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創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察

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創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
創大教育研究
第2
0号:矢野
P7
5∼9
4
研究ノート
創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
伊豆市立八岳小学校
矢 野 淳 一
Ⅰ
はじめに
教師は,過去に実践してきた授業の成功,失敗例をもとに新たな授業を構想した
り,教育関係書籍や他の教師の授業実践から見出した指導方略を適用したりして実践
を積み重ねている。しかし,実践した授業を客観的に分析・評価する方法が明確にさ
れていないため,授業における指導方法が経験知だけで終わるのが現状である。そこ
で,授業の成否における因果関係を見出し,自身の授業における指導を客観的に分
析・評価することができる方法が求められている。
1
筆者が理想とする学習者同士の関わり合う授業について
筆者が理想とする学習者同士が関わり合う授業を実践し始めたのは,筆者が教職に
ついて2年目に行った小学校2年生の算数における「三角形と四角形」の授業であ
る。
この授業では,学習者同士が互いに自分の認識した考えを出し合い関わり合う中
で,自分の考えにこだわる学習者が相互に納得できるまで,学習者同士が理由や根拠
を出し合い,学習者が課題に対して主体的に解決するための話し合い活動を行うこと
によって三角形と四角形についての概念を深めていくことができた授業である。学習
者同士が関わり合う原点でもある,筆者が行った「三角形と四角形」の授業における
概略を述べる。
まず始めに,図1にある様々な形から構成されたロケットを黒板に提示する。その
後,学習者に,このロケットを構成している形を仲間分けすることを提示する。学習
者が個々に図形を仲間分けし,自分の考えた理由をノートに記述した後,学習者が自
分の考えを発表していった。
すると,図2のように学習者による考えが2つに大きく分かれた。学習者は,この
2つの考えの違いを比較し,自分が直感的に感じた理由を互いに発言していった。
例えば,
「ぼくは,三角形は,ピーンと直線になっていて,①のような図形は,電
−7
5−
研究ノート:創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
図1 算数「三角形と四角形」における課題
車のレールのようになっているか
ら,三 角 形 で は な い と 思 い ま
す。
」と 発 言 す る 学 習 者 に 対 し
て,
「角 が3つ あ る の が 三 角 形
で,角が4つあ る の が 四 角 形 だ
よ。だから,①も三角形だと思い
ます。
」と他の学習者が発言して
いく。互いの立場に立った考えの
理由を発言し合い,吟味・検討す
る中で,他の学習者の理由に納得
して自分の考えを変更する学習者
も多くいた。
しかし,その中で,自分の考え
にこだわりを持ち,考え方 A に
図2 図形を仲間分けした学習者の主な考え
固執する Y 君は,考え方 B の学習者に対して,
「(図形①は,
)角が3つあるのに,な
ぜ三角形ではないのですか?
本当に三角形は,まっすぐ(な直線で構成されてい
る)と言い切れますか?」と,反論意見を繰り返していた。それに対し,考え方 B
の学習者は,
「3本の直線で囲まれた形を三角形と言います。
」という教科書に書かれ
ている定義を根拠として Y 君を説得する発言を繰り返したが,Y 君は納得すること
なく自分の考えにこだわっていた。
考え方 B の学習者は,図3のような図形も三角形と言えるのかどうか Y 君に質問
を投げかけるが,Y 君は「これは角が3つあるから,これは三角だと思います。だっ
てさ,おにぎりとかだって角が少し丸まっているけど三角というじゃない。そうで
−7
6−
創大教育研究
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0号:矢野
しょ,みんなも直線のことばかり言っ
ているけど,
(図形)①だって,直線
はあるよ。
」と,自分の考えにこだわ
り続けた。
考え方 B の学習者が,
「さっきから
みんなも言っているけど,教科書に3
本の直線で囲まれた形を三角形という
と書いてあるから,これは3本の直線
図3 Y 君を説得するために提示した図形
で囲まれていないから三角形ではない
と思います。
」との反論に対しても,
「直
線じゃ,直線じゃなくても三角形の仲間
だと思います。
」と,自分の考えに固執
している時,他の学習者から,
「私も角
が3つあれば三角の仲間で良いと思いま
す。違う三角形の仲間だと思います。
」
と,図4のように違った新しい考えを黒
板に提示し始めた。
それに対し,今まで多くの学習者が考
え方 B を支持していたが,
「私も,こっ
図4 学習者が提示した新しい仲間分けの
考え
ち に(考 え 方 C)に 変 更 し ま す。だ っ
て,これだって(図形①と②)形が違うでしょ。だから,これも(図形①)も三角形
の仲間に入れても良いと思います。
」というように,自分の考えた理由を発言しなが
ら新しく提示された考え方 C に変更する学習者が出てきた。考え方 B の学習者は,
教科書に書かれていた三角形の定義を根拠に反論をするが,
「①は三角だから,三角
形の仲間には仲間ではないの?」と言われ,学習者の多くが悩み始めた。考え方 C
の学習者からは,
「こっちは(図形④⑤⑦)は,完全な三角形で,こっちは(図形①)
