 民の代表でかつ全国民の代表ではあるものの, [杉原 1983:362; 辻村 2008:364]。必要である 結局のところ自らの選挙区への我田引水になり のは,「立法権までの民主主義」ではなく「行 やすい。また,飯尾の理論は高橋和之の「国民 政権までの民主主義」である。半直接制を超え 内閣制」論[高橋 1994]に近似したものであ るもので,直接制以下のものである,首相公選 るが,選挙が首相選択や政党,マニフェストだ 制を導入して,数百人の官僚の政治任用につい けに投票するものではなく,日本においては候 て,民意に裏打ちされた正統性を獲得するべき 補者個人への投票も多いという点が欠落してい である。 る。 主権者である国民全体から選ばれた者が,身 首相公選論においても議会との関係が中心で 官僚との関係においては殆んど未開であった。 分が保障されたスペシャリストである官僚を統 特に,政党優位論と官僚制優位論は現在でもな 制することができる,スペシャリスト数百人を お,古色蒼然とせず,杜撰な官僚による管理の 政治任用する必要があるので,首相公選制の導 結果の年金記録問題や,官僚のための多くの天 入が必要になるのである。すなわち,官僚の政 下り団体の存在等と連関し,問題意識を先鋭化 治任用のための首相公選制を導入するべきであ させてくれる。今後さらにどう官僚を統制する リーダーシップ発揮のための首相公選論 のかを具体的に追究したい。 〔投稿受理日 2010.9.25 /掲載決定日 2011.1.27〕 141 決と全会一致」清水睦編『文献選集日本国憲法 (10)』(三省堂)。 安念潤司ほか[2001]「首相公選論をめぐる論点」 『ジュリスト No.1205 号』(有斐閣)。 注 飯尾潤[2007]『日本の統治構造』(中公新書)。 ⑴ 高橋和之は憲法運用の面では,首相が必ずしも 稲葉馨[1997] 「内閣・国家行政組織制度」 『公法研 優越的地位を生かしてきたのではなく,首相公選 制の提案もそのような文脈から生じたものである とする[高橋 2006:160-161] 。 ⑵ イスラエルは不文憲法の国家であり,11 の基 本法(Basic Law)が代わりの役割を果たしてい る[ビンーナン 1996:172] 。 ⑶ 1994 年の選挙制度改革とは,二大政党制の実 究 59 号』(日本公法学会)。 ――[1999] 「行政組織の再編と設置法・所掌事務 および権限規定」 『ジュリスト 1161 号』 (有斐閣)。 ――[2005] 「内閣と行政各部」芝池義一ほか編『行 政法の争点[第 3 版]』(有斐閣)。 今村都南雄[2006] 『官庁セクショナリズム』 (東京 大学出版会)。 現のための公職選挙法の改正による衆議院議員選 宇賀克也[2010] 『行政法概説Ⅲ[第 2 版]』 (有斐閣)。 挙における小選挙区比例代表並立制の導入を指 大江一平[2010]「ブルース・アッカーマン We the し,1999 年の行政改革とは 1996 年から始まった People の高次法形成とアメリカ合衆国憲法の変 行政改革会議による 1997 年 12 月 3 日の最終報告, 動」駒村圭吾ほか編『アメリカ憲法の群像 理論 それを受けての 1998 年の中央省庁等改革基本法, 家編』(尚学社)。 そしてこれに基づく 1999 年 7 月の中央省庁等改 大山礼子[1997]『国会学入門』(三省堂)。 革関連の 17 の法律のこと指す。 ――[2007] 「国会改革の目的―内閣主導と国会の ⑷ 公務員の採用・昇進は,大きくメリット・シス テム(資格任用制)とパトロネージ・システム(情 審議権―」土井真一編『憲法4 変容する統治シ ステム』(岩波書店)。 実任用制)の 2 つにわかれる。メリット・システ 大石眞[2001]『議会法』(有斐閣アルマ)。 ムは,人事は任務遂行に必要とされる資格・専門 岡田信弘[2000]「内閣総理大臣の地位・権限・機能」 的能力に基づいて行われ,採用は筆記試験など客 『公法研究 62 号』(日本公法学会)。 観的な基準によって行われる。パトロネージ・シ 加藤秀治郎[2008]『政治学 第 3 版』(芦書房)。 ステムは選挙で勝利した政党や政治家によって指 菊井康郎[1987] 「わが国の内閣制の展開」 『公法研 名された人が採用される。そしてアメリカではこ れをスポイルズ・システム(猟官制)と呼称して いる。 究 49 号』(日本公法学会)。 