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第27期東京都青少年問題協議会 第 7 回専門部会
第27期東京都青少年問題協議会 第 7 回専門部会 平成19年12月17日(月) 都庁第一本庁舎25階114会議室 午後6時 00 分開会 ○青山青少年課長 お待たせいたしました。本日はご多忙の中にもかかわらず、青少年問 題協議会第7回専門部会にご出席いただきましてまことにありがとうございます。まだ、 お見えになっていない先生がいらっしゃいますが、定刻となりましたので、ただいまから 第7回専門部会を開催させていただきます。 お手元に本日の資料をお配りしてございますのでご確認をお願いいたします。 資料につきましては、2点ございまして、「情報ネットワークと青少年∼不確実性回避 社会とネット・ケータイ∼」でございます。それから「青少年におけるネットワークトラ ブルリスクからみる情報化社会の進展と課題」、こちらは論文状のものでございます。そろ っておりますでしょうか。 それでは、前田部会長、議事の進行のほうをよろしくお願いいたします。 ○前田部会長 それでは議事に入らせていただきます。本日は意見聴取ということで、こ れまで外部の学識経験者として斎藤医師、それから嶋﨑先生から専門の分野における貴重 なご意見を伺ってきたわけですけれども、今回は情報社会論を専門に指導しておられる東 京大学大学院総合文化研究科准教授の木村先生から「情報ネットワークと青少年∼不確実 性回避社会とネット・ケータイ∼」という題でお話をいただきたいと思います。 早速ですが、それでは、よろしくお願いいたします。 ○木村准教授 前田先生どうもありがとうございます。皆さんこんにちは。ただいまご紹 介にあずかりました木村と申します。よろしくお願い申し上げます。失礼ですが、座って 話をさせていただければと思います。 私は青少年問題を専門に取り組んできたというよりは、情報化社会の進展というのが、 まず中心的な課題でして、その中で青少年の問題についても考えてきているということな ので、どこまでお役に立つお話ができるか心もとない面はございますが、少し私なりの問 題意識をお話しさせていただいて、多少なりともお役に立てればと存じます。 お手元の資料で論文状のものになっておりますのは、昨日、内閣府の「第5回情報化社 会と青少年に関する意識調査」というのがございまして、これは報道発表が出たばかりで、 昨日、例えば高校生の女の子たちが携帯を毎日2時間以上使っているとか出たと思うんで すが、あれに携わっておりまして、それで本日は、一方でそこで私自身はネットワークを 使っていて、やや迷惑なトラブルに遭遇するということが、果たしてどういう子たちがど ういう要因でかかわることになってしまうのかということに関心を持って報告書の1章を 1 まとめました。これがもうすぐ報告書の形では公開されて、ウェブでも公開されるとは思 うんですが、それの草稿版を皆様のお手元のほうにはお配りしております。 紙幅の関係で、実は保護者のところは、結局、割愛せざるを得なくなっておりまして、 実際の報告書の中では、ここの保護者の部分はなくなっておりますが、今日のお話の中で は、そちらもちょっと触れさせていただきたいということで草稿版をお配りしております。 ただ、もし何らかの形で言及、引用されるようなことがございましたら、実際の報告書の ほうをご参照いただきたい。 そこが前半の「少年のネットワークトラブル」ということで、意識調査の報告書で書い た内容をもとにお話をさせていただければと。今回のこちらの協議会の専門部会の一つの テーマが「非社会性」ということで、これまで議事録も多少拝見させていただきまして、 大変おもしろい、興味深いご議論がなされているというふうに感じたんですが、そこでは、 どうしてもニートであるとか、ひきこもりといったような、10 代後半、あるいは 20 代、 場合によっては 30 代の方々も対象になってくるというところで、私の報告書は基本的に は学童、高校生までを対象に保護者とのペアになっているサンプルを議論しておりました から、少しデータをいじりまして、19 歳から 29 歳までの部分に関して、非社会性という 観点から上と関連づけで、ネットトラブルに遭うという観点から何か知見が得られないか ということで、ちょっとオリジナルに分析したものを報告させていただきたいと。 最後に、私自身情報化社会の進展ということをずっと考えてきているわけですけれども、 最近、とりわけ留意しておりますのが、日本社会に不確実性回避傾向というのが非常に強 い。Uncertainty avoidance というふうに呼ばれるものなんですが、どうしても漠然とし た不安というものにとらわれてしまう。何か明確な対象があって、それに対して恐怖する というのだったら、まだマネージはできるわけですけれども、漠然とした不安というもの に非常にセンシティブで、それをあらかじめ回避してしまおうという傾向が日本社会には どうも強いと。そうすると、サイバースペースのような誰と出会うかわからない、どんな ことに遭うかわからないというところでは、初めから深くかかわることを避けてしまって、 もうわかっている子たちだけでメールのやりとりをするとか、あるいは匿名で覗き見ると いうような行動パターンというものがどうしてもドミナントになってしまうのではないか という問題意識を持っていまして、それが実は非社会性という概念と結びつくのではない かという仮説をちょっとお話しさせていただきたいというふうに思っております。 まずは、一つ目のトピックでその意識調査なんですが、実査自体は今年の3月に行われ 2 ました。設計では青少年 5,000 人ですが、最近、東京都の方々も悩まれていると思うんで すが、回収率が非常に下がっているということで、何と半分を切ってしまっております。 そうすると、そもそも代表性があるのかという非常に深刻な問題を抱えてしまうわけです が、ただ、この調査は、特色としては 10 歳から 17 歳までの青少年層に関しては、その保 護者とのペアをとろうということで、とりあえず、保護者とのペアで 1,045 組のデータが 回収されております。あと 18 歳から 29 歳までは保護者とのペアということではなく、単 独で青少年に無作為抽出を行って質問紙を回収、この場合、面接法で行っております。こ ちらになりますと、さらに回収率は下がって、40%ちょっとというような数字になってお ります。こちらのURLのほうに、とりあえず、現段階では概要と青少年・保護者の調査 票が載っておりまして、やがて報告書も載るというふうに認識をしております。 まず、大きく大体情報化の進展ということなんですけれども、今年の 3 月末現在あたり で、高校生になりますと、 「パソコン」が 9 割弱、 「パソコンでのネット利用」が4分の3、 「ケータイ」のほうが非常に優勢でして、ほぼ 100%に近い子たちが携帯及び携帯のネッ ト、Mネットといっているのはモバイルネットのことで、携帯電話によるインターネット 接続サービス。携帯メールに関しても、大体携帯を利用していれば携帯メールは利用する。 中学生に関しては、 「パソコン」8割、 「パソコンでのネット」が 69%、7割弱。中学生の 場合には、 「携帯利用」というものが6割弱。これはヒアリングをしますと、大体中学校で 高校入試が終わる、あるいは推薦が終わって、高校への進学が決まると携帯を持ち始める というお子さんたちがかなりいらっしゃる状況です。小学生になりますと、小学生はむし ろパソコンのほうが多い状態で、「パソコン自体」が8割弱で、「パソコンのネット」は6 割弱、 「 携帯」は3割ぐらい既に持つようになってきているという大きな状況がございます。 この内閣府の調査は5年ごとですので、96 年度に行われたもの、2001 年度に行われた もの、そして今回多少プロットして見たものがこれで、これをご覧いただくと、いかに各 年代で急激に携帯とインターネットというものが普及したか。この数字を出すのはなかな か難しくて、例えば、3回目はインターネットということ自体がそもそもあんまりトピッ ク化していないころなので、パソコンやワープロを現在使っているという人に対して、パ ソコンやインターネットを利用目的として使っているかどうかという形で聞いている数字 ですので、10 年でいかに大きく変容したかということは、改めて分析してみると感じると ころになります。 今日ご紹介いたしますのは、青少年保護者がペアとなっているサンプルを対象にした青 3 少年のネットワークのトラブル・迷惑というものがどういうものか。それと青少年自身、 あるいは保護者とどういう関係があるのかということです。 ネットトラブルというのを、どうやって定義するかということになったときに、問 28 にそれに関連した項目があったので、これをもとに議論を組み立てております。 「BBSに 中傷やいやがらせの書き込みをされたことがある」、「中傷やいやがらせのメールが送られ てきた」、「チェーンメールが来た」、「スパムメールがある」、「うその情報やきつい冗談で からかわれた」、 「知り合いに悩みを打ち明けたり相談した」。この6番目は、むしろトラブ ルが起きたときにサポートがあるかという意味合いなので、これはちょっとネットトラブ ルからの定義から外して、ほかの「気がすすまないのに、呼び出された」、 「知らない人や、 お店からメールが来た」、「詐欺(まがい)にあった」という8項目で考えることにいたし ました。 まずは、実際それぞれの項目、8項目でどの程度、一応、男の子・女の子、10 歳∼12 歳、13 歳∼15 歳、16 歳∼18 歳、つまり小学校高学年、中学生、高校生に当たるグループ に分けて分析しておりますが、これを見ていただくと、例えばチェーンメールですと、女 の子の高校生、それから男の子・女の子、高校生になりますと半分以上はチェーンメール を送られてきたと。不審なメールも高校生の女の子だと2割という形で、かなりチェーン メールや不審メールというのは日常化しているというふうに考えることができます。 さらに、私がちょっと気になりましたのは、高校生の女の子たちで、 「電子掲示板に中傷 やいやがらせの書き込みをされた」と。ネットいじめというのが最近問題になっておりま すが、9.1%ということですので、これはかなり大きな数字のように思えました。「気がす すまないのに、呼び出された」も4%いる。これは高校生の男の子もそうで、 「気がすすま ないのに、呼び出された」というのが5%弱、20 人に1人ぐらいは、そういう経験がある と答えておりました。 そこで、これが小中高生だけの問題なのか、それとも、もう少し青少年というか、20 代 も含めてなのかということで、一応、高校生の年代の上で、大学生に当たる 19 歳∼22 歳、 23 歳∼30 歳を加えて分析してみますと、やはり大学生だけではなく 20 代の方々にも広が っていて、例えば、大学生に当たる年代の男性だと、 「気がすすまないのに、呼び出しを受 けた」というのは 13.2%に上っていて、10 人に1人以上は、自分は必ずしもというのに、 ちょっと不謹慎なので差し控えたいと思いますが、一昨日でしたか、佐世保で大きな事件 がありましたけれども、何か呼び出しを受けるというようなことも起きたりしている。中 4 傷書き込みに関しては、高校生の女の子、大学生の女の子たちが比較的多いということに なっております。 ただ、そうは言いましても、全体に8つの項目をどうするかということで、チェーンメ ールが非常に突出していまして、不審メールが続いていて、あとは1割以下ということに なっておりますので、例えば、主成分分析だとか、因子分析で幾つかに分けるというのは、 なかなか難しいだろうということで、今回の分析は、一つはネットトラブルが有る無し、 「NT有無」というので、28 のトラブル8項目について、とにかく一つでも当てはまると 答えたら、それで「NT有り」と。 「トラブルが一つもない」という項をとってまず分ける というのが一つです。 それから二つ目はネットトラブル指標で、これは8項目で当てはまると回答した個数で、 学生さんによっては、チェーンメールも不審メールも呼び出しも有るよとなれば3ポイン トということになりますし、中傷メールと不審メールだったら2ポイントという形で、 「N Tが有る」と答えているんだけれども、どれぐらいあるかということを一応指標化したと いうのが二つ目の変数です。 三つ目が一応、Deep Net Trouble というので、DNTというふうに表記したわけですが、 これはちょっと悪質かもしれない。ネットいじめに近いような部分があるので、ここがあ まり拡大するとよろしくないんじゃないかということで、 「 中傷やいやがらせの書き込み」、 それから「メール」、 「きつい冗談・うその情報」、そして「気がすすまないのに、呼び出さ れた」。この4項目のうち、これはかなり当てはまる学生さんは実数としては少ないので、 一つでも当てはまっていたら、Deep Net Trouble に遭遇の経験があるという変数をつくり ました。 実際に Deep Net Trouble に関しては、小学生、中学生は実数としては本当に少ないで す。ここにありますように小学生だと2人、中学生の男の子で 10 人ということで、なか なか統計的な分析には耐えないということなので、Deep Net Trouble に関しては、高校生 の年代の 347 ペアがあるわけですが、そのうち、男性 17 人、女性 27 人で合わせて 44 人 いますので、このDNTの有りと無しというのは、高校生の年代のみを分析の対象にして おります。