Title 販売管理生成の前段階 Author(s) - Kyoto University Research
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Title Author(s) Citation Issue Date URL 販売管理生成の前段階 橋本, 勲 經濟論叢 (1975), 116(5-6): 225-241 1975-11 https://doi.org/10.14989/133629 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University セ E ト . A . . . . . . 面河 第 116巻 第 5・6号 ー ー ー ー ー ー ー ー . . . . . ・ ー . ‘ 販売管理生成の前段階 橋 本 勲 、 1 渡 辺 尚 18 ・ …奥 田 宏 司 62 帝国主義形成期の資本輸出と貿易・ ・ ・ . . . . . . . ー ・ 中 村 雅秀 88 特別預金制度と財政・通貨危機 ・ 鶴 田 廉 ーー大 野 英 仕事場から「工場」へー 1 9 2 4 年,ヲイヒスマルクをめぐる ドノレと λ ターリ γ グの角逐 ・ ・ ・ ・ H 書 H 巳 1 1 1 評 J コッカ『戦時の晴級社会一一ドイツ社会史 1914-1918-~ … " ・ ー ー ー ー ー ・ ー ー ー ー ー . . 経 済 論 叢 第1 1 5巻・第 1 1 6巻 総 目 録 昭 和50 年 11.12月 東郡大号鯨f 符号奮 140 ( 2田) 1 販売管理生成の前段階 橋 本 勲 I 問題提起 企業マーケティ 体を通じ Y ク論はいかに発展したか。別稿において,その発展過程全 ζの極めて形式的な考察を試みる予定である。-+稿においては,企業 的マーケティング論はいかに発展したかとしづ発展過程の問題について,多少 とも立ち入った実質的内容分析を試みる。 すでにみた上うに,企業的マ 論の歴史的発展過程は 3段 階 に 分 ケティ '/f けられる。lIN売管理論,マーケティング管理論,マネクリアノレ・マーケテ< y グ論の 3つの段階である。それらの発展段階について,それぞれ順序者追って 分析する。 Lか し 本 稿 で は , 販 売 管 理 論 成 立 の 前 提 条 件 と 販 売 員 お よ び 販 売 管 理 の 先 駆形態について考察する。 なお,この問題に対する分析について 3つのことを断っておかなければなら ない。 第 1は,乙れらの管理論を生成させ,発展させ,消滅させた社会経済的基盤 からの全面的考察は捨象され,部分的に必要なかぎりにおいて言及きれている ということである。したがって,第 2に,分析の中心は,それぞれの管理論の内 容あるいは構造と規定要因に限定されるが,ここでは前提条件の考察にとどめ bれるというよとである。なお,第 3 に,管理 (management あるいは a d m i n i s t - ロ〉と管程論 (theoryofmanagement) とは,本来は異なってし、る。 r a t r o マ しかし, ケティング論発展の母閣であるアメリカにおいては論 (theory) の表現は 2 ( 2 2 6 ) 第1 1 6巻 第 5.6号 とられず,実質的には「管理 J の名の下に「管理論」が意味されているのーに ζ こでは 応,表現としては「論」を省〈ばあいもある。 I I 販売管理生成の先駆と条件 販売管理は.文献的には 20世紀初頭の 1910年代から 20年代にかけて生成,確 立した。 1910年代が生成の時期とすれば, 20年代は確立の時期であるJ)。 では,販売管理はいかに生成したのであろうか。まず,生成の前段階としに 販売員の先駆形態を考察する。 販売管理の成立には,主体的要因と客体的要因がある。換言すれば,管理主 体の成立と管理客体の成立である。第 1の管理主体とは,独占的産業資本の成 立である。この成立過程の分析は,独占資本あるいは独占資本主義成立過程の 客観的基盤の分析問題になるので,ここでは省<"。 第 2の管理客体とは,販 売管理の管理対象としての販売労働者の成立である。この成立過程の分析は, 資 本 E賃労働との資本主義的雇傭関係の成立の分析問題になるので,独占資本 の成立過程の分析止は無関係ではない。しかし,ここでは,版売管理の生成と いう視点に焦点を絞って,販売労働者がいかに生成発展し,いかなる性格をも っていたか,またし、かに発展変化していったかという問題を中心に考察を進め る 。 (J) 問題提起。販売管理の客体的要因としての販売労働者はいかにして生 成 Lたか。特にその先駆形態から追跡する。 占舗内の販売員にせよ,庖舗の外にあって販売に従事するいわゆ 販売員は ,h るセーノレスマンにせよ,独占資本主義成立以前から存在していた。いわば,管埋 成立以前の販売員℃あった。しかし,これらの販売員は,ほとんどは特定の企業 に雇傭され cし、ない自主独立のセーノレスマンか,商人のセーノレスマンであった。 1 ) 橋本勲「マーケティング論の成立」ミネルヅァ書房> 1 9 7 5 年 , 223ベ ジ以下。 2 ) 簡単な展開については橋本鼎「現代マ ケテイング論」新評論. 1 9 7 3 年. 14ヘ ジ,中野安, 年 , マ ケテイソグの生成,森下三次也繍「マーケティング経済論」下, ミネノレヴァ書房, 1973 9~ ー ν 以下,参院。 胆売管理止成の前段階 ( 2 2 7 ) 3 し か る に , 独 占 的 産 業 資 本 が 次 第 に 成 立 Lて く る と , 産 業 資 本 は , 生 産 過 程 における生産労働者を雇傭しただけでなく,流通過程において販売労働者を雇 傭しはじめた。ここに資本による労働の従属過程が進行する。資本は資本の論 理に従って,まず生産労働者を自己の指揮監督の下に包摂し,次いで販売労働 者を包摂する。この包摂過程によって,かつてのたんなる販売労働者は,資本 家によって雇傭され支配された販売賃労働者に転化する。