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Page 1 種郵便物認可KSKQ (サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3

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Page 1 種郵便物認可KSKQ (サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3
毎月十二回︵二・四二ハ・八の日︶発行一九九一年九月三邑翠二聾使物庇可
式当日の写真四枚をビデオ化し
がった。
そして、﹁国際障害者年﹂と
︵制作及びビデオ操作=横松氏︶
わけだが、逆に、﹁障害者自身
したことについての意見だった
ここまでは、社会の側が変化
という意見が出された。
それに続く、﹁国連。障害者の
が変化した﹂、という意見も出
たものを披露していただいた。
午後一時から四時、育徳コミュ
十年﹂の間にあった変化などに
された。
サロン・あペの二月の出会い
ニティセンター二階の研修室に
ついて、参加者全員で話し合っ
平成五年二月二十日︵土︶、
おいて、サロン・あべのの二月
た。
﹁完全参加と平等﹂というス
の出会いを開催した。
国際障害者年。これを﹁単なる
ローガンを掲げて展開された、
・電動車椅子が普及した。
お祭り騒ぎにすぎなかった﹂と
ハードの面では⋮
害者の十年をふりかえって﹂で
・公共施設の受け入れ態勢が整
この日のテーマは﹁国連・障
あった。
祭り騒ぎに乗じて、街に出るよ
いう人もいる。しかし、このお
というビデオを見ていただいた。 ・まだまだ完全ではないが、歩
うになった障害者も、かなり多
ってきた。
道の段差が解消されてきた。
まず最初に﹁新たなる旅立ち﹂
大阪ふれあいキャンペーン実
いのではないか。つまり、障害
されたということである。
者自身の心理的な負担が、軽減
・お年寄りも、よく車椅子を利
・デパートや展覧会場でも、車
用するようになった。
行委貞会の企画・提供で、昨年
十二月十七日に読売テレビで放
送された、障害者問題啓発番組
切ではあるが、障害者自身が、
一般社会に向けての啓発も大
・少しずつではあるが、駅にエ
自らの権利に目覚め、チャレン
椅子を貸し出すようになった。
内容は、非常に積極的に明る
レベーターが設置されるよう
をビデオ化したものである。
く生きている、障害者とボラン
ジ精神がわいてくるような、そ
参加者二十三名。︵上平幸雄︶
か。
んな啓発も必要ではないだろう
になった。
こんな意見が多く出された。
ティアの姿を追った、ドキュメ
ントであった。
・車椅子が社会に認知された。
ソフトの面では⋮
て、﹁原田さん。前田さんご結
・市民権を得て、行動範囲が広
また、このビデオに引き続い
婚おめでとう﹂と題して、結婚
(1)
第三種郵便物乾可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻391号19g3年 3月20日
KSKQ
出会しヽ j、れあし、 助lナ合し、
あべのB
国連・障害者の十年をふりかえって。
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻391号1993年 3月20日
中
野
君
江
昨秋、観心寺方面へ区身協から日帰り研
修旅 行 に つ れ て い っ て も ら っ た 。
幼い頃、当区小学校低学年の時には、必
ず遠 足 に 出 掛 け た 処 な の に 、 何 一 つ 思 い 出
せな い 。 途 中 下 車 的 な 観 心 寺 拝 観 に 四 〇 分
と云 う の で 、 バ ス を 降 り た 。
やはり市内とは違い空気が澄んでいる。
元気 な 人 達 は 、 さ っ さ と 本 堂 の 方 に 行 か れ
たの か 姿 す ら 見 え ず 、 中 途 で あ き ら め た 人
達と 写 真 を と っ て い た ゞ い た り 、 木 々 の み
どり を 眺 め て 時 を 過 ご し た 。
はトイレが一番気にかかっていると云うも
あって、不自由さも違う。でも大部分の方
ちつくし、家につく造飲まず食べず出さず
