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Eleni Karaindrou “Elegy of the Uprooting” Recorded March 2005 (ECM New Series 1952/1953 476 5278) ニーノ・ロータが“フェデリコ・フェリーニの”作曲家であるのと同様に、エレニ・カ ラインドルーは“テオ・アンゲロプロスの”作曲家である。 2006 年に ECM から出た、彼女にとって初のライブ盤『Elegy of the Uprooting』には、 他の監督のための作品や独立した作品も含まれてはいるが、通して聴くと、それらもアン ゲロプロス作品の文脈の中に収まっていき、彼女が関わった映画作品のテーマが蒸留され るように感じられる。 カラインドルーが初めてアンゲロプロスと組んだのは『シテール島への船出』(1984) であり、奇しくも処女長編『再現』(1970)の主要人物と同じ名前「エレニ」が、わずか ではあったが再び劇中に登場した作品であった。そして現時点での最新作『エレニの旅』 (2004)。音楽や楽団が大きな位置を占めるこの作品で久々に「エレニ」の名を持ち出し たのは意図的だったろう。アンゲロプロスがこの映画の重要な柱の一本を音楽に担わせた ことが窺われる。かつて黒澤清が「悪魔的」と評した長回しを繋ぐ、カラインドルーの音 楽。だが、それは単にテーマ曲としてあらわれる、というのではない。 『ユリシーズの瞳』 (1995)あたりから、音楽の比重は増えてきていた。同作では、キム・ カシュカシャン(本アルバムでは別の奏者)のヴィオラを、ラスト近くの重要なシーンで、 はかない平和を満喫するオーケストラが奏でているかのように扱っていたし、前作『永遠 と一日』(1998)では、冒頭にレコードから流れる音楽を、ラストで亡き妻のいる天上の 音楽のように聴かせていた。 『エレニの旅』では二種の音楽が対置されている。恋人である アコーディオン奏者アレクシスとその楽団が実際に劇中で奏でる音楽と、オーケストラス コアだ。前者は、それを担う団員の一人が丘で撃たれ、アレクシスも沖縄で戦死する。世 情に翻弄される音楽である。対して後者は、そういった音楽を反射しながらも、激情とも 至福とも登場人物の死とも無縁に鳴り続ける。故郷と国境という、日本語では不思議と似 た響きを持つ二つの狭間で、政治や思想に汚されない無垢を探求することはアンゲロプロ スの永らくの主題だが、カラインドルーの音楽はその無垢を微かに体現するのである。こ のアルバムに聴ける、地面から引き抜かれ(uproot)てもなお生き、それゆえに痛みから 逃れられない人たち(と音楽)へのカラインドルーのまなざしは、アンゲロプロスのそれ と重なるかたちで息づいている。