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見る/開く - ROSEリポジトリいばらき
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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「農」と「食」と「協同」と
石原, 健二
茨城大學政経學會雑誌, 82: 23-28
2013-03-11
http://hdl.handle.net/10109/3469
Rights
このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属
します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。
お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
「農」と「食」と「協同」と
石 原 健 二
1 .「農」と「協同」との出会い
・・人々
てしまったのかと思うようになりました。
が大都会で根無し草のような生活をしていること
1985年 4 月,河野直践さんが全国農協中央会
自体が人間をお金の奴隷でしか生きられないよう
(全中)に就職し,私と同じ部署で仕事をするこ
な存在に貶めているのではないか」といってい
ととなった。全中に来る前1年間,彼は農林中央
る。また,大学に入ってから公害への関心ととも
金庫の研究施設のひとつ,農村金融研究会に出入
に有機農業の運動や水車小屋活動に加わってい
りし,今村奈良臣,三輪昌男先生等と接し,調査
る。水車小屋の組合を見て「人類が環境問題に対
等に参加している。全中営農部での仕事は地域営
処するには経済成長からの脱却が必要ですが,
農組織作りや変転極まりない米の生産調整制度の
人々が事業の拡大や金儲けばかりに追い立てられ
国との対応,有機農業対策など多様なものであっ
て暮らしている現状をもっと自立的な経済に変え
た。その仕事ぶりは若さのみでは表現できないほ
ていくことが必要で,成長主義に振り回されない
ど精力的で,徹夜も 2,3 日一睡もしないという
で経済を自らの手でコントロールし,人々が手
超人的なものだった。営農部 2 年の後,出版部に
をつないで自立的な暮らしを創造していくこと
移り,『農業協同組合』誌の編集となった。彼は
が,この組合のような活動を通じて可能になる。」
版を B 4 から A 4 に換え活版からオフセットにし
(p. 169)と感じたという。
てビジュアルな雑誌にしている。もちろん内容の
私は協同組合経営研究所を含めると彼の農協時
一新を行い「農協」誌から食,農業へと大きく幅
代の 7,8 年を一緒に過ごし,茨城大学に移って
を広げ,執筆者も一変させている。91年,協同組
も分野は異なるものの,農業経済と協同組合に関
合経営研究所に出向するが,同時に東京大学大学
心を持つものとして意見を交換してきた。彼の残
院に籍を置き博士課程までを過ごしている。その
した『協同組合の時代』と『産消混合型協同組合
間修士論文を『協同組合の時代-近未来の選択』
論』は,明治時代からの協同組合論から見ても出
(日本経済評論社 1994年),博士論文を『産消
色の著作である。1989年の社会主義国の崩壊とと
(日
混合型協同組合-消費者と農業の新しい関係』
もに力を強める新自由主義へのアンチテーゼでも
本経済評論社 1998年)として上梓している。こ
あり,彼の描いた実行可能なユートピアでもあ
の2つの著作は同時に彼のその後の行き方の基礎
る。彼は自らの思想を構築,その実現に自ら献身
となっている。食と農,環境と協同組合への献身
するという,私がそれまでに出合ったことのない
が彼の生涯と思われる。
人格だった。しかし,彼の願いをよそに社会の状
彼はその出会いを『食・農・環境の経済学』
況は決して彼が予想したようには動かなかった。
