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トッププレーヤーをどうつくるか?

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トッププレーヤーをどうつくるか?
トッププレーヤーをどうつくるか?
―コーチングからの視点―
竹内映二
はじめに
「日本から世界へ通用するプレーヤーを送り出したい」ほとんどのコーチがおそらく一
度は口にし、プレーヤーたちも幼少の頃に「世界に通用するプレーヤーになりたい」と思
っていたであろう。しかし、実際にそれを叶えたのはほんの一部の女子プレーヤーのみで、
全国で世界に通用している女子よりも競技人口の多い男子にいたっては、松岡修造以来、
誰も目標を達成していない。何が今もプレーヤーに不足しているのだろうか?どうすれば、
グランドスラムで活躍できるプレーヤーを輩出していけるのだろうか?我々コーチ、ひと
りひとりの役目とは?
今回はテニス界だけではなく、幅広いスポーツ全般から日本のコーチングとプレーヤー
を囲む環境にスポットをあて、日本独自にグランドスラムへトッププレーヤーを送り出す
「日本の戦略」というような大それたことを考えてみる。
子どもは子ども、外国の子どもも同じ子ども
もし、10 才以下の世界大会があるとしよう。はたして、常勝するような国が現れるだろ
うか?おそらく、日本を含む世界のどの国々の 10 才もさほど実力差がないはずだ。14 才以
下の世界大会になると(ワールドジュニア)
、少し日本と世界の実力さがつき始める。それ
は成績に現れているだけでなく、ワールドジュニア・ジュニアデ杯・ジュニアフェド杯代
表監督が実際に感じている部分で、体力、戦術力、テクニックの幅のなさに差があるとい
う。16 才以下の世界大会になると(ジュニアデ杯・フェド杯)、日本と世界の差は 14 才以
下のときより少し大きくなる。監督は、体力、戦術力、決断力、想像力に差があるとコメ
ントしている。子どもはどこの世界にいても変わらず子どものはずだが、10 才から数年間
で差が開いてくるにはさまざまな問題が影響して、日本のジュニアと海外のトップジュニ
アとのテニスの実力差に影を落としているのではないか。少しに見える日本と海外のジュ
ニアの差は、クライマックスステージ(完成期)をむかえると大きな開きへと変わってし
まう。もちろん、クライマックスステージ(完成期)での強化をクラブレベルはおろか国
家レベルでも行えていないので差は大きく広がる一方であるのは短期的に強化を見ると事
実である。しかし上述したように、発育発達のもっとも大事なジュニア期に備わるべき能
力が開発されずにいるとしたら、それは我々の時代になんとか環境を改善したりしながら
総合力でコーチングを向上させ、
「男子は無理だ」と男子テニス界全体が失望感に包まれる
前に、若者たちに手ごたえを感じさせてやりたい、そんなコーチングとは?を考えていき
たい。
ここで、我々テニス関係者以外の方々は、どんな考え方をしているのか、また彼らにス
ポーツはどう映っているのであろう。現代スポーツ評論から少しご紹介しよう。
現代スポーツ評論 2005 年 第 12 号の中で、勝田隆氏は以下のように述べている。
アスリートは最初から一人では歩けない
「世界のどのチャンピオンもはじめはただの赤ん坊(体操元ロサンゼルスオリンピック
監督:安部和雄)
」という言葉どおり、橋本聖子さんもイアン・ソープも、最初から自分の
1
中に優秀なコーチを持った自立したアスリートではなかったはずだ。橋本さんは、自分自
身の若いころを振り返り「練習に対する考えや姿勢において、“やらされている”時代もあ
