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リーダーシップ発揮のための首相公選論 - DSpace at Waseda University

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リーダーシップ発揮のための首相公選論 - DSpace at Waseda University
127
ソシオサイエンス Vol.17 2011 年3月
論 文
リーダーシップ発揮のための首相公選論
─ 官僚統制の議論を中心として ─
岡 田 大 助*
第1章 問題の所在
あるいは除去してゆけばよいのであろうか。と
りわけ,行政府内が問題であろう。
現代においておよそ先進国と呼ばれる国家
憲法学者はその行政府内の構造について無頓
は,行政国家である。行政国家とは行政権が他
着か楽観的である。首相公選論であろうと「国
の国家権力と比較して,主体的役割を演ずる国
民内閣制」論であろうと,さも行政権の長であ
家である。日本にとって行政国家化が抗うこと
る首相を国民の意思によって選び民主的正統性
ができないならば,そこでは「民意の統合」,
「内
を付与さえすれば,行政権全体が首相の思うと
閣機能の強化」そして「首相のリーダーシップ」
おりに動くであろう,と想定しているかのよう
を必要とする。それらを充足させ必要条件とし
である。行政学者である,西尾勝は「憲法学界
て成り立つ理論が首相公選論である。このうち
での議論は高橋教授のそれも含めて,専ら議会
「内閣機能の強化」と「首相のリーダーシップ」
と内閣の関係に関心を集中させていて,任命職
は特に密接な関連性をもつ。ともに憲法 65 条
(官僚・行政職員)から構成されている官僚制
における行政権の所在を端緒とする議論であ
に対する統制の問題をほとんど完全に無視して
る。
いる点が遺憾に思われる」としている[西尾 「内閣機能の強化」の議論は,合議制である
0
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1995:29]。
内閣の構造を変革することにより,その役割を
憲法学界での議論のように考えてよいのであ
強化しようというものである。そして,
「首相
ろうか。否,たとえどうであろうと,西尾の言
のリーダーシップ」の議論は,日本国憲法にお
及するとおり,官僚制に対する統制の問題を無
ける首相の権限がもし強いのに抑制されている
視するべきではない。現実に官僚の役割は大き
とするなら,抑制しているものを除去しようと
いであろう。それを検討してみる価値は高い。
いう議論になる。本稿では「首相のリーダーシッ
本稿において,なぜ首相公選制を導入しなけ
プ」を扱う。
「首相のリーダーシップ」には,さまざまな
抑制がかかっている。それをどのように変革し,
*早稲田大学社会科学総合学術院 助手
ればならないのかということの一端を明らかに
し,そして,首相のリーダーシップにより,と
りわけ官僚を統制できるか否かを論じたい。
128
第2章 首相のリーダーシップ
第 1 節 首相と内閣
きる」とされ,いわゆる内閣補助部局を含むと
し,「広義の内閣」の存在が考えられる[稲葉
1999:114-115; 稲 葉 2005:136-137; 藤 田 2005:116-
憲法 66 条 1 項には,「内閣は,法律の定める
123]。すなわち,憲法の内閣と法律の内閣が存
ところにより,その首長たる内閣総理大臣及び
在するということである(以下で使用する「内
その他の国務大臣でこれを組織する」とあるた
閣」は,憲法の内閣を指す。)。
め,首相は内閣という合議制の組織における首
憲法 65 条によれば,行政権は内閣にある。
長である。首相については,憲法で「首長」と
独任制としての首相にあるわけではない。なる
していることから独任制を要請しているという
ほど大日本帝國憲法(以下「旧憲法」とする。)
ことになる。首相は国会議員の中から国会の議
と行政権の所在の違いはあるものの,合議制と
決で指名される(憲法 67 条)。憲法において,
しての内閣を重視することは,それ以来の伝統
国務大臣を任免でき(68 条),行政各部を指揮
である。旧憲法においては,「國務各大臣ハ天
監督する権限(72 条),国務大臣の訴追に同意
皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55 条 1 項)と定め
する権限(75 条)等を有し,首相が欠けたと
るのみで,内閣についての規定も,首相に関す
きにはその他の国務大臣が総辞職すること(70
る規定もなく,首相は天皇から任命される「國
条)が規定されているのである。
務各大臣」の一人として,他の国務大臣と同格
一方,
「内閣」の権限は,首相の権限とは別に,
に位置づけられていた。そして,旧憲法と同年
憲法 73 条で「他の一般行政事務の外」に行う
に制定された「内閣官制」では「各大臣ノ首班
ものとして,
「法律の誠実な執行と国務の総理」,
トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ受ケテ行政各部ノ統一
「外交関係の処理」,「条約の締結」,「官吏に関
ヲ保持ス」(2 条)とされ,「首班」が「同輩中
する事務の掌理」
,「予算の作成と国会への提
の主席」とされていた。しかし,このような組
出」,
「政令の制定」
,
「恩赦の決定」と例示され
織がとられたのは,天皇を中心とした国政運営
ている。66 条 1 項から合議制であることは導
という構想に相応しいと考えられたためである
けるが,
「内閣」の採り方には幅がある。憲法
[渡邊 2009:286]。
でいうところの内閣は「内閣総理大臣及びその
国民主権(前文及び 1 条)を掲げる日本国憲
他の国務大臣」ということであり,内閣法 2 条
法では首相は「内閣の首長」であるので,閣内
2 項に具体的に数を明示した規定があることか
においては遥かに重要な地位が与えられている
ら首相を含めて 14 人以内最大 17 人まで,とい
[藤田 2005:116]。内閣における「一体性」と「統
うことになる。そして,内閣法 4 条 1 項の「内
一性」は内閣総理大臣という首長を中心とした
閣がその職権を行うのは,閣議による」のであ
「合議制の独任制的構成」として具体化すると
る。ここまでが「狭義の内閣」である。ところ
する学説もある[日笠 2008:226]。しかし,合
が同じ内閣法 12 条 4 項で「内閣官房の外,内
議制であることは踏襲している。憲法に明文規
