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ニュース 100 号を記念して “私たちのプロフィール ”

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ニュース 100 号を記念して “私たちのプロフィール ”
2014年4月
NEWS N o . 100
事務局:
T/F 0467-83‐ 3241 中 瀬
T/F 0467-85‐ 7182 宮 澤
日本
国 憲 法 第 二 章 戦 争 の放 棄 第2013年5月
九 条 日 本 国 民 は、正 義 と秩 序 を基 調 とする国 際 平 和 を誠 実
2013年5月
に希
求 し、国No.
権 の発
による威
嚇 又89
は武 力 の行 使 は、国 際 紛 争 を解 決 する手 段 とし
NEWS
NEWS
No.
89動 たる戦 争 と、武 力
ては、永
久 にこれを放
棄 する。前
的 を達 するため、陸
海空軍
その他 の戦 力 はこれを保 持 しな
事務局:T/F
事務局:T/F
0467-83‐3241
0467-83‐3241
中瀬項 の目
中瀬
T/F
T/F 0467-85‐7182 宮澤
い。国 の交
戦0467-85‐7182
権 は、これを認宮澤
めない。
ニュース 100 号を記念して
私たちの後にこそ、道はできる
中瀬 寛一
ヒ ト を 生 ん だ こ の 惑 星 は 、ヒ ト が ヒ ト を 傷 つ け る 殺 伐 と し た 荒 野 で 覆 わ れ て い る よ う に
みえます。
い ま 、す べ て の ヒ ト の 願 い を 突 き 詰 め て み る と 、結 局 は 戦 争 に あ ら わ さ れ る よ う な 、ヒ
トとヒトとの殺し合いはやめようよ、ということに尽きるでしょう。
その願いを実現するために、私たちは険しい荒野でどのように歩めばよいのでしょう
か 。今 ま で 人 々 が 歩 み 続 け て き た 道 は 、戦 争 を な く す こ と に 成 功 し て き た と は い え ま せ ん 。
し か し 、国 際 的 な 戦 争 違 法 化 の 潮 流 が 生 ま れ 、確 実 に す す み 始 め ま し た 。ま た 、科 学 ・
技 術 の 発 展 が 戦 争 を 生 み 、理 性 が 科 学・技 術 の 発 展 を 生 む と 考 え て も 、そ の 使 い 手 や 社 会
的な仕組みに眼を向けないとすれば、大きな課題を残すことも学んできました。
「 九 条 の 会・ち が さ き 」結 成 1 0 年 。皆 様 と 共 に 多 く の 問 題 に 直 面 し 、ご 一 緒 に 考 え て
き ま し た 。さ さ や か な が ら 、そ の 一 歩 毎 に 新 た な 道 が つ く ら れ た と 思 い ま す 。ま す ま す 厳
し い 時 代 を 迎 え ,大 小 数 々 の 選 択 に も 迫 ら れ ま す が 、そ の 一 つ ひ と つ に つ い て 憲 法 九 条 を
基本にしたいと考えます。
“私たちのプロフィール♪”
誕 生 日 : 2004 年 8 月 9 日
メンバー: 憲 法 九 条 を愛する人たち
その人 数: 1180人
(2014年 2月 1日 現 在 )
性 格 : おだやか しなやか
そして秘めた情 熱
趣 味 : ピース・ウォーク
好 きなうた: ①ねがい(広 島の中 学 生 の創 作 )
②我が窮 状 (沢 田 研 二 作 詞 &作 曲
目 標 : 輝け!憲 法 九 条 (九 条 を
地 球 の憲 法 に)
名 前 : 九 条の会 ・ちがさき
九条の会・ちがさきHP