ったけど、今はまったくない」と述べている。(テレビ朝日番組インタビュー)
私は、すべての人間が最初から一人で立ち、歩けないように、国際舞台で活躍するトッ
プアスリートも皆、最初から自分自身の可能性を知り、自らの課題を克服するために、何
をするべきか、自主的かつ積極的に取り組む方法を知っていたわけではなく、彼らのその
高い能力が後天的に獲得(開花)されたものであるとする見方をしている。特に、子ども
のころは、誰かに導かれてスポーツに親しみ、誰かに教えられて向上し、その結果、スポ
ーツと関わっていく楽しさや価値を徐々に見出して行くものと考えている。
「子どもたちに
とって幸せなことは、優秀な指導者と出会うことである」という言葉もあるように、自立
するためには、第三者の支援が必要不可欠なのである。
その中でも、種を蒔き、その芽を育てる時期は、
「ゴールデンエイジ」
(1)あるいは「即
座の習得期」(2)と呼ばれるように、運動学的にみてもアスリートの将来に大きな影響を与
える重要な時期である。この時期に展開されるコーチングには、スポーツを継続させるた
めに必要な勝つことの喜びや「できないこと」が「できるよになる」喜びなどを体験させ、
併せて、フェアープレーの重要性やスポーツマンとしての行動模範の基礎を教えることも
求められる。
この時期のコーチングは極めて重要であり、上記のような目的を達成しようとするなら
ば、スポーツに対する幅広い知識のみならず豊かな人間性に裏打ちされた高い専門性が必
要になる。
[注釈]
(1)「ゴールデンエイジ」
:日本サッカー協会は、8/9 歳から 12/13 歳ころを「ゴールデン
エイジ」と呼び、一生のうちに二度と現れないスキル習得の重要な時期と位置づけ、サッ
カーに必要なあらゆる技術を身に付ける取り組みを行っている。
(2)「即座の習得期」
:ドイツの運動学者マイネルは、特定スポーツの技能の習得を開始す
るのに適した時期は、9 歳~12 歳ころであるとし、この時期の子供は、新しい運動を何度
か見ただけで、すばやくその運動を大雑把なかたちながらこなし、かつ多様な条件に対し
てもうまく適応させる能力を発揮すると述べている。マイネルは、この運動の最適学習時
期を「即座の習得期」と呼んでいる。
また、勝田氏は「真のコーチングを語る時代」の中で、以下のように述べている。
真のコーチングを語る時代
(前文省略)1979 年に筑波大学に客員教授として招かれたジム・グリーンウッドは、
「コー
チングの介入が最小限しかない反復練習に日本の平均的なコーチが依存している」と述べ、
日本の指導者の特徴的な課題について言及している。反復練習が日々ルーティンワークの
ごとく行われるのは、
「反復的練習は一度確立されると、コーチの側には非常に少ないエネ
ルギーしか求められない」
、「思考を排除してそれを極めて素早い反応動作で置き換えたい
という願望がある」など指導する側の姿勢に起因するとし、このことは「これは個人技術
のレベルでは適切であるが、集団プレーではうまく機能しなくなる」、「柔軟性の乏しいパ
ターン化を導く」といったマイナスの指導効果を生む可能性を指摘している。
2
「権威主義」
「経験主義」
「精神主義」
「勝利至上主義」
「強制・命令型」
「意図のない強豪
の模倣」
「意味のない伝統の踏襲」
、そして「体罰」や「しごき」
「セクシャルハラスメント」
など、日本の旧態依然とした指導方法から生み出された負の遺産を表現したものである。
(以下省略)
日本の戦略
以上の他に、サッカー協会の強化からもお知恵を拝借し、テニスの育成における「日本の
戦略」のコンセプトを次のように示してみた。
1.
「テニスの戦略」を立てる、世界をスタンダードとした一貫指導と強化策
2.
