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科学的医療と倫理

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科学的医療と倫理
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科学的医療と倫理
新しい科学者像を求めて
村上陽一郎
むらかみ・よういちろう
1936年、東京生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究所博
士課程修了。東京大学先端科学技術研究センター教授、同センター長を経
て、現在、国際基督教大学教授。著書に、
『近代科学を超えて』
『近代科学と
聖俗革命』
『生と死への眼差し』
『科学者とは何か』など多数。
され、父がそのさなかに亡くなったこともあって、
シニカル
に言えば、体力 のない 僕には学 問 の世 界で生きていく
のがせいぜいだと思ったのです(苦笑)。
医療をする側とされる側の間には、ときに考
え方のへだたりがあるようです。
村上:そうですね。医者にとっては、治療をしようとする
患者さん個人は、やはり one of them です 。それは、文
字どおり多数の患者の中の一人であるという意味ですが、
それ ばかりでなく、統 計データに頼るという意 味でもあり
医学医療の進歩が手放しで善である、という考え
ます 。それは科学技術の姿でもあります 。例えばワクチン
に影がさしている。とりわけ、遺伝子治療や臓器移植、
の強制接種の考え方は、過敏に反応する特異体質の人
体 外 受 精 、尊 厳 死などの 問 題をめぐって“ 科 学 技
の被害より感染による犠牲者のほうが割合としてはるか
術は諸刃の剣 ”というような言葉が使われるのは、
に高いという統計に基づいています 。ところが患者の側
たんに医 療 技 術 の 急 速な進 歩に社 会 制 度 や 人々
からいうと、自分は統計の中の一例ではない。患者の家
の心がついていけないためばかりではないようだ。
族にとってもかけがえのないユニークな一 人ですから、
しかしいま求められることは、科 学 技 術とは何な
データでは納得できません。このように、医療の側と患者
のかという問いを追 及するとともに、これをいかに
の側との間には宿 命 的に違う論 理が働く現 場であると
コントロールするかという課題に答えていくことだと
いうことがいえるでしょうね。
思われる。この問題について、科学史・科学哲学の
科学的医療は、モノのふるまいとして現象をとらえ、そ
立 場から、国 際 基 督 教 大 学の 村 上 陽 一 郎 教 授に、
れでかなりの問題を解決し、多くの生命を救ってきました。
うかがった。
人 間 の身 体をモノと見 立て、その中に故 障があれ ば修
理する、
さもなければ部品を取り替えてやる、
そのやり方は、
先生はかつて、医師になろうとお考えだった
そうですね。
どうしても解決しないで、
もし心身症という診断を下すと
村 上 : 父が医 者でしたので、少 年 時 代は漠 然とそう思
すれ ば、
これはもう、あなたの病気には科学的医療はお
言葉は悪いが、
ガレージマンと同じですね。それだけでは
手上げですよと言っていることでしょう。
いました。でも高校2年から3年間の療養生活を余儀なく
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痛みや苦しみは、その人でなければ分からない、
かなり主観的なものですね。
そしてよい 看 護 婦さんを育てられるかどうかは分かりま
村上:これはある女性の実話です 。患者は七転八倒し
せんね。
婦さんも、
よい看護学者がよい看護婦さんであるかどうか、
て痛みを訴えるのだが、医者としては病理学的にみても、
科学が中身としてもっている限界のほかに、
制度的な問題があるわけですね。ところで、
論文を書いて科学を進歩させる科学者という
と、子供のようにナイーブで寝食を忘れて研
究に没頭する姿が目に浮かびます。
現在可能なありとあらゆる診断方法をとってみても、
どう
してもそんなにひどい 痛 みが起こるとは考えられない 。
仕 方なく開けて調べ てみるが、神 経にもどこにも異 常が
ない 。結局なにもしないで閉める。すると患者は一時的
にはケロッとしているが、やがてまた痛む 。こんなことを
繰り返していると、だんだん医 者が患 者を相 手にしなく
村上:子供のように純真で、研究がひたすらおもしろい、