閣に,別の法律の定めるところにより,必要な
定がないものの慣習とされる,閣議での全会一
機関を置き,内閣の事務を助けしめることがで
致を求めることもそのひとつである。
リーダーシップ発揮のための首相公選論
129
首相としての意思はあっても,内閣としての
内閣法 6 条がそのように首相の権限を抑制し
明確な意思がない場合はどうであろうか。ロッ
ていることについて藤田宙靖は憲法上,内閣が
キード事件に関する最高裁平成 7 年(1995 年)
合議制であることに加えて,現行法上,各大臣
2 月 22 日大法廷判決の法廷意見では,首相が
が行政各部の主任の大臣として,行政事務を「分
閣議による方針なしでの権限行使したことにつ
担管理すること」(内閣法 3 条 1 項及び国家行
い て 肯 定 し て お り[ 刑 集 1995:1; 吉 田 政組織法 5 条 1 項)――憲法上は「分担管理」
2007:398-399]
,学説で支持する見解も多い[菊
という言葉はないが――とされていることを挙
井 1987:40-43; 岡田 2000:74-75; 稲葉 1997:166-
げる[藤田 2005:117-118]。そして,この「分
167]。また,学説では多数決も許容されるとす
担管理」をめぐっては議論がある。先に憲法 73
る説[有倉 1977:234]も存在はするが,実際
条の内閣の権限の例を挙げたが,内閣は行政の
の運用では,全会一致が求められている。
全般に対して自ら執行する権限を有するのか
1997 年 12 月 3 日の行政改革会議(橋本龍太
(以下「①説」とする。),それとも憲法 74 条の
郎会長)の最終報告書では閣議の議決方式につ
「法律及び政令には,すべての主任の国務大臣
いて,本来内閣自らが定めるべきものであって,
が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要
必要とあらば,多数決の採用も考慮するべきで
とする」の規定を援用し内閣法 3 条 1 項「各大
あ る と さ れ た[ 行 政 改 革 会 議 1997: Ⅱ ―2]。
臣は,別に法律の定めるところにより,主任の
議院内閣制を採用する諸国の閣議では必ずしも
大臣として,行政事務を分担管理する」の規定
全員一致の原則がとられているわけではないこ
から内閣のそれには限界があってそれ以外の行
とから,旧憲法下の内閣の慣行がこんにちに至
政権の行使は各大臣が分担管理するのか(以下
るまで続いているものとみるべきであろう[渡
「②説」とする。),ということである[藤田 2005:123-125]。すなわち,②説は内閣の役割を
邊 2009:291]
。
しかし,憲法に規定された首相の権限は,そ
「統括」する権能のみと理解するのである[塩
れによって他の国務大臣を任免できることなど
野 2006:60]。従来の通説でこれは「分担管理
から,旧憲法との比較でいえば強い。高橋和之
原則」と呼称された。
によれば,憲法は強い首相の地位を定めたが,
藤田によれば,内閣がどのように行政権の行
首相が行政各部を指揮監督するには「閣議にか
使をするかは立法政策の問題であるとする説
けて決定した方針に基」づかねばならないと規
(以下「広義説」とする。)も存在し,1999 年の
定し(内閣法 6 条),首相の独走を抑制してい
中央省庁再編立法においては,この立法政策の
る[高橋 2010:338-339]。首相の優越的地位が
問題であるとする説の立場が強く現れたのであ
合議制の理念と矛盾する面は否定できないが,
る[藤田 2005:124-125]。
行政権の主体である内閣が強固な一体性を実現
ただ,従来からの 2 つの説であろうと,広義
し迅速に行動しうることを保障するために,合
説であろうと,内閣が合議制であることは維持
議制を基本としつつも独任制的要素をもとり入
しているため,やはり抑制が掛かっていること
(1)
れたのである[高橋 2006:160] 。
に変わりはない。「分担管理」の意味を広義説
130
のようにとった中央省庁再編立法の存在によっ
(本府)の外局が首相の指揮監督を受けないと
て,抑制の軽減はなされたとはいえる。従来か
するなら筋が通らないため,外局も「行政各部」
らの 2 つの説は,
日笠完治のいうところの「リー
ということになる。
ダー型(強い)内閣総理大臣」か「調整型(穏
また,内閣府は内閣補助事務のほか,分担事
健な)内閣総理大臣」かの峻別が当てはまる。
務をも所掌する。藤田宙靖によれば,「内閣府」
すなわち,行政権が合議制である内閣にあるこ
には,「内閣の補助部門」としての側面と,首
とを強調すれば後者になり,内閣の独任制的合
相を主任の大臣とする「行政各部」としての側
議 制 を 強 調 す れ ば 前 者 に な る[ 日 笠 面があるので,この後者を切り離した意味での
2008:227]
。
「中位の内閣」概念,言い換えれば「実質的(な
しかし,いずれにせよ合議制であることによ
いし機能的)意味での内閣」という言葉を用い
り,首相の権限は旧憲法との比較でいえば強い
る の が 可 能 で あ る か も し れ な い[ 藤 田 ものの,抑制されているのである。
2005:115-116]。だとするなら,内閣府の職務の
うち,分担事務は行政各部としての側面という
第 2 節 首相と行政各部
憲法 72 条は「内閣総理大臣は,内閣を代表
して議案を国会に提出し,一般国務及び外交関
ことになり,内閣府すべてが行政各部ではなく,
各府省すべてが行政各部でもないということに
なる。
係について国会に報告し,並びに行政各部を指
ほかに,性質上,独立性が求められる「独立
揮監督する」とする。そこにおける,行政各部
行政機関」である会計検査院及び人事院がその
とはそもそも何であろうか。「『行政各部』とし
射程から外れるであろう。そして,行政各部そ
て従来(主に)念頭に置かれてきたのは,
『内
れぞれのトップは国務大臣が主任の大臣となる
閣の統括の下』にある各府省であった」[稲葉
(憲法 72 条及び 74 条)。それを受けて内閣法 3
2005:136]り,
「内閣の統括の下に行政事務を
条 1 項では,各大臣は内閣を構成する閣僚であ
つかさどる機関である『省』,その外局として
るとともに,「主任の大臣」として行政事務を
置かれる『委員会』および『庁』を指している」
分担管理するとしている。しかし,同 2 項では
[渡邊 2009:288]であったりする。
外局が「行政各部」に含まれるか否かである
行政事務を分担管理しない,いわゆる無任所大
臣の存することを妨げないとしている。
が,外局の設置理由が本省又は本府の所掌事務
