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「金融におけるリスク管理」 今野浩
金融におけるリスク管理 中央大学 1. 理工学部経営システム工学科 今野 浩 現状分析 金融における「リスク」とは、将来の不確実なキャッシュ・フロー(お金の流れ)の変 動、およびそれに伴って発生する損失のことをいう。 たとえば投資家は、多様な資産への投資から得られる不確実なリターン(収益)の大き さと、その変動(リスク)をバランスさせなくてはならない。企業においては、資金をい かに調達し、いかなるビジネスに資金を投入すれば将来の収益が最大になるかを検討する 必要がある。また何十兆円という金融資産を預かる金融機関には、将来の不確定性(リス ク)を精密に計量し制御することが要求される。 金融リスクを扱う学問としては、60 年代以降発展した金融経済学と経営財務理論がある。 経済学の伝統である均衡理論の枠組みの中で組み立てられた CAPM や、資産価格の変動を ブラウン運動として記述することによって導かれた派生証券(デリバティブ)の価格理論 などは、これらの学問が生み出した大伽藍である。 これに対して、金融ビジネスが直面するリスク管理問題は、経済理論だけで解決できる ものばかりではない。実際には、様々な制度的制約や市場条件、取引条件などを考慮しな くてはならないためである。計算技術、情報技術を積極的に利用して複雑な現実問題を解 くための技術、即ち金融工学が誕生したのは、80 年代初めのことである。 2. (1) 発展シナリオ 金融ビジネスが抱えるリスク 金融ビジネスが抱えるリスクは、(1)市場リスク、(2)信用リスク、(3)オペレーショナル・ リスク、(4)その他のリスクに大別される。 市場リスクは、市場における資産の価格変動に伴うリスク、信用リスクは企業等への貸 付資金の金利支払いや元本返済の不確実性に伴うリスク、オペレーショナル・リスクは金融 業務の円滑な遂行を妨げる様々な障害(コンピュータの不具合など)に伴うリスク、そしてそ の他のリスクとしては、近年顕著になった法的訴訟に伴うリスクなどがある。 これらのリスクは異なった性質を持つため、それぞれ異なる対応が必要であるが、これ まで金融経済学や金融工学が取扱ってきたリスクは、主として(1)と(2)である。 1 (2) 市場リスク 市場リスクを定量的に扱うための基本モデルは、マーコビッツの平均・分散モデルである。 これは収益率の分散をリスクと定義し、収益率分布の期待値と分散を管理するアプローチ で、資産運用などの分野で広く利用されている。 また 90 年代以降、「リスク」の概念を精密化する研究が進み、様々な新しいリスク指標 が提案された。それらの中で特に注目されているのが、収益率の下半標準偏差や VaR(バ リュー・アット・リスク)、期待ショート・フォールなど、収益が一定レベルを下廻る(あ るいは損害が一定レベルを上廻る)リスクを定量化した下方リスク指標である。 2015 年には、これらの指標を用いた超大型の多期間資産運用モデルが解けるようになる はずである。特に、現実的市場条件を考慮した超大型平均・リスクモデルや、確率(線形)計 画法による多段階資産運用モデルが、リスク管理に新しい局面を開くものと期待されてい る。 金融資産に内在するリスクをヘッジ(回避)するために生み出された商品が、オプションな どのデリバティブ(派生証券)である。70 年代以来デリバティブの取引が急拡大し、多様な 商品が開発された。Black-Scholes-Merton、Harrison-Kreps-Pliska らは、70 年代にデリ バティブ価格付けに関わる精密な数学モデルを構築したが、複雑な商品の価格付けを行う ためには、これらの理論をベースとして計算機技術を用いた金融工学技術が必要となる。 デリバティブの価格計算には、現在は主として計算機シミュレーションが用いられてい るが、今後の計算技術の進歩(計算機のスピード・アップと乱数生成技術、最適化手法の 発展)を考えると、2015 年にはより複雑な支払い条件を持つ派生証券の価格計算が可能と なるであろう。 市場リスク管理の要諦は、分散投資によってリスクを軽減する一方で、それらを一元的 に管理することである。計算量の制約のため、これまで統合管理は不十分であったが、2015 年にはより完全な形の管理が可能となるはずである。 (3) 信用リスク 信用リスクの計量法としては、(i) 企業の財務データなどに基づく格付けを利用する方法、 (ii) 企業の純資産の変動を確率モデルで記述し、解析的手法や数値シミュレーションによっ て企業の倒産確率と資金回収量を計測する方法、(iii) 企業の財務データなどをもとに、統 計手法やデータマイニング手法を用いて倒産確率を計算する方法などがある。 信用リスクの分析は、個別性が強いため、市場リスクの分析に比べて格段に困難である。 このため、信用リスクをヘッジするための商品であるクレジット・デリバティブや、証券 化技術の研究は、まだ緒についたばかりである。しかし今後の技術進歩を考えると、2015 年には市場リスクと信用リスクを統合したリスクの計量が可能となり、金融ビジネスはよ り精密なリスク管理を行うことが出来るようになるであろう。 2 (4) オペレーショナル・リスク 計算機の停止や人的ミスによる損失などのオペレーショナル・リスクは、金融ビジネス に特有のものではない。このようなリスクについては、古くから、インダストリアル・エ ンジニアリング(IE)やオペレーションズ・リサーチ(OR)の分野での研究の蓄積がある。 また大数の法則が成り立つような事故のリスク管理には、保険制度を利用することもでき る。しかし金融ビジネスの場合には、一旦事故が起こればその影響する範囲が極めて広範 囲にわたるので、通常規模のビジネスとは異なる対応が必要とされる。 (5) その他のリスク管理技術 市場リスクを分析する手法として最近注目を浴びているのが、人工市場モデルである。 多数の意思決定主体(エージェント)が構成する市場の動きを、ゲーム理論や心理学で開 発された手法で分析するアプローチである。これらの研究はまだ緒についたばかりであり、 現実問題への適用は今後の課題である。しかし 2015 年には、予想を上廻る進歩を遂げてい る可能性もある。 3. 日本がとるべきアクション わが国で、金融リスク管理技術の本格的研究が開始されたのは、80 年代末のことである。 米国などに比べて参入が遅れたのは、様々な規制のため、わが国ではこの種の技術の使い 道がなかったからである。しかしその後の制度改革によって、金融ビジネスはこれらの技 術を利用することが不可欠となった。そして当初 20 年といわれた日米の格差は、ここ 10 年間の努力によって大幅に縮まっている。実際、大半の大手金融ビジネスは、最新のリス ク管理技術の吸収過程をほぼ終えたものとみられる。 また 2002 年以降、文科省が金融工学を重要分野として位置づけた結果、研究者の数は急 増し、世界をリードする研究が実施されるようになった。しかし研究者の層の厚さや、そ れらの技術をビジネスに生かすという面では、未だ米国に比べてかなり遅れている。製造 業と金融業は産業社会の両輪であり、両者のバランスを取る上で、これまで以上に金融技 術のレベルアップが求められている。 金融リスク分析に必要となるのは、ファイナンス理論、数理工学技術(最適化、確率モデ ル、シミュレーション、ゲーム理論)と情報技術である。幸いわが国は、これらの分野にお ける層の厚い研究者を擁している。また最近、有力大学にこの分野の研究拠点が形成され つつあるので、この趨勢が続けば、2030 年のわが国の金融リスク管理技術は、世界のトッ プに位置することが出来るであろう。 金融リスク管理技術は、もともとは金融ビジネスをターゲットとしたものであるが、そ の後この種の技術は一般企業の経営問題にも利用されるようになった。企業におけるキャ ッシュ・フロー分析、プロジェクト評価、年金の運用、企業活動のリスクの計量などに、 3 金融工学分野で開発された様々な技術が利用されている。これから先も多様な金融商品が 市場に登場することや、金融ビジネスが抱える本質的な不確実性を考えると、この分野の 研究には従来以上の投資が不可欠である。 市場リスク 資産運用技術 派生証券技術 金利分析技術 市場リスク・信用リスク 統合管理 信用リスク 世界の最先端をゆく 金融リスク統合管理 倒産判別 倒産確率分析 信用リスク・オペレーショナルリスク 統合管理 オペレーショナル ・ リスク 支援技術 インダストリアル ・ エンジニアリング オペレーションズ ・リサーチ 保険工学 ファイナンス理論、最適化手法・確率モデル データマイニング、シミュレーション、決定分析、人工市場 計算機工学、ネットワーク技術 年 2005 2015 金融リスク管理の将来と支援技術 4 2030