「個」を育てる、人間力の向上
3.発育発達に合わせた、完成期にいかに大きく成長させるか、身近な勝利にこだわらない
将来を見据えた指導
4.世界を意識するコーチング、指導に対するベクトルを共有する
5.環境を改善することによる総合力の向上
私の現場デ杯戦では、もちろん今現在世界の中で戦っていくために、克服しなければな
らない課題があるが、それには短期・中期的な取り組みで解決するもの、長期的な取り組
みをしていかなければ解決しないものがある。上記したコンセプトは、基本的に長期的な
課題に対しての戦略である。我々デ杯の代表となるトッププレーヤーは、次世代の子ども
たちにとって強い憧れの対象となるプレーヤー(ロールモデル)であってほしい。ロール
モデルとなる世界に通じるトッププレーヤーは、以下のような条件を備えている。
自立している。判断力がある。アドバイスを受け入れる姿勢。積極的。過程を楽しむ。
努力を惜しまない。すべて習慣づけしている。
20 年前の我々のコーチングは、ゴールデンエイジを過ぎたころから携わったり、素質の
あるプレーヤーがクラブに入会してくるまで待ち続けるだけのようなものであった。この
ままでもよいと考えるコーチもいるかもしれないが、現在のテニスクラブでは、子どもた
ちが 3/4 才からテニスをスタートしている(ゴールデンエイジ、即座の習得期をテニスクラ
ブで過ごしている)
、そしてプレー人口が世界 3 位、国内でのジュニア期の技術習得レベル
は我々のジュニア期からは想像も出来ないくらい高い技術到達度などの状況下にも関わら
ず、ここ数十年で 100 位以内に入った男子プレーヤーは松岡たったひとりである。これで
は我々コーチが「何をやっているんだ」と言われてもしょうがない状況ではないであろう
か。
さてここで、少し古い資料を読み、私の父を通して見た、我々日本の指導の現状などを
振り返ってみる。
日本のテニス(昭和 54 年 1 月 1 日
京都医報にて)
竹内醸治
テニス界では、現在日本のトップクラスは全く世界に通用しない状態である。10 年ばか
り前の話であるが、デ杯戦では毎年インドのクリシュナンに、日本の代表選手が手もなく
ひねられたのをテレビで観戦したものである。
その頃から、私はテニスのとりこになって、まずテニスの技術の解説書の研究と、少年
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選手の育成に全力をつぎこみ、今年でほぼ 10 年になろうとしている。欧米のテニス専門書
を数十冊しらべるうちに、気がついたのは、日本にはテニス書がないということであった。
あるのはただ入門書が十数冊あるだけで、中級のレベルを解説する本すらもない状態であ
る。これでは一番大切な少年の教育をするのに困る。それよりもまず第一に、指導者の全
国的なレベルアップが困難となる。事実、全国の中学校や高校でまともなコーチがいると
ころは、指折り数えるほどしかない。それ以外は、あまりテニスの知識のない教師や先輩
の指導で練習している。ひどいところでは、生徒自身の努力だけでテニスに強くなろうと
している。それでも猛練習のおかげで、毎年何人かの有望な新人が生まれている。しかし
残念なことに、これら新人の基本的な技術は非常に悪い。頭脳、体力、運動神経などは十
分世界の少年と対等の素質を持っているのに、大切な基本技が欠けているということは、
将来成人してからのテニスに、致命的なハンディを背負っていることになる。
例をピアニストにとってみれば、一目瞭然であろう。ピアノのレッスンを中学や高校か
ら始めておっては、世界的なピアニストになるのは絶望的である。ましてピアノをあまり
知らない教師や先輩に習えば、どんなことになるか、誰にでも理解できることである。こ
れが現在までの日本のテニスの弱点である。
根性やスパルタ訓練が皆に好かれ、しごきを受ける少年少女達も、それを当然と考えて
いる。しかし大切なテニスの各種ストロークの科学的な分析や理解は、あまりにもおろそ
かにされ過ぎている。猛訓練だけでどうして上手なプレーヤーになれるというのか、全く
不思議な現象である。最近テニスの大会で、負けた学生が数人、先輩に取り囲まれコート
サイドに土下座してしかられているのをよく見かける。また高校の指導者(教師)が、下
手なプレーをした女子選手にビンタをくらわせている光景も、再三見かける。受ける少女
達も、泣きながら心で喜んでいるのでないか、とかんぐりたくなる。
私は選手育成に際して、ほとんど叱らないことにしている。面白くて面白くてしょうが
