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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題

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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
―保守党・自由民主党連立政権下の政策動向の分析から―
白 幡 真 紀
イギリス保守党・自由民主党連立政権下では,本格的な経済・雇用対策と厳しい財政緊縮を求め
られつつ,前労働党政権の目指した包摂社会への道筋をどのようにつけていくかに注目が集まって
いる。本稿は,この連立政権下の学習とスキルの政策展開の分析からその方向性を明らかにし,公
的支援の課題を考察した。その結果,連立政権下では個人への個別支援よりむしろ,個人を支援す
る雇用主と学習プロバイダー,そしてボランタリー・グループに政策の重心を置き,彼らの責任分
担とコスト分担が強調されていることが明らかとなった。しかし,協調と互助の上に立つコミュニ
ティのエンパワーメントという理想論を掲げた現政権が,厳しい財政の下でコスト負担を社会に求
めつつ,前政権が重要視した困難層の支援やスキル水準の向上についてどこまで質の確保を成し遂
げることができるかについては疑問であり,今後の動向を注視する必要があることを示した。
キーワード:スキル,職業教育・訓練,需要主導アプローチ,イギリス連立政権,ウルフ報告書
1. はじめに
⑴ 問題の所在と課題の設定
本稿は,イギリス 1 のスキルと学習 2 の水準向上に関する政策動向とその方向性を明らかにし,無
資格者など貧困や社会的排除のリスクの高い人々(以下,「リスク層」と便宜上表記する)に対する
学習と訓練の公的支援の政策枠組みと課題,そしてその展望について考察することを目的とする。
イギリスの前労働党政権(New Labour: 1997 ~ 2010 年)は,教育・訓練を最重要課題と設定し,
平等な教育機会の配分を通じてすべての人々の社会への参画を促す社会的包摂(social inclusion)理
念を掲げ改革を行った。ニューレイバーは,社会的包摂と経済的パフォーマンスの向上を同時に達
成できる手段としてスキル水準の向上を全面的に打ち出し,そのための積極的施策を行っていくこ
ととなる。イギリスでは伝統的にスキル水準の低さが問題視されており,この要因として市場や訓
練制度の構造的問題や国家関与を忌避するレッセ・フェール的伝統など,多岐にわたる要素が関連
してきた。前政権下では伝統的に持ちこされてきた構造的問題点の解決に加え,スキル・ギャップ
によってこれまで市場の外部に位置していた人々や,市場の中で有効に活用されていない人々の活
日本学術振興会 特別研究員 RPD
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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
性化に焦点があてられることとなった。これらの人々に対し,学習と訓練を通して社会に参画させ,
スキル水準を向上させることが,包摂社会を実現し経済的優位性を回復する手段として位置付けら
れた。そのため,直接的な雇用創出よりもむしろ,この領域に対する積極的学習需要の創出に力点
が置かれ,数々の政策が展開することとなった。
しかし,2010 年の総選挙で労働党は敗れて保守党・自由民主党連立政権(Conservative-LibDem
government: 以下,連立政権とする)が誕生し,この領域においてはさらなる本格的な経済・雇用対
策と厳しい緊縮財政を求められることになる。そうした中,包摂と排除の文脈において前政権が社
会政策の要諦と位置付けたスキル向上政策はどのように展開していくのか。連立政権下の政策枠組
みの特徴とその課題は何か。
本稿はこの問いを明らかにし,スキル水準向上に関わる公的支援の課題ないし展望について考察
するため,以下のような課題を設定する。第一に,前労働党政権のスキル向上をめぐる政策展開と
行政システム改革の特質を確認し,この比較において連立政権のシステム改革と政策方向性の継続
性と独自性を検討していくことである。第二に,前政権からのリスク層に対する学習と訓練政策の
展開とその課題について検討する。最後に,これらの検討から連立政権の政策方向性を明らかにし,
社会的包摂,そして「大きな社会(Big Society)」
(Cameron, 2010)を目指すスキル向上のための公的
支援の課題と展望を考察することである。
先進国はいずれも,厳しい財政運営の中で経済成長と格差是正に取り組まなければならないとい
う共通の大きな政治的課題に直面している。教育・訓練を社会階梯の梯子と位置付け,社会的包摂
と経済的達成を目指したイギリス前政権の試みが,新政権の掲げる「大きな社会」
・
「小さな政府」の
枠組みの下でどのように展開していくのか。イギリスの先進的かつ実験的な政策実施プロセスはわ
が国への示唆も大きく,これを検討することは,働くための能力育成の議論に有意な材料を提供で
きると思われる。
⑵ 先行研究の状況と本稿の構成,研究方法
本稿は,前労働党政権の行ったスキル向上のための取り組みが,連立政権下ではどのような継続
性を持って取り組まれているか,あるいは変化したかを明らかにするため,①成人の学習と継続教
育,②若者 4 の職業教育・訓練,③リスク層への対応,という 3 つについて分析する。その際,前労
働党政権が水準向上のために打ち出した需要主導(demand-led)アプローチによる学習と訓練の公
共管理の枠組みという視点から検討を行っていく。
イギリスの前労働党政権が行った教育改革については,多くの研究が発表され重要な議論が持た
れている。特に,社会的包摂をめぐって社会格差の底辺層に対する教育・訓練に関する注目は大きい。
その中でも本稿の重要な先行研究にあたるのは,スキル政策研究の第一人者であるイワート・キー
プ(E. Keep)の一連の論考である。キープは,職業訓練政策やスキルに関する公共政策のイギリス
的特質やその脆弱性を明らかにしてきた(Keep, 2002, 2007)
。また,低所得者層へのスキル供給政
策について議論したキープとジェームズ(S. James)の論考は,連立政権の政策方向性についても鋭
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
い分析を行っている(Keep and James, 2012)
。こうしたリスク層に対する水準向上政策の効果や
課題を論じた研究は少なく,本稿でも連立政権政策を検討する際にこの知見に依拠している。しか
し,キープの一連の論考は雇用主主導の政策がさらに中央集権化を進めたことを指摘しつつも,そ
の理論的支柱となった需要主導アプローチについては大きく取り上げておらず,労働党政策の特徴
である公共サービスの「選択と集中」原則に基づくリスク層への再配分について十分検討されたと
は言い難い。そこで,本稿は,こうした労働党政策の特質がどのように連立政権下で展開している
かを考察するにあたり,需要主導に基づく財政配分という視点から検討を行うことで,これまでの
研究蓄積に独自性を加えたいと考える。
キープと同様,労働党政権下で職業教育・訓練領域の中央集権化が進んだことを指摘したのが,
アリソン・ウルフ(A. Wolf)である。ウルフは本稿の分析対象である職業教育・訓練に関する報告
書の責任者であり(Wolf, 2011)
,この領域における学術的貢献は非常に大きい。本稿は,ウルフの
論考の中でも特に検討に重要と思われる 2 つの論考,数値目標による基礎スキル習得のプログラム
に関する調査分析(Wolf et al., 2010)および需要主導アプローチに関わる政府文書の批判的分析
(Wolf, 2007)についてその知見を参照し,検討を進めていく。
以上のように,本稿は主に上記の Keep と Wolf の一連の論考ほか,関連する先行研究の知見を手
掛かりに,公共政策や資金分配における需要主導アプローチの影響の検討,そして若者と成人の政
策焦点の違いを検討することで独自性を加え,以下からは次のように考察を行っていく。第 2 章は,
前労働党政権の学習と訓練の政策枠組みと残された課題について検討する。この分析にあたり,本
稿は特に若者と成人の制度分化のプロセスに注目し,第一に,需要主導アプローチによる資金配分
と企画調整部門の役割の変化,そして第二に,若者政策の焦点の変化を検討する。第 3 章は,成人の
スキルと学習に関する連立政権の政策展開の方向性を検討する。主な政策文書として,ビジネス革
新スキル省(Department for Business, Innovation and Skills: 以下,BIS と略記)による戦略文書
(Strategy Document)
『持続的成長のためのスキル(Skills for Sustainable Growth)』
(BIS, 2010a)
および『新しい挑戦,新しい変化:継続教育及びスキルに関するシステム改革プラン~世界水準の
スキルシステムを目指して(New Challenges, New Chances: Further Education and Skills System
Reform Plan: Building a World Class Skills System)』
(以下,『新しい挑戦』と略記)
(BIS, 2011)を
取り上げ,これらに示された枠組みを分析する。第 4 章は,若者の職業教育・訓練政策に関して検討
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する。若者に対する教育省(Department for Education: DfE)
の政策動向分析に関しては,
『職業
教育に関する報告書:ウルフ・レポート(Review of Vocational Education: The Wolf Report)』
(以
下,
『ウルフ報告書』と略記)
(Wolf, 2011)に焦点を当てる。第 5 章は,前政権から引き継がれたリス
ク層への政策プログラムの効果とその限界についての検討を行う。第 6 章は,これまでの分析を総
括し,連立政権下における政策展開の特質とその課題ないし展望を示す。
