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(別添2) (PDF形式:47KB)
松川東小学校統合計画案に係るパブリックコメント結果「意見と教育委員会の考え」にて、
抜粋又は要約をさせていただいたご意見について、詳細に内容をお伝えするため、原文又は
原文から個人を特定される部分を最小限割愛させていただいたうえで、公開をいたします。
3番のご意見
松川町の学校教育についての素朴な希望
「松川東小学校統合検討委員会」は、本年1月9日の町役場会議室での第1回開催から、
同13日の学校関係者で組織する小委員会および、雨降りしきる3月1日の生東会館での第 2
回開催を経て、3月21日に第3回の検討委員会を迎えました。
昨年の8月9月の「松川東小学校あり方検討委員会」の論議を経ての、
「松川東小学校統
合検討委員会」であったが、私は、町内に住みながら昨年夏のあり方検討委員会の開催に参
加できなかったことを少なからずの後悔を持ちつつも、生東地区に140年にわたり地域と
ともに歩んできた東小学校を閉校にすることに対して何とか維持するための方策を松川町の
学校教育の特徴として打ち出していく観点から提案したいと思います。生東地区に140年
にわたり地域とともに歩んできた東小学校を閉校にすることに対して何とか維持するための
方策を松川町の学校教育の特徴として打ち出していく観点から提案したいと思います。
1.小学校の学区制を柔軟にし、3つの学校を維持する。
2.3つの学校はそれぞれ特色を持った教育課程・教育活動を作って、そこに勤務する教職
員の個性と技能を生かし、地域の様々な人々の支援を得て、それぞれ独自性をもった教
育活動を展開する。
3.教育委員会は、そうした各学校における教育活動をより進化させるための条件整備に努
力する。
4.今回の課題を社会教育的手法で解決するための、議論する場を、社会教育機関である公
民館かなりで、計画して下さい。
補足理由
大きな学校よりも小さな学校で学びたい、あるいは学ばせたいという子どもや保護者の方
は少なからずおられると推察します。学校は地域の自然的社会的環境と無関係に存立するも
のではなく、地域の中でそれぞれ独自性を持って、今までも歩んできたし、まだこれからも
歩ませたいと考えます。独自財政を持たない教育行政は、自治体の一般財政からの支出に頼
らざるを得ません。その財政吟味をする必要があります。大規模すぎる中央小学校の適正規
模化をも考える必要があると思います。三つのそれぞれの小学校からそれぞれの校風の中で
育った卒業生が集まって成立する松川中学校の幅広がりの可能性を生むものと思います。
4番のご意見
1.目的
本書は松川町立松川東小学校(以下、東小と呼称)の統合計画案についての意見募集に基づ
き記述したものである。内容(意見)として、
・統合案に反対
・存続の意義
1
を示す。
今回の意見作成について、教育委員会の議事録を参考にしている。情報公開が適切になされ
たことを深く感謝するものであり、また今後も市民への情報提供が適切に行われることを望
む。
2.結論
本書は東小の統合計画案についての意見募集に基づき記述したものである。骨子は以下のと
おり。
a) (第3節)に述べる理由により[反対]する。
b) 存続することで生東のみならず松川町全体の利益となることを示す。(第4節)
またこの問題は、これまでの過程において町議会や町長、そして町民のチェックが及ばなか
ったことが起因
している。生東区への無関心のみならず、この問題を看過することで最終的に「松川全町民」
が損害を被る
ことはないように注意を喚起する。
例えば、梅松苑はなぜ破綻したのか。町の依託先のチェックや経営の審査が甘かった結果で
はないだろうか。
議論なき施策は愚策であり、そのツケは結局「町民」に回るのである。
3.統合への反対理由
3.1 統合への政策決定プロセスが公平かつ誠実ではない
3.1.1 「松川町小学校あり方検討委員会」での答申
平成19年の「松川町小学校あり方検討委員会」の答申案では、
「4.統廃合について 少子化や社会情勢を見据える中で、地域・文化の歴史もあり早急に結論
を出すべきで
なく、今後じっくり考え結論を出された」
とあるにも関わらず、教育委員会の町長への提言案では、
「5 年後に東小の見直し.....」
となっている。この変節に対する説明は当時の「松川町小学校あり方検討委員会」
、または生
東区等には説明が充分にされていない。
3.1.2 「松川東小あり方検討委員会」での「統合への誘導」
存続への声も強い(★1)に関わらず、一考もせず「統合を前提」としたこと。その根拠も
児童数の減少以外では「教育長の個人的な見解」(第 3.2.1 節を参照)に留まるのみとなり、
地域と学校との「あり方」を論ずる場であったにも関わらずその機会は意図的に「握りつぶ
されてしまった」
2
3.1.3 「統合」ありきの「あり方検討委員会」
平成24年6月の教育委員会の議事録より引用する。
橋場委員)パターン1が良い。
林委員)パターン1は、進行は早いが、住民の受け入れに不安が有る。
松村教育長)あんじゃないずの活動に、直接的な協力はして来なかったが、教育委員会は理
解をしてきた。パターン1
は、生東地区を裏切った形となる恐れがある。
橋場委員)パターン2の場合、議論のたたき台は必要。
松村教育長)生東区との懇談会では、教育委員会の考えを求められた。メリットデメリット
を示しながら意見を聴きた
い。初めから統合ありきと取られたくはない。
