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武生国際音楽祭 ∼世界から武生へ

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武生国際音楽祭 ∼世界から武生へ
Ⅲ.武生国際音楽祭 ∼世界から武生へ、武生から世界へ∼
Ⅲ.武生国際音楽祭 ∼世界から武生へ、武生から世界へ∼
田中
浩
(武生国際音楽祭推進会議 理事)
■「フィンランド音楽祭イン武生」の開催
武生国際音楽祭は、1990年6月に第1回目を「フィンランド音楽祭イン武生」として突然
始まった。最初は毎年の開催をめざしたものではなく、前年に代わったばかりの市長に民
間のグループから急に持ち込まれた音楽祭開催案で、市の財政的な支援の約束のもと、取
りあえず1回、演奏家滞在型の音楽祭を実施してみようと始めた。武生市文化センターを事
務局にして武生市関連の組織的代表委員と個人の有志で30名の実行委員会を組織し、国際
交流と音楽文化の振興をうたい文句にして企画を練り、フィンランドの音楽家とコンサー
ト中心の音楽祭を実行した。
問題は多くあったが、とにかく「思い切って、楽しく、自然体で」をモットーに計画を
練り、フィンランドに関する情報を集め、自然体の国際交流としてコンサート終了後のア
フターパーティを考え、音楽監督の舘野泉さんの協力による「フィンランドと音楽につい
て」のフィルム・レクチャーコンサートを行ったりしながらも、準備不足のまま音楽祭に
突入した。このフィンランド音楽祭にフィンランドの現代の音楽がかなりの比率で当たり
前のこととして入っていたことが、この後の武生の音楽祭にも影響を残していく。
■地域社会が支え続ける音楽祭
無謀と思えた音楽祭は好評裏に終えたが、2年目の音楽祭を続けるに当たっては、かなり
の反対意見もある中で、民間の個人参加の有志実行委員を中心に話し合い、継続して開催
することを決定した。その有志の呼びかけでさらに新たな実行委員を募り約50名の実行委
員会体制で2年目に臨んだ。
3年目からは音楽祭の名称を現在の「武生国際音楽祭」に変え、一年ごとに組織し音楽祭
が終われば解散する実行委員会でなく、武生国際音楽祭推進会議という年間を通して活動
し、実質的に財政的にも責任を持つ組織に改革し、10回を目標に音楽祭を継続することを
めざして再スタートした。
また、この年と次の年はフィンランド音楽祭との関係を持ちながらも、武生独自の企画
を多くして、ピアニストの高橋アキさんのアドヴァイスを得ながら、武生が直接参加アー
ティストを招聘することも始めた。この2年間は財政的理由にもよるが、現代音楽の分野の
演奏家やプログラムが増え、武満徹氏が参加するなど音楽祭の特色となると同時に、一般
的なクラシックファンや市民からは、聴きづらい、わかりづらいとして批判の声も多くな
り、聴衆も減少し音楽祭継続に危機感を持つようになる。
5年目から音楽監督として福井県出身の指揮者小松長生氏を迎えて、推進会議の理事会構
成も有力な経済界の方達にも加わってもらい組織としての社会的信用を増すと共に、音楽
祭の内容を市民が受け入れやすい方向に転換した。選抜による中高生のブラスバンドやオ
ーケストラと共演するフェスティバル合唱団の市民参加の形態と、キッズコンサートやア
ジアの音楽などの親しみやすい曲目を取り入れることによって聴衆の目減りに歯止めがか
かり、フォーラムやシンポジウムを開催し、市民の理解を広め、公的補助金や地元企業協
賛金の獲得にも力を入れ、音楽祭継続が安定化した。その中にあっても招待作曲家として
細川俊夫氏が参加するようになり、現代の音楽のプログラムも継続して取り込んでいった。
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小松長生音楽監督とは3年の任期と1年の延長期間をもって契約を終了した。その後はそ
れまでのつながりと細川俊夫氏をアドヴァイザーとして、武生独自のアーティストを招聘
し音楽祭を続けてきた。
10回目となった1999年の音楽祭の終了後に再び今後について協議した結果、さらに音楽
祭を継続してゆくこととなり、細川氏にアドヴァイザー兼招待作曲家としてさらなる協力
をお願いし、音楽祭のテーマを明確にし、方向性を将来に向けての展望を持てるような日
本であるべき姿の国際音楽祭に置き、様々な難関を乗り越えて13回目の音楽祭を2002年6月