(p. 167)の中でこう語っている。それは1977年
大学で書かれた『食・農・協同の経済学』(七つ
から始まった港区東禅寺下の地下変電所建設反対
森書店 2005年)『人間復権の食・農・協同』(創
運動で,会長をしていた彼の父とともに敗北を味
森社 2009年)では彼の苛立ちすら感じられる。
わっている。その中で,「わずかなお金をもらっ
2011年 3 月11日の東日本大震災と東京電力の福
て運動から脱落していく一部の仲間を見ていると
島原発事故は,まさに彼の杞憂が現実となったこ
私はどうして人間がそんなに情けないものになっ
とであった。直後,水戸を離れたりしたことを考
24
茨城大学政経学会雑誌 第82号
えると,その痛みは計り知れないものだったと思
は農業政策から徐々に遠ざけられ,その上90年以
う。
後は農地法の改正が行われ,企業の農業参入が進
以下では協同組合論の構築の過程を振返るとと
められる。生協も高度成長下で公害問題とともに
もに,その後の彼の思いをあとの 2 冊の単著の中
協同購入運動が伸びたが,市民生協が専業主婦の
に見ていきたい。
減少や雇用形態の変化,総合商社系列によるスー
パー,コンビニの展開によって流通体系が大きく
2.構築された協同組合論
変わり,ついに輸入農産物,海外加工にも手を伸
ばし,特性を失いつつある。他方,労働者生産協
⑴ 『協同組合の時代―近未来の選択』
協同組合論を構築するにあったって,協同組合
同組合などが現れ協同組合への可能性を示してい
る。
運動の現状をどう捉えたのであろうか。考察は,
彼の協同組合への関心は,新自由主義が世界を
ともあれ自ら経験した92年の ICA 東京大会から
席巻し,企業の利益追求が至上とされたときから
はじめている。このころすでに先進国であるヨー
始まっている。協同組合運動の分野では経営戦略
ロッパ,アメリカ,カナダなど運動の中心であっ
での分化が現れ,一方では経済効率性の追求が,
た生活協同組合が相次いで経営不振に陥り,株式
他方では伝統的な協同組合原理の復活が見られ
会社化を目指し,社会主義国の崩壊とともに協同
る。社会が企業など法人組織の私企業と国・地方
農場と協同組合が不透明となってきたこと。発展
自治体など公企業に二分される中で,協同組合を
途上国にあっては行政施策の一環として体制内に
第 3 のセクターとして位置づける動きも出てく
組み入れられていることを見ている。レイドロー
る。彼の協同組合論は現在のセクター論を否定す
の「正気の島」への回帰の警告にもかかわらず,
るものの,法人と公企業とも異なる公益法人の中
彼も出席した1995年のロンドンでの ICA 100周年
の協同組合の存在を再認識しようというものであ
記念の大会では,「協同組合原則」に変わり「協
る。株式会社の一株一票によらず,一人一票と非
同組合とは何かについて」の声明となり,「協同
営利かつ組合員による事業運営と利用という組合
組合間協同」と「地域社会への配慮」を付け加え
員参加と民主的運営のもとで,第 3 のセクターと
ることとしたものの,剰余金の処分については,
しての協同組合を打ち出している。
自己資本として使えるようにしている(資本の蓄
これまでの協同組合研究を再検討し,最近の経
積)。この剰余金の処分はまさに株式会社に等し
済学者の著作から経済体制をどのように見ている
い組織であることを示している。EU域内での協
か,近未来をどのように予測しているかを概観し
同組合の後退は,ひとつには1968年から本格導入
ている。宇沢弘文の社会的共通資本と混合経済,
された付加価値税が連合会組織の協同組合を直撃
宮崎義一の国家機能の限界説,ポランニーの世界
し,その流通組織を駆逐する結果となっている
観,ドイッチャーの非市場経済への照射と経済学
が,なんといっても,1989年の社会主義国の崩壊
方法論の再考を述べ,エコロジー経済学,経営学
と同時に起こったグローバリゼーション,規制緩
の分野での企業形態を検討。株式会社の制度化と
