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平成21年度教師海外研修プログラム(ブラジル) 研修報告書
平成21年度教師海外研修プログラム(ブラジル) 研修報告書 学校名 学戸小学校 氏 名 本多 知沙子 ■ 印象に残る写真3点 ■ ●「イニャンガピの子どもたち。きらきらした瞳が印象的。」 到着が遅れた私たちを、川辺で待っていてくれた。学校の中 にも外にも人が集まっていた。私たちが出し物をすると、先生 と歌を歌って応えてくれた。最初はあまり話さない子もいたが、 最後には笑顔を見ることができた。日本の様子を話したり、広 告を見せたりすると興味津々に見入っていた。彼らは、大自然 の中で、のびのびと、純粋に生きていることが感じられた。ここ で働く先生の言葉も今の自分と通じるものがあった。また、帰り に見せてもらったアサイーを採る技は、職人技だった。 [Honda_DSCa0665 ] ●「ボートで川岸学校へ。市長さんがずっと話をしてくれた。」 出発した地点はさほど大きな川ではなかったが、ボートを進め ていくと少しずつ川幅が大きくなっていく。周りには、熱帯植物 がずらりと並び、太陽がさんさんと照りつけていた。川を進めて いくと、川辺にぽつぽつと家が見えてくる。ボートが珍しいの か、手を振って出迎えてくれる。中には、川に飛び込む少年も いた。そして、私たちのボートには市長さんも乗っていた。市 長さんは道中ほとんど立って、みんなに水を配ったり、お菓子 やバナナを配ったり、同乗者みんなをもてなしていた。また、 ずっと質問に答えてくれ、イニャンガピの教育を良くしていく思 いを語ってくれた。市長になることよりも大きな夢がある、と語る 市長さんの姿からは、学ぶべき事がたくさんあった。[Honda_DSCa0531 ] ●「ホームステイの夕ご飯は、家族みんなの手作りご飯。」 ホームステイでは、外で夕ご飯をいただいた。お母さんが作っ たお味噌汁に、おばあちゃんが作った煮物、そして、お父さん が焼いてくれたシュハスコ。家族全員の愛情がこもった手作り の夕ご飯はとても嬉しかった。また、三人のお話の掛け合いが 楽しく、肉が少し焦げてしまったことでお父さんは責められて いたが、とても仲の良い、呼吸の合った家族で、そこにステイ させてもらえ、とてもいい時間を過ごした。 [Honda_DSCc0236 ] 1.現地研修に対する各自の目的 とその達成度 現地研修に行き、ブラジルの空気を肌で感じ、世界を広げたかった。また、自分の視野を広げ、いろいろな観点か ら物事を見つめられるようになりたかった。 今回、現地研修では多くの人と出会った。そして、ブラジルの現状を、見て、感じた。日本の空気の中で写真や映 像を見て感じるものとは、まるで違った世界を肌で感じることができた。習慣や考え方が違っていたり、しかし、同じと ころもあったりと、それを見つめていく中で、テレビの中だけでしかなかった世界が、現実のものとして感じられた。そ して、日本の、私の住む世界、住む立場からしか見ることがなかった視点が増えたように思う。 そして、ブラジルのことについてより深く知ることができたとも思う。それは、多くの人と会い、その人の仕事の内容 ややりがい、夢を聞くことで、その人の生き方を見ることができたからだろう。自分の夢に向かって一生懸命生きる人 たちからは、自分の根本に戻って、「生きる」ということを考えさせられた。きらきらと、言葉や立ち振る舞いのあちこち からここに存在している、というオーラのようなもの、今の日本にあるのだろうか。今の自分にあるのだろうか。 現地研修を通して、新しい視野をたくさん発見することができた。そして、それ以上に「生きる」ということを考えさせ られた。また、今回、ブラジルの研修を終えて、さらに広くて多様な視野を身に付けたいと思うようになった。 2.訪問国から学んだこと (気づいたこと、わかったこと、大切に思ったことなど) 日系人の歴史や教育、食べ物、習慣など、ブラジルについての様々な現状を知ることができた。 そして、この14日間を通してたくさんの人に出会った。川岸で住む人々、都会に住む人々、それぞれに夢があり、 生き方があった。たくさんの人に会い、人の暖かさや一生懸命さ、そして瞳の輝きが印象に残った。 そこからは、今その時を生きている人の姿が感じられた。自分が食べるために、生活していくために生きていくこと が、自分を活かしていくことになる。今、情報があふれかえり、娯楽がある日本。そこではなかなか見つからなかった、 自分や人々の生活の中から見つけ出される楽しさや充実感、そして人を大切にする気持ちを、まざまざと感じた。服 や趣味や遊びで自分を飾り立てるわけでもなく、それによって価値を変えるわけでもなく、自分自身そのままで、自 然の中にいる。そして人と接する。ありのままの自分をぶつけ合い、勝負していくことが自分を活かしていくためには 必要な気がする。 3.現地研修の経験を生かす授業実践の意欲やねらい 現地に行き研修を行えたことで、ブラジルの空気を直に感じることができた。その中では、現地の人々と出会って 言葉に言い表せない思いを抱けたことがとても大きな成果の一つだと思う。 