に終えて、2003年からは細川氏が音楽監督に就任した。
また、武生国際音楽祭の将来のあるべき姿を模索する中で、細川氏の提案で2000年に3日
間の作曲セミナーを開催、その成果をふまえて2001年からは細川俊夫氏を音楽監督として
武生国際作曲ワークショップを音楽祭に併設して行いながら、国際音楽祭としての充実と
継続を確かなものにするよう努力している。
■事業推進上の課題・問題点
13年間続けてきた音楽祭であり、よそ目にはすでに定着したように思われるが、内情は
これまでも赤字になった年も多く、一年一年の音楽祭を乗り越えるために精一杯であった。
これからは先まで見通した展望と企画、それに伴う参加者のスケジュール確保などが必要
になる。そのためには財政的な安定が最も大きな課題であり、公的な補助金・助成金の安
定的確保、企業の協賛金や全国のメセナ財団などの助成獲得、入場料収入増加の可否が問
題点となる。
また、常にマンネリ化する危険性をはらむ推進会議の組織的な課題としては、次の時代
と音楽祭を担う若い会員の獲得による組織の増強が必要であり、さらに当初の有志会員の
疲労感と、その後入会した会員との間の意識のずれを克服し、リーダーの世代交代を可能
にする後継者養成が急務の課題となっている。
地元市民のさらなる支援と評価を獲得して、聴衆数の増加、合唱団のレベルアップを実
現し、細川俊夫氏との信頼関係の確立と連携強化のもとに、音楽祭のテーマ性とプログラ
ムへの一般市民の理解と賛同を広げる努力を続け、理想と現実の溝を乗り越えて音楽祭の
展望を確かなものにすることが課題となっている。
■地域社会における課題・問題点
新しい創造的な音楽こそが、感性豊かな新たな聴衆層の創出に可能性を残している。ク
ラシック音楽のみならず幅広く邦楽や雅楽、民族音楽も含めて、地域にも現代の音楽を聴
き続ける聴衆層を掘り起こしていけるかどうかが大きな課題となる。また、より広い範囲
の関西や中京方面さらに東京や全国から武生の音楽祭のプログラムに注目して、聴きに来
る音楽ファンを獲得することも課題である。そのためには開催時期の変更も視野に入れて
取り組む必要性を感じている。
さらに単にコンサートを聴くだけでなく、武生に一定期間滞在して、お昼は市内や近隣
の越前打ち刃物、越前陶芸や越前和紙漉きなどの見学、体験や観光で過ごし、夜はコンサ
ートを楽しむ音楽祭ツアーの実現に向けては、宿泊施設の条件整備や旅行代理店との提携
なども課題となってくる。
また、地元の理解と協力をより強くするために、武生市や地元企業などのやむを得ずお
金を出している現状から、音楽祭を将来のために地域社会が支える地域の文化芸術的運動
として捉え、積極支援と協力体制の方向に転換できるかどうかも大きな課題である。
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■今後の展望
細川俊夫氏と私たちの理想とする音楽祭の実現のためには、より困難な道を選ぶことに
なるが、武満徹氏が武生で言い残されたように、続けることを最優先にして推進会議の仲
間と地域の人たちと共に、世界に誇りうる国際音楽祭となるまで継続に熱意を持ち続けた
い。
音楽祭企画と作曲ワークショップ企画とのより明確なタイアップにより斬新なプログラ
ムを明確に打ちだし、音楽祭の特質をアピールすることで、武生国際音楽祭の認知度を高
める。音楽家が滞在するだけでなく全国から音楽ファンが期間中武生に滞在し地元市民と
共に、新しい音楽創造の時空を共有する。作曲家と演奏家と聴衆の三者が武生で出会い新
しい音楽創造の現場を体験する、他にはない刺激的なプログラムと音楽祭を続けて、日本
の文化・音楽状況に大きな風穴を空けたい。
音楽祭の安定と定着のためには、入場者を増やし入場料による収入割合を現在の4分の1
からせめて3分の1に、できれば2分の1に増やすことで、自己責任で得る収入の割合を増や
し、さらに音楽祭の質の向上を可能にし、音楽祭のメッセージと特質を打ち出していくた
めの力としたい。
■地域社会への貢献
武生は歴史的遺産や豊かな自然も多く残っているが、そこに新しい創造的な刺激と芸術
文化運動の足跡が加わることにより、新たな地域の魅力を創出する。どこでも行える音楽
祭でなく、武生独自の世界に誇りうる内容の音楽祭を続け、それを地域が支え、市民が参
加し大人の楽しみとして楽しむ。この人々の感性を豊かに育む芸術文化の祭典は、地域と