http://www.geocities.jp/qjo_chigasaki/
http://www.geocities.jp/qjo_chigasaki/
http://www.geocities.jp/qjo_chigasaki/ http://www.geocities.jp/qjo_chig
asaki/
http://www.geocities.jp/qjo_chigasaki/
http://www.geocities.jp/qjo_chigasaki/
1
九条の会・ちがさき
あゆみ
(略年表)
会の発足当初のスタッフとして活動してこ
られた皆さんに思いをつづっていただきまし
た。
2004年
8/9(月 )
九 条 の会 ・ちがさき発 足
10/24(日 )
ビデオ「九 条 の会 発 足 記 念 講 演 会 」上 映 会
9/9(祝 )
ちらし(後 に「ニュース」と改 称 )第 1号 発 行
12/5(日 )
第 1回 ピースウォーク(以 後 例 年 実 施 )
2005年
1/1(土 )
「九 条 の会 ・ちがさき」ホームページ開 設
1月 10日
成 人 の日 「祝 成 人 」ちらし配 布 (以 後 例 年 実 施 )
4/24(日 )
講 演 会 「改 憲 策 動 の要 因 と動 向 」
講師 藤田温久弁護士
5/5(祝 )
第 1回 ピースピクニック 里 山 公 園 (以 後 例 年 実 施 )
5/22(日 )
講 演 会 「改 憲 を科 学 する」
講師 石埼学 亜細亜大助教授
8/31(水 )
ビデオ「映 画 日 本 国 憲 法 」上 映 会
9/30(金 )
ビデオ「映 画 日 本 国 憲 法 」上 映 会
11/3(祝 )
市 民 ふれあいまつり参 加 (以 後 例 年 実 施 )
11/5(土 )
ビデオ「カントク跡 地 問 題 講 演 」上 映 会
12/14(水 )
「輝 け!憲 法 九 条 ・ちがさきのつどい」
ピアノ
可児亜理
講演
伊藤真
2006年
2/24~26
小 和 田 公 民 館 まつり参 加 (以 後 例 年 実 施 )
4/7(金 )
ビデオ「9-NINE-憲 法 九 条 は訴 える」
4/22(土 )
ビデオ「黙 っていると百 年 先 も基 地 の街 」
4/29、5/3(祝 )
シール投 票 (以 後 例 年 実 施 )
5/5(祝 )
ピースピクニック 大 庭 城 址 公 園
6/24(土 )
北 東 地 域 ミーティング
7/1(土 )
ビデオ「映 画 日 本 国 憲 法 」上 映 会
9/2(土 )
「小 森 陽 一 &きたがわてつ inちがさき2006」
講演 小森陽一
一つの出会いから
宇佐美
清子
10年ほど前、ピースボートの船上で、
オハイオ大学名誉教授チャールズ M オーバ
ビー氏に出会った。強烈な太陽に焼かれ、
真っ青な海を眺めながら甲板の舳先にいた
時のことである。
「 日 本 国 憲 法 第 9 条 は 、世
界の宝です。世界中の国々が、この9条を
取 り 入 れ 、地 球 憲 法 に し た い 」と 語 る 彼 は 、
正にこの太陽の光のごとく熱かった。
後に、彼こそが「9条の会」の創設者で
あることを知ったのであるが、下船するこ
ろ、アメリカがイラクに戦争を仕掛け、反
対運動が起こり始めていた。自分も何かし
なければと、戦争反対を掲げて茅ケ崎駅頭
に立った。それが、ちがさき九条の会へと
発展していった。
当初は、ほんの数年やれば終わるだろう
と、気楽にスタッフを引き受けたのに、九
条を巡る情勢はますます厳しくなり、やめ
るにやめられない。
歌 きたがわてつ
この会 に城 山 三 郎 からメッセージ届 く※
2007年
1/21(日 )