その思いを届けるために、自分が感動したことや感じたことを伝えるだけでなく、どんな国なのか、どんな人々と出 会ったのか、伝えていきたい。地球儀を見てみると日本の裏側にある一番遠い国、ブラジル。そこには、日本との、他 国にはないとても太いつながりがある。そこで、食べられている食事や学校生活の様子、遊びを紹介し、実体験とし てどんな文化があるのかを感じられるように支援していきたい。子どもたち自身の感覚として、何が違い、同じなのか、 そしてそこから諸外国への興味関心を広げていってほしい。また、広い世界の文化を知ることで、自国についても振 り返り、それぞれの良さを認め合える視野を育てていってほしいと思う。 4.JICAの国際協力事業 の 「良い!と思ったところ」 と 「今後あるといいなと思う視点」 どの協力事業もそのときに必要な物を与えるのではなく、その知で活かしていけるようなものを考え、その上で最 低限必要なものを支援していく、という姿勢はとても勉強になった。日本に研修に行くことができることで学ぶことがた くさんあったことや、もっとよりよい団体にしていくための目標を設定する人を見ることもあった。人は、目標に向かっ て生きていく。どうにかしたいと思ったときの人の力はすごいものがある。いろいろな将来性を学ばせ、そこに自分た ち自身で前進することで、その地の活力もわき出していると思った。 私たちは、今回 JICA の協力事業を数多く見ることができた。しかし、日本で「JICA」という話をしても、すぐには伝 わらない時があった。その協力事業を皆が知ればよりいっそう広がっていくと思う。 5.ここまでの研修自体 (国内・海外) に対して 「良かったこと」 と 「今後あるといいなと思う視点」 今までの研修では、参加型であること、そして肯定的にとらえることが魅力的であった。参加を通して学ぶことで、 体が動き、頭が動き、両方で学ぶことができた。手法を理解するだけでなく、どんな気分になるのかまで知ることがで きた。そして、参加型だからこそ、研修を通して参加者と知り合うこともできた。また、体験をするだけでなく、そこにね らいがあり、振り返りがある。そのため、体験だけに終わらずにねらいと手法が立体的に見えるようだ。また、肯定的 にとらえる、という姿勢をいつもファシリエーター自身が示していたため、全体が受け入れられる空気だったように思 う。そして、今回はブラジルで14日間過ごした仲間たちは皆、肯定的に受け入れてくれる人たちばかりだった。そう いう間だからこそ、安心して意見をいえるだけでなく、研修の間中、リラックスして過ごすことができた。また、そのため に全てがプラスの方向に向いていった。プラスの関係は、1+1=2以上のものを生み出すことを実感したようだった。 研修のプログラムでは、事前研修を行いある程度の知識がある中でブラジルに渡ることができたため、よりいっそう理 解を深めることができたと思う。 これ以上、皆の負担にもなり無理なのだろうとは分かっているが、時間がもう少しあると良かった。また、今回はコ ーヒー農家がなかったので、それについても少し勉強をしたかった。 6.訪問先ごとの 「感じたこと」 や 「学んだこと」 ●8/1 :JICAサンパウロ支所ブリーフィング 新JICA の歩みについてお話を聞いた。JICAでは、相乗効果の 3S(speed-up、scale-up、spread-out)を念頭に 進めているそうだ。技術協力、三角協力、円借款、ブラジルのプロジェクトなど、JICAで行っていることについての概 要を分かりやすく知ることができた。また、1年に6000件の事件があるなど、地図を示し、具体的な数字を挙げて、治 安の悪さを教えてもらった。サンパウロでは市場やリベンダージを歩く時間がある。十分に注意していきたい。逆に、 今の日本がどれだけ安全かもよく分かる。鉄砲なんて考えられないし、路上で携帯なんてよく見る景色だ。当たり前 のように思っていたことが、そうではないことに気づいた。 ●8/1 :日系社会ボランティア(現職教師等)との対話 サンパウロを中心に活動している日本青年ボランティアの方々と、参加動機とブラジルの第一印象を交流した。ど の方もはつらつとしていて、熱いパワーに元気をもらった。ワークショップでは、ブラジルの印象として、日青ボの方 からプラスになる話を聞くことができた。「町は汚いし、こわい印象だった。けれど、人が優しい。バスに乗っていると 座っている人が荷物を持ってくれたり、困っていると話しかけてくれたりする。ご飯もおいしい。」様々な文化が集まる 町には、色とりどりの建物が並んでいる。近代的というよりは、とても人間的な町なのかもしれないと感じた。今後、ど んな人が暮らし、何を感じて生きているのか、より知りたくなった。 ●8/1 :デカセギ問題パネル デカセギ支援センター、ただいまプロジェクトなどについて話を聞いた。デカセギの始まりと、今でも続いているデ カセギの現状について話をしていただいた。戦後移民以来、2世がデカセギとして日本に行くようになり、闇で働くこ ともあったようだ。1890 年日本で移民の法律が変わり、日系ブームが始まる。家族でもいけるようになった。