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建築家 元田稔と教会建築
Title Author(s) Citation Issue Date 昭和30年代コンクリート造教会建築の設計手法 : 建築家 元田稔と教会建築 川島, 洋一 基督教学 = Studium Christianitatis, 35: 29-32 2000-07-07 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/46623 Right Type article Additional Information File Information 35_29-32.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 研究発表要旨 昭和30年代コンクリート造 教会建築の設計手法 建築家元田稔 と教会建築 川 島 洋 一 略︶﹂と比較しその設計手法と特徴について述べる。 ヨ 教団現高井戸教会伝道活動と教会建築 1・1 伝道活動 明治中期東京府豊島区角筈でのミス・バラによって開 始された伝道は、その後講義所献堂によって定着し、明 治30年には日本基督教会︵以下日基略︶中会に加入し明 治32年に認可された。初期講義所は消失したが再建され 同37年には﹁レバノン教会﹂更に角筈教会と名称を変え ︵大正7︶、また昭和16年の宗教団体法によって教団に所 属し戦後を向かえた。その後日基に復帰せず教団に留ま り、昭和35年高井戸教会となった。建築家元田稔が関与 はじめに 本研究は大正から昭和62年まで建築活動を展開した したのは高井戸教会では4棟臣の会堂で、鉄筋コンクリー ユ キリスト教信者で建築家であった﹁故元田稔﹂が関与し [講義所と初期会堂]初期講義所は木造平家︵明治24︶ ト造を採用しての設計である︵昭和36︶。 本稿では明治中期から伝道が開始された現日本基督教 であったが同33年に消失、2年後敷地3百坪で木造平家 た50数棟という多くの教会建築の設計動経過に注目し、 団︵以下教団略︶高井戸教会会堂の変遷を明らかにし、 切妻屋根の講義所を復興し、レバノン教会と改名し初期 1・2 教会建築の変遷︵写真1︶ 元田が昭和30年代に設計した現会堂の形態について考察 会堂として昭和20年の東京大空襲焼失まで使用した。 その設計手法と人物像について考察する事が目的である。 し、同時に既報﹁聖公会仙台基督教会︵以下仙台教会 ハ 一29一 1 形断面で礼拝室は単廊式対面形式。同26年には玄関棟改 前面に木造玄関棟を付設した会堂であった。内部は半円 物が割り鑑てられ、軽量鉄骨造外壁金属板の半筒状建物 堂し︵同21年︶、翌年米軍宿舎であったコンセット型建 [仮会堂と前会堂]戦後牧師館兼用木造平家仮会堂を献 景では軍艦の様な形態である。 が煙突やマスト、側面窓配列が船舶の表情に類似し、遠 元田の設計では例のない手法である。この長い側面は塔 ザイされている。又−階には垂直ルーバーが使用され、 立塔と妻壁上部にバラ窓を置き、桁方向柱は控壁的にデ あった。更に外観は切妻屋根妻側を正面とし、陸屋根独 2・2 高井戸教会と仙台教会での設計手法︵図 修により木造2階建切妻屋根を増築した。 [現会堂︵図1︶]会堂の復興は米軍の協力に始まるが 建築へと進み、土地売却で建設資金を得て移転先を高井 閣的意匠だったが、実施では直線状の切妻屋根︵昭和30 [正面形態]既報の仙台教会では切妻反り歴根で寺社仏 参照︶ 戸として現会堂を建設した。