仮に「分担管理」の意味を前節の①説か広義
の中に,その事務内容に鑑み,本省(本府)の
説のように捉えたとする。そうだとしても,憲
主任の大臣とは別の責任者を設け,事務処理に
法で「行政各部」と「主任の国務大臣」と定め
ある程度の独立性をもった事務処理を行わせる
ている以上,憲法は法律の立案・運用について
ような単位組織を設けた方が合理的であると考
所管するものの存在を予定している[佐藤 えられる場合があるからであること[藤田 1999:219],といえるのである。
2005:139]を考えれば,本省(本府)が憲法 72
そもそも法律は国会単独立法の原則(憲法 41
条により首相から指揮監督をされるのに,本省
条)により,国会が独占するはずであるが,こ
リーダーシップ発揮のための首相公選論
131
こで問題となることとして,内閣に法律案提出
ること,そして内閣法 5 条には「法律案,予算
権があるか否かがある。憲法にはその規定はな
その他の議案」と規定されており,憲法改正案
いが,内閣法 5 条に定められている。また,国
は含まれていないこと,さらに,ドイツのよう
会の審議の対象となる案件を広く「議案」とい
に憲法改正法律の形をとる国とは違い日本では
い,もっとも重要な議案は法律案であるとされ
立法権の延長線上には位置づけられないことを
る[大山 1997:69]。
考えれば,憲法改正案の提出までは含まれない
これについては,憲法上の明文の不存在と憲
[ 永 田 2008:241]。 そ し て,2010 年 5 月 18 日
法 41 条の国会は唯一の立法権であるとする消
に施行された「日本国憲法の改正手続きに関す
極説と,内閣による法律案の提出権を否定する
る法律」(いわゆる国民投票法)においては,
規定がないことと憲法 72 条の「議案」に含ま
内閣による憲法改正案の提出は認められていな
れることとそれに国会による修正・否決が可能
い。
であることから許容されるとする積極説がある
さて,法案はその提出機関の違いによってわ
[藤井 2009:111]
。芦部信喜は,憲法 72 条前段
けられ,内閣が提出した法案が内閣提出法案で
の「議案」に含まれると解されること,議院内
あり,議員が提出した法案は,それぞれ衆議院
閣制の下では国会と内閣の協働が要請されてお
議員提出法案と参議院議員提出法案である。そ
り,また国会は法律案を自由に修正・否決でき
れぞれ国会用語で,順に「閣法」,「衆法」,「参
ることなどの理由から違憲とは考えられていな
法」と略称されている[大山 1997:69-70; 大石
いとする[芦部 2007:281]。通説も許容される
2001:83-84]。旧憲法においては 38 条で「両
としている。すなわち,ここで問題となってい
議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各ゝ法
るのは,憲法 72 条の「議案」の言葉から内閣
律案ヲ提出スルコトヲ得」とされ,憲法の規定
提出法案を導き出せるかどうかである。
により明確に内閣提出法案が定められていた。
憲法 41 条の国会単独立法の原則は,国会の
議決によってのみ法律が成立し法律としての効
一方で,議員提出法案の成立率は 1 割にも満た
なかった[永田 2008:240]。
果が発生するという趣旨のことであり,内閣が
現在においても成立した法律のうち,圧倒的
法律案を提出したとしても,結局のところ国会
多数を占めるのが,内閣提出法案である。第
で審議と議決をしているわけであるから,その
165 回臨時会が始まる 2006 年 9 月 26 日から第
規定とは対立しない。
174 回常会が終わった 2010 年 6 月 26 日までの
ただ,憲法改正案が憲法 72 条の「議案」に
間に,提出された法案の総数では内閣提出法案
含まれるか否かについては議論がある。憲法改
が 359,議員提出法案(衆法及び参法)が 353
正は国の基本法の改正で滅多にあるものではな
とほぼ拮抗しているのに対して,成立件数では
いこと,その改正規定である憲法 96 条が「国
内閣提出法案 291,議員提出法案 89 である。成
会の発議」についてのみ規定していること,憲
立 件 数 に 占 め る 内 閣 提 出 法 案 の 割 合 は, 約
法改正権の主体は国民であり,発案権も国民に
76.58%を占める。
直結する国会議員に留保されていると考えられ
大山礼子によれば,55 年体制の崩壊後,首
132
相の指導力強化の方向に舵を切った一方,国会
確かに内閣提出法案が法律として成立するま
側も短期間にさまざまな改革を行った。1997 年
での過程では修正が入ることもあるが,叩き台
末の国会法改正により,衆議院では決算行政監
すなわち法案を提出する時点における内容を作
視委員会の新設等,1999 年に国会審議活性化
成しているのは,官僚である。
法が制定され,政府委員制度の廃止,党首討論
の導入などの動きがあった。しかし,もともと
諸外国に比べて短い本会議での審議時間に変化
第 3 節 小括
議院内閣制における首相のリーダーシップに
はなく,むしろ減少気味というぐらいであった。
は類型として,行政府の最高指導者という側面
その一方で,内閣提出法案の成立率は向上して
と,国会の多数勢力の指導者という側面が存在
いる。① 55 年体制崩壊まで,②細川内閣成立
する。前者の場合,リーダーシップを振るう対
後小泉内閣まで,③小泉内閣が始動した第 152
象は官僚機構であり,後者の場合は与党の政治
回から小泉退陣までの三期に分けて比較する
家となる。そして,政に対するリーダーシップ
と, 順 に 83.7 %,93.2 %,92.2 % と 高 く,2004
と官に対するリーダーシップを総合した形で,
年 12 月 3 日までに限定すると,94.3%にも達す
国民に対するリーダーシップが生まれてくる。
る。この時期は小泉政権下において,テロ特措
これは首相の政治的正統性や権威に関わる問題
法,有事法制およびイラク人道復興支援法,国
であるとする意見もある[山口 2002:88-89]。
民保護法制など重要な案件があったことも関係
首相公選制というのは必ずしも大統領制の亜
するのではないか。内閣提出法案のうち 8 割は
種ではない。首相公選論には国会と内閣の関係
修正することなく国会を通過しているのである
から大統領制型や議院内閣制型,そしてイスラ
[大山 2007:110-112]。
内閣提出法案の成立過程は,担当省庁(課・局)
エルのように首相の「罷免」と「不信任」(イ
スラエル「基本法(2): 政府」27 条及び 19 条)と