このやり取りは、
「あり方検討委員会」には示されていないしまた生東区民や東小 PTA にも伝
えられていなかった。
3.1.4 「あり方検討委員会」での議論内容の「偏り」
「あり方検討委員会」では「統合」のメリット、
「存続」のデメリットのみが強調されている。
また、デメリットに対しての「対応策」も議論なきまま終わってしまった。
例えば、
「学区」の見直しや 越境入学 などの児童数確保の具体策も「一蹴」されてしま
った。なお、当時東小 PTA からも学区に関するアンケートを「あり方検討委員会」での実施
を「あり方検討」委員長や教育委員会へ要望したが、
「もみ消されて」しまっている。学区問
題に関しては、
「あり方検討委員会」でも発言があり、無視せざる課題であったことは間違い
ないのである。
3.2 行政側の非協力的な態度による、存続活動への障壁
3.2.1 行政側の
害された。
非協力
態度により生東区民、もしくは各種団体箇々の存続への活動が阻
上記、3.1.3 項の松村教育長の発言にもあるように、
「直接的」な協力のみならず、制度的な
支援もなされていない。
また「東小統合計画案」にも民間側の試行は記載れているが、行政側の施策は一切記載され
ていない。積極性が垣間見えるのは「統合」という行為のみである。
3.2.1 東小廃校の根拠、論拠の正当性がない
「切瑳琢磨」
「大勢の中で多様な」といったスケールメリットのみ強調されるが、むしろ「大
勢の中で埋没する」
「みんなと同じ考えでいいや」といったデメリットもありえる。じつは中
央小出身である筆者は、
「他人と違う考え」を披露したことによる阻害、迫害を受けたことが
3
ある。これは現場の先生方が一番よくご存知かと思われるし、また児童数の大小に関わらず
モチベーションを高く維持するために尽力している。この教育長の発言は、東小のみならず、
松川町で児童達に接している教職員はどのように感じただろうか。児童数の減少については、
学区の問題や子供を持つ家族の受け入れ(空家、もしくは住宅地)などの施策を尽くしてか
ら述べるべきである。
3.2.2 統合による、地域の
活力
への打撃
統合に伴う地域への悪影響として考えられるのは、例えば積極的に交流してきた団体との関
係がなくなってしまうことが挙げられる。親愛の里の方々や、運動会や音楽会に楽しみに来
てくださった方々への影響は計り知れないだろう。そして、行政は「あり方」
「統合検討」委
員会の議事内容でその声を心底納得させることはできるのだろうか。
少なくとも、上記 3.1 項にあるような「かき消された」声が存在し、
「なにをしても話を聞い
てくれない」といった「空気」を作ったことが「地域のために」
「地域とともに」といったス
ローガンを掲げる東小 PTA 会員へどれだけの心痛を生じさせたか、想像すべきである。
3.2.3 統合は、跡地利用のために行われるのか?
東小を維持することはエゴではないか?という声が「あり方検討委員会」で挙がったが、東
小は国政の一翼である小学校教育を「地域が支えて」きた学校であり、決して単純な地域エ
ゴで成り立っていた訳ではない。
(そうであれば、数十年も存続していない)
しかしながら、学校以外の利用となる場合はどうだろうか?
「あり方」「統合」委員会では跡地利用については特に議論が交わされていないに関わらず、
統合案にはその旨がのせられている。
町の設備を「生東住民のエゴ」で開放するということになれば、梅松苑の二の舞にならない
だろうか。生東には、新生した梅松苑と生東会館といったハコがすでにあるのだ。
町外の例をみる限り、廃校後の校舎利用で成功した例も少ない(むしろ皆無に近い)
。しかし
ながら、伊那市立新山小学校のような成功例もある。これは通学区規制を緩和し児童数を増
加させた好例である。
生東区民にとっても、先の見込みのない怪しげな施設よりも、子供達の声が聞こえる学校を
望んでいるのではないだろうか。
(なお、こういった事例研究は「あり方」
「統合」委員会では一切議論されていない。やはり
「統合」ありきの会議では前向きな意見を醸成することはできない一例である)
4.存続することの意義、松川町への利益(メリット)
4.1 生東、生田地域の活性化への貢献
東小があることで、生東に暮らしを求める子供世帯への希求条件(自然の中で学ばせたい)、
もしくは少人数で学ばせたいといったニーズに答えつつ、生東区への人口増加への布石する
4
ことが可能である。
(これは、あんじゃないす生東だけではなく、いままで町政懇談会でも行
政に対して何度かぶつけられた意見である。勿論、無視されているのが現状である)
また、地域各団体(お年寄りや親愛の里等)との交流など、現状でも地域の活性化に貢献し
ているのが、現在の東小である。
(これらの代替えは考えられないだろう。生東の育成会も、世帯数減少に伴いその活動は縮
小傾向にあるため、その責を担うことは困難である。この事実からも、東小がなくなること
は取り返しのつかない損失である)
4.2 3校の共存から生じる多様性と可能性
松川町は、天竜川をはさんで様々な文化圏の地域を内包している。元々、そういった地域を
尊重することで連帯感を維持してきたのではなかろうか。しかしながら、生東区という一角
が崩れるにおよび、上記第3節のような「敬意」もなく、反論を封じた形での恭順を求める
ような行政、政策はどこからきているのだろうか。
地域の特色である3校という枠組みを、地域の特色を尊重して互いに交流していく姿がこの
町の姿ではないだろうか。
以上。
★1 存続に関する意見は以下のとおり。
