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Title ボードレールと「モード」 - Kyoto University Research Information
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ボードレールと「モード」 - ベンヤミンによる批判を手
がかりにして -
小田, 直史
文明構造論 : 京都大学大学院人間・環境学研究科現代文
明論講座文明構造論分野論集 (2009), 5: 29-52
2009-09-30
http://hdl.handle.net/2433/87387
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
以 降 の 万 国 博 覧 会 に お け る 主 な 目 的 と は 、「 事 物 に ま つ わ る 教 化
things」 を 人 民 に 施 す こ と で あ っ た 。 4
ボードレールと「モード」
lesson of
機械産業によって生産された種々の
製 品 を 展 示 し 、そ の 生 産 過 程 を 人 々 に 開 示 す る こ と に よ り 、
「 物 質 的 、知 的 進
——ベ ン ヤ ミ ン に よ る 批 判 を 手 が か り に し て ——
歩」を啓発することが可能であると考えられたのである。
全般的な進歩をあらわすこのバザールに、
小 田
直 史
おのれの戦利品を展示する諸々の産業は、
クリスタル・パレス5 を豊かに満たすための、
はじめに
妖精の杖を手にしたかのようである。
「世界は終わろうとしている。まだ存続するかもしれない唯一の理由は、
そ れ が 実 在 し て い る と い う こ と で あ る 」。 1 1850 年 代 半 ば か ら 書 き 始 め ら れ
金持ち、学者、芸術家、プロレタリアート
た「火箭」のなかで、ボードレールは、迫り来る産業化の潮流を予感し、こ
それぞれがともに力を合わせ、
のように書き記している。急速な産業化を遂げた社会に備わった終末論的な
気高い同士のごとく団結し、
気運を、彼はロンドンを経由してパリという都市のなかにも予感しているの
誰しもが、各々の幸せを望む。6
で あ り 、こ う し た エ ネ ル ギ ー の も と で 、人 間 は 、
「情け容赦ない道徳法則の新
たな実例と新たな犠牲者」2 になるのだと言う。ボードレールのこのような
ベンヤミンが『パサージュ論』に引用しているジュール・ゴルディエの『ク
思考のうちに認められるのは、彼が日に日に高まる産業化への気運を悪魔的
リ ス タ ル ・ パ レ ス あ る い は ロ ン ド ン に 行 っ た パ リ の 人 々 』( 1851) の こ の 一
なものとして捉えようとしていたということであり、同時に、そのような気
節は、既に第一回万国博覧会から、来館者の誰しもがある陶酔感のうちに浸
運への憎悪を剥き出しにしていたということである。
「人間を取り巻く事物世
り込んでしまう力学を認めている。目新しさと、機械技術の進歩を目の当た
界 は 、 ま す ま す 仮 借 な く 商 品 の 姿 を 取 っ て ゆ く 」 3 ——ベ ン ヤ ミ ン が 「 セ ン
りにし、人々は「諸々の幸せ」を育むために突き動かされる。それはすなわ
トラルパーク」のなかに記したこの一文は、ボードレールが目にした同じ世
ち、幸福をもたらす「妖精の杖」の魔力に、人々が翻弄されたということに
界を捉えて描かれた一文であり、ボードレールがそのなかに人々を魅了する
ほかならない。産業によって生み出された種々の「商品」が、進歩という名
悪 魔 的 な 性 格 を 見 た 同 じ 世 界 イ メ ー ジ に つ い て の ス ケ ッ チ で あ る 。 1852 年 、
のもとで人々を「大衆化」する力(すなわち、共通の価値体系)を持ち合わ
パリに世界初の百貨店(ボン・マルシェ)が開店し、フランスは大量生産/
消 費 の 時 代 へ と 突 入 す る 。ウ イ リ ア ム ズ が 述 べ て い る と こ ろ に 拠 れ ば 、55 年
1 Baudelaire, Charles: “Fusées” ; Œuvres complétes I (Paris: Gallimard,1975), p.665.
(XV)
2 Baudelaire: ibid .
3 Benjamin, Walter: “Zentralpark” ; Walter Benjamin Abhandlungen Gesammelte
Schriften Bd.I-2 (Frankfurt a.M. : Suhrkamp Verlag, 1974), S.671. (20)
4 Williams, Rosalind H.: Dream Worlds: Mass Consumption in Late
Nineteenth-Century France (Berkeley: University of California Press, 1982), p.58.
5 「 ク リ ス タ ル・パ レ ス
le Palais de Cristal」と は 、1851 年 ロ ン ド ン で 開 催 さ れ た
第 一 回 万 国 博 覧 会 の 展 示 会 場 の こ と 。 55 年 の パ リ 万 博 で は 、 こ の 「 ク リ ス タ ル ・ パ
レ ス 」 を 上 回 る 規 模 の 「 産 業 宮 Palais de l’industrie」 が 建 設 さ れ た 。
6 Benjamin, Walter: “Das Passagen Werk” ; Walter Benjamin Das Passagen-Werk
Gesammelte Schriften Bd. V-1 (Frankfurt a.M. : Suhrkamp Verlag, 1982). S.256.
(G10a,2) 以 下 『 パ サ ー ジ ュ 論 』 か ら の 引 用 箇 所 に は 「 PW.」 略 記 の 後 に 当 該 頁 を 記
す。
せるのだとすれば、それはマルクスが『資本論』第一巻で語っている「物神
した。だとすれば、冒頭に挙げた一節で言われていることは、高度資本主義
der Fetischismus」 に つ い て の 定 義 と 合 致 す る 。 フ ェ テ ィ シ ズ ム か ら
社会の勃興とともに確固たるものとして彼の意識のうちに現れ出るものなの
出 発 し 貨 幣 崇 拝 へ と 至 る 道 程 が 、既 に 50 年 代 に は 予 感 さ れ て い た の で あ り 、
であろうか。
「 火 箭 」や「 赤 裸 の 心 」で は 、こ の 進 歩 史 観 に 対 す る あ か ら さ ま
万国博覧会のイデオロギーと、そこに展示される品々を取り扱う百貨店が、
な批判が繰り返される。しかし、産業社会のなかで生み出される
大衆の志向を操作するのである。
「 わ た し 、そ れ は 万 人 の こ と 。万 人 、そ れ は
なもの
わ た し の こ と 」 7 ——ボ ー ド レ ー ル が 「 宗 教 的 な 陶 酔 」 と い う そ の 内 実 は 、
め く 大 衆 と 同 様 、 ボ ー ド レ ー ル の な か に も 備 わ っ て い た 。「 現 代 生 活 の 画 家 」
「わたし」という主体の不在にほかならない。それを彼は別の表現で「汎神
( 1863) で 、 ボ ー ド レ ー ル は 「 モ デ ル ニ テ
論」あるいは「渦巻き」と呼んでいる。周囲のものが中心に備わった力によ
いてみずからの芸術的理想を描き出そうとしている。その際、この「モデル
って吸い寄せられること、あるいは、そのような不可思議な力動の支配下に
ニテ」という芸術的理想を、彼は敬愛するコンスタンタン・ギースの作品な
置 か れ る こ と こ そ 、ボ ー ド レ ー ル が「 宗 教 的 な 陶 酔 」と 呼 ぶ 状 態 な の で あ る 。
か に 見 い だ そ う と し た 。「 生 き 生 き と し た 想 像 力 に 恵 ま れ 、 い つ も 人 間 の 大
大衆の、消費への力学(すなわち、大衆の「宗教的な陶酔」状態)がこうし
砂 漠 を 貫 い て 旅 す る こ の 孤 独 な 人 〔 ギ ー ス の こ と 〕」 に 備 わ っ た 天 分 を 、 ボ
た過程のなかから生じるのだとすれば、この過程を根源的に機能させている
ードレールは次のように紹介している。
崇拝
煌びやか
に触手を伸ばそうとする姿勢は、第二帝政下のブールヴァールに犇
la modernité」 と い う 造 語 を 用
原動力とはいったい何なのであろうか。
『 パ サ ー ジ ュ 論 』に 引 用 さ れ て い る ア
ルフォンス・カールの言葉にはこうある――「完全な場所にあるものなどな
彼 に と っ て は 、モ ー ド が 歴 史 的 な も の の う ち に 含 ん で い る 詩 的 な も の を 取
く 、 モ ー ド が す べ て の も の の 場 所 を 定 め る 」。 8 ベ ン ヤ ミ ン に 拠 れ ば 、「 モ ー
り 出 す こ と 、す な わ ち 、は か な さ か ら 永 遠 な も の を 取 り 出 す こ と が 必 要 な
ド 」の 本 質 と は 、
「 そ の 並 外 れ た 予 見 的 側 面 」9
の で あ っ た 。 10
に こ そ 認 め ら れ る 。つ ね に 未
来 を 予 感 さ せ 、「 新 し い も の 」 を 生 み 出 す 力 こ そ 、「 モ ー ド 」 に ほ か な ら な い
のである。絶えず「新たなもの」を生み出していくことが「進歩」と呼ばれ
ギースに備わったこのような天分こそ、ボードレールが「モデルニテ」と呼
る時、
「 モ ー ド 」を そ の 原 動 力 に す る 消 費 の サ イ ク ル が 、そ の 価 値 を 貶 め る こ
ぶ芸術的理想にほかならないが、ここにははっきりと彼の理想が「モード」
とはない。すなわち、ブールヴァールにひしめき合うブティックがつねに新
のうちに現れ出ると言われている。自らの芸術的理想をギースのなかに見い
しいものを展示し続ける限り、この図式が崩れ去ることはない。主体の意志
だ そ う と す る ボ ー ド レ ー ル に あ っ て 、自 ら が 詩 を 書 く そ の 根 幹 に は「 モ ー ド 」
によってではなく、このような消費システムのなかで取捨選択を繰り返すこ
と 密 接 に 関 わ ろ う と す る 姿 勢 が 窺 わ れ る の で あ る 。『 悪 の 華 』 の エ ピ ロ ー グ
と――ボードレールは産業化する社会に備わったこのようなイデオロギーに
「 126
抗 す る 姿 勢 を 持 ち 合 わ せ て い た の で あ る 。そ れ は 換 言 す れ ば 、彼 が「 モ ー ド 」
世 界 を 単 調 な リ ズ ム が 支 配 し 、常 に 同 じ こ と が 繰 り 返 さ れ る 世 界 ― ― 「ア ン ニ
に対する剥き出しの憎悪を抱いていたということに他ならない。
ュ イ な 砂 漠 」 11 と 見 る 詩 人 は 、「〈 未 知 な る も の 〉の 奥 底 に 、 新 し い も の を 探
旅」で、詩人は旅人から世界について見聞きしたことを聞く。この
産業化のなかで人々が心酔してゆく消費のサイクルをボードレールは憎悪
7
8
9
Baudelaire: ibid.
