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美術作品及び文化遺産巡り
Ⅸ
平成22年1月~平成24年12月
ジャン・シメオン・ジャルダン「食前の祈り」1740 年頃
岡村昭則
★美術作品鑑賞及び文化遺産巡り
(平成22~24年)
(平成13年からの通しナンバー、平成20年以降のみ表示)
平成22年1月20日・北沢楽天をめぐって展
(プラザノース・ギャラリー) 496
2月25日 さいたま市シニアユニバーシティ校友会連合会
28日
(埼玉会館) 497
第18回文化祭作品展示会
3月
3日・鈴木康広展―まばたきにご注意下さい (プラザノース・ギャラリー) 498
6月
9日・埼玉県立近代美術館
(さいたま市) 499
9月26日・さいたま市盆栽美術館盆栽展
10月03日・群炎展
(さいたま市) 500
(プラザノース・ギャラリー) 501
平成23年2月07日・鉄道博物館
(さいたま市) 502
2月14日・いきがい大学伊奈学園合同墨彩画展
(県民活動センター) 503
2月27日・さいたま市シニア大学校友会連合会第19回文化祭展示会(埼玉会館)
504
6月06日・国会議事堂
(千代田区) 505
・憲政記念館
(千代田区) 506
・旧岩崎邸
(台東区) 507
6月13日・HIGHT SIFT EXIBITION 展
(中央区) 508
7月05日・荒川知水資料館
(北区) 509
7月13日・もてなす悦び展
(三菱美術館) 510
8月10日・猫展
(信濃観月苑) 511
10日・田淵行男の高山蝶の観察記録外
(田淵行男記念館) 512
9月19日・空海と密教美術展
10月07日・群炎展
(東京国立博物館) 513
(プラザノース・ギャラリー) 514
31日・モダンとはなんだろう
(池田満寿夫美術館) 515
11月05日・大宮中部公民館文化祭ポスケッチクラブ参加展
10日・渡辺小華とその時代
(さいたま市) 516
(豊橋市美術博物館)517
29日・大宮盆栽美術館
(さいたま市)518
29日・埼玉県歴史と民俗博物館
(さいたま市)519
平成24年2月11日・日本スキー博物館
(野沢温泉村)520
2月17日・伊奈学園第21期美術工芸科卒業記念作品展出品作品
(伊奈町)521
2月25日・さいたま市シニアユニバーシティ校友会連合会
第20回文化祭作品展示会
5月15日・第16回JR東日本「盆栽展」
(埼玉会館) 522
(大宮駅コンコース)523
・アートアワードトーキョー丸の内2012展 (丸の内地下一階通路)524
5月24日・妻沼聖天山・聖天堂彫刻
(歓喜院長楽寺)525
6月23日・信濃国善光寺道記録絵図展
(銀座・セイホウギャラリ-)526
7月
(行田市・さきたま古墳公園)527
4日・さきまた史跡の博物館
12月20日・シャルダン展-静寂の巨匠
(三菱一号館美術館)528
地域文化を知る
楽天をめぐって
~春を寿ぐ日本画から風刺画まで~
(平成22年1月20日)
昨年、さいたま市シニア大学大宮校校友会協議会第一回ウォーキングは、自分の街を知るとい
う観点から実施され、その時に初めて盆栽村の一角にある漫画会館を訪れた。さいたま市立漫画会
館は、日本近代漫画の先駆者「北沢楽天」の晩年の住居跡に、日本初の公立漫画美術館「漫画会館」
として、北沢楽天の意思を受け継ぎ、漫画を文化として育てることを目的して昭和41年に開館。
漫画文化の普及を目的とした美術館で、北沢楽天の作品や遺品の展示をしている他、様々な漫画に
因んだ特別展示をおこなっている。同館は漫画とユーモアに着目し、特色ある文化事業を行ってい
る。楽天は、明治~昭和初期に活躍し、当時「ポンチ絵」として評価の低かった風刺画を、近代漫
画として確立した人である。また、楽天は日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、日本
の職業漫画家第1号として活躍していることと初めて知ることばかりでてると、鑑賞記を書いてい
る。
●今回はさいたま市
地域中核施設「プラザノース」で漫画会館所蔵作品展として上記のタイトルで開催し、市民に公開
してくれた。案内を呼んで知ったのは、明治期に外国から入ってきた「comic コミック」「cartoon
カートゥーン」の訳語として「漫画」という言葉を広めたのも北沢楽天だったという。「楽天語録」
漫画で風刺するのは百篇の文字より千万語の言語よりも力がある。 考えてみれば、日本は昔から
マンガ大国で、平安時代の絵巻物、世界初の絵のマンガとも言われる「鳥獣戯画」を生み、現代の
アニメ大国へとその流れを引継いでいる。今やマンガやアニメは日本が世界に誇る文化の一つであ
ることを思うと、漫画文化を資源の一つとして世界に向けて大いに発信すべきである。楽天の作品
は、どんな画題でも生き生きとその情景を描きだす、観察眼と描写力が凄い。漫画会館にはこんな
作品も所蔵している。 A日本軍の旅順攻略で日本に有利に展開しはじめた日露戦争と 1905 年の
ロシア革命発生で、その座が危うくなったロシア皇帝の様子を描いた作品。 <創刊号 明治 38 年
4 月 15 日>
B日清戦争後、日本の進出に対する反感から黄禍論を唱えたド
イツ皇帝ウィルヘルム二世(カイゼル)が各国の非難を受け、舌を切られる姿を描いた作品。ドイツ大
使館からの抗議により日本政府は楽天に控えめにするよう求めたが、楽天はこれを断った。 <4 巻 33
号 明治 41 年 11 月 20 日>
C『両手はふさがっているし、ちょっとアンヨで失礼!