完全な三角形ではなくて,三角形と三角はお母さんと赤ちゃんみたいにつながってい
ると思います。まだ完全になっていないのだと思います。
」と,他の学習でおこなっ
た母親のお腹の中にいる胎児とへその緒でつながっている例えを持ち出して説明する
ことによって多くの学習者が考え方 C に納得し始めていた。しかし,考え方 B にこ
だわる学習者が,
「ぼくは,ここは(図形①②の辺)直線ではないから,三角形や四
角形ではないと思います。
」と固執していた所,他の学習者から図5のような新しい
考え方 D が提示された。
「これをお城だと思ってよ。これとこれは(図形①と②)は,仲間でしょ。だから
同じ部屋にいるわけ。だけど,これは(図形①)三角形に似ているから,遊びに行っ
て三角形には少し入れるけど,四角形には入れなくて,これは(図形②)四角形には
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少し入れるけど,三角形には
入れないようにしたらど
う?」と い う 学 習 者 の 発 言
に,他の学習者も「これとこ
れ(①と②)は,辺が直線で
はないから同じ仲間にするけ
ど,三角形と四角形の部屋に
は門があって,三角は三角形
の部屋にはちょっと入れて,
四角は四角形の部屋だけに
図5 吟味・検討した後の図形の仲間分け
ちょっと入れるようにしたら良いと思います。
」と,今まで話し合ってきたことを関
連づけた新しい考え方 D で,納得することができたのである。この授業で新しい考
え方が創出されたのは,考え方 A にこだわった Y 君が,
「おにぎりとかだって角が少
し丸まっているけど三角と言うじゃない。
」と,自分の認識における根拠を発言する
ことによって,他の学習者も納得し,考え方 B に固執していた学習者も新たな考え
を創出しようと試み始めたからである。この授業において,教師が Y 君のこだわり
に対して「3本の直線で囲まれた形でなければ角が3つあっても三角形ではない
よ。
」と教えてしまえば話し合う必要はないかもしれない。しかし,Y 君は,自分が
納得しないまま,新しい知識を取り入れるだけで,今までの認識とは結びつかないで
終わってしまうであろう。
この実践は,筆者が教職について2年目に行った実践であり,学習者の話し合いに
よって偶発的に成功した授業事例である。次の単元において話し合いの学習を試みた
が,結局,話し合いが空回りして授業が成立できず,失敗に終わってしまった経験が
ある。
しかし,この授業を契機に,学習者一人一人のこだわりを授業に生かし,学習者同
士が自分の考えを出し合うことによって,新たな考えを創出できるような話し合いの
授業づくりを目指して実践を積み重ねてきたのである。
2
話し合い活動の意義と実践における難しさ
国語の実践家である大村はまは,集団における学習の良さとして次のように述べて
いる。
「国語教室の中に成長とか,成長の実感というものがなければ,楽しい雰囲気
はできてこないと思います。一人ひとりの成長の実感が,一つのハーモニーを生み出
しているという雰囲気です。ハーモニーがあるということは,いろんなものが,音色
の違うものが一つの音楽を楽しませることですね。ですから,優秀な子どももいる
し,それほどでない子どももいて,どの人もその人なりの成長をしている,いろいろ
の種類の,いろいろな程度の成長の感じが,ひびき合っている。それで,おだやかな
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明るい気分です。優劣を越えた世界です」(1989 大村)
。このように,学習者個々の
良さを引き出して,集団において一つのハーモニーを生み出していく教室は,一人一
人の学習者の成長を穏やかな明るい気分の中で育てることができると述べている。
また,認知科学・教育実践学の立場から佐伯胖は,分かる授業について次のように
論じている。
「分かる授業において大事なのは,社会的権力関係を反映した会話では
なく,一人ひとりが自分の言葉で自分の分かり方を語りあえるコミュニティを形成す
ることだとしている。一人ひとりがすでに持っている知識を使いながら自分の言葉で
語れることは,子ども一人ひとりのアイデンティティを,そして教室の中に一人ひと
りの居場所を保証することにつながる。だが,それは単に日常語でのみ語るというこ
とではない。数学ならば数式や記号といった,教科固有の慣行的な記号やツール(道
具)をその語り合いに取り入れることによって,更に語り合いを通してみなで理解を
深めることをはかるのである。これらは,授業における会話のあり方の変革から学び
のあり方を変えていこうとする試みといえよう」佐伯 1995)
。このように,分かる授
業における話し合いの重要性を述べている。
しかし,松尾,丸野(2007)は,学習者が積極的に互いの考えを出し合い,吟味・
検討し,新たなものを創り出していく授業作りについて,次のように述べている。
「多
くの教師にとって,子どもたちに互いの考えを出させ,それらをうまく絡み合わせる
ための場づくりを行うことは容易なことではない。その原因の一つは,話し合いを中
心とした授業を実現するための具体的な手だてを教師が十分に持っていないことにあ
る」(松尾,丸野 2007)また,
「教育心理学などの研究においても,
『どのようにすれ
ば話し合い中心の授業が可能になるのか』という問いへの答えを,実証的に示してい
る実践研究は少ない」(松尾,丸野 2007)
松尾,丸野(2007)が指摘しているように,前述のような話し合いを中心とした授
業は,筆者を始め,これまでにも数多くの教師によって実践されてきた。筆者も先に
その詳細を述べた,話し合いの授業が偶然に成立した「三角形と四角形」の授業の
後,十数年に渡り,話し合いにおける授業について,数多くの書籍を読んだり,研究