ので︶、目的地で用件をすませ電車で又立
の六時間。今から思うと地獄だった。
国際障害者年になってから、世の中の人
の。旅行の朝は、水分もとらず、五∼六時
間は行かない様に心掛けている。でも、寒
達も障害者への介護に理解して下さる方々
観心寺の様な立派なトイレとまではいか
い日や雨の日など三時間位が精一杯。トイ
ッとする。和式トイレでも用をたせるが、
ずとも、街々に普通の洋式トイレの数がふ
が多くなり嬉しい限り。
何と云っても洋式では安心して用がたせる
えて行く事を願っています。
レ休憩の時、洋式トイレがあると本当にホ
と云うもの。近頃、街の中には洋式トイレ
が普及しているので、00百貨店のは何階
にあると覚えている。
以前などは、朝外出し電車の席が空いて
いす ト イ レ か と 目 を 見 張 っ た 。 中 に 入 る と
める 。 お 堂 の 様 な 新 し い 建 物 で 、 こ ∼ が 幸
ックをデザイン上、美的感覚の点からいま
く舗装した道路もそうですが︶の点字ブロ
ひとつは、駅︵最近に建った建物や新し
いてもすわれず立って行き︵すわりにくい
ついこの間、障害者の﹁完全参加と平等﹂
広々 と し て 明 る い の に 、 二 度 び っ く り 。
までの黄色をやめて、周りにマッチする色、
にはばど遠いはなしが報道されました。
私達障害をもっている人も各々個人差が
時間があるので、トイレにでもと歩を進
「完全参加と平等」まだまだ
観心寺のトイレ
(2)
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3月20日
たは な し 。
から こ れ で は 分 か り に く い と ク レ ー ム が 出
目立 た な い 色 に 変 更 し た と こ ろ 、 弱 視 の 人
障害者側の声を前もってしっかり聞かなか
このふたつのはなしは健常者が発想し、
くしているのでは・。・
︵Ⅰ︶
会形成のあり方が﹁完全参加と平等﹂を遠
ったから起きたもので、旧態俵魚とした社
もうひとつは、パック旋行のとき、同行
する 人 と ペ ー ス が 合 わ な い か ら 、 参 加 す る
身体 の 不 自 由 な 人 や お 年 専 の 人 に 対 し 、 障
害者 手 帳 の 提 示 、 健 康 状 感 の ア ン ケ ー ト の
抽出 、 そ れ に 同 伴 者 が つ き 、 介 助 に 責 任 を
♯ 感
謝 し ま
す
♯
カンパ・切手・冊子・お茶菓子・紅茶・
コーヒー等ありがとうございました。
お礼を申し上げます。
二月のカンパ 金玉、000円
大阪義肢装具センター︵石原栄︶、
大塚一枝、金子花江、崎本サキユ、
淵 美登利
山城福子、和田保子、匿名二名。︵敬称略︶
田
ハイキングになってしまいました。
そして実に帰って、本人が痛いと
大切な健康管理
つい先日、梅で有名な金熊寺ヘハ
いうので靴下を脱いでもらって見る
金熊寺でも、Hさんすべること二回。
イキングに、作業料の実生さんと出
と、足首がはれているのです。
んざで一週間の虞静とのこと。
翌日、整形外科を受診すると、ね
かけました。
足の水虫が乾燥して割れているH
さんが痛みを訴えるため、傷口にバ
ところが、このHさん、案を出発
寮生さんの健康管理に一層の注意が
で痛めたのか分からず、職員として
本人と話をしていても、どの時点
前に廊下ですべって尻もちをついて
必要だったと反省の事件でした。
ンドエイドを貼り、さあ出発。
しまい、少し足をひきずりながらの
(3)
持つ と い う 確 認 書 を 取 る こ と を 決 め た 旅 行
業老 の は な し 。
∧サロン・あぺの∨二月の出会い
ーーー・●一…三・亡
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号19g3年 3月20日
親愛なる冨田さんへ
まず最初にお手紙と写真をありがとう。そ
して、私は私が抱えている病気よりあなたの
方がもっと大変な病気を抱えておられること
がわかりました。私はあなたの拍が変形され
とができました。今私は1g90年以来、た
った半年の中断があっただけで働いています。
私は結婚していません。私のボーイフレン
ドは1988年に私から去ってゆきました。