研究方法は,先行研究の知見を確認し,主な政府文書,報告書,公式ウェブサイトの情報の収集と
分析を行うものである。
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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
2. 前労働政権下のスキル向上に関する政策枠組みと若者政策への焦点の変化
労働党政権は,社会的包摂をスローガンとした経済的達成の実現を目指し,スキルと学習の水準
向上に関する数々の取り組みを行った。2001 年に教育技能省(Department for Education and
Skills: DfES)が設置され,スキル水準の向上を重視した政策を全面に打ち出した行政改革および公
共サービス改革が行われた。2003 年には国策としての「スキル向上戦略(Skills Strategy)」が,2006
年には報告書『グローバル経済における万人のための繁栄:世界水準のスキル(Prosperity for all in
the global economy – world class skill)
』
(通称 Leitch Review of Skills,以下,『リーチ報告書』と略
記)
(HM Treasury, 2006)が発表された。
『リーチ報告書』は,スキルや学習の需要に焦点をあわせ,
硬直性,画一性などを排除して効率的な供給を図る「需要主導(demand-led)
」アプローチによるシ
ステムの構築を打ち出し,これらの目指す方向性が学習と訓練の領域の重要な基軸となったのであ
る。
(HM Treasury, 2006 / DfES and LSC, 2007)。
労働党政府のスキルに対する最重点領域は,特に無資格者や低水準資格保持者などスキル不足の
人々の基礎スキル習得と IT におかれることになった(DfES et al., 2003: 61-62)。こうした水準別
重点領域の設定と予算の優先的配分が,この時期のスキル行政を特徴付けた。特に,基礎スキルの
重視は前保守党政権との政策焦点の違いを人々に大きく印象付けることになる。これはスキル不足
の人々に対する福祉という政策方針のみが理由ではなく,スキル水準の底上げが実際に競争力と経
済的生産性向上のために必要であるとの分析から行われたものである(Ibid.: 18-19)
。グローバル
経済に対応できない労働力が多いことが低い生産性の原因のひとつであり,ひいては不平等拡大の
部分的原因である。需要主導アプローチの目的は,第一に,こうした公共性の高い市場の失敗領域
に重点的に予算を配分して学習需要を創出し,人材の活性化を図ること,第二に,多様な需要に即
応できるよう計画供給(planned-supply)によるシステムの硬直性を排除し,スキルのミス・マッチ
ングとスキル・ギャップを克服することである。
需要主導システムの構築を目指し,公共サービスや行政システムに関する数々の改革が行われた
が,本稿は,リスク層への学習と訓練という視点から以下の 2 点に注目する。第一に,学習や訓練の
資金分配と企画調整を担う全国学習技能協議会(Learning and Skills Councils: 以下,LSC と略記)
の設立にみる,資金配分と企画調整部門の役割の変化である。需要主導アプローチとは,必要な支
援を必要なところへ届ける再配分の原理である。その再配分のための企画調整機能が中核であり,
頭脳部分に大きな権限を持たせることで,重点的ターゲット領域への効率的な資金配分が期待され
た。
第二に,排除の積極的防止策としての若者への対策である。スキルや学習に関する枠組みを分析
するにあたっては,社会的包摂実現の経緯における若者と成人の年齢区分による政策方向性の違い
や共通点に注目する必要がある。イングランドのスキルと学習に関わる領域の行政構造は歴史的に
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複雑であった。部門(sector)
・機関・学生を区分するカテゴリーや境界がはっきりしていることが,
この行政構造の特徴のひとつである(パリ,1995: 76-77)。1990 年代を過ぎると境界を越えたパート
ナーシップ施策が講じられ,これらの区別や境界は部分的に曖昧になりつつあるが,生涯学習施策
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においても,カリキュラムや教科編成においても成人学習者と若年学習者を切り離すことが顕著な
特徴と指摘される(ibid.)
。LSC の設立によって一度は統合された若者と成人の財政支援システムが,
積極的な排除の防止策として,より若い層へ焦点がシフトすることによって再び分化していく政治
的プロセスは,公的支援の限界を検討する上でも重要である。
ブレア政権下の公共管理システムにおいて,LSC の設立は大きな戦略的・機能的意義を持つこと
となった。需要主導アプローチへの転換によって,学習や訓練への支援は,政策的重要度およびス
キル需要の高い領域に優先的に割り当てられることになった。特に,これまで市場の外にいた人々
や需給のギャップが大きい領域に重点的に支援を振り分けることで,市場に適応できる人材の育成
を図り,労働市場の失敗領域の活性化が目指された。直接的に雇用支援を行うのではなく,従来の
システムに折り合いをつけつつ学習の需要を創出することにより,市場内での政策メニューにこれ
まで排除された人々を取り込むことが目指されたのである。その機能的中核となるのが,企画調整
と財政支援を担当する LSC である。
LSC の設立は,訓練に関する企画調整と財政支援を担当していた訓練企業協議会(TEC)と,継続
教育カレッジの支援を行うイングランド及びウェールズの継続教育基金協議会(FEFC)の機能的統
合がその基盤である。予算規模に関しても内容やそれまでの歴史的経緯に関しても,訓練と継続教
育は異なる部分が多く,統合に齟齬をきたす恐れもあった。しかし,それまでの訓練や継続教育の
財政に関わって途中に介在する事務や基金団体があまりにも多く,重複や混乱,余分な事務コスト
につながっていたことが白書『成功のための学習(Learning to succeed: a new framework for post16 learning)』で指摘され,この領域における煩雑性を排除することが成功への必要条件とされたの
である(DfEE, 1999a: 19-20)
。LSC の設立によって,高等教育を除くスキルと学習の領域が単一の
資金供給制度の下で機能することになった。特に,FEFC の持っていた継続教育カレッジへの財政
支援機能が LSC に統合されたことは,アカデミック・ボケーショナルの統合への一歩とも議論され
た(Ramsden, et al., 2004)
。
そして,予算規模も大幅に増えることとなった。LSC の予算規模は年間 100 億ポンド(2005/2006
年)にものぼった(LSC, 2006)
。教育技能省から LSC へ与えられた予算は,LSC が規模や重要性等
による優先順位をつけ,各カレッジや訓練プロバイダー,プログラムへと分配される。LSC の資金
供給の対象となる機関は,営利・非営利を問わず,継続教育セクターにおけるカレッジ,訓練プロバ
イダー,成人学習機関,ボランタリー組織,シックス・フォームなど,幼児教育・学校教育・高等教
育以外のスキルや学習に関わる機関とプログラムのすべてである。各組織が実行するプログラムに
配分される政府予算は,試験運用などのケースを除き,ほとんどが LSC 経由となり,中央政府から
の直接の資金援助ルートは廃止され 7,予算調達を行う LSC の役割に一層の重要性が付加された。
LSC の予算規模は設立当初から 7 年間で 2 倍弱も増加しており,また,2007 年度の LSC の予算は継
続教育・成人学習・スキル・生涯学習部門の約 93%を占める(DfES, 2007: 100-101)。この予算分配
に関する支配的位置付けが,LSC の主導的役割を一層強化し,中央集権化を推し進めることにつな
がった。
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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
スキルと学習に関わる広範な行政範囲を担当していた LSC だが,2010 年 4 月から 19 歳以上の学
習と訓練に関わる技能財政局(Skills Funding Agency: 以下,SFA と略記)と 16 歳から 19 歳の若者
の教育・訓練を管轄する若者学習局(Young People’s Learning Agency: YPLA)に改組された。
SFA は BIS の,YPLA は 子 ど も 学 校 家 庭 省(Department for Children, Schools and Families:
DCSF)がそれぞれ管轄しており,担当省庁が業務を分割し改組した影響がこの再編に看取出来る。
ではなぜ省庁再編に至ったか。さまざまな理由はあるが,ここでは若者と成人の学習の焦点の違い,
そして積極的排除防止策としての若者政策への傾斜という点に注目する。
若者に対する問題は,歴代政権にとって常に大きな課題であった。ブレア政権では,これまでの
伝統的な 11 歳から 16 歳,16 歳から 19 歳,そして義務教育後の「ポスト 16(16 歳以降 : post-16)」とい
う政策枠組みを,新たに 14 歳から 19 歳と年齢対象を広げ,義務教育段階を勘案した統合的な改革を
目指す「14-19 政策
(14-19 Policy)
」
を推進した。この方向性を打ち出した緑書『14 歳から 19 歳の教育:
機会の拡大と水準の向上(14-19: extending opportunities, raising standards)』
(DfES, 2002)が 2002
年に発表され,意見聴取を経て 2003 年 3 月に白書『14 歳から 19 歳の機会と卓越(14-19 Opportunity
and Excellence)』
(DfES, 2003)が提出された。この白書は,14 歳から 19 歳を対象とした大規模な教
育改革を提案している。これを受け,マイク・トムリンソン(Mike Tomlinson)を委員長としてワー