会に参加したりし,実践を積み重ねてきているが,話し合いの授業を成立させるため
の指導方略が十分に確立されていなかったり,話し合いの授業を分析して評価し,授
業を改善するための方法が見出されていなかったりするため,話し合いの授業を成立
させることは困難を来している。
授業における話し合いを実践する上で,よく陥ることが「話し合いのための話し合
い」になることである。つまり,学習者同士の考えを発言し合うが,発言内容が徘徊
したままで終わり,授業の教科における目標も達成できないまま,学習者の発言が生
かされずに終わる話し合いのことである。
他に授業における話し合いが難しい理由として,
「授業計画は,同じ学年であれば
どの学校のどの学級に対して同じものが使えるというわけではなく,学級の実態に合
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わせて立てられるものである。そのため,学級の実態との整合性も問われなければな
らない」(村山 2007)とあるように,同じ授業計画でおこなっても学習者の実態が異
なることによって,授業の成否が変わってくることである。つまり,以前に話し合い
の授業において成立することができた学習課題を同じように学習者に提示しても,授
業における学習者の実態が変わることによって,課題に対する反応は勿論,学習者の
発言内容の違いによって話し合いの授業の流れも変わってくるのである。そのこと
が,更に話し合いの授業を成立させるための困難を来している理由なのである。
3
授業における話し合いを成立させるための指導方略について
授業における話し合いを成立させるための指導方略が明確になっていないため,一
部の教員の技術に留まり,次の世代の教師に継承されにくいのが現状であることは先
に述べた通りである。しかし,優れた教師による実践の振り返りや長い年月を掛けた
模索によって見出された方法論を探ることによって,授業における話し合いを成立さ
せるための指導方略が明確になってくると考えられる。例えば,大村(1989)は,
「あ
いづちを打ってそうだと言ったり,違うと言ったり,だれのと同じですね,その言葉
でも言えますねなどと語りかけて指導もしながらやっていくわけです」と,自筆の中
で述べている。つまり,授業における話し合いにおいて,学習者の発言に対して相槌
を打ったり,他の学習者の考えとつなげるための言葉掛けをしたりする指導方略が必
要となってくることが読み取れる。また,青木(1989)の自身の実践を振り返った所
感には,
「子どもの発言をうまくひき出すために,わたしの工夫したのは,
『合槌を打
つ』ということでした。この合槌,これは,一つには,今わたしは,君の話をよく聞
いているよという信号であり,二つめは,合槌によって同意,励まし,賞讃,共鳴,
共感,疑い,否定など,それとなく,その発言に,ソフトな評価を送ることでもあっ
たのです」と,大村と同じように相槌を打つことの必要性を述べていることから,授
業における話し合いの成立に必要な条件と考えることができる。
授業における話し合いが成立するための条件として,藤井(1996)は,教師の発言
の聞き方や反応の仕方について,3点を挙げている。
①
温かく受容的に子どもの発言を聞いている。
②
温かく関心を持って,発言内容の具体化を促す問い返しをしている。
③
明確になった論点について,他の子どもたちに広げて発言を促している。
このように,教師の聞き方や反応の仕方そのものも,その「話し合い活動」におけ
る論点を深めたり発展させたりする重要な機能を果たしていることも示している。
授業における話し合いでよく陥ることとして,学習者の発言による徘徊を挙げた。
このことに対する指導方法として,
「ゆさぶり発問」の研究が挙げられる。ゆさぶり
発問とは,授業において学習者が抱いていた認識を揺るがす質問をすることによっ
て,学習者が今まで固執していたことに対してもう一度再考することができるように
−8
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投げかける質問のことである。青木(1989)は,
「ゆさぶり発問の事例が数多く示さ
れているが,その発問例の多くは,否定・対立の要素を持った発問であるといえる」
と述べた上で,更に具体的な「ゆさぶり発問」について実践研究をもとに論じてい
る。
「それについては,吉本均氏を中心とする,諌早の授業研究グループの人たちが
すでに新しい開拓をされ,それを授業展開に生かしておられる。以下,その研究をの
ぞいてみようと思う。この人たちは,次のようなよび方で,発問を整理し,発問研究
に新しい実践の開拓をしている」と,述べた上で3種類の「ゆさぶり発問」について
述べている。このことについて,青木(1989)の文献に基づいて整理すると次の表1
のようになる。
表1 3種類の「ゆさぶり発問」のタイプ(青木(1
9
8
9)をもとに筆者作成)
タイプ名
タイプにおける内容
限定発問
学習者の思考を収束させ,方向付けるための発問。話し合いを「焦点化」させ
るために,ある事柄を限定して問うもので,主に対象の本質へ向かって追求さ
せる面が強い。
類比発問
ある事柄と事柄を対比させ,そのことで一方を浮きぼりにしていく発問。
否定発問
類比によるゆさぶりを更に強めたもので,矛盾した考えを学習者に提示し,更
に深く追求させるための発問。
このように,授業の話し合いにおける学習者の考えを深めるためには「ゆさぶり発
問」が重要な指導方略となり,教師による発問によって,学習者の発言が徘徊するの
ではなく,授業の教科による目標を達成可能なものとするのである。
しかし,この「ゆさぶり発問」の難しさについて,青木(1989)は,次のようにも
述べている。
「発問は,多くの場合,授業の過程において,即時的に,もち出される
ことが多い。それは,発問の持つ一つの特性といっていい。であるから,発問は,そ