Benjamin: PW. S.111. (B1,6)
Benjamin: PW. S.112. (B1a,1)
10 Baudelaire, Charles: “Le Peintre de la vie moderne” ; Œuvres complétes II (Paris:
Gallimard, 1976), p.694. (IV) 以 下「 現 代 生 活 の 画 家 」か ら の 引 用 箇 所 に は「 Pm.」略
記の後に当該頁を記す。
11 Baudelaire, Charles: “Les Fleurs du mal” ; Œuvres complétes I (Paris: Gallimard,
1975), p.133. (CXXVI-VII)
る 」 12 旅 に 出 る 決 心 を す る 。こ こ で の 詩 人 の 根 底 に 備 わ っ て い る の は 、見 紛
きながらえることになるのである。
いようもなく「モード」への意志である。
本稿では、
「 モ デ ル ニ テ 」と い う 芸 術 的 理 想 を ギ ー ス の う ち に 読 み 込 み つ つ
このようなボードレールの相反する思考に注目すれば、冒頭の引用文も彼
物語ろうとするボードレールの思考の本質について明らかにすることを目的
が高度資本主義社会の勃興に対する危機感を抱いていたことによる終末論的
と し て い る 。ベ ン ヤ ミ ン の 解 釈 に 従 え ば 、
「 モ デ ル ニ テ 」の 自 壊 に よ っ て 生 じ
イメージと単純に捉えることは出来ない。むしろボードレールの思考を辿っ
る 思 考 の な か で こ そ 真 の「 弁 証 法 的 イ メ ー ジ 」が 現 れ 出 る こ と に な る の だ が 、
てゆけば、そこに時代のなかへと埋没する(あるいは埋没しようとする)彼
本稿では、そうしたイメージが現れ出る以前の段階、すなわち彼の芸術的理
の 姿 が 浮 か び 上 が る の で あ り 、同 じ こ と は「 パ リ ——一 九 世 紀 の 首 都 」
(フラ
想に議論を限定している。その意味では、本稿の位置づけは、弁証法の前段
ン ス 語 草 稿 ) の な か で 、 ベ ン ヤ ミ ン も 言 及 し て い る 。「〔 ボ ー ド レ ー ル が 言 う
階――「弁証法的イメージ」についてのボードレールの
と こ ろ の 〕新 し い も の と は 、商 品 の 使 用 価 値 か ら 独 立 し た 質 で あ る 。そ れ は 、
言うべきものになるのだが、こうした試行錯誤のなかでさえ、その可能性は
モ ー ド が 飽 く こ と な く 供 給 す る あ の 幻 想 が 発 端 な の で あ る 」。 13
「モード」
予感されているのであり、それは「アレゴリー」として語られているのであ
に よ っ て 供 給 さ れ る 価 値 に 心 酔 す る こ と 、そ れ は 事 物 の 使 用 価 値 を 離 れ 、
「商
る。ベンヤミンがいたる所でボードレールを「アレゴリカー」と呼ぶその理
品」に備わった物神的な価値を承認することにほかならない。
由は、こうした読解のなかでこそ発見されなければならず、そこに「世界は
ボ ー ド レ ー ル に 認 め ら れ る こ う し た ア ン ビ ヴ ァ レ ン ス を 、ベ ン ヤ ミ ン は「 パ
リ ——一 九 世 紀 の 首 都 」
( ド イ ツ 語 版 草 稿 )で「 弁 証 法 の 比 喩 的 な 現 れ 」と し
試行錯誤
とでも
終わろうとしている」と言うボードレールにおける思考の先鋭さも明らかに
なるはずである。
て 説 明 し て い る 。 14 ベ ン ヤ ミ ン が こ こ で 述 べ て い る イ メ ー ジ は 、「 モ デ ル ニ
テ」という弁証法的なイメージが挫折へといたることで生じるもので、ギー
スのなかに自らの理想を読み込もうとするボードレールのなかにはっきりと
は 現 れ 出 て 来 な い 。む し ろ こ う し た イ メ ー ジ は 、
『悪の華』
( 1857
1
「 美 」 に 対 す る 「 感 受 性 」 ——ギ ー ス と 「 モ ー ド 」
1869)の
エドガー・アラン・ポオの短編小説「群衆の人」にボードレールは強く魅
な か で こ そ 際 だ っ た も の に な る 。し か し 、
「 モ デ ル ニ テ 」に 芸 術 的 理 想 を 見 い
了された。一人の男が見せる奇天烈な行動に、ボードレールは、作品のなか
だそうとする際の限界は、既にギースを論じる際のボードレールのなかでは
でこの男の後をつける人物と眼差しを共有している。
「ある見知らぬ男の容貌
確 固 た る も の に な っ て い た の で は な い か 。こ の 仮 説 を 裏 付 け る に あ た っ て は 、
を垣間見ただけで、すっかり心を奪われ、彼を捜しに群衆をかき分け突き進
と り わ け 、50 年 代 半 ば 以 降 に 著 さ れ た 断 片 集 が 役 立 つ 。時 代 の 波 の な か で ギ
む 。好 奇 心 が 、不 可 避 的 で 抑 え が た い 熱 狂( passion)に な っ た の で あ る ! 」。
ースのうちに読み込もうとした彼の芸術的理想は自壊せざるを得なかったが、
15
それでもなお自らが思い描いた理想の芸術は、その対象を変化させつつも生
に心惹かれるボードレールは、この引用のすぐ後で、同じようにこの男に心
奇 天 烈 な 行 動 を 見 せ る こ の 男 、す な わ ち「 群 衆 の 人
L’Homme des foules」
惹かれる観察者の特異性を次のようにまとめている。
Baudelaire: Op.cit., p.134.
13 Benjamin, Walter: “Paris, Capitale du XIXème siècle” ; Walter Benjamin Das
Passagen-Werk Gesammelte Schriften Bd. V-1 (Frankfurt a.M. : Suhrkamp Verlag,
1982), p.71. (III)
14 Benjamin, Walter: “Paris, die Hauptstadt des XIX. Jahrhunderts”, ; Walter
Benjamin Das Passagen-Werk Gesammelte Schriften Bd. V-1 (Frankfurt a.M. :
Suhrkamp Verlag, 1982). S.55. (V)
12
............
[ 群 衆 の 人 を 観 察 す る 男 は ]子 ど も の よ う に 、一 見 し て 非 常 に 陳 腐 な 事 物
15
Baudelaire: Pm. p.690. (III)
... .............
に さ え 、心 底 か ら の 関 心 を し め す 能 力 に こ の 上 な く 恵 ま れ て い る 。 16( 傍
リシャ・ローマ風のチュニックにショールを纏い、編み上げサンダルという
点引用者)
もので、ボードレールが言っているように、その出で立ちは「古典古代の彫
像 」 そ の も の で あ っ た 。 18 こ う し た
「感受性
la sensibilité」に 囚 わ れ た 子 ど も の 感 性 を 、ボ ー ド レ ー ル は[「 群
そ の 後 の 王 政 復 古 期 ( 1814 年
オリエント風
のファッションは、
1830 年 ) に お い て 、 再 び ロ コ コ 調 の フ ァ ッ
衆の人」の奇天烈さに心惹かれる]観察者のなかに読み込もうとするのであ
...