ているにもかかわらず、そんなにはっきりと
この時以来、私は小さなアパートメントに
書けることに大変驚かされました。私も又、
ひとりで住んでいます。私の毎日の生活にど
右腕に間趣があります。私はペンで書くのに
んな助けも必要としていません。私も又私の
サポートを必要とします。でも、私の手紙を
車でドライブをすることができます。この6
読んでわかって下さると願っています。
年間、私の健康の恩恵は年ごとによくなって
そして、私はあなたのハンディキャップが
きています。
4歳の時以来、あなたを痛めつけてきている
あなたの健康とよき将来を願っています。
ことにも驚かされました。
あなたの次の手紙を待っています。あなた
これを物ともせず、あなた自身の開発が成
功に導いたことをすばらしく思います。
−あなたの医学的な恩恵は、あなたの子供
時代よりもよくなっていること。
−あなたには家族があるのですか。なぜな
らあなたが娘さんのことについて話して
おられるから、あるのだと思います。
−あなたはあなたのグループの活動に自分
の能力を十分に発拝することを見つけて
いられること。
−さらにあなたはいくつかの可能性を得て
いられること、それは成功した人生と私
は思います。
私のハンディキャップは1g87年、私が
27歳のときにはじまりました。したがって
私の子供時代と青春は何の問題もない幸福な
ときでした。
心理学の勉強と私の最初の仕事を終えるこ
とができました。それで私はよい基匿を持ち、
リハビリテーションの後は私の職業に戻るこ
がどのように毎日を過ごしているかなど、た
ぶん私に書くことができるでしょ?
あなたに幸多かれとお祈りしています。
ブリギッテ
二
第三鍾郵便物認可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻391号1993年 3月20日
い。個人として、どんな組織に属して
いても、それを通り越して、その彼方
では、ど、つすればいいか。ひとが社いが理解できなくなったら、施設人間
会と結びつくのは、逆説のように聞ヱ ではありえても、やはり社会人ではな
える か も し れ な い が 、 . 人 と し て 独 り だ
ちす る と き な の だ 。 社 会 人 に 一 番 ち か
内 容 「食と栄養、そのバランス」
−肥満防止について−
パネラー;栄養士 大槻惇子氏
場 所 育徳コミュニティーセンター2F.
研修室[大阪市阿倍野区阪南町5
−15−28、車イストイレ。ス
ロープ有り】
く
曹
た
凪.06−691−1028(冨田慶子)
い英詩はindiくidua−︵個人︶とい、つ言 を見る目をもつとき、社会との本当の
日 時 4月17日(土)午後1時∼4時
葉にちがいないと、ぼくは借じる。一 つながりができる。
社会福祉の勉強は、本当は、そうい
個の 独 立 し た 人 間 と し て 感 じ 、 考 え 、
行動できるとき、ひとは社会と結びつ う社会人のためにある。そういう社会
人だけのためにある。
くこ と が で き る 。
だから、社会福祉学科を出て会社に
会社にはいって、会社の利益がその
まま自分の幸せと考えるのなら、君は はいっても、学校で習ったことが措か
会社人間だ。会社が行なっている不正 せないと思い込んではいけない。会社
をみても何も患わない。とすれば社会 人間にとっては社会福祉の知識はまっ
人で は な い 。 ま た 、 施 設 に 勤 め て も 、
施設 の 都 合 ば か り を 考 え 、 利 用 者 の 思
4 月 の 出 会 い
会 費 な し
申込みと問合わせ先
に
た
な
い
た
だ
会
社
で
亀甲
(6)
役ろう
る
が
、
働
第三朝餉認可KSKQ(サロン・あぺの)馴通巻391号19g3年諷月20日
十
今後の課題︵1 ︶
ボラ ン テ ィ ア セ ン タ ー ︵ V C ︶
の課題と
しては 、 V C が ど う あ る べ き か と い う 問 題
と、ボ ラ ン テ ィ ア 括 動 が ど う あ る べ き か と
いう 問 題 が 含 め れ て い る 。 七 年 ほ ど 前 に ま
とめた 本 論 で は 、 ① 社 協 の 役 割 、 ② ボ ラ ン