における起案,次官・大臣の了解による省庁案
いう大統領制の要素と議院内閣制の要素の双方
の確定,内閣法制局の下審査,担当省庁と関係
の特徴を包含した折衷型も考えられる。首相の
省庁との法令協議,各省大臣による閣議請議,
独裁の抑制と国会与党とのねじれ防止のために
内閣法制局の法案審査・内閣への上申,事務次
は,国民による直接公選であるにしてもその候
官会議等会議の調整,与党審査,そして法案の
補者を与党の国会議員に限りさらに内閣不信任
閣議決定・国会提出という順番になっている[大
制度をもった議院内閣制型が必要になる。そう
石 2001:84]また,それより前からみるなら,
だとすると,たとえ首相公選制といえども,議
法案の立案にいたるきっかけは与党の公約等に
院内閣制を維持したとするなら,首相のリー
もとづく政治家主導型,各省庁の日常業務のな
ダーシップの理論も当てはまるであろう。
かからの発想による官僚主導型,外国からの批
そうすると,国内においてリーダーシップを
判を受けての外圧など,さまざまあるが,法案
発揮すべき対象として考えらえるのは , 国民,
を実際に起草するのは各省庁の主として中堅職
国会,官僚であり,国民に対するリーダーシッ
員の役割である[大山 1997:72]。
プは政に対するリーダーシップと官に対する
リーダーシップ発揮のための首相公選論
133
リーダーシップの合成によって生じるため,先
び→政権成立に対する国民の欲求不満がある。
に重要になるのは国会と官僚ということにな
しかし,小泉政権発足後の首相公選論議には,
る。
こうした政治的コンテクストに加えて,1994 年
このうち法律の立法・運用によって主体的役
の選挙制度改革・1999 年の行政改革(3) と共通
割を果たしているのは官僚である。官僚の領域
する首相・内閣の統治能力向上の要請もあると
には殆んど政治家が関与できない。関与が可能
考えてよいだろう[赤坂 2003:51-52]。
であるのは各省庁でもトップの数人のみであ
る。
憲法 72 条と 74 条は,法律の立法・運用につ
いて,所管するものの存在を予定している。す
それは戦前の超然内閣の伝統が戦後の議院内
なわち,抑制されたリーダーシップで指揮監督
閣制にも引き継がれたもので,その根底には行
されるものが,官僚である。首相・内閣の統治
政府における政治任用を,立法府による行政府
能力を向上させることを考え,政党政治・派閥
の侵害として排除した日本官僚制の憲法解釈が
の発達が日本の政治文化であるとするなら,む
存在したのである[山口 2002:96-97]。
しろ官僚について考えてみる必要が出てくるの
法律の制定の決定権は国会にあるが,政党政
治や派閥が発達し党議拘束が掛かる。かつて中
曽根康弘の「首相公選論の提唱」は主として派
閥の弊害の除去という文脈ででてきたもので
である。
第3章 官僚制
第 1 節 日本官僚制の特徴
あった[中曽根 1962:7-9]。首相公選論につい
「官僚」「官僚制」という用語は法律用語では
ての座談会でも(首相をどう決めるかというこ
ない。「官僚制」の概念は多義的である。官僚
と,すなわち)政党をどう立て直すかというこ
及び官僚制という言葉は,フランスで生まれ,
とについて「法制度外の,まさに政治文化その
ドイツを経て,ヨーロッパ諸国に普及した。辞
ものの問題」ということがでている[安念ほか
書類に登場したのはフランスには 1798 年,ド
2001:24]
。
(日本における政党は)「基本理念
イツには 1813 年,イタリアには 1828 年,イギ
で一致してはいても,それぞれの選挙区や支援
リスでは 1837 年であった。そして,ウェーバー
団体の利益を代表する議員からなる寄り合い所
によって官僚制の概念は整えられた。ウェー
帯となっている。・・・ 強権でまとめることは容
バーは家産官僚制と近代官僚制を明確に区別
易ではない」のである[永久 2001:202-203]。
し,身分の不自由な官吏で構成されているのが
日本においては派閥の集合体が政党を形成して
家産官僚制であり,官吏が自由意志に基づく契
いる。派閥の発生を防ぐのはなかなか難しい。
約によって任命されているのが近代官僚制とす
「政治家が首相公選論を唱える動機には,憲
る。そして,支配の正統性という観点から,支
法改正の突破口をねらうとか,自民党の少数派
配の類型を 3 つにわける。すなわち,制定され
閥を基盤として政権獲得をねらうなど,様々な
た規則にもとづく「合法的支配」,昔から存在
政治的思惑があり,メディアがそれを大きく取
する秩序と支配権力の神聖さに対する信念に基
り上げる背景には,自民党内の不透明な総裁選
づく「伝統的支配」,そして支配者の持つ天与
134
の資質とりわけ呪術的能力・啓示や英雄性そし
の処理方針についての文書案を,まず単位組織
て弁舌の力に対する情緒的帰依によって成立す
の最末端に位置する担当職員(補助機関)が作
る「カリスマ的支配」である。その中で近代官
成し,それを順次上位の機関へと回覧して行き,
僚制は合法的支配に分類されるのである[西尾
その都度点検・修正を受け,最後に本来権限を
2001:161-170; 真渕 2009:456-459]。
有するものの決裁を受けることにより,当該組
日本が明治維新後,官僚制を構築するに際し
織内部での最終的意思形成がなされたこととす
て参考にしたのは,イギリスとアメリカと同様
るシステムであった。それ自体は 1 つの文書処
に,プロシャであった。その特徴は公開任用試
理方式である[藤田 2005:89]。稟議制のよう
験の採用,官僚養成大学の設置と官僚養成のた
なものをボトムアップ型調整とよぶ[宇賀 めの学問体系の形成のセットであった。戦前に
2010:76]。辻清明は,稟議制のデメットとして,
おいて元老がいる間は近代化の推進力として大
能率の低さ,責任の分散そして指導力の不足を
きな役割を果たしたが,いなくなってからは政
挙げ,メリットとして,各省単位における組織
治的分裂を引き起こした。戦後は試験の合格認
の内部意思の一致が可能なこと,後見的な上下
定と採用を分離する国家試験制度をその原因の
の秩序関係が維持されやすいことを挙げる。そ
ひとつとして,公務員のエネルギーは内閣に向
のうえで,日本では執行権ないし命令権がなく
かっているが,それが省庁でとまっているので
単なる勧告権しか持たなく,スタッフ強化の充
ある[村松 1994:11-21]。
実がないから,結果に対しての実体的責任が何
藤井俊夫によれば,「官僚制とは,最広義に
人(ママ)に帰属するかを明白にする「わりつ
おいては一定の団体・組織における階層組織を
