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「平安を与えるお方」

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「平安を与えるお方」
「平安 を与 えるお方」
ヨハネの福音書 20章 20節 ∼ 31節
序 も しイ エ ス ・キ リス トが死 か らよ
み が え らなけれ ば、私た ちの信仰 は実 質
の な い もの とな って しま い ます。死か ら
よみが え られた主イ エ ス ・キ リス トの意
み を覚 えて心か らの感謝 を表 し、そ の よ
み がえ りのいの ちにあず か つて い る こ と
を互 いに喜 びた い と思 い ます 。
人 の死 生観
私た ちは必ず死 を迎 えなけれ ばな りま
せん。ある人は こ う考 えます 。「
人は死 ぬ
ぬの
っ
い
であ て たず らに恐れて も
時 は死
ど うに もな らな い。 だか ら死 ぬ こ とは考
えず に生命保 険 で もかけて、後 は 自分 と
他人 (ひと)の ために今 を精 一杯 生 きる
ことだ。」 またある人 は 、 「
人は必ず 死 ぬ
の
も だ。 しか も何時そ うな るかはわ か ら
な い。 この危機感 が重要 であ り、死 の 現
実を直視 して こそ、生 きて い る今 を大切
に生 きて い けるのだ。」と考 えて過 ご しま
す。 これ らの考 えは 、 死の現実 をはかな
まず に 、それ をバ ネ に強 く生 きて行 こ う
として立 派 です。 しか しこの 生 き方 の真
死 」は所詮 ど うす る ことも出来な
相 は 、「
い解 決不能 な問題 と決 め込 んでいます。
「
死 」 に打 ち勝 つ こ とは不可能 な ことな
ので しょ うか。
死 」 を恐れ るのか
人 は何 故 「
1、 「
生」に対す る未練 と哀惜 の念 に よる
自分 の存在 が この世 か ら失 われ、消 え
去ってい くとい う「
喪失感 」に よる恐怖。
2、 死後 の疑問 か ら来 る不安 による
「
死後 の世界」 力`
本 当にある とすれ ば
人は死 んだ後 に 自分 の人生 に関 して 、神
の裁 きの前 に立 つの か等 の疑問 か ら来 る
不安 と恐れです 。
人間は 自由意思 を持 ち、愛 と善悪 を知
り、それ を自由に選択 出来 る道徳的な存
在 として神 によつて造 られ ま した。 この
ことか ら人 は、死後 に 自らの 「
清算」 が
こ
い
ある とを本能的 にあ る は直感的 に知
つてい ると言 えます。
3、 「
死 」の恐れ の根本的理 由は 「
罪Jに
よる
「
死 」 を恐れ る根本的理 由 として、聖
書は人 間 の 「
罪」だ と指摘 します。 (Iコ
リン ト15章 55節 )神 は私た ちの主 に
よつて私た ちに勝利 を くだ さい ま した。
「
死 」に打 ち勝 つ勝利
神 は、人 に 「
死 Jに 打 ち勝 つ 勝利 を与
え られ ま した。「
神 は罪 を知 らな い方 (イ
エ ス 。キ リス ト)を 、私 たちの代 わ りに
罪 とされ ま した。 それ は私た ちが 、 この
方にあ つて神 の義 とな るためです。J(Ⅱ
コ リン ト5:21)イ
エ ス ・キ リス トが
「
十字架上で わが神 、 わが神 、 どうして
わた しをお 見捨 てになったのですか。」と
叫 びま した。父 なる神 は 、罪深 い 肉 と同
じよ うな形でイエ ス ・キ リス トを地上 に
遣 わ され、全 人類 の 「
罪」 をそ のお方 に
負わせ られ 、十字架 にお いて 処罰 され ま
した。父 なる神 との親 しい緊密 な交わ り
にあ つた御子 は 、一 時的 に見 捨 て られ た
状態 とな りま した。そ の 叫び が十宇架 上
で の叫びです 。父 なる神 は、御子 の苦 し
み をご覧 に な つて満足 され ま した。御子
は、御父に対す る従 順 を全 うされ ま した。
二 日目の よみが え りは、御 子 の生涯 が罪
なき もの と認 め られた こ とです 。 こ う し
て御子 は、十字架 で死なれ ま したが 、そ
の 「
死 」 をもつて 「
死 Jに 打 ち勝たれ 、
よみが え られ ま した。 ハ レル ヤ !
「
死 」 の恐れ か らの解放
さて、弟子 たちは仲 間同士で集 ま って 、
ユ ダヤ人 を恐れ て戸 を開めて い ま した。
彼 らは 自分達 も同様 に され るので は と恐
れて いたのです。 つ ま り死 を恐れ ていた
の です。 ところが 、 よみが え られた主イ
エ ス ・キ リス トは 、彼 らの 中に 立って 「
平
があ
が
安
なた たにあるよ うに。」と語 られ
ま した。 よみが え られ たイ エ ス ・キ リス
トを信 じる時、人は罪 の生活 か ら解放 さ
れ、死 の恐れか ら解放 されて 、神 が与 え
られ る平安 に心が満 た され るのです。
そ の後、主の弟子 たちは、主 の復活 を
否 定す ることが出来ませ んで した。復活
の 主 と顔 と顔 を合 わせ て 見 たか らです 。
二 千年経 った今 も、イ エ ス ・キ リス トが
生 きてお られ る事実は変 わ りませ ん。
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