和が大きな要因となっている。世界の協同組合が
その矛盾を問うている。その上で「法人資本主義
方向を失いかけている中で日本の協同組合も大き
論」の奥村宏の言う「人間の顔した企業」論に賛
な試練にある。農協は農業基本法とともに始まる
意を示している。これからの協同組合は原理・原
農産物の自由化によって,80年代は牛肉・オレン
則に立ち返り,協同組合に積極的な機能を認めよ
ジの自由化,93年には米の自由化も行われる。農
うとしている。その事例として,第 3 章で福島県
業政策は92年の新農政,96年の食糧法,99年の「食
会津の熱塩加納村農協,遊子漁協,丸昭釜戸鉱業
料・農業・農村基本法」で大きく転換した。農協
協同組合を検討し,協同組合組織の可能性を示唆
石原:「農」と「食」と「協同」と
25 している。その上で第 4 章では彼のいう協同組合
まず,取り上げているのは,産消・産直の事例
論の本質の検討を行っている。本質論を論ずるに
「グリー
として生協熊本の「いのちと土を守る会」
あたって,「倫理的価値」をあげているが,それ
ンコープ熊本共生社」「阿蘇グリーンストック運
は「非市業的要素を含むより広範な人間的欲求を
動」を取り上げ,生産者と消費者との単純な提携
踏まえての価値」として取り上げ,これを実現す
のみでは収まらないこと,産消複合型にならざる
る組織形態として協同組合が最適との結論を出し
を得ないことを確認している。都市と農村交流で
ている。そして,いよいよ協同組合社会の展望を
は群馬県川場村と世田谷区の農協を加えた活動,
示すこととなる。それは協同組合を中心とする経
自治体の事例として長野県四賀村の滞在型市民農
済体制の可能性を持つモンドラゴンを見ながら,
園,高知県梼原村の千枚田オーナー,長野県のい
シナリオとしては福祉,子育て,営農などさまざ
いやまみゆき農協と名古屋市農協,群馬県片品村
まな領域に渡るインフォーマルな活動を展開する
と埼玉県の入間東部農協などの姉妹農協提携を紹
ことで,小規模な自治システムを構築し,地域に
介している。しかし,農村交流を含む農協の活動
おいて重層的に運営するコミュニテイーとなる。
は農協事業を出ることが容易ではなく,その継続
大規模な地域組織となった場合は,行政機関との
が危ぶまれその必要性を強調している。ついで「愛
協力関係を高めながら協同組合発展のシナリオを
媛有機農産生協」「大地グループ」の協同組合的
描き,「公共コンプレックス論」をひとつの戦略
会社と山武郡市農協との関係を取り上げ,同人的
としている。
会社としての「みどりの風協同組合グループ」,
このような型で協同組合社会の可能性をより明
自ら参加していた株式会社の「水車むら紅茶」,
確にするために「労働」の近未来をワークシェア
労働者協同組合を島根県の農作業受託集団,福岡
リングに置き,そこで協同組合が潜在的な優位性
県の菜園作りと老人給食等を上げ,その可能性を
を持つことになる。また,矮小化されつつある
探っている。このような現状を俯瞰した後,前著
「地域」の意味も,エコロジー経済学の論者がい
に続いて再度協同組合論の検討をしている。
う多面的な視点からこれを取り入れ,協同組合を
戦後の改革で協同組合は機能別に分化して運
分権的国家における公益的な活動の担い手として
営されて来たが,これでは現在求められている
位置づけている。 協同組合本来の活動は確保できないというので
ある。そこで戦後を 3 期に分け協同組合を巡る議
⑵ 『産消混合型協同組合-消費者と農業の新
しい関係』
論を検討している。第1期は職能別組合が成立す
るまで。戦時中産業組合から農会を経て個別の協
彼の協同組合論の特徴は,戦前・戦後の文献研
同組合になる過程で,国民協同党の提案で一般協
究もさることながら,論理の構築にあたって足で
同組合法の議論がされたこと,また,生協発足の
歩き,目で見,話し合った結果が盛り込まれてい
際にも本位田祥男の提案があったことを述べてい
ることである。産消混合型協同組合論は彼の食・