ティア 描 動 の シ ス テ ム 化 、 ③ 正 し い 公 私 関
係の確 立 、 ④ 福 祉 観 の 転 換 、 ⑤ ボ ラ ン テ ィ
アの 主 体 性 の 確 立 の 五 点 を あ げ た 。 も ち ろ
ん、ボ ラ ン テ ィ ア を め ぐ る 課 題 は も っ と さ
まざま な も の が あ り 、 ま た 、 現 時 点 で 考 え
ると新 た な 課 題 も 発 生 し て い る が 、 こ こ で
はこの 五 点 を 中 心 に し て 検 討 し て み た い 。
る動きを背景にして、その問題点を検討す
そも社協でのボランティア育成が摘発化す
割を果たすことが求められるということで
いくうえで、他の機関にできない大きな役
ボランティア汚動を広く市民に呼びかけて
較的広く地域に受け入れられている社協は、
などの影響を受けやすい反面で、括動が比
ることが中心的な課題であった。したがっ
ある。
まず、①社協の役割である。本論はそも
て、その検討の中では、現状での社協によ
で、社協摘動とボランティア汚動の区別が
もボランティア的な汚動を行っているなか
重視されており、その校区の福祉委員さん
践括動として﹁校区福祉委員会﹂の括動が
っていることは否めない。また、社協の実
知ってもらうかといことが大きな課趨とな
社協自体がいかに市民に社協とその括動を
て差が大きいために一概にはいえないが、
ただ、実際の状況をみると、地域によっ
るボランティア育成の問題点をみてきたわ
けであるが、しかし、やはりボランティア
括動の推進において社協の担う役割は大き
いということである。
すなわち、VCは市民の手によって運営
されるべきであるが、いかにそれを実現す
るかということを考えると、市民の側にも
行政の側にもボランティアを単なるサービ
あるのかといった問題も生じてきている。
ス供給者として捉える考えが強いなかで、
行政の援助を受け、かつコントロールされ
体的な地域福祉清動を推進し、多くの人の
ければならない問題であろうが、市民の主
その区別が必要がどうかは別に検討しな
ずに運営していくということは非常に難し
いと言わざるを得ない。したがって、地域
社会とのつながりが強く、地域の権力構造
参加を得るということが、現在社協に求め
られている最も大きな役割のひとつであり、
仁
そのための具体的で積極的な取り組みが求
められているのである。
原 田
(7)
Volunteer Center
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号19g3年 さ月20日
健常者等がそろいまして、それぞれの立場
がありました。これで視覚、肢体障害者、
旭さんが居られたので、聴覚障青書の参加
た。また、障害者の方も手話通訳が出来る
中、発会に向けて色々な準備が始まりまし
ようにと考えたのでした。
会参加が出来るノーマルな生括を送られる
障害者も地域の一旦である自覚を持って社
を基点とした地域交流の輸を広げていき、
お付き合をしていきたい。そして、サロン
地域に住む隣人どうしとしての話が出来る
一年三月二九日︵土︶午後一時∼四時、育
∧サロン・あべの∨の発会式は、昭和六
からの意見が交わされる中、﹁出会いの場
・サロン﹂作りをしたいどいう委員の熱い
意欲が話合われました。
のかも解りませんでしたが、幸いなことに
ありました。何から手をつけていけばよい
その為の準備の手順等々、考える事が沢山
て若草色のチラシを作り、区図毒や青少
氏︵印刷会社=セルフ社︶のご好意によっ
誕生を知っていただくために、委員の井上
ました。多くの方に∧サロン・あべの>の
穂コミュニティーセンターホールで開かれ
コーディネーターの岡氏をはじめ委員の力
年センター、市立婦人会館等にそのチラシ
会の名称、会の発足日、会場、案内等、
が手とり足とりで教えて下さり、発会式の
を置くことをお願いしました。また、案内
た横幕﹁サロン・あべの
発会式﹂の大き
正面には、赤田寿子さまが書いてくださっ
ループの皆様がして下さいました。ホール
当日の準備等お手伝いは、ビューローグ
た。
配慮も何も考えるゆとりがありませんでし
何も知らない強みと申しますか、周囲への
おかけした所も出てきましたが、その時は
付させていただいたもので、後日ご迷惑を