以下、NTRというのは Net Trouble Risk の略で、この三つの指標によって定 義づけられるものを Net Trouble Risk と定義して、それの高低というものが何によるかと いうことを分析しようといたしました。 これがとりあえず分布でネットトラブルが有ると無しと。あとネットを利用していない 5 という、この場合のネットはパソコンでも携帯でもいずれかを問わずということです。何 らかの形でインターネットを利用している。そうしますと、小学生の男の子ですと、4割 ぐらいはまだネットを利用していない。ネットを利用している人が6割ちょっといて、そ の中でトラブルに遭ったのは3%、こういう見方になります。そうすると、小中高と年代 を追っていくに従ってネット利用も増えれば、トラブルに遭う経験も増えていくと、こう いう形になります。 それからNT指標の分布としては、やはり二つあるいは三つ以上というふうにネットト ラブルに遭う階数が増えていくというか、項目が増えていくのも、やはり高校生が多くな ってくる。特に高校生の女の子に、その回答が多いということがわかります。それから、 Deep Net Trouble に関してはそういうことで、高校生の年代になりますと、女性だと 15% ぐらい、男性でも 10%ぐらいは Deep Net Trouble に何らかの形でかかわっている。 まず、ここでこれの結論を先にまとめて述べさせていただきますと、ネットトラブルリ スクというのは、一方では、私が分析する際には、例えば友達関係が希薄で誰にも相談す る人がいない。ネットに接続しているのが、友達や家族に接しているよりも楽しいみたい な子がゲームとか、あるいは匿名掲示板とかに入り込んでしまって、それがここで定義し ているネットトラブルに結びつくのだろうかというふうに考えたんですが、残念でも幸い でもなく、いずれでもなく、その仮説は棄却されまして、実は積極的な情報ネットワーク 利用全体に付随していると。これはネットがもたらす効果というので、いいこととか、悪 いこともいろいろ聞いているんですけれども、いいこと、プラスの面がたくさんあると思 っている子ほど、やはりリスクは高まりますし、マイナス面が多いと思っている子ほど、 やはりリスクは高まりますし、それはネットワーク活動が活発であるということと、リス クに遭遇する確率は連動している、相関性はある。なおかつ友達関係が活発である、友達 関係が豊かであればあるほど、それはやはりリスクに遭遇する確率というのは高まってく るというのが一つの結論です。 もう一方で、特に保護者との関係とか生活環境の変数をいろいろ取り上げたんですね。 地域活動に参加している度合いだとかも聞いているので、それで地域活動に参加していな い子のほうが遭いやすいんじゃないかとかいろいろ調べてはみたんですが、結局、有意な 相関が出たのが、 「自分専用のネット接続パソコンを自室で利用している」というのが、こ れはネットトラブルに遭う確率がやや高まります。それから「月に 1∼2 回以上平日に帰 宅が夜遅くなる」というふうに保護者が認識している。これは保護者向けの質問で、あな 6 たのお子さんが平日、夜帰宅が遅くなることがあると答える保護者とペアになっている青 少年は、やはりネットトラブルリスクが高くなる。したがって、この面からいいますと、 そうやって一人で自由に使えるような状況にしている、あるいは夜遅くなっても帰ってこ ないというような逸脱行動を犯しやすい環境だと、どうしてもネットトラブルにも遭う確 率が高まる可能性は示唆されています。ですので、そこら辺はどういうお立場から考える かですけれども、少なくともネットトラブル軽減に関して、行動自体を逸脱させにくい環 境醸成というのが一つの方向性ではあるようには思います。 上の方面から見たときには、やはりネットワークを利用すれば利用して、いろんなトラ ブルはあるんだということを認識させるということが大切だし、あったときにサポートが あるということがむしろ大切で、使ったからトラブルに遭うからやめさせるということは すべきではないというのが私の立場でございます。 ここはしばらく具体的な分析をご紹介しているので、詳しくはこちらの論考のほうに細 かくございます。統計的ないろんな数字がずらずら並んでいるので、ちょっと退屈になる と思うのでかいつまんでご説明しますが、例えば、メディア接触時間で「テレビを見る時 間」、「ニュースを見る時間」、「新聞を見る時間」といろいろ聞いているんですね。あと、 「テレビを家族と一緒に見る時間」なんていうのもあったので、それでネットトラブルリ スク関係が関係あるかと思ったんですが、残念ながら、強い相関性は一つもない。特に「マ ンガ」とか「ゲーム」というのは、それにのめり込めばのめり込むほどトラブルリスクも 高まるんじゃないかとも思ったんですが、それもなかった。むしろ、雑誌とかテレビニュ ースなんかは、ネットトラブルリスクが高い群ほど接触時間はかえって高いということが ありました。あとはテレビを家族と一緒に見るのも、ほとんど家族と一緒に見るというの が、むしろネットトラブルリスクと関係していたりというようなことで、必ずしも何か特 定のアプリケーションにのめり込むことでトラブルリスクは増えるということではないと。 携帯電話利用に関しても、特に電話の回数とか、メールの頻度と関係があるというわけ ではありませんでした。 それから情報サイトの利用に関しては、いろんなものとの関係を見たんですが、 「ブログ 閲覧」と「チャット」以外では、いろんな情報サイトを利用すればするほど、若干トラブ ルに遭う蓋然性が高まるということで、何かこれも特定のアプリケーションとつながって いるわけではないと。携帯に関してはそういうことで、一方、パソコンのネットワークと の関係に関しましても、いろいろな利用方法、 「メールを利用する」、 「メッセンジャーを利 7 用する」、 「友達の掲示板を見る」、あるいは「ポッドキャスティングを利用する」、 「宿題の 情報検索をする」、どれも利用すればするほどネットトラブルが多くなるということはござ いました。 それから、昨今、Web2.0 と呼ばれて、利用者自身がコンテンツを生み出すというこ とで、ブログとか、SNSとか、あるいはオンラインゲーム、あるいは動画共有サイト(ユ ーチューブのようなもの)、これについても聞いていまして、これに関しても、利用してい る、利用していないではなくて、知っているか、知っていないかのほうがネットトラブル リスクとは結びつくという結果で、利用しているではなくて、そういうことを知っている か、知っていないかということで差がつくということは、逆に知らなくて、ネットは使わ なければ、もちろんトラブルは少ない。ただ、いろんな使い方は知っていて、たまたまそ れを利用していないというのと、それを積極的に利用しているというので違いが起きるわ けではないということです。 次のところは、ネットとか携帯の利用に伴って、プラスに思う要因、マイナスに思う要 因ということを様々ここでは聞いております。例えば、悪い面では睡眠時間が増える、減 っただの、それから友達関係が深まったとか、親子のつながりが高まっただとか、そうい うプラスマイナスで 11 項目ずつ聞いているんですけれども、これもなかなか、確かにパ ソコンのネット利用が増えれば、睡眠不足だと感じる人は増えているわけですけれども、 それ以上にネットトラブルと積極的に結びつく要因というのは見出すことはできませんで した。 次に友人関係についてなんですけれども、これもまず一つの質問項目としては、あなた は友人が多いほうですか、少ないほうですかという質問があって、これが「多い」と答え た人、 「どちらかというと多い」、 「ふつう」、 「どちらかというと少ない」、 「少ない」で、ト ラブルがある、トラブルがない、ネットを使わないという形で分けているわけなんですけ れども、見ていただいてわかるように、多少、普通あたりがむしろトラブルがある層が多 くて、友達が多い層と少ない層は、かえってトラブルに遭う率というのは下がっていると いうことですので、交遊関係の広い、狭いが関係するわけではないと。 この質問票では、「同性の一番親友であってもあまり深刻な相談はしない」とか、「同性 で友人といえる人はいない」とか、 「親しい友人グループはない」というような社会的孤立 について聞いている質問があるんですけれども、一つの考え方としては、こうした要素が 社会的孤立を生み出して、ネットワーク交流を促進し、トラブルに直面する、遭遇する蓋 8 然性を高めるとも考えられるわけですが、今回の分析では、いずれもネットワークリスク とは結びついていない。 「 友達や家族と話すよりもインターネットを利用しているほうが楽 しい」という質問項目についても、無相関ということになりました。むしろ、 「悪いところ は悪いと言える」とか、「親友とは何も言わなくてもわかりあえる」とか、「親友とは互い の性格の裏の裏まで知り合っている」というところで、そういう密な友達関係を持ってい る子のほうが、ややネットワークトラブルに遭う率が高まっているという結果がむしろ出 てきております。 ついで、ネットを利用する際に「長時間使い続けることに気をつけている」とか、 「ウイ ルスに気をつけている」とネット利用のときの様々な規範について聞いているわけなんで すが、これもネット利用規範を意識している、自分は長い時間続けることについては注意 しているという子のほうが、かえってネットワークトラブルリスクは高いということにな っております。これはフィルタリングについても同様の結果になりました。 あと出会い系サイト認識も同様です。出会い系について、これが法律に触れることなん ですよとか、犯罪被害が多くなっているんですよと、あなたはそれを認識していますかと いうような質問があるんですけれども、認識している子は、ネットワークリスクがやや高 いという結果になっております。 さらに脱感作的な問題です。「近くでどなり合いをしている人がいても、気にならない」 といったような暴力的表現、あるいは性的な表現に対する脱感作にも私たちは関心を持っ ておりましたので、脱感作的な要素にネットの利用が深くかかわっているのかということ も、ちょっと調べてみたわけなんですけれども、これも特に有意差というものを認めるこ とはなかったということになります。 先ほど申し述べたように、自室自分専用パソコン利用者ほど高まります。ここは細かい 数字なので、ご関心のある方は見ていただくことにしまして、これを見ていただきますと、 自分専用パソコンを自室で使用しているというのが 52 人いるんですが、彼らの中ではネ ットトラブルに遭う人が 61%というので平均値よりも高いですし、ディープネットトラブ ルはさほど多くはないんですが、ほかの群に比べると、トラブルに遭う経験自体は高まっ ているということが出ております。それで、保護者との関係に関しても、あれこれ調べて みたんですけれども、結果的には青少年が平日遅く帰宅する頻度と関係があるということ になりました。 ということで、ここまでがとりあえず一つ目のパートで、内閣府調査で私が分析したも 9 ののご紹介ということで、青少年において、高校生においては、携帯がほぼ 100%、パソ コンに関しても8割程度広がっていく中で、当然、トラブルに遭うリスクというのは高ま ってはいるんだけれども、ただ、意識自体がある子がむしろトラブルが増えているわけで すから、大人の側というか、社会の側としては、むやみに規制するよりは、やはり起きた ときにどうするか、あるいはどういうリスクがあるかということを知らせることが大切な のではなかろうか。 続いて、今までは小中高の子たちを対象にしていたので、今回こちらの専門部会の主題 である「非社会性」ということを、特に 20 代も含めて何か検討できないかということで、 今回の調査項目の中で関係がありそうだと私が判断しましたのは、一つは、 「友達や家族よ りもネットワークを利用しているほうが楽しい」という質問に対する肯定的な答え。それ から「友人が少ない」と回答する子たちがどうなのか。それから「同性の親友がいない」、 あるいは「親友グループというのが無い」という有るか無いかを聞いている質問があって、 これが「家族・友人よりもネットだ」と答えるというのは、一種非社会性をあらわすのか どうか。友達が少ないとか、同性の親友がいないとか、親友グループが無いという子たち はどういう子たちなんだろうか。それが情報ネットワーク利用と何か関係があるのだろう かということを探ろうと思いました。 それで小学校高学年、中学校、高校、大学、そして社会人、30 までということで、男女 で分けまして、それぞれの今言いました項目を、とりあえず分けてみたんですけれども、 実際には、例えば、 「親友グループがいない」というふうに答える子というのはほとんどい ない。それから「同性の親友がいない」というのも、やはりそんなにいない。ただ、 「友人 や家族よりネットのほうが楽しい」というのが、一つは、大学生の男性に対応している年 代が 8.6%おります。それからこれが興味深かったんですが、中学校と高校に当たる年代 の女の子でやや高い。六、七%です。ちょっとびっくりはしたんですけれども、学校に行 っている、しかも中学、高校のときに、一番人間関係なんかもいろいろ思い悩みながらも 活発そうかなと思っていたら、友人や家族といるよりもネットのほうが楽しいなというふ うに、それで「はい」と答える子が六、七%いるということはちょっと注目すべきかと思 いました。 