れを子どもの学習の中に,持ち出すタイミングによって,そのはたらきが大きくか
わってくる。とすると,発問には,作ることの難しさと,それを使う(生かす)こと
の難しさといったものがある」
。話し合いを成立させるためには,ゆさぶり発問を作
る難しさと共に,ゆさぶり発問を使うタイミングの難しさ,つまり教師の即時的な意
思決定の困難さについて挙げている。教師が,事前にゆさぶり発問を考えて授業に臨
んでも,実際の授業において学習者の認識とずれが生じているため,ゆさぶり発問を
生かすことができず,学習者の考えが深まらないまま終わってしまう授業が度々ある
ことは,このことが原因となっているのである。
4
授業研究における帰納的研究方法
これまで学校現場では,大半の学校において授業研究を行い,授業を振り返るため
の事後検討会も行われている。事後検討会では,授業者が自分自身の授業を振り返
り,指導の実際と学習者の様子について,授業参観者と共に意見を交わす。このよう
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1−
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な授業研究を行うことで,教師は,教材の捉え方や学習者の見方,授業における指導
方法についての幅を広げることができる。
しかし,先に述べたように,授業は,その時々によって異なる学習者の認識を把握
し,即時に判断して,適切な指導を行う必要性があるため,その即時に行われている
教師の認識及び行動を把握することは難しい。また,授業参観者の発言においても,
参観者の主観的な発言に留まることが多く,明確な根拠を持って研究を行うことは難
しい。このことについて生田は,授業観察者における認識を調査した上で,次のよう
に述べている。
「授業の観察者の間で,授業の見え方の8
0%が異なることになれば,単純にその授
業がどうであったかを論ずることは困難といわなければならない。授業は見た人に
よって見え方が違う事象がかなりの程度存在することから,まず,その事実を実際の
授業過程にそって記録し,把握する必要がある」(生田 2002)
要するに,授業観察者による授業の見方の大半が異なるため,授業を客観的に分析
することは困難であり,授業を客観的に分析するためには,まずは授業の事実を実際
の授業過程にそって記録し,把握することが必要であることを述べているのである。
「創価教育学体系Ⅰ」(牧口 1930)において,牧口は,教育学研究の対象につい
て,
「教育の対象は児童であるが,教育学の研究対象は,教育活動の事実である。
」
と,教育活動の事実を研究することの重要性を述べている。更に,
「先ず成功と失敗
の事実を正確に認識し,その記録を作る事である」(牧口 1930)と,事実を正確に認
識し,その記録を作ることの必要性を述べている。
授業実践における事実を客観的に分析するためには,授業を IC レコーダーやビデ
オで記録し,教師及び学習者の発言等を文字に起こしてデータを作成することであ
る。更に,比較したい指導方略における成功した事例と失敗した事例の記録を正確に
記録することが,研究データとして必要になってくるのである。
更に,牧口は,教育活動の事実に基づいた研究における具体的方案として次のよう
に提示している。
「人間社会に行われる教育現象を,平面的に空間的に総合し,統観し,分析し,比
はた
較し,彙類し,統合して,個性的将特殊的事実を普遍化し,概念化し,以て知識の一
大系統に到達したのが,教育学の科学的研究の成果である」(牧口 1930)
授業研究の方法として,分析データをカテゴリー化によって数量的に分類し,そこ
から授業の特徴における概略を導き出すことの必要性を指摘している。このカテゴ
リー設定においては,授業記録をもとに修正,再解釈を行い,授業分析において妥当
性のあるものを検討した上で,設定することが重要になってくる。授業の観察,授業
の録音・録画等の視聴,あるいは授業記録に基づき単位時間ごとにカテゴリーと照合
してコード化し,出現頻度等を調査・集計を行い,分析・検討することによって,教
師及び学習者の行動を分析することが可能となってくる。
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分析データをカテゴリー化によって分析することで,教師が学習者に対して即時に
行っている行動を類型化し,教師の行動や学習者の反応を量的に分析することが可能
となってくる。更に,量的に分析したデータを質的に分析することによって,授業に
おける教師の具体的指導を抽出することができ,そこから有効な指導技術を見出すこ
とができるのである。
しかし,教師の授業技術について,生田は「授業が開始されれば,そこでは教材と
子どもと教師のその時々でのダイナミックな関係が生まれる。これらの複合的な相互
作用の展開のなかで,教師は授業事象の「みえ(認知)
」にしたがって,次々と意思
決定として授業技術を適用する」(生田 2002)と,教師の認知の重要性について述べ
ている。そして,意思決定過程の文脈から捨象した教育技術それ自体を訓練する方法
はそれほど有用でないことを指摘している。
教師による「意思決定」について,吉崎(1983)が「実施過程における教師の教授
行動は,複雑な情報処理の後になされる意思決定の結果である。つまり教師は,時間
や設備といった物理的条件の制約のもとで,児童生徒の理解や意欲の状況を推測しな
がら,当初の授業計画を変更すべきかどうか,意思決定している」と述べているよう
に,教師による「意思決定」は,授業設計の段階において学習者の認識を考慮しなが
ら事前に準備されているものもあるが,授業では学習者の認識内容が刻々と変化する
ため,教師における発話の大半がその変化に対応するために即興的に行わていること