状もあちらこちらへと、おもむくま1に送
準備が着々と整っていきました。
あべのボランティア・ビューローとサ名
ロ称は阿倍野の地から生れるサロンの様
会七
だからという事で<サロン・あべの>
ン準備委旦会により、昭和六〇年十二な月
な、
りました。そして、多くの方に広く知
日に開催された﹁クリスマスの集い﹂とは
いただきたいとの願いをこめて会の趣
多くの方々との出会いの場となりましっ
たて。
と発会式の案内チラシを作りました。
そして、障害者と健常者が誇りあっ意
た書楽
そ会
の概要は、国際障字書年のテーマであ
しい余嘲を大切にして、サロン準備委員
る﹁障善書の社会参加と平等﹂をサロン活
の情 動 が 始 り ま し た 。
の基太にして、障害者と常者の関係を
翌年からのサロン準備委貞会には、動毒
助の
される人・介助する人という縦関係で
婦や保母志望、福祉大学等の学生さん介方
なる
く、お互いに人間︵ひと︶として同じ
参加もあり、苦々しい雰囲気が感じらはれ
(8)
第三種郵便物乾可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻391号1993年 3月20日
ぬ雰 囲 気 を か も し だ し て く れ ま し た 。
な字 が 晴 れ の 日 を 象 徴 し 、 会 場 に え も い え
﹁何をする会かな﹂と<サロン・あべの
や言葉が必要であるけれど、それ以上に大
事なのはその人の表情や態度であり、それ ∨をいぶかしく思いながら参加下さった方、
あい、思いやる心が大切。その為には行動 られません。
そして、期待と不安の中、六〇余名の参
発会式を知らせるチラシ
加者 を 迎 え ま し た 。
の人達の色々な想いの芽をサロンという土
は相対する人にこちらの想いを伝える力が どうなっていくのかしらと不安を抱きなが
あるというお詣で、太当に嬉しく拝聴しま らも協力参加をして下さった方。その多く
竜己雪子T6∴謙∼モ喜一∼ご2写
記念講演として、﹁ちがうことこそばん
した。
猛毒宅S・15・28薫筍コミュニチ/ウンわー喪コ
 ̄
≡■こ石∼∈2三∼343斬首凍上蟄溺†.コ‡∼「:
ざい 、 共 に 生 き る 社 会 を め ざ し て ﹂ と 施 し 、
ニ
あぺのボランテイア・ビューロー 平等キー=ミニ千ら
牧口 一 二 氏 に 話 を し て い た だ き ま し た 。
また、大阪ボランティア協会の田中美智 壌で育てていけたら、一粒の麦として成長
子様が腕いっぱいのデージーを持って釆て していきたい⋮と希った日でもありました。
⑧
上平幸雄
さぃl﹁ゝ、川ヽもいてぐーゝふヽ§、、ゝドヽ
ふれ愛
空の旅
高層の学生アパート。その前の広場で、
お二人に、UCBでの障害者学生の生活に
ついてのお話を伺いました。
教室など大学の施設は、本当によく整備
されているようです。また、障害者学生に
対する様々な援助プログラムも用意されて
います。.疲助には大学の中での生活に限ら
ず、重置障害者が、自立生活をしていくた
(9)
下さいました。あの花の白さは、今も忘れ
こ:=く≡ミロ
<サロン・あべの∨の門出にふさわしく、
障青 も 一 つ の 個 性 で あ っ て 、 お 互 い に 認 め
イストイレ有〉
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3月20日
めの訓練も含まれています。
次に訪問したのが、障害者リクレーショ
スポーツなどのリクレーションを中心に
ンセンターです。
費用 な ど も 、 連 邦 や 州 か ら 出 て い ま す 。 そ
した遊戯療法を行う施設で、利用者は五歳
また、自立生活に必要な介護人に対する
の根拠は、リハビリテーションの一環のよ
から百歳以上まで。利用は無料ですが、あ
れないと利用はできません。
る程度プログラムが決まっており、許可さ
うです。
最近、州の財政が苦しく、これらの予算
を減らそうとする動きがあるようですが、
て、軽くて安全な、プラスチックのボール
写真は、ぼくたちも仲間に入れてもらっ
ダニーさんの電動車椅子に貼られた、大統
とバットで、ベースボールをしているとこ
これに反対する運動にも取り組んでいます。
