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~ 『雨月物語』「吉備津の釜」のフランス語訳について〜
ルネ ・シフエールと日本の古典 ~『雨月物語』「吉備津の釜」のフランス語訳について~ 萩原 直幸 1.は じめに 文化受容 と翻訳の諸問題 を考 える上で、鈴木孝夫の以下の主張 ・提案 はひとつの参考 とな る。ただ し、それを実現す るとなる と、 日本の大学で フランス語 フランス文学の研究 ・教育 に携わる者の一人 として、その可能性 に疑念 を感 じないではないけれ ども。 い ささか長 くな 岩波新督 、1 9 9 9)か ら引用す る。 るが 、r日本人はなぜ英語がで きないか』 ( (・ ・) 日本人の もつ膨大 な外 国についての情報、そ して外 国に由来す る知識は、そ れぞれの分野の専門家が 日本語 に翻訳 した ものが もととなって、その後 さまざまなかたち で、 日本の社会 に定着 したことが分か ります。 私は今 これ とまさに逆の こと、つ ま り日本事情や 日本人の思想や学問が、外 国語 にどん どん と翻訳 されることによって、諸外 国の学生 や知識人の間にそれが広 ま り定着す ること を考 えているのです。 これ まで 日本の少年少女が F 鉄仮面』 や F 三銃士』 の話 を、胸 を躍 らせ なが ら読 んで きたように、今度はフランスの子供たちが、た とえば F 里見八犬伝』の 物語 を、 フランス語で楽 しむ ようなことがあって も、悪 くないはずで しょう。 どうして現状ではそ うなってい ないのか といえば、 これ までの フランスについての 日本 人の勉 強や研 究が、 フランスその もの を知 り、 日本 にはない優 れた もの をあちらか ら取 り 入れるとい うことだけに集中 していて、お返 しに 日本の優 れた もの、世界 に誇 るべ き日本 人の言語文化財 を、 フランス人に も楽 しんで もらお うとい う、発想 も余裕 もなかったか ら です。 したがって 日本での フランス語の教育の しくみ 自体 が、今で もそ うなっていないの です。 だか らこそ私は、今の 日本 に とって、手段言語 としての役割が急速 に減少 したフランス 語や ドイツ語 は、いろいろな事情で直ちに規模 を縮小す ることが難 しいのな らば、せめて 教育のあ り方、 目標 を日本文化、 日本の言語財 の フランス語化、 ドイツ語訳の推進- と、 方向転換すべ きだ と思 うのです。 ドイツ語圏は ドイツ、 オース トリアそ してスイスなどに拡が り、一億前後の人口があ り ます。フランス語 はフランスの他 に、かつての フランス海外領土や植民地 を入れて四十数 ヶ 国で、今で も用い られている大言語です。 これ らの広大 な地域の人々に、 日本事情や 日本 の言語文化財が、 どん どん と翻訳 によって知 られるようになれば、それは 日本に とって計 り知れない利益があ るだけでな く、世界の何億 とい う数の人 々に、 日本 か ら素晴 らしい知 p. 1 8 8-p. 19 8) 0 的な贈物 を届けることになるのですか ら ( 「日本の言語財のフランス語化」は今後 日本人の課題のひ とつ として残 り続 けるであろ う。 - 17 - しか し、すでにフラ ンス人の E l 本文学研究家 ルネ ・シフェ- ル ( Re neSi e f f e r t ) に よって多 大の寄与が な されている事実 をまず押 さえてお くべ きであろ う。 シフェ-ルの略歴 と主 な業 績 を以下 に掲げる ( 末尾参考文献 2よ り作 成)0 1 92 3年 :モーゼ ル県7-へ ン生 まれ ス トラスブール大で数学 を学 ぶ 16 6-1 97 6) ク レ) レモ ンフェ ラ ンに疎 開、近代 日本学 の創始者 シ ャルル ・アグ ノエ ル (8 に 日本語 を学 ぶ 1 9 46年 :東洋語学校 ( 通称 ラングゾ-)卒業 1 95 0年 ~1 9 5 4年 :東京 日仏会館館 長 柳 田国男の共 同研 究調査 に参加 0年 :世阿弥の能楽論 の翻訳 F 1 9 6 能楽秘伝』 ( LaTr adt ii ons e c r e t eduNo ) r O nsduJP ao n) 出版 1 9 68年 : 日本の宗教』 ( Le sRe l i gl - 1 971 年 :国立東洋言語文化研 究所 ( 通称 イナルコ)初代 所長 となる 1 97 3年 :P OF (フランス東洋学 出版会)設立 】を-て上 田秋成 まで、主要 な 日本古典文学の仏訳 を計画 F 万葉集』 か ら F 源氏物語」 和歌、俳語、能、狂 言、浄瑠璃 、物語 、 日記、軍記物 、町人小話 、説話 など、 さまざま なジ ャンルを手がける 2 0 01 年 :ア ンソロジー F日本文学 の十三世紀J( Tr e l ' z es i dl ce sdel e t t r e sj ao P nai s e s )編集 2 00 4年 :オーベ ルニュ地方 オー リヤツクにて没 】 シフェ-ルに よる 日本古典文学作 品の フランス語訳 に対す る評価 は、これ まで F 源氏物語」 や井原西鶴 な どにつ いて な されて きた ( 末尾参考文献 を参照 の こと)。