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野田茂恵 美から醜へ―アルベルト・サヴィーニオの芸術論
美から醜へ──アルベルト・サヴィーニオの芸術論 美から醜へ──アルベルト・サヴィーニオの芸術論 1 野田 茂恵 1. 序 芸術作品を鑑賞するときに作品の価値を判断する際には、おのおのが美しさの尺度を持って対象 を眺めている。美しさの尺度は、時代や文化背景によって大きく異なってくるものだが、ギリシャ・ ローマ時代を経て長い間プラトン主義やキリスト教の息がかかっていた西洋の芸術においては、あ る一定の美に関する規範があったことは否定できない。そして、その規範は現在でもさほど変わっ ていないのではないだろうか。だが、いつの時代にも、伝統から逸脱しようという新しい動きがあ る。19 世紀のパリの美術界は、芸術の中心地ゆえに根深い伝統という美の規範が長い間効力を持っ ており、その分反動は非常に大きかった。ダヴィッド、アングルに代表される新古典主義絵画が主 流だったパリのサロンにおいて、1824 年出品されたドラクロワの『キオス島の虐殺』は、その鮮 烈な色彩表現とダイナミックな表現によってロマン派という新たな美の規範の台頭をほのめかす作 品であり、1865 年マネが出品した『オランピア』はそれまでタブーとされてきた娼婦を題材にし たことからサロンで物議を巻き起こし、キャンバスを解剖するという絵画理論の発想を大きく変え たセザンヌは印象派から離れ抽象画を確立する基盤をつくった。一方芸術の中心地から離れた周辺 の国々は、中央より保守的ではない分、新たな世紀の幕開けとともに前衛的な側面がより如実に作 品に反映され、運動、あるいは速さという進歩的思想を含んだ芸術表現が時代の気分と政治的気運 とに重なった。 (ここではロシア革命とロシア前衛画家たち、あるいはファシズムと未来派という 政治体制と芸術運動の構図が思い浮かぶ。 ) 19 世紀におけるもう一つの芸術の中心地はミュンヘンであった。1906 年、父親の死後、兄のジョ ルジョ(1888-1978)とともにアンドレーア・デ・キリコ(1891-1952)は母国ギリシャを離れ一時 イタリアを訪れた後、芸術の中心地で息子たちを教育させたい母親の意向から一家でミュンヘンに 移住する。ドイツ哲学、とりわけショーペンハウアー、ニーチェ、ヴォリンガーの芸術理念に触れ たデ・キリコ兄弟は、一方は絵画に、他方は音楽の道に進んだ。1910 年アンドレーアは芸術の都 パリに活動拠点を移し、バレエ音楽の作曲家として活動を開始する。この頃、アンドレーアは音楽 雑誌などでペンネームを用い、公の場ではアルベルト・サヴィーニオとして活動を始める。画家と して注目を集めはじめた兄との差別化を図ったこともあるが、アポリネールのようにこの時代はペ ンネームを用いるのは珍しいことではなかった。 デ・キリコ兄弟が提唱した新しい芸術と理念の開拓は、大海原へと船を進める航海者に喩えるこ とができる。この船が目指す先には、終わりのない謎に満ちた世界が広がっている。二人の乗組員 を引き寄せるエニグマは現実という日常の中に潜んでいる。デ・キリコとサヴィーニオが目指した 1 本研究は、独立行政法人日本学術振興会「組織的若手研究者等海外派遣プログラム」による支援を得て作成された。 215 野田 茂恵 新しい芸術は途中で航路を分かつが、出発した港は同じである 。ジョルジョもまた 1915 年にイ 2 タリアから召集令状が届くまでのパリ時代は、サヴィーニオと同様アポリネールの芸術的感性を制 作の拠り所とし、自身の作品を「形而上派絵画 pittura metafisica」あるいは「魔術的レアリズム realismo magico」と呼んでいる(Savinio 1988: 15)。このようにこの時期には二人の表現活動には同じ 方向性が認められ、双子神ディオスクロイのように互いを補い合って新しい創造を目指す様子が伺 える。デ・キリコは造形芸術を、サヴィーニオは音楽と詩を。ストラヴィンスキーの革新的な音楽 を体験し、自らもバレエ音楽の作曲、脚本を手掛け、アポリネールからは音楽家として高い評価を 受ける。