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長野大学紀要

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長野大学紀要
長野大学紀要
第31巻第1号(通巻第117号)
小 川 勝 一 教 授
河 野 伸 造 教 授
退職記念号
長 野 大 学
2009年6月
長野大学紀要
第3
1巻第1号(通巻第1
1
7号)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目
次
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
―期待される全人的なケア―
…………………………………………………………………………河 野 伸 造………1
<論
文>
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
―うつ病者のリハビリ出勤を通じて―
…………………………………………………………………………上 平 忠 一………1
1
反常識的経営の一対型内部モデル
―間接的コントロールとコントロール放棄の事例分析―
…………………………………………………………………………木 村
誠………2
9
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
―1
9
9
0年代保守党政権期を中心に―
…………………………………………………………………………久保木 匡 介………4
5
疎外論の再審
―生涯学習体系論への序章―
…………………………………………………………………………黒 沢 惟 昭………5
9
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
―社会福祉士養成を中心として―
…………………………………………………………………………越 田 明 子………7
3
中国語の発音学習を効率化する試み
……………………………………………………………………ビラール イリヤス………8
3
<研 究 ノ ー ト>
アジア主義──竹内好の場合 ……………………………………………佐 々 木
!………91
<研 究 業 績 一 覧>
2
0
0
8年 教員研究業績 ……………………………………………………………………………1
0
7
<そ
の
他>
小川勝一教授 略歴および主要著作 ……………………………………………………………………1
2
7
河野伸造教授 略歴および主要著作 ……………………………………………………………………1
2
9
長野大学紀要
第3
1巻第1号
1―1
0頁 2
0
0
9
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
―期待される全人的なケア―
The Trinity of Medical Care, Health and Welfare in an Aging Society
―A Holistic Care Espected―
河
野
伸
造*
Shinzo Kono
(QOL)、すなわち生命の質、生涯の質、生活の
はじめに
質を高めるために、図1に示すように医療・保健
日本は、世界のどの国もこれまでに経験したこ
とのないスピードで超高齢化社会をまじかに迎え
・福祉は重複した形態となり、医療・保健・福祉
は一層連携することが必要になってきている。
ようとしている。高齢者が安心して健やかに生活
そのような日本の現状を踏まえて、わたしが担
できるか、今日の最も重要な社会問題の一つと
当した「医療福祉論」の講義では、福祉を学び、
なってきている。
その関係の職務に就くことを目指す人でも、他の
今日の日本における医療、保健ならびに福祉の
専門家とチームワークとして協同して対応するこ
礎は第2次大戦後の1945年以降に制定された制度
とが求められており、今後は人の生理機能や病態
による。それまでは、日本でも人生は50年、さら
の知識は基本的に理解しておく必要があるので、
に60年と云われていたが、きわめて短期間のなか
福祉に直接関連する事項について講義をおこなっ
で1980年代後半には世界の最長寿国になった。そ
た。
の根源はこのような制度のもとによる医療技術の
その纏めて最終講義では「高齢化社会における
進歩、公衆衛生の活動、また国民に対する健康教
医療・保健。福祉の問題点、並びに全人的な介護
育ならびに啓蒙、さらに欧米諸国にはない日本独
を目指して」をテーマとして、表1に掲げる内容
自の医療保険制度(国民皆保険)による。さらに
について述べた。本稿では紙面の制限があるの
国民の健康に対する認識の向上による。
で、その中の1)寝っきり老人におこる褥瘡、
ところが高齢社会になるにともなって、健常者
2)メンタルケアについて、わたしがこれまでに
の一般的な健康管理だけでなく、著しく増えてき
行った研究結果を中心に解説し、今後の医療・保
た高齢者と障害者の健康管理、さらに社会復帰を
健・福祉の展望について記述したい。
目標とした“ゴールドプラン21世紀”が政策とし
て打ち出された。しかしながら、生活基盤となる
1)寝っきり老人におこる褥瘡
経済状況の停滞(バブル崩壊後)をはじめ、人口
今日、日本には4万人近くの寝っきりの人がい
構成の変化、家族構成の変化など社会構造が大き
るが、その多くは老人である。老人が一度寝っき
く変化するなかで、患者あるいは利用者を主体と
りになると、身体の局所的あるいはあらゆる臓
するケアが求められてきており、Quality of Life
器、ならびに全身的にさまざまの廃用症候群の症
*社会福祉学部教授(2
0
0
9.
3.
3
1退職)
―1―
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
状がおこる。その一つに褥瘡(床 擦 れ、decubi-
その対処方法としては、1)体位変換と、2)
tus, bed sore)がある。その原因には、脳血管系疾
圧迫を弱めるための布団、マットやベッド、3)
患(脳出血、脳梗塞など)、老衰、骨粗鬆症を基
局所的に圧迫を除く円座、クッションなどがあ
礎疾患とする骨折、関節・筋肉の疾患があるが
る。
(図2)、日本では と く に 脳 梗 塞、骨 折 の ほ か
に、老衰によるものがふえてきている。
1)については、基本的には2時間ごとに体位
を変換することが介護上の基本となっているが、
褥瘡は、寝っきりなど一定の状態が身体に長い
布団に仰臥位で一定時間(1、2、3時間)寝か
時間続き圧迫されることにより、その部位の血液
せた後、側臥位にして胸から腰の背部の皮膚表面
の流れができなくなり(虚血状態)
、組織が壊死
温度をサーモグラフで経時的に側定した結果は、
することである。その壊死は圧迫の強さにより表
図7に示すとおりである。仰臥位1時間では、側
皮から、皮下組織、筋肉、さらに骨組織まで達す
臥位に戻してから皮膚表面温度は早く下がり、正
る。創部が感染し悪化すると敗血症までもおこし
常に戻ってくるが、仰臥位時間長くなるにした
致命的となる(表2、図3、4)。褥瘡の最大の
がって、各部位(とくに腰背部から仙骨部におい
発症原因は局所の圧迫であるが、高齢者において
て)の皮膚表面温度の回復、すなわち血流の回復
は栄養状態や免疫機能などの全身状態が低下して
が遅れる。とくに3時間になると著しく遅れてい
いるので、僅かの局所の圧迫によっても褥創がお
るので、体位変換は3時間以内におこなうのが適
こる。したがって、寝っきり老人においては、そ
切である。したがって、意識がはっきりしない患
の発生防止策や、発生した場合では早期に発見
者や、知覚・痛覚が麻痺・鈍麻のために自発的に
し、的確に処置する悪化防止策が重要である。
痛みや苦痛を訴えることのできない患者などで
ところで褥瘡の診断は、従来から目で見た観察
は、定時的に体位の変換をおこなう必要がある。
(肉眼的所見)により、レオポルドの進行期分類
なお、2)については、羽毛の布団やウォー
(図4)などにもとづいておこなわれていた。し
ターベ ッ ト な ど が 使 用 さ れ て い る。最 近 で は
かしながら、人の見る目には限界があり、正確に
1)、2)を組み合わせて自動的にさまざまな体
かつ微細にまで分析できない難点がある。
位変換をおこない、身体を支える部位を時間ごと
そこで、わたしは褥瘡を客観的に測定する方法
に変えるベッドがある。褥瘡の多くは身体の背部
として、皮膚から発せられる近赤外線を測定する
にできるので、側臥位にできるベッドの開発が待
ことにより体温を計測するサーモグラフを使用し
たれる。
ている。サーモグラフは肉眼でみるより感度が高
以上のように、皮膚表面温度を測定できるサー
いので、褥瘡の炎症(発熱、発赤)範囲をはっき
モグラフィ(サーモグラフを用いる診断方法)は
りと正常部位と区別でき、また広く計測できる利
寝っきり老人の褥瘡の病態を正確に、また非侵襲
点があることを証明するとともに、表3と図5に
性に、きわめて短時間で計測・判定ができる利点
示すように、肉眼的診断に対比してサーモグラフ
があるので、医療面での診断だけでなく、福祉面
による診断基準を作成した。このようなサーモグ
においても広く応用されることが期待される。
ラフにより褥瘡のごく初期の状態(早期発見)か
ら病巣の悪化、さらに回復に向かっている状態を
2)メンタルケア
冒頭にも述べたが、日本がこれまでの医療・保
簡単に分析することができるようになった(表
健政策により世界の最長寿国となったことは高く
4)。
ところで、褥瘡をおこし易い部位は、躯幹の背
部(仙骨部、腰部、胸背部)、肩甲部、臀部(尾
評価される。しかし、これは主として身体面に対
する改善によるものではなかっただろうか。
骨)、坐骨結節、腸骨結節稜、膝関節部(内外)、
日本人の自殺率は、東欧諸国を除き、先進国の
後頭部、側頭部、足踵、肘などがある(図6)。
なかでは最も高く、若年者から中高年者にいたる
このような部位の褥瘡予防の基本は、持続的な圧
全ての年齢層にみられ、きわめて由々しい状態で
迫を除くことが基本である。
ある。なお、その動機としては健康問題が最も高
―2―
河野伸造
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
く、次いで経済・生活問題、家庭問題、勤務問題
3
いることに特に注意すべきである。
の順に高い。
なお、最近の保健統計によると、高齢者に関す
*家族形態の変化
る罹病率、精神障害者数(脳梗塞などの器質的疾
わが国では、出生率が年々減少し、少子化傾向
患などのほかに、精神・神経的な疾患(脳梗塞、
は一層進んで高齢者自体の比率が高くなってきて
うつ病、認知症など)が増えてきているのがみら
いる。また働き盛りの若者は地方を離れ都市部に
れる。
集中する傾向にあり、農山村、離島では過疎化が
わたしが独居、あるいはそれに近い生活状況の
一段と進み高齢者の比率が50%近くになる地方や
高齢者を対象におこなった“生きがい”調査で
村が増えている。このような人口の動態、さらに
は、どの高齢者も若いころや40・50歳代に比べて
家族の絆の変化により、農山村だけでなく都市部
その評価スコアは著しく低くなっている。その一
においても家族の形態も大きく変ってきている。
例をあげると、図8に示すとおりで、高齢になっ
伴侶を失い一人住まいの独居老人、あるいは老子
て何ら楽しみのない孤独な生活を送っている状況
(娘)二人の家族、また老老夫婦二人の家族が増
がみられる。
えてきており、高齢者は身体機能の衰えに併わせ
メンタルヘルスは、図9に示すように、1)生
体の主体的条件
2)メンタルストレスサー
て、生命不安と生活、さらには福祉の不安が募っ
ていると思われる。
3)環境条件の三大条件よりなる。そのなかで、
高齢者の精神面に及ぼしている主な因子には、
+社会の経済状況および社会構造の変化
1)においては「性・加齢(老化)現象」、2)
社会環境は、人が生活していくうえでの基盤
においては「健康状態(疾病)」「家庭的ストレ
(インフラ)となり、多くの人に影響が及ぶので
ス」「経済的ストレス」「人間関係」
、3)におい
きわめて重要な条件である。
ては「社会的環境」、「経済的環境」ある の で、
日本は1990年代に経済的に最も豊かな国の一つ
「身体機能の衰えと疾病」「家族形態の変化」「社
となり、医療をはじめ、保健、福祉の制度が充実
会的(構造、制度)」の観点から概説したい。
されて最長寿国になった。ところが、国民のなか
ではその豊かさを実感できないでいる。このとこ
)身体機能の低下と疾病
ろ、日本だけでなく国際的にバブルが崩壊し、医
加齢による身体の機能は、一般に30歳代より低
療、福祉にたいする予算の削減、あるいは介護保
下しはじめる。とくに腎臓、肺機能の低下が最も
険法改正により弱者である病人や福祉利用者の負
大きく、心臓機能はそれに次いで低下する。一
担がおおきくなってきている。
方、精神的機能は加齢にともない新たな知識は入
最近、日本の福祉、医療の制度はめまぐるしく
り難いが、古い記憶や判断力の知的能力は低下が
変わっているが、これは社会状況がきわめて流動
少ない。
的になっていることによる。
ところが、日本では65歳以上の高齢者では高血
以上のように、年々近づいてくる命の限界への
圧である者は60%以上もあり、最近では、とくに
不安や、生活面の介護、経済状態にゆとりない状
脳梗塞、心臓疾患、骨関節疾患、精神的疾患など
況、さらに家族環境の変化により、精神的にスト
が増加し、また身体障害者率が年々増加傾向にあ
レスをかかえる高齢者が増え潜在していると思わ
る。
れる。高齢者の精神的状態を正確には把握し、メ
精神的疾患には、脳梗塞などの器質的による二
次性のものや、健康(疾病)の不安などがストレ
ンタルケアを如何にするか、日本においては今後
の大きな課題である。
スとなったうつ病、あるいはうつ状態があるが、
著者はメンタルケアのシステムとして、一次、
最近では、社会的あるいは家庭的なストレス、あ
二次、三次の段階にわたる対応を提言している。
るいは虐待、いじめなどの被害的なストレスによ
す な わ ち、一 次 ケ ア(Primary mental care)で
るものが、表面的に表われていないが、潜在して
は福祉の現場で普段からクライエントの生活指導
―3―
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
をおこなっている福祉士(介護、社会福祉士)
、
なお、このパイロット研究に参加した高齢者
看護師などが、クライエントのさまざまの悩みを
は、早くこのようなテレビ電話によるケアシステ
直接身近に聞き、軽減あるいは取り除く。数日し
ムが、またさらに家族とも話せるようになること
ても悩みが取り除かれない時には心理士や医師が
を強く望んでいた。
心理的に、あるいは一般的な薬物療法で二次ケア
したがって、ただ施設とクライエント宅との間
(Secondary mental care)を お こ な う。そ れ で も
だけでなく、家族の絆や社会性を高めるために家
二次的ケアで改善されない時には、精神科や診療
族や友達とコミュニケーションできるような多方
内科の心身医学や精神科の専門医が治療(薬物な
向性のテレビ電話システムは、メンタルケアの効
らびに心理療法)を受け、さらに福祉士と協同し
果を一層高めるものと思われる。過疎地や交通の
て社会復帰を計る三次ケア(Thirdly mental care)
不便の地に住む独居老人などのメンタルケア、ま
をおこなう。
たライフラインとして構築されることが望まれ
当然ながら一次ケアでは、予防あるいは早期発
る。
見、対処をおこなうのできわめて重要であり、そ
以上、わたしがおこなってきた研究の一端、高
のようなカウンセリングができる福祉士の教育、
齢者疾病に関連した「褥瘡のケア」と「メンタル
養成が今後おこなわれることが望まれる。
ケア」について解説した。このようなケア(予防
日本でも、日常生活のなかでコミュニケーショ
から処置)においては、今日では患者、福祉利用
ン、交通が不便な過疎地、離島、冬には交通が途
者あるいは家族から質の高いものが求められてき
絶える豪雪地、寒さの厳しい地方が多くあり、生
ており、また後者においては、医師、臨床心理
命の危険のほかに、孤独のために不安に陥ること
士、薬剤師、介護・社会福祉士、看護師、栄養
が高齢者は多い。そこで、一次ケアの一つの方法
士、理学療法士、作業療法士などの専門家が、
として、著者は TV 電話によるカウンセリング・
チームワークとして施設内あるいは施設の枠を越
システムを検討した。
えた施設間で連携、協同しておこなう統合的(あ
長野県の豪雪の農山村において福祉施設をキー
ステーションとし、クライエント宅と間を有線放
るいは包括的)なケア(Integrated or comprehensive human care)が重要となってきている。
送の配線を利用するシステム網を試行した。施設
また、少子少産化がすすむなかにおいて、高齢
の福祉士が毎日、朝夕にクライエント宅に電話を
者や社会復帰した障害者がこれまでに培った技能
し、テレビ電話に映し出された「顔の表情」
「会
は、国にとってきわめて重要な財産である。その
話行動」さらに「身体の動き」をパロメーターと
能力を発揮でき、また後輩に伝授できる社会環境
して精神・心理的な分析をおこないながら、生活
が築かれることは高齢者のメンタルケアをおこな
指導と精神的なサポートをおこない、次のような
う上できわめて重要であるだけでなく、新たな循
成果を得ている。
環型社会へと展開していくことが予測され、国の
!
高齢者は何らかの身体の障害をかかえてお
大きな課題であると考える。
り、出かけなくても相談ができるの身体に負
"
担が掛からない。
なお、今後は、クライエントを主体的におこな
うケア、すなわちおこなう医療・保健・福祉が一
はじめの頃は画面に映し出されるのを多少
体となった全人的ケア方向に進むと思われるの
嫌がっていたが、時間が経つにしたがってそ
で、福祉学の教育においては、質の高い生活の助
のような感情はなくなり、むしろ自分から電
言・支援おこない、またチームワークの中での他
#
話し相談するようになった。
の専門家との協同していくうえで、基礎的知識で
$
とし、社会性が高められた。
通所の時と変わらず身だしなみをしっかり
ある人の身体面ならびに精神面の生理的機能を正
確に理解することが重要とあると考える。
週一回の通所の時より、コミュニケーショ
ンが取れるようになり、対応した福祉士との
信頼関係が高かまった。
―4―
河野伸造
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
図1
表1
医療・保健・福祉の三位一体化
最終講義;医療福祉論講義の内容
1.医療・福祉・保健の三位一体、QOL(Quality of life)
2.嚥下障害、嚥下困難(swallowing disorder, dysphagia,
Schluckbeshwerde)
・嚥下性肺炎
3.尿失禁(Incontinentia urinae)
4.バイタルサイン(救急の A、B、C)
5.脳性麻痺(cerebral palsy : CP)
6.感染症
・尿路感染症………腎盂腎炎(pyeronephritis)
・呼吸器感染症……肺炎(pneumonia)
7.薬剤肝炎(血清肝炎 serum hepatitis……B、Ctype)
8.急性腎炎、ネフローゼ、腎不全……腎透析、腎臓移植
9.進行性筋ジストロフィ(progressive muscular dystrophy)
1
0.寝っきり老人
1
1.脳血管系疾患(脳卒中(cerebral apoplexy)
)
・脳出血(cerebral bleeding)
・脳梗塞(cerebral infarct)
・TIA(transitional ischemic attack)
1
2.骨粗鬆症(osteoporosis)
1
3.褥瘡、床擦れ(decubitus, bed sore)
1
4.老衰(senility, Altersshwäche)廃用症候群(disuse syndrome)
―5―
5
6
長野大学紀要
図2
図3
第3
1巻第1号 2
0
0
9
寝っきり者の原因
性・主要死因別にみた年齢調整死亡率(人口1
0万対)の推移
―6―
河野伸造
表2
褥瘡の発症機構
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
表3
¿
À
図4
サーモグラフィによる褥瘡分析・診断の進め方
非負荷時
2次元分析
表皮温の上昇、高温帯の拡大
負荷時
(褥瘡初期に、非負荷で測定できない時に行う)
1.仰臥位
(胸部、腰部、仙骨部、頭部、肩甲部、踵)
2.座 位
(殿部、座骨部)
①表皮温の上昇、高温帯の拡大
②表皮温の回復状況
褥瘡の深さによる分類(Shea の分類)
―7―
7
8
長野大学紀要
図5
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0
9
褥瘡の肉眼的所見とサーモグラムの比較
表4
褥瘡診断法の比較
感度(早期発見) 深部組織診断
肉眼的
+
サーモグラフィ +++
USG
++(?)
MRI
(?)
CT
(?)
−
±
+
+++
++
図6
簡便性
+++
++
++
+
+
褥瘡の好発部位
―8―
非侵襲
+++
+++
++
+
+
反復検査
+++
+++
+++
+
+
河野伸造
図7
高齢化社会における医療・保健・福祉の三位一体
仰臥位時間別にみた体位変換後の背部サーモグラム
図8
“生きがい”の変化(スコア1事例)
―9―
9
1
0
長野大学紀要
図9
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0
0
9
メンタルヘルスの成立条件
参考文献
4.2
1世紀の福祉の課題一高齢者・障害者のメンタル
ケア、並びに支援者(在宅、施設)の心身.河野伸
1.Patricia S.G.,et al. Med. Clin. North Am.
7
3
(6)
:1
5
1
1
‐
造、稲木康一郎、前川道博、野口友紀子ら.長野大
1
5
2
4,1
9
8
9
学研究助成報告書2
0
0
8年
2.からだの 異 常:病 体 生 理 学、日 本 観 後 協 会 出 版
5.双方向性テレビ電話コミュニケーションによる独
会、1
9
8
9
3.サーモグラフィからみた生体の防御反応
居老人の精神的支援.河野伸造、旭洋一郎、佐藤園
一自立
美、鷹野和美ら.長野大学紀要3
0
(1)
:6
9
‐
7
9,2
0
0
8
神経反応と防御反応.河野伸造.Biomedical Thermology2
2
(2)
:3
9
‐
4
9,2
0
0
2
6.国民衛生の動向(2
0
0
8年度)
―1
0―
長野大学紀要
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1巻第1号 1
1―2
8頁 2
0
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9
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
―うつ病者のリハビリ出勤を通じて―
Occupational Mental Health and Return-to-Work Supports for the Person
with Psychiatric Disorders
―Cases
of Rehabilitative Works for Depressed Patients―
上
平
忠
一*
Chuichi Uwadaira
の発生の予防であり、地域内の精神障害の発生率
目 次
を減らすことである。2つ目は第2次予防と呼ば
Ⅰ
はじめに
れる精神障害の早期発見と再発予防であり、地域
Ⅱ
対象と方法
内の精神障害者の有病率を下げることである。最
Ⅲ
結果
後に第3次予防と呼ばれる精神障害者のリハビリ
Ⅳ
症例提示
テーションによる社会復帰の促進がある。
症 例1.47歳、男 性、反 復 性 う つ 病 性 障 害
(中等度)
F33.
1
成17年度調査で全国に約92万人いるといわれてい
症例2.35歳、男性、うつ病エピソード(中
等 度) F32.
1、パ ニ ッ ク 障 害
F
41.
0
F32.
2、パ ニ ッ ク 障 害 F
が増えるなかで、リハビリテーションの一環とし
る23,27,28)。リハビリ出勤の定義については現在必
ずしも定まったものがないが、一般的には「復職
の際に、職場復帰のためのリハビリテーションの
41.
0
症例4.60歳、男性、うつ病エピソード(重
度)
る。うつ病などの心の病気による休職する人たち
て、リハビ リ 出 勤 が ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ て い
症例3.28歳、女性、うつ病エピソード(重
度)
うつ病などの気分(感情)障害を患う患者は平
一環として、職場への通勤と短時間勤務を行う出
勤」を指している。
F32.
2
私たちは、これまで精神障害者のメンタルヘル
症例5.50歳、男性、うつ病エピソード(重
度)
Ⅴ
スに従事し、その治療とリハビリテーションを実
F32.
2
践してきた。私たちの先行研究を述べると、精神
考察
科病院における入退院の実態29,30)、外来実態の調
2.うつ病とリハビリ出勤
査研究32)、ならびに精神科病院に長期に入院して
Ⅵ
1.精神障害者の職場復帰支援
いる患者の実態調査31)や精神障害者に対する就労
おわりに
支援の在り方について研究8)を行ってきた。また、
¿ はじめに
最近では、統合失調症の精神科リハビリテーショ
メンタルヘルスは大きく分けて次の3つに大別
ン・生活支援をめぐって地域精神保健における民
できる。1つ目は第1次予防と呼ばれる精神障害
生委員の役割について発表33)を行い、あるいは精
*社会福祉学部教授
―1
1―
1
2
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第3
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0
0
9
神障害者の就労支援に関し統合失調症者の院外作
で、20歳代から60歳代まで各1例ずつであった。
業について論じてきた34)。
2.診断名
今回、私たちは、精神科外来に通院中の気分
診断名(ICD−10)は全例が気分(感情)障害
(感情)障害のなかで、リハビリ出勤を実施した
であり、その亜型分類はうつ病エピソードが5例
症例を対象として、気分(感情)障害のリハビリ
中4例を占め、その内訳は重度3例、中等度1例
出勤の構造や背景および課題を調べる目的で本研
であり、反復性うつ病性障害は1例であった。症
究を行った。但し、上述したごとくリハビリ出勤
例2および症例3では、併病としてパニック障害
の定義に定まっていない状況の中で、リハビリ出
を呈した。
勤制度を実施している企業が少ない実情がある。
3.初診時年齢、初診時主訴、初診時所見
各業界を代表する主要企 業100社 に 対 し て ア ン
初診時平均年齢は43.
8歳である。診時主訴は不
ケート調査を実施した報道によれば、復職支援の
眠、食欲低下、憂うつ気分、意欲低下などが主に
ための制度を設けているかを尋ねた結果、52社が
認められた。それ以外に、頭痛・手指振戦など身
復職後の勤務時間を短縮するなどの軽減勤務、40
体症状や自殺念慮がみられた。初診時所見は全例
社が復職前に短時間の試行的な出社をさせる「リ
が抑うつ状態であった。
35)
ハビリ出社」の制度を設けていた 。このように
4.通院期間、診察回数、合同面接
精神障害者の職場復帰支援の課題はこれからの精
通院期間は平均8ヵ月である。診察回数は平均
神科リハビリテーションの重要な課題であること
20回であり、月に平均2.
5回の診察 を 受 け て い
を示唆している。
た。職場の関係者との合同面接では、3例に認め
À 対象と方法
られ、それぞれ社長、部長、保健師との同席によ
る面接であり、職場の上司や保健関係者であっ
2004年1月 か ら2008年1月 ま で の 過 去4年 間
に、精神科病院の外来を受診した患者のなかで筆
た。
5.職業、職位
者が主治医として詳細に診察を行い、ICD−10に
職業は全員が会社員であり、職位は課長が2
より気分(感情)障害の診断基準を満たし、リハ
例、社長、班長、事務員がそれぞれ1例で あ っ
ビリ出勤を実施した症例5例を対象として検討し
た。
た。調査方法として、直接の診察および臨床検査
6.復職時の精神状態・職場、職場の受け入れ態
記録、臨床心理検査記録を用いた。これらの症例
勢
について、年齢、性別、診断名、発病年齢、初診
復職時の精神状態および職場は精神症状が改善
時年齢、初診時主訴、初診時所見、病前性格、通
し、自己評価が8∼9割であり、全例が現職に復
院期間、診察回数、合同面接の有無、職業、勤務
帰していた。また、職場で受け入れは5例中4例
する事業所の規模、職位、復職時の精神状態、職
において良好であった。
場の受け入れ態勢、復職時の職場、復職プログラ
7.復職プログラムの作成、リハビリ出勤の状況
ムの作成の有無、リハビリ出勤制度の有無、リハ
復職プログラムの作成は3例にみられ、その内
ビリ出勤状況、傷病手当金の請求の有無、産業保
容は日常生活リズムの改善と心理教育であった。
健スタッフとの関係などについて調査を行った。
リハビリ出勤の状況は短縮勤務が主に行われ、そ
Á 結果
の期間は1週間から1ヶ月半であった。
8.傷病手当金請求
リハビリ出勤を実施した5例の気分(感情)障
害者に対する調査検討した結果は表1に示した。
休職中に傷病手当金の請求が3例に求められ、
残り2例は有給休暇や貯金を利用していた。
9.産業保健スタッフとの関係
1.性別・年齢別
会社の保健師の関与が認められた症例は1例の
対象となった5例の男女比は、男:女=4:1
みであり、それ以外の症例では会社に産業保健師
と男性が多い結果となった。平均年齢は44.
0歳
が駐在していない。また、従業員が50人以上の事
―1
2―
上平忠一
表1
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
1
3
リハビリ出勤を実施したうつ病患者の概要
症例1(I.H.
)
症例2(F.H.
)
年齢
4
7
3
5
2
8
6
0
5
0
性別
男性
男性
女性
男性
男性
反復性うつ病性
障害(中等度)
うつ病エピソー
ド(中 等 度)
、
パニック障害
うつ病エピソー
ド(重 度)
、パ
ニック障害
うつ病エピソー
ド(重度)
うつ病エピソー
ド(重度)
発病年齢
4
7
3
4
2
7
6
0
4
9
初診時年齢
4
7
3
4
2
8
6
0
5
0
診断名
症例3(Y.A.
) 症例4(S.K.
)
症例5(O.F.
)
初診時主訴
不眠、食欲不振、 不眠、食欲低下、 憂うつ気分、意
憂うつ気分、意 憂うつ気分、意 欲低下、自殺念
欲低下
欲低下
慮
不眠、食欲低下、 不眠、頭痛、抑
手の振戦、体の うつ気分、意欲
ほてり感、憂う 低下、自殺念慮
つ感、体重減少
初診時所見
抑うつ状態
抑うつ状態
抑うつ状態
抑うつ状態
抑うつ状態
病前性格
メランコリー親
和型性格
循環性格
執着気質
内向的性格
メランコリー親
和型性格
通院期間
約9ヶ月
約6ヶ月
8ヶ月
7ヶ月
約1
0ヶ月
診察回数
2
2回
2
1回
1
9回
1
6回
2
2回
合同面接
有(保健師)
無
有(部長)
無
有(社長)
職業
会社員
会社員
会社員
会社員
会社員
事業所の規模
従業員5
3
0人
従業員5
1
0人
従業員4
8人
従業員3
7人
従業員数6
0人
職位
課長
班長
事務員
会社役員
課長
復職時の精神状態
抑うつ状態の改
善
自己評価7
0%
抑うつ状態の改
善
自己評価8
0%
抑うつ状態の改
善
自己評価8
0%
抑うつ状態の改
善
自己評価9
0%
抑うつ状態の改
善
自己評価9
0%
職場の受け入れ態勢
良好
普通
良好
良好
良好
復職時の職場
現職
現職
現職
現職
現職
復職プログラムの作成
有
無
有
無
有
リハビリ出勤制度
無
無
無
無
無
リハビリ出勤の状況
半日勤務
半日勤務
半日勤務
半日勤務
半日勤務
1
0日間
7日間
7日間
1ヶ月半
1ヶ月間
傷病手当金請求
無
有
有
有
無
産業医との連携
無
無
無
無
無
会社の保健師の関与
有
無
無
無
無
業場では産業医の設置が義務づけられているが、
バシー保護に配慮しながら詳しく提示する。
主治医と産業医との連携はなかった。
症例1 47歳、男性、会社員、既婚者
 症例提示
【診断】反復性うつ病性障害(中等度)
ここにリハビリ出勤を実施した5症例をプライ
【初診時主訴】
―1
3―
F33.
1
不眠、食欲不振、憂うつ気分、
1
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
やる気がない。
ず、残った人に加重がかかった。精神的にも、身
【家族歴】
父親が若い頃に自律神経失調症で通
体的にも落ち込んでしまった」
「仕事のことばか
院歴があり、母親は神経質である。妻がうつ病で
り考えている」という。処方はこれまでと同じ抗
同じ病院の同一主治医に治療を受けている。
うつ薬・抗不安薬と睡眠薬である。点滴の施行を
【既往歴】 3
8歳の3月に職場の組織替えがあ
行った。抗うつ薬として、スルピリド 1
50mg/
り、上司の交代などの人事異動があった。同年5
日、クロチアゼパム 3
0mg/日および就寝前薬
月の下旬に、急に何もしたくなくなった。夜中に
と し て、ゾ ピ ク ロ ン 10mg/日 を 投 与 す る。
目が覚めたら、からだの違和感が生じた。この頃
SDS(Self-Rating Depression Scale)の検査結果は
から何もやる気がしなくなった。会社を1週間休
45点で、軽度抑うつ傾向を示す。
む。6月に、某内科を受診する。異常なしと言わ
れた。
X 年3月中旬に、会社専属の A 保健師と一緒
に受診する。抑うつ状態が継続し、会社を欠勤し
38歳の6月初旬に、妻と一緒に精神科を受診す
ている。「会社に人が少ない。実質一人で働いて
る。その時の所見は抑うつ気分、活力の低下によ
いる」と仕事に対する不安を述べる。処方の変更
る易疲労感の増大、意欲低下の典型的な症状を認
で、抗うつ薬
め、同時に、不眠、食欲低下、午前中に抑うつ感
与する。会社に診断書の提出し、欠勤を病欠とし
が強いこと、性欲の低下など身体症状を訴える。
て取り扱う。
アモキサン 7
5mg/日を追加投
治療は抗うつ薬および抗不安薬による薬物療法と
X 年4月初旬に、睡眠状態が改善し、
「最近、
支持的精神療法である。3回の通院治療により、
意欲が出てきた。買い物したい気になってきた」
約1ヵ月半で症状が改善した。39歳の11月、抑う
といい、意欲も改善を伴う。
つ状態が出現し、約3ヶ月間通院治療を行う。3
#
日課表(復職ノート)を付けることを提案
回目抑うつ状態が、40歳の11月に出現し、約2ヶ
し、起床、消灯時間、食事時間を記入することを
月間通院治療を受けた。その後、短期間の抑うつ
指導する。
状態を呈し加療を受けた。
【生活史】
X 年4月 中 旬 に、自 覚 的 に は、「徐 々 に よ く
A 県 J 市に2人同胞の長男として出
なっている」と語る。
生する。現在、弟は同県 A 市に住んでいる。父
親が国家公務員であり、母親は某公社に勤務して
#
午後10時に就寝し、起床時間を午前9時前
にすることを指示する。
いた。本人は地元の小・中学校を出て、公立高校
X 年4月下旬に、妻と一緒に受診。妻によれ
を経て、東京の有名私大工学部を卒業。その年の
ば、「まだ無理である。疲れやすいし、午後に寝
4月に、地方都市にある電子機器・部品製造業会
ていることが多い」と評価している。
社に入社し、設計部門の仕事に従事する。26歳で
#1
規則正しく通勤できる体力をつけること
職場結婚をする。2歳年下の妻と、小学生の子ど
が重要であり、会社に勤める時間帯に、自宅以外
もの3人家族である。40歳の時に、開発課課長に
の場所で過ごすことを薦める。例として、公立図
昇格し、現在は別の部署の技術課長である。
書館や美術館に通うことを提案する。#2
病前性格は、完璧主義、几帳面、神経質、真面
目、仕 事 が 趣 味(仕 事 熱 心)
、仕 事 人 間 で あ る
(メランコリー親和型性格)。
【現病歴】
診断
書の提出(3ヶ月間の自宅療養)。
X 年5月中旬の外来受診時に、
「調子よい。5
月の連休中は調子よかった。しかし、その後、疲
X 年(47歳)1月中旬に、単独にて
れて4日間寝込んでいた」と訴える。
「なるべく
受診。その時の所見は早朝覚醒、食欲低下、心窩
外出するようにしている。ホームセンターに行っ
部不快感、体重減少を訴え、抑うつ状態である。
たり、図書館へ行ったりしている」と語る。
次のような訴えをする。
「昨年の秋頃に、中国に
工場を立ち上げたが、中国への出向を嫌がり、多
#
カウンセリングを行う。
くの人が会社を辞めた。自分の部署の人も中国へ
行った。しかし、会社の都合で人員の補充がされ
1週間のスケジュール表の作成するように
X 年6月初旬に、会社の保健婦と一緒に外来を
受診する。
―1
4―
上平忠一
#1
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
復職ノートをつくり、そこに1週間の復
1
5
あることを再度確認し、安心感を与える。
職のプログラムを作成することを提案する。プロ
現在、会社を休まずに勤務している。
グラムの内容は週に4コマであり、カラオケ、図
書館、散歩、診察であり、日常生活リズムの改善
<症例1の小括>
と、心理教育(サイコエデュケーション)を目的
!
として行われた。#2
男性。
復職に当り、次の3つの
!勤労者自身に復職の意思があるこ
"職場の受け入れ態勢が整っていること、#
症例は反復性うつ病性障害(F33)の38歳の
条件を示す。
"
と、
診断は中等度うつ病エピソードである。このとき
医学的に就労能力が回復していること(通勤でき
の所見は、①抑うつ気分、②活力の低下による易
ること、勤務時間を過ごすことができること)
。
疲労感の増大、③意欲低下の典型的な症状を認
#3
め、同時に、④食欲低下、⑤午前中に抑うつ感が
"に関し、A 保健師の関与をお願いし、職
場の受け入れ態勢の調整を依頼する。
現病歴・既往歴では、38歳の6月に、受診。
強いこと、⑥性欲の低下など身体性症候群を認め
X 年6月中旬に、「体力がついてきた。今月末
には出社してみたい」と復職の意欲をみせる。
る。治療は抗うつ薬および抗不安薬による薬物療
法と支持的精神療法である。3回の外来治療によ
X 年7月初旬に、A 保健師と一緒に再診する。
り約1ヶ月半で改善した。39歳から44歳までの期
「調子はいい」と応答する。
間に、5回の抑うつ状態を再燃し、数ヶ月間の治
復職のプログラム(特に、リハビリ出勤)につい
療を継続した。
て、話し合う。
#1
X 年1月、7回目の抑うつ状態となり、約半年
有休を利用して、7月中旬から2−3週
間半日勤務の予定。#2
予定。#3
間の治療を受けた。
8月初旬から勤務する
出勤時の注意事項として、残業をし
以上述べたように、約9年に7回の抑うつ状態
を呈し、頻回にうつ病相を繰り返していた。
ないこと、外来に通院するための日時を設けるこ
#
とを指摘する。
9ヶ月間に22回にわたり行われた治療に関し、リ
7月初旬に、上司と話し合った結果、7月中旬
ここでは、第7回目の抑うつ状態を呈し、約
ハビリ出勤を中心に報告した。
から、午後に半日勤務することが決定した。
X 年1月、抑うつ状態が出現し、外来を初診と
X 年7月下旬の診察時に、前の職場に復帰した
なる。会社を休むために、1ヶ月休職の診断書を
ことを報告する。
「少し疲れたが、それほどでも
提出する。このときに、会社の保健師が関与す
なかった」「会社が迎え入れてくれた。気心が知
る。主治医は、日常の行動日誌を記載することを
れているので安心した」と語る。
指示する。具体的には、起床時間、食事時間、消
X 年8月初 旬 の 診 察 時 に、
「半 日 勤 務 し て い
灯時間を毎日記入する。
る。しかし、7月下旬から、午前10時に出勤し、
X 年4月に、3ヶ月休職の診断書を提出する。
午後3時に退社している。そうすることで、1日
このときに、リハビリ出勤について、本人および
出勤の取扱いになっている。会社は忙しい、家に
会社の保健師と話をする。ウィークデーの過ごし
帰ると疲れるので、横になって休んでいる。盆ま
方を中心にした1週間のスケジュール表を作成す
で今のままの形態で勤務する予定である」と陳述
るように指示する。その際に、会社にて仕事して
する。
いる時間を想定し、自宅以外の場所に定期的に参
X 年8月中旬に、自覚的は「70%」位よくなっ
加するものをつくることを指導する。具体的に
たと自己評価し、午前1
0時から、午後3時までの
は、公立図書館や美術館にて時間を過ごすことを
1日勤務をしている。しかし、「午後3時に帰り
提案する。
にくい。同僚よりも早く帰るので、もっと会社に
X 年7月、会社の保健師と一緒に復職プログラ
いなくてはいけないと思うが、体のほうがまだつ
ムを作成する。その時に、職場の受け入れ態勢の
いていけない」と葛藤を述べる。
調整に、会社の保健師の関与をお願いする。
#
焦らないように指示する。また症状に波が
―1
5―
X 年7月、本人が会社と話し合い、午後半日勤
1
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
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0
9
務をリハビリ出勤とすることを決める。
【初診時所見】
意識は清明であり、疎通性は良
10日後に、4時間勤務を午前10時から午後3時
好 で あ る。血 圧 は、140/80 mmHg。不 眠、食
までに変更し、1日勤務となった。その際に、残
欲低下を訴え、これまでに体重が5∼1
0Kg 減少
業をしないことを注意しておく。このように、復
したと言う。今の体重は8
0Kg であり、肥満体型
職プログラムを作成するに当り、配偶者および会
である。
社の保健師や上司の協力によりリハビリ出勤がス
「午後11時頃に入眠するが、午前2時から3時頃
ムーズに実施できた。
に目が醒める。すると、そこから寝たら朝起きら
れないじゃないかと携帯のアラームを1時間おき
症例2 35歳、男性、会社員、既婚者
に確認している」と途中覚醒、早朝覚醒を認め
【診断】うつ病エピソード(中等症) F32.
1、
る。
パニック障害
「気分はあんまり楽しくない」
「子どもが騒いで
F41.
0
【初診時主訴】
不眠、食欲不振、不安、憂うつ
いると気になる」と憂うつ気分を陳述し、
「やる
感、意欲低下
気が起きない」と意欲低下や日内変動を認める。
【家族歴】
父親はうつ病に罹患し、55歳の時に
希死念慮を認めるが、
「俺が死んだら、残された
自殺をしている。弟がうつ病にて精神科に通院し
家族がうまくやっていけるかどうか心配である」
ている。
と家族への思いが自殺企図への抑制となってい
【既往歴】 32歳時に、高血圧で通院している。
る。
33歳時に、痛風に罹患する。
仕事については、
「会社は、製造課に属し、そこ
【生活史】
B 県 U 市に同胞2人の長男として
で班長をしている。その課は外国人労働者が多い
出生する。弟が一人いる。父親は地方公務員で
ので、苦労する。外国人は金を稼ぎに来ているの
あった。本人は地元の小・中・高等学校を卒業
に、今は仕事が少なくなっているので、残業をさ
し、地元にある N 大学に進学する。その後、関
せると、上司に自分がきつく注意をされる。外国
東に本社がある大型スーパーに入社し、B 県内の
人には、ブラジル人や中国人が多い」と述べる。
スーパーに4年半勤務する。その頃に父親が亡く
不眠、食欲低下、憂うつ気分、意欲低 下、倦 怠
なり、実家に戻った。実家から通勤できる食品工
感、日内変動、希死念慮を認め、抑うつ状態であ
業会社に26歳の10月に就職し、現在まで約8年間
る。
勤務する。28歳の時に、U 市のスナックで働いて
治療は、抗うつ薬による薬物療法、および支持的
いた外国人女性と結婚し、2人の子どもをもうけ
精神療法である。薬物療法には、パロキセチン20
た。
mg が1日2回朝夕に、およびミアンセリン 1
0
病前性格は友人が多く、神経質でなく、外向
mg、エチゾラム 10mg が就寝前に投与された。
的、社交的であり、循環性格である。
精神療法は、自殺防止を含む支持的精神療法であ
【現病歴】 X(3
4歳)年1月に、弟の電話によ
り、次回診察日を予約した。
り、弟がうつ病で会社を休職していることを知っ
【外来の治療経過】X 年3月∼X 年9月までの約
た。その電話を受けて、病気が遺伝すると思い不
6ヶ月間21回の診察。以下カッコ内の数字は診察
安が強まり悩んでいた。X 年2月に入り、不眠、
回数番号である。
食欲低下が出現した。X 年3月初旬の朝、会社に
X 年3月(2回目)
「服薬で吐きっぽくなっ
出社しようと思ったが、37度の微熱、関節痛、頭
たが、今は大丈夫」と述べる。
「よく眠れるよう
痛、倦怠感があり、風邪だと思い、会社を休む。
になってきた。しかし頭はボーとしている。元気
市販の風邪薬を服用した。3月9日の朝、出社し
な頃に比べると3
0%くらい」と頭重感を訴える
たが、フワフワした感じや寒気・振るえがあり、
が、抑うつ状態は改善している。SDS の結果は
会社の上司に連絡相談した。N 病院内科を受診す
37点である。
る。そこから、精神科を紹介され、3月10日に受
診した。
X 年4月(4回目)
会社に「就労可能」の診
断書を提出する。しかし4月中旬に復職10日目で
―1
6―
上平忠一
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
出社できず、会社を休む。その後、会社に出るも
X 年9月(21回目)
1
7
自己評価は8割∼9割と
のの、再び、ダウンする。5月4日は自殺をした
いう。診断書の提出(復職可能であり、残業をせ
父の命日で、「親父が頭のなかに出てきた」とフ
ずに、半日 勤 務 な ど 就 労 上 の 留 意 点 を 記 入 す
ラッシュバックを訴える。
る)。内田クレペリン精神作業検査の結果による
「い ろ い ろ 考 え て し ま
と、作業量は前半 A 段階であり、後半も A 段階
う」と憂うつ気分を認める。眠れるが、食欲低下
X 年5月(6回 目)
であり、曲線類型は a’f(この類型には非定型的
がある。軽度抑うつ状態を呈する。
特徴はないが、量に応ずる定型的特徴のくずれは
#1
認められる)である。
1ヶ月くらいは半日勤務をするという「リ
ハビリ出勤」を薦める。#2
1年くらいは養生
するつもりで、無理しないようにと支持的精神療
X 年9月中旬に、復職をする。その後、外来通
院が途絶える。
法を行う。
X 年5月中旬からリハビリ出勤を開始する。
X 年6月(8回目)
<症例2の小括>
上司から「周りのことが
!
初診時34歳の会社員である。診断はうつ病エ
あるので、今後は何とかしてほしい」とリハビリ
ピソード(中等度)およびパニック障害である。
出勤をやめるように指導がでる。すると、
「調子
診断の根拠は、①抑うつ気分、②興味と喜びの減
が悪くなった。眠れなくなった。朝に気持ちが落
退、③活力の減退による易疲労感の増大が認めら
ち込んでしまう。昨日会社で話し合った。総務部
れ、自殺念慮をもつ抑うつ状態、およびパニック
長と A 部長、B 課長、本人の4人で話し合った。
発作である。会社では、班長ということで、外国
そのなかで、総務部長は休職を提案し、A 部長・
人労働者の対応に苦慮している。抑うつ状態であ
B 課長は半日勤務でも何とか出勤するように薦め
るが故に、職場での対応に困難を感じていると言
た。自分ではどちらか決めることができなかっ
える。さらに、外国人が労働者の多いことに反応
た」とふたたび抑うつ状態が増悪している。同時
して、その結果うつ状態が容易に出現しやすい状
に、「午後2時から3時にかけて心臓がバクバク
況因子を形成していた可能性は高い。また、父親
してしまう」とパニック発作を訴え、休職を希望
がうつ病で自殺をしていることや弟がうつ病で医
する。
療機関に通院しているなどのうつ病の遺伝性負因
#1
が強い。さらに、妻が外国人であり、本人の精神
リハビリ出勤を取りやめ、休職となる。そ
の間、傷病手当金を請求する。
X 年6月(11回 目)
的苦悩をサポートすることが言葉の問題もあり、
なお抑うつ状態が存続
夫婦間のコミュニケーションが不十分であった。
し、自覚的には「半分くらい(5
0%)」と自己評
本人の苦悩を自分一人で、背負わねばならず、心
価を下している。SDS の結果は58点である。処
的労苦が大きかった。このように家族の協力が今
方の変更を行い、抗うつ薬
後の治療の成否を決定する大きな要因の一つとな
パキシル3
0mg/日
に増量する。直属の上司である課長と連絡をとっ
ている。
X 年7月(16回目)
り、課題と言える。
"
外来通院とリハビリ出勤の関係について言及
自己評価は70%である。
すると、本例ではリハビリ出勤が必ずしも成功し
睡眠は良好であり、食欲も改善し、軽うつ状態に
ていない。その理由を探ると、以下のような点が
なる。SDS の結果は34点である。
指摘できる。
抑うつ状態が軽快する。
①復職可能の診断書の提出時期が早すぎたこと、
復職時の次のような就労条件を提示する。①今回
X 年8月(19回目)
②パニック発作が併発して不安状態を生じさせた
は半日勤務を、1∼2週間行うこと、②残業を行
こと、③上司の受け入れ態勢が不十分であったこ
わないこと、③休日祭日出勤をしないこと。
と、④受け入れ先の職場と十分な連携が取れな
X 年9月(20回 目)
復職の手続きを話し合
う。職 場 が S 部 門 か ら H 部 門 に 変 更 す る と い
う。
かったこと、⑤家族の協力が十分でなかったこと
が挙げられる。
#
―1
7―
復職後のフォローが十分でない点は、今後の
1
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
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外来通院の課題として指摘できる。医療機関と産
mg/日の投与を受ける。
「やる気が起きない」
業保健機関(産業医など)との連携が樹立される
「昨日も会社に出たが、人に逢うのが嫌だ」
「不
ように努力する必要がある。
安感が強く眠れない」
「朝、目が醒めても体が動
かない」「涙もろくなった」「夫は、会社を辞めろ
症例3
初診時年齢 28歳、
女性、
会社員、
単身者
【診断】
といわれるが、自分としては今の仕事が気に入っ
ているので、辞めたくない」と訴える。会社での
うつ病エピソード(重症)
パニック障害
F32.
2、
F41.
0
【初診時主訴】
仕事の能率が落ちたことや欠勤を気にかけた会社
の上司(部長)が精神科の受診を勧めた。
朝方の憂うつ気分、意欲低下、
X(28歳)年5月に、会社の部長と一緒に、精
会社の仕事が気にかかる、自殺念慮
神科を初診する。
【家族歴】
精神神経疾患の遺伝負因はない。
【初診時所見、診断とその根拠、治療方針】
【既往歴】
高校時代にリストカット歴がある。
識は清明であり、疎通性はある。「朝が嫌だ」「何
意
28歳時に卵巣機能不全および腎盂腎炎。
もできない」
「たまに、この世にいなくなってし
【生活史】
C 県 U 市に2人同胞の末子として
まいたい」と涙を流しながら喋る。会社での仕事
出生する。両親は本人が幼い頃に離婚し、父親は
に関して次のように語る。
「会社で、次から次に
同じ地域の別の場所にて生活し、現在、本人たち
言われることに対応しきれなくなった」「ある
との交流はない。母親と兄が本人と一緒に U 市
日、風船が割れたみたいになった。些細なことで
に住んでいる。
うまくいかなくなった」
「仕事が好きで、会社の
地元の小・中・高等学校から C 県にある短期
人も好きだ。家庭のことが何もできなくなった」
大学に進学する。短大卒業後、すぐに U 市にあ
「今の会社に、8年間勤務している。仕事量が多
る自動車用品販売会社に就職し、事務部門に配属
い。人が辞めたりする。最近、社長が代わり、仕
される。25歳の4月に5歳年上の夫と職場結婚す
事が次々とくる」
「夫にも、こんな生活がまとも
る。夫は結婚して、半年くらいで、同会社を辞め
だと思うなといわれた。自分が会社から帰ってく
て、別の製造業の会社に転職した。27歳の1月か
るのが、午後1
0時頃になる。夫も遅く帰ってく
ら、別の事務部門に異動した。同年4月に本人の
る。このままじゃ家庭もおかしくなるといわれ
属する事務課長が転勤となり、課長席が空席と
た」
なった。しかし、補充人事が行われず、本人を含
「実家から会社に通っていたらよいが、…
め若い3人の同年輩の女性社員で、何とか仕事を
があるので…」と述べ、家庭と仕事の両立の葛藤
行っていた。28歳の12月に、一緒に働いていた女
を訴え、パニック発作を認める。睡眠障害(早朝
性の同僚が体調を崩し、退職する。X 年2月初め
覚醒、途中覚醒)、食欲低下(味がわからない)、
に、本人は腹痛で婦人科を受診し、卵巣腫瘍を指
抑うつ気分、意欲低下、自殺念慮を認め、抑うつ
摘される。卵巣機能不全にて、ホルモン療法を受
状態およびパニック発作である。診断は、うつ病
けた。ホルモンのバランスが崩れ、不良な体調が
エピソードおよびパニック障害である。診断の根
継続していた。この頃、夫は毎月100時間を越え
拠は抑うつ気分、意欲の低下、活動性の低下、精
る残業をし、帰宅時間が遅く夫婦間の会話がもて
神運動制止、悲観的な見方、罪責感、自殺念慮、
ないような生活が続いていた。
睡眠障害、食欲不振、日内変動を認めることであ
【病前性格】
る。重症と判断した理由は、患者はごく限られた
几帳面、真面目、完璧主義(執着
家庭
気質)
範囲のものを除いて、社会的、職業的あるいは家
【現病歴】 X(2
7歳)年2月頃から、気分が沈
庭的な活動を続けることがほとんどできないこと
み、嘔気が出現し、会社に出ることができなく
による。治療方針は、薬物療法と支持的精神療法
なった。会社に出ようと思うと、考えただけで、
の併用を行い、会社を休むように指示する。3ヶ
胸がドキドキしてくる。
月の自宅療養を勧める診断書を会社に提出する。
X 年5月に内科を受診し、睡眠薬エチゾラム1
同時に、健康保険からの傷病手当金意見書の利用
―1
8―
上平忠一
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
を説明する。薬物療法は、SSRI としてパロキセ
2月(20回目)
1
9
「大丈夫」
「会社は定時に退
チン 10mg/日および精神安定剤としてクロチ
社している」と応える。家の新築は工事契約をし
ア ゼ パ ム15mg/日、な ら び に 睡 眠 薬 を 使 用 す
た。治療を終了する。
る。
【治療経過(X年5月∼X+1年2月)
】=8ヶ月
<症例3の小括>
間に20回の診察。以下カッコ内の数字は診察回数
1)28歳の既婚の女性で、診断はうつ病エピソー
番号である。
ド(重症)およびパニック障害である。初診3
5月(3回目)に夫と一緒に、診察を受ける。
ヶ月前に発病し、初診時の症状は、抑うつ気
自覚的には、少し落ち着いてきたという。顔色が
分、意欲の低下、精神運動制止、罪責感、自殺
良好になり、食欲が出てくる。しかし、なお抑う
念慮、睡眠障害、食欲不振、日内変動、パニッ
つ状態が継続している。
ク発作を認める。薬物療法と精神療法の併用に
6月(4回目)に会社の上司と一緒に 受 診。
よる治療が行われる。約8ヶ月の臨床経過で
「死にたい気持ちが強くなった。胸のあたりが不
は、抑うつ状態やパニック状態に波が認められ
安だ。イライラ感」と抑うつ状態が前回よりも強
ているが、徐々に改善している。
まる。「自殺サイトを見ている」と希死念慮が出
2)職場におけるメンタルヘルスは、心の健康づ
現している。
#
くり計画に基づきすすめることが重要である
自殺しないようにカウンセリングをする。
が、具体的なすすめ方として4つのヘルスケア
7月(6回目)に波状経過を示しながら改善傾
が重要である。そのなかで、ラインによるケア
向を示し、自己評価は8
0%である。復職に対し
が重要な位置を占めている。この症例では、職
て、リハビリ出勤の導入を1週間試みる。このと
場の上司が精神科の受診を勧め、診察に同伴し
きに、次の3項目を指示する。
ている。このように、管理監督者による個別相
#1
アパートの戻り、家事を初め、会社に復
職する準備をすること。#2
ないこと。#3
半日勤務、残業し
談対応が行われている。
3)労働者自身によるセルフケアが大切である。
体調の管理のこと。
労働者自身が自らストレスの気づきや心の健康
7月末に、フルタイム勤務で出勤する。
について理解し、自らのストレスを予防、軽減
8月(8回目)に夜中に1度く ら い 覚 醒 す る
するあるいは対処する。本ケースでは、実家に
が、すぐに寝付くという。会社からは定時に帰宅
戻り、会社を長期間休職(2ヶ月間)してい
しているという。
る。その間、傷病手当金の支給を受けている。
11月(15回目)にめまい感、頭痛、耳鳴りを訴
4)夫との葛藤が家庭問題として取り出され、抑
える。夫の帰宅時間が、午前12時を毎日過ぎてい
うつ状態の遷延の大きな要因の一つでもある。
る。昨日は午前2時半に帰宅したという。夫婦の
5)リハビリ出勤を考慮し、職場復帰の際に、①
会話ももてない状態である。
元の職場に戻ること、②就業時間を8時間と
12月(17回目)に腎盂腎炎となり、内科を受診
し、残業を控えること、③外来通院を職場から
する。「残業をするなと上司に言われるが、新人
許可してもらうことなどを条件とする。
が頑張っているのに、自分だけが早く帰宅するの
は気が引ける」「そろそろ会社を辞めようかなと
症例4. 60歳、男性、会社役員、既婚者
思っている」「会社に出たり、出なかったりする
【診断】
と、会社も当てにしなくなるから」と軽度抑うつ
【初診時主訴】
状態を示す。
のほてり感、憂うつ感、体重減少
X+1年1月(1
9回目)
「今は、気分が落ち着
うつ病エピソード(重度)
【家族歴】
F32.