を指摘している。
このことについて牧口は,
「自然現象に於ける因果の法則に人間の意思の加わった
人為的因果の関係を研究対象として比較考察して,生滅変化きわまりない外観から,
恒常不変の人為的因果の法則を発見し,抽象して,以て新たな生活の基準又は原則と
する」(牧口 1930)と述べている。つまり,
「人間の意思の加わった人為的因果の関
係を研究対象」とあるように,教師の行為だけでなく,教師の内面について研究をし
ていくことによって,教育学が応用科学として成立することを述べているのである。
牧口は,研究の方法について次のようにも論じている。
「自然科学的の研究法を以
て,言行に表れた教師の動と生徒の反動とを客観し主観し,それによって心の働きを
推究する方法を採ることをせず,却って自分の内心を省みて,それの表現と他人の言
行とを比較し,それによって推測するより以外に他人心内の秘密を知ることの出来な
い精神科学的研究方法を,昔からの伝統通りに哲学者乃至哲学的教育学者が今尚踏襲
して居るから,実際教育者の待望する教育指導原理は何時までも出て来ないと信ず
る」(牧口 1934)
「言行に表れた教師の動と生徒の反動とを客観し主観し,それによって心の働きを
推究する方法」とは,分析データをもとに,教師の動と生徒の反動とを客観的に行動
分析するだけに留まらず,授業における行動の背景にある教師の内面を,授業を振り
返りながら主観的に述べることによって,指導原理を導くことができると解釈するこ
−8
3−
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とができる。
つまり,教師が授業を振り返る際,分析データに,教師自身の認識や判断,意思決
定などの内面を付与することにより,教師の行動分析だけでなく,指導の背後にある
教師の認知を分析する手懸かりともなるのである。
そこで,分析データとして,文字起こしをした教師の発話データに対し,
「発話の
理由」と「教師の内面」を文章で記述し,さらに分類カテゴリーを検討した上で付与
していくことを試みる。つまり,文字起こしした発話データに対し,最低4回(発話
の理由記入,教師の内面記入,発話カテゴリー記入,内面カテゴリー記入)の解釈を
行い,作成していくのである。
(図6参照)
このような分析データをもとに,どのような視点を持って研究を進めていくかにつ
いて,牧口は,教育活動の観察方法として,次のように述べている。
「一,先ず流れ
の先端に立ってこれを迎観し,最後の口を横断的に観察し,二,次に側面に立って時
順的に変化する状態を縦断的に観察し,三,最後に発見し行く後方に立って,最初の
起原より次第に進行し,一定の方向に変遷する進化状態を統観する」(牧口 1930)
要するに,教育活動の観察方法として,横断的観察,縦断的観察,進化論的観察の
3方向が挙げられているのである。これらについては,牧口は教育活動全般における
広義的な観察方法として述べている。しかし,このことを授業研究として狭義的に解
釈するならば,横断的観察とは,授業で行われた教師の指導及び学習者の反応の一つ
一つに分析を加えていくことと捉えることができる。つまり,授業における発話記録
注:筆者の修士論文より引用
図6 授業における発話データの分析画面
−8
4−
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に対して,発話の理由,教師の内面,発話カテゴリー,内面カテゴリー等を記入し授
業評価をすることは,横断的観察を行っていると言える。その分析データをもとに,
カテゴリーをカウントすることによって,教師の授業における行動を量的に分析する
ことが可能になってくる。
(表2参照)また,教師の授業における内面についても量
的に分析を試みることができる。
(表3参照)更に,教師の行動及び内面をクロス集
計することによって,教師の授業における行動及び内面の関係性について特徴を捉え
ることができるのである。
(表4参照)
縦断的観察を授業研究において解釈すると,授業データを時系列に区切り,授業の
流れ全体においてどのような特徴があるのかについて分析することと捉えるができ
る。例えば,分析データに対して時系列で抽出したいカテゴリーを付与し,授業時間
及び発話番号順にデータを区切った上で,区分ごとのカテゴリー頻度を調べ,授業の
流れ全体における特徴を捉える方法である。
(図7参照)創価教育学体系では,これ
らの観察を量的に行った上で,更に,質的に分析することが述べられている。
表2 教師の行動を分析した分析画面
【発話】
言葉掛け
指示
質問
賞賛
相槌
総数
国語
2
8
1
9
2
6
1
6
5
8
1
4
7
算数
5
4
6
2
4
9
1
3
8
1
2
5
9
注:筆者の修士論文より引用
表3 教師の内面を分析した分析画面
【内面】
確認
確認
確認
確認
(意思) (理由) (事実) (根拠)
受容
促し
評価
総数
2
4
1
6
1
4
7
9
5
1
3
2
5
9
国語
1
7
2
3
7
1
1
4
9
算数
4
8
3
1
1
3
6
8
注:筆者の修士論文より引用
表4 教師の行動と内面をクロス集計した分析画面
発話カテゴリー
教科
言葉掛け
国語
算数
指示
国語
算数
質問
国語
算数
賞賛
国語
算数
相槌
国語
算数
内面カテゴリー
確認
確認
確認
確認
受容
(意思) (根拠) (事実) (理由)
1
5
2
8
8
1
2
1
3
2
1
促し
評価
4
1
9
6
0
3
1
9
1
2
4
1
8
1
9
8
1
6
1
3
2
2
4
9
6
7
−8
5−
5
1
3
研究ノート:創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
注:筆者の修士論文より引用