本研 究で は、上 田秋 ha ur do ndeKi bi t s u≫を取 り上 成の 『 ' 雨 月物語』 か ら 「 吉備津の釜」 の フランス語訳 ≪Lec げて原典 と比較検討 してみ た。 その結果、 シフェ- ルの フランス語訳 は、 フランス語読者 に 対す る種 々の工夫が見 られ る一方 で、原文の解 釈 について問題点 も若干観察 された。 この事 実は、翻訳 を行 う上で、原典の専 門研 究者 と母語話者 との共 同作業が有効であるこ とを示 唆 している ように思 われ る。 シフェ-ルに よる 『 雨 月物語』 の翻訳本 は以下の とお りであ る。 UedaAki nar i ,Cone tsdePli uee tdet une .t r au di tduj a po na i sp ,r es e nt eeta nnot epa r Re neSi e f f e r t , Par i s ,Gl a1 i mad/U r ne s c o,1 95 6/1 9 97/2 00 6 上掲書 には、翻訳の際 に参照 した以下 の 2著作 が掲げ られている ( p. 1) 7。 WaaMa d nki c hi , Edob un gakus ∂h so, Tb kyo,1 9 3 5. Shi geo tmoTae ks hi ,Uge t s umono gat ar i - hdhk ysau, Tb kyo,1 95 4. - 18 - これ らは、それぞれ以下 の評釈本 を指 してい る と思 われ る。 和 田常吉 r 評釈江戸文学叢書 重友 読本傑作 集』 ( 大 日本雄弁会講談社 、昭和 1 0年) 毅 F 雨 月物語評釈』 ( 明治書 院、昭和 3 2年) それでは、以下、 シフェ-ルの フランス語訳の工夫 と問題点 を例示 す るが 、その前 に、本 稿の理解 のため 「 吉備津 の釜」のあ らす じを述べ てお く。 吉備 国の井沢正太夫 は放蕩息子 の正太郎 に嫁 を迎 えて身持 ちを固め させ ようと、吉備津 神社 の神 主、香央造酒の娘 との縁組 をと りまとめた。 この嫁 に きた磯 良 とい うのは、大変 よ くで きた女であったが、正太郎 はいつの ころか らか、外 に袖 とい う遊女 の愛人 をつ くり、 これ とな じみになって駆 け落 ち して しまった。二 人は袖 の親戚の彦六の隣の家で仲 睦 ま じ く生活 していたが、袖 は物の怪 ( 磯 良の呪い ?) に悉 かれ て死 んで しまった。 それか ら正 太郎 は夕方 に墓参 りす る生 活が続 いた。あ る 日、いつ もの よ うに墓 に行 くと、女が いた。 聞 くと、仕 える家の主人が死 に、伏せ て しまった奥方の代 わ りに 日参 しているのだ とい う。 美人であ る とい う奥方 に興味 を持 った正太郎は、女 につ いてい き、奥方 と悲 しみ を分かち 合お うと訪問するこ とになったが -0 8 英草紙 以下 に引用す る原典 は小学館 『日本古典文学全集7 西 山物語 雨 月物語 春雨 物語』 に よる。 また、引用文 におけ る下線 はすべて引用者 に よる強調 であ る。 2.シフエールによるフランス語訳の工夫 ○ 日本史的知識の補足 、 注の挿入 か やの こお りにひ せ わほ ぢ 原文 「 吉備 の国賀夜 郡 庭妹 の郷 に、 井沢庄太夫 といふ もの あ り。祖 父 は播磨 の赤松 に仕へ さん か きつ み だれ たち しが、去ぬ る森吉元年 の乱 に、かの館 を去 りて ここに来 り、・ ・ 」 (3 p.42-p. 3 43) 口訳 ( 重友)「 吉備 の国賀夜 の郡庭 妹 の里 に、井沢庄太夫 とい う者が いた。その祖 父 は、播 磨の赤松家 に仕 える武士であ ったが、裏書元年 に、その主君が時の室 町将軍 に反いて殺 され p. 25 8) る とい う騒 ぎがあってか ら、や むな く仕 えを退いて、この土地 に落 ちて きてか ら、- 」( nsl 仏訳 :≪Da apr ovn ic edeKi bid ,i sr ti c tdeKayaa ,uvi l l a gedeNi i s e , i lya va i tunhmme o nommel za waSh6da ydS .o ngr a ndpe r ea va i te t aa us e r v edsAkmtud ic e a s eHa r i mama . 