映 画 「戦 争 をしない国 日 本 」上 映 会
5/18(金 )
映 画 「日 本 の青 空 」上 映 会
8/18(土 )
ビデオ「基 地 はいらない、どこにも」上 映 会
8/31(金 )
ビデオ「基 地 はいらない、どこにも」上 映 会
※ 十 七 歳 、水 中 特 攻 隊「 伏 龍 」隊 員 と し て 、
この眼下の海で果てた筈。そうした身にと
って、平和憲法こそ生き残るものの夢であ
り、守ることが、使命であると思います。
私は文筆に携わる身として、その線を守り
続け書き続けて行くつもりです。
城山 三郎
市民ふれあいまつりのテントに訪れた
城山三郎さん
城山三郎さんからのメッセージ
2
2008 年 講 演 会
「 多 喜 二 も 愛 し た 音 楽・私 た ち の 目 指 す 平 和 」
2008年
3/16(日 )
九 条 ミニ集 会
4/24(木 )
ピースウォーク(九 条 世 界 会 議 にむけて)
6/27(金 )
4・17違 憲 判 決 学 習 会
訴訟弁護団弁護士
中山弦
9/27(土 )
「城 山 三 郎 が娘 に語 った戦 争 」①講 師 井 上 紀 子
11/15(土 )
「多 喜 二 も愛 した音 楽 ・私 たちの目 指 す平 和 」
歌 ケイ・シュガー
講演 呉東正彦
2009年
「 九 条 の 会・ち が さ き 」
岡本
棟守
先 ず は 信 子 さ ま の ご 平 安 を 念 じ ま す 。昨 2
9 日 夕 は ご く ろ う さ ま で し た 。口 コ ミ で 多 く
の 連 帯 あ り 、良 か っ た で す ね 。さ て 折 か ら の
夕 景 に 釣 ら れ て ”夕 焼 け 小 焼 け … ”を 口 ず さ
み つ つ 、次 の 句 が 浮 か び ま し た 。 ♪ 戦 争 終
わって生れ出た 憲法我らの宝です お手
手繋いで護りましょう 憲法九条護りまし
ょう…次回から皆で大合唱できればうれし
いなと思っています━━これは、地元の先
輩・小 川 野 伏 さ ん か ら 、私 に 届 い た 手 紙 の 一
節 で す ( カ ミ サ ン が 肺 癌 で 入 院 中 で 、「 9 の
日 ス タ ン デ ィ ン グ 」を 始 め た 翌 日 の こ と で し
た )。
小 川 さ ん を 中 心 に 毎 回 合 唱 を し 、ス タ ン デ
ィ ン グ の 参 加 者 は 団 結 を 深 め ま し た 。そ れ か
ら 半 年 後 、著 名 人「 九 条 の 会 」が ア ピ ー ル を
発 表 さ れ 、ス タ ン デ ィ ン グ を し な が ら 皆 で 話
し合いました。
「私たちと同じだね」
「世間が
追 い 付 い て き た ね 」「 九 条 の 会 も 結 成 し ま す
か 」。 こ の よ う な 下 地 が あ り ま し た か ら 、 神
奈川でも一番最初に発足できたのでした。
4/18(土 )
「城 山 三 郎 が娘 に語 った戦 争 」②講 師 井 上 紀 子
6/6(土 )
「城 山 三 郎 が娘 に語 った戦 争 」③講 師 井 上 紀 子
9/13(日 )
「城 山 三 郎 が娘 に語 った戦 争 」④講 師 井 上 紀 子
11/28(土 )
DVD「アフガンに命 の水 を」上 映 会
「城 山 三 郎 が娘 に語 った戦 争 」⑤講 師 井 上 紀 子
11月
リーフレット「輝 け!憲 法 九 条 」作 成
2010年
4/24(土 )
「平 和 をつくるのは私 たち」
歌 ケイ・シュガー
講 演 アーサー・ビナード
6月 25日
DVD「どうするアンポ」上 映 会
8/29(日 )
DVD「どうするアンポ」上 映 会
10/11(祝 )
映 画 上 映 及 び藤 本 幸 久 監 督 の お話