2
不眠、食欲低下、手の震え、体
特記事項なし。
いている」という。マイホームを自分の実家の隣
【既往歴】 60歳時に帯状疱疹
に立てる予定だと抱負を語り、抑うつ状態が改善
【生活史】
している。
業後、金属加工会社に入社する。29歳の時に、関
―1
9―
金属加工会社の社長。地元の高校卒
2
0
長野大学紀要
第3
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9
連子会社に出向し、数年前にその子会社の社長に
#1
就任する。家族は専業主婦である妻と子ども2人
供する。#2
である。長女は結婚し、他県に嫁いでいる。長男
する。以後、全快するまでの期間、1
47日間を請
は両親と一緒に生活し、独身である。
求する。
病前性格は、おとなしい、内向的、几帳面であ
る(内向的性格)。
【現病歴】
X 年6月
休職する旨が記載された診断書を会社に提
同時に健康保険傷病手当金を請求
X+1年1月(3回 目)
本 人 と 妻 が 一 緒。
「食欲はふつうになってきた。会社の話題に触れ
帯状疱疹に罹患し、某外
科にて加療する。X 年夏頃に、会社の東南アジア
ると、心的に動揺する」と思考制止が認められ
る。
事 業(IT 関 連)に つ い て 事 業 不 振 が 続 き、ま
#1
た、国内の事業も不振が続く。人件費や諸経費や
100mg/日、ミアンセリン4
0mg/日)投与する。
リース代が増え、会社の経営が赤字状態になる。
#2
負債金額は累計十数億円に及んでいる。東南アジ
い。
アへの資金投資が計画通りに進行しなかった。X
処方の増量
抗うつ薬を倍量(トラゾドン
血液検査、肝機能検査にて、異常を認めな
X+1年1月(4回 目)
本 人 の み 受 診。「会
年12月頃から、不眠が出現し、上記の外科から睡
社が大変な時期になっている」と会社のことかな
眠薬ゾルピデム
り心配している。処方された量では、頭重感が強
5mg/日が投与される。X 年
12月下旬に、精神科を受診する。
いので、薬は半分量にして服用している」とい
【初診時所見】
い、抑うつ状態は改善してくる。
本人のみで来院。疎通性は良好
である。本人の訴えは、
「これまでにない憂うつ
X+1年2月(7回目)
本人のみ受診。会社
な気分になる」「考えているこ と と い う こ と が
から呼び出しが来た。
「重要案件を無事決済でき
違ってしまう」「思うことがまとまらない。後ろ
た」と喜ぶ。前日は不眠で、眠剤を服用しても、
向きの発言になる」であり、会社に関する陳述は
うまく眠れなかったという。食欲もあり、体重が
「会社の資金繰りに追われている。会社の再建策
70Kg となり、元に戻っている。しかし、時々呼
がみつからない。銀行から金(数億円)を借り入
吸困難となり、人間ドックを受けた。そのときの
れる。東南アジアの事業では、返済計画では、
血圧は、108/70mmHg と正常域に入っている。
月々数百万円であったが、実際は月に1000万円を
「近所に出て行くには、まだ抵抗がある」とい
返済している。親会社から仕事の発注を切られ
い、外出時に緊張が高まる。会社をテーマとした
た。その親会社が最近、会社更生法を申請した」
会話ではまだ緊張があり、軽うつ状態である。
と会社の経営に関するストレスが認められた。抑
X+1年3月(8回目)
本人のみ受診。自覚
うつ感情、意欲低下、不眠、食欲低下が認めら
的には、「薬を飲んでいるから調子がよい。9
0%
れ、抑うつ状態である。SDS の結果は、53点 で
は良くなっている」という。次週あたりから半日
中等度抑うつ傾向を示す。処方は、抗うつ薬(ト
勤務をしたいと希望を述べ、リハビリ出勤を試み
ラ ゾ ド ン 50mg/日、ミ ア ン セ リ ン 20mg/
る。
日)と睡眠薬(ニトラゼパム
5mg/日)の投
X+1年4月(9回目)
本人のみ受診。会社
与である。この日から会社を休職し、専務に社長
には半日だけ勤務している(リハビリ出勤)
。し
職の代行を依頼する。
かし、「まだ、眠剤を飲まないと眠れない」とい
【外来の治療経過】
X 年12月∼X+1年7月ま
う。「会社に完全に復帰した時に耐えられるかど
での7ヶ月間に16回の診察。以下カッコ内の数字
うかわからない」と就労に対する不安を訴える。
は診察回数番号である。
X+1年5月(11回目)
本人のみ受診。会社
X+1年1月(2回 目)妻 と 一 緒。自 覚 的 に
の事業内容も好転し、東南アジアの海外事業も経
は、「最近食欲が出てきた。」「この頃落ち着いて
過は順調であると語る。頭痛が時々あるが、現在
きた。」と述べる。しかし、「心に余裕がなく、集
半日づつ勤務している。5月下旬からフルタイム
中力がない。熟眠感がない」と抑うつ状態が持続
で出社する予定である。#
する。
ように指導する。
―2
0―
薬は半年位服用する
上平忠一
X+1年5月(1
2回目)
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
本人のみ受診。前日
2
1
する。
から、1日フルタイム勤務をしたが、頭重感が
心の健康づくりのために掲げられた4つの指針
あった。「今は、95%良くなり、5%が不安であ
のうち①セルフケアおよび④事業場外でのケアが
る。会社に出て、頑張る」
「会社内のトラブルが
実施されたが、②ラインによるケア、③事業場内
発生し、就業規則の変更、従業員の退職などが
の産業保健スタッフによるケアについては、本
あった」と会社の実情を語り、それらに順調に対
ケースの場合に施行されなかった。②では、本人
応が可能である。
がトップであり、管理監督者であり、部下の個別
X+1年5月下旬から、フルタイムで稼動して
いる。
X+1年7月(15回目)
相談に応じることがあっても、自分自身のことは
できない立場にあった。③では、事業規模が50人
本人のみ受診。何と
か仕事をしているという。
以下であり、産業医が選任されておらず、同時に
保健師等の事業場内産業保健スタッフがいない。
以後、通院終了となるが、現在まで経過は順調
4
リハビリ出勤に実施では、約6週間(5月の
である。
連休を9日間含む)の半日勤務が行われる。
<症例4の小括>
症例5
1 60歳の会社役員の男性。診断は精神病症状を
【診断】
うつ病エピソード(重度)
伴わないうつ病エピソード(重度)である。初診
【主訴】
不眠、頭痛、抑うつ気分、意欲低下、
時所見は、抑うつ感情、意欲低下、不眠、食欲低
自殺念慮
下が認められ、抑うつ状態であった。経過は、薬
【家族歴】
物療法と精神療法を実施し、順調に行き、前の職
【既往歴】 49歳、高脂血症の治療
に復帰ができた。全経過は半年であった。
【生活史】 E 県 K 村に一人っ子として出生す
2
職場のメンタルヘルスの視点から検討する。
る。同県郡部の高校を卒業し、K 工業(4年間勤
初診時50歳、男性、会社員、既婚者
F32.
2
特記すべき事項はない。
まず仕事のストレス要因として、次のような3
務)、J 電子工業(半年間)、現在勤務している U
点が指摘できる。①会社の経営状態の不良、②会
プラスチック会社の成型課に属し16年を経過して
社の多額の借金、③海外の子会社の事業不振。今
いる。会社の従業員は50∼60名である。40歳の10
回、これらの事項が本人にとって大きなストレス
月に結婚し、子どもを一人儲けた。家族は3人で
要因となっていた。会社が頼りにしていた親会社
ある。
も経営不振に陥っている状況であり、親会社から
病前性格は几帳面、律儀、責任感が強い、真面目
の資金援助が思うように得られなかった。昨今、
である(メランコリー親和型性格)。
日本企業の海外進出が目立っているが、海外の営
【現病歴】 49歳の10月に会社で、係長から、課
業所の事業不振が経営者に与えるストレスが大き
長に昇進した。仕事が山積み、間に合わないと、
いことを本ケースは示している。
日曜日にも出社して、仕事を従事していた。49歳
次に、個人の要因としては、①会社トップの職
の12月頃に、頭痛、憂うつ気分、足のけいれんが
位であり、経営の最高責任者であり、本人に大き
出現したので、脳外科を受診したが、異常を認め
なストレスがかかっていた。②性格は、おとなし
なかった。50歳の1月になり、突然に「会社を辞
い、几帳面、内向的であり、不安を内向化し、責
めさせてほしい、課長職をやっていく自信がない」
任を自分ひとりで引き受ける傾向がある。
と社長に話したが、引き止められた。さらに、室
3
治療者側の対応としては、外来通院治療によ
長(社長の息子)から、
「ストレスがたまって、
り、薬物療法と精神療法を実施する。家族との面
人間関係がうまくいっていないじゃないか」と注
接を行い、家族療法を実施する。会社に提出する
意を受けた。X 年1月下旬に、精神科初診。
診断書を書き、本人に長期間にわたり、自宅休養
【初診時所見】
を指示する。その間服薬の維持と会社の業務から
子どもは待合室にいる。本人の訴えは、
「自分の
の解放を行う。健康保険傷病手当金請求書を記入
能力の無さを感じている。部下を指導できる状態
―2
1―
本人一人が診察室に入る。妻と
2
2
長野大学紀要
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9
じゃない。部下よりも自分のほうが劣っている」
よれば、
「責任感が強いのでストレスが強くなっ
「行動力が無い」
「朝のほうが夕方に比べ、憂う
ている」と説明する。この時の、カウンセリング
つ感が強い」「仕事をしていてやる気が出ない」
の内容は、①実家に戻って、休養すること、②服
と劣等感情、行動力低下、意欲低下、憂うつ気
薬は、規則正しく行うこと、③薬の管理は妻が行
分、日内変動を認め、同時に「昨夜は、自殺を考
うこと、④会社を辞めるときには、妻とも相談す
えた」と自殺念慮を伴っている。
「課長になり、
ること、⑤自殺しないことを約束させる等であ
朝礼のことが気になり、人前でうまく話を伝える
る。
ことができない」と会社の朝礼を嫌がっている。
X 年3月中旬(4回目)、本 人、妻、父 親、義
「今後の職場のことは、辞めたときに探す」と述
兄で来院する。「落ち着いてきている」と家族の
べる。初診時所見は自殺念慮を伴ううつ状態であ
評価である。本人は、
「よくなっているが、仕事
る。治療は薬物療法とカウンセリングを併用す
のことを考えると気が重い。心配だ、やる気はあ
る。薬物療法としてパロキセチン 20mg/日を
るが、できないことがある。不安だ、能力以上の
投与し、睡眠薬としてロルメタゼパム
仕事がある。この点について社長と話をしたい」
1mg/
日を投与する。
といい、頭重感、憂うつ感、意欲低下、不安を認
カウンセリングとして、睡眠時間を十分にとるこ
める。この時のカウンセリングは、①数ヶ月間休
と、日曜日や祝祭日には休むこと、重大な決定は
息すること(生活の保障はあり、半年から年単位
先に延ばすこと、服薬をすること、よくなるとい
で休息してもいいという)
、②服薬は規則正しく
う保障を与えることを実施する。さらに、ダム論
行うこと、③仕事のことについて、会社と話をす
を用いて、病気の説明を行う。診察の終了時に妻
ること、④点滴の施行である。
と子どもを呼び入れて、うつ病や自殺の危険性に
3月中旬(5回目)、妻と一緒に来院する。会
ついて説明を行う。
社を休むことが認められ、今は会社を休んでい
【外来通院の経過】 X 年1月∼X 年10月(約10
る。
ヶ月間に、22回の診察。以下カッコ内の数字は診
診断書を会社に提出する(うつ病、1ヶ月の自宅
察回数番号)。
療養)。
X 年1月末日に、少量のキッチンハイターを飲
3月下旬(7回目)、本人と社長で来院し、診
み自殺を図る。N 病院を受診し、処置を受ける。
断書の病名(注1)を変更してほしいと希望す
X 年2月初旬(2回目)に、再診する。抑うつ
る。社長は会社に復帰のときに、周りに影響があ
状態で、SDS の結果は46点(軽度抑うつ傾 向)
るといけないからと抵抗を示す。主治医の回答は
である。1週間分の抗うつ薬・睡眠薬を投与す
「病名を変更することは難しい。正しい病名によ
る。その後、外来中断。その頃、不眠のために、
り、社会の偏見を除いていくことが大切である。
UJ クリニックからアルプラゾラムの投与を受け
また、診断書はプライバシーに関わるので、周囲
る。
には秘密にしてほしい」と説得し、納得してもら
X 年2月末日の深夜に、大量服薬自殺未遂(ア
う。
ルプラゾラム(0.
4)を約2
0錠一度に飲む)。
3月末(8回目)、気分は大分よいと述べ、自
X 年3月初旬午後、意識障害、歩行困難の状態
己評価は50点という。
「1日の過ごし方が分から
で、同クリニックを受診する。輸液、利尿剤、下
ない」と悩む。
剤の投与を受け、改善する。
#1
X 年3月(3回目)に、本人は両親、義兄、会
図書館や地域包括支援センターの利用を勧
める。抗うつ薬の点滴の施行。
社の社長を伴いながら同クリニックの紹介状を持
4月初旬(9回目)、ときに、頭痛があるが、
参し、診察を受ける。本人は、小さい声で「能力
「頭がせいせいすることが多くなった」という。
がなく仕事ができない」
「会社に行っても、仕事
会社は休んでいる。点滴施行。服薬良好。子ども
が手につかない」と訴える。一方で、
「薬を飲む
が小学校に入学した。
と、ボーとする」と薬の副作用を訴える。社長に
―2
2―
4月中旬(11回目)、睡眠良好となり、睡眠薬
上平忠一
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
を中止する。
2
3
れた労働者が職場復帰をする際に、それが順調に
5月初旬(13回目)、頭重感、肩こり、下肢の
進むように支援を行う試みに関して、古くから議
論されている4∼6,10,14,19,24)。その場合に、従来精神
倦怠感が出現し、再び睡眠薬を投与する。
5月中旬(14回目)、「90%以上よくなった」と
障害者の職場復帰というと統合失調症の場合を意
味することが多かったが、最近ではうつ病圏や不
自覚的評価を述べる。
5月下旬、リハビリ出勤の開始。①午後に半日
安障害の復職をめぐる問題が注目され23,25,26,28)、本
勤務を行う。②会社内の処遇の変更を指導し、課
研究もうつ病者の職場復帰支援を取り上げてい
長職を降格し、係長となる案を提示する。③リハ
る。
平成12(2000)年8月に「事業場における労働
ビリ出勤の期間は1ヶ月とする。
6月中旬(1
7回目)半日勤務を継続している
者の心の健康づくりのための指針(メンタルヘル
(リハビリ出勤は約1ヶ月間)
。前より体力が出
ス指針)
」が公表され、メンタルヘルス指針はメ
てくる。
ンタルヘルス不調を発生させないことに対する対
6月下旬(1ヵ月後)、1日フルタイム勤務と
策を示した。その中で、心の健康問題により休業
なる。睡眠薬を半分にして服用している。飲酒は
した労働者の円滑な職場復帰が大きな課題となっ
控えるように指導する。8月(20回目)
、自覚的
ている。平成16(2004)年10月に、厚生労働省か
には「100%元に戻った」という。睡眠薬の中止
ら「心の健康問題により休業した労働者の職場復
をする。しかし、なお、抗うつ剤は服用してい
帰支援の手引き」として事業者向けに公表され
る。9月(21回目)、10月(22回目)、元気に外来
た3)。それによると、はじめに職場復帰支援の流
を受診している。「再発が怖いから」と、1ヶ月
れは病気開始から職場復帰後のフォローアップま
に1度の診察を継続している。
での次の5つのステップからなっている。
<第1ステップ>
病気休業開始および休業中のケアの段階であ
<症例5の小括>
!
50歳の会社員。診断はうつ病エピソード(重
り、「労働者からの診断書(病気休業診断書)の
度)であり、初診時状態は自殺念慮を伴う抑うつ
提出」、「管理監督者、事業場内産業保健スタッフ
状態である。発病の誘因は職場における職位の変
等によるケア」で構成される。
更であり、係長から課長に昇進することによりう
<第2ステップ>
つ病が発症している。課長に昇進し、部下の管理
主治医による職場復帰可能の判断の段階であ
をまかされ、係長との仕事を兼務し、業務量が増
り、「労働者からの職場復帰の意思表示および職
大した。そのため、過剰労働となった。ストレス
場復帰可能の診断書の提出」で構成される。
が急激に増加したと思われる。全経過は、10ヶ月
<第3ステップ>
職場復帰の可否の判断および職場復帰支援プラ
であり、約8ヶ月の病相期間がある。
"
2回の自殺企図が認められる。ともに、服薬
「職場復帰の可否についての判断」、「職場復帰支
自殺である。
#
ンの作成の段階であり、
「情報の収集と評価」
、
リハビリ出勤を実施した症例である。会社の
受け入れは良好であり、また、職位の変更も容易
援プランの作成」で構成される。
<第4ステップ>
に実行された。外来の受診時に家族、会社の社長
最終的な職場復帰の決定の段階であり、
「労働
が一緒に顔をみせ、家族の共感や会社の受容を示
者の状態の最終確認」、「就業上の措置等に関する
し、本人に大きな安心感を与えていることも良い
意見書の作成」、「事業者による最終的な職場復帰
影響を与えた。
の決定」、「その他」で構成される。
à 考察
<第5ステップ>
1.精神障害者の職場復帰支援
「症状の再燃・再発(注2)、新しい問題の発生
職場復帰後のフォローアップの段階であり、
精神障害により長期にわたる休業を余儀なくさ
等の有無の確認」、「勤務状況及び業務遂行能力の
―2
3―
2
4
長野大学紀要
第3
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評 価」、「職 場 復 帰 支 援 プ ラ ン の 実 施 状 況 の 確
(ホ)フォローアップ
認」、「治療状況の確認」、「職場復帰支援プランの
a
管理監督者によるフォローアップの方法
評価と見直し」で構成される。
b
事業場内産業保健スタッフ等によるフォ
次に、上記「職場復帰支援の手引き」のなかに
ローアップの方法(職場復帰後のフォロー
見られるステップについて、ここでは<第3ステ
アップ面談の実施方法等)
ップ>内の項目について詳述する。
c
就労制限等の見直しを行うタイミング
イ.「情報の収集と評価」の具体的内容を以下に
d
全ての就業上の配慮や医学的観察が不要
示す。
なる時期についての見通し
(イ)労働者の職場復帰に対する意思の確認
(ヘ)その他
(ロ)産業等による主治医からの意見収集
さらに、「職場復帰支援の手引き」にみられる
(ハ)労働者の状態等の評価
a
治療状況および病状の回復状況の確認
b
業務遂行能力についての評価
c
今後の就業に関する労働者の考え
d
家族からの情報
職場復帰支援に関して検討・留意すべき事項につ
いて言及する13)。
!
リ出勤制度)を設けている場合、より早い段階で
職場復帰の試みを開始することができるという。
(ニ)職場環境の評価
a
業務および職場との適合性
しかし、本論文の対象となった労働者の勤務する
b
作業管理、作業環境管理(注3)に関す
会社にリハビリ出勤制度を取り入れているところ
はなかった。リハビリ出勤に関して、次節で詳し
る評価
c
く論じる。
職場側による支援準備状況
"
(ホ)その他
ロ
試し出勤制度(リハビリ出勤制度)
社内制度として試し出勤制度(いわゆるリハビ
「まずは現職への復帰」の原則
職場復帰に関しては現職へ復帰させることが望
「職場復帰の可否についての判断」
ましい。これは、より好ましい職場への配置転換
や異動であったとしても、新しい環境への適応に
かについて判断する。
はやはりある程度の時間と心理的負担を要するた
ハ
イの「情報の収集と評価」の結果をもとに、
当該労働者の職場復帰が可能と考えられるか否
「職場復帰支援プランの作成」の際に検討す
めであり、そこで生じた負担が病気の再発・再燃
べき内容について下記に示す。
に結びつく可能性が指摘されているからである。
(イ)職場復帰日
もちろん異動や配置転換が明らかなきっかけに
(ロ)管理監督者による業務上の配慮
なっているケースや、職場不適応状態が続いたこ
a
業務サポートの内容や方法
とが原因と考えられる場合には、最初から配置転
b
業務内容や業務量の変更
換等を考慮した方が良いケースがある。因みに、
c
就労制限(残業・交代勤務・深夜業務等
本研究の症例では全ての症例で現職への復帰を実
施している。
の制限または禁止、就労時間短縮など)
d
#
治療上必要なその他の配慮
職場復帰に関する判定委員会(いわゆる復職
判定委員会等)の設置
(ハ)人事労務管理上の対応
管理監督者、人事労務管理者、産業保健スタッ
a
配置転換や異動の必要性
b
フレックスタイム制度や裁量労働制度等
フ等が十分に連絡をとる必要があり、そのために
関係者が一堂に会して話し合う復職判定委員会の
の勤務制度変更の必要性
設置は有効な仕組みである。全員参加する日程調
(ニ)産業医等による医学的見地から意見
a
安全(健康)配慮義務に関する助言
整に時間がかかり判定作業が必要以上に遅れるこ
b
その他、職場復帰支援に関する医学的見
とがないように配慮する必要がある。また、委員
地から見た意見(産業医が専任されていな
会の決議についての責任の所在を明確化しておく
い場合は主治医による意見)
必要がある。
―2
4―
上平忠一
表2
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
25
リハビリ出勤制度と試し出勤制度、および慣らし出勤制度の比較
リハビリ出勤制度
試し出勤制度
慣らし出勤制度
より早い段階で職場復帰の試みを開
始することができる。
より高い職場復帰率をもたらすこと
が期待される。
より早い段階で職場復帰の試みを開
始することができる。
より高い職場復帰率をもたらすこと
が期待される。
より早い段階で職場復帰の試みを開
始することができる。
より高い職場復帰率をもたらすこと
が期待される。
治療の一環
復職の可否を判定
復職を認めたうえで、通常出勤の前
段階
休業期間中に通勤、勤務する。
休業期間中に通勤、勤務する。
通常の業務に従事されられないの
で、軽度な業務を与える。
就業期間中に、業務の軽減や労働時
間の短縮を認める期間の設定
主治医と労働者との協議
労働者が主体的に利用する制度
労働者が主体的に利用する制度
通勤途上での事故にあった場合の補
償がない。(休業中であるため、通
勤災害とは認められない)
通勤途上での事故にあった場合の補
償がない。(休業中であるため、通
勤災害とは認められない)
通勤途上での事故にあった場合の補
償がある。
「労働者性」が問われず、賃金の支
払いに関する問題が生じない。
軽作業であっても、職場で何らかの
仕事を行えば、そこに「労働者性」
が問われ、賃金の支払いに関する問
題が生じる。
当該期間の賃金の設定
当該期間の上限の設定
(通常3∼4ヶ月)
休業中であるため、労働災害の対象
とはならない。
労働災害発生時の対処に関する問題
が生じる。
労働災害発生時の適正な対処が可能
である。
当該期間を経ても、通常勤務が困難
のケースの処遇
リハビリテーションの評価が必要
主治医と職場関係者等との密接な連
携
!
職場復帰する労働者への心理的支援
援をどのように確保するかが課題となってくる。
病気による休業は、多くの労働者にとって働く
ことについての自信を失わせる出来事である。必
2.うつ病とリハビリ出勤
要以上に自信を失った状態での職場復帰は、健康
うつ病・統合失調症など精神障害で休職する人
および就労能力の回復に好ましくない影響を与え
が増えるなか、復職の際に、通常の勤務とはみな
る可能性が高いため、周囲からの適切な心理的支
さないものの、職場復帰のためのリハビリテーシ
援が重要となる。特に管理監督者は、労働者のあ
ョンの一環として、職場への通勤と半日程度の勤
せりや不安に対して耳を傾け、健康の回復を優先
務を行うリハビリ出勤が注目されている1∼2)。
するように努め、何らかの問題が生じた場合には
職場復帰支援制度として、「リハビリ出勤制
早めに相談するように労働者に伝え、産業保健ス
度」や「試し出勤制度」、または、「慣らし出勤制
タッフ等と相談しながら適切な支援を送っていく
度」と呼ばれているものがあるが、特に決まった
必要がある。しかし、本研究にみられたように、
定義があるわけではない(表2)。
管理監督者自身が職場復帰する労働者に該当する
ここでは、「リハビリ出勤」について述べる。
ケースが3症例に認められている。特に症例5で
厚生労働省は、前述の「復職支援の手引き」の
みられるように昇進うつ病の場合には、中間管理
なかで、リハビリ出勤は早期の職場復帰に結びつ
職が精神障害に罹患していることが知られてい
き、労働者自身が実際の職場において自分自身お
る。この場合には、管理監督者に対する心理的支
よび職場の状況を確認しながら復帰の準備を行う
―2
5―
2
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
ことができるため、より高い職場復帰率をもたら
摘できる。これらの視点を取り入れた見解の連
すことが期待されるという。しかし、この制度の
絡・調整が復職判定委員会等において行われるこ
運用において、リハビリ出勤の人事労務管理上の
とが大切である。
位置づけについて十分検討しておく必要があると
はじめに職場復帰時の精神状態に関する報告を
指摘している。リハビリ出勤制度の法的位置づけ
述べる。秋山1)によれば、職場復帰の基本的な判
が曖昧であるとして、リハビリ出勤はあまり広
断基準は①精神症状が寛解している、②職場で迷
がっていない現状がある。厚生労働省の研究班の
惑行為を起こさない、③予想される作業を行う能
報告(2005年)によれば、実施した主要製造業の
力がある、④予想される作業に従事しても、精神
うちリハビリ出勤制度があったのは、25.
8%であ
症状が再発しないという4点である。別の報告9)
る。
では、復職判定基準を①就労意欲があり、②所定
確かに、患者がリハビリ出勤を取り入れ実施す
労働時間内勤務可能となったものという簡素なも
る場合に、重要なことは保坂11)が指摘するように
のがある。あるいは教職の職場復帰の要件とし
正式復帰の前か後かの区別である。つまり、正式
て、①狭義の医療的な意味において症状の回復が
復帰の前にリハビリ出勤を実施するとなれば、本
得られていること、②社会的健康の回復、すなわ
人が自発的に会社に来ているという形式になる。
ち現任校での勤務形態に直接結びついた業務を持
この期間の給与は休職中として処理され、万一通
続的に遂行することができる適応レベルまで回復
勤中の事故が起った場合に、労働災害の適応に当
していることが指摘されている16)。
てはまらない。したがって、労働者やその家族が
また、受け入れ側の職場の状況では既に「職場
このような差異に関して納得して同意したかが重
復帰支援の手引き」で述べられた流れが重要であ
要となる。本報告で行われたリハビリ出勤では、
る。ここでは、主治医である精神科専門医と産業
症例1を除いて、全てのケースにおいて復職時の
保健スタッフである産業医とのネットワークを確
賃金の支払いや労働災害発生時の適正な対処の
立することが現実的な課題である15,18)。
ルールが不明確なまま運用されてきたという実情
最近では医療機関におけるデイケアをうつ病の
がある。これには、医療者側の認識の甘さが大き
リハビリ出勤として特化した報告がある12,17)。ま
な原因のひとつであるが、労働者側にも病気で会
た、地域障害者職業センターが中心となって、リ
社に迷惑をかけているのに自分たちの要求だけを
ワークプログラムの開発やリハビリ出勤を行って
前面に出すことへの遠慮がみられた。いずれにせ
いるところもある7)。大西20)はリハビリ出勤に対
よ、リハビリ出勤の導入については、メリット・
して、治療の一環であり、職場側が負うリスクの
デメリットについて会社(人事・労務・安全衛
軽減を図っていく必要性を考慮すると、今後の方
生)を交えて協議を行ったうえで行うことが望ま
向性として医療の枠組みのなかで実施していくこ
しいといえる。
とがよいと提案している。
ところで、リハビリ出勤の対象となる労働者
は、療養中の精神疾患が原則10割回復が見込ま
おわりに
私たちは、精神科外来に通院中の気分(感情)
れ、かつ7∼8割のレベルまで回復していること
21)
が条件であるといわれる 。本研究の対象者と
障害のなかで、リハビリ出勤を実施した5症例を
なった症例をみると、全例がうつ病であり、原則
取り上げて、年齢、性別、診断名、発病年齢、初
10割の回復が見込まれ、同時に復職時の精神状態
診時年齢、初診時主訴、初診時所見、病前性格、
の回復レベルが自己評価で7∼9割である。大西
通院期間、診察回数、合同面接の有無、職業、勤
らの条件に一致しているといえる。
務する事業所の規模、職位、復職時の精神状態、
さて、職場復帰の判断基準を検討する時に、大
職場の受け入れ態勢、復職時の職場、復職プログ
きく3つの視点が考えられる。まず、職場復帰時
ラムの作成の有無、リハビリ出勤制度の有無、リ
の本人の精神状態について、次に受け入れ側の職
ハビリ出勤状況、傷病手当金の請求の有無、産業
場の状況が挙げられる。最後に、家族の支援が指
保健スタッフとの関係などについて調査を行っ
―2
6―
上平忠一
職場のメンタルヘルスと精神障害者の職場復帰支援
療」臨床精神医学
た。私たちはリハビリ出勤を精神障害者の就労支
援の一つのリハビリテーションモデルと把握し、
2
7
第5巻、1
9
7
6年、1
5
1
‐
1
5
8頁
5)藤井久和「復職判定時のリハビリ出勤の意義と成
果」産業精神保健
その構造や背景および課題について検討を加え
第5巻、1
9
9
7年、1
7
2
‐
1
7
6頁
6)藤本修、藤井久和編『メンタルヘルス入門.事例
た。
と対応法』創元社、1
9
8
9年
本論文の一部は2009年2月に上田市医師会臨床
7)原田健一、牧賢美、藤井美香ほか「うつ病専用病
棟における復職支援の取り組み−リワーク事業との
懇話会において発表した。
連 携 に よ る 支 援−」日 精 協 誌
第2
6巻、2
0
0
7年、
1
0
5
5
‐
1
0
5
9頁
注)
注1
8)端田篤人「精神障害者に対する就労支援のあり方
診断書の病名については、昔も今も言い換えが
あったり、疾病の一部分であったり、状態像診断で
あったりすることが多い。患者のためを考え、誤解
に関する一考察」長野大学紀要
第2
7巻、2
0
0
5年、
2
0
5
‐
2
1
2頁
9)林剛司「職場復帰支援の実際について−専属産業
をされないための配慮からこのような便宜的使用を
医 の い る 事 業 所 へ の 復 帰−」日 精 協 誌
講じていると指摘されている10,21)。しかし、病名告知
2
0
0
7年、1
0
3
2
‐
1
0
3
8頁
や病名に関して、診断したとおりの診断を記載する
1
0)廣尚典、島悟「職場のメンタルヘルス−その歴史
精神科医15)もいる。著者の場合も、後者の医師に属
と今日的問題−」精神医学
する。
注2
が起った場合をいい、「再発」とは、1年以上経過し
1
1)保坂隆『産業メンタルヘルスの実際』診断と治療
社、2
0
0
6年
1
2)五十嵐良雄「精神科医療機関におけるうつ病・不
た後で再び症状が起った場合をいう。
安障害の職場復帰支援の現状と今後の課題」日精協
労働安全衛生法は、労働衛生を次の3つの管理
体制(3管理)によって増進する。
!
誌
労働作業における「作業環境の管理」
際」日精協誌
=作業環境中の有害要因を取り除いて適正な作
な作業環境測定が必要となる。
1
4)栗原雅直『職場のメンタルヘルス』メディカルレ
ビュー社、2
0
0
3年、
作業それ自体の管理として「作業管理」
校・職場・地域の精神保健』臨床精神医学講座
=有害物への暴露を少なくするために作業の手
とが有効である。
No
1
8、中山書店、1
9
9
8年、3
0
5
‐
3
1
1頁
1
6)中島一憲「教職のメンタルヘルスと 職 場 復 帰 支
るものである。管理監督者を中心に対策を練るこ
援」日精協誌
第2
6巻、2
0
0
7年、1
0
4
5
‐
1
0
4
9頁
1
7)仲本晴男「沖縄における職場復帰支援−認知行動
労働者の「健康管理」
療法(CBT)を中心としたうつ病デイケアによる復
=健康診断とその結果に基づく事後措置を活動
内容とする。作業関連疾患や生活習慣病がその対
象となる。
職・就労支援−」日精協誌
第2
6巻、2
0
0
7年、1
0
6
7
‐
1
0
7
2頁
1
8)中村純「産業保健スタッフと精神科専門医との連
携」精神医学
文献
第4
2巻、2
0
0
0年、5
6
0
‐
5
6
1頁
1
9)野中猛、松為信雄編『精神障害者のための就労支
1)秋山剛「職場復帰について」精神医学
第4
9巻、
2
0
0
7年、5
8
2
‐
5
9
0頁
援ガイドブック』金剛出版、1
9
9
8年
2
0)大西守「精神疾患の復職判定の現状と課題」産業
2)秋山剛「職場復帰について思うこと」日精協誌
精神保健
第2
6巻、2
0
0
7年、1
0
2
6
‐
1
0
3
1頁
3)中央労働災害防止協会編『心の健康
第2
6、2
0
0
7年、1
0
3
9
‐
1
0
4
4頁
1
5)本村博「職場復帰」大森健一、島悟編『家庭・学
順や方法を定めたり、保護具の適正な使用を求め
#
第2
6、2
0
0
7年、1
0
6
0
‐
1
0
6
6頁
1
3)加藤憲忠「企業における職場復帰プログラムの実
業環境を確保するものである。そのためには的確
"
第4
6、2
0
0
4年、4
6
0
‐
4
7
2
頁
再燃・再発について、「再燃」とは、治療によっ
ていったん病気が軽快してから1年以内に再び症状
注3
第2
6巻、
第5巻、1
9
9
7年、1
6
7
‐
1
7
1頁
2
1)大西守、黒木 宣 夫「職 場 復 帰 と 診 断 書 を め ぐ っ
職場復帰支
援手引き』中央労働災害防止協会、2
0
0
5年
て」臨床精神医学
第3
3巻、2
0
0
4年、8
9
5
‐
8
9
8頁
2
2)大西守、廣尚典、市川佳居『職場のメンタルヘル
4)藤井久和「職場における精神障害者 の 発 見 と 治
―2
7―
ス1
0
0のレシピ』金子書房、2
0
0
6年
2
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
年、5‐8頁
2
3)音羽健司、秋山剛「うつ病による勤労者の障害と
職場復帰援助」精神科臨床サービス、第4巻、2
0
0
4
3
0)上平忠一「一精神科病院における退院実態」
田市医師会報
年、3
2
0
‐
3
2
6頁
2
4)臨床精神医学編集委員会編『特集
ルヘルス』臨床精神医学
職場のメンタ
3
1)上平忠一、神津直子、西沢明子「精神科病院に2
0
年以上継続して入院中の患者の実態」日本精神科病
第3
3巻、8
4
7
‐
9
0
9頁
2
5)精神科治療学編集委員会編『特集
院協会雑誌
今日の仕事・
職場への精神科医の関わりⅠ』精神科治療学
第22
における外来実態」上田市医師会報
第22
3
3)上平忠一「地域精神保健福祉における民生委員の
役割について−統合失調症の精神科リハビリテーシ
巻、1
2
1
‐
2
0
6頁
ョン・生活支援をめぐって−」長野大学紀要
2
7)島悟「労働者のメンタルヘルスの現状と課題−今
後のメンタルヘルス対策の在り方−」精神経誌
第2
6
巻、2
0
0
5年、3
6
1
‐
3
7
1頁
第
3
4)上平忠一、端田篤人「職場のメンタルヘルスと精
1
0
9巻、2
4
7
‐
2
5
3頁
神障害者の就労支援−精神障害者の院外作業を通じ
2
8)菅原誠、福田達矢、野津誠ほか「「復職できるう
て−」長野大学紀要
第4
9巻、7
8
7
‐
3
5)読売新聞「うつ
7
9
6頁
2
9)上平忠一、萩原愛子、合津都子「一精神科病院に
お け る 入 院 実 態」上 田 市 医 師 会 報
第1
7巻、1
9
8
7
年、1
2
‐
1
5頁
今日の仕事・
職場への精神科医の関わりⅡ』精神科治療学
つ」と「復職困難なうつ」
」精神医学
第5巻、1
9
8
5年、5
3
‐
5
6頁
3
2)上平忠一、西川登代江、竹内勝美「一精神科病院
巻、5‐
8
4頁
2
6)精神科治療学編集委員会編『特集
上
第1
5巻、1
9
8
5年、5‐8頁
第1
4巻、1
9
8
4
―2
8―
第2
9巻、2
0
0
7年、1
0
3
‐
1
1
6頁
広がる復職支援−1
0
0社アンケ再
休職など課題も−」読売新聞朝刊、2
0
0
8年5月2
7日
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
9―4
3頁 2
0
0
9
反常識的経営の一対型内部モデル
―間接的コントロールとコントロール放棄の事例分析―
A Pair-typed Inner Model for Eccentric Management
―Case Studies Focused on Indirect Controls and Abandonment of Controls―
木
村
誠*
Makoto Kimura
て存続している企業に着目することから、経営へ
1.はじめに
の新たな知見を得ることを目指すものである。
反常識的経営の企業とは、現在の所、当然と見
本稿は、反常識的経営と自称あるいは他称され
なされている職業観の否定、企業内制度の禁止が
る1組の企業、未来工業(電設部品製造業)とヒ
見られる一方で、通常と異なる制度を実施しなが
ューマンフォーラム(古着販売業)の探索的な事
ら、結果的に収益を確保しており、営利事業者と
例研究を行い、その経営者のメンタルモデル(反
して存続しうる経営の仕組みを採用している企業
常識的経営の内部モデル)を因果ループとして図
を指す。
式化することを試みる。そして反常識的経営の特
反常識的経営の例として、成果主義の否定、仲
間意識、年功序列、終身雇用、ホウレンソウ(報
告・連絡・相談)禁止、IT 導入の 拒 否、出 退 勤
自由、自動化の拒否、管理会計の簡略化等があげ
殊性と持続性について、内部モデルの視座から得
られる知見を提示する1)。
2.先行調査結果との整合性
2008年4月から12月にかけて行われた法政大学
られる。
反常識的経営の企業は、なぜ、その仕組みを持
大学院中小企業経営革新研究所とアイエヌジー生
続していけるだろうか。その経営の仕組みになん
命保険による「中堅・中小企業の従業員のモチ
らかの合理性がありうるが、なぜ、反常識的経営
ベーションを高める方策等に関する調査研究プロ
の企業は世の中で少数派なのだろうか。なぜ、反
ジェクト」では、我が国5
76社の中堅・中小企業
常識的経営の仕組みは、多くの会社でも採用され
へのアンケート調査と約30社の聞き取りの結果と
ないのだろうか。
して、以下の実証と提言を行っている。
本研究は、このような例外的なデータに焦点を
(Ⅰ)従業員モチベーションの高い会社は業績も
高い、という相関関係がある。
当てることによって、通常は見過ごされやすい、
あるいは発見することが困難な企業経営の本質へ
(Ⅱ)勤労意欲を高める諸制度の充実強化は、従
のアプローチを試みる。つまり、反常識的経営と
業員のモチベーションを高める要素として重
呼ばれる、普通の企業では収益性に結びつけるこ
要である(目標管理制度や、経営への参画意
とが困難と思われるために、採用が見送られてい
識の醸成、経営情報の公開、なんでも言える
る諸策を積極的に実施しながらも営利事業体とし
社風、社員旅行等)。
*企業情報学部准教授
―2
9―
3
0
長野大学紀要
表1
会社名
第3
1巻第1号 2
0
0
9
反常識的経営の2事例比較
未来工業
ヒューマンフォーラム
事業内容
電気設備資材、給排水設備、ガス設備資材の製
造販売
衣料品、雑貨の販売
業界
化学業界
アパレル業界
顧客
玄人筋:設計事務所、電気工事士等
素人筋:一般消費者、若者
差別化の源泉
製品のクオリティ、機能詳細
販売員の技能、価格、ファッション
上場状況
名古屋二部上場
未上場
創業
1
9
6
5年8月
1
9
9
7年1月
資本金
7
0億6,
7
8
6万円
1,
0
0
0万円
売上高
2
6
1億円(2
0
0
8年3月期)
3
6億円(2
0
0
6年)
平均年収
5,
8
4
7,
0
6
9円(2
0
0
8年6月)
不明
平均年齢
4
0.
5歳(2
0
0
8年6月)
不明
平均勤続年数
1
6年
不明
従業員数
7
6
3名(2
0
0
8年6月)
3
3
0名(2
0
0
7年8月)
(Ⅲ)上記の諸制度は、企業によっては全く効果
や、本人が執筆した文章内容の把握が役に立つ。
がなかったとする実例もあり、制度そのもの
今回は、反常識的経営と自称、他称される経営
の有用性に頼るだけでなく適切な運用が肝心
者の著作群からサンプリングし、国内2社の事例
である。
分析を行った。その際に、対象事例となる企業の
彼らの研究結果は、中堅・中小企業で実施され
設立年数、資金規模、業種、事業内容、従業員数
ている、従業員の労働意欲を高めるための諸策
が異なる1組となるように選択を行った。その理
(施策)に着目することから、経営の仕組みの記
由は、反常識的経営の内部モデルが上記属性に依
述に接近しうることを示唆している。つまり、中
存せずに、何らかの普遍的な特徴を持ちうるもの
堅・中小企業群に含まれる反常識的経営の企業に
として議論したいためである。
おいても、従業員の労働意欲の高さが、その会社
2)
の業績に結びついている可能性が高い 。
事例の1社は、名古屋2部上場の電設部品製造
業である未来工業株式会社であり、もう1社は古
反常識的経営の仕組みの変数として、従業員の
着販売業の株式会社ヒューマンフォーラムであ
労働意欲や企業内の施策、会社の業績を含んだ議
る。両社の比較を表1に示す。両社の経営者に共
論を行うのであれば、全体をシステムとして考え
通する特徴として以下があげられる。
!
る(システム思考)の方法論およびツールを用い
ることが有効であろう。この場合に、経営者のメ
"
#
ンタルモデル(経営者の心に固定化されたイメー
ジや概念)に着目することで、質的変数と量的変
数の両方を経営変数に取り込んだ形で、反常識的
従業員(社員、スタッフ)のやる気を重視
している。
会社の差別化を重視している。
わかりやすい合い言葉や経営理念を創り、
その浸透をはかっている。
経営について論じることができよう。
両社における反常識的経営の施策を従業員のや
る気支援策、会社の差別化支援策、双方の支援策
3.反常識的経営の2つの事例
の3つに大別すると、表2のようにまとめること
経営者の内部モデルを観察者が客観的にモデル
ができる。
化するには、経営者の考えを十分に把握するため
の資料が必要である。特に長時間の聞き取り調査
―3
0―
木村
誠
表2
会社名
従業員のやる
気支援策
反常識的経営の一対型内部モデル
2事例の反常識的経営の施策
未来工業
ヒューマンフォーラム
・タイムカードなし
・作業服自由(服装額を年1回現金支給)
・年末年始約2
0連休
・年間休日約1
4
0日
・GW 約1
0連休
・飛び石連休は休日
・残業禁止
・1日労働時間7時間1
5分
・年功序列型給与体系
・ノルマなし(各自目標設定)
・「ホウ・レン・ソウ」をしない
・定年7
0歳
・ミステリーツアー(5年に1回)
・「ち ょ っ と ア ホ!」な 内 報「ヒ ュ ー マ ン フ
ォーラム新聞」を発行する
・楽学塾(社内セミナー)実施し、経営者が直
接語りかける
・ハロウィーン(仮装パーティ)
・全員正社員
・「常に考える」が合い言葉
・「やったるで総会」
(毎年第0回)で各部が楽
しい「やったるで目標!」を発表
・「ちょっとアホ!」が合い言葉
・経 営 理 念 の 毎 朝 唱 和:「元 気 に 明 る く
ちょっとアホ」
「まずは自分たちが楽しみま
す」
「やりきる!、だしきる!」
・ヒューマンフォーラム三原則:笑顔、あいさ
つ、ほめる
・報奨金制度(提案1件5
0
0円支給)
・他社と同じモノは作らない
・製品ラインアップ拡大(売れ筋商品製造に集
中しない)
・1次問屋(商社)と取引しない
・全国2
7カ所営業所設置
・会議は「反省禁止」
。現状報告は1人1分に
する
・わけのわからない安売り日:アフロの日、体
育祭&文化祭、ハロウィーン。
・お客さん巻き込みイベント:書初め王決定
戦、餅つき大会、節分豆まき
・経理処理を「どんぶり勘定」に戻す
・「ダービー」
(会議)で店舗毎の売上予算と目
標の管理
・「今月も良かった会」でバイヤーの仕入れ、
売上予算、目標管理。
双方の支援策
会社の差別化
支援策
3
1
3.
1. 未来工業の反常識的経営の概要
『「反常識なのはそれが差別化になると信じて
未来工業創業者兼元代表取締役である山田昭男
きたからだ。値下げに走らず従来より高い製品を
の書籍タイトルは、『楽して、儲ける!―発想と
売ったり、競合他社が商品の種類を絞り込むな
差別化でローテクでも勝てる!未来工業・山田昭
か、ラインアップを増やしたり。第1次問屋と付
3)
である。
男の型破り経営論!』
き合うほうが楽でも第2次問屋に売ってきた。」』
未来工業は創業者である山田が主宰する劇団
「未来座」の清水昭八氏ら劇団仲間3人を誘い、
(日経情報ストラテジー2
007年9月号インタビ
ュー記事)
1965年に創業した。山田は「山田電線製造所」の
専務であったが、家業よりも劇団運営の方に熱心
朝日新聞記事(2006)は以下のように未来工業
を紹介している。
であった結果、親から勘当され、地元で同じ客先
『年間の休みは約1
40日。今度の年末年始は1
9
相手に商売するために、電設資材メーカーの創業
連休を予定する。勤務時間は朝8時半から午後4
者となった。山田は、以下のようにインタビュー
時45分までで、昼休みは1時間。残業は原則的に
に答える際に会社の仕組みを反常識と明言してい
禁止。残って仕事をしている社員には「早く帰
る。
れ。電気代を徴収するぞ」と声をかける。育児休
―3
1―
3
2
長野大学紀要
第3
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0
9
業も昨年、社員の要望をふまえて2年から3年に
来工業の“合言葉”といったものである。常に考
延長。定年は70歳だ。それでも給与は岐阜県庁と
え、新しいアイデアを形にしてこそ、未来工業は
ほぼ同額。どれもこれも、社員のやる気を引き出
伸びていくのだ。とはいえ、ただ口だけで「常に
すためだ。「給料を上げるのが一番だが、それに
考えろ」と言っても、なかなかいいアイデアは出
は限度があるから労働時間を短縮する。社員の休
てくるものではない。そこで、
「報奨金制度」と
みが多くてつぶれた企業はない」と山田さん。
いうのを考えた。何か提案をするたびに5
00円を
「働かなくてもその分ペナルティーを受ければい
現金で支給するのである。提案は、人事・給与以
いんだろう、という言い訳を与えることになる」
外のことは、どんなバカげたことでもいいことに
とノルマ制度も導入しない。給与は年功序列で、
している。
(中略)そして、実際に採用されたア
はやりの成果主義とは対 極 の 路 線 を 進 む。
(中
イデアには、1∼5万円の報奨金も出されること
略)有名なのは国内で8割以上のシェアを持つス
になっている。なんでもそうだが、一見バカげた
イッチボックス。
(中略)付加価値にこだわり、
ことでも、一生懸命、継続していれば、すごいパ
これまでに発明した商品は1万8千種類以上。大
ワーを発揮するようになるものだ。』(46∼47頁)
手問屋を通さず、工事業者と直接取引し、社員が
業者との対話からアイデアを見つけ、工夫を凝ら
3.
2. ヒューマンフォーラムの反常識的経営の
す。(中 略)社 内 の 各 所 に は「常 に 考 え る。な
概要
ぜ、なぜ、なぜ」という社是が掲げられている。
ヒューマンフォーラム創業者兼代表取締役であ
!
社内の提案制度では、上司の悪口と給料への不満
る 出 路 雅 明 の 書 籍 タ イ ト ル は『ほ ぼ 実 録
以外なら、提案さえすれば5
00円が「参加賞」と
ちょっとアホ!理論―倒産寸前だったのに超 V
してもらえ、最高報酬は3万円。年間9千件もの
4)
である。
次回復できちゃった!』
提案がある。(中略)「演劇は、演じる側が感動で
京都地方では有名なパンクロッカーであった出
きなければお客も喜ばない。企業も同じ。社員が
路が自らの才能に見切りをつけ、1995年から仲間
喜んで働くよう、中小企業の社長は仕事をしやす
たちと「古着屋」を創業する。1台のワゴンから
い仕組みを整え、幕が開けば社員という役者に任
「やる気」と根性だけで、カジュアル衣料品店を
せる。任せなければ役者は育たない」と山田さ
全国展開し、年収35億の事業にまで拡大すること
ん。
に成功した。一時期、燃え尽き症候群となった
「現場を一番よく知る者が判断すればいい。無
が、2001年以降、ビジネスに目覚め、ビジネス関
知な上司に相談するのは無駄」と、「ホウレンソ
連の読書に没頭し、コンサルタントを活用した業
ウ(報告・連絡・相談)」も禁止するほど現場重
務改革を断行する。いわゆる経営方針管理、情報
視は徹底している。
「高価格でも納得してもらう
システムの構築と活用、差別化方策の施行であ
ことが大切」という考えも、演劇と商売に共通す
る5)。さまざまな経営理論を学び、考えつく方策
るという。安ければ売れるという先入観を捨て、
をすべて実施したがすべて失敗した。業績は悪化
差別化に徹して価格競争 と は 距 離 を 保 つ。
(中
する一方であり、2
003年には借金が2
0億円を超
略)働く約8
00人は全員が正社員で、パートや派
え、倒産寸前の状態に陥った。
遣社員はゼロ。5年に1度、全額会社負担の海外
旅行を実施していることでも知られる。』
この状況下で出路は健康も害し、遂に「これだ
けやっても無理なら、仕方がないか!」と開き直
山田は自著で次のように「常に考える」は社是
り、「どっちみち、やるんだったら楽しくやろ
ではなく、合い言葉だと述べている。
う!」と思い直すことで、幹部社員に現状を伝え
『だから、私は社員に言い続けている。
「常に考
て謝り、
「新たなる希望の光」について伝える。
える」ことが大切だと―。その言葉は、会社のあ
出路いわく、
「ちょっとアホ!」理論である。ま
ちこちに貼ってある。階段の踊り場、廊下の壁、
ず、「自分と大切な仲間が本当に楽しむこと」を
防火壁…。とにかく10メートルごとに貼ってい
事業の最優先課題とする。そして、仕事に関する
る。これは、社是でも経営理念でもないから、未
すべての判断基準を「楽しいか? 楽しくない
―3
2―
木村
誠
図1
反常識的経営の一対型内部モデル
3
3
経営理念の新旧比較(7
6∼7
7頁)
か?」に し た。出 路 は 自 著 で 以 下 の よ う に
「やったるで総会」は中期経営計画発表会の予
「ちょっとアホ!」が反常識的に近いものである
定を「楽しくない」から中止し、その代わりとな
と述べている。
るものであり、各事業部や各業務セクションの責
『(これもあとになってわかったのですが、)前記
任者が、楽しい「やったるで目標!」を発表す
の「∼べきか?などの判断基準、これが「ちょっ
る。さらに、「目標を達成するためにすること」、
とアホ!」の天敵である「常識」という奴だった
「達成した時のイメージ」
、「達成した時のご褒
のです。』(54頁)
美」、「一歩踏み出し目標」も発表する6)。この初
この「ちょっとアホ!」の実践として、以下の
心を忘れないようにするために、
「やったるで総
「電光石火で浸透大作戦」を同時に実行した。
会」は年度が変わっても、毎回を「第0回」とし
『1つは、
「やったるで総会」という宣言の場を
ている。
設けたこと!