り 、「 一 見 し て 非 常 に 陳 腐 な 事 物 」の な か に も「 新 し さ n o u v e a u t é 」を 見
ションがモードを席巻するなかで次第にエレガンスさを失ってゆく。第二帝
いだそうとする子どもの感性を彼のうちに認めようとしている。自らの感受
crinoline」
(図版参照
性に従い、この奇天烈な男に惹き付けられる男に、ボードレールは共感する
かを幾重にも円天井状に組み合わせたフレームを用いて、腰の括れから下を
の で あ る 。 観 察 者 の 感 受 性 ——ボ ー ド レ ー ル は 、 そ の よ う な 感 受 性 が 真 の 芸
極 端 な ま で に 膨 ら ま せ た ド レ ス が 流 行 す る が 、19 こ れ は「 ヴ ェ ル チ ュ ガ ダ ン 」
政 期( ち ょ う ど ギ ー ス が パ リ に 住 居 を 構 え た 60 年 頃 )に は 、
「クリノリン
la
Constantin Guys: La crinoline )と い う 、鉄 製 の 輪 っ
術家のうちにも認められると言っている。ここで彼が念頭に置いている芸術
という、ルネサンスに流行し、
家とはギースのことであり、彼はギースのうちにこの同じ感受性を見て取る
そ の 後 の 摂 政 時 代 ( 1715 年
の で あ る 。「 彼 [ ギ ー ス ] は 、 首 都 で の 生 活 の 永 遠 の 美 と の 感 嘆 す べ き 調 和 、
1723
人 間 の 自 由 の ざ わ め き ( le tumulte de la liberté humanie) の な か で 幸 運 に
pannier 」 と し て 再 び そ の シ ル
も 維 持 さ れ て い る 調 和 に 感 心 す る 」。 17
エットを復活させることになっ
年 ) に は 「 パ ニ エ
パリジェンヌの服装に対する嗜好は、大革命以降、時代に翻弄されながら
たドレスの第二帝政期における
多様に変化する。ロビタによれば、革命期にはシンプルなドレスに様々な飾
蘇 り で あ る 。20 ギ ー ス が パ リ の
り を あ し ら う 「 革 命 ル ッ ク 」 が 、 総 裁 政 府 時 代 ( 1795 年
1799 年 ) か ら 執
風俗をスケッチした時代は、ま
1804 年 ) に あ っ て は 古 代 ギ リ シ ャ ・ ロ ー マ 風 の 服
さに「第二帝政下でのロココの
政 官 政 治 時 代 ( 1799 年
よ み が え り 」21 に あ た る 時 代 で 、
装 が 流 行 し た ( 図 版 参 照
Madame
ボードレールには、このような
Recamier , 1800)。ア ン シ ャ ン レ
女性たちのファッションを題材
ジームにおけるロココ・スタイ
にしたギースのスケッチのなか
ルとは異なったモードが、パリ
にこそ「永遠の美」が現れ出て
ジェンヌに広く受け入れられた
いると思われたのである。
Jacques-Louis
David,
の で あ る 。「 メ ル ヴ ェ イ ユ ー ズ
merveilleuse」 と 呼 ば れ た 彼 女
たちのファッションは、古代ギ
16
17
Baudelaire: ibid.
Baudelaire: Pm. p.692. (III)
Baudelaire: ibid.
以 下 参 照 ; ア ル ベ ー ル ・ ロ ビ タ 、 北 澤 真 木 訳 『 絵 で 見 る パ リ モ ー ド の 歴 史 』( 講 談
社 、 2007)、 335-338 頁
20 Cf. Harold, Koda: Extreme Beauty The Body Transformed (New York: The
Metropolitan Museum of Art, 2001), p.104ff.
21 ジ ョ ル ジ ュ ・ ブ ラ ン 、 阿 部 良 雄 訳 「 変 化 矛 盾 頌 」
;阿部良雄編『ボードレールの世
界 』( 青 土 社 、 1976)、 251 頁
18
19
2
「 群 衆 の 人 」 の 特 異 性 ——「 群 衆 」 に 囚 わ れ た 人 間
の動きが整合されることにより、工場という生産機構は円滑に機能する。こ
感受性に基づいた観察がギースの対象を捉える思考のうちにも認められる
うした行動様式や機構への参与をベンヤミンは「群衆の人」に見いだそうと
——ボ ー ド レ ー ル に は 、 こ う し た 解 釈 が 「 美 に つ い て の 合 理 的 、 歴 史 的 な 理
しているのである。ポオが現そうとした都市の様相とは、ベンヤミンに拠れ
論 」22
を 打 ち 立 て る う え で 不 可 欠 な 要 素 に な る と 思 わ れ た の で あ り 、そ う し
ば 、「 服 装 と 挙 動 ( Benehmen) の 単 調 さ 、 と り わ け 表 情 の 単 調 さ 」( ebd. )
た理論を打ち立てるためには、
「 群 衆 の 人 」と 時 代 的 な 新 し さ を 体 現 し た も の
であった。
「 群 衆 の 人 」の 不 安 は 、自 ら が「 孤 独 」に な る こ と へ の 不 安 な の で
の な か に な に が し か の も の を 追 い 求 め る「 G 氏 」
( ギ ー ス )と の あ い だ の 差 異
あ り 、 25 彼 は 自 ら が 孤 独 に な る こ と を 避 け ん が た め に「 群 衆 」の な か に 埋 没
を仄めかすことがまずもって必要なことと思われたのである。
す る 。こ の よ う に「 群 衆 」の な か に 自 ら を 埋 没 さ せ る こ と に よ っ て 、
「群衆の
この差異をさらに明確に捉えようとするのなら、ベンヤミンが述べている
人 」は「 安 堵 し た か の ご と く 大 き く 息 を 吸 う 」 26 の で あ る 。ロ ン ド ン の 目 抜
ところの「フラヌール」と「群衆」との関係が注目に値する。ベンヤミンに
き通りには多様な人々が混在しているが、こうした群衆のなかに溶け込んだ
拠 れ ば 、「 群 衆 の 人 」 と は 「 自 分 の 属 す る 社 会 に 馴 染 む こ と が 出 来 な い 人 物 」
人々を注意深い観察によって識別できるとポオは言う。
「 貴 族 、商 人 、法 定 代
23
で あ り 、そ の よ う な 人 物 が 抱 く 不 安 が 彼 を し て 群 衆 に 与 し よ う と す る 意 志
理 人 、 小 売 店 主 、 株 式 仲 買 人 」 と い っ た 「 世 襲 貴 族 ( the Eupatrids)」 や 中
を育くませるのだという。
「 群 衆 の 人 」が 感 じ 取 っ た 不 安 は ポ オ の 時 代 の ロ ン
堅どころ、そうした人々を外見で真似ようとする大物スリや賭博師といった
ドンに特有のものであり、第二帝政期のパリにあっては未だ確固たる不安と
「 上 品 ぶ っ た 階 層 」、 さ ら に は 、 疲 弊 し き っ た 労 働 者 た ち や 「 路 上 生 活 者
して感じられてはいなかった。
「 フ ラ ヌ ー ル が 、ひ と つ の 個 性 と し て 、の ら く
street beggar」、「 托 鉢 修 道 士
らと過ごす」
( PB. S.556.)雰 囲 気 は 第 二 帝 政 期 の パ リ に は 未 だ 備 わ っ て い た
る男の視野に入ってくる。夜がふけるにつれ「群衆」の大部分を形作ってい
が 、ポ オ の ロ ン ド ン か ら は 締 め 出 さ れ て し ま っ て い た の で あ る 。18 世 紀 の 終
る「 優 美 な
わりごろから、イギリスは工場での機械による生産を本格化させる。機械に
って覆い隠されていた「あらゆる類の非行
よる生産様式が、マルクスが言うところの労働条件(機械)が人間を使用す
ガス灯の光の下でますますその存在を露わにされる。
「 群 衆 の 人 」は 自 ら が「 群
るという事態を生じさせたのであり、生産ラインにベルトコンベアーが導入
衆 」の な か に 埋 没 し 、身 を 隠 す こ と で 安 堵 す る の で あ り 、
「 群 衆 」と い う ヴ ェ
gleichförmig」 労 働 が 求 め ら れ る よ う
ールが取り払われることにより自らの存在が浮かび上がることに対する不安
に な っ た 。 工 場 で 働 く 労 働 者 の 、 彼 ら の 動 作 の 「 単 調 さ 」 ——こ う し た 「 単
を抱いている。彼は自らの生を覆い隠す「群衆」を追い求めようとする強迫
調さ」は、労働者が「 みずからを、自動装置の単調な、絶え間ない運動に
的な観念に囚われており、
「 群 衆 」が 進 む リ ズ ム に 自 ら の 歩 調 を 合 わ せ 、人 通
整 合 さ せ る 」24
り が 少 な く な る や ——大 劇 場 の 周 辺 で あ ろ う と ジ ン 中 毒 者 が 夜 な 夜 な 集 う 郊
されたことで、労働者には「単調な
こ と に よ り 生 み 出 さ れ る も の で あ る 。生 産 の リ ズ ム に 労 働 者
mendicant」 ま で も が 通 り を 注 意 深 く 観 察 す
gentler」集 団 は 姿 を 消 し 、そ れ ま で は 群 衆 と い う ヴ ェ ー ル に よ
every species of infamy」 が 、
外 の 居 酒 屋 27 で あ ろ う と —— 大 勢 の 人 々 が 集 ま る 場 所 へ と 向 き を 変 え る 。
Baudelaire: Pm. p.685. (I)
Benjamin, Walter: “Das Paris des Second Empire bei Baudelaire” ; Walter
Benjamin Abhandlungen Gesammelte Schriften Bd.I-2 (Frankfurt a.M. :
Suhrkamp Verlag, 1974), S.550. 以 下 「 ボ ー ド レ ー ル に お け る 第 二 帝 政 期 の パ リ 」
か ら の 引 用 箇 所 に は 「 PB.」 略 記 の 後 に 当 該 頁 を 記 す 。
24 Benjamin, Walter: “Über einige Motive bei Baudelaire” ; Walter Benjamin
Abhandlungen Gesammelte Schriften Bd.I-2 (Frankfurt a.M. : Suhrkamp Verlag,
1974), S. 631.