①「One Shot One Kill]
②「またまた辺 野 古 になるまで」
2011年
2/12(土 )
DVD「どうするアンポ」上 映 会
4/16(土 )
「原 発 を考 える緊 急 集 会 」
講師 元技術者 岡本旦夫
9/24(土 )
「未 来 につなぐいのち・平 和 」
歌 李政美
噺 古今亭菊千代
2012年
5/20(日 )
DVD「憲 法 を観 る」上 映 会
9/26(水 )
DVD「憲 法 を観 る」上 映 会
2013年
地域集会
1月
新 規 賛 同 者 宛 挨 拶 状 お届 け開 始
3/23(土 )
講 演 会 「一 流 の憲 法 と三 流 の政 治 」
講 演 アーサー・ビナード
文 教 大 学 和 太 鼓 サークル演 奏
6/22(土 )
講 演 会 「改 憲 情 勢 をよむ」
講師 藤田温久 弁護士
7/11(木 )
DVD「伊 藤 真 ・憲 法 ってなぁに?」上 映 会
11/16(土 )
ピースウォーク さよなら原 発 ★ちがさき共 催
12/20(金 )
ニュース配 布 担 当 者 懇 談 会
3
“ War is Over”( 九 条 の 会 1 0 周 年 に 寄 せ て )
小林 英吾
10 年 前「 九 条 の 会・ち が さ き 」が 発 足 し た 当 時 、
「 War
is Over」 と 書 か れ た プ ラ カ ー ド を 度 々 見 掛 け た 。「 戦
争は終った」という意味だから変だ? イラク戦争の
初期で、自衛隊の海外派兵があったばかりなのに?
後になってベトナム戦争末期のジョン・レノンの歌
“ Happy Christmas (War is Over)” に 由 来 す る と 気
付 い た 。 歌 詞 の 中 に “ War is Over, if you want it”
( 大 方 の 訳 詩 は“ 戦 争 は 終 わ る 、も し 君 が 望 む な ら ”)
とある。真実は現在形で表わすということで納得、何
らかのアクションを促がすフレーズ、背中を押してく
れると感じた。まさしく「九条の会・ちがさき」の諸
活動はそれに応えており、久しく憲法九条・平和を前
面に出したものであった。しかし福島第一原発事故以
来 、脱 原 発 の 訴 え が「 さ よ な ら 原 発・ち が さ き 」や「 9
の日スタンディング」などで若い世代の参加が増え、
表現も多彩になってきた。戦争にしろ原発事故にしろ
その国や地域の民衆の生活と幸福、さらには命を奪う
ものである以上、九条を根幹とする平和憲法の理念に
反するのだから当然の成り行きである。まして秘密保
護 法 に 至 っ て は 、こ れ ら の 活 動 を 抑 圧 し 、
「国の有り様」
を左右するものとして九条の会が撤廃を求める段階だ
と思っている。現状が「選挙の結果だから…」である
な ら ば「 選 挙 で 取 り 戻 す 」し か な い 。
「未来を選ぶ選挙」
として結束して何ができるかが今後の課題ではないだ
ろ う か ? “ if you want it” で あ る 。
第3の改憲の動きを阻止しよう
毎年行われるピースウォーク
2013 年 は さ よ な ら 原 発・ち が さ き
と共催
小宮山
直士
戦後、改憲の動きは3度ある。最初は、60年安保の前である。是を安保闘
争で阻止した。
第 2 期 の 改 憲 の 動 き は 、2 1 世 紀 初 頭 か ら で あ る 。こ の 時 期‘ 0 4 年 の 6 月 、
9人による九条を守るアピールがだされ、全国に九条の会が結成され、改憲の
動 き が 阻 止 し て き た 。茅 ヶ 崎 で も 、何 人 か の 人 が 個 人 的 に 集 ま り 、 八 月 頃 、「 九