ないようにしむけることが、私の最大の仕事だと考えている。ストロークの理論とか戦術
については、くどいほど反復し、寺の小僧がお経を覚えるように頭に叩きこむことにして
いる。私のテニス教室で育った少年達は、伸びのびしすぎて行儀が悪い、とクレームがつ
くほどである。しかし少年期に高度の基本を身につけるという方針は、今や着実に実りつ
つあり、戦績もこれを証明しているようである。
テニスの基本の高低と強さの関連性は、図の樹を見ていただくと理解しやすいと思う。
P のように低い基本で育ったプレーヤーは、訓練すれば A の一番頂上までは行ける。し
かしそこから上に登ることはできない。これが、町のクラブで強いといわれる人々のレベ
ルで、悪ずれしたプレーヤーである。Q の基本(相当高いレベル)で育ったプレーヤーは B
の一番頂上までは行けるが、そこからはどんなに頑張っても上には登れない。これが日本
のトップ選手と考えてよい。これを海外に派遣していくら猛練習しても、C クラスに到達す
ることはない。R という高いレベルの基本を身につけた選手は、素質があり猛訓練を受けれ
ば C の世界のトップクラスに到達する可能性がある。今 B のトップにいる選手が C に登る
には、悪い技術を捨てて Q までさがり、再び R まで基本を身につけてから、十分な訓練を
受ける必要がある。しかし Q から B のトップに達するのに 5 年かかったとすると、悪い技
術を捨てるのに 2 年半ばかりかかるのではないかと考えられる。それから R まで基本を習
い、さらにもう訓練をするとなると時間が足りない。私の教室で育った有望な少年達は、
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現在 R に近い所まで達している。彼らに良い対戦相手をあてがってやれば、世界のトップ
クラスに到達することは夢ではないと考えている。
最後に日本のスポーツ界の指導者は学ぶ心が足りないと思う。技術は日進月歩で進歩し
ている。ちょっとの油断でも世界にとり残されてしまう。テニスでも清水、熊谷が強かっ
たと思いあがったのがいけなかったようである。水泳はその代表的な例で、泳法は刻々改
良されつつあるのに、指導者は昔の栄光に溺れすぎていたと思う。知らぬうち、日本男子
が外国の女子にも劣るということになってしまった。野球も同様で、小さな球場でホーム
ラン王だとか日米決戦をやろうなんてさわいでいるうちに、どんどん差が開くのでないか
と心配である。さき頃日本に来た、シンシナティ・レッズの名キャッチー、ベンチは、日
本では外交辞令ばかりいっていたが、アメリカに帰ってこういっている。
「日本の野球は 10
年おくれている」
。監督のアンダーソンは「ベンチやフォスターならホームランを 60~65
本、いや 70 本打つのでないか」といっている。とにかく指導者は、世界の情報を集め、世
界に学ぶ努力がもっともっと必要だと考える。
個人的な資料で申し訳ないが、この資料により私はいつも励まされている。父は文章の中
で、情報・コーチングが向上できるように教育する書籍がいる(現在は腐るほど手に入る
が、より科学的な分析が急がれる)
、子どもたちには資質がある(基本的に子どもと接する
ときはそう考えるべきである。また現在もそうであるが、精神的資質や全体的な運動能力
は年々低下してきている。幼年期から指導者が変わっている場合は、その時期に開発され
るべきだ)
、子どもへの接し方・指導方法に問題がある(かなり改善されつつあるが、まだ
勝田氏のしてきした負の遺産を引きずっている指導者を見かける)
、発育発達に合わせて技
術的に忘れ物がないように指導する(理解されてから随分時代は流れたが、まだまだ徹底
されるべきだろう)
、そして指導者の姿勢(父が想像したよりも早いスピードで世界のテニ
スは進歩している)と書き残している。また、ことあるごとに、コーチとして以下のよう
な心がけが必要であることを、父は私に言い残している。
・ 子どもの心に火をつけること
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・ 子どもの力・能力を信じること
・ 世界の情報を入手していること
・ 学ぶことを忘れないこと
・ 自分の仕事に誇りを持ち、全身全霊を傾けること
・ 自分だけではだめ、環境全体のボトムアップを考えていること
・ 日本を背負っているぐらいの気持ちでやること(まさかデ杯監督になるとは…)
・ 他のクラブとお互いに尊敬し合える良い関係を築きあげること