ISEC は 日本へ行く前に情報を流しているが、事前準備ができないままデカセギに行く人々も後を絶たない。ブラジルと日本 を行き来している人もいるが、家族や教育面などで問題が残っている。そのため、見通しを立てて日本へ行くことが 必要である。プロジェクトでは、個々の話をしっかりと聞き、アドバイスをしたり、職探しをしたりしている。日本へ行っ たことをプラスに考えられるように支援している。デカセギの現状を把握し、それが自分の人生に合った選択かどうか 考え、将来のプランを描いて行動できると良いと思う。また、子どもたちは自分の意志とは関係なく異国へ行かなけれ ばならない。教育の場だけでも、大人になって困らないように基礎・基本的な学力が身につくような課程を提示し、連 携して進めていければと思う。 ●8/2:地域警察プロジェクト 日本の地域警察の考え方を導入しているということで、交番の中には「整理」「掃除」「躾」など標語が掲示してあっ た。警察官は一人一人パトロールをする担当の道を決めており、日課に沿って動いている。職務質問もしている。そ して、一日ごとに何があったか記録をする。評価表によって一人一人の活動が分かるようになっている。交番システ ムを導入するようになって、法律に準じて規則通りに行うことができるようになった。また、近くの公園でラジオ体操を 行ったり、サッカーを教えたりもしている。地域団体で安全に対する呼びかけを行っている。交番は、皆が集まれる場 所であり、仲が悪い人同士も交番が架け橋となって人をつなぎ、安全な社会を目指している。情熱と誇りをもって仕事 に向かっているジョージさんの熱いまなざしが印象的だった。自分たちの力を信じ、交番を広めることで地域を良くし ていくという思いが伝わってくる。その思いがあるからこそ、コミュニティも交番を信じるようになるし、交番システムを 広げることができた要因だと思う。日本のシステムがサンパウロで受け入れられ、プラスのものとして世界に広がるこ とは、日本も自信をもっていいところだろう。この交番が魅力的なのは、システムに頼るだけでなく、それを活用し、良 くしていこうとする人の思いがあるからだろう。いかにシステムを良くしていっても、それを使うのは、そこにいる人な のである。 ●8/2 :Mercado Municipal 市場 市場には、野菜、果物、ナッツ、お酒、チーズ、魚(タラをよく見た)、肉、オリーブ、お菓子などなど、様々な店が所 狭しと並んでいた。最初に見られたお酒売り場では、上から生ハムの固まりとスライスする道具が吊してあった。果物 には、今までに見たことのない南国フルーツもあったが、りんご(FUJI)や、梨(KOUSUI)、デコポンも売られてい た。リンゴや梨は、日本の物よりもひとまわり小さい。手のひらに収まるぐらいだ。赤くて小さな実、ピメンタの試食があ った。その色に惹かれて試食してみると、とても辛い。店のおじさんがすぐに口直しのチーズを差し出してくれた。ビ ン詰めの商品もたくさん並んでいた。多くの店では、上からひもにくくりつけてビンをつり下げている。それも、何個も 重なり合う程とてもたくさん。この土地に合った新鮮な食べ物がたくさん並んでいた。その中に、日本から来て、ここで 育てられた果物が並んでいる。この土地に来た日本人が培ってきた歴史のほんの一部を垣間見た気がした。 ●8/2:日本移民史料館 資料館の展示物から、移民の歴史を詳しく説明してもらった。なぜ日本人が遠く離れた地、ブラジルに来ることに なったのか、そして、どんな生活を送っていたのかを知ることができた。今からさかのぼって、江戸時代に日本人が ブラジルに来たことから今まで、その歴史はずっと続いていた。船で45日、そのとき一番の西洋の身なりをして、期 待を胸にブラジルにたどり着いたが、そこからまた試練が始まる。日本人だけで集落を作り、学校を作る。農地を作り、 生活するだけでなく、人を育てるところが日本人らしいと思う。その土地で自分たちらしく生きていくために、自分たち で生活を作り上げるというのは並大抵のことではないだろう。木や壁で作られた家には、天皇皇后の写真を飾り、自 分たちは日本人という誇りが感じられた。世界大戦の時には、日本にいて負けを認めた日本人よりも、もっと辛い思い をしたのかもしれない。昔のこととして振り返っているが、今までに深く知ることのなかった移民の歴史を知ることで、 ブラジルと日本のつながりをより強く感じるようになった。また、日本を離れた異国でも、祖国(日本)を思い、必死に 生きてきた人々のことを考えると、感慨深いものがある。 ●8/2:リベルダージ地区 人が多くて危ないということで、最低限の荷物(パスポートや財布、カメラ)で出かけた。路上では、DVD や CD を 販売する店がたくさん並んでいた。また、独特の色調で染めてある布もあった。「京都」と大きく書かれた垂れ幕があ ったり、日本の電化製品があったりと、様々な商品が並んでいる。SOGO の店もあった。プロポリスの石けんや、スプ レーを売っている店もあった。魔除けのお守りという、黒い髪に、怒ったようにつり上げた目、牙をむく口という怖い顔 をした置物や、幸運をよぶ手も見られた。屋台が出ている区域では、盆栽も売られていた。