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腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村

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腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村
腎臓病と共にイキイキと暮らす方々に、腎臓サポート協会理事長 松村満美子がインタビュー
(職業や治療法は、取材当時のものです)
夫が腎臓をくれるというのをずっと断り続けていたの・・・
でも、腎臓をもらって、本当に良かった!今、二人とも元気で幸せ!
美容師。1954年、愛媛県生まれ。高校卒業後に東京の美容学校を出て、横浜市の美容院に就職。1982
年横浜市金沢区に美容院「さわ」開設。
1986年、当時透析をしていた姉に腎臓を提供しようと検査をしたところ多発性嚢胞腎がみつかり、結婚後
2004年に腹膜透析(CAPD)導入。
2006年、夫の腎臓提供により移植し、以後8年間、元気に暮らしている。
お友だちに恵
だちに恵まれ、
まれ、先生方にもよくしていただいて
先生方にもよくしていただいて
元気に仕事を
仕事を続けていられることに、
けていられることに、ただただ感謝
ただただ感謝です
感謝です。
です。
美容師の杉山るみ子さんは、お母様もお姉様たちもみな多発性嚢胞腎と、腎臓
病一家。
持ち前の明るい性格で、病気のことも気にせずに過ごしていましたが、とうとう
CAPD導入に。
腎臓を提供するというご主人の申し出を断るため、血液型が違えば先生にダメ
といわれると思い検査を受けたのに、Goサインがでて移植を。
現在は、ご夫婦ともお元気で、ワンちゃんたちと幸せにお過ごしです。
松村
腎臓が悪いのが分かったのはいつですか?
杉山
二番目の姉が透析をしていて、私の腎臓あげようと思って検査をしたん
です。そしたら32歳のときなんですけど、同じ病気が見つかりました。
店を始めて30年、透析から移植と
いろいろなことがありました
松村
まぁ、遺伝ですか? じゃぁ、多発性嚢胞腎?
杉山
ええ、そうです。母も一番上の姉も同じ病気でした。
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松村
お母様はご健在ですか?
杉山
実は、私、母の記憶があまりないんです。6歳のときに亡くなったので。愛媛の田舎ですし、四国から
九州の病院まで回ったけど、当時は分からなくて、38歳で亡くなったそうです。
松村
そうですか。今ならね、
杉山
ええ、透析でも移植でも、長らえていたと思うんです。
松村
お姉様方は?
杉山
最初に二番目の姉が分かって。子供を産んだあとで、25歳くらいのときでした。近所の病院にかかっ
ていたんですが、よく分からなくて、東邦医大を紹介され、そこで診ていただいてました。
松村
お姉様は移植を?
杉山
叔母から腎臓をもらうことになり、腎臓を摘出したりと、移植の準備を始めました。
松村
普通は腎臓摘出しないで別の場所に移植するんですよね?
杉山
嚢胞腎で腎臓が大きくなっていて4キロもありましたから。
松村
それでうまくいったんですか?
杉山
いえ、移植の準備中に脳卒中で亡くなりました。
松村
まぁ、お気の毒に。嚢胞腎の方は血圧が高くなりますからね。一番上のお姉様は?
杉山
上の姉も嚢胞腎で病院にかかっていたんですが、それで油断したのか、子宮がんが進行しているの
に気がつかずに、がんで亡くなりました。
松村
お姉様お二人とも残念でしたね。貴女だけが残ったわけですね。お姉様方のお子さんたちはどうして
いらっしゃるの?
杉山
今のところは元気にしてますが、クレアチニンの検査だけは欠かさないようにしています。
松村
それは大切ですね。貴女にお子様がいらっしゃらないのはやはり遺伝を心配してですか?
杉山
主人が姉の闘病生活を見ていたので怖いと・・・。でもその代わりという
わけではありませんけど、犬を飼っています。かわいいんですよ。
愛犬のサクラちゃんとコウメちゃん
松村
何犬ですか?
杉山
ヨークシャーテリアが2匹います。毎日、帰りを待っていてくれます。
松村
それは癒やされますね。
松村
保存期の治療はどのようにしていましたか?
杉山
特別なことはしていませんでした。たんぱく質とか塩分を制限するようにいわれましたが、なかなか実
行できずに、気持ちだけやってました(笑)。早く分かったので、のんきだったのかもしれません。
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松村
体調はどうでした?