芸術の枠に囚われることなく多方面で活躍し、またキュビズムのマニフェスト提起者でも あったアポリネールは、画家として、また多国籍者として、そして様々な分野を巧みに自らの芸術 表現に取り入れるアマチュア主義者としてのサヴィーニオが信頼を寄せた存在である。ミュンヘン ではヴォリンガーの幾何学に哲学を見出す芸術絵画論やショーペンハウアーの芸術理論に触れ、パ リではセザンヌを筆頭に、キュビズム、フォーヴィズムなどに分派していった抽象画の動きを身近 に体験した。 二つの芸術の都で新しい芸術理念を兄とともに吸収したサヴィーニオは、その明晰な観察眼に よって当時の芸術運動が様変わりする様子を正確に把握し、伝統的な美の規範が新たな美の規範へ と転換を迎えたことを察知していた。サヴィーニオはまた、ショーペンハウアーが目指した芸術家 としての在り方を実践することが新たな芸術家の使命であると自負していた。だからこそ、自らも 新たな美の規範を開拓するべくジョルジョとともに形而上派絵画の理論を構築し、独自の表現を世 タレスやヘラクレイトスといったソクラテス以前のギリシャ に提起してきた。サヴィーニオの場合、 哲学者や国境を越えた旅行を愛したスタンダールを念頭に置いた「アマチュア主義者」としての生 き方を目標とし、芸術分野における形式の慣習化を避けるため 、音楽、文学、絵画へと軽やかに 3 表現形態を変えていく。したがって形而上派絵画の理念は音楽、文学にもあてはまる理念であり、 音楽、絵画、小説と表現の形態は様々だが根本的な理念は同じ創造の基盤を土台としている。本稿 ではサヴィーニオの芸術理論の土台となるデ・キリコとともに提唱した形而上派絵画の理念を整理 し、サヴィーニオが見つめた 19 世紀末から 20 世紀前半に起きた美的価値の転倒と新しい美の規範 についてサヴィーニオの視点を通して分析を試みた。 2. 形而上学 2.1. 物理世界の向こう側 なぜデ・キリコ兄弟はかれらが発起した「形而上派絵画 pittura metafisica」と呼ばれる新しい絵画 理論を「形而上学 metafisica」という語彙と結びつけたのか。形而上学の語源はギリシャ語で meta physikà、すなわち「physikà 自然」の「meta 後」を意味するが 、サヴィーニオは形而上学を「physikà 4 サヴィーニオは当時のデ・キリコとの関係について「二人を分かつものはまだ何もなかったし、同じ理念を持っていた。」 と述べている。Cfr. Savinio(1988: 15) 3 絵画とその他の芸術表現についてサヴィーニオは以下のように述べている。「様々な芸術を試してみることは素晴らし いことだが、一つの芸術の形式に囚われて感覚が鈍らないためには、〈二番目〉の芸術に手を伸ばしたらいい。」Cfr. Savinio(2011: 12-13) 4 「physikà 自然」とは、アリストテレスが残した自然科学に関する書物であり、メタ・フィジカとはこの書物の「後に」 書かれた著作集を指すが、この書物は自然の根源や基礎に関する、まさに自然の背後にあるものを探る書物であった。 2 216 美から醜へ──アルベルト・サヴィーニオの芸術論 実体」の「meta 向こう側」の探究と位置付けている。かれらの新しい芸術理論を「形而上学 metafisica」と呼んだのは、実体、つまり物理的世界の向こう側にある世界を探究したいという意志の表 れである。そもそも物理性を超越する世界についてはプラトンからキリスト教の教理に至るまで西 洋哲学で論じられてきた問題であるが、プラトンの言う精神世界、イデアとは、時間や空間に左右 されない、物理性を越えた永遠の実在(存在)であり、個々の事物の起源であり、純粋な理性的思 考によって認識される。イデアは、理性でのみ捉えることができ、現実には存在しない超現実の次 元に存在するとされる。 「idea イデア」という語彙は元来ギリシャ語で「目に見える姿、形あるもの」 という意味を表すが、プラトンは「理性によってのみ認識される真の実在」であるとした。日常の 世界に存在する個々の事物は変化し、不完全なものであるが、それぞれの事物を成り立たせている 事物の起源として完全で変化しない実在としてのイデアがあるとプラトンは考えた。つまり現実の 世界は、イデアの摸像に過ぎないと。