・ 発育発達に合わせて指導すること
・ 小さいときの勝ちにこだわらないこと
・ 生徒を自分の子どもと思うこと
・ 14 才までにすべてのテクニックを習得させること
・ テニスを誰よりも愛すること
・ 子どもに答えを教えすぎないこと・我慢強く(話したがり屋の自分に反省…)
父が想像もしていなかったことがいくつかある。ひとつは、こんなにテニスの技術的進歩
がすさまじいとは思っていなかったであろう。またもうひとつ、幼年期の運動経験の浅さ
による、運動神経の悪さ、柔軟性のなさ、肩の弱さなど、現在の子どもたちの体力低下が
テニスにも影を落としている。最後に、我々が最も日本人として誇れる勤勉さが失われつ
つあるのは残念なことである。しかしながら、子どもたちには何の責任もないわけで、子
どもたちに身近に接している我々が、テニスという愛すべきスポーツを通じて、子どもた
ちメッセージを送り続けなければならない。
またまた、やる気が沸いてきたところで、先日、本屋で見つけた「子どものやる気」ドン・
ディンンクマイヤー/ルドルフ・ドレイカース著
柳平彬訳という本の中の一部を紹介した
い。
小学校前期の子どもに対する指導
小学校前期の子どもたちは、学校での生活や勉強についての自分の考えを、盛んに作り
上げている最中である。この段階でやる気を起こさせることは特に重要です。というのは、
生き方をゆがめる誤った考えを直すには、できるだけ早いうちにやる気を起こさせた方が
効果が大きいからだ。学校での生活や勉強にかかわることについての解釈力や判断力は、
大体においてこの時期に発達する。
小学校前期のこどもは、やる気をくじかれると、すぐ劣等感や無力感を抱くようになる。
勉強が進み、友達ができるのは、子どもが自分に自身を持っている場合です。
小学校後期の子どもに対する指導
小学校後期に分類される子どもたちは、一般に成長のテンポが早い年ごろである。これ
は前思春期といわれるもので、自分のことは自分で決めたいという欲求が高まってくる年
ごろである。
この段階の子どもを受け持つ先生は、望ましい行動や人間性の発達を促すのに、やる気を
起こさせることが、非常に有効であることが分かるはずである。やる気を起こさせること
で、学習態度をよくすることもできる。
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中学生の指導の仕方
中学生は、扱いが難しいばかりでなく、その行動を理解するのも容易なことではない。
いやに静かにしていると思えば、急に反抗的になったりするので、大人はほとほと当惑さ
せられる。中学生ともなれば子どもとも言えないし、かといって、われわれと同じ大人と
も認めがたく、全く中途半端な存在である。
この年ごろでは、同年配の仲間からの要求と、大人からの要求とが衝突し、それがます
ます激しくなるばかりで、その間の釣り合いがなかなかうまくとれない。中学生ともなる
と、グループとのつながりを持つということが、以前よりはるかに重大な関心事になって
くる。グループとのつながりを大切にしようとする気持ちと、親の子どもに対する希望と
が衝突して、それがますます激しくなるので、親に背を向けようとさえするようになる。
この時期の少年は、大人が想像する以上に独立することにあこがれており、自分が独立
する必要性を極端に強調することがよくある。また、今までに見られないほど真剣に、家
庭内の相談ごとに、口を出したがったりもする。
この時期はまた、同性の仲間の役割が大へんに重視される。男の子たちは、少年として
期待に応えられる行動をすることで、頭がいっぱいだし、女の子たちは、お互いに認めて
もらおうとひたすら努力する。
そして、自分自身と同じくらい大切な友人、あるいは自分が一目おくような友人が見つ
かったとき、彼らは少年期を終え青年になる。
子どもの技能を伸ばすにはどうすればよいか
子どもの技能的な面を上達させるためには、まず、やる気を起こさせる手順をきちんと踏
んで行う必要がある。次に、作業がやりやすく能率が上がるような環境を作ってやらねば
ならない。
ここで言う技能とは、日常における身体の動かし方ではなく、運動能力、楽器演奏能力、
タイプライターの打ち方、国語の慣用語の使い方、さまざまなゲームのやり方などをさし
えいる。つまり、さまざまな手順が複雑にからみ合ったものを、うまく操作するのに必要
な技能のことである。
やる気を起こさせるということは、子どもの成長に欠くことのできないものだ。子ども
というものは、