かつての自主独立型 セール λ マンは,資本によって雇傭された企業従属型セ ノ レ ; ' , <γ に転化する のである3)。そ ζ に 資 本 に よ る 賃 労 働 者 の 指 揮 監 督 す な わ ち 管 理 が 成 立 す る 前 提条件が形成されるの己あるべ 次に,乙の独占資本主義以前の白主独立型セ ルメ、マ γ の 歴 史 的 発 展 変 化 過 程 七 七 ー ノ レ ス マ Y の性格について,考察する。 自主独立型セ ノレスマンから企業従属型七 セールスマ γ の存在形態には, , 商人)5), 第 2に に , ノレスマ γ へ の 生 成 過 程 に お け る :lつある。第 1に,ベドラ (peddler,j t 仇芳郎回 ドラマー (drummer,地方巡回販売員または地方巡回商人),第 3 トラプリンク・セ ノレスマン (travellingsalesman,地方巡回セ ルスマン〉で ある。これらの販売員は,基本的には自主独立型セーノレ~"7ンであるが,後に 発展するに従って企業従属型セ ノレスマンに接近してきている。 まず,独立型セーノレスマ Y に つ い て み る 。 そ の 最 初 の 先 駆 形 態 は ベ ド ラ で あ る 。 ベ ド ラ ー は 18世 紀 末 か ら 19世 紀 に か け て の 販 売 員 の 代 表 的 存 在 形 態 で あ った。ベドラーの主な仕入先は,ニュー・イングランドの製造業者である小生 3 ) 独占資本主葺成立の初期, 1 0 1 7 年における第 1次大戦終了時の Sales1 1グ"nαgementA1aga 86 社についての調査によれば,過去 1 0年聞に販売組j 肩車に雇傭されたセールスマン zuw誌による 2 の人数は 3倍に増大したといわれる。 2唯紀初頭以降,企業従属型セ ルスマ γ ¢増大が顕著で あったようである。 4 ) 管理概念については,ょこで許制に論じられないが,最近。研究として,角谷壷志雄, r 資本 論』と管理概念, I立命館経古学」第 13巻,第 5,6号 , 1975年 2月 , 1へ ジ以下,参照。 . 5 ) Peddlerは , ナイストロムによれば, commercialt r a v e l l e ri ::.いわれ,また greet百とも呼 ぷ人もいる ( P .H.Nystro 町 , EconOn2i f ! (J f Retailing,1915,p .3 3 . ) . なお下川浩教授は 「自立的行商人Jとして適確な表現をとられている(下川浩一,アメりカにおけるマーケティ γ グ成立史, I 経営史学」第 9巻,第 1号 , 1974年 7月 , 85~. シ 〉 。 第 116巻 第 5.6号 4 ( 2 2 8 ) 産者や卸商人であり,したがってベドラーは彼らの代理商人でもあったが,主 として卸商 (wholesalehouse)から仕入れていた。そして得意先の信用の調査や 集金もしていた。彼らは I 最初のセーノレスマン J6) とも呼ばれ, 馬車, 蒸気 汽船で旅行し,町から離れた地方の開拓者や農民に販売していた。したが勺て, タウン相互間の連絡や内陸辺境地への移動商人あるいは旅商人であった。彼ら は主として馬や馬車によって旅行してレたので,その取扱商品は馬の背中に乗 せられる程度の小さレ商品に限られ,余り大きい商品は売られていなかったが, 商品種類はかなり広u 、範囲にわたっていた。 ~J えば,針,ピ Y ,皿1,鍋,釜, ブリキ製品,ナイフ,ハスケヲト,特に時計などの軽工業製品が主だといわれ Cいる。また糸,ボタン, J リボン,レースなど繊維関係品,特に香料,紅茶, ーヒーなどの食料品,化粧品,万能薬などの薬粧品なども売られていた。な かでも最も人気のあったのは,ヴァイオリ ている九これらの商品からみて, γ の弦や眼鏡なとであったといわれ ベドラーは小生産者の製品を中心にした土 ろずや的旅商人であったと左がわかる。これらの商品の宅産地はニュ ・イン グランドであったから,彼らはヤンキー・ベドラー (yankeepeddler) といわれ, 南北戦争後は家庭から家庭への個別訪問 (hou配 .to.hou世 田 nvassing,peddling) を おこなっていたへまた彼らは,旅先の小生産者や商人から,原料品を買いと り,交換の役割も果していた。 ヤンキー・ベドラーは 19 世紀初頭の 1800年に約 1, 000人位いたともいわれ るが, 1807年の恐慌の結果,卸商が遠隔地の小売商から集金するのに困難を感 じはじめ,そのころから増えはじめた九半世紀たった 1850年には 10, 609人 , 1860 年には 16, 594 人ともいわれるが,当時の統計事情から推断して必ずしも正 6 ) 下1 1 1 浩一,向上. 6ヘジ。 7 ) S .J .ShapiroandAntonF .D田 dy ,( e d . ),Readingi nt h eHisto叩 ofAmericanMark e t 悶 g ,SettlemellttuC叩 u >l恒久 1 9 6 8 . などによった白髭武, マーケテイングの発生, I 経 営論集」第 16 巻,第 2号 , 1968 年12月. 1 5 ページ,参照. 8 ) 剖えば, C.H.F e r n a l d ,Sales anship,1926,3rded.,1942,p .4 ; E.A.Duddy8 n r l口 A.Revzan , ル1arketing,1953,p .1 5 9 ,をみよ。 9 ) P .H.Nystrom,Thr :& ; υr U : . m u . ι,0 . /Retcultng ,1915,p .3 3 間 吋 ( 2 2 9 ) 5 販売管理生成の前段階 確な数字とはいえない 1 へ そ の 後 , 南 北 戦 争 の 影 響 で 一 時 衰 退 し た 。 し か し 18 70 年代以後になって戦争が終ると,また増大しはじめたが, 8 0年 代 に 入 札 道 路網や鉄道網の建設が進むと古い型のベドラーは本格的に衰退しはじめたとい われる。