お茶をお持ちいたしまた』とパリのメイドさん。どの国もやることは一緒。
A
B
C
鈴木康広展
~まばたきにご注意下さい~
(平成22年3月3日)
さいたま市地域中核施設「プラザノース」で私達は月2回ほどパソコン教室を開いて
いる。その帰りに楽しみにしているのは、ここのギャラリーで時たま開かれるアマやプロ
による作家の展覧会を見ることだ。入口でいただいた案内パンフレットのタイトルのとな
りに、「まばたきにご注意下さい」とかかれている。タイトルからしても現代美術である
ことは誰でもわかることだが、一般的に美術と言えば、花鳥風月の世界を見慣れている私
達にとって、旧来の芸術観では割り切れない現代美術の作品は理解しがたいところが多く、
興味のない人には「これが芸術」と失望されてしまうことが多い。
●鈴木さんの作品も同様だが、私が鑑賞していて面白いと思ったのは、「まばたき」は受
験写真のような顔写真を何枚も針金を通しつなぎ合わせ風を吹きつけると、それぞれがく
るくる回って、まばたきのように見え、そこに作家の最大のポイントがある。「まばたき
をする瞬間、人は何かを見逃している。けれどその一瞬の空白があってこそ世界は生き生
きと動き出すように感じる」と語っている。これは何もわからない子供でも、顔写真がそ
れぞれ違った形で回転する面白さを実感して興味をしめしている。
●また、「まばたきの葉」も木のような高い筒の先から紙ふぶきをどんどんと会場の床上
に降らせている様も、会場に来ている親子を巻き込んで遊んでいる光景を見て、作者の意
図していることよりも親子にとって遊びの対象として楽しんでいることが、この作品のよ
さであると私は思った。だから作品の作り手と鑑賞する人の受け止め方は違ってもよいの
である。従来のような固定観念で作品を見るのではなく、現代芸術は、奇抜な仕掛けに意
表を突かれたり、社会的イメージを考えさせたり、作家それぞれの固有のモチーフと表現
が見出されていることを感覚的に何かを受け止めればよいのではないだろうか。
▲埼玉県立近代美術館展示作品
(平成21年6月9日-さいたま市)
さいたま市シニアユニバーシティ大宮校六期校友会六班の班活動として、毎年6月は美術鑑賞と決
まっている。これまでは上野や六本木などへ出掛けていたが、班員の中には健康がすぐれず体調不
良の人もいることから、出来るだけ集まりやすい所にしようということになり、今年は大宮近辺で
開くように心掛けて実施している。今回は昼食会を開いた後、埼玉県立近代美術館で開かれている
第60回県展を鑑賞しようということになった。11時に北浦和駅に集まったのは11人中、9人
が参加してくれた。残りの二人も病気で欠席も止む得ないことを考えると 100 パーセントに近い出
席率になる。まずは腹ごしらえしてからということで、「りそな銀行本店」前のお店で全員が向か
い合っての昼食となった。ここで様々な情報が交換された。これから一年の班活動計画は美術鑑賞
の後に話合うことにして、昼食後、早々に美術館へ向かった。 美術館は県展が開かれていること
もあって、普段よりも賑わっている。とにかく館内の鑑賞は自由に見てもらうことにして、館内の
喫茶室前に1時半に集合することにした。それぞれが自分の好みの会場へと向かった。私は
●MOMASコレクション常設展示室から見ていった。今回は22年度1回とあって所蔵作品の中
で第一級品を展示している。
★ピカソの静物(テーブルの上にある蝋燭や食器等)は、面で捉えるキュービズムの手法であるが、
まだ具象化の域にある作品で自分の部屋に飾って
も誰がみても理解できる絵で落着きがある。
解説を読むとこの作品は 1944 年の戦争中
に描かれ、ピカソは戦後、自分は戦争を
描かなかったが、しかし、当時の私の絵
の中には戦争があることは疑いない」と
語っている。
次に何と言っても、この美術館一の宝は
★クロード・モネ「ジヴェルニーの積み
わら、夕日」ではないだろうか。この作
品を私も何回も見てきたが大気や光りに
包まれてあらゆるものがのんびりとみえる。
モネのもう一点は、私の好きな★「ルエルの眺め」
で、この作品をみているだけでも、田園風景の中に
水辺に映る樹木や空と釣糸を垂れる少年の瑞々しさ伝わってくる。この作品は何回見ても見飽きな
い。 日本人画家では寺内萬治郎の★「裸婦」、「横臥裸婦」や「うずくまる裸婦」である。これ
らの作品を見ていると血の通う生身の熱気と躍動感を感じずにはいられない。アンドレ・ドランの
★「欲女」も力強いタッチで迫ってくる。寺内の作品と比較してみると、ドランの作品はどちらか
と言えば、そこに女性の柔らかさを感じ取れないのは私だけであろうか。
●第60回県展は、日本画163点、洋画525点、彫刻54点、工藝186点、書330点、写
真488点計1740点が出品されている。特に工藝で私の近所の人が出品されているのか知りた
かったので会場で探したり、目録を見たところないので入選しなかったのであろう。このように大
勢の方が自分を表現する形で発表の機会をもてることは素晴らしいことだ。制作を続ける上でも励
みになる。私の目に止った作品を写真で紹介したい。
▲さいたま市盆栽美術館
(平成22年9月26日)
9月26日、伊奈学園専科一期郷土を知るコース第2回「郷土の会・交流会」を実施しましたと
ころ、26名参加をいただきました。今回は二班が担当することになっていましたので、7月5日
に打合せ会を開き、今回は少し趣を代えて、さいたま市盆栽美術館と漫画会館を見学してから、懇
親会を開くことにして本日の開催の運びとなりました。9月中旬まで猛暑の連日で各方面に大きな
悪影響をもたらしましたが、台風の訪れとともに、ウソのように過ごしやすい天気となり、本日も
暑くもなく参加者のみなさんもホッとしていたのではないでしょうか。土呂駅に集合して盆栽美術
館まで歩きました。距離としては短く物足りませんでしたが、懇親会を控えていることを考えると、
程良い距離でした。初めての公立の「盆栽美術館」として、今年の3月に開館しましたが、私をは
じめ参加者の多くが訪れるのは初めてとあって期待していました。私も盆栽については何も知らな
いので、事前に調べて訪れました。
★盆栽とは草木を鉢に植えて、枝ぶり、葉姿、幹の肌、根及び鉢の総称、もしくはその姿全体を鑑
賞する趣味。また、その植物の、野外で見られる大木の姿を、鉢の上に縮尺して再現することを目
指すものである。そのために剪定を施したり、自然の景観に似せるために枝を針金で固定し時に屈
曲させあるいは岩石の上に根を這わせたりと様々な技巧を競うのも楽しみの一つとされる。施肥、
剪定、針金掛け、水やりなど手間と時間をかけて作る。生きた植物なので「完成」というものがな
く、常に変化するのも魅力の一つと云われている。
★盆栽の歴史 中国で唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まり、江
戸時代になると武士の副業としても盆栽の栽培が盛んになり、盆栽や園芸は興隆する。明治以降も
盆栽は粋な趣味であったが、培養管理には水やりなど手間と時間が必要なために、生活環境の推移
によって次第に愛好者は時間的余裕のある熟年層が多くなった。そのため、戦後から 1980 年代ぐ
らいまでの間は、年寄り臭い趣味とされた。しかし、1990 年代以降盆栽が海外でも注目を集めると
ともに見直す動きが高まり、若者の間でも粋な趣味として再認識されるようになってきている。
★展示されていた盆栽(19点)私の気に入った五葉松(日暮し)「大小ふたつの幹の間に抱えこ
