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解題 - 日本証券アナリスト協会

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解題 - 日本証券アナリスト協会
企業の現金保有政策
解 題
証券アナリストジャーナル編集委員会 佐々木 隆文
CMA
日本企業による現金保有が趨勢的に増加してい
に肯定的である。企業が現金を保有する主な動機
る。とりわけリーマンショック後の日本企業は積
としては、決済などに用いる取引的動機を除けば、
極的に内部留保を行い、
現金の水準を高めてきた。
予備的動機(Precautionary motives)と経営者の私
その一方、90年代のバランスシート調整を経た
的満足が上げられる。このうち、予備的動機とは
日本企業の負債水準は過去に比べ低水準にあり、
将来の資金不足や投資機会に備えて現金を保有す
現金、及び現金等価物が有利子負債を上回る実質
ることを指す(注3)。他方、現金は経営者が恣意
無借金企業が上場企業の半数に達している(注1)。
的に使いやすい資産であり、経営者への規律づけ
企業評価の実務において、巨額の現金をどう評価
が弱い企業では経営者が私的満足のために必要以
すべきかが重要な課題となりつつある。
上の現金を保有する可能性がある。このような問
このような動きはわが国特有のものではない。
題を検証したBates et al.[2009]によれば近年の
米国、欧州も含め先進国の企業の現金保有はかつ
米国企業の現金保有は予備的動機によってもたら
てない水準まで高まっており、企業による現金の
されており、とりわけR&D需要の高まりやキャ
抱え込み(cash hoarding)がメディアで取り上げ
ッシュフローの不確実性の強まりが予備的動機を
られるケースも増えている(注2)。このような中
強めていると論じられている。他の研究でも予備
で、企業に対する風当たりも強まっており、米
的動機からの解釈に肯定的なものが多いし、実際
Apple社が大規模なペイアウトに踏み切ったこと
に保有現金が安定的なR&Dに必要であることも
に象徴されるように、保有現金を株主に還元する
示されている(Brown and Petersen[2011])。
べきだとの主張も根強い。
翻って日本企業が置かれている状況を鑑みる
他方、現金保有の動機、企業価値への影響に関
と、R&D需要が趨勢的に増えてきている一方、
する近年の学術的研究はおおむね企業の現金保有
グローバル競争にさらされている企業ではキャッ
(注1) 「上場企業、半数が無借金」、日本経済新聞2012年6月4日
(注2) “Firms’ Cash Hoarding Stunts Europe,”Wall Street Journal, March 22, 2012.
(注3) 企業の流動性保有政策としては、Lines of credits(日本ではコミットメントラインと呼ばれるケースが
多い)もあるが、近年の研究ではLines of creditsが将来の投資機会への備えとして用いられる一方、現金
は将来のキャッシュフロー不足への備えとして用いられることが示唆されている(Lins et al.[2010]
)
2
証券アナリストジャーナル 2013. 6
シュフローの不確実性が高まっている。つまり、
が主に予備的動機によるものであることが示唆さ
わが国においても現金保有に対する予備的動機は
れる。さらに、同論文では現金保有の増加が利益
強まっていると考えられる。他方、わが国におい
率等に及ぼす影響も検証し、現金保有が利益率に
ても、潤沢な現金を設備投資や雇用に使わないこ
及ぼすプラスの影響が近年低下してきているこ
とや消極的なペイアウトに対する批判も根強い。
と、換言すれば保有している現金が投資を通じた
日本企業は実際にどのような動機で現金を増やし
収益増につながっていないことが示されている。
ているのだろうか。そしてそのような現金は企業
このような現金は将来の利益の向上に資する可能
価値の向上に寄与しているのであろうか。さらに
性はある訳だが、投資家はそのような可能性を評
はこれらの点についてガバナンスシステムはどの
価しているだろうか。
ように影響しているのであろうか。今月号ではこ
このような問題に対し、中井・神山論文「保有
うした研究課題にフォーカスして多面的な検討を
現金の価値評価:リーマンショック前後と日米欧
行っている。
比較」では、機関投資家の投資対象となっている
品田・安藤論文「日本企業の現預金保有の推移
日米欧の主要企業を対象に、現金保有と企業価値
とその要因」では、まず日本企業の流動性保有を
との関係について検証している。現金保有は将来
長期的に俯瞰し、90年代のバランスシート調整