なる。この患 者はわがままで、医 者に痛みを訴えていな
わかりたい 一 心という、その姿 勢や 態 度が結 果 的に原
いと安心できない 。痛みはその性格のゆがみからくるん
子 爆 弾を生んでいった歴 史を考えると、必 ずしもそれを
だという診断を下されたと本に書いておられます 。
善しとすることはできません。子 供のようにおもしろがっ
しかし、たとえ科 学 的にはやることがないとしても、患
ている人は、子供のように無責任といっていいでしょう。
者さんが苦しみを訴えている以 上 、なんとかしてそれを
僕らはただおもしろいから原子核の研究をしたのだ。広島、
取り除いてやる、あるいは苦しみとともに生きて行く方法
長 崎に責 任があるのは、それを利 用して勝 手に原 爆を
を一緒に探してあげる、
というようなことも当然医者の仕
作った政治家や軍人だと、
こういう言い方で責任を回避
事だと思います 。けれども、科 学 的な医 療であれ ばある
してきた科学者たちがいたのですから。
ほど、
このようなことができなくなっていくでしょうね。
先生は『科学者とは何か』
(筑摩書房)のなか
で、閉鎖的な専門家集団がもたらす弊害を強
く指摘されていますね。
いま、医学はどんどん細分化され 、科学者的
な専門医が増えているようです。
村 上 :それは大きな問 題です 。通 常 、偉い 医 者といい
村上:ええ。そこにも書いたんですが、当時の物理学者
ますと何々大 学 医 学 部 付 属 病 院の教 授というふうに考
のなかにも、世界情勢や軍事などへ の深い洞察をもって
えられ ていますね 。しかしその立 場は、患 者さんを何 人
行 動した人 物がいます 。例えばレオ・シラードという米 国
救ったかというようなことではなく、主に研究論文が何本
に亡命したハンガリー人です 。
あるかで決まるのです 。科 学 者というのは結 局、論 文を
この人は原 子 核 の研 究 のかなり初 期 の段 階から、こ
書く人ですから、医 者が科 学 者として成 立していくとい
れを進めていくと原子爆弾ができる、今の戦争状態では
うことは、医者が論文書きとして成立していくことに近づ
恐らく使われるかも知れないと考えました。しかも、まだ
いていくことになりますね。私はそのあたりが、ちょっとお
1 9 4 3 年ころに、第 二 次 世 界 大 戦が終わったら、今 度は
かしいんじゃないかと思っているのですが、最 近では、
米ソ対立のなかで核兵器の開発競争がおこるだろう。だ
から、いま止めておかなかったら大 変なことがおこるだろ
看護婦さんもその傾向にあるようです 。
うと、そこまで読んでいたのです 。ですからシラードは、そ
看護婦さんがですか?
れこそ死にもの狂いで、何とかして原爆を止めようとしま
村 上 :いま、看 護 学 校が短 大になり、短 大が四 年 制に
した。1 9 4 5 年 3月2 5日付ローズヴェルト大 統 領 宛 のシラ
なり、看 護 大 学に大 学 院が置かれるという圧 倒 的な波
ードが起 草した書 簡には、原 爆 使 用 反 対 の科 学 者たち
が来ています 。ここで求められる教 員がまた、看 護 の現
の訴えが書かれています 。アインシュタインの署 名もあり
場で実 績をあげただけではだめで、研 究 論 文を書いて
ます 。
「恐らく我が国が直面する最大の危険は、われわ
いるか、学会で研究発表をしているかで決められるんで
れ の原子爆弾の“ 示威 ”行為が、アメリカとソビエトとの
すね。論文を書くことは“ 科学のしきたり”ですが、医学
間にその種の兵器の製造競争をほぼ確実に誘発するこ
の世 界に科 学のしきたりが入り込んで、よい論 文 書きが
とであります 」と。そして、だから核 兵 器に対する厳 密な
よい医者という誤解が出て米る。それはよい医学者であ
国際管理が唯一の進むべき途であり、
しかも、アメリカが
るかもしれないが、
よい医者かどうか分かりません。看護
伝えられるように無警告に対日戦争に使用すれば、今後
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の核 兵 器 の国 際 管 理について国 際 世 論を形 成してい
を造り出す 可 能 性がある」
「それらに含まれる危 険につ
くのに決定的に不利になる、
と警告しています 。しかしこ
いて十分な評価が確立し、かつ危険防護の適切な手段
の書簡は結局ローズヴェルトの死によって、
日の目をみず、
が開発されるまでは実験を凍結」しようというモラトリアム
トルーマンは軍部の説明だけを聞いて了解したわけです