まれるようにして生まれた空間が、不思議な魅力をもって鑑賞者の視線を引き寄せる。本作の銘は、
新潟の石油王として知られた中野忠太郎により、一日見ていても見飽きないという意味を込めて命
名された」と解説。★絵画の鑑賞と違って、余りにも身近な自然景観をなしている植物のミニチュ
ア版とあって、そこまで時間を掛けて作り上げる作者の努力は、どの作品を見ても伝わってきます
が、日暮しの解説文のような見方は個人の感性と豊かな想像力によるところが大きく、何も知らな
い私にとっては、そういう見方をしていくのかと学ぶことばかりでした。多くの人を感動させる観
点から見れば、盆栽も芸術作品と言っても過言でないと思いました。日本には平安朝時代より盆栽
文化が根付いてきたことも確かなことである。記念に一句詠みました。
盆栽も秋めく広きお庭かな
群炎展
(平成22年11月3日)
★さいたま市地域中核施設「プラザノース」で私達は月2回ほどパソコン教室を開いている。その
帰りに楽しみにしているのは、ここのギャラリーで時たま開かれるアマやプロによる作家の展覧会
を見ることだ。今日は文化の日とあって群炎展が開かれていた。どんな美術団体か知らないが、こ
じんまりとした展覧会で平面表現、立体表現の作品が展示されている。案内パフレットを見ると、
群炎美術協会は昭和37年に日本橋三越で東京芸大出身者が中心になって「具象展」を開いたのを
切っ掛けに、既成の美術団体にはない自由な創作発表を旨とする個性重視の闊達な団体を設立した
と書かれている。東京都美術館を展覧会会場として半世紀を迎えようとしているという。
★群炎展は群炎美術協会が東京都美術館で毎年 11 月に開催する公募展で、(1)絵画、(2)工芸、(3)
人形美術の3部門からなり、それぞれ作品を広く一般、会員から募集している。群炎美術協会の理
念は「個性を尊重し、展覧会を通じ各自の美術に対する主観的態度の確立を期し、もって、『日本
美術』の進展に寄与すること」とするとしている。作品の作風に「師匠<==>弟子」という因習
にとらわれず、個々人は自由闊達を基本姿勢として作品制作に励んでいるとのことだ。
★今回の作品も展示作品は240点。会員の作品が175点(137人)一般公募65点である。
大規模なメジャーの公募展とは違って、規模が小さいことから、このような街中で身近なところで
開いていただくと、作品がどうのこうのと云うことではなく、素直に美術作品に大勢の人が触れら
れることは素晴らしいことだ。日常生活の中で作家の作品を飾るというよりも、自分の作ったもの
をインテリアとして飾り生活に潤いを持たせるヒントもこのような美術展にはある。
★私の好きなのは、絵画、写真、彫刻であるが、今回、特に印象に残ったのは次の2点。一点目は
浜 茂子さんの「刻跡」。これは寂れた工場を描いている。そこには時の流れを私には読み取れる
ことが出来る素晴らしい作品で、やはり群
炎賞に選ばれているように力作だ。次に写
真で新庄洋さんの「三ツ池の桜」、作品は
盆栽を鑑賞しているような錯覚に陥るほど
桜と池の構図のバランスと空間が私は好き
だ。美術鑑賞が趣味の私も今年は、都内に
出る機会が少なくなったことから、招待券
が手に入りにくくなったことから、次第に
足も遠ざかり、身近なマイナーな美術展に
行くように切り替えた。パソコン教室に来
る度にプラザノースのギャラリー開催展を
楽しみにしている此の頃である。
鉄道博物館見学
H23.2.7
大方の男性は、小さい頃、電車を見るのが好きだったのではないでしょうか。大きくなったら
何になるのと聞かれると「電車の運転士」と口にした幼き日の自分がよみがえってきます。私も小
学生から高校生になるまで友達とよく陸橋から電車や機関車の通過を見送ったものです。そのうち
に模型の電車を買って、箱庭にレールを敷いたり、トンネルを作ったりして楽しんだ風景が昨日の
出来事のように蘇ってきます。電車の運転士にはなれませんでしたが、就職してからは鉄道の旅を
楽しむようになり、乗ったところを赤線で埋めるように日本地図に書き入れてきましたが、日本国
有鉄道公社が民営化されたことで廃線になった線も多く回りきれませんでした。それでも赤線が全
国一周しています。
★また、妻のお父さんが満州国を走った「特急アジ
ア号」の機関士であったこともあって、鹿児島から
上京するたびに、北区の飛鳥山公園にあるD51機
関車を見に行き、機関車の運転席に座って機械につ
いて説明を受けました。蒸気機関車の運転席はそれ
なりの空間がありますが、碓氷峠鉄道文化村や青梅
の鉄道公園を訪れて電気機関車の運転席に入って
みると、そこは圧迫感を覚えるような狭さには驚き
ました。伊奈学園に通うようになってから宇都宮線
蓮田駅と東大宮駅の中間の踏切を渡る所が電車や
電気機関車の通過を撮影するポイントで毎朝、大勢の人がカメラを構えている風景を見る度に、鉄
道好きだった自分がよみがえってきます。小さい頃の思いが今日まで繋がっており、電車や機関車
を見るのが好きであることには変わりありません。閉鎖した万世橋の鉄道博物館にも沢山の思い出
があります。更に充実を図った大宮に鉄道博物館が開館したので訪れなくてはと思っていても、近
くだからいつでも行けるという気持ちから、未だに訪れたことはアリマセン。今回、3班が見学す
る機会を作っていただきましたので大変楽しみました。
さいたま市シニアユニバーシティ校友会連合会
第19回文化祭作品展示会
(H23.2.24~27)
毎年、文化祭は各校友会協議会が持ち回りで開催している。それ故に会場の展示もそれ
ぞれの特色と賑わいがある。今回はこれまでと違って番号順でジャンル別の展示となって
おり、鑑賞する者としては目録を追って見ていくので、まごつくことなく会場を回ること
ができた。惜しむらくは各校作品点数が少なく、開催担当校友会協議会の作品が多く、目
立ち過ぎていることもあって全体と盛り上がりに欠けているように見えたのは私だけであ
ろうか。大宮校六期校友会の出展者も昨年より少なく、今回は少し寂しい作品展になった
ことは否めないし、また、年を重ねるたびに参加者も少なくなる。今回はクラスメートの
矢尾さんが主宰しているポスケッチクラブが輝いた。
第61回埼玉県美術展覧会写真部門に入選おめでとうございます
(健康つくりコース 平田裕康さん)
北浦和の埼玉県立近代美術館で第61回の県展が5月31日~6月22日まで開かれています。
今回の展覧会に健康づくりコースの平田裕康さんが見事に入選されました。この展覧会は昭和26
年以来の歴史があり、多くの県民に親しまれ、毎回4,000点を超える出品があります。今年は、
61回目を迎えました。自治体が主催する公募美術展としては、全国的にみても、トップクラスの
出品数で、日本芸術院会員や重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品も展示されるなど、格調高
い高レベルの公募美術展となっています。この公募で入選されることは、大変なことで平田さんの
苦労が報われた展覧会です。私は平田さんの題名「叫び」と作品を拝見して、直ぐにノルウェーの
画家 エドヴァルド・ムンクが 1893 年に制作した「叫び」が頭を過ぎりました。平田さんもそのこ
とを意識して題名を付けたのではないでしょうか。ムンクの叫びは幼少期に母親を亡くし、思春期
に妹の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかったムンクが、「愛」と「死」とそれらがも
たらす「不安」をテーマとして制作し、「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した