西洋世界にキリスト教が浸透し教義が厳密に確立された中世 以降になると、イデアは神の中に存在するとされた。しかし、イデアをめぐる議論を再び扱った ショーペンハウアーは、現実世界をイデアから見て二次的世界として認識し、現実世界に存在する あらゆる事物が絶えず変化することを不完全と捉えたプラトンのイデア論を否定し 、むしろ現実 5 世界にこそイデアが存在すると考えた。現実世界に事物の本質を見出すことができると説いた ショーペンハウアーの思想は、ミュンヘンにやってきたデ・キリコ兄弟の心を捉えることになる。 次節でかれらが特に注目した芸術家が捉える世界の認識論について述べていく。 2.2. 影に潜むもの デ・キリコ兄弟はショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』第 3 巻において説く芸術の 対象を認識する方法や、イデアを判別することができる非凡な芸術家と平凡な人間の違いに注目す る。ショーペンハウアーによれば、芸術家の目的は芸術の対象を描写することであり、したがって 芸術の対象をまずもって認識することが、作品よりも先に萌芽として、起源として先立たなければ ならない 。ではこれらの対象をどうしたら見つけることができるのか。それはイデアを把握しな 6 ければならない。ショーペンハウアーは『世界』第 49 節で、「イデアの把握はあらゆる本物の芸術 作品の唯一の、真の源泉である。イデアがその力強い始源の姿のままで汲みだされるのは、ひとえ に生活そのものの中からであり、 自然の中からであり、 世界の中からである」と述べている(ショー ペンハウアー 2004: 153)。だとすれば、芸術の対象は、身近な日常の周りに見つけることができる はずである。ただし、人々が目を向けないものを凝視しなければならない。それは街角の通りの影 に隠れているかもしれない、あるいは、人々が目を向けるものであっても、真の芸術家は人々が眠っ ている時間にそれを眺めるのである。そして芸術家がとらえたものは、様々な一つの形態にとどま らず、さまざまな変化を見せる。 ショーペンハウアーの芸術論としてもうひとつ重要な点を述べておかなければならない。それは、 時代の風潮や流行に囚われない芸術家の在り様である。真に新しい芸術とはその時代に生み出され ショーペンハウアーは様々な形に変化する事物の形態の例として雲を挙げ、イデアは雲の変化に応じて次々とその本質 を垣間見せるといい、変化すること自体が認識する個体の本質であると説く。Cfr. ショーペンハウアー(2004: 33) 6 ショーペンハウアーによれば、「概念は論証的であり、理性があればだれでもつかみ取ることができ、定義によってそ の意を汲みつくすことができる。これに反し、イデアは直感的であり、平凡な人間には認識できない。イデアは純粋な認 識主観へと高められた個人によってしか認識されない。」Cfr. ショーペンハウアー(2004: 148-150) 5 217 野田 茂恵 るオリジナルの様相から生み出されるものではない。ショーペンハウアーが説く芸術の創造に不可 欠な視点、すなわち真の芸術家が生み出す作品は、時代に属しているのではなく、人類に属してい るという点に賛同したデ・キリコ兄弟は、未来派のように露骨に進歩的な科学技術を崇拝し始めた 時代の風潮に迎合し、動きや速さを具象化した新時代の象徴である自動車や飛行機に目を向けるこ とはなく、こうした近代絵画運動の〈劇的〉な表現の奥に隠れている謎めいた部分に芸術を生み出 すヒントを求めた(Savinio 2007b: 35)。 サヴィーニオは、1918 年、マリオ・ブロッリョによって発刊された美学批評雑誌『ヴァローリ・ プラスティチ』において形而上派絵画の理論を提起し、同時期の絵画運動と形而上派絵画の特徴を 比較している。そして、同時期のアヴァンギャルドの画家たちによって積極的にキャンバスに取り 入れられた「ドラマ性 drammaticità」を形而上派絵画がどのように受け止めるのかを以下のように 説明する。 最後の区切りとしてジョルジョ・デ・キリコが挙げられる。彼は近代のドラマ性の謎に迫っていっ た。