け方式」よりも稟議制の再検討が望ましいとす
さすものとして用いられることもあるが,一般
る[辻 1966:77,121-122]。
的には,国家の活動とくに行政を遂行するため
次に,行政指導である。行政指導とは「行政
の人的組織,すなわち,国家の行政機構および
庁が行政目的を達成するために,助言・指導と
それを担う各種の官吏の総体をいう」[藤井 いった非権力的な手段で国民に働きかけてその
2009:186]。したがって,日本におけるそれにつ
協力を求め,国民を誘導し,行政庁の欲する行
いて,歴史的沿革等と藤井の定義を合わせて考
為 を な さ し め よ う と す る 作 用 」[ 原 田 えると,この文脈では藤井のいうところの「一
2010:195]や,「行政庁が助言,勧告,奨励など
般的」に近いもので,「官僚」とは政策決定に
という非権力的な形で国民にはたらきかけ,そ
影響を与える公務員という程度になるであろ
の同意,協力に基づく国民の行為によって,一
う。
定の行政目的をはかること」[藤井 2010:227]
日本官僚制の特徴は以下の 3 つに収斂され
る。
まず,稟議制である。明治以来の慣行であり,
であったりする。かつては官僚と業界の双方に
とって柔軟な活動ができるというメリット,不
透明な行政活動になるというデメリットがあっ
法律用語ではない。稟議制とは,或る行政機関
たが,メリットの重視で多様された[高木ほか
に与えられている権限の行使につき,その事案
2007:136; 原 田 2010:197-198; 藤 井 2010:228-
リーダーシップ発揮のための首相公選論
135
229]
。新藤宗幸は,大手 ・ 準大手・中堅証券会
ており,その成果については,今後,判断が下
社による大口投資家への損失補填のような官僚
される[加藤 2008:138-139]。日本官僚制が行
と業界の構造が出来上がっているのは,大蔵省
政指導など先に挙げたように,ほぼ法的根拠も
の行政指導がひとつの要因ではあるもののそれ
曖昧な独特の制度を維持してきたのだとするな
を生み出しているのではなく,行政指導を可能
ら,そもそも日本における政治は官僚が牽引し
としている日本の行政や政治の構造や業界の構
てきたといえなくもないのではないだろうか。
造 が 究 明 さ れ る べ き で あ る と す る[ 新 藤 その検討が必要になる。
1992:3-14]
。そのような弊害を是正するため,
行政運営における「公正の確保」と「透明性」
第 2 節 官僚優位論と政党優位論
を図り,それによって国民の権利・利益の保護
日本は官僚優位であるのか,政党優位である
をはかるため,ようやく 1994 年に行政手続法
のか。緊張関係にある 2 つの学説が存在する。
が定められ,その 2 条 6 号で明確に明文化され,
辻清明は 1960 年代に官僚優位論を説き,村松
行政指導の「任意」性が確認されたのである[原
岐夫は 1980 年代に政党優位論を説いた。
田 2010:229]
。
さらに,セクショナリズムである。これにつ
辻によれば,先進的な近代民主制国家と通常
呼ばれているイギリスやアメリカは,行政官僚
いて,辻清明は「割拠性」[辻 1969:59]という
制が常備軍とともに絶対主義を支えた官僚制,
言葉を使い,西尾勝は「分立割拠性」[西尾 政治の「侍女」たることを理念とした市民社会
2001:100,111,148,235]という言葉を使っている
の官僚制,そして社会的責任と権力を拡大した
。また,今村都南雄はその定義について,英語
現代の官僚制,と官吏制度の 3 つの過程を歩ん
の sectionalism にならっているのは明らかであ
できたが,わが国はそれとは異なり正常な歩調
るものの英語の意味と異なり「権限や管轄をめ
で経過することなく現代の変革期に当面してい
ぐる省庁間の対立・競争」であるとする[今村
るため,第 2 の過程の公務員制を 1960 年代の今,
2006:5]。その原因は,一党優位体制,省庁別
実現しなければならないという困難な状態が生
採用,行政の鉄格子,融和的中央地方関係など
じている[辻 1969:5-23]。日本の場合は,敗
である[真渕 2009:577-578]。
戦の結果として,民主化と能率化という 2 つの
このように独特の特徴を有する日本における
課題に同時に直面した[辻 1969:26]。そして,
官僚制であるが,2001 年 1 月 6 日に従来の 1 府
永い「官尊民卑」思想によって浸潤されている
22 省庁から 1 府 12 省庁への大改革が行われた。
わが国の政党は 1960 年代現在近代議会の運用
その根拠法である中央省庁等改革基本法(平成
に最適の資格を有しているかどうか甚だ疑わし
10 年 6 月 12 日)
の第 1 条で目的が謳われている。
いだけではなく,官僚制の民主化を担当する重
具体的には,内閣機能の強化,縦割り行政の弊
要な役割をひとり代議制の古典的形態を象徴し
害の除去などであるが,その中での最大の目標
ている国会にのみ振りあてることは,一種の時
は政策決定の仕組みを従来の「官僚主導」から
代錯誤である[辻 1969:37]。そのような官僚
「政治主導」(首相主導)に転換することとされ
が戦前戦後を通じて終始官僚が国家利益の唯一
136
の護持者であり国家意識の無二の体現者である
がその組織としての存続・成長を社会の他の要
という自負意識が可能であったのは,GHQに
素(とくに政治勢力)からは独立して行ってい
よる占領政策が「間接統治」であったこと,国
る能力であり,官僚集団の場合,法的裁量権,
民意識の裡における官僚制の中立性格に対する
人事権,専門的知識・情報等が自律性の程度を
幻想の潜在,そして,現代行政の知識と遂行能
きめるリソースになるとしている。また「活動
力 に お け る 政 党 の 無 力 さ, で あ る[ 辻 量」とは,官僚がその持てるリソースを利用し
1969:270-281]
。
「明治以来のわが国統治構造の
てうみ出す出力であり,法案,政省令などを通
中枢は,占領政策の唯一の代行機関となること
じての政策でみることができるとしている[村
によって補強され,あたかも利用されたかのご
松 1994:202]。(A)「活動量が大きく,かつ自
とく外観の下に,逆に一切の政治勢力を利用で
律性も高い」,(B)「活動量は大きいが,自律
きたのである。戦前と同じく,戦後の国会も政
性が低い」,(C)「活動量は小さいが,自律性
党も,華々しく衣裳は纏っていても,けっきょ
が高い」である。そして,官僚の自律性は減退
く精緻な官僚機構の舞台で,踊っていたといえ