設計は元田稔が担当し会堂 年落成︶となり、逆に高井戸ではコンクリート造特有の 一30一 区画整理により淀橋浄水場からの移転をきっかけに会堂 兼幼稚園の鉄筋コンクリート造2階建が献堂された︵昭 水平陸屋根を提案したが切妻屋根の正面形となった。す にも関わらず日本の在来構法での三型根となった。これ わち前者では稲風から洋風へ、後者では新構造であった 和36︶。 昭和30年代コンクリート造教会建築の スト教ブーム中であったにせよ西欧そのもの教会建築で らの手法は元田の基本的姿勢がうかがわれ、戦後のキリ 2・一 窩井戸教会現会堂の設計手法︵図参照︶ はなく日本の伝統的意匠を取り入れる方針があったと推 設計手法 初期、前会堂での平面形を意識し敷地形状により細長 [塔形態]また塔は元田のデザインの基本であり、仙台 察する。 別棟木造2階建の牧師館を置き各機能を分離した設計で 長方形で中央部より前面は会堂、後部は園舎とし、更に 2 [朝料 ︼﹂ 鍛辱磁鉢妙饗灘”、 、織. 塾 ζ層 @’1﹁. 噂 唱■ 漁脚3庸。騨加 1し 鋳, 1 ざ,、 琴 噛閑茗 嘗踏薄ゆ訊囲遷師 . r 講、 9 蛛@ 【 口 目 ,“︷いドr ゥ.“ tt 劇購酬講識か譜誹繍 塀隆繭 ・ 矯霞鳳豪 嘱.コ ﹁ 導爆蝉恥僧電量蝉恥9嶺¶鴫へV拝薄 ︵ H凪 轍 幟︶ ︻因藺︼ 屠装回薄恥s回4触N噺瓢田顧曝︵響圏渦︶ ︻笥旗︼諸9幽霊霜逢へV瓢3騨購跡 羅勲遍 羅 圃騨 蚤辱M薄博Sμやせ貸馴H画礫︵離圏鵜︶ 一 31 》 .炉 伊 蝦 @つ ミ・ @ 誰蓉.秦, u場P .・ LPトー 5 1 ’ 一 織、 き避ゆ峰︵7nω↓︶事“ \ ぴ﹁ 聾 − 噛呪咀欄欄 、 ‘‘瑛 −.﹂∼釜・ 鮭題辱埼障︵じ。鱒。。︶ ’ ド 欄麟南蜻 ww}fi”劇隙 堅一融刷 灌高潮醐窟脚 w榊w閥pa脚観潮 , 灘脚凝蝋tW 敵㈱駆瓢㈲働Ptそ辮 渉鱒。i鷺 , 層 騨1 @… ケ ’ D 1 .ρ 」 L 三朝料巴踏麗麗臨騨甥■ 噸 、. ’ V 冒陣Y噛蝋旧噌…「 , 融.一零・ 、蒸留博︵こoQo①︶寧翫 ρ 聲繍 教会でも塔上の和風入母屋屋根のデザインから緩勾配の 方形に変え、高井戸では初期から水平陸屋根としている。 すなわち異教社会での正面形を積極的な伝道活動の一つ として考え、日本の伝統と西欧文化のバランスを考えて のデザインであった。 [礼拝室形態]両者共に正面講壇に対面して2階信徒席 を配置し、天井は斜梁を露出し小屋組を見せたデザイン おわりに 以上だがこれまでと同様、正面の塔設置に執着し、本 稿の2棟では鉄筋コンクリート造の大胆な塔を採用する 事が出来た。この手法の背景には、日本の近代的な教会 建築として高井戸教会設計前後に書かれたとスケッチ図 ︵資料参照︶と﹁ロマネスクの近代化、ゴシックの近代 化﹂とのメモによって元圏の設計の基本的姿勢がうかが われ、後者のデザインに固執したと考えられる。更に一 九五〇年代の近代的な西欧における教会建築に刺激され ながら、光の演出という新しい手法を取り入れての作品 `99年度日本建築学会大会梗概集及北海道基 [註] となったと言える。 ︵註1︶ ﹁目で見る高井戸教会の歴史﹂同編集委員会 ﹁同基督教学第33芳﹂参照︵89,︶ 督教学会基督教︵第30∼31︶で発表 ︵註2︶ ︵註3> ︵68︶を参考 一32一 で、また桁方向合掌尻に設けた間接照明のデザインも同 じである。 [部分的三三]外観では仙台の深い庇のテラスと高井戸 での垂直ルーバーが特徴で、両者の意匠導入︵写真2︶ には上からの太陽光線を避ける水平のルーバー、また太 陽の方位を考慮しての垂直ルーバー等の手法によって、 元田にとっては仙台での日本的縁側空間の演出、丘陵地 の高井戸では上昇性を強調しながら間接光を得るための 工夫であった。また、仙台での曲線手摺は高井戸にはな い。 93