その頃になって, ドラマーやトラプリング・セーノレスマ γ が拍頭しは じめたのである。 ベドヲーが発展すると,次第に取故い商品も専門化¥..-,特定のある特定製造 業者を代表 Tる傾向をみせる商人が増えていった。また他方,ベドラーの中に は,地方の小売庖に相当まとまった量の商品を売りはじめ,後の卸セ ノレスマ ンに発展するベドラーもいた)1)。 第 2の先駆形態は, ドラマーである。ベドヲ が次第に卸商人と関係をもつ ようになり,取扱商品もある程度専門化してくるんドラマ ドラマーの主たる仕入先は卸商であった。 ドラマ に転化してくる n は,最初は町から町を巡回 L その町のホテルなどで小売商人と会い,卸商人白眉に買いに来ること主す すめたり,注文をとったりしていたが,後には小売商人の庖舗に直接に訪れる ようになった問。 1873年〔グロスQ)1837年はミスプりとも思われる〕の恐慌で財産 をなくした卸商のために,販売すなわち価値実現に努めただけでなく信用問題 についての情報を集めたりもしていた印。 れている。 ドラマ したがって代理旅商人などとも呼ば は , 1 860 年ごろから次第に衰え取引量の大きいときなどに は,次のトラプリング・セーノレスマ γ に次第にかわっていった山。 第 3の先駆形態は, トラプリンク・セーノレスマ γ である。この地方巡回販売 員は卸商人や地方の小売商人が主な得意先であり,主とし亡卸商と,地方の小 1 0 ) 白 髭鵡, ィークプイング町発生(1), I 明治大学経営論集」第四巻,第 2号 , 1968年 12月,1 0ぺ シ 。 1 1 ) G . H.H otchkiss,M i l e s t o n e sofMarketing ,l S, 描 p .. J6 b 1 2 ) L .K.Joh田 Dn, 品 , [ , 白 andMarketingManagement,p .5 ,A.W.Douglas,Travelling ψ,1919.p .4 Salesmansh 1 3 ) A.Gr四5,Salesma悶 h i T .1 9 5 2 .P .7 .R .Canfield,Salesm帥 s h i ρ,1 9 4 0,2nde d .,1 9 5 0 ,p .7 ,P .D.Conv白 s e ,ElementsoJ 1 4 ) B ルlm'keting ,1935,p .1 9 1,などをみよー 第1 1 6巻 第 5.6号 6 ( お0 ) 売 商 の 当 時 の 形 態 で あ る よ ろ ず 屋 (generals t o r e ) とをつないでいた。取扱商品 も最初は商品ライ γの幅が広〈よろず屋型であったが,次第に専門化して新し い工業製品が中心になっていった。この工業製品の生産者のなかには後にマー ケティング管理の主体こなる独占的産業資本に成長する企業が少なくなかった。 トラプリング・セ ルスマンは,取扱商品の性格から次第に企業従属型セーノレ ス マ γ に転化する傾向をもっていた出。 ともあれ, γ は. 1 865 年 に は , 総 数 1, 000 人であったが, ったともいわれている闘。 ドヲプリング・セーノレスマ 70 年 に は 政 府 統 計 C7, 000 人 ιな しかし,それぞれのt ールスマンの区別は必ずしも 明確でないので,古いタイプの七 ルスマンは, 1890 年ごろまでが全盛期であ コたといわれる。 以上, これらの自主独立型七ーノレスマ γ の 発 展 変 化 過 程 に お い て は , 次 の よ うな重要な特徴がみられる。再確認すると,最初の段階のベドラーは,自立的 旅商人であったの ドラマーや「ラプリ γ グ セ」ノレスマ γ に 発 達 す る と , 多 少 とも商人や製造企業に対する関係が強〈なってきている1 7 )。 当 時 の 商 人 で あ る 1 5 ) t r a v e I lingsalesmanについての詳細は, W.Maxwe , 1 l Salesmanship ,1 9 1 3,p .2 1 0 丘をみ よ 。 1 6 ) 下川浩,前閣論文,E1へ 山 由 髭 武 , 前 掲 論 文 . 1 5へ づ , G. PorterandH. Llvesay. l i 1 e r c h a n t sandManufacturers,1 9 7 1 .p. 2 9 f f,などをみよ。 17) N.S .Grasによれば, 当時の流通機関すなわら商業資本は,改の 6つの静態に類型化されて いるョこれらの商業資本乙服売員との関係は残された分析課題である。 第 lは,ぜネラライズド マ チャント ( g e n e r a l i z e dmerchant) 特定の望書種に専門化 L fJ:~ 、 一般卸商で,主としてヨ ロッパの工業製品とアメリカ内陸部の農産物を取誤った。 第 2は,ブローカーまたはフアクター (brokero rf a c t o r ),一般卸商よりも専門ヒl-.自分 p 計算で取引しないで手数料やとっていた。冴苛訪時,静1 1 E,船荷,食品雑貨,呉服雑貨,医薬品, 鉄,金物類などを取扱っていた@ 持 3は,コミヅロノ言ン マーチ十ント ( c o m n l i s回 onIlle r c h a n t ),完全に守門化が進よろ,手数 料もとるが,自己の計算で取引していた中間商人で,織物.原材料商品,鉄道供給品,輸入品も 取般った巴 第 4,ジヲヅハー(j o b b e r ), 完全な専門卸商. 自己の計草で,内陸部。顧客に医薬品,鉄鋼, 機械,石油,たばこ,電気用品などを取扱った。なお。酉繭運動に軍要な投割を果した。 第5 . 製造業者の代理商 C m a n u f a c t u r e r ' sa g e n t )。 プローヵーよりもはるかに専門化し,大 1で働いていた。