営業資産となって企業の収益力・成長力を増す要
を経て、日本企業の現金保有が21世紀に入り増
因となりうるが、外部の投資家からはどの程度企
加していること、そのような現金保有の増加は決
業が現金を必要としているのかが見えにくい。同
済など取引用の動機によるものではないことが論
論文ではそのような非対称情報の問題にも着目
じられる。また、かつて日本企業の高い現金保有
し、現金と企業価値との関係について国際比較を
には企業=銀行間関係が影響しているとの指摘も
行っている。まず現金1円当たりの価値を分析す
あったが、21世紀に入ってからの現金保有の増
ると日米欧の平均で2円以上の価値に評価されて
加においては、そのような要因により説明されな
いることが示される。このことは投資家が将来の
いことも確認される。こうした傾向は、近年の日
営業資産として企業が保有している現金を高く評
本企業の現金の増加が取引的動機以外の要因、つ
価していることを示している。
まり予備的動機か経営者の私的利益的な動機によ
しかし、地域別に見ると現金の価値に国際的な
ってもたらされていることを示唆している。
差異が見られ、米国企業、欧州企業に比べて日本
次いで、同論文は現金保有の動機に関する先行
企業が保有している現金の価値は小さくなってい
研究を概観した後、1980年度から2010年度まで
る。同論文ではこのような差異に対し株主ガバナ
の日本企業のパネルデータを用いた実証分析を行
ンスの格差が影響している可能性が指摘される。
う。分析の結果、日本企業の現金保有ではキャッ
次いで、同論文は企業属性が現金の価値に及ぼす
シュフローの不確実性への備えが重要な動機とな
影響を検証し、各地域とも収益性が高い企業ほど
っていることが明らかにされる。また、近年にお
保有現金の価値が高いことが明らかにされる。他
いては信用度が低い企業ほど現金を増加させる傾
方、設備投資の積極性が及ぼす影響に関しては米
向があることも示される。このように、品田・安
国では設備投資に積極的な企業ほど現金の価値が
藤論文では近年の日本企業による現金保有の増加
高くなるのに対し、日欧では必ずしもそのような
©日本証券アナリスト協会 2013
3
傾向が見られないこと、換言すれば設備投資が必
ウトが低くなっていることが示されている。その
ずしも成長や収益に結びつかず現金の資金使途に
一方、機関投資家比率が高い企業では、潤沢な現
対する投資家の信頼が低いことが示唆される。さ
金がペイアウトに向かいやすいことが確認され
らに、同論文ではリーマンショック後に各地域に
る。さらに同論文では、ペイアウトに積極的であ
おいて現金の価値が低下していることが示され、
った企業の現金の価値がそうでない企業よりも高
リーマンショックによる非対称情報の増大が現金
いことを発見している。この結果はペイアウト政
の価値低下につながった可能性を指摘する。
策に対する投資家の信頼感が現金の価値に影響し
他方、佐々木論文「企業の現金保有とペイアウ
うることを示唆しており興味深い。これらの結果
ト政策の関係―リーマンショック前後でのわが国
は、機関投資家によるモニタリングが企業のペイ
企業における変化―」では、幅広い日本企業のサ
アウト、現金保有を適正化させ、ひいては現金の
ンプルを対象に、ペイアウトや現金保有の増加が
価値を高めている可能性を示唆していよう。
企業価値に及ぼす影響について分析している。
このように、中井・神山論文と佐々木論文の対
佐々木論文は近年のペイアウトと現金保有の推移
比からは、ガバナンス構造が現金の価値に重要な
を整理した後に、ペイアウトの実施が投資家から
影響を及ぼすことが示唆されるが、経営者への規
高く評価されていることを実証的に示す。その一
律づけが効いている企業とそうでない企業とでは
方、現金1円の増加が1円未満の企業価値の増加
実際に現金の使途が異なっているのであろうか。
にしかつながっていないという分析結果が提示さ
中嶋論文「コーポレートガバナンスと企業の現金
れる。中井・神山論文の分析結果と照らし併せて
保有」では、株式の所有構造と現金の使用使途と
考えると、投資家は現金保有(水準)に対し、平
の関係について多面的な検討を行っている。有効
均的にはプラスの評価をしているものの、近年の
なコーポレート・ガバナンスにより経営者を規律
現金保有の増加分については評価していない可能
づけることができれば、企業が保有する現金は企
性が示唆される。また、佐々木論文では主要企業
業価値を高めるように使われると考えられるが、
以外の企業も含まれていることを踏まえると、投
そうでない場合には採算が低い投資に用いられる
資家は機関投資家によるモニタリングが有効な主
可能性もある。中嶋論文ではまず株式所有構造と
要企業の現金保有を評価する一方、それ以外の企
