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映像(映画)部門

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映像(映画)部門
市民ミユージアム
考古│歴史踏│
l
「にごりえ J1
9
5
3年
監督:今井正
│
9つの学芸部門から
ト
叶
写
真
「足摺岬 J1
9
5
4年
監督:吉村公三郎
9
8
1年
「ガキ帝国 J1
「竜馬暗殺 J1
9
7
4年
監督:黒木和雄
政督:井筒和幸
映像(映画)部門学芸員川村健一郎(かわむら・けんいちろう)
映画部門の収集の柱は、独立プロダクションによ
ーランド派やフランス・ヌーヴ、エル・ヴァーグの作
って製作された、戦後の日本映画です。独立プロダ
品など、一般の商業ルートにのりにくい外国映画や
クションを広く定義すれば、東宝、松竹、東映、大
日本映画の配給・公開を行っていましたが、 60 年
映といったメジャーの映画会社以外で製作された映
6
8 年)を第
代末から、大島渚監督の『絞死刑j] (
画ということになります。その中でも、大きな収集
一作として、独立プロダクションとの共同による
「一千万円映画J の製作をはじめました。この「一
対象が二つあります。一つは、 1950 年代に高揚し
千万円映画J というのは、
た“独立プロ運動"の諸作品、もう一つは、 60 年
代末から 80年代までの ATGによる製作作品です。
『絞死刑』を例にとると、
大島渚の製作プロダクションである創造社が五百万、
前者は、いわゆるレッド・パージによって、メジ
ATG が五百万を負担することで、予算的には小規模
ャーの映画会杜から退社を余儀なくされた優秀なス
ながらも、これまでメジャーの映画会社では実現で
タッフたちが、自主的な製作を(ときには配給も)
きなかった、芸術性の高い企画を成立させるところ
試みた“運動"を指しています。新星映画社、スタ
に要点があります。こうしたシステムは、当時の映
ジオ ・エイト・プロダクション、キヌタプロ、新世
画産業の斜陽期にあって、製作本数が激減し、経営
紀映画社、劇団民芸、俳優座のほか、現在も存続し
難から会社所属ではなく
ている現代ぷろだくしょんや近代映画協会もこの頃
督たちにとって、大きな受け皿となりました。
生まれた独立プロダクションでした。監督としては、
フリーとなった多くの監
『砂の女j] (64 年)など、安部公房とコンビを
50年代の日本映画全盛期に 5 回もキネマ旬報ベス
組んだ作品で世界に衝撃を与えた勅使河原宏、
トワンに輝いた今井正、社会派リアリズムの第一人
竹ヌーヴェル・ヴァーグ"の立役者、大島渚、吉田
者として知られる山本薩夫、今もなお現役で、八面
喜重、篠田正浩、記録映画の世界から劇映画に進出
六管の活躍を続ける新藤兼人、日本映画を支えた名
した羽仁進、松本俊夫、黒木和雄、実験性の高い優
優としてだけでなく、映画監督としても評価の高い
れた作品を残した寺山修司、現在の日本映画界の中
山村聴、その他にも五所平之助、吉村公三郎など、
心的存在である大林宣彦、森田芳光、大森一樹、柳
日本映画史に大書される名立たる巨匠たちの仕事が
町光男、根岸吉太郎、井筒和幸さらに日本映画学校
この“独立プロ運動"を代表しています。
の理事長として川崎とも縁の深い今村昌平や川崎文
後者の ATGとは、日本アート・シアター・ギルド
“
松
化賞も受賞した市内在住の岡本喜八など、世界的に
の略称です。 61 年に設立された ATG は、もともと、
も広く知られた監督たちの名作・傑作が数多く収蔵
当時台頭してきた映画の新しい潮流、たとえば、ポ
されています。(文中敬称略)
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