「ちょっとアホ!」な安売りイベントとして、
1つは、経営理念に取り入れ、毎朝、唱和した
こと!
毎月土・日曜日に店員が全員アフロヘアーのカツ
ラをかぶって営業をする「アフロの日」、「体育祭
1つは、社内新聞をつくり、私と幹部の気持ち
&文化祭」、「ハロウィーン」がある7)。
を伝えたこと!
そして「どんぶり勘定大作戦」である。スタッ
1つは、楽学塾という社内セミナーにより、直
接に語りかけたこと!
フにとって楽しくないこと(やる気が出ないこ
と)は極力やめるという実践として、日々閉店後
そして何よりも自分自身がアホ!になること
に作成する営業(数値)報告書を徹底的に減ら
で、「ちょっとアホ!」の手本となり、浸透させ
し、把握するためだけに発生していた作業をすべ
ました。』
て止めてしまった。経理処理は徹底的に手を抜い
―3
3―
3
4
長野大学紀要
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0
9
て、昔ながらの「どんぶり勘定」に戻すことで、
スタッフは空いた時間を「楽しいこと」を考える
ことに費やし、それが仕事に反映され、結果的に
売上が向上したという。
4.分析的枠組み
本稿は、反常識的経営の事例分析として、経営
者のメンタルモデル(内部モデル)に含まれる論
理の連鎖を、因果ループとして表現することを試
みる。因果ループは、システム思考のための効果
的 な ツ ー ル 群 の1つ で あ る(Senge,1990、
Kim,1994,1998)。因果ループは、複数の変数
間の因果関係をループとして表現する図であり、
図の矢印の元となる変数の増減が原因、先にある
変数の増減が結果を意味する。因果ループ内のす
べての変数間の因果関係が「同」(原因の変数値
が増えると結果の変数値も増える。あるいは、原
図2 「ちょっとアホ!やる気」スパイラル(1
4
5頁)
因の変数値が減ると結果の変数値も減る)場合、
自己強化型因果ループと呼ばれる。
いくというのが私の論理だ」という記述は、因果
最初に未来工業事例から確認しよう。山田の自
ループとして解釈することもできる。経営者の山
著に以下の記述がある。
田が想定した経営の仕組み、すなわち内部モデル
『会社経営のいちばんの柱は社員のやる気だ。社
を因果ループで表現するならば、社員のやる気・
長1人でなんでもできるなら、そんな楽なことは
ループと会社の差別化・ループから成る2重ルー
ない。会社というものが人の集合体である限り、
プ構造のモデル化ができる。
社員のやる気が経営のベースとなることはいうま
ヒューマンフォーラム事例では、出路の自著に
でもないことであろう。そして、社員がやる気を
因 果 ル ー プ の イ メ ー ジ 図 が 登 場 す る(図2参
起こしてはじめて、その会社の企業としての差別
照)。出路の記述は以下である。
化がはじまり、やがて社員のやる気と会社の差別
『私が考えるところによると、V 字回復で何より
化が両輪となって、会社は大きく伸びはじめるの
原動力となったのは、スタッフの「やる気」だっ
だ。
た と 思 っ て い ま す。(中 略)実 は、こ の「楽 し
会社を、社長が仕事しなくてもいい体制にする
い」がやる気と連動していたのです!。
(中略)
ためには、いかに社員のモチベーションと責任感
誰でも「楽しい」と思えることは、大好きになり
を高め、さらには組織づくりをすることが求めら
ますよね。そして大好きなもののためになら、何
れるが、これがまた難しい。
故か「やる気」になって頑張れるものですよね。
そういう意味では、
「社員のやる気をいかに起
大好きで楽しいと、何をやっても「やる気」に
こさせ、いかに高めるか」を考えるのが、社長の
なって、一生懸命にできるものです。
一番大切な仕事といえる。やる気を起こさせれ
ここから、脅威の「ちょっとアホ!やる気」スパ
ば、会社というのはぜったいに回っていくという
イラルが生まれるのです。このスパイラルは永遠
のが私の論理だ。』(146∼147頁)
で、しかもどんどんエスカレートしていくので
す。もうこうなったら手がつけられず、想像を絶
山田の「社員のやる気と会社の差別化が両輪と
するような結果につながるのです。』(144頁)
なって、会社は大きく伸びはじめる」、「やる気を
起こさせれば、会社というのはぜったいに回って
―3
4―
さらに、自著の帯で要約されている「アホ!に
木村
誠
反常識的経営の一対型内部モデル
なっただけで、勝手に差別化できちゃった!
社
3
5
解釈しうる。
員・スタッフも無茶苦茶やる気になっちゃった!
以上の前提に基づいて、経営者の内部モデルの
業績も爆発的に伸びちゃった!」という記述も
図式化を試みる。本稿は、以下の手順から因果
因果ループとして解釈することができよう。これ
ループ図を作成した。
らの記述から、ヒューマンフォーラムの経営者で
①
その会社の経営者がよく用いるキー概念(変
ある出路が想定している企業経営の仕組み、すな
わち内部モデルは、社員・スタッフのやる気・
数名)を抽出する。
②
その会社の特徴的な施策を抽出し、従業員の
ループと会社の差別化・ループから成る2重ルー
やる気支援策、会社の差別化支援策、双方の支
プ構造のモデル化が可能である8)。
援策の3つに分類する。
そして3節で示したように、2社の事例で観察
③
される反常識的経営の施策を、従業員のやる気支
これらの施策が間接的にコントロールすると
援策、会社の差別化支援策、双方の支援策の3つ
想定される変数名を抽出する。
④
①∼③の操作から抽出した各変数の間に成立
に大別した(表2参照)。施策を3種の支援策に
しうる因果関係が「同」であり、各変数値が増
分けることで、2重ループ構造モデル化の際にそ
大する2重ループ構造モデルを作成する。
の配置が容易となる。
⑤
従業員のやる気支援策、会社の差別化支援
これらの支援策は、ある変数を企業経営の構成
策、双方の支援策となりうる施策を、④から得
要素(因果ループ内変数)として成立させ、それ
られた2重ループ構造モデルに外部変数として
を間接的にコントロールすることに役立ってい
付加する。
る。つまり、反常識的経営の施策は、因果ループ
内の経営変数に向かって作用する外部変数として
図3
4.
1. 未来工業の内部モデル図式化
未来工業の内部モデル
―3
5―
3
6
長野大学紀要
第3
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0
0
9
4.
2. ヒューマンフォーラムの内部モデル図式
未来工業の内部モデルは、社員のやる気・ルー
化
プと会社の差別化・ループの相乗効果によって会
社が成長していくという経営者の論理をモデル化
ヒューマンフォーラムの内部モデルは、社員・
したものである。この内部モデルは、循環すれば
スタッフのやる気・ループと会社の差別化・ルー
するほど、両ループ内の各変数値が大きくなる、
プの相乗効果によって会社が成長していくという
いわゆる良循環を示すモデル(良循環モデル)で
経営者の論理をモデル化したものである。この内
ある。
部モデルも良循環モデルと解釈しうる。
この内部モデルは、「社員の感動」
、「ポジティ
この内部モデルは、
「みんなで楽しむ」
、「ポジ
ブ思考」、「社内の一体感」が両ループの共通変数
ティブ思考」
、「経営理念の肯定」が両ループの共
であり、「全員正社員」の施策が「社員の感動」
通変数で あ り、「毎 年 の 第0回「や っ た る で 総
を、「「常に考える」が合い言葉」の施策が「社内
会」開催・表彰」の施策が「みんなで楽しむ」
の一体感」を間接的にコントロールしていると見
を、「「元気に明るくちょっとアホ」を毎朝唱和」
なしている。社員のやる気・ループ内では、
「ホ
の施策が「経営理念の肯定」を間接的にコント
ウレンソウの禁止」、「服装自由」、「タイムカード
ロールしていると見なしている。社員・スタッフ
なし」の施策が「社員の自律性」を間接的にコン
のやる気・ループ内では、
「ご近所ニコニコ挨拶
トロールしている。会社の差別化・ループ内の
キャンペーン」の施策が「従業員の明るさ」を間
「企 画・改 善 提 案」は、「報 奨 金 制 度(1件5
00
接的にコントロールしている。会社の差別化・
円)」の施策から間接的にコントロールされてい
ループ内のお客さんと「共に楽しむ」は、「お客
るが、その量と質は、「社内の一体感」の高さに
さん巻き込みイベント」と「わけのわからない安
由来することを示している。
売り日」の施策から間接的にコントロールされて
図4
ヒューマンフォーラムの内部モデル
―3
6―
木村
表3
誠
反常識的経営の一対型内部モデル
3
7
未来工業の間接的コントロールとコントロール放棄
反常識的経営の施策
間接的コントロール項目
コントロール放棄項目
従業員のやる
気支援策
・年功序列型給与体系
・ノルマなし
・ミステリーツアー
・残業禁止
・ホウ・レン・ソウの禁止
・タイムカードなし
・服装自由
社員のモチベーション
社員のモチベーション
生活のめりはり
生活のめりはり
社員の自律性
社員の自律性
社員の自律性
成果報酬的評価
成果報酬的評価
従業内娯楽への介入
成果獲得向従業時間
進捗管理
出退勤管理
制服管理
双方の支援策
・全員正社員
・「常に考える」が合い言葉
社員の感動
社内の一体感
社員の不満
高邁な方向性
会社の差別化
支援策
・報奨金制度(1回5
0
0円)
・他社の真似をしない方針
・1次問屋卸の回避
・営業所の直販
企画・改善提案
オリジナル製品開発
売上高
収益性
提案内容の質
他社の模倣
一次卸による流通
人件費削減
いる。
すなわち、反常識経営の施策は、間接的コント
ロールする項目と、コントロールを放棄する項目
5.ディスカッション
をそれぞれ対応づけすることで、その特徴をより
本稿の事例分析では、反常識的経営の施策が間
明確にすることができよう。
接的にコントロールできる経営変数を見い出し、
5.
1. 未来工業事例のコントロール放棄
それらを結びつけることで良循環モデルを導出す
ることができた。このとき、反常識的経営の企業
山田の自著には、コントロール放棄に関する以
に見られる特徴的な施策を、従業員のやる気支援
下の記述がある。
策、会社の差別化支援策、双方の支援策のいずれ
『これは、プラス思考でいくか、マイナス思考で
かに大別した。
行くかの違いだった。いるかもしれんけども、い
これらの支援策は、2つの側面を持った施策と
らんかもしれん。そんなとき、いずれは必ずいる
見なすこともできる。その2側面は、反常識的経
ことになるだろうと考えるのがプラス思考だ。い
営のための間接的コントロールの側面と、その反
らないかもしれないと悩むのはマイナス思考にす
対のコントロール放棄の側面である。つまり、反
ぎない。そして、考えるまでもない。未来工業は
常識的経営の施策は、ある変数を企業経営の構成
プラス思考で行く!
と決めていた。』(94頁)
要素(因果ループ内変数)として成立させ、それ
を間接的にコントロールする一方で、別の変数を
これは、
「プラス思考」と、その反対の概念で
企業経営の構成要素から外し、そのコントロール
ある「マイナス思考」を類推したが、はかりにか
を放棄する作用も合わせ持っていると見なすこと
けて「プラス思考」を選択し、それが含まれる良
ができる。
循環モデルを内部モデルとして形成したと解釈す
反常識的経営の施策を通じて、企業経営の構成
ることができる。
要素から外される経営変数の名称は、すでに得ら
また、
『そもそも、社員にやる気がないという
れた良循環を示す内部モデルのループ内変数の名
ことの裏には“不満”がある。私は、その不満を
称から類推することが可能である。従業員のやる
一つひとつ消していくことが社長の仕事だと思っ
気支援策、会社の差別化支援策、双方の支援策が
ている』(150頁)とも述べている。この事例は、
コントロールを放棄していると想定される事項
経営者が「社員の不満」という変数が発生しな
(項目)を類推することは、内部モデルである良
い、それを少なくするための施策を考案し、実現
循環モデルの構成要素(変数名)の反対語にほぼ
していると見なすことができよう。
相当する。
表3に示されるように、未来工業における反常
―3
7―
3
8
長野大学紀要
図5
第3
1巻第1号 2
0
0
9
未来工業が回避すべき悪循環モデル
識経営の施策は、経営者側が間接的コントロール
方策として展開していくことで会社の差別化を指
する項目と、コントロールを放棄する項目をそれ
向するが、結果的に他社との同質化が進行するこ
ぞれ対応づけすることができる。例えば、従業員
とを示している。
のやる気を支援するための「ホウレンソウの禁
5.
2. ヒューマンフォーラム事例のコントロー
止」の施策は、
「社員の自律性」を間接的にコン
ル放棄
トロールする一方で、経営者側による「進捗管
理」のコントロールを放棄することを意味する。
出路の自著には、以下の記述がある。
経営者側がコントロールを放棄するこれらの項
『今だから言えますが、実を申しますと私…、
目を変数とする因果ループを作成するならば、良
「スーパーサイヤ・アホ!」になるまで…、
「楽
循環の反対となる悪循環となるはずである。未来
しい」という言葉が、大嫌いでした。そして、
工業の反常識的経営の施策から類推されるコント
「楽しく仕事をしたい」なんて言っているやつは
ロール放棄項目を変数とする因果ループを図5に
大嫌いでした。その場その場を楽しんで仕事をし
示す。この図は、未来工業が回避すべき悪循環を
ているやつは、仕事を本気でやっていないと思っ
示すモデル(悪循環モデル)と見なすことができ
ていたのです。また、そんな風に楽しんで仕事を
よう。
していても、真の幸せや、成長や、成功もないと
この悪循環モデルは、マイナス思考にもとづ
思ってもいました。努力して、苦労して、頑張っ
き、高邁な思想を企業理念として言語化し、制服
て、目標や予算を達成してこそ、真の喜びが得ら
管理や出退勤管理と進捗管理を通じた成果報酬型
れる。そしてその真の喜びこそが、幸せであり、
評価を行うことで、従業員の業績向上を目指すも
成長であり、幸せであると思い込んでいたので
のである。その一方で、社内提案の質向上を求め
す。』(146頁)
ながら、他社の模倣を行い、人件費の削減を経営
―3
8―
この場合、経営者は内部モデルとして良循環モ
木村
表4
誠
反常識的経営の一対型内部モデル
3
9
ヒューマンフォーラム事例の間接的コントロールとコントロール放棄
反常識的経営の施策
間接的コントロール項目
コントロール放棄項目
・ご近所ニコニコ挨拶キャ ン 従業員の明るさ
ペーン
・楽学塾(社内セミナー)
お互いをほめ合う
・「ヒ ュ ー マ ン フ ォ ー ラ ム 新 お互いをほめ合う
聞」発行
・ハロウィーン(仮装パーティ) 自分が楽しむ
従業員の緊張感
中期経営計画発表会
双方の支援策
・「やったるで総会」
(毎年第0 みんなが楽しむ
回)開催・表彰
・経営理念の毎朝唱和:「元気 経営理念の肯定
に明るく ちょっとアホ」
「ま
ずは自分たちが楽しみます」
「やりきる!、だしきる!」
会社の差別化
支援策
・会議は「反省禁止」
・お客さん巻き込みイベント
・わけのわからない安売り日開
催
・「どんぶり勘定」の経理処理
・「ダービー」
(会議)で店舗ご
との売上予算と目標の管理
ファッショナブルな商品の企画
開発
内装や演出の高級化
ブランド商品の充実
経営分析の精緻化
収益化のノルマ設定
従業員のやる
気支援策
「ちょっとアホ」な企画開発
お客さまと「共に楽しむ」
お客さまと「共に楽しむ」
売上高
収益性のゲーム感覚
お互いの敵愾心
お互いの敵愾心
社内の比較評価
崇高な経営理念
デルを構想する前に、その正反対の経営変数から
アップし、高級指向の商品を提供することで収益
構成される内部モデルを保持していたといえよ
化をはかるという会社の差別化・ループが組み合
う。
わされている。
ヒューマンフォーラム事例における反常識経営
ヒューマンフォーラムの場合、経営者が悪循環
の施策から、経営者側が間接的コントロールする
モデルを(良循環モデルと解釈して)内部モデル
項目と、コントロールを放棄する項目をそれぞれ
として保持した施策は、結果的にことごとく業績
対応づけた結果を表4に示す。例えば、従業員の
向上に結びつけることができなかった。そして経
やる気と会社の差別化の双方を支援するための
営者は失敗経験を参照することで、過去と正反対
「毎年の第0回「やったるで総会」開催・表彰」
の経営変数を類推し、その内部モデルを更新して
の施策は、「みんなで楽しむことを」を間接的に
いるようである。
コントロールする一方で、経営者側による「中期
経営計画発表会」のコントロールを放棄すること
5.
3. 本研究の含意と今後の課題
を意味する。
本稿は、反常識的経営と見なされる2社の探索
これらのコントロール放棄項目を変数とする因
的な事例研究を行い、反常識的経営の施策が間接
果ループを図6に示す。この因果ループは、経営
的にコントロールできる経営変数を見出し、その
者が過去に良循環モデルと解釈していたが、業績
変数から成る因果ループを作成することで、経営
悪化という結果から悪循環モデルと解釈を変えた
者の内部モデル表現を試みた。事例分析から内部
ものと見なされる。この悪循環モデルは、中期経
モデルとして導出した因果ループは、良循環モデ
営計画作成とその発表から、近未来に達成すべき
ルである。
目標を明確にして、その実現を全社的に目指し、
そしてこれまで述べたように、各施策がコント
崇高な経営理念を社内外に発信することで社内の
ロールを放棄していると想定される経営変数を類
緊張感を高め、従業員間の敵愾心や比較評価を通
推することから因果ループを作成し、悪循環モデ
じて、全社的な業績向上を目指すものである。さ
ルとして導出することもできる。
らに、プロダクトアウトの発想で流行をキャッチ
―3
9―
本稿の探索的な事例研究とその考察から、次の
4
0
長野大学紀要
図6
第3
1巻第1号 2
0
0
9
ヒューマンフォーラムが陥った悪循環モデル
仮説が提示される。
持していた悪循環モデルを参照)しながら、良循
「反常識的経営の内部モデルは、良循環モデルと
環モデルを構想し、成功経験を通じて内部モデル
悪循環モデルの一対として分析可能である」。
を更新したと見なされる。
これは、反常識的経営の内部モデルの形成と更
これらの事例の解釈を一般化するならば、反常
新プロセスとして、以下の2種類のパターンがあ
識的経営は、特に常識的な経営方策の導入がもた
ることを示唆している。
らすデメリット、すなわち好ましくない(あるい
(Ⅰ)良循環モデルの構想→成功経験の学習→悪
は悪いと見なされる)因果関係を強く意識するこ
循環モデルの類推
とで、常識的な内部モデルを悪いモデルと見なし
(Ⅱ)悪循環モデルの構想→失敗経験の学習→良
循環モデルの類推
ており、その実現を拒否した結果として成立して
いるものと見なすこともできよう。これは、反常
例えば、未来工業事例は(Ⅰ)のパターンに相
識的経営が−その主たる仕組みの設計者である経
当し、悪循環モデルが類推されるものと位置づけ
営者が常識的経営の仕組みを十分意識している
られる。これは経営者が「マイナス思考」が含ま
が、あえて導入せずに、意図を持って反常識的経
れる悪循環モデルを回避すべきものとして想定し
営と呼ばれる諸方策を施行することで−存続可能
ながら、「プラス思考」が含まれる良循環モデル
な仕組みという捉え方である。経営者は社内に向
を保持していると見なされる。
けて、反常識的となることを発議し、その妥当性
一方のヒューマンフォーラム事例は(Ⅱ)のパ
を繰り返して説くことが求められよう9)。
ターンに相当し、悪循環モデルは脱出すべきもの
この捉え方を本稿の概念的枠組みを用いて表現
として位置づけられる。経営者は、良循環モデル
するならば、常識的経営が悪循環モデルに、反常
を構想する前に、実際は悪循環モデルとなる内部
識的経営が良循環モデルに対応づけられる。反常
モデルを良循環モデルと了解して保持していたと
識的経営の経営者は、常識的経営を好ましくない
いえよう。そして、失敗経験とその学習(既に保
因果関係の連鎖、つまり、悪循環モデルとして意
―4
0―
木村
図7
誠
反常識的経営の一対型内部モデル
4
1
内部モデルの一対構造と更新プロセス
識することで、それと相反する因果関係の連鎖で
ていない。これは、反常識的経営の事例分析の積
ある良循環モデルを内部モデルに形成している可
み重ねと内部モデルの図式化、そして内部モデル
能性が高い。
に含まれる因果関係の集計作業が必要である。こ
この結論は、常識的経営の内部モデルを明らか
れらも今後の研究課題である。
にする際に良循環モデルのみを想定すれば十分で
謝辞:本研究に有益なアドバイスをいただきまし
あるとしても、反常識的経営の内部モデルの場
た早稲田大学商学学術院根来龍之教授に深く感謝
合、それだけでは不十分ということを示唆してい
致します。
る。つまり、外部観察者は、反常識的経営の仕組
みを説明可能とするために、その経営者の内部モ
参考文献
デルを良循環モデルと悪循環モデルの一対として
・枝廣淳子、小田理一郎『なぜあの人の解決策はいつ
分析することで、その目的に接近することができ
もうまくいくのか?―小さな力で大きく動かす!シ
よう。
ステム思考の上手な使い方』
、東洋経済新報社、2
0
0
7
最後に、本研究の問題点と今後の研究課題につ
年
いて述べる。まず、本稿は、反常識的経営の施策
・出路雅明『ちょっとアホ!理論』現代書林、2
0
0
6年
がある経営変数の間接的コントロールを行う一方
・高橋伸夫『〈育てる経営〉の戦略』講談社選書メチエ
で、他の経営変数へのコントロール放棄を行って
いることに着目している研究である。この概念的
3
2
8、2
0
0
5年
・天外伺朗『非常識経営の夜明け
枠組みと、伝統的な外発的動機づけと内発的動機
燃える「フロー」
型組織が奇跡を生む』講談社、2
0
0
8年
づけの概念の枠組みとの類似点および差異が明確
・西川敬一『常に考える!それが元気の原動力!未来
ではない。次に、反常識的経営の事例に見られる
工業株式会社電設資材等製造販 売』ブ ロ ッ ク ス、
施策の内容そのものの普遍性と特殊性について
Vol.
8
6、2
0
0
5年
は、ほとんど触れられていない。つまり、反常識
・山田昭男『楽して、儲ける!―発想と差別化でロー
的経営の事例を良循環モデルと悪循環モデルの一
テクでも勝てる!未来工業・山田昭男の型破り経営
対として図式化を行ったが、そのモデルに含まれ
論!』中経出版、2
0
0
4年
る因果関係の連鎖は、どこまでが普遍性があり、
・Bohm, David and Lee Nichol. On Dialogue. 2nd ed. Rout-
どこからが特殊性をもつものなのかについて論じ
ledge Classics, 2
0
0
4.(デヴィッド・ボーム、金井真弓
―4
1―
4
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
注
訳『ダイアローグ』英治出版、2
0
0
7年)
・Csikszentmihalyi, Mihaly. GOOD BUSINESS : Leader-
1)本稿は、経営者の内部モデルが企業経営の仕組み
ship, Flow, and the Making of Meaning. Viking Press,
とほぼ一致していることを想定している。つまり、
2
0
0
3.(M. チクセントミハイ、大森弘監訳『フロー体
経営者の内部モデルが、実際の企業経営の仕組みと
験とグッドビジネス』世界思想社、2
0
0
8年)
乖離しており、ほとんど一致しないままに存続可能
であるという奇特な会社もありうるが、今回の研究
・Gawer, A. and M.A. Cusumano. Platform Leadership :
対象から除外している。
How Intel, Microsoft, and Cisco Drive Industry Innovation, Harvard Business School Press, 2
0
0
4.(アナベル・
2)坂本光司(法政大学大学院政策創造研究科教授)
ガワー、マイケル・クスマノ、小林敏男訳『プラッ
は、「業績が高い企業だから従業員のモチベーション
トフォーム・リーダーシップ』有斐閣、2
0
0
5年)
が高いのではなく、従業員のモチベーションを高め
・Kim, D. H. Systems Thinking Tools : A User’s Reference
ることで業績もあがっていることが調査研究によっ
Guide, Pegasus Communications,1
9
9
4.
て解明された」とも述べている。
・Kim, D. H. and V. Anderson, Systems Archetype Basics,
3)その書籍帯の内容は以下である。『松下もかなわな
Pegasus Communications, 1
9
9
8. (ダニエル・キム、
い電設資材のカリスマ・カンパニー。経常利益率が
バージニア・アンダーソ ン、ニ ュ ー チ ャ ー ネ ッ ト
常に1
5%以上、年末年始休暇は1
9連休、残業ゼロ、
ワークス監訳『システム・シンキングトレーニング
でも給料は地域一番。名証二部上場の未来グループ
ブック』日本能率協会マネジメントセンター、2
0
0
2
はその収益力と数々のユニーク経営で有名である。
年)
.
創業者・山田昭男が初めて書き下ろした不思議な会
社の素顔とは。
』
・Roberts, John. The Modern Firm : Origanizational Design
for Performance and Growth. Oxford University Press,
4)その書籍帯の内容は以下である。『毎週、長時間に
2
0
0
4. (ジョン・ロバーツ、谷口和弘訳『現代企業の
及ぶ激烈で重苦しい雰囲気を漂わせた社員会議、毎
組織デザイン』NTT 出版、2
0
0
5年)
月1回の会社の悲壮な運命を賭けた中期経営計画策
・Senge, Peter M. The Fifth Discipline : The Art & Practice
定会議、部下1人ずつとの徹底的な報・連・相ミー
of The Learning Organization. Currency, 1
9
9
0.(ピー
ティングでの細かい指示命令出し、儲かりそうなハ
ター・M・センゲ、守部信之訳『最強組織の法則』
ウツー的マーケティング理論の無差別な実践、差別
徳間書店、1
9
9
5年)
化の必要性に迫られてのオリジナル商品の企画開
・アイエヌジー生命「法政大学とアイエヌジー生命が
発、ロイヤリティーの向上を迫られての有名ブラン
「中小企業の従業員のモチベーションを高める方策
ドの導入、組織力強化、人材育成教育の強化、顧客
等に関する調査研究」について成果発表」プレスリ
管理力や販売促進力の強化、営業数値管理力や財務
リ ー ズ2
0
0
9年 2 月 2 日 http : //www.ing-life.co.jp/ing/
分析力のための経理部の強化、などなど
news_2009_0202.html
てにおいて反省することまで……楽しくないから、
全部やめちゃった!
・上木貴博「未来工業「反常識」経営でシェア8
0%
そして全
で、結果は……アホ!になっ
ホウ・レン・ソウ禁止で自律促す」
『日経情報ストラ
ただけで、勝手に差別化できちゃった!
テジー』No.
1
8
5、2
0
0
7年、5
6−5
9頁
タッフも無茶苦茶やる気になっちゃった!
社員・ス
業績も
爆発的に伸びちゃった!』
・法政大学大学院中小企業経営革新研究所×アイエヌ
ジー思いやり経営実践研究会「中堅・中小企業の従
5)出路は、それぞれの実践例として以下をあげてい
業員の勤労意欲を高める方策等に関する調査研究」
、
る。経営方針管理:企業理念の明確化、主要社員全
平成2
0年1
2月
員 に よ る 中 長 期 経 営 計 画 策 定 会 議(月1回、約4
0
日経ベンチャー経
名)
、幹部社員全員による社員会議(週1回、1人づ
営コンファレンス in 名古屋基調講演」
『日経ベンチ
つ現状分析報告)
、幹部社員一人づつとホウレンソウ
・中谷真弓「未来工業
山田昭男
ミーティング(週1回、約1
0名)
。情報システムの構
ャー』2
0
0
7年1月号、8
4∼8
5頁
築と活用:商品管理・顧客管理・営業管理のシステ
・未来工業株式会社「有価証券報告書」
、2
0
0
7年
ム、経 理 シ ス テ ム、人 事 考 課 シ ス テ ム。差 別 化 方
―4
2―
木村
誠
反常識的経営の一対型内部モデル
4
3
策:オリジナルブランド企画開発、高級ブランド商
う。「体育祭&文化祭」の日は、ジャージ上下を着用
品導入、コンセプトショップ開店、多角化事業。
したお客に全品2割引、ブルマ着用のお客に全品5
6)やったるで目標の例として、「日本一アホ!な服屋
を目指す!
割引、玉入れ、フラフープのゲームで勝つと1∼2
そのため、第一にお客さんアホ化大作
割引、店舗への気持ちを俳句にしてくれたお客に全
戦を実施」が あ る。目 標 に 対 し て の 行 動 の 例 は、
品1割引、店内特設ステージで得意な楽器で演奏す
「もっともっとお客さんに喜んでもらうため、時に
ると全品2割引を行う。「ハロウィーン」の日は、仮
は店舗のイヌとなり、意見を徹底的に吸い上げ、店
装+ものまねで1曲歌いきると全品5割引となる。
舗重視型の品揃えを完成します」
。達成したときのイ
8)出 路 の 記 述 か ら は、社 員・ス タ ッ フ の や る 気・
メージの例は、「売れまくり、儲かりまくっていて、
ループ、会社の差別化・ループ、会社の業績・ルー
各店長は近所の服屋さんから、「何でそんなに売れん
プから成る3重ループ構造と解釈することも可能で
の?」と聞かれ、「いやあ、たまたまですよ!」と言
ある。今回は未来工業と対比させた議論を行うため
いつつも、店長全員の腕にはロレックスが!そして
に、2重ループ構造によるモデル化を試みた。
ウハウハ状態!」である。達成したときのご褒美の
9)経営者が内部モデルを再確認し、その実現に向け
例は、「1泊2日のビールかけ温泉 V 旅行+カニ付
た、従業員への説明と対話を容易にするためには、
き」である。
まさに合言葉となるわかりやすい共通語彙の存在が
7)
「アフロの日」は、アフロヘアーのお客に全品3割
重 要 と な る。本 稿 で 述 べ た 事 例 で は、「常 に 考 え
引、店頭に置いたアフロのカツラをかぶったお客に
る」
、「ポジティブ思考」
、「ちょっとアホ」
、「まずは
全品2割引、パンチパーマのお客に全品1割引を行
自分たちが楽しみます」が相当する。
―4
3―
長野大学紀要
第3
1巻第1号 4
5―5
8頁 2
0
0
9
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
―1990年代保守党政権期を中心に―
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 1 :
The Period of Tories Administration in 1990’s
久保木
匡
介*
Kyousuke Kuboki
るために一方では行政組織および公務員を競争的
序 問題の所在
な環境におく各種の改革が導入され、他方では組
本稿の課題は、1992年より開始されたイギリス
教育水準局(Office for Standards and Education)
織および個別の公務員のパフォーマンスに対する
各種の外部・事後評価システムが導入される。
の査察が公立小中学校の教員に与えた影響を考察
筆者が関心を持つのは、このような改革の下で
することを通じ、競争の組織化と、国家による管
サービスを生み出す公務員の専門性、特に教育に
理統制システムの二つを柱とする新自由主義が、
代表される人間の成長に直接関わる公共サービス
第一線の公務員の専門性にどのような変化をもた
の専門性がどのように変化したのか、国民あるい
らしたかを明らかにすることである。
は住民の目線から見てどのようなサービスの質の
新自由主義とは、各国における多国籍資本のグ
変化をもたらしたのか、ということである。二宮
ローバルな展開と競争力確保の実現を主要な目的
厚美は、教育労働に加え保育労働や介護労働な
とする、「自由主義批判の上に形成されてきた民
ど、コミュニケーションを軸に人間の成長を支え
主主義的諸制度や理念、企業活動への一定の規
る労働を「コミュニケーション労働」と呼び、特
制、福祉的な政策、弱者救済の特別措置、
「結果
にこれらの労働が、民営化や NPM 型改革といっ
の平等」を意図した諸制度などの今日の社会的到
た新自由主義的な改革の中でその専門性が脅かさ
達点を攻撃することを直接の目的とした「新し
れる事態が広範に生じていることを指摘してい
1)
である。
い」自由主義」
る2)。
行政学的に見れば、この新自由主義の現れ方
1980年代まで、教育や福祉といった現代国家の
は、規制緩和や公営企業の民営化などの「小さな
公共サービスの中心を構成する各領域において
政府」政策と、政府部門として当該組織を維持し
は、サービスの専門的あるいは技術的な改善・向
ながらその編成や活動に民間企業の経営手法を導
上は、各領域の公務員集団が自治的に担ってき
入する「New Public Management=NPM」政策に
た。これに対して、NPM 型政策の柱の一つであ
大別される。特に後者では、公共サービスの顧客
る外部・事後評価システムは、このサービスの職
たる市民の選択権に対し、行政は最小のコストで
能 改 善(professional development)を、擬 似 市 場
最大の成果を算出していることを証明する責任
的な競争環境におきながら国家の統制下に再編成
(accountability)を有するとされ、それを保証す
するものである。そのうえで、
「評価を通じた専
*環境ツーリズム学部准教授
―4
5―
4
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
門性の向上」あるいは「評価を通じたサービスの
したとき、あらかじめ設定された目的と、それを
改善」といった言説に見られるように、評価を組
実現する手段としての定型化された理論や技術の
織や組織構成員の管理統制の手段としてだけでは
枠組みの中でのみ対応するのではなく、問題状況
なく、公共サービスを担う公務労働者の専門性の
に応じてそれらの枠組みの見直しを絶えず行って
内在的な発展を導くものだという主張が、その政
いく、という教育サービスの特徴をさしている。
策推進者によって数多くなされることになる。し
本稿の考察においては、教育の専門性とは直接
たがって、新自由主義に基づく評価システムの登
には「内容」における専門性を表し、社会的文脈
場によって、教育労働を含む公務労働の専門性の
の変化が、反省的実践家としての成長を含む「内
向上・改善については、外部評価・統制を主要な
容」における専門性にどのような影響を与えたか
手段とする説明責任(accountability)モデルと、
を考察するものである。
個別のサービス提供機関や公務労働者が自立的、
内発的に専門性を改善・向上させる職能改善モデ
ルという二つのモデルが公共サービスの提供プロ
1 イギリス教育行政の新自由主義的改革
(1)1988年教育改革法
イギリスの教育行政に一大転換をもたらした
セスに存在することになった。
ここでは、典型的な NPM 型教育改革を進めて
1988年教育改革法の成立から約20年が経過した。
きたイギリスの教育改革、その中でも特に教育水
Educational Management Administration and Leader-
準局が公立小中学校に対しておこなっている査察
ship 誌の2008年4月号は、特集「1988年教育改革
(inspection)と呼ばれる評価をとりあげる。ま
法が残したもの」を組んだが、その冒頭論文でイ
ず本稿では、いくつかの資料と先行研究に依拠し
ギリスの教育社会学者ウィッティは次のように述
ながら、制度が導入された1992年から1997年まで
べた。
の保守党政権期における教育水準局の査察の実態
「1970年代末葉以降、保守党政権から新労働党政
を、教員の専門性への影響という視点から考察す
権にかけて、教育政策における強い一貫性が存在
る。それらの査察が現場の学校、特に教員たちの
した。それは中央政府が行う詳細な目標設定と監
専門性に与えた影響を見ることによって、学校評
視の枠組みと、その中で行われるサービスの分権
価を通じて新自由主義国家が求める説明責任モデ
化という明確な流れを生み出した。加えて、公的
ルにおける教員の専門性の開発・向上の内実を明
な教育システムの中に民間セクターの包摂が急激
らかにする。そこで明らかになる課題は、ポスト
5)
に拡大した。」
新自由主義の時代に切り開かれるべき公務労働の
すでに筆者が別稿で指摘したように、1979年に
新たな専門性を保障するための制度設計にも大き
発足したサッチャー保守党政権から、2007年に退
な示唆を与えるだろう。
陣したブレア労働党政権にいたる約20年の間に、
あらかじめ教育の専門性について一言しておこ
イギリスの教育行政では、一方での市場化(競
う。教員の持つ専門性は、教室における教育や指
争、選択、民営化の導入)と他方での国家統制の
導の技術や能力という「内容」における専門性
強化が進行した6)。教育行政の分野において、こ
と、教員が置かれている専門職としての社会的な
の改革の基本的な枠組みを最初に創出したのが、
地位、すなわち「社会的文脈」における専門性に
1988年教育改革法である。
分けて考えることができる。後者は、教員という
1988年教育改革法によって導入された改革は以
職業が国家や地方自治体の公権力から受ける規制
下のものである。①公立学校へ適用されるナショ
や統制、あるいはそこからの自律性、さらにはそ
ナルカリキュラムを教育大臣が定めること、②義
れらを背景に形成される教員という職業の専門性
務教育段階において4回にわたる学力テストを行
(専門職性)に対する社会的了解などによって構
うこと7)、③オープン入学制度により各学校に最
成される3)。さらに、勝野正章は教員の専門性の
大限の生徒数の受け入れを義務付け、学校選択制
特長について、
「反省的実践家としての成長」を
を促進すること、④国庫補助学校(Grant mainted
4)
挙げている 。これは、教員が様々な困難に直面
School)の設立など公立学校体系の多様化、⑤自
―4
6―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
4
7
立的学校運営(Local Management of School)と呼
教員、学校および地方教育当局にゆだねられるこ
ばれる学校理事会への予算・人事等の権限付与、
ととなった。学校評価については、一方では勅任
である。
視学官の仕事が「査察(inspection)」よりも学校
同時に、この1988年法によって確立された新た
への「助言(advice)」に傾斜し、他方では地方
な枠組みは、教育に関わる新たな外部・事後評価
教育当局が独自の学校査察を急速に拡大させると
システムの確立を要請した。1988年法は、政府が
いう変化が生じた。また1970年代には、地方教育
教育における到達水準と選択の自由に強力なコミ
当局が各学校に自己評価(self evaluation)を奨励
ットを行うことの表明であった。それは必然的
することが広く行われてきた10)。
に、学校の情報を提供する手段としての評価の重
これに対し1992年教育法は、1988年教育改革法
要性を増大させるものであった。特に、各学校は
体制の確立を受けて、イングランドとウエールズ
政府からかされたナショナルカリキュラムをどの
の公立学校に対して以下のような新たな学校査察
ように遂行し、地方教育当局から移譲された予算
の枠組みを課したのである。
をはじめとする学校のマネジメントをどれだけ効
第一に、従来の勅任視学官による学校査察に代
果的に行っているのかといった情報に、学校の選
えて、新たに教育水準局を設立し、すべての公立
択者である親と、学校の統制者である中央政府の
学校を対象とした査察を行う。教育水準局は教育
関心が集中するのは自然な流れであった8)。
担当大臣の監督下に置かれ、省からは独立した準
政府機関である。
(2)1992年教育法:職能改善モデルから説明責
任モデルへ?
第二に、教育水準局の査察項目は、①学校から
提供される教育の質、②児童生徒の到達した教育
1990年末にサッチャー首相からメージャー首相
への保守党内での政権交代が行われると、行政改
水準、③予算使用の効率性、④児童生徒の精神
的、倫理的、社会的、文化的発達である。
革における「顧客志向」の基調が鮮明となった。
第三に、査察を行う監査官は、登録監査官(監
その象徴が、1991年、政府がすべての市民に対し
査+報告書作成)、チーム監査官(教科教育担当)
て行政各部が達成・供給すべきサービスの水準と
に加え、教育分野の素人である一般監査官(教育
質を公表した「市民憲 章(Citizen’s Charter)」で
専門経験なし、学校経営や財務等の監査)によっ
ある。そこでは査察機関のもっとも重要な役割
て構成される。
を、「専門的なサービスが最も効率的な方法で実
第四に、査察は4年に一回行われ、
「失敗」の
施され、サービスの受け手のニーズを十分に満た
評価受けると毎年の査察を受けなくてはならな
していることをチェックする」ことと規定してい
い。「失敗」の評価を受けると、特別基準が適用
る。これを受けて作成された教育省の「親のため
され、追加予算の交付を受けた上で、成績・秩序
の 憲 章(Parent’s Charter)」で は、こ の 受 け 手 の
などへの工夫の要請が行われる。それでも改善が
ニーズ と は、「親 に よ る 適 切 な 学 校 選 択」で あ
見られない場合、大臣は学校の閉校を命じること
り、それを保障するための親への情報提供が最重
ができる11)。
9)
視されることとなった 。その結果として、これ
教育水準局の査察の特徴を列挙すれば次のよう
までの勅任視学官による査察に代えて、新たな組
になる。第一に、業績に対する厳格さである。第
織による、新たな学校査察が行われることとなっ
二に、従来の専門的査察官による助言的査察から
た。これが1992年教育法による教育水準局とその
素人査察官を含む専門外からの査察になったこと
査察の体制の確立である。
である。第三に、レポートの公表によって学校の
イギリスにおける学校査察の歴史は19世紀半ば
評価がリーグテーブルと結びついて親の学校選択
にさかのぼる。国庫補助を受ける各学校に対し、
に影響することである。第四に、中央政府の権力
国の勅任視学官が査察を行うようになったのがそ
が管理改革や学校閉鎖という手段を担保したこと
の嚆矢であった。第二次世界大戦後、イギリスの
である。そして第五に、本稿の問題関心からすれ
公立小中学校における教育内容の決定権は現場の
ば最も重要な特徴は、教育水準局の査察の開始当
―4
7―
4
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
初より、「査察を通じた改善(improvement through
(failing)」や「弱点がある weakness」といった厳
inspection)」が、査察を正当化し推進する言説と
しいレッテル張りを行うことである。二つには、
して確立したことである。教育水準局による査察
改善勧告に基づく特別援助措置(special measures)
が開始された1993年12月に発表された教育水準局
を講じても効果が見られない場合、
「閉校」とい
による最初の年次報告書『教育における水準と質
う強制措置が教育水準局に担保されていることで
1992−93』は次のように述べた。
ある。三つには、教育水準局が認定した「失敗」
「教育水準局は基本的に改善を追及することに従
校はイングランドとウエールズの公立小中学校の
事している。(略)教育水準局の企図および正当
2.
3%に及んだが、その大半が経済的に貧困なエ
性は、査察を通じて、到達水準の向上および教育
リアの学校であったことである14)。そして第四
経験と教育内容の質の改善に貢献することであ
に、「査察を通じた改善」というスローガンが掲
12)
げられる一方で、現実の教育水準局の査察が教育
る。」
戦後イギリスの学校教育及び教育行政では、後
現場における「欠点探し」に比重が置かれ、現場
述するような教員の「自治的専門性」が長らく保
に必要な「助言」を行わない点に関するものであ
証されてきたため、現場の教員に教育内容の決定
る15)。
と改善の裁量の多くが委ねられ、学校や地方教育
このような批判を受けてきた教育水準局の査察
当局がそれを支える体制が取られてきた。その過
は、実際の学校教育における教員の職能改善に対
程で確立した、教員の内在的反省と同僚の批判を
してどのような影響を与えてきたのであろうか。
基盤にした「内発的な」教育改善のありようは
ここでは、1993年に開始されて以来数年間の教育
「職能改善モデル」と呼ぶことができよう。それ
水準局の査察が、学校や個々の教員によって保持
に対して、1992年教育法に基づいて確立されたの
されてきた教育の専門性に対して及ぼした影響
は、一方で国家の定める到達水準のクリア、他方
を、いくつかの調査研究を手がかりに考察する。
では親の学校選択権の保障を目的とした外部評価
まず注目するのは、教育水準局が査察の結果をま
であり、それは学校改善の「説明責任モデル」と
とめた報告書、特にそこに盛り込まれる各学校に
呼ぶべきものである13)。
対する勧告の内容と、それを各学校がどのように
では、職能改善モデルは説明責任モデルに完全
に取って代わられたのだろうか?それとも両者は
受け止め、実行に移したか(あるいは移さなかっ
たか)である。
ある種の役割分担の下に併存していったのだろう
か?その場合、両者の関係はどのように整理され
(1)各学校における教育水準局査察の受け止め
るのだろうか?
と勧告の実行
このような問題意識を念頭に、次ではまず、
1993年から1996年にかけて査察を受けた55の中
1990年代の保守党政権期において、国家の課す到
学校の調査を行ったオーストンとデービス(Ous-
達水準と親の選択をめぐる学校間競争を背景に行
ton, J. and Davies, J.)によれば、各学校は査察に
われる外部評価=査察が、実際にどのように学校
対する対応によって三つの類型に区分できるとい
の改善に影響を与えたのかを考察する。
う。すなわち、
2 保守党政権期における教育水準局の査
察をめぐる評価
教育水準局の査察については、以下のような理
・「自 己 成 長 す る 学 校 developing school」:教
育水準局からみて適切に運営され、学力等の
到達も十分である。多くの学校はこれに当て
はまる。
由から、それが国家機関の各学校に対する「名指
・「独自の満足尺度を有する学校 complacent
しで辱める(naming and shaming)」政策であると
school」:伝統的に独自の教育方法を持ち、
して、現在に至るまで根強い批判がある。一つに
親や地域がそれを支持する。教育水準局にも
は、教育水準局の査察が各学校に対する「格付
独自性の認定を求める。
け」を行い、低い評価の学校に対しては「失敗
―4
8―
・「苦闘中の学校 struggling school」:貧困地域
久保木匡介
表1
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
4
9
小学校と中学校の査察において作成された勧告の種類
勧告の種類
小学校の査察(%)
中学校の査察(%)
アセスメント
1
1
9
カリキュラム配置
1
0
1
5
カリキュラムの文書化
1
3
8
カリキュラムの進行管理と評価
6
5
カリキュラム(特殊)
1
4
5
組織
2
6
学校改善計画
1
2
5
環境・施設
3
7
均等待遇
2
3
外部との関係
0
3
管理・運営
1
5
8
宗教・教義
0
3
特別教育ニーズ
2
1
教育指導と学習
5
2
0
資源
4
2
勧告の総数
9
3
8
8
(Wilcox and Gray,1
9
9
6,p.
8
4.
)
にある学校で、国が求める水準への到達が困
それに関わるアセスメントについての勧告の多さ
難な学校。教育水準局からの圧力に敏感で査
である。ここで挙げられているアセスメントと
16)
察に対しても後ろ向きである 。
は、「学校の政策全体をナショナルカリキュラム
教育水準局の査察に対する先の批判は、主に
に関連付けて評価・記録・報告すること」であ
「苦闘中の学校」に関わって出されるものであ
り、カリキュラム配置とは「全てのナショナルカ
る。ただ、オーストンらによれば、各学校は査察
リキュラムを学校で実施することの徹底」であ
報告書の中の勧告のうち、70パーセントを「重要
り、カリキュラムの文書化とは「主要科目や基幹
である」と認識しているという。
科目についての政策発表を速やかに公表周知する
24の小中学校の教育水準局査察への対応を調査
こと」である。
したウィルコックスとグレイ(Wilcox and Gray)
ここでは、1998年教育改革法によって国家から
によれば、教育水準局が査察報告書を通じて各学
各学校に課されたカリキュラムの実行が、教育水
校に行った勧告は、表1のようになっている17)。
準局という事後評価のシステムを通して管理され
ここから明らかとなるのは、第一に、小学校と
ている実態がうかがえる。総じて、勧告全体を通
中学校における勧告の重点の差異である。両者の
したウエイトは、教室における教授法よりも管理
違いが際立っているのは、小学校における管理・
やその仕組みに置かれている18)。
運営、学校改善計画、カリキュラムの勧告の多さ
さらに重要なのは、これらの勧告がどのように
と、中 学 校 に お け る 教 育 指 導 と 学 習(teaching
実行されているのか(されていないのか)であ
and learning)への勧告の多さである。
る。どのようなタイプの勧告が、学校内の各アク
第二に、両者に共通するのは、カリキュラムや
ターにどの程度受け入れられ、実行されるまでに
―4
9―
5
0
長野大学紀要
表2
第3
1巻第1号 2
0
0
9
査察9ヵ月後と2
1ヵ月後における中学校1
1校に対する勧告の実行状況
勧告の実行状況
完全実行
大方実行
ある程度実行
少し実行
実行せず
合計
1
0
1
0
3
3
1
4
2
1
8
8
1
1%
1
1%
3
8%
1
6%
2
4%
1
0
0%
1
7
1
6
3
4
9
1
2
8
8
1
9%
1
8%
3
9%
1
0%
1
4%
1
0
0%
9ヵ月後(%)
2
1ヵ月後
(Wilcox and Gray,1
9
9
6,p.
8
7.
)
いたったのか。これを知ることにより、教育水準
されるべき変化をもたらした。これは、従来各学
局の査察が、各学校にどのように影響したかをう
校が保持してきた学校経営や教育に関わる様々な
かがうことができる。
言説が、競争を背景にした国家による管理主義の
ウィルコックスらは、表2のように特に中学校
言説に置換されることを表している。
におけ る 勧 告 の 実行 状 況 に つ いて 分 析 し て い
る19)。
同時にこの変化は、一方で学校における校長を
頂点とする管理主義のヒエラルキーの顕在化と、
まず目に付くのは、勧告の実行についての進捗
他方で校長および管理職層と教員との間で言説の
の遅さであろう。この要因については、一つに
分離を引き起こした。教育水準局の査察が始まっ
は、先に指摘した学校ごとの査察および勧告に対
て以来、多くの校長は、
「学校言説の植民地化」
する取り組みの違いが指摘できる。しかしそれよ
の学校における推進者として振舞うようになっ
りも重要なのは、ウィルコックスらの指摘によれ
た。すなわち教育水準局の学校に対する認識を教
ば、勧告の中で教員や児童生徒の行動全体に関わ
職員に共有させる(ロウのケースタディにおける
るもの、すなわち教育指導や学習、あるいはカリ
学校 B)ことや、学校の長所や短所をモニタリン
キュラム配置に関わる勧告を実行するのは容易で
グする際に教育水準局のハンドブックを利用する
はなかったということである。
(学校 C)ことなどは、その直接の現れである。
「特に教育と学習に関わる勧告について、われわ
また校長の関心が教授法などの教育指導から離
れの最初のインタビュー時(勧告から9ヵ月後―
れ、GCSE の成績を向上することに収斂する例も
筆者注)にはまったく手がつけられていなかった
ある(学校 A)。こうして校長および学校の管理
ことが重要である。一年後にわれわれが再び訪れ
職層が中央政府の求めるパフォーマンスや「成
たときも、わずか17パーセントの中学校だけが勧
果」の学校における管理者として機能することに
告をおおむね実行していた。カリキュラム配置に
より、教育雇用省、教育水準局、校長、教職員、
関わる勧告についても、21ヵ月後に7校に1校し
児童生徒という新しい管理のヒエラルキーが、明
20)
か実行していないという低い実行情況だった」。
確な形で現れることになったのである。
他方で、教室における教育指導や学習について
(2)管理主義ヒエラルキーの確立と学校におけ
る言説の分裂
は、教育水準局の言説は容易に浸透せず、それら
の事項についての実質的な決定権は現場の教員が
このことを、学校で共有される言説の分裂とい
保持し続けた。それゆえ、学校管理に関わる勧告
う 観 点 か ら 検 証 し て い る の が ロ ウ(Lowe,
については実行が比較的容易であったのに対し、
21)
988年 教 育 改
Geoff)である 。ロウに よ れ ば、1
教育指導と学習、あるいは教員の教育活動のモニ
革法によってもたらされた新管理主義(manage-
タリングに関しては、勧告の実行が進展しなかっ
rialism)の改革―学校への権限委譲、ナショナル
た事例が報告されている(学校 B および C)。つ
テストの成績公表、教育水準局の査察、様々な目
まり、教室における教育指導と学習を中心に、教
標設定など―は、「学校言説の植民地化」と表現
員たちは伝統や学校の独自性を重視して教育水準
―5
0―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
表3
5
1
査察プロセスに対する満足度
学校査察のやり方についてどの程度満足しているか
非常に
満足
おおむね
満足
どちらとも
いえず
やや不満
非常に
不満
校長および
学校理事会の議長
4
4
3
7
8
7
3
教員
1
3
4
0
2
8
1
3
7
査察は学校にとって有益だったか、あるいは有害だったか
有益
半々
有害
校長および
学校理事会の議長
3
5
3
7
2
7
教員
1
4
3
3
5
2
(The Education and Employment Committee,1
9
9
9,para.