図7 発話番号を5
0ずつに区切った時系列での分析画面
創価教育学体系Ⅰでは,横断的観察と縦断的観察における2つの統観を「生活の観
察」として位置付けている。
「生活の観察」とは,事実に基づいた帰納的研究方法の
ことである。つまり,帰納的研究方法は,横断的観察と縦断的観察による2つの統観
方法によって分析を行うことを述べているのである。
これに対し,進化論的観察(歴史的考察)は,演繹的考察として実験証明をした後
に位置付けられている。このことについて,熊谷は「歴史的考察は,帰納的研究によっ
て明らかにされた理論なり概念を社会,ここでは教育の発展過程に位置付けて,その
妥当性を論証することである」(熊谷 1994)
つまり,進化論的観察は,帰納的研究によって明らかにされた理論なり概念を用い
て教育の場で実践し,検証することによって妥当性を論証することである。
これを授業研究において解釈するならば,帰納的研究によって導き出した仮説概念
を,授業実践において意識的に取り入れ,検証することによって,妥当性を論証した
り,改良概念を検討したりすることと言える。
牧口の教育研究の特質は,帰納的研究によって導き出した理論や概念を,教育現場
−8
6−
創大教育研究
第2
0号:矢野
注:筆者の修士論文より引用
図8 具体的授業事例を通した質的研究の分析画面
において実践し,検証していくといった演繹的研究を取り入れることによって,理論
や概念だけに留まるのではなく,実践における認容によって証明を試みていることで
ある。そして,帰納的研究と演繹的研究とを循環して行うことによって,教育実践に
おける有効な指導方略を導き出すことを提起しているのである。
横断的統観及び縦断的統観のカテゴリー分析を行うことで,授業における教師の指
導や学習者の反応について量的に特徴を把握し,要素を抽出することが可能となって
くる。更に,授業の成功事例と失敗事例について量的に要素を比較検討することに
よって,その等同差異から成功要素を導き出したり,失敗の原因となる要素を見つけ
たりすることができるのである。そして,その教師の成功及び失敗要素が,どのよう
に学習者の反応に結びついたのかを,具体的授業事例を通して質的に研究することに
よって,因果関係を見つけていくのである。
(図8)
5 「合理的学習」の計画・設計方法の考察
牧口は,授業の能率を上げるために,授業の計画・設計を重視している。このこと
について牧口は,
「被教育者即ち学習者の生活が無意識の行動から跳躍して,意識的
である計りでなく,己の仕事に明目的であり,且つそれに向かって計画的の手段を選
んで進行することが出来なければならぬ。この域に被教育者を到達させることによっ
て初めて能率の最高限度に上げしめることが出来ると信ずる。合理的学習とは之をい
う」(牧口 1934)と述べている。つまり,教師及び学習者が,授業における学習の目
的を明確に持ち,計画的に学習を進めることによって,合理的学習が成立すると述べ
ている。
−8
7−
研究ノート:創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
しかし,牧口の述べる合理的学習は,単に教材を整理し,授業の目的を明確にさ
せ,教師が計画的に学習者に知識を教えることを述べているのではない。そのことを
示す内容として,
「而してその攻究すべき計画とても,技術者自身の活躍を大衆に観
賞せしめて,直ちに喝采を博せんとする一般芸術などと異なって,教育技術は被教育
者の蔭にかくれて,其れに創価能力の附与するを謀り,間接に社会に貢献するものた
ることを理解し,なるべく表面的の教授を控え,被教育者の自発活動の指導をなすた
めの手段として研究することを忘れてはならぬ」(牧口 1934)と述べているように,
学習者による自発活動を促進するための教師の指導であり,計画であることを示して
いる。そのことは,
「教育学の本当の問題は,教師自身の働き方よりは,子弟をして
如何に価値ある働きを為さしめるかの指導法を研究するのにある」(牧口 1934)と,
牧口が述べていることからも読み取ることができる。
つまり,牧口が述べている授業における計画及び指導方法は,学習者が主体的に活
動をするための教師の計画や指導方法なのである。
牧口は,新教育学建設のスローガンとして,
「経験より出発せよ。価値を目標とせ
よ。経済を原理とせよ」(牧口 1930)と提唱している。更に,
「学習力に於て,教授
力に於て,時間に於て,費用に於て,言語に於て,音声に於て,常に経済原理を旨と
し,文化価値を目標として進め」(牧口 1930)とも述べている。
この経済原理を旨とするための教師の指導方法について,
「教え方の巧拙とは教師
の活躍分量の多きを云うのではなくて,児童の活動の多量のを云うことを忘れてはな
らぬ」(牧口 1934)とあるように,牧口が提唱している経済原理とは,教師が学習者
に効率的に教えることではなく,授業において学習者が主体的に活動できるような教
師の指導方法について述べているのである。
では,学習者が主体的に活動に取り組むことができる授業を構成するためには,ど
のようにしたら良いのであろうか。牧口は,
「被教育者の性質を見極めて之に適当す
る様にし向けなければならない」(牧口 1930)と,学習者の実態把握の必要性につい
て述べている。
牧口は,教師が学習者の実態を把握しないで授業を行うことの非経済性について次
のように述べている。
「即ち自分の経験範囲内から具体的観念を構成し得べき抽象概
念の外,理解したと称し得ないものであり,これ以外これ以上の理論は,如何に論者
が骨折って説明しても,これが理解をなさしめる事は,結局徒労に属する事で,それ
は恰もいくら大人が子供に教えようとしても子供の経験し得る範囲外の事柄は,結局
無理解に終ると同様である」(牧口 1934)
