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キリストが形づくられるまで - So-net
「キリストが形づくられるまで」 ガラテヤ書 4 章 13 節~20 節 2016 年 11 月 28 日 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったこと がきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなた がたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、 かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかの ように、受け入れてくれました。あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行っ てしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自 分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。すると、わたしは、真理を語っ たために、あなたがたの敵となったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心にな るのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、 あなたがたを引き離したいのです。わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、 いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。わたしの子供たち、キリストが あなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんで います。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話した い。あなたがたのことで途方に暮れているからです。 パウロがガラテヤ地方で宣教した時、病んでいた。その病は、見苦しいものであったが、 蔑んだり、忌み嫌ったりせず、かえって、福音を語るパウロを神の使いか、キリスト・イ エスでもあるかのように受け入れてくれた。更に、目の悪いパウロのために、自分の目を 抉り出して、与えようとさえ言ってくれた。彼らはそれほど、パウロの宣教を歓喜して受 け入れた。あの幸福感はどこに行ったのかと訴えている。 パウロの短期間の宣教で、人々に絶大な感化を与えたのは、もちろんキリストの福音の 確かさ、パウロの宣教の熱心さに負うものであるが、社会的要因もあったのではないか。 それは、下記のようなことではないかと思っている。ユダヤ人は律法を厳格に守り、莫大 な献げ物をすることによって、信仰深いというステータスを得ていた。古代社会は宗教社 会で、人は皆、いずれかの宗教団体に帰属していた。それらの宗教はユダヤ教と同じよう に、厳しい自己犠牲を科していた。それは、息苦しいほど過酷な要求であった。そのよう な中で、パウロは、キリストの十字架と復活によって、今あるままで「よし」とされ、神 と共に生きる福音が与えられていると説いた。これは、人々には大きな喜び、解放であっ たに違いない。このことが、ガラテヤの人々に大歓喜を持って受け入れられた。ところが、 エルサレム教会から来た偽クリスチャンたちは律法を持ち出し、自己犠牲を強要し、以前 と同じく、「私は実践しました」という人間の力に頼る宗教に後戻りさせてしまった。 善意から熱心に慕われることはよいことであるが、彼らの熱心さは善意ではなく、自分 たちの支配下に置き、勢力拡大が目的である。私は福音の真理を語ったが、彼らによって 福音から引き離され、私の敵になったのか。「わたしの子供たち、キリストがあなたがた の内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」と 嘆きの言葉を投げかけている。キリストが形づくられる。十字架と復活はあるがままを「よ し」と是認し、そこに、自由と主体的に生きる福音が表される。あなた方の所に行って、 再度、語調を変えて話したい。福音からずれ落ち、出来、不出来によって評価し、裁き、 序列化する後戻りに、パウロは「途方に暮れている」と怒りを抑えて述懐している。