あともう一つ、友達の多い少ないで、これは皆様どうお考えなのかなんですが、年代が 上がれば上がるほど、どんどん「多い」が減っていくんですね。小学生だと、 「友達が多い」 が男女とも 53%で、半分以上の子は友達は多い。自分は多いですと答えるんですけれども、 10 中学、高校、大学、社会人とあっと言う間に減っていきまして、どんどん「少ない」が増 えていく。結局、大人になるということは、孤独になることだというふうに思ってしまっ たんですけれども。 今回、一応、19 歳以上に関してネットトラブルとの関係を調べてみたんですが、そうし ますと、やはり親友がいないとか、親友グループ、同性の親友がいないというのは、あま りに数が少なくて、統計的にはなかなか優位性が出ないもので、唯一おもしろい結果が出 たのが、友人や家族と話すよりも、インターネットを利用しているほうが楽しいというの にあてはまる回答者が、特にディープネットトラブルが高まる傾向はもっていたというこ とで、スライドの 34 のところに出ているんですけれども、「友人・家族よりネット」とN TR(ネット・トラブル・リスク)との関係なんですが、 「ネットのほうが楽しい」と答え るのは 53 人いるんですけれども、その人たちの指標平均は 1.66 あります。なおかつ、中 傷の書き込み、中傷メール、うそ・からかい、ネット詐欺、ややトラブルとしては少し深 刻かと思われるようなものに遭遇する危険性は高まっているということが言えて、そうす ると、これは小中高の子たちには当てはまらないんですね。 19 以上の、その人たちの場合はこういう傾向が出てきているということで、そうしまし たら、この人たちはどんな人たちなのかで、一応、教育歴と職歴で相関をとってみたんで すけれども、教育歴に関しては、若干、大学卒あるいは大学在学中、大学院在学中、ある いは卒が多いようには思えるんですが、ただ、何といってもNT指標が2以上で「あては まる」だとそんなに変わりはなくて、見てちょっと多いなと思われるのは、 「無職」と「学 生」ということで、 「友人・家族よりネット」と回答する人たちで、なおかつ、ネットトラ ブル指標が2以上の人たちというのは 20 人もいるんですね。これは多い数で、つまり、 52 人中4割ぐらいの人は、ネットワークトラブルの先ほどの8項目のうち、2項目以上に ○だと答えている人たちで、その人たちに関しては、やはり「無職」と「学生」が合わせ て半分を占めるというような状況にはなっております。 ここら辺は、これまでのこちらの議論とどうつなげて考えられるのだろうかというふう に思ったんですが、それは私自身まだ考えはなくて、とりあえずは、こういうデータの分 析にはなったというご報告をさせていただければと思います。 以上のようなことが、とりあえず、内閣府調査で私が報告書でまとめたものと、今回、 専門部会のお話をいただいて、非社会性ということを考えてみて、とりわけ、19 歳以上の 人たちに関して、どちらかといえば、無職なり学生で時間がかなりあるような人たちの中 11 で、ややネットトラブルに巻き込まれる、なおかつ、そのときに「友人や家族よりもネッ トのほうが楽しい」と思うような人たちというのが、それなりの割合で出てきているとい うことは言えるのではないか。 そうすると、ただ、非社会性そのものを、もし子どもたち、あるいは 20 代の人たちの 中で出てきているとしたときに、それは必ずしもその人たちだけの問題では当然なくて、 そうした社会的な行動を生み出す背景があるのではなかろうか。 そこから、ここでは、まだ実証的なデータに基づいてどうこうという段階ではないので すが、これまで私が重ねてきた研究から、少しこちらの専門部会の議論とかみ合わせたと きにどういうことが言えるだろうかということで、不確実性回避ということに私自身最近 関心を持っておりますので、その観点をご紹介して、委員の皆様方、あるいはその関係の 皆様方に多少なりとも考えるためのご参考になる論点が出せればというのが最後のセクシ ョンになります。 この非社会性というのは、定義の仕方は難しいと思うんですけれども、反社会的ではな い。非社会的である。積極的に社会的な関係性ということをつくるのはどうも苦手になっ て、自分の生活圏を狭めるなり、あるいは他者と積極的に異質なものと交わろうとしなく なっていくというところに関しては、日本社会には強い不確実性回避傾向があって、イン ターネットというのは、本来は個人に対して不確実性を前提としながら、積極的な行為を することによって、高い便益が得られる可能性というのを持っている。ところが、新しい 可能性を開拓するためには、同時にリスクを負わなければいけないという部分もあって、 そこに高い不確実性が不可避的に存在している。ところが、日本社会は不確実性回避傾向 が高いので、サイバースペースというのは、結局は既知のネットワークで利用されるか、 匿名で覗き見る傾向が強くて、結局、不確実性回避をしてしまうことによって、オポチュ ニティコストが発生しているということになってはいないのだろうかと。ところが、現在 の社会はそうしたインターネット、サイバースペースを含め、テクノロジーを中心にどん どん流動化、変化、ダイナミクスが激しくなってくる。そうすると、非常に変化のダイナ ミクスが激しい中では不確実性ということを受け入れて、何らかの形でそこにリスクマネ ジメントをして対処していく個人というものが利得を得る可能性が高いんだけれども、日 本社会の場合には不確実性を回避してしまうために、社会参加から身を引いてしまうこと に結局なってしまっているんじゃないか。あまりに社会が激しく変わってしまうのだけれ ども、自分はやはり不確実、不安なことは避けたいというふうに思ってしまって、その中 12 に身を置きづらい状況があって、そこで非社会性というものが生じる可能性はないのだろ うか。社会的に見たときには、それは機会コストというものを非常に高くしてしまうこと になっているのではないかという、一応、私の仮説でございまして、これを少しお話しさ せていただきたいというふうに思います。 インターネットが何をもたらしたかということは難しいのですが、ただ、私はこの非社 会性という観点で考えたときに、やはり人間社会の付加価値というのは、ヒトとヒトとか、 ヒトとシステムの間に交流・コミュニケーションが起こって生まれると。つまり、みんな が自給自足をしてしまったら、そこには価値は生まれないわけで、自給自足の場合にも、 そもそも人と何かが触れるところで価値は生まれてくる。インターネットとか、携帯電話 とか、さらに現在コンピュータを媒介にしたコミュニケーション、社会心理系ではCMC という言葉をよく使いますけれども、CMCというのは、そうした交流を質、量ともに桁 違いに増大させてきた。 例えば、総務省のやっている情報流通センサスなんかを見ますと、平成 10 年ぐらいだ と、まだインターネットの情報流通量というのはほとんどない。それが今や2年ぐらい前 の平成 16 年の推計では、既存のメディア全体の情報量に匹敵するだけのものがインター ネットの情報流通量になっているという情報流通センサスなんかのことを見ても、いかに CMC系のメディアの情報流通量が爆発的に増えたか。だからこそ情報爆発というような ことも言われる。 その中で、とりわけ、今も皆さん模索しているし、現在でも模索されているし、今後非 常に重要になってくるのが、この「多対多」コミュニケーションというものをどう扱うか ということではないかと考えております。つまり、これまでは対面コミュニケーションが 一対一を基本として、これは基本的には通信の世界を形づくる基盤になっている。それに 対して、マスメディア系のメディア媒介コミュニケーションというのは、基本的には手紙 だとか電話、ファックスなんかは一対一なんですが、いわゆるマスメディアというのは、 一対多であって、メディアコミュニケーションというのは、多対多コミュニケーションと いうのが非常に難しいメディアであった。そこにCMCが入ってくることで、一気に多対 多、不特定・特定、多数の人たちが自由に集まって交流するということで、これは対面メ ディアの場合には、一応、会議とか、パーティのようなものがありますが、アナログメデ ィアは基本的に最も苦手としていた。 しかも、CMCが対面コミュニケーションにはない、まずは非同期性、つまり対面コミ 13 ュニケーションが多対多をやろうとしたら、こういう形でみんなが同じとき、同じ場所に 集まってくれなければ多対多というのは成り立たない。一人だけ遅れてきたら、それは機 会を逃すということなのに、CMCというのは、後からやって来ても前のログを見るとい うことができるということで、非同期性とか、多所性――同じ場所に集まらなくてもいい という multi-sited な性格を持っていますし、蓄積可能であるとか、browsability がある とか、searchable であるというのが非常に大きな要素であります。さらに processable で あって、dissemination がしやすいという幾つかの特性を持っているので、とりわけ、そ の個人がコンテンツを作成し、流通させるコストというものが劇的に低下したことがあっ て、SNSだの、ブログだのいろんなものが出てきている。 総務省さんが「通信と放送の融合の研究会」で最終報告書みたいなものを先日出しまし たけれども、あそこでも問題になっているのはここの部分で、これをどうするかで放送と 通信という枠組みを単にずらすだけで済むのか、それとも、これを単に公然性という形で 規制の対象にすべきなのかどうか、これはこれから非常に大きな問題になるんじゃないか というふうに私自身は思っています。 この多対多コミュニケーションが、これまでの放送、出版、興行系メディア、パッケー ジメディアである「公的メディア」と通信の「私的メディア」というパブリック・プライ ベートの区分そのものを堀り崩してきつつあるわけですし、それから「公的なもの=公然 なもの」、「私的なもの=閉鎖的なもの」という、単純な二分法を破壊してしまったという ことがあるということです。 いわゆる「Web2.0」と呼ばれる大きな流れというのは、基本的には三つぐらいのベク ト ル に 分 け ら れ て 、 利 用 者 側 の 情 報 発 信 力 が 拡 大 す る と い う の で 、 Consumer Generated Media、(CGM)とか、あるいは User Created Content(UCC)というような言い方もあ りますが、コンシューマーあるいはユーザーがつくり出すメディアが多様化している。S NS、ブログ、それからライブ映像活用、セカンドライフのようなものが出てきています。 二つ目の方向性は、いろいろ「知」を集積していくということで、リコメンデーション、 RSS、あるいはPtoP、Wiki のようなものができてきて、集合知が形成される可能性が 高まったと。 それから三つ目は、今度は逆にシステム側が利用者行動をすべてトラッキングして、巨 大なデータマイニングをすることによって、相手に利便性を提供するというようなサービ スというものが開発されてきている。 14 これらが行われていくのが、これまでのコミュニケーション空間とは非常に違ったもの になってくるので、これがどういうふうになってくるのかが、これからの情報化社会とい うものがどうなるかということを大きく左右するだろうと思うわけです。 そこで、私がこれまで自分がつたない研究を積み重ねてきた中で、やはり懸念している 要素として、日本の社会の情報化の特性としまして、一つは「情報財」主導が大きいと。 第三世代携帯にしても、カメラもデジカメをはるかに凌駕するようなものになったり、そ れから音楽再生はできるし、ワンセグは見れるし最も高度である。PC系にしても、東京 圏であれば、光のインターネットに接続しているユーザー層というのは、100 万人単位で いらっしゃるということなわけですけれども、ところが、現実にどれだけ利用しているか というと、そんなに利用が他の社会に比べて活発ではないと。私自身はアメリカはもとよ り、韓国とか、あるいは北欧圏の方々と調査をしているわけですけれども、どうも日本の 社会の利用の仕方が、やはり覗き見的なり、暇つぶし利用であって、残念ながら、情報を 消費するというか、消費財としての情報をコンシュームしているだけで、自分でジェネレ ートして流通させようという意思がそんなに強くはないという印象というか、あるいはデ ータとしてもそういうデータがございます。 二つ目に、私がこれまで非常に懸念していたのが、社会的信頼感とか、対人信頼感が非 常に低いと。それがサイバースペースに対する不信感と、実際にはトラブルに遭ったこと がないのに、何かトラブルに遭うんじゃないかという不安感だけが先行していく。これも 後で幾つかデータを出していると思います。 それで、そうなりますと、結局、現実の生活空間はもう生活空間で、そこで知り合って いる人と多少携帯のSNSをやってみたりはするんだけれども、それ以上には、ネットワ ークを介した社会的関係と現実の関係をお互いにダイナミックにフィードバックするよう な関係性というのはなかなか起きてこない。そうなると、先ほどのようなWeb2.0 と言 われるような流れも、結局はほとんどそんなに進まなくて、既存の通信と放送という大き な枠の括りの中で終わってしまうような可能性もあるかもしれないと思っております。 以下、若干お話しするデータは、一つはJFK調査というふうに呼んでいまして、これ はジャパンとフィンランドとコリアの頭文字なんですけれども、2002 年から3年に早稲田 と高麗大学とヘルシンキ大学の学生さんを対象に、ほぼ同じ質問紙で調査したものでござ います。