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講演録(1)(ファイル名:kouennroku1 サイズ:164.85

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講演録(1)(ファイル名:kouennroku1 サイズ:164.85
平成 23 年度「京都市企業向け人権啓発講座」第4回
(「京都人権啓発行政連絡協議会」人権研修会)
日時:平成23年10月26日(水)
午後2時~午後4時30分
場所:京都市勧業館「みやこめっせ」第3展示場
講演(1)演題:人(人間)として生まれて 人として育つために~人間としての権利の主張~
講師:渋谷 千鶴さん(人権擁護委員)
~講演(1)講演録~
ただいま御紹介いただきました渋谷です。よろしくお願いいたします。
私は,本日は人権擁護委員,子ども委員会の委員長としてこの席に立たせていただいており
ますが,本業は,知恩院の山門の南側にある知的障害児通園施設の施設長をしております。知
的障害はじめ,発達障害,自閉症,重症心身障害など,様々な障害のある子どもたちと一緒に
過ごしております。
本日は,たいへんなお題をいただいていますが,人として生まれてどう育っていくかという
ときに,現代は子どもがたいへん育ちにくい環境にあるということについて,皆さんに,改め
て認識していただいて,これからのことを考えていただく機会になったら嬉しく思っておりま
す。
まず,皆さんは,「動物」という言葉を聞いたとき,どのようなイメージが浮かぶでしょう
か。家庭の犬や猫,小鳥などの生き物の姿が思い浮かんだのではないでしょうか。でも,私た
ちも,「人間」という動物です。この動物というところを人間は忘れてはいないだろうか。頭
を使うことだけを人間として捉えていないだろうか。私たちが生きていく上には,心も体も大
事にしないと,その頭を使えないということを知ってほしいと思います。
子どもの頃は,とりあえず色々なことに興味をもって,遊び,大人にまとわりついて「静か
にしろ」などと言われながら,転んでケガをしたり泣いて周りを困らせたりして,育っていく
のが子どもなのです。でも,そういった行動を,迷惑だと言って抑えつけられているのが現状
ではないでしょうか。障害のある子どもたちは,自分の体に純粋に反応して騒ぎます。今は,
近隣が昔に比べてグンと接近しておりますから,その騒ぎが響きます。そして「うるさい」と
言って抑えられ,虐待を受けるということが一部では繰り返されてもいます。そのような時代,
子どもが伸び伸びと育ちにくい時代になっているということを知っていただきたいと思いま
す。
もう一つ,大人は子どもを守る義務があるとして,子どもがする苦労を非常に嫌がる傾向に
あるように感じます。確かに,苦労するのは誰でも嫌ですから,子どもにはさせたくないと思
われるのです。でも,子どもにとって育つということはどういうことでしょう。人間として,
人として生まれて,どう育っていくのだろうと考えたときに,苦労もなく通過することは,育
つということなのでしょうか。
最近,耳にすることがあります。神戸の震災にあった子どもたちが,ちょうど就職する頃と
なり,あの大きな苦労を乗り越えた若者たちは,やる気がある,根性があるという声を聞くの
です。苦労をして,そして乗り越えていくということ。子どもの時期に乗り越えられる苦労を
与えられた子どもたちが,何とか自分で生きていこうという知恵を身に付けたように思います。
その知恵について,子どもを育てる大人たちは,どのように考えているのでしょう。子どもに
奉仕する親たちは増えていますが,子どもが大人になって困らないようにするにはどうしたら
いいかということを考えて子どもに接している大人が少ないように思います。親は逃げられな
いところもありますが周囲にいる大人たちも,子どもを見て,これはまずいなと思っても,見
て見ぬふりをするという時代のように思われるのです。これで次代の社会が育つでしょうか。
私たちは,動物として,そして人として,社会を作っていくために,どうしても先人である
親や家族をはじめ,社会という集団から学ばなければなりません。人として育ててもらい,共
に成長していかなければいけないだろうと思います。
人は生まれてから一人前になる迄,人として自分で責任感を持って生きていくために,今の
ところ約 20 年かかるとされています。動物の中では,大人になることに一番長く時間をかけて
育てなければならない生き物なのです。この長い間,誰がどのように教育するのでしょう。
子どもを育てるということは,大人と社会が,子どもたちと一緒に自分たち大人のしている
姿を見せていくことが必要だと思うのですが…。さて,これが今の時代に,どうでしょう?
