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2013 年 筑波大駒場中 国語 解答・解説 【解答例】 一 問一 女性や女形のもつ男性的な要素を消して、女性的なエキスだけを誇張して見せるというウソの表現 をすることで、見る側は、より女性的なやさしさをもつものとして納得し、受け入れるということ。 問二 (1) 前のページでは、かさが売れないまま家に帰らねばならないお爺さんの厳しい状況を、雪の 激しさ、お地蔵さんの悲しげな表情、吹雪の中を歩くお爺さんの前傾姿勢として描いている。他 方、後のページでは、心優しいお爺さんがお地蔵さんに笠をかぶせてあげるなごやかな場面を表 現するため、雪は丸みのある形で描き、お地蔵さんはおだやかな表情に描き、お爺さんの表情は 満足げに描いている。 (2) 物語絵本の絵のリアリズムは、科学的に正確な情景描写にあるのではなく、物語の内容や場 面転換によって分けられた各場面の意味や感情をより強く、より明確に読者に読み取らせるこ とにあるので、前ページの険しく厳しい情景と後ページの柔和な様子の表現は、絵本本来の表 現法に適っていると言えるから。 問三 ア 問四 馬の走る正確な実像は、足を一本引きずったようなへんな形だが、そのままの事実描写では、走っ ているように見えない。一方、鹿のように足をそろえて飛ぶように走る描き方は、事実からは離れる が、走る馬の核心をついた表現法なので、見る者にはむしろ馬が走っている姿の真実味が増す。 問五 ア× イ× ウ○ エ× オ× 二 問一 さむらいは、一心に職人魂を燃やして石の調査にあたる三五郎の姿に心を打たれて殺意を失ってい たが、三五郎は不意打ちを受けると身構え、極度に緊張しているので、女中に異様で緊迫した雰囲気 を悟られ不安にさせぬよう、和やかさを演じようとしたから。 問二 三五郎が、刀一本ない状況で不意打ちされて、死ぬ覚悟もできないまま無様に命ごいをしつつ逃げ まどい、死んでいくすがた。 問三 エ 問四 さむらいは相手が追われていることに気づいて逃げかくれしないときれない性分であったため、逃 げるかにみえた三五郎が実は石を調べるためにかわらにおりたのだと知って、標的を失い、拍子抜け して緊張が緩んだから。 問五 さむらいにとって、三五郎も殿の命により切り殺すべき相手のひとりにすぎず、川にそって歩き始 めたのも自分をまくためだと疑いながら追っていた。しかし、自分が殺されるかもしれないというと きに逃げもかくれもせず、石工として石の調査に集中する三五郎の姿を見るうち、職人としての誇り 高い尊貴な品格を見出した。そこで、「えらいおかたにちがいない」と敬意を持ち、とても切ること などできないと確信するようになった。 問六 川には豊かな水があった。 三 問一 一つだけ取り残された寂しさに負けぬよう、少し強がることによって、心細さをまぎらわし、自尊 心を保とうとする気持ち。 問二 りんごが居直ったところで、取り残された事実が変わるわけではないとわかっていても、そうもし なければ耐えられないりんごの気弱で心細い無力感を強調する効果。 問三 自分だけが取ってもらえなかった悔しく寂しい気持ちのまま忘れ去られたのではあまりにやりき れないので、まわりの人たちにわかってもらおうとして、もう一度力をふりしぼり、意地でも自分を 主張したいと思う気持ち。 【解説】 一 問一 「ウソの表現」とは、 「特長をひどく誇張する」 、 「事実からははなれる」(最終段落)ことで、 「男性 的なもの」を「消して」 、 「女性的なエキスだけで見せる」(次段落)ことです。ここでは、浮世絵師が、 女性の手足を実際以上に小さく描いたり、歌舞伎の女形が指先しかみせなかったりすることを指しま す。そのようにして、「女のやさしさ」(同段落)を際立たせ、人々に納得させることができます。 