それから早稲田の 2005、2006、2006 補足調査というので、早稲田の文学部と理工 学部の学生につづってもらった調査をもとにしております。 15 あとは、後でまた言い忘れるかもしれないので補足なんですが、内閣府の青少年調査の ときに入れておけばよかったなと思うのはモバゲーで、残念ながら質問票をつくるときが 昨年度だったんですね。そのころはモバゲーがこんなに広がっているという認識はあまり なくて、モバゲーを入れてなかったのは、返す返すも残念だというふうに思っておりまし て、そこは今回の調査の結果も入れておいたら少し違ったのかもしれないと思っている面 もございます。すみません、ちょっと思いつきましたので、ちょっとお話しさせていただ きました。 話は大学生のほうに戻りまして、これは早稲田の 2006 のネットセキュリティ、対人信頼 感ということで、例えばオンラインショッピングで商品、サービスを購入する場合、個人 情報が漏洩しないか不安である。「そう思う」が4割、「ややそう思う」4割で、8割以上 の学生が、やっぱり不安だな、個人情報漏洩しないかなと。それから「インターネットで 自分の情報を公開するのは危険だ」というのも、やはり8割以上の学生さんがそう思っち ゃっている。 「ネット上では、気をつけていないと誰かに利用されてしまう」というのも9 割がそう思うし、「ネット上」ではなくて、「この社会では」にしても同じようなことがあ るんですね。こういう質問をするほうもするほうなんですけれども、 「この社会では、気を つけていないと誰かに利用されてしまう」では、やはり8割以上の学生は気をつけてない と利用されちゃうなというふうに思っている。ここがかなり深刻で、 「ほとんどの人は基本 的に善良で親切である」は、今は大体半々なんですね。 「ほとんどの人は基本的に善良で親 切だ」と私も思うんですけれども、その人も時々はちょっとやましい心が起きたりするん でしょうけれども、基本的には善良で親切であるとお互い思わないと、なかなか社会で疑 心暗鬼になってしまいそうなんだけれども、やはり半々ぐらいになってしまっている。 「ネ ット上では、人は基本的に善良である」となって、ネット上に動かしますと、より一層そ んな人はほとんどいなくて、2割以下がそう思っていて、これはこれでネットを利用する ときに、警戒感を持つ必要があるということは悪いことではないとは思っていて、そうな んですけれども、ただ、現実の社会が投影しているとしたら、やはりそれはちょっと問題 ではないか。 それで、早稲田の学生さんに、これは 2006 年の段階で、「電子商取引をしたことがあり ますか」で、半分ちょっとしか利用していない。つまり、大学生は一番そういうことをや りそうなんですけれども、半分以下の人は利用していなくて、なおかつ、利用していなく て、利用意向もないという人が4分の1もまだいる。これは私にとっては非常に驚きで、 16 一つ目が「今までの方法で満足している」というのが大きなボリュウムになっていて、こ れは日本が豊かであるということの反映だと思うんですが。二つ目は「セキュリティに不 安がある」というのが2番目の理由として挙がっております。なおかつ、これが 2005 年3 月に行われた調査で、私が見て一種衝撃を受けてしまったんですけれども、日本全国を対 象にしています。 正確には年代を忘れたんですが、例えば、18 歳から 69 歳といったような年代の方を対 象にした調査なんですが、左から3番目に「インターネットの掲示板などに自分に対する 中傷や悪口などを書かれること」というのがあって、これで「非常に不安を感じる」が4 割いるんですね。これは一般の人でごく普通の人たちに調査をして、ネットの掲示板に悪 口を書かれるか非常に不安だというのが4割いるというのは、これはどういうことなんだ ろうというのが、非常に私は気になることではあるんですね。名前・住所などクレジット カード番号などの個人情報が他に知られてしまうことが7割以上の方が非常に不安に感じ るということを言っています。 実際に、それはあるのかというと、これは学生さんの調査なんですけれども、実際には、 クレジットカード番号が盗まれたというので、「ほとんどない」と「一度もない」でほぼ 100%です。ネットショッピングで注文していた商品と届けられたときに違っていたなんて いうのもいないですし、それからコンピュータウイルスを他人に感染させてしまったなん ていうのも 95%の子はほとんどないので、現実にはそんなトラブルにはそれほど遭遇はし ていない。周りの人はウイルスに感染したというのはあるわけですけれども、実際にはそ んなにないのに、なぜ掲示板に悪口を書かれたり、それから個人情報が漏洩することに、 非常に不安に感じるが4割とか7割以上いるんだということで、 さっき対人信頼感の話で、JFK調査のときは結構衝撃的で、 「ほとんどの人は基本的に 善良で親切である」というので、フィンランドの学生さんは8割以上で、韓国の学生さん も4分の3以上で、そのときに早稲田の学生さんが4割で、それで結構愕然と私は個人的 にしてしまったところがあります。これは早稲田だからじゃないかという話はあるんです けれども、それはないだろうと思っておりまして、その後 2005 年にもやりまして、2006 年にもやって、多少でこぼこがあっても半分ぐらいかなと。 今、実は別な調査で、これからお話しする不確実性回避と信頼感を含めてネットワーク 利用の調査をしているんですが、10 代から 20 代にかけての社会的信頼感が非常に低いん ですね。それは7問ぐらいの信頼性に関する質問を定数化して出しているんですけれども、 17 私が漠然と思っていたのは、若いころはむしろ人を信頼していて、だんだん世知辛い世の 中に触れて信頼しなくなるのかと思うと、ここら辺はちょっと皆さんにお伺いしたいとこ ろなんですけれども、年をいくに従って徐々に信頼感はむしろ高まっているんですが、10 代から 20 代前半の女性と、10 代、20 代の男性は、社会的信頼感が非常に低い。あと 50 代後半の男性も低いという結果が出ていまして、50 代後半は一体どういうことなのかなと。 団塊の世代の直後の方々なんですけれども、その方々がやや下がってきている。団塊世代 からその後ぐらいの感じの人たちが下がってきているところがあります。もし仮に、学生 時代が低くてだんだん上がっていくということであればいいんですけれども、むしろ、若 い世代ほど高まっていくというような状況があるとよくないなというふうに感じておりま す。 一応、サイバーコミュニケーションというか、コミュニケーション空間としてサイバー スペースをどう利用するかということで、ここでは図式的に分けてみたんですけれども、 対面も交流はあまりしないで、ネットを覗き見していく。つまり、ネット上で交流した人 と対面では交流しないし、ネットワークはあくまで覗き見だという人たちと、それから携 帯を中心に実際に知っている人たちとネットで交流をするというつながり系の人たちと、 それから対面で会うとしても、それは匿名であって、ネットでも匿名で交流していくとい う人たちと、それからある程度対面とネットとの関係というのを豊かにしていこうという 人たちに仮に分けたとしたときに、どういうふうに今現状あるんだろうかと考えたのが次 のところです。 ネット利用の目的と効用というのは、これまでの様々な調査から、大体5つぐらいのネ ット利用目的・効用に分かれておりまして、一つは情報、知識検索のため。二つ目がおも しろい娯楽、時間つぶしという気晴らしの要因。三つ目が既存の社会的ネットワークを維 持・強化するという側面。四つ目は新しい社会的ネットワークを拡大するという側面。そ して五つ目が自分を知ってもらう、表現するという自己表現ツールとしての側面。大体こ れまでのインターネット利用の様々の調査から、五つぐらいのベクトルに整理できるとい うことはわかっているんですけれども、日本社会におけるインターネットの利用のあり方 は、この1番目と2番目が中心になっていて、あとは既存の社会的ネットワーク維持には 使われるわけですけれども、新たな社会的環境を広げたり、自分を知ってもらうという側 面は弱いということで、これがそれを例証する幾つかのデータなんですが、これはやはり JFK調査でして、真ん中のちょっとだいだい色っぽいのが韓国の学生さんで、韓国の学 18 生さんはいろんな使い方に比較的積極的である。フィンランドの学生さんは、 「自分の考え を広く人に知ってもらうため」が4割ぐらいで、韓国よりもむしろ多くて、それから「新 しい考えを得るため」というような使い方も結構強い。日本の学生さんは、それに比べる と、 「情報収集等面白いから」というのが結構あるんですけれども、それ以外では時間つぶ しが多いんですが、それ以外のところが弱い傾向があります。 早稲田調査で経年的に比較したのがこれで、傾向自体はそれほど変わってはいない。た だ、「付き合いの範囲を広げるため」とか、「ネット上でしか知らない人と交流するため」 とか、あるいは「自分を表現するため」というのも、2002 年に比べると多少増えている傾 向があるんですけれども、これは後でお話ししますが、SNSの普及というものが後押し した側面があると思っております。2002 年になかったものが影響を与えていると思います。 ここでモバゲーの話は、この図のところで入れておけばよかったというお話だったんで すが、内閣府調査でネット利用目的をやはり聞いております。そうすると「ホームページ やブログを見る」、それから「学校の宿題などの答えを調べたり、探したりする」ために利 用するというのがあります。それから携帯だと「友達の掲示板を見る」というのが高校生・ 中学生ですと4割、5割の子どもたちは、友達の掲示板を見たり、あるいは自分のホーム ページ、ブログ、日記をつくったりするのが、高校生だと3割に達していて、これは自己 表現みたいなものをこれまでしないという子たちがするようになってくるきっかけになる のか。これが恐らくモバゲーの影響がかなりあるんじゃないかと思っているんですが、残 念ながら、今回の調査票ではモバゲーを聞かなかったので、この3割が何を意味している かは、これ以上は推測しかできないという、ちょっと残念な結果になってしまいました。 ただ、ご承知のように、モバゲーの場合には、むしろ携帯の中で、なおかつ、ほかの人 とは会わないようにということの前提で、むしろ、そういう意味での安全性を担保する形 で運営をされておりますので、今後こういう経験をした子たちが大学あるいは社会人にな っていったときに、どういう行動をとるのか。ブログとか、SNSを使ってより対人関係 を広げたり、Web2.0 的な利用の仕方をするのか、そうではなくて、結局、覗き見的な 利用に落ち着くのかは、やや時間をおいて見る必要があるようには思います。 それで、先ほどの経時的な変化で見たときには、 「人との会話の話題を得るため」という のが、2002 年には 15%だったのが、2005 年、2006 年と3割を超えております。これは明 らかにネットが日常生活に浸透してきた。 「習慣的に利用する」というのが、もはや大学生 で4分の3を超えているということで、これはメディアに関して、例えば週刊誌だとか、 19 あるいは口コミだとかを含めて、例えば、情報を得るためにあなたはどういうメディアを 利用していますかというので、テレビや新聞を含めて順位付けをしたりしますと、もはや 新聞、テレビ、ネットというのが三大メディア化していることは疑いない。ほかのメディ アに圧倒的な差をつけている。この三つが大きな影響力を持ってきたことは間違いなくて、 このネットの日常生活への浸透に、SNSが大きな役割を果たしたということも、これも ほぼ間違いない。これはSNSを、例えば 2004 年の段階では、「SNSを知らない」とい うのが4分の3いて、 「アクセスしない」の1割を入れると、SNS利用者というのは、1 割ぐらいしか 2004 年にはいなかったのが、2005、2006 と倍々ゲームで利用者を獲得して きたという経緯がございます。今、私自身は、大学生とか、シニアの方とか、社会人の方 とかに細かい聞き取り調査をしているんですけれども、大学生なんかだと本当にパケ放題 で、暇さえあれば、ずうっとSNS見ていますみたいな使い方をしているという側面があ ります。 SNS利用者に関して、表頭のほうは、SNS利用が「1日1回程度以上」、「週数回・ 1回程度」、 「アクセス無」、 「SNS非認知」、 「全体平均」、こちらがインターネット全般の 利用目的です。これはSNS利用者、特に利用頻度によって、ネットの利用目的が違うか どうかをクロスで分析しようとしたものです。そうしますと、例えば、 「1日1回程度以上」 の人は、 「習慣的に」というのに答える割合は高まりますし、それから「既に知っている人 との交流を深める」という要因とか、それから「コミュニケーション目的」でインターネ ットを利用するんだとか、 「自己表現」で利用するんだというのは、明らかにSNSを1日 1回程度、あるいは月数回程度以上というふうに回答した人で多くはなっている。ですか ら、SNSというものが、ある意味ではSNSの高頻度利用というものが新たなネットワ ークの使い方ということをつくり出しているということは間違いない。 ところが、社会的なネットワークが広がるのか、それとも既存のネットワークが強化さ れるのかということで考えたときには、SNSによるコミュニケーション目的というのは、 先ほど言った第4世界ですね。