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チェンナイ癌センター訪問記
・ :││1妻 = ::::1:::::::│:::::::::i:1 :ii111:i,■ 11:■ ,11111 己 ロ 姜一 ド、 チ ェンナイ 癌 セ ン タ―訪問 大分大学医学部 腫瘍病態制御講座 (外 科第 二 )り II原 克 信 一 昨年、 イ ン ドの ム ンバ イ (ボ ンベ イ)に あ る 風機 の風 の通 りもよ く着心地 は満点 である。 8:30か TATA Memonal Hospitalの Sharma教 授が、 当時私 ら先に始 まったイン ドの ドクターの腹腔鏡下 胃切除が が所属 して い た福 岡大学 に食道癌 と肺癌 の胸腔鏡下 終 わるのを待 って、13:00か らス ター トした。患者 は 手術 を見 学 に 来 られ、 ご夫婦 で 2週 間 ほ ど福 岡 に 30歳 代 の若 い男性 で、胸 部中部食 道 の 2型 の癌 であ 滞在 した。それが縁 で、 昨年 3月 、今度 は私が ム ン バ イに出向 き胸腔鏡手術 をさせ て い ただ くこ とにな る。食道透視 では少 なくともT3、 σ 「 は不鮮明でよく わか らない。左 側臥位 にしてポー トを挿入すると胸膜 った。 一週 間 ほ ど滞在 して帰 国す る と、程 な くチ ェ 癒着があ りそ うだ。そっとス コー プを挿入 して観察す ンナ イの Cancer lnsdtuteの Dr.Shantaか ると、殆 ど胸膜全 面 の癒着。 イ ン ドでは肋膜 炎や結 ら、2004年 2月 4日 か ら8日 まで の 5日 間、 Cancer 核 が多 くTATA MemoHJ Hospitalで の経験 もあ り、 lnsituteの 創 立 50周 年 記 念 行 事 の 一 環 と して、 覚悟 は していたが これほどとは。止めるわけにはいか Minimally invas市 e surgeryを テ ーマ に講演会 とワー ず超音波 メス を使 って丹念 に剥離 を開始 した。肺尖 クシ ョップ を行 うので参加 しては しい との招請状が 部 の癒着 は特 に強 く、私が 剥離 に難渋 して い るのを 届 い た。昨年 はデ リー に住 む長男 の親 しい友人 の ご 見 て、“こん な症例 は胸腔鏡手術 の適応 ではないので 両親 を訪問す るこ とが 出来 なか ったので、丁度良 い は ?"と の 質問 が 別室 の auditonumか らマ イクを通 機会 だ と思 い家 内 を連 れて参加 す るこ とに した。 してやって きた。 まった くその通 りで、止め られるも Director、 2月 3日 、福 岡 の 自宅 に一 泊 し、翌朝 シンガポ ー のならす ぐにで も止めたいが、マ レー半島を越 え、イ ル航空 の10:35発 の便 で福 岡国際空港 を発 ち、 シンガ ン ド洋 をまたい ではるばる日本か ら来たのに胸膜癒着 ポール を経 由 してその 日の21:55に 予定通 リチ ェンナ で あきらめるわ けにはいかない。 “ 片肺換気が可能 で イ空港 に到着 した。 飛行機 に乗 って い る時間 は合 わ さえあれば、癒 着剥離 に時 間がかか って も適応 で あ せて11時 間ほどだが、 シンガポール空港で 4時 間40分 る"そ んな意味 のことを上の空で答 えなが ら何 とか剥 ほどの待 ち合わせ時間があ り、全部で16時 間ほ どの長 離 を終 え、型 の如 く奇静脈 弓を endOstaplerで 切離 し 旅 で あ る。迎 えの若 い ドクター に市 内 のホ テ ル まで て食道 を剥離 した。病巣 は心膜 に浸潤 していたため、 送 って もらい、そ の晩 は旅 の疲れで ぐっす り眠 った。 聴診 三角部 に 6cmの ミニ開胸 を加 えて心膜 を合併切 翌 2月 4日 、朝 9:20に ビ ックア ップ して もらい、 除 した。患者 は体格 が小 さくて上 縦隔が極 めて狭 く、 チ ェンナイ市 内 の Cancer lnstituteに 向か った。 