作品群のうちの一作が『叫び』で、私も本物を見た時は本当に画家の家庭環境を背景にして出来た
作品なので大変重苦しさを感じてしまいました。それにひきかえ平田さんの「叫び」は、朽ち果て
る大木の瘤が、どこかユーモラスに温暖化現象や自然破壊を止めてと訴えているように思えたので
す。自然界の中には人間では作りえない美的風景が一杯あります。写真にはそれを切り取って作品
として作り上げる魅力があります。写真はどなたでも写して楽しまれていますが、作品としての目
的を以って撮り続け、それを作品に仕上げるまでの苦労は、展覧会に出品した人でなければわから
ないことでしよう。これからも素晴らしい作品を私達に見せて下さい。
憲政記念館を初めて見学する
シニア大学の史跡クラブで国会議事堂と憲政記念館の見学を実施した、原稿を編集して
校友会だよりに掲載したことから、自分も一度は訪れてみたいと思っていた。今回、いき
がい大学伊奈学園専科一期校友会郷土の会で、クラスメートの姪御さんが参議院議員の秘
書をしていることから、この二つの見学が実現した。憲政記念館は国会議事堂の目の前に
ある。1970 年(昭和 45)にわが国が議会開設 80 年を迎えたのを記念して、議会制民主主
義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、1972 年(昭和 47)3 月に開館
している。1952 年(昭和 27)にこの土地は衆議院の所管となり、1960 年(昭和 35)には、
憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、尾崎記念会館が建設された。その後これを吸収
して現在の憲政記念館となった。
★ここは、国会の組織や運営などを資料や映像によってわかりやすく紹介するとともに、
憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料を収集して常時展示するほか、特別展などを催
している。なんと言ってもここを有名にしたのは尾崎行雄である。どんな人物かと言えば、
私もそれほど詳しく知っているわけではないが、尾崎行雄は政治家として、東京市長、日
本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・
最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」、「議会政治の父」と
呼ばれていたことや、号は咢堂で、称号は衆議院名誉議員、東京都名誉都民、憲政記念館
は尾崎の功績を称えて建設され銅像も建立されていること位である。周りは緑が多くゆっ
たりしていて落ち着く場所であることは間違いない。
★1Fには議場体験コー
ナーがあり、議席に座って見ることもでき、また、演壇や議席で自由に記念写真を撮るこ
ともできた。 また、憲政史シアターでは、議会思想が移入された幕末から明治維新、帝国
憲法の制定、帝国議会の開設を経て、戦後、新憲法の制定によって新しい国会が発足し、
今日に至るまでの「憲政の歩み」をハイビジョン映像で見ることができる。
2 階展示室・企画展示「永年在職表彰元議員肖像画展」(開催期間 平成 23 年 4 月 1 日
~平成 23 年 6 月 29 日)が開かれていた。永年在職議員に対する表彰制度は、帝国議会時
代に在職 30 年以上に達した議員を対象として創設され、その後、在職年数を 25 年以上と
改めたこの制度は、戦後、国会となってからも引き継がれ、現在に至っている。なお、衆
議院では、在職 50 年以上に達した議員に対しては、重ねて特別の表彰決議を行っている。
私の知っている議員は西村英一、浜野 清吾(北区出身)、灘尾弘前吉(文部大臣)の肖像
画が展示されていた。義理人情の世界に生きた遥か昔の人たちであるが、今の議員よりは
骨があったことは確かだ。ここは入館料が無料なのでゆっくりと過ごすのもよい。
重要文化財・旧岩崎邸を見学
(H23.6.6)
平成17年11月4日、妻と横山大観記念美術館に行ったが生憎の休館日だったので旧岩
崎邸庭園を訪れている。その後、平成20年6月25日、さいたま市シニア大学大宮校六
期校友会六班の人たちを案内した。今回で3回目になる。この館も日本近代建築の祖と言
われるイギリス人のジョサイア・コンドルの設計によるものだ。みなさんはガイドさんに
ついて説明を受けているが、私は些か草臥れてしまったことや日本家屋は工事中で見れな
いこともあって、二階のテラスで一人のんびりとぼっとしていた。今回はジョサイア・コ
ンドルのことを紹介することにした。
★ジョサイア・コンドル(1852 年 9 月 28 日 - 1920 年 6 月 21 日) はイギリスのロンドン
出身の建築家。お雇い外国人として来日し、政府関連の建物の設計を手がけた。また工部
大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として辰野金吾ら、創生期の日本人建築家
を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。のちに民間で建築設計事務所を開設し、
財界関係者らの邸宅を数多く設計した。河鍋暁斎に師事して日本画を学び、趣味に生きた
人でもあった。
岩崎邸宅→
ニコライ堂
綱町三井クラブ
HIGHT SIFT EXIBITION 展
(平成23年6月13日)
★職場の先輩で元デザイナーだった人がいる。その人はデザイナーから出発して余りの忙しさに耐
えかねて、体調管理のことなどもあって我々の職場に転職してきた。とはいってもその分野で輝い
ていた部分は、ここでも遺憾なく発揮していた。今から20数年前にパソコンでHPなどを取り入
れるなど最先端を走っており、当時その研究会を作ろうとしたが誰もいなかったという。彼はその
パソコンを駆使して自分の得意とするデザインを作り出している。それは個人的に豊かな感性に恵
まれていたからこそ、定年退職後も今日に生かされて、年何回か展覧会を仲間と開いている。時々
私も作品を見に行っている。
★そ
んなことから彼に、私が役員をしている港区職員退職者会が40周年を迎えたので、毎年発行して
いる「お元気ですか」の表紙絵をお願いした。それから間もなく彼から仲間との展覧会のハガキが
送られて来た。会場は以前訪れたこともある銀座裏通りの小さなギャラリーである。そこは関東大
震災後に立てられた建物であり、幾つもの小さな部屋が沢山あり、その小さな部屋の殆どが自分の
作品展を開いている人ばかりだ。エレベーターも手動で二重ドアを締める古典的なものには驚く。
ゆったりとした音楽が流れ狭い部屋であるが故なのか、自然と心が落ち着くから不思議だ。先輩の
会場も5階の6畳位の小さな部屋で三人の作品が剥き出しの壁に掛けられている。本当に数が少な
いので部屋に見合った作品展である。作品はともかくここを訪れるのは、お知らせを貰ったお友達
だけであろうが、本人達には自分の作品展を開いたという満足感があるのであろう。
▲空海と密教美術展
(H23.9.19)
●仏教美術には妻も関心があり、上野の東京国立博物館で開かれれば有名な美術展には必
ず鑑賞している。今回も見たいというので労働組合で3割引の入場券を確保して1ヶ月後
の今日訪れた。動物園のパンダ、科学博物館の恐竜展、国立博物館の空海と密教美術展と
人気の催し物が重なり、上野公園は3連休最後の日とあってごった返している。
