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1 「神の家族」 エペソ2章8∼19節 1.洗礼の思い出 今日は吉田姉妹の

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1 「神の家族」 エペソ2章8∼19節 1.洗礼の思い出 今日は吉田姉妹の
「神の家族」
エペソ2章8∼19節
1.洗礼の思い出
今日は吉田姉妹の洗礼式があります。
洗礼を受けた、という経験は、教会の会員の皆さんは絶対あるわけで、
(そ
うですよね)自分が洗礼を受けたときの印象は、ずっと心に残っているの
ではないでしょうか。
そして新しく洗礼を受ける方を目の前にすると、ああ、自分はどうだった
かなあ、とか思い出すわけですね。
そして、あのときの緊張した感じや、水が冷たかったとか、逆に熱かった、
ということもあるかもしれません。
私は以前の教会で一度失敗したことがあります。
それは、洗礼式がクリスマスにあったのですがとても寒いという天気の予
報だったのでお湯の温度を高くしすぎて、洗礼層に入った人が入っている
間に湯だってしまったということがありました。洗礼層から出たら赤くな
っていました。先礼槽の上から見てるほうから湯気が昇っているのが見え
ました。まるで天国のようでしたが、そのときは2人の青年が洗礼を受け
たのですが後で聞いたら一秒でも早く洗礼層から出たかったそうです。で
もそのことは、自分の洗礼を受けたときの思い出として大切にしたいとい
っておりました。
私が神学校に通っていたときに奉仕していた教会では川で洗礼を授け
ていました。しかもバーベキュー場の川だったのでギャラリーがいたりし
て、で案の定というか、洗礼式が終わるとお祝いをかねてバーベキューと
水遊びをやりましたね。
私自身の場合はどうだったかなあ、といいますと6月20日だったです
ね。
母教会に洗礼層がなかったので姉妹教会の洗礼槽をお借りして洗礼式を
しました。私の場合も宣教師の先生が洗礼を授けてくださったのですが、
何せ水に入っている時間が長いのなんのって。蛍光灯の光が天使の輪に見
えました。本当にそのまま天国に行きそうになったかなと思ったときにや
っと水から出た思い出があります。
皆さんも、それぞれに洗礼の想いがあると思います。
2.洗礼を受けたときの心のなか
そして洗礼そのものに思い出があるように、洗礼を受けたときの心の状
態にも思い出があるのではないでしょうか。
初めて教会の扉をくぐったときのこと、受付に名前を書いたこと。教会の
牧師に聖書を学びませんかといわれたこと。教会の中に仲間ができたこと。
1
自分の罪が分かったこと。イエスさまの十字架の意味が分かったこと。神
の愛が分かったこと。
新しく洗礼を受ける方がおられるときに思い出すとそういったことが
次々と思い出されるのではないでしょうか。
洗礼式は確かに洗礼を受ける人のための式でありますが、同時にすでに
受けた人たちにも、信仰を新たにする働きがあると思います。
そういう意味でも洗礼式は祝福のときだと思うんですね。
私は洗礼式のときいつもエペソの手紙の中のこの箇所2章11節の箇
所を思い出します。
2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でし
た。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼
の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たち
でした。
2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあ
ることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
以前は遠く離れていた自分が、今ではキリストの血によって近い者とさ
れた・・・・。
私は、ほんとに自分は遠く離れていたものだなあと、思わされます。ほん
とに、ほんとに遠く離れていたんだと、思います。
神も仏も信じているが、まことの神のことはまるで、分からなかった自
分。望みもなく神もない生活。しかしまことの神がこの地上とすべてのも
のをつくられたことの不思議とその救いを知り、神が自分を愛してくださ
ったことを知ったときにキリストが私のほうに近づいてきてくださいま
した。
「思い出してください」とあります。
この手紙を書き送られたエペソの人々は模範的なクリスチャンでした。で
もパウロは「思い出してください」というのです。
クリスチャン生活の中で私たちは様々な試練に会います。その中で私た