つまり、対面とネットワークがお互いに相互強化していく というよりは、むしろ既存のつながり世界が拡大しているという側面が多い。その結果、 「Mixi 疲れ」というような表現もあって、利用するのにトラブルが起きてしまったり、あ るいは足跡を付けられたら、付け返さなきゃいけなくて、今、足跡付け返しソフトみたい なものがあるんですね。足跡を付けられていたら、自動的に付け返しで歩くようなソフト が出たりとか、それは非常に彼らはすごく気にするみたいなんですよね。あと、携帯電話 20 なんかもメールで来たのに、すぐ返さなきゃいけないのと、返さなくていいものの線引き をどうしようかというふうにすごく気に病んでしまったりとかがあるんですが、 「 つながり 世界」が強化されるという側面がありまして、これは「SNSで登録している友人知人」 というのを「オフラインでも知っている」、「オンラインのみで知っている」で、何人ぐら い知っていますかというふうに答えさせたんですけれども、現実に今、半分以上の学生さ んは、 「オンラインのみで知っている」という人はゼロなわけで、一部大量にオンライン友 達をつくる人がいるから平均値が嵩上げされるということで、実際にSNSで知り合って オフ会で会ったとか、個人的に会ったという人の数というのは、むしろ減っているような 状態になっています。 さらに 2006 年、去年やっていた調査では、初めの調査では「Mixi 疲れ」みたいなもの が、あまり議論というか、焦点になっていなかったので、改めて「Mixi 疲れ」みたいなも のに特化した補足調査というのを去年から今年にかけてやっているんですけれども、特に 私が気になったのは、SNS利用によって、ネットに対する不信感が消えたという質問文 に対して、1 割に満たない学生しか「消えた」とは答えていなくて、これが 57 のスライド のネット不信感という、ちょっとコラムみたいになっている表なんですけれども、理工の 学生 41 人、文学部の学生 84 人で、ネットの利用によってネット不信感は消えましたかと いうのに対して、「消滅」しているというのが 8%、「増大」したというのが 4 分の 1 ぐら いいる。あとの学生は「変わらない」という答えになっております。SNSにどこまで自 分のプライベートを載せていいのかわからないというのが、半数以上の学生がそういうこ とを感じているという状況です。 こうした日本の社会のネットワーク利用の仕方というのをどう解釈するかということで、 私自身非常に悩んでいたわけなんですが、ずっと手がかりにしていたのが、山岸俊男さん の trust と assurance、信頼と安心というのが何かをうまく説明できるのではなかろうか と。これはご承知の方も多いと思うので、簡単に振り返らせていただきますと、信頼とい うのは何かと言ったら、何らかの相手の意図に対する期待である。相手が人間性、行動傾 向として、自分を裏切るなんていうことはしないな、あるいは相手は自分に好意を持って くれているから、どう見ても自分に不利なことはしないなというふうに期待をする。これ は不確実な状態、つまり、相手が裏切るかもしれないというのが前提となっていて、裏切 られるかもしれない中で、相手は人間性、あるいは行動傾向から裏切ることはないだろう、 あるいは自分を好いていてくれる、あるいは自分を信頼してくれているから自分を裏切る 21 ことはないだろうということで、意図を期待するリスクを自ら負うということが信頼には 不可欠である。 それに対して安心という概念は、相手の自己利益の評価としての期待だと。つまり、相 手はそうすることが自分の利益になるからそう行動するんだと。これは社会的不確実性を 排除して、お互いに自己利益のために行動することが合理的になる。不確実性がはなから 排除されて、裏切ったら制裁が加えられるから、みんなそのルールに従って行動している という状態なので、山岸さんは「ヤクザ」社会みたいなことを例にとったりされています。 これをもとにして、いろいろ質問票をつくって調査をかけたりしているんですが、なか なか信頼、安心で情報行動を説明するというのは、有意な相関がこれまで出てこなかった という経緯がございますので、かなり悩んでいまして、それで最近改めて認識したのが、 オランダの社会心理学者であり、組織人類学者であるホフステードという研究者が、もと もとは 60 年代末から 70 年代にIBMの社員 12 万人を対象にして価値観調査を行って、I BMは世界規模で仕事を展開するために、それぞれの社会の仕事に対する考え方というこ とを認識する必要があるということで、ホフステードはそれの研究を行っていて、仕事に 対する文化的価値観として5つのモデル化を行った。 これもご承知の方は随分多いんじゃないかと思うんですが、一応、念のためなんですけ れども、5 dimensions は何かといったら、一つは Power Distance で、構造的に下にある 者が権力の不平等の分布をどの程度予測して受け入れているか。非常に上と距離があって、 それをいいと思っている社会もあれば、広がっていてよくないと思っている社会もあれは、 近くてそれが当たり前だと思っている社会もある。その Power Distance Index というのと、 それから二つ目が個人主義の度合い、この場合には、地縁、血縁から独立している。逆に 言うと、地縁、血縁で巻き込まれちゃう集団主義的な社会と対立させる。あと、男性性を 強調するか、女性性を強調するか。四つ目として Uncertainty Avoidance Index というの があって、不確実状況、未知な状況に対して脅威を感じる程度で、これが日本社会は非常 に高いという結果が出てきています。それに対して、例えばアメリカとか、シンガポール なんかは非常に Uncertainty Avoidance が低いという結果になっていたというのがホフス テードの研究だったんですね。 最後は、これはどうも儒教的な要素に関係しているということですが、これ自体、私自 身はどうもいま一つしっくりこないので、とりあえず、長期志向、短期志向というのがあ ともう一つ挙げられている要素としてあります。 22 UAIというのは、どういうことかというと、漠然とした不安感であって、これは特定 の対象に対する「恐怖(fear)」とは違う anxiety である。なおかつ、確率論的な意味での リスクとは異なる。リスクというのは、あくまで確率論的にこれがどの程度の安全性を、 例えば1%から 0.1%に事故が起きる確率を下げるにはどうしたらというリスクとは違う。 UAIが高い特徴としてホフステードが議論しているのは、自殺率が高い。それから高速 道路の最高スピードとの高い相関関係というので、スピードを出すのは危険なんですけれ ども、危険はわかっているので、むしろ、漠然とした不安ではない。そうすると、UAI が高い社会は、どちらかというと、ストレスが過剰な社会で人々をスピードに向かわせる 傾向があるというふうに、多少実証的なデータを踏まえて議論しています。 それから、あとは Uncertainty を Avoid しようといいますから、清潔・不潔とか、安全・ 危険とか、とにかく物事をきれいに分けたがる傾向を持っているという主張でして、ここ で非社会性とつなげて考えると、サイバースペースというのは、非常に不確実性に満ちた 社会であって、安全を求める心理というのは、やはり不確実性を排除しようということな ので、ネットというのは、既知のネットワークか、あるいは匿名、覗き見的かというよう なことになってしまうのではないか。信頼に基づいて何かチャレンジングなことをして、 ネットワークを拡大しようとか、自己表出しようということには消極的になる。ただ、不 確実性回避というのは機会コストが大きくなってしまので、安心という観点よりはやはり 信頼、それには、要は不確実性回避傾向があるということを認識した上で、そこを何か迂 回させるような社会的回路というものをつくっていく、そうしないと、逆に不確実性回避 というものが、どうも非社会性というものの土壌に合ってはいないだろう。ネットなんか の場合で、先ほどありましたように、学童の場合には、まだ友達関係とかあるからいいと しても、一般社会に出てしまうと、ほかに頼れるところがない、でも何か新しいことにチ ャレンジするときに、そもそもリスクを負わないということになって、非社会性なり、あ るいはそれがひきこもったり、あるいはネットに非常に深くインボルブしてしまうという ようなことにつながっていっているのではなかろうかということで、ちょっと雑駁ではご ざいますが、私のほうからの話題提供というか、ご報告のほうを終わらせていただきたい と思います。 どうもご清聴ありがとうございました。 ○前田部会長 ありがとうございました。非常に興味深い、それからいろんな問題といい ますか、示唆に富むポイントが含まれているとは思うんですが、何かご質問はいかがでし 23 ょうか。言葉が難しい部分もちょっとあるかもしれないんですが、いかがでしょうか。 もちろん感想的なことでもよろしいんですが、どなたからでも。 ○宮台委員 木村さん、大変興味深い発表をありがとうございます。とりわけ、ネットに かかわる規制措置、あるいは法制措置を考えるときの非常に重要な材料が開陳されたとい うふうに承知しております。 まず、伺いたいのは、規制の方向性がどういうふうな方向に向かうべきなのかというこ となんですね。その前にご報告に関する感想を申しますと、子どもについては、アクティ ブグループか、そうでないかということがリスクファクターを左右しているということで あったように思います。あと大人については対人ネットワークの有無が、むしろリスクの 回避と逆比例関係にあるという関係なのかなと思いました。この成人については、いわゆ るジョセフ・クラッパーの限定効果説の中の人格要因論と対人ネットワーク論があります よね。メディアが単独で影響するというよりも、一人で見たのか、親しいやつと見たのか、 知らないやつと一緒に見たのかといったことによって影響力が変わってくるといったよう な問題。これは実際その場に仲間がいて見るかどうかということよりも、例えば「コミュ ニケーションの二段の流れ仮説」、ラザースフェルドの議論にもあるように、実際に自分自 身がはめ込まれている人間関係の中で、再解釈できるのかどうかということが影響の直接 性を左右するんだという議論、そうした議論とも接続法がいいというふうに感じました。 あと、重要なポイントだと思うんですが、日本人の日本人性にかなりクリアに言及され たという印象があります。例えば、近代の法社会学の発想ですと、違背の処理というか、 例えば、期待はずれに対してどういうふうにかかわるのかというときに、要は近代社会な るものの連携を考えると、要はトラブルがあったときに、しかるべき、例えば統治権力の 呼び出し線を使えるとか、警察や司法を呼び出せるとか、あるいは第三者がしかるべく動 いてくれるとか、簡単に言えば、トラブルがあった後の処理の仕方について通暁しており、 それについて信頼しているということをもって、実はトラブルに対処できているというふ うに考えるのか。そもそもトラブルに全く遭わないことをトラブルに対する対処、あるい はトラブルに関する措置だというふうに考えるか。この両方、前者が近代的で、後者が法 社会学においては前近代的だというふうに考えられているわけですよね。 その理由は、近 代社会は当たり前ですが、社会的流動性が高いわけで、基本的にトラブルを回避するとい う前提で行動してしまうと、ソーシャルネットワークも広がらないし、あるいは人間関係 の多面性も展開をしない。したがって、重要なのはトラブルを回避することではなくて、 24 トラブルがあったときにしかるべく措置できるということについての信頼(trust)を構成 することだという発想があります。 そうしたことからいうと、どうも日本人は近代社会の複雑性や多様性にマッチするよう な免疫化の歴史を持ってない、あるいは個人史的に言うと、そうした多様性や異質性、期 待はずれに対処するべく教育をされてきていないというふうな印象が強くあります。した がって、こうした流動性や多様性に対する措置というと、何かというと隔離をする、そう いう方向性が展開しがちですよね。ところが、例えば、アメリカであれば、通信品位法が あってこの違憲判決が出ました。ただ、日本では理解されていませんが、いわゆるオブシ ニティとリーセンシーの問題を分けるわけです。つまり、名誉棄損とか、でたらめなこと を書いて困らせるとかいったようなリーセンシーの問題については、これは隔離をするの はよくない。わかりやすく言えば、しかるべく対処できればそれでいいのだということ。 オブシニティですね。例えば、幼女とセックスをするとか、レイプをするとかといったよ うな映像について言えば、これは規制するべしと。しかし、明らかに反社会的なものを除 いてはゾーニングで対処するべしといったような方針が示されているというふうに私は理 解していますが、日本では何かというと、オブシニティもリーセンシーも全然区別せずに、 とにかく隔離しろ、見せるなと、アクセスできないようにしろというような議論になりが ちだというふうに僕自身は考えています。そうした現状から見ると、今回のご発表、ご報 告は、実はそういう単純な話ではないと。問題は非常に多面的、多極的であるというふう におっしゃったように受けとっております。 ということで、最初にいきなりなんですが、ネットにかかわるトラブルに関する社会的 な措置のあるべき姿について、木村先生の概括的なお話を伺えればと思います。 ○木村准教授 コメントをありがとうございます。 