最初は大規模生 規模生産者から仕入れ,自己の計算では取引しないで,手数料告) 産者に対 Lて独立性をもっていたが,次第に従属してゆ〈ようになり, 定地棋の販売代理権を あたえられ,農業機械, ミγ ン,タイフライタ ,金銭登録機,万年筆,タバコ,食肉,フィルム など,中野安民のいわれるマーケ子ィ γグ先行型産業の製品を軍撞っていた ( P o r t e randL i v e _ ( 2 3 1 ) 7 脹売管理生成白前段階 ジヨッパー(j obber) な ど の 商 人 に よ っ て 干 渉 き れ ず , 多 少 の 賃 金 と 経 費 以 外 は 自分の経験とアイデアで働いた。したがって,基本的には近代的産業資本に雇 c 傭されていない自主独立型のセーノレスマ : . r あった。 次に,従属型セーノレスマ セ Y について考察する。従属型セ ノレスマンから専門 ノレスマン (sp田 凶 町 田I 田man) に な る と , 彼 等 は , 当 時 の 製 造 業 者 , 強 い て いえば独占的産業資本に専属したセーノレスマ Y であった'e)。専門セ ノレスマン ということは,製造業者から手数料または歩合をもらって直接に消費者に戸別 ヘ したがって,戸別訪問販売七 訪問販売するセーノレスマンの意味に使われた 1 ノレスーマン (house-to-housesalesman) とも呼ばれていた。 販売をさせる ζ 製造業者が戸別訪問 とは,必ずしもコストが安〈っく販売方法ではなかった。むし ろ中間商人を利用した方がコスト面では有利であった。しかし,当時の広告は コストも高く 般大衆の信用も高くなかったので,費用のかかる広告キャンベ ンに依存するよりも人的販売に依存じていた。当時の産業資本には,まだ資 本不足が厳しかったからでもある。特に伝統的な取引経路を使いにくい業者が 利用するばあいも多かった。専門セーノレスマ γ の 取 扱 商 品 に は , ベ ド ラ ー と ド ラマ とくらべて新製品や需要開拓の必要度の高い商品が多かったようである。 例えば,料理用品,楽器,書籍,地図,絵画,衣料品,石けん,などの家庭用 品から,タイプライター, 担 y, o . ρ口 t ., ρ5 ミシン,電気アイロン,真空掃除機,台所キャヒネ なお下川浩一,前掲論文〉参照入 1 8 ) セールスマンの種類については,論者によってかなり違っている。例えば 1 9 2 C年代初期白研究 では 雇用主体に土って, ブローヵー,卸商,観音業者 r分けられている (P_ D_ COnVof'TSe , Marketingl V l e t l lO dsandP o l i c y,1 9 2 1,p .91-93,p .528-9,p .6 0 9 )。また Tosdalは,専門 セルスマンとミアショナリ ーセルスー γ(rnissionv .r ys a l e s m a n ) に分けている (H. R Tosdal, Problemsi nS a l e sM 開 agement ,1921,p .3 4,p .42,p . 189-190,p .2 2 8 ) 。 そのほか, 専門セ ルスマンについ Cは , L.K.Jho醐 on,SalesandMarketingManagement,1957, p 26 , p .5 5 4 ,A.Gr 由 民 品' a l e s m a n s h i p ,1952,p .8,p .20f f .,などを参照固また,創造的セ ノ レ ス マン(田e a t i v es a l e s m a n ) という表現も P .M.Nystromによってとられているが, これは, 合需要創造のためりセールスマンとして佐用することが適切なように考えられる(橋本鼎L前掲書, 1 5 7,2 2 5ベ一山参照〉。 1 9 ) 専門セールスマンが,産業資本のセールスマン之して葺場じたたし叶問題について位, M = weU,Hoyt ,]ohnson. Frederickなど多数の学者によっても指摘されている(橋本勲,前蝿書! 1 5 7ヘデ,参照入 8 ( 2 3 2 ) 第1 1 6巻 第 5.6号 ザト,アルミニウム製料理用品などの新製品分野で専門的セールスマ Y が 各 地 で多くみられはじめた即。彼らはこのような競争の激しい市場へ,製品の新し い需要を積極的に開拓するために 1 9 1 0 年ごろから産業資本によって派遣されは じめた。したがって新 Lい商品の販売には次第に高度な販売技術が必要とされ るようにな守た。このような専門セーノレスマンは,取引の古い発展段階におけ る現物取ヲ│から,次第に見本販売あるいは銘柄販売へと移っていった。そうす ると,セールスマ y の販売方法そのものが,自己の商品を販売するというより も,ある特定の製造業者のブラ γ ド製品を売るかたちになり,それだけ販売方 法においても企業への従属が深まっ亡きた。さらに近代的賃労働関係の基礎で ある賃金形態についてみても,次第に産業資本との関係が深まってきていた。 ヒ ルスマンの主な賃金形態には,周知のように 3つある。すなわち固定給制 , 度 (straight田 lary phm), 直 接 歩 合 給 制 度 (straightcornm問。 n p!:m) と その 折衷である混合形態左である。専門セーノレスマン登場の初期に多かった形態は 歩合給制度である。なかには,固定給プラス歩合給制度もとられ亡、、た。した がって大抵のセーノレスマ Y の生活は不安定であった。 20世紀の 20年代ごろの歩 合率は 25%から 60%がふつうであったようである 21)0 有能な」セ ノレスマ γ は,売上高を上げてかなりの収入を獲得することができたが,大抵のセーノレス マ γ は,難しかった。むしろ,販売すなわち商品の価値実現の難しさを痛感し, 次々にセ レ ノ y、 マ γ をやめていった。したがってセーノレスマ γ の定着率は非常 に悪かったのである。以上のように,重要な労働条件である販売の困難化や販 売方法の複雑化からみても,また経済的にみても,セーノレスマ Y の企業への経 済的従属性は極度に深まってきていたのである。