地域市民の感性を試し、磨き、豊かな文化的地域づくりに貢献する。豊かな地域は豊かな
人間性を育てる。この地域と市民の感性の磨きあいが循環すれば、そこに住む人たちにと
って誇りうる文化と地域社会が形成される。そうなれば地域への教育的効果(人材育成)、
文化的効果(芸術文化の振興)に加えて、経済的効果(地域経済の活性化)も続々と生ま
れてくると考える。
また、推進会議という民間の組織の音楽祭継続にかける熱意と努力は、地域のほかのグ
ループや団体にも影響を与えて、武生に元気をもたらす運動が活発化してきている。
■世界から武生へ、武生から世界へ
武生国際音楽祭と武生国際作曲ワークショップは、細川俊夫氏の世界的なつながりと日
本のこれからの音楽に向ける情熱に負っているところが大きい。この世界的評価も高く、
世界の音楽事情にも精通した細川俊夫氏の熱意と理念を具体的に日本で実験・実行する唯
一の場が武生の音楽祭と作曲ワークショップであり、すでに日本国内においても高い関心
と注目を集めている。
「ものから心へ」の転換が叫ばれて久しいが、日本人の生活と精神は狂ったままで、人
生や地域社会に成熟した芸術文化、精神文化を求める方向に向いていない。政治・行政の
世界も経済界も文化的にも自信をなくし、未来への確かな展望も、日本の将来像も描けて
いない。音楽においても良い耳を持った本当の意味での音楽の理解者・愛好者は数少なく、
現状はどこから見てもおかしい。これらの状況に一石を投じて、本来の音楽と音楽祭のあ
り方を提起し、糺すのが武生の音楽祭の活動である。
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Ⅲ.武生国際音楽祭 ∼世界から武生へ、武生から世界へ∼
武生国際音楽祭は今一度原点に立ち戻って、創造的な聴衆層が増えることを願い、クラ
シック音楽の流れを作曲家の視点で捉え、その芸術としての理解を深めるため、信頼でき
るアーティストたちによる、信頼できるプログラムを提供し続け、日本人の音への感性を
取り戻す音楽祭として、今後のわが国音楽界の展望を切り開きたい。
<世界から武生へ、武生から世界へ>のスローガンで始めた作曲ワークショップは、ま
さに日本の音楽界に創造の種を植え、若い芽に水を注ぐとともに、新しい世界の風を吹き
込み、熱い音楽創造の体験と研鑽の場所を提供するものである。世界から武生に集まる若
い有能な作曲家達が交流と交換を深め、演奏家と作曲家との共同作業による新作初演の練
習からコンサートまでを体験できる、日本における新しい試みである。この積み重ねは将
来の日本の音楽界を担う作曲家を世界に送り出し、日本の音楽界をより活性化し、新しい
聴衆層の発掘や開かれた感性を持つ大人の芸術文化の振興にも貢献するものと考えている。
■武生国際音楽祭の概要
開催期間
毎年6月上旬の8日間
開催場所
福井県武生市と周辺市町村
武生市文化センターをメイン会場として、その他周辺市町村会場、市内外の小中高校、寺社、レスト
ラン、病院、まちなかなどで約30∼40回のコンサートを中心に開催
音楽監督
細川俊夫
参加演奏家
招待海外演奏家・団体、招待国内演奏家・団体、地元合唱団など(オーケストラ、アンサンブル、ソ
リスト、作曲家、評論家)
近年の音楽祭テーマ
2001年「ブラームスとシェーンベルク」
2002年「ベートーヴェンとアルバン・ベルク」
2003年「モーツァルト、シューベルトとアントン・ヴェーベルン」
開催目的
参加アーティストが期間中、武生市に滞在し、メイン会場の武生市文化センターのコンサートを始
め、市内・外のいろんな会場・場所で幅広いプログラムのコンサートを開き、より多くの市民とのふ
れあいと交流の中から音楽に親しむ新しい聴衆層を発掘し、明確なテーマ性を持つプログラム提供に
よる独自の音楽祭のあり方を模索しながら、これからの音楽文化の創造と発展に資する。
市民組織の武生国際音楽祭推進会議が企画運営するフェスティバルであり、地域の魅力と活力を生み
だし、教育的効果、文化的効果、将来的には経済的効果をも視野に入れた音楽祭継続をめざしている。
作曲ワークショップ
細川俊夫氏を音楽監督として、2000年に3日間の作曲セミナーを開催、2001年から武生国際作曲ワ
ークショップを併設。
予算規模
約4,000万円前後
参加聴衆数
約1万人
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