現金保有との関係について分析し、機関投資家所
業の現金保有を評価していない可能性もあろう。
有比率や役員所有比率が高い企業では超過キャッ
実際、佐々木論文の機関投資家による株式所有比
シュ比率(現金保有比率のうち、企業特性から推
率を考慮した分析では機関投資家持ち株比率が高
計される適正な現金保有比率を超過している部
い企業ではそうでない企業に比べ、現金増加の企
分)が高くなることを示す。換言すれば、ガバナ
業価値への影響が大きくなることが示されてい
ンスが比較的有効と思われる企業でむしろ現金保
る。こうした結果は現金の価値がガバナンス構造
有が過大になっている可能性が指摘される。この
により大きく異なってくることを示唆している。
ことは、既存のモデルで説明できない要因が企業
次いで、佐々木論文では現金保有がペイアウト
の現金保有に影響していることを示唆している可
に及ぼす影響を調べ、リーマンショック後は保有
能性もあるが、現金保有に関し、これらのガバナ
している現金が潤沢な企業ほど、その後のペイア
ンス変数の中で有効に作用していないものがある
4
証券アナリストジャーナル 2013. 6
ことを示唆している可能性もある。次いで、中嶋
も積極的にペイアウトする方がともすれば評価さ
論文では投資機会に乏しい企業において、役員持
れやすい風潮がある。しかし、本特集の各論文が
ち株比率が現金保有の効率性を低下させているこ
示唆するように、近年の日本企業の現金保有の増
とを発見する。さらには、役員持ち株比率が高く
加は予備的動機に基づくケースが多いと思われ
投資機会に乏しい企業で過剰な設備投資が行われ
る。事業会社はIR活動等を通じて現金保有の意義
ている一方、配当水準が低いことが実証的に示さ
を投資家に伝えていく必要があろうし、投資家も
れる。これらの分析結果は、現金保有に関しては
現金保有が価値を持ちやすい経営環境にあること
役員による株式所有というインセンティブが必ず
を踏まえて現金保有、ペイアウト政策を評価する
しも期待される効果を果たさないことを示唆して
ことが必要になってこよう。他方、本特集の幾つ
いる。中井・神山論文、佐々木論文の分析結果も
かの論文が示唆するように、保有現金が企業価値
踏まえると、
現金保有の効率性という観点からは、
につながるか否かは外部からのモニタリングが有
インセンティブよりも外部からのモニタリングが
効か否かに依存しうる。換言すれば、保有現金の
重要である可能性を示唆している。
価値は有望なプロジェクトや無駄なプロジェクト
以上のように、本特集の4本の論文は学術的貢
の実行可能性への影響を通じて額面以上にも額面
献のみならず数多くの実務的なインプリケーショ
以下にもなりうる。今後、潤沢な現金が有効活用
ンを含有している。4本の論文から得られる示唆
され、企業価値の向上につながっていくためには、
を筆者なりにまとめると、①21世紀に入ってか
機関投資家を中心に長期的な観点から適切なモニ
らの日本企業の現金保有の増加は、全体としては
タリングが行われるか否かがカギを握っている可
予備的動機という前向きな要因によりもたらされ
能性があろう。
ている可能性が高い、②日本企業が保有している
現金の価値は欧米企業に比べれば低いものの、額
面以上の価値を企業にもたらしている、③現金の
価値はガバナンス構造やペイアウト政策への信頼
感により変わってくる、④現金が効率的に使われ
るか否かは株主によるモニタリングが有効か否か
に依存する、ということになろう。
投資家行動の短期化が問題視される現在の株式
市場においては、多額の現金を保有し続けるより
©日本証券アナリスト協会 2013
〔参考文献〕
Bates, T. W., K. M. Kahle and R. M. Stulz[2009]
“Why
do US firms hold so much more cash than they used to?”
Journal of Finance 64, 1985-2021.
Brown, J. R. and B. C. Petersen[2011]
“Cash holdings
and R&D smoothing,”Journal of Corporate Finance
17, 694-709.
Lins, K. V., H. Servaes, P. Tufano[2010]
“What drives
corporate liquidity? An international survey of cash
holdings and lines of credit,”Journal of Financial
economics 98, 160-176.
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