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1 長崎市街地および土地利用の変遷について

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1 長崎市街地および土地利用の変遷について
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資料 2-2
長崎市街地および土地利用の変遷について
<近代化に伴う埋立地(市街地)の拡大・産業施設による水際線の占拠>
・ 明治以前は、中島川の船運が庶民の生活を支え、水辺に近かった関係が、近代化∼戦後復興
の流れの中で埋立てが進行し、市街地が拡大してきた。
・ その結果、水際空間は、産業施設が占める形となり、水辺と市民生活の関係がいつの間にか、
薄れてしまった。
・明治 32 年(1899)外国人居留地 廃止/要塞地帯法公布(終戦まで市街地全域が機密
扱いとなる)
・明治 37 年(1904)日露戦争
・明治 37 年(1904)香港上海銀行長崎支店オープン
・明治 38 年(1905)九州鉄道開通・長崎駅(仮駅舎建設)
・明治 39 年(1906)稲佐橋架設
<「ナガサキ アーバン ルネサンス2001構想」の流れ>
・ 高度経済成長に伴い、特に水際線に立地していた造船所関係施設、倉庫群、漁業関係施設等
の1次∼2次産業施設は、
20世紀後半からの産業構造の転換が求められるようになった(ナガ
サキ アーバン ルネサンス2001構想)。
・ その成果として、「水辺の森公園」「出島ワーフ」等水際線の空間が、市民生活により近い
施設に生まれ変わってきている。
・ つまり、以前の施設群が、長崎の産業を支えてきた施設である反面、市民には背を向けて閉
ざした空間であり、市民は気軽に水際に立ち寄れなかった。
<
長崎駅周辺エリアの基本的な方向性
>
・ ナガサキ アーバン ルネッサンス2001以降の取り組みによって、市民は気軽に水際に立ち
寄れるようになかった。
・ 長崎駅もその延長線上として、「街と水辺の関係を大切にする」ことが基本的な方向性であ
り、その流れ(市街地の歴史)を生かした空間デザインを「心得」の基本とする。
6. 昭和初期(出島・元船岸壁建設)
・大正 4 年(1915) 長崎電気軌道(路面電車) 開業(現・大学病院前∼築町間)
・大正 8 年(1919) 長崎電気軌道(長崎駅前∼桜町間 開通/人力車の廃業)
・大正 12 年(1923) 長崎∼上海間定期航路「長崎丸」就航
・大正 13 年(1924) 出島岸壁完成
・大正 14 年(1925) 港内連絡線「電鉄丸」就航(長崎電鉄)
・昭和 2 年(1927) 元船岸壁(出島岸壁北側)完成/8,000t 級船舶着岸可能となる
・昭和 3 年(1929) 出島町に長崎税関 開庁(現・長崎市立市民病院)
・昭和 5 年(1930) 臨港鉄道敷設、長崎港駅オープン・日華連絡船(長崎県上海市)
・昭和 8 年(1933) 長崎税関跡地に移民収容所設置(現・長崎市立市民病院)
・昭和 12 年(1937) 日中戦争勃発(上海からの日本人引上げ)
7.
● 長崎市街地の変遷
1. 江戸中期(1700 年代)
・1698 年 長崎大火(五島町・大黒町)
2. 幕末期(1850 年頃)
・安政 4 年(1857) 幕府が東山手居留地を造成開始(番所廃止・大浦/御﨑道)
・万延元年(1859) 第1次外国人居留地造成工事完成(南瀬﨑∼大浦∼下がり松)
・文久 3 年(1863) 第 3 次外国人居留地造成工事完成
(大浦四号波止(現・水辺の森公園)、海岸通り拡幅(大浦バンド形成))
3. 明治 2∼4 年(居留地建設)
・ 明治 3 年(1870) 日本最初の西洋式旅館(ホテル)や娯楽施設、大浦海岸通りに開業
4. 明治 25 年頃(中島川変流工事)
・明治 17∼22 年(1884∼1889) 第1次長崎港港湾改修事業(中島川変流工事)
・大浦バンド(海岸通り)
戦後復興
・昭和 21 年(1946) 長崎電気軌道(長崎駅前∼浦上駅前間復旧)
・昭和 23 年(1948) 長崎市立市民病院 誕生
・昭和 30 年(1955) 銅座川埋立(区画整理事業)
・十間運河埋立(宝町交差点付近 / 現・国道 206 号、長崎電気軌道線路)
・昭和 45 年(1970) 長崎郵便局移転、長崎中央郵便局に昇格(現・恵美須町)
・昭和 57 年(1982) 長崎大水害
8. 2001 年∼
・平成 16 年(2004)
・平成 17 年(2005)
・平成 17 年(2005)
・平成 17 年(2005)
・平成 22 年(2010)
ながさき出島道路 開通
水辺の森公園 完成
長崎県美術館 開館
ながさき女神大橋 完成
長崎港松が枝国際ターミナル
完成
出典資料・
「長崎港の海岸線の変遷」長崎経済同友会
5. 明治 37 年頃(長崎駅周辺埋立)
・明治 30∼37 年(1897∼1904) 第2次長崎港港湾改修事業
(出島の内陸化、長崎駅周辺埋立(旧台場跡陸軍用地)、市街地の北部拡大(浦上地区と
の連結)、
五島町付近海岸線の埋立(浦上街道整備(現国道 206 号)、十間運河東西埋立(現
JR 駅ヤード、平戸小屋埋立(現・三菱重工用地)
「長崎港の埋立と近代都市の形成」1992 年・
「長崎市の近代都市形成と道路網の整備」
1990 年 岡林 隆敏 長崎大学名誉教授
「長崎港の整備前後の比較写真」 長崎県
ナガサキ・アーバン・ルネッサンス 2001 構想 長崎県
長崎港港湾史報告書(H9.10 年) 長崎県
環長崎港地域アーバンデザインシステム 長崎県
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まちなか各エリアの個性と駅周辺地区まちづくりの方向性
パッチワーク的な市街地の構成と個性的ゾーンの強み
出島地区・元船地区(平成 26 年度)
駅
参考: 長崎港湾の前後比較
(昭和 60 年代→現代)
安らぎ
都
出島地区(平成 26 年度)
粋
賑
風
華
異国
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出島岸壁(平成 26 年度)
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