さて、恐竜展も100分待ち、我々が鑑賞する仏教美術展も40分待ちと案内されている。
炎天の中の順番待ちには辛いものがある。熱中症にかからないように雨傘を日傘代わりに
使ったり、小まめに水分補給をして1時間弱待たされて館内に入ることができた。館内の
混雑にも目を見張る。案内所で博物館ニュースを手に入れようとするが既に品切れで資料
が入らなかったので案内パンフレットを貰って会場に入った。
●会場内の混雑酷く展示物の前に行くには時間がかかる。何とか前の人の後ろについてそ
の人たちが抜けてから展示物の前に出ることが最後まで続いた。日本の美術史において、
重要作品の半数は仏教美術が占めるといわれている。特に仏教美術の中でボリュームがあ
るのが密教美術とか。即ち、日本の美術のなかで密教美術が占める比重はきわめて高い。密
教とは「秘密仏教」という意味で、明瞭な言葉で説いた仏教を「顕教(けんぎょう)」と
いう。密教は言葉だけでは伝えきれない真理があると考え、秘密の教義や儀礼によって師
から弟子へと伝えるものと捉えている。
日本に密教を伝えた空海(774~835 年)自身が「密教は奥深く、文章だけで表わすのは困
難であるから、かわりに図画などを用いて悟らないものに示すのだ」(『御請来目録』)
という意の文章を残しているように、
「言葉だけでは伝えられないもの」を伝えるために、
密教では仏尊や密教教理を視覚化した仏像や曼荼羅、さまざまな法具をきわめて重視して
いる。空海その人が、その詩文の才や闊達な書を長安の文人サロンで激賞されたほどで、
芸術的才能の塊という趣のある人物。密教そのものが美術と不可分であるうえに、空海と
いう人物がこれを紹介したおかげで、日本の密教美術はとくべつ充実したものとなったと
いう。
●密教の教理では頭ごなしに煩悩を否定することはなく、『理趣経』では愛欲さえ菩薩へ
の道だと説かれるほど。また、異教の神々や修法も積極的に摂取し、内包して発展した経
緯があるため、密教の仏像には異形の姿のものが多くある。密教美術の特質は、官能性と
呪術性にあるといわれている。『空海と密教美術』展は、こうした密教美術の中でも特別
な優品・名品だけを選りすぐった展覧会で、総出品数は99 件で、そのうち1件をのぞく98
件が国宝・重要文化財指定のもので、非常に濃密な内容という。
●私たちも密教についてそれ程の知識もなく、空海の生きた時代に思いを馳せながら、1
200年前に書かれた空海の書や、仏像の素晴らしさに目を奪われながら混雑する中をヘ
トヘトになって鑑賞した。しかし、仏像からオオラを貰わなかったというのは、大勢の人
で混雑していたのでじっくりと、仏像と向き合うことが出来なかったことが一因なのかも
知れない。今回の鑑賞の反省点は会期中の中間点のウイークデイに鑑賞することだとつく
づく思った。混雑の中では作品との対話も出来ないことを思い知らされた美術展だった。
群炎展
(平成23年10月7日)
昨年の文化の日に「プラザノース」で群炎展が開かれていたので覗いてみた。その時はどんな美
術団体か知らないが、群炎美術協会は昭和37年に日本橋三越で東京芸大出身者が中心になって
「具象展」を開いたのを切っ掛けに、既成の美術団体にはない自由な創作発表を旨とする個性重視
の闊達な団体を設立し、東京都美術館を展覧会会場として半世紀を迎えようとしているが、今年か
ら会場をここに移したらしい。 (1)絵画、(2)工芸、(3)人形美術の3部門からなり、それぞれ作品
を広く一般、会員から募集している。群炎美術協会の理念は「個性を尊重し、展覧会を通じ各自の
美術に対する主観的態度の確立を期し、もって、『日本美術』の進展に寄与すること」とするとし
ている。作品の作風に「師匠<==>弟子」という因習にとらわれず、個々人は自由闊達を基本姿
勢として作品制作に励んでいるとのことだ。
★今年は第50回展をプラザノースで開催したので見に行った。今回の展示作品は193点。一般
公募41点である。大規模なメジャーの公募展とは違って、規模が小さいことから、このような街
中で身近なところで開くことで、作品がどうのこうのと云うことではなく、身近で美術作品のよさ
に触れてもらえることが素晴らしいことだ。日常生活の中で作家の作品を飾るというよりも、自分
の作ったものをインテリアとして飾り生活に潤いを持たせるヒントもこのような美術展にはある。
★今回、特に印象に残ったのは、3月11日の東日本大震災、特に大津波による沿岸部の集落を飲
み込んでしまった被災跡地の風景が大勢の人の脳裏に焼き付いており、それを作品にした2点が私
の目に止まった。1点目は及川 孝さんの「爪痕」。2点目は、盛山重信さんの「慟哭の譜」であ
る。その他には、山田孝子さんの「鹿島槍ヶ岳」である。この山は登らねばと思いつつも未だに、
その夢は達成されていない。つぎに写真美術で中野澄子さんの「ゆらぐ」で写真というよりもフリ
ーハンドのデザインに近いものがある。美術鑑賞が趣味の私も今年は、都内に出る機会が少なくな
ったことから、次第に足も遠ざかり、身近なマイナーな美術展に行くように切り替えた。
松代の池田満寿夫美術館を訪れて
(平成23年10月31日)
専科一期校友会主催第一回バスの旅「松代の文化遺跡見学」で、個人的に期待していたことが二
つあった。その一つは大営本部跡の地下壕を見ること、もう一つは池田満寿夫美術館を訪れること
であった。松代を戦後有名にさせたのは、松代藩を幕末までの250 年間を治めた眞田氏よりも藩第
2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代
に移すという計画の下に構築した地下壕の跡である。昭和19 年11 月から約9 ヶ月の間と当時のお
金で約2 億円の巨費とおよそ延べ300 万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員
され、1 日3 交替徹夜で工事が進められました。食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いら
れ、多くの犠牲者を出したと言われている。戦前、多くの朝鮮人が日本各地でこのような状況に置
かれていたことは周知のとおりだが、ボランティアの方も説明していなかったが、ここでも朝鮮人
を使った慰安所もあり悲惨なものだったという証言も残されている。このような施設を見学する度
に心が痛む。我々はこの事実を忘れることなく世界平和に向けて歩み続けることが大事であると痛
感した。
★さて、岡本太郎「太陽の塔」、丸木位里「原爆の図」、池田満寿夫「草の上の劇場」で知られて
いる三人は私が好きな画家である。共通点は世界で大きく評価されているが、個人の独創性や強烈
な想像性を毛嫌いする保守的な日本画壇での評価は正等に評価されていないことである。そのよう
なところが私の反骨精神をくすぐりファンである由縁でもある。特に池田満寿夫の作品を見ている
とピカソに通じる作品でその独創性は日本人離れしている。これまでも単品の作品は何回か見てき
ているが、まとめた展覧会は一度も見ていない。2008 年1 月~3 月まで東京オペラシティギャラ
リーで「池田満寿夫-知られざる全貌展」を鑑賞とパンフレットを取り寄せながら仕事で忙しく見
逃してしまった。それ以来、東京近辺では開催されることもなく、一度、松代の池田満寿夫美術館
を訪れねばと思っていた。それが今回実現しこの上ない喜びである。池田満寿夫美術館は長野市出
身の国際的芸術家の名を冠した唯一の美術館として、信州・長野市最南端にある真田十万石の城下