所々で見かける出店では、 本やはがき、新聞やお菓子を売っており、そこには日本の漫画がたくさん売られていた。子ども向けに、ポケモンや ドラゴンボール、キティちゃんの冊子も見かけた。東洋人街だけに、その通りは提灯の形をした電灯が続き、見慣れ た商品がたくさん並んでいた。日系人などの東洋人を中心としてよく利用する商店街かと思いきや、それ以外の人々 もたくさん訪れて賑わいをみせていた。 ●8/3:JICAオンダリンパプロジェクト サントスの水道事業について話を伺い、実際に工事を行っている現場へ訪問した。サントスでは、下水の整備を行 っている。下水が整備されることで、病原菌が減少し、水質が良くなる、そして、死亡率も減少するなど、下水処理の 整備を行うことで人にも環境にもよい影響が現れる。日本と比べてここでは、その都市のライセンスに基づいて処理 場を作らなければならないため、手続きが大変。今は、処理場を作り、普及活動を行っている。今後、2011 年より先 に効果が期待されるだろう。ポンプ場を見学させてもらった。昔のポンプが古くなったため、新しいものを建設してい る。多くの人が現場で働いていた。工場で行いそうなことも、人の手で一つ一つ行っている。地域の住民をプロジェク トに参加させることで、技術を身に付けさせるそうだ。水をきれいする施設の必要性を感じてもらい、協力してもらうた めにじゃ地道な普及活動があったのだろう。町全体に、住民全員の賛同を得て活動をしていくことはたやすいことで はないと思う。しかし、絶対良くなり向上することを信じ、処理場を作っている。その施設の良さを信じ、地域を変えて いこうとする人の力を強く感じた。 ●8/3:無収水管理プロジェクト 無収水とは、収入にならない水のことである。日本は蛇口をひねれば飲める水が手に入る。しかし世界では、その ようなことが希だ。今世紀は水の世紀になるのではないか。日本の東京でも、1945 年には漏水などで80%が無収水 だった。しかし、2007 年にはそれが 3,3%になった。サベスピでは今まで、水道管に管をつけて水泥棒されたり、漏 水があったりで、無収水もなくならなかった。そこで、流水計で無収水の量を量り、現状を分析する。そして、健全な システムを作るようにしている。これからは、風呂や洗濯、顔を洗う水まで、総合的に水のことを考えなければならな い。水を大切にしようと思う心をもってほしい。そうすることで、自然環境を大切にする心も育っていくだろう。もし、水 がなかったら…とかんがえると、どれだけ必要性があるか分かってくる。 私の学校は、水道の水を飲んではいけないことになっている。職場に戻って、もう一度確かめたい。いつも当たり 前にある水。蛇口をひねれば飲める水が出てくるが、浄水器をつけたり、水を販売したりと、世間はよりよい水を求め ているようだ。豊かな水があるからそれ以上を求めるのだろうか。限りある資源として大切にされている水をみると、日 本がどれだけ恵まれているかがよく分かる。今更昔の日本のようには戻れないが、おいしい水について考えるだけ でも、自分たちが地球に優しくしないといけないことが見えてくると思う。 ●8/4:憩の園 設立50周年というここでは、約 80 人のお年寄りの方が暮らしている。寄付で建てられ、今でもそれは続いており、 必要な物があれば新聞に載せると、いろいろな人が持ってきてくれる。庭には桜やツツジが咲いていて、部屋の中 は祖父母の家に来たかのように和風家具を主に整えられていた。ブラジル在住の甥や姪によってここに入所するこ とが多いそうだ。たくさんの日系1世の方とお会いした。そして、その人の歴史を聞くことができた。私たちは、来所さ せていただいたお礼に、君が代、ふるさとを歌った。リコーダーによる君が代の前奏が始まり、ふと前を見ると、ほろ ほろと涙が止まらない方がいた。歌うことに一生懸命だったことが、一瞬にして何か、大きな想いの波にのまれて、こ ちらまでじぃんと泣けてきた。そして、ふるさと。歌えば歌うほど、このふるさとの歌詞がこんなにぴたっと心にはまる 瞬間は初めてだった。私たちは、目の前で聴いてくれている人たちのために歌うのに、涙を流してはいけないと思い ながらも、なぜか止まらなかった。あの時、あの場であふれていた空気は言い表せないものがある。ここに集まった 経緯は一人一人様々だが、それぞれに歴史があり、想いがある。私がお話ししたどの方も、ブラジルはいいところよ、 と微笑んだことも印象的だった。 ●8/4 :モンテ・アズール・ファベーラ(プレゼン) ファベーラに保育園を建設している。来年の2月に完成予定。ファベーラの住民を雇って保育園の建設を進めて いる。モンテ・アズールのコーディネーターを始めたのは、ウテさん。スラム街の近くで教師をしていたところ、近くに 住んでいた子どもたちに菓子やパンをねだられたことに始まり、ついに学校を建てることになった。ドイツで寄付を募 って学校を建てた。シュタイナー教育を進めている。その後も、ファベーラの中でいろいろな活動ができるように支援 を続けてきた。図書館やパン屋さんも作られた。 ブラジルは就学率が悪いため、小学生までにどう育つかが今後の人生を左右するようだ。そのため、保育園を建 設する。