問二 (1) 前ページ絵(ア)と後ページ絵(イ)のそれぞれの表現の特徴を踏まえて、その違いを指摘 する必要があります。同段落の説明および添付絵から、まず、天候条件の違いがわかります。 (ア)からは激しい吹雪の場面、(イ)からは丸い斑点状の印が示す降り積もった雪のおだや かな様子が読み取れるでしょう。次に、お爺さんの表情を対比させます。(ア)では吹雪に打 たれ、体を斜めにして歩きづらそうにしています。笠が売れず、厳しい状況にあるからでしょ う。(イ)では、お地蔵さんに笠をかぶせる和やかな振る舞いをしています。さらに、お地蔵 さんの表情も、この状況を反映させたかのように、(ア)では悲しげに、(イ)では穏やかになっ ています。つまり、気象条件・お爺さん・お地蔵さん、三者の様子から、激しく厳しい情景を 表現した(ア)と柔和で穏やかな場面を表した(イ)の違いを確認することができます。 (2) 筆者が述べる、「表現として当然の処理」(=描写表現における必然的手法)を、読みとりま す。それは、写実や科学的事実によるのでなく、「特長をひどく誇張」して「核心をつき表現 する」(最終段落)ことです。これを、「絵のリアリズム」(冒頭)としています。その観点から、 (1)で確認された「かさじぞう」の両ページの絵を再点検すれば、各場面の意味や感情の特質 を実によく表現できたものとして納得できるでしょう。 問三 一部で「問題」にされていたことは、 「前のページで吹雪で、次のページでは雪がゆるやかにな」(前 段落)る描き方です。科学万能主義の母親が、天候が急変した絵を批判したようです。しかし、 「気象 的に見ても、山の天気は瞬時に変わること」(同段落)がありますから、「かさじぞう」の描写法は、 実際の気象変化とも矛盾していないことになります。筆者の作風と現実の天候の合致を述べていない ア以外の選択肢は、除外されます。 問四 「事実」とは、実際の姿のありのままの描写物であり、「真実」とは、対象の特質を誇張し、核心 をついたもののことです。「描かれる馬の姿」の事実相は、 「足を一本引きずったような、へんな形」 (前々段落)ですが、それでは「走っているようには、みえない」(前段落)のです。それを、昔の武者 絵のように馬の特徴を捉え、 「鹿のように足をそろえて飛ぶように走」(前段落)る姿で描くと、 「真実 馬が走っているようにみえる」(前段落)のです。 問五 ア 力太郎の手は、 「実際よりはるかに大きく強く」(第2段落)描かれているようです。ゆえに、 「実 際の手の大きさそのままに力強くかかれている」は本文に合致しません。 イ 第4段落には、女形が男性でありながら、男性的要素を消して女性的なエキスを強調し、女性ら しさを演出することが述べられています。すると観客には女性らしさの真実味が伝わり、演者が 男性であることを知りながら楽しめます。ゆえに、「女形は男がつとめるため、…女性らしさを 欠く」は不適切です。 ウ 物語絵本「かさじぞう」では、吹雪の中でお爺さんが険しい表情をしている場面から、雪が緩や かになりお爺さんも和やかな表情になった情景への急変がみられます。ゆえに、 「物語絵本では、 場面によって表現が大きく変わる」は適切です。問二と併せて、確認しましょう。 エ 写実的表現より、核心となる特徴を捉え誇張した描写のほうが真実味を出せる、ということは、 本文全体に一貫する筆者の主張です。ゆえに、「走る馬を上手にかくため…きちんと写真を見る ことが必要」は、本文に合致しません。 オ 最終段落の要点は、似顔絵において、 「その人の特長をひどく誇張するので」 「そのもっている核 心をつき」「似る」ということです。対象になる人物に似せた似顔絵を描くための最も大事な条 件は、「特長をひどく誇張する」ことです。実物から離れることは、結果にすぎません。ゆえに 「実物からはなれればはなれるほど似せることができる」は不適切です。 