要するに,学習者の経験認識に基づいた指導を行うことで,効率の良い指導ができ
ることを述べているのである。新教育学建設のスローガンにある「経験より出発せ
よ」とは,学習者の経験に基づいた認識を教師が把握し,その認識をもとに学習を展
開することについて述べていると解釈することができる。そして,牧口の言う学習者
−8
8−
創大教育研究
第2
0号:矢野
の性質を見極めるとは,単に学習者の性格を認識することではなく,学習者の経験に
基づく認識把握とも解釈することができるのである。
この学習者の経験に基づく認識から出発し,学習者が互いに考えを深めていくこと
ができるための方法として,牧口は,
「思考のなかに矛盾や誤謬を発見する。この矛
盾誤謬が現れる事からして,思惟は,展開するのである」(牧口 1930)と述べてい
る。このことを授業づくりにおいて解釈するならば,教師は,学習者の思考の中の矛
盾や誤謬を見つけ,そのことを学習者に投げかけることによって,学習者の思惟が深
まることができると捉えることができる。
つまり,牧口は,学習者が互いに自分の認識を出し合い,その認識における矛盾や
誤謬を教師や学習者自身が見つけ,更にその矛盾や誤謬を解決するために,学習者が
自分の考えを出し合うことによって,思惟を深めていく。このような授業展開を提唱
したのではないかと推測できる。
このように考察すると,牧口が提唱している授業計画及び設計は,単に教師が教材
を解釈し,学習者に分かりやすく提示する方法ではないことが分かる。牧口が提唱し
ている授業計画及び設計は,学習者の認識把握をおこなった上で,教師が事前に学習
活動のイメージを行い,学習者の思考を促すための「学習課題」や「ゆさぶり発問」
を事前に考え,学習者の主体的活動によって,価値目標に近づくことができるかどう
かを検討してから授業に臨むことであり,そのことによって合理的学習が可能になる
と解釈できるのである。
筆者は,学習者の認識に基づいた授業方法として,静岡県安東小学校で行われてい
た座席表指導案に着目し,自らの授業づくりに取り入れ,実践を行ってきた。座席表
指導案とは,教室における学習者の座席の配列と同じように書かれている座席表用紙
に,教師が把握している学習者の認識を事前に記述し,その学習者の認識相互のずれ
(矛盾)をもとに課題や発問を計画する指導案のことである。
(図9)学習者同士の
認識の矛盾から,課題や発問を検討したり,その課題や発問によって学習者の認識が
どのように関わり合い変容していくかについて教師が授業を構想したり,学習者の関
わりによって授業の目標に近づくことができるかどうか検討したりするのである。座
席表に記述する学習者の実態は,事前の授業における学習者の発言やノートの記述に
基づき,書き入れていく。つまり,事前の授業における学習者の認識把握が,次の授
業の展開につながるように授業や単元を構成していくのである。このような授業を行
うためには,前時と本時と次時における学習者の認識がつながるように単元を構成し
ていく必要性がある。また,教師が学習者の認識を授業中に把握するためには,教師
自身が学習者に学習内容を教えようとするのではなく,課題に対して学習者が互いに
自分の考えを出し合うことができるように授業を構成する必要性がある。
座席表指導案のように,学習者の認識に基づいて,教師が学習者に投げかける課題
やゆさぶり発問を事前に計画・設計をすることで,学習者が自分の経験に基づいて主
−8
9−
研究ノート:創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
※小酒井厚子,大坪弘典「座席表授業案の活力―安東小学校における実践―」黎明書房
(1
9
9
1)より抜粋
図9 座席表に学習者の認識を把握した上で作成した授業案
体的に学習に取り組むことが可能となってくる。さらに,計画・設計と授業の実際を
比較することによって,計画通り進んだ点と,計画とは異なってきた点を見出すこと
ができる。そして,実際の授業が計画とは異なってきたことについて,何が原因で授
業の流れが変わってきたのか,その時の教師の働きかけや認識はどのように行われて
いたのか,そして,教師の働きかけによって学習者の思考の流れはどのように変わっ
ていったのかについて分析することが可能となってくる。
更に,計画・設計と実際の授業を比較することで,学習者の経験に基づく認識が,
学習者の主体的活動によって変容し,そのことが授業の目標に近づくことができたか
どうか,また,授業時間を計画・設計通り進めることができたかどうかについても検
討を行い,成功及び失敗の判断材料にすることができるのである。
6
分析内容の統合による基本モデルの設定
ここで再度,牧口が提示した教育活動の事実に基づいた具体的方案について検討し
てみたい。
「人間社会に行われる教育現象を,平面的に空間的に総合し,統観し,分析し,比
はた
較し,彙類し,統合して,個性的将特殊的事実を普遍化し,概念化し,以て知識の一
大系統に到達したのが,教育学の科学的研究の成果である」(牧口 1930)
この内容は,前述したように,授業における研究方法についてではなく,教育活動
−9
0−
創大教育研究
第2
0号:矢野
全般について述べているものである。しかし,このことを授業研究における方法とし
て狭義的に捉え,考察を試みていきたい。
牧口は,教育技術の採集の必要性について次のように述べている。
「無意識の試行
錯誤を繰り返して来たのが,他の方面の創価活動でも同じである如く,失敗は固より
多くても成功もまたあり,その中に他人が感心して模倣する様な大成功も,個人の一
生には稀有であるにもせよ,人類を見通すときは,世界各国共に固より少なくない。
然るに惜しむらくは教育技術に於いては,それが採集に研究に注意するものがなかっ
た為に,他の作品の残る芸術などの様に,採集保存することを人間がしなかったので