ちを信仰に結びつけるものの最後の絆は、洗礼を受けたときのあの思い出、
感動ではないでしょうか。いつ何時、私たちは神から引き離されるか分か
りません。サタンはそのチャンスを虎視眈々と狙っています。でも私たち
には思い出すことができるのです。あの神に神に愛され、洗礼を受けたと
きのことをまぶたの裏に思い出すことができるのです。
2
3.「神の家族」とされ生きる幸せ
12節には
「イスラエルから除外され」とあります。ここにも私たちがいかに神から
離れていたものか、が、わかります。「約束の民」はイスラエルです。ユ
ダヤ人です。それは旧約聖書から書かれている間違いのないことです。そ
してユダヤ人以外はみな救われる望みのないものでした。
エペソの教会の人々もそうでありました。
キリストがあの十字架につけられ三日目によみがえられなければ、私た
ちユダヤ人以外の人間は、そしてユダヤからさほど遠くでもないエペソの
人たちでさえ救いに預かることはなかったのです。
13節 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中に
あることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
とあります。
キリストの血によって、遠く離れていた私たちが、近いものとされれる。
いやイスラエル民族には逆立ちしても絶対なることができない私たちが、
まるでイスラエル民族であったかのように神に近づくことができる。いや
神のほうから親しく交わりを求めてくださるのです。まさに何の望みも約
束もなかった私たちが神の国の国民とされる恵みに預かったのです。
今日洗礼を受けられる吉田さん、も洗礼を受けたら「よしだ姉妹」と呼ば
れるようになります。「吉田さん」は文子姉妹や高明兄弟も折られるので
これからは「トキ子」姉妹と呼ばれることが多いかもしれません。なんか
ますます家族という感じがしますね、
神の国の国民とされる。それは教会に加わるということでもあります。
まことの神の国を待つ間、私たちはこの地上の神の国、教会に属し、神の
家族として生きることが許されるのです。
この地上の神の国も、もともとの国籍は関係なくひとつの国民として神の
前に等しく祝福を受けているのです。ファーガソン先生はスコットランド
から来てますが、小樽の人になって、小樽福音キリスト教会という地上の
神の国の家族ですね、カロリナさんもそうですね。
「2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒
たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」
聖徒たちと同じ国民、神の家族。あのアブラハムに語られた約束、モーセに起こっ
た奇跡、ダビデの祝福が私たちにも約束されているのです。
4.「恵みのゆえに、信仰によって」
そして驚くことに、このすばらしいことが神からの恵みであった、という
ことです。
もう一度自分たち、私たちの洗礼式のことを思い起こして見ましょう。
私たちが教会に行くようになったのは、何がきっかけだったでしょうか。
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友人の誘い。ポストのチラシ、パワーフォーリビング、小さいとき幼稚園
に通っていたから、両親がクリスチャンだったから。それぞれきっかけが
あったと思います。
しかしそのどれも、神の恵みなしにはありえなかったことです。クリスチ
ャンの友人を近くにおいてくださったのは、神です。ポストのチラシに目
を留めさせて下さったのは、神です。パワーフォーリビングを読みたいと
思ったのは神の導きです。クリスチャンが家族にいたことは、神の恵みで
す。
何一つ、神の恵みなしにはありえなかったことです。奇跡的に私たちは、
神から選ばれ、紙の民とされているのです。イスラエルの民が選びの民で
あったように、私たちもただ神の恵みによって選ばれ救われたのです。
「2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分
自身から出たことではなく、神からの賜物です。2:9 行ないによるのではありません。
だれも誇ることのないためです。」
この神の恵みに感謝したいと思います。
洗礼を受けられる吉田姉妹、そしてすでに受けて神の民とされた私たち共
に、神の豊かな哀れみの中にあるのです。
今日この気持ちを新たにしたいと思います。
そしてそれぞれがあの、洗礼のときを思い起こし、神の恵みに感謝できる
ものとされたいと思います。
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