「こういう人になるように」というように、お手本を示して勇気づけられる
と、その手本通りに成長していくものである。
子どもが社会的環境の中で、正しく成長できるように指導してやることがいかに大切で
あるかということに、先生方は是非とも気づいてほしいと思う。
子どもを心から信頼し、子どもの能力に確信をもち、それを子どもに伝えれば、子ども
はやる気を起こし全力を尽くしてがんばる。そして、自分にはこんな能力があったのかと
自分を見出すようになる。そこで、さらにもう一歩進めて、子どもに対するこの信頼と確
信を、子どもに分かりやすい形に直して伝えるという、先生としての能力が必要になる。
子どもは、ものごとをそれほど上手にできないかもしれないが、その努力を上手にほめ
てやりさえすれば、自分の能力に自信をもち成長していく。この「上手にほめてやる」こ
と、これこそ先生にとって正に必要な能力といえる。
やる気を起こさせる基本原則
1. 子どもを心から評価してあげること
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2. 子どもに信頼感を示すこと
3. 子どもが自信をもてるように勇気づけること
4. 子どもの努力を認めてあげること
5. 子どもの仲間を活用して改善を図ること
6. 子どもが自分を改善するときの速度に合わせてあげること
7. 子どもの長所、能力、興味あるものに焦点をあて、指導すること
物理学が示すテニス
サーブ
ペンシルバニア大学 ハワード・ブロディ博士
筋電図検査により測定した長身のプレーヤーの誰一人として、ボールを打ち下ろすように
筋肉を使っていなかった。
身長 170cm の人がラケットを振り上げると、およそ地面から 240cm の高さに達するとい
う。ここでサーブとしてはかなり速い、時速 160km のフラットサーブを打ったとしたらど
うなるだろうか。ボールを打つ瞬間に、ラケットの角度が垂直から 5 度傾いていたら、そ
のボールは長すぎてサービスコートには入らない。もし角度が 5.5 度であれば、サービスコ
ート内に収まる。しかし、6 度になると、ネットに引っかかり、相手コートには届かない。
時速 160km のサーブを打とうとするプレーヤーは、わずか 0.5 度の角度の中でプレーしな
くてはならないのである。もし身長が 2m5cmもあったら、もう少しサーブを打つ角度に
余裕ができるかもしれないが、それでも大差はないのである。
深く打つこと
浅くしか打てなかった場合は、ボールをベースライン付近までコントロールできた場合と
比較すると、ベースラインまで到達するのに 0.1 秒余分に時間がかかってしまう。もし相手
が、深いボールに対して後ろに下がらなければ、バウンドした後にボールを打つ時間がよ
り少なくなってしまう。多くの場合、脳が必要な筋肉を動かす命令を出して、ストローク
の動作を開始するのに、0.2 秒かかってしまう。このことから、0.1 秒の違いがプレーヤー
にとって以下に大切か分かる。ボールを速く打つことや浅いボールに対してライジングで
さばく、ネットを取る、走らせるなどはすべて相手の反応時間を少しでも奪う行為である。
相手がやむをえずベースライン後方へ下がると、こちらには次のボールに備える十分な時
間がもらえる。しかしながら、ベースライン後方でトップスピンなどやスローボールをう
まく使うプレーヤーと対戦すると、攻めるには時間が逆にありすぎてやりづらいこともあ
る。
ベースラインから打ち出せるボールの角度(左右)
シングルスコートの場合は横 8m22cm、縦 23m77cm である。ダブルスの場合両脇に 1.3m
ずつつけ加えられて、その結果横 11m となる。相手コートのシングルスのサイドラインと
ベースラインが交わった一端から、対角線のコーナーまでの角度は、わずか 19.1 度しかな
い。ダブルスの場合はその角度は 24.2 度に広がる。しかしそれでもそんなに大きな角度に
8
はならないのが分かる。こういう視点から考え直してみると、テニスコートはそんなに広
いものでないことが理解できる。30 度の角度でボールを打つことはやさしい。しかし、そ
れでは約 5 度分、ボールはコートから外れてしまうことになる。
速くスウィングできるということ
ありあまるパワーを発揮できるように改良された最新のラケットを使用すれば、以前に比
べボールを強打することははるかに楽になっていると同時に、コートをはるかに超えて飛
んでいくボールを打つこともたやすくなった。特に軽量化が進んだラケットを使用すれば、