ム ン 食道 と気管 は胸椎 の左 側 に位置 してお り、 とて も左 バ イほ どでは ない がそれで もか な りの交通混雑 で、 反 回神経沿 い の郭清 は胸腔鏡 では無理 である。頚部 道路 に歩道 と車 道 の 区別や交通信号 も殆 どな く、 こ か ら郭清す ることに し、気管分岐 部 の直 上 で食道 を の時間に歩 くのは人 も車 も命がけである。 ヒンズー寺 離 断 して胸腔 内操作 を終了 した。 体 位 を仰臥位 に戻 院 の前 では警官 が必死 で交通整理 をして い たが、そ し頚 部郭清 に移 った。脂肪織 は少 ないが結合織が驚 の 日は ヒンズー教 の祭 日とかで大変 な混雑 ぶ り。抜 け くほど強靭で、術前 に放射線治療 で もしたのか と思 う るのに30分 もかか って10:30に 病院に着 いた。 この 日 ほ どで あ った。食習慣 の違 いか ? はライブで胸腔鏡 下 に食道癌 の切 除 をや ってほ しい の リンパ 節 を含 め転移 は見 られず、時 間の都合 で腹 と言 われていたので、す ぐに手術場 に案 内 され術 着 に着替 えた。 ダブ ダブで粗 末 な もので あ ったが、そ 部操作 だけは D■ Mahttan(助 教授 )に やってもらった。 “7cmの 上腹部正 中切開"で といった ら、それではと れで もイ ン ド綿 で ある。 さらっと肌 触 りが よくて、扇 て も出来ない とい うので、好 きなようにやって くれ と 7′ l″ Zυ s 乃 ムIθ ハ●.1 2θθ4 ′ 左 反 回神経沿 い :■11漱 i 頼 んだ。 “ 仕 上 が りは これで よい か "と 聞 くので見 ると、 日 本 の ドクターに習 ったのであろうか、胃周囲 リンパ 節 の郭清 はとて も上 手 に出来 てい る。大 弯側 胃管 を作 って胸壁前経路 で持 ち上 げ頚部吻合 を行 った。 胸壁 前経路 に したのは、患 者 の前縦 隔が狭 く、特 に胸骨柄 と胸鎖 関節 の背側 は私 の指 が入 らない くらいであったので、胸骨後経路 では 胃管 の圧迫 壊死が必至 と考 えたか らである。 手術が終 わったの は夜 7時 ごろ。へ とへ とになって 8時 過 ぎにホテ ル に帰 った。昨年 と異 な り、今 回 は手術 の助手 写真 l Cancerlnstた ute正 面入口。 を 日本か ら伴 って い なか ったので、胸腔鏡手術 が初 めての イ ン ドの レジデ ン トと研修医 を相手 に、術 者 とスポ ー クス マ ンを一 人で こな した。 来 る前 に引 い た風邪が治 りき らず 微熱 と咬 が続 い て い たので腹部操作 まで一 人でや っていた ら 2、 3日 は寝込 んだか もしれ ない。 翌 2月 5日 は朝 9時 に 目が覚 めた。 昨 日、 ア ドレナ リ ン が大量 に分泌 され、交感神経 が興奮 したせ いか、気分 は爽 快 で あ った。11時 に Cancer lnsututeの auditonumに 行 き、 ワー ク シ ョップの主 催 者 で胸 部外 科 の教 授 の D■ Kannan に会 った。 とて も若 く30歳 代後 半か40代 前半 に見 える。昨 写真 2 ワークシ ョップに集まつた医師。二列 目左か ら 3人 目が私でその右隣が Dr.Kannan、 と Dr.Mahalan。 ひとり置いて韓国の D「 Kim。 3 初代 Directorの 子息 D「 Ki「 shnammte と現 Director D「 Shanta女 史 日は この会場 で司会 を して い た との こと。食道癌 と肺癌 の 胸腔鏡手術 の ビデオ と成 績 を紹 介 した。家 内 はその 間、 ス タッフの女性 医師 に植民地時代 か ら残 る滞洒 な レス トラ ン や店 の集 まるボ ー トハ ウス を案 内 して もらったそ うだ。 昨 日は この会場 で私 の手術 の実況 を見 て い た との こ と。幸 い な こ とに、 日本語 の分か る聴衆 は家 内 のほか に誰 も居 なか ったそ うだ。 昨 日手術 した患 者 を ICUに 診 に行 った。 とて も元気 そ うで ベ ッ ドに座 って い たので、私 の話 せ る唯 一 の ヒンズー語 “ナ マス テ ー (ご 機嫌 い かがで す か)"と い ったが 通 じない。