る。第 2 期は高度経済成長期で農村の都市化と混
農を通じた「人間の復権」にあるが,それは「生
住化により地域協同組合,都市農協問題が論議さ
産者と消費者の分業構造を相対化し,生活様式総
れている。ここでも一般協同組合論が論ぜられる
体を徐々に農的なものにしていく回路を内的に有
が,地域協同組合論を巡って佐伯尚美と鈴木博の
する組織」(p. 14)を提案することであった。し
論争があるものの,全中の総合審議会では棚上げ
たがって一般法人による農業の参入についてはこ
され議論が進まなかったことを紹介している。80
れを排除している。その上で産直や農村交流活動
年代をにらんでレイドローが地域協同組合化を打
の中からあるべき産消混合型協同組合組織を求め
ち出したが,学会での議論はあったものの,その
ている。
ままとなった。第 3 期は90年代を迎え新農政が展
26
茨城大学政経学会雑誌 第82号
開し,農政の中心が認定農業者と法人に収斂さ
体自給自足であるという側面があり,生活の一部
れ,エージェントとしての農協は経済事業体とし
として農業を見るならば,農業専業でなくとも良
て展開することを迫られる。新自由主義の論理が
い,都市を住む人を含め「みんなで兼業になろ
奔流となり協同組合そのものが否定されることに
う」と呼びかけている。食と農を起点に「産業社
なる。『産消混合型協同組合』の位置づけは,『協
(p. 59)
会のめがねをはずして未来を展望しよう」
同組合の時代』のあるべき協同組合の析出に加え
という。晩年の半日農業論に近い主張がされてい
て,協同組合を巡る情勢のなかでレイドローのい
る。
う「思想の危機」と現実の「経営の危機」がもた
この本のテーマはしかし,食・農・環境を真正
らしたものとなっている。先進国における新たな
面から取り上げ,原発と向き合い,地域農業の再
協同組織の発生とともに協同組合をこの段階で,
生の道を探ることにあった。第 2 章の「脅かされ
「非市場的な側面を含めたより広範な人間の経済
る食・農・環境」では,茨城大学に着任早々に起
的欲求を実現するための組織」として純化し,
こった「JCO 臨界事故」で,直ぐ事故について
「株式会社と比べて多様な目的で活用されうる組
の住民アンケートを大学の一員として行ってい
織という程度に広く理解しておく」としている。
る。そこで JCO 事故と地域農業問題に取り組ん
その上で国にも営利企業によっても満たされぬ第
でいる。被爆による死者を 2 名も出した事故にも
3 の分野としての協同組合を確認すべき,として
かかわらず,会社への責任の追及があいまいで,
いる。したがって,『産消混合型協同組合』は国
何よりも農産物が売れなくなった現実に衝撃を受
との協力関係をも入れた,準公共性を帯びた活動
けている。保証された金額はわずかなもので,そ
も可能な組織なのである。利潤原則に拠らず自然
の後の農産物販売への影響は大きく,地域農業の
人の民主的運営を基本とする協同組合への意識的
衰退に追い討ちをかけている。悪循環の構図とし
な転換を,消費者と生産者が一体となって遂行し
て原発自治体のもとでの農業の現実を明らかにし
ていく組織である。その組織は経験したことのな
ている。統計資料により農業生産額,生産農業所
い課題の挑戦を市民に課するものでもある。こう
得の減少を数字的に明らかにし,衰退の原因を農
した形態を持った協同組合こそが農協を資本の草
業労働力,経営耕地面積の減少にあるといってい
刈場から救うことになるというのである。
る。このような農業への影響があるにもかかわら
ず,農業経済学者など研究者が,まともに追及し
3 .現実の推移の中で
ないことに疑問を呈している。個別には六ヶ所村
協同組合論の構築のあと茨城大学に移り,現実
を見,60年代の新産業都市建設による「むつ小川
の農業・協同組合の活動を見ながら幅広い発言を
原開発」から核燃の基地建設となるが,この間の
行っているが,先に紹介した二著によってその後
農業と漁業の衰退の激しさを明らかにしている。
の軌跡を見ていこう。