本当に直球でど真ん中に質問をされたようで、そこは実際に今後の法制度をどう考える かで、私が先ほどちょっとお話の中でも触れましたように、例えば、今回の総務省さんの アプローチというのは、非常に多対多というところを放送用に引きつけ過ぎると。それを 公然性という形でやってしまうんだけれども、例えば、あのアプローチが参照していると 思われるEUで、ちょうど今AVMS指令というものが、欧州議会でちょうど採択されて いるところだと思うんですけれども、あの枠組みはあくまで視聴覚メディアに関して、人 間の尊厳だとか、青少年、未成年の保護だとかは規定するけれども、いわゆるここで言っ ている多対多的なコミュニケーションは指令の枠外に置いているはずなんですね。それを 25 今回の報告書のアプローチというのは、やはり通信と放送に二分化して、そこにネットが 登場してきた一部を寄せるみたいな形で解釈しようとしている傾向があって、ただ、これ から私たちが21世紀の情報ネットワーク社会で一人一人にとって便益をもたらして、なお かつ社会全体にとってもプラスに働いていくような情報ネットのあり方を考えると、やは り単純にそういうふうに切り分けてしまうのではなくて、先ほどの青少年の話もそうです が、利用者側に対する教育――教育という言い方は難しいですかね。やはり知らせること。 リスクなら、リスクでこういうリスクがある、そのときにはどういう対処の仕方があると いうような方向性で議論をして、あまり屋上階というか、政策の目的を完璧な枠組みづく り自体が目的化するのはよろしくないんじゃないか。それはいろいろな出来事が起きて、 それに対して対処していくという側面は必ずあると思うので、むしろ、自由に発達できる 余地というのはどこかに残しておいて、それが多対多のところは必要なんじゃないか。 実際にアメリカの通信品位法以来のいろんな立法措置及びそれに対する合憲性をめぐる 争いも、初めは直接的に情報をコントロールしようという趣旨があったのか、今、先生が おっしゃられたようなゾーニング的な方法とか、あるいはフィルタリングで、図書館とか、 あるいは家庭とかにエンパワメントさせる。フィルタリングソフトを導入させる、親が子 どもの教育に対して責任を持たせるという方向で解決しようとしているところがあるので、 そうした下からの自律的な動きを促すような方向が個人的には望ましいんじゃないかなと。 つまり、放送通信で単純に分けて、間をなくしてしまうということは、一つは、今の段階 では少なくともちょっとやめたほうがいいのではないかということと、それから下からの 自律的な自分で自分をコントロールするというか、何かにコントロールされるんじゃなく て、自分たちでコントロールしていくような土壌を育む政策のほうが望ましいのではない かというふうに個人的には思っております。 お答えになっていないような気がしますが、ご容赦いただきたいと思います。 ○宮台委員 ちょっとコメントして、お話ししたいと思うんですが、EUはリニアリティ ーというふうに言っていますけれども、要は僕たちの語感で言うと、情報がプッシュ型な のか、プール型なのかということで、テレビのようなアナログの時代のブロードキャステ ィングというのは、音声情報にしろ、映像情報にしろ、もともとチャンネルの数が少ない し、簡単に言えば、いわゆる希少性ですね、スカシティというのが存在して、つけたら見 せられてしまったり、聞かされてしまったりするふうに押し込まれるファクターがある。 それについては、そもそも内容規制が重要なポイントになる。ゾーニングと内容規制につ 26 いて、ドイツはヨーロッパの中でいわゆる小児ポルノ問題でバッシングを浴びているとい うこともあって、ゾーニングよりも、むしろ内容規制を突出して行おうとしているという ふうな温度差はありますが、いずれしても、そういうプッシュ型のものについては規制を 強くして、プール型、つまり自分でわざわざアクセスして引き出すというふうな積極性が あるものについては、むしろ規制はその分弱めていこうというような傾向があるように承 知をしていますが、ただ、木村先生に今日お話しになっていただいたように、インターネ ットの活動傾向がそもそもある種閲覧型というか、消費というふうな言い方をされていま したけれども、受け身型ですよね。簡単に言えば、自らアクティブに振る舞ってネットワ ークを構築していくとか、それを通じて新しいネットワークとかアーキテクチュアをつく っていこうというふうな方向性が非常に乏しいという傾向性がある。ニワトリと卵の問題 なんでしょうけれどもね。こうした受動性が非常に強いネットユーザーが多いということ は、例えばEUとの比較で言えば、日本は同じ通信なら通信と言われているものについて さえも、それを放送メディアと同じように、例えばケーブルTVとか、あるいはCS放送 と同じように利用してしまう傾向が強いのではないかというふうな気がします。その辺の 悪循環を断ち切るためには、恐らくメディアリテラシーにかかわる教育、いわゆるメディ ア・エデュケーションの展開とか様々な補足的な措置が必要なのだろうというふうに思い ます。いずれにしても、我々の受け身性をどう克服するのかということについて、私はち ょっと懸念がありますし、何かいいアイディアがあれば、木村先生にお伺いしたいと思い ます。 ○木村准教授 ありがとうございます。やはりそこが非常に大きな問題で、私としては、 そういうふうに枠をはめちゃうと、せっかく多対多で何か新しいのをつくるところが、結 局はCATV的か、それとも通信かであらかじめ分けられてしまうことにちょっと懸念を 持っていると。だから、その芽は何か残しておいていただけないかなというふうに思って いて、やはり法律の枠をつくるのが目的じゃなくて、それで何をするかというところで、 そのときに、先生がおっしゃられた、多対多のインパクトがあるとしたら、それをどう私 たち日本社会が生かせるのだろうか。そのときに、先ほど言いましたように、どうも不確 実性回避傾向というものが強くて、なおかつ今回の私が先ほどちょっとお話しした調査だ と、年度が下に行くほど強いんですね。UAIも強いんですよ。社会的信頼感は薄いんで すよ。これは一体何によってきているのか。子どもたちが非常に不確実性というもの、つ まり具体的には、例えば、人生に不確実なものは不可避だけど、それは人にとっては当た 27 り前で日々生活しているというと、人生に不確実性はつきものだが、非常に不安に思うと。 それでどっちですかといったときに、子どもたちは逆に「不安です」のほうにどんどん行 ってしまっているという現状があって、 「人は基本的に善良で親切である」という割合がど んどん減っている。これを社会が変えていくことのほうが、その意味ではネットワークの 多様な使い方にも私はつながっていくとは思っている。そこの環境醸成ということが必要 で、それがさっきの逸脱行動をしづらい環境が、結局ネットトラブルを避けることにつな がるというのにもかかわっているとは思っております。 ○前田部会長 いかがしょうか。非常に議論が広がる可能性もあるんですが、この研究会 としては、非社会性ということとの結びつきでどうとらえていくかということなんですけ れども、私はちょっと理解が不足しているのですが、非社会性とのつながりのところのポ イントをもう一回……。それと、最近のインターネットの変化、短期に急激に変化しまし たよね。それによって不確実性回避傾向が強まったということはないわけですね。 ○木村准教授 それも今回の調査の目的ではあるんですけれども、因果関係というのはな かなか難しいものなので、まず初めの非社会性と不確実性回避傾向及びネット利用という ことに関しては、私の仮説ですと、やはり日本社会に不確実性回避の社会心理というのは 非常に強いので、そうなったときに、流動性が高まっていることで社会参加をしなくなる 傾向がある。そのときに、インターネットというものがある意味では、自分はかかわらな くてもどんどん情報は入ってくるという、なおかつ、ある意味でどこかでつながっている 感みたいなものも得られるという心理的保証もあるので、それでより協調する方向性はあ るようには思うんですね。人によってですけれども。それがさっきの話ですと、例えば 20 代の 19 歳∼29 歳までで大体 1,200 サンプルいると、 「友人や家族よりネット」と答える人 が 53 人ですから5%ぐらいはいて、なおかつ、その人たちはやはりネットワークトラブ ルに遭う傾向も強いと。つまり中傷的な書き込みをされたりということで、これが必ずし も非社会性というふうに定義付けていい人なのかどうかは別問題ですが、多少5%ぐらい の規模で出てくる可能性はあり得るということを調査は示唆していると思います。 ○前田部会長 どうぞ。 ○加藤副会長 どうもありがとうございました。ついていくのがやっとで、一生懸命つい ていったんですけれども。宮台先生と木村先生の議論をむしろ聞いたんですけれども、年 齢が低いほど低い対人的な信頼関係だと。それから不確実性回避の傾向も強いと。これを 同じ年代で考えるというよりも、基本的にも単純に心理的パーソナリティ論として言えば、 28 要するに信頼感とか、安心感を持てるパーソナリティになるかどうかというのは、パーソ ナリティの形成論として言うと、要するに乳幼児期から幼児期、そこらの遊戯性少年期に かけての対人関係、人間関係によって決まってくる。それが非常に不安定な場合には対人 的な信頼関係が低いと。ですから、今、年齢が低いほうが対人的信頼関係が低いというこ とを年代の特徴というよりも、むしろ新しく――こういう言葉を使っていいのかどうだか わからないんですけれども、育児がうまくいっていないということが情報化社会の中では っきりあらわれてきたのではないかと。 それともう一つ不確実性回避の問題ですけれども、不確実回避の問題を木村先生が言わ れたように社会的なこととしてとらえるとらえ方と、心理的なとらえ方と両方あると思う んですけれども、ジェローム・ケーガンというハーバードの脳の研究所のディレクターが いるんですが、500 人の女性の協力を得て女性の妊娠の段階から生まれたばっかり、5歳、 10 歳とずうっと調べていった結果、どうしようもなく人間の問題として抑制型と非抑制型 とがいる。これは詳しくは時間がないから話しませんけれども、脳内化学物質から神経系 統の違いから分けていって、そして非抑制型というのは、不確実なことに対して喜びを感 じると。抑制型というのは、不確実なことに対して非常に危険を感じると。実は僕はそう いう中で日本人は、国民性として、どちらかというと抑制型ではなかろうかと。したがっ て、もともと不確実なことに対する脅えみたいなものを持っているのではないかと思って いたんですが、木村先生の話を伺って、こういう形で日本が不確実回避の傾向があるとい うことが出ると、やっぱりそうかなと思って……。 となると、これから先はちょっと木村先生と意見が違うところなんですけれども、ネッ トなんかの利用の仕方として既知の関係を強化するとおっしゃいましたよね。むしろ、こ ういう傾向が日本人の国民性にとっては望ましいことなんじゃないかと。もともと人間関 係が非社会的にうまくいかなくなりだしたときに、既にネットを離れて、我々の社会の中 にある既知の関係すらも、人間関係が希薄になっているということはいろんな調査でわか っていることで、その希薄になっている人間関係を、それは既知の関係ですね。それをネ ットが強化するとなると、これはネットとしてむしろ望ましいことではないのかなという ふうに考えるんですね。 Mixi みたいなもの、僕は自分が入っていないのでわからないんですが、ああいうものに しろ何にしろ、むしろ我々の社会としては、本来ネットというものがこういう可能性を持 っている。だから我々がそれを利用できるようにしなければならないというふうに考える 29 のではなく、逆にネットというものがこういう可能性とか、能力を持っているのであれば、 我々の国民性というか、日本人の今の社会の現状の問題点を修復する側に利用していくと いうように、我々がネットの可能性に合わせるんじゃなくて、ネットを我々が持っている 欠点を補う、我々の社会が持っている弱点である非社会性を補強するために利用するとい う、これをリテラシーと言っていいかどうかわからないんですけれども、そういうリテラ シーというのは考えられるんでしょうか。 ○木村准教授 ありがとうございます。先生がおっしゃられたことは、逆に言えば、技術 が入ってきたときに、それぞれの社会はそれぞれの社会の持っているロジックに従って使 い方を考えて自ずと出てきたんだと思うんですね。その意味で既知の関係を強化するとい うのが一つの大きなベクトルになっているというのは先生がおっしゃるとおりじゃないか と。そこで多少 Mixi 疲れみたいなものも出てくる気はするけれども、それでも、恐らく 相当なボリュームがその中で展開されていくベクトルはあり得るだろう。ただ、先ほども 申しましたように、もう一つ覗き見型というのがあって、今回詳細はお話できる段階では ないんですけれども、覗き見型が結構、やはり4分の1は超えるような大きなボリューム を持っていて、その人たちは単純にもう暇つぶし、時間つぶしで受動的なメディアとして ネットを利用している。そのボリュームが最大ボリュームとしてあって、それ以外、つま り既存の関係をうまくネットを使って評価できる人たちはいいんだけれども、そうでない 人たちもまたいるので、その部分をどう考えていったらいいか。 