以下「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」から
22
23
の 引 用 箇 所 に は 「 MB.」 略 記 の 後 に 当 該 頁 を 記 す 。
25 Cf. Poe, Edgar Allan: “The Man of the Crowd”, in Complete Tales & Poems
Edgar Allan Poe (New York : Vintage Books, 1975), p.481.
26 Poe: Op.cit., p.480.
27 “ジ ン と い う 悪 魔 の 宮 殿
the palace of the fiend, Gin”と 言 わ れ て い る 町 外 れ の 酒
場 は 、 デ ィ ケ ン ズ が 『 ボ ズ の ス ケ ッ チ 』( 1836) の な か で 描 い て い る 「 ジ ン 酒 場 」 を
用いて語られている。
「 群 衆 」と い う ヴ ェ ー ル に 覆 い 隠 さ れ て あ ろ う と す る こ と 、そ れ は す な わ ち 、
この「群衆の人」がこの集団のうちに自らを単調な存在にしようとする意志
の現れに他ならないのである。
記している。
....
群衆のなかに入り込むことは、誰にでも出来ることではない。人混みを
.....
楽 し む こ と は 、技 術 の よ う な も の で あ る 。ま た 、人 類 を 利 用 し 、活 力 を 満
た す こ と が 出 来 る の は 、唯 一 、幼 少 の 時 代 に 、妖 精 の よ う な 存 在 に よ っ て
3
「 フ ラ ヌ ー ル 」 の 特 異 性 ——「 群 衆 の 人 」 と の 差 異
「群衆の人はフラヌールではない」
( MB. S.627.)——ベ ン ヤ ミ ン は こ の よ
いえ
変 装 や 仮 面 へ の 関 心 、お 家( domicile)に 対 す る 憎 悪 と 旅 へ の 情 熱 を 抱 か
としたと理解している。ベンヤミンによるこの解釈は、次の引用のうちにそ
された人物だけである。
. . .. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
群 衆 、孤 独 :こ れ ら は 、活 動 的 で 想 像 力 に 富 ん だ 詩 人 に と っ て 、対 等 で
.........
変 換 可 能 な 語 で あ る 。み ず か ら の 孤 独 を 満 た す 術 を 知 ら な い 人 物 は 、せ わ
の根拠を見出すことが出来る。ボードレールは、ある日ギースが彼に向けて
しなく動き回る人ごみのなかに一人でいる術さえも知らないのである。
発した言葉として、次の一文を引用している。
( 傍 点 引 用 者 ) 29
うに言うことで、ボードレールが「群衆の人」とギースを根源的に分かとう
..
......
........
群 衆( la multitude )の な か で 退 屈( ennuie )す る よ う な 人 間 は 、バ カ だ !
「群衆の人」は自らが「孤独」になることを免れようとするが、ここにボー
愚か者だ!わたしはそんなヤツを軽蔑する!(傍点はボードレールによ
ドレールが「活動的で想像力に富んだ詩人」に必要とされる技術として記し
る ; Pm. P.692.)
ているのは、むしろ「群衆の人」が忌み嫌う「孤独」に対する意志である。
ボ ー ド レ ー ル に 拠 れ ば 、「 完 璧 な フ ラ ヌ ー ル 」 と は 、「 世 の 中 を 見 、 世 の 中 の
「 人 混 み ( la foule) に 連 れ 添 う 」 (Pm. P.691.) 情 熱 を 持 ち 合 わ せ た 人 物 を
真 っ 只 中 に い な が ら 、世 の 中 に 対 し て わ が 身 を 隠 し て い る 」30 人 物 に 他 な ら
le parfait flâneur」( ibid. ) と 呼 ん で
ず、
「 群 衆 の 人 」と 同 じ よ う に「 群 衆 」と い う ヴ ェ ー ル に よ っ て 自 ら の 存 在 が
いるが、こうした「フラヌール」の「群衆」に対する情熱が、そのままギー
覆い隠されることを切望しつつ、そのような状況のなかで、自らの「孤独」
スにおける特異な性格として記されている。その意味では「群衆」に対する
を味わう人物に他ならない。ポオがスケッチするロンドンの大通りからは、
強固な意志を、ギースもまた「群衆の人」と同様に持ち合わせているのであ
芸 術 家 が「 群 衆 」の う ち に 享 楽 を 見 い だ す 可 能 性 が 排 除 さ れ て い た 。
「プチブ
る 。「 群 衆 の 人 」 と 「 フ ラ ヌ ー ル 」 の 、「 群 衆 」 を 追 い 求 め よ う と す る 意 志 の
ル が 群 衆 の な か で 、自 ら の 存 在 に よ っ て 従 属 さ せ ら れ る 単 調 さ 」
( PB. S.554.)