環境破壊については原発のみならず,都市部での
ダイオキシン問題,所沢市の事例も考察の対象と
⑴ 『食・農・環境の経済学』
この本の最初は‘元気印の「食」と「農」’で
している。その上で農業政策と環境政策を「車の
両輪」にすべきことを提言している。
彼の描いていた産直の事例を茨城県下の農協を訪
原発問題についてはこれを跳ね返した農業者を
れ生き生きと描いている。食糧自給率は下がって
紹介,高知県窪川町や新潟県巻町などの住民投票
いるものの,地域では市場原理や効率性でのみ農
条例の制定と反対運動を,とくに串間町では保守
業を捉えていず,都市住民の農業参入も目に見え
的な農協が中心になっていることを紹介してい
る交流となって現出している。農業には食糧を生
る。また,都市住民との連帯を図って反対運動を
産する産業としての側面と農家にとってはそれ自
行っている例として山口県上関町,三重県芦浜町
石原:「農」と「食」と「協同」と
27 の事例も紹介している。特に芦浜では「SAVE 芦
(p. 75)と自らに言い聞か
者に求められている。」
浜基金」が用意され運動を支援したこと。農協・
せている。
漁協の資金がグローバル資金としてのみ使われ,
「産消混合型」協同組合作りは博士論文のテー
組合員の地域活動に還元されていないことにも言
マであった。現状は彼の主張とは異なり生産者と
及している。再生プログラムの 3 章では,高校時
消費者が分断されている。一般協同組合法の評価
代父親が反対運動の中心となって闘った,東京都
も上がり学会等では議論は活発になってはいる。
港区東禅寺周辺の地下変電所建設問題を振り返っ
実際,生産者と消費者が協同して法人設立を行う
ている。東海村原発といい,地下変電所建設とい
事例,農協のファマーズマーケットの盛況,生協
い,原発関連企業と東電の大企業としての振る舞
の「農業参入」なども盛んになっている。90年代
いは,東日本大震災,福島原発事故でまた,われ
以後の農政の変化の中で農業の生産性の向上と経
われが目の当たりにしていることと同じである。
営規模の拡大が前面に出され,くわえて「市場重
「公益企業」を口にしつつ1株1票の原則で反対
視の農政」となった。財界による農地法改正要求
「自然人の叫び」
意見を封ずる株式会社の対応に,
と株式会社の農業参入規制の緩和が行われ,2009
が届く組織である協同組合に大きな期待を持つよ
年には農地法が大幅な改正となって,企業の農業
うになったことが告白されている。その上ですで
参入は急増している。株式会社による農業参入反
に「脱原子力」の時代であることを明らかにして
対は彼が農業に関心を持ったときからの姿勢で,
いる。「食・農・環境」の再生は,これまで行わ
80年代のレイドローの食糧問題への取り組みを再
れてきた刈羽,伊方,川内,泊に見る各原発反対
び呼び戻している。株式会社の農業参入に対し,
運動の中に将来を見出そうとしている。
農協は態度をあいまいにし,生協は賛意を示す提
言まで行っている。漁業では同時期,企業による
⑵ 『人間復権の食・農・協同』
単著の最後となったこの著作は,まさに彼の生
涯の集大成となっている。
漁業権の付与が可能とされている。財界等が第1
次産業と協同組合の分断・解体を企図している中
で,農業の将来像を描くと「産消混合型協同組合」
まず,最初に「半日農業論」を取り上げている。
のみが再生の力と成りうること,あらゆる組織体
農=なりわい論を掲げる秋田県立大学谷口吉光,
の中で協同組合セクターの奮起を願っている。こ
亡くなった守田志郎の「農業は農業である」に論
のままでは農協の解体に向かうことを明言し,農
をおき,70年代から80年代,90年代を俯瞰し,稲
協が存続していくには自らの組織の存在意義や社
田献一の総兼業論を紹介している。自らの体験を
会的使命を国民に前向きに提示することが不可欠
下に穀物を避け,菜園に特化した例に,成功を見
といっている。経済成長が止まり,豊かさが失わ
出している。しかし,この運動が高度成長期以前