誰でもはるかに素早くスウィングできる。それはプレーヤーにとってはとても気持ちの良
いことかもいしれなが、物理的に見れば、ミスショットを打つ確立が確実に上昇している
のである。新しいラケットを使ってプレーする際には、以前に比べいっそう注意深くボー
ルを打たなければならないし、そのために正しいストロークを見につけなければならない。
トップスピンをかける
プレーヤーがボールを打つ瞬間に起こっている出来事を、普通の人は肉眼で追いきれてい
ない。高速度カメラに収め、1 コマずつに分解して再現してみると、ボールを打つ瞬間、ラ
ケットは地面に対して垂直になったまま、ラケットが下から上に動いていた。腕は、ボー
ルとともに狙った方向を目がけて押し出されている。そして、ラケットにボールが接触し
てからずっと後になって、初めて前腕を巻き込むような動作をしていたのである。多くの
プレーヤーは前腕を巻き込む動作が、ボールを打つと同時に起こっていると信じていた。
実際には、ボールと接触する瞬間には、ラケット面は地面と垂直で、消してボールの周り
を巻き込むような動きをしていない。
また、実際には打つ前に打球方向に向かって左肩の肩甲骨が見えるくらいに上体が大きく
ひねりこまれている動作には注目せずに、打球時に両肩が開いているという事実だけを強
調した結果、前を向いたまま手でこねくり回してスウィングしているジュニアを多く見か
ける。
オープンスタンスもそうだ。ひねりこむスウィングにはオープンスタンスは最適のスタン
スだが、多くにジュニアプレーヤーたちは最適な場所へフットワークをサボるためにオー
プンスタンスを利用している。
ベースラインラリーでのボールの軌道
フラットプレーヤーの深いボールは、ネットの上の約 90cm~1.8m を通過し、トップスピ
ンをかけるプレーヤーのボールは、1.8m~3m のところを通過する。
ベースラインから 90cm 下がったところから、およそ腰の高さに相当する地上から 90cm の
高さから、ボールを毎秒 5 回転の緩いトップスピンで、18 度の角度で打ち出したとしよう。
ボールの速さは、平均的なクラブプレーヤーが打っている時速 80km である。ボールはネ
ットの中央に地上 2.9m のところ、ネットは 90cm の高さがあるので、その約 2m 上を通過
する。このボールは最終的に、長さ 23.7m のコートを 22.8m 飛んで着地する。
ハワード・ブロディー博士(物理学者)
相手がネットにつめているときは別として、ネットすれすれに飛んで戻ってきたボールは、
9
相手にとっては打ち返しやすくなることが多い。物理の法則によって、ネットすれすれを
飛ぶボールの運命は決定されている。すなわち、浅いところに落ちて相手にとっては打ち
返しやすいボールとなるか、あるいはネットにつめるのに絶好のアプローチショットとな
るからである。
仮に海抜 0m で、ネットから 12m 離れたベースライン上でプレーしていたとする。ここか
らネット上 15cm を通過するボールを打つとする。このボールがネットを越えて相手のベー
スラインの近くまで届くためには、
物理学者や技術者の計算によると、
時速 265km~340km
という新幹線を超える速さで打ち出さなければならない。ステフィー・グラフの強烈なフ
ォアハンドでさえ、時速 130km を少し下回る速度にときどき達する程度である。
もし、海抜 0m の高さで、B 級プレーヤーのフォアハンドの速度である時速 72km で、緩
やかにトップスピンのかかったボールを打ったとして、そのボールが 23.7m あるコートに
端から端まで飛んでいくためには、ネットの上約 1.8m の高さを通過するように打たなくて
はならない。
インパクトの瞬間
ボールはガットとわずか 4~6/1000 秒しか接していない。ボールがラケットの乗っている
瞬間を見ることは、ほとんど絶望的である。この事実を知ってある意味でショックを受け
ることは承知している。なぜなら、レッスンを受け始めた最初の日から、
「ボールがガット
に当たる瞬間をしっかり見なさい」と教えられてきたに違いないからである。
そうすることは、頭を低い位置にとどめておくためには意味がある。しかし、本当のとこ
ろは、ただ一人として、ボールがガットに当たる瞬間を見たプレーヤーなどいないのであ
る。
参考資料:メンタルテニス
ヴィック・ブレイデン/ロバート・ウール著 竹重一彦訳
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