共通性が認められるのであれば、このそれぞれを分かつ決定的な要因とはい
がポオの描き出す大通りに立ち込めていたのであり、こうした単調さのうち
ったい何なのであろうか。芸術家(あるいは詩人)が「群衆」に対峙する際
に「群衆の人」が自らの「孤独」を楽しむことはない。ポオに拠れば、自ら
の あ り 方 を 、 ボ ー ド レ ー ル は 「 パ リ の 憂 鬱 」( 1869) 28 の な か で 次 の よ う に
の 存 在 が ガ ス 灯 の 灯 り に あ り あ り と 照 ら し 出 さ れ る 時 、こ の 男 の 表 情 に は「 強
28 「 パ リ の 憂 鬱 」は 、生 前 に は 書 物 の 形 で 刊 行 さ れ る こ と は な か っ た が 、こ こ に 収 録
さ れ て い る 散 文 詩 は 、1861 年「 幻 想 派 評 論 」に 、1862 年「 プ レ ス 」紙 に 、63 年「 国
民 評 論 」 に 、 64 年 「 新 パ リ 評 論 」 と 「 フ ィ ガ ロ 」 紙 に 、 66 年 「 ベ ル ギ ー 独 立 」 紙 、
「 小 評 論 」 誌 、「 グ ラ ン ・ ジ ュ ー ル ナ ル 」 紙 に そ れ ぞ れ 個 別 に 掲 載 さ れ た 。 ま と ま っ
た 形 で 著 さ れ た の は 、 ミ シ ェ ル ・ レ ー ヴ ィ が 1869 年 に 全 集 を 編 纂 し て か ら の こ と で
ある。
29 Baudelaire: “Le Spleen de Paris”, XII Les Foules; Op.cit., p. 292.
ここに引用し
た「 12 群 衆 」は 、61 年「 幻 想 派 評 論 」
( 11 月 1 日 号 )に 掲 載 さ れ 、そ の 後 62 年「 プ
レ ス 」 紙 の 8 月 27 日 号 に 掲 載 さ れ て い る 。
30 Baudelaire: Pm. p.692. (III)
ボードレールは「完璧なフラヌール
烈 な 、極 度 の 落 胆( despair)」 31 が 認 め ら れ た 。こ の よ う に し て「 孤 独 」に
における「群衆」に
対 す る 落 胆 を 露 わ に す る「 群 衆 の 人 」と は 対 照 的 に 、
「 フ ラ ヌ ー ル 」は 、群 衆
与することへの意志
の な か で「 み ず か ら の 孤 独 を 満 た す 」人 間 な の で あ る 。
「 群 衆 の 人 」は み ず か
が、こうした生を凝
ら の「 孤 独 」を「 群 衆 」に 与 す る こ と で 解 消 し よ う と し た が 、そ れ と は 逆 に 、
視することにこそ向
「フラヌール」は「群衆」のなかでみずからの「孤独」を楽しむ。こうした
けられているのであ
「フラヌール」の享楽のうちに認められるのは、彼が街路にありながらあた
れば、みずからの生
かも「我が家」にいるかのような心地良さを感じていたということに他なら
が「群衆」のうちに
ない。ベンヤミンは、ボードレールが「フラヌール」のうちに「街路の征服
掻き消されることを
die Eroberung der Straße」( PB. S.573.) を 見 て い た と 言 っ て い る 。 こ う
渇 望 し た「 群 衆 の 人 」
した「フラヌール」の特徴は、彼が街路を遊歩しつつ、あたかもみずからの
とは異なる意志をギ
住み処をお気に入りの品々で満たそうとする特徴と相通じている。
ースは持ち合わせて
いたということにな
完 璧 な フ ラ ヌ ー ル に と っ て 、 情 熱 的 な 観 察 者 に と っ て 、 大 勢 の も の ( le
る。ギースが「群衆」に与することの目的は、まずもって「一時的なものか
nombre)の 中 に 、波 打 つ も の の な か に 、人 々 の 往 来( le mouvement)の
ら 永 遠 な る も の を 取 り 出 す こ と 」で あ り 、 34 こ う し た や り 方 は 、み ず か ら が
な か に 、は か な い も の と 永 遠 な も の の な か に 住 居 を 定 め る こ と は 、こ の 上
........... .............
な い 喜 び で あ る 。我 が 家 の 外 に い る の だ が 、ど こ に い よ う と も 我 が 家 に い
......... ...... ................
る よ う に 感 じ る こ と 。世 の 中 を 見 て 、世 の 中 の 中 心 に い な が ら も 世 の 中 に
..........
対して身を隠している、そうしたことがこれら独立心旺盛で、情熱的な、
目にしたものの記憶に脚色を加えることによってはじめて可能になる。その
偏 見 の な い 精 神 た ち の も っ と も ち っ ぽ け な 楽 し み の い く つ か で あ る 。( 傍
何ものかをそのうちに浮かび上がらせる対象に他ならないのである。彼の対
点 引 用 者 ) 32
象を捉える眼差しは、
「 群 衆 」の な か で 心 奪 わ れ る 存 在 の「 永 遠 」と い う イ マ
意味では、ギースにとっての「群衆」とは、彼のイマジネーションを掻き立
てるための触媒にすぎないのであり、
「 モ ー ド 」と い う「 そ の 場 だ け の 移 ろ い
やすい快楽
le plaisir fugitif de la circonstances」で は 解 消 さ れ な い 、他 の
ージュへと向けられる。ギースにとって、モデルをありのままに写実するこ
街 路 に 溢 れ る 「 群 衆 」 の な か に ギ ー ス の 眼 差 し が 捉 え よ う と し た も の ——ボ
とはさほど重要なことではなかった。ボードレールが「記憶の芸術
l’art
la vie universelle」 な の で あ っ
mnémonique」 と 呼 ぶ 、 芸 術 家 が 街 中 で 目 に し た 風 景 に み ず か ら の 記 憶 や 想
こ う し た 生 が 、衣 服 の 裁 ち 方 、装 飾 品 や 帽 子 、ド レ ス の 裾 幅 な ど の な
像力を対峙させる手法こそギースの手法なのであり、そのような手法を用い
か に ——す な わ ち「 モ ー ド 」
( と り わ け 女 性 の「 モ ー ド 」に )の な か に 現 れ 出
るがゆえに、ギースにあっては「群衆」に与する経験が是が非でも必要とさ
る 様 子 に ギ ー ス の 視 線 は 注 が れ る 。 ギ ー ス ( あ る い は 「 完 璧 な フ ラ ヌ ー ル 」)
れ る の で あ る 。( 図 版 参 照 Constantin Guys: deux beautés )
ードレールに拠れば、それは「普遍的な生
た 。 33
「群衆の人」は「群衆」のなかでみずからの存在を消散させると同時に、
31
32
33
Poe: Op.cit., p.478.
Baudelaire: Pm. p.691ff.
Baudelaire: Pm. p.693. (III)
34
Baudelaire: Pm. p.694. (IV)
Labyrinth der Ware」 を 彷 徨 う こ と で 満 ち 足 り て し ま
みずからの感受性を後退させる。この男の行動には一切の想像力が欠如して
という「商品の迷宮
おり、それは、いくつかの表現を用いて作品のなかで暗に示されている。徘
う( PB. S.557.)。百 貨 店 に 押 し 寄 せ る「 群 衆 」は 、百 貨 店 が 装 飾 を 施 す 商 品
徊 を 続 け る 男 は と あ る「 バ ザ ー ル 」へ と 辿 り 着 く が 、 35
彼 は「 バ ザ ー ル 」を
の 良 き 顧 客 あ る い は 消 費 者 な の で あ り 、38 こ う し た「 群 衆 」の 波 に 呑 ま れ る
目指したのではなく、むしろこの施設のなかにごった返す人々の波に吸い寄
ことではじめて商品に接するこの男は、あらゆる事物の商品化を極限にまで
せ ら れ て 行 っ た の で あ る 。し か し「 群 衆 の 人 」の 眼 差 し は 、
「 バ ザ ー ル 」の な
推し進める高度資本主義社会が生み出すファンタスマゴリーに囚われた存在
か で は じ め て「 群 衆 」と い う 対 象 か ら 逸 ら さ れ 、
「 群 衆 」以 外 の も の へ と 向 け
に他ならない。意図的に装飾が施された「共通の事柄
られる。彼は次々に店内へと入り込み、そこに陳列された品々を「狂気じみ
Sache」( PB. S.565.) か ら は 、 個 人 が そ の う ち に 享 楽 を 見 い だ す 可 能 性 は 排
て う つ ろ な 目 つ き で 凝 視 す る 」。 36 こ う し た 男 の 行 動 の う ち に 、 ベ ン ヤ ミ ン
斥されているのである。では、ボードレール(あるいはギース)のパリはど
は、都市のファンタスマゴリーに回収された「フラヌール」の姿を認めよう
う だ っ た の で あ ろ う か 。 52 年 に ボ ン ・ マ ル シ ェ が 創 業 し 、 そ の 後 ル ー ブ ル
と し て い る ——「 フ ラ ヌ ー ル か ら み ず か ら の 属 し た 周 囲 世 界 が 奪 わ れ て し ま
( 1855 年 ) や プ ラ ン タ ン ( 1865 年 ) な ど に 代 表 さ れ る 百 貨 店 が 次 々 と 創 業
え ば ど う な ら ざ る を え な い の か と い う こ と が 、群 衆 の 人 に お い て 理 解 さ れ る 」
する。ボードレールが生きた時代は、ロンドンに先だって「百貨店」という
( MB. S.627.)。 そ れ は 、 み ず か ら の 遊 歩 の リ ズ ム を 見 失 い 「 大 衆 」 に 備 わ
商業施設が人々を魅了した時代に重なるが、パリにあっては近代的な商業施
ったリズムによってしか対象へと近づくことが出来ない、堕落した「フラヌ
設とは異なった「パサージュ」が未だ人気を博していた。ベンヤミンに拠れ
ー ル 」な の で あ る 。 37 ポ オ の 時 代 に は い ま だ ボ ン・マ ル シ ェ の よ う な「 百 貨
ば、
「 フ ラ ヌ ー ル 」が 我 が 家 と す る こ の ア ー ケ ー ド に は 、人 々 に「 共 通 の 事 柄 」
店」がロンドンには存在していなかったことをここで問題にしなければ、ベ
を強いるような雰囲気はいまだ備わっておらず、フラヌールが「ひとつの個
ンヤミンが「群衆の人」のうちに見いだした堕落とは、事物に対する感受性
性 と し て 、 の ら く ら と 過 ご す 」( 前 掲 ) 雰 囲 気 が 残 さ れ て い た 。「 フ ラ ヌ ー ル
を 喪 失 し て し ま っ た 人 間 の 足 取 り に ほ か な ら ず 、 こ う し た 人 間 は 、「 百 貨 店 」
は 忙 し な い 人 々( die Betriebsamkeit)に 抵 抗 し 」、ブ ー ル ヴ ァ ー ル に 犇 め く
die gemeinsame
ファンタスマゴリーに抗議しようと、カメにみずからが歩くテンポを決めさ
ベ ン ヤ ミ ン は 「 群 衆 の 人 」 が 辿 り 着 い た 場 所 を 「 百 貨 店 Kaufhaus / Warenhäus
/ grand magasin 」 と 呼 ん で い る が ( PB. S.557.)、 イ ギ リ ス に 「 百 貨 店 」 が 誕 生 す る
の は 19 世 紀 半 ば 以 降 の こ と で あ り 、ポ オ が「 群 衆 の 人 」を 執 筆 し た 40 年 に は 、そ う
し た 形 態 の 商 店 は い ま だ 存 在 し て い な か っ た 。こ こ で ポ オ が 用 い て い る「 bazaar」と
い う 表 現 は 、 当 時 の 商 店 の 歴 史 を 研 究 し た 平 野 ( 2005) に 拠 れ ば 、 1820 年 頃 マ ン チ
ェ ス タ ー に 登 場 し た「 マ ン チ ェ ス タ ー ・ バ ザ ー Manchester Bazaar」に 代 表 さ れ る
商 業 施 設 の こ と で あ り 、個 人 が 管 理 す る 建 物( 商 業 ビ ル )に 小 売 商 が 貸 店 舗 を 構 え る
と い う 形 態 の も の で あ っ た 。そ の 意 味 で は 、屋 外 で 行 わ れ る バ ザ ー ル が 、ひ と つ の 商
業 施 設 に 集 約 さ れ た 形 態 と 言 え る 。イ ギ リ ス に お け る 百 貨 店 の 起 源 は 、一 般 に は 1863
年 に ウ イ リ ア ム ・ ホ ワ イ ト レ ィ が ロ ン ド ン 郊 外 に 開 店 さ せ た 「 Whiteley’s the
Universal Provider」 が 最 初 と さ れ る 。 彼 は 百 貨 店 の 特 徴 と も 言 え る 様 々 な 商 品 の
陳 列 方 法 に つ い て の ヒ ン ト を 51 年 の ロ ン ド ン 万 博 か ら 得 た と 言 わ れ て い る 。 以 下 参
照 ; 平 野 隆 「 イ ギ リ ス に お け る 百 貨 店 の 起 源 と 初 期 発 展 パ タ ー ン ——日 本 と の 比 較
——」( 慶 應 義 塾 大 学 商 学 会『 三 田 商 学 研 究 』第 48 巻 第 2 号 、2005)65-69 頁 。ポ オ
の 「 bazaar」 に つ い て の 記 載 は 以 下 の 箇 所 。 Poe: Op.cit., p.480.