の取り決めです 。この提 案に対して、後 発 の科 学 者は
ね。
反対しましたが、ある弁護士が、
もしこの研究によって何
これはまさに悲劇だったのですが、我々としては、
この
かひどい被害が出た場合に、
どれだけの賠償をしなけれ
シラードのような人がいたということは忘れることができま
ばならなくなるかの計算をしてみせたので、ようやく申し
せん。
合わせができました。
シラードは原子核について非常によい研究をしている
ところが可 笑しいのは、その後に生れたガイドラインを
にもかかわらず、
ノーベル賞受賞者にはなりませんでした。
NIH(米国衛生研究所)が実践しようとしたとき、十数人
一 方「マンハッタン計 画 」に参 画して、原 爆 の開 発に邁
の同業者がスイスなどに逃げたんですね。まだ手かせ 足
進したオッペンハイマーやファインマンらはノーベル物 理
かせができていない国でやりたいことをやって、はやくノ
学賞を得ています 。
ーベル賞にありつこうというわけです 。
シラードはノーベル賞をとることもできたの
だが 、あえて原爆につながるような研究を進
めなかったのですね。
そのあたりはスポーツ感覚というのでしょうか。
第三者機関の役割が問われますね。
村 上 :ですから、私たちは科 学 者 の良識なるものに期
村 上 :ノーベ ル 賞についていえば、今はもう、益よりは
待できる部分もあるが、全面的にはまかせられないだろう
害のほうがはるかに大きいと私は断 言します 。ノーベル
と。だからやや迂遠ではあるが、そもそも科学者が自分た
賞をとるためにどれだけ科学者がスポイルされているか、
ちの密室のなかだけでやっていること自体がおかしいの
つまり彼らが何とかして他人を出し抜いて自分だけが新
だから、いわば専 門 家 以 外の人 達がそれを論じたり、専
しい 成 果にたどりつき、
うまく独占して発 表にもっていく
門家に対して要求を出したりするチャンネルを社会的な
かという競 争 場 裏の中で、どれだけすさまじい戦いを繰
制度としていくつか作っていくべきだと思います 。
り広げているか、
また、それができるような人でなけれ ば
その一 つが、いまある倫理委員会なわけですね。日本
国際競争で頭角をあらわすことができなくなっているか。
の倫理委員会は、
これが実に日本的で、自分たちのお手
このような傾 向は、新しい学 問である分 子 生 物 学あたり
盛りでやってしまう、本当に機能しているのかかなり怪し
から特に顕著になっています 。
げなんだけれども、それ でも、やはりやっていくべきだと
DNA研究では、受精卵への応用は禁止され
ていますね。
をしめ、法 律 家や 倫 理 学 者 、ジャーナリストなどを含む 、
僕は思います 。できれ ば、科 学 者 以 外の人が5 0%程 度
一般市民が議論できるようにしていくといいのですが。
村 上 :ええ。それも人 間には禁じられていますが、他の
一般の人が理解していくのは大変です。
生物ではかなり大胆なことが行われています 。いま農学
が人 気なのも、生 命 科 学 の最 先 端 の研 究ができるから
村 上 :しかし、科 学 者の共 同 体がもっとオープンになる
です 。早いもの勝ちというような。
ことが絶対に必要だと同時に、一般市民もそこで何が起
もちろん生命科学のなかでも、ハーバート・ボイヤーとか、
こっているかをよく理 解して、判 断に参 加していかなけ
ポール・バーグ、スタンリー・コーエンら数人が、制限酵素
れ ばならないでしょうね。普通の人が直観で、何となくイ
でDNAを切り貼りする技術ができかけていた段階で、
こ
ヤだなというのも、
もしかすると大 事なことになる場 合も
のままほっておいたらどこまで遺 伝 子をいじくってしまう
あり得るのです 。
かわからない、だからある程 度 、自分たちで手かせ 足か
科 学 者も、そこだけしか解らないというのが今 の姿だ
せを考えようと言い出したという実例があります 。これが
けれども、やっぱりそれでは危ないと思いますよ。自分の
1 9 7 5 年のアシロマ会 議ですが、
これは非 常に画 期 的な
専 門 領 域 外 のところにも心 配りができ、いろいろな知 識
ことでした。
「 組み 替えD N Aの断 片を増 殖させるという
をもって、先のことが考えられる、
レオ・シラードのような人
実験は予測のつかない性質をもった新しい病原微生物
が増えていって欲しいと思います 。
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