デ・キリコの絵画からはドラマ性を重視した外観や形態、性質や材質、意義によって吟味 された事物が動いている様子を再現することはない。そうではなくて、事物自体の向こう側へ たどり着く。 (Savinio 2007b: 35) デ・キリコの絵画を時代ごとに鑑賞すると、初期の形而上派絵画はもちろん、後期のマネキンや 楽器のモチーフが多用される後期の作品、いずれにしても、ダイナミックな動きや騒がしさはあま り感じられない。この画家の絵画からは、描く対象の外観を動かし、その形態をダイナミックに描 きたいという画家の意図を読み取ることはできない。デ・キリコは事物の動きを再現したいのでは なく、事物の外観の向こう側にたどり着きたいのである。デ・キリコの作品を眺めれば、事物の外 観の向こう側にあるエニグマはどこに見出すことができるのかを教えてくれる。それはわたしたち の住む日常のあらゆる場所(広場、建物、道)であり、エニグマの顕現は、影、白昼、秋、といっ た時間が限定される場合もある。デ・キリコとサヴィーニオは、ありふれた日常という現実世界の 向こう側に芸術の対象を求める。かれらの芸術活動の背景には、未来派のように政治的体制に同調 し、社会情勢の転換に寄与したいというような動機はない。こうした傾向を表面的にとらえ、形而 上派絵画は戦争という現実から目を背け、謎めいた精神世界へ逃避したという見方もあるが、過去 の歴史や神話を肯定的な未来につなげるために都合の良い様に捏造し、芸術という文化的創造物さ えも巧みに利用したファシズム体制とは肌が合わなかったのだということを指摘しておく。サ ヴィーニオは絶対的で揺るぎない、時には押し付けがましい価値観や真実を許容しない。そして、 ひとりの芸術家は政治的圧力に押しつぶされそうになるとき、芸術によって解放される。また、芸 術の世界においても、伝統という規範を覆すことによって自由になる。ツァラトゥストラも言うよ うに、神は死に、世界は不確かである。西洋の思想を支配していたプラトン哲学やキリスト教の伝 統とはそろそろ見切りをつけなければならないことに人々は気づく。それまで正統とされた伝統や 規範から逸れると、自由にはなるが孤立し不安が襲う。しかし伝統を遮断することで新たな創造の 冒険が待っている。旅人の比喩はデ・キリコ兄弟によく用いられる(Sabbatini M. 1997: 18) 。ニーチェ とショーペンハウアーの導きによって辿り着いた形而上学と呼ぶことになる新しい世界。この現実 という世界で新たな次元を見つけるために未介入の次元を探究する。サヴィーニオにとって芸術家 218 美から醜へ──アルベルト・サヴィーニオの芸術論 の役割とは、大衆を満足させ、体制に甘んじることではなく、旧来制限されていた柵を越え、柵の 向こう側にある世界に芸術の対象を見出すことである。 3. 伝統の終焉 3.1. 不可視の実体 人間を取り巻く現実世界や事物との関わり方を改めて問い直すのが形而上派絵画の根本的問いで あり、 現実という世界や人間を取り巻く事物を支配できるという考えは捨て去らなくてはならない。 そうすることによって芸術家は繊細な知覚を整理し直し、煙がかっていた視野を解放することがで きる。すると、日差しが差し込んだ白昼、誰もいない広場に、わたしたちの日常の現実がふと不可 思議な現実として振舞い始め、まるで二重のイメージがオーバーラップして世界がぐらついてみえ ることがある。日差しの光に消えることなく芸術家の目の前に現れるものをサヴィーニオは spettralità と呼ぶ。 「specchio 鏡」と同語源である「spettro 亡霊」から造作したこの概念は 、「本来は実 7 体のない存在が現われる」という意味を含んでいる。したがって、この語彙を仮に日本語で造作す るならば、幻の顕現、すなわち〈顕幻性〉とでも言おうか。この語彙には不可視の可視性というサ ヴィーニオが得意とするアイロニーが込められている。 『アプロディーテー―現代美術の評価基準 ―』 (以下『アプロディーテー』 )において、サヴィーニオは以下のように述べる。 〈顕幻性〉 は個々の外観の様相の精神的かつ本質的な要素である。 〈顕幻性〉 の完全な純粋さをもっ て本質を再現することが美術の最終目標である。様々な異なった要素が積み重なってできた事 物の外面に本来の姿が現われ、画家は事物の外面において本質を再現できる。 