領候補・クリントンを応援するステッカー
ろです。バッターとランナー以外は全員が
リングのことです︶を拾い集めて、業者に
そして、この夜は本物の大リーグ観戦が
予定されていたのです。
買い取ってもらいそれを資金として車椅子
*積もり積もって*
GI
A
街中に落ちているアルミの空き缶のプル の一台でも買って、施設に寄付してお年寄
りか誰かの役立ててもらえれば⋮。
トップ︵缶ジュースなどの飲み口の部分の
当然の権利ではあるかもしれないけれど
ひとこと&ふたこと⑳
ナンベイの
した。
ごい応援もあって、とても楽しいゲームで
守衛をしているようなものですが、ものす
が、心に残りました。
八月二十八日は、バークレーをあとに、
サンフランシスコに向かいます。
午前中は、ゴールデンゲートブリッジな
どを観光しました。
そして市長直属の福祉コーディネーター
であり、自身も電動車椅子に乗っている、
ポール。インペリアさんに迎えられて、サ
ンフランシスコ市を表敬訪問をしました。
ちょうど大リーグのサンフランシスコ。
OUR
ジャイアンツが、移転してしまうかもしれ
ないときで、﹁SAVE
NTS﹂と書かれた大きな垂れ幕がありま
した。
(10)
第三饉郵便物個可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3月20日
と思 い つ つ 続 け て き た ひ と つ の 活 動 。
ど何 か の 形 で 社 会 に ﹁ お 返 し ﹂ が で き れ ば
けて い る 私 た ち が 、 さ さ や か で は あ る け れ
も﹁ 福 祉 と い う 恩 恵 ﹂ を い つ も 一 方 的 に 受
りで不安定な事もありましたが、ようやく
かってもいろいろな事情から二転三転した
てくれる業者が見つからなかったり、見つ
ともありますが、最初はなかなか買い取っ
三年ほどの年月が経ち、ほんとうにたく
最近になって決まったところに買い取って
そのうえベサロン・あべの>にかかわっ
貰えるようになりました。
入っ て 取 り 敢 え ず は 一 つ の 区 切 り の 金 額 で
ておられる人達のピーアールのお蔭やら、
さん の 方 々 の ご 協 力 を 得 て よ う や く 今 年 に
ある ﹁ 一 万 円 ﹂ を 越 え る こ と が 出 来 ま し た 。
﹁サロン誌﹂を読んでいただいたお蔭やら
﹁うさぎ小屋﹂
そんなわけもあるので、みなさんに胸を
はっての報告とは程遠く、まだまだ車椅子
の〓ロすらも買えない金額ではありますが、
区切りの金額である二万円﹂を達成でき
の紙面をお借りして
ましたという報告と、あらためての皆さん
へお礼を﹁サロン誌﹂
述べさせていただきます。
南光 龍平 仁子
更に、今後ともご協力をおねがいいたし
ます。
るための制度が新しくスタートしました。
この二月からまた、障害者が地域で生き
できたけれど⋮
知的障害者のガイドヘルパー制度が
美智子のこんな話
のわが家の前
﹁眼﹂を気にかけながらいつも業
の仲間の一人と、近くの友人が車をお
うには行かないのが現実です。
ちらもお忙しい身のこと、なかなか思うよ
持ちで快く運んでくれているのですか、ど
ズ﹂
しているのです。幸い、今のところ﹁ハン
者のところまで運んでもらえそうな方を探
やさんの
﹁成長﹂を喜んでばかり点いられず、おお
ただ借家住まいの辛さ、アルミ缶の山の
のです。
は絶えずアルミ缶が山のようになっている
ので、まさに
も家族ぐるみで協力していただいています
に釆てもらっているホームヘルパーさんに
勿論、以前にも書いたと思いますがわが家
で運んできていただける方もおられます。
で、毎週のように山のようにアルミ缶を車
以前にもこの欄に書かせていただいたこ
00サロン・あべの紙の
朗読テープが出来ました∞
山木敏子さんのご協力で、サロン
:■一.1・l・
一
・あべの紙八〇号の録音テープが出
来ました。
バックナンバーは三九号から、八
〇号の分があります。五〇号は五周
年記念紙になっており、九〇分と六
〇分の二本のテープに収銀されてい
ます。
サロン紙朗読テープをご希望の方
には、ダビングをしますので、冨田
までお申し出下さい。
−
︵℡〇六−六九一−一〇二八︶
l−1●l:l ・ l ・ t ・ 1 .