その結果ここに近代的な賃労 働者としての企業従属型セールスマ Y が成立するようになった 2 九 2 0 ) P .D.Converse,0 _ ρc i t .,p .2 1 5 2 1 ) I b i d .,p .216 9 0 C年には 4.5%であっ 2 2 ) なお,近代的セールスマンを含む販売従事者申全労働者中の割合は, 1 たが. 1 9 6世手には 6.5%に増大 Lている(三戸公「桂営学史」世界事事乙 1 9 6 ; : ;年 . 176ベージL なお Canfieldによれば,流通に捉事する人口は. 187D年に人口の 2 4弘 , 193C年に 47%であると . n c l d .0ρ ,c i t .,p . 1O)~ いわれている。労働人口における比率としてもかなり高い o (Can 販売管理生成田前段階 ( 2 3 3 ) 9 C I I ) . 次に,考察視点をかえて,セール λ マンを雇傭し管理する主体的要因 としての資本の側面に移る。 問題提起コセーノレスマンは,どのような資本に従属していたのであろうか。 結論的にいえぼ従属型セールスマ y の活動分野は,同時に中野安氏のいわれる 「マーケティング先行型」産業の先進的企莱の成立分野と照 Eしている問。 近代的独占資本という一般的概念によれば,鉄鋼,石油などの生産財産業を 想起され勝であったが,マーケティ γ グと関係の深い庫業は,必ずしも代表的な 生産財産業ではなし、。また同じように古くから存在する伝統的な繊維産業や製 粉産業でもない。むしろ,ききにみたような製品をつ〈る新興産業,しかも新 興消費財産業である。彼らは,伝統的な独占カや支配力をもっ産業とは違って, 自らの手で新しい市場開拓にの句出きなければならなかったからである。例え ば,このようなマーケティング志向産業としては,まず当時の生産技術の発展 水準を示す互換性部品生産を中心とする機械産業,新興耐久消費財産業があげ られる。例えば,ヅシ三ナノレ金銭登録機会社で代表きれるキヤッシ・レジスタ ,レミ Y トY なとで代表されるタイプライタ ,マツコーミックなどの農業 用収穫機,シンガーなどのミシ"/,電気機械器具などの産業があげられる。さ らに伝統的消費財産業の原料を使用しながら新しい戎術で開発された新製品を 中心とする食料品産業では,高級小麦粉, ピーノレ,食肉などの旦ゥイフト,タ バ コ , ピ 1 ケット,バナナのユナイテッド・フノレ ツなどの産業がある。その 他,石けん,イ一月トマン・コダッグなどの写真フィルムなどの産業もあげら れる 2心。かの専門的セ ルスマ γ が採用され,派遣された産業の商品には,キ ヤッシ・レジ旦夕ー,タイプライタ , ごY ン,電気アイ凶ン,真空掃除機, 台所キャピネット,料理用 λ ト プ,料理用品,などがあげられ,その後,白 Cも 動車,家庭用具,工場事務所用備品,さらには,食料品,広告業,保険業 I ま拡大してきている。新しい高額耐久消費財産業部門が中心となっていることが 2泊 中野安,前掲論文, 9べ一九 2 4 ) 中野安,同上論文, 9 へ ジ,下川浩,前掲論文, . 9 6へジ以下,参照, P .T .Copeland, Marlwtin l{ 丹 、oblems,1920,p .9 , 1 ' ,F .A.R u s s e U ;TextbookofSalesmansh仇 1 9 2 4 ,p .4 第1 1 6巻 第 5.6号 1 0 ( 2 3 4 ) わかる。したがって,マ ケティ y グ志向産業を中心として近代的な従属型セ ールスマ Y が成立していったと結論づけることができる。 ( i l l ) では, γ ζ のような近代的産業資本に雇われはじめた従属型セールスマ は,なぜ管理客体とならなければならなかったのであろうか,さしあたり 3 つり問題,すなわち第 1に,販売労働者の性格,第 2に,販売方法の特徴,第 3に,販売員の勤労意欲と定着率の問題があげられる。 まず第 1に,版売労働者の性格の問題がある。セーノレ λ マンの作業は,生産 過程で労働する賃労働者と違って,経営内の作業場で直接に資本家あるいはそ の代理人としての監督者の指揮監督を受けないと L、う特徴がある。したがって, 資本の直接の監視による指揮監督が不十分であるという問題が生じる。 第 2 に,セールスマンの販売方法すなわち労働投術の問題がある。それは p 生産技術を中心とする労働者と違って,機械に依存あるいは従属することなし 極めて自由な多様性と複雑性をもっという特徴がある。その上に,生産過程に おいては,資本主義の発展とともに機械化が進むと,普通の筋肉労働者の労働 は次第に単純化して〈るのが普通である。これに反して,流通過程では,資本 主義の発展とともに次第に市場問題が激化し,価値実現の困難が増大 Lてくる ので,販売労働者の労働は,この困難を打開するために次第に複雑化してくる のが普通である。したがって,販売賃労働者独自の,売り ζ むためのすなわち 価値実現のための技術教育と訓練とが必要になってくるのである。かつ亡,独 立型セーノレスマンの販売万法は極めて牧歌的であったが,同時に自由奔放な怒 意的王観的性格をもっていた。 例えば, ベドラーは, しゃべりまくって相手 を押し負かしたり (out阻 l k ),こわい顔士し亡おどしつけたり (blowbeat), 値 段 を「負行ろ J I負から血 J と言い争ったり (hagglingoverprice)して,お客の信 用を失っていたお}。したがヮて,ベドラ は軽蔑をこめてピンーペドラ (pin peddler) と 呼 ぼ れ た り ほ ら 吹 き 族 」 と 呼 ば れ た り し 亡 し 、 た 26)。近代的セー 2 5 ) Can 五e l d ,o . φ c i 1 . , p .7 2 6 ) C .H.Fe r n a l d ,S a l e s ; 汐 叫n shi ρ .1 9 2 6 ,3rde d .,1 9 4 2 ,p .4 販売管理生成の前段階 ( 2 3 5 ) 1 1 ノレスマンにはこのような不信感を取除き,合理的な販売技術を確立することが 問題となってきたのである。その上に 1 0 年毎に周期的に襲ってくる不況は,か つ て の 高 圧 販 売 (pressureselling) に 打 撃 と 反 省 を あ た え た 問 。 