条 の 会 ・ ち が さ き 」 が 結 成 さ れ た 。 あ れ か ら 1 0 年 に な る 。 一 番 の 思 い 出 は 、’
06年の夏の暑い日、スタッフを代表して、中瀬さんと市内の著名人を自転車
でまわった。寺尾聡、城山三郎、徳光和夫氏の自宅を訪問した。城山三郎宅で
は、娘さんの井上紀子さんが応対してくれた。その後、城山氏直筆の講演会 に
対 す る メ ッ セ ー ジ が 贈 ら れ て き た 。そ の 発 展 で 、「 城 山 三 郎 湘 南 の 会 」が 結 成 さ
れ、活動をしている。
第三の改憲の動きは、現在である。安倍政権は、集団的自衛権、秘密保護法
などのアドバルーンを掲げ、改憲を行おうとしている。昨年から、秘密保護法
反対の闘いが全国に広まり、法案成立後も運動は止まない。この力で、改憲を
阻止していこう
4
次 の 100 号 に む け て
2013 年
鈴木
佑治
憲法学習会
市民ふれあいまつり
特定秘密保護法に思う
「 安 倍 の 暴 走 」が 続 い て い て お り ま す 。九 条
の会も大いなる正念場を迎えているというこ
と で し ょ う 。1 0 年 前 、こ の 九 条 の 会 を 立 ち 上
げ る と き に は 、ま さ か こ れ ほ ど の 長 期 戦 に な る
とは考えませんでしたが。
と こ ろ が ど っ こ い 、改 憲 勢 力 も こ の 1 0 年 間
に 悪 知 恵 を 練 り 、 な ん と か 「 戦 争 す る 国 」「 兵
器 で も う け る 国 」を 実 現 し よ う と 、し ぶ と く 策
動してきたわけでした。
私 た ち の「 九 条 の 会 ニ ュ ー ス 」も 次 の 1 0 0
号 に 向 け て 。負 け ず に 前 進 を 続 け て ほ し い と 願
っ て お り ま す 。そ の た め に は 、何 が 必 要 か 。こ
れ ま で 以 上 に 、新 た な る 知 恵 と 工 夫 が 求 め ら れ
ているのではないでしょうか。
ひ と つ の 課 題 と し て 、紙 面 の 充 実 = ペ ー ジ の
増量が望まれるのではないかと愚考いたしま
す。
「 チ ラ シ か ら ニ ュ ー ス へ 」。ニ ュ ー ス こ そ は
会 の 血 脈 で あ り 、市 民 へ の 広 い 呼 び か け を 可 能
に す る も の で あ り ま す 。改 憲 勢 力 が ど ん な に 牙
を む い て 襲 い か か ろ う と 、彼 ら の 基 盤 は 脆 弱 で
す 。九 条 の 会 活 動 と 国 民 世 論 こ そ が 、日 本 の 民
主主義の大道につながっているものです、
九 条 の 会 の 日 々 の 活 動 と 、頑 張 っ て お ら れ る
スタッフ各位に改めて信頼と期待を表明させ
ていただきます。
田中
啓子
何 10 年 か 前 、平 和 映 画 祭 の 上 映 前 に 山 本 薩 夫 監 督 の メ ッ セ ー ジ が 市 民 文
化 会 館 の ホ ー ル に 流 れ ま し た 。「 ぼ く の 家 の 近 く に 戦 争 に 反 対 し た 共 産 党 員
がいて特高警察につかまって殺されました。ぼくはそのことを知らなかっ
た 。知 ら さ れ な か っ た で す 。り っ ぱ な 絵 を 描 く 若 い 絵 描 き で し た 。ど ん な に
絵が描きたかったでしょう。ですから、ぼくは反戦の映画を撮り続けます」
ま た 最 近 テ レ ビ で 俳 人 の 94 才 に な る 金 子 兜 太 さ ん が 福 島 の 高 校 を 訪 れ 同