36 Poe: Op.cit., p.480.
37 Vgl. Benjamin: “Paris, die Hauptstadt des XIX. Jahrhunderts”, a.a.O., S.54.
35
せ た( PB. S.556.)。彼 ら が そ う ま で し て 守 り 抜 こ う と し た も の は 、高 度 資 本
主義経済のなかに消失されるもの、すなわち、みずからが自由に事物を楽し
み、事物に「陶酔
der Raush」 す る こ と が 出 来 る 空 間 だ っ た の で あ る 。 こ
うした空間のなかで事物へと陶酔することにより、
「 フ ラ ヌ ー ル 」は み ず か ら
の詩的想像力を働かせる。彼の想像力は偶然にも街中で目にする存在によっ
て掻き立てられるのであり、その点では、装飾を施された「商品」を目にす
ることが求められ、その良き顧客である「群衆」のなかにみずからの歩みを
同調させる「群衆の人」からは、自由に事物へと陶酔する可能性が削ぎ落と
されているのである。彼の目に、事物は「商品」という姿をとってしか写り
38
Benjamin: “Paris, Capitale du XIXème siècle”, Op.cit., p.70.
込むことはない。
に な る 。「 美 」 が 現 れ 出 る 場 所 で あ れ ば ど ん な 所 で あ れ 、 彼 は 「 お 忍 び
incognito」 を 楽 し む の で あ り 、 41 「 群 衆 」 の な か に み ず か ら の 存 在 を 隠 す こ
と で 、み ず か ら が「 感 情 移 入 」で き る 対 象 が 現 れ 出 る の を じ っ と 待 ち 続 け る 。
芸 術 家 の 陶 酔 ——「 モ デ ル ニ テ 」 と い う 理 想
4
こうしたギースの姿は、カフェにたたずみながら、街路をじっと眺めていた
ボードレールは、ワインとハシッシュによる陶酔の常習者であった。ワイ
ポオの観察者の姿に重なり合う。そのようなギースを、ボードレールは対象
ンやハシッシュによって陶酔状態へと陥るのと同じように、彼は「群衆」の
の美を写し出す「巨大な鏡」あるいはその美をみずからのうちに多様な姿で
な か に あ る 陶 酔 を 経 験 す る が 、こ の 経 験 は 、
「 群 衆 の 人 」が そ こ に 見 い だ し た
体現させる「万華鏡」と呼んだの
安堵とは決定的に異なっている。
「ワインとハシッシュについて」
( 1851)に
で あ っ た 。42 ギ ー ス は 、み ず か ら
は 、彼 が こ う し た 麻 酔 剤( ハ シ ッ シ ュ )に よ っ て 陶 酔 へ と 陥 っ た 際 の 状 態 が 、
のイマージュのなかに写し取った
こう記されている。
「 ハ シ ッ シ ュ は 、人 間 に 彼 の 人 格 の 激 高( une exaspération
情景を我が家へと持ち帰り、
「まる
de sa personnalité)と 同 時 に 、み ず か ら が 置 か れ た 状 況( circonstance)や
でイマージュが自分から逃げてゆ
社 会( milieux)に 対 す る 非 常 に 鋭 敏 な 感 情 を 引 き 起 こ す 」。 39 陶 酔 状 態 に 入
く の を 恐 れ て い る か の よ う に 」、43
ることで、彼の周囲世界を捉える眼差しは輝きを増す。ベンヤミンは芸術家
画材道具に手を伸ばす。事物のイ
のこのような陶酔状態の本質を、芸術家の事物に対する尋常ならざる「感情
マージュをキャンバスに殴り書き
Einfühlung」 に こ そ 見 い だ し う る と 言 っ て い る ( PB. S.558.)。 そ れ
し、そこに自らの「情熱的な生」
はすなわち、
「 陶 酔 」に よ っ て 、芸 術 家 は「 群 衆 」の な か に あ っ て も 事 物 を あ
を吹き込むことで、事物に新たな
りありと捉えるための眼差しを獲得しうるということなのであり、都市の雑
生を与えようとするギースの企て
踏に紛れ込み、あたかも植物か昆虫を採取するかの如く周囲に目をこらす芸
を、ボードレールはギースにおけ
移入
le beau」 の 姿 を と っ て 都 市 の な か に 調 和 し て い る 。 40 ( こ の 小 論 を 著 し た
る特異な性格として捉えようとし
..
た。そうした技法によって、芸術
..............
家の感受性に捉えられた事物は、
............... ............
彼の手により新たな生を授けられ、新たなものに生まれ変わるのである(図
際のボードレールは、永遠なるものを美しいものと同義に捉えようとしてい
版 参 照 Constantin Guys: Danseuse au Départ )。 44 ギ ー ス の う ち に ボ ー ド
るが、とりわけ『悪の華』においては、この連関の無批判性が解消されるこ
レールが認めることになったこのような芸術的理想、それを彼は「モデルニ
と に な る )。ギ ー ス の 眼 差 し は 都 市 の な か に 紛 れ 込 む「 美 」に 注 が れ 、彼 の 作
テ
術家には、こうした雑踏の最中でもみずからの歩みを進めうる意志が備わっ
ているということなのである。ギースは「群衆」のなかに「普遍的なもの」
を 見 い だ そ う と す る の で あ り 、ボ ー ド レ ー ル に 拠 れ ば 、そ う し た 普 遍 性 は「 美
「モードが歴史的なもののなかに含みうる詩的なものをモードから取り出
品はこうした美が溢れ出ている対象、すなわち「モード」を主題としたもの
41
Baudelaire, Charles: “Du vin et du hachisch”, Œuvres complètes I (Paris:
Gallimard, 1975),p.389.
40 Baudelaire: Pm. p.692. (III)
39
la modernité」 と 呼 ん だ の で あ る 。
42
43
44
Baudelaire: ibid.
Baudelaire: ibid.
Baudelaire: Pm. p.693. (III)
Cf. Baudelaire: Pm. p.693ff. (III)
す こ と 、 す な わ ち 、 移 ろ い や す い も の ( transitoire) か ら 永 遠 性 (l’eternel)
を 抽 出 す る こ と 」45
——ボ ー ド レ ー ル は 、ギ ー ス が デ ッ サ ン す る 目 的 を こ う
れとは異なるとはいえ)みずからが詩を書くことにより対象を
らせる
生まれ変わ
意志を抱いていたということを物語っている。こうしたやり方を彼
び上がる「美」をキャンバスに写し取り定着させること、こうしたギースの
は み ず か ら が 目 に し た も の の 作 品 へ の「 翻 訳 traduction」と 呼 ん で い る が 、
.....