町、松代町に1997 年4月開館。この美術館は栗のお菓子で有名な竹風堂がスポンサーとして運営
している。内外の受賞作品・版画だけでなく知られざる初期油絵,水彩画,最晩年の陶彫シリーズ
「土の迷宮」など多様な作品・資料を収集し,企画展・常設展で公開している。
今回の企画展は、「モダン<現代的>とはなんだろう」で、池田満寿夫が見た1960-70 代のフ
ァッションを芸術家のめで参照し、それをベースに版画を通して自分の思いを表現した作品展であ
る。そこには銅版画や写真、雑誌などの作品にモダンで独創性や創造性が漲っており、こんな一面
があったのと思い知らされ、普遍的な魅力を感じることは言うまでもない。一階、二階のギャラリ
ーも私一人の鑑賞なので、こっそりと展示物の写真を撮りまくった。私にとっての今日の見学のメ
インはこの美術館であったから素晴らしい一日となった。
豊橋市立美術博物館を訪れて
(H23.11.10)
美術館めぐりを趣味としている私は、地方に出掛ける場合には必ずインターネットでその町の美術館
等がどこにあるのか調べ時間をさいて訪れているのが常である。今回は全国自治体退職者会第40回定
期総会があったので、会議に出席する前の時間を利用して美術博物館を訪れた。
豊橋市美術博物館は、豊橋公園(吉田城跡公園)内の豊橋市今橋町 3-1 に有る市立の美術館・博物
館で 1979 年(昭和 54 年)6 月 1 日に開館。郷土の美術品、資料等を展示している。初めての地を訪れ
るのは私の好奇心をくすぐり大変楽しいものである。広い公園の中にある美術館はどこも落着きがあっ
て訪れる人にとっては癒しの場ともなっている。この美術博物館の環境も素晴らしい。さて、今回の企
画展は「渡辺小華とその時代」で、地元の
郷土画人展である。国宝「鷹見泉石」で有名な渡辺華山の次男・小華の作品を中心に展示されている。
小華は、幕末から明治の初期まで田原藩の家老を務めながら制作を続けてきた。明治初期に豊橋関屋の
百花園に居住し、多くの画人・文人と交流をもち、崋山・椿山から続く画系は当地方の画家たちに大き
な影響を与えた人で、
今回は約30年ぶりの回顧展とか。何時ものことながら日本画や南画などは木の文化の日本家屋には
しっくりしてマッチしている。企画展を見てから豊橋市民のシンボル的公園の吉田城跡、三の丸会館を
観て廻り、その昔を偲んだ。また、そこに大日本帝国陸軍歩兵 118 連隊の練兵所になっていたことを知
る。亡き母が若き時に豊橋の紡績工場で働いており、一度訪れたいと語っていたがその夢も叶わず91
歳で他界した。母が言うには隣が兵隊の宿舎だったということを思い出し、美術博物館の人に聞いてみ
たらそれは愛知大学の前で連隊の碑があるし、今でも紡績工場はあるという。地図で調べたら現在のユ
ニチカではないだろうか。そんな思いで豊橋を訪れた。
さいたま市大宮盆栽美術博物館
(平成23年11月29日)
いきがい大学春日部学園14期校友会会員の私は2班に所属し、12名の卒業生も7名と減少したことや、
7名の中には伊奈学園校友会で活動している人が4名もいることから、特別に班活動はしないで14期校友
会関係の行事に参加し、校友会活動を盛上げることをモットーにこの一年間活動を続けることにしている。
今日はいきがい大学春日部学園14期校友会23年度事業として、企画部・ハイキングクラブ合同ハイキン
グ「大宮公園周辺」に参加した。その一環として盆栽村を訪れた後、2010年に世界で初めての公立の「盆
栽美術館」として開館した「大宮盆栽美術館」を訪れた。私は2回目であるが、今回の参加者10名の中に
は始めての方もいるので私が案内役を務めた。
★名高い大宮の盆栽村に近接して設けられた美術館は、旧高木盆栽美術館のコレクションをひとつの核とし
た盆栽の名品、優品をはじめ、盆栽用の植木鉢である盆器や、一般には水石と呼ばれる鑑賞石、盆栽が画面
に登場する浮世絵などの絵画作品、それに、盆栽に関わる各種の歴史・民俗資料等を系統的に収集、公開し、
さいたま市の伝統産業にも指定されている盆栽の文化をひろく内外に発信することを目的として、活動して
いくことを目的としてオープンしている。活動の柱として次の三つのことを掲げているとか。
1、盆栽と盆栽を取り巻くさまざまな伝統技芸の歴史や意義を、美術史や工芸史、園芸文化史などの多様な
観点から調査・研究して、得られた高度な成果を展示活動や出版物を通じて、わかりやすく公開していくこ
と。また、展示事業ばかりではなく、各種の講座、講演会などの普及事業をも積極的に展開して、盆栽文化
に親しんでいただくための機会を、年間を通じて常に開催していくこと。その上で学際的な盆栽研究の確立
を目指す。
2、鉄道博物館と並ぶさいたま
市の新たな名所として、市民の方々はもとより、国内外から当市を訪れる方に、盆栽の素晴らしさ、面白さ
に気軽に触れていただくための主要な観光の拠点とすること。
3、盆栽美術館の観覧を
きっかけに、盆栽村を中心とした市内各所の盆栽園を訪れていただき、盆栽の奥深さをより味わうなかで、
伝統産業としての盆栽業の力強い応援団となっていただくための、いわば水先案内人を務めること。
★みなさん、盆栽の美しさに見惚れていました。館内は写真撮影禁止ですが、庭園の中に一箇所盆栽を入れ
て撮影OKの場所があり、その開放感を満喫していました。
埼玉県立歴史と民俗の博物館
(平成23年11月29日)
いきがい大学春日部学園14期校友会23年度事業として、企画部・ハイキングクラブ合同ハイキン
グ「大宮公園周辺」に参加した。その一環として盆栽村を訪れた後、
「埼玉県立歴史と民俗の博物館」
を訪れた。埼玉県立歴史と民俗の博物館は、歴史と民俗を中心にした歴史系総合博物館。前身は 1971
年に現在地に開館した埼玉県立博物館で、2006 年に埼玉県立民俗文化センターと統合して現名称となっ
た。今年で開館40周年である。40周年と言えば、私が所属する港区職員退職者会も40周年を向か
えことを思うと、40周年と云う区切りには感慨深いものがある。今回、特別展はなく常設展のみの見
学であったが、ボランティアガイドの説明があり、展示物の理解が深まったことは言うまでもない。こ
このボランティアガイドには私が卒業したさいたま市シニアユニバーシティ卒業生の大勢の方が関わ
っている。見学前に昼食をした時に隣のテーブル昼食していたのもその方々だったのでお話しすること
が出来た。みなさん生き生きした目で熱く語ったのが印象的だった。ここの博物館の特徴は常設展で「埼
玉における人々のくらしと文化」について、★第1室「旧石器時代~弥生時代」
(約 30000 年~1700 年
前)、★第2室「古墳時代」鉄剣は語る(約 1700~1300 年前)、★第3室「奈良~南北朝時代」武蔵武士
誕生(約 1300~650 年前)、★第5室「室町~戦国時代」乱世に生きる(約 650~400 年前)★第6室「板
碑」武士の心(750~400 年前)、★第7室「江戸時代1」幕府の支配と村のくらし(約 400~150 年前)、
★第8室「江戸時代2」社会の成長とゆらぎ(約 400~150 年前)、★第9室「明治時代~現代」激動の
時代をこえて(約 150 年前~現代)に分かれて、
埼玉の歴史を時間別に追って見られるのがいいところだ。
日本スキー博物館
(平成24年2月12日)
35年前の昭和52年1月28日~2月1日まで実施された、港区区役所スキー部第5回スキー
教室の時に、中村良平君と初めて訪れている。その時は美術鑑賞を趣味にしているわけでないので
細かな記録を残していなかった。今回、3年ぶりにスキー教室に参加したことから訪れたいと思っ