行政改革会議[1997] 『行政改革会議最終報告書平 成 9 年 12 月 3 日』。 ⑸ この文脈における「襷がけ人事」は事務次官と 刑集[1995]『最高裁判所刑事判例集』49 巻 2 号。 官房長をそれぞれ統合前の別の省庁から任命する 孝 忠 延 夫 ほ か[2000]「 論 文 紹 介 Bruce ことであり, 「棲み分け人事」とは再編後の省に A.Ackerman,“The New おける内局人事において,再編前の旧省庁別の内 Powers”113 Harv. L Rev ., 633(2000)」『法律 局の局長にそれぞれの省庁出身者が任命されると いうことである[辻 2009:61] 。 Separation of 時報 2000 年 10 月号』(日本評論社)。 阪口正二郎[2001] 『立憲主義と民主主義』 (日本評 論社)。 参考文献 佐藤幸治[1999]『憲法[第三版]』(青林書院)。 赤坂正浩[2003] 「強いリーダーをわれわれの手で !? 塩野宏[2006] 『行政法Ⅲ[第三版]行政組織法』 (有 ―内閣機能の強化と首相公選論―」『法学教室 N0.277』(有斐閣)。 芦部信喜 高橋和之補訂[2007] 『憲法 第四版』 (岩 波書店)。 有倉遼吉[1977](初出 1954)「内閣の運営―多数 斐閣)。 新藤宗幸[1992] 『行政指導―官庁と業界のあいだ―』 (岩波新書)。 杉原泰雄[1983] 『国民主権と国民代表制』 (有斐閣)。 高木光ほか[2007]『行政救済法』(弘文堂)。 142 高橋和之[1994]『国民内閣制の理念と運用』(有斐 閣)。 ――[2006]「第 15 章内閣」野中俊郎ほか『憲法Ⅱ [第 4 版]』(有斐閣) 。 ――[2010]『立憲主義と日本国憲法 第 2 版』(有 斐閣)。 辻清明[1966]『行政学概論 上巻』(東京大学出版 会)。 ――[1969]『新版日本官僚制の研究』(東京大学出 版会)。 辻隆夫[2009] 「中央省庁再編と公務員人事」早稲 田社会科学学会『早稲田社会科学総合研究 第 9 号第 3 巻』。 辻村みよ子[2008]『憲法第 3 版』 (日本評論社) 。 中曽根康弘[1962] 「首相公選論の提唱」吉村正編『首 相公選論』(弘文堂) 。 永田秀樹[2008] 「内閣の法案提出権」大石眞ほか 編『憲法の争点』(有斐閣) 。 永久寿夫[2001] 「首相のリーダーシップの確立」 弘文堂編集部編『いま「首相公選」を考える』 (弘 文堂)。 西尾勝[1995]「議院内閣制と官僚制」『公法研究 57 号』(日本公法学会) 。 ――[2001]『行政学[新版] 』 (有斐閣) 。 長谷部恭男[2006]『憲法とは何か』 (岩波書店) 。 ――[2008]『憲法 第 4 版』 (新世社) 。 原田尚彦[2010]『行政法要論 全訂第 7 版』(学陽 書房)。 日笠完治[2008] 「内閣総理大臣の地位」大石眞ほ か編『憲法の争点』 (有斐閣) 。 ビンーナン , アリエル著[1996]半田伸訳『イスラ エル法入門』(法律文化社) 。 藤井俊夫[2009]『憲法と政治制度』 (成文堂) 。 ――[2010]『行政法総論[第五版] 』 (成文堂) 。 藤田宙靖[2005]『行政組織法』 (有斐閣) 。 松下圭一[1998] 『政治・行政の考え方』 (岩波新書) 。 ――[2009]『国会内閣制の基礎理論』 (岩波書店) 。 真渕勝[1981] 「再分配の政治過程」高坂正堯編『高 度産業国家の利益政治過程と政策―日本』(1981 トヨタ財団助成研究報告書) 。 ――[2009]『行政学』 (有斐閣) 。 村上淳一ほか[2008]『ドイツ法入門 改訂第 7 版』 (有斐閣)。 村松岐夫[1981]『戦後日本の官僚制』(東洋経済新 報社)。 ――[1994]『日本の行政』(中公新書)。 山口二郎[1987]『大蔵支配の終焉』(岩波新書)。 ――[2002] 「議院内閣制の日本的弊害を克服する ために」大石眞編『首相公選を考える』 (中公新書)。 吉田栄司[2007] 「192 内閣総理大臣の職務権限― ロッキード事件丸紅ルート」 『憲法判例百選Ⅱ[第 5 版]』(有斐閣)。 渡邊亙[2009]「内閣・議院内閣制」小林昭三編『日 本国憲法講義―憲法政治学からの接近―』 (成文 堂) 。 Ackerman,Buruce[1991]We the People 1:Foundations(Cambrigde:Harvard University Press).