恐 慌 を 契 機 と す る市場問題の激化は,販売会話,販売方法,販売補駒用具を中心とするセーノレ ユ"7,/教育の必要を意識させていったのである。 第 3に,販売員の勤労意欲と定着率の問題がある。 独立型セーノレスマンは加, 口八 Jの才能さえあれば,経験も資本も必要としなかったので,富とヲーャ γス に憧れた農民は好んでベドラーになった。そして利己心にもとずいて勤勉に, 時 に は 危 険 を お か し て ま で 働 い た 。 し か し , 近 代 的 従 属 型 セ ー ル ス マ y にはこ のような勤労意欲は失われ勝ちになった。販売員が売上高を上げるとかつては 民入になったが,専門的射 すべて自分のl ルスマンになる土歩合給なので,す べてが自分の収入になるわけではなかった。一時的には,特に最初はかなり大 きい売卜高を上げても.長〈続けることは難しかった。したがって,大抵のセ ーノレス 7 ンは簡単に脱落して,他の職業へと転職していった。セーノレスマンの 定着率は当時から極めて低かったのである。このような資本にとってのセール スマ γ の不足が,資本自身に次第にセ ルスマンの募集や選考の問題を提起し ていったのである。‘ 2 7 ) 192~ 年白大E慌は,高圧販売を完全に後退せしめた〈森下二次也「現代商業経済論」有斐閣, 1 9 6 C 年 , 359ヘジ〕。 2 8 ) 自主独立型セ ルスマンと企業従属型セ ルスマンの相異を「古いタイプj と「新しいタイプ」 のセ ノレスマンと対,,~rr, に把握したのは, C 京人 Hoyt である。被巳よる両者の特徴づけを簡約 して紹介すると次の通りである。 (C.W.Hoyt,S . ヒ wntl 五cs . ばω M a開 肝ment,1913,p .2 )。 なお,簡単化のために古いタ fプのセ ノレスマ γを 05( o l dtypes a l田 皿an) と NS(newt y p e salesman) と略称する。 1 . OSは自分のために働〈が, NS は商社のために働ししかも成長率が高(,成功してい る商社で働いている。 Z テリトリー ( t 百 r i t o r y )は , 仁S は指定がないが,あってもカントリ程度であるが, NS は,市,タウソ,個々の顧客にわたって指市される。 05 のはあいは,テリトリ を拡大すれば, 自分自身の顧客をふやすことになる。 NSのはあいは,本部の計画担当者に協力しなければなら なかった 3 . OSはほら吹きだが, NSは , 1910 年閣はまだ φ数であるが,成長してきている。 C 1 6巻 第 5・6号 第1 1 2 ( 2 3 6 ) I I I セー}~叉マ〉シップの生誕 販売管理論の生誕と内容を考察する前に,販売管理の前提とし℃のセーノレス マンシップの生誕を考察しなければならない。しかし,流通過程におけるセー レ ノλ マ ン の 管 理 に は , 生 産 過 程 に お け る 労 働 者 の 労 務 管 理 と 共 通 す る 問 題 の 上 に,セ ルス.~:/特有の条件がつけ加わる。 (1) 問題提起。では巳 ル月マ/-/')'プの成立は,なぜ販売管理の前提と なるのであろうか。 まず論理的理由についてみる。販売管理は,すでにふれたよう忙,販売員の 労務管理として生成してきた。セーノレスマ Y の労働は,作業的には,作業が経 営作業場の外にあるために,資本の指揮監督が不卜分であること,時間的にも, 同じ理由から監督不十分になりやすいこと,その上,経済的な賃金形態そのも のが極端な歩合給賃金の性格をもつために極めて不安定であること。これらの 3つの条件の必然的な結果として,セーノレスマン特有の労務管理が成立しな円 ればならなかったのである。 したがって,販売員の労務管理は式こんなる人事管理ではない。販売員という 賃金労働者の作業の特殊性にもとずいて,すぐれて販売作業の教育訓棟を中心 と した労務管理とし て 成 立 し な け れ ば な ら な か っ た。人事管理は,生産労働者 の選択,採用,配置 , 昇 進 だ け で な く , 労 働 者 と 資本家との階級対立の緩和策 として作業場内外での健康や安全,福利厚生施設,作業場内の人間関係の円滑 化などを重視した出。 しかし販売管理は,何よりも作莱としての販売活動その ものの教育訓練士重視したのである。販売管理は,労務管理というよりも,教 2 9 ) 人事管理は. 1 9 2 0 年代仁成立した。そり成立要因としては,企業が大規模化したために,管理 組織が複雑化したのも世用者と労働者の直接的瞳触が困難になったこと,そのため労働者の勤 労意欲が低下し,作業能率が下がり,世働移動が増大したことにも求められる。その解決策とし て..l場内では,使届者が積極的に眉叩きしたり,恒子したりする個人的接触が重視されたが, 販売員においては庖舗 P外が作業場となるために,この方法をとることが難しい,そこに,販売 員訓練の必要性と重要性とが生じる(人事管理については,奥村く康司,人事管理成立の誇要因, 「六甲台論集J第1 4巻,第 4号 , 1 9 6 7 年1 2 月,毒田〕句 ( 2 3 7 ) 1 3 服売管理生成の前段階 育訓練管理の側面が強かったのである。 では,販売管理では何を教育し,何を管理したらよいのか。 ζ の教育内容や 管理内容が確立するためには,いわゆるセーノレスマ Y シップの成立が前提とな るのである。 ( I T ) . ところで,セーノレスマンシップとは何か。順序として,その概念にふ れ亡おこう。学者によってそれぞれ多少の相違があり,決定的な定義をみる乙 とができない。代表的な定義をみると,例えば古くは 1916 年に, プリスコくN. A .Brisco) は「売手と買手り相互り利益のために財貨を売る龍力」加であると 規 定 し 亡 い る 。 