ていた。スキー教室の三日目は午前中のみなのでスキーはせずに、井口君、由井君を誘ってスキー
博物館を訪れた。
「野沢温泉のスキー伝来百周年記念特別展=野沢のスキー」を開催中で、100 年間のスキーの歴史
が見られ感動したことは言うまでもない。明治44年のレルヒ少佐の一本杖スキー術の紹介、本格
的なスキー術を伝えたシュナイダー、日本が初めて参加したサン・モリッツオリンピックから2010
年のバンクーバーオリンピックまでの関係資料、その中でも日本の誇れる猪谷千春の活躍を紹介し
ている。1956 年アメリカ在住でコルティナダンペッツォオリンピックに出場し、スキー男子回転
で、金メダリストのトニー・ザイラー(オーストリア)に次ぐ2 位入賞、銀メダルを獲得した。1958
年バドガシュタイン(オーストリア)での世界選手権に出場、回転で銅メダル獲得、大回転でも6 位
入賞等を紹介している。また、熊本藩主の子孫で細川家16代当主細川護立が日本のスキー黎明期
を支えた先人であることを初めて知った。細川護立の年表の中で私の好きな登山家「槙有恒、板倉
勝宣」の名前を見つけたときはうれしかった。岡本太郎が野沢温泉村の「湯」の字をデザインした
ことも紹介している。
その他に、スキーや金具の進化の歴史も現物を展示していることから、自分たちも使い出した懐か
しい用具を確認できて自分たちの歴史を知ることにもなった。日本で開催された1972 年2 月の札
幌オリンピック、1998 年2 月に開かれた長野オリンピックも紹介されている。中でも平成15 年7
月世田谷美術館で本物を見たこともある、絹谷幸二の長野オリンピック公式ポスター「銀嶺の女神」
に出会えたことがうれしかった。そのほか野沢温泉村で冬に使われていた木材運搬用のソリなどが
展示され村の生活の一部を垣間見ることが出来た。博物館は2階建て展示スペースもまとまりがあ
り、静かでゆっくり鑑賞できた。
H24.2.13―17
私は21年4月から「彩の国いきがい大学伊奈学園専科一期生」として一年間学んだ。
要するにこの学園は平成21年度から開設された一年制課程コースで、それまでの一年制
課程よりも、専門別に特化して、より実践的な学習につとめ社会の変化に対応できる能力
を身につけ、社会参加による生きがいを高め、卒業後は地域社会のリーダーとして、活動
することを目的として設置された。私たちは専科コース在学中には、学習、自治会活動、
クラブ活動及びイナ・ヴォイスやネットクラブ活動等をとおして多くのことを学び、卒業
後は校友会を立上げ、伊奈学園校友会連絡協議会へ参加すると共に、卒業生の多くは専科
コースで学んだことを実践すべく、様々な分野で地域活動に参加し活動しています。
★専科一期生の半分が二年制に進みました。その人たちが今年の3月で卒業します。中で
も美術工芸科に進んだ5人も卒業に向けて作品作りに励み、卒業記念作品展(27名)に
出品しています。また、さいたま市シニア大学のクラスメートの山田勝子さんの作品も鑑
賞しました。これはと思わせる作品はありませんでしたが、水彩、油絵、墨彩の三つを比
較すると墨彩は濃淡がはっきりすることもあってか墨彩には惹きつけられる作品もありま
した。卒業後、学園の建学の精神である地域ボランティアの参加に対して、美術工芸科で
学んだことをボランティアにどう生かすのか難しい問題です。しかしながら、卒業にあた
って2年間の総決算として作品展を開くことは一つの区切りとして素晴らしいことです。
伊藤登さん
小野正子さん
鈴木玉三郎さん
若林今朝六さん→
山田泰子さん
さいたま市シニアユニバーシティ校友会連合会
第20回文化祭作品展示会
(H24.2.22~25)
毎年、文化祭は各校友会協議会が持ち回りで開催している。それ故に会場の展示もそれ
ぞれの特色と賑わいがある。今回はこれまでと違って、会場も第一と第二を確保できたこ
とから、ゆったりとジャンル別で出身校別に展示されており、鑑賞する者としては目録を
追って見ていくので、まごつくことなく会場を回ることができた。年を重ねるたびに参加
者も少なくなることは自然の成り行きであるにせよ、我が出身校大宮校六期校友会の出展
数が例年になく少なく寂しかったことは否めない。今回の展示会をもってポスケッチクラ
ブは3月末で解散することを耳にしたので、どうしても記録に残さなくてはとの思いから
取材に訪れた。振り返って見れば、矢尾悟さんがシニアユニバーシティ大宮校六期生とし
て入学以来、6年間にわたりポイケッチクラブのお世話をしてきたご苦労に対して感謝を
申し上げたい。お疲れ様でした。
第16回JR東日本 園芸展
(平成24年5月15日)
さいたま市シニア大学大宮校6期校友会6班の班活動として、今日はスカイバス東京で新
緑の都心めぐりをする予定で大宮駅中央改札口に9時50分に集合することになっていた。
私は時間を間違えたわけではないが、30分も前に着いてしまったので駅コンコースの西
口近くで開かれているJR東日本園芸クラブ主催の園芸展を覗いてみた。当地大宮には盆
栽村があるように、盆栽の盛んな地であり、ここで盆栽展が開かれるとおのずと関心を持
ってしまう。
★盆栽とは草木を鉢(盆栽鉢、盆器)に植えて、枝ぶり、葉姿、幹の肌、根及び鉢の総称、
もしくはその姿全体を鑑賞する趣味であり、また、その植物の、野外で見られる大木の姿
を、鉢の上に縮尺して再現することを目指すものである。そのために剪定を施したり、自
然の景観に似せるために枝を針金で固定し時に屈曲させ、あるいは岩石の上に根を這わせ
たりと様々な技巧を競うのも楽しみの一つでもある。施肥、剪定、針金掛け、水やりなど
手間と時間をかけて作る。生きた植物なので「完成」というものがなく、常に変化するの
も魅力の一つもいえるようだ。出品者は16名と少なかったが賞をいただいた作品は本当
に素晴らしいく誰しも近寄ってはよく鑑賞していたのが印象的だった。本当に何年もかけ
て取組む根気のいる作品作りである。
★趣味の世界は何であれ、出された作品の向こうには、見る側の思いと作者の思いが一致
しているかはわからないが、作者の思いを推測しながら鑑賞することが大変面白い。私は
そのようにしてどの作品展でも鑑賞している。
▲武州妻沼・聖天山
(H24.5.24)
平成17年6月に妻沼町の聖天山の近くにあるアジサイ寺「能護寺」を訪れた際には、聖天山は
修理中なので、そのまま立ち寄らずに帰ってきた。それ以来、聖天山の詳しいことは調べもしなか
ったが、最近、平成24 年5 月18 日(金曜)に国の文化審議会から文部科学大臣に答申がなされ、
妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」が、国宝に指定されることになったというので、クロー
ズアップされてNHKテレビや新聞にも紹介された。このことを知り我々も余り混雑しないうちに
訪れようということになり、久しぶりに昔の道をたどってやってきた。
★熊谷市と合併した妻沼町の「歓喜院聖天堂は、享保20 年(1735)から宝暦10 年(1760)に掛け
て、林兵庫正清及び正信らによって建立されました。これまで知られていた彫刻技術の高さに加え、
修理の過程で明らかになった漆の使い分けなどの高度な技術が駆使された近世装飾建築の頂点を
なす建物であること、またそのような建物の建設が民衆の力によって成し遂げられた点が、文化史
上高い価値を有すると評価されました。日光東照宮の創建から百年あまり後、装飾建築の成熟期と
なった時代に、棟梁の統率の下、東照宮の修復にも参加した職人たちによって、優れた技術が惜し
