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世界遺産を巡るポーランドの旅

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世界遺産を巡るポーランドの旅
世界遺産を巡るポーランドの旅
実は「ポーランドは素敵なところ」と、偶然会った方に話しを聞き、ツアーに 1 人参加し
ました。予備知識として、ワルシャワに、アウシュビッツ、ショパンぐらいしか知りません
でした。でも、アウシュビッツはオシフィエンチムと第 2 アウシュビッツ・ビルケナウの他
にも 5 箇所に収容所があったこと、アンネフランクの父オットー氏が最近まで御存命だった
ことを、現地日本人ガイドの説明を受け、びっくりでした。
この日は、雨が降って肌寒い中、強制収容所で起きた悲
しい出来事~没収された鞄、靴、くし、切り取られた女性
の髪が別々の室に、うず高く積まれた光景は、当時の惨酷
さを創造するに十分でした。女性の髪は、糸として折り込
まれたと聞き~衝撃を受け、顔を上げられない自分がいま
した。それでも、回りを見渡すとヨーロッパの多くの国々
から学生が歴史に残る人種迫害について真剣に学ぶ姿勢
を目のあたりにし、私の心は軽くなりました。
(アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所)
残念ながら、アウシュビッツで見たこと、今でも、不消化の状態にあります。ヨーロッパで
は、中学生以上を対象に授業に取り上げているということでした。ここオシフィエンチムは
牧歌的風景の中に、静かに存在しています。ぜひ、訪れて
欲しい世界遺産の一つです。
次に、フレデリック・ショパンです。作曲家であり、ピ
アニスト。6 歳からピアノを学び、結核により 39 歳の若
さでパリにて亡くなりました。姉のルドヴィカがショパン
の心臓をワルシャワに隠し持ち帰り、保管していたそうで
す。現在は、ワルシャワの聖十字架教会の石柱に安置され
ています。ワルシャワの街を散策するとショパン・ベンチ
をあちらこちらに目にするでしょう。そのベンチの
(ワルシャワ、ワジェンキ公園)
ボタンを押すとショパンの音楽が流れてきます。ワジエンキ公園には、柳の木陰に座り、物
思いに耽るショパン像に会うことができます。ショパンが愛した公園には、桜、野鳥にリス、
孔雀が羽を広げて私達を楽しませてくれました。
そして、水上宮殿、王の夏の離宮は素晴らしいです。ワ
ルシャワでも人気が高い観光スポットとしてナルホドと
思いました。次に、コペルニクスが生まれた街、トルンに
も足を伸ばし、ここでは生姜クッキーを頂きました。身体
に良さそうです。ヨーロッパのお城は色々見てきました
が、マルボルクにあるドイツ騎士団の拠点、要塞になった
マルボルク城は全体が赤茶レンガ作りでゴシック建築で
す。ガイドについて城内を見学し驚いたのは、床暖房の設
備や盗聴できる小部屋が有たり、生活しやすい環境が
(港町グダンスク市内)
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考えられていたことです。でも、お城とは程遠いと思います。中庭には、シンボルのコウノ
トリが雛を育てているモニュメントがありました。
さらに、ポーランドカトリック聖地チェンストホーヴ
ァにある「ヤスナ・グラ修道院」では、ヨーロッパ各地か
ら多くの巡礼者がミサ礼拝に訪れ、厳かな空気の中、観光
専用通路を最前列の聖書を唱える司教のそばまで行き、
「黒いマドンナ」を拝見しました。さすがの、図々しい私
ですが、初めての経験に緊張しました。
最後に、
ヴィエリチカ岩塩採掘場です。
13 世紀から 1990
年まで採掘され、坑道は総延長 300 キロ。日本にある金山
とは比べものにならないほど、整備され美しく、 (ヤスナ・グラ修道院聖母画「黒いマドンナ」)
それは凄かったです。岩塩の彫刻「最後の晩餐」
「聖パウ
ロ二世」他。この見学は、かなり歩きました。夜は足がパ
ンパンになりました。
今回のツァーは、ベルギーのテロの影響で参加人数が激
減し参加者 9 名でした。86 歳、83 歳のご夫婦が参加され
ており、皆でお二人の無事を遠くから近くからと見守る光
景は素敵でした。そして、無事帰宅されたと確認し安堵し
ました。帰国翌日、地震にみまわれました。思いも寄らず、
熊本・大分地震を心配されお見舞いのお電話を
(ヴィエリチカ地底の美術館「最後の晩餐」
)
ご夫婦から頂きました。そして、今月末に再会をお約束しましたが、地震の影響がなければ
…。今回、ポーランドの知識もなく、参加した旅行でしたが、王宮、古城、教会と歴史遺産
と盛り沢山に感動し、知り合った人たちに感謝しました。また、よい旅ができました。
渡邉 郁美
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