キンググループが発足し,学力資格と職業資格両方を包含する新資格制度の枠組み作りを目指し,
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2004年に最終報告書を提出した(Working
Group on 14-19 Reform, 2004)。
「14-19リフォーム(14-19
Reform)」と呼ばれるこの改革では,バカロレア方式を取り入れて中等教育水準資格試験制度およ
びその修了書枠組み(diploma framework)を統合し,カリキュラムに大幅な見直しを行うことが目
指された。この提案は政府に採用されなかったが,最終報告書での提言や新しい資格システムの提
案は各方面に大きなインパクトを与えたことが,QCA(当時)での面接訪問調査で明らかになって
いる 9。このような経緯は,後に現教育大臣であるゴウヴに「政策の迷走」として批判されることと
なるが 10,資格や試験,職業教育の低い地位をめぐる一連の問題は,イギリスにおいて常に政策的
優先順位の高い,しかし解決の困難な問題であり続けている。
特に欧州を中心とする先進国にとって,若者の問題は歴史的に深刻な問題であった。1980 年代以
降,ヨーロッパで若年者向け訓練計画が発展し,社会的排除層に対する統合的政策が進められたの
は,深刻な失業問題への対応が各国政府に求められたためである(アチョアレナ,1995:24)。ブレ
ア政権の改革は,スキル向上によって社会的包摂というスローガンに実体を与えるための再配分政
策であった。そのため,市場で活性化されていない領域をターゲットに,リスクに対して重点的に
リソースを振り分ける需要主導アプローチが採用された。しかし,その結果として,配分の基準を
作成する企画部分に対する中央集権化が進む。そして若者と成人,低水準スキルや無資格など水準
や状況に応じた複線的対応がとられ,制度の階級的分化を一層進展させることとなった(白幡,
2012)
。
こうした複線的対応の背景には,成人と若者の学習や訓練に対する性質の違いもある。より年齢
層の高い成人の学習や訓練は,若者の学習に比較して,学習者の状況,参加の動機付け,求められる
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学習環境,ニーズの高いスキル,興味や関心などあらゆる面で多様性が大きくなる(Merriam and
Lumsden, 1985: 59-69)
。義務教育終了間もない若者の学習や訓練では,成人としてのアイデンティ
ティを形成する機会が必要である一方で,成人の学習や訓練には,カスタマイズされたサービスや
プログラムおよび学習環境の弾力性が求められる(Field, 2006: 160)。このような学習者の特性の違
いは,習得するスキルの性質や習得のための手段,制度の分化にもつながってきた。
この成人の学習・訓練とポスト 16 の若者の教育・訓練の制度的分化に関する議論は,特にイング
ランドでは行政組織の編成やカリキュラムに対して大きな影響を与えてきた。たとえば,白書『成
功ための学習』
(DfEE, 1999a)では,成人と若者の学習や訓練を分けて行うことの必要性から成人学
11
習監察局(Adult Learning Inspectorate: 以下 ALI と略記)
の設立や LSC の中に異なった委員会を
設置することが提起されている。若者と成人を分ける傾向は歴史的な特質であり,LSC のような
単一の基金制度が設置されながらも,就業準備段階の職業教育・訓練(IVET)と成人の職業教育・訓
練(CVET)の資金供給ルートが分けられており,若者に対する公的資金投入がより優先順位が高く
なっている。
ブレア・ブラウン政権が特に子供の貧困解消に社会正義を見出していることは,不平等を基調と
する社会の構造的改革にはより若い層の教育がもっとも効果的であるとの理論的根拠に基づくもの
である。こうした若者政策の焦点は,市場の外に存在する社会的排除層に対する教育・訓練による
救済の限界と関係がある。ブレアの社会的包摂政策は,こうした市場外部の人々への積極的雇用創
出や社会保障的措置ではなく,学習や訓練の需要創出をとおして,社会への参画というチケットを
提示したことに特色がある。しかし,その政策の網から抜け落ちる人々がいる。教育・訓練に参加
しない人々や,教育・訓練をすることに収入増などの意義を見いだせないワーキング・プアといわ
れる人々である。労働党政権後期では,このような教育・訓練の政策の網から抜け落ちる人々への
直接的措置よりもむしろ,より政策効果の高い若い層や子供の貧困へのケアに排除の予防措置が期
待された。そのため,こうした若者政策の逼迫した状況が 2007 年の子ども学校家庭省の設立や,
2010 年の LSC の分割につながっていくことになる。硬直性を排除するために資金分配機能を統合
再編したこの時期の行政であったが,政策的重点をシフトすることで再び分化するという過程をた
どることになるのである。
この若者と成人の政策焦点の違いは,連立政権下ではより鮮明となる。次章からは,その政策展
開を確認していく。
3. 成人のスキルと継続教育に関する改革枠組みの特徴
2010 年の連立政権誕生後,BIS はスキルや学習に関する戦略文書『持続的成長のためのスキル』
を発表する(BIS, 2010a)
。スキルと学習の領域における政府の目標は「経済の持続的成長を復帰さ
せ,社会的包摂と社会移動が可能な,‘ 大きな社会 ’ をつくる」こととされた(Ibid: 4)
。キャメロン
(David Cameron)首相の持論である「大きな社会」構築のため,この領域では経済成長と格差是正
への取り組みが全面に出されることとなった。
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イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
その三原則が「公正(Fairness)
」
「責任(Responsibility)」
「自由(Freedom)」である(Ibid: 6-7)。「公
正」
とは,格差是正への配慮である。具体的には成人教育に関する予算を,特に必要性の高い層に対
して重点的に割り当てることである。
「責任」とは,スキル向上への挑戦を政府のみならず,雇用主
や市民とも責任共有することである。具体的には,適切なスキル供給のための情報提供に関しては
雇用主や学習者側の協力を要請し,政府はその情報へのアクセスやキャリア・ガイダンスの提供体
制に関する改善を講じる。さらに重要なことは,費用負担に関する責任分担である。個人の成人学
習者に対する生涯学習口座(Lifelong Learning Account)や継続教育ローン 12 などの整備を通し,中
程度から高水準までのスキル習得に備えることが出来るようにすることが示された。
「自由」は,中
央集権を離れて市民の手に決定権をゆだね,学習供給に関する自由度を高めるための改革を行うこ
とである。たとえば,継続教育カレッジにおいて高等教育型のコースを供給するなど,学習・訓練
プロバイダーにおいてより多様性のあるコース供給を推奨し,プロバイダー間における競争を推進
する。さらに,不必要と思われる規制も撤廃することなどが盛り込まれた。しかし,こうした基本
方針に関しては労働党政権時からの継続性が強くみられるものである。連立政権政策の独自性はど
こにあるのか。
この戦略は,特に見習い訓練制度(Apprenticeships)を重要視したことが特徴的である。2014/15
年度までに成人見習い訓練生の人数を 7 万 5 千人まで増やすことを目標と掲げた。その後は毎年 20
万人を見習い訓練生として育成することを目指す。これにかける予算は2億5000万ポンド増加させ,
2011/12 年度は 6 億 500 万ポンド,2012/13 年は 6 億 4800 ポンドを見越している。しかし,単に人数
の増加を目指すのではなく,特にレベル 3 から上の水準での見習い訓練制度に重点を置くことが強
調された(Ibid: 7)
。2012 年 11 月には『見習い教育訓練に関するリチャード報告書(The Richard
Review of Apprenticeships)
』が発表された(Richard, 2012)。この報告書では,イギリスのスキルと
学習領域における見習い訓練制度の重要性があらためて強調され,変化する経済・労働市場に対応
する制度改革と資格枠組みとの連動の必要が指摘された。
『持続的成長のためのスキル』がさらに強調したのは,中央集権からの脱却である。スキル向上の
ターゲットに関してはトップ・ダウンによる強制をしないことが述べられている(BIS, 2010a: 49)
。
前労働党政権下のスキル供給においては,戦略的にターゲットを絞りそこに重点的に支援と予算を
配分する需要主導アプローチが打ち出された(HM Treasury: 2006)。需要主導アプローチによる戦
略は,特に大きく予算を振り分けられたリスク層の水準向上には一定の成果を出すことになるが,
その一方で企画調整部門に大きな権限が与えられ,むしろこの領域における中央集権化と計画供給
が進展したと指摘された(Wolf, 2007 / Keep, 2002)。この戦略においても需要主導システムが奨励
されながらも,個人や雇用主,地方コミュニティへのより素早い反応が可能となるよう,システム
の単純化の必要が繰り返し強調された(BIS, 2010a: 50-53)。さらに,若者,失業者およびリスク層
の支援として,キャリア・ガイダンスを中核とすることも謳われた。
キープとジェームズは,
『持続的成長のためのスキル』
(BIS, 2010a)
,これに続く諮問文書(BIS,
2010b)の分析から,連立政権の方向性として以下の 2 点に注目する(Keep and James, 2011: 213)。
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第一に,連立政権の学習と訓練に対する資金配分の焦点が個人学習者よりもむしろ企業・学習プロ
バイダーへと当てられていることである。これは,
『持続的成長のためのスキル』の諮問文書に「満
足な仕事に就けないものや長期失業者のニーズに応えていくために,雇用主・カレッジ・訓練機関
およびボランタリー・グループが彼らを支援できるよう動機付けを行っていく」
(BIS, 2010b: 11)こ