の方向をたどっておりそれにより(A)は消去
るであろう。まことに,わが国の官僚機構は,
される。(C)については,実際の社会では自
強靭な粘着力の所有者であった」
[ 辻 己の属する省庁の活動量を増大させて自分で制
1969:281]。したがって,今なお,日本は官僚が
御できるリソースや価値を増殖させ同時に組織
優位である国家であるというのである。
の存続・拡大を願うのが通常であることから,
対して,村松は,辻への批判から理論を始め
自律性の確保のために活動量拡大の欲望を抑え
る。官僚についての理論である,官僚論には特
るのは困難なこと。国民の行政期待は続いてい
権的官僚論と官僚私兵論があり,前者である特
るので,官僚制は自律性を多少譲っても活動量
権的官僚論は,行政学,政治過程論,公法学の
をとること。そして官僚側に消極的態度が現れ
3 つの研究分野で現れている[村松 1981:141-
れば政党は明示的な要請を次々に打ち出してく
147]
。もちろん,村松のいう特権的官僚論にお
る可能性があること。それらのために官僚は活
ける行政学分野の最も代表される論者は辻であ
動量を増やさなければならないため,消去され
る。辻のいわゆる官僚制優位論を村松は戦前戦
る。したがって,日本の官僚制を説明できるの
後連続論と呼称している[村松 1981:10]。村
は( B ) だ け で あ る と す る[ 村 松 1994:202-
松によれば,官僚制優位論は 55 年体制では,
207]。したがって,官僚制が優位ではないとす
自民党の長期政権化などによって,自民党の政
るのである。そうであっても,村松は官僚制が
治家も次第に政策能力をみにつけ大きな影響力
絶対的に優位な状況から55年体制のもとで絶
をもつようになっており,また政策過程も多元
対的に政党が優位な状況に変化したといってい
的になってきている[村松 1981:153-168,285-
るのではない。あくまで相対的に,政党の影響
324; 村松 1994:207-208]。
力が増して優位になりつつあるとするにとどま
自律性と活動量という 2 つの要素で 3 つの
る。1990 年代においても「現在,官僚制の影
ケースを考えられる。「自律性」とは官僚集団
響力が大きいとしつつも,政党の影響力拡大を
リーダーシップ発揮のための首相公選論
137
認める認識が一般的である」としている[村松
かの方式で与党の政治的指導力を政権の内に実
1994:194]
。
質的に取り込み,政権の政治指導力を格段に強
また,辻の理論は 1960 年代,村松の理論は
化することが肝要であるとし,そのための解決
――1990 年代において補強はしているが――
策として背反する 2 つを提示する。ひとつはイ
基本は 1980 年代である。その後において,真
ギリスのように行政府の頂点に与党政治家を大
渕勝と山口二郎によって,辻と村松の理論の検
量に送り込み,この政権が結束して官僚制を指
討がなされ,政策領域によって,力関係は異な
導し統制する方式であり,今ひとつはフランス・
るという主張がなされている[真渕 1981:123-
ドイツなどのように高級官僚を政治任用の対象
128; 山口 1987:10]。
にし,これを梃子にして内閣・首相・各省庁大
日本における政治において政党が強いか官僚
臣が官僚制を指導し統制する方式である。その
が強いかは時期や政党を構成する政治家の資質
うえで前者の方が日本には合っているとする
にもよる。しかし,政党優位論であろうと,官
[西尾 1995:42]。
僚優位論であろうと,必ずしも対立関係にある
どちらの方式を採用するにしても,少数では
わけではない。また,政策領域によって異なる
効果が見込めず,最低でも官僚のトップ数百人
という主張があるが,たとえそうだとしても官
は入れる必要がある。そして,それぞれを検討
僚の影響力の強いところは依然,存在するとい
すると,イギリスのように与党の政治家を大量
うことである。憲法論における,憲法が最も強
に送り込む方法であるが,現在民主党政権のも
い効力をもつという意味での「最高規範性」,
とで,副大臣,政務官等のスタッフの拡充をし
憲法が立法者に権限を授けるという意味での
ている。確かに政権交代後,僅か 1 年で評価を
「授権規範性」
,憲法が権力を制限するという意
するのは時期尚早ではあるが,目に見えて効果
味での「制限規範性」を考えるなら,主権者で
ある国民から選ばれたわけではない,また別の
が上がっているとはいえない。
さらに現在衆議院と参議院の定数の合計が
(4)
観点から,メリットシステム(資格任用制)
722 でしかないにもかかわらず,数百単位で行
を採用しているため主権者である国民が選んだ
政府の中に入り込んだとしたら,議会統治制に
国会議員から選ばれたわけでもない官僚が,な
なるのではないだろうか。
ぜそれでもなお影響力を保持しているのか疑問
が残る。
第4章 処方箋としての首相公選論
「 議 会 統 治 制 」 と は 会 議 政(assembly
government)とも呼ばれ,議会が内閣を完全
に従属させてしまい,すなわち内閣は議会の一
委員会にすぎなく権力が議会に融合する体制で
日本の政治の欠陥について,西尾勝は,これ
あり,内閣は辞職の自由を持たず,つねに議会
まで繰り返し提言され試みられたような内閣官
の指令に従う必要がある政治制度であり,代表
房および総理府に属する諸機関を強化拡充する
的な国としては,フランス第一共和制,第四共
方策などで解決できる性質のものではなく,与
和制,スイスなどである[高橋 2010:27; 長谷
党機関と内閣の二元的分立体制を克服し,何ら
部 2008:375; 辻村 2008:428]。
138
「イギリスでは三百数十名から四〇〇名程度
一方で行政府のトップ数百人を政治任用の対
の与党議員のうち,およそ一三〇名程度が大臣,
象にする方法であるが,行政刷新会議で民間人
副大臣の役職について,行政府の中に入ってい
を採用しある程度の成果があがっていることか
る」
[山口 2002:96]。1911 年議会法(Parliament
ら,方法としては肯定できる。
Act 1911)7 条によって,下院である庶民院の
2001 年 1 月 6 日の省庁再編制以降の各省庁
任期は 5 年と定められているが,解散は任期ぎ
の幹部職員人事について,辻隆夫は再編統合 4
りぎりにしか殆んどできない。もし日本におい
省庁(総務省・文部科学省・厚生労働省・国土
て数百人の行政府内部に入る国会議員もいれ
交通省)における襷がけ人事・棲み分け人事(5)
ば,それらは保身のために,内閣不信任案への