48 こ う し た 操 作 の な か で こ そ 、無 意 志 的 に 「 永 遠 性 」が 作 品 の う ち に 溢 れ 出
手法をボードレールは「モデルニテ」と呼んだのである。
ると言うのである。
「 モ ー ド 」が「 移 ろ い や す い も の 」と 読 み 替 え ら れ て い る
した「永遠性」を捉えることとして理解している。女性の「モード」に浮か
よ う に 、ボ ー ド レ ー ル に あ っ て「 永 遠 性 」は「 古 代 的 な も の
antiquité」と
さ て 、他 の 人 々 は 眠 る 時 刻 、こ の 男 は テ ー ブ ル に 身 を か が め 、つ い 今 し が
同義に用いられている。こうした読み替えによって分かるのは、ボードレー
た 事 物 に そ そ い だ 同 じ 眼 差 し を 一 枚 の 紙 の う え に 投 げ か け 、彼 の 鉛 筆 、羽
ルが「モデルニテ」を「古代的なもの」の現在への浸透に見ていたというこ
根 ペ ン 、絵 筆 を ま る で 剣 の よ う に 使 い 、グ ラ ス の 水 を 天 井 に ま で 噴 き 上 が
とである。
ら せ 、シ ャ ツ で 羽 根 ペ ン を 拭 い 、ま る で イ マ ー ジ ュ が 自 分 か ら 逃 げ て ゆ く
の を 恐 れ て い る か の よ う に 、大 急 ぎ で 、乱 暴 に 、活 発 に 、た っ た 一 人 で い
あ ら ゆ る 現 代 的 な も の ( m o d e r n i t é )が 古 代 的 な も の に な る に 値 す る た
る に も か か わ ら ず け ん か 腰 で 、自 分 自 身 を 急 き 立 て る 。す る と 事 物 は 、作
.......
家 の 魂 と 同 じ よ う な 情 熱 的 な 生 を 吹 き 込 ま れ 、紙 の 上 で 、自 然 な 姿 で し か
.......... ................. ....
も 自 然 の 姿 以 上 の 姿 で 、美 し い 姿 で し か も よ り 一 層 美 し い 姿 で 、独 特 な 姿
.......
に 生 ま れ 変 わ る 。フ ァ ン タ ス マ ゴ リ ー が 自 然 な も の か ら 抽 出 さ れ た の で あ
めには、人間の生がそれ[現代的なもの]に対して無意志的に
( involontairement)込 め る ミ ス テ リ ッ ク な 美 が 、そ の な か か ら 引 き 出 さ
れ な け れ ば な ら な い 。 49
る 。[ 作 家 の ] 記 憶 が 抱 え 込 ん で い た あ ら ゆ る 素 材 は 、 分 類 さ れ 、 整 理 さ
こ の 引 用 箇 所 で ボ ー ド レ ー ル は 「 modernité 」 と い う 語 を 用 い て い る が 、
れ 、 調 和 す る こ と で 、[ 作 家 の ] 子 ど も じ み た 知 覚 ( une perception
「 modernité」と い う 語 の こ こ で の 使 用 は 、「 古 代 的 な も の 」が「 移 ろ い や す
e n f a n t i n e )——す な わ ち 、無 邪 気 さ に よ っ て 激 し く な り 、魔 術 的 に な っ
いもの」のうちに現れ出る可能性を言い表しており、この語が指し示す対象
た 知 覚 ——に よ る あ の よ う に 精 力 的 な 理 想 化 ( idéalisation forcée) を 受
は「 モ デ ル ニ テ 」と い う 彼 の 芸 術 的 理 想 を 真 に 体 現 し て は い な い 。ギ ー ス は 、
け 入 れ る の で あ る ! ( 強 調 は ボ ー ド レ ー ル に よ る 、 傍 点 引 用 者 ) 46
みずからの記憶を頼りにキャンバスに向かうのだが、彼はつい今しがた街中
で 目 に し た 情 景 を そ の ま ま キ ャ ン バ ス に 写 し 取 ろ う と は し な い 。と い う の も 、
この引用は、ボードレールがギースの作業する情景を記したものだが、こう
そこにはある「ミステリックな美」が現れ出なければならず、一時的な美が
したやり方は、ボードレール自身、みずからが詩を書く際に理想としていた
永遠なものとなるためには、そうした美が「無意志的」に現れ出なければな
ことでもある。
「 こ の 上 な く 卑 し い も の の 運 命 に さ え 気 品 を 与 え る 」47 ——こ
ら な い か ら で あ る 。「 移 ろ い や す い も の 」 を 過 去 の も の と 触 れ あ わ せ る こ と 、
れ は 、 ボ ー ド レ ー ル が 『 悪 の 華 』( 87
太陽)のなかでみずからの詩作につ
これがギースの理想とするところのものであり、このような理想は、ベンヤ
いて語っている箇所に記された詩句であり、
(彼が目にする対象がギースのそ
ミ ン に 拠 れ ば 、「 ボ ー ド レ ー ル に 倣 っ た プ ル ー ス ト の 経 験 」( MB. S.637.) の
なかにも現れ出る理想である。幼い頃「プチ・マドレーヌ」を溶かし口にし
45
46
47
Baudelaire: Pm. p.694. (IV)
Baudelaire: Pm. p.694. (III)
Baudelaire: “Les Fleurs du mal”, Op.cit., p.83. (LXXXVII Le Soleil)
48
49
Baudelaire: Pm. p.698. (V)
Baudelaire: Pm. p.695. (III)
た 時 に 味 わ っ た「 幸 福 」、そ の「 幸 福 」が 不 意 に 蘇 る 経 験 を 、プ ル ー ス ト は「 無
遠性」にこそ狙いを定めている。彼の描くタブローは、それゆえに、ボード
involontaire」 に よ る 過 去 の 想 起 と 呼 ん で い る 。 50
レールにあって、隠された「永遠性」が前面へと引き摺り出されたものとし
意志的記憶
la mémoire
プルーストにあっては、
「 過 去 」が み ず か ら の 経 験 の 及 ぶ 範 囲 に 限 定 さ れ て い
て写ったのであった。
るが、ギース(あるいは彼の芸術的理想をおのれの芸術的理想として受け入
れ る ボ ー ド レ ー ル )に あ っ て は 、
「 過 去 」の 範 囲 は 彼 の 経 験 を 越 え 出 た と こ ろ
に ま で 及 ぶ 。芸 術 に よ っ て「 古 代 的 な も の 」を 現 代 の う ち に 蘇 ら せ る 試 み を 、
おわりに――「モデルニテ」の自壊
ボードレールはヴァーグナーの「総合芸術」のうちにも見いだすことになっ
過去を現在に引用するという「モード」の機能を、ベンヤミンはマルクス
た 。1861 年 に 著 さ れ た「 リ ヒ ャ ル ト・ヴ ァ ー グ ナ ー『 タ ン ホ イ ザ ー 』パ リ 公
の 用 語 を 用 い て「 過 ぎ 去 っ た も の へ の 虎 の 跳 躍( Tigersprung)」と 呼 ん で い
演」では、ヴァーグナーにあって古代ギリシャ演劇のうちに認められる形式
る 。55 「 虎 の 跳 躍 」は 獲 物 を 捕 ら え る 虎 の 目 が 、密 林 に 身 を 潜 め る 獲 物 を 獲
的 な 美 が「 永 遠 性 」の 雛 形 に な っ て い る と 言 わ れ て い る 。 51 古 典 古 代 か ら 連
物
綿と続く「美」に対するイマージュが、作家の指先の動きのなかで不意に蘇
抱くことなく飛びかかるという意味では、街中に溢れる「モード」こそが詩
り、現代と調和することを彼は「モデルニテ」と呼ぶのであり、こうした方
的芸術のための獲物であるとするア・プリオリな認識に基づいて行われるも
法 で 描 か れ た も の の す べ て が「 ア レ ゴ リ ー 、引 喩( allusion)、ヒ エ ロ グ リ ュ
の で あ る 。事 実 、ボ ー ド レ ー ル は「 モ ー ド 」を 次 の よ う に 定 義 し て い る 。
「モ
フ 、判 じ 絵( rébus)」 52 に な る 。こ の よ う に し て 生 み 出 さ れ た 作 品 を 、ボ ー
ードとは、人間の頭脳のなかで自然的な生が積み上げる粗野なもの
ン ブ レ ム )に 他 な ら な い の で あ る 。
「 モ デ ル を 前 に し 、モ デ ル に 備 わ っ た 細 部
( grossier )、 こ の 世 的 な も の ( terrestre ) そ し て ひ ど く 汚 ら わ し い も の
..........................