とが述べられていることによる。第二に,移民労働者に対する依存の度合いを軽減させる傾向であ
る(Keep and James, 2011: 213)
。
「EU 外からの労働者や経済力に頼ることなく,まずは自国の経
済や雇用における体力を育成し自国の人材活性を図っていく」
(BIS, 2010b: 22)
,という考え方は,
雇用年金省(Department for Work and Pensions: DWP)の方針とも合致すると彼らは指摘する。
『持続的成長のためのスキル』の国民及び関係者への諮問を経て(BIS, 2010b)
,2011 年 12 月,BIS
は『新しい挑戦』戦略を打ち出した(BIS, 2011)
。この文書では,特に継続教育カレッジにおける学
習提供の自由度を高め,資金提供システムを単純化し,さらに戦略的ガバナンスやキャリア・サー
ビスの提供などを通して,継続教育をより高度で魅力的な職業教育提供のための制度にすることが
提案された(Ibid. 4-5)
。継続教育セクターをスキル向上の中心に位置付け,継続教育セクターを低
水準スキルから高等教育水準にわたる多様な学習とスキル供給の要諦となるよう改革を目指すもの
である。
実際に,継続教育セクターを含むこのスキルと学習の領域は,参加人数および予算額ともに大き
い部門であり,社会政策上も重要な領域である。2010/2011年度では,19歳以上の312万9200人が(内,
19 歳から 24 歳までは 73 万 9300 人,25 歳以上が 239 万人)
,政府助成による継続教育やスキル習得お
よび訓練のコースに参加している。その内訳は 46 万 400 人が見習い訓練生,成人基礎スキルの習得
にあたり無料のコースを提供するスキルズ・フォー・ライフ(以下,SfL と略記)13 のコースは 95 万
6200 人,SfL を除くレベル 2 より低い水準は 36 万 9800 人,レベル 2 は 97 万 2100 人,レベル 3 は 48 万
9500 人,そしてレベル 3 は 48 万 9500 人,レベル 4 およびそれ以上は 3 万 6100 人である(BIS, 2011:
5)14。伝統的に継続教育部門はイギリスの教育制度において大きな位置を占めてきた。労働同政権
下で学校教育部門は大幅な予算増加を成し遂げたが,労働党政権発足後の 1998 年度の継続教育部門
の 予 算 は 義 務 教 育の 1.75 倍にもあたり 15,学 生 数 も 高 等 教 育 に ほ ぼ 匹 敵 す る 人 数 が 在 籍 す る
(2007/2008 年度)
(DfES, 2007: 101, 72, 76)。2012/13 年度の成人の継続教育およびスキルに関連す
る投資全体額は約 3 億 8 千ポンドが予定され,そのうち約 94.7%にあたる 3 億 6 千ポンドが SFA 経
由で配分される(BIS, 2011: 23)
。2013 年 3 月に SFA は『成人スキルのための新しい合理化された
資 金 分 配 シ ス テ ム(A New Streamlined Funding System for Adult Skills)』を 発 表 し た(SFA,
2013)
。SFA は煩雑だったこれまでの資金配分手続きに関して,徹底した合理化を提案した。この
合理化の内容は,別々に出される数々の予算を整理すること,資金配分公式を単純化しわかりやす
くすること,異なる資金配分レートを整理すること,カレッジや訓練組織との直接契約の数を減ら
すこと,カレッジや訓練組織に義務付けられた情報提供の数を減らすこと,などである。合理化に
あたっての原則は,第一に「公正(fairness)」,第二に「透明性(Transparency)」,第三に「成人の多
様なニーズを認識すること」
,第四に「公的資金の配分枠を確保すること」である(Ibid.: 4-5)。
― ―
203
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
需要主導による資金分配の要として,分配公式の改善は,労働党政権も試行錯誤を行ってきた。
2008 年度からは,
『リーチ報告書』で提案された「需要主導資金分配(demand-led funding)
」を基に
した分配公式モデルに移行した。それまでにも供給機関に対して資金を分配するために規定の分配
公式が使用され,改善のために何度かの変更を経てきた 16。
『リーチ報告書』が需要主導型資金分配
という基本方針を示し,2007 年の『需要主導システムによる世界水準のスキルの供給(Delivering
World-class Skills in a Demand-led System)』
(DfES and LSC, 2007)でコンサルテーションが行わ
れ,
『 世 界 水 準 の ス キ ル:リ ー チ 報 告 書 の 施 行(World Class Skills: Implementing the Leitch
Review of Skills in England)
』
(DIUS, 2007)で最終的な枠組みが示された。この枠組みに沿って,
LSC は① 16 歳から 18 歳の若者,②成人学習者,③雇用主責任で行う学習や訓練,という 3 つの学習
者モデルによる資金分配を行うことを発表した(LSC, 2007)
。このモデルでは分配公式はより単純
化され,分配のベースとなる基準を,それまでの資格数に応じたものから,資格や学習時間を組み
込んだ学習者の人数が基礎となる基準へと変更した(Ibid.: 65-73)。2013 年度からの SFA の提案は,
これをさらに単純化し,資格やディプロマのサイズ(時間や難易度)によって助成額を決めていくも
のである。これまでとの違いは,
複雑なレート計算を一切やめて,不確定要素を排除し,学習者がコー
スを選んだ時点で助成額が幾らになるか決定できるようにするというものである(SFA, 2013: 8)
。
また,2011 年から BIS は『新しい挑戦』戦略に則って(BIS, 2011),カレッジや訓練プロバイダーが
よりフレキシブルに失業者や求職者に対する学習や訓練を提供できるよう,
「成人スキル予算
(Single Adult Skills Budget: ASB)
」17 も導入された。
資金配分の効率性および費用対効果の向上は,学習とスキルの領域において政府の大きな課題の
ひ と つ で あ っ た。2005 年,教 育 技 能 省・LSC・ALI・教 育 水 準 監 査 局(Office for Standards in
Education, Children’s Services and Skills: 以下,Ofsted と略記)の共管で発表された『成功への新
しい指針:発展へのプライオリティー(New Measures of Success: Priorities for Development)』
(LSC et al., 2005)では,個人学習者の成功のための指針を出しつつ,
「バリュー・フォー・マネー
(VFM)」を優先順位の高いものとして位置付けている。この理念の下,労働党政府は学習やスキル
習得に対して具体的な数値目標を設定し,その達成度を公開した(DCSF, 2007)。成人学習におい
ても,予算の大幅な増加を受けて,学習や能力開発に対する投資収益や顧客満足度などが求められ,
数値的目標の設定や結果の公表など,成果の可視化に対する一連の改革が進められた。これらの基
本方針の下,労働党政権はターゲットを絞った集中的な予算投下によって具体的な数値目標を達成
したと発表したが(DfES: 2007: 27)
,たとえば SfL プログラムはバリュー・フォー・マネーの視点か
らは非効率性を指摘されるなど 18,費用対効果を一部疑問視されることとなった(NAO, 2008: 10 /
Wolf et al., 2010: 400)
。
連立政権は,世界的な経済不安を背景に厳しい財政運営を求められている。特に,経済力と雇用
情勢に直結するスキルと学習の領域では,行政の効率化を図りつつよりシビアな運営による政策効
果が求められることとなる。図 1 は,この改革が目指す総合的システムの構図である。職業教育・
訓練プログラムとキャリア・ガイダンスを提供の両輪とし,それを資格枠組み・教授学習・ガバナン
― ―
204
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
スの 3 点改革で支える仕組みである。その原則が「質の保証と透明性」
「財政支援の単純化」
「グロー
バル FE」
「カレッジにおける自由と柔軟性の重視」と打ち出された(BIS, 2011: 3)。上記の分析の通
り,BIS の提案は特にこれまでのスキル向上戦略と比較して目新しい戦略性があるわけではないが,
財源削減を視野に入れつつ,個人の支援に関しては政府のみならず雇用主・学習プロバイダー・訓
練機関・ボランタリー・グループなど社会全体での責任共有を主張したのが特徴的である。その具
体的な実践的基軸は,第一に,継続教育カレッジでの多様なスキル・学習供給や見習い訓練生の増
加を通して,より職場や労働に密着したスキル習得が推奨されていること,第二に,事務部分の徹
底した合理化を進めること,の 2 点に絞り込むことができよう。
図 1 職業教育・訓練の総合的システム改革の構図(出典:BIS, 2011: 3)
4. 若者の職業教育に関する『ウルフ報告書』の方向性
BIS がこうした改革プランを矢継ぎ早に打ち出している一方で,若者政策を管轄する教育省にお
いても重要な動きがあった。2010 年,教育省のマイケル・ゴウヴ(Michael Gove)教育大臣は,
「労
働党政権下において職業教育政策は迷走した 19」として,職業教育研究の第一人者であるアリソン・
ウルフ教授に職業教育に関する報告を依頼し,翌 2011 年 3 月に『ウルフ報告書』が発表された(Wolf,
2011)
。この報告書は,
「現在のイギリスの職業教育システムは決して十分なものとは言えず,職業
教育コースを選択する大多数の若者の適切な進路選択につながっていない」として,職業教育シス
テムの大胆な改革を提言した。報告書は,現行の職業教育システムには不備があり,職業教育コー
スが生徒の将来のためではなく,学校や教育機関のメリットばかりが強調されたものになっている
と指摘する。
『ウルフ報告書』は若者の職業教育の現状に関して次のことを明らかにした(Wolf, 2011 / Gov.