あんじゃないす生東のアンケート結果については、以下の URL を参照
http://d.hatena.ne.jp/Kazichi/20110412/1302617638
松川町議会議員 加賀田亮氏によるアンケートについては以下の URL を参照
http://higashi-anq.blogspot.jp/
5番のご意見
暑中御見舞申上げます。
教育委員の諸先生方にもお暑い中御健勝にて御公務に御励みの御事と御推察申上げます。
過日6月 14 日の東小学校の音楽会の折には重厚なる諸先生方にお目にかかる事が出来得ま
して、嬉しく存じました。
又先月組集会の折には、松川東小学校統合計画案の概要及東小学校統合計画案等を、ご配
布頂きまして有難うございました。
頂いて以来毎日の様にアンダーラインを引いて熟読させて頂きました。東小学校統合に当
りましては、又とない大きな重要なるご検討であられ、賛否両論の大きく揺れる中、度重な
るご検討にご努力賜り、お子達への最善の教育として等しく保障する責務の下、御努力頂き
有難うございました。
殊に 25 年1月の統合研究会に於かれましては、地域、PTA の方々の意見に謙虚に耳を傾け
て下さり、又その悩みを共に悩んで頂き、又 140 年の歴史を継いで来ました卒業生、地域の
人々の思いを心して下さり、お子達の為に教育本来の役割を一義と考へられる先生方の熱心
な厚い思いに深く感謝申上げて居ります。
統合骨子に 平成 27 年(2015)3 月 31 日を以って東小学校を閉校とする と…。その文字
5
は大きく大きく目に入り、胸に痛く迫り、夢であってほしい、嘘であってほしいと、涙が止
りませんでした。最度確認致しました。(一部省略)
教員としても成長なさった東小学校だったと思います。私の子供達も五人東小学校にお世
話様になりまして 20 年の間 PTA の方々と仲良くして頂きました。その絆は今にして大切にし
て居ります。あんな時のこんな時の東小学校を想います時、このご縁は深く感謝と懐しさで
一杯でございます。
またお子達は学校行事のございます度に、美しいイラスト入りの案内状に添へて「元気に
長生きして下さい」とメッセージを入れて漢字一杯のお便りを入れて下さり、本当に嬉しく、
勇気を頂きます。もう十年余りになりまして最初のお子達は成人式を終えられました。
今年六年を卒業されましたお二人の内お一人はそのお人柄を認められ級長として頑張って
居られます。嬉しく存じて居ります。
教育委員会の先生方ももう御存知の様に東小学校は、校長先生を大黒柱となされ、他の先
生方、お子達も自分が一番で校舎をあの小さい手で汗水流してピカピカに磨いたり、学習の
面でも一人一人の考へを行動を大切にして、優秀なる成果で賞状賞品を頂き、何処からあの
力が湧くのでしょうと感動一杯でございます。校長先生共々一家の様に励まし、喜も悲しみ
も共々分ち合っての日々で「教育は人間形成の場」と伺いましたが、東小学校は正にその場
だと思います。僻地のモデル校として県にとりましても松川町にとりましても、又とない宝
物と思います。こんな素晴らしい小学校から先生、そしてお子達の姿や声が失せるなんて、
命を断たれ親兄弟と別れる思いでございます。若しもこんな願を叶へて下さるならばと。統
合の流れをお待ち頂きたい思いで一杯でございます。あのかわゆい低学年のお子達が大勢の
中に入り自分の居場所に戸惑う姿が浮かんでなりません。そんな事ない様に先生方の間では
ご検討頂いたり東小の特色ある学習等その学力の定着に心して頂いて居りますのにこんな不
躾なお願い本当に手を合せてお詫び申上げます。 もう一つ東小学校が欲しい、時間よ止れ
と存続を希いながら
教育委員の先生方も又東小のお子達と給食を共にされて一日をお過ごしになられ、いろい
ろお子達にお話して下されば、お子達はどんなに喜ばれるでしょうと思います。
後 2 ヶ月で私も九十才になりまして、多くの方々のお世話様になって居ります。年寄でご
ざいますのにこうして滸しく教育委員の先生方に恥も忘れてしまいましてお願いや東小学校
に対する思いを書かせて頂きまして、申訳なくお詫び申上げます。
精一杯の東小学校への思いでございます。粗紙粗筆にて長々と前後不同の乱文拙文重ねて
お詫び申上げます。
これからまだまだ暑さも厳しゅうございます先生方にはくれぐれも御身おいといなさいま
してご精励なさいます様深く祈念申上げます。
かしこ
平成 25 年 7 月吉日
○統合後の校舎等はどうぞ常設の管理して下さる方をお願いして、歴代の校長先生のお写真、
在校生、卒業生そして東小学校に思いを寄せて頂いてご寄贈頂いた宝物を大切に守ってとお
祈り申上げます。プールの上の松林の芳重地蔵様も塩見岳も五本松も同じ思いと存じます。
○そして旧校歌設定(峠、柄山、中山と…)時の折の 前澤博人校長先生 (軍服姿)は東小学
校をお去りになられる折、その別れを惜しまれて、校庭南向の入り口に立つ石柱(門)にし
6
がみつかれ、泣かれ離れず児童(六年生)が抱きかかえて差し上げたと当時在校生でした(主
人)は折々申して懐かしんで居りました。そんな思いの石柱(石門)もどうかお残し頂きたく
お願い申上げます。
6番のご意見
廃校に強く反対します。今後3∼5年程度は通学区以外からの児童を受け入れ、
「小規模特
認校」として児童数確保を図り、町内に特色ある3校が並立することで保護者の選択の幅が
広がる学校運営を望みます。年度ごとの目標児童数を定め、目標児童数を下回ることがあれ
ば閉校という条件を付けて誰が見ても客観的でわかりやすい指針を定めて運営するべきかと