8
0.
)
局が用意した管理主義的な言説を拒否したため、
る。
学校には様々な言説が並存すると同時に、その担
教育水準局の査察では、これらの観察を通じ、
い手も校長・管理職層と教員に分かれることと
各授業を担う教員が当初から5段階、1996年から
なったのである。
は「1、優秀 excellent」から「7
このような分裂状況は、議会下院の教育雇用委
員会が1999年に発表した『第4レポート
非常に悪い
very poor」までの7段階の階梯において格付け
教育水
されることとなった。そして1996年からは査察官
準局の業務』でも22)、査察プロセスに対する校長
から「非常によい」あるいは「非常に悪い」と判
らと教員との満足度の違いという形で現れている
断された教師に対する口頭報告が校長に届けられ
(表3)。特に査察の有益性と有害性についての
るようになり、1997年から98年にかけて全ての教
認識では、校長らの多くが有益性を積極的に認め
員についての格付けが報告されるようになった。
ているのに対し、教員らは逆にその多くが有害性
前項までの検討では、個別の教室において教員
を強調している。
が有する教育の専門性について、それは外部評
価、あるいは説明責任モデルでは容易に統制を行
(3)授業査察と教員格付け
教室への管理主義
ヒエラルキーの浸透
うことができないということが明らかになってき
た。したがって、査察官による各教員の評価と格
教室における教育指導や学習について、教育水
付けという試みは、教育の専門性の根幹に関わる
準局の言説が容易に浸透しなかったことは、教室
最も統制しにくい、教室における教員のパフォー
の内部に教育水準局の統制が及ばなかったことを
マンスを直接の対象としている点で興味深い。
意味するものではない。実際、査察官による査察
まず、この仕組み自体が、教育水準局の学校査
の多くの時間は授業や児童生徒の学習活動の観
察体制における説明責任モデルを各教員の教室に
察、児童生徒との対話に振り向けられる。授業観
おける指導にまで進化させるものであることが指
察ではおもに、教育指導の質、授業に対する児童
摘できよう。個別の教員の評価と格付けを通じ、
生徒の反応、児童生徒の国家基準に対する到達
教育水準局査察の管理主義のヒエラルキーは、学
度、進行状況などが評価の対象となる。観察され
校全体に対する査察と勧告を通じた統制に止まら
る授業の割合は学校の規模によって異なるが、問
ず、個別教員のパフォーマンスをもそのヒエラル
題はこのような観察が、教員の教育指導や生活指
キーに統合していくベクトルを有するものとなっ
導に関わる専門性にどのように影響し、それらの
た。
向上にどの程度資するものなのかということであ
―5
1―
他方で、この授業観察にもとづく個別教員の評
5
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
価が、どれほど教育や指導、学習の改善に結びつ
る(accountable)ことを求められるようになった
くのかについては、不透明な部分が多い。フィド
のであり、その意味で教育水準局の査察体制とは
23)
ラー(Fidler)らの調査 では、305の中学校のう
説明責任モデルを実現する体制であった。
ち、「非 常 に 良 い」報 告 を 受 け取 っ た 校 長 が8
6
他方で、教育水準局の1993年の査察枠組み文書
パーセント、「非常に悪い」報告を受け取った校
においては、そのサブタイトルが「査察を通じた
長が40パーセント、両方の報告を受け取った校長
改善(development through inspection)」となって
が35パーセントであったという。この調査で注目
いたよう に、
「改善(development)」が新たな査
されるのは、教員のパフォーマンスについて行わ
察体制のスローガンとされてきた。しかし、多く
れた査察官のコメントに対し、それを「役に立つ
の論者が指摘するように、この二つの要素は、現
(very helpful)」とした校長が23パーセントであっ
実の教育水準局の査察プロセスにおいて、容易に
たのに対し、53パーセントは「あまり役に立たな
調和するものではないことが明らかとなる。
い(limited help)」、17パーセントが「役に立たな
初期の教育水準局の査察プロセスを検証した
い(no help)」と評価したことである。つまり、
アーレイ(Earley)によれば、1
980年代から9
0年
少なくとも個別教員の授業評価に関しては、外部
代にかけて学校のパフォーマンスに改革の焦点が
の説明責任モデルに組み込まれつつある校長にお
集まる中で、学校の改革をめぐる議論は、学校の
いてさえ、査察に対する信頼の欠如が際立つ結果
内部要因、すなわち自己評価に基づく自己改革を
となったのである。
契機とするものと、学校の外部要因、すなわち教
しかし、それは他方で校長の認識ともずれる
育水準局の査察など学校外部の圧力を改革の推進
個々の教員の評価・格付けが、外部の査察官から
力と見なすものとに収斂した。教育水準局の査察
行われるという、制度の特徴を浮き彫りにしてい
については、説明責任と改善の両方の達成が主張
る。ここでは、個別の教員の教育における専門性
されるが、それは予定調和的に把握されるもので
がどのように変化したかを実証的に検討すること
はない。
はできない。しかし、
「反省的実践家」としての
「主要な目的を説明責任に置く外部の査察や監査
教員の専門性は、各学校、各教室あるいは各子ど
と、それとは対照的に学校の発展や改善のために
もの個別の文脈に即して評価され改善されるより
行われる外部査察との間の、緊張や矛盾を想起す
も、教育水準局の査察枠組みによって国全体で同
ることが重要である。パフォーマンスを他者に正
型化される条件が整備されたということができよ
当化するための説明責任や査察的評価は、改善の
う。
ための判断を行う能力開発的なあるいは専門的な
3 査察の役割、学校改善の方法をめぐる
対抗
(1)説明責任の要請と職能改善のジレンマ
評価とは対照をなしている。ここで鍵となる問題
は、活動の主な関心が改善にあるのか証明にある
のか、ということだ。学校のような制度の改善を
目指しているのか、何かを誰かに証明することを
前章までに見た、教育水準局の査察および勧告
24)
。
目指しているのか、が問題なのだ」
に対する受け止めの学校内部における分裂状況
また、オーストンらによれば、教育水準局の査
は、査察を構成する二つの要素、説明責任(ac-
察のねらいをどのように認識するかをめぐり、各
countability)の確保と学校・教師の職能改善
(pro-
学校はジレンマを抱えることになる。査察のねら
fessional development)の対立を反映している。
いを親への説明責任の確保と見た場合、失敗校の
教育水準局の査察体制を確立した1992年教育法
レッテルや閉校措置を恐れる学校は、教育現場に
は、各学校のパフォーマンスに関わるデータを公
存在する様々な弱点を隠し、完全な準備をして査
表し、もって親の学校選択権を保障することを第
察の習慣を迎えるだろう。しかしその場合、学校
一のねらいとしていた。すなわち、学校は親をは
の抱える弱点は顕在化せず、問題は解決されない
じめとして、地域社会や地方自治体に対して、自
まま残される。他方で、学校が査察のねらいを
らの教育や生活指導の「成果」について説明でき
「改善」と見た場合、教育水準局に対しては積極
―5
2―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
的に現場の弱点をさらし、改善勧告を受けるだろ
5
3
これに対して、下院教育雇用委員会の1999年の
う。しかし、この場合は、親や地域社会からの批
報告書「第4レポート
判、学校選択における不利、中央政府からの低い
査察か助言かという問題設定そのものに対して以
格付けや強制措置といったリスクを負わなければ
下のように批判する。
ならない。ここに説明責任と学校改善とが容易に
「われわれは、査察についての議論が監査か助言
調和しえない査察体制のジレンマがある25)。
かという二分法に基づくべきでないと考える。こ
教育水準局の業務」は、
れはあれかこれかの問題ではない。
(略)自信の
(2)教育水準局の機能をめぐる論点―査察か助
言か
ある学校は査察を、自信のない学校は助言を求め
るだろう。それゆえ、われわれは、教育水準局の
査察における説明責任と学校改善のジレンマ
査察が常に査察結果に基づいて助言すべきだとも
は、教育水準局の査察が果たすべき役割をめぐる
思わないし、学校が常に純粋な査察モデルによっ
議論に発展する。メージャー保守党政権からブレ
て貢献されるとも思わない。」(para.
98)
ア労働党政権への交代が行われた翌年の1998年か
しかし、委員会報告の基調は査察と助言を学校
ら99年にかけて行われた下院教育雇用委員会で
のおかれた状況に応じて使い分けるということで
は、教育水準局査察の役割は監査であるべきか、
はない。あくまで教育水準局の査察体制の枠組み
助言(advice)であるべきかをめぐり、様々な意
を堅持しながら、各学校が自主的に学校改善の努
見が提出されている。
力を行うべきことを説いているのである。した
査察の機能を転換し、教員や学校に対する助言
がって、教育水準局が公式に学校に対する助言を
的な役割を強化することを一貫して主張している
行うことは明確に否定されている。
のは全英教職員組合(National Union of Teachers。
「われわれは、教育水準局の査察が公式の助言や
26)
以下 NUT と 略 記。
)で あ る 。NUT は そ れ ま で
学校の発展に関わるべきだとは思わない。学校に
の教育水準局の査察の体制やプロセスが、
「査察
来て校長に助言するのは査察官の役割ではない。
を通じた改善」というスローガンとは裏腹に、学
査察官の導きに頼るのではなく、査察結果に基づ
校の改善の契機になることに失敗したとして、次
いて自己を成長させるのは学校の役割である。教
のように批判する。
育水準局の査察官が最も機能しうるのは、変化と
第一に、現在の教育水準局中心のシステムは、
改革の触媒としてである。このことは、査察のメ
教員や学校共同体に対して、評価のプロセスを領
リットが実現される「専門性の対話」の発展を通
有し、彼・彼女ら自身が行った取組みや判断が学
じて最もよく達成できると考える。」(para.
99)
校改善の中心となることに確信を持つように奨励
総じて、委員会報告における査察の改革案は、
してこなかったことである。第二には、現在の制
説明責任モデルを基本としながら、そこにフィー
度が、学校の内部評価と外部評価とのバランスを
ドバックと自己評価の仕組みを組み合わせ、査察
均等にとることに失敗したことである。この失敗
にもとづく情報を学校教育の改善に資するものと
により、多くの教員は、評価を学校生活の外側か
しても活用することを企図するものであった。
ら来る定期的な「行事」と捉えてしまっている。
NUT は教育水準局の査察開始当初から、査察
(3)説明責任モデルの中の自己評価
の目的を教育指導と学習の改善に置いた上で、内
1998−1999年の下院教育雇用委員会の議論で
部の自己評価と外部評価を結びつけた評価システ
は、NUT を含む幾人かの証言者が、学校におけ
ムの構築を主張してきている27)。その NUT の認
る自己評価の有効性について価値を認め、教育水
識からすれば、査察とその勧告による学校の改善
準局の査察システムを転換するように求めた。こ
という「副次的効果」をどれだけ主張しようと
れは「外部批判から内部評価への根本的な転換」
も、保守党政権期における教育水準局の査察と
(para.
119)の要請である。
は、親への説明責任を重視した外部評価に他なら
なかった。
他方で、教育水準局は自己評価に正面から反対
しているわけではなく、
「効果的な自己評価は外
―5
3―
5
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
部査察の指摘の上に築かれるだろう」という認識
が図られる。この時代の新自由主義的改革におい
を有している。しかし同局は、自己評価では外部
ては、学校管理者が職能改善を進める一方、教員
査察によって提供される説明責任を提供できない
は逆にそれを行うことが難しくなる。結果とし
がゆえに、自己評価が外部評価に取って代わるべ
て、中央集権化されたカリキュラムとテスト体制
きであるという主張を受け入れられないと考え
が教員の教室における判断の範囲や自立性を剥奪
る。そしてこの認識は、委員会報告にも貫かれる
し、民間部門から適用された業績管理による運営
ものとなる。
システムがもたらされる。
「我々は、学校による効果的な自己評価が、教育
ザックス(Sachs, J.)は、上記のような教員の
の水準と質を改善するのに重要な役割を果たすこ
専門性に関わる変化を「伝統的専門性」から「経
とを信じる。我々は教育雇用省や教育水準局がこ
営主義的専門性」への変化と表現する30)。この変
れに注目していることを歓迎する。しかし、これ
化の中で、教員たちは測定可能な結果に到達する
が外部評価に取って代わることができるという主
ための説明責任を果たすべく、教員、校長、地域
張には賛同しない。われわれは査察のフレーム
機関、中央政府機関という長いラインの中におか
ワークが、学校によって利用される自己評価手続
れるようになる。学校現場にあってこの経営主義
を考慮に入れて修正されることを勧 告 す る。」
的専門性を最も自己と同一化するのが校長であ
(para.
123)
り、校長は同僚のトップから制度上の管理者へと
この委員会報告の自己評価に対するスタンス
変化する。本稿で確認された、校長と教員との間
が、そののちのブレア労働党政権の査察改革を貫
の査察の受け止めに対する分裂状況および校長の
くものとなっていく。詳細は別稿で論じるが、労
査察勧告に対する積極的な受け止め姿勢は、この
働党政権は教育水準局査察に段階的に自己評価を
ことの現れと見ることができよう。
導入していく。しかしそれは外部評価の中の自己
では、教育水準局査察の中で、教員の専門性の
評価であり、学校改善に直接結びつく評価情報を
置かれた位置はどのように整理することができる
生み出さないという意味において、常に「自己評
だろうか。
価(self-evaluation)で は な く 自 己 査 察(self-
教育水準局査察が開始された2年後の1995年、
inspection)である」という批判を浴び続けるこ
D. ハ ー グ リ ー ブ ス(Hargreaves, David)は 早 く
とになるのである28)。
も、政府が提唱する「査察を通じた改善」テーゼ
が検証されなければならないことを強調した31)。
4 監査社会・規制国家と「査察を通じた
改善」
ハーグリーブスは、のちの1999年下院報告で議論
A. ハーグリーブス(Hargreaves, Andy.)は、20
だけでも自己評価だけでもなく、両者の組み合わ
世紀以降の教育システムにおける教師の専門性
せこそが有効であると主張する。しかし、ハーグ
を、四つの時期(専門性構築以前の時代、自治的
リーブスは両者の並列的な組み合わせを唱えてい
専門性の時代、同僚に支えられた専門性の時代、
るのではない。特に外部評価については更なるデ
ポスト専門性あるいはポストモダン専門性の時
メリットが存在することに注意を促す。そこで念
29)
となった学校査察のあり方については、外部評価
代)に区分し て 説 明 し て い る 。1960年 代 以 降
頭に置かれているのは、会計学者パワー(Power,
は、多くの国々で教員養成制度の整備が進み、教
Michael)の議論にもとづく、「監査社会」におけ
師の地位、処遇が向上し、教師個人が主導するカ
る監査の「中立性」に対する虚構性の指摘であ
リキュラム改革が進んだ、
「自治的専門性の時代
る32)。
1980年代以降のイギリスにおいて公共サービス
(The Age of the Autonomous Professional)」であっ
の外部評価を行う「監査機関」が飛躍的に増大し
た。
それに対し、
「ポスト専門性の時代」と呼ばれ
たこ と を「監 査 の 爆 発(Audit Explosion)」あ る
る現代では、教員や専門性の高い集団は教育の市
いは「監査社会(Audit Society)」化 と 表 現 し た
場化の障害となると認識され、様々な形で弱体化
パワーは、これらの変化をいわゆる規制緩和と捉
―5
4―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
えるのではなく、
「自己規制メカニズムを用いた
5
5
そのねらいを分析している37)。
規制の実験」とみなしている。つまり、監査社会
フッドによれば、教育水準局査察に代表される
における監査あるいは外部評価は、被評価機関の
「政府内規制」の手法のエッセンスは、評価(査
自己規制を導き出す新たな規制の形態なのであ
察)する者と評価される者との間に、
「関係の距
33)
離(relational distance)」を 拡 大 さ せ る こ と で あ
パワーによれば、福祉国家段階の行政活動に対
る。これにより従来専門性を有する者同士の親密
する統制は、定性的で多様な尺度を持ち、地域や
な関係性の中で「自治的に」処理されてきた個別
現場における信頼関係を基礎に、自律性を重んじ
サービスの内容決定やパフォーマンスの規制を、
る 。
て行われていたという。しかし、
「監査の爆発」
中央政府の定める目標と到達水準にもとづいて規
以降の統制スタイルは、定量的で単一の尺度にも
制し、コントロールすることが可能になる。特に
とづき、外部のエージェンシーによる遠隔操作的
教育行政においては、
「この変化は、査察を助言
手法、薄い信頼関係の下で様々な教義を重んじる
から切り離し、教育水準局を前者に専念させるこ
ものに変容していった。そして「監査社会」にお
38)
という。
とによって達成された」
ける統制の最大の特徴は、規制が被規制者のイン
もちろん、教育行政における規制国家化はひと
センティブ構造に働きかけ、自発的自己規制構造
り教育水準局の査察によってのみもたらされるわ
を求めるところにある。
けではない。1で確認されたように、1988年教育
「監査は、受動的ではなく能動的にそれが作用す
法を画期に整備された、ナショナルテストとパフ
る文脈を構築する。
「監査の爆発」が最も影響を
ォーマンステーブル、学校選択制、教員の業績評
およぼした領域とは、諸環境が監査可能にされ、
価など一連の新管理主義的改革が、各学校を競争
事後的な監視が必要なように構築される、その過
と目標管理という環境下に置き、規制者である中
程である。監査は受動的に監査対象のパフォーマ
央政府や教育水準局と、被規制者である学校や教
ンスを監視するのではなく、創造的な方法でパフ
員との間に確固とした「関係の距離」を築き、政
ォーマンスの基準を形作り、懸案事項への答えと
府内規制を行う条件を整備したのである。
したがって現在の査察体制では、一方ではフッ
なるような公共性をもった概念を生み出すのであ
34)
ドの言う「関係の距離」を拡大するために従来の
る。」
監査は、生み出された業績を中立的に評価する
査察から助言が切り離され、他方では、学校の外
営みではない。新自由主義の時代に国家が求める
部から行われる事後評価=査察によって学校内部
パフォーマンスを各機関に産出せしめるための、
における自発的な改革が教育水準局の査察に適合
新たな統制手段なのである。
するように方向づけられる。それゆえ、教育水準
ハーグリーブスは、このような監査社会におけ
局の査察においては、学校の改善に関わる説明責
る外部評価の特性にかんがみ、教育水準局の査察
任モデルと職能改善モデルは矛盾なく併存してい
は、親に対する「選択と多様性(choice and diver-
るのではない。むしろ前者が後者を包摂し、学校
35)
sity)
」の提供という政府のスローガン とは裏腹
による自発的な職能開発や学校改善の中に教育水
に、本来多様であるはずの各学校に対し、
「短い
準局の目標や到達水準が埋め込まれているのであ
時間のスケールで教育水準局の基準モデルを適
る。現実には、学校現場で教育に従事する教員を
用」させ、
「現在の多様性から離れ、学校に対し
はじめとするアクターの行動は、外部評価による
教育水準局のモデルに向かわせる圧力をかける」
統制とそれが持つ「自発的自己規制」作用によ
ものであると論じている36)。
り、外部から評価しうる客観的な業績の達成へと
また、行政学者のフッドは、この監査が持つ新
「自発的に」振り向けられる。それゆえ、この枠
たな形の統制機能が、1980年代以降の公共部門改
組みの中で行われる自己評価や、査察官からのフ
革を通じて飛躍的に増大したことを「政府内規制
ィードバックを受けた学校改善や教育改善もま
(regulation inside government)」の増大、あるいは
た、査察の枠組みが要請するパフォーマンスの達
「規制国家(regulatory state)」の登場と表現し、
成を志向するものにならざるを え な い の で あ
―5
5―
5
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
る39)。
報告書にも見られるように、1997年のブレア労働
現場の教員にとって、説明責任のラインに属す
党政権の成立以降、教育水準局の査察に対する改
る限り、教員の発揮する専門性はもはや従来の自
革論議はいかにして査察の中に自己評価の要素を
治・自律的な専門性と同じではない。そこで要請
組み入れるかに大きなエネルギーを割いてきた。
されているのは、冒頭で指摘した「反省的実践
これらの改革が、本稿で明らかとなった説明責任
家」としての教員像ではなく、国家や親の要求を
モデルと職能改善モデルとの矛盾をどのように処
通じて教室の外部から定められた目標に対して、
理してきたのかを検討することが、次の課題とな
それを首尾よく達成する「自発的な」教員像であ
る。
ろう。
本稿の2および3の考察で明らかになったよう
に、一方では査察を通じて国家が求める水準の達
注
1)佐貫浩(2
0
0
5)
『新自由主義と教育改革
なぜ、教
成に積極的に自己の専門性を振り向け、査察にお
育基本法「改正」なのか?』旬報社、3
4頁。
いて高い評価を得る学校あるいは教員が存在す
2)二宮厚美(2
0
0
5)
『発達保障と教育・福祉労働
る。他方で、査察勧告の受け止めにおいて、従来
「自治的専門性」に委ねられてきた教育指導や学
習に関わる勧告の実行が教育現場に浸透しなかっ
コ
ミュニケーション労働の視点から』全障研出版部、5
‐
1
1頁。
3)教員の専門性については以下を 参 照。久 富 善 之
たという現実もある。ここに示されているのは、
(2
0
0
8)
「序」および「第1章 『改革』時代におけ
説明責任モデルの下で発揮される経営主義的専門
る教師の専門性とアイデンティティ」久富善之編著
性と、職能改善モデルの下で培われた従来の自治
『教師の専門性とアイデンティティ
・自立的な専門性との分裂を自己のうちに内在化
の国際比較調査と国際シンポジウムから』勁草書
教育改革時代
し、苦闘する教員あるいは学校の姿ではないだろ
房。G. ウィッティ(2
0
0
4)
、堀尾・久 富 監 訳『教 育
うか40)。
改革の社会学
市場、公教育、シティズンシップ』
東京大学出版会、第4章。
5 小括
4)勝野正章(2
0
0
2)
『教員評価の理念と政策』エイデ
マ ク ベ ス(Macbeath, J.)は、下 院 小 委 員 会 の
ル研究所、6
8
‐
7
0頁。
証言において、教育水準局が「査察を通じた改
5)Whitty, G. (2008) Twenty years of Progress? English
善」を達成すべく専門職の信頼を得ようとした試
Education policy 1988 to Present in Educational Manage-
みは大きな困難に突き当たっているとした。その
ment Administration and Leadership, Vol.36, No.2,p.166.
上で、外部への説明責任と内発的な学校改善が共
6)久 保 木 匡 介(2
0
0
8)
「第1
6章
イギリスにおける
に連携することで、教室における効果的な教育指
NPM 教育改革の展開」佐貫浩・世取山洋介編『新自
導と学習の提供を支援できると主張した。その連
由主義教育改革
携については、(1)内部評価と外部の評価が対等
店。また、新自由主義改革に内在する国家統制とい
であること、(2)内部の自己評価を基点に外部評
う論点につき、同書の世取山洋介による序論「新自
価が連続的に行われること、
(3)評価の基準指
由主義教育改革研究の到達点と課題」も参照された
標、測定法、目標を学校と外部機関が協力して作
り上げるシステムをオルタナティブとして提起し
その理論・実態と対抗軸』大月書
い。
7)このうち1
4歳の学力テストについては、学力テス
ている41)。
ト偏重の教育内容や学校間競争の激化の弊害を背景
保守党政権が導入した教育水準局査察によって
に、2
0
0
8年1
0月に廃止が決定された。
顕在化した、「査察を通じた学校改善」をめぐる
8)Wilcox, B. and Gray, J. (1996) Inspecting Schools :
説明責任モデルと職能改善モデルの矛盾への対応
holding schools to account and helping schools to im-
は、次の労働党政権に持ち越されることとなっ
た。
prove, Open University Press, p.28.
9)
「親のための憲章」は、親の選択権を拡大し、児童
本稿でも取り上げてきた下院教育雇用委員会の
―5
6―
生徒の到達水準を向上させるための「情報革命」を
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(1)
発信するべく、次の 改 革 を 公 約 し た。http : //www.
1
7)Wilcox and Gray (1996), op.cit., pp.83-85.
dcsf.gov.uk/performancetables/archives/schools_95/sec 8.
1
8)ibid., p.96.
shtml
1
9)ibid., pp.86-87.
・子どもたちの成長を少なくとも一年に一度は報告
2
0)ibid.
すること。
5
7
2
1)Lowe, G. (1998) Inspection and Change in the class-
・独立した査察官が子どもの通う学校の報告を定期
room : rhetoric and reality? in Earley, P. eds., School Im-
的に行うこと。
provement after Inspection? : School and LEA Responses,
・地方の公立学校のパフォーマンステーブルを作成
すること。
PCP.
2
2)The Education and Employment Committee (1999), The
・個別の学校の案内やパンフレットの発行。
Work of OFSTED : Fourth Report, para.80.
・学校理事(School Governor)からの年次報告。
2
3)Fidler, B. et.al. (1998) Teacher Gradings and OFSTED
1
0)Wilcox and Gray, op. cit., pp.
2
3
‐
2
7.
また、イギリス
Inspections : help or hindrance as a management tool? in
における学校査察の歴史的展開を詳細に分析した著
School leadership and Management, vol.18, No.2,pp.261-
作として、高妻伸二郎(2
0
0
7)
『イギリス視学制度に
262.
関 す る 研 究―第 三 者 に よ る 学 校 評 価 の 伝 統 と 革
2
4)Earley, P. (1998) Conclusion : towards self-assessment?
新―』多賀出版、を参照されたい。
in Earley eds., School Improvement after Inspection? :
1
1)9
3年の査察開始以来、8
7
5校が特別基準の適用を受
School and LEA Responses, PCP, p.169.
け、そのうち3
7
2校は改善が見られたとして適用を外
2
5)Ouston and Davies (1998), op. cit., pp.20-22.
されたが、5
9が閉校に追い込まれたという。参照、
2
6)NUT (1999) Memorandum from the National Union of
佐貫浩(2
0
0
2)
『イギリスの教育改革と日本』高文
Teachers (Appendix 10) in The Education and Employ-
研、9
7頁。
ment Committee, The Work of OFSTED : Fourth Report.
1
2)OFSTED (1993) Standards and Quality in Education
1992-93 : The Annual Report of Her Majesty’s Chief In-
2
7)NUT (1995) Schools speak for themselves.
2
8)2
0
0
6年9月、NUT 本部における NUT 書 記 局 カ レ
spector of Schools, p.5 および pp.8-9.
ン・ロビンソン氏へのインタビューでも、ブレア労
1
3)この職能改善モデルと説明責任モデルの概念は、
働党政権が進める自己評価を取り入れた教育水準局
勝野正章がイギリスの教員についての勤務評定制度
査察の改革に対して、このような認識が示された。
の動向と評価を紹介するにあたって用いた「アカウ
また、自己評価と自己査察の比較検討については、
ンタビリティモデル」と「職能成長モデル」に示唆
NUT の委託研究報告書である Macbeath, John. et al.
を受けている。勝野正章(2
0
0
4)
『教員評価の理念と
(2005) Inspection and Self-evaluation–A New relation-
政策
ship? , NUT, pp.42-43 を参照されたい。
日本とイギリス』エイデル研究所、第4章。
1
4)MacBeath, J. (2006) School Inspection and Self-
2
9)Hargreaves, Andy (2000) Four Ages of Professionalisms
Evaluation, Routledge, p.39.
and Professional Learning in Teachers and Teaching : His-
1
5)筆者らが2
0
0
5年および2
0
0
6年に行ったロンドン北
部イズリントン区の Stoke Newington School や全国教
tory and Practice, vol.6, No.2.
3
0)Sachs, J. (2003) The Activist Teaching Profession, Open
職員組合(NUT)本部で行ったインタビュー調査で
University Press, pp.24-27.
も、このような認識が語られた。参照、久保木匡介
3
1)Hargreaves, David H. (1995) Inspection and School Im-
(2
0
0
7)
「イギリスの NPM 型教育改革は何をもたら
provement in Cambridge Journal of Education, Vol.25,
したか
③誰のための評価か?学校査察制度と学校
評価」
『月刊東京』2
8
1号。
No.1, p.118.
3
2)ibid., pp.120-121.
1
6)Ouston, J. and Davies, J. (1998) OFSTED and after-
3
3)Power, M. (1997) The Audit Society : Rituals of Verifi-
wards? School’s responses to inspection in Earley, P. eds.,
cation, Oxford University Press.
School Improvement after Inspection? : School and LEA
3
4)Power, M. (1994) The Audit Explosion, Demos.
Responses, PCP, pp.16-17.
3
5)Department for Education (1992) Choice and Diversity :
―5
7―
5
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
trol at a distance)
」による統制手法が幅広く現れたこ
A New Framework for Schools, cm 2021.
3
6)Hargreaves, David(1995), op. cit., p.121.
とを指摘するものとして、以下を参照。Hoggett,
3
7)Hood, C. et al. (1999) Regulation inside Government :
P.
(1996) New Modes of Control in the Public Sector in Pub-
Waste-Watchers, Quality Police, and Sleaze-Busters, Ox-
lic Administration, vol.74, spring, pp.24-26.
ford University Press. フッドらによる公共部門におけ
3
9)参照、久保木匡介(2
0
0
5)
「イギリスにおける教育
る政府内規制の増加の調査では、1
3
5の独立した規制
行政の転換過程―NPM と責任構造の変容―」
『早稲
機関、1
4
0
0
0人のスタッフが確認され、毎年7
7
0百万
田政治広報研究』第8
0号。この中で、8
8年教育改革
ポンドが費やされていることが明らかとなった。こ
法以降のイギリス教育改革全体について、他律的説
の数値は年々増加している。そして教育と訓練の政
明責任=アカウンタビリティと自律的行為責任=レ
策分野に含まれる主な政府内規制の機関は、会計検
スポンシビリティの区別をした上で、教育現場にお
査院、自治体監査委員会、地方政府オンブズマン、
いて後者が前者に同一化される事態が進行したこと
イングランド高等教育協会、FAS、生涯学習基金協
を指摘した。
会、教育雇用省の水準と効果ユニット、資格カリキ
4
0)筆者らがイギリスの中学校で行ったインタビュー
ュラム機構、そして教育水準局である。
調査でも、この よ う な 認 識 が 語 ら れ た。注1
5を 参
3
8)ibid., pp.
1
4
8
‐
1
4
9.
また、分権化、競 争 お よ び パ フ
ォーマンス管理を通じて、教育を含むイギリスの公
照。
4
1)The Education and Employment Committee (1999), The
共サービス分野に従来とは異なる「遠隔操作(con-
―5
8―
Work of OFSTED : Fourth Report, Appendix 15.
長野大学紀要
第3
1巻第1号 5
9―7
2頁 2
0
0
9
疎外論の再審
―生涯学習体系論への序章―
A Re-examination of the Concept of Alienation:
A Preparatory Note toward the Theory of Lifelong Education Systems
黒
沢
惟
昭*
Nobuaki Kurosawa
どのようにして認識し、いかに回復をはかろうと
はじめに
1
す る の か」(『原 理 論』P.
51)と い う≪問 い≫と
問題設定
して示す。次に、これまでの生涯学習の諸研究に
現代日本における大衆の政治的意識の在り方
は生涯学習についての概念的な把握が十分に認識
は、国家の抑圧装置およびイデオロギー装置に
され、遂行されてきたとは言い難いのである。そ
よって、またメディアの情報操作によって、規整
のために生涯学習の原理的考察が目指されなけれ
・管理され、変容を伴いつつ形成されている。こ
ばならない。前提としては「これまでの諸研究を
のような≪政治≫の在り方を与件としたうえで、
逐一検証し、その結果を一定の視点のもとに、整
資本制的生産の総過程および資本制的社会構成体
理・再構成する」ことである。さらに、具体的に
に組み込まれている≪生産者―消費者大衆≫は、
は教育の外部から生涯学習の原理的領域に迫るこ
どのようにして、自らの政治的意識・意志の在り
とが必要である。そのために、宮原誠一の「教育
方を革め、新たな批判的主体に生成変転すること
再分肢説」をグラムシのヘゲモニーに関するテー
ができるか。この批判的主体の形成という現代的
ゼ「ヘゲモニーのあらゆる関係は必然的に教育的
課題に対して、どのような学問的な探求によって
関係である」を反転させ、
「教育は必然的にヘゲ
回答=解答を与えることができるか。この課題に
モニー関係である」
(『原理論』P.
23)という教
応えるべく、拙著『人間の疎外と市民社会のヘゲ
育に関するテーゼへと脱・構築することを目指し
モニ ー―生 涯 学 習 原 理 論 の 研 究』
(大 月 書 店、
た。このような問いと方法論に基づく、生涯学習
2005年、以下『原理論』と略記)を上梓した。
論の体系の全体的なデザインは次のようになる。
2
3
方法
生涯学習体系のデザイン
本書で提示した基本的なモティーフは、≪市民
「この世で人間は、疎外された受苦的存在であ
社会における批判的主体の形成≫と≪生涯学習≫
るが、同時に人間はこの状態をのり超えようとす
との接合である。そして、この在り方が本書のア
る情熱的な存在でもある。これが私の人間観の前
クチュアリティーを基礎付ける。まず、
「教育研
梯である。この疎外を超克しようとする場が、市
究の根本意想」を「この世において人間が疎外さ
民社会であり、疎外回復の営為をヘゲモニーと呼
れているという事実、そして、この事実を人間は
ぶ。ここでヘゲモニーとは、非暴力的な知的・道
*社会福祉学部教授
―5
9―
6
0
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
徳的な説得による合意の獲得である。一方、市民
質(ヴェーゼン)についての根本了解(ベグライ
社会を空間の面で捉えれば、日本では地域社会な
フェン)である」と述べた。さらに、マルクスに
いし「自治体」と大きく重なる。ところで、そこ
とって根本問題は、近代の超克である。いいかえ
における疎外回復の主体形成のためには、
「地域
れば、疎外とその回復となり、その主体はプロレ
の住人」が「市民」に、地域が文字通りの 自 治
タリアートである。この意想は初期から後期に至
体、市民社会に転生しなければならない。生涯学
るまで一貫していたと考える。
習とは、この転生のための主体形成を主務とする
如上のように生涯学習論の体系をデザインすれ
ものなのである。」(『原理論』P.
47)。こ れ に も
ば、疎外論がその原理の核心になっていることが
とづく体系の展開は以下の三部構成になる。
「第
了解できるだろう。そこで小論においてはこれま
Ⅰ部
での疎外論の批判的捉え返しを試みる。
人間の疎外と回復の思想―初期マルクスの
考察」は、生涯学習論の体系化の基礎付けのため
に、初期マルクスの人間の疎外と回復の思想の分
一 疎外の思想
疎外の思想について先行の諸研究を要覧・総括
析による疎外論の理論的な確立の試みである。
市民社会とヘゲモニー―グラムシ『獄
した経緯がある。小論のために加筆・修正をして
中ノート』の考察」は、グラムシの『獄中 ノ ー
再録する。疎外論の再審にあたってまずは私なり
ト』について、
「実践の哲学」
「市民社会論」「歴
の「疎外」についての見解を提示したいと考える
史的ブロック」「知識人論」「ヘゲモニー」にテー
からである。
「第Ⅱ部
マを絞った解読を行い、ヘゲモニーと主体形成と
の関係を教育として捉え返す試みである。すなわ
1
語義
ち、第Ⅰ部で理論的に検討した疎外論を基礎論と
語源的には、外化(Entäusserung)という類語
するヘゲモニー論の構築の試みである。
「第Ⅲ部
と 同 様 に、ギ リ シ ャ 語(allotriosiz)、ラ テ ン 語
市民社会と主体形成―教育改革と生涯学習」
(alienatio)など、<他者化、譲渡化>を意味す
は、現在の市民社会のもとで、その具体的在り方
るドイツ語訳に淵源するものであり、すでに中世
の欠陥と限界を批判し克服する≪批判的主体をい
ドイツ語にも存在し、ルターの独訳聖書にも用例
かに形成するのか≫を探求したものである。すな
がみられる。この語は「他のものにする」ことが
わち、第Ⅱ部のヘゲモニーに関する理論的研究を
本義であるが、ここから転じて、主体的・能動的
経由した、市民社会における対抗ヘゲモニー形成
であるはずの人間が自ら生み出したものと疎遠な
のための≪政治の技術論≫である。この体系構成
関係になっている状態をいう。さらに一般的に、
においては、第Ⅰ部は、第Ⅱ部および第Ⅲ部のた
主体的なものが「非本来的な在り方」になってい
めの基礎論の位置を占めている。従って、批判的
る状態を総称して「疎外」という言葉で呼ばれて
主体の生成論としての生涯学習論の体系の理論的
いる。
な基礎付けの成否は第Ⅰ部の批判的疎外論の妥当
2
性にかかっている。
思想的系譜
批判的疎外論の人間観を、すなわち、人間本質
疎外の思想はフィヒテ(Fichte, J.G)、ヘーゲ
を「人間はこの世において、疎外され「受苦的」
ル(Hegel, G. W. F)らのドイツ古典哲学者から
な存在である。だが同時にこの疎外を意識化し、
展開された。フィヒテは、先述の Entäusserung と
それを超えようとする「情熱的」な存在でもあ
いう語を用いて、神が自己を外化して人間のかた
る」(『原理論』P.
50)と捉える。一方、「グラム
ちとなったという聖書の立論を逆転させ、人間が
シの思想と教育学の間―自著『人間の疎外と市民
自分の内なるものを外化して神を定立するのだと
社会のヘゲモニー―生涯学習原理論の研究』の紹
説き、後述のフォイエルバッハ(Feuerbach,
介を兼ねて」(『LA CITTA FUTURA
(未来都市)』
A)の宗教批判の先鞭をつけたのであった。さら
第38号、東 京 グ ラ ム シ 会 会 報、2
006年)に お い
に、フィヒテの疎外論は、意識の自己外化によっ
て、この人間観は「マルクスから学んだ人間の本
て絶対精神に至るというヘーゲル哲学の先駆とも
―6
0―
L.
黒沢惟昭
疎外論の再審
なっている。
6
1
内包していたというトートロジーに陥るのであ
る。この難点の打開のためには、主体概念の捉え
3
ヘーゲル
返しを行いつつ、ヘーゲル疎外論の発展的な継承
ヘーゲルにおいては、Entäusserung(外化)と
が必要になる。
Entfremdung(疎外)は述語としては区別して用
いられている。ヘーゲルが Entäusserung という語
4
ヘーゲル左派
をはじめて用いたのは『イエナ実在哲学』におい
この任務を引き受けたのはヘーゲル左派であっ
てであり、それは労働論の文脈で論じられてい
た。その一番手シュトラウス(StrauΒ, D)は、
る。つまり彼は人間の労働を<此岸的な自己物化
ヘーゲル哲学を一層推し進め、万人は神の受肉体
(外化)>と規定したが、労働の場における外化
であること、この受肉した存在以外に神なるもの
と回復の論理構制を彼岸的な精神の自己外化(疎
はありえないと主張した。これを受けて、やがて
外)と自己獲得という普遍的な論理展開に活用す
主語と述語とを完全に逆転させて神とは人間の本
る。ヘーゲルによれば、唯一の実在は精神・理念
質であることを見抜いたのはフォイエルバッハで
とされるが、この精神は、それ自体としては自立
あった。彼はヘーゲルの精神に感性的・自然的人
することができない。そこで自己の外部に本質を
間を対置する。この人間観のもとに、神とは人間
外化するが、やがて精神はこの外化された対象=
自身の理念化したものであるのに、人間がその神
自己表現のなかに自己を承認しなくなる。このと
を崇めて跪いていると説く。
(『キリスト教の本
き、外化された精神は本来の精神とはよそよそし
質』)。「主」であるべき人間が自ら創り出したも
い(fremd)関係にあるとされている。このよう
の=対象化したもの(神)が、逆に「主」となっ
な精神の活動の構図がヘーゲルにおける「疎外」
て人間が従属しているという構図、これが宗教に
(「外化」)である。しかしヘーゲルにとっては
おける「人間の疎外」である。しかし、こ の 場
「疎外」
(「外化」
)は精神の発展のために超えな
合、疎外が宗教(意識)の領域にとどまるかぎ
ければならない過程、すなわち、精神がやがて自
り、主体であるべき人間が疎外の構造(秘密)を
己を意識として自立的な自己になりゆくための不
自覚することによって疎外の回復は可能となる。
可欠な“体験”の一齣なのである。こうして疎外
しかし、ヘーゲル左派の思想的大枠をいえば、た
を克服し た 精 神 は つ い に「絶 対 的 精 神」
(abso-
んにフォイエルバッハ流の宗教批判だけでなく、
luter Geist)に達し、主・客の統一、融合を体現
この疎外の論理構制を政治・経済・社会の場面に
することになる。(『精神現象学』)。社会的レベル
も拡大していたのである。因みに、ヘス(Hess.
においても、愛の共同体である「家族」は人論
M)はキリスト教において人間が神に外在化する
(Sittlichkeit)の疎外態としての「市民社会」を
ことから類推して、人間が貨幣に外在化すること
経過(疎外からの「回復」のプロセス)して、倫
自体を人間の疎外と捉えた。ただし、彼は人間の
理の実現した「真の共同体」である「国家」に至
疎外を生産におけるよりも流通において捉えたた
ると説かれる。(『法の哲学』)
めに疎外の論理はあっても疎外からの回復の論理
要するに、ヘーゲルの疎外論の要諦は意識が対
はみられないのである。その場面を積極的に推し
象として見出す定在が意識自身の活動によって生
進めたのはマルクスであった。なお、ヘーゲル左
成したもの、意識の疎外態にほかならないことを
派の殿将ともいうべきシュティルナー(Stirner,
確認し、そのことにおいてその階梯での主=客の
M)に至ると、神・国家・社会のみならず、フォ
対立を、疎外を媒介として揚棄することにかかっ
イエルバッハのいう、主体としての<類的人間>
ているといえよう。たしかに、この論理構制は壮
もまた、真正なる実在的個体の疎外態であると捉
大であり、普遍性をもっているが、一方で思弁に
えられることになる。
陥っているという批判も免れない。つまり、彼は
個別から出発して普遍への展開を説こうと努めな
5
がら、アポリアに至ると、個別はもともと普遍を
―6
1―
マルクス
宗教(意識)における人間の自己疎外の論理構
6
2
長野大学紀要
第3
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0
9
制を政治・社会批判に移して、つまり旧来の社会
の社会のあらゆる関係を規定し、資本家でさえも
体制に対する社会主義的批判を疎外論と結合させ
この関係から逃れることはできないのである。
ようと志向したのは、ヘーゲル左派の一員である
と こ ろ で、マ ル ク ス は『ド イ ツ・イ デ オ ロ
初期のマルクスであった。彼の社会観は、まず
ギー』(184
5―47年)以降、ヘーゲル左派の疎外論
ヘーゲルの市民社会・国家論を継承することから
からの転換を図ったという説がある(廣松渉)
。
出発した。その後、フォイエルバッハの唯物論及
この説によれば、疎外論はある本質(あるべき人
び宗教批判の方法に学び、国家は人間の共同性の
間)を想定しそこからの逸脱を説くという構制で
疎外態であることを喝破し、市民社会こそ人間が
あるが、そうした考え方は物象化された観念で
現実に生きる社会であることを洞察する。歴史は
あって、現前に存在するものは個々の人間が分業
人間の対自然の協働関係=労働によって生成され
という形態で互いに協働しあう関係の連関態でし
ること、しかし市民社会においてはその労働が疎
かない。あるべき本質とはその人間の協働関係が
外され、人間の完全な喪失が一般化している事態
反照され、物象化されたものにすぎないのだと説
を次のように論ずる。
かれる。事実マルクスの中・後期の著作には「疎
マルクスによれば、人間はまずなによりも自然
外」という語は少なくともキー概念・述語として
存在として捉えられる。すなわち、人間は一方で
は用いられていない。初期マルクスの実体概念と
自然の秩序に属すると同時に、他の自然存在と異
しての「疎外」論から中・後期の関係概念として
なり目的意識的に自然に働きかけ、自然を改変す
の「物象化」論への転換説が提唱される所以であ
る(労働する)
。その過程において人間は同時に
る。たしかに、後期のマルクスが貨幣や私有財産
自己の内なる自然をも変革し、諸能力を発展させ
を<疎外>論的発想で論じたり、共産主義の理念
ていく。マルクスの人間観は、神の被創造物とし
の本質の奪回という論理で説いたりはしなくなっ
ての精神的存在でもなく、まさに「人間的自然存
たが、しかし、その事実ははたしてマルクスが疎
在」なのである。これがマルクスにおける人間、
外論的論理構制そのものを捨て去ったことを意味
自然、労働の本来的な在り方である。
するのか否かについては、現在なお解釈が分かれ
ところで、現実の社会での人間の在り様はどの
るところである。(次節参照)
ようになっているのか。マルクスは「疎外された
労働」(『経済学・哲学草稿』
)において人間の現
7
現代において疎外が脚光を浴びたのは1923年の
存を自らの疎外論を集約しつつ展開する。
!
疎外論の推移
私的所有を前提とす
ルカーチ(Lukács, G)の『歴史と階級意識』が
る社会では、労働者がつくった生産物は労働者に
刊行されたとき、そして1932年に『経済学・哲学
属さない。彼は労働生産物をつくればつくるほ
草稿』の公刊の際であった。後者の場合には、マ
ど、自らより安価な商品と化し、ますます窮乏化
ルクーゼ(Marcuse, H)がマルクスの疎外論に着
せざるをえない。
目してヘーゲルの労働論との関係に言及したこと
"
労働生産物からの疎外
労働生産物が他人の所有物
が注目される。その後、一方でスターリン時代
になると同時に労働者の生命発現としての活動も
が、他方でファシズム体制が続いたためもあっ
外的な強制的労働となり、彼はそこで不幸を感じ
て、疎外論研究は十分に進展したとはいえない。
労働からの疎外
大戦後に至っても、ソ連のマルクス研究や、そ
る。すなわち労働者は自己を喪失する。
#
人間は個体的な存在で
の影響下のいわゆる「ロシア=マルクス主義」の
ありながら普遍を意識する。すなわち人間は類的
潮流のなかにあっては、疎外論研究は低迷をきわ
存在なのであるが、この類的存在としての人間活
めた。ただし、ルカーチ、コルシュ
(Korch, K.)、
動が疎外されているために、類的活動は個人生活
あるいはフランクフルト学派に属するホルクハイ
の手段とされる。
マー(Horkheimer, M)
、アドルノ(Adorno, T. W)
$
類的存在からの疎外
これは以上3つの疎外の帰
ら、「西欧マルクス主義」と称される研究者の間
結として説かれる。労働者の自己疎外の事実はこ
ではマルクスの疎外論を重視する動きがみられ
人間からの疎外
―6
2―
黒沢惟昭
疎外論の再審
た。ところが、1950年代後半以降、スターリン批
判を機縁として「ロシア=マルクス主義」の権威
二 疎外論と物象化論の検討
私なりに把握した疎外概念の総括については、
の低下もあって、疎外論的研究は新しい段階を迎
えるに至った。すなわち、疎外論の論理構制がマ
6
3
前節に記したので参看されたい。
ルクスの全思想においていかなる位置と意義を占
旧来の疎外論克服のためには、さしあたって2
めるのかという問題が中心に論じられるように
つの関連する課題が浮上する。1は存在論的疎外
なったのである。すでに一端を述べたように、疎
論の再審であり、2は、物象化論との関連であ
外論は初期のマルクスの思想であって、後期の思
る。
想は一種の堕落であるという見解もあれば、疎外
論は後期のマルクスにおいてはただちに乗り超え
1
存在論的疎外論とグラムシの思想
られた単なる過渡的なものにすぎないという説
存在論的疎外論とは、人間主体が外化し疎外さ
も、様々なヴァリアントを伴いつつも依然として
れながら再び自己回復を遂げるという予定調和的
後をたたない。この2つの論点をめぐっては、現
な物語に帰結する疎外論である。今村仁司によれ
在に至っても定説の確立をみていないというのが
ば、この物語はヘーゲルの『精神現象学』に始ま
現状である。
り、サルトルの『弁証法的理性批判』で頂点に達
するという(1)。
8
疎外論の再興
因みに、私の疎外論研究は、ヘーゲルからフォ
ところで、近年ベルリンの壁に続いてソ連邦も
イエルバッハを経てマルクスへと至る思想史のな
崩壊し、マルクス主義の権威は一挙に瓦解したか
かに疎外の概念を検証し再構成したものである。
のようにみえる。しかし、グローバルな環境問
たしかに、社会の否定的な事実や人間の苦悩の所
題、南北格差、民族紛争など世界各地で非人間化
在を指差する批判的疎外論を内実としている。し
現象が拡がっている。支配・被支配の構造も階級
かし、ヘーゲルの「具体的普遍」の現実態として
一元論で説明できるほど単純ではなくなっている
の「プロレタリアート」
(マルクス)によって、
ため、広い意味での疎外の問題の検討とその解決
究極に疎外が回復されるのだと主張した限りで
がいまこそ迫られていることは論をまたない。こ
「ハッピーエンド物語」に通ずる面があった。と
れに対応して、マルクス主義ではなく、現代社会
りわけ、社会主義国家の崩壊以降、この点の再検
学においても、社会心理、社会病理、産業労働な
討を痛感している。小論もそのための考察であ
どの分野で疎外概念が重要な意味をもち、それな
る。
存在論的疎外論の問題点を敷衍し、超克の道に
りの蓄積もみられる。これらの蓄積がそれぞれの
場面でどの程度に疎外からの回復に有効であるか
ついて述べてみたい。
は詳らかではない。現代社会の諸分野までに拡散
ヘーゲルの「具体的普遍」のプロレタリアート
した疎外の準拠点は、すでにみたようにヘーゲ
への転成については初期マルクスのゲルマン共同
ル、とりわけマルクスの思想とその疎外概念で
体への関心があった。しかし、その後マルクスは
あった。昨今においてはそのマルクス主義文献に
ヘーゲルの歴史哲学構成に学び唯物史観を練り上
おいても<疎外>概念が複雑・多岐になっている
げてゆく。つまり、自由の理念と展開というヘー
一端もすでに考察したところである。したがって
ゲル的解釈による歴史観をマルクスは階級闘争に
現代の疎外の概念を捉えるためには如上の複雑な
よる社会主義社会、コミュニズムの実現こそが歴
状況を勘案しつつ、それぞれの思想的文脈に応じ
史の意味であると置き換えたのであった。要する
て含意を汲みとり概念化する知的営為が求められ
に人間活動の目的はこのコミュニズムの実現であ
ている。(初出「疎外」・『教育思想事典』勁草
るという主張である。哲学はこの歴史の意味を明
書房、2000年)
らかにし、かつ彫琢し、哲学を身につけた知識人
が労働者大衆に歴史的意味を教えるのだと説かれ
る。労働者大衆は、この歴史的使命に目覚めてひ
―6
3―
6
4
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9
たすらコミュニズムの道を辿ればよいのだとされ
「意味」が判明し、それに基づいて歴史は生成さ
たのである。単純化していえば、歴史の意味、目
れると考えられた。彼の「実践の哲学」の立場か
的は既に確定されていて、人間の実践はそれに向
らいえば、少数エリートによって未来社会が予め
かって進むだけでよいのだ。それは、それ自体で
確定され提示されるとは考えられないのである。
は意味をもたない、目的のための手段に過ぎない
人間の実践・行動は目的遂行のための手段ではな
! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
く、それ自体が有意味とグラムシは考えた。
とみなされたのである。その結果、その目的を自
覚した少数“知識人”が未だ無自覚な多数の大衆
彼もまた、マルクスと同じく、人間の本質が国
を啓発し目的を教化するという定式が一般化す
家に疎外されていると考える。つまり、新しい社
る。その“知識人”とはヘーゲルにおいては普遍
会を構想し、それを創り出し、運営していく能力
的身分としての官僚であり、マルクスにおいては
など、人間の本質が国家に奪われていることを
プロレタリアート、レーニンにおいては党、つま
ヘーゲル、マルクスから学んだ。しかしこの疎外
り党官僚となった。そこに決定的に欠如している
の回復を、国家の官僚による救済(ヘーゲル)や
のは、差異による個々人が相互に議論しつつ共同
プロレタリアートの自己解放(マルクス)に求め
性を拡げ、そうした営為によって未来社会を創出
なかった。そうではなくて、市民・大衆によるヘ
しようとする大衆―普通の人々の自立性と主体性
ゲモニーの拡大・深化に求めた。彼は、これを
である。これは89年のベルリンの壁の瓦解以来の
「国家の市民社会への再吸収」と定式化する。こ
社会主義の崩壊で明らかにされた教訓である。
れは前述のように、国家に疎外されている人間の
もちろん、以上の総括がスムーズになされたわ
本質を再び市民社会に奪いかえす不断の努力の意
けではないが学生時代以来の初期マルクスへの関
味である。支配・被支配のせめぎあいによって構
心と研究蓄積が大いに役立ったことは幸いであっ
成されている現存の可視・不可視の「秩序」を、
た。ベルリンの壁の崩壊のショックは、グラムシ
自由に基づく「新しい秩序」に組みかえる日常の
へのあらたなる関心へとつながっていった。グラ
実践である。このためには全ての人が知識人にな
ムシの思想については、拙著『現代に生きるグラ
らなければならないとグラムシは説く。それは、
ムシ・市民社会のヘゲモニーの思想と現実』
(大
より意識の高い人々とそうではない人々との絶え
月書店、2007年、以下『グラムシ』と略記)第Ⅲ
ざる知的・感性的交流によって遂行されるとグラ
部に記したのでここではマルクスとの違いに限定
ムシは主張する。
「ヘゲモニーは全て教育的関係
して述べてみよう。
である」。このグラムシの章句はこの辺の事情を
ヘゲモニー、市民社会をキーワードに新しい時
よく表している。
代における疎外回復の方法を構想・提示したのは
以上にみられるように、ヘーゲルの「具体的普
グラムシであった。彼もマルクス、レーニンを継
遍」の現実体(具現体)としてのプロレタリアー
承し、一時は、工場における労働者権力の確立―
トの自己解放によって疎外が回復されるというマ
労働者の自治と主体性の回復―を目指した(
「工
ルクスの主張、それに基づく「至福千年を夢み
場評議運動」)が、その挫折の経験から生産点だ
る」存在論的疎外論の限界は如上のようなグラム
けでなく、生活圏をも含む広範な市民社会全域の
シの思想によって超克される道が開かれたのだ。
「ヘゲモニー」による新しい社会形成を構想した
予めこのことを確かめておきたい。
なお、つけ加えれば、疎外論研究については、
のであった。
しかし、それはマルクスが「歴史的必然」とみ
内田義彦の研究(とくに、同氏の『資本論の世
なしたコミュニズム社会をプロレタリアートの独
界』<岩波新書、1966年>は注目される)を無視
裁によって実現しようという構想ではなかった。
することはできない。氏の疎外論解釈の功績は人
そうではなくて、市民社会をベースにしてその存
間の自己疎外という平板な主張をのりこえて、社
立要件の拡充・深化によって、市民相互の討議
会全体の動学過程のなかに疎外の現実態を了解し
(知識人と大衆の相互交流によって、全ての人が
ようとしたことである。
(この点の詳しい考察に
知識人になること)によって、その過程で歴史の
ついては拙著『グラムシ』「序章」「動態的疎外論
―6
4―
黒沢惟昭
疎外論の再審
への前哨」を参照されたい)
6
5
う。
一方、山之内靖は、こうした廣松物象化論をフ
2
疎外論と物象化論
ォイエルバッハ研究を主軸としながらつとに批判
次に、物象化論について検討しよう。廣松渉が
を展開してきたことでよく知られる。同氏は最
マルクスの再解(改)釈によって疎外論の根底的
近、私宛の書簡で、
「二○世紀後半は、物象化論
批判を志向したことはよく知られている。その視
が盛行したが、二一世紀は疎外論の時代である
軸が物象化論である。氏の物象化論の要目の理解
……とりわけ、マルクスの『経哲草稿』の 精 読
のためには、廣松渉『物象化論の構図』
(岩波書
を!」と熱っぽく述べておられる。そうした提起
店、2001年)がハンディで便利である。
を受けて私は氏の旧著の再読を試みざるをえな
廣松は『ドイツ・イデオロギー』の厳密な原典
クリティークと、
「フォイエルバッハ・テーゼ」
かった。その中から、重要と思われる章句を抽き
出してみよう。
に基づきマルクスの関係主義の立場を徹底化さ
「疎外論とは、理性・悟性のレヴェルにおいて
パラダイム
せ、物象化論によって近代超出の論理を提起し
すでに内在していたところの、理性・悟性と自然
た。注目すべきは、この新しいパラダイムが後期
的感性の両モメントの分裂が顕在化し、キリスト
のマルクス、何より主著『資本論』にまで貫徹す
教という合理化された宗教体系(=価値・規範的
るのだと氏が説くことである。その該当箇所は次
拘束性)において、前者のモメントが後者のモメ
の通りである。
ントに対立する疎外態として現出する脈略を指し
「商品形態の秘密はただたんに次のうちにあ
(4)
。なお、この文脈で山之内はフォイエ
ていた」
る。すなわち、人間にたいして、商品形態は、人
ルバッハの主要概念、「『受苦』的存在」にこだわ
間自身の労働の社会的性格を、労働生産物そのも
りつつ次のように解説す る。
「決して単純素朴
のの対象的性格として、これらの物の社会的属性
な、生のままの自然感性を現すものではない。そ
として反映させ、したがって、総労働にたいする
れは外的自然や他者としての社会集団を、工学的
生産者たちの社会的関係をも、彼らの外にある諸
・技術的論理性に従って効率的かつ合理的に再編
対象の社会的関係として反映されるということの
してゆこうとする道具主義的理性を拒否し、理性
(2)
自体が、人間存在の部分性・制限性という場の中
うちにある」
廣松によれば価値成立に関わるこの物象化的錯
で作動すべきことを、自ら宣言する立場であった
視は、特殊経済的現象だけでなく、あらゆる文化
……それは、端的にいえば、物理的生産能力の発
的、社会的事情にも妥当するものだという。私が
展の彼方に『自由の王国』が現れるとするたぐい
その教育面の事象を解明したいと念ずる所以であ
の啓蒙主義的妄想(マルクス『三位一体範式』
る。後論のために氏による物象化の定義の一例を
『資本論』第三巻)が現れるであろうことを予想
以下に引用しておく。
し、これに対してあらかじめ警告を与えるもので
「人びとの間主体的関与活動の或る総体的な連
(5)
あった」
関態が、当事者的日常意識には(そして、またシ
以上に見られるような、フォイエルバッハの
ステム内在的な準位にとどまっているかぎりでの
「疎外論」宣揚の立場から、山之内は廣松の物象
体制内的“学知”にとっても)、あたかも物どう
化論を批判するのであるが、以下では紙巾の制約
しの関係ないしは物の性質ひいては物的対象性で
もあり結論部分のみの引用にとどめたい。
あるかのように映現するということ」
「このフュ
「氏(廣松―引用者)の変革論=未来社会論
ア・ウンスな事態、それがマルクスの謂う『物象
は、フォイエルバッハの『受苦的存在』と比ぶべ
(3)
化』なのである」
き精神的変革に言及することのないまま、いささ
私なりに言えば、学知的(für uns)に は 一 定
から離れて自存的に存在しいているかのように普
か安易に『必然の王国』から『自由の王国』へと
! ! ! ! ! !