杉山
自覚症状もなく、元気でしたけど、だんだん検査値が悪くなり、2004年にもうすぐ透析といわれ気をつ
けていました。そうしたら、お店のお客様の風邪をいただいてしまい、帯状疱疹がでて、一気に検査
値が悪くなり、腹膜透析(CAPD)を始めました。50歳のときです。
松村
CAPDを選んだのは、どうしてですか?
杉山
仕事を休みたくなかったんです。仕事をしてないと落ち着かないので。
仕事を続けられる幸せを感じて
松村
CAPDは順調に?
杉山
仕事の合間に店で透析液の交換ができるので、問題はありませんでした。
松村
CAPDをどのくらいしてから、移植に踏み切ったのですか?
杉山
1年半です。実は透析を始める前から主人が腎臓をくれるといっていたんです。私は健康な人から腎
臓をもらう気はなかったので、聞かないふりをしていましたが、あまりいうので、検査してみましょうと。
松村
HLAが適合したんですね?
杉山
ええ、他人だし、血液型も違うから、まさか合うとは思っていなかったんです。「無理」といわれれば、
主人も提供を諦めるだろうと思ったんですが、心ならずも、移植することになりました。
松村
最近は免疫抑制剤が良くなったので、血液型が違っても、大丈夫なんですよ。
杉山
そうみたいですね。HLAの6つのうち3つ適合して、ゴーサインが出ました。
松村
移植手術はどうでしたか?
杉山
実は、血漿交換をしなくてはならなくて、かなり長く入院しました。それから私の場合は、嚢胞腎が大
きくなっていたので、片方の腎臓を摘出してから移植をしました。
松村
それではCAPDのチューブを取りのぞく手術と嚢胞腎の摘出、移植と3つの手術を同時にやったんで
すか?
杉山
はい、朝9時くらいから、気がついたら夜の10時過ぎで、12時間くらいかかりました。
松村
それは大変な手術でしたね。何日くらい入院しましたか?
杉山
私は40日。主人も脇腹を切ったので2週間くらい入院しました。今なら腹腔鏡手術でもっと短くていい
ようですね。
松村
手術はやはり東邦医大で?
杉山
東邦医大で、内科の酒井謙先生と外科の相川厚先生にお世話になりました。先生方も大変だったと
思うんです。時間のかかる手術でしたから。本当に感謝しています。
松村
その後、体調はどうですか?
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杉山
拒絶反応もなく、問題ありません。薬も今は3種類だけで、ほかに血圧と胃の薬を飲んでいます。
松村
ご主人の体調は?
杉山
元気で仕事を続けています。月に一回、二人で外来に行ってます。
松村
腎臓をくださった方の予後も、キチンとフォローしてくださっているんですね。
杉山
ええ、ありがたいと思っています。もし主人が悪くなったら、もらった腎臓を返せるわけでもなくとても
困ります。
松村
他に変わったことは?
杉山
前より元気になりました。移植前も元気だとは思っていましたが、自宅
のある3階まで階段を昇るのがとても辛くて、太っているせいだと思って
いたんです。でも移植したら、階段もすいすいと昇れるようになって。考
えてみたら、あれは体の調子が悪かったんですね。
いつも笑顔が活力源!
松村
そうですよ。ところで、移植してから何年になりますか?
杉山
今年でもう8年になります。主人から腎臓をもらって良かったです。最初はもらわないつもりでいました
が、結果的に感謝しています。それをいうと、「そんなこというな」と、怒られるんですけどね。
松村
本当に貴女を愛してらっしゃるのね。
杉山
愛しているかは分かりませんが・・・心から感謝しています。
松村
拒絶反応もなく、いただいた腎臓と相性が良かったんですね。このまま一生、生着するといいですね。
インタビューを
インタビューを終えて
ぽっちゃり、笑顔が素敵な杉山さん。移植してから現在10キロも体重オーバーとか。
大勢のお友達に囲まれ、お客様と差し入れのお菓子を一緒にいただくのが楽しいし、ご飯もおいしいの
よね、とのこと。
実は私も体重を落とせといわれているんですが、なかなか難しいのよね。でもご主人からいただいた腎
臓と一生仲良くするためにも、ぜひ体重を落としてください。お互いスリムを目指して頑張りましょうね。
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