それは、両親が安心して働ける支援でもある。ファベーラの住民が経済的に自立できるように支援をしてい る。生きていくためには、食べなければならない。そのためには、働く必要がある。働くために、適度な教育があれば、 働くための可能性がより広がっていく。また、教育により自分の能力を広げることができ、世界を知ることもできるよう になる。ファベーラを良くしていくことで、ブラジル全体が良くなっていく。そのためにできることを、与えるのではなく、 彼らとともに必要なことを一緒に作り上げていくことが大切なのだと思った。また、その土地を良くしていくためには、 そこに住む人々を育てないといけないということを改めて感じた。 ●8/5:漁村&農村における学校 何時間かボートに揺られて学校に近づくと、木々の間から子どもたちが顔をのぞかせた。待ってくれていたようだ。 川の水が上がってきても浸水しないように少し高いところに作られた学校は、教室がひとつ。黒板と勉強机が並んで いた。子どもだけでなく、親や兄弟も一緒に学校のまわりに集まっていた。先生は一人。生徒数は20人程度。1∼4 年生までを一度に教えている。先生にインタビューをすると、いつも礼儀正しさを教えているという。そして、目的をも つこと、それに向かって仕事や勉強をがんばる大人になってほしいと願いを語った。物はあふれ、環境にも恵まれた 日本でも、思いや願いは通じるものがある。むしろ、情報や教授法の上達論が多く、目的が曖昧になってしまったり、 少しでも足りない物があると嘆いたりしてはいないだろうか。物がない中でも、子どもたちと共に生活をしている先生 の姿は、今の自分自身を振り返るものでもあった。そして、子どもたちの姿も。生き生きとした目をしていた。 その後、市長さんの計らいで、最近建設した新しい学校を見学させてもらった。先生は2人。水道も通り、調理場も ある。2人で全てをこなすのは大変だが、施設が新しくなり、教育の環境が良くなって勉強もはかどるようになったと話 していた。市長さんが率先して、教育のハード面を整えてくれることで、一歩一歩、教育の質が上がっていっているよ うだ。 ●8/5 :環境調和型養殖 アマゾンに住む魚を、それぞれの水槽に分け、名前とともに展示されていた。このプロジェクトに参加している子ど もたちの意識が高いことが印象に残った。おいかわさんの夢は、アマゾンの流域に最大の水族館を作ること、と教え てもらった。アマゾン地帯の魚を紹介することで、自然に対する住民の意識も改革され、他地域の関心も呼ぶだろうと いうことだった。水族館を作る、という目的には、この地域を良くしていこうとする願いが込められていた。自分の行うこ とが、地域を助けたり、人を助けたりする力になっていくことは、とてもすごいことだと思う。 ●8/6:越知日伯学園(小学校) 年長クラスに入らせてもらった。いきなり参加させてもらったが、先生方の大きなフォローで1時間とても有意義な 時間を過ごすことができた。子どもとの交流では、好きなものの絵を描いてもらい、アンケートを行う。そして、じゃん けんと長縄をして遊んだ。好きなものの絵では、サッカーやピラルクを描いていた。じゃんけんを知らなかったので、 勝ったり負けたり体当たりで勝負した。どの子も一人一人の個性がしっかりとしていて、自分が好きなことややりたいこ とを自由に表現していた。しかし、先生方は一人一人の心をよくつかみ、何気なく皆をまとめていた。自分のクラスの 子どもたちを思い出した。楽しいことには全力で向かう姿や、満面の笑みで笑う様子は、どこも同じだと感じた。 越知校長先生からは学校の概要を話していただいた。モンテッソーリ教育を実践していること、働く女性を支援で きるようにシステムを考えていることなど、独自の教育方針を進めていることが分かった。女性を支援するシステムな どは、今の社会にも求められていることだと思う。親子のコミュニケーションをどうしていくかなど、日本では新たな問 題もありそうだが、新しい考え方を取り入れることで、また違った角度から教育の進め方を見ることができそうだ。また、 自立を進めているという方針は、今の教育の「生きる力」に通じるものがある。越知先生のしっかりとした芯のある方針 には、考えさせられることがたくさんあった。 ●8/6 :汎アマゾニア日伯協会&アマゾン入植80周年委員会 ブラジルは広い。南北ではだいぶ様子が違う。スライドを見せてもらって、パナ州の様子が分かった。日本語を教 えている学校も点在している。今までは一世の方の意識が高く、何とかして自分のことを伝えたいという思いで日本 語を教えていた。しかし、今では日本語を教える人も少なくなっているのだという。日本語教師の待遇は低いことも原 因の一つかもしれないと思う。これは、日本語教師に限らない。教師の社会的な立場が低いことは、教育の重要度が 低いのかもしれない。もちろん、人が生きていくためには、まず、移住食の基礎的な基盤が必要である。しかし、実際 に社会に出て働こうと思うのであれば、どこかで教育が生きていくと思う。イニャンガピの市長さんがハード面で学校 を新しくしているように、いろいろな所で教育に目が向き始めているように感じる。