UK, 2011)。① 14 歳から 16 歳までの何千人もの若者が職業教育コースを選択するが,リーグ・テー
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205
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
ブル・システムで推奨された職業教育コースが実際には子どもたちによい教育を与えていない場合
がある。
②16歳から19歳までの30万人以上が,高等教育もしくはよい就職につながるコースには入っ
ていない。③質の高い見習い訓練制度は稀であり,割合は増えてはいるものの,それは 16 歳から 18
歳向けに提供されているものではない。④現行の資金援助システムは,若者の興味に反した的外れ
な動機付けを与えているため改良すべきである。⑤あまりにも多くの若者が英語と数学に関して十
分によい成績を取ることなく,学校あるいはカレッジを卒業することになっている。
20
報告書のシステム改革に関する原則は次の 3 つである(Ibid.: 8-9)
。第一に,システムは 14 歳そ
して 16 歳までの若者を「行き止まり(dead-end)
」のプログラムに陥らせるのをやめなければならな
い。若者のプログラムはすべて,アカデミックな学習にしても職業教育にしても,近いあるいは遠
い将来の就職あるいは進学に対して広い選択肢が持てるようにするべきである。第二に,システム
は若者が不利な決断に追いやられないよう,情報提供に関して正直で誠実であるべきである。適切
で有用な情報に沿って進路選択が可能になるよう,単純かつ質の良いキャリア・ガイダンスが必要
である。これまでのイギリスの職業教育は過度に中央集権であった(micro-managed)。このこと
は非効率であるばかりか,政府が直接的に政策の責任を負うことから公表する情報が正確でないこ
とがある。第三に,人々に正確な情報を与えるための必須の要件として,システムは劇的に単純化
されたものでなければならない。イギリスの職業教育は他の欧州諸国に比較して非常に複雑かつ不
透明であり,これは行政システムがその要因である。システム構造及び命令系統が複雑で責任領域
も重複しており,コスト負担も大きい。これが若者の需要や選択に対して効率的に応答するシステ
ム上の障害となっている(Ibid.: 10)
。
『ウルフ報告書』の注目点は 27 項目に及ぶ大胆な勧告である(Ibid.: 13-18, 105-139)。その対象は,
「14 歳から 19 歳の職業資格」
「低成績の生徒」
「16 歳から 18 歳のカリキュラム」
「16 歳から 18 歳の財
政支援」
「見習い訓練制度」
「学校における職業的学習の教授」
「16歳以降のカレッジ入学」
「職場体験」
「Ofqual と資格設計」
「成績評価基準とその情報の発行」と広範にわたる。この報告書の作成を依頼
したゴウヴ教育大臣はこの勧告を受け,直ちに以下の 4 点について対応を行うと発表した(Gov.
UK, 2011)
。①継続教育カレッジの講師が学校の授業で教えることが出来るようにすること。②産
業界の専門家が学校で教えることが出来るよう規則を明示すること。③正規の資格付与団体(AB)
から提供される資格はすべて 14 歳から 19 歳の若者が取得できるようにすること。④これまで認可
されていなかった学校やカレッジで提供される質の高い職業資格の創設を許可すること。さらに,
教 育 省 は『 職 業 教 育 に 関 す る「 ウ ル フ 報 告 」に 対 す る 政 府 答 申(Wolf Review of Vocational
Education: Government Response)
』を発表し,これ以外の勧告については期限を設け,段階的に改
革を実施していくとした(DfE, 2011: 15)
。
『ウルフ報告書』はその内容と辛辣な切り口から,諸所の関係者に衝撃を与えることとなった。教
育系ニュースを配信する TES は「
『ウルフ報告書』の勧告は素晴らしいが,コスト面に関しての言及
は避けられた」という見出しはつけたが,全体的にこの報告書を高く評している 21。ゴウヴ大臣も
報告書を「辛辣であるが将来に大きく影響を与える報告書」と高く評価し,政府の広報に次のような
― ―
206
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
コメントを出した(Gov. UK, 2011)
。
英語と数学に関する質の良い資格は,雇用主が何物にも先駆けて必要とするものである。若
者がこれらの教科をどれだけきちんと理解しているかを示すことが出来るようにならなければ
ならない。
我々は,子どもたちが正確な情報を手に入れて正しいコースに進むことが出来るよう,リー
グ・テーブル,財政支援システム,法規に関して改革を行う。
そして雇用主がシステムにより関与していくようにする。
さらに雇用主に対してより質の高い見習い訓練制度を用意するよう働きかける。
そしてこの一連の改革に関し,ウルフを指導的立場で迎えることを発表し,ウルフもこれを承諾
し,改革への道筋をつけることとなった(ibid.)。
『ウルフ報告書』では,職業や進路選択に際して適正な情報提供のあり方が提言されたが,キャリ
ア・ガイダンスを基軸とした情報・アドバイス・ガイダンス(IAG)の重要性が特に強調された。
IAG は,「行き止まり(dead-end)
」
(Wolf, 2011 / Keep and James, 2011)に陥る前の能動的排除予
防策であり,労働党政権下で成果を上げた個別支援体制を生かし,政策メニューからの取りこぼし
を防ぐことが期待されている。領域横断的な支援が一定の効果をあげ,内外から大きな注目を浴び
た若者支援サービスであるコネクションズ(Connexions)22 は,その組織および予算の肥大化を理由
に連立政権下で再編された。成人向けキャリア・ガイダンス・サービスであるネクスト・ステップ
(Next Step)を足掛かりに,2012 年 4 月に全国キャリア・サービス(National Careers Services)がス
タートした。『新しい挑戦』でも重要なアクターと位置付けられ,その働きが期待されている(BIS,
2011: 7-8)
。コネクションズで実績を上げた枠組みを基盤に,若者だけでなく幅広い年齢層を対象に
したのが特徴であり,キャリア・ガイダンスに関しては若者と成人を統合したオールエイジ・ガイ
ダンスが目指されることになった。
そして,2014 年 4 月,
教育省はキャリア・ガイダンスに関する法的要件にあたる指導要領(statutory
guidance)と,ガイダンスにあたっての強制ではない推進項目である指導指針(non- statutory
guidance)を発表した(DfE 2014a, 2014b)23。これにより,イングランドでは第 8 学年(12-13 歳)か
ら第 13 学年(17-18 歳)までのすべての生徒に,学校以外の第三者との連携 24 によるキャリア・ガイ
ダンスが義務付けられることとなった(DfE, 2014a: 7, Statutory Duty)。キャリア・ガイダンスに
おける学校以外の要素とは,企業訪問,メンタリング(mentoring)
,ウェブサイト,電話やヘルプラ
インへのアクセスなどである。また,これらには,見習い訓練制度を含む教育や訓練の選択肢に関
わる一連の情報が含まれると教育省は定義する(Ibid)。このキャリア・ガイダンスはこれまで同様
ナショナル・カリキュラムには含まれないが,この改訂により学校のキャリア教育,キャリア・ガイ
ダンスのあり方は大きく変わることとなる。
『ウルフ報告書』はシステムそのものや提供する側ではなく,職業教育本来のメリットを享受すべ
― ―
207
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
き子どもたちの将来に焦点が当てられている。職業教育に対するウルフの視点は単純かつ真摯であ
り,政府が「子どもたちが選択した職業教育コースが,将来のよりよい教育・訓練や就職へとつなが
るものであるため」の改革を行うべきことを強調している(Wolf, 2011: 141)。実際,ウルフは,2006
年に発表された『リーチ報告書』の需要主導システムに対して「バリュー・フォー・マネーに過度に
焦点を当て,中央集権を一層推し進めるものである」と批判的な見方を表明していた(Wolf, 2007)。
ウルフが指摘した通り,
『リーチ報告書』ではシステムの構造的・体系的な問題に焦点が当てられ,
特にいかに効率的にリソースを配分しスキル・ギャップを克服するか,という点がこの改革案の中
心となった(HM Treasury, 2006)
。
需要主導システムの実現の過程で,労働党政権は政策手法の現代化と効率化を進めていく。この
時期のシステムを特徴づけるのは,第一に,重点領域へ財政配分を行うための配分決定機能への集
権化,第二に,執行部門と企画調整部門が分化され,それぞれに機能を集約して個別化支援を目指
す NPM によるエージェンシー化の進展である(白幡,2013)
。各執行機関は,全国―地方―地域の
垂直方向の階層的地方ネットワークと,利害関係者との水平方向のパートナーシップ体制を強化し
た(柳田,2006,2007)
。水準管理に関しては成果主義的要素が重視され,パートナーシップを結ぶ