とりわけ、一般的な信頼感も低くて、なおかつUAIが高いような人たちというのが今 後どう動くのだろうかというところが私は気になっておりまして、これがちょっとさっき 言いました、まだお配りはできないデータなんですけれども、これは女性の 12∼14、15 ∼19、20 代前半、20 代後半、60 代前半まであります。男性が 12∼14、15∼19 で、20 代 前半∼60 代、これは一般的信頼指標で7つの質問項目を合成したものなんですけれども、 10 代、それから 20 代前半の女性が非常に低い。それから男性は 30 代まで全般的に低い んですが、とりわけ 10 代が低くなっていて、これは先ほど先生がおっしゃられた家庭と いうものの環境が大きな影響を及ぼしているのか。反面、UAI(Uncertainty Avoidance Index)がやはり 10 代と 20 代前半女性は非常に高い。男性に関しては 10 代が高いという ことで、確かに 10 代のころは悩みも多くて不安もあるというふうにも考えられるんです が、信頼面も低いので、ちょっとここの層が、先ほどのお話だと、年代の変化で徐々に社 会経験を積んで変わるのか、それとも、一種コホート的な要素を持っていてコホート集団 30 でいってしまうのか。もしコホートだとすると、これはかなり、私は個人的にはちょっと 懸念することがあって、そこが先ほど言った、知り合い、付き合い、既存の関係強化メデ ィアとして使うということが救えるかといったら、それが救える人と救えない人とが随分 出てくるようには思います。 ○加藤副会長 先ほど先生がおっしゃった、そういう意味でのデジタルデバイドの点がも っと深刻になるわけですね。従来からデジタルデバイドと言われていたけれども、もっと 今度は所得の低い層が、で人間関係が希薄、さらにそこにデジタルデバイドが強化されて くるというと……。それともう一つ、今、青少年というのはそういう形で出てきた。僕は 今、先生のおっしゃった後者のほうだと思うんですけれども、青少年がそのままずっと対 人関係も低い、信頼感も低いし不確実性回避傾向も強いままでいくのだろうと思うんです ね。したがって今回のこの会の非社会性の問題というのは極めて重大なテーマであろうと いうふうに僕は理解をしているんですけれども、先生は、そこら辺はどうお考えでしょう か。 ○木村准教授 私自身が非社会性という概念を、こちらの専門部会の議事録とかを読ませ ていただいて、自分なりに少し解釈して今日お話しさせていただいたんですけれども、現 状では、少なくとも実証的なデータに基づいて考えると、さっき申し上げたように、5% ぐらいの層がそういう非社会性の問題のターゲットになりそうな気はすると。そうすると 95%の人たちは中でも、つまり、さっきのお話で一番信頼感が低い問題と、その中で例え ばネットの使い方にしても、必ずしもその本人にとってもプラスになかなか働かないよう な使われ方の問題と、それから実際に非社会性を帯びた人たちがいて、その人たちが今回 の分析だと、もしかすると5%ぐらいで、なおかつネットというものにかなりはまり込む 方もいて、トラブルに受ける方もいると。その部分に一体どういうふうな政策的な対処を するかということは、やはり 20 人に1人といったら相当な母集団になるので、今後、施 策領域としては大切だろうと思うんですが、ただ、現状でどういうふうにこの人たちにア プローチをして、どういう選択肢があり得るのかに関しては、ちょっと私もまだこの概念 を十分咀嚼できている段階ではないので、大変申し訳ないんですけれども、一応、今の段 階ではデータ提供ぐらいしかできない状況だと思います。申し訳ございません。 ○加藤副会長 ありがとうございました。 ○前田部会長 じゃ、宮台さん。 ○宮台委員 加藤先生の家族の空洞化が前提となって、ある種の子どもたちの感情的な安 31 全が脅かされて不安が増大しているのではないかという議論なんですが、別の仮説も立て られるというふうに思うんですね。むしろ他者性や第三者性に関する訓練を受ける機会を 失ったので、基本的には社会にかかわる能力を失っているのではないかというふうにも考 えられる。この場合には、いわゆるコホート仮説を採用していることにはなりますが。 実は先ほど木村先生がご紹介くださって、山岸俊男先生の業績は、ニコラス・ルーマン という人のフェアトラウェイの信頼という本を実はベースにしていらっしゃるんですね。 ルーマンの議論は、まず、例えば家族とか、あるいは僕たちが共同体と呼ぶような社会は なれ親しみによって覆われている、そういう社会だと。それに対して近代社会は一般に流 動性や複雑性が高いので、慣れ親しみに供しては前に進めない社会だということで、そこ で信頼が出てくるんだというふうにいうんですね。慣れ親しみの空洞化を信頼が埋め合わ せる。この信頼にさらに実は2種類あるというふうに考えていて、一つはパーソナルな信 頼、もう一つはインパーソナルな信頼ですね。パーソナルな信頼は、いわゆる恋愛概念で あるとか、親密性の概念によって――概念というか、社会的な意味論によってカバーされ ていく領域であって、人々はより深くかかわるほどパーソナルな、簡単に言えばヒューマ ンボンデージ、人間的かかわりを強くすればするほどいいんだというふうな意味論が出て きたと。他方で、インパーソナルな信頼について、彼は二つに分けていると思うんです。 一つは「システム信頼」というふうにいうもので、これは木村先生がおっしゃったサンク ションの発動可能性を信頼するということ。安心ですね、山岸さんの言葉でいえば。これ がルーマンのいうシステム信頼に相当しているんですが、それとは別にルーマンは、恐ら くジンメル的伝統だとも言えるんですが、人は一般にこうするんだというふうな、インパ ーソナルだけれども、システムに依存しないような信頼もあるんだというふうに考えてい るんですね。 今日の木村先生のご報告を雑駁にマッピングさせていただくと、恐らく日本においては、 慣れ親しみが空洞化していくことを埋め合わせる信頼の形成に幾つかの点で失敗をしてい ると。まず一つはパーソナルな信頼、非常に深い人間関係をつくるという点でも、実は障 害が生じている可能性があると。もう一つは、インパーソナルな信頼において、サンクシ ョンの発動可能性にかかわるシステム信頼はいいとして、人は一般にこういうふうな存在 なんだ、こういうふうに行動するんだといったような、例えば経験値に裏打ちされたよう な構えですよね。これが形成されていない可能性があると思うんですね。 先ほどから雑駁な価値を表明申し上げると、私だけの価値ではなくて、例えばアメリカ 32 でも、ちょっと失念しましたが、サイバーカスケードという概念を生み出した人何でした っけ?(キャス・サンスティーン) あの人が簡単に言えば多様性と包摂性は違うという 議論をしている。ネットは確かに多様性をもたらすけれども、放っておくと単なるゾーニ ング(すみ分け)をもたらすだけ。むしろ、すみ分けた結果、免疫がない人たちが異質性 に対して過敏になる傾向が高まる可能性がある。それがサイバーカスケード現象、ある種 の神経質さ、あるいはソーシャル・アンレストというか、不安ゆえにある方向に怒濤のよ うに殺到するような傾向をもたらすので、多様性がいわゆるすみ分けではなくて、包摂性 を意味するようなことがまず規範的に望ましく、そのためにオピニオンを表明するときに は、必ずそれに対する異論を述べているサイトにリンクを張れというような決まりをつく れとかというふうなことを言ったりしていると思うんですね。 ということで、結論ですけれども、そうした近代社会の流れにかかわる健全性を志向す る立場からすると、慣れ親しみを復活せよは無理ですよね。家族愛ですべてを覆えは無理 ですよね。だから信頼を持ち出すしかない。しかし、その信頼には、 「パーソナルな信頼」、 「インパーソナルな信頼」の二つがある。 「インパーソナルな信頼」にも、サンクションへ の発動システムへの信頼と人は一般にという信頼がある。日本の場合は、信頼のうち、ど うもサンクションの発動システムに関する信頼ばかり肥大していく傾向があり、政策的な 対処もそちらのほうに向かいがちであるというふうに思われると。そうすると、やはり他 者性の欠如を回復するようなタイプの教育的な、あるいは生育環境に関する是正的な措置 が必要なのではないかというふうに考えます。 ○前田部会長 ○西村委員 では、西村委員。 大変次元の低い話で恐縮です。木村先生より、対人信頼感が、低い年齢の人 ほど乏しくなるというご指摘がありましたが、これは当然のように思います。私の家の前 は通学道路で、多くの小学生や中学生が通りますので、朝道路を掃除しながら必ず挨拶を するようにしています。 しかし、返事をする子は 50%、変なおじさんという顔で返事をしない子が 50%。その 中、こちらが声をかけなくとも挨拶する子が出てきますが、僅か 10%に過ぎません。これ は、子どものときから知らない人には挨拶するな、知らない人には警戒しなさいと、徹底 的に教えられていますので、大人不信、人間不信の傾向が見られるのも自然なことでしょ う。これは、心理的なものより、社会的な影響であり、今日の地域社会の弱化と崩壊が大 きな原因と思います。 33 それから私、ご縁があって韓国、中国、東南アジアの青年たちと、よくお付き合いして います。今週もシンガポールのご夫妻が、中学、高校、大学の家族と訪日し、連日お会い していますが、若い学生たちの目標意識とチャレンジ精神にはほとほと感心させられてお ります。 インターネットでは、日本よりもアジア各国のほうが進んでいるように思いますが、日 本でも、これからの若い人は、これなしには社会生活、企業生活が送れない状況になって きております。そのほとんどは上手に健全に使われていると思いますが、ただ、このネッ ト社会はいろいろなリスクもあり、犯罪や事故、多くの被害者も発生しており、決して放 置できない状況にあると思います。やはり、ある程度の規制や法律の整備とともに、学校 と家庭における健全な活用教育も欠かせないと考えます。 木村先生は、韓国など近い外国の事情の調査もされておられるようですが、同じような トラブルや犯罪が外国でもあるのか、短いコメントで結構ですので、ご存じならばお教え ください。 ○木村准教授 ありがとうございます。韓国は一方で非常にネットの利用は盛んなんです けれども、もちろん、それに伴うトラブルというのもたくさんあって、 「アクブル」という ふうに呼んでいるみたいですが、悪意ある返信みたいなことで、アクブル経験者というの も非常に多いですし、それで自殺してしまうような子というのもいるんですけれども。で も、それでも彼らは自分の名前も出せば、携帯電話のアドレスも出せば、顔写真も出せば という話で、これはそもそもネットワークで行動するということの社会的な意味づけなり、 規範が異なっているように思うんですね。それが先ほどおっしゃられたほかの人に挨拶す るとか、それがどんどん日本社会の場合には中に中にインボリューションしているような 感じで、社会調査なんかもそういうことで、国勢調査も中央区は3分の1が答えなかった とか、そういうデータまで出るような話になってきてしまっているので、そこは今度情報 化の問題だけでなくというよりは、情報化の問題より先に、社会の仕組みということを私 たちは考えることがとても重要なのではないかなと。それは今申し上げましたように、ほ かの社会でももちろん問題もあって、それに対する対応というのが、むしろ、そういうの が起きて当たり前でやろうとするか、起きるからやめさせてしまうかで、それは起きさせ てやめるというタイプでない何か仕組みと、それからネット上でのよりプラスになる行動 を誘発できるような社会規範の醸成というようなことをぜひ行政側には、少し規制という 形でなく、むしろプラスに促進するような方向性での施策で促進していただけたらなとい 34 うふうに強く思っております。 ○西村委員 ○前田部会長 ありがとうございました。 個人的には、今、出会い系サイトの法改正をお手伝いしているんですね。 もう案は大体固まっているんだけど、それはどうしても規制的な方法でなくて、規制の仕 方もいろんなレベルの法律から見ると、処罰するということから、許可制にして届け出さ せるとかいろんな規制の仕方があるんですが、規制の仕方でなく、自発的に子どもたちが 不確実性回避傾向を持たないで、しかも被害に遭わなくてやれるような方法があるかどう かということなんですよ。なるべく自主規制的なものでやれるとか教育で子どもに――た だ、子どもに教育するというときには、どうしても出会い系サイトというのは危険だよと いう教育をすると。それは逆に言うと、まさに今やろうとしている政策の一つは、不確実 性回避傾向を強めようとしなければいけないという議論が圧倒的なんです。子どもにとっ てはですね。そこのところは、それが非常に悲しむべきことなのかもしれないしね。だか ら、この間もテレビでやっていて、自分の自己紹介サイトで名前を出したら暴力団に奄美 大島に売り飛ばされて帰れなくなっちゃったと。自分がどこに住んでいて、番号を出すな んでばかじゃないかと。韓国では出すべきだと。出しても安全だと。日本では暴力団が、 オオカミが狙っている。その辺のバランスで、数が1%とかっておっしゃるけれども、そ れが 0.01%いても非常に問題だという感覚もあるんですね。 ですから、そのバランスの中でどう考えていくか。今日の話は私個人にとっては非常に 直に役に立つ議論で、まさにネットの規制をどうするか、今ちょうどぎりぎりのところに 来ているんですね。まさに今日の話は非常に勉強になるんですが、ここの流れとしては、 非社会性ということで、少年たち、特に青少年に対して何が起こっていて、それに対して 直していく道があるかどうか。