(6)
いう、いかがわしい論点と結びついてしまう」
! ! ! ! !
要するに、廣松の物象化論には現代の疎外をの
通人には(für es)映る事象、ということになろ
り超える契機があるのか、という反論である(後
の関係内でしか生じる筈のないものが、その関係
―6
5―
6
6
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9
!
論を参照されたいが、山之内の批判は物象化論の
興」を企画した大著『受苦者のまなざし―初期マ
批判ではなく、その前提である、初期マルクスと
ルクス再興』
(青土社、2004年)を公刊された。
後期マルクスの切断による廣松のマルクス思想の
通読して若き日の意想を一貫して追究し、その成
帰結についてである)
。私なりにあえていいかえ
果を現代の「希望の原理」
(あとがき)として呈
れば、フォイエルバッハの「受苦」
(的存在)の
示しようとする著者の壮図と心意気には敬服す
概念を軽視したために、物象化論は終に存在論的
る。しかも、私が近年の諸研究を充分に視野にい
疎外論(前出)に通底する論理に陥っているの
れて考察できなかった『経済学・哲学草稿』の多
だ、というのが山之内の批判である。ここで、念
面的視野からの傍証に基づく、考察には多くを学
のために後論を援用して山之内の廣松批判を大胆
んだ。とりわけ同書のキー・コンセプトともいう
に要約しよう。廣松は、後期マルクスを宣揚し、
べきフォイエルバッハの「受動的受苦」の意味に
物理的生産力の発展によって「自由の王国」が出
ついて執拗なまでのこだわりとその概念が内包す
現し、それによって人間疎外が解消されると説
る現代的批判の視座について教示を与えられたこ
く。事態は、しかしそれほど単純ではない。生産
とに御礼を申し上げたい。しかし、本書の旧稿
力の発展は、自然環境を破壊し、それに根ざす文
(第一章∼第三章)と新稿(序章、第四章及び
化的アイデンティティを喪わせている。それに気
「結び」
)との間には、矛盾もみられ、さらに論
づき回復するためには、初期マルクスにみられた
証抜きの断定もみられる。(植村邦彦(<研究動
フォイエルバッハへの共感に基づく「受苦」への
向>唯物論と自然主義をめぐって〔二〇〇四〕年
まなざしが必要なのだということである。
のマルクス」(『社会思想史研究』No.
29、2005、
未だ山之内の批判の根底部分を充分に捉えてい
参照)
。さらに、肝心の廣松物象化論の批判につ
ないのであるが、廣松の説く「物象化」された世
! !
界の展開(パラダイムチェンジ=物象化の克服)
! ! ! ! !
については如上の限り山之内の批判に妥当性があ
いては、前述した以上の論及を読みとることはで
るように思える。だが周知のように廣松は、主著
因みに廣松の『生態史観と唯物史観』に対する山
『存在と意味』を完結することなくこの世を去っ
之内の書評<『週間読書人』1996年9月22日号>
た。おそらく未完のプロジェクト『存在と意味』
を入手し、併読したがそこで関説される「物象化
の第三巻において如上の論点をより明確に論ずる
論」について も、同 様 の 感 想 を 抱 い た。(因 み
ことを意図されていたのであろう。いまはそれを
に、エコロジーと廣松哲学については物象化論・
確かめる術はない。生前学恩を受けた者の一人と
疎外論の追究のためになお考察を深めるべき今後
してその課題を今後も引き継ぐべきと考えてい
の課題であることは拙著『原理論』の「はじめ
る。
に」においても記したとおりである。山之内の廣
なお山之内は以上に一端をみた疎外、受苦的存
在の概念を一層敷衍して「システム社会の構制」
とそこにおける「疎外の現在」の解明及びその解
放の可能性について言及している。以下の2つの
きなかった。同書の主眼はそこになかったのかも
しれないがこの点に関しては残念なことである。
松批判については後論も参照されたい。)
三 疎外論の展開への前哨
―山之内靖『受苦者のまなざし―初期マルクス再
興』の検討―
書と共訳書も大枠としてこれらの課題を扱ってい
るので参照されるべきであろう。山之内靖『シス
1
受苦者のまなざし
テム社会の現代的位相』(岩波書店、1996年)、同
以上、1.存在論的疎外論の帰結、2.
物象化論
『マックス・ヴェーバー入門』
(岩波書店、1
997
(実は初期マルクスの切り捨てによって物象化を
年)、ア ル ベ ル ト・メ ル ッ チ 著、山 之 内 ほ か 訳
確立した廣松の理説)の限界を検討したが、いづ
『現代社会に生きる遊牧民(ノマド)―新しい公
れも現代の疎外に対して有効な解決を見出すこと
共空間の創出に向けて』(岩波書店、1997年)
はできていないことを確めた。さらに以下では山
ところで、山之内は、70年代に執筆された旧稿
之内の近著を手がかりにして論点を深めたい。
を前提に、現代的観点からマルクス主義の「再
―6
6―
山之内の『受苦者のまなざし―初期マルクスの
黒沢惟昭
疎外論の再審
6
7
再興』についてはいづれ改めて検討を試みるつも
欠如のために、
「初期マルクス」の放棄は誤りで
りである。ここでは小論のために要点を検討す
あったことを批判する。いいかえれば、山之内が
る。(カッコ内に前掲山之内書のページを記す)
強調する「労働者の解放」よりはるかに根源的な
本書を検討の対象にとりあげた理由を予め述べ
意味をもつ「労働の廃絶」という主題は「後期マ
ておきたい。私は疎外を初期・後期マルクスの思
ルクス」においても持続されたのであるが、本書
想を一貫するものとして把える。その論点の中心
(前掲山之内書)が全体を挙げて論証に努めたよ
は「受苦的」「情熱的」の概念である。山之内は
うに、
「初期マルクス」におけるフォイエルバッ
「受苦的」をキー概念にしながら、後期マルクス
ハ由来のこの主題は、
「後期マルクスではその経
はこの考えを捨て去ったと主張する。
(とくに、
済還元主義によってすっかり変質してしまったの
序章、第四章及び「結び」を参照)。本書から多
である。」(P.
14)
くを学んだが、この山之内の見解は私と大きく異
なる。以下、この差異を山之内書によりつつ、明
2
らかにしたい。
初期マルクスと後期マルクスの切断
ところで、6
0年代中葉以降、マルクスを出発点
山之内は次のように告白する。
「レーヴィット
として社会科学や歴史学の潮流におおきな変動が
からマルクスの背後にある『疎外』というテー
生じたが、その中心はアルチュセールであった、
マ、ヴェーバーの背後にある『合理化』と『脱魔
と山之内は述べる。その中心点は、後期マルクス
術化』というテーマを継承してきた私からする
の初期マルクスからの切り離しと純化である。同
と、1960年代以降のマルクス研究が示したなりゆ
じ時期に日本では、廣松渉が登場し、マルクスの
きは、まったく意に沿わないものであり続けた。
「フォイエルバッハに関するテーゼ」
(1845年)
アルチュセールや廣松渉によって主導されたマル
にみえる「社会的諸関係の総体」の発言をとらえ
クス解釈は、私の心を動かすものを何ももっては
て「後期マルクス」への移行を提唱した。さらに
いなかった」(P.
1
1)。さらに、山之内の告白を
廣松は、『ドイツ・イデオロギー』(1846年)以前
続けよう。「市民社会派系のマルクス主義につい
とそれ以降のマルクスを切断し、
『経済学・哲学
ても、おおきな疑問を抱かずにはいられなかっ
草稿』はマルクスにとっては習作以上のものでは
た。というのも、梅本克己(
『唯物史観と現代』
ないと断じた。
(以上、PP.
19∼20参照)。アルチ
1974年、岩波新書)や平田清明(「『自由の王国』
ュセールや廣松の「初期マルクス」の切り捨て
と『必然の王国』」『思想』1972年7月号らが『経
は、論理性の体系の高度化というプラスの反面、
済 学・哲 学 草 稿』第 三 稿 に み ら れ る「受 苦」
歴史的現実からの乖離というマイナス面を伴った
(Leiden)について、これをマルクスは克服すべ
ことを山之内は批判する。いいかえれば、「近代
き課題として提示したのだ、と解釈していたから
において成立した科学の概念を歴史的に相対化す
である……。これはまったくの誤読である。
「受
る」(P.
25)ことの必要性の提言である。その歴
苦」の論点は当時のマルクスがフォイエルバッハ
史的課題とはなにか。山之内によれば、それは、
から継承してきた感性論的唯物論の中心命題であ
グローバリーゼーションの時代における「自然環
り、決して克服すべきものではなかった。むし
境に根ざした社会関係、自然環境に根ざした文化
ろ、資本主義的市場経済社会がもたらす疎外を脱
的アイデンティティ」
(P.
43)である。その一例
却することができるとすれば、そうした未来社会
として、山之内が不登校児やその親たちの「反管
における人間は対自然関係において、また、社会
理の場」に注目し、そこに「受苦者の連帯」の一
的相互関係において、この「受苦」を感性の本来
環をみてとろうとする。この新たな空間は、意図
あるべき次元として「回復」すべきなのだという
せずして「管理社会を支える専門家の論理と役割
こと、これが『経済学・哲学草稿』第三草稿の論
への疑義」を生じさせ、ここから「地域コミュニ
点であった(P.
12)
ティの新たな役割と可能性を模索する運動が展開
こうして、山之内は、市民社会派、アルチュ
してゆく」(P.
47)と山之内は指摘する。
セールとともに廣松渉の場合も「受苦」の論点の
―6
7―
『経済学・哲学草稿』第三草稿には「受苦的存
6
8
長野大学紀要
第3
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0
0
9
在者」の「まなざし」がみられたのであるが、
うに思えた。マルクスの研究者の多くはこの点を
「後期マルクス」においては排除されてしまっ
批判したのは周知のところである。こうした見解
た。したがって、現代の課題にこたえるために
にたいして山之内は次のように反論する。
「フォ
は、以上のような意味において、初期マルクスへ
イエルバッハによって捉えられた人間の完全さと
還り、「受苦者のまなざし」の意義を「再興」し
それへの賛美は(「抽象的」の別表現と捉えても
なければならないのだ。これが本書における山之
よい―黒沢)、あくまでも人間を人類全体の立場
内のライトモティーフである。たしかに、山之内
において『類』として捉えた場合に限定されてい
が、不登校児やその親たちの「反管理の場」に
るのであって、このことは十分に銘記されるべき
「受苦者の連帯」の一端をみてとろうとするのは
事実なのである」「有限で受苦的な個人としての
鋭く、共感を覚える。しかし、植村が指摘するよ
人間が、個としての立場においてそのまま類と同
うに、「受苦者のまなざし」を特権化する山之内
一化することはあり得ないし、また絶対にできは
が提起するのは「世界像の転換」であり「近代科
しないという事実を、積極的かつ肯定的に受苦す
学を超える第二次科学革命」(山之内書、p.
38)
る立場、それがフォイエルバッハの基本的な立脚
であって、「現実の生活諸関係」の具体的なあり
点だということなのである」
(PP.
180∼181)。さ
方の問題ではない。
(前掲植村論文)
。初期マルク
らに山之内のフォイエルバッハ論を続ける。
スにのみ依拠している限り、
「ともに悩み苦しむ
「フォイエルバッハの出発点はあくまでも感性
存在であるのだから一緒に連帯しましょう。分か
的存在として現存している個々の経験的諸個人で
り合えるはずでしょう…」
(植村論文)の域を超
あ る。…こ の よ う な 感 性 的 存 在 だ け が 現 実 的
えることはできないのではないか。
(wirklich)である。…フォイエルバッハが理解
する現実性は、感性的な経験的存在としての諸個
3
フォイエルバッハ再考
人や自然を特殊性あるいは現象として捉え、普遍
本書で山之内が頻用する「受苦(Leiden)」な
的で理念的な本質(=絶対精神)のうちに包摂さ
いし「受苦的(Ieidend)」の説明について、山之
れ、こ れ と 一 体 化 さ れ た も の の み を 現 実 性
内は次のフォイエルバッハの文章を引用する。
! ! ! ! !
! ! !
「困窮に悩む(notleidend)存 在 だ け が、必然的
!
! ! ! ! !
な(notwendig)生 存 で あ る。欲求のない 生 存
! ! ! !
(bedürfnislose Existenz)は無意味な存在(überfI-
(Wirklichkeit)と 呼 ぶ ヘ ー ゲ ル の 場 合 と は、
まったく対立 的 で あ っ た」(P.
182)。し た が っ
て、フォイエルバッハにあっては、「人間的本質
としての『類』が先にあって個がその一部として
üssige Exitenz)である。欲求一般のないものには
!
また生存の欲求もない。……困窮のない存在は根
!
! !
拠のない存在である。悩むことのできるものだけ
!
が(Nur Was leiden Kann)存在に値する。……悩
! ! ! !
! ! !
みのない存在(Ein Wesen ohne Leiden)は存在の
! !
! ! ! ! !
ない存在である。悩みのない存在は、感性のない
! ! ! ! !
・物質のない存在(Wesen ohne Sinnlichkeit, ohne
理解されるのではない…有限なものに出発しなが
Materie)にほかならない」(「哲学改革のための
ル弁証法と哲学一般との批判」は、フォイエルバ
暫定的 命 題」岩 波文 庫、
『将 来 の 哲 学 の 根 本 命
題』所収、P.
110、Vorläufige Tesen zur Reforma-
ッハを念頭において、
「対象的な感性的存在とし
! ! !
ての人間は、一つの受苦的(leidend)な存在であ
tion der Philosophie, 1842, Ludwig Feuerbach, Ge-
り、自 分 の 苦 悩(leiden)を 感 受 す る 存 在 で あ
sammerte Werke, Bd. 9,1970Berlin, S.253)。この
文章のなかに、フォイエルバッハの人間観の本質
る」とのべ、人間もまた「動物や植物がそうであ
! ! ! ! ! !
るように、一つの受苦している(leidend)、制約
がもっともよく示されていると山之内は述べる。
をうけ制約されている本質である」(『経済学・哲
だが、フォイエルバッハ批判時点のマルクスに
学草稿』岩波文庫、P206,208)と指摘したのは
すれば、如上の人間観はいかにも抽象的であるよ
重要である。ここから山之内は、マルクスの立場
ら、それが有限な、限界をもった存在であるが故
に結び合わなければならない社会的関係を通し
て、初めて全体的なものが理解されるというこ
と」(P.
183)。これがフォイエルバッハの原理的
立場なのだと山之内は強調する。
このように考えれば、
『経哲草稿』の「ヘーゲ
―6
8―
黒沢惟昭
疎外論の再審
を次のように解説する。
6
9
教育、メディア、さらには学問研究にまでおよぶ
あらゆる社会的諸資源を国家目的達成のために動
4
「進化主義」への転換
員する総動員体制」
(P.
450)―に対しては全く
「マルクスはここでフォイエルバッハの唯物論
が内包する経験論的で自然主義的な側面をはっき
無力であるという批判である。私が汲みとった山
之内の廣松批判は以上のように要約できる。
り受け入れていたのである。しかし、この経験論
と自然主義が必然的に内包する受動的で非実践的
5
な側面に気づいていたマルクスは、人間のもつ主
体的で能動的な側面に気づいていたマルクスは、
共同主観性
叙述が前後するが、60年代末から70年代にかけ
て「物象論」によって日本のマルクス主義論壇を
ふう び
人間のもつ主体的で能動的な側面を方法的に基礎
風靡したのは廣松渉であった。それは、ルカーチ
づける必要にも迫られることとなったのであり、
がいうような疎外=物象化論とは根本的に異な
ここにヘーゲル『精神現象学』の再吟味が開始さ
る。疎外論の地平を超出するものとしての物象化
れることとなる。フォイエルバッハという対極的
論が廣松の根本意想である。さらにいえば、物象
な存在にいったん深く内在することを通して初め
化論によって、近代的認識論の地平をのり超えよ
て、ヘーゲルが内包する主体的能動性を真に評価
うとする志向である。氏の意想を要約すれば、
しうるようになるという、初期マルクスにおける
「主体」の二重性(二肢性)と「客体」の二重性
逆説的な思考」(P.
183)に留意を促す。ここで
(二肢性)、合わせて二重の二肢的連関構造が要
結論を図式的にいえば、
『経哲草稿』時代のマル
石になっている。つまり、
「私」はつねにすでに
クスは、フォイエルバッハの「受苦的」人間観へ
誰かとしての「私」であり、「ある物」は何かと
の共感を示しながら、ついには、
「進化主義的信
しての「物」である。こうして、世界は四つの連
念」「近代産業のもたらす産業技術の行方になみ
関(四肢的構造)なのである。ところが、近代認
な み な ら ぬ 可 能 性」
(P.
416)へ の 信 仰 の た め
識論はこの連関から一極のみをとり上げて図式化
に、フォイエルバッハの「受苦」の思想を第三草
するために近代をのり超えることはできないの
稿を転機として次第に捨てるのである。この進化
だ。この構想は、廣松の初期の論考「マルクス主
主義的信念を支えたものは、恐らくヘーゲルの
義認識論のために」(『マルクス主義の地平』勁草
『歴史哲学講義』であり、方法的支柱として援用
書房、1969年)のなかで提起され、その後、
『世
さ れ た も の は ヘ ー ゲ ル 弁 証 法 で あ っ た。
界の共同主観的存在構造』
『事的世界観への前
(P.
316,P.
416)
哨』(いづれも、勁草書房、1
973年)において体
以上のマルクスの思想の変遷を、多くのマルク
系化された。
ス解釈者たちは、初期から後期へのマルクスの
ところで、廣松の如上のような構想は、もちろ
「発展」とみる。つまり、
「フォイエルバッハに
ん氏の独創によるが、もともとマルクスの思想に
関するテーゼ」
、またこれを出発点として書き上
基づいている。前述したがそれは、
「フォイエル
げられた『ドイツ・イデオロギー』(1846年)に
バッハテ ー ゼ」『ド イ ツ・イ デ オ ロ ギ ー』を 経
よってマルクスは本来のマルクスになったのだと
て、『資本論』で完成されるのだと廣松は説く。
主張したのである。ヨーロッパにおけるアルチュ
(この点は、山之内が批判するところであること
セール、日本における廣松渉はその代表的論客で
もすでに考察した)
ある。(P.
454)
!
四 廣松物象化論の問題点
すでに指摘したように、山之内の廣松批判は、
その物象化論の論理的批判ではなく、その基盤に
―花崎皋平『マルクスにおける科学と哲学』を手
がかりに―
なっている思想―生産力主義、進化主義に対する
批判である。私なりにいえば、廣松が構想する物
1
社会性の「囚人」
象化論では新しい現代の疎外―「経済資源のみな
この物象化論を山之内とは異なる視界からつま
らず文化(あるいはアイデンティティ)や美学、
り、物象化論の論理自体を批判したのは花崎皋平
―6
9―
7
0
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9
である。花崎は、疎外派でも物象化派でもない立
! ! !
数的項であることは、
『人格』の現実態ではなく
場からマルクスを論じた哲学者であるが、それを
て、その物象化の側面の固定化であり、人間的個
主著『マルクスにおける科学と哲学』
(社会思想
体を非神秘化しつつ神秘化する。つまり、共同主
社、1987年とくに、第2章三「共同主観的協働と
観的『われわれ』を物神化しつつ、諸個人を匿名
歴 史 的 世 界−広 松 渉『マ ル ク ス 主 義 の 地 平』
性へと埋没させるかたむきをもつ」(P.
189)
−」。以下の引用後のカッコ内に本書のページを
付す。)によってみよう。
以上が廣松の共同主観性から導き出される「個
人」「人格」概念についての花崎の批判である。
認識論的には、花崎は廣松と同様に疎外論に批
判的である。「広松氏は、力学主義的・機械論的
2
生きた労働、対象化された労働
唯物論を『科学主義の典型的な一形態』とし、
一方、花崎は、廣松の「実践」についても批判
ヘーゲル、ヘーゲル左派の立場を『人間主義』の
する。端的にいえば、
「実践の弁証法が語られな
一典型として、両者の対立と相互補完の地平がマ
い」(P.
190)と い う こ と で あ る。つ ま り、
「『要
ルクス主義によってのりこえられたものとして、
綱』などにおいて、生きた労働と対象化された労
そ の の り こ え の 地 点 を、
『ド イ ツ・イ デ オ ロ
働という二項対立の追求をへて、労働力能、労働
ギー』と『フォイエルバッハテーゼ』に求めてい
力の概念が次第に彫琢され、それをまって価値論
る。そのこと自体には異論はない」
(P.
184)と
の全構成がさだまってくるさいのマルクスの思索
花崎はいう。
と発想」が 視 野 か ら 落 さ れ て い る か ら で あ る
しかし、花崎は廣松の「共同主観性」に異議を
(P.
192)。いいかえれば、構成された構造を客
呈する。つまり、廣松は−と花崎は以下のように
観的に分析するのではなく、その構造の発生をえ
述べる−「共同主観的協働を媒介としてフェノメ
ぐり出し、解体をめざすことが重要であると花崎
ナルにひらける世界を、主体一客体の二項関係に
! !
! !
おいてではなく、役割と意味を加えた四項関係で
は主張する。
と ら え よ う と い う」(P.
185)。こ れ に よ っ て、
みたが、すでに先にも触れたように、物象化論に
「主体一客体の図式における実体性の関係が解
は、それをのり超える論理が欠如しているという
以上に廣松物象化論の花崎による批判の要点を
体、止揚され、歴史性、社会性、共同主観性とし
私の批判を花崎は、
「生きた労働」と「対象化さ
て関数的関係へとうつされる」(P.
185)のだ。
れた労働」の二項対立の追求を経る、「労働力
廣松はこの共同主観を基軸にして世界の「存在
能」に着目することによって解決が可能になる方
構造」を捉える。そして、
「マルクスが『すべて
向を示唆した。この点は、前述したが、内田義彦
の社会生活は本質的に実践的である』というとき
が『資本論の世界』で試みた「生きた 労 働」と
のポイエーシス=プラクシスは、
『本源的に共同
「死んだ労働」の統一として初期マルクス(疎外
主体的な協働…である』」(P.
188)と廣松がいい
論)と後期マルクス(『資本論』)を統合するとい
きることに花崎は注目する。つまり、ここからす
う意想と通底するように思われる。しかし、
「書
ると諸個人は、この「共同主体的協働へ参加する
評」というスタイルのためもあって花崎の批判は
ことにおいて、規定された役割をになう」
「項」
体系的とはいえず「プログラム的」である(今村
とみなされる。
仁司前掲書参照)。
この よ う な 廣 松 の「社 会性 の 囚 人」
(コ シ ー
花崎の廣松物象化論に対する批判は以上にとど
ク)のような「人格」の把握に対して花崎は次の
める。ここからも、廣松物象化論は現代の疎外を
ように批判する。
「人間的諸個人は、所与として
超克する有効な理論たりえないのである。
の歴史的に特定的=現実的な連関の『一定の機能
のにない手』であると同時に、その連関に否定的
総括「受苦的」
「情熱的」人間の再審
に対処しうる潜勢力のにない手であるという具体
「はじめに」に記したように、疎外論は、私の
的統一」(P.
189)である。すなわち、
「否定性と
ライフワーク、
「生涯学習体系化論」の「要」の
しての潜勢力を含まない、たんなる機能連関の関
部分である。私はそれをマルクスの「受苦的」
、
―7
0―
黒沢惟昭
疎外論の再審
7
1
「情熱的」という概念を基軸に論じてきたが、フ
! ! ! !
おり、一つの活動的な自然存在である。これらの
ォイエルバッハとマルクスの関係についての新し
力は、人間のなかに諸々の素質、能力として、衝
い解釈(前掲山之内書)に接して、再検討の必要
動として実在している。他方では、人間は自然的
が生じた。小論はそのための考察である。
な肉体的な感性的な対象的な本質として、動物や
! ! ! ! ! !
植物がそうであるように、一つの受苦している
人間はこの世において、疎外され「受苦的」な
もある。私は、人間観、疎外論をこのように捉え
[leidend]、制約をうけ制限されている本質であ
! ! !
る。すなわち、人間の衝動の諸対象は、彼の外部
! ! !
に、彼から独立している諸対象として実在してい
てきた。ここでは、残された紙巾で、小論の総括
る。にもかかわらず、これらの対象は、人間の欲
を行いたい。
求の対象であって、彼の本質諸力が活動し自己を
存在である。だが同時にこの疎外(受苦)を意識
化し、それを超えようとする「情熱的」な存在で
私は、たしかに「疎外 さ れ る こと」と「受 苦
確証するためには欠くことのできない本質的な諸
的」とを同じ内容として捉え、この「受苦」
「疎
対象である」
(P.
206)。要約すれば人間は自己充
外」からの回復のエネルギーを「情熱的」と捉え
足的存在ではない。つまり「受苦的存在」である
た(7)。こうした私の理解には『資本論』の「窮乏
から、外部の対象(自然)に向い、それを獲得し
化」理論が前提されている。周知のように、資本
享受しなければ生存することができない。
主義的蓄積は必然的に労働者に「窮乏」(疎外)
ところで、この対象を獲得し享受する行為は労
をもたらすのであるが、労働者はそれ(受苦)に
働である。マルクスは、ヘーゲルの「外化」を援
対して受動的に甘んじているわけではない。反抗
用して労働を、「人間の本質として、自己を確証
しそれを超えようとする、意欲をもつ存在、つま
坂逸郎が理論的指導者として情熱をもってとり組
し つ つ あ る 人 間 の 本 質」
(P.
200)と し て 捉 え
! !
! !
!
る。すなわち、
「人間が外化の内部で、つまり外
! ! ! !
! ! ! ! ! ! ! !
化された 人 間 と し て、対自的になること[Für-
んだ三井三池の大闘争は以上のマルクスの人間観
sichwenden]である」(同)。し か し、「疎 外 さ れ
の実証 で あ る。
(『原 理 論』PP.
51−60参 照)
。そ
た労働」については小論の一節で概述したが、こ
の点に誤りはないであろう。ただし、これは『資
こにおいては、労働の実現は、
「労働者の現実性
本論』のつまり、後期マルクスの人間、疎外観で
剥 奪」(P.
87)と し て 現 わ れ る。彼 の 労 働 は、
ある。
「ある欲求の満足ではなく、労働以外のところで
りその意味で「情熱的」な存在でもあるのだ。向
しかし、初期マルクス、とくに『経哲草稿』で
諸欲求を満足させるための手段であるにすぎな
はどうであろうか。「受苦的」「情熱的」という言
い」(P.
92)。こ こ で 留 意 を 促 し た い の は「受
葉が対句のようにでてくるのは『経哲草稿』であ
苦」は対象に向うことではなく、対象化すること
! !
自体に変移していることである。
「受苦」という
! ! !
意味が変わるのだ。フォイエルバッハ的意味のう
る。そこにはこうある。
「対象的な感性的な存在
! ! !
としての人間は、一つの受苦的[leidend]な存在
である、自分の苦悩[Leiden]を感受する存在で
! ! !
!
ある か ら、一 つ の 情熱的[leidenschaftlich]な 存
えに「疎外された労働」という苦しみが新たに加
在 で あ る」(岩 波 文 庫、P.
208)。こ こ で、「受
苦」とは、「感性的」であることであり、「自分の
「受苦」がここでは決して解消するわけではな
! ! ! ! ! ! !
く、それが保存されながら新しい内容が加わるの
外部に感性的な諸対象をもつこと、自分の感性の
だ。前述した山之内の、初期マルクスを捨て後期
諸対象を も つ こ と」(同)と 同 義 で あ る。そ し
マルクスを宣揚するマルクス系研究者に対する批
て、「情熱的」とはこの「対象に向かうエネルギ
判は、この「保存」の面を軽視、無視した点にあ
ッシュに努力をかたむける」
(同)ことである。
る。また「情熱的」も、対象に向い、欲求を充た
! ! ! ! !
し、享 受 す る こ と だけでなく、「疎 外 さ れ た 労
いいかえれば、「人間は−とマルクスは以下のよ
! ! ! !
うに述べる−直接的には自然存在である。自然存
! ! ! !
在として、しかも生きている自然存在として人間
! ! ! ! ! !
! ! ! !
は一方では自然的な諸力を、生命諸力をそなえて
わるのだ。しかし、フォイエルバッハ的意味の
働」の回復へ向う意味も加わるのである。ただ
し、この面の考察は後期マルクスの『資本論』の
労働過程論をまたねばならない。つまり、人間の
―7
1―
7
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
自己疎外という平板な主張は、社会体の動学過程
"
MEW(Marx Engels Werke)Bd2
3、S.
7
7.
邦訳は大
のなかに疎外の構造が明らかにされる。
(前掲内
月書店版『マルクス・エンゲルス全集』
(1
9
5
6−1
9
8
9
田義彦『資本論の世界』参照)この分析をベース
#
$
年)によった。
%
&
'
P.
2
2
7。
に労働者の反抗の意味を動体的に解明しようとし
たのが前出の「窮乏化」理論である。ここでは、
「受苦」「情熱」の意味が敷衍されるが、フォイ
エルバッハ的意味が解消されたのではない。保存
されながら、展開したのである。いいかえれば、
初期マルクスと後期マルクスの結合である。私の
生涯学習体系の原理に据えられる「受苦的」
「情
本文前掲『物象化論の構図』P.
6
6。
山 之 内 靖『社 会 科 学 の 現 在』未 来 社、1
9
8
6年、
同上、PP.
2
1
9
‐
2
2
0。
同上、P.
2
2
8、傍点原文。
木畑壽信は拙著『原理論』の書評をされた(書評
「生 成 す る 批 判 的 主 体−≪実 践 的 唯 物 論≫の た め
に、黒沢惟昭『人間の疎外と市民社会のヘゲモニー
熱的」という人間、疎外観はこのような意味であ
−生涯学習原理論の研究』を読む」
、『アソシエ2
1、
ることを強調して小論を結ぶ。(完)
ニューズレター、2
0
0
9、1)
。氏はそこで本文で論及
した「受苦的」
「情熱的」についての私の解釈を批判
パッペンハイム著、粟田賢三訳『近代人の疎外』
された。小論は氏の批判に触発されて書いたもので
( (
ある。しかし書評に対して直接反批判を意図したも
岩波書店、1
9
9
5年「解説」
。そのほか今村仁司『現代
のではないので充分な反論にはなっていないことを
思想の基礎理論』
(講談社、1
9
9
8年、とくに補論「日
懸念するが、氏の教示には多くの示唆を与えられた
本におけるマルクス研究の新動向」
)には多くの教示
ことを誌して御礼申し述べる。(註完)
註
!
をうけた。
―7
2―
長野大学紀要
第3
1巻第1号 7
3―8
2頁 2
0
0
9
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
―社会福祉士養成を中心として―
The Position and Class Goals for the Subject ”Basic Care Skills
and Practices” in the Social Welfare Education
–With Focuses on the Certified Social Workers Training–
越
田
明
子*
Akiko Koshida
摘し、「今日的な福祉問題への対応は、社会福祉
¿.はじめに
関係者のみの実践では対応できにくくなってお
近年、福祉や介護サービスが量的に拡大する一
り、学際的研究に基づく他職種連携を必要として
方で、人びとの生活課題が多様化、拡大化、複合
いる。…つまり今日広く取り組まれている社会福
化している。そして新たな介護や、相談援助を担
祉士養成教育とあわせて、リベラル・アーツ(教
う福祉専門職の人材育成は社会的にも要請されて
養教育)としての基礎教育の見直しと、それらを
2
おり(2008:1)、2007(平成19)年には「社会
社会福祉教育のなかに取り入れることの重要性を
福祉士及び介護福祉士法3」が改正され、各地の
再認識すべきである」と社会福祉士の養成を超え
社会福祉士養成大学が教育改革に取り組んでい
た人材の育成の必要についてもふれている
る。
(2008:4−5)。
4
とりわけ、『提言 近未来の社会福祉教育 のあ
長野大学社会福祉学部社会福祉学科5(以下本
り方について−ソーシャルワーク専門職資格の再
学)も、社会福祉士を養成する福祉系大学の一つ
編成に向けて−(2008)』は、既成の国家資格社
であり、2009(平成21)年度より、昨今の通知に
会福祉士養成を超えたソーシャルワーカー養成教
基づくカリキュラム改正が行われた。一方、本学
育の基本的課題として、
「求められている高度で
は介護福祉士養成大学ではないが、旧来から科目
広範囲の役割を遂行していくためには、社会福祉
「介護技術1」が設置されており、2006(平成18)
教育の体系を価値、支援技術、政策でもって位置
年度より著者が科目を担当している。ここで、確
づけ、教育方法およびその評価システムについて
認しておかなければならないことは、科目「介護
再検討することが必要」であると述べ、具体的に
技術」は、社会福祉士と同時期に誕生した介護専
は「実践現場との関連の強化」や、「より実践的
門職である介護福祉士が習得すべき「支援技術」
な内容である演習と実習との連携」を図り、
「講
として体系化されていることである。その教育に
義・演習・実習を各場面で統合していく」ことを
は、「支援技術」のみでなく、社会福祉士養成と
課題としている(2008:4)。また、福祉系大学
同じく介護福祉士養成に必要とされる「価値」や
の教育プログラムが社会福祉士国家試験科目に限
「政策」体系の理 解、そ し て「講 義・演 習・実
定される養成教育に偏り固定化している傾向を指
習」各場面を統合する教育が必要とされている。
*社会福祉学部准教授
―7
3―
7
4
長野大学紀要
表1
①
②
③
④
第3
1巻第1号 2
0
0
9
旧科目「介護概論」の授業目標(通知)
介護の役割と範囲を理解させるとともに、看護・医療及び家政との関係について理解させる。
具体的な介護の展開過程や介護の実際について演習形式等を活用し理解させる。
身体的及び精神的な変化に対する観察能力を身につけ、それらの変化や速やかに正しく対応できる能力を養
い、保健・医療機関、専門職との連携、協力及び必要に応じたその手助けをすることができるようにする。
病気や遭遇しやすい事故についての知識をもち、それらの対応する予防措置を講ずることができるようにす
る。
社庶第2
6号(1
9
8
8)より抜粋
したがって、社会福祉士養成教育における科目
(社庶第2
6号)』を通知しており、
「別表1 社会
「介護技術」の位置づけが明確でないことから、
福祉士養成施設等における授業科目の目標及び内
「介護技術」教授においてその目標が周知され
容」の指定科目「介護概論」の授業目標として表
ず、以下のことが危惧されてきた。例えば、食事
1の4点があげられてきた。
や入浴、排泄といった狭義の意味での身体的な需
また、テキストとしてもちいられている福祉士
要を満たすための「介護」は、理論的根拠がない
養成講座編集委員会編『新版
実践においても一見福祉サービスを提供したかの
座 14介護概論第4版』(中央法規出版)を一例
ようにもみえ、時には介護する側(受講生)の主
にあげて概観すると、第四章介護技術総論、第五
観的満足にもつながる可能性があることや、
「支
章介護技術各論で具体的な「介護技術」について
援技術」そのものも含め、
「価値」、「政策」の理
ふれている。その他の出版社6の「介護概論」テ
解がない経験的実践にとどまる教育でよしとする
キストにおいても基本的な「介護技術」に関する
意見の存在、そして実践した「介護」を評価する
説明は必ず含まれており、社会福祉士に必要とさ
ための知識の不足、社会福祉教育の「価値」や
れる知識として認識されているものと解釈でき
「支援技術」、「政策」との関連など、教授するに
る。
社会福祉士養成講
しかし、人びとの生活問題が多様であるよう
は検討すべき課題がいくつかある。
したがって、先の提言「社会福祉教育における
に、介護の需要状況も多様で、一度たりとも同じ
基本的課題」や制度改正をうけとめるならば、本
展開はありえない。テキスト一冊を読み上げるの
学における科目「介護技術」の位置づけを明確す
みで介護技術を「支援技術」の一つとして理解す
る必要がある。方法として、まずは福祉士国家資
るには困難がある。通知「介護概論 授業目標」
格に関連する制度と養成教育にかかる通知から
が明確に「介護する」ことについて述べているか
「介護技術」について概観し、第二に本学におけ
どうかについては推測するしかない。しかし、表
る科目設置背景とその位置づけ、そして第三に受
現から解釈するならば、目標を達成するには講義
講生の需要に関連した科目の位置づけから確認す
による理解と、
「②具体的な介護の展開過程や介
る。これらのことをふまえて、本学における科目
護の実際について演習形式等を活用し理解させ
「介護技術」の授業目標を明確にし、科目の位置
る」、「③…対応できる能力…、その手助けをする
づけを明らかにする。
ことができるようにする」、「④…予防措置を講ず
À.社会福祉教育における科目「介護技術」
ることができる」ような支援技術を習得するため
1.科目「介護概論」と介護技術
仮に社会福祉士養成大学が、介護の展開過程や介
の演習・実習を時間内に取り入れる必要がある。
1987(昭和62)年に「社会福祉士及び介護福祉
護の実際について演習・実習を実施するならば、
士法」が制定され、専門職養成が開始された。
受講生の人数や教室(介護実習室)環境の整備等
1988(昭和63)年には、厚生省社会局長が各都道
いくつかの課題をクリアする必要がある。しか
府県知事あてに、
『社会福祉士養成施設等におけ
し、養成規模の多様さからすべての養成校が取り
る授業科目の目標及び内容並びに介護福祉士養成
組んでいるようには思われない。
施設における授業科目の目標及び内容について
―7
4―
一方、社会福祉士の専門技術「社会福祉援助技
越田明子
表2
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
新科目「高齢者に対する支援と介護保険制度」のねらいと教育に含むべき事項
ねらい
①
②
③
④
⑤
⑥
7
5
高齢者の生活実態とこれを取り巻く社会情
勢、福祉・介護需要(高齢者虐待や地域移
行、就労の実態を含む。
)について理解す
る。
高齢者福祉制度の発展過程について理解す
る。
介護の概念や対象及びその理念等について
理解する。
介護過程における介護の技法や介護予防の
基本的考え方について理解する。
終末期ケアの在り方(人間観や倫理を含
む。
)について理解する。
相談援助活動において必要となる介護保険
制度や高齢者の福祉・介護に係る他の法制
度について理解する。
教育に含むべき事項
①
高齢者の生活実態とこれを取り巻く社会情勢、福祉・介護
需要(高齢者虐待や地域移行、就労の実態を含む。
)
高齢者福祉制度の発展過程
介護の概念や対象
介護予防
介護過程
認知症ケア
終末期ケア
介護と住環境
介護保険法
介護報酬
介護保険法における組織及び団体の役割と実際
介護保険法における専門職の役割と実際
介護保険法におけるネットワーキングと実際
地域包括支援センターの役割と実際
老人福祉法
高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関す
る法律(高齢者虐待防止法)
高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律
高齢者の居住の安定確保に関する法律
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
1
9文科高第9
1
8号・厚生労働省社援発第0
3
2
8
0
0
2号(2
0
0
8)別表1より抜粋
術7」の授業 目 標 や 内 容 に は 具 体 的 な「介 護 技
そのねらいの中には、
「介護の概念や対象及びそ
術」は含まれていない。社会福祉士が「介護技
の理念等について理解する」、「介護過程における
術」を必要とする現況として推測できることは、
介護の技法や介護予防の基本的考え方について理
地域や相談場面で出会うクライエントや家族が、
解する」と明記されているが、この改正で大幅に
過去、現在もしくは将来、要支援・要介護状態に
変更されたことは、
「介護する」ことについて触
あるときなどであろう。そのような場面で、社会
れられなくなったことである。そして旧科目「介
福祉士がクライエントや家族に共感し、生活課題
護概論」では、介護の対象や範疇を年齢に特化し
の推測やアセスメントができ、そのゆくえが予測
たものとは捉えられていなかったが、新科目にお
でき、行動できることは誰もが望むことである。
いては「高齢者の支援」の一つとして介護の概念
このことは、科目「介護技術」の効果として期待
や予防や過程、ケアについて「理解する」ことを
されていることとも推測できる。したがって、科
ねらいとしている。言い換えてみると、社会福祉
目「介護概論」の授業目標がいう「介護の実際を
士養成にかかる新カリキュラムは、旧来のものと
理解し、できるようにする」
(通知)の根拠は、
比較すると介護の対象と範疇を狭め、様々な年齢
未だ不明瞭である。
層や加齢以外の理由による要介護者に対する介護
法改正にともない、2008(平成20)年の『社会
福祉士学校及び介護福祉士学校の設置及び運営に
についての理解は、養成大学や科目担当者の裁量
にゆだねられているといえるだろう。
係る指針について(19文科高第9
18号・厚生労働
省社援発第0328002号)』「社会福祉士学校の設置
2.本学における位置づけの検討8
1)社会福祉士国家試験受験資格取得要件とし
及び運営に係る指針」において、
「介護概論」は
ての科目「介護技術」
旧科目となり、科目「老人福祉論」とあわせて、
新科目「高齢者に対する支援と介護保険制度」と
本学において、こ の「介護技術」科目は2001
なった。この科目の教育内容の「ねらい」と「教
(平成12)年度から「介護技術Ⅰ(3
0時間)
」お
育に含むべき事項」は表2に示すとおりである。
よび「介護技術Ⅱ(6
0時間)」科目が開講され、
―7
5―
7
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
専門教育科目「方法科目」に位置づけられてき
において、日本の特に農村地域の高齢化の急速な
た。また2009(平成21)年度以降は、カリキュラ
進展状況と、介護保険制度施行に伴う福祉現場の
ム改正によって専門教育科目「基礎科目」、「展開
業務内容を鑑み、福祉教育の中に介護技術の実技
科目」となっている。
演習を含めた「介護技術Ⅰ・Ⅱ」の授業が導入さ
科目「介護技術Ⅰ(基礎科目)」は、社会福祉
士資格取得にかかる積み上げ方式による学習過
れた(2006:75)。
②
疾病障害をもつ高齢者の増加にともない医療
程、すなわち資格取得カリキュラムの一つとして
・保健の考え方をふまえた教育の必要となっ
位置づけられており、入学年次(1年もしくは編
た。
9
入年)に必修科目 として配当されている。単位
…そして、今や老人も障害者も病気を持った高
取得がない場合は、2年次以降に開講される「社
齢者が増えており、介護というより看護や医療・
会福祉援助技術現場実習指導ⅠA・ⅠB」の履修
保健の考え方をふまえた、現場で実践力を高める
はできず、夏季休業中に実施される5日程度もし
教員の要請ということで、看護職が採用された
くは宿泊を伴う場合は3日間程度の「現場体験学
(2006:75)。
習」に参加できない。また、3年次「社会福祉援
③
社会福祉士の相談業務場面における他者理解
助技術演習Ⅰ・Ⅱ」、「社会福祉援助技術現場実
のために最低限の介護技術習得が必要である。
習」の履修には、前述の「社会福祉援助技術現場
…2年次以降の現場実習で遭遇することの多
実習指導ⅠA・ⅠB」単位取得が必須である。し
い、コミュニケーション技術やグループワーク、
たがって、科目「介護技術Ⅰ」の単位取得がない
ベッドから車椅子への移乗や移動、食事、入浴、
場合、社会福祉受験資格取得が不可能になるか、
排泄の介助、記録と報告などを重点に、社会福祉
再履修により5年以上の学部学科在籍期間を経て
士の相談業務においても、相手の実情が受け止め
10
受験資格取得となる 。一方、「介護技術Ⅱ(展開
られ、悩みの度合いが理解できる力をつけさせる
科目)」は、2年次からの選択科目として位置付
た め の、最 低 限 の 技 術 習 得 に 努 め る(2006:
けられており、「介護技術Ⅰ」よりも専門性が高
75)。
く時間も2倍である。
④
本稿においては、科目「介護技術Ⅰ」を中心に
検討している。
福祉現場が介護技術を身につけた専門職養成
は福祉系大学の教育責任である。
2005(平成17)年度前期に開講されていた4ク
2)先行報告による科目設置背景
ラスの1年生を対象とした意見交換アンケートの
現時点においては、全国の社会福祉士養成大学
結果から、
「社会が求める総合的ケアマネージメ
における「介護技術」の教授方法や教授実態につ
ント能力のある人材育成」として、
「社会福祉士
いて具体的な情報は入手できていない。介護福祉
の実務とされる相談援助は、多様化した相談内容
士養成教育の歴史も浅く、さらに社会福祉士養成
の受容と、利用者の心身の理解やその対応、家族
課程における「介護技術」の教授方法やその評価
への技術的アドバイスなどであり、また介護事故
測定について先行事例や研究は非常に少ない。し
の防止や危機管理責任や、介護職員の労務管理を
たがって、本稿は本学における科目「介護技術」
任される場合も多い。したがって、日本の高齢虚
に特化した検討を行うことを目的としているの
弱者の増加と相まって、これからの福祉現場で
で、まずは次の報告を確認したい。前任担当者で
は、介護技術を身につけた指導性のある専門職
ある横山ら(2006)による「学生の意識調査から
を、より多く求めている」とし、
「最近の3年次
11
か
みた介護技術教育の重要性についての考察」
の現場実習の評価のなかには、目の前の利用者に
ら、科目「介護技術」設置12の背景および指針と
手もだせず、声かけも出来ないため、実習課題を
して以下4点が報告されているので概要を示す。
こなすどころではない状況の学生がかなり見受け
①
られる。…現場実習では、まず全員が特養などの
農村地域の高齢化と介護保険制度施行によっ
て福祉教育に必要とされた。
老人施設で実習し、…人間理解として高齢者にか
…2000(平成12)年度の学部カリキュラム編成
かわらせていただき、対人援助としての体験をさ
―7
6―
越田明子
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
7
7
せたい。…見学のような実習をしていては、自己
「社会福祉に関連する資格間の関連性」として以
覚知も出来ず、対人援助の実習にはならない」と
下のように整理している。名称独占をともなう専
介護技術の教授は福祉系大学の専門職養成にかか
門職として、社会福祉士、精神保健福祉士、介護
006:79−
る教育責任13であると言及している(2
福祉士、保育士の4資格をあげ、
「…それぞれの
84)。
担う職務内容は相互に重なり合い、連続する部分
3)先行報告科目設置背景への疑問と専門職養
成
が存在する。…しかし、4つの資格がそれぞれ独
立した資格として設定された背景には、それぞれ
社会福祉士は、1
9
87(昭和62)年5月の第108
の専門職ごとに、その職務内容を規定する固有の
回国会において制定された「社会福祉士および介
視点、行動原理とそこに形成される一定の知識な
護福祉士法」で位置づけられた社会福祉業務に携
らびに技術の体系が存在しており、同時にその体
わる人の国家資格である。この法律において「社
系を発展させることが期待されているからであ
会福祉士」とは、第28条の登録を受け、社会福祉
る。その意味において、それぞれの専門職資格に
士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつ
関わる養成課程は、個別の資格を超えて社会福祉
て、身体上若しくは精神上の障害があること又は
に関わる専門職として養成される基盤にあたる部
環境上の理由により日常生活を営むのに支障があ
分と、それぞれに固有の内容をもつ部分との統合
る者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導、福
されたものとして構成され」る。また、4資格の
祉サービスを提供する者又は医師その他の保健医
職務内容の側面から、社会福祉士と精神保健福祉
療サービスを提供する者その他の関係者(第47条
士をソーシャルワーク、介護福祉士と保育士をケ
において「福祉サービス関係者等」という)との
アワークの概念を導入して一つの範疇として扱う
連絡及び調整その他の援助を行うこと(第7条及
ことが可能であるとし、それぞれの資格が前提に
び第47条の2において「相談援助」という)を業
している領域は相互に連続しており、資格間で相
とする者をいう(定義・第2条1)。
互 互 換 の 方 向 性 が 必 要 で あ る と い う(2008:
一方、「介護福祉士」は、第42条第1項の登録
9)。
を受け、介護福祉士の名称を用いて、専門的知識
しかし、専門職固有の支援技術である、社会福
及び技術をもつて、身体上又は精神上の障害があ
祉援助技術(ソーシャルワーク)と介護技術(ケ
ることにより日常生活を営むのに支障がある者に
アワーク)は、
「社会福祉士及び介護福祉士法」
つき心身の状況に応じた介護を行い、並びにその
をみても福祉領域、かつ隣接領域のものと解釈で
者及びその介護者に対して介護に関する指導を行
きるが同一のものではない。専門職養成が周知さ
うことを業とする者をいう(定義・第2条2)。
れている昨今、アプローチの方法と教育内容は異
この定義にある「心身の状況に応じた介護」は、
なるものである。さらに、社会福祉士及び介護福
改正前には「入浴・排泄・食事その他の介護」と
祉士国家試験の今後の在り方検討会(厚生労働省
表記されていた。
2008)の報告においても、「社会福祉士・介護福
「相談や助言、指導、連携、調整、その他の援
祉士国家試験は、基本的に①社会福祉士にあって
助」と「心身の状況に応じた介護」は異なるが、
は『相談援助』を実践する専門職として、②介護
どちらの資格も名称独占であり業務独占ではな
福祉士にあたっては『介護』を実践する専門職と
い。ゆえに、介護福祉士の業務を資格取得してい
して、それぞれ必要とされる基本的な知識及び技
ないものが実施することに関して否定されること
術が網羅的に備わっていることを確認・評価する
はない。先述した、旧科目「介護概論」の授業目
ものとして位置づけられる(2
008:3)」と述べ
標(通知)を加味しても、最低限の介護技術を経
られている。
験的に学ぶ機会をつくることには、制度上の問題
は発生しない。
したがって、領域として相互に連続しており、
制度としては介護福祉士固有の支援技術である
『提言 近未来の社会福祉教育のあり方につい
「介護技術」を社会福祉士が学ぶことには問題は
て(2008)』では、専門職資格の再編成に向けて
ないが、専門職資格の再編成にむけては両者の職
―7
7―
7
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
務内容の側面は分類され、基盤にあたる部分と固
の第一週4・5時限目を a クラス、次週の4・5
有の内容をもつ部分を丁寧に整理しながら教育方
時限目は b クラスと交互に開講し、6クラス共通
法について検討していかなければならない。この
のプログラムを展開した。また、9割以上の学生
ことは、職務内容を規定する固有の視点、行動原
が初年次に受講することから、大学生活に慣れた
理とそこに形成される一定の知識ならびに技術体
後期開講科目とした。
系の存在を認めることにもつながる。
おおよその授業運営は次の通りである。学内演
ここで注意すべき点は、固有の内容をもつ部分
習・実習(以下演習)時間を確保するために、4
における教育上の責任である。本学先行報告の科
時限目に講義と事例(場面)の考察をふまえて演
目「介護技術」が①農村地域の高齢化と介護保険
習方法について説明し、5時限目は演習を行うこ
制度施行によって福祉教育に必要とされた、②疾
とを厳守した。授業プログラムの作成と教材開
病障害をもつ高齢者の増加にともない医療・保健
発、消耗品、備品管理は、著者が責任者として担
の考え方をふまえた教育が必要となった、という
当している14。他非常勤講師2名が、それぞれ2
二点については、今日の介護需要拡大および福祉
クラスを担当し6クラスを運営した。
専門職育成への期待の背景ともいえるが、③社会
プログラムの考え方として、食事や排泄といっ
福祉士の相談業務場面における最低限の介護技術
たいくつかの断片的な介護技術をならべるオムニ
習得の必要や、④福祉現場が介護技術を身につけ
バス形式の演習とするか、基本となることを毎回
た専門職を求めており福祉系大学の教育責任であ
くりかえしながら応用できる基礎技術を習得する
る、についてはその根拠が不明瞭な点である。根
演習とするか、大きく二通りの方法をあげること
拠が明確でないということは、科目「介護技術」
ができる。本科目においては、後者を選択し、限
としての教授目標のゆらぎにつながりその範疇も
られた時間の中で「応用できる基礎的介護技術を
提示できない。制度上の定義に頼ってみるなら
習得する」ために積み上げ方式の教授内容を吟味
ば、横山らの先行報告(2006)は社会福祉士の
した。したがって、積み上げ方式のプログラム
「専門的知識及び技術」に位置づけているとも解
は、2年次以降の現場実習の心構えを教授するこ
釈できるが、介護の「専門的知識及び技術」につ
とにもつながる利点もあるが、欠点として、欠席
いては、やはり国家資格として確立している介護
が続くと演習・実習についていけない可能性もあ
福祉士の習得すべき支援技術であろう。
ること、そして4時限目の講義に参加しない場合
社会福祉士の職務に位置づけるとすれば、
「身
は、必要な知識や説明を受講していないため、5
体上若しくは精神上の障害があること又は環境上
時限目の演習にのぞむことは難しいということが
の理由により日常生活を営むのに支障がある者の
あげられ、このことについては、初回に説明して
福祉に関する相談」の背景や根拠について理解を
いる。
深めることや「助言、指導」、「サービスを提供す
5)卒業生業種別就職状況15と需要16
る者その他の関係者との連絡及び調整その他の援
繰り返しになるが、本学は社会福祉士養成大学
助」のために必要とされることとして位置づけ、
である。しかし、大学設置地域の特徴からも卒業
養成においては福祉専門職の「基盤にあたる部
生は、福祉分野17とりわけ「介護職員」としての
分」と解釈することが妥当である。
就職する割合が高い(表3、4、5)。このこと
4)科目開講形態と教授方法
と科目「介護技術」の関連を検討する場合、
「就
こ こ で、本 学 に お け る2
008(平 成20)年 度 の
職状況において大学で養成している職種と異なる
「介護技術Ⅰ」の開講形態と方法について説明す
職に就く学生が多いので就業時に必要とされる技
る。初回はガイダンスを含め合同授業としたが、
術を教授すべき」という見解を出すには若干の矛
その後は受講生を6クラスにわけ1クラス20数名
盾が生じる。
「介護職員」として就労するにあた
の演習・実習クラスを編成し、月曜日、水曜日、
り必要とされていることは介護の「専門的知識と
金曜日の4・5時限目の2コマ連続1
80分授業を
技術」であろう。そのためには、支援技術として
隔週で7回受講する形態をとった。例えば月曜日
の「介護技術」に特化するのではなく、その職務
―7
8―
越田明子
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
表3
社会福祉学部
7
9
卒業生業種別就職状況
福祉・医療(%)
企業就職(%)
公務教育(%)
平成1
7年度卒業生
1
3
9名(7
0.