思います。
伊那市立新山小学校の取り組みを参考にしてはいかがでしょうか。同校は平成21年から
小規模特認校の指定を受け、16名だった児童数が現在では30名を超えているとのことで
す。自然体験や少人数教育にメリットを感じて転入した市民もおられるそうですが、発達障
がいなどさまざまな問題を抱えた児童を持つ家庭も多くが転入を希望したそうです。ご存知
のように、発達障がいなどの支援として少人数教育や日常から自然に触れさせる方法に一定
の効果があるとの話も聞きます。中央小や北小で特別支援学級に区別されて囲い込まれなが
ら支援を受ける方法が一般的な大規模校で行われていますが、東小では普通学級の中で支援
を受けながら一般の児童とも接触をもって育つ環境が可能です。天龍村のどんぐり向方学園
のように、そのような対象者専門の学校にする必要はないと思います。子どもにとって何が
一番良いか意見の分かれるところですが、町民保護者にとって選択肢が増えるというのは確
実に良いことであり、価値観の多様化した現代のすう勢に沿っていると手法だと言えます。
新山小学校の成功事例は地域の支えも重要なファクターです。地元住民で運営されている
「新山小学校を支える会」の存在は非常に大きく、新山小学校を常に陰ひなたから支えてい
るとの話を聞きます。この動きは過疎高齢化に苦しむ地域に共通した、地域活性化の優良モ
デルと言えます。同様に過疎高齢化少子化が顕著な生東区が東小について活動することによ
って活性化の契機となれば、教育のみならず町づくりとしても、東小と地域の存在価値は高
まると思います。ただし、新山小学校を考える会は非常に長い歴史の積み重ねがあって成立
しており、今すぐ生東区に当てはめることができるとは思えません。地域の団結は一朝一夕
になしえるものではありません。あり方検討委員会や統合検討委員会の経過を見る限り、生
東区民の中には強硬な廃校論者がいるのも事実です。全住民というモノサシは、価値観が多
様化している現代社会には不向きであると思います。生東区は梅松苑撤退問題で地域住民の
まとまりと住民力を大きく阻害した出来事があり、区や自治会の重責者には当時の事件の当
事者が今なお在籍しているケースがあり、住民感情は複雑です。区民は表だって非難するこ
とはありませんが、ある世代に対する不信感が強くあります。そういった地域社会の問題を
抱えている以上、充て職で構成するのではなく阿智村立阿智第三小学校の事例のように、本
当に地域と学校の関係を真剣に憂い、考え、行動できる有志者のみが集い学校を支える「コ
ミュニティスクール」制度が適していると考えます。
教育行政は本来、一般行政から独立し政治的な関与を受けにくい立場を確保するために設
7
けられた制度です。4年単位で変わる可能性がある首長や議会の影響を受けずに中長期的な
展望と実践を負託されているはずですが、現状を見るに教育行政の独自性、独立性という要
素は私たちの住む松川町においては非常に存在感が薄いと言わざるを得ません。仮に教育行
政が綿密な調査研究と精緻な客観データに基づいて、
「松川町の教育はかくあるべき」という
中長期理念を掲げることができれば非常に心強いと思いますが、議事録を見る限りそのよう
な強い議論が時間をかけてなされた形跡もなく、町民としてそのような動きがあると耳に入
ることもありませんでした。表現が不適切かもしれませんが、教育委員会では事務局の用意
した議案だけを審理し、結局のところ首長の意向を追認するだけとの印象を受けます。例え
ば昨今の児童の学力低下傾向を中長期的な課題ととらえ、集中教育により10年かけて児童
学力を全国トップクラスに引き上げることを目的とし、数々の施策を行いその一環として3
校を集中し1校に集約する、または1校に特進クラスを設けて全町から通学可能とするなど
の施策が行われており、その一環として東小の存続を議論する、というのであれば問題は土
台に上がると考えます。しかしながらそのような特色、リーダーシップのある教育行政が行
われているとは言い難い現在の状況下にて、児童数が少ないから廃校にするという議論はあ
まりに短絡的である印象が強く、
「議論」に値しない機械的な判断で済む案件であると思われ
ます。教育行政の改革には長い年月に継承された人選の伝統など急激な変化を受け入れない
体質があるのは比較的容易に推察できますので、公選制度などの英断が必要な改革であり、
今日明日変わることができる問題でないと考えますから、教育行政について非難するもので
はありませんが、松川町の教育行政の現状は強く認識していただき、その上で学校の統廃合
を議論できる資格があるのか今一度ご再考頂きたく存じます。今現在、教育委員会が示す唯
一の強い方針は「大規模校で切磋琢磨させたほうが良い」という一言に尽きますが、小規模
校のメリットと大規模校のメリットは多くが背反するものでありどちらが正解という答えは
ありません。どうしても片方の主張を貫くのであれば、反対の意見を説得出来うるだけの客
観的な調査研究や精緻なデータが必要なのは当然です。しかしながら「大規模校で切磋琢磨
させたほうが良い」という主張の論拠は委員会個人の経験に基づくきわめて感情的な主張で
あり、行政の付属機関であり教育委員会という重責を担う機関の議論とは思えません。今一
度教育委員会として町民のすべてに説明責任が果たせる客観的論理的な論拠提示を求めま
す。
廃校となった後の生東区の住民力の地盤沈下を強く懸念しております。近年30年間にて
廃校となった南信地域の小学校にて地域の活性化活動に継承できたと客観的に言えるのは南