〈顕幻性〉は画家 が本質を再現するのを助ける要素だが、この要素が消えてしまう原因としてあげられるのが平 凡さ、消失、忘却、複数の様相を持った真実、明確な視野が持てなくなることである。忘れられ、 ないがしろにされてきた様相、あるいは局面を手探りで探して明らかにするのが芸術家である。 (Savinio 2007a: 62-63) 顕幻性は芸術が「造形的な限界のなかで精神的な表現の頂点」 (Savinio 2007a: 62-63)にたどり着 くよう促し、画家は目に見えない視野によって全ての感覚をとりもどす。『アプロディーテー』の 冒頭は以下のように始まる。「幻影的な世界に生き、しだいに奥深い所へと入りこんでいきましょ う。 (Savinio 2007a: 62-63) 」 「幻影的 fantasmico」という語彙もまた、幻や目に見えないものを意味す る「fantasma 幻」を形容したサヴィーニオの造語であるが、具体的には「個々の外観の起源」であり、 を指す。 「精 「人間がそれとは気づかずに見落としていた現実を見つけた時の状況」 (Savinio 2007a: 46) 神的に、あるいは宇宙のように普遍的に整理された頭脳は、無限に絶えることのない創生を繰り返 す理性から遠のくことはない。したがって絶えざる変化、事物の外観が変化する瞬間を捉える幻影 的感覚が衰えることはない。 (Savinio 2007a: 46-47)サヴィーニオは、決して同じ外観を保つことな 」 く変化し続ける事物の外観を、海上に絶えずできる泡から沸き上がってきたヴィーナスという新し 7 specchio(鏡)及び spettro(亡霊)はともにラテン語 specere= guardare(眺める)という視覚に関連した動詞から派生し た語彙である。 219 野田 茂恵 い女神が誕生する瞬間に喩える。 (Savinio 2007a: 46-47)事物の外観に顕幻性を捉える瞬間とは、目 に見え、触れることのできる事物に不可視の実体が重なりあうようなイメージを想像する。事物の 外観は影にあり、事物の暗く謎めいた部分、エニグマに現れる。わたしたちは、世界との関わり方 を改めて問い直し、身近にありすぎて、それと気づかなかった現実の姿にはじめて直面したときに ようやく事物の本質を見つけることができるのである。 3.2. 美の形式の転換 ひとが美しいものを認識するときに美しさの善し悪しを判断する尺度というものがあり、西洋の 芸術には、 ある一定の美に関する規範を備えたものさしがあったことを序文で指摘したが、サヴィー ニオは戦後様々な新聞の文化欄を通して自らが歩んできた 20 世紀初頭の芸術運動の変遷を多角的 な視野によって整理し直し、美の尺度について分析している。サヴィーニオは、世紀末から二つの 大戦をくぐり抜けた 20 世紀前半の西洋美術において、美の規範に大きな変化があったことを強調 する。そして、それまで正統とされてきた伝統的美の例としてまずガブリエーレ・ダンヌンツイオ が好んだ美的価値を挙げる(Cfr. Savinio 2004: 1091-1094) 。ダンヌンツィオのように 19 世紀末ヨー ロッパで流行した頽廃的な耽美主義に耽溺した詩人は、決して日常使用する俗語を用いないし、む しろ身近にあるものは崇高で手に届かない高みの事物として描写する 。サヴィーニオはダンヌン 8 ツィオが希求する美について 1949 年大衆紙に連載された文芸批評記事で以下のように評する。 耽美主義といっても様々なものがあるが、たいていダンヌンツィオの耽美主義を言う。あるい は砂糖菓子のようにうわべだけ輝いている表面的な美しさを言う。この美はまだ〈美〉という ものが絶対的な価値を持っていた時代に好まれた。 (Savinio 2004: 1092) ダンヌンツィオは彼が作り出す美の下に潜む醜さを隠そうとする。なぜなら、美の下にあるも のはまだ飾り付けされておらず、完成されていないからである。 (Savinio 2004: 1091) 美学の覆いを取り払ってみましょう。中身は何のことはない、洗練されているとはいえないも のでしょう。 (Savinio 2004: 1092) 「美」というものがまだその絶対的な価値を持っていた 19 世紀後半、たとえば他のヨーロッパ諸 国を見渡してみればイギリスで流行したリバティ様式はまさに醜さを隠したいという願望が如実に 反映された芸術様式である(Cfr. Savinio 2004: 1486)。しかし 20 世紀の幕開けとともに徐々に伝統 的な美の価値にひずみが生じはじめ、しだいに「Bello 美」から「Brutto 醜」へと美学の価値が移行 する。醜さは美学の要素となり、 新しい美学はそれまで否定的に扱われていた形態、すなわちデフォ ルメ、抽象化に移行する。新しい美の様式には、嫌悪、軽蔑、羞恥心といった人間の感情が含まれ ている。羞恥心とは己の醜い姿が明るみに出ることを恥じることである。美を取り締まっていた原 則は効力を持たなくなり、 その権威を喪失する。 絵画運動における伝統からの解放の動きは著しかっ た。マネの『オランピア』は嫌悪、軽蔑、羞恥心という新しい美の様式が含むすべての感情を代弁 8 ダンヌンツィオの美的嗜好と言語の関係については、拙稿(野田 2011)を参照。 220 美から醜へ──アルベルト・サヴィーニオの芸術論 していた。 そして印象派が登場する。 マネの絵画まで一定の規律を持っていた描くモチーフのイメー ジが印象派の登場以降様変わりしたことは絵画史において大きな転換点であったが、印象派が試み たのは現実を見たままに心象に刻まれた風景を表現することだった。印象派がキャンバスの上で再 現を試みた心に残ったイメージ、あるいは雰囲気とは、サヴィーニオにとっては実体のない、捉え どころのない「vuoto 無」である。無という実体を欠いた空間は、対象を認識できない故に、観る 者を不安にさせる。詩的想像力に富んだサヴィーニオの脳裏に映る無というブラックホールのよう な空間は、印象派の画布から抜け出して人間の生に入りこみ、人々は闇に覆われる。サヴィーニオ は次のように述べる。 無は印象派が描いた画架をとび越えて、自らも覆い尽くす。無は人間の生のすべてを覆い尽く すことができるとしても。 (Savinio 2004: 562) キュビズムの画家たちの背後にある芸術理念を理解できない人にとって、彼らの作品はただ醜悪 なものにしか見えない。ニーチェは『善悪の彼岸』において精神の解放を説いたが、こうした画家 たちもまさに美的な精神の自由を獲得した画家たちと言える。キュビズムは、立方体、つまり三次 元の世界を絵画という二次元の世界で捉え直す世界認識の新たな試みであったが、こうしたピカソ やブラックの絵画的実験がサヴィーニオの空間認識に少なからず影響を与えていることも念頭に置 いたうえで、サヴィーニオが分析する美の規範、美と醜の形式を立体的な認識として垂直と水平の 美にあてはめて美の形式を捉え直していることも補足しておきたい 。 9 4. むすびにかえて 世界を捉え直すこと、それが形而上派絵画の根本にある思想である。そして、思考の転換は後年 の芸術論や文明批評からも窺い知れる。芸術運動という大きな枠組みの中で古い価値観や伝統的な 思考を反転させ、地図を 180 度回転させた世界を捉え直すように置き換え直して眺める。この世に は水平の感覚と垂直の感覚があるとサヴィーニオは言う(Savinio 2004: 562-563) 。二つの大戦、世 界恐慌という危機的状況が起きる前の時代までは、人々は両足が地面にしっかりと支えられている という楽天的で傲慢な垂直の感覚に満たされていた。芸術家たちは生に限りある水平な地上世界よ りも不死の生に憧れ垂直の世界を創造した。サヴィーニオが言う伝統的な西洋の芸術における美の 規範は、みな垂直の芸術である(Cfr. Savinio 2004: 563) 。神がいた時代の芸術作品は彫刻も、教会 という建築物も、バッハの音楽も、みな天国に届くよう上に昇っていった。サヴィーニオが生きた 時代はちょうど美学における旧来の規範の終焉とともに、人間の感情が垂直から水平へ移行した時 。 代であり、水平の感覚に支配された人々の心は悲観主義へと向かった(Cfr. Savinio 2004: 562) サヴィーニオは垂直と水平という二種類の幾何学的な用語を時代の推移を示す言葉として使っている。