チ ェ ンナイか らさらに田舎 の ヒンズー 語 を話 さない貧 しい村 か ら来 た との こと。 この病 院 は “ 最 も貧 しい人 に最新 の 医療 を提供 す る"こ とを 目的 としてお 写真 り、創 立 は1954年 で、Women's lndian Associationが 奉 仕 と慈悲 に基 づ い て設立 した南 イ ン ドで最初のがん セ ン ター 年 間70,000人 の患者 が 治療 を受 けに来 て い るが、 そ の60% は治療費 の払 えない貧 しい患者 で あ り無料 で あ る。 病 院 の 運営 は全 て寄付金 で まか なわれ てお り、従 って私 の今度 の 鱚 珈 一貶 燕 緻・・ 一嘲 ∴翁一 で あ る。415床 で イ ン ド全域、南 イ ン ド、 東南 ア ジアか ら Siδ 悩 招請 も旅 費 は 自前 で ある。患者 さんの手 を握 って “ 頑張 っ て I"と 日本語 で励 ま した。 2月 6日 は夕方か ら50周 年記念式典 が、イ ン ドの大統領 を 迎 えて Cancer lnsituteで 行 われ た。施設 の中庭 にテ ン トを 張 り仮設 ス テー ジを設けた粗末 な会場であったが、た くさん 缶痣 写真 4 プンチュー君の こ両親とタージ ・マ八ルで。 7'l″ レυ ι s 乃 1 lθ 助 .1 2りり ` │:│:│:││ :キ‖‖ :11111i:III整 の花 や飾 り付 けが華やいだ雰囲気 をもりたてて いる。 2月 7日 と 8日 は50周 年記念講演会 があ り、肺癌 と ステー ジの両サ イ ドには大 きな畳 二畳分 の液晶モニ タ 食道癌 の胸 腔鏡 手術 につ い て講演 し、 8日 夕、飛行 ーが置かれてあ り、Cancer lnstituteの 歴史 を ビデ オ 機 でムンバ イに向かった。 1時 間45分でムンバ イに到 で流 していた。 私 のほかにイギ リス、フラ ンス、 ドイ 着 し2日 間滞在 した。その 間、Sharma教 授 の新任地 ツ、アメリカ、韓 国か ら招 請 された医師が 6名 ほど、 Bombai Hospitalで 食 道平 滑 筋腫 を胸 腔 鏡 下 に摘 出 奥 さんを連れて参列 していた。 1時 間ほど待 ってい る し、TATA MemoHal Hospitalで 、昨年福 岡 に研修 に とイン ドの大統領 アプ ドゥール カラム氏が 自い公用車 来 た D■ Mistryの 胸腔鏡下食道癌切除の助手 をした。 で到着 し式典 が始 まった。ほかに厚生大臣、 タミル州 驚 いた ことに、D■ Mistryは 福 岡か ら帰 って 8ケ 月間 会 長、 初 代 の に42例 もの胸 腔鏡 手術 を食道癌 に行 ってお り、今年 な どの挨拶や、功労者 の表彰 があ り、 1時 の秋 にバ ルセ ロナで 開かれ る世界 食道疾患会議 で発 知 事 、Women's lndian Associationの Director、 間半 ほ どで式典 は終 了 した。88歳 の超高齢者 の初代 表す るとの ことであった。 Directorの 子 息 D■ Kirshna― te(外 科 医)が 、 “イ 2月 11日 にデ リー に着 き、 プ ンチ ュー君 の ご両親 ン ドは優 れた技術 を持 ってい る。 これを平和 のために の歓待 を受 け、12日 は 1日 がか りでアー グラーの ター 役 立てなけれ ばならない。決 して戦争 のために使 うこ ジ・マハ ル を案 内 して もらい、13日 にデ リー を発 って とが あ ってはな らない。"と 挨拶 を述 べ た。 イ ン ドの シ ンガポ ール経 由 で15日 朝福 岡 に帰 った。 長旅 であ IT産 業 を指 して い るもの と思 われ るが、大統領 に向 ったが、風邪 は完全 に良 くな り、イ ン ド滞在 中 1度 も かって、言 い 聞かせ るように話 していたのが とて も印 下痢す る ことな く、好 きなカレー をどっさり食べ 、 2 象的であ った。 kgも 太 って しまった。 7'I″ Zυ ι s yal lθ 助 .I 劉 イ