みなくつぎ込まれた聖天堂は、「江戸時代建築の分水嶺」とも評価され、江戸後期装飾建築の代表
例です。」と解説している。
★寺伝では治承3 年(1179 年)に、長井庄(妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊
の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされている。そ
の後、建久8 年(1197 年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本
坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。中世には忍(おし)城主の庇
護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、寛文10 年(1670 年)の妻沼の大火で焼
失した。現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18 世紀半ば)にかけて再建されたもの
である。平成15 年から平成23 年まで本殿の修復工事が行われ、平成22 年11 月18 日に本体工事
の竣功式を、平成23 年6 月1 日に竣功奉告法会を執行し、同日から一般公開が始まっている。平
成15 年から平成23 年までの修復工事により創建当初の極彩色の彫刻が蘇った。総工費は13 億5
千万円。9億6 千万円が国と県と市の補助金、3 億5 千万円が信徒の寄付であるという。ここにも
建物の建設資金にを信徒1/4も負担するという昔からの伝統が受け継がれている。真言宗の仏教
寺院。
★私の武州妻沼・聖天山の一番の見所と言えば、聖天堂の極彩色豊かな彫刻と貴惣門に施された彫
刻及び、貴惣門の三つ重なる破風である。実際に見て日光と同等の作品に目を見張るばかりだった。
●彫刻は聖天堂(本殿) - 拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮など
に見られる、複数棟を一体とした建築様式)の建物である。幕府作事方棟梁の平内政信の子孫の妻
沼の名工林兵庫正清の設計で、子の正信の代まで享保から宝暦10 年(18 世紀半ば)にかけて数十
年をかけて再建されたもので、左甚五郎作と伝わる「鷲と猿」や中国の故事にちなんだ「七福神と
唐子遊び」、「三聖吸酸」、「司馬温公の瓶割り」など胴羽目に極彩色の彫刻を施す装飾性の高い
建築。貴惣門の「龍」と「獅子」も極彩色はなく干からびているもののダイナミックで力強い彫刻
には圧倒される。本殿外壁の装飾木彫刻は豪壮華麗のオンパレードで美術の館そのものと言える。
●貴惣門の三つ重なる破風、境内正面入口に位置する高さ18m の銅板葺きの八脚門。屋根を上下二
重とし、下重は前後に2 つの切妻屋根を架け、側面から見ると3 つの破風をもつ特異な形式の門。
持国天、多聞天の像を左右に配置している。妻沼の林正道により、嘉永4 年竣工、安政2 年(1855
年)頃の完成。
信濃国善光寺道記録絵図展
(平成24年6月23日)
2009.8.2−9.27 まで「池田宗弘が見た善光寺街道」が長野県・朝日村の朝日村美術館で開催され
ていた。私も9月23日に日帰りで見に行ったことがある。その時の作品を小さくして街道筋の風
景スケッチをメインに飾り付けた作品展である。風景のスケッチには私が昨年訪れた麻績村の街道
風景もあり懐かしさを覚えた。このような作品は私達に郷愁を誘うものであり自然と私の心らも染
み込んで来る。当日は我が職場のスキー部創部40周年パーティもあったので、早めに出て作品展
を訪れた。池田さんとも久しぶりの再会となった。昨年、麻績村に池田さんの作品展を見に行った
が、突然のことで連絡すれば迷惑がかかるので止めて、旧大岡村に私の友達の別荘を訪れて20数
年ぶりに再会し喜びあった。それ以来の池田さんの作品展であり、私もうれしかった。今年は長崎
から頼まれている彫刻があるので麻績村では作品展を行わないというので友達を訪れる機会もな
くなってしまった。
さきたま史跡の博物館
(平成24年7月4日)
今日は梅雨晴れとなり14期校友会の絶好の学習会日和となった。今回の学習会企画は、田市の
史跡めぐりで「古代蓮の里・さきたま古墳公園・さきたま史跡の博物館」の見学と「はにわの館」
での埴輪作りである。今回の素晴らしさの一つは、古代人の物づくり体験を加えたことである。今
回期待していたのは、さきたま史跡の博物館の見学である。というのは3年前に訪れた時は工事中
で見られなかったのでこの機会にと考えていた。
●古墳巡りをしていた時に将軍山古墳の資料展示館を初めて訪れた。将軍山古墳は、1894(明27)
年に地元の人びとにより発掘され、横穴式石室からは馬用のカブトである馬冑や、蛇行状鉄器をは
じめ、銅鋺、環頭大刀など、多くの副葬品が出土。その後、墳丘はかなり崩れてしまいました。そ
こで、これらの遺構や遺物を保存活用していくために、墳丘や堀の復原とともに、石室の内部が見
学できる将軍山古墳展示館を設置したという。古今東西古人の豪族の墓に埋葬される内容は変わり
ないと思った。
シャルダン展―静寂の巨匠
(H24.12.20)
完全リタイヤーしてしまうと都内に出かけるのも億劫
になる。これまで足繁く通っていた美術鑑賞も自然と足
も遠のいてしまった。今回は退職者会役員の仲間が行か
ないので美術鑑賞好きの私に招待券が回ってきた。三菱
一号館美術館で開かれている「シャルダン展―静寂の巨
匠」である。これならば退職者会の役員会のついでに鑑
賞できるので有難くいただいた。初めて知る画家なので
少しプロフィールを紐解いて見た。
★ジャン・シメオン・シャダン(1699-1799)は、フラン
スを代表する静物・風俗画の巨匠。パリで家具職人の父
親のもとに生まれた。1718 年から歴史画を得意として
いたカーズの工房に入って画業を開始。1720 年にはコ
アペルにも短期間師事し、その間に静物画を描く助手を
つとめたことがあるらしい。1728 年に《赤エイ》で
認められて王立絵画・彫刻アカデミーの正会員とな
ったが、その後も生計を立てるためフォンテーヌブ
ロー宮殿の修復作業などに参加。30 年頃から静物画の作品が増え、台所の食器類や食材などを題
材とする作品が制作されている。33 年頃からは風俗画の作品が増え始め、その大半が食卓の情景
やカード遊びに興じる子供などセーヌ左岸の日常生活を主題とする。40年にヴェルサイユ宮へ参内
して献上した《働き者の母》と《食前の祈り》はシャルダンの作品としては特に知られている。1752
年以降、国王の年金を受けており、また55年からはアカデミーの会計官をつとめたほかサロンの陳
列委員も任され、57 年にルーヴル宮殿にはアトリエ
兼住居を授かっている。これは絵画のなかで歴史画
に最高の価値が置かれていた当時、風俗画家として
は異例の名誉で、彼の作品の買い手や注文主の多く
も、国内外の王侯貴族だった。とくにエカチェリー
ナ2 世は、サンクト・ペテルブルクにあるアカデミ
ーの建物のために装飾画を注文しているし、他にも
風俗画を含む数点のシャルダン作品を所有していた
(《芸術の寓意とその報償》など)★[わが国で初め
てのシャルダンの個展となる本展はルーヴル美術館
名誉館長ピエール・ローザンベールの監修により、
厳選した作品のみで構成されます。
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