信濃村立木沢小学校だけかと思います。聞くところによれば地域の住民パワーもさることな
がら、木造校舎という恵まれた資産があることも最大の要因と言えます。その他の廃校とな
った小学校はそのほとんどが目立った活用が行われずにいます。過疎地域における廃校再生
利用がいかに難しいかは少し研究調査すれば明瞭です。阿智村立智里西小学校や泰阜南小学
校栃城分校のように、過疎高齢化が顕著な住民へいくら利用を促しても、なかなか成果に結
びつかない可能性が高いと思われます。仮に地域の有志があったとしても梅松苑という大き
な失敗事例があり、莫大な公費で建設を誘致したものの、地域住民の無責任な放漫経営で最
後は逃げるようにして放棄しました。地域住民レベルではこの事件の総括や反省も一切行わ
れていません。このことを話題にすることがタブーなのです。これを繰り返すことの愚だけ
は避けるべきです。また、南木曽町立妻籠小学校や泰阜北小学校のように何らかの半官半民
8
社会団体が入居することも考えられますが、生東区には生東会館、リズム室(体育館)、近々
空き家となることが予想される生東保育園跡など、開店休業状態のハコものだけが虚しく存
在しており、これ以上空き家施設を増やしても仕方がありません。木曽福島町立黒川小学校
や豊丘南小学校野田平分校、上村小学校下栗分校のように莫大な公費をかけて再建すること
も考えられますが、町が抱える統合保育園、中央公民館などの事業計画を考えると町の財政
からもこれ以上のひっ迫は避けるべきです。生東区の人口は現在400名前後ですが25年
後には100名を下回るとの試算があります。廃校となれば結局のところ泰阜南小学校川端
分校、栃城分校のように学校消滅とともに住民も離脱してゆき数十年後には生東区という地
域社会そのものが消滅する可能性が高いと思われます。過疎高齢化に拍車をかけ、結果的に
行政、財政に多大な負担がかかるのは客観的な調査研究や近隣市町村の事例から見ても明ら
かです。結局のところ小規模特認校として存続させておくのが地域住民力の保持と行財政の
点から最もコストパフォーマンスの優れた選択肢であると考えます。
廃校に至る議論のプロセスにも疑問が残ります。説明責任が果たせないと感じます。平成
20年のあり方検討委員会答申に対して教育委員会が5年後という年限を設けたことは議事
録を見ても十分な議論がなされた形跡がありません。当時の教育委員の個人的な感情に従っ
て発言がなされたことはわかりますが、その裏付となる研究調査結果や近隣市町村の比較デ
ータなど、町民に対して客観的に説明できる議論がなされたとは認められません。同様に平
成24年8月の東小あり方検討委員会でも統合前提で開催されましたが、これについても何
ら説明責任を果たしていませんし、客観的に納得できる議論が行われた形跡もありません。
教育委員会にて各委員が個人の経験をもとにしただけの発言や議論をしているとしたら非常
に残念です。また、検討委員会の構成要員として多くの充て職者が使われたことも問題があ
ります。事案によっては充て職も有用ですが、地域社会との関連がある学校の問題は、保護
者の立場、地域住民としての立場、そして既存の農事生活団体としての区、自治会担当者と
しての立場など、視点が乱立しており委員会の構成要員として機能するのか疑問が残ります。
それぞれが自己利益のための主張に偏ってしまうために最終的には地域社会での発言力の強
い者の意見が通ってしまいます。委員会としての存在意義が疑問視されます。このような委
員会に答申を求めること自体、政策論議の過程として問題があります。本来、地域社会の要
望は団体ごとに主義主張が異なることが予想されるので、団体別に意見要望をまとめてもら
うだけで留め、その先は行財政や住民育成など町全体の大局的な視点で問題を議論できる機
関(例えば議会の特別委員会など)に委ねるべきです。この稚拙なプロセスにこだわった教
育委員会の手法が町民に対して説明責任を果たしているとは言い難いのが現状です。教育委
員会が行った平成25年6月の生東区各自治会住民説明会にて説明すべきはこのプロセスの
妥当性であって、廃校の結論を説明するのではないと考えます。席上で「プロセスを説明せ
よ」との意見がありましたが、委員会の回答はただ「わかってほしい」というものでした。
明確で客観的な議論の形跡がなく教育委員個人の経験感情でのみ議論が進められた証左と言
えるやり取りであったと感じました。東小統廃合問題のみならず町政のあらゆる面において
このような不毛なやり取りのもとに政策が決定されている恐れがあります。教育委員会をは
じめとする付属機関の人選制度や中長期目標掲示の義務化、調査研究の客観性確保、個人経
験に帰するだけの議論スキル改善など抜本的な改革が必要と思われます。そのような中で進
められた平成20年∼今日までの統合案議論についてはその正当性、妥当性が根底から疑わ
9
れます。このような背景がある以上、統廃合についての議論そのものが正統性を欠いている
と考えられます。町政にとって今もこれからも、このような手法はデメリットが大きく町政
を混乱させる起因となります。今回の事案を契機として住民合意とは何か、付属機関の果た
すべき役割は何なのかを見直す時期だと思いますし、自戒の念を込めて今回のプロセスの妥
当性の欠如を認め、新たな提案(小規模特認校など)と議論を始めるべきかと思います。
「何
回も話し合った結果が無駄になる」「既に決まったことだ」という考え方は排除すべきです。
この意見にこだわれば何も前進しません。健全な町政運営のためには、