主 s dur a ntl e st r oubl e sdel ' a nlerdeKa n( 1 4 41 事i ,la va i t t eur ki t s uq , ui∨ i tl eurdi s par i t i o ) tqui el r e s i de nc eea . ti tve n uenc el i e u, ≫ ( p. 97-p. 98) . . . r ne irdsAkma e a t s u,Mi t s ys uke ,a va i a i s i ne * 注 の 挿 入 : ≪ Lede tfta s a s s rl es hd gun As h i ka g aYos hi nor i;da msl aguer r equlS ' ensuv ii t ,Ht r ouval amor tets ama i s ont ut - 19 - der tu i t e .Ai ns i , l e sl z a wa ,s amur aiasns o e r vi c eea ,ti e ntde ve nu sd e srnn ∂i,C ●t e sa di r ede s ge r r i e r ss a nsma i t r ee t , dec ef a i t . e xc l usdel ahi 台 r a r c hi ef e oa dle . ≫ ( p. 21 5 ) ○主語等 の補足 、注の挿入 J = なき みる t ' / そら たr 原文 :「 着 みる露 ばか りの しる Lもな く、七 日にて空 しくな りぬ。天 を仰 ぎ、地 を融 きて突 也( ' あら の けふ り 悲 しみ、 ともに もと物狂 は しきを、 さまざまといひ和 さめて、か くては とて遂 に境野の畑 と p. 38 な しはてぬ。 」( 4) 口訳 ( 重友):「 看病のかい もな く、みるみる うちにやせお とろえて、わずか七 日の うちに空 しくなって しまゆた。正太郎 はこれ を見て、天 を仰 ぎ地 を叩いて泣 き悲 しみ、自分 もともに 死 んで しまいたい と、物狂お しいばか りであったが、憂さ昼 いろいろ と語 りな ぐさめ、 もう 2 71 ) この上は仕方がない と、ついに荒野のはてで火葬 に付 し」 ( p. a va i e ntpsl a emo i ndr 仏 訳 : ≪ Ma 主 s ,avuedTc ei ve na i tma ni f e s t equel e ss li ,lde e ° isn' n e ptj our se ,l l en' e f f e t , e ta ub o utdes a ea ti tpu ls , [ S hb t a r 6 日e va ntl e sye uxa uc i e l . f r a ppa ntl e r r e lur ai tdedoue lurs t t ai tc ndi ll as t ommeu s a ntqu' ,pe , edeba . t i uv ir a i npo s s 白 dee t r o o ns o a r s c our s .Cequiea l Hi ko ku 日ec l i tprt a oues t o ededi ti t .ea ti t ,e tpourf ii nre l l e p. 1 0 3) e+ . ≫ ( url al a ndede s e r t de vi ntume f es i nc i n台 r a . p. 21 7) *注の挿入 :≪onr ≫ ( 3.シフエールによるフランス語訳の問題点 ●単吉 吾の解釈 かん ぎね か さr _ Jみ き む すめ み や ぴ やか 原文 :「吉備津の神主香央造酒が女子は、 うまれだち秀麗 にて、父母 に もよ く仕へ、かつ歌 二と たく 」 (. p33 4) をよみ、草 に工みな り。 口訳 ( 重友):「この国の吉備津彦神社 の神主で、香央造酒 とい う人の娘 さんは、生 まれつ き 」( p. 2 5 8-p. 2 5 9) の きりょうよしで、両親 に も孝行で、その上和歌 も詠めれば、琴 も上手です。 gr e a b l u e r t 仏訳 :≪Laf i l l edeKa s a daMi ki , l epr 色 t r edeKi b i t s ue ,s td' u nc a r a ce tr ea e:e es ≫ ( t o ur ne ru e , e te l l s tar do i t b i e nss e pa r e nt s;ep d l use ,l l es a i t npo me ee ea ukt oo . p. 9 8) ●語句の解釈 とど みやこ 原文 :「 彦六、正太郎 にむかひて、 『 京 な りとて人 ごとにたの もしくもあ らじ。 