( immonde)——こ う し た す べ て の も の の う え に 浮 か び 上 が る で あ ろ う 理 想
...
.......
へ の 嗜 好 ( goût de l’idéal) の 一 つ の 前 ぶ れ で あ り 、 自 然 を 崇 高 な も の へ と
の複雑さを前にすれば、みずからの主だった能力が鈍らされ、麻痺したよう
変形させるようなこと、いやむしろ、自然を変形させるための継続的で連続
に な る 」 53 ——ギ ー ス は「 モ ー ド 」を 媒 介 と し て み ず か ら の イ マ ー ジ ュ を 思
的な試みのようなものとして捉えられるべきである。それゆえに、あらゆる
い描いた。
「 美 」を 浮 か び 上 が ら せ る イ マ ー ジ ュ を 追 い 求 め 、彼 は 街 中 へ と 繰
モードが魅力的であると言われること、すなわち、相対的に魅力的であると
り 出 す が 、 54 そ れ は 換 言 す る な ら 、「 モ ー ド 」 が 過 去 に お け る 「 美 」 と 必 然
言われることは(ただし、その理由は見いだされてはいないのだが)まった
............
くもって理にかなったことである。というのも、こうしたモードのそれぞれ
. ........... ....................
は、多少なりとも幸福を求め、美に向かう新たなる努力をなすものなのであ
. ................................
り、満たされない人間の精神が絶えずそうした願望にむずむずさせられる一
...............
......
つ の 理 想 に 対 す る あ る 種 の 近 似 値 ( une approximation)だ か ら で あ る 」
(傍
ドレールはさらに「哲学的芸術
l’art philosophique」 と 呼 ん で い る が 、 そ
として認識することではじめてなされる技であり、隠れた獲物に疑いを
れ は「 美 」と い う「 永 遠 性 」を 浮 か び 上 が ら せ る 一 つ の
アレゴリー画 (エ
的に結びついているがゆえの沈潜なのである。彼の眼差しは街中の「美」に
向けられている。それと同時に、こうした「美」のうちに隠されている「永
50 Cf. Proust, Marcel: À la recherche du temps perdu (Paris: Quarto
Gallimard,1999), p.46. (Première Partie: COMBRAY I)
51 Cf. Baudelaire, Charles: “Richard Wagner et Tamhàuser à Paris”, Œuvres
complétes II (Paris: Gallimard,1976), p. 791.
52 Baudelaire, Charles: “L’Art philosophique”, Œuvres complétes II (Paris:
Gallimard,1976), p. 600.
53 Baudelaire: Pm. p.698. (V)
54 Cf : Baudelaire: Pm. p.724. (XIII)
点 引 用 者 )。 56 ボ ー ド レ ー ル の 解 釈 は 、「 永 遠 性 」が「 モ ー ド 」の う ち に 現 れ
55 Benjamin: “Über den Begriff der Geschichte”, Walter Benjamin Abhandlungen
Gesammelte Schriften Bd.I-2 (Frankfurt a.M. : Suhrkamp Verlag, 1974), S.701.
56 Baudelaire: Pm. p.716. (XI)
出る限りでは、誰しもが疑いなく「モード」を追求する意志を持ち合わせる
が脆くも崩れ去り、みずからの知的好奇心を満たすための空間さえもが今や
と い う も の で あ る 。し た が っ て 、こ う し た 人 々 の 意 志 を 、芸 術 家 が「 永 遠 性 」
奪い去られてしまいかねない状況のなかで発せられた言葉に他ならないので
へと誘うことが可能であると考えたのであった。ベンヤミンは、人々を誘う
ある。
「英雄こそモデルニテの真の主体に他ならない」
( PB. S.577.)と 言 っ て い る
『 悪 の 華 』序 文 草 稿 の 冒 頭 は 、以 下 の よ う な 言 葉 で 始 ま っ て い る 。
「フラン
スは俗悪な段階を経験している。
[ 中 略 ]フ ラ ン ス が
る 。 57 生 ま れ な が ら に 授 か っ た 芸 術 家 と し て の 生 を ギ ー ス ( あ る い は 自 身 )
向 に こ ん な に も 大 急 ぎ で 進 も う と は 全 く も っ て 思 い だ に し な か っ た 」。59 「 新
のうちに認め、
「 群 衆 」と の 差 別 化 を な そ う と す る ボ ー ド レ ー ル に は 、み ず か
し さ 」を 追 い 求 め 、
「 新 し さ 」と の 相 対 性 に お い て 古 く な っ た も の 、あ る い は
らが「英雄」として「群衆」を誘おうとする意志が現れ出ている。
過 去 の も の が 措 定 さ れ る 機 構 の 中 枢 に あ る も の が「 モ ー ド 」だ と す る の な ら 、
さて、
「 モ ー ド 」に 対 す る 全 面 的 な 信 頼 は 、時 代 の 波 に 抗 し て「 フ ラ ヌ ー ル 」
進歩
Progrès
が、このようなイメージをボードレールはギースのなかに見いだしたのであ
の方
この機構が生み出す「モード」を背後で機能させているのは、ここに言われ
がかたくなに固持しようとした空間を破滅へと追いやってしまう。ブールヴ
る「進歩」の観念にほかならない。だとすれば、ボードレールはこうした俗
ァールに立ち並ぶブティックや「百貨店」は、人々を良き顧客とするための
悪な世界のなかで、みずからの芸術的理想を根源的に変革しなければならな
集客手段として「モード」を利用した。人々が大衆化するや、ボードレール
かったのではないか。
「 群 衆 」と 、み ず か ら の 知 的 好 奇 心 を 満 た す こ と が で き
が思い描いた「モード」に対する人々のイメージは脆くも崩れ去ってしまう
る場の消失に対する憎悪が露わになることで、
「 モ ー ド 」の な か に 無 批 判 的 に
のである。
「 あ ら ゆ る モ ー ド は 魅 力 的 で あ る 」と ボ ー ド レ ー ル は 言 う が 、そ れ
捉えられていた弁証法的なイメージは、新たなる対象へと向け変えられるこ
は人々のうちに
とになる。その際にボードレールが惹き付けられた人物こそ、シャルル・メ
流 行( モ ー ド ) に 対 す る 敏 感 さ を 生 じ さ せ は し た が 、彼 が
思 い 描 い た「 永 遠 性 」へ の 意 志 を 思 い 抱 か せ る も の で は な く 、み ず か ら が「 英
リヨンなのであった。
雄 」と し て「 群 衆 」の な か に 飛 び 込 も う と し た ボ ー ド レ ー ル を 、
「 群 衆 」は 快
く受け入れることなどなかった。
「 こ の う っ と う し い 世 の 中 に 迷 い 込 み 、人 混
みには肘うちを食らわされ、疲れ切った一人の男のように背後の、奥深い歳
月 に 目 を や れ ば 、 幻 滅 ( désabusement) と 辛 辣 さ し か 見 あ た ら ず 、 前 方 に
は教訓にしろ苦しみにしろ、何ら新しいものなど含まれてはいない動乱
( orage)ば か り が 目 に 入 る 」。 58 街 路 に「 群 衆 」が 溢 れ か え る こ と で 、そ こ
はもはや「フラヌール」がパサージュを歩いたその歩みが不可能な空間へと
Charles Meryon:
変 化 す る 。「 群 衆 」 に み ず か ら が 「 英 雄 」 と し て 受 け 入 れ ら れ る こ と も な く 、
Le Pont-Au-Change (1854)
「モード」が資本主義社会の中枢へと位置づけられることにより、みずから
の歩みをも疎外されてしまう状況が生み出されたのである。
「世界は終わろう
と し て い る 」 ——こ の よ う な 認 識 は 、 み ず か ら が 理 想 と し て 思 い 描 い た も の
57
58
Cf. Baudelaire: Pm. p.711. (IX)
Baudelaire: “Fusées”, Op.cit., p.667.
59 Baudelaire: “Projets de préfaces”, Œuvres complètes I (Paris: Gallimard,
1975),p.182. (II Préface) プ レ イ ア ー ド 版 全 集 で は 、 こ の 「 序 文 草 稿 」 は 、「 第 二 版
および第三版のための」とされているが、4 つある「序文草稿」のどれがどの版のた
め に 書 か れ た も の な の か は 不 明 で あ る 。 但 し 、 こ の 「 序 文 草 稿 」 が 1857 年 の 『 悪 の
華』
( 第 一 版 )が 出 版 さ れ た 後 に 書 か れ た も の で あ る と い う こ と は 明 ら か で あ り 、
「現
代 生 活 の 画 家 」 が 著 さ れ た 63 年 と ほ ぼ 同 じ 時 期 か あ る い は そ れ 以 降 ( 第 二 版 は 61
年 、 第 三 版 は ボ ー ド レ ー ル の 死 後 69 年 ) に 書 か れ た も の で あ る と 考 え ら れ る 。
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