二 問一 「きれなかった。おいどんにはきれなかった」(19行目)さむらいは、「からになった茶わんをみ つめながら話しつづけ」(21行目)ました。22行目以降で語られた内容は、さむらいが三五郎の職 人魂に心を動かされて殺意をそがれ、殿さまの命にもかかわらず「きれなかった」経過の回想場面で す。ゆえに、①では、さむらい自身に切迫した緊張感はなかったことでしょう。しかし、三五郎は、 ①の直後でさむらいに、自分が不意打ちされる時期を面と向かって尋ねていることからも、相当な緊 迫感を持っていたことがわかります。さむらいは、これらの状況を踏まえて、女中に無用な心配や気 遣いをさせぬよう配慮し、敢えて和やかな雰囲気を演出することに意を尽くしていたようです。 問二 ②を含む三五郎の言葉に注目します。一本の刀ももっていないのに、さむらいから不意打ちされる 恐れのある三五郎にとっての、決して人目にさらしたくない自身の死に様とは、逃げ惑い取り乱す無 様なものであるにちがいありません。 問三 ここでの「まく」とは、連れの者などの目をくらまし、故意にはぐれることです。まだ、三 五郎刺殺の命を忠実に実行しようと意気込んでいるさむらいにとって、街道をそれ、川に沿 って歩き始めた三五郎の姿は、自身の目を「まく」ものに思えました。 問四 さむらいの「殺意」は、どんな時に高まるのでしょうか。④直後のさむらいの言葉「あいてが、追 われていることに気がついて、にげかくれしはじめると、やっとその気になる」や「いのちごいをす るやつば、きりすてる」(48行目)から、相手が逃げ腰であれば、殺意を高める性分であることが わかります。しかし、直前まで「まくつもりだな」とみて、緊迫感をもって注視していた目の前の三 五郎は、川原にみつけた黒石に集中し、調査しているようで、自分から逃げる様子がありません。よ って、緊張が緩み拍子抜けしたことがわかります。 問五 さむらいは、殿さまの命令のままに、三五郎を追跡中、彼が「まく」ような隙を見せた時、「きる にはもってこい」(24行目)のタイミングが到来したことを感じ、殺意を高揚させます。しかし、 三五郎は命乞いも逃げ隠れもせず、むしろ必死に川原にある石の調査に熱中していました。さむらい はその姿から、石工として常に最良の建材を捜し求める崇高な職人の心を感じたことでしょう。「え らいおかたにちがいない。」(48行目)というさむらいの言葉は、三五郎への敬意そのままであり、 もはや、彼をきることなど、とうていできなかったのです。 三 問一 「ひとつだけあとへ とりのこされ」たりんごは、どんな気持ちになったのでしょうか。りんごの 孤立した状況と、「ちいさく 居直ってみた」表情を踏まえて、説明します。りんごは、他のりんご たちがありがたくもらわれていく中で、ただ一つ、自分だけ相手にされていないことに、寂しさを感 じます。『居直る』とは、厳しい立場になった者が、相手にわざと強い態度をとることです。ここで は、りんごが、孤独を感じながら、“ひとりぼっち”に負けまいとして人目につかぬよう控えめに強 がることで、自尊心を保ち自身の存在価値を確認しようとしている様子がうかがえます。 問二 りんごは、「一個で 居直っても どうなるものかと かんがえ」ました。しかし、りんごの無力 感と心細さ・気弱さは、問一で確認された「居直り」によってしか埋め合わせることができないほど 大きかったようです。ここでは、その辛く、せつない気持ちを強調する効果をねらっています。 問三 りんごは、ただ一つ忘れられたように取り残されたことが、悔しくてたまらなかったことでしょう。 そのやりきれなさは、単なる『居直り』による自己存在確認の範囲をこえて、 「あたりをぐるっと まわしてから たたみのへりまで 見 ころげて行」くことで、苦しい思いを周囲に伝え、わかってもら おうとする自己主張に到達しています。