は予想以上に徹底して行われていることと,い
賛成をする可能性は低くなり,また憲法 69 条
わゆる省名審議官の役割と位置づけの明確化の
によらない首相の裁量による解散への抵抗も相
必要性をあげ,それらへの対応として,第一に
当激しいものになるため,首相は基本的に議会
果たされるべき公務の内容を明示し,第二にそ
を解散できなくなる。したがって,議会統治制
れに対応する組織編成がなされ,第三にそこに
になってしまう。
最適な人材が配置されるという手順を踏む必要
さらに,この方法は政治家の専門的能力に対
があるとする。その「最適な人材の配置」につ
する過信がある。たしかに「族議員」という言
いて具体的には,局長以上を政治任用にする。
葉で例証されるとおり国会議員においても各分
新たに設置が予定されている内閣人事局では幹
野の専門家は存在する。しかし,そうであるの
部職員の一元化を実現するために,内閣官房長
に何故かつて政府委員制度を採用していたので
官による候補者長官による候補者名簿の作成と
あろうか。官僚の方がより専門的であるからで
首相及び閣僚との協議による人事の決定の仕組
ある。官僚はスペシャリストであり,国会議員
みが導入されることが決定されている。その前
は基本的にはジェネラリストである。どちらの
提として,各省の人事に関する情報とデータが,
能力が上であるかは比較のしようがない。
組織とそれが担うべき職務内容との関連性を踏
行政指導での文脈で,かつて大手 ・ 準大手・
まえて統一的に整備される必要がある,とする
中堅証券会社による大口投資家への損失補填の
[辻 2009:64-67]。たしかに,たとえ政治任
時に,
「損失の負担」について「損失負担の保証」
用をするにしても,政治任用の前の段階として
(「損失の負担」を約した文章を前もって交わす
ことで構成すること)ではないとして,証券取
の手続き整備しなければ政治任用する意義がな
い。
引法 50 条 3 号の「損失の全部又は一部を負担
ただ,前の段階としての手続きを整備したと
することを約して勧誘する」に該当しないとし
しても,問題は残る。現行議院内閣制で首相は
た[山口 1987:6]
。官僚はそのような,客観的
国会から選ばれているため,主権者である国民
にはわからない,詐欺まがいの運用をする可能
による直接投票で選ばれているわけではない。
性すらある。
そのような状況で,数百人も政治任用してよい
したがって,この方法には無理がある。
のかどうか。少なくともこの方式であるフラン
リーダーシップ発揮のための首相公選論
139
スにおいては官僚における高級職の任命権者で
呼称される。イギリスの議会制をモデルとする
ある,大統領を国民によって直接公選している
一元的民主政(monistic democracy)や,ドイ
(フランス第 5 共和制憲法 6 条)。ドイツでは大
ツ連邦共和国基本法のように民主的な決定に
統領は連邦議会と 16 の州議会から比例代表で
よっても侵害することができない基本的権利の
選出された代表からなる連邦会議から選出され
存在を規定する考え方である権利基底主義
るため国民による直接公選ではない(ドイツ連
(rights foundationalism)と区別される。その
邦共和国基本法 54 条)。ヴァイマル憲法下の
う え で リ ベ ラ ル・ デ モ ク ラ シ ー(liberal
1933 年 3 月 24 日の授権法による議会制民主主
democracy)の政治制度として,大統領制,イ
義の解体によるヒトラーへの権力集中[村上ほ
ギリス型議院内閣制,そしてドイツや日本のよ
か 2008:20]が影響している――ただしヒト
う な「 制 約 さ れ た 議 院 内 閣 制 」(constrained
ラーは議会制民主主義・議院内閣制によって権
parliamentarianism)を挙げ,アメリカ型は議
力を手中に収めた――のであろう。
会と行政府の対立のため閉塞状況に陥り,イギ
ドイツは例外であるものの,政治任用がもと
リス型は議会と行政府が与えられた権限をほし
もとは主として,大統領選挙における戦利品と
いままにして行使して人々の基本的人権を侵害
して生成しており,現在残っている政治任用の
する危険すなわち「選挙された独裁」(elected
システムがその残滓であるため,むしろ任命権
dictatorship)に陥る。そして,新興国が採用
者を直接公選した方が論理がすっきりするので
するべきだとするのが日本・ドイツ型の「制約
はないだろうか。だとするなら,憲法政策論・
された議院内閣制」であり,議会や行政府の権
憲法改正論として,議院内閣制を維持したとし
限を制約するための仕組みが違憲審査制度な
ても,首相公選論なのである。
ど,さまざまな形で存在している[Ackerman
民主主義による憲法原理の変更の限界を考え
る た め の ひ と つ の 例 が ア ッ カ ー マ ン(Bruce
1991:230-294; 阪口 2001:72-83; 長谷部 2006:92-95;
大江 2010:159-178]。
A,Ackerman)の理論である。アメリカ憲法の
それに関連して,長谷部恭男は議会のメン
民主プロセスを,日常的な利害調整に関わる政
バーとは独立に首相を選出する首相公選論は,
治過程である「通常政治」(normal politics)ま
アメリカ型にあたり,最悪の政治体制になると
たは「低次の法形成」(lower lawmaking)と,
する[長谷部 2006:106]。また,「抑制された
政治過程を国の根本原理を変革する政治過程で
議院内閣制」は議会下院の役割を重視している
ある「憲法政治」
(constitutional politics)また
ため,首相公選論には批判的なのは無論である
は「高次の法形成」(higher lawmaking)とに
が,内閣の権限強化を図る議論に対しても警戒
わけ,前者に人々が私的市民として行動する議
的になるかもしれないとするものもある[大江
会制民主主義,後者に人々が私的市民として行
2010:175]。そもそもアッカーマンは日本を,
動 す る 討 議 デ モ ク ラ シ ー(deliberative
官僚を統制する規則制定監視部門(reguratory
democracy)を通じた憲法改正を挙げる。これ
branch),官僚機構の中立性などの特徴を兼ね
らは二元的民主政理論(dualist democracy)と
備えた「抑制された議院内閣制」[孝忠ほか
140
2000:110-111; 長 谷 部 2006:106-109; 大 江 2010:167]であるとするが,日本の官僚機構は