「間違ったことをやっ
てきた」と素直に認め、再出発する勇気も必要です。
少子化が進む学校と地域社会に対し行政が果たすべき役割について疑問が残ります。平成
初期頃から東小の少子化は地域でも重要な課題とされていました。当時から少人数教育と豊
富な自然環境が児童に寄与するメリットは十分に検証されていました。にもかかわらず行政
はこれといった支援を行っていません。地域住民有志によるシェルパ倶楽部が中心となって
少子化対策として山村留学事業などが約10年間行われてきました。シェルパ倶楽部活動中
も行政はこれといった支援を行っておりません。ここで言う支援とは財政支援のみならず人
的資源や宣伝媒体などソフト面にも及ぶものを指します。平成19年にシェルパ倶楽部によ
る山村留学事業は実質停止しました。シェルパ倶楽部の活動が先細りし運営が不安になった
状況下でも行政は目立った支援を行いませんでした。先述のように平成20年になるとあり
方検討委員会の提言があったにもかかわらず、説明できる客観的な議論が認められないまま
5年後という年限をつけて答申する有様でした。平成22年からは私も関わり恐縮ながらあ
んじゃないす生東の活動が始まりましたが、これについても実質的で有効な支援はなされな
かったと言えるでしょう。行政は一貫して地域支援を行わなかったという事実は、
「地域の課
題は地域が解決すべき」という信念があってのことと推察します。それならば統廃合問題も
性急に結論を急がずに、住民が地域社会の将来を見据えた問題解決を図ることを静観するべ
きです。逆に言えば行政はこういった「地域住民が自力で解決する」という「自助」行動を
促すように支援すべきです。過疎高齢化が深刻な生東区では地域住民の力もか細く、ひ弱な
のが実情です。それでもなお「自助」を進めるのであれば、人材育成や助成金の活用など自
助行動を円滑に進める支援こそ行政の役割であると考えますが、こちらについても目立つ支
援があったとは思えません。表現が不適切ですが過疎高齢化という地域社会が「ジリ貧」に
なってゆくのをただ放置してきた、いよいよ住民力がなくなったので学校は閉鎖する、とい
うシナリオにしか見えません。現実を直視すれば、自発的な「自助」が期待できないくらい
過疎高齢化で疲弊した地域社会では、人材を育成するための支援を行政が行わなければ誰が
行うというのでしょうか。平成20年に5年という年限をつけたことは、5年間の間に地域
住民でこの課題を解決せよ、というメッセージがあったとも言えますが、現実的には教育委
員会が5年の年限をつけたことや、この5年間に何かをすべき責任があることなどを大部分
の生東区住民は理解していなかったと思われます。これは地域の住民にも問題がありますが、
高齢化が進む住民がきちんと理解できるような情報の開示や説明は行われませんでした。あ
る意見では「5年間の猶予を与えたのに何も成果を挙げられない生東区住民の責任である。
閉校は住民の自滅であり当然の帰結だ」という論調もありますが、実際には5年間の年限が
あること、その間に実績を示さなければならないこと、誰が当事者となってこの課題を解決
するのか、などほとんどの住民は知らないままでした。5年間の年限をつけたのだから5年
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間で「自助」できるように行政は何らかの促進行動をとるべきでしたが、こちらも放置され
たままでした。以上のように行政はこれまで目立つ支援を行ってきませんでした。
「自助」
「共
助」などと耳触りは良いですが、特に高齢化が進む地域ではそれを促す行動は行政の仕事で
す。財政支援、人的資源支援は別の次元です。財政、人材を支援せずとも自前で調達でき回
転できるように育てるのが本当に支援であり行政が果たす役割です。この支援が機能しなか
った原因は教育行政とまちづくり行政の連携が適切になされなかったことが最大の要因でし
ょう。タテ割行政の弊害は今に始まったことではありませんが、これからの時代は多様化す
る町民の価値観に併せて行政も横断的に連携し合って対応するべきですし、これまでの5年
間の放置を認め、これを反省の契機として次時代には新しい価値観を行政として提示し地域
の自助共助を促し活性化を図るべきです。その意味でも小規模特認校とコミュニティスクー
ル制度を採用することは、住民にやる気と自助共助を促すには絶好の機会と考えます。
8番のご意見
本件について順次計画が進んでいる。このとき町当局は各集落毎説明会を開かれているが、
その冒頭教委の方々から「残念ながら」の言葉をいただき、その意味の深さに感銘しておると
ころであります。その心を通じて今後の方向付けをしていただければ幸甚です。
生東の地は、地形悪く、耕地少なく、平坦地少、集落散在、民意集積困難の土地柄にもか
かわらず、先人達は教育文化、産業各面に亘り良く活躍して来たと思います。その経過の記
録(別紙)を参考に、今後の生東の地の方向付けをしていただければありがたいと思います。
(別紙)
生田村誌
松川東小学校
・村の沿革概観
・984 ページ 生田地域開発協議
アンケート調査①∼④
五十年の歩み
・全般
・35 ページ
下段
付記
・町営住宅(民間)を要望するも実現できなかった
県下で町営住宅のないのは岡谷と松川だけと聞いている
・過疎債の適用を受けられる土地柄ながら適用されず
・辺地債も(唯一の救出法律)人口増、振興(地域)には使われなかった
9番のご意見
研修プログラム策定や下見のため、現地には何度も足を運びました。貴町役場はもちろん、