そこのところで、今日私がちょっとよくわからなかったの は、さっきと同じ質問なんですけれども、サイバースペースが大きく変わったことによっ て非社会性が強まるのか、いや、逆にそれによってここで問題にしてきた、今までもちろ んサイバーとも結びつけて議論はしてきたんですけれども、ほかのところが原因になって、 その規範とか親子関係の問題がいろいろあったんですけれども、その中で我々の射程とし てはもうちょっと前の時代から、急速にネット社会化する前から非社会化が進行してきて いるんじゃないかなという議論が前提になっていた感じが私は少なくともあったんですね。 サイバースペースがどうなっていくかということがどう結びつくのかということが一つと、 あと今の話を伺ってよくわかったんですけど、サイバースペースがどう動くかということ 35 をコントロールして、それをまた道具としてやれるか、思いもよらないか。まさにモンス ターというか、自己運動してどこにいくか全くわからないという感じすらちょっとしまし た。 たった何年間かものすごい勢いで情報量が変わってしまったわけですね。それに対して どう構えていったらいいのかというのは、呆然とするというのが正直なところなんですけ どね。ネット社会で非社会性というのがどうなっていくか。少しわかったんですけれども、 何か私の頭の中でちょっとうまく整理できないかな、よくわからないなというところがち ょっと残ってしまったんですけれどもね。 じゃ、村松委員お願いします。 ○村松委員 データに基づいた貴重なご発表をありがとうございました。 質問というより感想なんですが、19 歳以上と 19 歳未満で見て、データで緊密な友人関 係とデータトラブルリスクが違うということで、19 歳未満の場合には仮説とは逆になった という 24 枚目のあれなんですが、私は犯罪心理学が専門なんですが、感想なんですが、 どうも 19 歳未満のほうがそういうネットに擬似的な関係性を求めている人がそういうふ うなトラブルに巻き込まれる危険性が高いのかなという……。 ○木村准教授 ○村松委員 19 歳未満の場合にネットワークに擬似的な関係ということですか。 関係性というか、そういうものを求める人のほうがトラブルに陥りやすいの かなというふうに思ったんですが、それは 19 歳以上の場合とまた違うのではないでしょ うか。そこら辺はどのように考えたらよろしいんでしょうか。片方は仮説どおりですよね。 19 歳以上は。19 歳未満は仮説が外れたわけですけれども、その点についてはどのように お感じでしょうか。 ○木村准教授 今回の調査票に基づいていろんな件数でコントロールしてやるとご報告し たような形で、そういう意味では、残念ながら、擬似的な関係性を求めるという変数が入 っていないところなので、今回のデータからはちょっとなかなか言い難いところあるんで すけれども、かなり学校環境とそうでない環境では違うのかなというふうにはちょっとデ ータを解釈した限りでは思った点で、これは先ほどの信頼感でも、どうも 10 代と 20 代前 半、それから 20 代後半から 30 代と、40 代以降というような感じでまた随分違う傾向も 見られて、それは部会長のコメントに対するコメントになるかもしれないんですが、やは りサイバースペースというのは無定形というか、どうなるのかわからないところで、絶え ずある意味では私たちはそれをどう解釈するかの言葉を探しながらファイナル・ソリュー 36 ジョンというのはあり得ない話で、絶えず幾つかのネゴシエーションなり、そこでの軋轢 なり対立もありながら、絶えず動かしていく必要はあるので、そこであらかじめ大きな枠 をはめるということをしてしまうと、結局は萎縮しちゃうんじゃないかと。可能性は可能 性として何か残す面を持ちながら、でもやってはいけないこととか、こうしたらいいよと いうこととか、ポジティブなバリューとネガティブなバリューを明確に出していっている ことが大切なのかなと。 恐らくご質問に関してもうちょっと私なりにいろいろ考えて、何か学童の場合に効いて くるものという要因は確かにあり得るかもしれなくて、今のコメントを参考にさせていた だいて、また何か調査するときには役立たせていただきたいと思います。 ○宮台委員 それに関連して、リサーチ手法についてこうしたらいいのではないかという ふうな意見なんですけれども、僕も今から 20 年ぐらい前にメディア研究、いわゆる効果 研究を超えた研究をやろうと思いまして、基本的にはこういう発想なんですね。つまり、 Aが増えればBが増えるとか、Aが増えればBが減るといったような単純な関係ではなく て、例えば、Cという添え木を持つかによって促進的に働いたり、AがBに対して促進的 に働いたり、AがBに対して抑制的に働いたりするというふうなことが起こると。そうい うことがあるということを念頭に置いて、人をグループに分けたんですね。雑駁に言えば、 対面の対人関係が得意な人間とそうでない人間を分けて、それぞれ得意な人間にもリーダ ー層とフォロワー層、不得意な人間にもリーダー層とフォロワー層というふうに分けてメ ディアのアクセスの仕方、あるいはそのほかの行動傾向がどういうふうな関係があるのか ということを見る。 そうすると、例えば今ABCDというふうに、アイウエでもいいんですが、四つのタイ プ分けがタイポロジーができたとして、それぞれのタイプ、簡単に言えばどういう素因を 持つかによって、ある環境が好ましくも好ましくなくも働くというふうな、全く一般的な 話ですが、簡単に言えばそういう結論の出し方がいいのではないかというふうな気がいた します。 それとも少し関係がありますけれども、僕はずっと援助交際のフィールドワークをして いて、気がついたことが一つあるんですね。というのは、この 10 年間ネットが広がるこ ととほぼ並行してか、少し先行して動いたんですが、親友という概念がだんだん変わって きたんですね。というのは、例えば、取材をするとラポールが生じると危険なので、グル ープで来てもらうということをよくやるんですが、援交していることを打ち明けあってい 37 る者同士だから親友だという前提ですよね。ところが最近になればなるほど、僕がいるこ とによって、お互いの間で「実はしゃべっていなかったんだけど」というふうな秘密の告 白合戦になるということがよく起こるんですね。それで、僕なりにリサーチをかけてみた ところ、おっしゃったようにSNSとか、プロフサイトが基本的には問題として意識され ていると。いわゆるディーセンシーの問題に抵触しなくても、例えば、僕がしゃべって秘 密を打ち明けたとして、木村さんが悪気なく、実は自分の親友はこういうことを打ち明け てきたなんていうふうにプロフサイトに書くことによって、それが第三者に漏れて大騒ぎ になるといったようなことがある。これはいわゆる名誉棄損とはやや違ったカテゴリーの 問題なんですが、そうした問題もどうも背後にあるということが見えてきた。あるいは『S PA!』という雑誌で、これも2年ぐらい前なんですが、自分の交際相手の携帯電話のロ グですよね。通信記録やメールの記録を盗み見たことがあるかというふうに聞きますと、 これは厳密なサンプリングではないんですが、6割以上の人間たちが、男女差がないんで すが、 「イエス」というふうに答える。これも今申し上げたのと少し絡む。いわゆる疑心暗 鬼現象だと思うんです。つまり対面のフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションと は別に、それぞれの人間がインターネットを通じて様々な関係を持っている。それが対面 のフェイス・ツー・フェイスの関係から見るとノイズとして恐らく意識されていて、であ るがゆえに、フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションに対するコミットメントの 度合いが減ってくるということがあるような気がするんですね。そのフェイス・ツー・フ ェイスのコミュニケーションに達するコミットメントが減る分、感情的な安全をどこかで 調達しなければいけないというときに、それを埋め合わせるために今度はまたネットが使 われてしまうというふうなこともあるんじゃないかということが見えてきたんですね。 そういうことを考えますと、いわゆる内容的にこれは問題があるから規制するとかとい うこともさることながら、基本的にフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションの質 が変わってしまっているということをどう手当していくのかということがなくしては、そ れは先ほど木村先生のおっしゃったことと同じなんですが、ネット教育以前に社会教育が なければ、あるいはネットの機関以前に、どういう社会、あるいは人間関係がよいものな のかということの規範がそれなりに存在しないと、実はすべてはつけ焼き刃かあるいは一 面的か、そういうことになりがちだと思いますが、いかがでしょうか。 ○木村准教授 今のお話は非常に私も教えられる点が多くて、SNSなり、あるいはブロ グの使い方というのが一方では迂回したコミュニケーションを形成していて、ちょっとし 38 た知り合いに実は情報を知らせる機能なんだけど、そこに、じゃ、自分を出すかといった ら出さないというか、それが先ほどご紹介したどこまで自分を出していいのかわからない というのに今の学生さんが半分ぐらい答えるような状況になっているんじゃないかと。で すから、そこは一方でつけ焼き刃的なものも当然必要だし、そこで考えていくことも必要 で、もう一方で私たちがどういう社会を求めようとしているのかということを、自分たち の中でつくっていく動きというのも同様に必要な段階に来ていることは間違いないかなと いうふうには思っております。 ○前田部会長 時間が大分経っていまして、予定の時間というのをお知らせしていたかど うか自分自身もよくわかってなかったので、予定されていた時間がちょっとあれだったの で申し訳なかったんですが、今日の話は非常に広がりがあるし、一つは難しい部分もある ので、まとめるのがちょっと大変ですけれども。 いかがでしょうか、ほかにありませんか。 なければこのくらいで、今おっしゃった本来人間関係はこうあるべきだみたいなところ のコンセンサス――コンセンサスができるかどうかあれですけど、ある意味で都庁として も前から「心の東京革命」で、好き嫌いはあるとして、一つの人間関係のあり方として、 そういうものとして考えてこられたんだとは思うんですね。ただ、それを形成していくと いうのはやはりものすごく大変だし、それなくば、やっぱりつけ焼き刃の大綱でしかない というのもおっしゃるとおりです。そこのところを今回、今まではどちらかというと条例 をつくったりしてつけ焼き刃的対応が強かったんですけれども、今回は加藤副会長のご提 言の非社会性ということを通して、本来の人間関係的なモデルみたいなものを少しは提示 していかなきゃいけないんじゃないかという趣旨で動いていると思うんですね。それは非 常に大変なことで、先ほどちょっと打ち合わせたんですが、今回、提言としてどうまとめ るかですね。これは非常に難しい。皆さんの意見一致で具体的な提案みたいなものが出れ ばいいんですが、次回次々回までは時間があるので、よくご議論いただいた上で少しずつ 方向性を出していきたいというふうに考えています。 今日は貴重なデータをもとに分析していただいて、私、変な言い方をしてしまったんで すが、非社会性ということをある部分から非常に具体的にえぐり出したといいますか、明 示していただいたという意味で非常に重要な発表だったと思います。先生にお礼申し上げ て、また我々、さらにそれを踏まえて先に進んでまいりたいと思います。 ちょっとだらだらして時間が過ぎてしまって申し訳なかったんですが、今日はこのくら 39 いで閉じさせていただきます。 すみません、どうぞ。 ○増田委員 会のタイトルが意見聴取を伺う先生の名前はいただいているんですけれども、 テーマがもし前日にでもわかれば、少し持っているデータとかもあったり、今日私どもが やったりしたデータとかもあったので、意見を反映するのにできるかなというふうに思い ますので。 ○前田部会長 ○西村委員 要するにテーマについて、事前に連絡すると。 要するにご報告頂ける先生の具体的テーマが1行でもあり、どういうお話だ とわかれば、事前に意見や質問などを整理することができますので、助かります。 ○増田委員 そうですね。情報ネットというようなテーマだけでもいいですので、そうい うことがわかると意見がしやすいかなというふうに思いました。 ○前田部会長 今後注意いたしますので。 それでは、今日はこれで閉じさせていただきます。どうも遅くまでありがとうございま した。 ○青山青少年課長 次回のご案内をさせていただきます。 次回につきましては、年明けになりますが、1月 24 日木曜日で今度は午前中になります。 午前 10 時から一応午前中の予定で、次回につきましては、今までご議論いただきましたよ うな内容につきまして、関連する都の取組みということで、今現在、東京都でどのような 施策をやっているかということを中心に、わりと幅広くいろいろな部局からご説明をさせ ていただきたいと思います。 また、今お話がありましたように、先生のご発表等につきましては、タイトル等をいた だいた時点で前日でも――前日になるかちょっとあれですけれども、ご案内できればと思 いますので、どうもご指摘ありがとうございました。 次回等の詳細につきましては、また後日ご通知申し上げたいと思います。 ○前田部会長 それでは、これで終了したいと思います。 午後8時 20 分閉会 40