ここに駐 まら p. 37 4) れ よ。-』 ( 口訳 ( 重友):「 彦六は正太郎 にむかって、『これか ら都へ ゆかれ る とい うことだが、型空重 - 20 - らといって、だれ もが情 けぶかい ときまった もので もない。い っその こと、いつ まで もここ p. 29 6) にいた らどうです。 -』 ( 仏訳 :≪Lac a pi t a l e ,°i t e s - vous! p Blnevou sys er a i td' 型些些 S e C Our SIRe se tzdonci c i .-≫ ( p. 1 02) ●評釈 を踏襲 した解釈 おりおりとは r r 原文 : 家は殿 の来 らせ給ふ道のす こ し引 き入 りたる方 な り。便 りな くませば時時訪せ給へ。 わび 待 ち俺給 はん ものを』 と前 に立 ちてあゆむ。 」(3 p,5 0) 「 r ロ訳 ( 重友): 住居 はあなた さまのい らっ しゃる道か ら、す こ しはいった ところにござい ます。奥方 さまもた よ りないごようすでい らっ しゃい ますか ら、 これか らもどうぞ所析お立 ち寄 りくだ さい。それに して も、 さきほ どか らだいぶ時 も経 って、奥方 さまも、わた くしの 」( p. 2 7 5) 帰 りをお待 ちかねでい らっ しゃいま しょうか ら』 といって、女 は先 に立 った。 t e nu.Co l 】 e 仏訳 :≪Lama i s o ne s tunpeu畠l r ec a r tduc he mi nparl e que lvouse sve mmee nr ape r s o nneqi ul uiv ie na i de ,ve nezdo ncl avoi rdet e mpsaa ur te.Ma主 l l edo i t nnee se s l i nqui ee tram a t t e ndr eL ≫ di t e l l ee , te l l es em i te nr oue t, mar ca hntde va ntl u主 . ≫ ( p. 1 04 ) 「 r 現代語訳 : 家はあなた様のおいでになった道 を、少 し引っ込んだ所です。奥方様は心細い 身の上でい られ ますか ら、時 々はお訪ねになって ください。 さぞお待 ちで ございま しょう』と、 女 は前 に立 って正太郎 を案内 した。 」( 小学館 F日本古典文学全集7 8 』p. 35 0-p. 351 ) ●評釈 に拠 るが、独 自につけた訳文、注の挿入 からかみ ひま 原文 : 「 唐紙す こ し明けたる間 より、火影吹 きあふ ちて、黒棚 の きらめ きたる もゆか しく覚 ゆ。 」 (3 p 51 ) 口訳 ( 重友):「 唐紙がす こ しあいている隙間か ら、吹 きこむ風の流れにつれて、火影が ちら ちらと動いて、黒塗の棚が、それに きらきらと照 りはえているの も、昔が しのばれて奥 ゆか 」( p. 2 7 8-p. 2 7 9) しい気がす る。 仏訳 :≪parun em i nc ef e nt eouver t eda msl epa pi er . 畠l al ueurdel af l a mmeva c i l l a e nt ,1 e s r e f l et sbr i l l a nt sd' u n ee t a ge r enoi r ee t o nna i e ntparunl uxei ns o l i t e. 事≫ ( p. 1 0 5) pe irf e ndudel *注の挿入 :≪Lepa ac l o i s o ns uggr 色el am is er e ,t a ndi squel esr e f l e t sdl une i vo que ntde pe lnde ur s . ea tger edel a queno r ee ss spa s s e e ≫ ( p. 21 7) - 2 1 - 「ー ~ー ト ーF 4.参考文献 : 1) 中山鼻彦 F 物語構造論 F 源氏物語』 とそのフランス語訳 について』 ( 岩波書店 、1 9 9 5 ) 2)畑 中千晶 「ルネ ・シフェ-ルの仏訳 について」 F 講座 源氏物語研 究⑫ 源氏物語 の現代語 訳 と翻訳』 ( お うふ う、2 0 08)所収 3)畑 中千晶 「西鶴 の語 り手 とフランス語訳- 「ぞか し」 の一人称性 を中心 に- 学外 国語部論集』 第五 〇 ・五 一 号 ( 2 000) - 2 2 - 」F駒 滞 大