れる時は「異質者間協同」の時代が求められるこ
「拡大型の経済」
の生活空間に戻ることではなく,
とを予測している。(p. 108)
から「循環型の社会」へ転換することに継続性を
その協同組合運動はどのような段階にあるのだ
見ている。さらに今後心配される雇用問題の解決
ろうか。「協同組合運動のこれまで,これから」
策のひとつとして「半日農業社会」の必然性を述
を 3 章で明らかにしている。ドラッカーがいう非
べている。しかし,その進捗には課題も多く,第
営利組織,その使命をどこに置くか。その答えを
1に新たな社会経済システムを描けなくてはなら
レイドローに再び求め,環境保全や経済倫理,働
ないこと。第 2 に,法制度の変革を行う必要があ
き甲斐や生きがいなどに見出している。そこで繰
る。そして何よりも現在の閉塞感を打ち破らねば
り返し,1人1票の協同組合を「参加型経済組
ならず,それには「現状に臆することなくあるべ
織」として再認識すべきという。私的・公的セク
き方向を指し示し,未来を大胆に語ることが研究
ターに加えて第 3 の非営利・協同セクターとして
28
茨城大学政経学会雑誌 第82号
協同組合は展開すべきとしている。
現実は95年の ICA 大会では,「協同組合原則」
たちは取り組む必要がある。」(p. 228)と結んで
いる。
ではなく「協同組合とは何か」の確認に終わり,
原則も生かしきっていない。参加することの意義
結果的に彼の一生は東禅寺から始まる東電との
が理解されず組織のマンネリ化が浸透しきってい
闘争,食と農と環境を通じ,最後は 3 . 11の東日
る。これを打破するのには市民運動の視点が必要
本大震災にかかわる原発事故に終わったことにな
で,農協であれば地域性を生かし,重層的にメン
る。「『食』と『農』の博物館をたずねて」は彼に
バーを受け入れられる運動体にする必要がある。
とっては発見の多い活動であったのだろう。さか
企業とは異なる「よりましな経済体制」は実現で
んに「いいでしょう」を連発していたが,私には
きるはず,といっている。自ら身を投じた農協は
「ちょっと早すぎる」感じがしてならなかった。
目先の経済的利益を追い,実行にあたっていつも
『人間復権の食・農・協同組合』が,彼のテーマ
役所的な要綱・要領による推進をしていることに
とした問題のまとめであり,残された課題と考え
疑問を呈している。協同組合はあくまで「人間の
る。
顔をした経済組織」であるべきという考えは,営
農活動のみならず生活活動についても同様で,購
買事業が売り上げにのみ焦点を当てていることに
も見直しを求めている。同様に信用事業について
もグローバル化の中で農林中央金庫が赤字を出し
たことに触れ協同組合としての事業から乖離した
ことを指摘している。農協の地域への貢献は地産
地消を通じたものが親しみやすく,ここから出発
することが肝要という。
第 4 章は食・農・協同から見た「脱原発」の考
え方である。JCO 事故から10年を振り返り,責
任問題があいまいにされ,このままでは破局的事
態が心配されると,今回の東日本大震災を予告す
る書き方をし,「非原発」を訴えている。農林・
漁業と原子炉は並存できず,廃止すべきというの
が彼の信条だった。農業と原発のかかわりを原発
周辺の農協を調査し,明らかに農林水産業の衰退
を指摘している。そのうえで「脱原発」を主張し
ている。また,株式会社の有限責任という性格か
ら,危険性の高い事業は無限責任を負う覚悟なく
して営めないような縛りを法人制度の中に導入す
るとか,協同組合のように「人間の叫び」でチェッ
クをかける必要を説いている。「単に電力事業の
自由化を求めたり,自然エネルギーの活用を叫ぶ
のではなく原発のような危険な事業や巨大な株式
会社について強い規制を行い,人々が望んでいる
エネルギー施策を直接反映できる制度の創出に私
(元立教大学教授)
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