上では共通目標の設定などの契約的要素が取り入れられ,国民の目を意識した協働型ガバナンスの
構築が進められた(菊地,2009 / 白幡,2013)
。組織運営と政策執行にあたっては,顧客主義的で企
業経営的な手法が選択された(山口,2005: 50-51 / 白幡,2012)。
このような企業経営的手法,そして成果主義的要素は一方で潜在的学習者の開発に大きく寄与す
る も の で あ っ た が,政 策 の 数 値 的 目 標 設 定 に 関 し て は 批 判 的 な 指 摘 も さ れ る こ と と な っ た
(Bathmaker, 2007 / Wolf et al., 2010)
。
『ウルフ報告書』においてもこれが正確な情報の提示と結び
つかない危険性があることから,過度な中央集権型行政を改革するよう勧告がなされた(Wolf,
2011: 9)。
このように,若者政策では,職業教育に対する一定の道筋が示された。教育省は報告書に対する
答申の中で勧告に則った改革を実施することを表明したが(DfE, 2011)
,これにかかる財源をどの
ように調整するかは発表されていない。果たしてこれらの改革がどの程度実行可能であるかを注視
していく必要があるだろう。
5. リスク層に対する学習と訓練の課題
イギリス政府のスキル向上に対する展望において鍵を握るのが,基礎的な教育支援を必要とする
人々や社会的な問題を抱える人々である。低学歴,無資格あるいは低水準資格保持者,学習や訓練
に縁遠い人々など,このような人々は概して低賃金で生活困難者である場合が多い。労働党政権下
の教育政策においては,彼らは「hard to reach」として「失業中,手当受給中,受刑者あるいは職場
における低水準スキルの人々などの,訓練や学習に参加しなさそうな潜在的学習者」と定義され
(NAO, 2008: 6, Glossary)
,重点的政策領域と位置付けられた。特に義務教育終了レベルである資格
レベル 2 の取得は最重要課題であり,コースを提供するプロバイダーや学習を行う個人への助成等,
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
あらゆる学習機会に対しての大規模な公費助成が行われた。
緊縮財政を求められている連立政権であるが,2011/2012 年度予算において 19 歳から 24 歳の
NEET が行う学習と訓練に対する追加予算が計上され,社会的困難層に対する学習と訓練には変わ
らず高い優先順位がつけられている。キャメロン政権においても「大きな社会」構想実現のため,
やはり社会流動性を高める手段として教育・訓練が位置付けられている。実際に,失業者はじめリ
スク層に対するプログラムの政策効果やその課題はどのように報告されているのか。
若年失業と訓練に関する数々の調査を分析した BIS の報告書『若者の失業:低水準資格の若者に
対する訓練に関する報告(Youth Unemployment: Review of Training for Young People with Low
Qualifications)』は,特に低水準資格の若者に対する訓練支援は有効性が高いと結論付けた(BIS,
2013: 27)。無資格あるいは低水準資格保持者の若者は,若者人口の約 4 分の 1 だが,失業中の若者の
39%であり,ニートの 47%である(Ibid.: 5)。これは景気後退の影響ではなく,実際に若者の低賃金
や失業と資格や学歴とは相関関係があることが示されている(Ibid.)
。この報告書の分析によると,
第一に,支援対象をレベル 2 以下とし,期間も限定するなどターゲットを絞った支援が効果的であっ
たこと,第二に,職場体験や就職活動と結びつけた訓練支援など,就労に焦点を当てた支援を行う
べきであること,第三に,地域密着型の小規模支援とするべきこと,などが効果的な支援の為に挙
げられた(Ibid.: 8-9, 27-29)
。
同様に,成人においても失業者訓練に対する財政支援の効果が示されている。Ofsted は新しい財
政支援「成人スキル予算(ASB)
」による成人スキルのプログラムの執行状況に関する報告書を発表
した(Ofsted, 2012)
。Ofsted は,この予算が投入された雇用を目的とした成人スキルの供給に関し
て 45 の学習プロバイダーを訪問し 25,失業中の成人に訓練が効果的にマッチしているか,雇用可能
性の向上に効果が出ているかとい点に関して調査を行った。その結果,以下のことが明らかになっ
た。一般的にプロバイダーは地域の需要を把握するために,ジョブセンター・プラス(Jobcentre
Plus)
との連携や(Ibid.: 17)
,地方コミュニティや専門エージェンシーとのパートナーシップを重視
しつつ(Ibid.: 6),労働市場の情報を活用している。一般的な職業領域は,小売り,カスタマー・サー
ビス,接客,介護,建設,給仕・執事(stewarding),警護などであり(Ibid.: 4),プロバイダーでの講
習を経て見習い訓練制度へ入るなど(Ibid.: 18)
,職場との連携も重視されている。参加者の多くは
無職期間があることや特定の資格の有無を気にしており(Ibid.: 10)
,そのため期間的に短いコース
や職場体験があるもの,特定の職業と連携できるコースなどが効果的であると示された。
しかし当然ながら,
政府やプロバイダーへの課題も具体的に指摘された。例えば BIS に対しては,
助成金の目的や使い方がはっきりしないこと,雇用年金省管轄との縦割り解消により特にジョブセ
ンター・プラスの職員との連携が求められること,特定の職業ライセンス(たとえばトラック免許
など)取得のための助成との連携の見直しなどが具体的にあげられた(Ibid.: 7)。プロバイダーに対
しては,特に今学習しているコース(英語や数学)などと将来のゴールとなる具体的な職との関係が
はっきりするような評価の工夫や(Ibid.)
,ガイダンスの増加,求職やスキルが不足する分野と直接
リンクできるよう企業や地域とのより密接な連携(Ibid.: 8)および職場体験など実際の職場を体験
― ―
209
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
できるコースの増加などが求められた。
このように,リスク層の若者の支援に対しては,直接の雇用創出よりもむしろ学習と訓練機会の
提供支援の方が効果的であることが示されたが(BIS, 2013: 12)
,成人の場合はより労働市場に密着
した形のスキル・訓練支援が望まれることが明らかとなった(Ofsted, 2012: 17-20)。特に,職場体験
は実際の職場環境で求職者のスキルや能力を企業に見せることができる機会であり,企業と連携し
た求職スキルの習得―履歴書の書き方やインタビュー,ネットを使った求職情報の収集―を通して,
実際にどのような人材が望まれているか認識できると Ofsted は報告している(Ibid.: 5)。
しかし,その一方で,年齢層の高い成人に関しては学習と訓練支援,資格取得がその後の生活向
上や職場での生産性の向上に直接結び付くわけではないという証拠も示されている。ウルフらは,
労働党政権下で実施された職場において国庫補助金が助成される基礎スキルの習得プログラムを提
供している 53 の組織に対する長期的追跡調査を行い,職場基盤の学習や訓練が与える学習者(従業
員)および企業への影響や効果を検証した(Wolf et al., 2010)。その結果,政策決定者の思惑とは反
対に,企業は従業員の読み書きのレベルをそれほど心配していないという事実が明らかになった
(ibid.: 391-393)
。さらに,学習者側への調査は,読み書き能力の向上によって職務態度や効率性が
変わるなど,仕事の生産性に影響を与える大きな変化がなかったことを示した(ibid.: 393-395)
。ウ
ルフらは,全体的に国庫補助金によるプログラムは極めてコストの高いアプローチで展開されてい
るにもかかわらず,持続的な成果を残さないと主張する。これらの調査結果は,低スキルの従業員
にとっての効果的な教育・訓練のありかたを再吟味する必要を示唆しており,補助金の出る職場訓
練や学習には以下のような深刻な問題があることが指摘された(ibid.: 400)。その問題とは,第一に,
助成金プログラムの多くが短期で終了することである。こうしたアプローチでは長期間にわたる学
習や訓練の社会的基盤を発展させることは出来ない。第二に,政府の財政政策は絶え間なく変更さ
れ,かつ数量的目標に支配されていることである。
SfL のケースでは多くの成人のスキル習得や資格取得に成功しており 26,総合的には社会的困難
層の就労や待遇面での改善にも貢献したといえる。しかし,SfL の実施に当たっては次の機能的な
問題点も指摘された。第一に,コスト面からは「効率的」な政策ではないこと(NAO, 2008: 10 /
Wolf et al., 2010: 400)
,第二に,対象集団の設定や学習の達成度および成果の計測方法を再検討す
る必要があることである(Bathmaker, 2007)
。以上のことから,このような公共の学習と訓練計画
の策定には,次の点を勘案すべきことも示される。第一に資格取得率や参加人数などの数値的目標
だけに頼る計画の見直し,第二に持続的な社会的基盤の構築のため,計画を長期的に設定する必要