中立であるとする根拠はないし,それを監視す
る。
第5章 まとめ
る部門も機能していない。そして,官僚機能の
現行における首相の抑制されたリーダーシッ
変革は過去幾多も試みられたができなかったの
プで指揮監督されるのは官僚であるが、日本に
である。
おいては選挙で選ばれているわけでもない官僚
上記のことは西尾の言及した,従来の方策な
の影響力は依然強い。さらにいえば、そもそも
どで解決できる性質のものではない,というこ
リーダーシップを発揮するのは議会に対しても
とを前提として,議論を進めてきた。しかし,
難しく,官僚に対しても難しい。しかし,官僚
従来の方法ではなぜ駄目であるのか。
の方がスペシャルな領域で身分が保障された
従来の方法で提示しているのは,松下圭一の
人々である――議員は選挙で落ちる可能性を
「 国 会 内 閣 制 」[ 松 下 1998:43-110; 松 下 もっており落ちればただの人である――ので,
2009:147-196]と飯尾潤の「議院内閣制」[飯尾
比較の問題でいえば,リーダーシップを発揮す
2007]であろう。松下,飯尾ともに日本は戦
るのは難しい。これに対抗するには究極のとこ
前も戦後もずっと官僚内閣制であり,憲法運用
ろ,官僚制のトップ数百人を政治任用し,それ
の改革により,国会による内閣の統制を論じて
に民意の正統性を獲得する必要がある。立憲的
いる。しかし,松下の理論は内閣と省庁を明確
意味の憲法である日本国憲法が定めるところ
に区別し,国会によってそれらを統制し,国会
の,国民主権の実体をプープル主権(人民主権)
自身の変革もする必要があるとするものである
であると考え,純粋代表,半代表制,半直接制,
が,そこにおいては,国会議員が憲法上は選挙
そして直接制へと読み込んでいくべきである
民の代表でかつ全国民の代表ではあるものの,
[杉原 1983:362; 辻村 2008:364]。必要である
結局のところ自らの選挙区への我田引水になり
のは,「立法権までの民主主義」ではなく「行
やすい。また,飯尾の理論は高橋和之の「国民
政権までの民主主義」である。半直接制を超え
内閣制」論[高橋 1994]に近似したものであ
るもので,直接制以下のものである,首相公選
るが,選挙が首相選択や政党,マニフェストだ
制を導入して,数百人の官僚の政治任用につい
けに投票するものではなく,日本においては候
て,民意に裏打ちされた正統性を獲得するべき
補者個人への投票も多いという点が欠落してい
である。
る。
主権者である国民全体から選ばれた者が,身
首相公選論においても議会との関係が中心で
官僚との関係においては殆んど未開であった。
分が保障されたスペシャリストである官僚を統
特に,政党優位論と官僚制優位論は現在でもな
制することができる,スペシャリスト数百人を
お,古色蒼然とせず,杜撰な官僚による管理の
政治任用する必要があるので,首相公選制の導
結果の年金記録問題や,官僚のための多くの天
入が必要になるのである。すなわち,官僚の政
下り団体の存在等と連関し,問題意識を先鋭化
治任用のための首相公選制を導入するべきであ
させてくれる。今後さらにどう官僚を統制する
リーダーシップ発揮のための首相公選論
のかを具体的に追究したい。
〔投稿受理日 2010.9.25 /掲載決定日 2011.1.27〕
141
決と全会一致」清水睦編『文献選集日本国憲法
(10)』(三省堂)。
安念潤司ほか[2001]「首相公選論をめぐる論点」
『ジュリスト No.1205 号』(有斐閣)。
注
飯尾潤[2007]『日本の統治構造』(中公新書)。
⑴ 高橋和之は憲法運用の面では,首相が必ずしも
稲葉馨[1997]
「内閣・国家行政組織制度」
『公法研
優越的地位を生かしてきたのではなく,首相公選
制の提案もそのような文脈から生じたものである
とする[高橋 2006:160-161]
。
⑵ イスラエルは不文憲法の国家であり,11 の基
本法(Basic Law)が代わりの役割を果たしてい
る[ビンーナン 1996:172]
。
⑶ 1994 年の選挙制度改革とは,二大政党制の実
究 59 号』(日本公法学会)。
――[1999]
「行政組織の再編と設置法・所掌事務
および権限規定」
『ジュリスト 1161 号』
(有斐閣)。
――[2005]
「内閣と行政各部」芝池義一ほか編『行
政法の争点[第 3 版]』(有斐閣)。
今村都南雄[2006]
『官庁セクショナリズム』
(東京
大学出版会)。
現のための公職選挙法の改正による衆議院議員選
宇賀克也[2010]
『行政法概説Ⅲ[第 2 版]』
(有斐閣)。
挙における小選挙区比例代表並立制の導入を指
大江一平[2010]「ブルース・アッカーマン We the
し,1999 年の行政改革とは 1996 年から始まった
People の高次法形成とアメリカ合衆国憲法の変
行政改革会議による 1997 年 12 月 3 日の最終報告,
動」駒村圭吾ほか編『アメリカ憲法の群像 理論
それを受けての 1998 年の中央省庁等改革基本法,
家編』(尚学社)。
そしてこれに基づく 1999 年 7 月の中央省庁等改
大山礼子[1997]『国会学入門』(三省堂)。
革関連の 17 の法律のこと指す。
――[2007]
「国会改革の目的―内閣主導と国会の
⑷ 公務員の採用・昇進は,大きくメリット・シス
テム(資格任用制)とパトロネージ・システム(情
審議権―」土井真一編『憲法4 変容する統治シ
ステム』(岩波書店)。
実任用制)の 2 つにわかれる。メリット・システ
大石眞[2001]『議会法』(有斐閣アルマ)。
ムは,人事は任務遂行に必要とされる資格・専門
岡田信弘[2000]「内閣総理大臣の地位・権限・機能」
的能力に基づいて行われ,採用は筆記試験など客
『公法研究 62 号』(日本公法学会)。
観的な基準によって行われる。パトロネージ・シ
加藤秀治郎[2008]『政治学 第 3 版』(芦書房)。
ステムは選挙で勝利した政党や政治家によって指
菊井康郎[1987]
「わが国の内閣制の展開」
『公法研
名された人が採用される。そしてアメリカではこ
れをスポイルズ・システム(猟官制)と呼称して
いる。
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「棲み分け人事」とは再編後の省に
A.Ackerman,“The New
おける内局人事において,再編前の旧省庁別の内
Powers”113 Harv. L Rev ., 633(2000)」『法律
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