こうした形式の 二分法は詩や文学にも適用される。サヴィーニオによると、芸術には、垂直の美と水平の美がある。垂直の美を表す芸術 形式として、建築、絵画 、彫刻が挙げられる。音楽ではバッハのフーガやベートーヴェンの悲愴ソナタ。すなわち旧来 正統とされてきた芸術を指す。一方水平の美はサヴィーニオが助長する新しい美の形式である。具体的にここでとり挙げ られる音楽作品はドビュッシーの『海』 (初演 1905)やストラヴィンスキーの『春の祭典』 (初演 1913)である。Cfr. Savinio(2004: 562-569) 9 221 野田 茂恵 本稿ではサヴィーニオの美学の原点である形而上派絵画の理論とその哲学的背景を整理し、彼の 芸術論がショーペンハウアーやニーチェのそれを拠り所としていることを明らかにした。また、サ ヴィーニオの芸術観は二つの大戦という美の規範に転換を迫る時代の動きとともに形成されていっ たことにも触れた。次稿では、以上のように本稿で明らかにした旧来の伝統的美の規範からの解放 を目指したサヴィーニオの芸術理念が、小説や絵画作品とどのように反映されているのかという、 表現形態と理念の関係性に視点をあて、19 世紀後半から 20 世紀前半にかけて大きく変化したイタ リア芸術の規範の変遷についてさらなる理解を深めたい。 文献一覧 【テクスト】 De Chirico G. 1985 Meccanismo del pensiero, critica, polemica, autobiografia(1911-1943), a cura di M. Fagiolo, Torino, Einaudi. Savinio A. 1988 Casa «la Vita», Milano, Adelphi. 2004 Opere. Scritti dispersi 1943-1952, a cura di P. Italia, con un saggio di A.Tinterri, Adelphi, Milano. 2007a “Anadioménon”-Principi di valutazione dell’arte contemporanea, in «Valori Plastici», 1919, [cit. La nascita di Venere scritti sull’arte, a cura di Giuseppe Montesano e Vincenzo Trione, Adelphi, Milano]. 2007b Arte=Le idee moderne, in «Valori Plastici», 1918 [cit. La nascita di Venere scritti sull’arte, a cura di Giuseppe Montesano e Vincenzo Trione, Adelphi, Milano]. 2011 La mia pittura, in Galleria, n.1, Milano, 1949 [cit. Alberto Savinio la commedia dell’arte, a cura di Vincenzo Trione, Milano Palazzo Reale]. 【欧文引用文献】 Cavadini L. e Pegararo S. 2007 Giorgio de Chirico e Alberto Savinio Colloquio, p.18, Milano, Silvana editoriale. Sabbatini M. 1997 L’Argonauta, l’Anatomico, il Funambolo, Roma, Salerno Editrice. Trione V. 2011 Alberto Savinio la commedia dell’arte, Milano, Palazzo Reale. 【和文引用文献】 アルトゥール・ショーペンハウアー 2004 『意志と表象としての世界 II』、西尾幹二訳、中央公論新社 . 野田茂恵 2011 「感覚と言語の相互関係に関する考察 ―ガブリエーレ・ダンヌンツィオ『快楽』の場合」、東京外国語大 学 『言語・地域文化研究』、第 17 号、東京外国語大学 . 222