公民館・資料館やケーブルテレビ「チャンネル・ユー」、県立松川高等学校(旧、塚原学園天
竜高等学校)には、資料収集の件でたいへんお世話になっていますし、清流苑や松川東小学
校(芳重地蔵)も訪問させていただきました。
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その松川東小学校がこの度、平成 26 年度末をもって閉校となり、平成 27 年度から松川中央
小学校と統合になる由、各種の報道から伺っています。
私には、自然環境のすばらしい松川町生田地区で教育を受けさせたいとの思いを抱き、東京
から移住した知人がいます。彼女やその一家が、いまどんな気持ちでこの決定を受け止めて
いるか、いろいろに想像しています。ただし、生徒数の減少その他の現況に鑑みると、学校
統合自体はやむを得ざる措置であろうと認識しています。
問題は、統合後により、生東地区の子どもたちが不利益を被ることなく、自信と誇りをもっ
て通えるような環境をつくっていくことだと思います。統合をめぐる議論のなかでも、統合
先の中央小学校において、東小学校の教育方針や特色ある教育活動を考慮に入れながら学校
教育目標の設定や教育課程の編成を行なうことが謳われていますが、まさにその問題です。
その点で、ぜひ留意していただきたいのが、生東地区の長峰で生まれた宮澤芳重さん(1898
年∼1970 年;以下敬称略)のことです。
貧しさのため上級学校に進学できなかった宮澤は、郷土である飯田に誰でもが通える郷立大
学をつくる夢を抱き、東京でニコヨンなどの肉体労働をして稼いだお金の大半を、飯田市立
図書館や県立飯田高校に送金しました。志半ばにして亡くなりましたが、没後、地元の生田
の人々は学校脇に彼を讃える「芳重地蔵」を建て、またNHKは番組「地蔵になった男」
(1973
年)を制作して、その類まれな生涯を振り返りました。
実は昨年と今年、このNHK番組「地蔵になった男」をもう一度観る会を、東京で開きまし
た。とくに先日、私の職場である法政大学で開いた会では、映像の上映だけでなく関連の座
談会も催して、かつて宮澤芳重に関して伝記を著された松川町出身の下澤勝井さんをはじめ、
ゆかりの方々から想い出や、いま宮澤芳重を考えることの意味を語っていただきました。
主催者としても、今回のイベントには、
①飽食の時代と言われる現在、かつて清貧に甘んじながら、郷土の教育・文化の向上のため
に一生を捧げた宮澤芳重という人物の存在をあらためて知る
②現在、飯田でフィールドスタディをする全国の大学をネットワーク化し、
「学輪 IIDA」とい
うユニークな組織が立ち上がりつつあるが、かつて飯田に大学をつくろうと奔走した宮澤芳
重の営みを再度掘り起こし、検証する
③今回の学校統合により、宮澤の寄付金などで購入されたもと飯田高校の天体望遠鏡(現在、
松川東小学校に保管)や「芳重地蔵」がどうなるのか、その行方に注目し、必要な提言や協
力を行なう
の3つの意義があるものと認識しています。
添付した新聞記事のように、イベント当日は在京の飯田高校同窓生を中心に、約 45 名の方々
が参加し、それぞれ自らと宮澤寄贈の天体望遠鏡との関係や、その今後の保存のあり方など
に関して、積極的な意見表明や提言がありました。
その意味で今回、私は松川町に住所や職場を有する立場ではありませんが、こうしたイベン
トを企画した者として、いわば「(6)当該条例に利害関係を有するもの」の資格で、このパ
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ブリックコメントにも投稿させていただく次第です。
統合後も、生東地区の子どもたちが自信と誇りをもって通えるようにするためにも、生東地
区出身の郷土の偉人である宮澤芳重について、松川中央小学校の授業ないし松川町全体の学
校教育・社会教育のなかで広く知られ、またゆかりの品々が適切に保存・活用されることを
切にお願いするものです。
以上、町外から差し出がましい意見で恐縮ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
10番のご意見
現在、東小学校のホームページでは、「ぼく・わたしの学校じまん」「東小の宝」の一つと
して、芳重地蔵や飯田高校から受け継いだ天体望遠鏡を紹介しています。
「郷里への愛着心をよく理解し、その遺志をうけついで参りたいという念願から、このたび
生田の地へ誰からも親しまれるような、そしてこの地から向学心と郷土愛にもえた子どもた
ちが育って行くことを願い、『宮沢芳重地蔵』の建立を考えました」と、1972 年地元生田の
20 名で組織された宮沢芳重地蔵建立委員会の委員長は趣意書で述べています。その結果 584
名からの尊い寄付により建立された芳重地蔵は、40 年間巣立つ子どもたちを見守ってきまし
た。
私事ですが、宮澤芳重について最近興味を持ち、資料等を拝見するうちに、宮澤芳重につ
いて深く理解している方々ともお会いする機会を得ました。
共通して感じていることは、宮澤芳重の志の継承が、特に故郷松川町で風化しているという
ことです。東小が統合され、芳重地蔵がぽつり跡地に残されることを想像すると、その存在
が生田の人々から忘れられてしまうということが、危惧されます。
つきましては、現在意見を募集している東小統合計画案について、下記の意見を申し上げ
ます。
記
1 統合後の中央小学校において、宮澤芳重の教えを継承すること
(例えば、道徳、総合学習、東小学校跡地への遠足等)