次t こ,大恐慌の時代に入って 1936年にアイヴィ ( P .W.Iv町) は売手またはその代理人が,見込み客の前で,貨幣を考慮して財貨または十 ピスを相互に満足するように突換しようとする販売活動の一部分である J 31) と規定しているが,さらに他の文献では, I 最少の時間と努力しか要しない方 法によって,最終満足をあたえる上うに,人々に財貨を買うように説得する技 法(.,のである」四と規定しているの その他乙の定義から一方では,大恐慌の ための合理化の事情が厳しいこと,他方では,消費者に満足をあたえようとす る考え方が出ていることを知ることができる。 その他ノックス(1. S .Knox), ノミーンハート (W.L .Barnhart). トスダノレくH.R .Tosda!), カークパト日ック ( C .A .Kirkpatrick)聞など諸学者によって多少の相違はあるが,要するにその相 違はセーノレスマンシップの意味についての理解であり,それが販売上の技法で ある点については論議をみつつも lつの見解となっている。なお, 1971 年の日 本商業学会の定義によれば「販売としての資格要件を総括してまとめた語であ り,販売員として果たすべき役割り,職務,権限,責任などを意味する J ' "と 規定されている。結局は販売作業のー活動である版売「技術」を示したもので 3 0 ) N.A.B r i s c o ,F . 叩 l damentalsofふuesmanshi ρ1916 ,p .1 6 . ,Marketingp~門 n 日i:ples. 1 9 3 6 ,p .6 3 1 ) P .W.Ivey .Beach.TextbookofSalesmanship,1 9 5 5 ,p .4 7 3 2 ) F .A.R u s s e l landF .H 3 3 ) l b i d . .p .1 5 ,C.A.K i r l 中!:at r i c k ,Sales冊 目z s h i P .1 9 5 6 .p .6 8,J .G.Carney,Managinga S匂l e sTe r r i 1 : o η.1 9 7 1,p .1 4 0 .など参照渦 担) 日本商業学会「商業用語定義J1 9 7 1 年 4月. 3 3 ベ一三人 第 116巻 第 5・ 6号 1 4( 2 3 8 ) ある。 C I I J では次に,セールスマンシップはなぜ必要とされるのであろうか。 このセーノレスマ γ シヅプの必要性は,販売員のたんなる賃労働者的性格から 生じるものではない。むしろ,販売労働者のもつ二重性から生じるのである。 まず,論理的側面から考察する。 販売労働者の二重性とは,たんなる配達や注文取りのような販売作業担当者 としての性格と,企業のために新しい需要を創造する販売促進者としての性格 己ある。かつて,独占資本主義以前におい℃市場問題が深刻化しないときは, f こんなる販売作業担当者でよく,たんなる注文取りでよかった。販売員は事務 的なオーダーーティカーであり, . ma n ) でよかフた。 注文獲得のセ ノレスマ γ く o r d e r g e t t i n gs a l e s しかし,資本主義の発展とともに市場問題が深刻化し,商 品の価値実現問題の偶然性が増大すると,たんなる注文取りでは資木の要求を 果すことができな〈なった。そこに,販売作業担当者から販売促進担当者に転 化させ,価値実現のプロモ タ としての創造的セーノレスマン ( c r e a t i v es a l e s - man) を養成する必要が生じたのである 35)。 この転化を可能にするものが, ほ かならぬ販売管理におけるセーノレスマン教育であった。 まず歴史的事実から前提条件を考察する。セーノレスマンシップが,販売管理 成立の前提であるということは,論理的必然性であるだけでなく,歴史的事実 でもある。実践的にみればすでにセールスマン訓練は, 19世紀から現場におい て経験的実践的におこなわれていたが,組織的管理訓練の形態ではなかった。 すなわち,実践における勘と経験によって体得された秘伝としての「セールス マ γ シップ」が,見ょう見真似で後輩に伝授されていたが,それは資本の意思 による管理ではなし独立型セ ノレスマンの徒弟的な見習いであり,伝習であ った。また他方,文献的にみても,セーノレスマンシップの掛究や著作はすでに 1900 年代から 1910 年代に成立していた。例えば 1904 年ごろか bイスタブノレザグ ( P .L .E s t a b r ∞k) やヒノレ、ンヤ (D.Hirsher) などによって初期的研究が著わされ, 35) 田中田多加,セ ルスマシ¢類型, ,平稲田社会科学研究」第 1号 , 1 9印 年 3月 , 241ペ ニ ヘ 服売管理生リ成田前段階 ( 2 3 9 ) 1 5 1910 年代には,マック月ウェノレ ( w .Maxwell) やダグラス(A.W.Douglas) フ リスコ (N. A . B,即0) などによって,セーノレスマンシップ論が成立したのであ る呪 しかし販売管理は.一部では 1910 年代のセ ノレスマンシップの著作にも 断片的にあらわれていたが,本格的に成立したのは. 20 年代になってからであ っ た 。 例 え ば. 1 9 1 0年代にもホイト (c. W. Hoyt) の研究のように注昌すべき 年 の ア ト キ ン ソ ン (W.W. Atkin. 画 期 的 著 作 も 出 た が , 販 売 管 理 は 多 く は 1日12 80n) やプリスコ ( N. A .B r i s c o ) の著作にもみられるように'"セ ノレ月マンシ 午代に入って, りプ論の中に断月的に含まれているにすぎなかった叩。 20 リヨ ン(L.S . Lyon), ホワイト ( P .White) な ど の よ う な 優 れ た 研 究 の 本 格 的 出 版 をはじめとして多数の著作があらわれ,販売管理論はセーノレス--:7,/,:/ヅヲ固より 10 年 の づ れ を も っ て 成 立 Lた の で あ る 。 ま た , 大 学 に お け る 講 座 忙 つ い て も 同 様であって,六体セーノレスマンシヅプの開講よりも 1 0 年位の売れをともなって 販売管理論講座が開講されるようになっている冊。 C I ¥ り では,次に,セーノレスマンシッフ。