必要な教育が受けられるように社 会的な側面からサポートがあればと思った。 つつみさんとすどうさんからアマゾンについて詳しく、そして楽しいお話を聞かせてもらった。日本人がアマゾンに 入植してからの生活や、パラ州の中にある様々な師の紹介があった。須藤さんからは、「全て自分たちで作り上げた、 後悔はない。ここは本当に自由だ。」ということを聞いた。そして、今までの日本人の記録を本にして出版したり、歴史 を引き継いでもらえたりするといいなという願いを知った。その後、また「ふるさと」を歌った。なぜだかじぃんとする。 私たちは、ほんのわずかな時間しかここにいることはない。同じ地で生まれたということでつながれることを実感した。 また、今まで自分たちがしてきたことの歴史を伝えていきたい、という思いをひしひしと感じた。 ●8/6 :アマゾンペーパープロジェクト アマゾンペーパーが作られる工程を見学させてもらった。紙に応じて原料は違うが、軽くて繊維が強いため、強く てやわらかい紙になるクラワという植物を原料としているそうだ。葉から繊維をとり、短く切り、製品に合わせて機械に かける。その後、紙をすき、ローラーでのばしてからガスや天日で乾かす。原料となるクラワは、あるコミュニティに育 て方を教えて作っている。そのコミュニティは森林伐採をしなくても生活することができるようになり、コミュニティの生 活向上にもなっているという。アマゾンペーパーを作って売るだけ、の見えるところだけでなく、栽培の段階から地域 の人々の仕事を掘り起こす。そうして、森林伐採を防ぐという環境問題まで及んでいることを初めて知った。全てがプ ラスのサイクルで回るようによく考えてあると感じた。また、ここの職人さん達がとても仲良く、楽しげに働いているのが 印象的だった。職人さんからは、大学に行って学んだり、アマゾンペーパーの発展を願ったりする声を聞いた。働く、 ということで世界が広がり、夢も広がっていくと思った。 ●8/7:Ver o Peso 市場 たくさんの警察の方々に護衛していただいて、安心して市場を回ることができた。衣類から生鮮食品、食器や小さ な楽器などなど、ずらっと並んでいるとても広い市場だった。衣類ではTシャツや帽子、サンダルを売っている店が 多かった。果物や野菜では、今まで食事で出てきたような食材がずらりと並ぶ。キュウリやトマトなど見慣れたものもあ れば、黄色い液にパクチーをつけただし汁のようなものも売られていた。そこで調理をして出している店もあった。鮮 魚売り場では、大きな魚から小さな魚まで、そのままの形で台の上に乗っていた。それを自分で量りに乗せて買った り、市場の人がさばいたりしていた。アマゾンに住むというピラルクやピラニアも並んでいた。 日々の生活で使う様々なものが、たくさん売られており、日常で使われているものを見ることができた。 ●8/7:熱帯果実加工工場 ここで作られたジュースは、「フルッタフルッタ」として日本でも売られている。カカオやアサイー、カジュー、クプア ス、グワバなど14種類のジュースを作っている。アサイーのジュースは、パラ州の人はそのまま飲むが、アメリカなど に輸出するときにはガラナを混ぜるなど飲みやすくしている。日本へは、果物をとってジュース状にして凍らせて送 る。ジュースには時期もあるが、アサイーは8月から12月がピーク。果物はここで採られる。ないものは2∼300km離 れたところで作っている。契約農家は 850 人程度。トメアスーが行っている農業は、山を作る農業。そこからお金を作 り出す。作り方はそれぞれ違うため、果物に合わせたラインが用意されている。今のやり方が何年もつか…今後の事 業展開として、カカオからチョコレートを作ろうと考えている。 日本向けのパンフレットも見せてもらい、ここで作られたジュースが日本に運ばれていることを実感した。また、カ カオとアサイーのジュースは、実際飲ませてもらってとても美味しかった。 ●8/7:トメアスー文化協会 トメアスーの歴史をパネルや展示物で見ることができた。昔のカメラ、映写機、寄せ書きがされている日本の国旗、 なども展示されていた。その寄せ書きなどからは、その当時の生の声を知ることができた。この地に日本人が来て、 農業組合を結成したことや、アグロフォレストリー、胡椒についてなど、歴史がコンパクトにまとめられていた。移民資 料館にも日本人がブラジルに来るまでの歴史が展示されていたように、トメアスーに来て集落を作り、文化を創って いく人々の歴史を感じた。また、それを後世に伝えていこうとする心を感じることができた。 ●8/8:トメアスー産業組合 産業組合は、入植2年目に野菜組合から始まった。その後、州政府に押さえられ、終戦後、カンタ組合が始まった。 一時、ピメンタがうまくいき始めたが、60年に病気と水害により全滅した。そして、果樹に移った。カカオも成功するよ うになった。また、ジュース工場が始動した。今は、カカオを原料にしたチョコレート工場を考えている。農協は、ただ 果物を出荷するだけでなく、付加価値をつけないと儲からない。大きく作ろうとすると環境問題に引っかかる。今行わ れているアグロフォレストリーは、市場にほめられるものになった。 印象的だったのは、坂口さんの言葉である。