があること,第三に,読み書き能力と計算能力の学習到達目標や個人のスキルの機能的改善が,学
習や訓練のもたらす生産性の向上などの大きな社会的効果につながるとは一概に言えないことであ
る。
また,こうした学習や訓練によって,低賃金でスキルを必要としない仕事そのものがなくなるわ
けではない。労働党政権では,物的貧困とそれに関連する不利な条件を解消するためのウェルフェ
アとして,教育・訓練が重視された。
野党当時の影の教育雇用大臣であり,後の労働党党首であるゴー
― ―
210
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
ドン・ブラウン(Gordon Brown)は,
「低いスキルが低い収入へつながり,結果として社会の底辺に
留まることになる(low skills, low wages, low results)」と主張した(Brown, 1994: 18)。就労によっ
て貧困や恒常的な福祉への依存状態から抜け出すことができ,スキルの向上こそが市民としての生
活水準を向上させる(Ibid.: 21-22)というブラウンの信念がブレア政権の雇用や訓練に対する公共
政策の根本を形作ることになった。これは教育や訓練が社会階梯の梯子であり,働くことで貧困が
解消できるという前提に基づいている。そのため,幾許かの訓練を受けた賃金労働者が手当てより
も少ない報酬を得たために数々の社会扶助から外れ,貧困の構造から抜けられないという社会構造
を変えられないでいる。スキルの向上という政策メニューはあくまで労働市場の内部で行われるス
キル需給を前提としたものであり,労働人口に入らない生活能力の支援という軸とは異なる。キー
プとジェームズは,
「低収入でそこから這い上がることのできない仕事(low-paid, dead-end jobs)
」
問題について議論する(Keep and James, 2011)。キープらは,成人のスキル向上が「良い仕事」へ
結び付くことを保証するわけではなく,むしろ「良くない仕事(bad jobs)」そのものの問題によって
政策効果が阻害されることを検証した。
ブレア政権においては,
「特定の『リスク』に焦点を合わせ,それを解消する政策努力」
(今井 ,
2005: 130)が効果を上げた。対象や範囲を細かく絞ったプログラムは実効的であるが費用対効果か
らはコストが高く,しかもそれだけでは周辺の重層的な社会問題を解決するに至らない。このこと
が,ブレア政策に対する多くの両義的評価につながっており,公的支援を限界付けることとなった。
6. おわりに:連立政権の政策枠組みの特徴と課題,その展望
経済成長と格差是正との折り合いをどのようにつけるかという,労働党政権から持ち越した政治
的課題に,「大きな社会」
の実現を謳う連立政権はどのように取り組むのか。その改革枠組みとその
展望はどのようなものか。本稿は,この問いを明らかにするため,①成人のスキルと学習,②若者
の職業教育・訓練,③リスク層の学習と訓練について検討を行ってきた。
連立政権政策の独自性は,地域社会との連携のあり方にある。
「大きな社会」構想は,自助と共助
が基本である。そのための具体的構想として,地方分権化(decentralisation),透明化(transparency),
そして,第三セクターへの資金調達(providing finance)が打ち出された(Cameron, 2010)。「小さな
政府」
を志向しつつ,市民社会との関係の再構築を図るのがその特徴である。そして「隅々まで中央
に管理された(micro-managed)
」
(Wolf, 2012: 9)と指摘されるこの領域では,「大きな社会」を具現
化するための方策として,教育省の管轄する若者政策と BIS の継続教育・成人スキルの方向性の違
いが顕著に現れることとなった。
教育省は,『ウルフ報告書』を指針に若者の職業教育の内容・資格・システム構造など広い範囲で
の抜本的改革を進めようとしている。特に,これまでも議論されてきた資格・試験や資金援助シス
テムなどの行政レベルあるいは制度的な問題に加え,成績の悪い生徒への対処や教授内容の質の確
保など,職業教育を選択する生徒の将来を見据えた改革を目指すこととなった。
その一方で,BIS の継続教育・成人スキルの領域では,社会的流動性を高める手段として学習と
― ―
211
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
訓練を位置付ける枠組みはそのままに,トップ・ダウン方式を否定し,フレキシブル化と自由度を
高める代償として,より広範で強い責任の共有を求めていく改革を進めることとなった。具体的に
は,
第一に,見習い訓練制度の重点化など,職場とより密着した学習や訓練の提供に力点を置くこと。
第二に,継続教育を広範な水準のスキル供給の要諦と位置付け,学習の供給における自由度と裁量
を大幅に増やし,学習の多様性と質を確保することである。個人学習者への支援はキャリア・ガイ
ダンスを中核にし,そして個人を支援する雇用主と学習プロバイダー,そしてボランタリー・グルー
プに政策の重心を置き,彼らの責任分担を強調することで社会全体でのスキル向上の実現を図るこ
ととなる。
キャメロンの「大きな社会」は,
「小さな政府」を志向する点ではサッチャー(M. Thatcher)政権
の後継といえるが,しかしその単位が個人・世帯からコミュニティへと移行したと永島剛は指摘す
る(永島,2011: 120)
。個人から企業・組織へと,投資の重点がシフトしたことに対し,たとえばコ
スト削減との一体化政策であるとの批判的な見方もできるが,実際に成人の学習と訓練に関しては,
労働や職場との密接な関係は非常に重要であり,このような関係を推進する財政支援策では一定の
効果が確認できている(Ofsted, 2012)
。その意味ではこうした雇用主参加による共助への期待は大
きいが,その一方で,連立政権の厳しい財政枠組みを懸念材料として指摘する必要がある。
厳しい財政削減の様相は新しいキャリア・サービスの運営にみることができる。IAG に大きな期
待をかける連立政権であるが,若者のみを支援するコネクションズが年間の予算規模 4 億 5 千万ポ
ンドであったことに比較し(NAO, 2004: 1)27,若者を含む成人全体を管轄する全国キャリア・サー
ビスに対する予算は,2013/2014 年度が約 9250 万ポンド(£92,541,000)にとどまっている(SFA,
2014: 57)
。また,学校におけるキャリア・ガイダンスにおいても外部との連携が義務化されたが,
各学校の取り組みにおいてはなるべく無料のリソースを利用するなど,コストのかからない方法で
行うことが推奨されている(DfE, 2014b: 20)。
特にリスク層に対する学習や訓練および支援サービスは,短期的な視点では費用対効果が低い傾
向があることは確認した。今行っている学習が今働いている職場で生かせない人々がいること,す
なわち学習や訓練を必要としない仕事は多く存在している。こうした労働条件や市場構造は学習と
訓練に対する公的支援を限界付けてきた。そのため,労働党政権後期では,貧困のより積極的で能
動的な防止措置としての子ども・若者政策に対し,より重要性が付加されてきた。連立政権では需
要主導の基本姿勢は変わらず,労働市場の底辺部に位置する(あるいは市場から排除された)人々
の学習・訓練には高い優先順位がつけられ,リスク層の支援に社会全体による共助を求めていく方
向性が打ち出された。そのための政府の役割として,これまでの学習供給や資金援助システムをよ
り自由度の高い,わかりやすいものへ進める改革が行われる。しかし,労働党政権がこの層をター
ゲットとし,ある程度の実績を上げることができたのは,大規模な公費投入とそれにより整備され
た個別支援システムが効果を発揮したからであった(トインビー,
ウォーカー,
2009: 111-112 / 白幡,
2012)
。
キャリア・サービスの再編にみるよう,労働党政権で肥大化した行政祖域と公共サービスの整理
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212
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
統合を進め,緊縮財政の下で,どこまで質の確保を成し遂げることができるのかは大きな懸念であ
る。前政権の中央集権的手法を否定するキャメロン政権が,上記のような構想をトップ・ダウン方
式に依拠することなく,協調と互助の上に立つコミュニティのエンパワーメントという理想論を掲
げてどのように実現していくかについては,今後の動向を引き続き注視する必要があろう。
本稿は,政権再編後のスキルと学習に関する政策動向について,政策文書の分析を行ってきたが,
実地調査等は行っていない。新たな枠組みがどのように機能しているのか,また学習プロバイダー
への実質的影響はどうか,などさらなる調査分析が必要である。今後の課題としたい。
付記:なお,本研究は科学研究費補助金(特別研究員奨励費 26・40144)の成果の一部である。
(URL への最終アクセス:2014 年 9 月 25 日)
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(URL への最終アクセスの記載がないものに関しては 2014 年 9 月 25 日が最終アクセス日である)