本年3月 11 日の震災で家族が亡くなって独りぼっちになった子どもは多いと聞いています
が,地域によっては,地域の皆さんが一緒になって社会を作り,共に育てていくという話を聞
きました。大人が,自分たちの生きる知恵を子どもに伝えていくためには,一緒に過ごすとい
うことがとても大事だと私は思っているので,一緒に過ごしている,共に生活をするという中
で,生きていくためのノウハウを伝えているというのを聞いて,私は少し安堵いたしました。
というのも,今の時代,子どもが家族と一緒にいる時間が非常に少ないのです。だからどう
過ごしていいか,どう教えてもらったらいいのか,生活する知恵を学ぶ機会がたいへん少ない
と思っています。まず,朝ごはんを食べずに学校に行く。食べたとしても,「遅刻するよ」と
言われて急がされて出てくるのでコミュニケーションが十分に取れない。学校が終わって家に
帰っても誰もいない。学童保育など,集団というところに行くと集団に合わせていればよい。
自分というものを表現する場が少ないから,他人にどう伝えてよいか表現方法もよく分からな
い。そんな時代です。
昔は,小学生は学校から帰ったら,親や祖父母など家族のもとでまず一息ついて,安心して,
それから外に出て遊びに行くという時間がありました。今は違うんですね。人に邪魔されない
ように協調しながら生きていかなければいけないことを余儀なくされている時代です。家に帰
っても,ご飯を作って待っていてくれるという家庭は少ないのではないでしょうか。実習に来
ていたある中学生がこう言いました。園で少しご飯が残ったので一緒におにぎりを作っていた
ときの事です,「ここのご飯はおいしいよね。すごくおいしい」と言うのです。どういう意味
かなっと思っていると,「だって毎日,味が違うから」「うちは親が共働きだから,帰ってき
たら,今日はどの店のお総菜か,どこのおにぎりかすぐ分かる。だけど,ここは毎日違った味
でおいしいね。嬉しいね」と言っておにぎりをにぎっていました。お店の総菜とおにぎりの味
は,そのお店の味として決まっていないと売れないからいつもと同じ味になります。それを聞
いて,「この子たちは,いちばん味の分かる育ちのときに,同じ味が売り物の店の食べ物を繰
り返し食べて,それでいいのかな」と思い,少し悲しくなりました。
やはり子どもは家族の元で,毎日の生活の中にわずかな違いを見たり,聞いたり,味わい,
感じながら,そして自己主張してけんかしたりして過ごしていくということが,すごく大事な
のではないかと,改めて教えられたところです。
今,人権擁護委員は,この人権ということについて子どもたちに知ってもらおうと「人権の
花」という運動をしています。スイセンの花を子どもたちに育ててもらっています。花という
のは,球根を植えて,お水をあげて,そして毎日様子を見て,声をかけて,そして育っていく
ものです。それには色々な思いを注いで,大切にしなければ育たないということを知ってもら
い,花の育つプロセスを見ながら,人も同じだということを知ってもらうために,「人権の花」
運動をしています。この運動で,ある小学校に行って人権の話をしたときに校長先生から伺っ
たお話を,一つ御紹介したいと思います。
血管紫斑病という病気のある子が,病気のためにその学校に転校してきました。医師の指示
で運動には制限がかけられていて,親からも,とりあえず運動をしないようにということで,
学校もそれを守りました。でも子どもは,その病気があるがゆえに自分が思う嫌なこと全てを
拒否します。親もそれを許し,学校も親から言われているので承知していました。子どもは,
病気に対する防衛というものだけでは成長しません。しかも,小学5年生という前思春期で,
親の言うことを素直に受ける時期ではなくなってきてもいるわけです。運動はしないが,色々
なことでストレスを感じることが強くなってくる。周りについていけないというようなことが
起こってきて悩む。そういう状況ですから情緒障害も起きてくるのは当たり前です。そんな時,
運動会の 100 メートル競走に出たいという子どもの申し入れがあり,学校はその申し入れを受
け,親の了解も得て 100 メートル競走に出場させたところ,走りました。最下位であったけれ
ど完走した。学校の先生は「あ,これや。今,この子が何かを主張している」と思い,「さあ,
これをきっかけにどう可能性を広げていこうか」と考え,次の行事にも期待した。が,親から
「ドクターストップがかかったので参加しません」と言われたそうです。学校の先生はすごく
がっかりしました。子どもが乗り越えようとチャレンジしてきていたのに,その子どものちょ
っとした主張に,親や子どもの周りの人はその子の変化に気付いているのだろうか,子どもが
育ちたいという信号を受け留めたのだろうか,と私もその結果をたいへん残念に思いました。
子どもが大人になったときに,自分で判断し,どう生きていくか。そして更に子どもを持っ
たときに,子どもに何を伝えるかということを,親として,社会の大人として子どもが大人に
なった時,困らないように伝えていく,大人の義務があるのではないか。でも,今の事例でい
いますと,子どもが大人になったときに困るということよりも,とりあえず命のことを考えて
子どもを守ることに過剰になっている親や周囲の大人の姿があると思われます。
こういう育ち方をすると,子どもは大人になったときに,どうしていいか分からなくなり,
親や大人,社会を攻撃し,時として暴力を振るい事件を起こすということにつながってしまう
ということも,有り得るのです。こういう大人で,社会で,いいのでしょうか。大人は,社会