人誌をつうじて知り合った国語の先生と再会する場面をみました。
春の牛 空気を食べて 被曝した
生 徒 た ち に こ の 句 を 黒 板 に 書 い て 見 せ た ら 、ワ ァ ー と 笑 っ て か ら シ ィ ー ン
となってしまった。自分たちも一緒に被曝したんだと思ったことでしょう。
もう一句は
ひとりひとり フクシマを負い 卒業す
ヒロシマ・ナガサキと同じように福島がカタカナになってしまった。
特 別 秘 密 法 が ろ く に 審 議 し な い ま ま と お っ て し ま い ま し た が 、人 間 ら し い
生 活 が 出 来 な く な る 法 は 廃 棄 に し な け れ ば と 思 い 、私 の 出 来 る こ と は 努 力 し
行動したいと思います。
5
茅ヶ崎の地で平和の砦として
野溝
武彦
私たちは、新しい平和の砦として茅ヶ崎の地で、その
一部を担うために “九条の会・ちがさき” を結成した
のであった。私もその中の一人として頑張ってきたもの
の、今の政治の動きは「戦争のできる国」への見取り図
すら出来上がったように見える。国のかたちが変わるよ
うな危険な感じがする。今、私たちの運動はなんだった
のかという負の意識が強いのです。
2013 年 7 月 衆 院 選 に 続 い て の 参 院 選 で は 自 民 党 の 圧
勝でした。今までの国政は終わり戦争のできる反動政治
が始まり、その流れはもっと加速して流れると思う。で
も私はこの流れに抗い続けたいと思う。それは、このよ
うな事態を招いたのは私たちであるという意識があるか
らです。私たちは、もう一度“平和のかたち”を守るた
めに一人ひとりの個が強くなり、大きく言えば日本を暴
走させないために、大きな輪をつくる必要があります。
そのために私は茅ヶ崎の地で頑張りたいと思っていま
す。
憲法は権力をしばるもの
林
多恵子
小和田公民館まつり
展示参加
横断幕も新しく
2014ピースウォーク
2003 年 の 秋 に 茅 ヶ 崎 に 転 居 し て き て ま も な く 、
9 の日スタンディングを知った。市民が意思表示で
きる場があることに感謝して何回か参加し、その縁
で九条の会・ちがさきの創立にも関わった。憲法九
条が危ない!何かしなければ!という思いだった。
当 初 は 、私 た ち が 頑 張 れ ば 何 と か な る 気 が し て い て 、
いつか「良かったね~」と会を解散できる日が来る
なぞと甘い考えを持っていた。
ところが、この国のトップはそれからも何人も変
わり、その度に平和が危うくなっている気がしてな
ら な い 。で も 、あ き ら め な い 、希 望 は 失 い た く な い 。
印象に残っていることがある。ずいぶん前、小森
陽一さんが講演の中で「憲法は法律の親玉で、私た
ち国民が守るべきだと思う人」と聴衆に挙手を求め
た。憲法に関心があって集まった人々のうち、確か
半分近くの人が手を挙げた。でも今や「憲法は権力
をしばるもの」という原則は、かなり定着してきた
と 思 う 。 私 た ち の 自 由 と 権 利 は 、 憲 法 第 12 条 に あ
るように、「国民の不断の努力によって保持しなけ
ればならない」ことを肝に銘じ、これからも活動し
ていきたい。
6
九条の会・ちがさき10周年に思う
古田
久栄
2003 年 12 月 29 日 、9 の 日 ス タ ン デ ィ ン グ の 最 初 の 呼 び か け に 参 加 し
ました。
6 月 10 日 井 上 ひ さ し 、大 江 健 三 郎 、澤 地 久 枝 等 9 人 が「 九 条 の 会 」を 作
りアピールを発表、茅ヶ崎では 8 月 9 日「九条の会・ちがさき」が発会し
ました。