2 現在東小が有する宮澤芳重地蔵や飯田高校から受け継いだ天体望遠鏡の今後の扱いにつ
いて十分協議すること
11番のご意見
(一部省略)
嘗て、昭和 33 年に飯田高校に生田村出身の宮澤芳重さんから贈られた天体望遠鏡は、現在
松川東小学校の玄関に展示されています。しかし、2015 年 3 月には松川東小学校が統廃合さ
れることが決まっていますが、天体望遠鏡の保存先は決まっていないそうです。私は松川町
に住所や職場を有する立場ではありませんが、生田村が生んだ偉人・宮澤芳重さんが再評価
されることを願うとともに、芳重さんの志が刻まれた天体望遠鏡の保存について重大な関心
と懸念を持つ一人として、コメントさせて戴きます。
昨年、8 月4日に東京西荻窪にある西荻図書館において、法政大学国際文化学部高柳俊男教
授が主催する NHK ドキュメンタリー16 ㎜フィルム「地蔵になった男」(1973 年 1 月放映)の
上映会に参加し、初めて宮澤芳重さんの存在を知り、飯田大学の創設を目指す崇高な思想と
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清貧を貫いて郷土の学校や図書館に生涯にわたりお金と図書を贈り続けた生き様に大変な感
動を受けました。今年の 7 月 6 日にも法政大学で開かれました DVD「地蔵になった男」の上映
会と座談会に参加し、宮澤芳重さんの偉大さを改めて感じました。
宮澤芳重さんは 41 歳で脳卒中で倒れ、半身不随になったために、ニコヨン労働者を続ける
しか方法がない中で、郷立飯田大学設立の夢を実現するために、一生涯にわたり、自身の衣
食住に一切お金を費やすことなく、働いたお金のすべてを郷里の生田村保育園、生田小学校、
生田中学校、飯田図書館、飯田高校などに寄付し続ける生き様はまさに仏様のような人でし
た。「人のために生きるとは何か」「社会貢献とは何か」を考えさせてくれます。
また、半身不随で不自由な体であるにも拘らず、生来の向学心は決して衰えることなく、
56 歳から亡くなる 72 歳までの 16 年間、根津から神田にある予備校・研数学館に歩いて通っ
た事実は、芳重さんが超人的な向学心と精神力を備えておられたといえます。大学に行くこ
とが学ぶことではない、「勉強とは何か」を教えてくれます。
現代では宮澤芳重さんのような生き方を真似できる人は皆無でしょう。今後も現れること
が絶対ないと思います。だからこそ、芳重さんが亡くなって 2 年後の 1972 年、芳重さんの生
前の遺徳を顕彰しようと、地元の方々が中心となって約 580 名に及ぶ寄付が集まり、芳重地
蔵が建てられたと思います。
私達は生田村というより飯田・下伊那が生んだこの不世出の偉人がいたことを誇りに思う
とともに、永久に宮澤芳重さんのことを後世に伝えることが大切と思います。
しかしながら、残念なことがあります。私は昨年 10 月に、芳重地蔵をお参りし、松川東小
学校を訪ねた時のことです。松川町の県道で地元の方 2 名に芳重地蔵への道を尋ねたところ、
2 人とも知らないと答えました。郷土の英雄を祀った芳重地蔵を知らないとは本当に驚きまし
た。松川町では、40 年前と相違して、芳重さんや芳重地蔵についての地元民の意識が確実に
風化していると感じた瞬間でした。
のちに知ったことですが、松川町としては宮澤芳重さんに関する資料は沢山あるが、それ
らの資料は町役場の倉庫に眠っているとのことでした。誠に勿体ないことです。芳重さんに
ついては毀誉褒貶があり、立派な人ではあるが、ニコヨン労務者であったことが評価のネッ
クになっていると思われます。また、ニコヨン労働者が郷里に寄付をし続けたことを称賛す
ることに抵抗感を感じる人も少なくないようです。
しかし、郷里のために身を捨てて寄付し続けた尊い行いは、たとえニコヨン労働者として
リヤカーを引いていたとしても、その価値が割り引かれるべきではないと思います。飯田大
学の設立構想を信念として生きた芳重さんの気高い思想と清貧な生き方は、永久に賞賛され
るべきと思います。
以上のことから、関係者の方々に次の 2 点につきまして提案させて戴きたいと考えます。
1.
宮澤芳重記念館(仮称)の設立について
・郷里飯田に大学を建ててほしいという願いを込めて、戦後の東京で清貧な暮らしを続けな
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がら生涯、故郷の学校や図書館、教育委員会などへお金や図書を寄付し続けた宮澤芳重さ
んを顕彰し、後世に伝えるために、宮澤芳重記念館(仮称)の設立をする。
・その設立に際しては、松川町のみならず、飯田・下伊那の関係者、飯田高校および全国の
関係者に寄付を募る。
・その記念館には、現在松川東小学校の玄関に展示されている、嘗て芳重さんが飯田大学構
想の一環として飯田高校に贈った初代天体望遠鏡(口径 6 吋=15 ㎝)を移設する。
2.
天体望遠鏡の保存について
・松川町で宮澤芳重記念館(仮称)の設立が困難の場合は、天体望遠鏡を飯田高校に返還し、
芳重さんの志を永久保存する。
・天体望遠鏡の移設に伴う費用は、松川町と飯田高校が折半する。
上記の提案につきましては誠に差し出がましい提案でございますが、松川東小学校の統廃
合と天体望遠鏡の保存を検討すべきいま、郷土の英雄を永久に顕彰するための方策として是
非ご検討戴けますようよろしくお願い申し上げます。
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