2)
4
8名(2
4.
2)
1
1名(5.
6)
平成1
8年度卒業生
1
4
8名(6
7.
6)
5
6名(2
5.
6)
1
5名(6.
8)
平成1
9年度卒業生
1
1
1名(4
5.
5)
8
8名(3
9.
3)
2
5名(1
1.
2)
本学キャリアサポートセンター資料より
表4
社会福祉学部福祉関係就職者の職種別就職状況(人数)
老人
身障
知的
児童
復帰
社協
医療
総合
その他
平成1
7年度卒業生
5
7
6
2
7
6
5
2
3
4
2
0
平成1
8年度卒業生
7
2
1
0
1
7
6
3
7
2
9
4
0
平成1
9年度卒業生
4
0
1
1
8
6
0
6
3
6
7
2
本学キャリアサポートセンター資料より
表5
長野大学
福祉関係就業者の職種別就職状況(%)
介護
支援員
指導員
相談員
MSW
PSW
寮父
社協
専門員
事務
その他
平成1
7年度卒業生
5
1.
7
2
9.
1
7.
1
5.
8
0.
7
−
4.
3
1.
4
平成1
8年度卒業生
5
7.
7
2
4.
9
4.
0
3.
3
0
2.
0
4.
7
3.
4
平成1
9年度卒業生
4
4.
0
2
2.
0
1
2.
5
4.
0
0
−
1
1.
9
5.
6
本学キャリアサポートセンター資料より
内容を規定する固有の視点、行動原理とそこに形
しての「介護」は「生活支援技術」として名称を
成される一定の知識ならびに技術体系が確認でき
あらため、その対象は高齢者のみでなく、障害児
るカリキュラムが必要となる。したがって、学生
者等も含まれ、施設、地域(在宅)
、介護予防、
の需要、すなわち卒業生の就職状況において最も
リハビリテーション、見取り、そして家政学とし
多い「介護職員」として責任ある仕事を遂行する
て教授されていた衣食住にかかる間接的な生活支
ことを福祉系大学が支援するとするならば、社会
援も含まれる広範囲に及ぶものである。
福祉士養成と同じくより質の高い介護福祉士養成
したがって本学「介護技術Ⅰ(3
0時間)」は、
に取り組むほうが教育機関の責任として理解しや
介護福祉士養成の授業時間と比較すると非常に少
すいあり方である。
ないことも留意しておく必要がある。わずか30時
また、「介護技術」の教授時間について介護福
間の学びで、常時介護を必要とする人への実践を
祉士養成における通知をみると、旧カリキュラム
目的とする場合と「教育上の責任」をどのように
では、「介護技術」150時間、
「形態別介護技術」
果たしていくべきか本稿では言及できない。でき
150時間の計3
00時間であり、新カリキュラムで
れば、要介護状態にある人への実践は第一目的で
は、「生活支援技術」300時間、「介護過程」150時
はなく、先述の社会福祉士が出会う人びとの生活
間、「介護総合演習」120時間、他実習などを除外
理解のための「基盤にあたる知識」としてとどめ
しても最低570時間が教育内容「支援技術」に必
ておくほうがよいだろう。
要とされている。介護福祉士の固有の支援技術と
―7
9―
8
0
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
る18。
Á.科目「介護技術」位置づけと授業目標
1.科目「介護技術」の位置づけ−結論−
授業目標
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置
づけについて、『提言 近未来の社会福祉教育のあ
り方について−ソーシャルワーク専門職資格の再
編成に向けて−(2008)』「社会福祉教育における
基本的課題」を視野に入れ、第一に福祉士国家資
格に関連する制度と養成教育にかかる通知の検
討、第二に本学における科目設置の背景と位置づ
!
介護を必要とする人の立場にたって考察でき
"
る。
#
て考察できる。
$
できる。
介護の原則をふまえた介護過程の展開につい
生活支援に必要とされる基礎的な介護実践が
専門的な介護実践が必要とされるときには、
適切な他者へ助言を求めることができる。
け、第三に受講学生の需要として本学卒業生の業
種別就職状況から検討してきた。その結果、以下
観点別目標
のことがいえるだろう。
〔関心・意欲・態度の観点〕
①
本学における科目「介護技術」は、社会福祉
教育すなわち社会福祉士養成教育において、
個別の資格を超えた社会福祉に関わる専門職
!
"
程における科目であるならば、それは固有の
内容をもつ部分にあたる。したがって、科目
〔知識・理解の観点〕
!
日常生活を維持するための介護の原則につい
て理解する。
「介護技術」は、介護実践を主とするのでは
"
なく介護を必要とする人の立場で思考し、推
〔思考・判断の観点〕
測し、予測し、行動するための基礎的知識と
!
教育体系における価値や支援技術、政策理解
に貢献するものである。
本学で教授する科目「介護技術」は、教授時
間が少ないことから、教育上の責任として、
対象とする要介護状態は一定の範囲を超えな
いものとする。すなわち常時介護を要する人
る。隣人として必要とされる支援技術として
介護場面に応じた個別の介護について考察で
〔技能・表現の観点〕
!
介護を必要とする人の立場にたち介助に対す
"
る意見を述べることができる。
#
習得できる。
他者と役割を交代しながら基礎的介護技術を
テーマにそって他者と意見交換し学びを共有
することができる。
の「心身の状況に応じた介護」は範囲外であ
り「ちょっとした手助け」の範囲が妥当であ
基礎的介護技術の留意点について理解する。
きる。
技術を習得することを目的とし、社会福祉士
②
自立と安全に配慮した介護技術を学ぶ意欲と
姿勢をもつ。
の基盤にあたる部分を学習するための科目と
して位置づけられる。仮に介護福祉士養成課
介護を必要とする人の心身と環境について気
にかけることができる。
Â.おわりに
の基礎的介護技術である。しかし実践がとも
本稿では、2
007(平成19)年度に、
「社会福祉
なうことから、介護の原則と介護実践のプロ
士及び介護福祉士法」が改正にともない、社会福
セス(介護過程の展開)については共通理解
祉教育の体系を価値、支援技術、政策もって位置
とし、教授内容も実践の自己評価ができる範
づけ、教育方およびその評価システムについて再
囲にとどまる。
検討することが必要であるという提言(2008)を
2.科目「介護技術」の授業目標
うけ、他職種固有の支援技術に特化した科目「介
以上のことをふまえ、先行報告(2006)にみる
本学における科目「介護技術Ⅰ」開講目的を大幅
護技術」の本学における位置づけを明確にするこ
とを試みた。
に変更し、授業目標を提示するならば下記とな
―8
0―
結果として、本学における科目「介護技術」
越田明子
社会福祉教育における科目「介護技術」の位置づけと授業目標
8
1
は、①社会福祉教育において基盤にあたる部分と
援、成年後見、権利擁護等の新しい相談援助の業務
して位置づけられ、介護の基礎的知識と技術を習
も拡大してきている。こうした多様化・高度化する
得することを目的とすること、②教授時間が少な
国民の福祉・介護ニーズに的確に対応できる質の高
いことから、教育上の責任として対象とする人の
い人材を育成していくために、社会福祉士及び介護
福祉士法等の一部を改正する法律が平成1
9年1
1月に
要介護状態は一定の範囲を超えないものとし、
国会で成立した。厚生労働省 社会・援護局(2
0
0
0)
「ちょっとした手助け」の範囲が妥当であるが、
「社会福祉士及び介護福祉士養成課程における教育
実践がともなうことから介護の原則と介護実践の
プロセス(介護過程の展開)については共通理解
内容等の見直しについて」より
4
とし、教授内容は実践の自己評価ができる範囲で
本稿においては、提言にもとづき、「社会福祉教
育」はソーシャルワーカー養成教育、大学において
ある、ということを提示することができた。そし
は社会福祉士養成教育のことをいう。
て科目「介護技術」の位置づけをもって、最後に
5 1
9
7
4(昭和4
9)年産業社会学部社会福祉学科発足
「介護技術Ⅰ」授業目標を提示するに至った。し
後、福祉実習科目を昭和5
2年度に開講、昭和6
2年法
かし、この試みは第一段階にすぎず目標を達成す
制 定 に 伴 い、昭 和6
3年4月 よ り 社 会 福 祉 士 の 資 格
るための授業プログラムを展開させ、評価し再検
コースが発足し、以後福祉教育における演習・実習
討する作業が必要である。社会福祉士が社会的要
の位置づけが明確になった。長野大学3
0年誌編纂委
請に応えるために必要とされる教育について検討
員会編(1
9
9
7)
『長野大学3
0年 誌』学 校 法 人 長 野 学
園、1
7
7−1
8
6。
し続けなければならない。隣接領域の固有の支援
技術を、専門職の「基盤にあたる部分」として定
6
社会福祉学習双書編集委員会(2
0
0
9)
『社会福祉学
習双書介護概論』全国社会福祉協議会、福祉臨床シ
着できるような工夫が期待されるだろう。また、
リーズ編集委員会・建部久美子編著(2
0
0
7)
『臨床に
『提言(2008)』にもあるように、社会福祉士の
必要な介護概論』弘文堂、澤田信子他編著(2
0
0
7)
養成を超えた人材の育成、学際的研究に基づく他
『新・社 会 福 祉 士 養 成 テ キ ス ト ブ ッ ク1
2・介 護 概
職種連携ができるよう、社会福祉士養成教育とあ
論』ミネルヴァ書房、小池妙子他編著(2
0
0
6)
『社会
わせて、リベラル・アーツ(教養教育)としての
福祉選書介護概論(改訂)
』建帛社、一番ケ瀬康子他
基礎教育との関連についての検討課題が残る。
編(2
0
0
7)
『新・セミナー介護 福 祉 介 護 概 論(三 訂
版)
』ミネルヴァ書房他。ただし、テキスト採用につ
注・文献
いては担当者の裁量によるので社会福祉士養成を目
1
的として使用しているかについては言及できない。
法改正によって、介護福祉士養成にかかる科目と
し て の「介 護 技 術」は、広 範 囲・広 領 域 に わ た る
2
7
談援助…」となった(「社会福祉士学校の設置及び運
援技術」には旧来の家政学をも含む。本学のカリキ
営に係る指針について」平成2
0年3月2
8日1
9文科高
ュラム改正でも「生活支援技術」に名称を変更され
第9
1
8号、厚生労働省社援発第0
3
2
9
0
0
2号、別表1よ
た。本学における変更について著者は関わっていな
り)
。本稿は、執筆時に在学している学生を対象とし
い。
て開講されている科目をとりあげている。社団法人
日本学術会議社会学委員会社会福祉分科会
日本社会福祉士養成協会(2
0
0
8)
『社会福祉士養成に
(2
0
0
8)
『提言 近未来の社会福祉教育のあり方につ
かかる社会福祉援助技術関連科目の教育内容及び教
いて−ソーシャルワーク専門職資格の再編成につい
員研修プログラムの構築に関する事業 事業報告書
(2
0
0
7年度)
』もあわせて参考にした。
て−』
3
法改正にともない、「社会福祉援助技術…」は「相
「生活支援技術」に含まれるようになった。「生活支
昭和6
3年に法が施行されてから約2
0年が経過した
8
社会福祉士と介護福祉士はサービスの担い手の中心
本稿執筆時の情報であり、平成2
1年度から変更さ
れる。
が、福祉・介護サービスが飛躍的に増大する中で、
9
介護福祉士国家資格取得済みの編入生は履修の必
要はない。
となっている。一方、介護保険制度や障害者自立支
援法等の創設により、認知症高齢者に対する介護な
1
0 『社会福祉援助技術現場実習指導ⅠA・ⅠB の手引
どの従来の身体介護にとどまらない新たな介護への
き2
0
0
8年度版』長野大学社会福祉学部社会福祉学科
対応が必要になっているほか、サービスの利用 支
社会福祉演習実習室参照。2
0
0
9(平成2
1)年度入学
―8
1―
8
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
考にした。数値は資料作成時のデータであるので若
生から変更予定。
干の変動はある。
1
1 横山孝子・高遠三和・中山和子『長野大学紀要第
1
6 本稿においては、卒業生の就業別職種をもとに検
2
7巻第4号(通巻1
0
5号)
』
(2
0
0
6)7
5−8
5
1
2 2
0
0
1年度より設置。
討することとした。在学中の社会福祉援助技術現場
1
3 本文においては、「福祉系大学としての専門職の教
(相談援助)実習における需要も議論すべきという
育責任」と記述されているが、記述の内容から著者
意見もあるだろうが、日本学術会議社会学委員会社
が解釈して表記しなおした。
会福祉分科会の『提言(2
0
0
8)
』が、社会福祉教育の
1
4 本学は、介護福祉士養成校でないため、福祉用具
方法およびその評価システムの再検討として、「講義
を常時保管し利用できる介護実習室は確保されてお
・演習・実習を各場面で統合していく」ことを課題
らず学内での備品管理や運営協力はない。したがっ
としていることから、他職種固有の支援技術を実習
て6クラスの授業毎に、教室の隅に収納しているベ
で駆使することよりも、社会福祉固有の支援技術に
ッドやポータブルトイレ、福祉用具、消耗品を出し
ついて習得できる実習内容を検討する方が建設的で
入れする必要があり多大な時間とエネルギーを要す
ある。したがって、本稿においては実習時の需要に
ついて議論しない。
る。この件については担当当初から要望書を提出し
ているが、回答が得られない状況下で本科目が展開
1
7 民間の福祉サービス事業者や福祉用具関連企業へ
の就職は企業就職としてカウントされている。
されてきた。本学が科目「介護技術」設置を位置づ
けるのであれば、授業運営にかかる課題として検討
1
8 受講生が理解しやすい表現とした。受講生が主語
していかなければ運営に支障が生じてくるだろう。
1
5 長野大学キャリアサポートセンター公開資料を参
―8
2―
となる。平成2
1年度シラバスに学内公開している。
長野大学紀要
第3
1巻第1号 8
3―9
0頁 2
0
0
9
中国語の発音学習を効率化する試み
Streamlining Attempts at the Learning of
Pronunciations of Chinese Language
ビラール
イリヤス*
Bilal Ilyas
て、発音がよければ、すべて良し。
」という言い
0.概要
方をしている中国語教育者もいるほどである。
中国は13億強の人口を有する大国である。世界
中国語では一つのことばは基本的に一つの音節
で5人に一人は中国人である。中国は56の民族か
で表される。中国語で一音節は音の単位であると
ら構成された多民族国家とはいえ、実際少数民族
同 時 に 意 味 の 単 位 で も あ る。た と え ば、
「ma
と呼ばれている55の民族の総人口は1億強であ
馬」、「ji 鶏」、「bing 病」などは、すべて一音節で
り、残りの12億強の人口を占めているのは漢民族
表されている言葉である。これらの言葉を日本語
である。つまり、単純計算では、世界でおよそ5
で表すと、
「うま」、「にわとり」
、「やまい」とな
人に一人は漢語(漢民族の言葉、つまり中国語)
り、二つ以上の音節でやっとひとつの意味を表す
を話していることになる。その上に、中国政府の
言葉になる。これらのことばの中の任意の一音節
前世紀七十年代末ごろから実施してきた「改革開
を取り出しても基本的に意味を持たない。もちろ
放路線」が実を結び、中国は高度経済成長を成し
ん現代中国語(現代漢語)には「shan yang・山
遂げた。その影響もあり、世界的に中国語ブーム
羊」、「mao bing・毛病」、「long tou・
が起こっている。2
005年の時点で、全世界で100
のように、多音節語が多く存在する。しかし、そ
以上の国の2300以上の大学で、中国語科目が設け
の場合でも、ひとつひとつの音節はその意味を失
られ、中国語を外国語として学んでいる学習者が
わず、多音節語の構成要素としての役割を果たし
海外でおよそ2000万人に達しているという発表も
ている。
#"」など
されている[1]。
実は、中国語を発音するには音節だけでは不十
だが、今の中国語教育はシステム化された完全
分である。中国語の発音は音節と声調の組み合わ
なものかというと、そうでもないと言わざるを得
せから構成される。音声は母音かあるいは子音プ
ない。改善や工夫すべき問題点はかなりある。中
ラス母音で構成され、現行のピンイン表記ではお
国には“万事起
よそ400個ある。声調は第一声から第四声までの
"$”(どんなことでも最初の一
歩が難しい)という!がある。中国語教育はまさ
にこの!にあてはまる一例である。ご周知のよう
四つある。基本的には、各々の音節には四つの声
調がある。単純計算では中国語の発音は1600個に
に中国語は声調言語である。声調が変わると意味
なるが、一部は発音に無いので、実際ある発音は
が変わる。したがって、中国語の学習において、
1330いくつになる。簡単に言えば、これが日本語
発音の学習は非常に重要である。
「中国語に関し
の50音図に相当するものである。発音だけで1330
*環境ツーリズム学部教授
―8
3―
8
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
いくつというと大変煩雑だと感じるかもしれない
基本的に一字の読みは一つであるが、
「多音字」
だが、実はそうではない。中国語の発音学習には
の漢字も少なくない。一漢字の読みがいくつある
一定のルールがあり、そのルールさえ分かれば、
かはともかく、一音節は一字で、基本的にひとつ
結構簡単で、短時間で覚えられる。ピンイン学習
の意味を表す。アクセント(声調)が変われば意
のコツや注意事項を分かりやすくまとめ、それら
味が変わる。これが中国語の特徴であり、
「中国
の難点をより効率的に克服できる手法を提案する
語は声調言語である」という言われの要因であ
のがこの論文の主な目的である。つまりインター
る。
ネットでマルチメディアを駆使し、紙媒体で得ら
れない多様な情報を学習者に提供し、自分の間違
いに気づき、それを直せる学習指導システムを提
2.漢字表音法の変移とそこに潜んでいる
諸問題
案することがこの論文の主旨である。よって、何
中国語の発音、つまり漢字の読みに関する概念
時でもどこでも自分のペースに合わせて発音学習
を明確にするために、いままで、啓蒙教育の段階
を正確に、正しく習得できる学習システムの早期
で、漢字読みにどのような手法が取られてきたの
実現を目指す。
かを簡単に紹介しておこう。
もちろん、現在ではコンピュータを用いる学習
中国では、漢字の発音表記法は時代とともに進
教材は数多くあるが、我々がここで構築しようと
化して変わってきた。漢字の音を表すのに使って
するシステムは現有のものとは異なるものである
いた最も古い方法は「読若」・「直音」法という説
ことを断っておきたい。
が定番である。これは古代中国で漢字の読みに使
具体的には、まず、第1節では、中国語の特徴
われていた方法である。この方法は、ある漢字の
を簡単に整理する。第2節では発音学習に存続す
字音を示すのに他の同音の字の音を用いる方法で
る問題点を述べる。第3節では学習者が難しいと
ある。この方法は簡単だが、しかし一つの漢字の
感じる学習難点を整理し、その難点を克服するた
読みを知るにはその漢字と同音となる他の漢字の
めの注意事項と学習のコツを述べる。それから、
読みを知っておくことが必要になる。漢字読みの
第4節では、インターネットベースの効果的な中
啓蒙教育段階では、この方法に限界を感じると言
国語発音学習システムのあるべき姿について述べ
わざるを得ない。というのは、前述したように中
る。最後に今後の課題およびこの学習システムに
国語の発音は1330いくつある。これは互いに異な
対する所見を述べることにする。
る音が1330いくつあることを意味する。つまり、
発音が互いに異なる漢字が1330いくつあるという
1.中国語の特徴
ことである。したがって、これらの漢字すべての
ご周知のように、中国語は漢字で表記される言
読みをマスターしてから初めてどんな漢字でも読
葉である。ひとつの漢字は基本的に一音節で発音
めるようになるということになる。そこで「反
される。中国語では一音節が一文字で、一つの意
切」法という当時にしては画期的な漢字表音方法
味を持っている。たとえ同じ音節であっても、ア
が発明され、1
9世紀の末まで使われてきた。
「反
クセント(声調)が変わるとその意味が変わる。
切」法とは、漢字2字の音を組み合わせて別の漢
例えば、mā、má、ma、mà はアクセントだけ 異
字1字の音を示す方法である。この方法では、一
なる音節ですが、中国語ではこれらの表す意味が
方の漢字の子音と他方の漢字の母音(当時声調を
全く異なる。また、同じ漢字でも読むときのアク
明記した声調記号がないので、母音の声調まで合
セントによって、伝わる意味が異なってくる場合
わせられると断言できないとの指摘もある)を合
がある。例えば、“累”という漢字を四声(lèi)
わせて、新たな漢字の音を表す。具体的に書く
で読むと「疲れる」という意味になるが、三声
と、「米、莫礼切」
、「東、徳紅切」という具合で
(lei)で読むとき、「積み重ねる、積み重なる」
ある。「米、莫礼切」の意味は、「米」という漢字
という意味になる。このような二つ以上の読みを
の 読 み は、「莫、mò」字 の 子 音「m」を 切 り、
持つ漢字を中国語で「多音字」という。中国語で
「礼、l 」字の母音の読み「 」を切り、この二
!
!
―8
4―
"
"
ビラールイリヤス
中国語の発音学習を効率化する試み
"
8
5
つの組み合わせで作られた新たな発音「m 」が
それでは、「漢語ピンイン方案」で制定された
「米」の読み方になるということである。
「東、
ピンイン表記を簡単に紹介するとともに、ピンイ
徳紅切」の意味も類似しているので、ここでは、
ン表記に存続しているいくつかの問題点について
その説明を省略する。この「反切」法は画期的な
述べておこう。
方法とはいえ、やはり、読みたい漢字の音を正確
前述したように、中国語の音節は母音のみか、
に把握するには、基礎となる漢字を知っているこ
あるいは子音プラス母音で構成される。ピンイン
とが前提となる。まだ漢字に触れてない初心者の
表記法では子音は全部で21個あり、母音は特殊母
視点から見れば、
「反切」法も一種のハードルの
音をも入れれば36個である。表にまとめると次の
高い学習法と言わざるを得ない。
ようになる。
やがて、時代が進む。アヘン戦争後、特に清朝
ピンインはあくまで中国語の発音を表すために
末の19世紀の終わりごろには、西洋人の中国進出
ローマ字を代用している一つの表音文字であり、
が多くなる。彼らが、中国語の発音にローマ字を
本来のローマ字の読み方とはところどころ異なる
使ったりした。それが漢字の発音表記に大きな影
ことに注意されたい。
響を与え、新たな漢字表音法を作るきっかけにな
それではピンイン(
る。19世紀の90年代に入るとローマ字をもとにし
!音)表記に潜んでいる問
題点を見てみよう。
た「切 音 新 字」と い う 発 音 体 系 が 提 案 さ れ る
ピンイン字母には、発音を正確に表せてないと
[2]。その後も議論やアイディアの提案が頻繁に
ころもある。母音表の一行目の「単母音」欄の
行われ、1918年11月母音16個、子音24個から構成
「e」は、記述上一つだけになっているが、実際
された漢字の表音符号である「注音字母」が公布
の発音では、二種類以上の発音が現れる。この現
された。この「注音字母」は日本語の片仮名に似
象を「e」が前後の音に影響され実際の音が変容
ており、漢字の部首を改造したようなものであ
されたケースとして片づけられるが、厳密には表
る。20世紀の50年代まで、漢字表音記号として広
記記号の不足といってもよい。「俄」(è)、「夜」
く使われてきた。台湾で現在も使われている。
(yè)、「恩」(ēn)、「了」(le)のピンイン表記に
中国語の国際化をねらい、1950年代の中ごろか
表れている「e」の発音は微妙に異なる。
ら中国本土で漢字の表音表記にローマ字を取り入
また、ピンイン綴りにも、初習者を混乱させる
れることを検討しはじめた。その結果、現行の表
決まりがある。ピンイン綴りの規則として、
「i、
音方式である「漢語ピンイン方案」が1958年に制
u、 」がそれぞれ単独で音節を構成するとき、上
定される。「漢語ピンイン方案」と呼ばれるこの
記のピンイン字母表に現れてない字母「y」と
現行の漢字表音方式は、ローマ字と声調記号に
「w」を 導 入 し て「i」を「yi」、「u」を「wu」そ
よって漢字の正しい読み方を示そうとしたもので
して「 」を「yu」と書き換えると定めている。
ある。今日では国際的に公認されている。だが、
類似した混乱しやすい決まりが他にもある。たと
このピンイン表記法は完全なものではなく、現状
え ば、
「j 」を「ju」、
「q 」を「qu」、
「x 」を「xu」
ではいくつかの問題点が存続していると言わざる
で表記する。このような初習者を困惑させる決ま
を得ない。
りがまだある。たとえば、
「uen、iou、uei」など
!
!
!
!
!
唇音
b
p
m
f
単母音
a
o
e
i
u
ü
舌尖音
d
t
n
l
二重母音
ai
ei
ao
ou
ia
ie
ua
uo
舌根音
g
k
h
三重母音
iao
iou
uai
uei
舌面音
j
q
x
舌先鼻音
an
en
in
ian
uan
uen
ün
üan
舌歯音
z
c
s
舌根鼻音
ang
eng
ing
iang
uang
ueng
ong
iong
巻舌音
zh
ch
sh
巻舌母音
er
r
子音表
母音表
―8
5―
üe
8
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
もその 一 例 で あ る。と い う の は、uen、iou、uei
にない発音。②学習者の母語にある発音と比べる
がそれぞれ単独で音節を構成するとき、「u」を
と発音時の口の形や舌の動きなどが微妙に異なる
「w」に、「i」を「y」に 書 き 換 え て、wen、
発音。③学習者の母語にもともとあっても意識せ
you、wei と 表 記 す る が、も し「uen、iou、uei」
ず明確に区別されてない発音。この三つのポイン
のそれぞれが子音と一緒に音節を構成するとき、
トは学習者にとって初期段階では正確な発音が掴
それぞれの真ん中の母音を抜き取るという決まり
み難いものになる。この難関を突破するために、
になっている。たとえば、
「liou」を「liu」と表記
できれば学習者の使用言語を調べておくと教えが
し、「huen」を「hun」と表記し、
「huei」を「hui」
効果的となる。学習者の使用言語の特徴がわかれ
と表記するという決まりになっている。初習者ど
ば、学習段階で、彼らのわかりにくいところや共
ころか、既習者にとっても覚えづらい決まりだと
通する問題点を的確に指摘し短時間で修正するこ
言わざるを得ない。その他にもまだある。zh、
とができる。つまり、発音学習段階での重要なこ
ch、sh、r と z、c、s の後に「i」が付くとき、そ
とはその地区、その民族、その国の学習者のケー
の「i」を「単母音」欄の「i」の発音で発音しな
スに合わせて教えることである。学習者の発音上
い。実際、ここでの「i」は「単母音」欄の「i」
の難点や問題点に気を配り、現れた問題点を細か
と異なる。その区 別 を 明 確 に す る た め に zh、
く分析して整理する必要がある。彼らの分かりに
ch、sh、r と z、c、s の 後 に 付 く「i」を「-i」と
くいところを正しく指導し、母語の影響で引きず
表示している。つまり、
「shi」「ri」などの尾音に
る歪んだ発音を訂正する方法を考案するのが早道
現れている「i」を「i」と表記しておいて、「i」
である。ピンイン教学にはすべてに共通する万能
と読んではいけない決まりである。もちろん、こ
の方法や教材が存在しない。学習対象によって、
れも初習者を困惑させる一つの要因である。
教える方法や教える内容の順序を工夫しなければ
結論的に言えば、漢字の表音方法は時代によっ
ならない。
て進化してきているが、完全なものはいまだにな
いと言えるだろう。かといって、中国本土で半世
日本人学習者にとって、ピンイン学習過程で、
以下の十個の発音が最大の難関といえる。
紀以上も使われてきて、国際的に承認されている
まず、
「母音表」の一番上の「単母音」欄にあ
ピンイン方案を簡単に変えることはできない。大
る6つ の 基 礎 母 音 の 中 の「ü」と「e」の2つ の
事なのは、どうすれば学習者がこのピンインの表
発音が日本語の発音にはない。それと、「母音
記法を正確にかつ早く覚えられるかである。
表」の一番下の「巻舌母音」欄に提示している特
以下では、ピンインを学習する上での留意点を
まとめておこう。
殊母音「er」の発音も日本語の発音にない。
「子
音表」の一番下の「巻舌音」欄に提示している
「zh」、「ch」、「sh」、「r」の4つの舌を巻いて発
3.ピンイン学習上の留意点
音する発音も日本語に現れない。これらの7つの
前述したように、ピンイン教育は中国語教育の
発音は、上で指摘した発音難点の①に相当する問
ベースであり、中国語基礎作りの非常に重要な一
題点である。つまり、学習者の母音に無い発音で
環である。基礎がしっかりできないと、中国語の
ある。
発音が乱れる。その結果、漢字を正しく読めなく
日本語では語尾に付く「n」と「ng」を一般的
なるだけではなく、せっかくマスターした言葉
に区別せずに一律「ん」で発音する。しかし、日
も、交流の道具としての役割を果たせなくなる。
本語の発音に「n」と「ng」はしっかり区別され
そのために、ピンイン教学の段階で、ピンイン表
た形で現れる場合がある。日本語ではそれを普段
音の特徴に注目し、ピンインを教えるときの難点
意識しないだけである。したがって、
「母音表」
と要点を正確にとらえなければならない。
の中の「舌先鼻音」と「舌根鼻音」を教えるとき
ピンイン学習の難点は、学習者の国や民族に
には、「-n」と「-ng」の区別をはっきりさせるた
よって異なってくる。ここでの難点とは大きく分
めの工夫が必要である。これらの2つの発音は、
類すると次の三つのことを指す。①学習者の母語
上で指摘した発音難点の③に相当する問題点であ
―8
6―
ビラールイリヤス
中国語の発音学習を効率化する試み
る。
8
7
音する。「h」を発音するときは、気流をふ
もう一つの難点は、
「an」で終わる音節の発音
さがず、そのまま流すようにして発音する。
で あ る。具 体 的 に は「an」、「ian」、「uan」、
つまり、k、q、ch、c を発音するとき、先ず
「 an」の4つの音節が単独で、あるいは子音の
気流をふさぎ、一筋の気流による摩擦で発音
あとに付き音節を構成したとき、音節の接尾部分
される。それに比らべて h、x、sh、s を発音
の「an」を「アン」と 発 音 し が ち だ が、実 際、
するときには気流のふさがりなく、直接発音
!
中国語の「-an」の発音は特殊なもので、「アン」
される。
のような奥よりの音ではなく、前よりの発音とし
中国語の発音学習上では、上記の三段に分けて
て現れる。
「「アヌ」の a を少し前よりに発音す
述べた問題をクリアすることが大事であるが、中
ると良い。」という指導をしているところもある
国語の発音に関するもう一つの重要な概念は中国
[3]。「an」を日本語の「アン」と発音してはい
語の声調である。
けない。これを上記の指摘した発音難点②に分類
することができる。
中国語学習上で避けて通れないのは、
「声調」
である。第1節で述べたように、中国語は声調言
中国語の発音を難しいと感じさせる要因は、上
語である。声調を持たない言語環境に慣れている
記の10個の発音である。ピンイン教育課程では、
日本人学習者にとって、中国語の声調を正確に把
この難関を時間をかけて丁寧にクリアする必要が
握するのはハードルの高い難関である。中国語の
ある。だが授業時間数が限られているため、教室
「声調」とは、発音時の声の高低アクセントを指
授業で学習者全員が完全に把握するまで時間をか
し、4種類ある。声調をはっきり聞きわけ、言い
けることができないというのも現状である。
分けするには、アクセントの高低や強弱、力を入
第二段階として、有気音と無気音の概念をはっ
きりさせるべきである。そのために、まず有気音
と無気音を単独で提示し、発音させることは重要
である。有気音には気流の流れが生じ、無気音に
は気流の流れが生じないということをビジュアル
れるところ、力を抜くところなどのコツをはっき
り捉える必要がある。
4.コンピュータを用いる発音学習指導を
効率化する試み
中国語の発音は音節と声調から成り立つ。音節
的に見せて、学習者の印象を深めると学習が効果
を正しく発音するには、①口の形、②舌の構えと
的になる。
第三段階として、混合しやすい発音の相違点を
動き、③空気の出所とそのぐあい、の三ポイント
はっきりさせる必要がある。具体的には以下の三
をしっかり押さえることが大事である。この三要
点に注意すべきである。
素の中のどちらか一つが欠けると、正確な発音が
「r」と「l」の発音の違い。日本語では一
できない。ところが、現状の教室授業のみでは、
般 的 に、
「r」と「l」を 明 確 に わ け な い の
生徒一人一人にこの三つの発音ポイントを正確に
で、両者をはっきり発音させるのは、日本人
把握してもらうには無理がある。口の形の変化や
学習者の苦手な学習課題の一つである。
舌の動きなどに慣れるには2、3回の学習だけで
①
日本語の「う」と中国語の「u」の発音の
不十分である。これらを正確に覚えてもらうには
違い。中国語で「u」を発音するとき、唇を
繰り返し練習できる CALL システムを併用するこ
日本語の「う」よりもまるくつきだし、舌を
とが有効的である。
②
以下では、より早く、より効果的に発音難点を
奥に引いて発音する。そうしない限り中国語
克服するために考案した CALL 教育システムを提
の「u」の発音にならない。
③
「有気音」と「摩擦音」の発音の違い。こ
案する。
れ は k と h、q と x、ch と sh、c と s を 発 音
今日では、コンピュータを用いるさまざまな学
するとき、空気の出し方の違いを明確にしな
習教材システムがある。長野大学の中国語 CALL
いといけない。「k」を発音するとき、まず気
教 材 シ ス テ ム http : //www 2.nagano.ac.jp/biraru/
流をふさぎ、それから気流を一気に流して発
Chinese/もその一例である。だが、ここで提案し
―8
7―
8
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
たい構想は現有のものと異なる。というのは、コ
もう一つの改善すべきところは、発音学習過程
ンピュータやインターネットの性能の向上によっ
での教材提示の順序や提示方法である。教材シス
て、当時としては難しいと思われた処理や表示方
テムを日本人学習者が学び易いように、効率良く
式も現在では簡易にできるようになっている。当
・正しく音節や声調感覚を習得できるように作成
時のコンピュータ教育システムといえば、文字に
しなおす必要がある。例えば、声調学習段階では
画像や音声を組み合わせたものがほとんどであっ
声調を声調記号順に、つまり第一声から第四声の
た。よって、当時の学習システムでは、学習者に
順に習うのは現行の方式である。が、音声学的に
音声が聞こえても、学習者がそれを正確に真似て
は第一声と第三声、第二声と第四声の二つの組に
いるかどうかに関して保障がつかなかった。真似
分けてやると、声調の感覚を捕らえ易くなる。そ
させる指導として文字や静止画での説明しかな
のほかにも、ピンイン学習上の留意点で述べた10
かった。ときには、文字や静止画では指導用の詳
個の発音難点や混合しやすい発音などの学習過程
細表現を正確に表せないこともある。発音を模範
で、比較対象や混合し易い音節などに関する情報
音声通りに的確に発し、間違った発音をしたと
を同時に提示する手法を取り入れたりすると、印
き、それを自分で気づき、正しい発音に直すとい
象的となり、習得し易くなる。
う機能を今までの CALL システムに取り組むのは
難しいことだった。
上記の二つの改善策を盛り込んだ新たなシステ
ムの構造は次の図1である。
図1
中国語発音学習指導用 CALL 教材システムの構想図
―8
8―
ビラールイリヤス
中国語の発音学習を効率化する試み
8
9
上記のシステムの音節学習部分では、母音を単
ンターネット言語を用いたので、機種とブラウザ
母音、二重母音、三重母音の順に、子音を唇音、
を問わず、あらゆる環境で動く。システム用の音
舌尖音の順の流れで発音部位ごとに提示し、それ
声データと映像データの作成が完成すれば教材シ
ぞれの音声および発音ヒント、関連語彙画像、指
ステムは使える状態にある。
導映像が参照できるようにする。各学習段階の定
もう一つ付け加える点は、発音学習システムに
着度を測るために成績評価仕組みも設ける。シス
音声認識エンジンを導入すると発音学習が簡単に
テムの成績評価用インタフェースには、長野大学
解決できるように見える、だが現時点での音声認
中国語 CALL 教材システムで使用されている手法
識エンジンの性能が教育現場での実用化に応えら
を移行する予定である。
れるものではない。語学の教育現場で使えるよう
声調学習部分では、声調を単音節と二音節で学
になるには更なる研究開発が必要となる。
習できるようにする。単音節では、一音節に対し
語学学習システムの開発に関して更に付け加え
て声調が4つしかないだが、二音節の場合声調の
ると、今のところ教育現場ではコンピュータプロ
組み合わせは16通りあり、軽声をも視野に入れる
グラム知識を有する語学教員が少ない。よって、
と20通りになる。この学習指導システムでは、声
学習システムの開発を外部委託する傾向が目立
調学習の具体策として、まず単 母 音 a、o、e、
つ。外部委託の教材システムには、次の二つの問
i、u、ü のそれぞれに対応する4つの声調を学習
題点が存在する。①システム構造上、各自の授業
できるようにする。学習指導には指導映像と指導
内容に合わせて修正・追加することができない。
要領を参照できるようにする。それから、この6
②少子化による財政難に陥っている今では、すべ
つの単母音をそれぞれ2回ずつ発音するときの二
ての大学が教育教材開発の外部委託に熱心に取り
音節構造の声調の組み合わせの学習もできるよう
組めるとはいえない。したがって、外部開発に依
にする。これによって、声調変化の感覚を分かっ
存することにはある意味でコンピュータを用いる
てもらうのがここでのねらいである。
教育の普及に支障がでる危険性が潜んでいるとも
難点克服部分では、日本語に無い7つの発音と
言える。とは言え、コンピュータを用いる授業形
日本語でははっきり区別されてない発音などの指
態は、情報化時代といわれている今日では、大学
導ができるように学習に映像や画像および注意事
教育のなくてはならない一部分となっていくに違
項を備える。それから、有気音と無気音、有気音
いないので、コンピュータを用いる教育システム
と摩擦音およびその他の混交し易い音を明確に区
の研究開発は必要不可欠である。
別できるように学習システムに映像指導や画像指
導などの関連コンテンツを配置する。しかも、混
交し易い音を比較し、その相違を視覚的に分かる
参考資料
[1] 丁迪蒙
ようにする。
版社
定着度測定部分では、学習の各段階での定着度
『対外漢語的課堂教学技巧』
(2
0
0
6)
[2] 中文礎雄
を測定でき、学習者が自分の到達度を常時把握で
波社
きるような機能をシステムに設ける。勿論、この
[3] 相原茂
同学社
イリヤス
(1
9
9
7)
「インターネット時代の
語学教育について」立命館教育科学研究
5.終わりに
時
他『WHY?にこたえるはじめての中国
[4] ビラール
にも常時分かるような仕組みになっている。
『中国のことばと文化・社会』
(2
0
0
6)
語の文法書』
学習システムは学習者の進行状況や到達度を教師
学林出
第1
5号
pp.
1−6(1
9
9
9)
[5] ビラール
ここでは、中国語の表音表記法およびそれを効
イリヤス「インターネットを活用し
た中国語発音ソフト」立命館大学教育科学研究
率的に学習できる CALL 教材システムの構築に
第1
6号
ついて述べることにとどまったが、実際、教材シ
[6] ビラール
ステムを稼動させる教材ソフト開発はほぼ完成し
ている。教材ソフト開発には JavaScript というイ
―8
9―
pp.
8
9−9
6(2
0
0
0年)
イリヤス「中国語学習におけるイン
ターネット活用の意義」立命館大学言語文化研究
第1
2巻
第2号
pp.
1
2
3−1
3
0(2
0
0
0年)
9
0
長野大学紀要
[7] ビラール
第3
1巻第1号 2
0
0
9
い世代の英語教育
イリヤス「インターネットを活用し
ョン
[1
1] 野沢和典、島谷浩、山本雅代『コンピュータ利
Vol.
9 pp.
1
1
4−1
1
8(2
0
0
0年1
1月)
[8] ビラール
用 の 外 国 語 教 育―CAI の 動 向 と 実 践―』英 潮 社
イリヤス「語学用 Web 教材に汎用性
(1
9
9
3年1
1月)
をもたらす試み」コンピュータ&エデュケーショ
ン
[1
2] 田辺鉄「携帯電話を利用した中国語授業」コン
Vol.
1
1 pp.
1
1
4−1
1
8(2
0
0
1年1
1月)
ピ ュ ー タ&エ デ ュ ケ ー シ ョ ン
[9] 吉田晴世、三根浩、竹内理、吉田信介、佐伯林
規江
自 作 ソ フ ト の 可 能 性―」コ ン ピ ュ ー タ&エ デ ュ
Vol.
9 pp.
1
0
4−
1
0
8(2
0
0
0年1
1月)
「マルチメデイア型英語 CALL システム―
ケーション
第3世代の CALL と「綜合的
な学習の時間」
』松柏社(2
0
0
1年4月)
た中国語学習教材」コンピュータ&エデュケーシ
[1
3] 東淳一「英語教育の自動化は可能か―IT の限界
と影を直視する―」コンピュータ&エデュケーシ
Vol.
1 pp.
8
5−9
0(1
9
9
6)
。
[1
0] 町田隆哉、山本良一、渡辺浩行、柳善一『新し
―9
0―
ョン
Vol.
1
1 pp.
2
1−2
9(2
0
0
1年1
1月)
長野大学紀要
第3
1巻第1号 9
1―1
0
6頁 2
0
0
9
アジア主義──竹内好の場合
Pan-Asianism : Le cas Takeuchi Yoshimi
佐 々 木
!
*
Thoru Sasaki
ちの作品に魯迅が言及するのは少ない。竹内好の
はじめに
報告によれば、東欧の弱小国家の作家たちに強い
竹内好が著した論文を中心に据えて、その考え
を追跡したい。「アジア主義」に関連する論文ま
たはエッセーの多くは1951年(40歳)以降に発表
されたものである。竹内好が、魯迅に関心をも
ち、作家の本質に迫ろうとしたことは前回までの
関心を持っていたようである。つまり近代化の波
に乗れない国の作家たちである。
1 近代化とは
1)ヨーロッパの近代化
拙論で触れてきた。すなわち竹内好が「アジア主
ヨーロッパの近代化で最も象徴的なことがら
義」の考えを明確にするためには、魯迅を論ずる
は、科学技術の振興である。そしてその考え方を
必要があったのである。竹内好がとらえた魯迅の
保証するのは、客観的な合理主義で、この考え方
矛盾もしくは混沌が生じたのはどんな理由による
はあらゆる分野に及んでいる。この考え方をもと
か。なぜ魯迅がそのような状態になったのか。そ
に、個人はむろんのこと、公的な組織も含めてあ
れは魯迅には啓蒙者と文学という二つの面がある
らゆる組織が、ひいては国家までもが効率を求め
ためということだ。そして問題にしたいのは、こ
ての競争主義を原理としてエネルギッシュに動き
の啓蒙者という点である。啓蒙とは、開くこと、
続ける。その結果、持てる国が科学技術先進国と
すなわち文化的、知的レベルを上げることだ。で
なり、持てぬ国が後進国となった。そしてその持
はそのレベルとはどんな状態ということになる
てぬ国の領土と資源、すなわちエネルギーの元と
か。それは「近代化」ということで、竹内好の指
なる化石燃料の産出地をめぐっての配分が争われ
摘である。
た。それが二度に渡る世界大戦であり、今なお頻
日本に近代化の波が押し寄せたのは明治以降で
ある。中国でも同じ時期とみなしてよい。しかし
発する戦いだ。ヨーロッパの近代はまさしく現代
につながる。
この波にうまく乗ることができたのは日本の方が
竹内好に捉えられ、理解されている「近代化」
先であり、その事実を魯迅は日本に来て知ったの
についての理解を試みる。すなわち「中国の近代
だ。この波に、中国がうまく乗りたいと魯迅が考
と日本の近代」(東京大学東洋文化研究所編『東
えたであろうと想像はできる。しかしながら、新
洋文化講座第三巻』「東洋的社会倫理の性格」、白
しい波に揉まれた日本の作家たちの苦しみをどの
日書院、1
948年。)にそってみる。竹内好が著わ
程度知ったろうか。文豪と言われる日本の作家た
したこの論文は「魯迅は、近代文学を建設した人
*企業情報学部教授
―9
1―
9
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
である。」で書き始められている。先ずこの定義
について論理の展開を追う。
波線部は論者がつけたものである。その波線部
の「今までなかった新しいもの」とは、竹内好に
よれば、「『近代』とよばれるものの本質と深くか
東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である、
らみあっている」ものである。ヨーロッパにおけ
あるいは、結果から導き出されたものである、とい
る「封建的なものから自己の解放」とは「自由な
うことは、一応は認めてかからねばならぬだろう。
資本の発生」であり「平等な個としての人格の成
近代というのは、ひとつの歴史的な時代である か
立」である。むろん、前者の「資本の発生」とは
ら、歴史的な意味で近代という言葉を使うのでなけ
資本主義の発生であり、キリスト教による縛りか
れば、混乱する。東洋にも、むかしから、ヨーロッ
ら解放された自由な考え方とあいまって、人々に
パの侵入以前かち、市民社会の発生はあった。……
新しいものを供給することで、すなわち科学的技
(略)……それでもそれは、今日の文学に無媒介に
術によって生産され流通に乗せられた商品が溢れ
つながっているものとはいえない。今日の文学が、
た。その恩恵に人々はあずかり栄えた。後者は、
それらの遺産の上に立っている事実は否定できない
キリスト教でいう人はキリストの子供であるとい
けれども、またある意味では、それらの遺産を拒否
う考え方がなくなったとすれば分かりやすいだろ
するところから今日の文学は発足しているともいえ
う。すなわち科学的なものの見方により、すべて
るのである。むしろ、それらの遺産が、遺産として
は神のなせる業ではないという認識が広まったの
承認されるようになったのは、つまり、伝統が伝統
である。このような考え方が中国にもたらされ、
たらしめられたのは、ある自覚によってであって、
その状況を魯迅がとらえ、中国人を作品に描きだ
その自覚を生み出した直接の契機は、ヨーロッパの
した。阿 Q を例にあげれば、古い習慣や習性と
侵入である。
新しいものの間にあって、新しいものに出合った
ヨーロッパが、その生産様式と、社会制度と、そ
阿 Q が重ねる失策を提示したことで理解できよ
れに伴う人間の意識とを、東洋に持ちこんだと き
う。したがって「今までなかった新しいもの」は
!!!!!!!!!!!!