はいかなる内容をもっていたのであ ろうか。 0年代までの研究の特徴は,セーノレスマンシップへの心理 成立の初期,特に 1 学の導入による建設であった。この心理学の導入によって,販売技術に重要な 変化が生じた。かつて経験豊富な有能なセールスマンが売上成績をあげたのは, 一 つ の 「 コ ツ 」 を 掴 ん で い た か ら で あ り , そ の 「 コ ツ 」 は 「 勘j に よ っ て 体 得 されていた。しかし,セ ー ル ス マ ン の 成 績 が あ が っ た主な原因は,彼が,客観 的には,一つの心理法則を個み,その法則を利用していたからである。その法 則を知識として客観的に説明することはできないが,実は顧客の心理法則士巧 みに利用していたのである。しかしコツ」は主観的な秘伝なヴ ι ーノレに包 まれ,後輩が個人的,経験的に体得すべきものとされていた。しかるに,その 3 6 ) 橋本勲「マーケティング論の成立:.Jミネノレヴァ書房. 1 9 7 5 年 , 140ヘ ジ以下。 3 7 ) W.W.Atkinson,ThePS ν' c h o l o g ッofSalesmanshl 汐,1 9 1 0 ,N.A.B口 駅c o ,Fundamen tabnfSalpS 1nil1 1 .s h 中 , 19Ui,をみ上白 3 8 ) 橋本勲,前掲書, 2 2 7 へージ以下. 四) 同 上書, 1 3 7へ : . : 以 下 。 1 6 ( 2 4 0 ) 第1 1 6巻 第 5.6号 法則性は,いまや心理学の導入によって暴露され明るみに出された。いわば客 観化されたのである。いまや「勘」は「科学」に発展転化した。 科学によって暴露された顧客の心理法則と販売技術は,古い時代の主観的性 格ではなくて,客観的性格をもつようになった。そこに,秘伝の個人的伝授で はなくて,科学と技術の社会的学習が可能になった。さらに経験的な反復によ る個人的な体得ではなくて,知識的な教室での集団的な学習が可能になったの Eある。かくて,たんなるセリングからセ る 。 ζ のセ レ ノ λ マン γ ップが確立したのであ ノレスマ γ γ ップの生誕によって,販売員訓練の前提が成立したの である。 次に, ヒ ノレ旦マ Y シップにも科学的管理法の導入による坂売技術の合理化 が試みられた。特に,最初は販売会話を中心にして試みられた。次いで販売標 準 (standardof皿 l e s )すなわち販売目標額の設定に応用きれた。後には 30 年代に なって,セ ルスマ Y の得意先巡回行動を中心に,科学的管理法の動作研究の 方法が導入されることによって合理化することも試みられた叫。 しかし,販売管理生誕の前提となるセーノレス 7 γ シッフー論には,幾多の問題 が含まれていた。セールス 7 γ にはいかなる資質が要求されるかというパーソ ナリティの問題,顧客に接近するにはどうしたらよいかというアプロ チの問 題,顧客にいかなる態度で応対するかというプレゼンテーショ Y の問題すなわ ち客の欲望をいかに喚び起すかという問題,いかに商品を説明し,実演し,顧 客の質問点に答え,購買への動機付けをおこなうか,価格を値切られたらどう するか,またいかに顧客の好意を維持するか,等々の諸問題がある。これらの 諸問題の中心は,顧客の購買心理法則の解明であれそれをもとにした販売会 話である。いままでの古いほら吹き的会話からいかにし ζ説得的効果的な話し 方をするかを考え,効果のない無駄な動作を省いた標準会話をつくり が課題となる。さらに,初期においては,ヒ wすこと ノレ 7~~/ 成功のポイントは,セ 4 0 ) P .L .Es t a b r o o k, S ci e町 " eof品ues m.an s h i p .1 9 0 4 ,W.Maxwe , 1 l Salesmanship.1 9 1 3 ,橋 本則,前掲書> 140ぺ,;以下,審照, 販売管理生成叩前段階 ( 2 4 1 ) 1 7 ーノレスマンに適した人聞を選ぶことであるという資質の問題が重視された。な ぜなら,その当時はセーノレスマンは「つ〈られるものである」というよりも, 「生まれつきの気質」によるものであり,また「話すことは売ること J である と考えられていたからである。したがって,セールスマ γ の選考などにも相当 の考慮が払われていたが,全体としての重心は次第にセーノレスマンシヅプから 販売管理技術の問題へと発展してゆく傾向をみせていた。 (V) 最後に,簡単にセーノレスマンシップの性格を概括する。 第 lに,セ ノレスマ γ シヅプは,管理の問題ではない。資本に管理される販 売労働者がいかに販売するかという作業技術の問題であった。 第 2に,七 ノレスマン Y ップ論の性格については,果して科学かアートかと いう 1910年ごろからしばしば論議が繰り返された叫。しかし,何がアートであ り,科学とほし、かなる実体をもつものであるかという内容論議に立ち入った徹 密な論議はほとんどみられない。ただこのような科学論議に土勺て,当時の学 者がセーノレスマ y シップを「科学化J しようとする抱負をもっていたことを窺 うことができる。しかし,この問題についての結論のみを掲げるならば,ホワ r e d e r i c k ) の主張にもかか イトへヅド(H.Whitehead) やフレデリック(J. G.F わらず, セーノレスマンシップは科学ではなくて, 技法(すなわち技術のうち主観 的経験的習熟的な性格をもつもの〕にすぎないといわざるをえない。 しかし, こ の技法の確立によって,販売管理という技術が成立する前提が成立したのであ る。換言すれば,企業における第一線販売員の執行的作業の技法の問題からそ の作業を指揮監督し訓練する管理的技術の問題へと発展する道が開かれたので あった。 (本論文は昭和 50年度文部省科学研究費による研究の一部である。〉 4 1 ) 例えば. B .R .Can 品ld,品t e s l 田 n ship ,PracticeandProblems,1940,橋本勲,同上書, 149ペ ジ 。