(11)
■■:■・−●t■‥■【−−●一●正一=−−一−●一■一一●
「▲ ̄● ̄● ̄− ̄■■・一 ̄
第三篠郵便物硯可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻391号1993年 3月20日
免
りは人まかせに出来ませんものね。前号からはじまった「はあとが、はろ−!」にもお便り
編集人;サロン・あべの運営委員会・<サロン・あぺの>NO.81【−93.3.20発行】定価¥100.
代 表;上平幸雄〒545大阪市阿倍野区阪南町2−20−19−203 電話08−62ト4365
連絡先;冨田慶子〒545大阪市阿倍野区阪南町6−3−26.電話06−691−1028
表 題;斉藤孝文・筆
印 刷;セルフ祉〒545大阪市阿倍野区西田辺町2−2−10−101.TEL.06−69卜Z365.
発行人=関西障害者定期刊行物協会【大阪市域劇区東中浜2−10−13鼓楠グリーンハイツ1F】
(12)
を促進する事業をおこなっています。
○対
市内にお住まいの原則として十八歳以
上の在宅の方で、障害の程度︵A︶また
ず、そしてなおかつ気がひけない色で着やすい鳳 こればか
これは私達が、長年要求してきたもので
あり 、 知 的 障 害 者 の 制 度 は い つ も 、 取 り 残
され て き た の で 、 と て も 期 待 し て い き た い
と思 い ま す 。
ことが困難な方。︵ただし、大阪市全身
は中庭︵Bl︶で、ひとりでは外出する
性介護人派遣事業を利用していない方︶
でもこの新しくできたガイドヘルパー制
度も 、 ま た ま た 入 所 施 設 の 知 的 障 害 者 は 、
一カ月あたり四二時間以内です。
○派遣時間
えません︶
要な外出。︵ただし、通勤や営業には使
と考えられる外出や普段の生括の中で必
障害者の自立や社会参加の促進に葡益
○外出の内容
などをおこないます。
障害者の外出に付き添い、必要な介護
○サービス内容
対象 外 と さ れ て し ま い ま し た 。
でも今、各市がやっているガイドヘルパ
ー制 度 は 、 家 に 帰 っ た 時 と 家 か ら 施 設 の 往
復の 場 合 の み 、 入 所 施 設 障 害 者 も 利 用 で き
る号 つ で す 。 こ の よ う な 利 点 を 利 用 し て 施
設障 害 者 も ど ん ど ん こ の 制 度 を 使 っ て い っ
て欲 し い と 思 い ま す 。
そして、施設からの外出も一日でも早く
適用 さ れ る よ う に な れ ば と 思 い ま す 。
この知的障害者のガイドヘルパー制度の
概要 を 掲 載 し ま す 。 ど ん ど ん 広 め て い っ て
○ヘルパー
障害者本人や、その家族の推薦によっ
て大阪精神薄弱者育成会に登録されてい
る方。ただし、親族はヘルパーになるこ
太紙は<100号まであと19>(石)
ください。
ンそのとおりと共感するお便りがとどきました。陰気にみえ
編 集 後 記
下さ い 。
精神薄弱者の外出介護をおこなう
ガイドヘルパーを派過します
とはできません。
*介護を行った場合、育成会からヘルパー
単独で外出が困難な知的な障害のある方
が、外出する時に、ガイドヘルパーがつきに手当が支給されます。
お加
問い合わせ先=各区福祉事務所
そってお世話し、障害者の日立と社会参
毎月十二回〓丁四・六・八の日︶発行一九九一年九月三旦塑二様郵便物琵可
80号の中野君田二さんの「洋服と私」の出会いに、ウンウ
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