2005 年 の 藤 田 温 久 弁 護 士 に よ る 「 改 憲 策 動 の 要 因 の 動 向 」、 小 森 陽 一 九
条 の 会 事 務 局 長 、き た が わ て つ の 集 い 、ケ イ・シ ュ ガ ー さ ん の ピ ア ノ 弾 き 語
りは印象深いものでした。
2006 年 7 月 の 地 域 ミ ニ 集 会 参 加 者 に 、 特 攻 隊 員 で あ っ た 2 人 の 発 言 。
年 金 受 給 者 の 地 方 税 は 3 倍 位 に( 2006 年 度 )な る 。私 は 軍 国 少 年 と し て 育
て ら れ た 、 主 権 在 君 や 教 育 勅 語 を 信 じ て い ま し た 。 の 発 言 な ど 、 10 年 間 貴
重な活動をしてきたと思っています。
安 倍 内 閣 に な っ て 、再 び 憲 法 を 変 え る 動 き が 強 く な り 、解 釈 改 憲 で 集 団 的
自 衛 権 の 行 使 を 認 め よ う と し て い ま す 。消 費 税 の ル ー ツ は 古 代 ロ ー マ 帝 国 の
時 代 、 防 衛 費 用 の 補 足 が 目 的 で 創 設 さ れ た と 言 わ れ て い ま す 。「 消 費 税 、 憲
法 を 変 え れ ば 戦 争 税 」の 川 柳 の よ う に な ら な い た め に 、憲 法 を 生 か し 、改 憲
されないように、小さな力の1人になり続けたいと思います。
毎年、新成人に平和のメッセージを
手渡します
お
し
ら
せ
4 月 21 日 ( 月 ) 講 演 高 橋 哲 也 氏
18:00~ 開 港 記 念 会 館 横 浜 弁 護 士 会 主 催
4 月 26 日 ( 土 ) 9 周 年 記 念 講 演
「美しい『アベリカ』へようこそ」アーサー・ビナード 氏
13:3 0~ 藤 沢 市 民 会 館 小 ホ ー ル ふ じ さ わ ・ 九 条 の 会 主 催
4 月29 日(祭)シール投票 「憲法 変える?変えない?」
茅ヶ崎駅北口ペディデッキ
5月 3日(土) 県民のつどい 講演 常岡(乗本)せつ子氏
13:00~ 神 奈 川 公 会 堂
憲法改悪阻止神奈川県連絡会議主催
7
平和都市宣言
茅 ヶ 崎 市 は 、正 義 と 秩 序 を 基 調 と す る 世 界 平 和 を 希 求 し て い る 日 本 国 憲 法
の精神にもとづいて、 世界連邦の建設に同意し、世界の永久平和の確立
と人類の福祉増進のために、全世界の人々と相結んで、 この崇高な目的
の達成に努力する平和都市であることを宣言する。
1962 年 12 月 19 日
茅ヶ崎市議会
核兵器廃絶平和都市宣言
茅 ヶ 崎 市 は 、1962 年 12 月 19 日 世 界 人 類 共 通 の 願 い で あ る 真 の 恒 久 平
和を希求し、その実現に努めるため、平和都市宣言を行った。
し か る に 地 球 上 で は 今 な お 核 兵 器 の 増 強 は と ど ま る こ と な く 、全 人 類 の
生存に深刻な脅威をあたえている。
よって、再び全市民の名において次の宣言をする。
日本国憲法の精神に基づき国是である非核三原則を遵守する国ととも
に 、地 球 上 の す べ て の 自 然 を 破 壊 し 、全 人 類 を 滅 亡 さ せ る に た る あ ら ゆ る
国 の 核 兵 器 の 使 用 を 全 面 禁 止 す る 国 際 世 論 を 喚 起 す る た め 、茅 ヶ 崎 市 は こ
こに核兵器廃絶平和都市であることを宣言する。
1985 年 12 月 24 日
茅ヶ崎市
8
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