に、今までなかった新しいものが東洋にうまれた。
「近代」ということになる。そしてこの時期に新
それをうむために、ヨーロッパはそれらを東洋へ持
しい傾向の文学作品を著したのが魯迅であるか
ちこんだのではないだろうが(むろん、今日では事
ら、この評論の冒頭にあるような表現、「魯迅
情がちがう)
、結果はそうなった。……(略)……と
は、近代文学を建設した人である」というように
もかくヨーロッパには、それを支え、東洋への侵入
断定するのだ。
を必然にする根元的なものがあったことはたしか
だ。恐らくそれは「近代」とよばれるものの本質と
2)日本と中国の近代化
深くからみあっているように思う。近代とは、ヨー
中国でのアヘン戦争(1840年)はイギリスがし
ロッパが封建的なものから自己を解放する過程に
かけたものである。これを知って危機感を抱いた
(生産面についていえば自由な資本の発生、人間に
のが江戸時代末期の下級武士たちである。これを
ついていえば独立した平等な個としての人格の成
きっかけに明治維新に至る運動が展開され、以後
立)
、その封建的なものから区別された自己を自己と
急速に欧米の様々な面が取り入れられた。社会の
して、歴史において眺めた自己認識であるから、そ
制度、仕組、教育、軍事などあらゆる面に渡って
もそもヨーロッパが可能になるのがそのような歴史
いる。このいわゆる文明開化に始まる欧米に追い
においてであるともいえるし、歴史そのものが可能
つけ追い越せの考え方に基づいて体制を整えるこ
になるのがそのようなヨーロッパにおいてであると
とが、日本の近代化である。
もいえるのではないかと思う。歴史は、空虚な時間
ならば中国の場合はどうか。アヘン戦争から始
の形式ではない。自己を自己たらしめる、そのため
まるのであるが、中国という一枚の大きな桑の葉
その困難と戦う、無限の瞬間がなければ、自己は失
を欧米の数匹の蚕が食べるかのように始まった。
われ、歴史も失われるだろう。(竹内好『日本とアジ
日本も負けじと、日清、日露戦争を通じて国力を
ア』ちくま学芸文庫、1
9
9
3。1
2頁)
貯え、中国に進出した。すなわち中国の近代化
―9
2―
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
9
3
は、欧米列強の犠牲になりつつあった状態として
それから市場の開放の要求、あるいは人権と信教の
よいだろう。
自由の保障、借款、救済、教育や解放運動の援助な
日本が欧米の近代化路線、植民地獲得競争に乗
どと変ってくるが、そのこと自体が合理主義精神の
り出した状態を、日本に留学している魯迅はつぶ
進歩を象徴する。よりよき完全への無限の近づきを
さに見ていた。傍観者として眺める自国の国民た
目指す向上心、それを裏づける実証主義と経験論と
ち、そして反日を展開するにしても日本の「欧米
理想主義、ものを等質において量的に見る科学、す
に追いつけ追い超せ」的な発想にもとづく革命運
べてそれらの近代の特徴的性格が、その運動のなか
動をも魯迅は見ている。しかし魯迅は、革命が達
から生れた。(同、1
3∼1
4頁)
成されても人間の本質的な部分は変らないとして
まず引用の前半部分の理解である。
「自己保存
「阿 Q 正伝」を著わした。
このような魯迅を見て竹内好はヨーロッパの近
の運動」とは竹内が書いたとおりであるが、
「運
動」としているところに注目すれば、固定された
代化を拒否し始めたのだ。
保守的であることが否定されている。「自己保
ヨーロッパが本来に自己拡張的であることが(そ
存」ということだけであれは、即ち保守が強けれ
の自己拡張の正体が何であるかという問題を別にし
ば専制君主を中心とした封建時代のまま続く。こ
て)
、一方では東洋への侵入という運動となって現れ
れが否定されるがゆえに「運動」があるわけだ。
たことは、認めてよかろう。(他方では、アメリカと
「運動」であるから動く。しかしその「動く」と
いう鬼っ子を生み出した。
)それはヨーロッパの自己
いうことは、時と場合によっては破滅することも
保存の運動のあらわれである。資本は市場の拡張を
あり得る。動きながら常に自分であることを自分
欲するし、宣教師は神の国をひろめる使命を自覚す
に求めているのだから、例えば、常に自分が強い
る。かれらは不断の緊張によって自己であろうとす
ということを維持し続けるならば、その強さを求
る。たえず自己であろうとする動きは、たんに自己
めて新しいことを手に入れ、自分を強い状態にす
に止ることを不可能にする。自己が自己であるため
る、ということになるだろう。したがって様々な
には、自己を失う危険も冒さなければならぬ。ひと
動きに対応しなければならないわけだ。そしてそ
たび解放された人間は、もとの閉鎖的な殻のなかへ
れを「資本主義の精神」とする。
「進歩」という
戻ることはできない。動くことのなかにしか、かれ
概念を添えて。
は自己を保てない。資本主義の精神とよばれるもの
この考え方を取り入れて引用文の後半が始ま
がそれだ。それは時空へのひろがりの方向において
る。ヨーロッパの進出または拡張にその考え方は
自己をとらえる。進歩の観念、したがってまた歴史
作用したのである。これをすることでヨーロッパ
主義の思想は、近代のヨーロッパではじめて成立し
が自分を保存した、と竹内好は理解する。こうし
た。それは十九世紀の末まで疑われなかった。
てヨーロッパ以外のところで出来上がったのが、
ヨーロッパがヨーロッパであるために、かれは東
すなわち植民地であり、その獲得が競争として展
洋へ侵入しなければならなかった。それはヨーロッ
開され、日本も遅れてはならないとしたのであ
パの自己解放に伴う必然の運命であった。異質なも
る。
のにぶつかることで逆に自己が確かめられた。ヨー
そして竹内好はまとめる。
ロッパの東洋へのあこがれは古くからあったが(む
しろヨーロッパそのものが本来的に一種の混淆であ
ヨーロッパの自己実現であるこのような運動が、
る)
、侵入という形の運動は近代以後である。ヨーロ
高次の文化の低次の文化への流入、その同化、ある
ッパの東洋への侵入は、結果としては東洋の資本主
いは、歴史的段階の落差の自然調節として、客観的
義化の現象を起したが、それはヨーロッパの自己保
法則の形で眺められたのは、ものを等質において見
存=自己拡張を意味するものであり、したがって、
るヨーロッパの目からは、当然であった。ヨーロッ
ヨーロッパにとっては、世界史の進歩、あるいは理
パの東洋への侵入は、東洋において抵抗を生み、そ
性の勝利と観念された。侵入の型は、最初は征服、
の抵抗は当然、ヨーロッパ自体へ反射したが、それ
―9
3―
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さえも、すべてのものを究極的には対象化して取り
る。
出しうるという徹底した合理主義の信念を動かすこ
とはできなかった。抵抗は計算されており、抵抗す
ヨーロッパと東洋とは、対立概念である。近代的
ることによって東洋はますますヨーロッパ化する運
なものと封建的なものが対立概念であるように。
命にあることが見とおされていた。(同、1
4∼1
5頁)
もっとも、この二組の概念のあいだには、空間的と
時 間 的 と い う 範 疇 の ち が い が あ る だ ろ う。……
この抵抗が起きると同時に「世界史そのものの
(略)……そもそも、このような概念的理解が、し
矛盾」が登場したとしている。すなわち「ヨーロ
たがってその形式のちがいを判断する力が、近 代
ッパの分裂」である。ひとつは、
「資本そのもの
ヨーロッパ的なものであるだろう。つまり、緊張の
を否定する方向」としてのロシア革命、二つ目は
持続の産物である。東洋には、本来にはヨーロッパ
「ヨーロッパの植民地であった新大陸がヨーロッ
を理解する能力がないばかりでなく、東洋を理解す
パから独立」したことである。しかもヨーロッパ
る能力もない。東洋を理 解 し、東 洋 を 実 現 し た の
に対立さえした。むろん、アメリカ大陸を指して
は、ヨーロッパにおいてあるヨーロッパ的なもので
いる。三つめは「東洋における抵抗」である。こ
あった。東洋が可能になるのは、ヨーロッパにおい
の抵抗も竹内好は計算されたものであったという
てである。ヨーロッパがヨーロッパにおいて可能に
という認識を示す。
なるだけでなく、東洋もヨーロッパにおいて可能に
なる。もしヨーロッパを理性という概念で代表させ
ヨーロッパがどう受け取ったにせよ、東洋におけ
れば、理性がヨーロッパのものであるばかりで な
る抵抗は持続していた。抵抗を通じて、東洋は自己
く、反理性(自然)もヨーロッパのものである。す
を近代化した。抵抗の歴史は近代化の歴史であり、
べてがヨーロッパのものである。(同、2
0頁)
抵抗をへない近代化の道はなかった。ヨーロッ パ
は、東洋の抵抗を通じて、東洋を世界史に包括する
東洋をどのようにとらえ、どのように理解する
過程において、自己の勝利を認めた。それは文化、
かなどと考えること自体がすでにヨーロッパ的な
あるいは民族、あるいは生産力の優位と観念さ れ
のだ。ヨーロッパに出会うことがなければ東洋は
た。東洋はおなじ過程において、自己の敗北を認め
東洋とはならなかったのだ。ならば、ヨーロッパ
た。敗北は抵抗の結果である。抵抗によらない敗北
なしでの東洋的なものとはどんなことか。
はない。したがって、抵抗の持続は敗北感の持続で
ある。ヨーロッパは一歩ずつ前進し、東洋は一歩ず
しかし、それがヨーロッパ的だという保証はどこ
つ後退した。後退は、抵抗を伴う後退であった。こ
にあるか。ヨーロッパ的だとか東洋的だとかいう判
の前進と後退が、ヨーロッパにとって、世界史の進
断の根拠は何か。真理は 普 遍 的 で な い の か。私 の
歩と観念され、理性の勝利と観念されるという こ
いっていることは、それをつきつめていけば、一種
と、そのことが、持続する敗北感のなかで、抵抗を
の不可知論、あるいは相対論になるのではないか。
通じて東洋に作用したとき、敗北は決定的にな っ
これらの疑問が、私自身 に も 浮 ぶ。お そ ら く そ れ
た。つまり、敗北 は 敗 北 感 に お い て 自 覚 さ れ た。
は、認識論の問題につながるか、心理学で解かれる
(同、1
7頁)
問題であるかもしれない。私は、認識論も心理学も
知らぬから、問題をその方向に深めることはできな
この敗北感を日本は早くから認識した。だか
い。それも大切だとは思うが、私の任ではない。私
ら、日本にとって必要なことは「抵抗」ではな
はただ、自分が経験的に知っていることをもとにし
く、追いつけ追い越せであり、近代化されていな
て、文学的直感を手がかりとして、与えられた(つ
いアジアでのなかでは、日本なりの近代の実現を
まり、現在の私自身の)問題を解こうとしているだ
試みたのである。
「国威発揚」を錦の御旗に掲げ
けである。……(略)……しかし、もし真理が相対
て邁進したのだ。
的であるかないかを問われたら、現在のままでは、
ところで竹内好は次のようなことも書いてい
―9
4―
つまり、今日の私の環境のなかでは、そのかぎりで
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
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5
は、相対的であると答えるほかないように思う。…
である。抵抗とは何かと問われたら、魯迅において
…(略)……魯迅を読むと、かれが私とおなじもの
あるようなもの、と答えるしかない。そしてそれは
を、私よりはるかに正確に感じていることがわかっ
日本には、ないか、少いものである。そのことから
たので、それによって私の経験内容は確かめられ、
私は、日本の近代と中国の近代を比較して考えるよ
問題を解く手がかりを与えられたわけである。
うになった。
私がそれを「東洋の抵抗」という概括的な表現で
私は、魯迅とこのような道で出あった。(同、2
1∼
考えるようになったのは、魯迅にあるようなも の
2
2頁)
が、他の東洋諸国にもあるのを感じ、そこから東洋
これに続く文章で竹内好は「真理が相対的だ」
の一般的性質を導き出せるのではないか、と考えた
という判断もヨーロッパ的ではないか、と考え始
からである。東洋の一般的性質といっても、そんな
めた。そしてこのような状態は、魯迅が繰り返し
ものが実体的なものとしてあるとは私は思わない。
書く「私は何も知らぬ」とすること、魯迅の混沌
東洋が存在するかしないかという議論は、私には、
とした状態と同様であると理解する。すなわち竹
無意味な無内容な、学者の頭のなかだけの、うしろ
内好の思索は極めて魯迅的であるといえよう。
向きの議論のように思われる。そんなものが客観主
義的な学問の内容のように観念されている学者の頭
3)日本の侵略は近代化路線
の構造が問題なので、そのこと自体が東洋という観
明治以来、日本がとった膨張主義や侵略、軍国
念の日本におけるダラク史、したがってまた学問一
主義、とあからさまには言ってはいないが、竹内
般のダラク史を象徴するように思う。現に、実践面
好によれば、これらは欧米的な近代化路線を採用
においては、そのような学問が、学問の名によって
したがためである。すなわち「欧米に追いつけ追
軍閥の私欲を許してき、いまも許しているではない
い超せ」を実践するためには彼らと同じ装いをし
か。(東京裁判の弁論を見よ。
)東洋という観念も、
なければならないのだ。つまり「富国強兵」だ。
他の観念とおなじように、日本の近代化の一時期に
ここにあるのは、欧米に追随する考え方だけに
は、進歩的な方向をもったように思われるが(たと
過ぎず、独自な考え方を展開できないと指摘され
えば『東洋自由新聞』のころ)
、それ以後は、まっし
る日本の姿がある。竹内好の指摘を見たい。
ぐらにダラクしてきている。そしてそのダラクは、
ダラクの方向にある精神の主観においては、当然、
私にとって、すべてのものを取り出しうるという
ダラクと気づかれない。ただ、ヨーロッパにある東
合理主義の信念がおそろしいのである。合理主義の
洋の観念(それは運動する)が投射したときに、そ
信念というより、その信念を成り立たせている合理
の差が意識にのぼるが、その差を相手の進歩におい
主義の背後にある非合理的な意志の圧力がおそろし
て自分のダラクとしてとらえる自己認識には達しな
いのである。そしてそれは、私にはヨーロッパ的な
い。なぜなら、そこには抵抗がないからであり、つ
ものに見える。私は、自分のおそれの感情を、その
まり、自己を保持したいという欲求がない(自己そ
ものとしては気づかずに過してきた。日本の思想家
のものがない)からである。抵抗がないのは、日本
なり文学者なりの多くが、少数の詩人を除いて、私
が東洋的でないことであり、同時に自己保持の欲求
が感じるようなものを感じていぬこと、かれらは合
がない(自己がない)ことは、日本がヨーロッパ的
理主義をおそれていぬこと、しかもかれらが合理主
でないことである。(同、2
8∼2
9頁)
義(唯物論を含めて)と称するものが、どう見ても
私には合理主義に見えぬこと、を感じ、私は不安で
少し長い引用になったが、この部分で問題にし
あった。そして私はそのとき魯迅に出あった。そし
たいことは、合理主義と抵抗、そして竹内好のい
て魯迅が、私が感じているような恐怖に捨身で堪え
う「ダラク」である。
ているのを見た。というよりも、魯迅の抵抗から、
まず「合理主義」を考えてみる。竹内好が恐れ
私は自分の気持を理解する手がかりをえた。抵抗と
るのは、合理主義の「信念を成り立たせている合
いうことを私が考えるようになったのは、それから
理主義の背後にある非合理的な意思の圧力」であ
―9
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る。この「非合理的な意思の圧力」とは何か。そ
もそも合理主義とは、すべてを理性でとらえ、理
性で理解し、理性によって説明しようとする。す
なわち、平たく言うならば、すべてを理屈で片づ
つけ追い越せ」の姿勢そのものである。
2 日本の開戦と敗戦
1)竹内好の宣言──大東亜思想の肯定
ける、という考え方だ。むろんこの考え方は誰に
これまで見てきた論文、
「中国の近代と日本の
も納得できるし、受け入れることができる。この
近代」は1948年に出版された『東洋文化講座第三
ことを問題にしているというわけではなく、竹内
巻』に書き下ろし、収録されたものである。した
好がこの背後にあるものに対する不信の念をもっ
がって竹内好が到達した考えは第二次世界大戦が
ていることを表明したと言えよう。それは「非合
終わってからの、いわば総括と言える。苦しくも
理的な意思」であって、今上に述べた合理主義の
深く掘り下げた思考は、自らの来し方をどのよう
概念とは反するものである。最も合理的なもの
に捉えるかをもがきつつ、われわれにその考えを
は、宇宙を含めた自然である。だから、これらす
示している。ここでさらに時間をさかのぼって12
べてが理屈で説明できるのだ。とすると非合理的
月8日、すなわち真珠湾攻撃による米英、すなわ
なものとは何か。その最たるものは、人間の心の
ちヨーロッパへの宣戦布告のあとに竹内好の考え
ありようということになると思える。例えば、狼
が示された文章をみる。それは、中国研究会の機
は種の違った動物を襲うが、目的はただ一つであ
関誌『中国文学』
(第80号、1942年1月発行)に
る。それは自分の生命、自分の属する種の保存の
掲載された開戦時の宣言である。
まず最初の三行である。
ためである。それ以外に襲うことはない。人間の
ように趣味あるいは愉しみとして銃で動物を襲
い、壁にその頭を飾ることなどはしない。あくま
歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。わ
でも狼の行動は自然の法則にしたがう合理的なそ
れらは目のあたりそれを見た。感動に打顫えな が
れである。今このような例を挙げたが、仮に竹内
ら、虹のように流れる一すじの光芒の行衛を見守っ
好のいう「非合理的な意思」とは、
「人間の心」
た。胸ちにこみ上げてくる、名状しがたいある種の
としておく。端的に言うなら、ヨーロッパ人たち
激発するものを感じ取ったのである。(
『竹内好セレ
の意思ということになるかもしれない。
クション¿』日本経済評論社、2
0
0
6。4
1頁)
その竹内好の「おそれ」を魯迅に見出し、身悶
えながら魯迅は「抵抗」しているように竹内好に
この冒頭の文章は、
「万歳」という掛け声が聞
は思えたのである。すなわち、中国の社会および
こえてくるような讃美の声はない。そのような思
中国人が古来持ち続けていたものを容易に捨てよ
いは抑えられており、「見守った」「感じとったの
うとはしない魯迅の姿勢を見たのだ。もとより魯
である」という表現で自らの心の内を客観的に表
迅は日本のプロレタリア作家のような作品は書い
現した文章といってよいだろう。
てはいない。その意味では革命作家ではないし、
「宣戦の大詔」が下ったことで日本国民が一つ
事実、そのような傾向のある中国人作家たちとは
になったとを記し、予期できない展開である、と
激しい論争をしている。その魯迅の抵抗、竹内好
している。これによって「囚われていた」自分た
自身の抵抗を「東洋の抵抗」と考えてよいだろ
ちは「積年の鬱屈」が吹き飛ばされた。これまで
う。
中国研究者は「支那事変」の扱いに苦慮してお
次の「ダラク」は引用文でわかるように日本に
り、「すべてのものを白眼」で見ていた。そして
おける「東洋」の考え方をあしざまに批判してい
「東亜建設の美名に隠れて弱い者いじめをするの
る言葉である。すなわち、日本は「自己を保持し
ではないか」と疑っていた。ところが米英への宣
たいという欲求がない(自己そのものがない)
」
戦布告は「東亜に新しい秩序を布く」
「民族を解
のであり、したがってヨーロッパのように「自己
放する」と意義あることと見なし、自分たちの決
保存の運動」もしない。運動といっても全く異な
意としている。戦いが始まったことを嘆くより、
る運動で、お手本を見習う、いわば「欧米に追い
戦争に期待さえかけている。すなわちアジア開放
―9
6―
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
への期待である。
9
7
る。八・一 五 を 考 え る こ と な し に、自 分 に つ い て
も、民族の運命について も、考 え る こ と は で き な
東亜から侵略者を追いはらうことに、われらはい
い。
ささかの道義的な反省も必要としない。敵は一刀両
八・一五は決定的に重要な事件であって、その重
断に斬って捨てるべきである。われらは祖国を 愛
要さが、これまで、自分だけの記録を残したいとい
し、祖国に次いで隣邦を愛するものである。われら
う私のこころみを、たじろがせてきた。(同、1
8頁)
は正しきを信じ、また力を信ずるものである。
大東亜戦争は見事に支那事変を完遂し、これを世
すなわち8月15日で戦争前の竹内好とは違うこ
界史上に復活せしめた。今や大東亜戦争を完遂する
とを理解すべきである。そしてこの8月15日を重
ものこそ、われらである。(同、4
3頁)
大な失策ととらえていることに注目したい。
すなわち、この日本の戦争行為を先にみた魯迅
八・一五は私にとって、屈辱の事件である。民族
の抵抗と同質のもの、あるいは東洋の抵抗とみな
の屈辱でもあり、私自身の屈辱でもある。つらい思
したのである。そして最後の段落にある文章に注
い出の事件である。ポツダム革命のみじめな成りゆ
目したい。
き を 見 て い て、痛 切 に 思 う こ と は、八・一 五 の と
き、共和制を実現する可能性がまったくなかったか
道は遠いが、希望は明るい。相携えて所信の貫徹
どうかということである。可能性があるのに、可能
につき進もうではな い か。耳 を す ま せ ば、夜 空 を
性を現実性に転化する努力をおこたったとすれば、
掩って遠雷のような轟きの谺するのを聴かないか。
子孫に残した重荷について私たちの世代は連帯の責
間もなく夜は明けるであろう。やがて、われらの世
任を負わなければならない。(同、1
9頁)
界はわれらの手をもって眼前に築かれるの だ。諸
自分のみならず、日本民族の不覚だということ
君、今ぞわれらは新たな決意の下に戦おう。諸君、
だ。この引用文の次に出てくる「高貴な独立の
共にいざ戦おう。(同、4
5頁)
心」が失われた状態だったと省みている。無論そ
この時点での竹内好の年齢は31歳である。中国
の心とは「東洋の抵抗」という言葉に象徴される
関係の情報がある程度入るとは言え、世界全体が
心だ。毛沢東は、その意味で日本国民に期待して
視野に入るというような情報はなかったはずだ。
いたにもかかわらず、と竹内好は書く。そして8
一方的に入ってくるのは、後でも見るが、
「大東
月15日のことであるが、丸山真男のような体験を
亜思想」「大東亜共栄圏」などを旗印とした考え
しなかったことを告白している。この丸山真男
方が中心であった。いわば多くの人が、そして竹
は、これまで新聞に登場することがなかった「民
内好も「正義の戦争」と位置づけたと言えよう。
主主義」という言葉が新聞に大きく載ったのを見
て感動したという。竹内好はその日のことを次の
2)屈辱ということ
ように記している。
日本が敗戦した時の竹内好の思いをみる。1953
年岩波書店の発行する月刊雑誌「世界」に掲載さ
その日の午後、私は複雑な気持にひたっていた。
れたエッセーで「屈辱の事件」と題をつけた一文
よろこびと、悲しみと、怒りと、失望のまざりあっ
である。趣旨は8月15日の敗戦記念をどう捉える
た気持であった。当時の 心 境 は、今 日 の 私 に と っ
かで、強力な「ポツダム革命」とすることができ
て、まだ足を踏みいれてない曠野のように無辺のひ
なかった悔悟に満ちている。
ろがりをもっている。私がなみの兵隊より孤独でい
られたことが、そうさせたわけだ。
私の後半生は八・一五から出発している。いや、
天皇の放送は、降伏か、それとも徹底抗戦の訴え
前半生も八・一五によって意味づけられるようなも
か、どちらかであると思った。そして私は、後者の
の だ。八・一 五 は、影 の よ う に 全 体 を お お っ て い
予想に傾いていた。ここに私なりの日本ファシズム
―9
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長野大学紀要
第3
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への過重評価があった。私は敗戦を予想してい た
が、あのような国内統一のままでの敗戦は予想しな
かった。アメリカ軍の上陸作戦があり、主戦派と和
3 戦争を振り返るための検証
1)「近代の超克」のこと
平派に支配権力が割れ、革命運動が猛烈に全国をひ
とにかく竹内好は、8月15日に打ちのめされた
たす形で事態が進行するという夢想をえがいてい
のだ。このときの思いを何らかの形で精算しなけ
た。国内の人口は半減するだろう。統帥が失われ、
ればならないのだが、これを果たしたのが「近代
各地の派遣軍は孤立した単位になるだろう。パルチ
の超克」と題する文章である。この論文は、1959
ザン化したこの部隊内で私はどのような部署を受け
年11月20日付けで筑摩書房発行の『近代日本思想
もつことになるか、そのことだけはよく考えておか
史講座』の第七巻「近代化と伝統」で発表され
なければならないが、などと考えていた。ロマンチ
た。この論文では次のような見出しで五つの部分
ックであり、コスモポリタンであった。天皇の放送
に分かれている。
は、こうした私をガッカリさせた。何物かにたいし
「一
て腹が立ってならなかった。解放のよろこびも、生
克』伝 説 の 実 体」
、「三
き残ったことのよろこびも、はじめはあまり実感に
味」、「四
ならなかった。私は当時、相当に非人間的であった
派』の役割」となっている。以下に引用を交えな
と、いま考える。(
『竹内好セレクション¿』日本経
がら記す。まず一の「問題のあつかい方につい
済評論社、2
0
0
6。2
2∼2
3頁)
て」の冒頭である。
問題のあつかい方について」、「二
『超
『十 二 月 八 日』の 意
総力戦の思 想」、「五
『日 本 ロ マ ン
「非人間的」とはどんなことか。この引用文の
「近代の超克」というのは、戦争中の日本の知識人
冒頭で喜怒哀楽を記しているのだから、
「非人間
をとらえた流行語の一つであった。あるいはマジナ
的」とは言えないはずだが。つまり「よろこび」
イ語の一つであった。「近代の超克」は「大東亜戦
は戦争が終わったことであり、
「悲しみ」は敗戦
争」と結びつ い て シ ン ボ ル の 役 目 を 果 し た。……
であり、「怒り」は欧米への徹底抗戦をしないこ
(略)……
とに向けられ、
「失望」は欧米とは異なる東亜の
「近代の超克」という知識人ことばは、たぶん民衆
思想実現への失望である。竹内好自身の個人の感
ことばの「撃ちてしやまん」や「ゼイタクは敵」に
情である。したがって充分人間的であると言え
対応するだろう。ここで「民衆ことば」といったの
る。
は、民衆がつくり出した、という意味ではない。民
しかしながら竹内好は、敗戦の混乱を予想し、
衆用に支配者がつくり、それを民衆が消費した、と
それが革命に向かう反乱が起こりうると見なして
いう意味である。消費するために民衆は当然知恵を
いた。しかも竹内好自身はパルチザン、すなわち
はたらかせたが、その知恵はことばにはならなかっ
抵抗運動もしくは抵抗の戦いに身を投じる覚悟で
た。「撃ちてしやまん」に自分の哀歓を托するよりほ
あった。その状態を竹内好自身は「ロマンチッ
かに自己表現の道がなかった。「近代の超克」は、知
ク」で「コスモポリタン」、すなわち国際人を自
識人が純粋に自家消費用につくり出したものだか
認していた。何千万という人々が戦争で疲れ切っ
ら、この点は「撃ちてしやまん」とはちがうが、戦
ているにもかかわらず、次の戦乱、混乱を期待し
争とファシズムの記憶がまつわりついて、複雑な反
ていたのである。地に足のついた考え方をしてい
応をよびおこす点は共通である。(竹内好『日本とア
なかった。「非人間的」であったことへの反省の
ジア』ちくま学芸文庫、1
9
9
3。1
5
9∼1
6
0頁)
弁であるとして良いだろう。
竹内好にとって、屈辱とは大東亜思想が破れた
「近代の超克」という言葉が、戦後の時代にお
ことであり、真の民主主義が、毛沢東の期待に反
いて否定されるべき言葉であり、否定されるべき
して、日本人の発想に基づかなかったことであ
考え方として定着している、ということだ。竹内
る。
好はこの言葉も含めて考え方を検証する。
―9
8―
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
9
9
固 有 の 意 味 で の「近 代 の 超 克」は、雑 誌『文 学
と思想と、思想の利用者を区別すべきだとする考
界』が一九四二年(昭和十七年)九、十月号にのせ
えを表明し、次のような定義をよくできていると
たシンポジウムを指す。これは翌年、単行本になっ
して紹介する。それは、文学者の小田切秀雄が
て出版された。「近代の超克」ということばは、この
1958年4月号の『文学』に書いた論文「
『近代の
催しによってシンボルとして定着された。
超克』について」からの引用である。
しかし、シンボルとして定着された と い う こ と
は、このシンポジウムの主催者なり参加者なりが、
太平洋戦争下に行われた『近代の超克』論議は、
「近代の超克」をとなえ、あるいは推進した、とい
軍国主義支配体制の『総力戦』の有機的な一部分た
うことと直ちに一致はしない。つまり当事者たちに
る『思想戦』の一翼をなしつつ、近代的、民主主義
「近代の超克」を一つの思想運動にしようとする意
的な思想体系や生活的諸要求やの絶滅のために行わ
図があったとは断定されない。これは事実に即して
れた思想的カンパニアであった。当時『思想戦』を
いま私がそう判断するのである。出席者たちの思想
呼号していた一層粗暴な軍国主義者たち(文壇のな
傾向は多様であり、日本主義者もいれば合理主義者
かにも少なからずいた)の活動にたいして、『文学
もいて、「近代の超克」という出題をめぐって各人各
界』グループを中心としたこの論議は、ヨリ知的な
説を述べあっているが、結局「近代の超克」とは何
スマートな外見を示していたが、本質的には同 じ
かということは明らかにされていない。お互いの問
コースを進んでいたものであり、それだけに手のこ
の考え方のちがいを認めあうだけに止まっている。
んだ影響を及ぼしていた。『文明開化』と官僚主義へ
(同、1
6
0頁)
の批判という形で日本浪曼派が行ってきた資本主義
文明批判はこの論議によってヨリ広い視野のなかに
当時の文献を探るなかで、このように「近代の
ひきだされ、さらに日本の近代社会とその生活・文
超克」のいわれが「思想運動」を目的として設定
明・芸術等においての近代的な側面のいびつな展開
されていなかった点を竹内好は明らかにしてい
とそれの伴った弱点がさまざまな角度から論難攻撃
る。そしてもう一つの座談会をここに登場させて
され、その結論として軍国主義的な天皇制国家の擁
いる。
護・理論づけないしそれの戦争体制の容認・服従と
いうことが思想的カンパニアとして行われたのであ
おなじこ ろ も う 一 つ「悪 名 高 き」座 談 会 が あ っ
る。(同、1
6
6頁)
た。西田幾多郎と田辺元に師事するいわゆる京都学
派の四人の哲学者、歴史家によって行われたも の
大政翼賛会は1940年(昭15)に近衛内閣のもと
で、一九四一年から四二年にかけて前後三回『中央
で結成された国民統制組織である。これは、国民
公論』に掲載され、これも後に最初の座談会の名を
の心の内面を統制することはしなくても思想的な
とって『世界史的立場と日本』として出版された。
位置づけ、すなわち「錦の御旗」のもとに統一し
……(略)……「近代の超克」と「世界史的立場」
ようとする役割を果たした。これを受けて、知識
とは、思想としては多くの共通点をもっており、運
人たちが「世界史的立場」と「近代の超克」をシ
動としても(かりにそれを運動と見るならば)後者
ンボルとして描き出したのである。
の出席者中二名が前者へ招聘されていて、連関があ
る。知識人の戦争協力を弾劾するとき、「近代の超
2)その思想
竹 内 好 は 次 の「『超 克』伝 説 の 実 体」の 章 で
克」と「世界史的立場」とはならび称せられるのが
は、座談会の構成メンバーを明らかにしながら、
普通である。(同、1
6
1頁)
その参加者の考えを克明にみている。雑誌「文学
すなわち後者の「世界史的立場と日本」は、前
界」の1942年9月号と10月号に分載された関係論
者の「近代の超克」の座談会よりも早く行われて
文と座談会内容とメンバーの構成を見て「三つの
いた。この二つの座談会によって一定の考え方が
思想の要素、あるいは系譜が組み分けられてい
形成されたと竹内好は見ている。そしてシンボル
る」としている。この三派とは「文学界グルー
―9
9―
1
0
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0
0
9
プ」「日本ロマン派」「京都学派」であり、
「思想
いる」という場所へもどった。津村秀夫は「近代精
としての『近代の超克』を成り立たせている」と
神の超克と同時に現代精神の脱却も必要」で科学は
断言している。そしてこの座談会の意図を次のよ
否定せねばならぬ、という場所にもどった。林房雄
うに竹内好は整理している。
は「我々知識階級の大部分を、国を忘れ、大君を忘
れた租界人種にしてしまった」近代文学を呪う場所
第一に、太平洋戦争の開始は、河上たちにとって
へ、亀井勝一郎は「我々が『近代』という西洋の末
ショックであり、「知的戦慄」であったことが述べら
期文化をうけた日から、徐々に精神の深部を犯して
れている。その「知的戦慄」の内容は、「西欧知性」
きた文明の生態」を指摘し「現在我々の戦いつつあ
と「日本人の血」の間の「相剋」ということで説明
る戦争は、対外的には英米勢力の覆滅であるが、内
されている。第二に、「新しき日本精神の秩序」が
的にいえば近代文明のもたらしたかかる精神の疾病
「国民の大部分」の間でただスローガンを「斉唱」
の根本治療」だと考える場所へもどったのである。
するだけに止っている「無気力を打破」したいとい
(同、1
7
9∼1
8
0頁)
う意欲が出ている。第三に、そのために専門知識人
の間の「文化各部門の孤立」という壁をつき破らね
竹内好の紹介の仕方からすれば次の通りになる
ばならぬ、という実践要 求 が 出 て い る。こ う し て
だろう。明治維新以降、日本古来の文化などは失
「文学界」の同人以外に広く呼びかけがなされ、共
われた。ヨーロッパ文明の到来が「日本の近代
通の課題として「近代の超克」という目標設定がさ
化」であり、それはありのままに受け止めなが
れたのである。(同、1
7
6頁)
ら、これを乗り越えなければならない。その理由
として、ヨーロッパ文明は末期文化であり、科学
この座談会のなかに、含意として歴史主義の克
は否定すべきものであるからで、それが課題であ
服と文明開化の否定を、竹内好は参加者の言葉や
る。そのためには「精神の疾病の根本治療」とし
提出論文から読み取っている。しかしながら討論
て「宗教の立場」あるいは「主体的無の立場」を
はうまくかみ合わず、出席メンバーの意見はそれ
堅持しながら、アジアは違うとする「大東亜」を
ぞれの出発点に戻ってしまったとして、いくつか
建設して統一する。そのために英米勢力を駆逐す
の考えを紹介している。
るという考え方である。
結局、討論のおわりに各人はめいめい自分の出発
3)その役割
この考え方が当時の若者たちに影響を与えたこ
点にもどった。提出論文 か ら 二、三 の 例 を ひ ろ う
と、西谷啓治は「一般に近代的なものといわれるも
とを紹介しながら次のように締めくくる。
のはヨーロッパ的なもの」であり「日本における近
代的なものも明治維新以後に移入されたヨーロッパ
多くの知識青年を動かしたのはなぜか。おそらく
的なるものに基く」が、ただ「文化の諸部門が殆ん
「近代の超克」には「何となく僕等に解ったような
ど相互に連絡なしに離ればなれに輸入され」ている
解らぬような曖昧なところがある」
(中村光夫)
。そ
から、それを統一するために「宗教の立場」つまり
の曖昧さの発揮する魔術的効力と、「文学界」の伝統
「主体的無の立場」が必要であり、それは「世界史
をもってしなければ結集できない「知的協力」の最
的必然」としての「大東亜の建設」に合致する、と
後の光鋩ともいうべき一閃のゆえではなかったろう
いう場所にもどった。下村寅太郎は、近代の規定は
か。事実、これ以後は敗戦にいたるまで、いかなる
西谷とおなじだが、「ヨーロッパはもはや他者ではな
形でも思想形成の試みはもはや起らなかった。「近代
い」から近代は否定し得ず、「近代の超克の方向は新
の超克」は無内容であるが、それだけに勝手な読み
らしき精神の概念の自覚を通してその方法を見出す
がゆるされ、思想の痕跡を拡大して空虚感を埋める
べき」だという場所へもどった。吉満義彦は「神の
手がかりにすることができた。それだけにまた、一
前において西洋も東洋も一つの愛と真理の源泉に対
方では怨恨と憎悪の的にされ、「超克」伝説のうまれ
する如く、凡てそれ自身直接に実存的課題を負うて
る種もみずから蒔いたのである。(同、1
8
0∼1
8
1頁)
こうぼう
―1
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0―
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
戦争後の人々にとっては、「近代の超克」とは
1
0
1
後の虚脱と、日本の植民地化への思想的地盤を準備
考慮する対象にならぬ、否定すべき対象と化した
したのである。(同、2
2
5∼2
2
6頁)
のである。そして次のように竹内好はまとめてい
江戸末期以来の課題が列記されているが、究極
る。
的には「東洋と西洋」の対抗関係である。この中
要約すれば、「近代の超克」は思想形成の最後の試
に戦争が位置づけられたから、12月8日の万歳が
みであり、しかも失敗した試みであった。思想形成
あり、8月15日の「屈辱」の思いがあったのだ。
そして締めくくる。
とは、総力戦の論理をつくりかえる意図を少くとも
出発点において含んでいたことを指し、失敗とは、
結果としてそれが思想破壊におわったことを指す。
「西欧的な近代主義者たち」は、私の見るところ
思想としての「近代の超克」には、「文学界」グルー
では「決定的な敗北を自認」しなかった。なぜなら
プと、京都学派と、「日本ロマン派」の三つの要素が
「近代の超克」の看板はかけたが、実際の思想闘争
組み合わさっていた。マルクス主義敗退後の中間的
は行わなかったからである。敗北感のあるはずがな
知識人のいちばん活発な活動舞台であった「文 学
い。そして敗北感のないことこそが今日の問題であ
界」が、一つは延命策として「日本ロマン派」の国
る。つまり敗戦によるアポリアの解消によって、思
体思想から自己を防衛する目的と、一つは逆に国体
想の荒廃状態がそのまま凍結されているのである。
思想を利用する目的で、窮余の策として知性の最後
思想の創造作用のおこりようはずがない。もし思想
のあがきを見せたのが「近代の超克」であった。…
に創造性を回復する試みを打ち出そうとするなら
…(略)……「近代の超克」思想において「日本ロ
ば、この凍結を解き、もう一度アポリアを課題にす
マン派」は、復古の側面によってでなく終末論の側
え直さなければならない。(同、2
2
7頁)
面で作用したと考えられる。「永久戦争」の理念を、
教義としてでなく、思想主体の責任において行為の
竹内好は、このように自らの戦争観を惑わした
自由として解釈しなおすためには、どうしても終末
当時の考え方を検証したのである。別な言い方を
論が不可欠だが、「文学界」的知性からは終末論の契
するなら、このような検証を彼のみがするのでは
機は導き出せない。そのために彼らは、「日本ロマン
なく、日本全体がしなければならないという思い
派」に力を借りようとし、いわば毒をもって毒を制
を持っていたはずである。それをしない限り、日
しようとした。そして「近代の超克」という戯画を
本の政治に信を置くことができなかったであろ
えがいたのである。
う。そして毛沢東の期待にそえることができな
「近代の超克」は、いわば日本近代史のアポリア
(難 関)の 凝 縮 で あ っ た。復 古 と 維 新、尊 王 と 攘
夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋とい
う伝統の基本軸における対抗関係が、総力戦の段階
で、永久戦争の理念の解釈をせまられる思想課題を
かった日本人のふがいなさを見たが故に、それに
応えられるような考えとは何かを模索した。
4 アジア主義
1)「日本のアジア主義」から
前にして、一挙に問題として爆発したのが「近代の
『現代日本思想体系』第九巻「アジア主義」
超克」論議であった。だから問題の提出はこの時点
(筑摩書房、1963)に竹内好は「解説アジア主義
では正しかったし、それだけ知識人の関心も集めた
の展望」を書いた。これが後に「日本のアジア主
のである。その結果が芳しくなかったのは問題の提
義」(『竹内好評論集』第三巻)と改題された。こ
出とは別の理由からである。戦争の二重性格が腑分
の論文の内容を確かめておきたい。簡単に言うな
けされなかったこと、つまりアポリアがアポリアと
ら、アジア主義の定義、明治以降に現れたアジア
して認識の対象にされなかった か ら で あ り、……
主義に関するさまざまな考え方をひもとき、最後
(略)……したがって、せっかくのアポリアは雲散
は西郷隆盛に行き着いている。まず「アジア主
霧消して、「近代の超克」は公の戦争思想の解説版た
義」の定義であるが、辞典類を調べ、反動思想、
るに止ってしまった。そしてアポリアの解消が、戦
膨張主義、侵略主義、あるいは広域圏思想、さら
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には孫文のアジア主義、ネルーのアジア主義など
できるが、それは当然状況的に変化するものである
と並べて日本のアジア主義を扱っていることを記
から、状況を越えて定義を下すことはできない。ま
し、「辞典の数だけ定義の種類がある」のではな
た、そうしないとアジア主義は捕捉できない。範疇
いか、と書いている。
としてアジア主義を固定する試みはかならず失敗す
るだろうと思う。アジア主義は多義的だが、どれほ
そもそもアジア主義の名称そのものが雑多であ
ど多くの定義を集めて分類してみても、現実に機能
る。と き に は「大 ア ジ ア 主 義」と も よ ば れ、ま た
する形での思想をとらえることはできない。これは
「汎アジア主義」ともよばれる。「アジア」のかわり
アジア主義にかぎらず、ある意味ですべての思想に
に「東洋」とか「東方」とか「東亜」の文字が使わ
共通だともいえるが、とくにアジア主義の場合、き
れることもある。アジア(亜細亜)を亜と略す例は
わ立ってその特性が強い。
「興亜」という熟語に見られ、この熟語を会名にし
ということは、アジア主義は、膨脹主義または侵
た団体がすでに明治十年代に存在しているが、これ
略主義と完全には重ならない、ということだ。また
はやはりアジア主義の団体と見なすべきだろう。中
ナショナリズム(民族主義、国家主義、国民主義お
国ではアジアを「亜州」ともいうし、英語では Asi-
よび国粋主義)とも完全には重ならない。むろん、
anism である。これらのうち、「汎」は Pan の音訳で
左翼インターナショナリズムとも重ならない。しか
あって、「汎スラブ主義」
「汎ゲルマン主義」
「汎イス
し、それらのどれとも重なり合う部分はあるし、と
ラミズム」などから適用 さ れ た も の だ ろ う。こ の
くに膨脹主義とは大きく重なる。もっと正確にいう
Pan-ism は十九世紀末から二十世紀はじめにかけての
と、発生的には、明治維新革命後の膨脹主義の中か
世界的流行だったので、日本でもそのころ「汎アジ
ら、一つの結実としてアジア主義がうまれた、と考
ア主義」という名称がはやったのではないかと 思
えられる。しかも、膨脹主義が直接にアジア主義を
う。そして次第に「大アジア主義」に取ってかわら
生んだのではなくて、膨脹主義が国権論と民権論、
れた。……(略)……
または少し降って欧化と国粋という対立する風潮を
辞典類の説明のうちで、比較的私の考えに近いも
生み出し、この双生児ともいうべき風潮の対立の中
のは平凡社の『アジア歴史事典』
(1
9
5
9∼6
2年刊)の
からアジア主義が生み出された、と考えたい。
(同、
「大アジア主義」の項目(執筆者は野原四郎)だっ
2
9
2∼2
9
3頁)
た。(竹 内 好『日 本 と ア ジ ア』ち く ま 学 芸 文 庫、
他の考え方、すなわち民主主義や社会主義、フ
1
9
9
3。2
8
8∼2
9
1頁)
ァシズムなどは、それ自体に価値を含み、それだ
竹内好は、さまざまな考え方の違いを明確にし
ながら、彼なりの定義を試みる。
けで「完全自足」していると、竹内好は指摘し、
ところがアジア主義はそれらとは異なって、他の
思想に依拠してあらわれるとみなしている。した
一括するといっても、それらことごとくが同質だ
がってアジア主義そのものの歴史的な展開をたど
という意味ではない。同等と反対の千差万別であっ
ることはできず、歴史的な叙述も不可能としてい
て、その千差万別の点がむしろアジア主義の特徴で
る。では、「大東亜共栄圏」思想はどうか。
ある。つまり、私の考えるアジア主義は、ある実質
内容をそなえた、客観的に限定できる思想ではなく
第二次大戦中の「大東亜共栄圏」思想は、ある意
て、一つの傾向性ともいうべきものである。右翼な
味でアジア主義の帰結点であったが、別の意味では
ら右翼、左翼なら左翼のなかに、アジア主義的なも
アジア主義からの逸脱、または偏向である。もしア
のと非アジア主義的なものを類別できる、というだ
ジア主義が実体的な思想であって、史的に展開され
けである。そういう漠然とした定義をここでは暫定
るものだとすると、帰結点は当然「大東亜共栄圏」
的に採用したい。
であり、敗戦によって「思想」として滅んだという
ある思想なり、ある思想家なりが、ある時期に、
よりアジア主義的であるかないかを弁別することは
―1
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2―
ことにならざるをえない。そして事実、そういう解
釈が戦後の一時期には支配的だった。
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
1
0
3
アジア主義は、前に暫定的に規定したように、そ
るかは、容易に片づかぬ議論のある問題だろう。し
れぞれ個性をもった「思想」に傾向性として付着す
かし、この問題と相関的でなくてはアジア主義は定
るものであるから、独立して存在するものではない
義しがたい。ということは、逆にアジア主義を媒介
が、しかし、どんなに割引きしても、アジア諸国の
にしてこの問題に接近することもまた可能だという
連帯(侵略を手段とすると否とを問わず)の指向を
ことである。われわれの思想的位置を、私はこのよ
内包している点だけには共通性を認めないわけには
うに考える。(同3
5
3∼3
5
4頁)
いかない。これが最小限に規定したアジア主義の属
西郷隆盛によって展開された征韓論について簡
性である。とすると「東亜共栄圏」はあきらかにア
単に触れておく。
ジア主義の一形態ではある。
しかし実際について見ると、「大東亜共栄圏」は、
アジア主義をふくめて一切の「思想」を圧殺した上
彼(西郷隆盛)が、一八七〇年一一月、岩倉・大
に成り立った擬似思想だともいうことができる。思
久保が勅使として薩摩に来たとき示した二五カ条の
想は生産的でなくては思想とはいえぬが、この共栄
改革意見書で、政体の基本を神武創業におき、西洋
圏思想は何ものも生み出さなかった。この天くだり
諸国の政治を参酌しつつ「攻戦の体を据へ、治乱政
思想の担い手もしくは宣伝がかりの官僚は、一切の
治一途に帰し、海軍を以て国家を護し、遂に攻守の
思想を圧殺するために「大東亜共栄圏」といういち
権我に帰する処に目的を立」て、そのために雄藩の
ばん大きな網をかぶせただけである。「大東亜会議」
精兵一万を禁衛兵として「永く朝廷に名籍を連ね」
を開き「大東亜宣言」を発表したりしたが、これは
る軍制を創建すべきだと主張した。「徴兵規則」に逆
まったく無内容なものだった。
行する「御親兵」創設は、西郷の強硬な態度に屈し
思想の圧殺は、左翼思想からはじまって、自由主
て行われたものである。その西郷は、一八七一年九
義に及び、次第に右翼も対象にされた。中野正剛の
月岩倉に「時務建言書」と「勧農建言書」を提起し
東方会も、石原莞爾の東亜聯盟も弾圧された。これ
ているが、それは、(一)神事にもとづく祭政一致の
らの比較的にはアジア主義的な思想を弾圧すること
実行、(二)先祖以来の家伝書を集め忠孝信義の民風
によって共栄圏思想は成立したのであるから、それ
を作振するため篤農家を名主・組頭・農長に任命す
は見方によってはアジア主義の無思想化の極限状況
ること、(三)士族の世禄は現石一〇〇石とし、それ
ともいえる。(同、2
9
4∼2
9
5頁)
以下は旧来のままとして家禄税を課すこと、(四)歳
入の四分の三を経常費とし、残り半分を凶年に 備
竹内好はこの「日本のアジア主義」という論文
え、半分を出軍費にあてること等の内容からなって
の中で、引き続き、先に定義づけた文章にある個
いた。(後藤靖「士族反乱と民衆騒擾」
『岩波講座日
人名や結社名を挙げて展開されているアジア主義
本歴史1
4 近代1』岩波書店1
9
7
5、2
8
5∼2
8
6頁)
の考え方に触れる。しかしいずれの考え方も、ア
ジア主義を的確に捉えるには能わず、
「西郷の二
ここに引用した歴史学者の後藤靖の歴史的評価
重性」と小見出しをつけた最終章で明治初期に舞
によれば、民衆騒擾は明治維新下の農民がさまざ
台は移る。そしてこの西郷隆盛をどのように受け
まな要求を求めた闘争であり、士族反乱はかつて
とめるべきか、を提起している。
の武士の特権を回復する運動であるということ
だ。そして上に引用したように西郷隆盛の考え
西郷が反革命なのではなくて、逆に西郷を追放し
は、まさしく士族が中心となるべく軍制を中心と
た明治政府が反革命に転化していた。この考え 方
した考え方である。したがって、この軍制に関す
は、昭和の右翼が考え出したのではなくて、明治の
る考え方によって、まさしく西郷隆盛が「反革
ナショナリズムの中から芽生えたものである。それ
命」となる。ところが、その後この考えを明治政
を左翼が継承しなかったために、右翼に継承された
府が採用したのも事実であり、竹内好が指摘した
だけである。……(略)……
とおりである。
西郷を反革命と見るか、永久革命のシンボルと見
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9
2)近代化の否定?
ざめた劣等生は、優等生に見ならって賢くなるだろ
ところで竹内好の書いた文章に次のようなもの
う。優等生文化は栄えるだろう。日本イデオロギイ
がある。これは本論の冒頭で取り上げた「中国の
に敗北はない。それは敗北さえも勝利に転化させる
近代と日本の近代」の中の一文である。
ほど優秀な精神力のかたまりだから。見よ、日本文
化の優秀さを。日本文化万歳。
学問なり文学なり、要するに人間の精神の産物で
もしも、敗北は優秀文化の劣等部分において負け
ある文化が、追いかけてつかまえるべきものと し
たのでなく、優秀部分において負けたのだ、と考え
て、外にあるものとして、かれらには観念されてい
たらどうなるか。そして優秀文化を拒否したらどう
る。それをつかまえる努力において、かれらはじつ
なるか。進歩そのものをダラクであるとして、進歩
に熱心である。追いつけ、追いこせ、それは日本文
を拒否したらどうなるか。とんでもない、とかれは
化の代表選手たちの標語だ。人に負けてはならぬ。
いうだろう。そんなことは、考えてもみられぬこと
一歩でも先へ出ろ。かれらは、優等生のように、点
だ。わざわざバカになりたがるなんて。みすみす進
数をかせぐ。事実また、学校時代の優等生が日本文
歩を取りにがすなんて。そんなことをしたら、劣等
化の代表選手になり、優等生制度と優等生精神で次
生はますます劣等生になってしまう。優等生がいる
代を教育した。だから日本文化は、構造的に優等生
からこそ、敗戦をあの程度に食いとめて、劣等生を
文化である。……(略)……日本の民族性は世界一
救ってやれたのだ。そし て、敗 戦 で ヤ ケ を お こ し
優秀だ。こんな優秀な文化をきずいた日本文化の代
て、ヤミをやったり、ストライキをやったりしてい
表選手である自分たちは、劣等生である人民とは価
る連中に、軍国主義のかわりに文化国家という目標
値的にちがうものだ。選ばれたものだ。おくれた人
を与えて、立ち直れるようにしてやれたのだ。それ
民を指導してやるのが自分たちの使命だ。おくれた
を、優秀文化を拒否しろとか、進歩を拒否しろなん
東洋諸国を指導してやるのが自分たちの使命だ、と
て、それじゃあ文化国家でなくて非文化国家になっ
なる。これは優等生根性の論理的展開である。だか
てしまう。せっかくの好意の苦心が水の泡になるか
ら主観的にはかれらは正しい。そしてそこから、自
ら、そんな反動的なことはやめてくれ、と優等生た
分たちが優秀なのはヨオロッパ文化を受け入れた結
ちはわめくにちがいない。優等生たちばかりではな
果であるから、その自分たちの文化的ほどこしを、
い。劣等生もいうだろう。私たちがバカで、優等生
おくれた人民は当然受けるであろうし、また受ける
でもないものを選手にしたために負けてしまいまし
べきだという独断的な優等生心理を反映した結論が
た。せっかく応援した選手が敗けたときには、がっ
うまれる。これも主観的には正しい。もし人民が受
かりしましたが、それはニセモノだということを、
けることを拒むと、それは人民がバカで、優秀なも
ほんとの優等生が教えてくれたので、やっと元気を
のを受け入れる能力がないからであり、保守的でガ
取りもどしました。おまえたちめいめいが優等生に
ンコだからだとする。こういう指導者意識は、軍人
ならなければいけないと優等生にいわれて、そうだ
や政治家だけでなく、労働運動のなかにもある。軍
と思いました。私たちは心を入れかえて勉強しよう
人や政治家が人民を引っぱろうとしただけでなく、
と思います。どうか、もう私たちを劣等生扱いしな
解放運動そのものが人民を引っぱる方向で、優等生
いでください。私たちを劣等生扱いしたニセモノの
心理でなされる。これは、日本では帝国大学が思想
優等生とは縁を切ったのですから、と。
的にもっとも急進的であったこと、学生運動の闘士
そ う だ、劣 等 生 諸 君。諸 君 は 正 し い だ ろ う。私
が思想検事として成功したこと、右翼団体の中堅に
は、もし諸君が仲間入りさせてくれるなら私も諸君
左翼出身者が有力に参加し、戦争中は作戦にも協力
の仲間にはいりたい一人だが、諸君の意見をかぎり
したこと、などと結びあって、日本文化の優等生的
なく正しいと思う。日本の優等生文化のなかでは、
性格をあらわしている。日本ファシズムの根は、右
そうするしか生きられないのだ。劣等生は優等生に
翼左翼をひっくるめての日本文化の構造そのものに
すがるしか生きる道がない。もし優等生に反対すれ
あるわけだ。……(略)……
ば、優等生にやっつけられるだけでなく、劣等生か
そうだ。教育は成功するだろう。敗戦の教訓に目
―1
0
4―
らも閉め出されてしまうだろう。魯迅はこう書いて
佐々木
!