【註】
1 本稿におけるイギリスとはイングランドを指す。
2 イギリスでは「学習とスキル(Learning and Skills)」という用語がより一般的に使用されているが,本稿の研究関
心により「スキルと学習」と表記する。
3 イギリス政府は,特に社会的排除のリスクの高い,低水準の資格やスキルしか持たない学習や訓練に縁遠い人々
を ‘at risk’ とし,彼らへの対策に関わる政策の優先順位を高く設定している(BIS, 2011: 6)。本稿は,こうした社会
的排除に陥る可能性の高い人々,社会的に困難な生活を送る人々(社会的困難層とも表記する),格差の底辺層に加
え,こうした予備軍を含めた層を英語の原文に近い「リスク層」として表記する。なお,「リスク層」という用語はな
いが,予備軍を含めた層を表す適切な用語がない為,本稿では便宜的にこの語を使用する。
4 政策的には 25 歳までを「若者(young people)」とくくる場合が多い。義務教育終了後の 16 歳以降の若者は「ポス
ト 16」,16 歳から 18 歳までの若者を「16-18」などとして範囲を絞り,多くのイニシアチブが提起されてきた。労働党
政権からは,本文で言及するように,義務教育後終了前の14歳からを政策範囲に取り入れて「14-19」のくくりを設け,
年齢的に早い時期からドロップアウトを防止しようとした。本稿では,教育省が管轄する政策領域を「若者」と表記
し,学校教育段階を特別に指し示す場合は「学校教育段階の若者」とする。政策的に年齢が示されている場合は,ポ
スト 16,16 歳から 18 歳の若者,などと年齢を明記する。
5 本稿は,ビジネス革新スキル省は BIS と略記するが,教育省(DfE)は教育省と表記する。他の省庁あるいは団体
も慣行的に略記する。
6 部門(sector)はイギリスの教育機関の種別の区分である。
7 パイロット事業など中央政府が直接管轄する事業もある。
8 2003 年 7 月にプログレス・レポートを,翌年 2004 年 2 月 17 日に中間報告がそれぞれ発表された。これらの提案に
対して出された各界からの提言を勘案し,2004 年 10 月 18 日に最終報告を提出するに至った
9 インタビュー日時:2006 年 11 月 1 日。QCA のラッセル・アームストロング(Russell Armstrong)氏と,欧州を含
めた職業教育訓練政策研究の第一人者であるトム・リーニィ(Tom Leney)氏に見解を聴取した。
10 BBC News, 2010 September 10.[http://www.bbc.co.uk/news/education-11229469].
11 成人学習監察局(Adult Learning Inspectorate: ALI)は 2006 年教育監察法(the Education and Inspections Act
2006)によって,2007 年 4 月に包括的監察機関である教育水準監査局(Office for Standards in Education, Children’s
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216
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
Services and Skills: Ofsted)に統合された。
12 2012/13 年度まで 24 歳より上でレベル 3 水準資格に初めて取り組む者,同水準の再訓練,レベル 4 以上の資格に対
しては,費用の 50%が支給されていたが,2013/14 年度からは返済が必要なローン形式となる。失業者や手当受給
者もこれまでは全額助成されていたが,23 歳以下あるいはレベル 3 より低い資格のみ全額支給で,24 歳より上とレ
ベル 3 以上はローンとなる。19 歳から 24 歳までの若者は変更なく,基礎スキル,レベル 2 およびレベル 3 に初めて
挑む者には全額が助成される(BIS, 2010a: 11)。
13 成人の基礎技能を調査した『モーザー報告書(The Moser Report)』が 700 万人もの成人が 11 歳の子供相当にしか
読み書きができないレベルであると報告したことは,イギリス政府に対して大きな衝撃を与えた(DfEE, 1999b)。
読み書き・計算のおぼつかない成人のための基礎スキル向上イニシアチブである「スキルズ・フォー・ライフ(SfL)」
戦略が 2001 年に打ち出され,イギリス政府は無資格者と低水準スキル保持者の資格取得に対して無料で学習や訓練
を受けることのできる支援を提供することとなった。政府は,2008 年時点で SfL の提供によって 570 万人の学習者
が資格の取得に成功した,あるいは規定のコースを修了したと発表した(NAO, 2008: 10)。
14 このソースは以下による。Individualised Learner Record, Based on provisional 2010/2011 data.
15 1998 年当時は,継続教育部門の予算執行は継続教育基金協議会(FEFC)が担当していた。労働党政権が発足させ
た LSC は,雇用主の地方ネットワークであり訓練の企画と財政を担う訓練企業協議会(TEC)がその前身である。
さらに,継続教育を担当する FEFC の財政・企画部門を引き継いで統合し,継続教育にかかる巨額の予算を管理運
営することとなった。しかし,職業訓練を担当する旧 TEC と継続教育部分の予算規模はほぼ30倍もの開きがあった。
16 第二次ブレア政権下での 2002 年時点で継続教育カレッジに配分される補助金の分配公式は以下のとおりである。
『助成金額(一資格あたりにつき)=[(基礎レート-達成度)×プログラム調整手当×不利益手当×ロンドン都市部
手当]-授業料+学習支援加算』。基礎レートはそれぞれの資格に対して助成を行うベースとなる金額であり,達成
度は学生の失敗の度合いによる減額分,不利益手当は学生の居住地域に社会的サービスが受けにくい等の不利益が
ある場合の加算係数,ロンドン都市部手当は都市部のコストにかかる助成係数である。学習支援加算は,その学生
に特別な支援が必要な場合加算される額である(LSC, 2002)。
17 この予算は,カレッジや訓練プロバイダーに対し交付されるものであるが,これまで個別に申請していた以下の
項目について,単一の予算から助成を行うことができる。①見習い訓練制度,②単独の職業資格,③時間割にある
授業,④失業者のための訓練(Provision for the Unemployed: PfU)。この予算を使用しての潜在的学習者の開発も
期待されている。SFA はさらに Job Outcome Incentive Payments の導入もすすめている。PfU に関しては,以下
URL 参照。
[http://pfu.skillsfundingagency.bis.gov.uk/]
18 570 万人の学習者が 1200 万のコースで 760 万の「成果(achievement)」を達成し,全体的なコストは 50 億ポンドで
あった。これはひとつの成果につき 660 ポンドかかったということである。
19 BBC News, 2010 September 10.[http://www.bbc.co.uk/news/education-11229469].
20 ここの表現は原文をそのまま訳したものではなく,下記 HP も参照している。
[http://www.usethekey.org.uk/administration-and-management/government-policies-and-legislation/governmentpolicies/when-will-the-wolf-review-be-submitted]
21 TES connect, 29 March, 2011, ‘Wolf's backing of vocational training is great, but she ducks the question of how
much it will cost’.[http://www.tes.co.uk/article.aspx?storycode=6074355].
22 コネクションズは「若年者にアドバイスや手助けを行い,大人としての生活や職業への円滑な移行を支援する」こ
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217
イギリスにおけるスキルと学習の水準向上に関する公的支援の課題
とを目的として労働党政権下で開始され,13 歳から 19 歳にある全ての若年者の包括的支援を行った。コネクショ
ンズ・サービスの理念は,今までそれぞれが独自に行ってきた若年者に関する専門機関のサービスを横断的に結び
つけ,整合性と一体性のある政策を届けることとされた。
23 ここでは,statutory guidance および non- statutory guidance を訳すにあたって,statutory guidance には「指
導要領」と,法的強制力がない non-statutory guidance には指導指針という訳語を当てることにする。ここで
statutory guidance の訳語として使用する指導要領は,当然,我が国の学習指導要領とは異なる。
24 ここでは,原語の Independent を「第三者による」と訳したが,教育省は independent について「学校の外部
(external to the schools)」であると定義している。
25 学習プロバイダーとは,この予算が投入されたカレッジ,成人学習プロバイダー,地方当局の成人教育機関,コミュ
ニティ・ラーニング等である。調査期間は 2011 年 9 月から 2012 年 5 月である。
26 たとえば,グリエ(John Grinyer)は,2003 年の SfL 調査の結果を分析し,基礎スキル習得コースへの受講と,受
講が後の収入に与えた影響や就労などへの効果を検証した(Grinyer, 2005)。グリエの分析では,学習者がもともと
保持していた資格レベルより高いレベルの資格を取得した場合,読み書きと計算の両方において収入の増加に大き
な効果が見られた(Ibid.: 33-35)。また,資格の取得につながらなくても,継続的に英語と基礎数学コースを受講す
ることで収入の増加が見られた(Ibid.: 41-46)。さらに,グリエは読み書きおよび計算のレベルの向上と労働市場へ
の参加,そして就労率に明らかな相関があることも明らかにしている(Ibid.: 55-56)。
27 2004 年の英国会計監査院(National Audit Office)が出した報告書にある数字であり,労働党政権後期ではこれよ
り予算が削減されている。
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 63 集・第 1 号(2014 年)
Issues of Improving Skills and Learning in the United Kingdom:
An Analysis of Policy Development under the Coalition Government
Maki SHIRAHATA
(Research Fellow(RPD),Japan Society for the Promotion of Science)
This paper reviews the current policy of the Coalition government for improving skills levels
in the United Kingdom by focusing on its demand-led approach. Previously, the Labour’s
government approach sought to ensure that those ‘at risk’ had access to learning and training to
augment their skills; thus, it invested huge sums in publically led learning programs and their
support systems. This paper analyses the impact of the Coalition’s skills agenda and recent
reforms that aim at social integration and social mobility in the move towards a ‘Big Society’.
In the concluding discussion, it highlights the shift in public investment from individuals to
employers, learning providers, and voluntary institutions. Moreover, this policy seeks to share the
responsibility for and cost of learning and training with broader communities of employers and
institutions.
The Coalition’s approach to learning and skills focuses on community empowerment through
an engagement with the private and voluntary sectors. Therefore, this paper argues that the
development of quality assurance in skills and learning for those ‘at risk’, on which the Labour
government had attached great importance, will not be a simple task, since the public funding for
individual skill development is declining.
Keyword:Learning and skills, vocational education and training, demand-led approach, the UK
Coalition government, the Wolf Report
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