ある」(牧口 1934)とあるように,牧口が創価教育体系を著述した時は,教育技術の
採集が殆ど行われていなかった。しかし,現在では,先人による多くの教育実践が記
録され残されてきている。このような教育技術を採集することが,研究において最初
に行われることである。そして,自分が研究したい事柄について,日本及び世界で行
われている実践データや,過去のデータを集めた上で,自分の実践を検討し,計画・
設計したり,分析したりするのである。
牧口が述べている「平面的に空間的に総合する」とは,実践データを幅広く採集す
ることと解釈することができる。幅広く採集したデータは,計画・設計において検討
材料として用いたり,自分の実践を分析する際の比較データとして取り上げたりでき
る。勿論,自身が行った実践記録におけるデータを採集し,その成功事例と失敗事例
を比較することも含まれる。
授業研究においては,IC レコーダーやビデオで記録した授業内容を文字起こしを
して分析データとして記録しておくことによって,研究材料となってくる。授業にお
ける成功事例と失敗事例における文字起こしデータを採集することが重要である。
採集した文字起こしデータをもとに,統観を行う。統観は,前述したように,横断
的観察と縦断的観察,そして,進化的観察の3方面があるが,帰納的分析の際には横
断的観察と縦断的観察を用いて分析を行う。
それぞれ,横断的観察及び縦断的観察を行った分析データをもとに,授業において
成功した事例と失敗した事例を比較検討していく。この際,カテゴリー化によって,
量的に分析した上で,成功事例と失敗事例の違いを見出し,そこから成功事例及び失
敗事例の要素を抽出するのである。その抽出した要素に基づき,具体的事例に対して
質的分析を行い,具体的にどのような教師の働きかけが成功及び失敗の原因となった
のか考察するのである。
牧口は,教育方法学が成立するための条件として,次のように提起している。
一,教師の実生活から帰納したものであるべきこと。
一,教師の生活中たまに遭遇する会心の場合を反省して,真理に合したもの,即ち合
理的なもの。会心の結果とは,即ち合理的の手段であって,その中には必ず真理
が含まれて居るに相違ない。
−9
1−
研究ノート:創価教育学体系における教育実践の析出方法の考察
一,仕事の反省的記録。
1
価値観より選び分け,外部よりのより分け
①
成功要素とその理由
②
失敗の原因の思考と要素
2
分析的思考,内部よりのより分け
①
因果関係の考察
教育方法学が成立するためには,教師の実生活から帰納したものであり,その記録
に基づき成功及び失敗要素の抽出とその理由,更に因果関係を考察することを述べて
いる。
更に,着目したい点は,
「教師の生活中たまに遭遇する会心の場合を反省して,真
理に合したもの,即ち合理的なもの」と述べていることである。合理的なものとは,
偶然によって起きた事例ではなく,目的・設計に基づいて行われているものと解釈す
ることができる。つまり,牧口の述べる研究を具現化するためには,
「目的・計画」
「実践」「分析」の3方面からアプローチすることが必要となってくると考察でき
る。
目的・計画に基づき,合理的な学習を行い,更にその上で成功事例と失敗事例を採
集して分析を試みるのである。このような設計概念と分析概念における相互関連を考
慮し,検討することによってモデル化を行うのである。
モデル化を行う際,授業の解釈と修正を繰り返し行い,授業の特性にあった概念を
見出し,その概念及び既念間の関連を統合することによって暫定的にモデルを構成す
はた
るのである。このように基本モデルを作ることは,牧口が述べている「個性的将特殊
的事実の普遍化」とも解
釈することができる。
この統合によって設定
した基本モデルを仮説概
念とし,その仮説検証を
行うために,基本モデル
に基づいた授業設計,実
践,分析を再度行い,検
証することによって実験
証明を行うのである。こ
の実験証明を繰り返すこ
とによって,牧口は指導
方略における普遍化及び
概念化を図ろうとしたの
ではないかと考察するこ
注:牧口(1
9
3
0)より筆者が作成した。
図1
0 創価教育学体系に基づく教育実践の析出方法の考察
−9
2−
創大教育研究
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0号:矢野
とができる。授業の分析の方法として牧口(1930)の示した研究方法を筆者なりに解
釈し,析出方法を考察し図に示した。
(図1
0)
7
考察を振り返って
牧口の提唱した研究方法は,教育実践における教師の反省的記録をもとに,帰納的
研究によって仮説概念を導き出し,更に実験証明によって仮説を検証する演繹的研究
を循環して行うことによって,教育実践における有効な教育方法を導き出すことを提
起している。更に,帰納的研究と演繹的研究によって導かれた理論及び概念の妥当性
を証明するために,進化論的観察(歴史的考察)及び批判的考察を行うといった深遠
な内容である。
本研究は,授業における帰納的分析方法について,牧口の示した創価教育学体系を
自分なりに解釈し,考察を試みたものに過ぎない。勿論,帰納的研究方法として,行
動分析によるカテゴリー化の妥当性,教師の内面分析による客観性など,多くの課題
があることも確かである。
しかし,近年において漸く着目され始め,未だきわめて困難な課題として,その解
決の方法さえ明らかにされていない教育実践研究について,今から8
0年前に,牧口が
創価教育学体系において,その方向性を提唱していることに驚嘆させられる。
今後,更に創価教育学体系を研究し,解釈を試みることによって実践に基づいた指
導方略を析出できるよう努めていきたい。
引用文献・参考文献リスト
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Fly UP