生まれたらいつか死ぬ。生きているうちに何かを残さなければならな い。自分には何も残らない。皆に残せるような、皆が安心して生活ができるようにと思っている。そういう人がいないと、 皆どこかへ行ってしまう。続けるなら思い切って続けるしかない。逃げるのは簡単。ここは、環境問題によるプレッシャ ーがある。アマゾンに住む人はどうして「アマゾンの木を切るな!」なんて言うのかと思う。自分たちの森林を全て伐 採して、今更何を言っているのか。しかし、法律が決まり、それを守りながら生きていかなければならない。全部捨て てヨーロッパとかの反対の立場の国へ行けばいいのか。しかし、どこにも問題はある。知恵をしぼってやるしかない。 今、反対の立場の国にいる私にとって、がつんとくる言葉だった。そして、安全や生活の水準がある程度保証され ている日本で、どこまで必死に人は生きているのだろうと思った。 ●8/8:アグロフォレストリー(小長野農場、乙幡農場、高木農場) 一週間に一度は畑を一回りして、計画を立てる。850ha の農地があり、年間40人の職員を使っている。収穫時に は多くの職員を雇う。職員たちには、自分のやっていることを学んで自分でできるようになってほしい。そうして、職が できる人を増やしていく。自分だけでなく彼らにも儲けさせる。職人たちと1対1で話し、出された食べ物を受け入れる。 聞き、話し、思ったことを伝え合う。たくさん話すとわかり合えるようになる。お互いに親しくなって話をすればいろい ろなことが解決していく。そして平和な国を作りたい。皆が1つの家族だと思えば、まわりの人も自分を守ってくれるよ うになる。そして、アグロフォレストリーを広めたい。パラ州に日本人が入り、小さな土地から少しずつ発展させていっ た。いつかは良くなると信じなければいけない。 話を聞いた後、農場を見学させてもらった。カカオの木は整然と並んでいるのではなく、バナナやアサイーなどと 混在している。葉や実の殻が落ちてもそのままにする。それが土壌の一部になり、土を作っていく。 森のような状況を作りながら、収入を得る。消毒を使わず、無理に土壌から栄養をとることもしない。自然に優しい 農業だと思う。反面、たくさんの植物が混在している農園は手入れも収穫もとても大変だと思う。もっと効率的なものは ないかと考えてしまうが、何かに優しくなるためには、自分の努力も必要なのだとも思う。 高木農場では、農地を整備し、水路を作って計画的にアグロフォレストリーを行っている。農園によって作っている 作物が違い、やり方も様々である。それぞれに自分の農園に対してポリシーがあり、仕事に対する熱意を感じた。 ●8/8−9:ホームステイ いなだよいちさんのお宅にお世話になった。夕飯には、よいちさんにシュハスコを焼いてもらい、めいこさん特製 のお味噌汁やアヤ子さんが仕込んだこんにゃくや薩摩揚げを美味しくいただいた。料理の準備をしながら、お母さ んとおばあさんにいろいろと教えてもらった。初めて見たのは、カシュの実だ。きれいな赤っぽいオレンジ色の実に、 くりんとナッツの部分がついている。パナグリを砂糖でくるんだお菓子やちょっと痺れる佃煮のようなもの、チーズや キムチも味見させてもらった。どれも、手作りで、少しずつ味が違って美味しかった。畑では、マンゴスチンやドラゴン フルーツ、ノニなど幾種類もの果物が採れるそうだ。 アヤ子さんがここへ来た当時は、何もなかったという。病院へ行く暇もないほど働いていた。めいこさんは今、餃子 やアサイーグッズ、パナチョコなどを作って売りに行っているそうだ。お父さんには、子どもの頃の様子やアグロフォ レストリーなどたくさんの話を伺った。アグロフォレストリーは、その歴史と必然性からこのようになってきた。決して楽 な農業ではない。また、バイオエタノールについて、効率よく採れるオイルパームは単作でとても広い土地が必要な ため、難しいということだった。少しだが、よいちさんの深い人生を感じられる時間となった。 ふるさとはどこか。と聞くと、アヤ子さんは日本の福岡、めいこさんはここトメアスーだった。そして、今日の老人会 のチラシには、「ここ、ふるさとトメアスーで−。」という文面。それぞれ、人によってふるさとは違う。「ふるさと」を思う時、 何を感じるのだろう。今までに「ふるさと」を歌い、そこで見た涙、想いは、何かつながっているものがある。 ●8/5∼9:パラ州での移動途中(ベレン−イニャンガピ、ベレン−トメアスー) クレイトンさんに運転してもらい、パウロさんとチバちゃん、ビフィと一緒だった。帰りの車の中では、ブラジルの遊 びをパウロさんに教えてもらった。1つ目は、まず、じゃんけんの要領で片手を出す。そのときには、何本の指にして も良い。そして、「a,b,…。」と指の数だけ数えていって、最後の指が示す文字から始まる単語を言う。最後に言った人 が負け、というゲーム。2つ目は、0か1。複数人で行うゲームで、指の数を0か1にして片手を出す。一人だけ違うも のを出したら抜けられる。どんどん抜けていく。3つ目は、偶数か奇数か決める。そして、じゃんけんの要領で片手を 出す。その時には、何本の指を出してもよい。全部の指を数えて、偶数か奇数か、当たっていた方が勝ち。 