は,子どもに何を伝えようとしているのでしょう。
私事で恐縮ですが,私が小学生のときに親に言われたことを御紹介します。季節はちょうど
今頃でした。親に反抗して,私は木の上に逃げました。そのつもりだったんですが,実は手を
伸ばせば届くような木の上に居て,長い時間すねていました。やがて,月が出て夜になりまし
た。そしたら母親が,一口で入るくらいの小さなおにぎりを持ってきて「はぁい,口開けて」
といって口に入れるのです。「意地を張っていてもどうにもならないんだよ。お母さんが一緒
にお父さんの前に行ってあげるから」といって木から下ろされ,「お腹が空いてたんではお父
さんの話がちゃんと聞けないから,食べなさい」と,更に幾つかの小さいおにぎりを口に入れ,
私はそれを食べ,父親の前に行きました。その時のことで私の耳に残っているのは,こういう
ことでした。
「子どもは言い訳はしたらいけない。子どもなんだから親の言うことを聞きなさい。親は子
どもを守る義務があって守っているんだから,言い訳せず,親の言うことを聞きなさい」と言
い,そう言った後に,「お父さんはちづるの親だから,ちづるの言い分を聞こう。自分の思っ
たことを言えない子どもは自分の思っていることを人に理解してもらうことができなくなって
しまう。世の中に出たとき,子どもに分からないことはいっぱいあるんだよ。だけど自分の言
いたいことを言えないのはいけない。ちづるのお父さんだから,ちづるの思っていることを聞
こう」と言いました。私が何も言えずにいると,また叱られたというようなことがありました。
そのとき以来,様々なときに自分の言いたいことを親に伝え,やり取りをして育ってきました。
続いて,私の仕事での体験談です。私の仕事は,冒頭で申し上げましたとおり,知的障害の
ある子どもたちが通ってくる施設です。施設には色々な子どもたちが通っており,その中に,
硬膜症といって脳の中に水がたまる,脳に病気のある子がいました。脳に溜まる水を抜くため
にシャントという管を入れるのですが,その治療中にインフルエンザにかかり脳症を起こして
手も足も動かなくなり,栄養剤を点滴しながら生きているという状態でした。でも,施設では
なんとかしてご飯を食べさせたいと思い,刻んだり,つぶしたり,おかゆにしたりして食べさ
せて,毎日過ごしておりました。その子があるときに食事を拒否したのです。「どうしたの?
何で食べないの。熱があるのかなあ。おなかが痛いのかなあ…」と問いかけながら,お腹に耳
を当て,胸に耳を当てても,どこもおかしくないようなのです。「なんだろう?」「あぁ,こ
れは体のことではないのかもしれないな」と感じ,ひょっとしたら家で何かがあったのかもし
れないと思って,思い付くことを全て言葉にして尋ねました。色々と問いかけているうちに,
「お父さんとお母さんがけんかをした。けんかをしたときに自分のことが出た」ということが
分かりました。「自分をお父さんが引き取るか,お母さんが引き取るかと言っていた」と子ど
もが訴えたのです。「そうか,お父さんとお母さんがけんかをしたんやね。心配だったね」と
言い,「あなたはどっちに味方をしてほしい?」と聞いてみたのです。そうしたら,「お母さ
んは毎日,世話をしてくれるから,お母さんに味方をしてほしい」というようなことでしたの
で,お母さんがお迎えに来られたときにその話をしました。「先生,どうして分かったんです
か」って聞かれましたが,子どもというのは自分が危機にあったとき,“なんとかしてほしい”
という訴えをどこかで必ずしているのです。この場合は,食事を拒否して,何か自分に危険が
あるということを私に知らせてくれた行動のように思います。
どのような状況にいる子でも,例えば言葉を発せられない子どもでも,どこかで何かを必ず
訴えている。それに気付くのは周りにいる人々,家族であり,私たち大人です。聞こうとする
大人がいなければいけない。そこは人として,人間として,弱い人や病を抱えている人を慈し
む心があるから,人間なのです。そこには何かを与えたい,自分にできることをしたい,つな
いでいきたいと思うのが人間ではないでしようか。
そろそろ時間がまいりますので,最後に,人権擁護委員として活動している「人権の花」運
動で,上賀茂のずっと上の方にある小学校を訪問したときのことを御紹介します。
この運動の教材として『種をまこう』という本を子どもたちに渡して人権のお話をし,スイ
センの球根をプレゼントするのですが,そのお礼にと,本の冒頭にある詩を,120 人ほどの子
どもたちが,次々に言いつないで,私に聞かせてくれました。「スイセンをしっかり育てます」
という宣誓であったように思いました。
その詩を御紹介して終わりにさせていただこうと思います。
「種をまこう」という題の詩です。(以下,『種をまこう』より引用)
「種をまこう
種をまこう
心の中に種をまこう
わたしのこころ
みんなのこころに
あなたのこころ
種をまこう
生まれたばかりのやわらかいこころに
「人権」という名の種をまこう
そして
「思いやり」という名の水と
「愛」という名の栄養を
たっぷりたっぷり
そそいであげよう
「みんなの笑顔」という名の陽(ひ)をあびて
きっと
芽が出る
花が咲く
やがて
大きな幸せの実がみのる」
皆さんの大きな心で持って,みんなで次代を担う子どもたちを育てていきたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
~講演(1)終了~
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