アジア主義──竹内好の場合
1
0
5
いる。「人生でいちばん苦痛なことは、夢からさめ
「夢を見ている」状態ではなくなったということ
て、行くべき道がないことであります。夢をみてい
である。もう一度言い換えるなら、劣等生でいる
る人は幸福です。もし行くべき道が見つからなかっ
ことは、まさしくこの「夢見ている」状態にある
たならば、その人を呼び醒まさないでやることが大
ことなのだ。竹内好もこの「夢見る」人たちの中
切です。
」
(「ノラは家出してからどうなったか」
)
に居たいとしているが、夢から醒めてどうしてい
私も、夢をみていたい一人だ。なるべく呼び醒ま
されないでいたい。「人生でいちばん苦痛なこと」を
いか、分からず立ち往生している人、魯迅を知
り、その考えを知ってしまったのだ。
よけて通りたい。しかし私は、呼び醒まされた人を
ここまで来ると、竹内好が政治に誘われても拒
見てしまった。「夢からさめて、行くべき道がない」
否し、戦後一度も中国に行くことはせず、安保闘
「人生でいちばん苦痛なこと」を体験した人を見て
争で死者が出たとき、都立大学の教授職を辞任し
しまった。それは魯迅だ。私は、自分が呼び醒まさ
たことなど、理解できるような気がする。
れはしないかという恐怖を感じながら、魯迅から離
れることはできなくなった。魯迅はこうも書いてい
6 結論に代えて
る。「私たちは、人にギセイをすすめる権利はありま
竹内好のアジア主義に関する見解はどうなって
せんが、そうかといって、人がギセイになるのを妨
いるか。これまで見てきて明らかのように竹内好
げる権利も持っておりません。
」
(同前)
はアジア主義を定義づけてはいない。アジアに関
魯迅は、何に呼び醒まされたか。どう、呼び醒ま
するさまざまな考えを整理してきただけである。
されたか。私はそれを、気にせずにはいられない。
竹内好自身が何らかの思想や確信を手に入れてい
(竹内好『日本とアジア』ちくま学芸文庫、1
9
9
3。
れば、行動していたはずである。そうかと言って
3
4∼3
9頁)
虚無的なニヒリストになったわけでもない。
「近
代化」という概念から我々が知る竹内好の考え
読み方によっては、乱暴のような気もする。し
は、一方的にヨーロッパ的になるな、ということ
かしながら、説得されてしまい「納得」という思
であろう。いやそうではなく、背後に控えている
いがつきまとうのは何故だろうか。
「意思」に警戒せよ、ということだろう。
中国の「アヘン戦争」で象徴される植民地化を
近代化が現代の我々にさまざまな面で影響を与
拒否した江戸末期の優れた先輩たちが、明治以来
えている。ヨーロッパの近代化は、18世紀末に起
実施してきたのは欧米と肩を並べることだった。
きたフランス革命と19世紀にイギリスで起きた産
すなわち竹内好の言う「優等生」である。右翼も
業革命がきっかけである。それ以後の科学技術の
左翼も優等生であり、戦争へと突き進んだのも優
飛躍的な発展と近代国家の形成がヨーロッパ以外
等生たちの導きだ。敗戦後には軍国主義を目指す
の地域に次々と影響を与えた。その近代国家の膨
のではなく文化国家を目標として設定したのも優
張が未開発の地域を植民地とした。これらの歴史
等生である。このような批判は、極めて当たり前
的経過は今更ここで明らかにする必要はないだろ
の批判である。そして劣等生は、どんな人であ
う。むしろその膨張がなぜ起きるか。人間の欲望
れ、優等生に寄り添っていかなければ生きていけ
以外なにものでもないと思える。例えば、空を飛
ない。この構造を知った今、どこから是正しなけ
びたいとする人間が作ったものは飛行機である。
ればならないのか。そのために西郷隆盛の時代ま
20世紀初頭にライト兄弟が初めて成功したのであ
でさかのぼって歴史の検証をすべきだと竹内好は
るが、それから12、3年して第一次世界大戦で使
主張してはいないが、考慮する必要はあるよう
われ、空からの攻撃による破壊力が圧倒的なもの
だ。
となった。このように科学技術が暴力に使われる
そして優等生と劣等生との関係を知ったら、す
ことで、悲惨な惨状が生じるようになった。科学
なわちイプセンの芝居「人形の家」の主人公、ノ
技術による兵器産業の隆盛は「悪意」の最たるも
ラのように女は男の保護のもとで安住する人形で
のである。ではその欲望はなぜ生じるのか。人よ
はないことを知ったらば、それは引用文の表現
りいい生活をしたい、人よりいろんなものを持ち
―1
0
5―
1
0
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
たい、というような思いである。しかしそれも程
上にあげた否定すべき事柄の逆をすればよいの
度問題ではないか。
だ。その一つに竹内好が知るに至らなかった現在
すなわち個人主義、利己主義、競争主義、拝金
のヨーロッパをみるべきである。ユーロという通
思想、権力志向、人間はむろんのこと、自然に対
貨の統一、さらにはユーロ憲法を制定し、共通の
しての暴力的な破壊行為など、現在の地球にはび
ものとしようとしていることだ。そこに、ヨーロ
こるこれらを否定すべきであるという思いになる
ッパにおいて20世紀が戦争で明け暮れしたことに
だろう。これらに抵抗すべきと考えても絶望感に
対する反省の証しを認めることができる。その同
捕らわれるのみである。その状態に陥ったのは魯
じものをアジアで実践することが我々に課せられ
迅であり、竹内好である。
た使命であると思う。新たなアジア主義を明確に
ではこれを知ったわれわれは何をすべきか。今
とらえて。
―1
0
6―
2
0
0
8年
教員研究業績一覧
(1月∼12月)
社会福祉学部
著書、学術論文等の名称
単著、 発行又は発
共著
の別 表の年月日
発行所、発表雑誌又は発表学会等の名称
旭 洋一郎
〔学術論文〕
1.リハ専門職が知っておきたい障害
者のセクシャリティ―第1回障害が
ある人々のセクシャリティとリハビ
リテーション―序論として
2.リハ専門職が知っておきたい障害
者の セ ク シ ャ リ ティ―第2回 K さ
んからの手紙―危険の中を生き抜く
見えない女たち
3.リハ専門職が知っておきたい障害
者のセクシャリティ―第3回障害が
ある人々のセクシャリティとリハビ
リテーション―その介助・介護をめ
ぐる課題
4.リハ専門職が知っておきたい障害
者のセクシャリティ―第4回セクシ
ャリティをめぐる覚え書き
5.リハ専門職が知っておきたい障害
者のセクシャリティ―最終回 映 画
『ナショナル 7』の問いかけにど
う応えるのか
単
20年7月
三輪書店 月刊地域リハビリテーション
3巻7号 pp.
661−663.
単
20年8月
三輪書店 月刊地域リハビリテーション
3巻8号 pp.
782−784.
単
20年9月
三輪書店 月刊地域リハビリテーション
3巻9号 pp.
896−897.
単
20年10月
三輪書店 月刊地域リハビリテーション
3巻10号 pp.
995−997.
単
20年12月
三輪書店 月刊地域リハビリテーション
3巻12号 pp.
1198−1199.
単
20年3月
研究代表 河野伸造『21世紀における福
祉の課題と展開』長野大学
共
20年4月
ジアース教育新社 情報福祉の基礎研究
会編著 飯田建夫・飯塚慎司・石本明生・
伊藤英一他
〔その他〕
1.身体障害者(脳性マヒ者)の加齢
と老化の対策研究―高齢期のさらな
る QOL をめざして(聞き取り調査
による)
伊藤英一
〔著書〕
1.情報福祉の基礎知識
―1
0
7―
1
0
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
〔学術論文〕
1.高等教育における障害学生のため
の音声認識による授業支援 ―
JOIN プロジェクト3年間の経過―
2.目的達成の手段 と し て の ICT の
利活用と権利
3. 27年経過した「閉じこめ症候群」
の1例 ―1.コミュニケーション
障害
共
20年8月
第23回リハ工学カンファレンス講演論文
集、pp.
241−242.伊藤英一・旭洋一郎・
青木拓人
すべての人の社会(日本障害者協議会)、
Vol.
28−5、No.
338、pp.8−9.
総 合 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン、Vol.
36、
No.
11、pp.
1091−1095.大 橋 正 洋・鄭
健錫・青木重陽・日比洋子・高山昌美・
伊藤英一
単
20年8月
共
20年11月
単
20年12月
長野大学紀要第30巻第3号 pp.
87−91.
単
20年5月
共
20年6月
単
20年9月
『臨床老年看護』
15
(3)pp.
32−40.
長野大学紀要第30巻第1号 pp.
59−69.
河野伸造・旭洋一郎・佐藤園美・野口友
紀子・稲木康一郎・鷹野和美・前川道博
『臨床心理アセスメント』金剛出版
共
20年11月
単
20年9月
単
20年3月
〔その他〕
1.ハワイ大学における障害学生支援
KOKUA プログラム
稲木康一郎
〔学術論文〕
1.スタッフをバーンアウトさせない
ための具体策
2.双方向性テレビ電話コミュニケー
ションによる独居男性老人の精神的
支援
3.WMS−R ウエクスラー記憶検査
ベントン視覚記銘検査
三宅式記銘力検査
ブルドン抹消検査
〔学会発表〕
1.看護師のバーンアウトと抑うつお
よび不安に関する認知行動モデルの
構築
2.ワークショップ・バーンアウトへ
の介入―予防と介入に向けて
第8回 日本認知療法学会
野口恭子・稲木康一郎・荻野佳代子・小
永井カズ江・佐藤敬・福井至
日本心理学会72回大会
〔その他〕
1.施設介護職員のストレスと睡眠行
動
―1
0
8―
『21世紀における福祉の課題と展開』
pp.
51−60.
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
0
9
上平忠一
〔学術論文〕
1. SSRI の Activation syndrome と
Discontinuation syndrome について
2.地域精神保健福祉活動における往
診・訪問活動の意義の検討
3.選択的セロトニン再取り込み阻害
薬(SSRI)投与 の 初 期 に 自 殺 し た
老年期うつ病者の1症例
単
20年3月
上田市医師会報38
(3);11−13
単
20年12月
単
20年12月
長 野 大 学 紀 要 第3
0巻 第3号 pp.
139−
152.
精神神経雑誌
2008特別号;S−280−281
単
単
20年2月
20年5月
上田市医師会臨床懇話会(上田)
第104回 日本精神神経学会総会(東京)
1.アントニオ・グラムシの思想的境
位
単
20年9月
社会評論社
2.生涯学習と市民社会
単
20年9月
福村出版
1.工場評議会における人間の問題
単
20年6月
教育政策学会
2.グラムシにおける「ソチエタ・レ
ゴラータ」
3.生産社会の夢、市民社会の現実
単
20年8月
日本教育学会
単
20年9月
日本社会教育学会
共
20年6月
長野大学紀要第30巻第1号 pp.
59−69.
河野伸造・旭洋一郎・稲木康一郎・佐藤
園美・野口友紀子・鷹野和美・前川道博
共
20年7月
共
20年7月
第37回日本女性心身医学会学術集会(東
京女子医科大学)
第37回日本女性心身医学会学術集会(東
京女子医科大学)
〔学会発表〕
1.SSRI の activation syndrome の事例
2.選択的セロトニン再取り込み阻害
薬(SSRI)投与 の 初 期 に 自 殺 し た
老年期うつ病の1症例
黒沢惟昭
〔著書〕
〔学会発表〕
河野伸造
〔学術論文〕
1.双方向性テレビ電話コミュニケー
ションによる独居男性老人の精神的
支援
〔学会発表〕
1.タバコ吸殻の廃棄状況からみた喫
煙者の心理行動
2.高齢者に対する新たなメンタルケ
ア・システム−テレビ電話コミュニ
ケーション上の表情並びに会話行動
分析による
―1
0
9―
1
1
0
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
〔その他〕
1.21世紀における福祉の課題と展開
−高齢者・身体障害者のメンタルケ
ア、ならびに施設支援者の心身−
2.愁訴の変遷から何を読み取るか、
並びに心身(情動)状態の客観的捉
え方
共
20年3月
河野伸造研究プロジェクトチーム
(長野大学学長特別研究助成)
単
20年10月
長野大学研究交流広場
単
20年3月
長野大学紀要第29巻第4号 pp.9−19.
単
20年12月
長野大学紀要第30巻第3号 pp.
25−35.
単
20年10月
第56回日本社会福祉学会大会(於岡山県
立大学)、大会要旨集 p.
466
共
20年9月
長野大学紀要第3
0巻第2号 pp.
79−107.
「2007年度長野大学地域研究・一般研究
助成金による報告書」野口友紀子・越田
明子・佐藤園美・清水貞夫・海野恵美
子・高遠三和
共
20年3月
ヘルス・システム研究所 pp.
113−116.
共
20年4月
弘文堂 pp.
139−144.
共
20年12月
弘文堂 pp.
200−204.
単
20年5月
単
20年5月
中西弘編『新版やさしい文章表現法』
(朝倉書店)p.
78
中西弘編『新版やさしい文章表現法』
(朝倉書店)p.
171
越田明子
〔学術論文〕
1.後期高齢者の生活変調と社会的孤
立―過疎地域における単身高齢者の
事例より―
2.中学生が考える過疎地域居住高齢
者の生活問題と生活支援−制度化さ
れない生活支援に着目して−
〔学会発表〕
1.生活過程における生活変調と支援
−高齢者の生活支援を中心として−
〔その他〕
1.『共生福祉』概念の構築とまちづ
くりにみる『共生福祉』の実証的研
究
佐藤園美
〔著書〕
1.社会福祉入門
2.介護教育方法論
第2章4の1
第7章の2
3.社会福祉士養成教育方法論
第6章第10節
下野隆生
〔その他〕
1.読み物「映画を観て『スタイル』
に敏感になる」
2.読み物「インターネットは誘惑す
る」
―1
1
0―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
1
1
田中祥貴
〔学術論文〕
1.表現規制と文面審査に関する一考
察
単
20年3月
長野大学紀要第29巻第4号 pp.
33−42.
2.判例評釈
「暴走族の集会等と規制した広島市
条例を合憲とした事例」
単
20年4月
日本評論社「速報判例解説」
(法学セミ
ナー増刊)第2巻 pp.
15−18.
WEB 版(TKC 速報判例解説)
3.判例評釈
「ビラ配布目的で集合住宅共有部分
へ立ち入った行為に住居侵入罪を適
用しても憲法21条1項に違反しない
とした事例」
単
(19年11月)
20年10月
20年5月
日本評論社「速報判例解説」
(法学セミ
ナー増刊)第3巻 pp.
23−26.
WEB 版(TKC 速報判例解説)
〔その他〕
1.やさしい文章表現法
共
20年4月
朝 倉 書 店 pp.
56−57.pp.
150−151.
pp.
183−184.
共
20年6月
Journal of Personality and Social Psychology,94
(3),365‐381.Masuda, T.,
Ellsworth, P., Mesquita, B., Leu, J-.X.,
Tanida, S., & van de Veerdonk, E.
1.地域づくりを考える
−社会福祉と観光の視点から−
単
20年3月
阿智村駒場区自治会
「およりて駒場ミニシンポまとめ」
A4判 pp.
26−32.
2.社会福祉学部デーを活用した福祉
専門職養成−入学前から卒後教育ま
での学びのサイクルの構築をめざし
て−
共
20年11月
長野大学社会福祉学会
『長野大学社会福祉研究』第4号
B5判 pp.
29−36.中 島 豊・伊 藤 英 一・
宮崎まさ江・稲木康一郎・端田篤人
谷田林士
〔学術論文〕
1.Placing the face in context : Cultural
differences in the perception of facial
emotion
中島 豊
〔調査報告書・研究報告書〕
―1
1
1―
1
1
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
野口友紀子
〔学術論文〕
1.社会事業成立史論の方法─防貧を
めぐる認識と再編─
単
20年3月
東洋大学大学院(学位論文)
2.日本の救貧制度
単
20年9月
ミネルヴァ書房『よくわかる公的扶助』
3(2)
3.「共生福祉」概念の構築とまちづ
くりにみる「共生福祉」の実証的研
究
共
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
79−107.
(長野大学地域研究・一般研究報告)
野口友紀子・越田明子・佐藤園美・清水
貞夫・海野恵美子・高遠三和
単
20年12月
社会事業史学会第三次歴史教育小委員会
・第2回委員会
共
20年11月
自由国民社 障害者権利条約(p.
964)、
生活保護(p.
965)、社会福祉(pp.
965−
967)、生存権(p.
966)、ソーシャル・イ
ンクルージョン(p.
966)、社会福祉法
(p.
966)、生活保護法(p.
966)、発達障
害者支援法(p.
967)、障害者自立支援法
(p.
967)、自立支援プログラム(生活保
護)(p.
968)、精神保健福祉士(p.
969)、
理学療法士/作業療法士(p.
969)、セル
フヘルプ・グループ(p.
970)、有料老人
ホーム(p.
970)
共
20年11月
弘文堂 川延宗之編『社会福祉士養成教
育方法論』
共
20年3月
平成1
7年度∼19年度科学研究費補助金
(基盤研究(C))研究成果報告書
〔学会発表〕
1.教育学における教育史の位置づけ
〔その他〕
1.現代用語の基礎知識
端田篤人
〔著書〕
1.第4章 総合的かつ包括的な相談
援助の理念と方法に関する知識と技
術
〔調査報告書・研究報告書〕
1.ソーシャルワーク実践事例の多角
的分析による固有性の可視化と存在
価値の実証研究
―1
1
2―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
1
3
樋澤吉彦
〔学術論文〕
1.心神喪失者等医療観察法における
強制的処遇とソーシャルワーク
単
20年3月
『Core Ethics』(立命館大学大学院先端
総合学術研究科)、4:305−317.
2.社会福祉的支援の根拠について
単
20年6月
長野大学紀要第30巻第1号 pp.
35−45.
単
20年3月
パターナリズム研究会報告(國學院大學
渋谷キャンパス・東京)
1.『精神保健福祉援助実習』期間中
の学生の変化要因に関する検討―実
習記録ノートにおける記載内容の質
的分析を通して―
共
20年6月
第44回社団法人日本精神保健福祉士全国
大会・第7回日本精神保健福祉学会
2.都道府県組織における権利擁護に
関する取り組みの現状―そこから見
えてくる精神保健福祉士の課題とは
―
共
20年6月
第44回社団法人日本精神保健福祉士全国
大会・第7回日本精神保健福祉学会
共
20年8月
『人間文化研究所紀要』
第2集(東京家政大学人間文化研究所)
pp.
14−24.上野容子・宮崎まさ江・近
藤友克・村上満・小澤聖子・遠矢真美子・
阿久津英子
単
20年11月
長野大学社会福祉学会
長野大学社会福祉研究第4号
2008.pp.
37−47.
〔その他〕
1.心神喪失者等医療観察法における
強制的処遇とソーシャルワーク
宮崎まさ江
〔学会発表〕
〔調査報告書・研究報告書〕
1.市民参加のまちづくり―地域アセ
スメントによる一考察―
森 源三郎
〔学会発表〕
1.障害児の音声コミュニケーション
障害の診断と支援
―1
1
3―
1
1
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
環境ツーリズム学部
著書、学術論文等の名称
単著、 発行又は発
共著
の別 表の年月日
発行所、発表雑誌又は発表学会等の名称
大野 晃
〔著書〕
1.限界集落と地域再生
単
20年11月
信濃毎日新聞社
単
20年3月
日本村落研究学会『村落社会研究ジャー
ナル』第14巻第2号 農文協 pp.
1−12.
単
20年5月
単
20年10月
第44回2008年度地方自治経営学会大会
(日本都市センター会館)
日本村落研究学会、第56回佐渡大会
テーマセッション「集落の再生」
共
20年11月
日本労働社会学会他の主催(於
学)京谷栄二・木本喜美子
単
20年3月
佐貫浩・世取山洋介編『新自由主義教育
改革 その理論・実態と対抗軸』大月書
店
単
20年10月
『行政の組織改革の現状と今後のあり方
に関する調査研究報告書』総務省大臣官
房企画課
単
20年3月
長野大学紀要第29巻第4号 pp.
21−32.
単
20年1月
新英米文学会東京1月例会(早稲田奉仕
園セミナーハウス)
〔学術論文〕
1.現代山村の現状分析と地域再生の
課題−限界自治体の現状を中心に−
〔学会発表〕
1.限界集落化による国土崩壊と再生
への道
2.山村集落の現状と地域再生の課題
京谷栄二
〔その他〕
1.マイケル・ブラウォイ教授特別セ
ミナー「市場万能の時代における労
働研究の可能性」
明治大
久保木匡介
〔著書〕
1.第16章 イギリスにおけ る NPM
教育改革の展開
〔調査報告書・研究報告書〕
1.第3章 ブレア政権におけるエー
ジェンシー制度の転換
小林一博
〔学術論文〕
1.ティム・バートン試論−「フリークス」
の孤独から「家族」の神話へ その1
〔学会発表〕
1.「フィルム・ノワール」イントロ
ダクション
―1
1
4―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
1
5
小長谷悠紀
〔その他〕
1.観光の文脈から外れた在日ブラジ
ル人
2.ニセコ&ハクバ−ス キ ー 場 の ニ
ューカマーが教えてくれたこと
単
20年3月
北海道大学観光創造フォーラム報告要旨
集 pp.
87−90.
立教大学観光学部
『交流文化』pp.4−12.
単
20年12月
1.上田市における中心商店街の復元
と地域再生への取り組み−柳町・原
町を中心として−
共
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
91−96.
斎藤功・古田睦美
2.軽井沢駅前におけるマンションの
立地と新幹線通勤の増加
共
20年9月
第23回日本観光研究学会全国大会学術論
文集 pp.
257−260.
佐藤大祐・斎藤功・馬場泰仁
単
20年6月
地学雑誌 117巻3号 pp.
688−690.
共
20年9月
科研費基盤研究(B)
(研究代表者矢ヶ崎典隆東京学芸大学教
授)の分担研究者としてロサンゼルスの
インド人街等の調査
1.ナマズ類の多様な繁殖行動−託卵
ナマズと栄養卵給餌を中心に−
共
20年2月
2.地球環境をめぐる科学と社会−外
来の知識と土着的知識体系のかかわ
り
3.進化の爆発−複雑な相互作用が進
化を加速する?−
共
20年3月
前畑政善・宮本真二編、
『鯰−イメージ
と そ の 素 顔−』、八 坂 書 房、pp.
164−
178.
松永澄夫編、『環境−文化と政策−』、東
信堂、pp.
159−184.
共
20年8月
斎藤 功
〔学術論文〕
〔書評〕
1.漆原和子編『石垣が語る風土と文
化−屋敷囲いとしての石垣』古今書
院、2008年3月、257ページ
〔その他〕
1.ロサンゼルス大都市圏における移
民の適応戦略・エスノスケーブと都
市構造の動態
佐藤 哲
〔著書〕
―1
1
5―
津田一郎編、『ダイナミクスからみた生
命的システムの進化と意義』
、国際高等
研究所、pp.
57−63.
1
1
6
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
〔学術論文〕
1.Unforced control of fishing activities
as a result of coexistence with underwater protected areas in Lake Malawi National Park. East Africa.
2.環境アイコンとしての野生生物と
地域社会−アイコン化のプロセスと
生態系サービスに関する科学の役割
−
共
20年11月
Tropics
17(4):335−342(Satou, T. Makimoto,
N. Mwafulirwa D. Mizoiri,S)
単
20年10月
環境社会学研究 14:70‐85
1.Regenerating forest ecosystem services : an experimental approach using
university−own Satoyama forest
単
20年5月
2.Unfored control of fishing actvities
among artisanal fishermen in a local
community of Lake Malawi
3.釧路湿原におけるエコツーリズム
の現状と可能性−釧路川カヌー川下
りを中心として−
共
20年10月
International Conference : Preservation of
Biocultural Diversity-a Global Issue.
Universität für Bodenkultur Wien, Vienna
Austria
5th World Fisheries Congress.(Sato, T.
Makimoto, N. Mwafulirwa, D. Mizoiri,S)
共
20年11月
日本観光研究学会 全国大会
臺純子・市川雄太・佐藤哲
単
20年9月
長野大学研究交流広場
共
20年2月
現代書館 村上和夫・長田佳久・河東田
博編著『たのしみを解剖する アミュー
ズメントの基礎理論』pp.
245−258.
単
20年3月
交流文化 2008
Vol.
07、pp.
2−15.
立教大学観光学部
〔学会発表〕
Margaret Simmons
〔その他〕
1.Regional Identity in the Autonomous
Community of Catalunya : History,
Economy, Language, Political Self−determination and Ethnicity
臺 純子
〔著書〕
1.第5章 雑誌にみる楽しみとして
の海外旅行
〔その他〕
1.近代リゾートの歴史を映すモナコ
公国
―1
1
6―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
1
7
高橋一秋
〔学会発表〕
1.イノシシによる土壌撹乱が実生発
生に与える影響
単
20年3月
日本生態学会福岡大会(第55回)
単
20年1月
Ecology of Freshwater fish
1.水産資源管理における生態情報の
重要性―琵琶湖固有種のイサザを例
に
単
20年3月
千曲川流域学会第1回大会、長野大学
2.Variable male−male competition and
female mate choice in relation to nest
site abundance in the freshwater goby
Trindentiger brevispinis.
単
20年8月
The1
2th Biennial Congress of the International Behavioral Ecology Society, Cornell
University
3.奄美大島名音川および住用川にお
ける河川性ハゼ科魚類キバラヨシノ
ボリの巣場所選択
共
20年9月
2008年度日本魚類学会年会、愛媛大学
高橋大輔・井口恵一朗
単
20年3月
『アジア史研究』32
単
20年12月
『近代東北アジアの誕生』北海道大学出
版会、pp.
269−294.
単
20年10月
長野大学図書館報『惜樂』
単
20年11月
大学教育学会誌第3
0巻、第2号
−24.
高橋大輔
〔学術論文〕
1.Life−history variation in relation to
nest site abundance in males of the
freshwater goby Trindentiger brevispinis.
〔学会発表〕
塚瀬 進
〔学術論文〕
1.清代、中国東北における封禁政策
再考
2.中国東北統治の変容―1860∼80年
代の吉林を中心に―
土田俊幸
〔書評〕
1.黒沢惟昭著『現代に生きるグラム
シ−市民的ヘゲモニーの思想と現実
−』(大月書店、2007年)
徳永哲也
〔学術論文〕
1.教養教育の復権と学士課程教育
―1
1
7―
PP.
20
1
1
8
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
〔学会発表〕
1.大学の教育力とは何か−教養教育
の復権と学士課程教育
単
20年6月
大学教育学会誌 第30号
大会シンポジウム
単
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
81−84.
単
20年5月
名古屋大学高等教育研究センター
回招聘セミナー講演
単
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
39−54.
単
20年1月
『スウィーニー・トッド』
〔映画館販売
用パンフレット〕松竹(株)事業部
単
20年6月
長野大学紀要第30巻第1号 pp.
47−57.
共
20年11月
第23回日本観光研究学会全国大会
共
20年6月
学術振興会 平成17∼19年度科学研究費
補助金(基盤研究(c))研究成果報告書
共
20年6月
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
91−96.
古田睦美・斎藤 功
〔調査報告書・研究報告書〕
1.対話から考える、いのちの安全保
障の倫理学
〔その他〕
1.大学教育における哲学の役割
第70
長島伸一
〔学術論文〕
1.上田小県地域の青年団活動と『社
会的教養』─『西塩田時報』を中心
に
〔その他〕
1.『スウィーニー・トッド』の舞台
─19世紀のイギリス社会の実態
比拉勒 伊力亜司
〔学術論文〕
1.時代に合った語学教育システムの
開発及び導入の必要性
古田睦美
〔学会発表〕
1.特色ある産物を核とした地域づく
りと観光活性化にかんする研究
〔調査報告書・研究報告書〕
1.福祉コミュニティづくりにおける
「地域通貨」の意義と役割に関する
調査研究
〔その他〕
1.上田市における中心市街地の復元
と地域再生への取り組み−柳町・原
町を中心として−
―1
1
8―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
1
9
三田育雄
〔調査報告書・研究報告書〕
1.富士河口湖町船津・大石地区振興
ビジョンづくり
共
19年8月
∼
富士河口湖町(三田育雄他4名)
2.長和町商工会魅力向上事業
単
20年7月
∼
長和町商工会
3.サービス人材育成プロジェクト
共
20年12月
∼
立教大学(経済産業省)
(臺純子・小長谷悠紀・図師雅脩・三田
育雄)
1.上海市の社会福祉調査の中間報告
―専門職養成と地域福祉の現状につ
いて―
単
20年3月
長野大学附属地域共生福祉研究所報第3
号 pp.6−8.
2.地域自治組織と地域づくりの課題
―県内の地域自治組織の調査にあ
たって―
単
20年12月
長野県住民と自治研究所だより第48号
pp.1−5.
安井幸次
〔調査報告書・研究報告書〕
―1
1
9―
1
2
0
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
企業情報学部
著書、学術論文等の名称
単著、 発行又は発
共著
の別 表の年月日
発行所、発表雑誌又は発表学会等の名称
禹 在勇
〔学術論文〕
1.韓国における住居と台所の原初的
概念−朝鮮時代以前の住居と台所の
変遷を通じて
共
20年12月
長野大学紀要第30巻第3号 pp.
15−24.
禹在勇・田中法博
1.計測データに基づいた日本刀の分
光ベース3DCG 再現
2.色覚異常モデルに基づいた物体の
3DCG 再現と GPU による高速化
3.分光反射モデルに基づいた日本刀
の3DCG 再現
4.表面下散乱を考慮した分光ベース
レンダリング
5.計測データに基づいた日本刀の反
射モデル構築
6.温度特性からみた漆椀の形状解析
共
20年11月
共
20年10月
共
20年10月
共
20年10月
共
20年10月
共
2
0年10月
7.計測データと分光モデルに基づい
た人間の肌の3DCG 再現
8.分光ベース3DCG 再現のための
全方位光源分布計測法
9.日本刀表面特性の光反射計測
共
20年10月
共
20年10月
共
2
0年9月
10.GPU を用いた人の肌の分光レン
ダリング手法
11.光反射モデルを用いた美術品の3
D CG 再現と GPU による高速化
12.RGB カラーカメラを用いた日本
刀の分光画像計測
13.デジタルアーカイブのための全方
位分光 HDR 画像計測法
14.分光的な光反射計測に基づいた物
体の3DCG 再現
15.三角形にみられる陰と陽の感性に
関する研究
16.日本刀の表面反射特性の推定
共
20年9月
共
20年9月
共
20年9月
共
20年9月
共
20年9月
共
20年9月
共
20年6月
カ ラ ー フ ォ ー ラ ム JAPAN2008、論 文
集、pp.
21−24.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
63−64.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
61−62.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
59−60.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
57−58.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
37−40.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
17−20.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008論文集、pp.
13−16.
第2回色彩情報シンポジウム in 長野、
論文集、pp.
71−74.
第2回色彩情報シンポジウム in 長野、
論文集、pp.
68−70.
第2回色彩情報シンポジウム in 長野、
論文集、pp.
62−67.
第2回色彩情報シンポジウム in 長野、
論文集、pp.
57−61.
第2回色彩情報シンポジウム in 長野、
論文集、pp.
21−26.
第10回日本感性工学会大会、予稿集2
3H
−02
第10回日本感性工学会大会、予稿集13C
−07
第55回日本デザイン学会春季研究発表大
会、論文集、pp.
360−361.
〔学会発表〕
―1
2
0―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
2
1
17.GPU を用いた分光ベースレンダ
リングのデザイン支援への応用
18.「漆」の繊維化に関する研究
共
20年6月
第55回日本デザイン学会春季研究発表大
会、論文集、pp.
60−61.
第55回日本デザイン学会春季研究発表大
会、論文集、pp.
228−229.
Visual Computing/グラフィクスと CAD
合同シンポジウム2
008,予稿集 CD、2
−26
日本感性工学会春季大会2
008論文集、C
7−05
日本感性工学会春季大会2
008論文集、C
7−04
日本感性工学会春季大会2
008論文集、C
3−02
共
20年6月
19.GPU を用いた分光ベースレンダ
リングのための分光画像マッピング
法
20.人物のモーションデータの特徴抽
出とデータ圧縮
21.光反射計測に基づいた日本刀デジ
タルアーカイブ手法
22.GPU による分光的な3DCG 画像
生成と色再現精度の検証」
共
20年6月
共
20年3月
共
20年3月
共
20年3月
共
20年3月
早稲田大学 国 際 経 営 研 究、第1号、
pp.
109−129.木村誠・根来龍之
単
20年1月
共
2
0年2月
財団法人ハイライフ研究所『ハイライフ
研究』、Vol.
10,pp.
29−31.
白桃書房 日本経営倫理学会編『経営倫
理用語辞典』(P1)
単
20年6月
平山正実編著『死別の悲しみに寄り添
う』(臨床死生学研究叢書1、聖学院出
版会、pp.
187−212.
単
20年10月
日本独文学会2008年度秋季研究発表会、
岡山大学
単
20年7月
聖学院大学総合研究所死生学研究会
単
20年12月
長野大学紀要第30巻第3号
木村 誠
〔学術論文〕
1.派生コンテンツのプロパティ設計
による多様性と連動性のマネジメン
ト−ポケモンビジネスの事例分析に
よる検討−
〔その他〕
1.コンテンツビジネスのアーキテク
チャー
2.IT 倫理
小高康正
〔学術論文〕
1.悲嘆と物語−喪の仕事における死
者との関係−
〔学会発表〕
1.M.エンデのファンタジーにおけ
る死のイメージと創造性
〔その他〕
1.社会人・大学生と生と死の教育
!
佐々木
〔学術論文〕
1.竹内好と魯迅
―1
2
1―
1
2
2
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
田中法博
〔学術論文〕
1.Spectral image acquisition, analysis,
and rendering for art paintings
共
20年12月
Journal of Electronic Imaging Vol.
17,
No.
4,1
S. Tominaga and N. Tanaka
共
20年9月
単
20年12月
長野大学紀要第30巻第2号pp.
115−122.
野原光・田中法博・森俊也
日本色彩学会誌 日本色彩学会共催事業
報告書
Vol.
32,No.
4,pp.
303−305.
1.GPU による分光的な3DCG 画像
生成と色再現精度の検証
2.光反射計測に基づいた日本刀デジ
タルアーカイブ手法
3.人物のモーションデータの特徴抽
出とデータ圧縮
4.日本刀の表面反射特性の推定
共
20年3月
日本感性工学会春季大会2008 4pages
共
20年3月
日本感性工学会春季大会2008 4pages
共
20年3月
日本感性工学会春季大会2008 4pages
共
20年6月
5.GPU を用いた分光ベースレンダ
リングのデザイン支援への応用
共
20年6月
日本デザイン学会
第55回研究発表大会 pp.
360−361.
日本デザイン学会
第55回研究発表大会 pp.
60−61.
6.「漆」の繊維化に関する研究
共
20年6月
7.GPU を用いた分光ベースレンダ
リングのための分光画像マッピング
法
8.デジタルアーカイブの全方位分光
HDR 画像の計測法
9.RGB カラーカメラを用いた日本
刀の分光画像計測
10.分光反射モデルを用いた美術品の
3DCG 再現と GPU による高速化
共
20年6月
共
20年9月
共
20年9月
共
20年9月
11.GPU を用いた人の肌のレンダリン
グ法
12.日本刀の表面特性の光反射計測
共
20年9月
共
20年9月
13.分光ベース3DCG 再現のための
全方位光源分布計測法
共
20年10月
〔調査報告書・研究報告書〕
1.伝統技能の電子媒体記録による伝
統技能・近代工業技術の結合
2.色彩情報シンポジウム in 長野−
地域の「匠技術」からものづくりデ
ザインへ−
〔学会発表〕
―1
2
2―
日本デザイン学会
第55回研究発表大会 pp.
228−229.
情報処理学会・画像電子学会合同 VC/
GCAD シンポジウム2008 6pages
色彩情報シンポジウム in 長野2008
pp.
21−26.
色彩情報シンポジウム in 長野2008
pp.
56−61.
色彩情報シンポジウム in 長野2008
pp.
62−67.
色彩情報シンポジウム in 長野2008
pp.
68−70.
色彩情報シンポジウム in 長野2008
pp.
71−74.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
13−16.
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
2
3
14.計測データと分光モデルに基づい
た人間の肌の3DCG 再現
15.計測データに基づいた日本刀の反
射モデル構築
16.表面化散乱を考慮した分光ベース
レンダリング
17.分光反射モデルに基づいた日本刀
の3DCG 再現
18.色覚異常モデルに基づいた物体の
3DCG 再現と GPU による高速化
共
20年10月
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
17−20.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
57−58.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
59−60.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
61−62.
計測自動制御学会中部支部シンポジウム
2008 pp.
63−64.
共
20年10月
共
20年10月
共
20年10月
共
20年10月
19.計測データに基づいた日本刀の分
光ベース3DCG 再現
(2008年度ベストプレゼンテーショ
ン賞受賞)
共
20年11月
カ ラ ー フ ォ ー ラ ム Japan2008 pp.
21−
24.
単
20年3月
『日本労働社会学会年報』第18号
−29.
単
20年6月
長野大学紀要第30巻第1号 pp.
19−34.
共
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号pp.
116−118.
野原光・田中法博・森俊也
単
20年3月
千曲川流域学会第1回大会(長野大学)
単
20年8月
教育システム情報学会第3
3回全国大会
(大妻女子大学)
単
20年10月
日本教育工学会第24回全国大会(上越教
育大学)
単
20年1月
創成社
全178頁。
野原 光
〔学術論文〕
1.多様な諸研究の対話の成立を目指
して:自動車産業労働実態調査研究
再検討の序章
2.現代日本自動車産業労働職場の実
態調査研究の再検討その2
pp.
3
〔調査報告書・研究報告書〕
1.伝統技能の電子媒体記録による伝
統技能・近代工業技術の結合
前川道博
〔学会発表〕
1.ネットを活用した限界集落支援の
あり方
2.アーカイブ指向 SNS を適用した
体験学習プログラムベース教材開発
モデル
3.アーカイブ指向 SNS を適用した
体験学習プログラムベース教材開発
の実践
森 俊也
〔著書〕
1.イノベーション創発の戦略経営論
―1
2
3―
1
2
4
長野大学紀要
第3
1巻第1号 2
0
0
9
〔学術論文〕
1.業界の IT・大競争化と総合的経
営システムの構築―米国企業におけ
るイノベーションとそれらからの学
習―
2.イノベーショントリガーとしての
技術環境の変化
3.イノベーショントリガーとしての
競争環境の変化
4.イノベーション創発の要因と概念
的枠組み
単
20年3月
『ビジネス・マネジメント研究』
(日本
ビジネス・マネジメント学会誌)
、第4
号、pp.
7−17.
単
20年3月
単
20年7月
単
20年9月
研究年報『経済学』 東北大学経済学会、
第69巻、第3号、pp.
21−37.
経営行動研究学会編『経営行動研究年
報』第1
7号、pp.
72−77.
長野大学紀要第30巻第2号 pp.
55−67.
共
20年9月
長野大学紀要第30巻第2号pp.
115−122.
野原光・田中法博・森俊也
単
20年9月
日本経営学会・第82回全国大会
単
20年5月
平成20年度学内研究会
共
20年11月
学文社 河村一樹・小泉力一・和田勉・
栗田るみ子
1.Making computer science activities
accessible for the languages and cultures of Japan, Korea, China and Sweden
共
20年3月
2.アジア圏におけるアンプラグドの
取り組みと工夫
3.“Unplugged” Activities and Arrangements in Asia / “Unplugged” 在 洲
−有 什 活 和 努 力?/
単
20年8月
単
20年10月
Technical Symposium on Computer Science
Education SIGCSE2008
March12−15,2008, Portland , Oregon ,
USA. Tim Bell, Ben T Wada, Susumu Kanemune, Xia Xie, WonGyu Lee, Choi SookKyoung, Bengt Aspvall, Anna Wingkvist
情報教育シンポジウム SSS2008(韓国済
州)特別講演
2008 CS Unplugged Asian Workshiop
China−Japan−Korea−NewZealand
(中国湖北省武漢市)
〔調査報告書・研究報告書〕
1.伝統技能の電子媒体記録による伝
統技能・近代工業技術の結合
〔学会発表〕
1.イノベーション創出の要因に関す
る一考察
〔その他〕
1.イノベーション創発の要因とその
概念的枠組み
和田 勉
〔著書〕
1.情報科教育法
〔学会発表〕
%
& '
($(!
)*"# +,-./ 012 34
/アジア圏におけるアンプラグドの
取り組みと工夫
―1
2
4―
長野大学教員研究業績一覧 2
0
0
8年1月∼2
0
0
8年1
2月
1
2
5
〔その他〕
1.日本の初中等情報教育に思うこと
単
20年4月
2.アンプラグドビデオ日本語版と韓
国語版の作成
共
20年10月
―1
2
5―
東 京 書 籍「ニ ュ ー サ ポ ー ト」Vol.
5
(2008年春号)、p.
7.
コンピュータサイエンスアンプラグドプ
ロジェクト http//csunplugged.com/
翻訳作成者:Tim Bell・和田勉・
(KIM Hyeon Chol)
小川勝一教授
略歴および主要著作
略
氏
名
小川勝一(おがわしょういち)
生年月日
1943年8月20日
住
長野県上田市
所
歴
¸
学
歴
1962年3月
東京都立日比谷高等学校卒業
1967年3月
東京大学教育学部卒業
1977年3月
東京大学大学院教育学研究科教育学専攻修士課程修了
¹
職
1967年4月
埼玉県立越ヶ谷高等学校教諭
1974年4月
埼玉越ヶ谷高等学校専任講師
1981年4月
長野大学専任講師
1986年4月
長野大学専任助教授
1991年4月
長野大学専任教授
2009年3月
長野大学定年退職
歴
主要研究業績
1)定時制生徒の成育歴に学ぶ(単著)『教育』7月号国土社 1978年
2)心の事典(共著・分担執筆)平凡社 1986年
3)予備校生の進路選択に関する意識調査第一報告書(共著・分担執筆)
『大学進学研究』№4
2 大学
進学研究会 1986年
4)大学生の進路選択に関する意識調査第二次報告書(共著・分担執筆)
『大学進学研究』№4
9 大学
進学研究会 1988年
5)今、青年期教育をどうつくるか(編著)あゆみ出版 1989年
6)上田市児童生徒に関する意識調査報告書(共著・分担執筆)上田市教育委員会 1990年
7)人材分配システムとしての日本の教育と諸問題(単著)長野大学紀要(第13巻1号) 1991年
8)都市社会と子ども世界の変貌(単著)『地方から都市を考える』郷土出版社 1991年
9)上田市青少年育成住民意識調査報告書(共著・分担執筆)上田市教育委員会 1992年
10)日中共同研究のひとつの考え方(ノート)(単著)長野大学紀要(17巻1号) 1995年
11)子どもの生活意識調査報告書(共著・分担執筆)長野県教育問題研究会 1996年
12)思春期にどう向き合えばいいでしょうか(単著)『生活教育』12月号日本生活教育連盟 1998年
13)共同学習と地域社会(単著)『地方自治とまちづくり』郷土出版社 2000年
14)家庭の困難を社会問題につなげるために(単著)『教育』11月号 2000年
15)思春期の自我形成の道を求めて(単著)長野大学紀要(第22巻第3号) 2000年
―1
2
7―
16)生かされて生きる−「共通感覚」を読む(単著)『教育』2月号国土社 2002年
17)子どもの生活意識調査(第2期)報告書(共著・分担執筆)長野県教育問題研究会 2003年
18)共に生きる感性「自己肯定感」を模索して(単著)
『地球時代における地域の協働』郷土社 2
007
年
―1
2
8―
河野伸造教授
略歴および主要著作
略
氏
名
河野伸造(こうのしんぞう)
生年月日
1939年1月1日
住
東京都八王子市
所
歴
¸
学
歴
1965年3月
群馬大学医学部卒業
1966年5月
医師免許収得
1970年3月
鹿児島大学大学院医学研究科博士課程外科系(産科婦人科学専攻)修了
1975年2月
医学博士
¹
職
歴
1965年4月
鹿児島大学医学部附属病院インターン(1976年3月まで)
1966年4月
鹿児島大学医学部産科婦人科学教室入局、附属病院医員(1967年3月まで)
1967年9月
鹿児島大学医学部助手(産科婦人科学)
1972年10月
National Institutes of Health(NIH、米国国立衛生研究所)、Lipsett MB.
(元 NIH 病院長、
NICHD、NCI、NIAMD の元各所長)のもとに Visiting fellow として留学(1
973年9月ま
で)
1975年10月
鹿児島大学医学部講師
1978年7月
National Institutes of Health(NIH:米国国立衛生研究所)、Lipsett MB.のもとに Visiting as-
1984年7月
琉球大学医学部保健学科助教授
sociate として留学(1980年9月まで)
1985年8月
琉球大学医学部保健学科教授(定年退職2
004年3月)、保健学科長(1
995年3月∼2000年
3月)
2000年4月
琉球大学医学部保健学科研究科長(2004年3月まで)
2004年4月
長野大学社会福祉学部教授(定年退職2009年3月)、学長特別補佐(2008年3月まで)
2004年5月
琉球大学名誉教授
主要研究業績
1.妊娠と化学療法(特集;化学療法の新しい考え方)河野伸造ら.臨床と研究 5
4
(7):71∼75、
1977
2.更年期と老年期.森一郎、河野伸造.新病態栄養学叢書;母性(日本栄養学会編)43∼52頁、第一
出版社、1978
3.Low plasma levels of 2-hydroxyestrone are consistent with its rapid metabolic clearance. Kono S., Lipsett
MB., et al. Steroids36
(4):463∼472,1980
4.Metabolic clearance rate and uterotropic activity of 2-hydroxyestrone in rats. Kono S., Lipsett MB., et al. En―1
2
9―
docrinology108
(1):40‐43,1981
5.更年期と更年期障害.森一郎、河野伸造.新母性衛生(日本母性衛生学会編)1
50‐161頁、南山
堂、1982
6.Radioimmunoassay and metabolic clearance rate of catecholestrogens, 2-hydroxyestrone and 2-hydroxtestradiol
in man. Kono S., Lipsett MB., et al. J. Steroid Biochemistry19
(1):627‐633,1983
7.中高年婦人の健康、河野伸造ら、沖縄の医療と保健(琉球大学公開講委員会編)153‐169、1987
8.The effect of soybean on bone loss in a rat model of postmenopausal osteoporosis. Kono S., et al. J. Nutr. Sci.
Vitaminol.
44:25
7‐268,1998
9.Effects of catecholestrogen 2-monomethyl ether on serum cholesterol and lipoprotein levels. Kono S., et al.
Asia-Oceania J. of Obstet.and Gynec.
14
(3)
:399‐403,1988
10.Hypocholesterolemic effect of long term continuous administration of 2-methoxyestriol in dietary hypercholesterolemic rats. Kono S., et al. J. Clin. Biochem. Nutr.
6:49‐56,1989
11.婦人の代謝性成人病とエストロゲン補充療法.河野伸造.日本医事新報 No.
3340、123頁、昭和
6
3年4月30日
12.サーモグラフィからみた生体の防御反応一自律神経反応と炎症反応.河野伸造.Biomedical
Ther-
mology22
(2):39‐49,2002
13.イソフラボンのエストロゲン作用と抗エストロゲン作用.河野伸造.日本医事新報 No.
4270、2006
年2月25日
14.双方向性テレビ電話コミュニケーションによる独居老人の精神的支援.河野伸造ら.長野大学紀要
30
(1):69‐79,2008
など多数。
学会活動歴
日本内分泌学会評議員
The Endocrine Society(アメリカ内分泌学会、Acting member)
日本産科婦人科評議員
日本女性心身医学会評議員、理事、名誉会員(第32回日本女性心身医学会大会長2003年)
日本サーモロジー学会評議員、理事(第19回日本サーモロジー学会大会長2002年)
日本代替相補伝統医療連合会議沖縄県支部長
―1
3
0―
長野大学紀要編集規程
(名称および発行)
第1条 本誌を「長野大学紀要」
(以下「本紀要」という。
)
と称し、年4回発行することを原則とする。
(目的)
第2条 長野大学において教員が行っている研究および本学で実施された共同研究や受託研究の成果を学
内外に紹介し、長野大学の教育・研究活動の活性化に寄与することを目的とする。
(編集委員会)
第3条 長野大学図書館運営委員会のもとに、長野大学紀要編集委員会(以下「編集委員会」という。
)
を
置く。編集委員会委員長は図書館運営委員会委員長が兼ねる。
2.本紀要の原稿の募集・編集は編集委員会が行う。
(投稿資格)
第4条 投稿できる者は原則として本学の専任教員および実習助手とする。ただし、本学の非常勤講師等
も投稿することができる。
(投稿原稿)
第5条 本紀要に掲載する原稿は他に未発表のものに限り、種類は次の各号に掲げるものとする。
論 文
研究ノート
書 評
その他の編集委員会の認めたもの
(著作権)
第6条 本紀要に掲載された論文等の著作権の取り扱いは、以下のとおりとする。
著作権は著者に帰属する。
著者は著作物の複製権と公衆送信権の行使を大学に委託する。
(論文等のネットワーク上での公開)
第7条 本紀要に掲載された論文等は、原則として電子化し、長野大学ホームページ等を通じてネット
ワーク上に公開する。
(配布)
第8条 発行された紀要は専任教員、実習助手および非常勤講師等へ配布する。
(抜刷)
第9条 執筆者には抜刷5
0部を配布する。ただし、5
0部をこえる分については執筆者がその費用を負担す
るものとする。
(執筆要領)
第1
0条 原稿は別に定める執筆要領にしたがうこととする。
(改廃)
第1
1条 この規程の改廃は、評議会の承認を得なければならない。
附則
本規程は平成5年7月1日から施行する。
本規程は平成1
7年4月1日から施行する。
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編集委員会
委員長
佐藤
委
神尾裕治,野原
員
哲
光
2009年6月30日
発行
長野大学紀要
第31巻第1号(通巻第1
1
7号)
編
集
発行所
長野大学紀要編集委員会
長
野
大
学
長野県上田市下之郷6
5
8−1
TEL (0
2
6
8)
3
9−0
0
0
5
印
刷
蔦 友 印 刷 株 式 会 社
長 野 市 平 林 1−3
4−4
3
TEL (0
2
6)
2
4
3−2
3
5
1
BULLETIN OF NAGANO UNIVERSITY
Vol.
3
1,No.
1,June 2
0
0
9
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CONTENTS
The Trinity of Medical Care, Health and Welfare in an Aging Society
─A Holistic Care Espected─
Shinzo Kono …………………………………………………………………………………1
Articles
Occupational Mental Health and Return-to-Work Supports for the Person with Psychiatric Disorders
─Cases of Rehabilitative Works for Depressed Patients─
Chuichi Uwadaira ……………………………………………………………………………1
1
A Pair-typed Inner Model for Eccentric Management
―Case Studies Focused on Indirect Controls and Abandonment of Controls―
Makoto Kimura………………………………………………………………………………2
9
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 1 :
The Period of Tories Administration in1
9
9
0’s
Kyousuke Kuboki ……………………………………………………………………………4
5
A Re-examination of the Concept of Alienation : A Preparatory Note toward the Theory of
Lifelong Education Systems
Nobuaki Kurosawa …………………………………………………………………………5
9
The Position and Class Goals for the Subject “Basic Care Skills and Practices” in the Social
Welfare Education
―With Focuses on the Certified Social Workers Training―
Akiko Koshida ………………………………………………………………………………7
3
Streamlining Attempts at the Learning of Pronunciations of Chinese Language
Bilal Ilyas ……………………………………………………………………………………83
Notes
Pan-Asianism : Le cas Takeuchi Yoshimi
Thoru Sasaki ………………………………………………………………………………9
1
Overview of Research Achievements
2
0
0
8Faculty Research Achievements ………………………………………………………………1
0
7
Others
Biography and Major Publications of Professor Shoichi Ogawa ……………………………………1
2
7
Biography and Major Publications of Professor Shinzo Kono ………………………………………1
2
9
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