ブラジルでは、動物は悪いものの例えとして使うという。日本には、干支がある。例えば私とチバちゃんは酉年。鳥 は、ナンパもの、という意味だそうだ。パウロさんはねずみ年、そしてクレイトンさんは蛇、ビフィは犬。ネズミも蛇も汚 い、というような意味らしく、動物で良い意味を表すことはないそうだ。良い表現としては、果物や花に表すという。自 分の好きな果物などをあげ、「あなたはイチゴのように∼。」といった形だ。 車窓からの眺めは、町によって変わっていった。木でできた橋を渡るときには、池の周りにパラソルをたてて水浴 びをしていることがあった。途中の町では、木の幹に根元から半分ぐらいまで白や黄色などの色が塗ってあるところ もあった。道ばたに数人が集まって車がくる方向を見ている。バスに行き先が書かれているため、それを注意して見 ているのだという。空が広い。青い。雲が大きい。大自然を感じた。 ●8/10:ブラジル教育省 教育省に入るときには、カメラなどの持ち込みにもしっかりとしたチェックがあった。教育省の環境科の方からお話 を聞いた。環境教育は、国のプログラムとして10年前から始まった。教育省だけでなく、環境相と共に行っている。3 年ごとに国内でフォーラムを行い、呼びかけをしている。ここの内容が、国の環境教育のテーマになる。政府がメイン ではなく、州や市町村が一緒になって環境問題に取り組むようにしている。州が必要なことを連邦に協力を求めると いう形である。まだ格差は大きいが、成果はある。課題としては、予算が少ないこと、やっているとは言うができていな いところがること、大学で専門の先生を育成し難いことがあげられた。多くの国にフォーラムへの参加を呼びかけて いる。 日本でも環境問題がこれほどまでに叫ばれてきたのは最近のことかもしれない。今、自然がたくさん残されている このブラジルで環境について考えるのはとても大切なことのように思う。 ●8/10:JICAブラジル事務所 報告会 ふりかえりミーティングを行ったことで、自分の考えを発言しやすかった。私たちが何を感じているかをそれぞれ発 言し、ブラジルで日本語を学ぶ子どもの様子や、逆にブラジルの子が日本で学習をする様子を比較してどう生かして いくかなど話し合いが行われた。今回、日本とブラジルの深いつながりを目の当たりにすることができ、そして、今で も行き来している様子がよく分かった。文化が交流しているのはもちろん、多くの人が両国の地で自分らしく生きようと している。私たちは、昔を知り、今を知り、今後どのようにつながっていくのか。そして、実際に教育現場で何ができる のかを考えなければならない。ブラジルの地のにおい、温度、そして人の温かさを直に感じたからこそ伝えられるこ とを伝えていきたいと思う。 ●8/10ブラジリア市内見学(世界遺産等) ブラジリアの町は、上から見ると鳥の形をしている。そして、翼にあたる部分などはマス目のように区画整理され、 近代的に整えられていた。大聖堂の外には4人の使徒像が並び、中に入ると全面ステンドガラスで埋め尽くされてい た。3体の天使が天井に舞い上がっている。大聖堂や国会議事堂、テレビ塔などを車窓からも、歩いても、見学した。 最後に橋を渡って見た夕日はとてもすばらしいものだった。振り返ってみると、その大空にいつも見守られていた気 がする。 7.その他全般を通じての感想・意見など 最初から最後まで、ずっと人の暖かさを感じた。ブラジルに来て様々な人に会って、その人との関わりの中から感 じたことが、言葉にならないほどある。見学や観光だけでなく、その人となりを直に感じることで、ブラジルがより身近 な存在になった。そして、人と関わることの大切さを感じられた。 日系人の方々の歴史や思いを改めて深く知ることができた。こんなに思われている日本は幸せだなぁと思う。受け 止められるよう、私たちも考えることができるように意識を向けていきたい。 最後に、本当にメンバーに支えられた14日間だった。毎日毎日がどんどん楽しくなっていった。感謝感謝。 8. 来年度参加する先生へのアドバイス (持ち物、必要な準備、学びの視点、注意事項など) 国内線にも荷物の重量制限があるため、できるだけ少なくまとめていくと良いと思う。今回は資料(教科書)などを いただいたこともあり、帰りには荷物の量が増えた。分けられる大きめのボストン等があると便利。両替をするところは 少ないかもしれないので、計画的に行うと良いと思う。お土産では、日本の食べ物が喜ばれた。お土産係として、多 数所属している団体を訪問するときには、多めに準備しておくと良いと思った。ベレンとトメアスーでは、虫除け関係 (寝るときには蚊取りマット、農園では虫除けスプレー)が必要。JICA支所や教育省などでは、やはり一つかちっとし たジャケットがあると良いなと思った。予備の運動靴を持っていったが、必要なかった。常備薬として、少しずつ多種 の薬を用意すると安心。サンパウロは朝夕冷えるので、秋の終わりぐらいに着るパーカーが重宝した。写真入りの名 刺は交流の時に便利だった。前もっての知識は必要である。多少のポルトガル語が分かると、深い交流につながる。 道中は、メンバーの考えや行動を肯定的に受け入れていくと、深い学びができると思う。 以上